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*1 マタイ 21:13、マルコ 11:17、ルカ 19:46 イスラエルの成人男性は宮に

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*1 マタイ 21:13、マルコ 11:17、ルカ 19:46 イスラエルの成人男性は宮に
2016年5月1日
礼拝
ヨハネ3:1-15
「神の国に入るために」
〇
富士見台駅前郵便局でこんな事がありました。
5時すこしまえに、郵便局に到着して、受付の番号をもらって座っていました。
5時になると、時計がなって、店内とATMを分けているシャッターがしまりました。
店内にはちょっとした応接スペースがあります。そこに何かが登場しました。
丸いもので、床の上をゆっくりと移動し始めました。
何だと思いますか。
ルンバでした。
お掃除ロボットです。
郵便局は5時にシャッターが閉まりますが、お仕事が終わったわけでは無く、局員の方
は相変わらず忙しくしています。その中、黙々とお掃除をし始めたのです。数人いたお客
さんが帰られたら、ルンバはお客さんがいたところも掃除をしていくのでしょうね。
それは明日の、準備のためです。
イエス様もお掃除したことが聖書に書かれています。
ちょっと手荒ですが、お掃除。そのあとにニコデモという人が出てきます。
興味深いことですが、このお掃除は2回記されています。
イエス様がエルサレムに上られて、これから3年伝道!という、初めの時と、
イエス様が十字架で殺される一週間ほど前の時です。
*1
最初のお掃除の後に、ニコエデモが出てきます。
そして最後のお掃除、そしてイエス様が十字架にかかられた直後にまたニコデモがでて
きます。
最初の時のニコデモと、最後のときにニコデモは同じニコデモですが、内側は全く新し
くなっていたのです。
今日は神の国にはいるために
という題で話します。
〇
イエス様の行動を整理しますね。皆さん、2週間ほど前の週報の後ろにあった表をお持
ちですか。スライドをご覧下さい。
ナザレで約30才まで生活されて、ヨルダン川に行って洗礼、それから荒野で40日40夜
断食
そのあとエルサレム。それからまた
ヨルダン川のあたりに、そこでバプテスマの
ヨハネの弟子など5人に出逢い、彼らを弟子とします。カナでの結婚式にでるために弟子
達北のカナに下ります。そこで、最初の奇跡として水を葡萄に変えられます。
それから、カペナウムに。ここがガリラヤ伝道の拠点となります。ここまでで、約半年。
そして残りの3年がはじまります。
*1 マタイ 21:13、マルコ 11:17、ルカ 19:46
イスラエルの成人男性は宮に半シェケルを献げることがさだめられていました。(出エジ
プト 30:11 - 16)、ローマの通貨をイスラエルの半シェケルにする必要がありました。そ
の時に、高い手数料を取っていたことが予想されます。
-1-
イエス様はカペナウムから弟子達とエルサレムに上られます。エルサレムは中心ですか
ら、そちらに向かっていくのを上ると言います。大阪から東京行きの新幹線は首都が東京
ですので、上りといいますね。逆に、エルサレムから北のガリラヤに行くときには、「下
る」と言います。
イエス様が、エルサレムに上られてなさったことが、大きなルンバではありませんが、
神殿の敷地内のお掃除をなさったのです。
お掃除と言っても、竹箒でお掃除というのではなく、柔和なイエス様が、激しく怒って、
神殿にあってはいけないものを,追い出すようにしてきよめていかれたのです。
それがヨハネ2章13-16を見て見ましょう。
その後、イエスは母や兄弟たちや弟子たちといっしょに、カペナウムに下って行き、
長い日数ではなかったが、そこに滞在された。
ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。
そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧
になり、
細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、そ
の台を倒し、
また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商
売の家としてはならない。」
なぜこんなに激しく、手荒なお掃除をされたのでしょうか。
当時は既得権力者がお金を儲けるために綿密に計画された組織がありました。
大祭司アンナスがお金を出して、ローマから祭司長権を買っていました。投資した分を
取り返すために祭り用品の専売庁を作って商売をさせていました。供え物の専売庁はオリ
ーブ山にありました。当時の指導者たちはローマの権力をつかって、ひどいことをしてい
ました。 *1というのは神様に生け贄を献げることを純真に願っている民の宗教心を利用し
て、暴利を得ていたのです。つまり、いけにえをささげたいと思ったときに、例えば、2
000円で買えるいけにえなのに、専売庁のシールがあるいけにえは4000円という具合で
す。
しかも、そのシールがないといけにえの儀式を行ってもらえない。そのような具合です。
表面は、礼拝に来た人の為にという顔で、実際は礼拝に来た人から必要以上に搾り取
っていたということだったのです。
しかも、そのような不当が、神様の神殿の敷地内でどうどうと行われていた。
ですから、「わたしの父の家を商売の家にしてはならない」と仰ったのです。
二回目の宮きよめのときには、
『わたしの家は、祈りの家でなければならない』
*1「おっ?!
