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持続可能な住宅地マネジメント

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持続可能な住宅地マネジメント
特集:郊外住宅地の再生
持続可能な住宅地マネジメント
桜ケ丘ハイツ 40 年の物語
名城大学都市情報学部 教授
海道清信
はじめに
9,537人が居住し、全 体開発面積は
全国で多くの住宅地のまちなみデ
316haだが、欅が丘地区だけが未開発
ザインを手がけた建築家・宮脇檀さ
である(図1、2、表1)。
んが『家とまちなみ』
(No.25 1987)に
当団地を開発した不二企業は、高
掲載された座談会で、
「私も初めて行
水準の大規模戸建て団地をめざして、
ったときは、可児市にあんな住宅地
1970 年代から開発を進めてきた。住
があって、まさかこんな風になって
宅の敷地規模は、多くが 80∼100 坪
いるとは知らなくて、えっと思って
とゆとりがあり、自然石積みの宅地外
びっくりした記憶があります」と感
構、芝生舗装の広い歩道、曲線道路
想を述べた桜ケ丘ハイツ。
など、景観まちづくりに配慮された住
本稿は、岐阜県可児市で 40 年ほど
宅地である。この団地を訪れる多くの
前から開発されてきた桜ケ丘ハイツと
人が、宮脇さんが驚かれたように、ど
そこに住む人々が、自分たちの住んで
うしてこのような団地が開発されてい
て、安価で便利な郊外住宅地として
いる住宅団地を住みよく、美しくする
るのだろうかと、不思議に思うだろう。
評価され、1970 年代から民間デベロ
ために取り組んできた歴史と今を伝え
桜ケ丘ハイツが立地する可児市(人
ッパーによって丘陵地に住宅団地開
ようとするものである。
口101,539人、38,774 世 帯、2011年 4
発が急速に進められた。
この住宅団地を開発したのは、名
月現在)は、工業集積と郊外住宅地
古屋市に本社を置く不二企業株式会
としての性格を併せ持った名古屋都
人口減少と高齢化
社(1965 年設立)だが、不幸にも現
市圏の郊外、名古屋駅から直線距離
可児市は、1975∼80 年の5 年間で
在同社は破産手続中である。著者は、
で約35kmの新興都市である。名古屋
人口が約60%、世帯数が約70%増加
岐阜県可児市に立地している名城大
都市圏は、
名古屋市(人口約221万人、
するという人口急増都市となった。80
学都市情報学部勤務し、本物語に登
世帯数約96 万)を中心とする半径約
年代後半までにほぼ丘陵地開発は終
場する人々と15 年近くつきあってき
40km圏の大都市圏である。可児市は
了し、2000 年以降は平地部でのアパ
た。これまで行ってきた調査結果も交
名古屋駅とは名古屋鉄道で 45∼55
ート建設、多くの商業施設の立地など
えてお伝えしたい。
分、名古屋市周辺の産業・流通地域
によって、ゆるやかな人口増加が継続
への通勤者の居住地ともなっている。
桜ケ丘ハイツとは
可児市の開発は、太平洋戦争の後の
亜炭鉱ブームが起きた隣接する御嵩
桜ケ丘ハイツと可児市の概況
町の商業娯楽地区として、中心部の
桜ケ丘ハイツは岐阜県可児市に立
集積が始まった。その後、4 町が合併
地し、多治見市に隣接している丘陵
して可児市が誕生し
(1982)
、丘陵地
地に開発された民間戸建て大規模住
に開発されたゴルフ場と岐阜県内最
宅団地である。桜ケ丘、皐 ケ丘、桂
大規模の工業団地が立地した。犬山
ケ丘、欅ケ丘の4 つの地区から構成さ
を経由する名鉄電車の名古屋への直
れている。2011年 4月現在、
3,449 世帯、
通運転と国道 41号の改良などによっ
20
家とまちなみ 64〈2011.9〉
図1 可児市桜ケ丘ハイツの位置
写真1 桜ケ丘地区
図3 可児市内主要住宅団地の人口推移、
「年」
は開発完了年、
%は高齢化率
(2011年4月)
地区名
世帯数
人口
桜ケ丘
1,535
3,923
27.2
98
皐ケ丘
1,493
4,279
17.4
97
桂ケ丘
421
1,335
8.5
41
3,449
9,537
20.2
316*
桜ケ丘ハイツ計
高齢化率 面積 ha
主要施設 **
小学校 1
中学校 1
(私学)
高校
1
公民館 1
スーパー 1
* 未開発「欅ケ丘」含む ** 整備済み
写真2 桜ケ丘地区─成熟した住宅地
表1 桜ケ丘ハイツの概要(2011年4月)
してきた。2010 年国勢調査では5 年前
いる団地も多く、最も初期に開発され
よりも人口が減少した。特に、近年丘
た若葉台では高齢化率(65 歳以上人
陵地の住宅団地で人口減少が進み、
口比率)が 35.8%と高い。ただし、清
可児市内の丘陵部民間開発団地のう
水ケ丘のように、人口減少のスピード
「軽井沢のような住宅地」をめざす
ち、1970 年代に開発が完了したある
が遅く高齢化もそれほど進んでいな
といわれた桜ケ丘ハイツは、1970 年
程度規模が大きな団地の多くは、90
い団地も見られる。人口減少が急速
代はじめに造成工事に着手し、74 年
年代に人口のピークを迎え、以後人口
に進んでいる鳩吹台は、駅への利便
に桜ケ丘地区で最初の分譲、入居が
減少傾向となっている(図3)。ピーク
性がやや悪く、坂道が多く高齢期の
始まった(写真 1∼ 2)。82 年に皐ケ丘
からの人口減少率は鳩吹台 25%、愛
居住には困難な状況にある。いずれ
の入居開始(写真 3)、桂ケ丘は帝京可
岐ケ丘 21%、緑16%等が高く、桜ケ
にしろ、開発後 30 年以上経過した郊
児高校の立地に併せて宅地造成さ
丘団地(ハイツ内の桜ケ丘地区)も
外住宅団地では、高齢化への対応が
れ、94 年に入居が始まった(写真 4)。
10%減となっている。高齢化が進んで
大きな課題となっている。
最も新しい桂ケ丘は、造成工事は完
開発の経緯と理念
了しているが住宅建築が盛んで人口
増加している。現在、桜ケ丘と皐ケ
丘は開発が完了し、桜ケ丘は人口減
少期になり、欅ケ丘は未造成である
(図 4)
。
桜ケ丘ハイツを開発した不二企業
のオーナーであった伊東富士丸氏
(1996 年に85 歳で死去)は、東海地
域では有名な弁護士で資産家でもあ
った。死亡翌年には全国の長者番付
2 位の高額所得者だった。春日井市
の高蔵寺ニュータウン(旧住宅公団
図2 桜ケ丘ハイツの道路および主要施設配置図
資料:
(株)ハウジングイーストのパンフレットより
による)の用地売却で得た資金など
家とまちなみ 64〈2011.9〉
21
写真3 皐ケ丘地区─幹線道路沿い
図4-1 桜ケ丘ハイツ地区別世帯数推移
図4-2 桜ケ丘ハイツ地区別人口推移
た。経営破綻の直接的原因はわから
極的に行ったという。入居者には転
ないが、皐ケ丘 6 丁目の基準地価は、
勤族や自営業者、会社役員など、比
バブル経済絶頂期の1991年に、平米
較的所得の高い階層の比率が近隣住
を元に、桜ケ丘ハイツの用地約100
当たり12.4 万円だったが急速に低下
宅団地と比べて高い。平均的な宅地
万坪を取得したといわれる。伊東氏
し、95 年 に9.9 万 円、99 年 に7 万 円、
規模は、桜ケ丘 70 坪、皐ケ丘 80 坪、
が桜ケ丘ハイツの開発やコンセプト
2010 年には 3.7 万円とピーク時の3 分
桂ケ丘 90 坪程度と次第に広くなり、
をいつからどのように考えていたか
の1以下になった。販売価格の低下
道路幅員も次第に大きくなっていっ
を示す資料は入手できなかった。た
が経営を圧迫したことは想像できる。
た。分譲の基本方針は建売分譲、注
だし、先行して開発されていた高蔵
桂ケ丘は利便施設が乏しく分譲総
文住宅、宅地分譲の割合を、それぞ
