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先生は、ただひとり、キリストだけ
NO.144 2009 年 クリスマス号(2009 年12月6日発行) 巻頭言●主任司祭 藤川神父 先生は、ただひとり、キリストだけ この一文は 十数年前、サレジオ会関係の小冊子に 寄稿したものである。私の人生において忘れ難い印 象を刻みこんだ或る司祭との出会い、別れ、そして 後に残った思い出を綴ったもので、「司祭年」にあた り再掲載する事にした。 かれこれ40年前にもなりますか。 私が実地課程の神学生であった時、私 たちの修道会にとんでもない不幸な事件がありました。内外にさまざまな波紋 を生み出し、年度の途中であったにも拘わらず、一部、人事異動も行われたの です。そこで、はるか九州の地にあった私のいた支部に、隠居していたある司 祭が長上として赴任してくることになりました。これは、私にとって思いがけ ない幸運な出来事でした。この方については高名であったにも拘わらず、私の 世代では私だけがまだ接する機会がなく、そのことが私には引け目に感じられ たし、またそれだけに憧れにも似た敬意を長い間、ひそかに抱いていたからで す。 仮に、その方をT師というふうに記しましょうか。 T師はうわさにたがわず、高潔な人格の持ち主でした。けれども、どことな く寂しさを漂わせているように私には思われたのです。このようなT師に、私 は出会った瞬間から強く魅きつけられていきました。そこで子供の教育、神学 生としての生活などを話題に、私の方から積極的にT師に近づいていったので す。そのうちに、そういう話題はどうでもよくなり、折につけ、内から滲み出 るような優しさを示してくれるT師自身に興味を持つようになりました。 1 あれだけの経験と経歴を持ちながら、世を避けるかのように、特別な仕事を 持とうとせず、孤高を保った、その生き方。それでいて、みずみずしさを失わ ず、静かで穏やかな人柄・・・。そうした生き方の理由を聞きただしたい! 近づ きがたい一方で、どうしても近づかなければいられないという感じが、私の中 で焦りのように渦巻いていたのです。人間を愛し、愛さずにはいられない人で ありながら、自分の懐に入ろうとする者に手を拡げて抱きしめることのできな い人・・・、そんな印象が、私の内に深く沈みこみました。 仕事の合間をぬって足しげく、T師のもとに通いました。とにかく話を聞き たかったのです。その生涯、その考え方を探ろうとしました。私は若く、情熱 もあったのだと思います。T師の血を自分の血とし、T師の肉を自分の肉にし たい! 私は幼い時から、人間には人一倍関心があり、好きでたまらないくせ に、関わりとなるとどこか醒めた、一定の距離を置く人間でした。そういう自 分としてはめずらしい心境が、当時の私を支配していたのです。 よく言われます。人は、人生の終わりに近づいてくるのを予期したとき、一 生のうちに味わった様々なことを思い出す。そして、そうした並々ならぬ経験 が自分に与えてくれたものを、そのまま埋もれさせたくないと願うものだ と・・・。 T師は自分の、日本での人生の日々の終わりが近づいたことをしみじ み感じていたようです。事実T師は、日本を去ることを、いよいよ決心したの です。そして、そうした思いを若くて未熟な私に、友人としてポツリポツリ話 してくれたのです。 私は考えました。 『小さい穴から見えるだけの世界しか見ない若さに、T師の 思いが受けとめられるはずがないではないか。T師の方でも、一方では誰かに 全てを打ち明けずにはいられない衝動に駆られながらも、もう一方では誰かに よって、ましてや私みたいなちっぽけな者によって、事が解決するなどとは毛 頭、考えてもいないだろう。』どんなにT師に魅かれていても、その経験と思 いを分かちえない自分の若さと未熟さがはがゆく、いらだたしく思えてなりま せんでした。 ついにT師は、その人生の大部分を過ごした日本という「舞台」を、実に潔 く去っていきました。花道を通ってではなく、幕の向こうの通用口をくぐり抜 けて・・・・・・。T師は私の前から姿を消しました。だからといって、T師への思 2 いがそれで冷めたわけではありません。むしろ、つのるばかり。そこで私は文 通という手段で、T師との出会いを続けることにしたのです。むしろ、こちら の方が、思いを表現するには好都合でした。 数年、やりとりが続いたでしょうか。実地課程を終えて神学院に戻り、神学 に取り組んでいたある日のこと、私はT師から、次のような手紙を受け取りま した。 そこにはいつものように、スラリと背すじの伸びた大らかな外見からは思 いもつかない、グジュグジュと凝縮されたローマ字がびっしりと並んでいまし た。T師の口調そのまま、淡々としたなかにも慈愛あふれたことばがひと通り 綴られた、その後に、『あなたが私のことを、それほど慕い尊敬してくれるこ とは、ありがたく思っています。しかし、しかし、真実、慕い、尊敬すべきは キリストだけです。