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プロイセン初期工場法の成立と ブルジョアジーの民衆教育観

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プロイセン初期工場法の成立と ブルジョアジーの民衆教育観
Akita University
1
7
5
プ ロイセ ン初期 工 場 法 の成立 と
ブル ジ ョア ジーの民 衆教 育観 の変 容
対
馬
達
雄*
ない.確かに三 月前期か ら後期にかけての民衆教育のあ
Ⅰ 序
り方をめ ぐるこの階層の立論にはいわゆ る社会問題児童労働 (
営業的児童労働) とその保護をめ ぐる問題
紘,周知の ように大衆就学の基礎的条件を構成 し,近代
以後の公教育が現実の過程 として実体化 してい く上での
不可欠の側面である.従 ってその歴史的研究は近代教育
史の基礎研究 として重要な意味を もつ.本稿はこの児童
労働問題をプロイセ ン- ドイ ツについて捉え,特に ブル
ジ ョアジー (
産業的中産階級の上層を主体 とす るいわゆ
る 「市民」 として公生活の実質を握 る社会層) との関連
に照明を当て ようとするものである. その主要な 目的は
以下の点にある.
Paupe
r
i
s
mus
) の問題窮乏化 (
ー一般 とい う把握傾 向の下で, こ うした立場構築の問題
は十分 自覚 されてはこなか った.む しろこの点に関する
検討 自体が近代 ブルジ ョアジーの思惟-労働力確保 ・保
イ ン ドク トリネ全 と暴動防止を図る 「政治的教化」 (
シ a1
/)の論理 とい うこれ までの一般的な一元論的説明
の質的 ・内容的吟味に も連なると言える.資本制的生産
の落 し子たる児童労働問題は, この時社会問題 と教育問
題 との新たな結節的局面 として有効な考察対 象 た り う
児童労働の顕現 と保護立法化すなわちプロイセ ン初期
工場法の成立過程へのブルジ ョアジ-の関与を検討する
ことに より, この社会層の民衆教育1
)に関する思惟の様
態特にその変容を明 らかにすること. ここで言 う変容 と
は三月前期 (1
8
20
-4
8年)か ら三 月後期にかけての民衆
教育政策に対す る反発か ら是認の立場への移行を意味 し
ている. また初期工場法 とは 「工場内の年少労働者の就
-1
839
年条令) と
業に関する1
839
年 3月 9日の条令」 (
「1
839年条令の一部修正に関する 1
85
3年 5月 1
6日の法
律」 (
-1
853年法)であって,本稿は両立法間に変容を
る.従 って保護立法化への ブルジ ョアジーの係わ り如何
とい う当面の問題視角は, この社会層内部の多様性の描
捉を含む プt
lイセ ソ政府の政策意図 とこの社会層の立場
との相克か ら同調への過程の究明に外な らない.すなわ
ち以下の論述では,産業的立脚基盤 と民衆評価を主因 と
した内部的対立を包摂 しつつ, この社会層の主力が三月
革命期を分岐点に大衆就学の否定か ら保守的体制内縛の
倫理を前提 とした就学促進の肯定 (
実質化)に至 ったこ
と,児童労働規制をめ ぐってこ うした経緯が政策主体の
内部問題に関連づけ られて動態的に明 らかにさ れ る2
)
.
兄いだそ うとしている. こ うした 目的の設 定 は. 私 が
Di
e
s
t
e
r
we
g 研究に係わ って展望す る名望家政治段階に
おける初等教育政策の形成 ・展開過程の研究の一環をな
す.三 月革命以後貴族 ・地主層 と共に 「
財産 と教養」 あ
る階層 -名望家層 として統冶に加わ った プルジ ュアジー
n-W e
s
t
f
al
e
nにおける)の立場の検討は,
(
特に Rhei
三 月前期の様態を含め不可欠 となるか らである. プロイ
セ ン官僚絶対主義の下で貫徹 される民衆教育政策りわけ就学義務の現実化 とその質に係わ る-
と
の具体相
紘, この検討を前提に して初めて解明 しうる.その場合
ブルジ ョアジーの思惟の短絡的な一元化は避けねはな ら
*っ しま
たつお 秋 田大学
が共通 に投影 されて
いる.だがその立論は多元的である.従来 ブルジ ョアジ
ところで上の文脈か らも知 られ るように,児童労働問
題のこの ような検討は工業化過程における民衆教育のい
わば現実態の究明に通 じている.しか し管見に よると,プ
ロイセン- ドイツ教育史研究ではこの間題 自体ほ とんど
自覚的に考察 されては こなか ったように思われ る3
)
.確
かにプロイセ ン公教育成立過程に占める児童労働問題の
比重 と性格を例えはイギ リスの場 合との対比において考
えると,そ こには基本的な差異がある.言 うまで もな く
イギ リスについては児童労働の規制措置 (
特に1
833
年と
1
844年の工場法) とブル ジ ョア主導の下での民衆教育へ
の公的介入 ・支配たる公教育制度の形成が不可分に結合
し, この問題に注 目す る必然性がある.一方 プロイセ ン
- I-
Akita University
1
76
「
教育学研究」第45
巻
算 3号
1
97
8
年 9月
においては,工場法 自体を軍事的主因に基づ く官僚絶対
る繊維工業 (
特に綿工業)を主軸に進行 していた.その
主義の所産 とみなす一般的理解のために,それ と1
8
世紀
際,経営形態が未だマニュファクチュア ・工場 (
初期工
絶対主義の段階で構築 された公教育制度の変容過程 との
堤)であって作業工程に占め る不熟練労働 ・補助労働の
関連の意味が軽視 されがちとなる. こ うした プロイセ ン
比率が高か った こと,都市 ・農村部の直接小生産者層の
的特殊事情 も児童労働 とその保護に対する関心を喚起 さ
没落に伴 う相対的過剰人 口の創出と窮迫の現象(
窮乏化)
せてこなかった一因であろ う. しか し繰返 して言 うが,
に加えイギ リス商品に よる側圧があった こと, こ うした
この問題をいわゆるプロイセ ン型公教育の実体化過程に
要因の相乗化に よって特に繊維工業部門において児童労
おける検討領域 としてだけでな く,近代資本制社会の教
●●●●●●●●●●■●●●●
育の内実規定に係わる固有の要件 として捉えると,それ
働問題が顕在化 していた9
)
.
自体が研究史上の重要な空自部分に外な らない.西 ドイ
に よって記 されている. ここで調査内容が各郡市に及び
0件の委細はAnt
on
「文相通牒」に対する各県の報告 1
ツにおいて近年社会史研究の隆盛 と相 まって社会的経済
他の工場地帯に も妥当する と思われ る W e
s
t
f
al
en 州
的構造変動 との関連 とい う視角か らこの問題に論及する
Ar
ns
ber
g 県の報告 (1
825年 4月28日付)について摘記
教育史研究の動向4
)にも,かか る認識の浸透 が 窺 わ れ
す る10).
る. もとよりその実証的考察は今 日入手 しうる史料的文
・入職平均年齢 ・
-・
-6- 7歳.
献の不足のために著 しく制約 されている.例えば工場児
・労働時間---午前 5,6時- 1
2時,午後 1時- 8時.
童の実態調査に関する官庁史料 自体 1
9
世紀前半について
平均 1
3- 1
4
時間.二交替制に よる夜間労働 (
いわゆる夜
は不十分であ り,かつ正確 とは言いがたい.数的にも圧
組)あ り.
倒的な工場以外の営業に従事す る児童労働- 本来的な
徒弟関係にある雇傭や家内労働の分野-
・就労職種--全業種の作業工程における成人男子労
の調査に至 っ
働者 (
基幹 ・熟練労働者) の下での予備的補助的作業 と
89
0年代末に行なわれている.本稿 もこ うした史料
ては 1
婦人 との単純な連携作業.紡績工程の場合,糸継 ぎ ・糸
的制約を免れえないが5
)
, 研究史上の問題状況の一端を
巻掛外 し等.
解明す るに一定の意義を もち うるはずである.
