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『チャラカ本集』 の哲学思想 (一)

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『チャラカ本集』 の哲学思想 (一)
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『チャラカ本集』の哲学思想 (一)
今西, 順吉
北海道大學文學部紀要 = The annual reports on cultural
science, 19(4): 1-22
1971-03-30
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/33363
Right
Type
bulletin
Additional
Information
File
Information
19(4)_PR1-22.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
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zgE芯 で あ る が 、 伝 承 に よ れ ば チ ャ ラ カ 本 集 は 元 来 神 に 由 来 し 、 そ し て ﹀ 官ZS同 が 凶 可 ミ 由THE22 から聞き
今 日 現 存 す る 医 学 書 と し て 最 も 古 い も の は ﹁ チ ャ ラ カ 本 集 ﹄ 口 問ZEEBES 次 い で ﹃ ス シ ユ ル タ 本 集 ﹄ ω忌E
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ェl ダ の 副 支 毛 主 官 又 は 副 ヴ ェ ー ダ 毛 宮 市 骨 と さ れ 後 に は 学 聞 の 体 系 の 中 に そ の 地 位 を 占 め る 。
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その歴史はさらに古くアタルヴァ・ヴェーダにたどることが出来る。そして医学(同一苫コ品仏印)はアタルヴァ・ヴ
イ ン ド 母 医 学 は 既 に 仏 陀 の 時 代 に 有 名 な 医 師 ジ l ヴアカが存在していたことを記録に残している。それによれば、彼
(1)
はタクシラに学び、ビンビサ│ラ王及び仏陀の侍医として盛名を馳せたと言われる。
第一節
、
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﹃チャラカ本集﹄の哲学思想付
(5)
(8)(9)
カは雑賓寂経巻七によるとカニシユカ王の親友であった三智人の一人(遮羅迦)であり、他は馬鳴菩薩と大臣の摩町
(6)(7)
羅である。同様の記述は付法戴因縁侍巻五にも見出される。この伝承は他に確証を欠いているが、一般にはこれに従
ってチャラカ本集の年代を一 ll二 世 紀 と 想 定 し て い る 。 な お 後 代 さ ら に 附 加 が な さ れ て い る の で 、 本 書 の 全 体 を こ の
(日)
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本論文では次のテキストを参照した。
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こ れ ら は 番 号 の つ け 方 に 僅 か な が ら 相 違 が あ り 、 こ こ で は わ 呉 ﹃3ZEEZ( 一一世紀の人)の注釈を参照する使山且
上、第一のテキストを用いることとした。
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医学と哲学・仏教
﹃チャラカ本集﹄の哲学思想付
第二節
(
1
)
医 学 削 苫 ﹃ 唱 え 白 は 人 聞 の 寿 命 に 関 す る 学 で あ り 、 健 康 を 目 的 と す る も の で あ る 。 しかしこの場合の健康には単にム萌
(2)
体のみならず精神もまた大いに関係をもち、 し か も 単 に 精 神 病 の 問 題 と し て よ り 以 上 に 、 人 間 観 ・ 世 界 観 と い う 根 本
(3)
問題にまでたどりつかねばならない。 チ ャ ラ カ は 人 生 の 目 的 と し て 四 つ の 事 柄 ( 法 ・ 実 利 ・ 愛 欲 ・ 解 脱 ) を 承 認 し て
いるが、人聞の行動の動機は一般に生命・財産・来世への欲求に見出されると説く。勿論かかる動機に発する行為が
正しくあるためには誤った判断(育と宮・8 白﹃包宮)を除かねばならないが、ともかく解脱あるいは来世という宗教的
立場の承認を含みつつも、現実の世界における人聞の営為を肯定的に把握している。従って医学の固有の立場は現宮犬
(4)
世界における人聞の理法を追求することであり、ここに合理性を重んずる科学的視点が聞けてくる。例えば狂気は神
(5)(6)(7)