先生は、ただひとり、キリストだけ!』 いきなり、頭をガーンとなぐられたようでした。そして、次の瞬間、目の 前がまっくらになり、手紙の中の『先生は、ただひとり、キリストだけ!』と いう一文のところだけがスポットに照らされ、あとは何も見えなくなってしま ったのです。私は、穴のあくほど、その文字を見つめていました。けれども、 思考は停止したまま・・・。 この言葉は、何度も耳にし、目にし、そして口にした福音書の一句です。で も、その時、私は本当の意味で、はじめて耳にし、はじめて目にしたのです。 “目からウロコが落ちた”とは、あんな時のことを言うのでしょう。参った! と思いました。くやしくて、くやしくて、身体が震えんばかりでした。 そのあと、手紙の続きを読んだのかどうか・・・。 心臓の鼓動が平常音を刻むようになって、やっと、こう思いました。T師 のように、稀にみる人格に出会い、恵まれたにも拘わらず、T師は、私の人生 において、やはり一人の過ぎ行く人でしかなかった。 この事実の前にくやしいけれども、頭を下げなければならない―。 その時以来、私はT師との文通を断ちました。その手紙の返事も書かないと いう失礼もしたのです。 3 T師は、私にとって、初めての、そしておそらく最後の、情熱をかけること のできた人であったと思います。そういう意味で、若い時期にT師との出会い をもてたことは、私の人生の中で限りない幸せであったと思うのです。そして、 何よりも、『先生は、ただひとり、キリストだけ!』ということを、強烈に教 えさとしてくれたことは、どんなことがあっても忘れることができません。 数年後、私は司祭になりました。そして、司祭生活30数年たった今、しみ じみと思うことがひとつあります。司祭というのは、秘跡の授与者であるのみ ならず、司祭そのものが秘跡なんだということです。秘跡の場で、人はキリス トと出会います。司祭は、その秘跡の授与者として、人々をキリストへと結び つけます。しかし司祭は秘跡の場に限らず、日常の言動、あるいは存在そのも ので、人とキリストの出会いを実現してしまうのです。司祭当人の予期せぬ形 で・・・。 これは驚くべきことです。すばらしいことです。司祭なにがしによってでは なく、そのなにがしが、たとえ、どこの馬の骨であろうと、また、ひとかけら の才智さえ持ち合わせていなくても、司祭そのものによって、それが実現して しまうのです。司祭というもののすごさを感じるのです。 司祭は秘跡。人をキリストへと出会わせる秘跡! 今になって気づくのです。あの時、私がまだ若くて未熟な神学生だった時に、 司祭であったT師自身が、この私をキリストに出会わせてくれた偉大な秘跡で あったことを。そして、あらためて嬉しくてたまらなくなるのです。T師との 出会いを通して、唯一の師キリストに出会えたことを。 4 2009.6.19∼2010.6.11 司祭年 司祭年について ベネディクト十六世教皇様は、昨年の「パウロ年」にひきつづき、今年を「司祭年」と 制定し、宣言なさいました。全世界の主任司祭の守護聖人であるヨハネ・マリア・ビィア ンネの没後150周年にあたり、全司祭が心の刷新への努力を深め、現代世界にあって、 より力強く、はっきりと福音をあかしすることができるようになるためです。 今の世の中にあって、多くの司祭達が苦しんでいます。さまざまな人間的苦しみの体験 を共有し、自分が仕える人々から誤解を受けることも少なくありません。司祭としての尊 厳がないがしろにされ、宣教を妨げられ、迫害され、ときには血のあかしまでもささげる 司祭たちもいます。 司祭職とは、人間にゆだねられた、はかり知れない 偉大な賜物 であり、使命です。聖 ビィアンネのいくつかの言葉を引用しましょう。 「ああ司祭とはいかに偉大なものでしょう。 司祭は自分がいかなる者であるかを知るなら、死んでしまいます。神は司祭に従います。 司祭が二言、唱えると主はその声にこたえて天から下り、小さなホスチアの中に入るので す。司祭は天において初めて自分がいかなる者かをしるのです。 」 「司祭なしに小教区を二 十年間放置するなら、人々は獣を礼拝することになるでしょう。 」 「あなたの霊魂に糧を与 え、旅路を歩む力を与えてくれるのは誰でしょう。司祭です。霊魂が罪の為に死んだとき、 立ち上がられ、平安を取り戻させてくれるのは誰でしょうか。それも司祭です。地上であ がないのわざを続けるのは司祭です。司祭は天の宝を開く鍵をもっています。扉を開くの は司祭です。 」 またアルスの聖なる主任司祭、ビィアンネは信徒達に向かっても、祈りとあかしを通し て、たくさんのことを語りました。 「よく祈るために多くのことを語る必要はありません。 聖ひつの中に、 いつくしみ深い神がおられます。 このかたに心を開こうではありませんか。 このかたの現存を喜ぼうではありませんか。これこそがもっとも良い祈りです。 」 「聖体を拝領しに来てください。イエスのもとに来てください。イエスによって生きてく ださい。それはイエスのために生きるためです。 