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地誌学Ⅰ(山崎)課題レポート ジンバブエにおける農業開発の取り組み

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地誌学Ⅰ(山崎)課題レポート ジンバブエにおける農業開発の取り組み
地誌学Ⅰ(山崎)課題レポート
ジンバブエにおける農業開発の取り組み
AO3LA*** H.M.
1.アフリカ農業の中のジンバブエ
アフリカは貧困や環境破壊、飢餓、内戦、エイズやマラリアなどの伝染病や多額の累積債務など、多く
の問題が集中している地域である。その中でも生きていく上で不可欠となる食料の問題について、アフ
リカ農業が基本的に持つ間者点から考察していく。
末原(1990)によると、アフリカの農業を大きく分類する方法には商業的農業と生業的農業の対立や、
湿潤地農業と乾燥地農業の対立や、大規模農業と小規模農業との対立といった分類法などいくつかあ
る。しかし 17 世糸己ごろから南アメリカに農業を行う入植者が住み着き、従来の地元農民が行っていた
農業とはまったく別種の大規模農業を行い始めた。この 2 種類が決定的に異なったものとなる(宮本・松
田編 1997:356-357)。この入植者の行った農業では、自給のためではなく先進国に輸出することを目
的に農作物が生産された。このような植民地型の農業は、20 世紀に入るとさまざまな形で、地元アフリカ
人農民から土地を取り上げ、ヨーロッパ人入植者用に土地を分割するための方法が「土地法」や「土地
分配法」などのように制度化されていった。だが 1960 年代に入りアフリカが独立の時代を向かえると、ヨ
ーロッパ入植者たちが持っていた植民地型農場の多くは、独立を達成した新政府によって没収されたり、
あるいはアフリカ人に分配されたり、転売されたり、あるいは事実上消滅してしまうなど、大きく姿を変え
ることになった。しかし南部アフリカ地域では依然として白人による人種差別政策が取られ、このような変
化は見られなかった(末原 2002:302)。
ジンバブエも南部アフリカ諸国のひとつであり、イギリスからの独立を果たしたのは 1980 年になってか
らである。ジンパブエにおいても他のアフリカ諸国同様、農業は地元住民が行っている小規模農業とヨ
ーロッパ系の植民者が経営する大規模農業の 2 種類に分けることができる(吉国 1992:82)。1930 年に
制定された「土地配分法」により、国土の約半分が白人入植者のための土地として法律で私的に所有さ
れることが認められ、同時にアフリカ系住民の大多数が国土の 42%をしめるコミュナルランドに移動させ
られた(佐藤 1984:58,1989:91)。2003 年の人口は 1290 万人で、その内訳はショナ族(75%)、ンデベ
レ族(20%)、白人(1%)となる。現在でも白人入植者による大規模農場所有は、数は減ったとはいえ多
数が続いている(末原 2002:304)。独立後の白人による大規模農場の土地面積に占める割合などはわ
からないが、わずかな人口でもかなりの面積を所有しているのは確かだろう。
外務省 HP(2005)のジンバブエに関する基礎データによると、2000 年 2 月に土地収用を含む新憲法
草案が国民投票で否決されたことを不服とし、独立戦争を戦った退役軍人等による白人所有農場の占
拠が各地で発生した。しかし同年 8 月より白人大農場を強制収用し、共同農場で働くアフリカ人農民等
に再配分することを目的とした土地改革「ファスト・トラック」が開始された。2002 年 10 月、政府は 1,100
万ヘクタールの白人大農場(約 5,000 農場)を強制収用し、「ファスト・トラック」が終了したと発表したが、
大多数の白人農場主は、十分な補償もないまま土地を追われることとなった。このような強引な土地改
革に起因する大規模商業農業システムの崩壊によって農業生産は激減し、援助の停止や国際的な信
用低下に伴う資金流失、更には干ばつの影響から、かつて、「アフリカの穀物庫」と呼ばれ、農産物で外
貨収入の約半数を占めていたジンバブエ経済は極度に悪化した。2002 年の経済成長率は-12.1%、
2003 年末には 600%を超えるインフレ率を記録することになった。2005 年でも下がったとはいえまだ
130%を超えている状態だ(壽賀 2005)。ジンバブエの中心産業である農業の不振は、外貨不足を招き、
また部品調達を輸入に頼る工業・製造業にも大きな打撃を与えることになった。
以上から国政の影響により、国民の暮らしが大きく左右されたことがわかる。結局地元住民による収用
した土地の利用も、近年の旱魃や政策の失敗によりうまくいっていないようだ。また国際連合食糧農業
機関(FAO)の示す栄養不足人口の国内人口に対する割合も 2003 年で 38%と非常に高い状態であ
る。
2.小規模農業者の活動
土地改革や各種選挙への不正疑惑から欧米諸国から厳しい政治的・経済的制裁を受けて.いるもの
の、ここ数年間のジンバブエの食糧危機に対しては世界食糧計画(WFP)や NGO を通しての支援が行
われている。日本政府も 2005 年 10 月に、WFP を通してジンバブエ被災民に対し 1 億 6000 万円相当
の食糧支援を行うことを決定している(外務省 2005)。
