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あーとてるの旅1 - あーとてるの部屋

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あーとてるの旅1 - あーとてるの部屋
あーとてるの旅1
あーとてる最初のツアーは,1988 年 2 月 イギリスのロンドンでした。
参加者は,山口さん,荒木さん,早稲田大学法学部 1 年の八木君,アルバイトのゆかりち
ゃんと私の 5 人でした,皆若いので旅費を安くしてくれとの要望で飛行機はソ連のアエロ
フロート,ホテルはロンドンの知り合いAOIINTERNATIONALの清水映二君
にホテルを取ってもらった。 Qeen`s Gate にある小さなホテルレキシントンの6泊7日の
旅でした。
山口さんと荒木さんはビートルズの誕生したリバプールに,私とゆかりちゃんはパリへ,
ゆかりちゃんはファッションデザインの専門学校で勉強中。目的のある人は自由行動でか
ってに行動する事にした。
ロンドン到着後にロンドン名物のタクシー,地下鉄,二階建ての W デッカバスに乗った
り,キングスロードで若者のファッションを見たり,PUB でビタービールを飲んだり,山
口さんと荒木さんはデパートで本場のイングランドスーツの仕立でを注文し帰国前日にホ
テルに届け出でもらった。ロンドン 2 日目は,山口さんと荒木さんはリパブールに電車で
出かける,私とゆかりはパリに出発,八木君はロンドンを一人歩き,初めての海外旅行で
皆勝手に好き勝手に行動できるとは素晴らしい。ロンドン3日目は全員そろう,夜はアオ
イの清水さんや鈴木さんにカジノに連れて行ってもらった。
皆海外旅行が初めてなのでお土産に困っていた,アオイの清水さんが明日で店をしめる
カシミヤの店を教えてくれた,カシミヤのセーターが 5 万円するものが 2 万円で売ってく
れるという,10 枚頼むとマフラーも 10 枚付けてくれたこれはサービスだった。後日談・皆
洗濯機で洗ってしまって着れなくなったと聞いた。成田空港に到着,預けた荷物が出てき
た時にゆかりちゃんが,かばんが壊れていると言って泣きだしでしまった,税関検査が終
わって外に出てかばんの監査をした所,またゆかりちゃんが泣きだした,お土産に買った
ウイスキーや小物雑貨が無くなっていたらしい,なかなか泣きやまないので皆で買ってき
たウイスキーや雑貨類を分けであげて泣き止むのを待っていました。
ゆかりちゃんの旅行メモより
TO LET で 知っていますか・・ロンドンの街中でよく見かけました,八木君はトイレ
だと思ってあっちへウロウロこっちへウロウロ何しているんだと聞いたらトイレを探して
いました,TO LET は売り家の看板なんですって。
八木君我慢できなくなって近くにあったピザハウスに飛びこんでトイレを借り,トイレ
から出てきてこのまま帰れないのでピザを食べたんです,勘定を払う時イギリスのお金と
一緒に知らないで100円玉を渡したんです,そしたら店主に腕をつかまれてこれは何だ
っで聞かれだんです,八木君・これは50ペンスっで日本語で答えているんです,通じま
せんよね・・・・
荒木さんと山口さんはロンドンの高級ストリップ劇場レイモンド・レヴューバーに,マ
スターは清水さんや鈴木さん達とカジノとパブへ私と八木君とロンドン滞在のさっちゃん
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と 3 人ディスコへ出かけました,11 時頃踊り疲れてホテルに帰る途中ピカデリーサーカス
を歩いていると山口さんとばったり・・・顔を見てビックリ,目が血走っているの
こわ
ーい・・・・
パリの車,傷の付いていない車は 1 台も無いみたい,ホテルの前に駐車していた車が出
ようとしているのですが車間距離が無いのでどうやって出るのか見ていたんです,そした
らいきなり前進して前の車にドスーン,後ろにさがってドスーンぶつけでいるんです,私
ビックリしちゃって・・その車がやっと出られると私に向かってウインクして走って行っ
てしまったの,車のバンバーどうしくっついているのもあるし,運転する方向が向かい会
っているのもあるし,パリでは少しでも空間があるとドスンドスンとぶっつけで駐車して