」 (ベネディクト十六世「司祭への手紙」より) 5 幼きイエスの聖テレジアの司祭のための祈り 「司祭年」にあたり、調布教会では、ミサのおわりに幼きイエスの聖テレジアが祈って いた祈りを、みんなで唱えています。 ああイエスよ あなたに選ばれた司祭たちのために祈ります 忠実で熱心なあなたの司祭のため 宣教地で働く司祭のため 誘惑で苦しんでいる司祭のため 孤独と寂しさで苦しんでいる司祭のため 若い司祭のため 年老いた司祭のため 病気になった司祭のため 臨終の床にある司祭のために祈ります しかし何よりも 私たちにとって身近な司祭たちを委ねます 私たちに洗礼を授けた司祭 私たちの罪をゆるした司祭 あなたのミサの中で、私たちにあなたの御体と御血を授けた司祭 私たちに教え、助言を与えた司祭 私たちが感謝しなければならない全ての司祭を この世においても、永遠の世界にあっても あなたの祝福で豊かに満たしてください アーメン 6 「司祭年」シンボルマークについて このシンボルマークは 「イエスのみ心」 を表します。これは、毎年、イエスのみ 心の祭日に、 「世界司祭の聖化のための祈 願日」が行われることに基づきます。そ こから、司祭職が招かれている特別な聖 性という、 司祭年のテーマが示されます。 輝くみ心は、 「司祭職とはイエスのみ 心の愛です」という、アルスの主任司祭 ビアンネのことばを表します。 イエスがまとっているストラは、 イエ スが唯一・永遠の大祭司であること、す べての司祭は歴史のあらゆる時代におい て途切れることなくこの唯一の祭司職を 受け継ぐ者であることを表します。 イエスの広げる手は、司祭のみが行う祈りの姿勢と黙想を表します。キリストの両手と 脇腹の傷跡は、唯一のあがないのいけにえと、司祭職の特徴である聖化と完全な自己奉献 を表します。人々を迎え入れる姿は、 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもと に来なさい。休ませてあげよう」といっているかのようです。これはすべての司祭を招く 慰めのことばです。それは、司祭が、乾いた石だらけの地で、日々、愛のわざを行うこと で疲れ果てても、隣人や遠く離れた人に同じ態度で接することができるようにするためで す。 教皇庁聖職者ウェブサイトより 7 2009年5月 24 日(日) 富士聖母巡礼 今年の富士聖母巡礼は、往きの中央自動車道で所々土砂降りの雨となる不安なスタート になりました。国立公園である富士山に扶助者聖母マリア像が建立されたのは、サレジオ のシスター方と恵美神父様のご尽力によるものと伺っていますが、今や富士スバルライン の道路沿いに標識が備えられ、多くの教会・信者が訪れる巡礼地となっています。 そのマリア様を目指し雨の中、調布教会一行48名の乗るバスは富士スバルラインを 登って標高1,600m 付近富士山二合目五勺樹海台駐車場まで到着する頃には、天のお 恵み、まさにいつも私達を助けてくださるマリア様の下へ向う時に雨が上がりました。生 い茂る樹木の間に通された山の斜面を登る道を進むと、木々の間から白く輝く聖母像が少 しづつ見えてきます。時折、霧がかかって幻想的な雰囲気の中、一行をやさしく迎えてく ださったマリア様の御前で、藤川神父様の司式によりロザリオの祈りを唱えました。その 間もマリア様はやさしく穏やかに、そして時として凛とした表情で私たちを見守ってくだ さいます。目に沁みる木々の緑、土の茶色、霧の白さ、嗅覚を蘇らせるような自然の香り に包まれて、大自然の山懐でマリア様が私たちを抱擁してくださるように癒され、また素 直な気持ちで祈りの時を過ごすことができました。 その後気温10℃前後の富士山五合目まで上がって暫し休息をとった後、一気に山を 下り山中湖畔のサレジアンシスターズ山中修道院に到着。ここで昼食・休憩の後に修院庭 にあるルルドのマリア様の御前で個人祈願を燃やしながら一同で祈りを捧げました。その 後、御ミサに与りましたが修道院の食堂や聖堂は、昭和の時代に戻った避暑地にある懐か しい雰囲気を持つ建物と内外観でとてもリラックスして気持ちも和み、御ミサでも心地 よく御聖体をいただくことができました。 修道院のシスター方の配慮に感謝しつつ別れを告げ、雄大な富士の景色を車窓から眺め ながら帰路につきました。 富士山は一見男性的なイメージがありますが、その山裾に広がる大自然の中人間を包み 込む優しさ、時として魅せる強さはまさに母性そのものであり、扶助者聖母マリア様が 私達に示してくださるものと重なります。ぜひ一度、富士の聖母マリア様そして山中湖の 修道院を訪ねてください。木々の中で心行くまで祈り、五感でお恵みを感じ、心地よく癒 しをいただきましょう。 8 2009 年7月12日(日) サレジオ六教会の集い 去る 7 月12日の日曜日に、下井草教会にて第40回を迎える「サレジオ6教会の集い」 が開催されました。