寺ニュータウン(区画整理事業)と
額が大きいこともあり販売不振が続
れ 3 分の1ずつとした。ただし、団地
は違う、戸建住宅で優れた環境のま
いたが、整理回収機構による資産処
の雰囲気づくりのためには建売りが
ちをつくりたいと考えていたという。
分によって、住宅メーカーによって
重要と考え、幹線道路沿いや角地な
伊東氏が、計画設計を行った玉野総
坪 7 万円程度と破格の低価格で宅地
合コンサルタント株式会社(本社名
が売りに出され、現在は分譲・入居
古屋市東区、創業者小川義夫氏)の
が進んでいる。理想的な住宅地をめ
筆頭株主であったことなどから、同
ざし京都・桂坂ニュータウンなど高
コンサルタントなど関係者のいろい
級住宅地を開発した西洋環境開発
ろな議論、検討によって進められた
が、90 年代に経営破綻したことを思
ものと思われる。なお、不二企業は、
い起こさせる。なお、現在、不二企
桜ケ丘ハイツ以外に名古屋市内での
業の一部資産を引き継ぎ、桜ケ丘ハ
高級住宅地の開発も手がけていた。
イツで住宅・宅地の分譲・仲介など
不二企業の経営は1990 年代後半か
を行っているのは、株式会社ハウジ
ら困難となっていき、ハイツ内用地
ングイースト(可児市皐ケ丘にある
などの保有資産は銀行管理から整理
桜ケ丘ハイツ総合案内所)である。
回収機構に渡った。欅ケ丘の開発予
関係者によると、桜ケ丘ハイツの
定地は機構によって競売に付され、
住宅・宅地の価格総額が高いため分
最終的に2011年 6 月には東京地方裁
譲のターゲットは名古屋市内の一流
判所で破産手続きの開始決定となっ
企業社員とし、会社に対して PRを積
写真4 桂ケ丘地区─広い芝生舗装の道路と
住宅
22
家とまちなみ 64〈2011.9〉
図5 「ホープ計画」による道路配置(皐ケ丘9丁目)
どはできるだけ建売分譲とした。
選ばれ(1983)
、建設省の手づくり郷
で具体化された(写真 5 ∼ 8)。
住宅生産振興財団による1984 年の
土賞を受賞した(1987)
。
住宅生産振興財団は1984 年から、
第1回住宅祭には建設省住宅局長、
皐ケ丘のホープ計画では、地区の
皐ケ丘地区で「桜ケ丘ハイツ・ホー
知事、市長などが出席したが、不二
中心にフットパスでアクセスする緑
プ財団住宅祭」を4 期にわたり実施
企業オーナー伊東氏の政治力を示し
地が配置され、地区の中にある程度
した。住宅祭のテーマは「道と家・
ているように思われる。
大きな公園がカーブする道路ととも
緑のコミュニティ」で、89 年の第 4
に配置されている(図 5)。
期住宅祭での平均価格は 3,600 万円、
住宅生産振興財団『まちなみコー
平均敷地面積 92 坪、建物平均床面積
ディネート事例、シリーズ No.5、桜
ーディネート
づくりデザインガイドラインでは、門
桜ケ丘ハイツの特徴の1つは、優
塀は道路境界から1m 以上後退させ
れたまちなみ景観である。ハイツに
る、2 戸1のカーポートでポケットパ
共通した計画・設計思想は、ゆとり
ークをつくる、門周りの部材を統一
のある敷地面積(80 ∼100 坪)
、自然
する、屋根は統一して外壁は個性的
石積と生け垣の外構、外構のセット
に、隣家との窓の位置を調整すると
バック、曲線を描く広幅員道路、フ
いった項目が示されている(図 6)。桜
ットパスの配置、幹線道路の無電柱
ケ丘ハイツの特徴である住宅周りの
化と緑化、幹線道路歩道の芝生舗装
緑地の豊かさは、皐ケ丘における第 2
などである。
期住宅祭地区でのセミパブリックス
桜ケ丘ハイツの独特のまちなみ景
ペースやオープン外構、第 3 期の石
観は、建設省(当時)による地域住
積み境界の1.5mセットバックと道路
宅計画(HOPE 計画)の対象団地に
緑地の一体化などといったデザイン
Aブロック-Styleの追求 団地内の主要な幹線道路沿いに位置した1列宅地。
将来的にも団地の顔としての役割を果たす。
N
300
ケ丘ハイツ』
(2000)に示されたまち
SECTION
プライベート
Green Space
3100
公共道路
6000
Green Space
3100
セミパブリック
パブリック
セミパブリック
公共用地
専有地
プライベート
専有地
2580
HOPE
(ホープ)計画とまちなみコ
2850
美しい住宅団地の価値
PLAN
図6-1 皐ケ丘街区断面構成。資料:住宅生産
振興財団『まちなみコーディネート事例、シ
リーズNo.5、桜ケ丘ハイツ』
区画道路
駐車場
和風屋敷街のイメージをつくる。
勝手口
和風平家建
・和風平家建て、建築面積 120㎡以下
玄関
・南入り玄関、北側駐車場側に勝手口
・屋根は切妻4寸勾配(角地は寄棟)材料は和瓦、棟方向
は道路に対して平行
・外壁は聚落風吹付材、色は聚落系の有彩色
幹線道路
図6-2 皐ケ丘地区幹線道路沿い平屋住宅の配置 資料:図6-1に同じ
Bブロック-Planの追求 中学校への通学路沿いの宅地。子供室の配置に配慮
した平面計画。
子供室
子供室
・道路側壁面後退距離4m 以上
・玄関は東側(道路側)
(南北玄関の禁止)
・隣家と2戸1になる駐車場(歩道の切下げ減少)
・2階平面は道路側(小学校への通学路)に子供室を配
置し開口部設置(朝日の入る窓)
(街路と子供室窓が
向き合いコミュニケーション発生)
中
学
校
へ
の
通
学
路
子供室
図6-3 皐ケ丘地区中学校沿い住宅計画 資料:図6-1に同じ
Cブロック-Formの追求 商業地区と対面するボンエルフ道路(蛇行する道路
線形)沿いの宅地。
ランダムな配置
家とまちなみ 64〈2011.9〉
23
ンよりも安価だったため、分譲が開
始された1974 年に23 歳で建売住宅
を購入・入居した。相当の住宅ロー
ンを抱えることになったが、職場で
も評判となり4 人の同僚が桜ケ丘地
区に住宅を購入したという。当時、
写真7 フットパス
不二企業は JR 多治見駅前に入居者
のための安価な駐車場を用意してい
たため、パークアンドライド的な通
写真5 セットバック。道路側芝生の中間に
道路境界がある
勤が可能だったという。入居当初は
小中学校がハイツ内に開校されてい
なかったため、不二企業がスクール
バスを運行していた。開発が始まっ
たばかりの当時から比べると、いま
写真8 歩車道路
は便利になりまちなみも整い夢のよ
うだという。その後子どもたちが成
写真6 車止めを兼ねた地番表示の石
木の配置などを指示し、実際にそのよ
長したため、桜ケ丘ハイツの中で転
うな住宅設計が行われている。
居した。
は 38 坪、分譲戸数 28 戸に対して申し
幹線道路が一般の道路基準に比べ
込みは 5 倍という人気だった。
て、やたらと車道が広く緩やかにカ
住民のまちなみ環境評価
住宅祭では、まちづくりコーディ
ーブを描き、交差点にはハンプが設
桜ケ丘地区とほぼ同時期に開発さ
ネーターとして、宮脇檀建築研究室
置されている。幹線道路に面した住
れた、可児市、御嵩町、犬山市の団
が加わっている。宮脇さんは、住宅
宅が大きく平屋で揃えられているた
地の住民アンケート調査(2003)では、
設計に当たって次のようにメーカー
め、空が大きく見える。この幹線道
に注文した(
『家とまちなみ』18 号、
路の景観は不二企業のパンフレット
している割合は、他の団地が、15、
1984)
。幹線道路に面する家は木造平
のハイライトとなって、桜ケ丘ハイツ
19、25 %に 対し て、 桜 ケ 丘 団 地 は
屋建てで和風、中学校側の住宅の子
の売りとなっている。
64%と極めて高い。
ども部屋は学校側の2階におき、フッ
桜ケ丘地区に住む佐藤裕美子さん
岐阜県内の 4 つの大規模民間戸建
トバスに面しては下屋を出す、中心部
夫妻(桜ケ丘ハイツ居住歴 37 年)は
