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両面 - 美波町観光協会

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両面 - 美波町観光協会
 おやくっさん
御存知、第二十三番札所「医王山・薬王寺」
歴史あるこのお寺には、日頃知られて
いない魅力がまだまだ沢山
〈神極田〉モ「日和佐
ータース」
この大きな瑜祗搭
は、
四頭の金色の亀に
よって支えられています。
びっくり! Mikokuden
「理容岡本」
上松石油
約 300 本の
"ソメイヨシノ"
5
R5
南
阿
至
島
徳
・
〈
清
流
Hi 日
wa 和
sa
Ri 佐
ve 川
r
〉
絶景かな!
瑜祗搭の
中はなんと
○○○に
なってます。
吉川英治の名作
「鳴門秘帖」では
主人公の
「法月弦之丞」
が厄坂や
本堂前で
大乱闘を
繰り広げ
ます。
中洲から河口
迫力のある
辺りでは、
マガモや
"お不動さん"です。
カワウ、
サギのなかま
などの野鳥が飛来し、
くつろいでいます。〈井ノ上〉
Inokami トトロの絵のある
☆日和佐川両岸の
「鳥沢鉄工所」
遊歩道は心地良い
散歩道です。
〈西町〉 〈四国のみち〉
Shikokunomichi
Nishimachi
コンビニ
日和佐
石油
詰まっています。ぜひじっくりと
散策してみて下さい。
ベーカリー
「花畑」
桜町駐在所
Police Station
☆このあたりは
「スジアオノリ」
の自生地です。
「大城石材店」
金毘羅神社
"大岩"まで約 20 分、
11 月〜6月がおすすめ !
おいわ
江戸末期(安永6年〜天保 14 年)
日和佐で生まれた希代の行者が
評判を呼びました。名を
「栄寿
といいます。
荒行の末に
法印」
得た"法力"で、
数々の奇跡を行
い小松島では化け物を退治して
人々に大変感謝されたそうです。
明治に入って、
信者によって建て
られた
「法印堂」
には、
そうした
エピソードとともに、数多くの遺品が今も
大切に保管されています。
昔のおもかげを残す
まちなみ。
〈大岩〉町を一望できる
Oiwa
Look-out
法印さんは
天狗を使うことも
できたそうです。
Hoinsan
大岩は、
古くから観光名所
として知られています。
戦時中は、
「対空監視哨」
にしていたそうです。
下りは約 10 分ほど
(上りには少し急になってます。
)
華やかな
"ちょうさ"の
「ふとん」の
色や色の組
み合わせは、
各地区に
よって違います。
10 月中旬、
町は八幡神
社の
「秋祭り」
の熱気に包まれ
ます。
"ちょうさ"
(勇み屋台)
は日和
佐男の心意気 !