調布教会からは療養中の藤川神父様に代わって鈴木神父様以下10数 名が出席し、記念の御ミサに与った後に、懇親パーティーに参加し「下井草教会のお家芸」 である焼肉パーティーで交流と再会を楽しみました。 下井草教会では、焼肉と言っても1枚の大きなステーキ肉を各自で大きな鉄板の上に載 せ、自分で焼き加減や塩胡椒の加減を調整し好みの味にして楽しむのが趣向で、他にもサ ーモンのステーキ等が供され、調布教会のメンバーも心づくしの料理を美味しくいただき ました。 パーティーでは、各教会ごとに前に出て挨拶をするのが恒例ですが、杉並の下井草、目 黒の碑文谷、下町にある足立と三河島、川崎郊外の鷺沼、多摩の調布、壇上に立ち、話す 内容にはそれぞれ地域の特徴がうかがえます。実際に毎年持ち回りで会場となる教会の聖 堂や、信徒ホールの雰囲気も異なります。ですが同時にこの集いの中では、同じサレジオ で信仰の道を歩みドン・ボスコの下に集うサレジアンファミリーであることも様々に実感 します。 「サレジオ6教会の集い」に合わせ、下井草教会誌「道」 (第40回サレジオ6教会集い 記念号)が発刊されていますので、その寄稿文から少し紹介させてもらいます。 「1970年11月15日下井草教会に於いてサレジオ『四教会』合同ヨゼフ会の第1回 会合が開催されました・・・」その当時東京でサレジオ会が司牧を担当していた教会は、 献堂順に三河島、下井草、碑文谷、調布の四教会だったそうです。その後、六教会の連合 壮年会という形を経て、36回目2005年7月の会から教会委員会主催の「サレジオ六 教会の集い」というファミリーの集いへ発展していったそうです。 そして、チプリアニ日本管区長がこの集いに寄せて、サレジオの小教区の特徴について3 つ強調されています。 ・ サレジオの小教区は、宣教する小教区です。 ・ サレジオの小教区は、祈る小教区です。 ・ サレジオの小教区は、皆がわが家にいるようにほっとできる家。 来年の第41回は6年ぶり、いよいよ調布教会が新聖堂で初めて「サレジオ6教会の集 い」のホスト教会になります。5教会の方々でまだ新聖堂をご存知ない多くの方に訪れて いただくと共に、皆でサレジアンファミリーを『調布名物の?!』でもてなしましょう! 9 2009年7月 24 日∼27 日 日曜学校サマーキャンプ 今年のキャンプは私にとって三回目の参加となりましたが、今回初めてキャンプリーダ ーとして参加させていただきました。私にとって不安と期待の入り混じった中での四日間 でしたが、皆さんのおかげで今年も楽しく実りの多いキャンプとなりました。 今年はサレジオ会創立 150 周年ということで、 「小さな種から…」というテーマで行い ました。ドン・ボスコが始めた活動は現在では世界の隅々にまで及んでいますが、初めは 神様が聖母を通じてドン・ボスコに蒔いた「小さな種から」始まりました。その働きや活 動の広がりは、小さな種が芽を出し、やがて成長し、大きな森になったというイメージで よく語られます。 さて、ここで一つ、成長するという観点から考えてみたいと思います。大きな森へと成 長するためには、例えば、太陽の光、水、肥料、成長を願う神様や人間の温かなまなざし (時には手を加えること)などが必要になるでしょう。サレジオ会の 150 年の歩みと、三 泊四日の野尻湖でのサマーキャンプの歩みを比べることはできませんが、あえてそうさせ ていただくと、今回のサマーキャンプの歩みの中で、一人一人が大きく成長するための糧 と言いましょうか、要素と言いましょうか、そのようなものが多くあったのではないかと 思います。例えば、大自然の恵み(山・湖・空気など) 、ごミサやお祈り、仲間同士の助け 合いや協力、毎食のおいしいあったかごはん、その他多くの活動(遠足やスタンツ等)と いったものが挙げられます。参加したみなさんはどうお考えになりますか。 私たちはふだん勉強や部活、塾(仕事や諸活動)などで充実した日々を送っておられる と思います。そこにも私たちを大きく成長させてくれる糧やいろんな人との出会いがきっ とあるに違いありません。しかし、普段味わうことのできない環境(大自然や団体生活) の中で、私たちを日一日と成長させてくれる糧(普段摂取することのできないビタミン) 、 恵み、大きなエネルギーが野尻湖でのサマーキャンプにはあると私は信じています。一つ の家族として、ある目標に向かって共に歩んでいく姿にも、また美しい何かがあります。 サマーキャンプは私にとって日常生活を見直すためのきっかけをも与えてくれます。これ を機に今一度、与えられている糧、恵み、蒔かれた「小さな種」を見つめ直していきたい と思います。 最後になりましたが、キャンプ(7/24-27)が、事故も、大きな怪我・病気も起こらず、楽 しく実りの多いものになったことを神様に感謝するとともに、寸暇を惜しまず一丸となっ てキャンプの成功に、 尽力して下さったリーダーやスタッフの方々、 キャンプを陰になり、 日向になり支えて下さった教会の方々や近隣のシスター方、そしてキャンプに積極的に参 加してくれた子どもたちに、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。 