住宅団地住民アンケート調査(2007)
のショッピングセンターに面する住宅
仕事、居住とも春日井市だった。戸
でも(図 7)、団地選定理由として他の
は総 2階の西洋館、無彩色の屋根色、
建てで美しい環境が建築規制で将来
団地では、
「価格が適当」
「勤務地に
隣の居間がのぞけないような庭の樹
も守られ、市内の高蔵寺ニュータウ
近い」
「交通条件が良い」といった理
図7 団地選定理由(複数回答)
、岐阜県内大規模民間戸
建て団地 資料:国土交通省住宅局「都市近郊における
大規模住宅団地の利活用方策報告書」2008年3月
24
家とまちなみ 64〈2011.9〉
「団地の街並みや景観」が良いと評価
図8 定住意向と総合的な住環境の満足度
資料:図7に同じ
由が多いが、桜ケ丘団地では、
「景観
う理由が他の団地よりも2 倍程度多
と心配している。また、今は自動車
が良い」が 43%と極めて高い。
い。つまり、郊外の住環境には満足
がメインの生活だが、もう少し楽に
桂ケ丘と近接する新しい住宅団地
しているが、ライフスタイルの選択
買い物などができるようになるといい。
(HO団地)の住民アンケート(2008)
として、将来住む場所を変えたいと
すでに初老期に入っているためい
では、住宅選定理由として、HO団
いう住民もある程度存在することが
つまで健康で生活できるか一番心配。
地では価格が適当33%、新しい団地
わかる。
健康に自立した生活ができるなら、
だから21%、以下周辺の自然環境、
近所に若い世代が居住、住宅が気に
入ったが、各 7%程度に対して、桂
ケ丘では、街並みなどの景観 22%、
車を運転できなくても交通機関を利
ボランティア活動が支える
──交流
用して生活が可能である。歩いて行
ける範囲で日用品の購入ができる店
が一軒もないので不便を感じている
広い宅 地 面 積 20%、周 辺自然 環 境
高齢期の住民の不安
高齢者の方々が多いと思われる。ま
16%、価格が適当11%などが選ばれ
桜ケ丘ハイツを含めて、郊外住宅
た、住環境はとても良いが維持して
ている。
団地に住居を求めるときは、入居者
いくためにはそこに住む一人ひとり
地区内に商業施設がない桂ケ丘地
自身も現役世代で体も精神も元気な
の努力も必要だ。また、一部の方の
区での日常の買い物では、自動車利
人が多く、自動車も自由に使える。
奉仕やボランティアで何とか景観も
用が 99%で、小学校への子どもの自
いろいろな不便はあるにしても、郊
保てている状態。戸建ては理想的だ
動車での送り迎えも欠かせない。桜
外居住を享受できる。しかし、高齢
が高齢化してきたときには維持管理
ケ丘ハイツ
(桜ケ丘、皐ケ丘)
では、中
期になると、体の具合いも悪くなっ
が不可能になるため、子どもたちに
心部に24 時間営業のスーパー西友が
たり、行動範囲も狭くなりがちで、
託すしかない。このように良い環境
あり、買い物の時の交通手段として
近所付き合いもだんだん少なくなっ
の住宅地は少ないので、大切に人間
は、自動車利用70%で比較的便利だ
てくる。もしも病気になったり、助
関係も含めて育みたい、との意見で
が、バスは料金が高い。住民の意見
けが必要になったり、いろいろ相談
ある。
でも交通の便は悪いが、明らかに他
事ができたときに、どうしたら良い
の団地とは違う美しい景観やまちな
か困ることが多くなる。近所に自分
「ゆめ倶楽部」と「スローフード飯友」
みが気に入ったので、桜ケ丘ハイツ
の家族や子どもたちがいればある程
ボランティア活動をしている前出
を選んだという意見が多く聞かれる。
度、安心だがいつでも頼るわけには
の佐藤裕美子さんにお話を伺った。
郊外住宅団地の入居選定理由とし
いかない。高齢化していく住宅団地
「ゆめ倶楽部」は今 年で13 年目。
て一般的に重視される価格、立地条
では、住民同士の出会いと助け合い
毎月第三水曜日の12 時から1時間、
件、広さなどの条件よりも、景観ま
が必要になる。いざというときのた
可児市桜ケ丘公民館和室(定員64 名)
ちなみを重視した、こだわりの選択
めに日頃からご近所と知り合いにな
で高齢者に食事をだし、ゲームや音
を桜ケ丘ハイツの住民はしている。
り、交流しておきたい。また、家の
楽鑑賞、おしゃべりなどをしている。
入居後もこうした評価は低くなって
中だけでは満足できない楽しみも欲
参加費は1人 400円で予約はなし。参
おらず、居住満足度が高い。岐阜県
しい。ときどき出かけることで健康
加ボランティアは全部で 30 名、毎回
内の他の主要団地との比較でも、総
にもなるし、生活にもメリハリがで
約 20 名が活動している。毎回つくる
合的な住環境の満足度は高く、これ
きる。
90 食はすべて手づくりで、買い出し
からも住み続けるという定住意向も
住民が次第に高齢化していくこと
や調理などもなかなか大変。公民館
高い(図 8)。
が住民自身の不安となっている。桂
で食事することは最初許可されなか
アンケート調査によれば、将来転
ケ丘 住 民アンケート(2008)では、
ったが、市長に直談判した。
居希望者が最も重視する理由の第一
次のような意見が記入されている。
希望者が多くなったことと、食事
は、買い物や通院が不便なためであ
団地内の住環境(景観等)にはと
の内容自体にもこだわりたいと考え、
り、これは桜ケ丘ハイツでも同様で
ても満足しているが、団地の周りの
自宅で「スローフード飯友(いいと
ある。ただし、ハイツの場合は「も
土地が乱開発されたり、騒音などの
も)
」を9 年前に始めた(写真 9)。予約
っと都会的な暮らしを求める」とい
問題が出たりするようになると困る
制で月に4回食事を出し毎回10 人ほ
家とまちなみ 64〈2011.9〉
25
どが集まる。食材に費用がかかるの
「お休み処」
なっている。
で1人 600円、11時半から3 時間だが、
桜ケ丘ハイツまちづくり協議会で
参加者アンケート(2009 年、回収
食事と音楽会などのイベントも行う。
は、2007 年発足直後から、高齢者の
数 20 名)によると、お休み処の参加
うち1回は 9 時から12 時までのモーニ
交流と楽しみのために、
「お休み処」
理由は知人友人に誘われて23%、友
ングを最近始めた。参加者は高齢者
を設けて運営している。これは毎月2
達ができたら良いと思って15%、いろ
中心だが、高齢者を介護している方
回、集会所を利用して、高齢者が集
いろな情報を得たいと思って14%、友
にも参加して欲しいと考え、参加者
まって交流する参加型イベントであ
達とおしゃべりしたい12%、健康のた
の要件は 55 歳以上としている。人気
る。2011年度の年間活動計画を見る
め12%、ボランティアの顔を見たい
があり、予約は1カ月先まで埋まって
と、映画会、演奏会・コンサート、体
12%などさまざまである。また、どん
いる。食品衛生法による保健所の許
操、ヨガ、パーティ、リンパマッサージ、
な内容でも参加するというリピーター
可ももらい、宅老所として運営して
おしゃべり、五平餅を食べようとい
が 40%で、ほぼ毎回参加する方は友
いるが、市役所の指導で出入口にス
った集会所内での活動と、お花見や
人と誘い合ってくる方が多い。参加
ロープを設けるなどの出費がかかっ
バス旅行など集会所の外での企画が
者は女性が 85%、年齢層は69 歳以下
た。高齢者にとっては、食べること
ある。毎回約 50 名前後が参加し、お
と70 歳以上が半分ずつとなっている。
の楽しみだけではなく、おしゃべり
茶とお菓子をいただきながらおしゃ
参加している女性にインタビュー
したり、音楽を楽しんだり、お出か
べりやいろいろな行事を楽しむ。
した。ご主人が退職してから桜ケ丘
けでお化粧やおしゃれをすることで