などがとりつくことから起ると考えられているが、その原因は誤った判断にある。それは結局は自己の業から起るの
8
(9)
で あ り 、 幸 福 も 不 幸 も 自 己 が つ く る も の に 外 な ら な い 。 そ れ 故 い た ず ら に 神 々 や 父 祖 を 非 難 す べ き で は な く4EE吉
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を も た ら す 道 を 歩 み 、 神 々 を 崇 ぃ 、 良 き こ とEZを つ と め る べ き で あ る 。 自 己 の 主 体 性 を 確 立 し 、 そ の 上 で 現 実 の 状
(叩)
態がよって来る原因を追求すべきである。かかる合理主義的立場は伝統的な宗教的な立場と切り離しえないが、ぞれ
が病気治療に関しても、アタルヴァ・ヴェーダ以来の呪丈などの使用と、合理的・科学的な治療との併行となってい
る。そして合理的な因果関係の把握に対する関心は医学において根強いものとなっており、少なくとも後代では仏な
6-
(日)
の四諦と同じ因果の把捉が医学的連関におけるものとしてとらえられている。
チャラカ本集はかかる関連から哲学・宗教に対しても強い関心を示している。その最も代表的な例として論理学の
(
ロ
)
(日)(凶)
体系の紹介を挙げることが出来る。これは﹃方便心論﹄と共に最初期の論理学の体系を伝えるものとして重要な資料
で あ る が 、 本 書 の 学 的 関 心 に よ っ て 取 り 入 れ ら れ た も の で あ ろ うodE吋ミzrtの 採 用 も こ れ に 準 じ て 考 え 得 ょ う 。 そ
(日)
作者が結果を生起せしめるために努力する際に補助となるもの
(三要素の平衡)
(三要素の不均衡)
(医薬
(医師
してこの系列に連るものとして、結果を生起せしめるための十種の条件を取り上げてみたい。これは論理学を説いた
直後に述べられるのであるが、それは次のごとくである。
作具}内回吋即E
結果の母胎ru
﹃苫3E 変 化 し て 結 果 と な る も と の も の
結 果E ミ 曲 作 者 が そ の 生 起 を 目 指 し て 行 為 す る も の
g 及びそれらを正しく整えること。
(治療行為)
(年及び苦の状態
(地と苦)
結 果 の 果 報E3
z それを目的として結果の生起が望まれるもの
(幸福の獲得)
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z 結果の後に結果から生じ、作者を必らず束縛するgzr白LEE- 善 或 い は 悪 の 状 態 (寿命)
随縛
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FZ よ り ど こ ろ 包E田岳町吉田
時間ZZ 転変匂阻止ZB 曲
行動唱24E 結 果 の た め の 行 為
(日)
O 方便局司書白原因等の二一(原因、作具、結果の母胎)の最善なること25忌白
一
但し結果、結果の果報、随縛を除く。(その理由は)結果を生起せしめるものなるが故に方便なのであって、結
北大文学部紀要
-7-
一 原 因EZ宮 作 る も の 、 因ZE、 即 ち 作 者
EZ ﹃
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五 四
ム
九 八 七
﹃チャラカ本集﹄の哲学思想付
(げ)
果が作られてしまったならば方便の意義はない。また未生の結果は方便ではない。結果が作られた後に果報・果
報の後に随縛が生ずる(故に両者も方便ではない。)
右の十項目を述べた後に医学における適用を説く。それが右において括孤内に記したものである。その説き方から
見て、この十項目もチャラカの独創ではないのであろう。 パ ガ ヴ ア ツ ト ・ ギ │ タl は サ │ ン キ ヤ 体 系 に お い て 五 要 素
(路)
(日)
を 説 く 、 と 述 べ て 、 依 所 主E回忌宮白(身体)行為者EZ﹃ 各 種 の 器 官 官25 各 異 の 行 動2E劃運命E
-Zを あ げ て
一、二、九に相当する。けれどもチャラカ本集では結果などについて詳しいことが注意きれる。しかもその
いる。これは行為成立の要因をあげたものである。しかし一般化して考えるならば、第五を除いて順次チャラカ本巣
の第七
内容は、単なる客観的現象の成立を考察の対象としているのではなくて、 あ く ま で も 人 聞 の 実 践 的 連 関 を 問 題 と し て
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曲)
ニヤ│ヤ・ス l
いる。 インド思想における実践一般の問題は別の機会にとりあげたいが、 チ ャ ラ カ 本 集 に お い て 特 に 注 目 さ れ る の は
第六項随縛及び第十項方便である。
ま ず 随 縛 に つ い て み る に 、 こ こ に お け る 用 法 に 最 も 近 い 例 は ニ ャ l ヤ派及び仏教に見出される。
(初)