平気なんだから,面白い・パリって
モンマルトルの丘に行ったときです,テルトル広場に各国の絵描きさんがたくさんいる
んです,その中に日本人の絵描きさんも 4 人いました,マスターの知っている大木さんも
いました。日本人観光客もたくさんいて,私達を見るとまた日本人に会ってしまったとい
う感じで顔をそむけるの
とってもいやな感じ
挨拶ぐらい出来ないのかしら 同じ日本
人なのに・
サクレクール寺院の前でクレープを歩きながら食べていたんです,レモングレープなの
で汁がたれ落ちてるのをしらなっかたの,ロンドンで買ったばかりの革ジャンが真っ白に
なっていたんです,くそー・・・・・
ロンドンに着いて 3 っ日目頃から荒木さんと山口さん,おかしいんです 疲れた感じで
青白い顔なんです,声が上ずっているの,ホームシックにかかったかな・・・最後の日荒
木さんひとりでサッカー見にいったんです,目的がサッカーを見ることだったんです,ロ
ンドン最後の晩はインドカレーを食べに行ったのですが,その時珍しく元気が出てきたみ
たい,明日
日本に帰れるからかしら。
そうそう大変な事忘れじゃいけない,マスタ
ーとパリのオペラ座にオペラ座の怪人を見ようと行ったのですが,オペラ座の怪人はやっ
ていなくて他のものをやっていたんです,オペラ座のなかに入って見たかったのでマスタ
ーに頼んで見ることにしました,チケットは3階の5人室でまん中の席でした,オペラが
始まってしばらく見ていたらマスターが寝ているのです,それもイビキをかいて,個室で
結構部屋が暑くで疲れていたのかしら。
2回目はその年の 6 月香港でしだ,1976 年に一度来たことがあるので今回,2 回目です。
岡林ゆかりと二人旅,前回ヴィクトリアビークに行けなかったので早速いってみた,香
港が見渡せる素晴らしい景色だ,帰り際アバディーンにある水上レストランに行ってみた,
レストラン迄小船に乗って行くと JAMBO という大きな店があって 2 階の席に案内された,
お腹一杯になり帰り際新しい箸をくれました,その後女人街に行ってひやかしながら屋台
の店をみてまわった。翌日は買い物がしたいというのでスタンレーストリートを歩く,何
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でも安い,紫色のシャツが 1000 円しない,サイズが分からないので LL とか XL を 10 枚
ほど買っておきました。
帰りのタクシーでセントラルに行ってくれと頼んだがぜんぜん
分かっていない,めんどくさくなっでマンダリンホテルと言うと分かったと言って走り始
めた。九龍地区により東急デパートとに行ったががらがら空いていて面白くなかった,ネ
イザンロードに出て二階にある飲茶の店に入る,お客さんがまばらで空いていたが,飲茶
がとっても旨かった。
ネイザンロードから裏にいくと市場があった,魚,豚,鶏,生きたものまで売っていた,
前回来たときより治安が良くなっていて,どんな所にもいけるようになっていた。
ゆかりちゃんの旅のメモより
香港で安いか高いかがはっきりしているのでショッピングが楽しかった。ブラダが好き
なのでブラダの店に行ったのですが,日本に売っていないものがあって楽しかった,
日本で話題になっている101
毛生え薬が香港で販売しているという情報をマスター
が調べてきたらしく買いに行こうと連れて行かれました,私には関係が無いのにね,香港
島の松坂屋の隣のビルにその会社があったんです,4階までエレベーターで上がったんで
すが,マスターのメモと会社の名前が違うんです,住所はあっているのにおかしいと思っ
たのですがマスターは近くのドアを明けで勝手に入ってしまい受付の女性に聞いていまし
た,そしたらここで売っていると分かり2本も買っていました,ほんとうに効くのかしら。
3回目は同じ年の 11 月お隣のおすし屋さんのマスターと二人旅で韓国のソウルへ,1976
年にモハメッド アリに同行以来 12 年ぶりのソウルです,金浦空港からタクシーでソウル
ガーデンホテルに,タクシーに乗るとエンジンの音がうるさいやっと韓国で自国産の車が
街を走れるようになって間もないからしょうがないと思った。ホテルで少し休んでから歩
いてソウル駅へ,歩いていると結構面白い,リヤカーに積んだレンタンはもう東京で見る
