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中村 直人 - 関西学院大学出版会

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中村 直人 - 関西学院大学出版会
K O T
No.46
2016
O
W
A
R
I
特集
歴史のなかの上ケ原
──西宮市上ケ原、古墳から震災まで
中村 直人
関西学院大学出版会
KWANSEI GAKUIN UNIVERSITY PRESS
奇妙な情熱
─
ピジンを記録する人々
金水 敏
ピジンとは、二言語が接触した際に生じる、その場しのぎの“壊れた”言語で
あり、標準的な言語に対して価値の低いものと見なされることが多い。そのため
に、いくつかの例外を除くと、学術的に価値のある記述が残されることはまれで
あり、歴史の彼方に埋もれてしまっている例も多い。
日本語の周辺にもそのようなピジンが発生することがあったが、ここで紹介す
る二つの例では、著者の特殊な熱意によって、貴重なピジンの記録が残されるこ
コトワリ
もくじ
No. 46
2016
巻頭エッセイ
奇妙な情熱
金水 敏 ──ピジンを記録する人々
中村 直 人 —2—
ととなった。
一冊目は、一八七九年に改訂増補版が出版された、 Exercises in the Yokohama
(彼は具合が悪
Is he ill?
である。この書は明治初期の横浜で発生した横浜ことば(横浜ピジン)
Dialect
を記録したもので、対訳会話練習帳の形式を取っているが、出版意図としては明
らかな冗談本である。例えば次のようなものである。「
(アンバイ悪イアリマス?)」
/ Am buy worry arimasu?
ここで見るように、本書における横浜ことばの綴りには、できるだけ既存の英
いのですか)
特集 単語を応用しようとする意図があり、そのことが本書の印象をユーモラスなもの
歴史のなかの上ケ原
月の新刊から にしている。しかし、三十三頁の小さな本でありながら、冗談本の域を超える豊
── 西宮市上ケ原、古墳から震災まで
富 な 語 彙 と 文 例 を 集 め て い る。 と く に 改 訂 増 補 版 に は、 横 浜 こ と ば に 対 す る
(南京訛り日本語)という、中国訛りの日本語の特徴が述べ
Nankinized Nippon
られており、学術的に貴重である。
2
4
9
も う 一 冊 は、 一 九 二 六 年 に 大 連 で 刊 行 さ れ た『 日 支 合 弁 語 か ら 正 し き 支 那 語
へ』である。著者の中谷鹿二氏は、陸軍通訳として参戦したこともある中国語の
専門家であるが、当時満洲に蔓延していた、満洲ピジンとも言うべき中国語ベー
スのピジンを憎むあまり、その詳細を一冊の本にまとめてしまった。この本に書
連載 世界から
第 回
ブルキニ事件 海老坂 武 連載 ドイツ庭ものがたり
イシアンカンホジホー
を解析する
営業部だより
【色と祈り】 連載 差異の詞典
打樋 啓史 馬場 博 史 ── 小 説・ドラマ・映画・漫画・アニメ
マスメディアの中の数学
自著を語る
いてあるような表現は中国語では決してなく、絶対に用いてはならないと主張と
チヤカシンジヨー
しているのだが、その結果本書は、極めて貴重な満洲ピジンの記録書として読む
ワーデニーデ
第 回 都市のコモンズ
田村 和彦 テンホーシーシー
こ と が で き る。 例 え ば 次 の よ う な も の で あ る。「 我 的 你 的 に 這 個 進 上 す る か ら
頂好洗々して衣装幹活計好/私はお前にこれをあげるからよく洗って着るとい
こ の 満 洲 ピ ジ ン は、 一 九 五 〇 年 頃 か ら 盛 ん に 作 ら れ る よ う に な っ た「 抗 日 映
い」
画」の中で、日本人将校らが用いる奇妙な言語ととても似ている。戦前の日本人
は、中国語のつもりで満洲ピジンを話していたのだが、それを聞いていた中国人
はそれを日本語の一種だと思い、日本人の「役割語」として今日まで継承してい
この二つの例は、ジョークであったり、「よくない言葉」の見本集であったり
るのだ。
と、決して対象言語を正当なものと認めているわけではないにも関わらず、著者
