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第10章
第 10 章 水の相転移2 ∼相図∼ 第 10 章 水の相転移2 ∼相図∼ 74 10.1 水の相図 10.1.1 温度−圧力相図 水は 0 ℃で結晶から液体に,100 ℃で液体から気体に相転移するが,これは 1 気圧に 限った話である.水を入れた容器を密閉して,ポンプで内部を減圧したり,ピストンで加 圧したりすると,水の融点や沸点は 1 気圧の値から変化する.これをまとめたものが温 度−圧力相図である (図 10.1).例えば融解 1 の矢印に沿って温度を上げたときに,曲線 TA と交わる点がこの圧力での融点になる.より高圧の融解 2 の場合,融点は低くなる. 普通の物質は高圧ほど融点が高いが,水では逆になる.これは水の密度が融解で増大する 特異性と関係している (9.1.3 節).一方,十分低い圧力では液体は存在せず,結晶はドラ イアイスのように気体に直接相転移することが読みとれる.これを昇華という. 10.1.2 2 相共存曲線 相図の曲線 TA,TB,TC は 2 相共存曲線であり,それぞれ融解曲線,昇華曲線,蒸発 曲線と呼ばれる (図 10.1).水を閉じこめた容器の中の温度と圧力をこれらの線のどこか の条件に保てば 2 種類の相が共存した状態が実現する.1 気圧では結晶と液体は 0 ℃で共 存し,液体と気体は 100 ℃で共存する.圧力を低くすると液体と気体の共存する温度,す なわち沸点も低くなる.つまり,この共存状態では温度か圧力のどちらかを選ぶと,もう 一方は水の性質によって自動的に決まってしまう.共存曲線上では,自由に変化させられ る変数が 1 個なので自由度 1 という (図 10.2(a)).一方,共存曲線で囲まれた各相の中で は,その中にいる限り温度も圧力も自由に変化させられるので,この場合は自由度 2 であ る (図 10.2(b)). 10.1.3 三重点 相図上で共存曲線 TA,TB,TC が交わる点は非常に興味深い点で,三重点という.三 重点は圧力 0.006 気圧,温度 0.01 ℃で,この条件では結晶,液体,気体が共存する.逆 に 3 種の相が共存する条件は水の性質として決まっていて,我々には変えることができな いので自由度はゼロである (図 10.2(c)).したがって,地球上だろうが宇宙の果てだろう が,純粋な水を密閉した容器の中で 3 相が共存したら,温度と圧力は上記の値と同じにな るはずである.このような性質は温度計を較正するのに有用である.三重点は物質に固有 であり,1990 年国際温度目盛り (ITS-90) では,様々な物質の三重点が温度目盛りを定 義するために利用されている (図 10.3). 10.1 水の相図 75 蒸発曲線 融解曲線 A 結晶 圧力/気圧 218 超臨界 流体 液体 C 融解2 臨界点 沸騰 融解1 1 0.006 気体 T 三重点 昇華 昇華曲線 B 0 0.01 100 374 温度/℃ (b) 自由度2 蒸発曲線 A 結晶 (a) 自由度1 超臨界 流体 液体 C 融解2 氷 臨界点 沸騰 融解1 水 共存曲線上では温 度か圧力どちらか 一方が自由に変化 水蒸気 水蒸気 氷 水 1 昇華曲線 B 気体 T 昇華 三相が共存できる 三重点では温度も 圧力も選べない 水蒸気 融解曲線 圧力/気圧 真空断熱 水 氷 0.006 水の温度-圧力相図. (c) 自由度0 相転移しない限り 温度・圧力共に自 由に変えられる 218 図 10.1 三重点 0 0.01 100 図 10.2 相と自由度.(a) 自 由度 1.(b) 自由度 2.(c) 自 由度 0. 