8 月1日開催のオカリナ演奏会に参
ハイツに住みだし、入居して20 年。
生活にメリハリができる。
加した。会場の受付でお茶とお菓子
子どもは結婚していたので、最初か
会場としている自宅の一室は、建
代として200円を支払う。可児市内
ら2 人で住んでいる。主人は元気で
売住宅のままだが、人々が集まりや
の 9 名のオカリナ演奏グループ(これ
79 歳。ハイツはとっても良いところ
すい良い設計で気にいっている。調
もすべてボランティア女性)が昔懐
だと思う。主人の兄弟がハイツの中
理師免許を持っているが、この活動
かしい曲を演奏し、参加者も曲に合
に住んでいて、子どもたちも車で 2
では有利だったかもしれない。佐藤
わせて口ずさむ。40 名以上の参加者
時間以内のところに住んでいる。老
さんは他に歯科衛生士の資格を持ち、
が楽しそう(写真 10)。演奏が終わる
後もここで住むつもり。家も少し傷
新体操の教室も別に運営しているな
と手づくりのあんみつを食べながら
んできているが、夫婦 2 人仲良く住
どいろいろな地域活動をこなしてい
おしゃべり(写真 11)。この金額は気
んでいこうと考えている。近所の奥
る。
軽に支払えて、赤字にならない額と
さんと誘い合わせて、お休み処は毎
回来ているが、月2回のいまの開催
ペースでちょうど良い。あまり多くて
もくたびれるし他の集まりにも参加
している。毎回誘って参加するご近
所の方とも、これくらいの頻度だと
あまりベタベタしない。向かいの家
も老人 2 人の世帯だが、あまり近所
写真9 スローフード飯友の食事風景
写真10 オカリナ演奏を楽しむ
付き合いをされていないので、助け
が必要になったときにどうされるの
か心配。
企画運営をすべて進めているボラ
ンティアの小澤和子さんたちにお話
を伺った。
お休み処はこの11月で 4 年目にな
る。今日の参加者は 44 名で少なめだ
写真11 お休み処と参加者
26
家とまちなみ 64〈2011.9〉
写真12 台所でのボランティアのみなさん
が、50 名を超えることもあり、参加
者は増えている。この桜ケ丘西集会
所は部屋が広くて利用料が無料、飲
食ができ台所も使えるし、高齢者が
多い桜ケ丘地区住民が利用しやすい
場所にある。団地内の移動支援
(後述)
を利用して参加する方もいる。運営
ボランティアは女性 10 名、男性 5 人
でかたづけなど力仕事もあるので男
性も必要だが、女性中心でうまくい
っている(写真 12)。年間計画は 3 月に
決め、4 月以降の毎月の運営会議で
図9 地区社会福祉協議会チラシ「面白いぞ!
井戸端会議」
計画にそって準備を進める。チラシ
作成やまちづくり協議会ニュースに
で日常生活のちょっとした困りごと
載せる原稿作成、実際の準備など結
をご近所で助け合おうという取り組
構忙しい。企画はマンネリしないよ
み。たとえば、簡単な庭木の手入れ、
うにいろいろ工夫している。外での
電池・電球の交換、簡単な大工仕事
お出かけの企画は人気がある。
から掃除、郵便物の投函、ゴミ出し
いうもの。また時には会員同士で交
布団干しなど、どの家庭でも普通に
流会も行う。高相さんたちの狙いは、
している家庭内の仕事。こうしたこ
お休み処などの集まりにやってこら
とが高齢になってくると、なかなか
れない高齢者も少なくない、そうし
大変になる。地区社会福祉協議会に
た人たちがひだまりのように、自宅
桜ケ丘地区社会福祉協議会が「面
連絡して頼むと、平日、9 時から17
で楽しい時間を過ごせると良い。1年
白いぞ! 井戸端会議」を2010 年秋か
時の間にあらかじめ登録してもらっ
間いろいろ話し合って、今年から発
ら始めた(図 9)。これは、ご近所の方
たボランティアのサポート会員が 2
足したが、配達人は10 数名いるとの
が自由にそれぞれ集まり、
「あちこち
人、1時間 200円で手伝いをするとい
こと。この活動は団地内に限らず、
で話に花を咲かせましょう」という
うもの。いま、サポート会員は約 30
可児市内のボランティアたちと共同
趣旨で、ごくご近所単位での交流を
名登録されている。
で取り組むもので、自由さと広がり
ねらっている。話し合った内容を簡
似たような取り組みとして、高相
を感じさせる。
単に報告してもらうと、参加世帯あ
建司さんご夫妻とその仲間たちが最
たり800円を助成する。まだ、始まっ
近始めた地域ボランティア活動「ひ
たばかりの取り組みだが、声かけや
だまり配達人」がある。目的は「弱
安否確認などいざというときにどの
い人が置き去りにされないために、
ようにご近所で助け合えるか、高齢
みんなと手をつなぎ、社会に参加で
郊外生活の不便さ
化が進む地域でどのようにしたら良
きるように相手の心に寄り添う活動
多くの郊外住宅団地の弱みの1つ
いかなど、さまざまな意見が出され
をはかるとともに、地域社会におけ
は、買い物、医療、通勤など日常行
ている。集会所に集まってみんな一
る健康で明るいコミュニティづくり
動の多くを自動車利用に依存してい
緒にという形とは違って、ご近所で
に寄与すること」
(同会則から)であ
ることである。居住者の平均年齢が
の交流を地区社協の支援で促そうと
る。
低い桂ケ丘は買い物なども桜ケ丘に
いう試みで、とてもユニークなアイ
具体的には、可児市を中心として、
比べると不便である。住民アンケー
ディアだと思う。
要望を受けて個人宅を訪問して、音
ト(2008)によると、桂ケ丘も前述
また、同地区社会福祉協議会では、
楽や手品などのパフォーマンスをし
したHO団地も日常買い物では 99%
「この指とーまれ!」を2011年から始
たり,話し相手になったりする、ま
が自動車で行っている。各敷地の駐
めた(図 10)。これは、高齢化が進ん
た訪問時に便利屋的な仕事もすると
車場台数は、古い時期の開発である
ボランティア活動が支える
─生活支援
図10 地区社会福祉協議会チラシ「この指と
ーまれ!」
ボランティア活動が支える
─移動支援
家とまちなみ 64〈2011.9〉
27
図11 桂ケ丘、近接HO団地の敷地の駐車場台数と保有自動
車台数 資料:海道清信研究室による調査
図12 移動支援の利用 資料:海道清信研究室による調査
桜ケ丘地区ではほとんどが 1台だっ
年毎)
、団地内外の近隣地域への足の
取り組みの良いところとして、バス
たが、桂ケ丘では、2 台分が 28.7%、
確保が目的である。会員は月100円
に比べ時間が短縮できる、タクシー
3 台分が 46%、4 台以上も20% 以上と、
を登録時点で年間分を一括支払い、
ではお金がかかるので助かる、指定
敷地面積が 300 ∼ 500 ㎡と広いとはい
利用者の負担額はガソリン代として、
した時間にきっちりと来てもらえる、
え多くの駐車スペースを確保してい
行き先がハイツ内は片道100円、可
安全運転で安心できる、ドアツード
る(写真 13)。敷地規模が平均 200 ㎡と
児市、多治見市内は走行10km 毎に
アの送迎である、運転手が決まって
小さいHO団地でも4 分の 3の敷地は
150円。送りは前日までに予約し、帰
おりコミュニケーションが取りやす
3 台以上確保して、実際に90%の世
りはその都度連絡して、往復が原則
い、対応が親切などの意見が出され
帯が 2 台以上を保有している(図 11、写
である。利用日は休日と土曜日、日
ている(図12)。
真 14)
。玄関前には緑地がとれず自動
曜日を除く平日のみ。運行に問題が
アンケートによると、ボランティア
車がずらりと並ぶ光景を目にする。
ないことを市役所を通じて陸運局に
運転手の1カ月の走行距離は、1 名が
桂ケ丘では駐車場はあまり目立たず、
確認している。
400km、そ の 他 の 4 名 は1,000km 以