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トラ二一、二、六一は﹁(身体)が生起するのは前世において作られた(行為)の結果 (H法・非法︿宮白河
(幻)
現起故名声こ一随随縛工
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(巾
S丘 を あ げ 、 そ れ を 注 し て ﹁ 歎
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さらに方便冨喜唱劃 可 骨 は 個 々 の 手 段 . 方 法 で は な ︿ し て 、 そ れ ら の 適 切 な 扱 い 、 処 理 を 意 味 し て い る 。 こ れ は 特 に 仏 な
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にも見られるが、倶会口論を例にとると、随眠の定義の一つに﹁随縛する﹂
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官
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居
持続作用にもとづく﹂(
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EL-EZEf)と言い、同四、一、五九には﹁負債・煩悩・活動内
・ 52昏E
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ZY) と 説 く 。 こ れ に 近 い 用 例 は 有 部
持続作用の故に解脱なし﹂(円Z
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S由・有印4zq2
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で用いる方便に等しいと言ってよい。 かかる関連からするとき、この十項目と仏教との関係が問題になってくるので
﹁十如是﹂と言われるものがあり、
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と
是で
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あるが、 ここでわれわれは ﹃妙法蓮華経﹄ に お け る ﹁十如是﹂ との類似性を検討せねばならない。
周知のように ﹃妙法蓮華経﹄
如
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しかしながら党本はこれと異り、世親の﹃法華論﹄及ぴ恐らく﹃正法華経﹄も党本と同じく
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北大文学部紀要
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分別推求己到如中従如入自性。 如本未生、減諸戯論。是名為法性﹂と述べている。 九種法はこのような文脈の中で説
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- 者諸法各自有因。 五者諸法各自有縁。
﹁復次一 一法清一九種一一者有盟。二者各各有法。:・二一者諸法各有力。 lee-四
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vν(
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六者諸法各自有果。七者諸法各自有性。八者諸法各有限擬。九者諸法各各有開通方便 ﹂
v, 二 一 二 一
智度論はここでは差別相と諸法実相又は法性との問題を種々の角度から述べて白川る。その内容の一端を記せば、如
、﹁智慧
と諸法実相とについて ﹁ 撃 聞 法 中 観 諸 法 生 滅 相 。 是 為 如 。 減 一 切 諸 観 得 諸 法 実 相 パ 、 と い う 経 典 を 引 用 し
また
ともに、智度論の﹁九種法﹂をとり入れたものである。九種法とは
この間の問題については本田義英博士以来考謹がなされているが、それによれば、十如是は羅什訳の特異性であると
(幻)
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ェ -Mmw白血 Z L F白﹃ EMF-FL司PMwbn白 Z 円子白﹃guu﹃曲目
可巾ロ白丹市 L F E
(お)、、・(お)
丹市昏白﹃昌喜﹃何等法云何法何似法、何相法、何憧法﹄
所謂﹁五種法しを述べ
如是縁。 如是果。如
﹃唯併奥悌乃能究墨諸法責相。 所謂諸法如是相。知是性。加是瞳。
、(お)
是報。如是本末究寛等。﹄
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法華経の異訳のうち﹃添品妙法蓮華経﹄は右と同様であるが、ぞれは羅什訳に従っていることを示すものであろう。
