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二 入植三十周年記念並びに佐藤組合長叙勲祝賀会(昭和五十一年)
もあるが、国策としての開拓行政を基本に県の適切な施策、入 に未知の前途を切り開く決意を披歴し記念の言葉を記す。 ずる・入植三十周年に当り各位の恩情に深く感謝するととも 組合長佐藤孝治 大八洲開拓農業協同組合 昭和五十一年十一月 植受入れの地元市町村当局の懇切な援助、さらに関係各機関 各種団体開拓者組織の指導、それにも増して地元住民各位の 数々の温情あふるる協力の賜であると深く感謝する。この数々 の厚い恩恵に報いる道は只一つ私ども心を一つにし更に前進 を続け、時代に即した組織農業をつくりあげる事にあると信 用しての確固とした指導と献身的尽力によることは論ずるま でに及ばない。開拓農業一筋に精魂を傾け、数々の業績を積 −153− 二入植三十周年記念祭並びに佐藤組合長の叙勲祝賀会︵昭和五十一年︶ 1盛大に素住台公民館で 経営不振組合の指定を受けた組合事業も経営振興対策の実 施と組合員の働きによること二十年、農畜産業の生産上昇に よりかっての汚名も返上することが出来て、経済・精神の両 面にようやくゆとりと希望の持てる五十年代を迎えることと なった大八洲開拓は、入植三十周年に当たり、春には佐藤組 合長が叙勲を受けたので、昭和五十一年十一月十五日を朴し て開拓祭と叙勲祝賀会を素住台公民館において開催した。 沈没寸前にまで傾いたこともある大八洲開拓丸がやっと三 十年の歳月をかけて大抵の荒波でも乗り切るまでの力が着い てきたことは、全て佐藤組合長のいかなる事態にも微動もし ない開拓魂の発揮と一貫した組合員の共同心と組合組織を活 30周年記念祭と同時に開拓物故者の慰霊祭も挙行した。 写真(下)は焼香する佐藤組合長 んできた組合長が今回勲五等双光旭日章を受賞したことは組 合員には二重の欣快であり、組合長に心から祝福と感謝の意 を表し記念式典と祝賀会を真実ともに盛大に挙行することが 式典であいさつする佐藤孝治組合長 Id11rr l ● ﹃一 謹 できた。 祭日には例の通り開拓物故者の慰霊を勤め、式典では、入 植後ご指導を賜った行政、開拓団体等に在職された十一名の 一 』 方をはじめ、ご支援いただいた地元関係九名並びに二団体の −1 F j I 一一字 高橋実行委員長のあいさつ 来賓としてあいさつする会田源一郎守谷町長 皆様に感謝状に添え記念品を贈呈して感謝の意を捧げた。 守 組合内では農業経営の業績の優れた者及び永年勤続の役職 j■4日日 一 二 −154− 員に表彰状を呈して労をねぎらった。 宴会場は公民館前広場で、 q9 0︽E も︽巳■Ⅱ # O GGや 一蕊 .●6貝小 海老原利夫氏(元県南地方事務所)に感謝状を贈呈 組合員・安孫子正一氏に表彰状を贈呈 青空バーベキュー料理で接待 しながら、仮設の舞台で組合 員の素人演芸を披露した。 翌日は、 組 合 員 の 郷 里 か ら 蕊 4軒? AhBる ■も、弓 入 り 雀 篭 鵬 参加した縁故の方達を鬼怒川 4 凸 温泉の一泊旅行に案内して、 慰安を兼ね、入植当時の苦難 な時代ご支 援 下 さ れ た 厚 意 に 対し感謝の意を表した。郷里 の人達も貧しい入植当時より 開拓も変わ っ た の で 満 足 さ れ q沙 & 匹 ● 融 2 日一 l l 〃 ?翌9, I ■ ’ し 一 h ー 一 ウ 一 L 盛大に祝賀会開く 30周年記念・組合長叙勲祝賀会会場の門 演芸会で歌を披露する佐藤孝治組合長 ー 組合員による演芸 別 一 苧豐調 、 『 轡 I “ ともに喜ぶ祝麓会場 バーベキューを囲んで 厚翼守 f 零 鑿 § ] , 銅 ー脚 7 , 、 声 廟 155− 要遡 =・M 記垂 曙 花瓶︶を贈呈して、かつてない大きい催しであったにもかか 家族二百名程度、欠席者を含め六百名に対し記念品︵九谷焼 来場者は、来賓、外来者が四百五十三名、組合員七十八名、 る光栄で、皆々様の御支援の賜と謹んで深く感謝申し上げま 日章を受賞する栄誉に浴することができましたことは身に余 重ねて春の叙勲に際し不肖佐藤が勲五等に叙せられ、双光旭 念式典において大八洲開拓農協が農林大臣賞を受賞いたし、 そのうえ、今年三月十八日に行われた全国開拓三十周年記 わらず無事に終了することができたことは、各部署の組合員 す。