しかしこのような外部からの援助に頼るのではなく、自分たちの力で生活を営もうと努力する人々も存
在している。その中のひとつが、現地のローカル NGO であるジンバブエ伝統的環境保護者協会
(Association of Zimbabwe Traditional Environmental Conservationist: AZTREC)である。その活動は、
人々が本来持っていた世界観や自然観に基づく暮らしを取り戻し、より強く豊かなものにしていくことを
目指して、自然環境と、智慧や技術、規範、社会システムなどの土着知識体系(Indigenous Knowledge
System: IKS)を回復し、人々がそれぞれ社会的な威信を持ちうる自立した営みを創り出すことである(壽
賀 2005)。
末原(2002:320)によるとジンバブエに導入された植民地型農業は当初からヨ-ロッパ型の農業技術
や農業に関する考え方をそのまま受け継いでおり、農業研究や農業教育もまたヨーロッパのものを直接
導入したものであった。つまりそれらの研究や教育はヨーロ
ッパの入植者たちが行う大規模な商品作物生産のためのものであり、地元民の小規模な農業や食糧生
産の改善を目的としたものではなかったのである。だがジンバブエの小規模農業も、自給農業ばかりで
なく商品作物の生産を行っている。ジンバプエ農民の食糧問題や農業問題を解決するためには、この
ような植民者型の農耕技術、農学研究、農業教育から抜け出し、自分たちに合った独自の農耕技術を
開発していく必要がある。
AZTREC が設立されたのは 1985 年、その中心となったのはジンバブエの独立のために闘った元兵士
達(Freedom Fighters)、伝統的な首長(chiefs)、そして精霊と交信ができるスピリット・ミディアム(Spirit
mediums)の三者である。ジンバブエの中部にあるマシンゴ州で主に活動をしているが、そこはショナ人
の文化の中でも特に強い伝統が残っている地域である(DADA 2005)。2000 年から AZTREC について
活動調査を行っている壽賀(2002)によると、当初は 100 年近い植民地支配の間に荒廃した自然環境を
回復するため、伝統儀式を通じて文化的に重要な環境保護手法や規範の再興に取り組んだが、現在
では 3 万人を超える人々が伝統的農業、伝統食、薬草、食品加工などの幅広い分野で、伝統的技術・
価値観・規範の再興、再評価、有効性の検証、改良、普及に取り組んでおり、これまでに 50 以上の聖な
る湿地(平均 5ha)が回復し、200ha 以上の聖なる森が保全されるなどの成果が上がっている。
また近代技術を完全に否定するのではなく、伝統的なシステムを補完するかたちでうまく取り入れてい
る。例えば政府と種子会社によって、メイズという作物はハイブリッド種のものしか 2001 年まで買うことが
できず、OPV(自家受粉できる在来種)メイズは極端に減少していた。この OPV メイズを回復するために、
大学等との研究機関とも協力しながら、地域にあったものを選抜、普及している(壽賀 2002,2005)。
内政不安や全国的に食糧危機に陥っているというような政治・経済的な面ばかりが前に出て、実際地
元住民たちがどのような活動をしているかがあまり見えない。ジンバブエの農業生産が低下し、経済的
に低下したといってもそれは白人経営者による大規模農業が減ったからであって、小規模農業を営む
地元民は、自分たちが生活していくための努力を経済が悪化したといわれる以前からずっと続けている
に過ぎないと思う。小規模な農業で経済発展を遂げるのは難しいことかもしれない。しかし基本的な生
活を成立させるためには自分たちにあった農業の方法を見つけ実践していくことが大事だ。そのために
AZTREC は重要な役割を果たしていると言えるだろう。(3576 文字)
文献・資料
アフリカと日本の開発のための対話プロジェクト(DADA)HP、
http://homepage3.nifty.com/DADA/index.htm (2005 年 1 月 12 日閲覧)
外務省 HP、http://www.mofa.go.jp/mofaj/(2005 年 1 月 12 日閲覧)
佐藤誠(1989)『アフリカ協同組合論序説』日本経済評論社。
佐藤誠(1984)『飢餓からの解放』芽ばえ社。
末原達郎(1990)『赤道アフリカの食糧生産』同朋舎出版。
末原達郎(2002)「ジンバブエの農業におけるアフリカ農業の基本構造」、宮本正興・松田素二編『現代
アフリカの社会変動』人文書院、301-321 頁。
壽賀一仁(2002)「行政に依存しない実施体制-その課題と展望- アフリカ農村開発協力における
NGO の視点」、国際開発センター『IDCJ FORUM 第 22 号』69-74 頁。
壽賀一仁(2005)「ジンバブウェ黒人小農の現在-サブシステンス回復への志向」、アジア経済研究所
『アフリカレポート NO. 40』22-26 貢。
宮本正興・松田素二編(1997)『新書アフリカ史』講談社
吉国恒雄(1992)「ジンバブエ農業の成功と小農の躍進」、川端正久・佐々木建編『南部アフリカ―ポス
ト・アパルトへイトと日本』頸草書房
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