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﹃チャラカ本集﹄の哲学思想付
かれるのであるが、九項目を述べた後に続いて次のように言う。
﹁諸法生時瞳及館法凡有九事。知此法各各有瞳法具足是名世間下如。
(幻)
知 此 九 法 終 蹄 饗 異 蓋 減 是 名 中 如Ji--是 法 非 有 非 無 非 生 非 滅 。 減 諸 観 法 究 寛 清 浄 。 是 名 土 如 口l
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二一ご
三二一二
ここに下如、中如、上如の三一種が立てられているが、上如は諸法実相に相当すると考えてよい。そして下如、中如、
(辺)
上如の右のごとき性格から判断して、この三種は第九項開通方便と表裏する関係にあるものと解してよいのではある
(お)
まいか。しからば羅什訳法華経の本末究寛等は、智度論の言う上如としての究寛清浄に相当すると言うことが
出来る。このように判断してよいならば、智度論の開通方便も十如の中の本末究寛等も、項目としてはチャラカ本巣
の方便として扱ってよいことになるであろう。
(鈍)
ま た 限 礎 に つ い て は 智 度 論 自 体 に は 説 明 が な い の で 明 ら か で な い が 、 し か しgzZロ昏同の訳語と見て問題はないで
へお)
あろう。なお巻三三には所作、力、因、縁、果、報を挙げているので、以上を表示すると次頁のごとく対応を求め、つ
るであろう。
表のごとく、チャラカ本集の十項目全てが他の資料と完全に一致するのではないが、場所及ぴ時の二項を除いては
この考察は十項目中には含まれていない。このような事情であるから、共通の源泉から勺ぞ
ほぽ対応を見出すことは注目される。 そ し て 十 如 な ど で チ ャ ラ カ 本 集 に 対 応 し な い も の は 、 相 、 体 、 性 な ど 法 の 白 恥
に関するものであって
(お)
れぞれ多少の変更を加えつっとり入れた、と推測することが妥当であろう。しかし前述のように仏教的色彩が濃いと
とは注意されねばならない。
確 か に チ ャ ラ カ 本 集 の 哲 学 思 想 に は サl ンキャ、 ヴアイシェ l シカなどの影響が大きい。 そのことは後に詳し︿ぬ帆
1E回会
ハU
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ここでは二つのことを
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宵曲許可
前 者 に つ い て は 丁 度 逆 の 関 係 で 、 仏 陀 が 禅 定 か ら 出 て 説 法 す る 、 と い う 大 乗 経 典 の 形 式 を 想 起 せ し め 、 これはまた法
に、アートレ l ヤ の 言 葉 に 同 意 し 、 歓 喜 し た 、 と 述 べ て い る 。 後 者 は 仏 典 に も 類 似 の 表 現 が し は じ ば 見 出 さ れ る が 、
位)
定に入り、定眼門
FZEgZZ凹 を も っ て 教 説 者 を 見 る 。 次 い で 教 説 者 は 語 り 出 す と 言 う 。 ま た 仙 人 達 は 聞 き 終 っ た 時
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特殊であり、そのうち前二者は特に仏教的である。第二点は教説を説く形式に関するもので、質問者は聞を発して禅
E Zヲ}同町ZP官主33w 回白BEFEPEES
(幻)
指 摘 し て お き た い 。 一 つ は 、 先 の 因 果 論 と も 関 係 す る が 、 理 由 、 原 因 を 意 味 す るZ Zの 同 義 語 と し て 巳ERg-SESF
討するが、 し か し 仏 教 の 影 響 も ま た 無 視 し え な い 程 に 著 し い 。 そ の こ と も 後 に と り あ げ る が 、
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本倶舎論巻二十、十六丁右
(お)大正九、五頁下。
経 巻 八 、 大 正 三O、九三二頁下以下、菩薩善戒経巻六、問、
九九五頁中以下、稔伽師地論巻四 丘
T 、 問 、 五 四O 頁下以下。
て説かれる故に性格をやや異にするが、参照される。
∞孟EZRZFEE-- 邑君。m-Z2・
27忠良同)教化の方便とし
以下参照。大野法道博士は、知目度泊珊の九種法は単に下如を説
( お ) 以 上 の 解 釈 に つ い て は 紀 野 一 義 ﹃ 法 華 経 の 探 究 ﹄ 一 O O頁
坂本幸男教授﹁法華経の教理特に十如是の解釈の変遷に
仏典の内相と外相﹄三八九頁以下参照。しかし以上のように
と主張される。これに対する本田博士の見解については、﹃
くものであるから、法華経の十如がそれによるとは言えない、
いて││﹂(金倉園照編﹃法華経の成立と発展﹄昭和四十五