・心身の状態--肺病 ・胸部疾患 ・腺病 ・身体虚弱等
なお以下の論述は,前述の ようにブルジ ョアジー関与
の諸症状 と道徳的頚廃の蔓延.
の視角に基づ く1
839
年条令の成立か ら1
853
年法における
それの修正に至る時点までの考察に限定 さ れ る. ま た
・学校教育---地域に よ り工場学校 (Fabr
i
ks
c
hul
e)
の配慮.心身障害のためその効果な し
1
81
7
年の端緒形成か ら両立法問の錯綜 した経緯の記述は
各県か ら報告 された工場児童 の窮状は,文部省に よっ
G.
K.
て医療 ・衛生行政的側面を含め とりわけ義務教育確保の
紙幅の関係か ら必要最小限に止め,その委細は
Ant
onの古典的労作 パGe
s
c
hi
c
ht
ederpr
euβi
s
c
hen
見地か ら意識 されざるをえない.周知の一般国法 (1
794
Ge
s
e
t
z
ge
bungB
um Sc
hut
z
ederj
ugendl
i
c
henFabr
i
k・
午)の満 5歳か らの就学規定 (
第 2部第 1
2
章43
-46
粂)
"
6
)その他7
)
に委ね ることに した
ar
bei
t
er
,Lei
pzi
g1
891
.
は, 1
825
年か ら新附 Rhei
n 州に も就学猶予 ・免除規定
い.以上の課題 と限定 とに基づ き,三 月前期 の児童労働
(
同44
条)を除いて適用 されている11).その場合,就学
をめ く
・る保護立法化の動向か ら言及 してい く.
強制の政策意図は身分 と職業の限界を越えてはな らない
とす る正統的ルター主義秩序観を前提に している.就学
Ⅱ 児 童 労 働 問題 の顕 現 と 1
83
9
年 条 令 の成 立
の終了条件が未だ堅信礼の受礼資格の確認-
(1
) 工場児童への政府の関心 と規制の動 向
の達成-
教育 目標
にあった こと (
特に 1
763
年の一般地方学事通
児童労働問題に対する文部省の関与は Rhei
n-W es
ト
則第 1,3,26
条)な どはその意図の表 出である. しか し
f
al
en を中心 とした実態調査に よって本格化 している.
窮乏化現象に巻 き込 まれ大量に創出され る段落中生産者
Aac
hen,Tr
i
er
,K61
n,Kobl
enz
, DBs
s
el
dor
f
,Ar
ns
-
層 ・工場労働者等の貧困層は,従来の身分制的枠組をは
be
r
g,Mt
i
ns
t
er
,Mi
nden,Br
e
s
l
au,Li
e
gni
t
2
:各県当局
みでている.それは単に経済的貧困のみな らず意識にお
に対する工場児童の状態の調査命令 (1
824
年 6月26日の
ける伝統的態度の喪失-
文相通牒)
8
)がそれである.周知の ように この西部二州
外な らない12'.数的に 「-ルバ ーフェル トだけで も25
00
守旧的秩序意識の瓦解-
に
は三月前期の工業化の最 も先進的地帯を擁 し,封建的退
名の学齢児童 中 1
2
00名が教育を奪われ工場で成長 してい
潮の濃厚な旧諸州農業社会 と対立的にブルジ ョア社会の
る」 とい う周知の 『グッノ
ミ-メ-ル便 り』(1
839
年 3月)
相貌を備えている. ドイツ経済史研究が明 らかにす ると
に報告 された工場児童 の生活現実は,その凝集形態であ
ころでは,工業化は Rhei
n 州 の場合最大の産業部門た
った.工場児童への最初の国家的関与 - 「1
81
7
年 9月 5
- 2-
Akita University
プロイセン初期工場法の成立 とブル ジ ョアジーの民衆教育観の変容
t
7
7
目の V.Har
denber
g 首相の回章 13)」に対する Ber
l
i
n
議録文書 (
Akt
e
)に よると,彼の動議は次の五項 目-
市当局の学力調査報告- 特に宗教的知識の有無-
①満 9歳未満の児童の雇傭禁止⑨工場での就業に先立つ
に
おいて 71
5名の工場児童 (9- 1
4
歳)中39名だけ若干の
3年間の就学証明⑨ 1日最大実労働時間 1
0時間④戸外で
知識を有 していた とい う事態1
4
)
に,すでにその危倶が現
の運動 1時間を含む昼 2時間の休憩⑤ 9- 1
4歳の児童に
われていた.それ故,彼 らに対す る最低限度の教育機会
対する工場学校設立に よる週 7時間授業,を内容 として
の確保は守旧的秩序意識の民衆 レベルでの再建 ・強化策
いる乞0). この動議は州会の 「
宗務 ・学務委員会」鑑定報
か ら生ずる必然的要請なのである15).
告に基づいて 1
837年 7月 6日の第29回会議で審議 されて
この ような政策意図は一般兵役義務制の採用(1
81
4年)
いる.以下その要点を摘 出 してい く.
以来軍事行政上の要請 と結合 していた_ 「回章」 の直接
その場含まず問題 となるのほ Sc
huc
har
d の立場であ
的契機が工場労働者の兵役能力の欠陥問題にあった こと
る.近年の企業家史研究に よると,彼は手工業的基礎に
828年の Ⅴ.Ho
r
n 陸軍中将の軍事的危
を初め として, 1
立つ独立生産者層の利益弁護の立場か ら 「
工 業 主 義」
棟の警告 とそれに照応 した W i
l
hel
mI
I
Iの是正措置を
(
I
ndus
t
r
i
al
i
s
mus
)を批判す る教養あるブルジ ョアジー
の保守的一点であった.彼は工業の過度の振 興 に よ る
求める同年 5月 1
2日の勅令等16)はその例証た りうる.
軍事行政的要請に支援 された児童労働規制の方向は,
「
極端な物質主義」の助長に反対 し,企業家ない し工場
しか しなが ら経済的後進性の現実をふまえた 国 家 主 導
主が宗教的人道的精神に基づいて公益的理念の実現に努
(
-官僚主導)の工業育成 ・振興政策の推進を図る内務
)
. こ うしたカルヴィニズム的
めるべ きことを主張す る21
省 (
商工局)の立場 と対立するジ レンマを内包 させてい
「古 き市民精神」擁護の見地か ら, Sc
huc
har
dは会議
た. 20年代か ら30年代にかけての Ⅴ・Al
t
ens
t
ei
n文相に
の席上改めて児童酷使に よる人格的価値の喪失を非難 し
ょる児童保護の呼びかけは,産業競争力の低下の防止 と
その保護を求めていた22).だが彼の動議は大多数の工場
市場の好況の維持を求めるⅤ・Sc
huc
kmann 内相に よっ
主議員か ら反対 されている.彼 らの反証は,例えば綿工
て絶えず反対 されていた17
)
.っま り政策主体内部に対立
業の中心地 Gl
adbach選 出の大紡績工場主 Boel
l
i
ng議
があった. この対立関係は40年代前半 まで一貫 して存在
員やBauer
.
議員に よると,児童労働の制限が親の収入源
し,保護立法の形骸化を助長 した一国であることを ここ
を奪いイギ リスとの競争下にある工場経営に負担を及ぼ
で指摘 してお く.だが工場地帯の児童労働の深刻化が明
す とい うことにあ った2
8
)
. 「
労働者の境遇を改善 しよう
らか となる (
例えば 1
834年 2月 1日の文相宛枢密顧問官
とす る労働者のための発言」はめ ったにな く2
4
)
, Sc
hu-
Kel
l
erの旅行報告 18)) 中で, 立法化が不可避 とみなさ
c
har
dはほぼ孤立 していた.後述の ごとく, ライ ン ・ブ
れて くる.
ルジ ョアジーを中心 とす る自由主義者の大勢 は 下 層 民
ところでこ うした児童労働規制の方向に対 していかな
(
大衆)に対する差別意識 と分限維持的な思考を基調 と
る係わ り・対応がブルジ ョアジーの間に惹起 されている
し,その教育 ・労働諸条件の改革に無関心であった. こ
であろ うか. Rhei
n 州会におけるこの層の行動を軸に
うした態度は,工場主の場合, 「
技術」に よる労働緩和
-機械体系の集約 よりも人間労働力の集約に よる作業 と
検討 してい く.