のちょっとした過剰な情熱のせいで貴重なピジンの収集例となってしまった。そ
のおかげで、私たちはその恩恵をありがたく研究に利用させてもらっているわけ
である。
(大阪大学 きんすい・さとし)
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—3—
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10
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21
特 集 月の新刊から なかむら
なお と
本書は、兵庫県西宮市の上ケ原地域の
が構内をめぐっています。甲山森林公園
ケ原用水の分水樋があり、分岐した水路
のすぐ側には、江戸時代に開削された上
ように思われる戦争が、グッと身近に感
す。すると、どこか遠い時代の出来事の
原と戦争との関わりを浮き彫りにしま
院が軍関係の施設と化した事実は、上ケ
つきませんが、戦時中の関学や神戸女学
中村 直 人
関西学院大学准教授
歴史について、古代から現代まで、六章
は大坂城の石垣用石材を採取した江戸時
西宮市上ケ原、古墳から震災まで
にわたって述べたものです。
代の採石場跡、多くの学生が学ぶ関西学
歴史のなかの上ケ原 ─
上ケ原地域は、兵庫県南東部に位置す
域の歴史とがうまく結びついたとき、歴
る西宮市の一部、台地の上に形成された
史は生き生きとした、より身近なものに
高校などで学ぶ日本史は、日本史の全
のある地域の歴史について、学生たちに
なるのではないでしょうか。同じことは
じられるようになると思うのです。
知っておいてもらいたい。このような思
世 界 史 と 日 本 史 と の 関 係 に も 言 え ま す。
院と神戸女学院の校舎は、建築家ヴォー
緑豊かな甲山森林公園を擁する、良好な
いから、本書を執筆しました。大学や西
グローバル化が叫ばれる今日だからこ
小地域です。現在、関西学院(以下、関
環境に恵まれた、住みやすい地域です。
宮市の歴史ではなく、上ケ原とその周辺
そ、なおさら、足もとの歴史について学
体的な流れが中心になります。これと地
上ケ原はまた歴史的環境にも恵まれた
地域の歴史です。執筆にあたっては、地
ぶことの重要性を感じます。
自 分 た ち が 通 う 大 学( 関 西 学 院 大 学 )
地域です。学校と住宅しかないではない
域の歴史と、その背後にある歴史の大き
リズが設計した近代建築・文化遺産です。
か と 言 わ れ そ う で す が、 よ く よ く 見 る
な流れとの関係に留意しました。たとえ
学 と 略 称 )・ 神 戸 女 学 院 な ど の 学 校 施 設
と、積み重ねられた歴史をいくつも確認
や閑静な住宅地などが集まり、背後には
することができます。たとえば、関学の
ば、上ケ原と戦争とは一見まったく結び
*
構内には小さな古墳が一基あります。そ
—4—
9
ケ原に残るヴォーリズ(大正・昭和初期
な生き残りです。章末のコラムでは、上
墳と上ケ原浄水場構内古墳は、その貴重
消滅してしまいました。関西学院構内古
礎をなす一連の開発のなかで、破壊され
戸女学院の移転など、現代の上ケ原の基
阪急電鉄甲東園駅の設置、関西学院・神
「甲東園」の開園、上ケ原浄水場の造成、
た。 し か し そ の 大 半 は、 芝 川 家 の 農 園
墳が、おもに台地の縁辺部に存在しまし
は、前方後円墳や円墳・群集墳などの古
ちについて述べました。かつて上ケ原に
介するとともに、現代の上ケ原の成り立
代)では、上ケ原台地の古墳について紹
第 一 章「 古 墳 の あ る キ ャ ン パ ス 」
(古
以下、各章の概略を記します。
第 三 章「 甲 山 森 林 公 園 の 刻 印 石 」
(近
と自力救済の行方について述べました。
あり方について確認し、豊臣政権の登場
ら、自力救済を旨とする中世後期の村の
国菅浦荘の事例を引き合いに出しなが
後 半 で は、「 戦 う 村 」 と し て 名 高 い 近 江
大量処刑となったのでしょうか。本章の
争に介入したのでしょうか。また、なぜ
な結末を迎えました。秀吉はなぜ村の戦
した結果、関係者の大量処刑という悲惨
争)へと発展し、そこへ豊臣政権が介入
を巻き込む地域規模の武力衝突(村の戦