(
μ
)
解しうるならば、右の論争の論点は解消するのではあるまい
参照。
かである、と言う。本回義英﹃仏盛ハの内相と外相﹄三八二頁
是本末究覚等。そしてこの外は語の同一によって対応が明ら
限 凝 H如 是 相 、 各 有 呆 H如 是 果 ・ 如 是 報 、 各 有 開 通 方 便 H如
( お ) 法 華 文 句 に は 次 の よ う に 比 定 す る 。 各 有 法 H如 是 作 、 各 有
(災)大正二五、二一O 三頁上。
カ
年、所収)二七八頁参照。
大正二六、一四頁下。
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(叩山)菩提流支訳、大正二六、四頁下。なお勤那摩提の訳も同文。
(幻)本田義英﹃偽典の内相と外相﹄(三五九四一九頁)﹃法
華経論﹄(二二二頁以下)
(お)智度論巻三十二、大二五、二九八頁下。
(ぬ)問、二九八頁上。
﹃密教文化﹄第六四、六五号、昭和三八年)の吉-
宮坂出伺勝教授﹁医書チヤラカ本集に伝えるヴアイシエ│シカ
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哲学説
本に従う。大正蔵経は末とする。国訳一切経、釈経論部第三
(
幻
(初)問、二九八頁下。なお﹁如本未生﹂の﹁未﹂は三本及び宮
巻、八頁、国訳大蔵経第二巻、一二七O 頁参照。
(幻)岡、二九八頁下。
(辺)なお菩薩地は衆生をして仏法に入らしめる方便として随順
舎通(宮己。邑宮)以下随機的なもの五種と、仏法そのものの
宣 説 で あ る 究 寛 清 浄(
izEE)の六種をたてる。室長陸地持
北大文学部紀要
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﹃チャラカ本集﹄の哲学思想付
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第三節
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(必)中野義照師﹃ヤ│ジユニャヴアルキア法典﹄二四O頁参盟問。
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(1)
八篇から成るチャラカ本集の第四篇
(2)
カ本集の哲学説としては常にこの部分が注目されるが、なお問題を残していると考えられる。
内容に入る前にこの章の構成について見ておきたい。まずはじめにアグニヴェ l シャが質問を提出し、プナルゲァ
(3)
スがそれに返答する、という形式をとっているが、質問ははじめにまとめて述べられ(第一ーー一二倍)、その数は二
(4)
一一一とされる。そして解答は質問の順を追ってなされている故に、本章の構成を考える場合には、まず最初に質問の内
それは無知と宮であるか、知者
Eであるか。
55は何か。
ブ ル シ ャ の 起 源 胃 与-
プ ル シ ャ は 何 故 原 因EZE であるのか。
ZZに分析されるか。
プ ル シ ャ 宮2 2 は幾種の要素品
容を検討しておく必要がある。左にそれを列記する。
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常 住Eq同であるか、無常
25占であるか。
原質問百件吋立とは何であるか。
開展物iEZとは何であるか。
一切にゆきわたり、遍在し、知田、傍観者である、 とア l トマン知者笠宮とE
ZZ白は何であるか。
プルシャの相
北大文学部紀要
二二全ての感受はどこにおいて残りなく滅するのか。
一二依処包EZZEは何か。
二O 感受の原因は何か。
一 七 │ 一 九 、 三 種 ( 過 去 、 現 在 、 未 来 ) の 苦 可Z の う ち 医 師 は い ず れ の 感 受 を 治 療 す る の で あ る か 。
一 六 変 化 し な い も の ミ 持M
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Zにどうして感受によって生ずる差別三宮田曲があるのか。
一 五 ( ア ー ト マ ン ) 以 外 に 存 在 し な い 故 に 何 を 傍 観 す るZZZのであるか。
一四知田
rt可&宮と田Z22の何れが先であるか。
一三遍在する丘
FZ のに何故山や壁によって遮られた対象を見ないのであるか。
一 二 一 切 に ゆ き わ た る22丘町三曲のにどうして一切の感受
g 島富劃を感受しないのであるか。
支 配 者gbZで あ る な ら ば 、 ど う し て 強 い て 不 快 な 状 態Frugに入るのか。
は証一山るが、 しからば、
(
5
)
無活動亘書ユヨなるものがどうして欲せざる母胎のうちに生まれるのか。
アートマンは無活動、自立、支配者、
八 七
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(七六) 一二(七七) 一三(七八l 七九) 一四(八O) 一五(八二