2
)保護立法化へのブルジ ョアジーの対応
い う未だ優勢な伝統的観念2
5
)
に よって も維持 された.
く
i)児童労働問題を内包する窮乏化の様相は30年代以
一方,土地貴族の各種代表議員に この動議に対す る積
降急速に社会問題化
していた.因みに ドイ ツにおけるこ
●●●●●●●●
の問題に関する非社会主義的性格の著作の刊行が20年代
極的対応は認め られず,む しろ無関心的立場 が 窺 わ れ
の30冊に対 して30年代54冊 40年代 (47年 まで)1
32冊 と急
都市部の児童を比べ ると都市部の児童の体位が劣 り--・
・
増の一途を辿っていること1
9
'
に も,全般的な 自覚化傾 向
都市出兵員の不足が農業地帯か ら補充 され る26)」 ことが
が反映 されている. 1
839年条令制定促進の一翼を担 った
予想 されているにす ぎない.
る.ただ郡長 Ⅴ・Hymmen 議員に よって 「
農業地帯 と
Bar
menの織布業工場主 (ファブ リカン ト)
W upper
t
al
選出の Rhei
n州全議員 J
.
Sc
huc
har
d(1
782- 1
855)の
Sc
huc
har
d の動議は,それに も拘 らず 60票 対 9票
(この票は Boel
l
i
ng 等の 11
時間制を希望 した もの)の
活動 もこうした 自覚の高揚を背景にもつ.すなわち 1
837
圧倒的多数で採択 され,動議内容に基づ く保護立法化が
年の幼年女工の投身 自殺未遂事件を契機 とす る "Rhei
-
国王に請願 されている (1
837年 7月20日)27). その原因
ni
s
c
hW es
t
f
al
i
s
c
herAn2
1
ei
ger
"舵 (3月29日付)にお
は何であったか.第一に,それは地主 ・土地貴族層が多
ける児童保護の提案 ・第 5回州会-の動議の提 出は, ブ
数を制す る州会の人的構成 -身分代表議会の性格にあっ
ルジ ョアジ-側か らの自主的行動であった.同州会の審
た.すなわち先の軍事行政的要請の延長線上にある Ⅴ.
-3 -
Akita University
1
7
8
「
教育学研究」算45巻 第 3号
1
978年 9月
Hymme
n の発言がこの社会層の賛意を促 した.その発
ブルジ ョアジーか ら構成 され るこの政治的党派は, プロ
言は労働力の農村離脱が顕在化 してい る中にあって,負
イセ ン王国全体の 自由主義的変革要求を掲げる州 内外の
葉労働力の確保 とい うこの層の関心を揺がす作用を もっ
反政府陣営の中核であった82).経済 ・労働過程に対する
ていたのである28).第二は,大 まかな推論が許 され るな
国家的介入の要請た る Sc
h1
1
C
har
d の動議は, この党派
ら,その票決内容か らみて Sc
huc
har
d の強い人道的訴
の反発を促 さずにはおかなか った. この党派の指導的一
えに,立法化に反対の工場主議員で さえ抵抗 しきれなか
員で Kr
e
f
el
d選 出の H.Be
c
ke
r
at
h議員等ほ,その動
ったためであろ う.
議を, 1
81
0年法 ・1
811
年法を通 じて確立 した 「営業の 自
か くしてプロイセン上層官僚に よる工場法の提唱-
由」原則への不当な干渉, 「
親権」行使の侵害 とい う理
その一環 として例えは Rhe
i
n州知事 Y.Bodel
s
c
hwi
ngh
由で拒絶 している33). こ うした対応には教育- 従来の
に よる1
835年以来の州会への働 きかけ2
9
)
-
共同体的な学校-
と対応 した
0条か らなる1
839
「
請願」挺出を直接的実検 として,全 1
に対す る国家権能への反発の意図 も
含 まれていた.一般国法規定の Rhe
i
n州への適用に基
年条令がプロイセ ン全土に効力を もって公布 さ れ て い
づ く貧民子弟の授業料の 自治体負担の論議に係わ って,
る80).その要点を摘記すると,(
1
)
満 9歳未満児童の工場
この党派が就学義務廃棄の動議を提 出 していた事実34)が
・鉱山 ・熔鉱場 ・砕鉱場におけ る雇傭の禁止 ・(
2)9歳以
示す ように,少な くともその 自発的利害か ら工場児童へ
上1
6歳未満の児童 ・年少者 (
-保護職工)の 1
0時間労働
(
朝 5時か ら夜 9時までの間)への制限 と夜間 ・日曜祭
日労働の禁止,午前午後各 1
5分 ・昼 1時間の休憩.(
3)3
の義務教育確保規定家の後見的干渉-
親義務の実質的崩壊に対する国
に賛成す るには至 らなか った. この
時,児童労働については親 ・教区 (
救貧費)の負担軽減
年間の正規の学校教育を受けない者 または母国語の読み
とい う常套的説明に結びつけて,幼時か ら勤勉に親 しま
書 き能力に関する学校長の証明書を もたない者に対す る
せ貧民子弟の怠惰な性格を矯正す るとい う 「
教 育」 観
満1
6歳 までの雇傭の禁止 (
県当局の判断に合格 した工場
念85)が用意 されている.いわゆる市民的労働観 と倫理的
学校設置の場合例外 とす ること). (
4)
牧師が指定する教
生活原理がかか る観念形成の一要因ではあるに して も,
理学習 ・堅信礼準備教育の時間内の就労禁止さ
工場児童に対す る教育棟会の提供は, ここでは慈恵的行
ところでこうした保護規定がほ とん ど実効性を もちえ
he
n
為以上の もの とは意識 されていないのである. Aac
なかったことは,土地貴族の利害優先 とい う 「
請願」の
商工会議所会長であ りこの党派の指導的論客 で あ っ た
提出経緯か らも窺い知ることができる.それは ブルジ 三
D.Hans
ema
nn (1
79
0- 1
864
) の見解3
6
)
は, この点を よ
アジーの大衆就学に対す る意欲の欠落で もある. この点
り鮮明に表わ している.すなわち,第一に窮乏化は本質
に詳 しく立入ることにする.
的に怠惰 ・浪費癖等々の純個人的責任に起因 し,下層民
i
i
) 1
839
年条令の実効性が成立当初か ら乏 しか った こ
には何 ら権利の要求資格がない こと.第二に社会政策的
とは,特別監督制度の欠落にすでに現われている.政府
介入は 「
慈善の粁」を解 き彼 らに新たな欲求を覚醒させ
部内での条令作成過程で Al
t
e
ns
t
ei
n が主張 した地方的
ること.第三に,一般的就学義務は彼 らの子弟に 「中産
な特別監督委員会の構想は V.Ro
c
how 内相の反対-
身分」の子弟 と同等の権利 ・平等感情を抱かせ,民主主
警察当局が監督義務を保持 しているとい う-
に よって
義的要素の助長に転化す る恐れがあること. こ うした見
1
)
.1
833年のイギ リス工場法ですでに
押 し切 られていた等
解に,階級的優越 と下層民の変革エネルギーに対す る危
克服 された名誉職的工場監督制度す ら存在せず,地 区警
楼意識を底 流 とした,体制外的存在 (
被護民)に彼 らを
察 と学校当局のみを動員す る監督体制 (
同条令第 7- 8
止めお こ うとす る民衆観が明示 さ れ て い る. 従 っ て
条)では,監督 自体が本来の業務に加 うる付随的職務 と
Sc
huc
har
d の先の動議は, その根拠が二, 三 の例外的
な らざるをえない.また工場主か らの 自主性の保障は,
な事態にだけあるとして採択 されずに終 っている8
7
)
.