ました。この相論は、やがて近隣の村々
ぐり鳴尾村と瓦林村の間で相論が発生し
のです。豊臣秀吉の時代、農業用水をめ
史実やその歴史的背景について述べたも
義民伝承をとりあげ、伝承の基となった
石材を割り取った痕跡のある岩が散見さ
一つです(甲山刻印群)。同公園内には、
坂城の石垣用石材を供給した採石場跡の
広がる甲山森林公園の一帯も、徳川期大
量に使用されています。上ケ原の西隣に
東六甲の山麓部から採取された石材が大
の で す。 こ の 徳 川 期 大 坂 城 の 石 垣 に は、
江戸幕府が天下普請によって再築したも
灰 燼 に 帰 し た 豊 臣 秀 吉 築 造 の 大 坂 城 を、
垣を誇る現在の大坂城は、大坂夏の陣で
について述べました。日本最大規模の石
世)では、大坂城の石垣用石材の供給地
に活躍した米国人建築家)の建築とし
て、関西学院と神戸女学院の校舎につい
て紹介しました。
第 二 章「 鳴 尾 村 の 義 民 」
( 中 世 ) は、
阪神甲子園球場のある鳴尾地区に伝わる
甲山森林公園に残る石材
—5—
関学移転前の上ケ原(関西学院大学学院史編纂室提供)
越 木 岩 神 社( 西 宮 市 )・ 芦 屋 市 内 に 残 る
の甲山刻印群について、大坂城の歴史や
れ、完成形の石材も残されています。こ
は、海軍関係の軍事施設が集中する地域
に つ い て 述 べ ま し た。 戦 時 中 の 上 ケ 原
二十世紀前半の「戦争の時代」の上ケ原
第 五 章「 戦 争 の 痕 跡 」
( 近 代 ) で は、
入 り ま し た。 ま た 空 襲 を 避 け る た め に、
れ、戦争末期には大阪海軍施設部などが
でした。関学には西宮海軍航空隊が置か
石材群の話を交えながら紹介しました。
は、江戸時代における上ケ原台地の開発
第 四 章「 上 ケ 原 台 地 の 開 発 」( 近 世 )
について述べたものです。上ケ原台地は
農業に不向きな土地であり、ながらく採
草地として利用されるにすぎませんでし
—6—
たが、十七世紀中頃に町人が主導する開
発が行われ、上ケ原新田村が誕生しまし
た。すなわち、上ケ原用水を開削して仁
川の水を台地上に引き込み、不毛の地を
見事な田畑に作り替えたのです。本章で
は、上ケ原新田村の成立を中心に、用水
路の開削・維持にさいしての人々の辛苦
や、水をめぐり対立から共存へ向かう地
域の姿などを描きました。また水の重要
性に絡めて、神戸市に飲み水を供給する
ために開設された神戸市水道局上ケ原浄
水場についても紹介しました。
関西学院附近見取図 部分(森本好則氏提供)
働きました。関学関係者の戦没者は少な
徒らが空襲におびやかされながら懸命に
所(現阪神競馬場)では、動員された学
戸女学院などに移され、同社の宝塚製作
空機の本社機能と工場の一部が関学や神
紫電改(海軍の戦闘機)で有名な川西航
の認識を深める一助となれば幸いです。
の記述が、今後多発するであろう震災へ
学ぶことが有効であると考えます。本章
識するには、身近な地域の事例を通して
と思います。震災を現実の危機として認
真には上ケ原地域史としての意味がある
個人的見聞を記したにすぎませんが、写
しんでいただければ幸甚です。
が、地域史の一冊として、多くの方に楽
大学での授業用に執筆された本書です
キャンパスに古墳があるって
いま改めて学ぶ、足もとの歴史
くとも二〇〇人以上にのぼります。現在
の上ケ原から戦争を想起することは困難
ですが、その痕跡に触れつつ当時を描写
日々なにげなく目にしている風景は、歴
史の積み重ねによって築かれたものであ
る。本書によって、当たり前と思ってい
たそれらが、いままでとは違った姿で見
えてくることだろう。
⁉
A5判並製一七八頁 二〇〇〇円(税別)
—7—
しました。なお、掲載した「関西学院附
近見取図」は、敗戦直前の上ケ原の状況
を示した地域の貴重な資料です。
第 六 章「 阪 神・ 淡 路 大 震 災 」
(現代)
は、一九九五年一月に発生した兵庫県南
部地震における上ケ原地域の被災状況に
ついて、当時大学生であった筆者の見聞
を中心に述べたものです。最初の三日間
だけですが、筆者の生活圏であった上ケ
原とその周辺地域を歩き、被災状況を写
真に記録しました。本章に掲載した写真
はこのときに撮影したものです。本文は