入植以来わずか三十年でここまで来ることができました たのではなかろうか。 一同の働き並びに参列者の方々のご協力のおかげと心から感 ことは、組合員の諸君がその間幾多の困難を克服して頑張り れに基く県のあらゆる開拓施策、関係市町村当局の暖かい受 の混乱期にもかかわらず国策として開拓行政が樹立され、そ 貫いてきた結果もその要因の一つではありますが、戦後のあ 謝した次第である。 2佐藤組合長の式典挨拶 昭和二十一年九月終戦後一カ年の流浪避難の生活を経て、 まる数々のご援助の結果であり、私どもの生涯忘れることの ご協力の賜であり、それにも増して入植地域の皆様方の心温 入れ態勢並びに関係各機関各種団体のご指導と開拓者組織の 生き残りの者が故国に引揚げ、十一月当地に開拓再建を志し 出来ない最大の恩恵でありました。 I大八洲開拓三十周年を迎えてI て入植してから最早三十年になりました。満洲開拓時代﹁開 このご恩に報いることは私ども一生を通しても決して果た し得るような生易しいものとは思っていませんが、現在の私 拓三代﹂という開拓者に対する戒めの言葉がありました。 開拓という至難な仕事は三代かからなければ成功しないと これからも生涯をかけ、否、孫子の代までかかっても一つ どもでは報恩どころかむしろ邪魔者にならなければ幸と考え それが、戦後国内開拓三十年経った今日、入植当時予想も でもよい開拓をさせてよかったと言われる仕事を残したいと いう意味に受取り、私どもも三代かかっても頑張り貫く覚悟 しなかった生活に不安のないまでに農業の基盤を作ることが 念願しているものであります。今まで長い間の皆様方のご厚 ています。 でき、本日ここに皆様とともに開拓三十周年記念式典を行う 恩に重ねて感謝申し上げるとともに本日の記念祭を契機に私 で開拓の道を歩んできました。 ことを得ましたことは感慨ひとしおのものがあります。 −156− ども決意を新たに前進を続けることをお誓いいたし、皆々様 の今後とも変わらぬご指導ご鞭燵を賜りますようお願い申し 上げご挨拶といたします。 昭和五十一年十一月十五日 大八洲開拓農業協同組合長佐藤孝治 月開催の入植式の開催以来開拓記念祭、年忌またはお盆など 三開拓殉難者三十三回忌法要︵昭和五十二年︶ 敗戦の悲劇とともに大陸開拓の崩壊により無念な最期に涙 機会あるたびに挙行した慰霊法要は九回を数えている。 その度に佐藤組合長は霊前に懇ろなる哀悼のことばを述べ、 を呑んで殉難した大八洲開拓団の団員家族に対する悲痛な思 いは、生き残って帰国できた者には終生忘れることの出来な 日中国交の早期回復を願い、中国訪問ならび に現地墓参を果せる日が早く訪れることを待 ち望み、殉難者の現地慰霊の達成を常に口に 漏らしていた。 昭和五十二年は殉難者の第三十三回忌にあ たるので、十一月十二日に留魂碑前に祭壇を 飾り、遺族はじめ関係者を招き組合員の菩提 寺である菅生町の無量寺住職︵日下大賢師︶ を迎え追悼法会を厳修した。 佐藤組合長は毎回のように泉下の霊魂の御 加護に感謝の念をもって今回も次のとおり祭 祠を呈したが、この度の追悼の言葉が殉難者 −157− 親しく故人に呼びかけて御霊の導きに感謝の意を表するほか、 大八洲開拓戦没殉難物故者33回忌法要 (浅間山組合墓地、留魂碑前にて) い痛恨事であるとともに、辛く悲しい時や混迷した時、奮起 を誘い心の支えとして常に胸の内から離れ ることがなかった。 その殉難者の悲しみと苦痛を一番身にし みて感じ、無惨な結末にいたった責任の一 端は団長としての自分にあると自責の念を 生涯忘れることのなかった佐藤組合長は誰 よりもその思いが強かった。 その殉難者の霊魂を祀るため、入植当時 の草畦脱ぎの場であった浅間山の墓地に昭 和二十六年の五周年祭の際留魂碑を建立、 全国拓魂公苑には大八洲開拓団建設殉難者 の碑を建てるとともに、昭和二十一年十二 昭和52年11月12日