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East India Company Factory Records

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East India Company Factory Records
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資料 No. 9-2014-039 / March 2014
<東アジア貿易史、東インド会社、アジア史>
大英図書館が所蔵する、イギリス東インド会社のアジア貿易の記録
East India Company
Factory Records
Sources from the British Library, London
Part 1:China and Japan....................... 34 リール
Part 2:China......................................... 34 リール
Part 3:Fort St George (Madras) .......... 25 リール
Part 4:Fort St George (Madras) .......... 25 リール
NEW! Part 5:Calcutta, 1690-1708 ......... 9 リール
NEW! Part 6:Bombay, 1669-1710 ....... 14 リール
概価
概価
概価
概価
概価
概価
¥850,000〔本体〕
¥850,000〔本体〕
¥625,000〔本体〕
¥625,000〔本体〕
¥225,000〔本体〕
¥350,000〔本体〕
アジアにおけるイギリス東インド会社の活動がわかる貴重なコレクションです。
イギリス東インド会社は、1600 年から 1833 年までの約 230 年間に、実に 4,600 以上の船を東アジアに派遣
しました。日本の平戸や広東に商館を設け、活発な貿易活動を展開するも、オランダ東インド会社との競争
に敗れ、後にインドに注力するようになります。
短い期間でしたが、日本と中国を訪れた商人や船長たちは多くの書簡や記録を残しており、東インド会社と
しても会議の議事録を多数残しています。西洋貿易とアジア社会の相互関係がよくわかる貴重な資料ばかりです。
海運業の歴史、初期の世界貿易、アジアとの貿易関係の始まりに関心のある全ての方がご活用いただけます。
Part 6 は、1669 年から 1710 年までのボンベイにおける東インド会社の初期の歴史を網羅します。
東インド会社の船は 1626 年に初めてボンベイを訪れました。
今まで Surat を中心に貿易が行われていましたが、
インドの西海岸での活動にはボンベイの方が適していると判断されました。ポルトガル人から町を差し押さえ
ようとして失敗しましたが、1661 年チャールズ 2 世との結婚の際、キャサリン・オブ・ブラガンザの持参金の
一部としてイギリスに割譲されました。1668 年、王は東インド会社にボンベイを与え、1687 年ボンベイは Surat
に代わり、西インドの貿易の拠点となり、ペルシア湾と紅海沿岸の工場を監督する役割も担うこととなります。
18 世紀を終えると、インド西海岸の貿易は衰退を辿ります。ボンベイは貿易の中心として残りましたが、
ベンガルとマドラスとの関連からもその重要性はなくなってゆき、1773 年ボンベイ政府はベンガル政府の
支配下に入りました。
Part 6 は、下記資料を提供します。
1670-1704 年までの資料。工場の会議録、ロンドン輸出品に関する記述、在庫レポート、物の価格、他地域
との貿易状況、地方政府との打ち合わせの内容、外国船の移動など。
・ ロンドンに送られた手紙のコピー(1670-1710 年)
・ Deputy Governor Henry Young とその部下との争い(1669 年 2 月~11 月)に関連する資料
・ Sidi によるボンベイ包囲の間の日記(1690 年 2 月から 6 月まで)
・
東南アジアにおける初期貿易のネットワークがわかる貴重な資料です。
(Adam Matthew, GBR / 日本総代理店:丸善)
《裏面に続きます》
●ご注文の際には,タイトル・出版社名・価格のほか、資料 No.、注文番号も併せてお知らせください。
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●ご注文、ご照会は弊社本・支店・営業部(課)までお申し付けください。
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日本総代理店
丸善株式会社 [学術情報ソリューション事業部 企画開発センター]
〒105-0022 東京都港区海岸 1-9-18 国際浜松町ビル 7F