374 温度/℃ 番号 物質とその状態 温度/K 番号 物質とその状態 温度/K 1 ヘリウムの蒸気圧 3-5 10 ガリウムの融点 302.9146 2 平衡水素の三重点 13.8033 11 インジウムの凝固点 429.7485 3 平衡水素の蒸気圧 17 12 スズの凝固点 505.078 4 平衡水素の蒸気圧 20.3 13 亜鉛の凝固点 692.677 5 ネオンの三重点 24.5561 14 アルミニウムの凝固点 933.473 6 酸素の三重点 54.3584 15 銀の凝固点 1234.93 7 アルゴンの三重点 83.8058 16 金の凝固点 1337.33 8 水銀の三重点 234.3156 17 銅の凝固点 1357.77 9 水の三重点 273.16 (凝固点・融点は標準気圧下) 図 10.3 1990 年国際温度目 盛り (ITS-90) の定義定点. 第 10 章 水の相転移2 ∼相図∼ 76 10.2 臨界点と超臨界水 10.2.1 300 ℃の水 相図を眺めると,1 気圧の世界の常識とはかけ離れた広大な世界が広がっていることが わかる.例えば数百気圧の圧力では水は 300 ℃でも沸騰せずに液体として存在する.こ のような環境は実験室だけでなく自然界にも存在する.図 10.4 は海底数千 m の熱水噴出 口である.地球を覆う地殻プレートの境界では地殻の下にあるマグマが海水と接して吹き 出している.このような海底熱水噴出孔では噴出した水に溶けている硫化水素と海水の成 分が反応して黒く煙のように吹き出している場合がある.これをブラックスモーカーとい う.ブラックスモーカーの周りではイオウをエネルギー源とする特殊な細菌とそれに基づ いた生態系が見つかっている. 10.2.2 臨界点 密閉した水の温度と圧力を高くしていくと,液体−気体共存曲線の右端の点,374 ℃・ 218 気圧以上では超臨界流体という状態になる.この点を臨界点という.臨界点以下の温 度や気圧では,密閉容器の下側に液体が上側に液体と平衡状態にある気体が分かれて存在 し,界面も目で確認できる.下側に液体があるのは液体の密度が気体よりも大きいからで あるが,臨界点を越えると両者の密度が等しくなり,気体と液体が区別できなくなる (図 10.5).これが超臨界流体の状態であり,水の場合は超臨界水ともいう.また,臨界点よ りわずかに低い温度・圧力の水を亜臨界水という.超臨界水も亜臨界水も,低温・低圧の 通常の水とは著しく異なる性質を示すため,工業的な利用が研究されている. 10.2.3 超臨界水 超臨界水は液体と気体の両方の性質を備えている.例えば密度は,気体のように圧力 と温度を変えると大きく変化する.一方で H2 O 分子は液体中のように一部が H3 O+ と OH− に解離している.しかし,その解離の度合いを示す平衡定数 KW は例えば 300 ℃・ 350 気圧では常温・常圧の水の 1000 倍にも達する (図 10.6).このことは H3 O+ を利用 する化学反応が促進されることを意味している.また,常温・常圧の水は分極しやすい性 質から電解質をよく溶かし,非極性の有機分子はあまり溶かさないが,超臨界水は分極す る性質が弱くなっており,有機物をよく溶かすという逆の性質を示す.このため有機化学 反応への利用や猛毒のダイオキシン類を効率的に分解するなどの利点も報告されている. 10.2 臨界点と超臨界水 77 図 10.4 海底熱水噴出孔 (ブ ラックスモーカー)[10]. C 超臨界水 A 氷 水 亜臨界水 超臨界水 圧力/気圧 218 C 臨界点 Q Q 水蒸気 P 1 水 水蒸気 0.006 T 図 10.5 気液共存曲線に沿っ 三重点 て水の温度と圧力を高くした B 0 0.01 100 374 温度/℃ P 水蒸気 水 場合の気液界面の変化.臨界 点で界面が消失し,気体と液 体の区別がなくなる. 138気圧 値が小さいほど H2OはH3O+とOHに解離しやすい -log10(KW) 345気圧 690気圧 1気圧・25℃の値 図 10.6 高圧下の水の平衡定 温度/℃ 数の温度依存性 [11]. 第 10 章 水の相転移2 ∼相図∼ 78 10.3 氷の相転移 10.3.1 構造相転移 水の相転移は単に結晶,液体,気体間だけでなく,結晶相の中で温度と圧力に応じて何 種類もの結晶間の相転移が知られている.