10 2009 年8月1日∼4 日 青年会キャンプin大島 8月1日から4日の3泊4日、 浦田神父様と青年会に所属するメンバー4人の計5人で大島へキ ャンプに行ってきました。 昨年までは調布・府中・多摩の三教会合同で行っていましたが、 今年は諸事情により、調布教会のメンバーのみで行きました。 浜松町から「さるびあ号」に乗り込み、デッキに上がって東京湾を一望しながらレイン ボーブリッジを横目に大島へ向いました。初日の思い出は、何といっても大島教会の皆さ んとミサを挙げたことです。とても小さな聖堂でのミサでしたが、みなの心が神様に向っ てひとつになり、神様の確かなお恵みを感じることのできる瞬間(とき)となりました。 初めて出会った私たちが、新しい場所で共に神様を賛美できる喜びを感じることができま した。また、大島教会の信者さんたちが様々な差し入れをしてくださいました。大島教会 の皆さんは人柄がとても温かく、たくさんの御心遣がとても嬉しかったです。 2日目はレンタカーで大島を一周しました。 殉教者おたあジュリアを記念する大きな十字 架や伊豆の踊り子の舞台となった波浮港、動物園などを回りました。大島は東京とは思え ないほど空気が澄んでいました。南国のような雰囲気に思わず窓を開け、音楽を流して風 を切りながら走るのがとても気持ちよかったです。夕方は少し足を延ばして夕日を見に行 きました。 3日目はミサの後、今年初の海へ行きました。波が比較的穏やかな海岸で、のんびりと 過ごすことができました。夜は庭で BBQ をして、その後は夏の風物詩、花火をしました。 大島最後の夜はみんなで部屋に集まり、遅くまで UNO やトランプ大会をして過ごしまし た。 浦田神父様以外の4人は今回初めて大島を訪れましたが、3泊4日がとても短く感じるほ ど、しかし4日間それぞれに充実した時間を過ごすことができ、みな大島が大好きになり ました。いつも一緒に活動しているメンバーということもあり、やはり一緒にいると安心 感があり、楽しさも倍増し、笑いの絶えないキャンプでした。 物的、霊的支援をくださった藤川神父様や調布教会の方々に心から感謝したいと思いま す。ありがとうございました。 11 2009 年8月15 日(土) 聖母被昇天ミサ 納涼大会 8月15日(土)17時から、聖母被昇天ミサが行なわれました。今年は土曜日という 事もあり参列された方の人数も多かったように思います。 その後18時半からチマッチホールで納涼会が行われました。約50人の方にご参加い ただき、にぎやかで楽しい時間となりました。食べるものについては“一家族一品持ちよ り”とさせていただきました。乾きものばかりになるとかご飯ものばかりになるなど偏る 事を心配しましたが、全く無用な心配に終わりました。バラエティーにとんだものを御持 ちいただき、様々な飲み物と相まって大いに食も楽しむことが出来ました。 せっかく大勢の方に参加していただきましたが、どうしてもお知り合い同士、仲の良い 方どうしで固まる傾向が見られました。このような機会を生かして、新たに知り合いお話 をする機会となれば良いのではないかと思います。今後は、担当者として会の企画の中で そのような状況を作れる様検討したいと思います。 2009 年8月30日(日) ヨゼフ会バーベキュー大会 ヨゼフ会としてどんな活動をしていくかとの話し合いを何回か持った後、連絡網や勉強 会等もよいだろうが、まずは会員間の親睦と教会全体の親睦を図る様な楽しい企画を、と の事になり、それでは腕を振るって、バーベキュー大会は、と話がまとまりました。日時 は夏休みの終わりの 8 月 30 日(日)の 12:00-14:00 と決めて、場所も神学院北側の駐車 場とサッカーグラウンドの間のチマッチ庭園でと決めて、緑陰の下、30-40 人程度集まれ ばいいねとの目論見でした。 藤川神父さまのご了解を得て、神学院への許可申請、コンプリ神父様のご了解を得て、 概略予算策定、役割分担、料金設定、ポスター、お知らせ、予約受付と不安一杯の中でも ファミリーキャンプの延長と思えば何とかなるね、との思いでした。予約締切の 8 月 23 日時点で大人 52 名、中高生 2 人、小学生・幼稚園児 5 名、60 名弱の申込があり、これに 神父様がたを入れて、会場レイアウトが成立するか、焼き手のヨゼフ会メンバーが足りる だろうか、メニューも大丈夫か、どれだけの量の肉や焼きそばを仕入れるか、等々大騒ぎ をしながらの準備でした。そこに神様のお計らいか、Uさんが現れて、野菜のホイル焼き の事前準備のご提案があり、それぞれ買い物の分担、当日自分のバーベキューコンロでは 焼き肉か、ホイル焼き、焼きそば、ウィンナーと分担を決めて、当日を待ちました。 12 前日の天気予報では小雨、場所を信徒会館ホールに変更し、中庭の奥のスペースにター プを張って、バーベキューコンロ他6台を並べて、バーベキュー大会が始まりました。 