「チョーサージャー、
イッサンジャイ !」
海上交通が主流
だった頃、
汽船は
大浜海岸沖に停泊し、
乗客は浜から小舟で
乗船していました。
高台にある この高台は、
恋人たち
「波切不動」 が別れを惜しみ再会を
願った
「恋人岬」として
知られています。
文化4年から明治
に至るまで、
この付近
には、"御陣屋"(郡代所)
が設けられていました。
古民家
今では役場前
「今津商店」
なカフェ
県下で唯一の
お好み焼き
に据えられた
日和佐
Yakuoji Temple
です。
"千手観音"
小学校
"シバナ" の
"的石"が残る
「くさか」
H
iw
asa Ju
「四季堂」
の石仏です。
n
だけです。
自生地です。
ior Sch
消防団詰所
ool
宿坊
「薬師会館」
クリーニング
恵比須浜
、
美波町役場 〈新町〉
キ
リ
ス
ト教教会
田井
「
クーランマラン
Minami
W.C
手作り
Town O
至
は弘法寺境内に在っ
名菓 "亀もなか" 「原豆腐」
ffice Shinmachi お接待所
人力旅行社」
「忠愛所」 (古称九軒町) 「明治館」
「マツオ
幕末以前は橋も無く
金光教教会
た古民家を移築
し
た
素敵な宿、
夢が詰ま
っ
たガラ
ス
「豊田屋」
Hachimansan
立派な鐘楼と
名物
Spa
化粧品」
村井
「引船渡し」で往来
Shrine
"囲炉裏"もありますよ。
ケースのお菓子たち
"八幡さん"の
塀が目印。
「
ま
め
ボ
ンcafe」
"厄除飴"
デイサービス
「吉田牛乳」
鉄工所
薬王寺
していました。
「国民の宿
阿波銀行
拝殿には、
亀の飾
「倉本製菓」
「竜宮」
レトロの王様
幕末からつづく
うみがめ荘」
○
P
Awa
Bank
"宮の森"に出現する飛行
旅行者が必ず立ち止まる
り彫りがあります。
いい香り
日和佐診療所
へんろ道標
"丸ポスト"
老舗の和菓子屋
Umigameso Inn
Jyokoji
(
お酒大好き
古称馬
物体 ! 愛称はモモです。
ほどオシャレな飾り彫り
縁が深いですねぇ
(Hotel)
Hiwasa Clinic
〈本町〉
庭
Temple
「十一屋」
)
「シマヤ」
森本
が施された格子。
Honmachi
カヤックツーリング
この先より
"二見千軒伝説"
スイーツカフェ
衣料
Public Bath
み こ
で見てね。
神聖な土地です。
"アロエたち"
「アジュール昭吾堂」
が残るお寺
!
喫茶「たにひょう」
「神子の脇」
喫茶
お
も
ち
ゃ
の城
厄除うどん
Koboji
児童館
うどん
「とば作」
Temple
昔はここを宿にする
「タートル」
以前営んでいた
「てるもと」
「やすらぎ」
参道に架けられ
お好み焼き「天花」
ちょい悪
北に"大岩"
"ミセ造り"
法印堂裏手の珍木"ナギ"
美波町の秘宝館 !
お遍路さんがいた
銭湯の前に立っ
オヤジの
た「厄除橋」からは
「はっぴぃ」 南に"お城"が
の木の葉は、良縁やお金 美容室
の民家
「野口歯科」 ていた
「浮世絵美術館」は
タツシマ
コンビニ
そうです。
「
理容岡本
」
「お大師像」
360 度の絶景パノラマ。
がたまるお守りとして、
見える、
あわえ筋。
見事な
観音寺は
スポーツ店
郷土の画家、
岩井白石の
Kannonji
Temple
天理教教会
キレイだけど 90 年
昔から人気があります。
その橋の下には、
珍しい
こて絵
W.C 「うみがめ博物館」
寿司
美人画約 150 点を 「勝瀬歯科」 三十三観音
以上の時代が
"癒しの情報発信ステーション"
越冬する"イワツバメ "
Turtle Museum
「きよ美」
"ツタ入道"
〈奥河町〉
霊場の Michinoeki
展示。
あります。
☆私道のような
太鼓納屋
「ふなつき
の巣がびっしり
境内には
の倉
Okugawa
観光案内所
第八番 Stop over
アンダー
"ゆるカワ"
"あわえ"が多い
要事前予約
旅館」
(町民グラウンド)
です。
ぼけ封じの
Tourist Information
として グランドな
「お宿 日和佐」
のカメの
ので気を付けて
0884-77-3390
中学校跡地のこの周辺
観音像
「佐々木 "あわえ"
入口横には
有名。
迫力のある石垣 !
電話ボックス
ください。
米田書店
は、
全てうっそうとした
クリーニング」
090-4501-9400
なぜか黄色い"丸 〈桜町〉
「滝商店」
"宮の森"でした。
着物
「
ふ
じ
だ
い
」
ポスト"があります。 Sakuramachi
理容
「江川洋服店」
世間遺産
コバルト色の青塀
下町のオシャレ
金物
珍しい
(古称奥河内村)
「
やわらぎ
」
〈東町〉
石組みはインカ並 !