聖書が読めてくる!」
P.230 ツラノ出版
-2-
と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」(ルカ 19:
46)と恐らく大きな声で、叱るような声で仰ったのです。
T教会のA先生にこんな話を聞いたことがあります。
またA先生が
ご両親であるA先生と、B先生と一緒に教会で
牧会をしていたころです。
T教会には広い駐車場があります。ある人がやってきて、B先生に、ほん
の少しの時間でいいので、駐車場をお借りできないでしょうか。と腰低くお願
いしたそうです。B先生は、何か人助けになるのだったらと思って、「良いで
すよ」と仰いました。
しばらくすると車が到着して、テントを張って、そこで、何かし始めまし
た。ぞろぞろと人があるまるわ、あつまるわ。皆さん、催眠商法ってご存知で
すか。あれです。さくらの人達がお客に紛れています。説明をする人が、少し
話しをすると、よくお話を聞いて下さいました。ここまで聞いて下さったので
すか、これを差し上げたいと思います。(フライパンかなんかでしょうか。)欲
しい人手を挙げて下さい。さくらが、すかさず、はいはい。と手を挙げる。す
ると、つられて、手を挙げて、フライパンをもらう。また途中まで話をしては、
さあ、これをただで差し上げます。欲しい人・・・といって手を挙げさせる。
しばらくいって、気持ちよくさせておいて、最後に
高い布団か何かを出して、
たったの30万、いかがですか。最高のものです、さあどうですか、欲しい人
手を挙げて下さい。さくらが手を挙げ、つられて、初めて来た人が手を挙げて、
契約してしまう・・・・そんなものだったようです。
A先生は牧師室から、威勢のいい声がするわ、何かもらって嬉しそうにして
いる人達の声がするわで、何かおかしいと感じられたのでしょうね、降りて行
ったら、すぐにわかったので、「すぐにでていきなさい」と柔和なA先生が、
仰ったそうです。きっと普段よりも大きな声だったでしょうね。
皆さん、明らかに違法な商売を、聖なる場所、教会で牧師を騙してどうどう
とやる。A先生は聖なる怒りを感じられたのです。
イエス様は、宮で理不尽なことがまかり通り、また静かにお祈りをするべき
ところが、お祈りどころではない、年末のアメ横状態だったので、この宮はお
祈りの場所ではないか。と義憤を感じて、乱暴ですが、「細なわで、むちを作
って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、
また鳩を売る者に言われたのです。それをここから持っていけ、わたしの家を
商売の家としてはならない。
厳しいことですが、イエス様はそこにいた商売
人を追い出されたのです。
皆さん、商売をしているひとが悪いというのではありませんよ。専売庁や大
-3-
祭司とぐるになって、礼拝、祈りなどはどうでもよくて、ただお金儲けをして
いる人達を追い出されたのです。
皆さん、ちょっとイエス様のイメージが変わったかもしれませんね。
いつか私は「クリスチャンは柔和であっても、お人好しであってはいけない」
といいました。「クリスチャンは神様の聖さが汚される事に対して義憤を感じ
てよい」と聖書を通して申し上げることができます。この義憤をどう表現する
かは、聖霊の助けが必要ですが、クリスチャンだったら、不正にたいしても怒
ってはならない。義憤を感じてはいけない。というのは違います。
イエス様は、神様の聖さが汚されたときに義憤を感じられ、宮をきよめられ
たのです。そえは公的な挑戦状です。これから3年の伝道を進められていきま
す。
当時は政治と宗教が癒着し腐敗した状態でありました。
しかし、真面目に神様を愛し、神様を礼拝し、神様にお従いしていた人達も
いたのです。
ユダヤの指導者でニコデモという人の登場です。
教会学校で、1個でもニコデモ?と言っていた人がいました。
ニコデモは、パリサイ派の指導者で、老年になっていました。
一筋に信仰の道を歩み、来たるべき救い主を待ち望んでいた人です。
ニコデモは、神殿、神の宮のあるところで不法がまかり通っている事を憂え
ていた人、そして、イエス様が、神さまのことを語られ、病のある人、悪霊につかれ
ている人達を病や悪霊から解放され、罪人と呼ばれるような人達が、イエス様に出会って
新しい歩みを始めていることを知った人です。
彼は神様がなさっている働きというのを、敏感に感じ取る感性を持っていた人です。
このような感性をもつとうことは大切なことです。
昼間は沢山の方がイエス様のところに来るので、ゆっくりと質問したり、話を聞くこと
はできません。
そこで、一段落した夜、恐らく事前に会いに行きたいという連絡をしてから、ニコデモは
イエス様に会いに行ったのではないかと思います。
ゆっくり、直接お話を伺うとうことは貴重なことですし、大切な経験です。
ニコデモはユダヤ人の指導者です。夜一人で行動するのではなく、恐らくパリサイ派の
弟子数人を連れてイエス様のところに行ったのだと思います。
・ニコデモが知りたかったこと
神様のことをもっと知りたい。
この方は神様のもとから来られた方だから。
・なぜ神様のもとから来たと思ったのか
神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこようなしるしは、だれも行う
ことはできません。
ツァラアトの癒し・・・メシア?