地すべりの現場(仁川百合野町)
新 載
連 載
連
世界 から
回
のだとのこと。名前はブルカ(イスラム教徒
二〇〇三年にオーストラリアで考案されたも
ら れ た 水 着、 女 性 の イ ス ラ ム 教 徒 の た め に
か。頭から足の先まで肌をみせないように作
ブルキニという名の水着をご存知だろう
脱がせるとは!」といった怒りのコメントも
ているわけでもないのに何故? 自由と平等
の国が何故?「三人の男が一人の女の着物を
を脱がされている映像である。ブルキニを着
女性が三人の警官に取り囲まれ、チュニック
フ ラ ン ス で は「 非 宗 教 性 ─ 政 教 分 離 」
ネットに飛び出して来る。
がビーチでの着用を禁ずる「ブルキニ禁止条
とで、南フランスの町ヴィルヌーヴ=ルーベ
この水着がイスラムの宗教的衣装というこ
(差異への権利を認め複数文化の共存を探る)
の 諸 国 で た だ 一 つ の ケ ー ス で あ り、 民 主 国
着用を禁止する法律を制定した。これは西洋
二〇一〇年にブルカについて、公共空間での
)というフランス共和国の原理に基づ
laicé
き、 二 〇 〇 四 年 に ス カ ー フ に つ い て、
(
の女性がまとう全身をすっぽり覆うマント)
とビキニとの合成語。しかし、およそ、かの
ビキニからはほど遠く、およそ優雅とは言え
例」を公布した。これに対し、人権団体と反
と共和国(差異への権利を認めず同化を求め
ない。
「イスラム嫌悪」委員会とが条例の撤回を求
る)との違いを明確に示す例だ。
月二十二日)。今度は日本の最高裁判所に相
ルキニ禁止条例」のように、ビーチのような
て確立されたものだ。しかしこの原理が「ブ
色 を 持 ち 込 む な、 と い う こ と だ っ た。「 非 宗
しかし、二つの法律の狙いは、学校に宗教
めてニースの裁判所に裁判を起こしたが、裁
当する国務院( Conseil d́État
)に訴え出た。
さて、その間にこんな映像がネット空間に
公共の娯楽空間にまで適用されるとは、また
判所はこの条例を合法としたために敗訴(八
飛び交った(八月二十三日)。ニースのビー
教性」の原理もそもそもは教育の分野におい
チでチュニックを着てターバンを巻いている
—8—
第
海老坂 武 ブルキニ事件
17
歩派、近代派の女性のために考案されたもの
またイスラム学者( Mathiu Guidele
)に言
わせると、ブルキニという水着はイスラム進
た。
ングロサクソンの国々からの批判が激しかっ
警察が風俗の監視をするとは……とりわけア
を表し、タカ派ぶりを発揮している。
まったくない」として、この判決に不満の意
することは個人的自由を問題視することでは
て喧伝するのは驚くにあたらないが、社会党
翼が「イスラム主義者への司法の屈伏」とし
ぞれ思惑がある。マリー・ルペンの率いる右
り、 禁 止 条 例 は い ま だ 有 効 と す る 意 見 も あ
も っ と も、「 適 用 停 止 」 は「 無 効 」 と 異 な
政権のヴァルス首相までが「ブルキニを告発
で、女性にビーチでの水浴を禁止しているイ
スラム原理派から敵視されている水着である
る。従ってブルキニの運命はどうなるかいま
のところ不明である。しかしそろそろ秋風も
とのこと、したがって「公権力は的を誤って
さて国務院の判決は八月二十六日に下され
しかし、差異への権利か同化か。原理の戦
立っており、結論は次の夏までもちこしか。
いる」ということになる。
た。このスピードは誉められてよいだろう。
いは続いていく。ちなみに、共和制と民主制
結論は「ブルキニ禁止条例」の適用停止で
との違いを見事に示してみせた哲学者レジ
ス 何 か で あ る。 す な わ ち「 自 由 プ ラ ス 理
ある。この判例は、同じような条例を出して
性」、「法治国家プラス正義」、「寛容プラス意
ス・ドブレによれば、共和制とは民主制プラ
こ の 判 決 は 大 多 数 の 新 聞 社 説 に よ っ て、
いる南フランスの三十あまりの市町村にも適
「冷静さの保持」、「理性への復帰」として歓
志」。前者において最良の人間は政治に向か
用されるはずだ。
迎された。ところが、政治家は違った。来年
い、後者においては商売に向かうという。
(えびさか・たけし) さてこの日本においては?