「初音湯」
蛭子神社 「日の丸屋」
「
吉
田商店」
"北向地蔵"
「極楽寺」跡には
コルディアサロン
「写真のマツモト」
Higashicho
「足湯」のお湯は
加茂神社 近所の人に
"
家神さん
"
康申
さ
ん
と
、
や
さ
し
い
「わさ」
"温泉水"だから
居酒屋
「つくし」
大切にされ
「スーパーみなみ」
お顔の仏様の
「豊崎電気」
天神社
効能バッチリ ! 喫
郵便局
あれっ
旧厄除橋のたもとには
ています。
石像が立ってます。
「大黒商店」
淡島神社
茶﹁
Post
Office
理容
へんろ道標が今も
ここ何処?
美波町の大浜海岸とアカウミガメ
林﹂
〈中村町〉 呉服
道祖神社
お祀りされてます。
「REDSUN」
ラー
(古称大工町)
阿波尾鶏や
Nakamura
は、
国の天然記念物。
「カレッタ」
は
かいわい
﹁平 メン
「日和佐音楽センター」
「藤中本店」
昭和
30
年頃
地魚料理
和
「海南
公民館
☆この界隈の通りは
(飲み屋街)
全国でも珍しいうみがめ専門の博物
園
「羽里商店」
「小林ストアー」
﹂
護国神社
タクシー」
Town Hall
まで、
橋はこの
「ひわさ屋」
絶妙に角度が付い
。
館です。屋外プールで 位置に在りました。
JA 海部「津田薬局」
ていて、
町の人でも
裏手の本宅は
は、
飼育個体としては 「パリ
日和佐支所
"なまこ壁"
迷うくらい。
「味登里」
材木商で名を成
し
た
☆港に面した櫛目の
美容室」
"世界最長寿"の 憩いのカフェ
徳島銀行
(墓さん)
「旧薩摩邸」
の離れ、
"あわえ"はどれも
「はまひるがお」
Tokushima Bank
カメも見ることが 立派な
庶民の憩いの
W.C
"大正ロマン"です。
理容
風情があります。 "辻ネコ" に
風情のある水路 水口石油
石組みの塀
できます。
場だった、
大正期
九州漁場
「はぁと」
〈戎町〉
(古称三軒屋)
日和佐
出会えます。
の銭湯を見事に
アスリートのお母さん
開拓の碑
Ebisucho 幸せの黄色い
図書資料館
「イワキ医院」
保存、
活用して
の手料理「五番館」
ハンカチ?
Hiwasa Library
います。
お好み焼き
漁師さん家には必ず
中華
居酒屋
あった、
便利な台車。
絵に
「大 軒」
腐蝕防止のために
「ヘビ責めの石」
「てこ屋」
なる〜っ!
〈さつまの堤防〉
「うみがめ
コールタールで真黒に
日和佐の怪遺産
?!
