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PDF - 三浦綾子読書会
巻頭吉 津軽海峡の出会いで考えたここ く青函フェリーにて> 正 田員次 6月 2ι 日の昼過ざ 私は青函フェリー船上ではるばる青森まで来た大阪の ビンチハイクの青年 (K君 )に 出会いました その夜、彼は函館の教会でTAの 請 漬会 こ参J:「 戦後レジームからの脱却Jが 、集団的自衛権の行使に向けた憲 法0笑 . ■ ■│`、 弐力行使の容記だとTlは 語りました。これがK君 の北海道の 長の磋まりこなりました 全□大会開催前に旭川で私と再会、その足で宗谷岬 こ●がし` ましモ 旭│か ら●200キ ロにある幌延には深地 ri与 0最 ちの示谷岬 こ至る途 ー 1984(昭 "、 59)年 、 層テスセンタ があります 貯蔵工学センター計画の公表 1990(平 2)年 、北海道議会が員 i蔵 二営センターの立lt吸 対決議で計画が原結 状態.深 地層研究に変更 2000(平 12)年 、0]内 へ核廃東物持ち込みを認めな い条例が幌延町で成立 至極当然 センターの隣にトナカイ観光牧場、5■ □以 内に幌延中学校など多くの公共施設があるからでしょう 誌『ダン』 綾子さんは1982(昭 57)年 ∼1986〈 昭6つ 年、北穆道新聞社の月干」 ベル放 に連載したエッセイの中で「ブッとする話」と題し、幌延の高レ 射性廃葉 物施設につ いて言えをlTべ ました 1957(昭 32)年 、ソ連のウラル地方であった高 レベル放射性廃票液の大爆発 (現 在では、チェルノブ イリ事故、福島事故に次く事故との評価 )に n壺 れて安全神話を問しヽヨンヽネの黙示録を弓用した上で「反対」を明らかにしています 旭 「反原発出前講座 Jを 開催した折、風邪のため欠席した綾 ・■k江 雅俊氏が、 川市の天寧寺住職で、日本ベラル ーシ市民友15協 会代表の 2011年 10月 27日 )「 ― 三 訪問を願ったことが紹介されています (『 中外 日報 』 子さんが請師の高本仁 郎氏 (原 子力資料情報元代表 )の ● 「 20分 そして人間は消じ で教えて下さい Jと の綾子さんの要望 に、 高本氏が 人 間に絶 Jつ ていうのはないですね 番大切なところを .綾 えを乞う 高木氏は すてしまった 話されたそうです ヽ手短に教 子さんらしい逸話 方を知らな い火をつ Jと 欠席を理由に訪問を願し 2000年 10月 8日 に他界 .お 互いに病身なればこそ実現した面談 F_つ たに違いありません ところで K君 と出会った津軽海峡 これまで海底か上空で通過してきた海峡を今 回初めて船で渡りました しかもK君 と同船して 快 晴の海はあまりこも美しく 曰板で記念ステリブ しかし60年 前の 9月 26日 l・ 、この海峡で洞爺丸事故が 起きたのです 綾子さんは「氷 点』の新聞連ヨ に 辻□啓造が洞爺丸事故に這逼じtこ こを■入しました 外 国人宣教 師が 自介の救昴胴衣を日本の若い女性 に譲 ン り、次のように話しかヴました 「ファタハ ワ,シ 三 ,ラ 万 ニンバンハ フカイヒトガ、ツクリアゲルノデスJ ll命 胴スを譲った宣教師 は、アメリカ人ディーンJリ ーバ ーさん そら ンダさん ,9 9(招 5ι )三 こ三浦家を訪ねておられますが、リーバ ーさんのご長男ス =リ Jリ ーバ ー ー 60,Ξ 地域 62F卸 市が,o盟 する平和首長会議の さんは広島平莉文│`マ レ の三三事長 20`三 9言 ,こ ● テイ プン '一 ー ーバー ‐ Ё栃めてお会いした1寺 、 セン 2020ビ 0緊 さん ジョンフ兵 モのこの 急'=ヨ _う tOこ 事務局が向 タ にあり、リ =走 =言 `「 ー ― ,'一 [=雪 さん ■島て莫会話を教えるうちに被爆の現実を ゝてっこ ´ デイ ンさんのご長男であることを知りました 平和運ヨ `、 直視して、核廃絶運動に身を投じて来たのです K君 8月 4こ て,が 一緒 こ遊んでもらしヽ ましたが、9月 20 その後 は に大雪Шと旭川での福島の子どもたちが保蓋て訪 ′、ま =冑 4日 こ こ あり き 交読し ましたtJ、 彼が 日に私が宣教協力牧師を務める黒石の教会を訪間、 間、寝食を共 レま´こ ≡言を■ 奇み i道 :を ー こ くり 二人で味わえたのは、 大きな恵 訪れたオホ ツクの街の場面すなわち綾子さんが西中―郎氏に結納を返金 訪4[場 罰をゆつ く こ 二人の読言会 三浦綾子読書会での再会を約束し、 のバランテイ ア活動に参力 0じ 旅立つて行きまし 言は三菫t■ みでした いわば た さて6月 23日 午前10時 から春光台公園でF道 ありき』 文学碑の除尋式が行われ、私も参 しました 光世さんは「神さまは、地l■ を造 '」 冊も文学作品を書かせていただきまし られ、また多くのllを 造られ、人間には文学も5え て活動させていたださました 綾子も80数 『銃 さんの作品を並べて祈られまし た 綾子さんは大地を汚染する核問題 にも早くから注目し、 たJと 、奇しくも神の万物創造と綾子 6月 28日 11寺 の午後 から、 文■碑除再式のあつ た □』 核汚染は数十世イ ヽ後に及ぶ問題です の終盤で広島の被爆の惨状を加えました。 「 て綾子さ 55008が 0し たことを重ねる時に、 作家人生を通じ 参か 東京で川内原発再稼働に抗議する さようなら原発首都大行進Jに んが訴える「平不 OJと「反核」を 次世代と読み継ぎたいと願います.津 軽海峡でのK君 との出会いがその思いを熟くしました 若者の ために身をささ│ザ て大切な使命を担いましょう. 十 字 架 の栞 坂部能 この十字架の栞は、昭和45年 に主婦の友社から出版されたfこ の上の器をも』の第一章に出てくるJ」 1泰 代さ んの作品です 三浦さんご夫妻がご結婚なさつた時、聖句と共に皆様に配られました 幻」 │さ んも「いちじくJの 会 員て綾子さんとは文通で親しく交際しておられたようですが、その当時はまだお会いしたことはなく ある時私 が東京に出張の折、綾子さんに託されてある品物を」││さ んに届けたことがあllま した この時私もはじめて小 川さんにお会いしました 彼女は当時葛節でお母tTと 暮らされ働いておられました その翌年彼女は北海道に始 めて来られ、三浦さんのお宅に滞 l■ されていたのを思い出します この栞を私も彼女から23枚 頂いておりました ので、参考までに差し上げます。彼女は78年 前と思いますが交通事故に遭い、車いすになりました そして間も 事故で そこから彼女が電話をくださり、その事故のことを知りました。 なく隅田公園の近くの施設に入りました。 手紙も書 ナなくなったようですが、その後のことはわかつておりません 参考までと思いお知らせいたします