は大統領選挙がある。左右両派で予備選挙が
予定されているので、有権者をめぐってそれ
—9—
連 載
回
都市のコモンズ
田村 和 彦
ドイツ庭ものがたり
第
ベルリンのクロイツベルク地区といえば、居住者に占める外
国人率の高いベルリンの中でももっとも多くの外国人が住んで
やプラスチックの箱や土嚢が並べられ、その中に植物が植えら
れている。箱や容器を使ったいわゆるコンテナ・ガーデニング
だ が、 育 て ら れ て い る の は 花 よ り は 圧 倒 的 に 野 菜 や 果 物 で あ
る。ホウレンソウ、キャベツ、レタスといった葉菜から、ニン
ジン、ダイコン、ラディッシュなどの根菜、トマト、マメ、イ
モ類、各種ハーブ、ベリー類に至るまで、驚くほど多くの種類
の野菜や果物が栽培されている。主催者によればこれまで五百
というと雅びな響きだが、実際には用地が面した通りのひとつ
風変わりな庭が生まれて一躍注目を浴びた。「皇女たちの庭」
二〇〇九年にその一角にプリンツェッシネンガルテンという
広げる 多 文 化 の活発な発信地として世界的に知られていた。
で、「壁の崩壊」以前から、主に若い世代が多様な実験を繰り
民族的・文化的背景を持つ人々が共存するのがこの地区の特色
者についてみれば、その率は五〇パーセントを超える。様々な
的所有とは異なり、提供できる労力や時間に応じて多くの人々
れているのである。だがむしろ、仮設性と一時利用は定住や私
別の場所に移ることができるように移動可能なコンテナが選ば
い。あくまで一時的な利用で、場合によっては即座に撤去して
と に 契 約 を 更 新 す る 必 要 が あ り、 し か も 掘 削 や 耕 作 は で き な
三十代の若者である。ただし、所有権は市にあるために一年ご
を共同の菜園として賃貸利用することを思いついたのは二人の
としてゴミや廃品の散乱する状態で放置されていた。この敷地
市の所有するもので、用途が定められないまま十年以上空き地
コンテナ・ガーデニングをするには理由がある。この敷地は
種類以上の作物がここで育てられてきたという。
の 名 前 を 付 け た に 過 ぎ な い。 車 が ひ っ き り な し に 行 き 来 す る
いる区域として有名である。なんらかの移民的背景を持つ居住
ロータリーと二本の通りに挟まれ、高層の建物に取り囲まれた
が運営にかかわることができる融通性と、実験的な多品種生産
ムルテイ・クルテイ
土地には、道路と敷地を隔てる金網以外には通常の庭にあるよ
の可能性を保証しているように見える。
この一風変わった菜園のアイデアはアメリカ合衆国での政治
う な 生 け 垣 も 柵 も 仕 切 り も な い。 サ ッ カ ー 場 一 面 ほ ど の 面 積
(六千平方メートル)の敷地に足を踏み入れると、至る所に木
— 10 —
21
影響を受けている。この運動はニューヨークの貧困層の集まる
的・前衛的な造園運動であるコミュニティー・ガーデニングの
として位置づけられるのである。
な問題を解決するための自立的で積極的な行動、もしくは療法
済への依存、地域環境の荒廃といった、都市住民が抱える様々
プリンツェッシネンガルテンにおいても作物の共同栽培が行
地域(ロワー・イーストサイドやブロンクス)で、市当局によ
産と分配、住民の生活の
復、安全な食物の自給生
と社会的相互作用の回
業による近隣地域の美化
づくりの運動に、共同作
ニングが都市における庭
コミュニティー・ガーデ
り、全米規模に広がる。
的な政治運動にまで高ま
培は完全な自給には不十分なものの、工業化された農作物生産
の流通経路の問題を問い直そうとする試みなのである。自家栽
る食品の安全性や画一性、環境への負荷が強い農作物生産やそ
チュアが、作物を自前で育てることを通じて、市場で提供され
菜園の取り組みは、プロの農業従事者でも園芸家でもないアマ
自然食品や環境保護への志向が強いが、空き地を利用したこの
トで堆肥に変えて土として再利用される。もともとドイツには
品を使わないのは当然のこととされ、生ゴミや残滓はコンポス
の安全性とエコロジカルな背景への配慮である。化学肥料や薬
組みがされている。その中でもとりわけ重視されるのは、食品
る)、さらに困窮者への食糧支援に至るまで、実に多様な取り
われるだけではない。収穫した作物やその加工品の販売から、
る再開発のための空き地囲い込みや浮浪者追い出しに抵抗し
質向上という一連の社会