-20℃の
ショッピング
製材
マリンクルーズ」
塗られた
「網納屋」
金運ありです。
アジ、
キビレはもちろん
八幡神社の
(製氷冷蔵工場)
「オオキタ」
「野田産業」
中は最新の
乗り場
冬場にはアオリイカも
「タスカルタワー」
" 大鳥居 "
マリンスポーツ
ITオフィスになってます
☆アジ釣りのメッカ ご予約・お問い合せ
2F の資料室
かつて「室戸汽船」が 釣れる。
☆大浜海岸からの"初日の出"
「海達」
0884-77-1730
には大正から昭和
寄港していた埠頭は
足元を見
て
く
だ
さ
い。
郷土料理
は有名ですが、冬の時期、
磯釣りのシーズン
日和
の家族のくらしを再現、
Fish
地元でも人気のビュー
「ハマエンドウ」
や
佐
「むらかみ」
幻想的な"けあらし"
(蒸発
erie
には、
渡船客の
江戸末期より廻船業で
漁協
必見です。
s Co
ope
ポイントです。
「ハマボウフウ」
霧)
や、
"だるま朝日"も
rati
車でいっぱい。
成功を収めた
「谷屋(たんにゃ)
」
ve A
sso
駅からの参道に架かる
「ハマヒルガオ」など、 見ることができます。
ciat
の繁栄ぶりは、
子供たちの遊び
ion
わずか5m ほどの素敵
たくさんの植物に
唄になったほど。その重厚な門
「網干し」
の風景
な
「厄除小橋」
。
出会えます。
"干し木"
構えは、往時を今に伝えています。
約 1500 本の
〈弁才天〉 徳島新聞
" ソメイヨシノ "
防波堤も無い昔、
Bezaiten
日和佐支局
が見事です !
時期によっては歩いて
『あわえ散策のマナー』
☆県南でも
立島まで行けた
"あわえ"
(あわい)
とは、
車が通れ
桜の咲く季節、
少なくなって
そうです。
ないような狭い路地のこと。港周辺
太鼓橋の「内ヶ磯橋」越し 日和佐こども園
「富増
しまった、
の町並みや風景は、
そんな素敵な "あ
に見える薬王寺はまた格別、
秘密基地の
造船所」
〈小浜〉
造船所の風景が
わえ"で形作られています。絵地図
隠れたビューポイントです。
Kohama Bay
ような"船揚場"
健在です。
「日和佐城」
と
に描かれてない"あわえ"もまだまだ
立島そっくりの
〈内
町を見守りつづける
あるけど、
個人宅の軒先につづくもの
「弁財天島」
〈立島〉大浜海岸の素晴らしい
「徳島岩吉翁」
の像。
Uch ヶ
なので、
気を付けてください。
この島があって
Tatsushima 景観は、
iga 磯
iso 橋
散策には午後〜夕方が最適 !
巌島神社
こそです。高さは 34m、
Island
城山神社
Bri 〉
台風の激浪が、
この島を
dge
越えたこともあります。
コワ〜イ
奥河内村の原風景(湿原)
。
終戦直前に投下された
漁協でお祀りしている
(古称内ヶ磯)
その昔、桜町からこのあたりは
不発弾が、城 山 周 辺の
☆この先の
「朝日ヶ丘展望台」
「港柱神社」
ほとんど田んぼと湿原でした。
工事中に見つかり大さ
からの眺めも絶景ですよ。
わぎになったことも !
古くから在るレンガ造り
(六角錐)
の燈台
〈城山道〉
※絵地図の構成上記載されていない商店もあります。
日和佐
美波町日和佐地区散策絵地図
〈四国のみち〉
クリーンセンター
情報は平成 28 年 10 月現在のものです。
Shikokunomichi
)
( Rese
arch
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〈 〉
Ohama
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大浜海
岸
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波
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松林で
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参道
その昔は
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庭
馬
ノ
桜
称
古
(
道の駅日和佐
南
小さいけど
立派な
祠です。
n
純白の倉が目印の
茶房
「たにひょう」は慶応4年の
本宅を修築したもの。
この町の
歴史を感じながら お茶できます。 「勝瀬モータース」
Divis
io
W.C
田井と恵比須浜の
分岐点に在る、
珍しい
「一石三体」の石塔。
上は
「役小角」
右は
「不動明王」
、
左に
は
「地蔵菩薩」
が
刻まれています。
〈田井・恵比須浜〉
Tai・Ebisuhama
ウェイン浜口の
「釣り具店」
リゾート感バッチリの素敵な民宿。
"オーシャンビュー"です。
角度によっては、
後ろを向いた " スフィン
クス " のようにも見えます。
どう? (アラ
モア通
り)
民宿
通り)
(ワイキキ
要予約 「エビスロッジ」
です。
至大
Spa
遊歩道の頂上
にある展望台のそば
には、"夫婦和合"の神
として「恵比須洞神社」
がお祀りされています。
「恋人岬」の次は、やっぱり
ここしかありません。
"大願成就"間違いなし !