道路側に石垣も残されている。しか
2011年 3 月1カ月(登録会員数 134
上、移動支援に使用した走行距離の
し、自動車を使わないと日常生活が
名)の運行実績は、延べ利用者人数
割 合 は 25 %、50 %、72.5 %、75 %、
不便なことには変わりない。
265 名、うち桜ケ丘ハイツ内が 69 名、
90%であった。1カ月のボランティア
ハ イツ 外 が 196 名、 延 べ 走 行 距 離
日数は、少ない方で 7日、最も多い
移動支援とは
4,942キロ、ガソリン代約11 万円であ
人は 22日、平均14日で月の半分はボ
高齢者の日常生活の足をサポート
る。アンケート(2009 年10 月、利用
ランティア運転をしており、かなり
する移動支援ボランティア活動は、
者 62 人、運営者 5 人)によると、利
ハードである。
2008 年1月からまちづくり協議会の
用目的の 3 分の2は病院であるが、公
取り組みとして始まった。ボランテ
民館や団地内スーパー、福祉施設な
ボランティアと利用者
ィアによるマイカーの運行、
会員制(1
どへの利用も見られる。移動支援の
移動支援ボランティアの中心メン
バーである小山幸男さんに話を伺っ
た(写真 15)。
会員数約130 名(2011年 8 月現在)
で、ボランティアドライバーは 2 名で
はじめていまは 6 名、す べて男性、
65 歳以上で運行している。利用時間
が集中することもあるが人数は足り
ている。多くなると、利用者との関
写真13 桂ケ丘の玄関前駐車場の例
28
家とまちなみ 64〈2011.9〉
写真14 HO団地の玄関前駐車場の例
係が遠くなってしまう。職業ではな
いし自分の生活を犠牲にしているわ
した。皐ケ丘は緑が
けではない。ボランティアをやって
多く御岳山も見える。
いて一番の喜びは、こうした活動に
自分が元気なうちは
よって、ハイツの住民が「終の棲家」
皐ケ丘で暮らしたい。
としてここに住み続けられること。
桜ケ丘地区の68 歳
小山さんは名古屋市交通局で 38 年間
女性の方は 31年前に
勤務していた。桜ケ丘に住んでから、
春日井の戸建てから
住民の足を何とかしなければと思っ
引っ越してきた。以
ていた。協議会でこうした活動をや
前は自動車運転が好
ることになり、進んで参加運営する
き だ っ た が、3 年 前
ようになった。もう1人のボランティ
に病気で倒れてから
アの市川さんは、いろいろな地方勤
病 院 に 通 っている。
務を経験した後で、35 年前に桜ケ丘
最初はタクシーを使っていたが、1回
ハイツの始まりから移り住んだ。住
往復で 5,000円かかった。毎週 2回移
むなら郊外と思っていた。ここは環
動支援を利用している。毎週 3回は
境は良いが交通は不便なので移動支
弁当配達をお願いして、ヘルパーさ
援は必要だ。
んに頼んで買い物や猫の世話をして
可児市中心部の病院のロビーで、
もらっている。ときどきは息子や嫁
公園づくり
利用者の皐ケ丘の女性(70 歳)の方
が世話に来てくれる。自分の自由な
開発企業・不二企業が経営破綻し
にお話を伺った。
生活を楽しんでおり、近所付き合い
たため、桂ケ丘に用意された12 ヶ所
自分でできることは自分でやるこ
は苦手だが、運転ボランティアの方
のポケットパークのうち4カ所が未整
とにしているが、月2回の病院の送り
と話しているととても勉強になるし
備のままとなった。
「桂ケ丘公園づく
迎えをお願いしている。以前はタク
楽しい、世界が広がる。移動支援の
りわくわくワークス」は、公園づくり
シーを利用していたが、近いところ
おかげでリハビリもうまくいってとて
を中心とした個人参加の組織で、自
だといい顔をしてくれないし、費用
も助かっている。
治会はじめ諸団体とも連携して、3 年
負担も大変。運転ボランティアは信
ご自宅でお話を伺った皐ケ丘の女
前から活動している。可児市内の国
頼でき安心して利用できる。ハイツ
性は足が不自由。名古屋市内のマン
際園芸アカデミーの教員学生が協力
に入居して23 年になる。移動支援が
ションから23 年前に移住してきた。
して、調査、計画、デザインを進め、
ないと坂道が多い団地での生活は難
都会の便利な場所といっても、地下
市役所の支援も得て、資材を購入し
しい。自分の家の庭の管理も大変に
鉄に乗るにも町中はどこも階段があ
て、住民が自力で公園整備を進めて
なっている。買い物は生協に配達を
って自由に施設やお店を使えるわけ
いる。できあがった公園は住民が自
頼んでほとんど用は足りる。マンシ
ではない。今は1人で住んでいるが
主的に管理する。こうした公園づく
ョン暮らしが長かったが妹さんが可
車は運転できない。通院、買い物、
りを通じて、身の回りの環境を知り、
児市内に住んでいたこともあり移住
文化活動で週に1、2回移動支援を使
行政任せにせずできるところから改
っている。以前はタクシーだった。
善していく。毎月1回、住宅周辺の
移動支援がなければここでは生活で
道路清掃などにも取り組み、活動は
きない、本当に感謝している。
ホームページで公開し印刷したニュ
可児市西可児地区には丘陵地に住
ースを住民に届けている(写真 16)。
写真16 わくわくワークスのホームページ
ボランティア活動が支える
─環境改善など
宅団地がいくつもあり、合計 2 万人
写真15 移動支援の車に乗り込む。ボランテ
ィアの中心メンバー小山幸男さん
以上の住民が団地で暮らしている。
「わくわくおとな塾」など
ここで、地区社会福祉協議会が今年
桜ケ丘ハイツでは、10 年前から小
から1つの団地に限定せず、移動支
学校での校庭キャンプが、大勢のボ
援に取り組むという。
ランティアの協力で行われている。
家とまちなみ 64〈2011.9〉
29
今年のキャンプでは 400 人以上の子
わくわくおとな塾を自分で始めてか
あり行動であるように思う。ボラン
どもたちが参加した。子どもたちに
ら、活動が広がったという。
ティア活動によって、人に与えるだ
とっては夏一番の思い出になる。ま
桜ケ丘公民館では、
20 年前から「桜
けではなく、活動参加者はそこから
た、団地内の農業溜池の自然環境を
ケ丘大学」が毎年開講されている。
多くの喜びを得ることができる。ま
守るために、
「一ツ谷ため池の会」が
2011年度企画では毎月1回、計 12回
た、自己実現の場でもある。
あり、ハイツ外の団体や農村部の人
で健康講座、芸術音楽、まちづくり、
しかし、地域ボランティア活動が
たちや団地内ボランティアとともに、
人生・生活、バスでの館外学習も2
活発になり、地域での支え合いを進
大掃除と自然観察を行っている。
回組み込まれている。2010 年度の学
めるには、熱心で継続的な働きかけ
桜ケ丘公民館を会場にした「わく
生は 92 名、うち皆勤者は 29 名と熱心
が必要だ。公共の支援は、ハードへ
わくおとな塾」
(今年で 44回目)では
な学生が多い。公民館行事ではある
の公共投資から比べれば微々たる金
さまざまなテーマでの講演会や文化
が、受講生が企画・運営していると
額である。しかしこうした支援の仕
活動に取り組んでいる。行政の生涯
ころに特色がある。
組みがきわめて重要だ。資金的な支
学習の企画は魅力が乏しく、地域の
援だけではなく、制度たとえばまち
人々とくに団塊世代が一緒に学ぶ場
ボランティア精神
づくり条例、施設たとえば公民館や
があると良いと考え、始めた。こう
桜ケ丘ハイツで行われている多様
集会所、社会組織たとえば自治会や
した活動の中心を担っている田原理
で多彩なボランティア活動、住民の
地区社会福祉協議会などが有効であ
香さん(皐ケ丘)は、また、桜ケ丘
自主的なまちづくりの取り組みから
る。人々は何らかの取り組みをした