と経路の見えない食品流通への代案を出すとともに、消費だけ
料理や飲み物としての提供、栽培方法の経験交流や講習会、養
的な意味を与えた功績は
に偏った都市生活とは別様の、市場経済に依存しない、オール
て、ゲリラ的戦術で空き地を占拠して花壇や菜園、果樹園に変
大 き い。 ガ ー デ ニ ン グ
タナティヴなライフスタイルとしての意味を持つのだ。
蜂( こ れ も 巣 箱 を 使 っ た「 移 動 可 能 な 」食 糧 生 産 の 方 法 で あ
は、失業、貧困、消費の
一九八〇年代末には組織
みに偏った生活、商品経
— 11 —
え る 試 み と し て 一 九 七 〇 年 代 か ら 散 発 的 に 始 ま っ た も の で、
プリンツェッシネンガルテン(クロイツベルク)
スタイルのためというより、もっとラジカルな構想を含むから
ただし、この菜園プロジェクトが注目を浴びたのは、ライフ
貴重なコモンズとなるのである。
た空き地も作物を植えて生産緑地とすることで共同利用しうる
ば住み続けることができる資源であるのと同様に、捨て置かれ
「コモンズを取り戻せ!」であり、庭づくりは都市における生
で 始 ま っ た 空 き 地 占 拠 運 動 グ リ ー ン・ ゲ リ ラ の 合 言 葉 は
ガーデニングの出発点でもあった。一九七三年にニューヨーク
り、共有しうる資源を含むと考える発想は、コミュニティー・
そ れ で あ る ) を 指 す ま で に な っ た。 都 市 も ま た コ モ ン ズ で あ
にはオープンアクセスの知的資源(たとえばウィキペディアが
広い意味で、共同で利用される自然資源一般を指したり、さら
イで取り上げた牧草地がその典型である。近年コモンズはより
餌場、森、水域、浜辺などを指すものだった。以前このエッセ
る共有地、入会」を指し、もともと村落の成員が共同利用する
さか雑然とした自己表現とパフォーマンスがめざされているよ
ろ実用目的の栽培より、庭という媒体を利用した気ままでいさ
料は会費を含めても四十二から七十二ユーロにすぎない。むし
の例より自由で粗放的な庭づくりが行われている。年間の利用
床の設営や管理・栽培は個々の庭主に任され、クロイツベルク
で、高さは一・五メートルまでと定められている。三百ある苗
ていないため苗床は高床式で、一面の広さは二平方メートルま
受けて庭づくりを展開している。ここでも土地の耕作が許され
からかかわり、現在その一角に五千平方メートルの土地を借り
プは広大な空港跡地の利用プロジェクトに市民運動として最初
ているグループ、アルメンデ・コントーアがある。このグルー
。 そ の 名 を 冠 し て、 ク ロ イ ツ ベ ル ク に ほ ど 近 い テ ン
Allmende
ペルホフ空港の跡地で二〇一一年から庭づくり活動を繰り広げ
と こ ろ で、 コ モ ン ズ に あ た る ド イ ツ 語 は ア ル メ ン デ
である。それは都市という環境全体をコモンズとしてとらえ、
それを自分たちの手に取り戻そう、という呼び掛けである。
活権や居住権を賭けた闘争であったことを思い出す必要があ
うに見える。それでも、化学肥料や薬品の不使用、リサイクル
リソース
リ ク レ イ ム ・ ザ ・ コ モ ン ズ
いりあい
る。クロイツベルクの空き地を利用した共同菜園はその牧歌的
コモンズは狭い意味では「地域の住民が共同で管理・利用す
で合法的な外見にもかかわらず、一九八〇年代西ベルリンのこ
の重視、持ち主に限らず誰でも敷地内に立ち入ることができる
ヴ イ ー ゼ
の地区を舞台として、再開発のために取り壊しの対象となった
オープンアクセスはこのプロジェクトでも一貫している。
もういちどコモンズの問題に戻れば、共有地はいかに豊かな
古い住居に不法に住みついて撤去に抵抗した若者たちの「家屋
占拠運動」の流れを受けるものと見える。家屋が維持補修すれ
— 12 —
プ
を通じて住民が都市の中に生み出すのは、身近な生存の場とし
ー
資源を蔵していたとしても、人々が継続的に立ち入り、管理・
ト
てのコモンズである。それは生態学的に言い換えれば、人間を
を創出する行動なのであ
ともに、新たなコモンズ
分有を通じて蘇らせると
した共有地を共同管理と
し立てであり、消滅に瀕
占と排除に対する異議申
の庭づくりはそうした独
狭めていく。都市内部で
存立する余地をますます
拓 く か が 熱 烈 に 謳 わ れ て い る。 宣 言 は 次 の よ う に 結 ば れ る。