由岐へつづいています。
☆海岸線は道が狭いので、
対向車や歩行者に
注意してください。
Ebisuhama Beach
この伝承は、後の好事家によっ
て広まった"俗説"ともいわれて
いますが、 真否は「空海」のみ
ぞ知る、といったところです。
港の口にある両岸
の突提は昔ながらの石組
みになってて素敵ですよ。
〈恵比須浜キャンプ村〉
Ebisuhama Camp Point
でも素敵な話でしょ。
トイレ・シャワーもあります。
『門前町と港町』
蛭子神社
タスカルタワー
(古称恵比須浦)
村の入口を守る、
小さな「お不動さん」
(ライオン島)
☆大穴は"イワツバメ"
の生息地にもなっ
ています。
海岸沿いには
「テングサ」や「ヒジキ」を
干す風景が見られます。
(ジズガはえ)
日和佐の町は、
薬王寺の"門前町"である「寺前・桜町」
と、古来より"港町"
(川口
町)として発達してきた「日和佐浦」
(港町周辺の総称)の2つに大別されます。
寺前・桜町は、薬王寺の参拝者の増加や、陸上交通の発達に伴い急速
に発展してきた、比較的新しい町ですが、日和佐浦は江戸中期より台頭
してきた廻船商人の活躍や、"御陣屋"(後の郡役所)が置かれた事もあ
り、明治に至るまで、海部郡の政治・経済・文化の中心として栄えて
きました。とくに"谷屋" に代表される廻船(交易)によってもたらされ
た様々な文化が、この町の構成や人々の営みに多大な影響を与えていた
ことは、日和 佐 浦の古い町並みなどからも見てとることができます。
谷屋によって「堺」から持ち込まれ
海水まじりの 〈四国のみち〉
Shikokunomichi
「恵比須浜湖」
" 阿瀬比ノ鼻 " へ行けます。
恵比須洞神社
(古称田井ノ岩)
高さは 52mです。
☆釣り公園の突提。
今やアオリイカ
釣りのメッカ
として大人気です。
たのが始まりですし、江戸末期の
寺前
日和佐浦
桜町
ヒーロー「法印さん」も、若い頃は
〈香川県〉
谷屋の商船で、"カシキ"(飯炊き)
Kagawa
として働いていたそうです。
11
高松
自動
車
道
平安時代を代表する宮廷歌人
「紀貫之」が土佐の"国司"としての任を
終え、数隻の船で土佐湾を発ったのは
承平4年(934年)12月27日のことでした。
一行は冬の悪天候に悩まされながらも、
「浦戸」
「大湊」
「奈半」
「室津」
「甲
(甲ノ浦)
」と泊まりを重ね、
1月22日の夕方近くには、
日和佐の"河口"に
停泊したとされています。しかし、日和佐の
港は"河川港"で風浪には弱く、河口に
堆積する土砂に悩まされてきた歴史が
あるため、貫之一行が停泊した場 所を
「恵比須浜」の湾内、もしくは古来より
天然の良港として知られていた「亀井
港」とする地元研究者もいます。
徳島自動車道
付録
磯釣りポイント !