地区警察の長たる市長が工場主の意向を無祝 しえないた
ところで工場児童 に対する教育棟会の提供が慈恵 と意
めに存在 しなかった. こ うした監督体制上の 欠 陥 か ら
識 され るとき,条令が雇傭者の義務 として指定す る学校
ち,条令の実質的な空文化が惹起 されている.
教育 (1日 5時間) 自体がマニュ ・工場経営を損なわな
第 7回 Rhe
i
n州会 (1
843年)において Sc
buc
har
dは
い範囲に限定 され ることになる.工場児童に対す る典型
その実施状況の不徹底について報告す ると共に工場監督
的な教育施設 として総称 され る工場学校は,周知の よう
制の導入を求める動議を提 出 している. この場合留意す
に正規の公立初等学校 (
6f
f
e
nt
l
i
c
heVol
ks
s
c
hul
e
)の
べ きことは,条令制定後 (1
840年)州会内に形成 された
極端に不十分な代用施設である.それは営業活動に規定
「ライ ン自由派」の存在である.Rhe
i
n商工業の一群の
され る授業時刻に よって夜学校 (
Abe
nds
c
hul
e
)
, 早朝
- 4-
Akita University
プロイセン初期工場法 の成立 とブル ジ ョアジーの民衆教育観の変容
1
79
学校 (
Mo
r
ge
ns
c
hul
e
) 等の存在形態を とる. この工場
法性 -既成性を前提にす るとい う矛盾的な基本的制約が
学校は30年代か ら40年代にかけて寮生 しているが,その
含 まれていた.) この時, 従来の守旧的な宗教的臣民教
形態は例えば更紗捺染工場主 Zi
e
1
3
1
e
r&Sc
hmi
dtの工
育体制の打破 と下層民の無知状態の克服 (
合理的な労働
場学校規則 (1
839年 6月 1
3日付)では次の ようになって
知識 ・勤労 -所有の認識形成)及び労働 ・生活諸条件の
いる.
改善は,不可欠の前提 とみな され る. この見地か ら,徳
午後 6時∼ 8
は学齢児童の就業禁止 と産業に対す る国家的調整 ・関与
同 5時∼ 7時30分.土
の必要性を唱導 していた4
2
)
.従 って プロイセ ン下院議会
・授業時間-・
・
・
.
復活祭∼ ミカエル祭時30分, ミカェル祭∼復活祭-
839年条令の修正過程における活動は,彼の立論の
での 1
曜 日休校.遇合計 1
2時間3
0分.
・教科 目--宗教(
聖書の読み方 ・聖書史 ・賛美歌)・
読み方 ・暗算 ・筆算.(全配当時間数の%-
当然の帰結なのである.
以上,三 月前期の児童労働 とその保護に関する考察か
宗教)
・授業料--賃金 より遇 IGr
o
s
c
he
n天引.施設維持
費 として親か ら遇 6Pf
e
nni
g徴収8
8
)
.
ら, ブルジ ョアジーの民衆教育問題への係わ りはその支
配的傾 向 として否定的-
無知の放任-
であった と結
こ うした工場学校における知識の伝達 (
従順 さの滴糞
論づけることがで きる.だが こ うした役割行動は三月以
を主 とする) 自体,条令無視の酷使状態の一般化 と相 ま
後一定の変更をみる. なかんず く保護立法の実効化をめ
ってほ とんど効果を挙げえず,む しろ授業に対す る工場
く
・る政策決定過程への関与形態に,民衆教育のあ り方に
児童の忌避傾向を醸成 していた ことは,その視察諸報告
関する立場の移行 -
を引用するまで もな く明 らかである. 同時代の教員新聞
が浮 きでて くる. この移行の様態について. まずその主
において工場学校を 「
現代学校制度の暗黒面」 とみなす
た る誘因を検討す ることを通 じて明 らかに してい く.
論調8
9
)
紘,その劣悪な実態に関す る正鵠をえた表現であ
Har
kor
t的立場 と異なった-
Ⅲ 児 童 労 働 規 制 の新 局 面-
ろ う.
(1
)
条令成立をめ く
・って顧現 した民衆教育問題へのかか る
1
85
3年 法 の成 立
「
三 月運動」 と技術進歩
消嬢的 ・否定的対応は,三 月前期 の 自由主義的 ブルジ ョ
i) 1
848-49
年の絶対主義的領邦体制の打倒一封建制
アジーの支配的懐向ではあった.少な くともこの層の支
変革の運動は,三 月革命史研究が明示するごとく,その
配的なメンタ リティとして,無知な下層民を も同一市民
一側面 として ブルジ ョアジーと下層民-労働者層 との社
に位置づけることは縁遠 く,既成支配層 との関係におけ
会的政治的対抗関係を顕現 させている.因みに E.To
dt
る閉鏡的な利害追求のみがあった. しか し,そ うした中
の調査に よると,三 月前期の ドイ ツのス トライキ件数は
huc
ha
r
d とも異なる立場か ら三 月以後の児
にあって Sc
27件を数えるが,その 日的はほ とん どが賃金に関する要
童労働保護政策問題に深 く関与 した F.Ha
r
ko
r
t(1
793
求-
-1
880) に代表 され る自由主義者は,固有の存在意義を
起件数 28についてみて も,少な くとも40年代初期 までは
もっている.彼の教育思想の包括的な検討は稿を改め,
飢餓状態にまつわ る棟械打ちこわ しを伴 う暴動がほ とん
ここでは主題 との係わ りで言及す るに止め る.
848年だけで争議件数は60件に増大
どであった4
4
)
.だが 1
1件だけ労働時間短縮の要求-
であって4
3
)
,蜂
Ha
r
ko
r
tはその出自と30年代までの先駆的な企業家活
し,労働時間短縮 にまつわ る争議だけで も1
3件に達 して
動 (
機械製造 ・鉄道建設 ・造船)か らみて もWe
s
t
f
a
l
e
n
いる4
5
)
.っ ま り, 自らを 「
労働者」 ない し 「勤 労 的 階
の新興 ブルジ ョアジーの典型的一員であった.だが新人
層」 と規定す る階級的意識が大衆 (
下層民)の間に顕在
文主義の思想的洗礼を受け教員運動の指導に も関与 した
化 しは じめていた4
6
)
のである.
社会運動家 として,その民衆観 ・民衆教育観は他 との大
周知の 「全 ドイ ツ労働者友愛会」 の結成 (
48年 1
0月)
きなずれを もっている.彼にとって児童労働 と工場学校
とその母体 となった 「ベル リン労 働 者 会 議」の 「諸決
の現実は, 「成人労働者の賃金低下のための--児童の
議」は, ツソフ ト的規制を克服する方向での組織化に基
心身の奇形化」 と実質的な教育機会の 「
剥奪」の再生産-
貧困
づ く物質的精神的な向上を追求 している.その場合注 目
の進行に外な らなか った4
0
)
. こ うした指弾
すべ きことは, この 「諸決議」 中第 4部 「民衆教育」4
7
)
の背後には,資本主義化の時代の固有現象 (
-社会構造
において満 1
4
歳 までの完全就学 (
いわゆ る年齢主義に基
問題 Ge
s
e
l
l
s
c
ha
f
t
s
f
r
a
ge
)と把握 された窮乏化の進行に
づ く) とそのための児童労働の禁止が独 自に要求 されて
対する危機的認識を基調に した,下層民 も含めた個々人
いることである.40年代中頃か ら従来のブル ジョア主導
の 自立性の育成 とそれに基づ く社会の発展 ・調和 とい う
とは別個に簾生 した労働者主導の「教育協会」
(
Bi
l
dungs
ve
r
e
i
n, 全 17協会)を拠点に して,すでに労働者層の
価値理念の追求があった4
1
)
. (もとよりこの追求には合
- 5-
Akita University
1
8
0
「
教育学研究」弟 45巻 弟 3号
1
97
8
年 9月
中でブルジ ョアジーと教養面での同格化が模索 されてい
政策上の損失が もはや重要視 されなか ったか らである.