藤川神父さまのお祈り、その後は皆さんの喜んだ顔・顔、 「美味しい!」との声に元気付け られて、 更に頑張るヨゼフ会のおじさん連中。 折角の機会だからと簡単な自己紹介を始め、 ホールの中は食べる人、話し込む人、飲む人、人と人の出会いや懇親の場となりました。 外では必死に肉を焼くおじさん達、ワクワクして待っている人達、そして、いつしかみん な満足一杯の顔と顔になりました。 「来年もやってね!」という声も聞かれて、嬉しいやら、怖ろしいやら、気持ちの良い 疲れがヨゼフ会のおじさん達を襲いました。 実は当日申込もあって、42 家族 68 名+神父様 4 名と、人数が増えた為とお腹に溜まる ものが少ないのではと、急遽マリア会の強力な助っ人を得て、お米を炊いての出来たての おにぎりも大好評でした。 後片付け中に地面に落ちていた炭の小片でタープに焼け焦げ穴があいてしまうというハ プニングがあったのが、唯一の心残りですが、この企画で怪我や病気もなく、多くの方々 に喜んでいただけたこと、ヨゼフ会員相互の親睦にもなり、更に教会員相互の親睦にも少 しは貢献できたのではと、改めてヨゼフ会の仲間と皆さまに感謝します。 2009 年9月13日(日) 敬老の祝い 敬老の日の御祝いに、お招きを頂いて心より感謝いたしております。実は、調布市より も御祝い金を頂き、時節柄ありがたく頂戴いたしていましたが、神父さまのお祝いのお言 葉、教会の皆様の手作りによるお祝いの数々には金銭には代えられない温かさを感じまし た。 昨年のお祝いにも出席させていただきましたが、新チマッチ・ホールでの初めてのお祝 い会であったためか、広い空間を、やや、もてあましたというような戸惑いが感じられま した。 今年は会話をするのに程よい間隔でテーブルが配置されていました。その上、世話役の 方を始め皆様が入り混じって会話が弾むことができました。 又、 子供たちの楽器での演奏が加わりとてもかわいくて楽しい雰囲気でした。 来年には、 もっと上手になった歌をまた聞くことができたらどんなに嬉しいでしょう。 聖歌隊はチマッチ演奏会のための大事な練習の時間を割いて一曲歌ってくれました。来 年はもっとたくさん聞かせてくださるものと今から期待しています。 13 外出が不自由で日ごろのミサにも来られない方にも、この集いでお目にかかることがで きたのは幸いなことでした。このような機会を作ってくださった方々に深く感謝いたしま す。 戦後、敬老という言葉とその精神が失われてから随分になります。それがカソリックに 復活し受け継がれてあまねく世界に行き渡ればどんなに素晴らしいことでしょう。われわ れも、お祝いを受けるだけではなく範を以って示さなければならないと思います。 2009 年9月27日(日) 多摩東宣教協力体『3 教会交流ミサ』に参加して 調布教会ニュースに「車に分乗して伺う予定なのでこの日(9 月 27 日)多摩教会のミサ に与って見ませんか」との呼びかけに私は早速申し込みました。 司式は府中教会のM神父様・説教は多摩教会新任のH神父様そして我が調布教会の藤川 神父様のお三人でミサが挙げられました。 お説教は「とかくうち意識が強いと、うちの教会となり地域の連携が難しくなる」と説 かれました。私もうちの教会にばかり眼を向けていました。 2003 年のご復活に新しい協力体制が始まりました。 三つか四つの小教区が集まってお互 い協力関係を築いていくことを目指し宣教協力体が設置されました。神父様方も連絡会を 開かれました。平たく言えば教会の隣組、過疎化に悩む出身教会を思い事態を納得したも のでした。この考えを推し進めるため神父様方のご苦労は私達には計り知れないものがお ありだったと思います。それにもかかわらず以前、調布教会が会場になった時私は何も協 力できなかった反省があります。今回はミサ中に神父様のお声がかかり、出身教会別に参 加者は起立してお互いを確かめ合いました。 ミサ後やや緊張して聖堂を出ると、 その階段は臨時の焼きそば屋さんになっていました。 司祭館の方もご馳走に満ち満ちていました。以前H神父様は「聖書には宴の場面が多く出 てくる」とそのお説教に書いておられました。正にその宴に迷い込み、うち意識も薄れ、 お名前も存じ上げない方とお赤飯を分け合い、今度こそ調布教会がお当番の時は大いにお 手伝いをしようと思いました。 思い起こすと多摩教会が出来て間もない時、何人かでお尋ねしたことがありました。マ ンションの一室から始まったご苦労を伺い、希望と喜びに輝く婦人部の方々にこちらが元 気を頂いて帰ったものでした。その雰囲気が今も脈々と受け継がれた今回の快挙に心打た れながら帰路につきました。 14 2009 年10月25日(日) バザー 10 月 25 日(日) 、恒例「サレジオユースセンター・カトリック調布教会合同大バザー」 が、 「地域にひらかれた教会――教会とふれあうバザー」をテーマに開催されました。 「雨だけは降らないで…!」の願いは叶わず、朝から小雨が降る中でのバザーとなりま した。