う環境をいかに生き生きとしたものに変え、持続可能な未来を
が集まっている。マニフェストには共同の庭づくりが都市とい
二〇一五年時点で合計百三十を超える市民運動グループの署名
ン、ハンブルクといった大都市だけでなく中小の都市からも、
バン・ガーデニング・マニフェスト」には、ケルン、ミュンヘ
と共にネットワーク作りのために二〇一四年に起草した「アー
つの活動グループが他のコミュニティー・ガーデンのグループ
し、積極的に空き地を提供する例もあるようだ。先に挙げた二
これを住民主導の環境美化や用地利用の新たな手法として評価
まらず、全ドイツで近年高まりを見せている。自治体の中には
都市の中に住民が自発的に菜園を営む試みはベルリンにとど
オ
利用することがなければいつかは枯渇し、共有地そのものも消
含めて生物が共存して生きる生物棲息空間にほかならない。
ビ
滅する。都市においては、営利を目的とした大企業による独占
る。そこに生まれるのは
上に築かれた社会が生まれるからだ。われわれはこの庭がしっ
公園緑地のような、万人
かりと根を張り続けることを望む。都市はわれわれの庭なのだ
出あい、様々な展望が示される。それはこの庭に持続可能性の
置・管理された空間では
から。」未来ハ庭ニアリ。これは脱工業化社会に向けた力強い
「都会の庭はわれわれの生存圏である。そこでは多様なものが
ない。植物の生育や食糧
が立ち入ることはできる
の生産に直接かかわる庭
メッセージとなりうるかもしれない。 (たむら・かずひこ)
ものの行政によって設
しごとと共同作業の経験
— 13 —
的使用や、行政の行う再開発による囲い込みと排除が共有地の
アルメンデ・コントーア(テンペルホフ空港跡地)
著 を 語 る
自 マスメディアの中の数学
ば
ひろ し
小説・ドラマ・映画・漫画・アニメを解析する
ば
うな作品の中で登場した数学の話題につ
いてのブログを書くことでした。たまた
ま自分が観賞した作品に数学の話題が出
てきたときだけ書くわけですから、日々
きの話です。
ひみつ道具「バイバイン」が登場したと
か。そんなとき、その内容を理解するこ
えたり調べたりしたことはありません
学の話題に出会ったとき、気になって考
小説ドラマ映画漫画アニメ等の中で数
まったというわけです。
つの間にか本にするほど多くの話題が集
またひとつと書き加えていくうちに、い
え、 ブ ロ グ の 読 者 も つ き 始 め、 ひ と つ、
し、 少 し ず つ 詳 し く 解 説 す る 話 題 も 増
更 新 と い う わ け に も い き ま せ ん。 し か
ド ラ え も ん「 ひ と つ の 栗 ま ん じ ゅ う が、
とができれば、その作品をより一層楽し
馬場 博史
関西学院千里国際中等部高等部教諭
五分ごとに倍になると一時間でいくつに
むことができたといえるのではないで
あ の 人 気 漫 画「 ド ラ え も ん 」 の 中 で、
なると思う?」
しょうか。
これは等比数列の和の計算に基づいて
だよ」
それからわずか十五分で一億個を超すん
個! 二 時 間 で 一、六 七 七 万 七、二 一 六、
からでしょう。ただ、読者の多くはなぜ
トーリーが個性的で、文章も面白かった
ベストセラーになりました。もちろんス
人には馴染みのない数式が登場したのに
川洋子著、二〇〇三年)でした。一般の
き っ か け は『 博 士 の 愛 し た 数 式 』( 小
メントをいただけると嬉しいです。
「ここは間違ったままですね」などのコ
「 こ の 話 題 は 本 に は な い で す ね 」 と か、
た ブ ロ グ は そ の ま ま で す。 読 者 の 方 に、
訂正したものもありますが、もとになっ
没になった話題もありますし、間違いを
る限り詳しく書き直しました。なかには
返して、説明不足と思ったところはでき
幅に加筆・修正しています。何回も読み
出版するにあたって、もとの文章を大
のび太「さあ……、一〇〇個ぐらい?」
いますが、小学生にとっては難しい話な
その数式が成り立つのかを知らないで読
ドラえもん「とんでもない! 四、〇九六
のでまるで魔法のように思えたことで
んでいたのではないでしょうか。
そこである日思いついたのが、このよ
しょう。後に高校で数学を学習したらこ
の話を理解することになるわけです。
— 14 —
▼営業部だより▲
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『 自治体病院経営の基礎 』