ハイツまちづくり協議会、ハイツ自
どのようなことがわかるだろうか。
いといつも考えている、その方が普
治連合会(3自治会の連合組織)
、地
1つの地域で暮らすには、住宅さえ
通である。ただし実際に行動できる
区社会福祉協議会、地域づくりフォ
あれば良いというものではない。ま
かどうかは、個人のメンタリティとい
ーラム(可児市、多治見市の職員、
ず、自分個人の暮らしや生き方が大
ろいろな条件で左右されるけれども。
市民、議員などが参加した交流、学
事だ、次に家族と仲良くやっていき
習組織)の会長も兼ねるなど、さま
たい。とくに高齢になるとご近所や
ざまな地域活動を活発に取り組んで
地域での助け合い、支え合いがない
いる(写真 17)。
と暮らし続けることが大変になる。
不二企業のまちづくり
田原さんは、何が必要か、何が大
生活移動、家や敷地の維持管理など
あらためて、簡単にハイツのまち
切かを常に考えストレートに行動す
がだんだん大変になることもあるが、
づくりの歴史的な流れを振り返ろう。
るというスタイルでボランティア活
なによりも、生活を楽しみ、ご近所で
桜ケ丘自治会は入居開始 2 年後の
動に取り組んでいる。男社会の論理
一緒に暮らして、知り合いがいてお
1976 年に設立、桜ケ丘連合自治会は
と衝突する中でいろいろと学んだ。
互いに心配し合っている感じが大事
皐ケ丘入居に合わせて1982 年に設立
今の活動を始めるきっかけは小学校
だ。また、いろいろな生活の楽しみ
された。自治連合会は自治会の連絡
の PTA 会長を引き受けてからだが、
や気分転換なども、1人よりも地域の
組織だが、独自の予算と組織を持っ
方がよい。
ている。設立当初から病院建設反対、
もう1つは、ボランティア活動は無
道路改良要望や、地区計画の制定な
償の、報われない奉仕活動ではない
どに取り組んできた。当初、桜ケ丘
ということだ。運転ボランティアの
では不二企業が法律に基づかない建
方は将来自分が運転できなくなった
築協定を導入していた。皐ケ丘地区
ときに、このような仕組みがないと
では、建築協定では不安ということ
自分自身が困るため、ボランティア
で、1986 年に連合自治会内に地区計
をしているという。社会の基本とな
画策定委員会が設けられ、都市計画
る人間関係、人のために生きること
法による地区計画が 1988 年に指定さ
が自分のためでもある、といった人
れた。
間的な本来的性質から発した意思で
当初は不二企業にまちづくりをゆ
写真17 ため池保全活動中の田原理香さん
30
家とまちなみ 64〈2011.9〉
住民自治のかたち
だねて、自治会がいろいろな活動を
にも積極的に参画し、可児市全体の
進めてきた。下水道などの管理費の
まちづくりのあり方にも強い関心と
徴収・管理も不二企業が行っていた。
行動をとっている。
ところが、同社が 90 年代に経営困難
1998 年より桜ケ丘地区自治会を中
となり、住民の期待するまちづくり、
心に、地区計画プロジェクトチーム
まちなみ環境が守れない危険が具体
の結成、勉強会、
ニュースの発行配布、
的に見られるようになった。残され
住民説明会、地区計画策定への住民
た土地資産が整理回収機構に移管、
アンケート、市役所との協議などの
競売にかけられ、商業用地の切り売
取り組みを進めた。
りを進める方向が出てきた。また、
考える会メンバーを中心に、ハイ
汚水浄化施設等の維持管理問題、入
ツ 内 の さ ま ざ ま な 組 織( 自 治 会、
居者の高齢化に伴うまちづくり、定
PTA、商工会、老人会、ボランティ
し、機能させること、暮らしやすい地
住の地として生活環境、生活サービ
ア組織など)に呼びかけて、住民が
域を自分たちの力でつくっていき、子
スの維持・向上を図る必要が次第に
まちづくりに対して自由に話し合い
どもたちにきちんと伝えること」
(田
高くなってきた。一部の住民はそれ
をする「まちづくり懇談会・桜ケ丘」
原)
、
「高齢者問題、環境問題が重要、
までの開発企業任せのまちづくりか
が、2002 年12 月に始められた(2005
まず人々が行動的な高齢者になるこ
ら、自分たちの手による自主的なまち
年 8 月まで17回開催)
。この懇談会は、
と」
(早田)
、
「20 年後のハイツとまち
づくりの取り組みが必要と考えるよう
建設的に話し合う、個人の資格で、
づくり、新しいライフスタイルを創造
になっていった。
自由な発言、自主的な運営、結果は
したお互いが支え合う新たなコミュ
全住民に知らせるといった原則で進
ニティが築けるか」
(大竹)などの意
開発企業の経営危機と自主的な取
められた。参加者は毎回100 名超か
見が出された。
り組みの始まり
ら数十名まで、2カ月に1度開催され
不二企業が経営難から近隣センタ
た懇談会では、地域が抱えるさまざ
自治連合会からまちづくり協議会へ
ーにパチンコ店を誘致し敷地を分譲
まな問題──子育て、安全、定年後
この取り組みは、桜ケ丘自治連合
しようとしたことが(1997)
、
「桜ケ
の暮らし、バリアフリー、交通問題、
会の中に設置した「まちづくり専門
丘ハイツの街づくりを考える会」設
公園、まちなみ景観、集まる場所、
委員会」
(2005 年 6 月)に引き継がれ
立のきっかけとなった。同会は毎月1
支え合い、団地の高齢化など、住民
た。専門委員会(委員約 30 名)では、
回の定例の勉強会、見学会、シンポ
が関心を持つテーマを幅広く取り上
中長期的なまちづくりの課題を検討
ジウムなどの住民参加の学習活動や
げた(写真 19)。その結果は「ニュース」
して、ニュースを発行し「桜ケ丘ハ
写真19 団地内のバリアフリー点検活動
「まちづくりニュース」を発行した(写
(A3、両面)にまとめられ、メンバー
真 18)
。同会のメンバーはいまの桜ケ
が直接、定期的に全戸配布した。会
(2006 年 3 月)をとりまとめた。桂ケ
丘ハイツのさまざまなまちづくり活
のメンバーはまちの様子と変化を肌
丘では、地区内の近隣商業地区の将
動の中心的な役割を担っている。ま
で知ることができた。
来利用に不安を持った住民は、地区
た、可児市の各種委員会の公募委員
考える会の資料(2003 年12 月)に
計画改正に向けて検討を始めた(写真
よると、まちづくり懇談
20)
。2006 年に全世帯を対象としたア
会の位置づけ、まちづく
ンケートで 85.5%の賛成を得て、可
り協議会の構成と発足な
児市に働きかけて、フレンドリーガ
どが議論されている。メ
ーデンの保全を含む地区計画が 2007
ンバーからは、
「今、必要
年に改訂された(写真 21)。
なことは、このハイツ内
可児市市民参画と協働のまちづく
でさまざまな形で、地域
り条例(2004 年 3 月制定)に基づく
づくりに取り組んでいる
市内で 3 番目の組織として、
「桜ケ丘
人のネットワークを見直
ハイツまちづくり協議会」が発足し
写真18 街づくりシンポジウム
イツまちづくりプラン中間報告書」
家とまちなみ 64〈2011.9〉
31
継続は
個人にかかる、
個人負担
認められるには
時間がかかる
創造性、変化、
多様、自由、自発的、
私的想いから
理想、理念に基づく行動
個人のつながりで活動
● まちづくりの骨格づくり
●
●
個人的想いと自発的活動
社会福祉協議会と活動
●
●
写真20 地区計画などまちづくりに取り組ん
でいる住民たち・桂ケ丘
全国・全市組織
独自テーマ可能
まちづくり協議会と活動
自治連・自治会と活動
試行錯誤
行政・事業者とのやりとり
● まちの将来の設計図づくり
全住民が対象
諸団体との連携
組織としての実行
● 計画的な取り組み
●
●
●
●
正当性の
合意形成
必要
●
組織で行動、