ことが出来ないだろう,
お店も 1940 年から 50 年代東京の下町に有ったような造りだった,
教会も目に付いた,キリスト教の信者も増えていると聞いた事があった,ソウル駅はクラ
シックな駅舎,表階段から上がり 2 階の切符売り場と改札口は改装したばかりらしくとて
もきれいだ,歩いてロッテのデパートに,あーとてるで知り合った朴さんが経営している
喫茶店に行ったのですが朴さんは今日は来ないという事でデパートを後にして南大門市場
に歩いていたら,若い女性に声をかけられた,日本語の勉強をしているので話をしたいと
言ってきた,我々はお腹が空いたので焼肉のおいしい店を案内してくれと言うと,南山に
あるから行こうとタクシーを拾って店までいく、タクシーを降りて細い路地に入るとすぐ
に焼肉店があった,入り口は小さいのに中に入ると店内は広かった,いろいろ注文して焼
肉の食べ方を教えてもらった,ソウルで始めて食べる焼肉カルビははさみで肉を切るのだ,
なんでこんなに旨いのか,ソウルの焼肉のファンになってしまっだ。
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食べ終わってからカラオケに行く事になった,韓国ではクラブだと言う,隣のマスター
はフランク永井の歌を,私は小林旭の歌を,ビールとスルメに韓国のり,そしてフルーツ
の盛り合わせ 一人1万円だ,ここで女性二人と別れてホテルにかえった。朝昨日の女性
から電話でソウルを案内してくれると言う,ロビーで待っていると二人がやって来た,南
山タワーからソウル市内を見る,再びロッテデパートに行ったが朴さんが来ていない,南
大門に行って革ジャンを買う,屋台で飯を食べ女性達と別れる。夜はホテルの上階のレス
トランでテーブルの上にたくさんの料理が並べられた宮廷料理を食べた。
4回目は翌年 1989 年 1 月に丸正西新宿店の石原さんとソウルに,10 人位のツアーに入
れてもらった,成田空港の搭乗待合室で石原さんビールを何杯もお代わりして飲んでいる,
朝からよく飲めるものだと関心していた,私はコ-ヒーだけで充分,ソウル金浦空港に着
くと女性ガイドさんが待っていた,空港から市内へ2軒の免税店に連れて行かれるが誰も
何も買わなかった,ヒルトンホテルでチェックインが終わってからガイドさんはここまで
て仕事は終わり,夜どこか行きたい人は私がご案内いたしますと言ってナイトツアーの募
集をしていた。部屋でビールを飲んでから散歩しようとロビーに行くとさっきの女性ガイ
ドがいて我々の顔を見て寄ってきて何処へ行くのか聞くのでロッテデパートに行くと言う
と私が案内しますと言ってタクシーを呼ぶ,ロッテデパートで私は朴さんの店に石原さん
とガイドと別行動,待ち合わせ場所に行くとガイドがデパートの袋を持ってニコニコして
いた,ホテルに帰ると女性ガイドは7時にお迎えに来ますといって帰って行った。
石原
さんは女性ガイドに下着を買わされてしまったと苦笑いして話をしてくれた。 7時にロ
ビーに行くとツアーの参加者全員待っていた,ホテルの前のカラオケやにいって歌を歌い,
腹が空いたので焼肉やさんに連れて行ってもらう,すごく混雑していて席が無くカウンタ
ーで食べる事になった,ビールを飲んでカルビを食べて勘定は85000ウオンだった,
ガイドさん入れて11人,一人1000円もしないのだ。
朝食はホテル内のレストランでバイキングスタイルの洋韓中だった,私はいつものコー
ヒーとパンにオレンジジュース,石原さんは朝からビールにおかゆにキムチすごい食欲だ。
今日の予定はツアー客と石原さんは仁川に行って生たこの刺身を食べに行く,私は皆と別
行動で不動産屋めぐりする。イテオンにある不動産屋に電話すると日本語の話せる人が来
てくれという,タクシーで行くと店の前で待っててくれた,店内に入ると女性のポートレ
ート写真が100枚ぐらい壁に貼ってあった,あれ ここは不動産屋じゃないのと聞くと,
不動産屋もやっているが TV タレントやモデル斡旋の事務所でもあると。
カラオケのみせをソウルでやってみたいのだがいろいろ教えてくださいと話を持ちかけだ,
いろいろ話を聞いていると店を買うなら韓国人名義にしないと出来ない,店舗は500万
円ぐらいからいくらでも,従業員の給料は固定給10000円位でチップがほどんどで安