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一
一
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(一三四) 二 二 ( 一 三 五 一 五 二 ) 一
そこで以下に本章の内容についての検討を行いたいが、便宜上先述の本章の構成とは若干順序を変えて、次のよ、1
扱いうるものと言わねばならないであろう。
(8)
って、ここに述ぺられた思想を成している要素個々が有する資料的意義とは別に、やはりチャラカ本集の思想として
的 に 哲 学 を 述 べ る と こ ろ に あ る と 言 わ な け れ ば な ら な い 。 こ れ は 本 章 作 者 の 意 図 と し て 評 価 す べ き 性 質 の も の でh
る。それ故本章の意図はかりにその具体的内容が種々の要素を含んでいるとしても、かかる思想構造をふまえて組織
その要素の考察、苦とその減及び解脱という明らかに一つの思想体系としての構造を骨格として有していることにな
二二において、 そして第二三一において解脱を扱うごとくに解せられる。 その限りにおいては本章は人間存在の分折ヒ
第 六 │ 八 は 三 基 本 原 理 を 扱 い 、 そ の う ち の プ ル シ ャ に つ い て 第 九 二 ハ に お い て 詳 論 し 、 最 後 に 苦 の 問 題 を 第 一 七1
1
関係が推知されるが、質問の順序から見るとき、第一間第五閉までは、いかなる意味にせよプルシャについて論に、
(7)
そして第一五五偶が結句となって本章を終っている。以上において第二、二O、二一間と前節に述べた十項目との
(一五三l 一五回)
一六(八二│八一ニ) 一七l 一 九 ( 八 四 九 五 ) 二O (九 六 二 二 三 )
ー七一一)九(七一一一│七四)
(一四l一二六) 二 ( 三 七 五O) 二一(五二四(五二l 五六)五(五七│六O) 六・七(六一 l 六七)八 (六入
以上の問題提起に対して解答はそれぞれ次の慣において与えられている。
(6)
寂同︼﹃忠則回Eなる原素我 vroZBE一はいかなる相 Em同によって知られるのか。
一
一
一
唱EA
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ハ
に考察してゆくこととしたい。
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間民主
をはじめとする従来の諸研究にはかかる観点が
ては後に再びふれる。
は貴重な示唆を与えるものである。なお同教授の見解につい
い方(宮本正尊編﹃大乗仏教の成立史的研究﹄一九三頁以下)
欠けていると思われる。この点で中村教授の本章に対する扱
(8) 己
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とされるから、十項目の第一に合致する。
(7) 特に第二問のZ25は 後 に 説 く よ う に 宮 ﹃ 可 の 意 味 で あ る
の箇所を参照した。
(6) 以下については
Erg-zgの 注 釈 の 対 応 筒 所 及 び 前 注 (4)
原理の体系。 人間存在の原理的分析と検討(第一、六、 七問に相当)
プ ル シ ャ の 問 題 ( 第 二 五 、 八l 一六聞に相当)
解脱(第二三間に相当)
苦とその減(第一七二二間に相当)
主記
巻三にそのことに言及している。金倉国昭⋮﹃印度中世精神史
(1) 医 学 書 は 一 般 に 八 篇 か ら 成 る と さ れ る 。 義 浄 も 南 海 寄 帰 伝
﹄中、一八八頁注二
5
H・
(2) 初めて研究、紹介したのはり2 同
・
号
・2 己七唱-NHωl
区
司2・0司
∞である。
(3) のミ・﹃﹃・
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原理の体系
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印z
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zロ同可・の円のテキスト司・∞ω∞を参照した。
(4) 番号は︿包︺﹃
古江唱のと日ωZ2F
︺吉田岡 HH
(5)
第四節
人間存在は諸要素に分析されることを次のように説いている。
﹃精神を第六とする空など (の五)要素がプルシャであると伝、子りれている。
北大文学部紀要
-17-
四
﹃チャラカ本集﹄の哲学思想H
精神要素のみでもブルシャと称せられると伝えられている。﹄
﹃きらに要素を分析して(プルシャは)二四(要素)より成ると伝、子りれている。
(
1
)
(五)対象、及ぴ八要素から成る原質である。﹄
(二四要素とは)意
十器官、
ここでは一、六要素から成るプルシャ、二、精神としてのプルシャ、三、二四要素から成るプルシャという三説が
述 べ ら れ て い る 。 こ の う ち 第 一 及 ぴ 第 三 説 に お け る プ ル シ ャ は ガZE白血という語の一般的な用法としての﹁人間﹂を