た48).上記の要求には, この模索の帰結 として 自己の子
●●●●●■●●●
弟に対する平等な受教育の権利の 自覚が投影 さ れ て い
基づ く児童労働研究の成果52)を援用 して考えると,三月
児童労働に関す る営業政策の転換は,技術史的視点に
る.換言すれば, 「
三月運動」 における児童労働問題の
革命期を起点 とす る急速な技術変革過程に照 応 し て い
提起はそれ 自体貧困 ・無権利状態への埋没ではな く,固
る.本稿が児童労働場面 として措定 している繊維工業部
有の教育要求-
門における技術変革 と児童労働の後退 との関連を, ダニ
「
服従倫理 の強調」 と 「市民的教養 ・
陶冶」の二元性の打破-
の基礎的な条件確保 として積
極的に展望 されていたことの表出なのである.
レフスキイの基準-
水力 ・手動に換 る機械 的 原 動 機
(
蒸気機関)の応用を もって, 「第二の産業革命」 の誘
三月前期に窮乏化の論議が湧出 していた ことは先に指
摘 したが,それ らは概ねデスク ・プランの域を出なか っ
致 とす る-
に従 って捉えていこ う5
3
)
.先にも触れた よ
うに, 40年代前半 までの作業工程は手工的道具の作業枚
た.だが労働者のかかる 「政治化」 の過程で,それ らは
への代置 とい う初歩的な技術変革段階にあった.その代
焦眉の問題の性格を もち,社会政策的な思考が 自由主義
置過程 自体緩慢であった.紡績業 ・織布業では,それぞ
的 ブルジ ョアジーの間にも漸 く浸透 している.先柾 も挙
れ多数の下働 き ・補助者 (
工場児童)を要す る手動 ・水
げた
J
.Kuc
z
yns
kiの整理 に よるこの問題に係わ る著作
力 ミュール紡機, ジャカー ド織機が主体 で あ っ た.だ
・小冊子の刊行が48-50年だけで 1
93
冊に及ぶ こと4
9
)
や,
が,イギ リスにおける紡績機械輸出禁止策の徹廃 (1
84
3
プロイセ ン国民議会の民衆教育委員会 (
49
年以後の下院
午) と相 まって,50年代初頭 までの間に最初の大規模な
文教委員会の前身)の設置が 「社会問題が今や世界を激
技術的飛躍-
動 させている--」 とい う言葉で始 まる Ha
r
ko
r
tの動
な導入がみ られた. 自動 ミュール紡機,力織俵 の導入等
議を契枚 としていること5
0
)
は,その例証 となる.
がそれである.その場合, フランスにおけ る 2年毎の定
蒸気機関を動力 とす る磯械体系の本格的
反革命の成功 =守旧勢力の復活, この勢力 とブルジ ョ
期的な工業博覧会や 1
851
年の第 1回 ロン ドン万国博覧会
アジーとの妥協的癒着関係 (
名望家支配体制)の下で,
等は, プロイセ ンの工業生産能力の遅れを明示すること
階級対立に伴 う新たな社会関係-の政策的対応は今や不
に よって少な くとも従来の生産に関す る思考に衝撃を与
可避であった. Br
a
nde
nbur
g=Ma
nt
e
uf
f
e
l内閣に商工
え,いわば生産技術的思考を促進 させた一要 因 で あ っ
省大臣(1
848年内務省より独立) として入閣 した El
b
e
ト
た54)と考え られ る. この ような機械化に伴 う工場児童 の
Ⅴ.
d.
He
ydt(1
801
- 74
) は, 1
853
f
e
l
dの銀行家出身 A.
減少傍 向は<表
年法の立役者である.彼は立法化への第一歩 「1
851
年5
て, 1
846
-52
年 の工場児童が全労働者の中で も著 しく減
月22日の各県庁宛商工大臣回章」で 1
839
年条令修正の提
<表
案を求めるにあたって,従来の下部行政機関の児童労働
1
>か ら明 らかである. この 表 に よ っ
1
> プロイセン絃維工業部 門工場労働者数55)
問題への対処の甘さを戒め, 「市民社会の中で解体的に
作用 しつつある諸要因を阻止す るに適切な方法を見出 し
適用することが以前 より問題 となっている現在-州 政府
は工場における労働者の状態を無視できない.」51)と説い
4
歳両
1
4
歳以下恒 労働者 1
全労働者
歳以下 全労働者
1
4
1
3,
46911
4
8,
327
23
,33
311
99
,723
120,554i1
8
0,206
r
ている. この言辞には 「
三 月運動」に現われた反体制的
方向の予防 とい う政策意図が明示 されている.それは保
<表 2> プロセインにおける1
4
歳以下全工場児 童数56)
護立法化の過程を貫流する一つの重要な与件 とみな しう
る.
i
i
) He
ydt を中心 とす る修正立法化の動 きは, もと
より上記の意図の存在だけでは説 明 しえない. 30年代か
ら40年代にかけての文部省に よる立法化 とその実効化の
企図は,工業育成 ・振興政策 と対立関係にあった.三 月
以後 プロイセ ン絶対主義 と政治面で癒着 した ライ ン ・ブ
ルジ ョアジーの 一 典 型 と言 わ れ る He
ydtに して も
El
be
r
f
e
l
d とい う代表的繊維工業地帯の経済的利害を離
少 していること (
42
% 強の減少率)がわか る. この傾向
れては活動 しえないはずである.それに も拘 らず彼が立
に比べ頗著である. このことは特に,繊維工業部門にお
法化の推進 とい う立場を とるのは,そのことに よる産業
いて機械体系の改良 と集積が著 しい ことに起 因 して い
は<表
- 6-
2
>の同期間における全工場児童のそれ
(
30
%)
Akita University
1
81
プ ロイセ ン初期工場法 の成立 とブル ジ ョアジーの民衆教育観の変容
る.
が指定す る学齢児童の就労 時間 (
午前 5時 ∼ 午後 9時
この ように技術化の進行は児童労働の場の提供を少な
の間) と1
0時間労働
・
1時間30分の休憩 ・5時間の学校
くしている. もとより成人労働者 と工場児童 との間に協
6時間30分)では矛盾があ り,結果的に授業軽
教育 (
計1
業が必要 とされてはいた.だが児童が行な う仕事は次第
視の一因 となっている.従 って,過労防止 と授業効果向
に機械の作業工程に含 まれた. しか も絶えざる技術変革
上のために満 1
4歳 (
就学義務終了) まで 7時間労働に制
に基づ く生産工程への心身共に未熟な工場児 童 の 投 入
限 し, 1日 3時間の学校教育-
は,一層不適当 とな りつつあった.例えは
場主の全額費用負担 とし正規の公立初等学校の教育内容
力織機の場
工場学校 について も工
合には長期間の学習が前提 とな り, 1
0歳前後の児童の配
を標準 とす る-
置 ・使用は不能であった と言われる5
7
)
.後述の下院議会
通 り.その就労は午前 5時30分か ら午後 8時30分までの
を与えること.以後満 1
6歳 までほ従前
「商工 ・文教合同委員会」に よる, 1
4
歳 までの全工場児
間 とし, 1時間45分の休憩を設け ること.第三 に,現行
童の%だけが 1
2歳以下であるとい う統計的報告 (1
849
年
の監督体制の不備是正のため,イギ リス工場法 (1
833年
段階)58)は, こ うした事態を傍証 している. また この委
法)の工場監督官制度に倣 う特別の 「国家当局の機関」
員会を事実上指導 した Har
kor
t は,彼 自身の 1
6頁にわ
を当面 「必要性の明白な」工場地帯に設置す ること (
荏
たる調査資料 (
Anl
a
ge
)の中で W upper
t
al近郊 St
adt
意的工場監督制度)
. それは州当局の下に設置 され, 従
843年 :
Bur
g における 14歳以下の工場児童 の減少 (1
来の機関の活動 と有境的に統一的原則に基づいて運営 さ
372人- 1
852年 ・
'77人) を報告 し, その一般的原因を
るべ きもの とす ること.