継続性、 地域課題への
条例の支え、
対応
行政の支援
伝統的
地域組織
継続、安定、
固定、
実績主義
役員短期交代、
行政的、
形式主義
図13 街づくりの担い手と活動(田原理香さんによる)
写真21 地区計画で定められたフレンドリー
ガーデン・桂ケ丘
ちで、桜ケ丘ハイツにおけるまちづ
●
くり活動は、継続的にかつ多様に発
の共同の取り組み
異なる特徴を持つ3 住区(桜、皐、桂)
展してきた。桜ケ丘ハイツにおける
住民主導のまちづくりに対して、都
さまざまなまちづくりを担うのは
た(2007 年 2 月)
。条例の規定の曖昧
市住宅学会は 2008 年度業績賞を授与
個人的な想いを持った自発的に活動
さもあり、当初は自治会との間で摩
した。桜ケ丘ハイツにおけるまちづ
を行う個人であるが、それが組織と
擦もあったが、自治会とは異なるか
くりの特徴は次のような点である。
して活動することによって、信頼と
たちで住民によるまちづくり活動が
●
優れた住環境を求めてきた住民が居住
協同が生まれ、具体的な成果となっ
制度的に位置づけられた。現在、会
地を誇りに思う。まちの将来に危機感を感
て現れる(図13)。しかし、いまボラン
員数 35 名、お休み処部会、欅ケ丘部
じ、住環境やコミュニティを維持し伝えて
ティア活動を担っている人々の心配
会、移動支援部会の活動が取り組ま
いくべきものを共有している
は、後継者をいかに育てるかである。
れている(金子修事務局長)
。欅ケ丘
●
部会は、
「一体感のあるまちづくり」
動と地域組織が協調・協働して取り組ん
60 歳代である。これから10 年で、団
を基本目標に、欅ケ丘の中に桂ケ丘
でいる
地の高齢化が一挙に進む。その間に
と皐ケ丘を結ぶ道路など、可児市が
●
保有する道路予定地や民間企業に渡
プンで民主的な運営(会則の制定、定期
った土地の開発に係わる取り組みを
的な会議など)
、創造的で継続的な取り組
進めている(写真 22)。
み、10 年先を見通したまちづくり
●
さまざまな担い手によるボランティア活
情報共有(ビラの全戸配布など)
、オー
域の文化活動(可児市文化創造センター・
まちづくりを考える会、まちづくり
アーラなど)や制度・社会組織(街づくり
懇談会、まちづくり協議会、まちづ
条例、自治会、まちづくり協議会、社会福
くり専門委員会、まちづくりプロジェ
祉協議会等)などの社会的インフラによる
クトチームといったさまざまなかた
支えと活用
家とまちなみ 64〈2011.9〉
どのようにまちづくりを進めるかが
施設(公民館、集会場など)
、母都市地
桜ケ丘ハイツのまちづくりの特徴
32
多くの主導的なボランティアは、50、
写真22 まちづくり協議会の会議の様子
重要だが、平行してリーダーたち、
した傾向は、初期には名古屋都市圏
若い世帯が多い団地では、コミュニ
ボランティアの担い手も高齢化して
内の郊外住宅団地としての性格が強
ティでいろいろな取り組みをしてい
いく。
かったものが、立地地域とより関連
く必要を多くの住民が感じている。
性を持った居住地としての性格が強
ゆとりある成熟した
戸建て居住地へ
くなるという、いわゆる「地域化」と
「離れ」住宅
いう性格の変化だと考えられる。
ゆとりができた住宅地では、いろ
桂ケ丘と近接するHO団地の比較
いろな住まい方ができる。2 宅地を保
郊外団地の「地域化」とコミュニ
調査を行った(2008)
。桂ケ丘は 94
有してゆとりを持って暮らすという
ティの重要性
年から入 居開 始、2007 年 現 在で 約
場合、積極的な家庭菜園の場合は良
桜ケ丘地区住民アンケート調査
370 世 帯、1,100 人 が 生 活し ている。
いが、老後の維持管理だけを考える
(2007)では、名古屋市からの入居が
平均敷地面積は 320 ㎡と広く、世帯
と大変。遠郊外に位置する茨城県の
約 3 分の1、名古屋市に近い春日井市
主年齢は 30 代から50 代まで幅広い。
ある住宅団地では、販売不振から2
からの入居を合わせると過半数で、
収入階層も高く、勤務先は可児市内
宅地販売や高齢者向けに平屋で小規
可児市内からの入居は 5%にすぎな
と名古屋市が各 20%、前住所は可児
模な住宅を販売して、一定の成果を
い。 入 居 後 30 年 以 上 が 31%、25−
市内が 20%と広域的な需要に対応し
上げたという。
30 年が 28%と比較的長く住んでいる
ている。入居動機はまちなみの良さ、
桜ケ丘の高相建司さん夫妻(前述)
住民が多い。勤務先は可児市内が 14
宅地の広さ、自然環境の良さが大き
は、1軒おいて隣の住宅所有者が海
%と少なく、名古屋市が 36%である。
な理由となっている。
外に転居するために売却するという
60 分以上の通勤時間は 32%、通勤手
HO団 地は 2005 年から入 居開始、
ので、所有者と相談して買い取るこ
段は自動車が 59%、電車は17%であ
2007 年 現 在 約 200 世 帯、650 人 が 暮
とにした。平屋建てで大工さんが丁
る。当初の分譲の狙いに沿った状況
らしている。平均敷地面積 210 ㎡と
寧に建てた家が気に入ったこと、今
となっている。
やや狭く、すべて建売住宅である。
の家が 2階建てで老後には住みにく
最も新しい桂ケ丘はかなり異なる
世帯主の年齢は 30 代前半、子どもは
くなると考え、老後の住まいとして、
傾向にある(表 2)。近年入居が進んで
5 ∼ 8 歳に集中しており、平均収入は
すぐ近くだが当面は別荘的に使うこ
いる桂ケ丘では、ハイツ内(桜ケ丘、
桂ケ丘よりやや低い。勤務先は名古
とを考えた。御主人が現役時代は週
皐ケ丘)からの団地内転居が 11.7%
屋市内が 15%、可児市内が 35%であ
末の自分の時間を過ごす家として使
と多い。これは、初期開発地区より
る。入居動機は、価格が適当(概ね
ってきた。退職後は、いろいろな使
も敷地規模が大きいだけではなく、
2,500 万円)と新しい団地だったこと
い方をしている。最初は桜ケ丘公民
世帯分離による近居の傾向も示して
が大きな理由となっている。
館での「わくわくおとな塾」に来た
いると考えられる。可児市内からが
両団地住民とも、日常の買い物の
フォークシンガーの高田渡が泊まっ
20.8%、多治見市や土岐市など近接
ほぼ 100%が自動車を利用している。
た。その後、可児市文化創造センタ
地域からの入居も約 25%ある。こう
継続的な居住のためには、日常的な
ーの事業で長期に滞在するアーティ
買い物、医療施設、安全性確
スト、演出家などのゲストハウスと
(%)
前住所
桂ケ丘
桜ケ丘
保が重要と考えており、古い
して利用している。また、高相さん
2008 年調査
2003 年調査
団地住民と一致している。た
たちが取り組んでいる地域ボランテ
だし、小学校まで 3km 以上の
ィア活動の相談場所、地域の気の合
HO団地では近所付き合いが
った人たちと音楽やいろいろな話を
もっとも重要と考えている。
する場にも使っており、
「離れ」と呼
か つての 不 二 企 業 のように
んでいる(写真 23)。
桜ケ丘ハイツ内
11.7
0.0
可児市内
20.8
0.0
隣接市町
24.9
18.0
名古屋市
9.6
35.8
春日井市
10.7
17.9
その他岐阜県
5.1
4.2
その他愛知県
11.7
16.8
小学校までスクールバスを運
空き地と空き家
5.6
7.4
行していたが、団地が完売し
可児市と多治見市で、おおむね開
34.1
90.0
た後は取りやめてしまった。
発後 30 年以上経過した住宅団地のす
愛知岐阜両県外
99 年までの入居者割合
表2 入居前住所 資料:海道清信研究室による調査
HO団地では開発会社が当初
家とまちなみ 64〈2011.9〉