ミサに続き神父さまによるテープカットで開始されました。 今年の出店は 30 団体でした。会場が信徒ホール・グラウンド(テント) ・ドンボスコホ ール・ユースセンターに分散してしまい、それぞれの団体がお客様に来ていただくための 工夫をしなければなりませんでした。また、お客様もスタッフも広い敷地をたくさん移動 しなければならず、たいへんだったと思います。 お昼過ぎ、雨が上がり、グラウンドに椅子が並べられ、和やかに談笑されている方々に ほっとしました。 今年は新しい試みとして「教会ツアー」を行いました。今年初めてバザー委員会に参加 してくださった方から、 「食べて買うだけのバザーではなく、教会のバザーということがわ かるバザーにならないか」という提案がありました。調布教会には「聖サビオ像」 「聖ドン ボスコ像」 「キアラ神父墓石」 「チマッチ資料館」など地域の方にも知っていただきたいも のがあります。そのためのツアーはどうだろうかと考えました。準備不足ではありました が、何とかツアーを開催することができました。1 回目は 8 人、2 回目はおひとりの参加 でした。今年だけで終わらせるのはもったいない企画かなとも思いますが…、いかがでし ょうか。 昨年よりお客様は少ないみたい…という声を聞いています。しかし、売上げは昨年より ちょっと多いという結果が出され、ホッとしています。 「バザーはお天気次第!」を実感しました。皆様、臨機応変に対応していただき、あり がとうございました。ご協力いただいたみなさまに感謝いたします。 15 「多摩東宣教協力体」って何でしょう? 調布教会は、東京教区の多摩教会、ミラノ外国宣教会の府中教会と供に多摩東宣教協力 体を構成していますが、皆さんは「宣教協力体」とは何かご存知ですか?お恥ずかしいで すが、担当の私自身何となくしか知らなかったので少し調べてみました。 東京大司教区は、2003年復活祭から宣教協力体を発足させました。大司教区が発信 している『宣教協力体の指針』を要約しておさらいしてみましょう・・・。 ・ 宣教協力体の目的は小教区同士の協力関係を築き、教会がより豊かに福音的使命を 生きる態勢を作ることです。課題として、司祭同士そして司祭と信徒・修道者のチー ムワークを促進し 『信徒が参加』 できる教会を作っていくこと、 が挙げられています。 これは教会本来のあり方を目指すことですが、 同時に司祭不足という問題に対処する ことでもあります。 ・ 『信徒の参加』は二面あり、一つは「教会活動」です。信徒が自発的に聖書の分か ち合いや祈りの会、ボランティア・グループなどを作ること、必要に応じて集会祭 儀を司式したり、聖体奉仕をすること、さらに司祭とのチームワークの中で教会の 宣教司牧活動にさまざまな形で参加していくことなどです。 もう一つは「意思決定」においてです。教会においては、現代における福音の共通 理解を求め、この地域において神様が望んでおられることは何か、教会の宣教司牧 活動はどうあるべきか。そのために教会施設や財政はどうあるべきか、等の問題に ついて、教会としての意思決定に司祭と共に信徒が参加していくことを大きな課題 としています。 各地域の宣教協力体は、構成する小教区主任司祭の一人が世話人となりますが、多摩東 は、今年から府中教会のM神父様が務められています。各教会の司祭は月一回の連絡会を 行い、宣教司牧の情報交換と司祭同士の協力について連絡・調整をします。 そして隔月ごとに宣教協力体協議会を開催し、各教会主任司祭と信徒代表(教会委員会メ ンバー)を参加者として主に以下のことを協議事項としています。 (1) 地域におけるニーズとそれへの応答 (2) 福音的使命に関する活動の相互連絡や教会・信徒間の交流についての検討 (3) 共同で行う典礼、集会、行事などの検討 (4) 経費負担の取り決め 本年の多摩東宣教協力体定例協議会は、5月から新体制で隔月開催しています。毎回、 各教会活動内容・予定を報告し合うと共に、交流ミサ等の合同行事の計画及び実施へ向け ての調整等、そして教会活動における共通の問題点の解決へ向けた検討や良い取組みの情 16 報共有を行っています。 そして協力体における実践が9月に多摩教会で行われた「交流ミサ」です。そして、来 年は6月13日(日)に調布教会において東京教区司教様司式のもと交流ミサより大きな 規模で『合同堅信式』を行います。今度は私達がミサに与り交流を深めるだけでなく、府 中教会・多摩教会・近隣修道会の方々をお迎えし「神様が共にいてくださる教会」の信徒 として一致し、神様と共に式の進行を司り働くことで『教会活動への信徒の参加』が実現 されます。活動が参加する全ての人にとって大きな実りとなっていくためにも、皆さんぜ ひ教会活動に参加してください! 17 祝 誓願 70 周年 Sr.Bの立願 70 周年を記して コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会の Sr.Bは、今年誓願 70 周年を迎えられま した。