「
---改良された横桟 と製造-の より高度の要求が より
幅広い知性を必要 としている」 ことに求めている5
9
)
.こ
こ うした骨子か らなる修正法案は同年 2月 3日の下院
●●●●●●
第1
7回本会議に 「
人道的な立法」 (
humane
sGe
s
e
t
z
)
の説明には技術進歩に伴 う児童労働の役割転換が明示 さ
として上程 され,教育政策 と営業政策共通 の問題 とすべ
れている.すなわち本格的な労働手段変革過程において
●●●●●●●●●●●●●●■●●●●●●●●
児童労働問題を媒介 として民衆教育のす ぐれて量的 (
就
きとす る Ⅴ・Pat
ow 議員 (
Fr
ankf
ur
t 選 出)の動議に
基づいて, 「商工 ・文教合同委員会」への審議の付託が
学義務の徹底化)質的 (
内容的)な拡充問題が有機的閑
●●●●●●■●●●●●●●●■●
連性を もって客観的に提 出されて くることになるのであ
採択 されている6
2
)
.以下,委員会での論議 と そ の 「
報
る.
続審議について考察を加えてい く.
告」をめ く
・る 5月 9日 ・1
0日の第68・69回本会議での継
He
ydtによる 1
839年条令修正への積極的対応は,か
-
i
i
) 委員会は Har
kor
t(
Ar
ns
be
r
g選 出)を含む 1
7
名
それに適合 しうる労働力創出
の委員の外に工場主兼商務顧問官 Car
l議員 (
Pot
z
dam
の認識を前提条件 としていた.機械制工業 とい う限
選 出) と商人 De
ge
nkol
b議員 (
Me
r
s
e
bur
g 選 出)の
かる生産技術変革構造-
定において,政策主体内の児童労働をめ ぐる教育政策 と
2名を専門委員 とし,前述の児童労働の状態 に 関 す る
経済-営業政策の車灘は解消 し,両者に架橋が生 じたの
Har
kor
t の調査資料を参考に政府案を審議 して い る.
である.三月以後,貴族 ・ユ ンカー優位 とはいえ,統治
結論か ら言 うと,委員会は政府案を採択 し本会議に送付
に加わったブルジ ョアジーに とって も,児童保護の実効
した.その場合,委員会報告か ら明 らかなことは,
Rhei
n
化政策は本質的にもはや敵対的な もの としては現われえ
州会で現われた ような,児童労働の規制をめ ぐる経済的
ないであろ う.以下,三級選挙制下の下院60)におけ る立
自由 (自由放任原理) との対立問題や国家の個々人の利
法化過程の動態分析を通 じてそのことを明 らかにす る.
害 (
児童に対す る親権)への干渉資格の有無を問 う根本
的論議が提起 されなかった ことである.抵抗力の弱い工
(2) 1
853年法案の審議 とその論理
i) 1
851
年の 「回章」に対す る各県当局の諸報告はい
場児童を もはや成人労働者 と同様の 自由な行為者 とは認
ずれ も1
839
年条令の拡充改善を要請 し,修正立法の制定
めがたい とす る理解が,その底流をな していた. こ うし
を不可欠 とみな している. この修正法案は He
ydtに よ
た理解は本会議において も再確認 されて い る6
3
)
.従 っ
って起草されている (1
853年 2月 2日)
.全 1
2条か らな
て, 「国家的安寧」を左右する工場労働者のために道徳
る法案について,年齢制限 ・就学義務 と労働時間 ・監督
・秩序及び人間的処置を助成すべ きとす る He
ydtの趣
機構の三点か ら説明 した趣意書6
1
)
(
Mot
i
ve
) に従 って,
旨説明6
4
)
に対 して,原則的な賛成があった.それは,文
その要点を摘記 しよう.
教委員会の委員長 として審議に加わ っていた鉱山監督官
第-に,従来の溝 9歳か らの就労は心身に破壊的影響
St
ei
nbe
c
k議員 (
Br
e
s
l
au 選 出) や 大 土 地 所 有 者
を及ぼ しているため就業禁止年齢を満 1
2歳に引上げ, 55
Ci
e
s
z
ko
ws
ki議員 (
Po
s
e
n選 出)等の本会議での発言内
年 5月 1日までに段階的に実施すること.第二に,条令
容が,保護立法に よる 「プロレタ リア化現象」-の対抗
- 7-
Akita University
1
82
と社会全体の 「
将来的希望」 の確保障-
「
教 育学研究」 弟 45巻 第 3号
宗教的教育の保
の強調にあ った6
5
)
ことに も表わ されている,
1
9
7
8
年 9月
制度への問題の限定は,工業代表者の間に 「工業 の諸要
求 の軽視」 とい う反発を惹起 してい る.それ は,法案第
だが こ うした原則的賛成に も拘 らず,委員会には政府
4粂-
満 14歳 までの 7時間労働制 と 1日 3時間の学校
案に対す る企業家や 自由主義者の批判的反応があ った.
教育-
が工場利益を損 な うとい う理 由に基づ く 2件の
その第一 は,保護規定 自体が当面 「
必要性 の明白な」工
法案修正動議 となって現われ る.一つは Rhe
i
n 州知事
場地帯に工場監督官を置 くとい うことに よって工場制度
Kl
ei
s
t
Re
t
z
ow 議員 (
Me
r
s
ebur
g 選 出) の第 4条 の適
に限定 されていた ことにある.農業的利害 に基礎を置 く
用停止を求め る動議であ り,他の一つは Ca
r
l議員 の学
保守的な多数派 (
ユ ンカー層)か らは, 「--農作業 ・
校教育を 3時間か ら 2時間に短縮 しその残余を労働時間
家畜番その他類似 の仕事への就学年齢児童 の使用を禁ず
に充 当す ることを求め る動議 である71).だが こ うした動
る提案」 は当初か ら反対 されていた6
6
)
. この時,農村で
議 は,政府案以上に工場労働の下限年齢を 14歳 として推
の児童労働 は共同体的擬制の中に包摂 され,人 間的な状
していた Har
ko
r
t7
2) か ら激 しく批判 されている.更 に
態が仮定 されていた. Har
kor
t の調査資料 は,その大
それは司法官試補 P.Re
i
c
he
ns
pe
r
ge
r 議員 (
K61
n選
半の部分を工業 に よる人間の心身の損傷 とい う保守派の
出)や牧師 Ti
s
s
e
n 議員 (
Aac
hen選 出)等 に よって も
批判の-両性に関 して充ててお り,統計的数字を駆使 し
●●●●●●●
なが ら実証的 に反駁 してい る.す なわ ち工業的な西部諸
●●●■●●●●●●●●●●●●●●●● ● ● ● ●
州 の救貧費支出が農業的な東部諸州のそれ よ り も 少 な
け られてい る. その場合, とりわけ Rei
c
he
ns
per
ge
rの
「
法案の趣 旨を理解 していない」 と論難 され 73)
,結局斥
反証-
「
青少年 の諸能力の保護が大人の労働能力の向
く,就学状態 ・道徳性 の状態 (
私生児 出生率か らみた)
●●●●●●●●●
も東部 に勝 ってい るとい うことである87). しか し本会議
上を期待 させ る」74) とい ういわば教育効率 の労働効率へ
におけ る保守的 な多数派の発言内容に照 らしてみて も,
K61
t
z議員
の転化 の論 旨が,決定的に作用 していた. ま た, 検 事
(
Me
r
s
e
bur
g 選 出)等 に よる 7時間労働か
専 ら工場主の非良心 と営利欲が非難 され,工場児童 に問
ら 6時間労働への制限を求め る修正動議 75
)
が採択 された
題を限定 させ ることに よってその他の分野への波及 は忌
の も,単 に成人労働者の 1
2時間労働制 に対応 させた 6時
避 されてい る.政策主体の性格か らして も法案は もとよ
間 の二交替労働制 とい う便宜上の理 由だけでな く,本質
りこ うした保守派 の利害 には反 しえなか った.その こと
的に Re
i
c
he
ns
per
gerの論 旨が支持 されたか らに外 な ら
は児童保護に よる大衆就学 の拡充をめ く
・る異質な社会経
ない.技術進歩 と生産効率及び実学初歩を含 む一定度の
●●●●●●●●●●
組織化 された知識体系- 宗教教育に基礎をお く- の
済的基盤に立つ勢力間の対立状態を示 してい る.換言す
●●●●●●●●●●■●●●●●■●●●●●●
ると就学義務徹底化の政策意図の限界がすでに支配層 内
●●●●●●●●
部 に存在 していたのである.