くあげられると,結構面白い。話を聞いていたら若い女性が入ってきた,黄さんと紹介さ
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れた,黄さんもカラオケ店を持っていて,ファッションモデルもやっている,この事務所
に所属しているもし良かったら一緒に黄さんの店に行ってみたらと,不動産屋から歩いで
すぐのイテオンの通りの2階に有った,店はそんなに大きくなくモニターが6台もあった,
ここで黄さんが教えてくれた。韓国人は50000ウオンで日本人観光客は一人1000
00ウオンと言う値段をつけている事を。
黄さんにヒルトンホテル迄送ってもらって部屋で黄さんとビールを飲んでいると,仁川
から石原さんたちが帰ってきた,部屋を空けて石原さんが入ってくるなり黄さんを見るな
り出て行ってしまった,勘違いされてしまった。
夕食後に石原さんと南大門市場に行ってキオスクみたいな売店でビールを買い屋台で煮
物を食べる,ソウルの夜は寒い,屋台のテントの隙間風にいたたまれずあまりの寒さで長
居はできずホテルにかえった。
5回目もソウルに,2 月にロッテワールドに泊まるツアーがあると言うので参加する事
にした,このツアーは浅草の仏壇やさんがほどんどの8人と私,ホテルに着いて部屋から
見えるのはロッテワールドの遊園地が工事中であった,5月にオープンすると聞いた,金
さんに電話を入れると夜9時ごろなら会えるからホテルで会いましょうと,金さんはロッ
テデパートの中で喫茶店をやっている朴さんの友たちであーとてるでギターを弾いて歌っ
てくれた歌の上手い人だった,
まだ時間がありすぎるので,有野さんに頼まれたお寺の写真を撮りに行く事にした,ホ
テルを出ると地下鉄の入り口があった,開通して間もないので乗ってみた,昼間のせいか
乗客が少ない,車両はどっか他の国で同じような車両に乗ったような気がする,途中の駅
で降り地図を広げて見ていたら人がたくさん寄ってきて何処へ行くのか皆で聞いてくる,
お寺をたくさん見たいと言ったら,あそこにある,あっちだこっちだとうるさいのでタク
シーで廻ることにする,日本語の出来る運転手で助かった,最初に連れて行かれた所は仏
具店の多い所にある曹渓寺というソウルでも由緒ある寺院でした,その後景福宮の裏山に
ある寺院二つ,その頃になるともう暗くなっていてここまで,運転手に店を探しているが
どこか無いか聞いたらイテオンにあるよといって連れて行ってくれた,イテオンに近いホ
テルの裏側に地下と一階を使える大きな店だ,まだ韓国料理の店をやっていて何時でも開
けられるという,日本で日本人店長を探す事になりそうだ。
文化服装学園の留学生だった金さんと会いナイトスポットを案内してもらう,豚専門の店
で豚カルビを始めて食べる,次の店は北朝鮮のおばちゃんがやっている北朝鮮料理で水餃
子を,ものすごく旨かった。そして東大門を過ぎ梨花大学を過ぎてしばらく走ると前方に
明るくなった場所があった,そこに車を置き中を散策,やり手ばあさんが客引きをしてい
た,昔の吉原であり,オランダのアムステルダムにある飾り窓であり,タイのバンコック
にあるひな壇,でもあるような売春の館の街でした。
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6回目は 6 月に香港とマカオ,参加者は有野さん,ハワイタイムズの近藤さん,ニュー
シチィホテルのコックさん古谷君,アルバイトのゆかりちゃんに佳代子の 6 人,マカオで
はネックレスを買った近藤さんは日本で鑑定してもらったら偽者だったと,カジノはもの
すごい混雑,スロットマシンで遊ぶ。
夕方食事を終え,女人街にひやかしに行った後香港島の見える近くのカンガルーPUB に
タクシー3 台で行くと閉店間際,ビールを一杯飲んで店を追い出される,店から歩き初めて
すぐにインド人のドアボーイのいる店に入った,カラオケやさんだった,サーヴィスの悪
い店で帰る時韓国人経営の店であることが分かった,料金もぼったくり,ひどい店に入っ
てしまったのだ。
帰りの全日空機我々はエコノミークラスの後ろ座席に座っていたのですが,香港を発っ
て機内食が出て食べ終わった頃天井から水が落ちてきたのです,スチュウワデスが長い棒
と雑巾で天井を拭き始めました,すると反対側の席の上からも漏りはじめてパニックにな