グレ、
スズキ、カサゴや
メバルなどが釣れます。
「阿瀬比の
燈台」の灯り
は強烈です。
「阿瀬比ノ鼻」
の雄大な景観は、
まさ
に美波町の"ダイヤモンドヘッド"。
恵比須洞附近から観て
ください。
貫之一行は日和佐の地で4泊5日を過ごし
ています。それは悪天候と"海 賊"の襲撃を避
けるためだったようです。無事「京の都」に着
いたのは、承平5年2月16日のことでした。
この船旅をもとにした全行程55日間の記録
は、仮名文による日記体の画期的な紀行文、
「土佐日記」として知られています。
美波町日和佐地区散策絵地図
八幡神社の秋祭りの"ちょうさ"は
ひわさ散策写真館
1771年(明和8年)4月、ロシア軍に捕らえ
られていたポーランド軍人
「ベニョフスキー」ら
約70名が、ロシア軍艦を
奪いカムチャッカから
脱獄、
6月8日に"恵比
須浜"に漂着しました。
ベニョフスキーは漁師を通じて2通の書簡を手渡します。
これが後に国家的な波紋を広げるきっかけともなった、
有名な「ハンベンゴロウの書簡」です。このベニョフスキーの
来航は、あの"黒船"で知られる「ペリーの来航」
(1853年)
よりも、さらに80年以上も前のことでした。
昭 和 30 年代までは橋が
無く、亀井港を迂回して
いました。
〈恵比須浜海岸〉
(ワニ島)
奇勝"浸蝕洞"の
「えびす洞」
県内最大です。
Ebisuhama Bridge
W.C
古い突提に在る
(夫婦岩)
小さな「燈台」
風雪に耐えてきた
「へんろ道標」
〈恵比須浜橋〉
" 生け簀 "
「浜口造船所」
昔はお寺がありました。
ホテル
「白い燈台」
Shikokunomichi
(古称田井東)
(古称田井浜)
岸
浜海
〈四国のみち〉
Kamei Harbor
恐い名前の
「首切り坂」
謹 製
わ さ
日和佐を中心とした上灘一円は、その昔" 和射 " 郷と称していま
したが、ある時から"日和佐 "と呼ばれるようになったそうです。
そのいわれについて「阿波国村誌」
(明治 13 年徳島県庁調査)に、
こんな逸話が記載されています。
「〜古老伝に往古"和佐 "(和射)
と言いけるが、空海はじめてこの地へ着船、浜へ上りし時、旭登
れるに所の名を問ふ、土民「和佐」と答へけるが、朝日を受けて良
き地なりとして
「日和佐」と言しよし」"日和佐"という地名は、弘法
大師「空海」によって付けられたと言い伝えられているのです。
〈亀井港〉
昔は"大岩"から田井へ
至る山道がありました。
(古称大谷)
(古称田井)
おへんろさん
休憩所
(古称タクミ)
国定公園内に建つ
ホテル。海側の白い外壁を
青い色に変えたのは、
反射光を
押さえるため、 ウミガメにも
やさしい おもてなし。
『日和佐 縁起』
至木岐・由岐
(至山座峠)
八坂神社
徳島市
鳴門 IC
徳島 IC
Tokushima City
〈徳島県〉
Tokushima
Pref.
阿南市
Anan City
美波町
Minami Town
牟岐町
Mugi Town
海陽町
Kaiyo Town
〈高知県〉
Kochi
Pref.
55
由岐地区
Yuki Area
日和佐地区
Hiwasa Area
「千羽海崖」
南阿波サンライン
Minami Awa Sunline Way
美波町と牟岐町を結ぶ海岸
線の観光道路です。高さ250m、
延長2,000mに及ぶ断崖絶壁
と雄大な太平洋が圧巻です。
2013年には日本風景街道に認
定されました。
美波町への
アクセス
Access
発行・お問合せ:美波町産業振興課
0884-77-3617
観光案内
お問い合わせ
道の駅日和佐観光案内所……………… 0884-77-1875
観光ボランティアガイド会日和佐…… 0884-77-0768
美波町産業振興課……………………… 0884-77-3617
絵地図制作:小 部 博 正
絵地図印刷:米崎印刷株式会社
初版 発行:2 0 0 9 年 7月
第4版発行:2 0 1 6 年 10 月
Fly UP