法案に対す る第二 の批判的反応 は特 に De
ge
nkol
b議
有機的関連性 は, ブルジ ョアジーか らも漸 く一般的承認
を得ていた. しか も工場制工業 におけ る工場児童 の存在
は もはや作業工程において重要 ではなか った. He
ydt
員か ら示 された. 自由主義的社会政策家 として知 られ る
自身が本会議 で 「
新規定に よって-・
-工場での営業状態
C.De
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nkol
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1
7
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6
-1
86
2
) 紘,その法案を工場労働
が必ず しも甚 しく混乱す ることはないであろ う.76)」と言
禁止 に よる貧困の増幅を考慮せず児童 の学校教育 と身体
明す るの もそのためである.
的発育を過度に重視す る一面的立場 と捉 える6
8
)
.本会議
か くして政府案は一部修正 (6時間労働制)を経て,
において も彼は児童労働の孤立的 な禁止が新たな問題発
下院上院いずれ において も可決 され,任意的工場監督制
生の連動 となることを指摘 し,それにむ しろ 「
残酷 な人
度を含む 1
8
5
3年法が成立 している (5月 1
6日). この よ
道」を兄いだす. この時彼 には単なる営利性追求の合理
うな法案成立 の過程に,大衆就学 の政策遂行をめ ぐるブ
化ではな く,国家 に よる貧困家庭 の救済が不可能 に近い
ルジ ョアジーの対立的立場 の基本的 な解消 と肯定的立場
現実にあっては依然 として児童 の労働力 としての必要性
の構築を認め ることがで きる.
が失われない とす る認識があった6
9
)
.事実,機械制工業
Ⅰ
Ⅴ 結 語
の発展の背後で再編成 され実質的に規制の及ばない小規
以上, プロイセ ン工業化過程におけ る民衆教育の実体
模営業 ・家 内労働分野等は貧困子弟の一層劣悪な最後 の
労働場面 とな り,そ こに彼 らは大量 に沈毅す る の で あ
とその政策決定過程の動態の分析 とい う研究史 に対する
る70). De
ge
nkol
b が提示 した初期工場法 自体の こ うし
若干の問題提起の意図を含めて,初期工場法 の成立を ブ
た限界問題は,社会事業史 との関連 で改めて言及 さるべ
ルジ ョアジー関与 の視角か ら検討 して きた. この考察に
きであ って, これ以上立入 る余地 はない.
おいて民衆教育 (
政策) に対す るブルジ ョアジーの立場
ところで上述の委員会での第- の批判的反応-
工場
の移行 の様態が一定度解 明されえた と思われ る. この理
- 8-
Akita University
プロイセン初期工場法の成立 とブル ジ ョアジーの民衆教育観 の変容
1
83
解を前提に,課題 との関連で注 目すべ き論点を抽 出 し結
可能性の追求-
び としたい.
業発展 と民衆支配に必要な限 りでの保守的教育政策推進
ほ挫折を免れえない.50年代以降,産
その第一は,児童労働問題への対応が単にブルジ ョア
-の関与の要請が, ブルジ ョアジーの支配的傾 向 として
ジ-内部に止まらず,政策主体内部において も異なって
定着す る.Hans
emannの立論の基本的意図は継承 され
いた ことである.前者について言えば, 1
839
年条令の成
854年)の容
ることになる.周知のプロイセ ン三条令 (1
立をみた三月前期には Sc
huc
har
d,Hans
emann に代
認77)はその帰結である.従 って この社会層の就学促進の
表 される 「ライ ン自由派」それに Har
kor
t とい う三つ
論理 においてほ, De
genkol
b が予見 した家内労働分野
の立場が構成 されている. これ らの立場は,従来のいわ
等への労働児童の沈毅現象やユ ンカー的利害の貫徹に よ
る就学の実質的な限界の問題は,黙認 され ざるをえない
ゆる開明的工場主か否か とい う単純な分別や人道的要因
の有無だけでは把捉 しえない.産業上の立脚基盤 と共に
のである. このことは同時に名望家支配期 における初等
新秩序に組込む民衆の評価ない し秩序意識の違いを根底
教育政策の限界 と矛盾の証左 ともみな しうるであろ う.
に,児童労働問題理解の多元化が導かれてい る の で あ
註
837
年の請願に して も Sc
huc
har
d の代表する工場
る. 1
制工業批判に基づ く昔 日の人間性の詣歌 と農業的利害 と
1)本稿でのこの用語は民衆 =大衆 (
Vol
k)の子弟の教
の調和が推進力であって,保護立法 自体はブルジ ョアジ
●●●●■●■●
ーの主流を形成す る Hans
emann等の中産身分に よる民
育の意味であって,近代学校教育への対概念 (
社会教
育) として もまた 「国民教育」 との対比の形で も使用
されていない. 「民衆」の実体 として,中層民 =自営
衆支配 とい う立論に圧倒 され形骸化 している.それは同
時に就学義務実施-
就学の徹底化-
小農 ・小市民層,下層民 -それ以下の 「ペーベル」層
に加え没落小生産者層 ・工場労働者等が想定 されてい
るが,本稿の主題の下では範鳴的には後者が主体 とな
る.
に対す る否定的
役割行動を意味 していた. また政策主体の側に して も,
文部省 -陸軍省対内務省 (-商工省) とい う政策意図の
未調整ない し対立が存在 し,そのことが ブルジ ョアジー
2) その意味で本稿は旧稿 「プロイセ ン下院 `
請̀願"審
主流に与 した形で保護立法を阻害 した.
議にみるデ ィースターグェ- クと "自由派 "
」(『教育
学研究』第42巻第 3号所収) と相補的関係にある.
第二は,三月革命期を分岐点 とす る民衆の反体制化の
動 きと生産技術変革の本格的開始 とい う新局 面 に 係 わ
る,機械制工業 とい う限定での児童労働の役割転換であ
3)最近 この問題を Di
es
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weg 研究に係わ らせた増
井三夫 「F.
A.
W.デ ィースターヴェ-クの く
く
文明の
死活問題"の研究-
る. この役割転換を基軸に して,民衆教育の量的質的拡
かれの公教育 論 試 論 (
-)
- 」
充問題が産業構造 との右横的関連性を もって現われてい
(
『湘北紀要』第 1号所収)の外,雇傭者義務成立の観
る.政策主体内の政策意図の不離は解消 した. 1
853年法
点か ら1
839年条令の制定事情に言及 した宮寺晃夫 「プ
ロイセン改革期の義務教育政策-雇傭者 "義務"の成
が商工省に よって主導 された とい う事実は,児童労働問
立」 (
世界教育史大系28『義務教育史』講談社,昭和
題が営業政策分野に係わる とい う所轄上の関係だけでな
52年所収)が散見される.
く,む しろこの問題の規制を槙梓 とした,本格的な工業
●●●●●●●●●●●●●●●
化段階に対応 しうる民衆教育政策一初等技術教育の拡充
4)例えばD.
K.Mt
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に方向づけられた-への積極的関与の意欲 の表出なので
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ある.そのことは支配体制内に割 り込んだ ブルジ ョアジ
会政策史的論述 としてH.Vol
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ーの大衆就学に関す る従来の役割転換形成-
肯定的立場の
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968.
-1
869
に連なっている.
第三は, こうした児童労働規制 とその内容に関 しては
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.278um
5)本稿での主要一次史料 として①Akt
横桟制工業においてすでに不可避 とみなされていた事態
が想定 され,む しろ保守的体制への内縛の服従倫理 と結
合 した就学促進の論理が貫流 していた ことである.それ
は一面 としては 「
三 月運動」において児童労働禁止の要
求を媒介に表現 された民衆の 自立的な教育要求の増大に
対する予防的な政策的対応であった.三 月以後の歴史的
与件の下で民衆を同等の体制構成主体た らしめ ようとす
る Har
kor
t の構想- 資本制的社会関係における上昇
- 9-
以下
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「
教育学研究」欝4
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巻 舞 3号
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巻末史料).