御歳 93 歳。今でも毎週月曜日から土曜日まで聖書のクラスを持ち、私たちに教え、 オルガンを弾き、インターネットを駆使して誰よりも早く教皇様のメッセージをゲットす ると言う、スーパーシスターです。時には、荒れ野で叫ぶヨハネのように「皆さん、聖人 になりましょう。○○さん、聖人になりますネ!!」と(机を叩きながら)私たちを叱咤 激励、時には放蕩息子のお父さんのように、まだ遠くにいる私たちを玄関の外で待ってい て「ヨック、イラッシャイマシター。 」といって出迎えて下さるのです。そんなシスターに ちょっとインタビューしてみました。 (聖書勉強後の雑談の中から) Q.シスター、ホントお元気ですね? Sr.90 才以上生きるとは思っていませんでした。 (笑)心配しません、私は(これから) .... どういう風になるかわからないから、オマカセします。天国は考えるより、想像する .... よりすばらしいところです、想像することができないからオマカセします。この年ま で元気でいること、ほんとに恵まれています。 Q.バチカンのサイトは毎日チェックしているのですか? Sr.はい、毎日。新聞も。 Q. インターネットはいつから? Sr.ずいぶん前からです。はじめ、他の方が使っているのを見て、決して私は触ることが ..... ないと思ってました。けど、今はカ∼ンタンです。大事なことはいつも新しいこと、 ...... これは大事です。そして、興味を持つ事。 Q.今、興味のあることは? Sr.みなさまです。 (聖書のお勉強に来る私たちのこと)みなさまと一緒に聖書、一番興 味があることです。みなさまがいらっしゃることによって、私は準備します。(皆様 は)恩人です。 Q.なぜ日本に?(シスターは 62 年前に来日) Sr.他の方は行きたいと望んでいましたが、わたしはぜ∼んぜん望んでいませんでした。 でも急に行きたいと思いました。神様がなさったことです。兄弟は 5 人いたのに私だ けがピアノを弾きました。家にピアノがなかったら日本には来ていなかったでしょう。 .... 神様がなさったことです。神様のなさることはすばらしい!大事なことはいただくこ 18 ...... とです。 「いただきます、 」大好きな言葉です。そして感謝と信頼!!! 9 月 26 日、調布教会でシスターのための感謝のミサ、祝賀会が行われました。 「調布教 会で、藤川神父様で、 」というのはシスターの望みでした。 シスターを慕う方々が 80 余名も参加し、感謝の時間を共に過ごしました。 ミサの中で、ひとりずつシスターと平和の挨拶を交わした時、本当に平和を感じるひとと きとなりました。 「私は誓願 75 年に向かって、感謝の心で、神にいつも『はい』と言えるように過ごすつ もりです。ありがとうございました。 」 (Sr.Bの言葉より) 19 これまでの主な行事 3月29日 共同回心式 4月 5日 受難の主日 4月11日 復活徹夜祭 洗礼式 4月12日 復活祭 4月19日 神のいつくしみの主日 初聖体 5月24日 富士聖母巡礼 5月31日 聖霊降臨の主日 堅信式―カテドラル 2009 年度第 1 回信徒総会 6月21日 主任司祭感謝の日 7月24∼27日 日曜学校キャンプ 8月15日 聖母被昇天 納涼会 9月13日 敬老の祝い 10月25日 合同バザー 11月15日 七五三の祝福 11月29日 待降節第一主日 教会合同墓地墓参 20 これからの主な行事予定 12月13日 共同回心式 12月12,13日 黙想会 12月20日 クリスマスチャリティーコンサート 12月24日 降誕前夜祭 洗礼式(子供ミサ) 12月25日 降誕祭 12月27日(聖家族) 1月1日(神の母・聖マリア) 元旦ミサ 1月3日(主の公現) 1月 10日(主の洗礼) 1月31日 聖ヨハネ・ボスコの祝日 新年会 2月28日 2009年11月24日年度第二回信徒総会 2月17日 灰の水曜日 2月21日 洗礼志願式 3月21日 共同回心式 3月28日(受難の主日/枝の主日) 4月1日(聖木曜日/主の晩餐) 4月2日(聖金曜日/主の受難) 4月3日(聖土曜日/復活徹夜祭) 洗礼式 4月4日(復活の主日) 復活祭 4月11日 神のいつくしみの主は(初聖体) 21 私達と共におられる神 キリストの誕生 12 月 24 日(木)クリスマス・イブ 17:00 20:00 12 月 25 日(金)主の降誕 8:00 24:00 10:30 12 月 26 日(土) 19:00 12 月 27 日(日)聖家族 8:00 10:30 12 月 31 日(木)大晦日 24:00 1 月 1 日(金)神の母聖マリア 8:00 10:30 1 月 2 日(土) 19:00 1 月 3 日(日)主の公現 8:00 10:30 カトリック調布教会 182-0033 調布市富士見町 3-21-12 Tel 042-481-6339 Fax:042-481-6339 http://choufu-church.ciao.jp 22