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一九六頁 『マスメディアの中の数学 』
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(内容紹介 本誌一四頁をご覧下さい)
オーダメイド野菜が健康な食卓を導く
『 未来を創る植物工場の集合知』
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編・集・後・記
ずいぶん昔に「イッキクの水」という表現を目にしたことがあっ
たのをふと思い出したものの、漢字が浮かばず、調べてみた。キク
てのひら
は「 掬 」 で、 訓 読 み で は「 す く う 」、 あ る い は「 む す ぶ 」 と も 読
む。「 一 掬 の 水 」 は 掌 を 合 わ せ て す く い 取 っ た ほ ど の 量 の 水 を 指
す。「一掬の涙」には「わずかな涙」という意味と「両手ですくう
ほどの大量の涙」という二つの意味があるようだ。ついでに言うと
相 撲 の 技 の コ マ タ ス ク イ も「 小 股 掬 い 」 と 書 く。 腑 に 落 ち た の は
「掬」の字のつくりの「匊」の「勹」が「身をかがめてものを受け
のを受けとめるとき、人はなにかうや
る」形を表す、という説明だった。掌を丸めて(むすんで)水やも
う や し い 気 持 ち に な る。「 一 掬 の 水 」
という、今はほとんど使われなくなっ
てしまった表現には、水の貴重さやい
とおしさ、それへの感謝の念がこめら
れているのかもしれない。(和)
— 15 —
九二頁 〈非売品・ご自由にお持ち下さい〉
関西学院大学サイエンス映像研究センター[編]
〒 662 — 0891
兵庫県西宮市上ケ原一番町 1—155
TEL 0798—53—7002
FAX 0798—53—9592
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【色と祈り】
打樋 啓史
表す青は、スクリーン上で、静けさと同
惹きつけられた。イコンの伝統で神性を
天使たちがまとった衣の明るい青に目が
で、青は「神の光」であるとともに、人
く知られるように、キリスト教史のなか
フィアのモザイク「デーシス」の青がよ
「 シ ャ ル ト ル・ ブ ル ー」 や、 ア ヤ ソ
祈りを支えてきた。古代ギリシア・ロー
間的な深遠さを伝える色として、人々の
マでは不快で野蛮な色とされた青が、中
時に、曇りのない透明な喜びを湛えてい
これと似た体験として、フランスのあ
るようだった。
る修道院の祈りに参加したとき、その聖
世以降のキリスト教世界で、最も超越的
十年ほど前に、タルコフスキー監督の
ル上映で観る機会に恵まれた。十五世紀
『 ア ン ド レ イ・ ル ブ リ ョ フ 』 を リ バ イ バ
堂の青いステンドグラスの色に心をとら
かつ憐れみ深い色として好まれるように
ロシア正教の修道士・イコン画家である
色とは自然現象であると同時に、文化
とカラーで映し出され、それらの色が放
部分でのみルブリョフ作のイコンが次々
ほとんどがモノクロだが、エンディング
この映画は、約三時間半におよぶ全編の
ルブリョフの波乱に満ちた生涯を描いた
た今も、そのときの感覚が鮮明に残って
に満たされたのだった。二十年以上経っ
を照らし、同時に鎮めていくような感覚
かけてくるかのように心に浸透し、内面
照らされたその青が、言葉を超えて語り
ばで進路に思い悩んでいたのだが、光に
えられたことがある。当時私は二十代半
ちていることに感謝したい。
光があり、そこがこれほど多くの色に満
想像すると、深い連帯を感じる。世界に
て「大いなる何か」に触れてきたことを
のように、昔から多くの人々が色を通し
— 16 —
なったのは興味深い。
的・社会的事象であり、その一部として
つ輝きに圧倒された。特に印象的だった
宗 教 的 事 象 で も あ る。 私 の「 青 の 体 験 」
の が、「 聖 三 位 一 体 の イ コ ン 」 で、 穏 や
いるのは、不思議であり、嬉しくもある。
(関西学院大学 うてび・けいじ)
かな白味を帯びた全体像のなか、三人の
連載 46
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