ると思っていたのが皆冷静だった。
7回目個人旅行でロンドンとパリ,1989 年大晦日から出発,暮れに腰を痛めたので全日
空のチェックインカウンターで楽な席を頼む,席の周りは日本代表の卓球選手とコーチと
監督の一団,おすしやお菓子をたくさんたべさせられ機内食は食べられないほど,マンチ
ェスターで試合があると言う。
ロンドンでは清水宅にお世話になり,途中 2 日間はパリに買い物,ロンドンに戻ってき
てから鈴木宅にお邪魔した,夜は毎晩カジノで食事。
鈴木さんがヒースロウ空港まで送ってくれて,チェックインまでしてくれた,びっくり
したのはビジネスクラスに変更になっていた。
8回目 1990 年ロンドンから帰ってきてまもなく,町内会の新年会(横浜の中華街)か
ら店に戻って石原さんと須永さんで飲んでいると油から火が出てしまって消すのに大変だ
った,そのときに顔と手に大やけど,東京医大にいって治療して帰ってくると顔と手は包
帯だらけ,3 人でシンガポールに行こうという話はとりあえず保留になった。
3 月ヒルトンホテルからリムジンバスで出発,道路はものすごい混雑していた,なんとヒ
ルトンホテルから新宿駅まで 1 時間かかってしまったのだ,
初めで乗るシンガポールエアーは,乗務員のサーヴィスの良いことに驚かされた。深夜シ
ンガポールに到着,丘の上にあるヨークホテルでチェックインする
なんと皆とフロアーは違うがすごい部屋にとうされた,ドアを開けるとバーカウンターが
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ありベットが無い,隣の部屋に行くとそこは大きなテーブルとソファだけ,奥の部屋に行
くとWベット二つ,バスルームにシャワールーム豪華なつくりのスイートルームだ,一人
で寝るのがつらい。
朝食を 3 人で食べているとき,もう少し小さな部屋にした方がいいんじゃないかと話が
決まり,ミニスイートに変えてもらったがこの部屋もすごかった,ホテルを出てタクシー
をチャーター(1日7000円)してシンガポール名物マーライオンを見る,その後にシ
ョッピングセンターがあったので寄って見たら東急が入っていた,のんびりしていたらタ
クシーの運転手が心配して探しに来た,でもタクシーに戻らずにスーパーに入って魚肉売
り場に行って蟹を注文カニチリを作ってもらう事にした,20分ぐらいで出来るといわれ
たが結局出来上がりは1時間以上かかってしまった,その間に靴下を買うつもりて靴下を
持って歩き回り,カニが出来だ時一緒に払うつもりが蟹が出来だ時には蟹代しか払わず店
から出てしまった,ホテルに帰って蟹を3人で食べたときに,靴下の代金を払ってない事
にきずいた,蟹チリは旨かった。
9回目 1990 年 6 月香港,参加者は有野さん,酒井さん(フランスで長い間一流ホテル
で修行ホテルムーリス,メリディアン等)香港は初めて,野村さん,大森さん,鶴田さん,
出口さん,森沢さん、専門学校卒の仲間,大浜さん,古谷さんは海外旅行初めて,花円夫
婦はわたしの姉。
香港では日本で決まっていたホテルとは違ったホテルに変更になっていた。
ちょっと離れたリバーサイドホテルだった。日本ではリバーサイドホテルという歌がはや
っていた頃だった。その夜は酒井さんの紹介された店に皆で香港ではまだ珍しかった二つ
に分かれた鍋の水炊きを堪能。
翌日は,有野さんと二人でマカオから中国の中山県へ,孫文先生の生家や資料館を見学,
昼飯は何も無い道路に一軒の中華料理屋に入る,デザートのモンキーバナナ,これがすご
かった,今までに食べたことが無い蜜が入っているバナナ,旨すぎた,それから蜜の入っ
たバナナを探したが二度とお目にかからない。マカオに帰るのにはまだ時間があるので,
運転手けんガイドが鉄砲でも撃ちに行きませんかと持ちかけられ見に行くつもりが自分で
も撃って見たくなり拳銃を始めて撃つ事になりました。
リバーサイドホテルは新興都市の一角にありました,周りは10階建てのアパート群で
す,夕食はホテルの近くにある大衆食堂に酒井さんと有野さんの3人で入りました,なに
を食べようかという時に酒井さん,冬瓜があるから冬瓜スープを食べようと注文した,出
てきた,冬瓜一個をくり抜いた中に野菜スープが入っていて初めて食べた冬瓜とスープな
かなかいける冬瓜スープでした。