6)本書は,彼が Hal
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e 大学教授 ・枢密衛生顧問官 と
して Ⅴ・Gos
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er 文相を通 じて蒐集 した今 日入手 しが
たい豊富な官庁史料を駆使 したもの として比類ない.
BGl
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e
rの編集による前掲 の 1
9
5
3
年版 に本書は第 1部 と
して所収 されている.本稿はこの新版を使 用 し て い
る.なお第 1部の前半部分については小川利夫氏の邦
訳がある (日本社会事業短期大学 『研 究 紀 要』第 4
号)
.
7)さしあた り K.Agahd:Ki
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8. (前著はゾムバル ト文庫所蔵)
8)詳細は Ant
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9
0
-1
9
3.
9)川本和良 『ドイ ツ産業資本成立史論』 (
未来社,
1
9
71
年) 1
4
3
頁以下参照.
1
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.
1
2
)寺田光雄 「ドイ ツ近代化 と秩序意識の転換- その
構成的枠組」(
『社会思想史研究』創刊号 ミネル ヴァ書
房, 1
9
77
年所収) 1
2
3
-1
27
貢参照.
1
3
) この全文については W .Sc
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n 市の救貧制度の一環 として 1
837年以降貧民
子弟に強制入舎が指示 された 「
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」
の制度 もその政策的対応 である.その組織内容につい
ては, R.Ho
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6.
1
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)Ant
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.
1
7
) その場合,内相が若年層の虚弱化の原因を古典語学
校における学習(
古典語)過重負担に もあると反駁 して
いた こと (
di
t
t
o.S.52
)に示 され るように,中等 ・高
等教育のあ り方に関し新人文主義に基づ く古典語 中心
休制- 専門実科教育の軽視を維持す る文部官僚
●●●●●●■●●●●
の立場 と,当面高等技術教育の充実- 技術 エ リー ト
の養成- をめざす産業官僚の意図 との対立 とい う事
情が内包されていた.この点についてはさしあた り高
橋秀行 「プロイセンにおける工科系諸学校の生成 と発
展- 1
9
世紀プロイセン工業育成振興政策研究 ⇔」(
『大
1
9
7
8
年 9月
分大学経済論集』第26
巻 2, 3合併号所収)参照.
1
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)R.Al
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r はこの報告で
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n州工場地帯では 「児童の将来にいかなる配慮 も
認め られない・
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」 ことを指摘 している.
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37.
29
)彼は 「工業従業の学齢児童 に対 して満足すべ き学校
教育及び宗教教育を保障するための州命令」を起草 し
(
1
83
5年 11
月)
, 州会の審議に付 され るよう州会 と中
央政府に働 きかけていた.そ の 詳 細 に つ い て は,
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) その全文については R.Hoppe:a.
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所蔵)
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Akita University
プロイセン初期工場法の成立 とブル ジ ョアジーの民衆教育観の変容
しあた り望 田幸雄 『
近代 ドイ ツの政治構造』 (ミネル
ヴァ書房, 1
97
2
年)お よび H.Vol
kmann:a.
a.
0.
参照.なお 1
852
-55年の下院各派の勢力は,保 守 派
1
28人 ・自由保守派33
人 ・カ トリック派53人 ・旧 自由
派 58人 ・ポーラン ド派 11
人 ・無所属 69人 となってい
る.
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M.1
91
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)S.25. (B.
L.
所蔵)
41
)di
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o・S・6
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f
. この点に関 しては更 に寺 田,前掲論
文, 1
37
頁以下参照.
42
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f
.
43
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H.Radandt:ZurFr血 ge
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o.S.2
00.
46
)柳沢治 『ドイ ツ三月革命の研究』 (
岩波書店,昭和
49
年)235
貢以下参照.
47
) この項 目の詳細については梅板悟 『近代国家 と民衆
教育- プロイセ ン民衆教育政策史- 』 (
誠文堂新
光社,昭和42
年)24
0-24
2
京参照.
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-284.
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.S.362.
(B.L.
所蔵)
51
)Ant
on:Anl
ageS.201.
5
2)K.
・
H.Ludwi
g:a.
a.
0.
53
) ヴェ ・ダニ レフスキイ著,岡邦雄 ・桝本 セ ツ 共 訳
『近代技術史』 (
三笠書房, 1
9
37
年)33
見 お よび川
本,前掲書, 1
08
- 11
0
頁参照`
54
)山崎俊雄 「世界博覧会 と技術進歩」 (
経済学全集27
『資本主義 と技術』筑摩書房, 1
9
66
年,別冊) 2- 3
瓦
a
.
0.
55
)K・
H・Ludwi
g:a.
a.
0.
,S.7
0 但 し本表は全面的
に簡略化修正 されている.
56
)di
t
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o.S.78.
57
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o・S.75
f
.
58
)Nr
・3
08 S.1
3.
59
)di
t
t
o.S.48.
60) この 「
反動期」の下院の構成 と性格については, さ
1
85
61
)Nr
.9
2S,7
-1
5.
6
2
)S.
B.Bd.I S.204
f
f
.
6
3
)S.
B.Bd.3 S.1
4
58.
6
4
)di
t
t
o.S.1
455
f
.
65
)di
t
t
o.S.1
45
7und S.1
468.
66
)Nr
.3
08S.1
2.
6
7
)di
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o.S.38
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.undS.47
f
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o.S.1
7.
6
8
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69
)S.
B.Bd.3 S.1
45
3
f
.
7
0)岩 田正美 「
産業革命下の児童労働 と工場立法」 (
一
番 ケ瀬康子編 『児童問題講座 1- 児童政策』 ミネル
ヴァ書房, 1
9
76
年所収)48
-49
貢 参照`
71
)S.
B.Bd.3S.1
467
-1
468.
72
)Nr
.3
08 S.41.
73
)S.
B.Bd.3 S.1
469.
74
)di
t
t
o.S.1
467.
75
)di
t
t
o.S.1
45
2und S.1
470.
76
)di
t
t
o.S.1
456.
77
)前掲拙稿参照.
く付記> 本稿作成にあた って不可欠 な史料 H
Akt
en
Nr
・27
8"と "Nr
・9
2""Nr
.308"は,それぞれ Ar
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n)の Her
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l両氏に よっ
て入手で きた.記 して謝意を表 してお きたい.
本稿は昭和51
年度文部省科学研究費奨励研究(A)「プ
ロイセ ン下院議会における初等教育政策の研究」の研究
成果の一部である.
- ll -
Akita University
The Establishment of Early Prussian Factory Laws and the
Transformation of the Bourgeoisie' View of Volksbildung
Tatsuo Tsushima, Akita University
The problem and protection of child labor
forms the foundations of popular school attendance. It is necessary for our image of public education to take concrete shape in this modern age,
consequently the historical study of this problem
should be important to the study of modern education.
This paper treats the problem and its relation
to the bourgeoisie in Prussia-especially legislation
for its protection. The main point is the need to
clarify the phases of thinking, in other words the
"transformation" of that society's ideas regarding
Volksbildung. This is an important step in visualizing the concrete shape of the processes of formation and development of elementary educational
politics under the rule of the so-called "Germans."
Hasty simplification of the meaning of the term
"bourgeoisie" should be avoided. A "social problem"
did exist, but diversification also existed because
of the different images and values placed on the
word volk. There is a tendency to neglect this
problem when grasping the meaning of "bourgeoisie."
An examination of this problem leads
naturally to an examination of the theory of
"indoctrination" of this social class. Child labor
problems are useful in considering social and
educational problems together as a whole.
This paper explains the route the bourgeoisie
followed in proceeding from a stand against the
politics of Volksbildung-particularly the politics
of compulsory school attendence and its nature-to
that of recognizing it, including its internal diversification.
This process has been clarified by
examining bourgeoisie participation in the early
factory laws-i. e., the Act of 1839, the Act of
1853, and so on.
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