意 味 す る が 、 こ れ に 反 し て 第 二 説 は サ l ンキヤなどにおける特殊な用法に対応している。
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門口同副門戸﹄吋
ところで第一説は五一万素と精神との六要素から人聞は成ることを説くのであるが、 こ の 思 想 は チ ャ ラ カ 本 集 の 中 で
も諸処に説かれている。
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ところでチャラカ本集は人間あるいは病気の起源に関する諸説を述べる中で田町
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こ れ は パ ガ ヴ ッ ド ・ ギi タl と 類 似 の 思 想 、 表 現 で あ り 、 年 ! タi に お け る サi ン キ ヤ の 意 義 に
が多いけれども、チャラ
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どの学派時代を扱っている部分に
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と 考 え ら れ る も の で あ る 。 そ し て チ ャ ラ カ 本 集 が こ の 六 要 素 説 を 説 い て い る の は 医 学 的 な 概 念 と し て そ れ を 採 用L て
いるのである。 こ の こ と を ス シ ュ ル タ サ ン ヒ タl は明言している。
﹃この (六要素より成るプルシヤ) はヴァイシェ i シ カ 哲 学 に よ っ て 採 用 さ れ 、 医 学 の 対 象 七
精神)との和合がプルシャである。 こ の 業 我 が 医 学 に お い て 問 題 と さ れ る の で あ る 。 ﹄ 注 釈 者 は か か る 連 聞 の 上 に 立
ヨ(げ)
って次のように言う。
るプルシャである﹄
次 に 第 三 説 に お け る 二 四 要 素 は サl ン キ ヤ 派 に お い て 説 か れ る 二 四 原 理 に ほ ぼ 相 当 す る 。 そ の 詳 細 は 第 六 一 ・ 六 二
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自我意識│五元素等である
間である。それ故人聞は諸原理の結合より成るものである。
(お)!
以上によって二四原理は明らかとなったが、未顕現は顕現となり、顕現は未顕現となる、という循還が人聞の輪畑地
(叫)
において起る。ところでここに未顕現とは思惟され、えないもの2E3 で あ る が 、 顕 現 は そ の 反 対 で あ る 。 前 者 は 也
U官 官 与 三 で あ る が 、 後 者 は 感 覚 的 に 知 ら れ う る 、 と
感 覚 的 EgLZE で あ っ て 、 証 相 に よ っ て 把 捉 さ る べ き も の いう違いがある。人間あるいは現象は無限定的なものと限定的なものとの聞を往還する。
(お)
以上においては精神原理に相当するものが明らかには説かれていない。二四原理より成る人間について
﹃以上、田が全て提示せられた。但し未顕現を除く。未顕現はこの田の知田である、と仙人達は知る。﹄
これは二四原理を二三の固と一の知固とに分けることを意味する。田と知田という概念は叙事詩にも用いられてい
-20一
(お)
回は二四原理から成るとせられる。それに対してチャラカ本集では未顕現を別立し、これを知田と同一視する。
(幻)
し か ら ば 未 顕 現 は 精 神 的 原 理 で な け れ ば な ら な い が 、 こ の 点 に つ い て は 未 顕 現 は ア lトマンであると言う。
﹃未顕現はアートマン、知回、永遠にして、遍在し不壊なるものである﹄
医学の立場から物質的原理に対して第六の精神的原理が立てられていたが、この二四原理説としては直接には精神
(お)
的 原 理 は 立 て ら れ て い な か っ た 。 し か し な が ら 右 の ご と く 見 る な ら ば 未 顕 現 は アi ト マ ン で あ っ て 精 神 的 原 理 に 相 当
(mm)
し 、 し か も 他 の 一 一 三 原 理 を 開 展 す る 、 と 解 さ ね ば な ら な い 。 な お こ の 間 題 に 関 し て 注 釈 者 は 古 典 サl ンキヤの理解に
(初)
立って、未顕現と精神とを共に未顕現と呼ぶのは未顕現即ち知覚しえないという共通性にもとづく、と解釈する。そし
(訂)
てこの解釈の支持者もあるが、チャラカ本集では六要素説の部分においても、その精神的原理をやはり未顕現と呼ん
でおり、両者の同一視は動かし難いと考えられる。
(この項未完)
印度哲学研究﹄第二、四三三頁。しかしのzrzzzz はこ
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