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10回目は香港から帰ってきた翌月の 7 月,何回もチャンスを逃した北京
パリから帰国する時パリの中国大使館でヴィザを取り,パキスタンエアーで北京経由で
帰るつもりで,パリシャルル・ドゴール空港でまっていたのに,肝心の飛行機がイスラマバ
ードから飛行機が飛んでこない,一週間まだなければいけないので別の飛行機で帰国した
経験があった。
今回は一人旅,ANAの機内で私の周りは皆ツアー客ばかり,話を聞いていると各地か
ら集まった中華料理のコックさんらしい,食べる話ばかり,北京,上海,広州の食べ歩き
らしい,
前門ホテルでチェックインしていると,日本人の団体さんが入ってきた,このホテルは
京劇を上演している劇場もあるのだ。だから京劇をみにきた団体さんかと思っていた所,
このホテルの泊り客だった,4階にエレベーターで上がるとそこには,部屋の鍵を管理し
ているおばちゃんがいた,部屋番号の書いたカードを見せると,部屋の鍵をくれた。こう
いう各フロアーにいるおばちゃんがいるのは,ソ連各地,ユーゴスロバキアや社会主義国
に多かった。
部屋に荷物を置いてロビーに行って地図をもらおうとしたら,女性の小さな声で井上さ
んと聞こえた,振り向くとニコニコした同じぐらいの年頃の女性がもう一度井上さんです
かと,聞いてきた,はい,そうですがというとチュ-リッヒの片山です,覚えていますか・・
えええ・片山さんなの,おどろいだな・・あの頃とはまったくの別人だ,モデルさんだと
思っていたのに,で どうしてこんな所にいるの
仕事なの
ツアーコンダクダーにさ
れちゃった,スイスに住む奥様方のツアーで添乗員は日本人でなければだめと言うことで,
うちの会社は日本人は私だけなので添乗員にされてしまったという訳。
片山さんはスイスで一番でかい旅行会社 KUONI で働いている,チュリーヒに行くと必
ず片山さんと会って情報を教えてもらい食事も一緒によくしたものでした。 夜 9 時に飲
む約束をして私は新しく出来だ玉府井に行ってみる。
前門ホテルの前には,見本市会場や新聞社もあるが,そんなに人が歩いていない,歩道
に細長いスイカと丸いスイカが山になって置いてあった。
15 分か 20 分位歩いたろうか,急に新しい家並みの前に出だ,道路の両側はすべて新しい
店舗だ,水墨画や掛け塾に書道道具の店が多い,新しく出来たのでまだ開店していない空
き店舗も多かった。
前門ホテルの地下にあるクラブにいました,外国人入場料45元,中国人15元,店内
は場末にある食堂を大きくした殺風景な作り,ステージもありショーが楽しみだ。我々ス
イスの日本人奥様10人,片山さんと中国人ガイドは二つの丸いテーブルにステージのま
ん前だ,ビールを飲んでいると中国人ガイドが来てこれからバンドと歌手が来て歌ってく
れる,もし井上さんが歌える歌があったら歌ってくださいと言いに来た,二人の女性歌手
が何曲か歌った後にステージから降りてきて,これから北国の春を歌いますので歌える人
がいたらステージに来てくださいとガイドに言ってきた,ガイドは私の手を取ってステー
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ジまで連れて行く,北国の春のイントロが流れ始めた,歌詞を忘れてしまっていて困って
いると二人の女性歌手が,しらかば・・・と教えてくれて歌いだすとものすごい拍手が聞
こえた。
翌日このグループと一緒に万里の長城に連れて行ってもらった。
帰りの飛行機はガラガラ,エコノミークラスの一番うしろは20人も座っていないようだ,
食事が終わってコーヒーを頼んだらコーヒーとケーキを持ってきてくれて,お誕生日おめ
でとう御座います 搭乗員一同と書かれたカードも乗っていた。
ANAをよく乗ることが多いが,機長のサーヴィスが楽しい,今日は富士山がよく見え
るので横を通過しますとか,瀬戸内海の島の名前とかアナウンスして楽しませてくれた,
今回は上海に近くになると長江とか上海上空なので下を見たら上海の街が見えますとか,
面白い機長がいるものですね。
次回は上海に決めた。
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