TEL 03-6367-6078 FAX 03-6367-6184 http://www.maruzen.co.jp/
営業部・支店・営業所=横浜・八王子・大宮・筑波/札幌・盛岡・仙台・名古屋・岐阜・
金沢・京都・大阪・神戸・岡山・松山・広島・福岡・長崎・熊本・沖縄/ニュージャージー
Part 1: Japan and China
Japan, 1613-1623
日本との貿易は、1613 年平戸に Clove 号が訪れたことから始まります。しかし 10 年後、東インド会社は
将軍やその側近と友好的な貿易関係を確立できず、1623 年に閉鎖されました。
日本とジャヴァのバンタムで書いた船長の書簡集、ビジネスや取引に関する詳細な記録、インヴォイスや
会計書類、船に関する雑誌、年 1 回の報告書などを提供します。1600 年に日本に到着したウィリアム・アダムス
による話も参照できます。
China,1596-1840
ビジネス的観点と個人的観点双方からの中国貿易の様子を記録しています。ローカルなカルテルや、価格
の固定、アヘン貿易の開始などに関する資料が収録されます。また、日記、議事録、船の記録、手紙など様々
な資料も含まれています。
Part 2: China
パート 1 に続き、1596 年から 1840 年までの中国貿易に関する貴重な資料を提供します。
・ 中国の東インド会社の日誌と協議会記録
1815-1834
・ 広東での代理店会議録、商業・財政協議会記録 1832-1840
・ 中国への速達便 1829-1832
・ 中国から受け取った書簡 1823-1832
・ 中国における特別委員会の機密会議録 1793-1832
・ 監査委員会の協議会議事録 1792-1794
中国貿易の発達の過程がわかる重要資料を提供。
・ 中国貿易の輸出入品一覧
・ 東インド会社から商人への指示
・ 中国人とのビジネスミーティングの記録
・ オランダ、フランス、デンマーク、アメリカとの競争
・ 地図
・ 中国の国内政治に関する情報
・ 東インド会社から皇帝への献上品一覧
・ 中国の港を描いた水彩画
Part 3:Fort St George (Madras)
1620 年代、東インド会社はマスリパタムを拠点とするコルマンデル海岸を中心にその活動を南部へと広げて
いました。1626 年、Armagon に定住しますが実際には様々な困難があったため、Madraspatam 周辺の支配者が
工場建設のために東インド会社を招致すると、東インド会社は 1640 年 Armagon から新しい地域へと移動しま
した。その新しい地こそフォート・セント・ジョージであり、東洋における東インド会社の貿易活動の中心地
として急速な成長を遂げたのです。1682 年、東洋貿易の本部は正式にバンタンからフォート・セント・ジョージ
に移行されました。
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【収録資料例】
・ 会社事業に関する書簡
1669-1758 年
・ Nawab of Golconda や、現地の王とその部下との書簡
・ Richard Mohun の日記や書簡
・ 裁判所記録
1703-1705
1676-1677
1678, 1693-1694
Part 4: Fort St George (Madras)
1669-1758
Part 5: Calcutta, 1690-1708
Part 5 は、東インド会社のカルカッタにおける初期の歴史、1690 年から 1708 年までを網羅します。
ベンガルにおける東インド会社と Mogul の皇帝 Aurangzeb との 1680 年代における大紛争の後、彼の領地内
における、東インド会社の全ての工場は押収されました。その結果、東インド会社は工場を 20 マイル離れた
Sutanati に移転し、もともと Govindpur として知られていた場所も Kalikata に広がってゆき、その後 Kalikata
はイギリス人によって Calcutta に改名、カルカッタは東インド会社の本部となりました。1696 年、東インド
会社は地盤を固める許可を与えられ、1698 年実際に Sutanati、Govindpur、カルカッタの町を買収しました。
フォート・ウィリアムが 1702 年に完成すると、カルカッタは急速に発展を遂げてゆきます。
Part 5 は以下の貴重な資料を提供します。
・ 1690 年から 1691 年、1694 年から 1708 年までの日記と参考資料(ロンドンへの輸出、在庫状況、マドラス
等との貿易、外国船に関する記述、ムガール人との交渉などの詳細が記されています)
・ カルカッタから工場に送られた手紙のコピー(1690-1705 年)
(シルクと衣服の略奪に関する記述もあります)
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