33
写真23 高相宅の「離れ」
べての宅地の空き地、空き家調査を
実施した(2005)
。可児市12,600 宅地
のうち空き地率は平均15.1%、うち
図14 桜ケ丘団地の年齢構成別推移と予測(1985,2005,2030年)
資料:海道清信研究室による調査
44%は管理が放棄された状態だった。
空き家率は 2%未満と多くない。多治
見市では、10,300 宅地のうち空き地
率は平均12.7%、空き家率は1%程度
だった。調査時点では、まだ空き家
あるいは 4 つの地区が共同して地域
百年住宅地へ
──これからの課題
の生活を支えていくためには、ボラ
ンティア活動のような自発的な取り
組みだけではなく、自治的な仕組み
が取り壊されて空き地になるケース
桜ケ丘ハイツのこれから
も欠かせない。ボランティアの後継
はほとんど見られなかった。
桜ケ丘ハイツは開発企業の志を受
者育ても重要な課題だ。
桜ケ丘地区は、空き地率は約10%、
けて、美しい環境をテーマに団地づ
最も古い桜ケ丘地区の1985 年の人
空き家率は約 3%程度だった。最も初
くりが行われ、それに共感した多く
口は約 3,900 人、約1,000 世帯であっ
期に開発された桜ケ丘1 丁目でも放
の住民が生活している。ボランティ
た。住民の年齢別人口の折れ線グラ
置された空き家が見られ、防犯上も
ア精神が高い住民による支え合いと
フは 2 つの山を描き、親世代が 35 ∼
景観上も好ましくない。こうした土
交流、改善活動が盛んに取り組まれ
44 歳代、子ども世代が 5 ∼14 歳を中
地が今後どのように利用されるのか、
ている。3 つの地区が段階的に開発さ
心とした分布であった(図14)。人口は、
あるいは放棄地が拡大するかが、郊
れてきたため、年齢構成が異なる地
2001年の約 4,220 人をピークとして減
外住宅地のこれからにとって大きな
区が 1 つの団地を構成している。さ
少を始めたが、世帯数は増加傾向を
課題となる(写真 24)。一方で、空き地
らにこれから未開発の地区が開発さ
維持している。平均世帯人員は1985
もきちんと管理されれば、一時的な
れると、今後10 年以上は新たな住民
年の3.76 人から、2007 年には 2.92 人
駐車場や緑地として有効に使われる
が入居してくる。
に縮小した。2000 年から2005 年の5
1つのまちが成熟するには、
数十年、
年間の5 歳階級コーホート変化率を
二世代は必要と考えられるが、桜ケ
用いて人口予測すると、2025 年の団
丘ハイツはそういう点では恵まれた
地人口は 2,945 人に減少し、高齢化率
条件にある。しかし、一方では、3 つ
はじつに48.3%に達する。子どもた
写真25 空き地もきちんと管理されれば環境
緑地となる(皐ケ丘)
写真26 山小屋風の住宅(桂ケ丘)
(写真 25)
。またゆとりある敷地では山
小屋風の生活を楽しむことも可能だ
(写真 26)
。
写真24 管理放棄された空き家(桜ケ丘)
34
家とまちなみ 64〈2011.9〉
郊外住宅地のこれから
デンシティ)の思想に基づいて20 世
結婚して子どもが生まれて、親が
紀はじめに開発し、現在は土地を財
ハイツに住んでいるとなるとUター
団法人が所有管理して100 年以上続
ンしたいと考える人ももちろん出て
く住宅地である。アメリカのシアト
くるだろうが、郊外住宅地にそれほ
ル市郊外にあるグリーンレーク地区
ど魅力を感じないという感覚を持っ
は、住民組織と市の都市計画によっ
た若者たちはこれから増えてくるの
て優れた住環境が守られている。い
だろうか。私の大学の講義で学生た
ずれも、優れたまちなみ景観とそれ
ちに将来の居住地選択を尋ねると、
を守る住民、権利者、行政が一体と
多くは町中よりも郊外住宅地、一戸
なって、まちづくりに取り組んでき
ちを伴った若い世代を多く受け入れ
建てを好む。これは戸建てが多い東
た成果である。
なければ、人口減少と高齢化傾向に
海地方の人々の好みではないかとい
およそ 40 年前からまちが始まった
歯止めはかからない。
う人もいる。
桜ケ丘ハイツがこれから、100 年、あ
当面の桜ケ丘ハイツにおける課題
いずれにしろ、これからの郊外住
るいはそれ以上も美しく豊かで、住
は、住民の高齢化に伴う問題だけで
宅地の行方を考えるためには、かつ
民同士が助け合い安心でき、子ども
はない。最近、桜ケ丘団地でも子ど
ての郊外住宅地が盛んに開発された
たちの声が聞こえるまちとして持続
もの声が聞こえるようになったとい
時代とは大きく状況が異なる。高齢
することを期待したい。
う。新規入居が少ない団地でも、転
化と単身世帯の増加、人口減少など
なお、本原稿作成に当たり、資料
出した子どもたちが団地内にUター
により住宅宅地需要が減少し、住宅
提供やインタビュー、現地取材など
ンして近居している例が多くの団地
宅地価格も低下する。全体では、居
で多くの皆様のご協力をいただきま
で見られる(写真 27)。
住と居住地の選択が自由な時代にこ
した。ここに厚く御礼申し上げます。
今回の調査の最後に、桜ケ丘公民
れからはなっていく。もう1つは、さ
館で夏休み中の小学校 5、6 年生とお
まざまなライフスタイルを選ぶさま
ぼしき少女たち6、7 人にインタビュ
ざまな家族のかたちが一般的になる
ーした。
「さっき、9 丁目を歩いてい
だろう。生活の利便とにぎわいのあ
たおじさんね」としっかり見られて
る町なか居住や都心居住が増加する
いた。桜ケ丘ハイツを出て、将来結
再都市化の時代か、それとも住み分
婚したときに、また、ここに住みた
け、住みこなしの時代か。
いと思うかと聞いてみた。
「夫に聞い
しかし一方では、どこに住もうと
てみないと」と、はじめはおませな
自分の暮らし方、仕事のスタイルに
ことを言う。重ねて聞いてみると誰
ふさわしいところを選ぶべきだし、
も入居したいと言わない。少し驚い
家族の支え合い、地域コミュニティ
た。こんなにおとなたちがボランテ
での支え合いが乏しければ、ひとが
ィア活動などいろいろな取り組みを
生きていくのは困難だ。これから数
して、景観や緑が美しい団地なのに
十年かけて、成熟し世代交代してい
どうしてだろう。彼女たちの言い分
く住宅地として持続していくために
は、ここには何もない、賑わいがな
は、従来の郊外住宅団地としてのあ
いから、住むなら都会がいい。ショ
り方にとらわれず、多様な価値観の
ッピングセンターのスーパーも魅力
人々が共に生活できるような環境や
がない。タウンセンターや欅ケ丘な
仕組み、取り組みが求められている
どにショッピングモールができるとう
ことは確かだろう。
れしいと言う。
イギリスのレッチワースは、エベ
写真27 皐ケ丘の通りと家族の散歩
ネザー・ハワードが田園都市(ガー
海道清信(かいどう・きよのぶ)
1948年石川県金沢市生まれ。京都
大学工学部建築学科卒業、同大学院
博士課程修了。地域振興整備公団入
社、20年間勤務後、名城大学都市
情報学部助教授を経て、現在、同教
授。博士(工学)
。主な著書:
『コン
パクトシティ』学芸出版社、
2001(日
本不動産学会著作賞)
、
『シリーズ地
球環境建築・専門編1 地球環境デ
ザインと継承』
( 共 著 ) 彰 国 社、
2004、
『創造都市への展望−都市の
文化政策とまちづくり』
(共著)学
芸出版社、2007、
『コンパクトシティ
の計画とデザイン』学芸出版社、
2007(国際交通安全学会著作賞)
、
『人口減少時代における土地利用計
画』
(共著)学芸出版社、2010
家とまちなみ 64〈2011.9〉
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