我々が通常目にする氷は I(いち) 型の六方晶 (hexagonal) なので Ih 相と呼ばれている (図 10.7(a)).常圧では準安定な構造として立 方晶 (cubic) の Ic 相が低温の特殊な条件で実現する (図 10.7(b)).Ic 相は時間が経つと Ih 相に転移してしまう.このような結晶構造が変化する相転移を構造相転移という.水 の Ih 相から Ic 相への相転移と同様に,一般に構造相転移では結晶の対称性が変化する. 圧力や温度を変化させることで氷の対称性は様々に変化し,現在では準安定相も含めて 10 種類以上の氷の存在が確認されている (図 10.7(c)). 10.3.2 対称性 分子の形や結晶の形はどのような対称操作が可能であるかによって分類することがで きる.分子の例として H2 O とエタノール (C2 H5 OH) を比較してみる (図 10.8(a)).H2 O 分子には二回回転軸が存在する.二回回転軸の周りで 360◦ /2 = 180◦ だけ回転させた分 子は,元の分子と向きの区別がつかない.一方エタノール分子を 180◦ 回転させて元の分 子と向きの区別がつかなくなるような軸は存在しない.つまりエタノール分子は水分子よ りも対称性が低いのである.結晶についても同様の議論ができる.例えば氷の Ih 相は六 回らせんという 360◦ /6 = 60◦ の回転が関係した対称性を持つのに対し,Ic 相は四回らせ んという 360◦ /4 = 90◦ の回転に関係した対称性を持つ (図 10.8(b)).さらに,結晶は並 進対称を持ち,単位格子の長さの整数倍だけ平行移動すれば移動前と区別がつかない. 10.3.3 氷 X Ih 等の結晶では水素結合 O − H · · · O の中で,H 原子の位置は一定ではない.これは 2 個の O 原子の間に,H 原子が安定に存在できる場所が 2 か所あり,H 原子はその間を 行ったり来たりしているからである.つまり Ih 相などの氷は H 原子が無秩序な配置をし ている乱れた結晶なのである.氷に圧力を掛けていくと,H2 O 分子が次第に密につまり, 様々な構造相転移を起こす.O − H · · · O の距離も主に水素結合 H · · · O の変化を通じて 変化し,H 原子の 2 つの安定点の間の距離が縮まる.そして Ih 相では 2.75 Å であった 酸素原子間距離が,氷 X(10) 相では 2.45 Å まで短くなって安定点は 1 つになる.その 結果 H 原子が 2 つの O 原子の中間に位置する秩序構造が発現する (図 10.9). 10.3 氷の相転移 79 (c) 水の温度圧力相図 温度/K 温度/℃ (a) 氷Ih (b) 氷Ic 圧力/万気圧 図 10.7 (a) 氷 Ih 相の結晶 構造.(b) 氷 Ic 相の結晶構 造 .(c) 水 の温 度-圧 力 相 図 [12]. (a) 分子の対称性 水:180º回転で元と区別がつかなくなる エタノール:180º回転で元と区別がつかな くなる軸を持たない (b) 結晶の対称性 図 10.8 (a) 水 (H2 O) 分子 とエタノール (C2 H5 OH) 分 子の対称性.(b) 氷 Ih 相と 氷Ih:60º回転が関係した対称性 (a) 水素原子の安定点 (b) 氷X相 2.75Å 図 10.9 (a) 氷 Ih 相および 氷X相 109.5º エネルギー Ic 相の対称性. 109.5º エネルギー 氷Ih相 氷Ic:90º回転が関係した対称性 2.45Å X 相 に お け る水 素 結 合 の 様 子.Ih 相で H 原子は 2 つの 安定点にそれぞれ 1/2 の確 率で存在している.高圧の X 相では安定点は 1 つになる. (b) 氷 X 相の結晶構造. 80 第 10 章 水の相転移2 ∼相図∼ ペニスコラ バレンシア州 (スペイン) 2007 年 9 月