-4-
自分にはわからない世界を知っておられ、神様がともにおられるから奇跡が起こっ
ている。また、どうどうと宮をきよめる、神様の権威をもって行動しておられる。
何とも言えない躍動感、期待感。
そんな思いをもってイエス様のところにニコデモは来た。
・イエス様が仰ったこと
まことに、まことに
・・・・大切なことを仰るときこう話される
人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。
見る・・理解するという意味
I see what you mean.
パリサイ派の指導者に向かって、今のままでは神の国の奥義を理解することは到底
無理です。ということを言っておられる。皆さんにこでもは、パリサイ派のユダヤ
の指導者です。聖書のことを良く知り、老年になるまで敬虔に生きてきたひとです。その
方に若干30才のイエス様から「人は新しく生まれなければ」といわれたのです。
このようなことをストレートに言われて、カチンと来たら、本気でイエス様にお話
を聞きに来た人ではありません。ニコデモは何としても、神様の奥義を知りたい、
もっと神様の世界を知りたいと思っていた人です。ですから、怒りはしません。
新しく生まれる
・ニコデモが新しく生まれるとうことで思いつくこと
おめでとう!と言われてきたこと
・誕生
母の胎から
・バルミツバ
・結婚式
・子供のが生まれた時
・パリサイ派の指導者になること
が考えられます
その最初の誕生のことを思いついて、こう言います。
・老年になって、母の胎にもどれましょうか。・・・不可能に思える、
→どうやったら、今からでも可能でしょうか。という質問。
真面目な質問で、茶化してなんかいません。
・イエス様のお答え
人は水と御霊によって生まれなければ,神の国に入ることはできません。
新しく・・・上から
御霊
プニューマ
・・神様によって
聖霊
風のよう
・・・思いのまま吹く、
どこから来て・・分からない
しかし存在する
どうしてわからないか?10節
御霊によって人は生まれる
御霊によって、理解する力が与えられる
転
ニコデモに、イエス様は
新しく生まれることによって理解できることがあると
話しておられる。
-5-
・・・聖書を研究していたら?
神様を信じますと言ったら?
救われるのでしょうか。
知識が真の理解になる経験
徳田先生
富士見台でイエス様を信じた。また頭の理解
苦しく感じた・・・聖霊が導いておられた
特別伝道会のときに深い納得、理解
聖霊によって、神の子どもになった事を知った
これを上から生まれるとういこと
イエス様はニコデモの知識に光を与えられた
・モーセ
蛇
呪われたものとなった
仰ぎ見る者は救われる
イエス様
信仰
天から下ったもの
呪われたものとしてやがて十字架に
この方を仰ぎ見るもの
信じる信仰
・・救われる
ニコデモには理解できませんでしたが、心に主のことばが必ず残っています。
聖霊によって理解できる
聖霊は今も豊かに働いておられる。とうことは誰でも主を信じることのできる時
代
結
ニコデモは、
人は新しく生まれなければ、水と御霊によって生まれなければなら
ないと聞きました。この時、ニコデモはその意味がわからなかったのです。
ヨハネの福音書19:39
でニコデモが聖書に再び出てきます。
この時の状況は、イエス様が十字架で殺されたところです。
自分はイエスの弟子ですというのに、一番困難を感じるときです。
その時に、ニコデモは弟子と一緒に、アロエを混ぜ合わせたものを
30キログラ
ムをもって来たのです。どこにもって来たのでしょうか、ニコデモと同じく、イエス様の
弟子となっていた、アリマタヤのヨセフの用意した自分のまだ使っていない墓のところで
す。そこにイエス様が安置され、体に油が塗るという葬りの儀式をするためでした。
明らかに、ニコデモはイエス・キリストを信じて、弟子となっていた人です。
ニコデモは、イエス様が自分達が待ち望んでいた救い主であり、人々の罪の為に十
字架にかかってくださったことを、聖霊によって分かったからこそ、公にイエス様の弟子
だというかのように、イエス様のお墓にに来たのでしょうね。
皆さん、聖霊は私たちがまだイエス様を知らないときにも働いていてくださり、そ
して私たちを真理に導いてくださいます。そして聖霊によって私たちは、イエス様が主で
あると告白することができるのです。
家族はクリスチャンでないのに、自分はミッションの幼稚園に行って、そこで讃美
歌を歌い、聖書のお話しを聞き、イエス様が神様だということを聞いた。クリスマスには
生誕劇もした。懐かしい思い出だけれども、公立の小学校に進み、大人になるまで教会に
行った事は無かったけれど、心のどこかに、自分は教会にいつか行かなければと思ってい
て、教会に行きたくなって教会に行き、聖書を読み、自分の内側にある罪を感じ、イエス
-6-
様が十字架にかかって死んでくださったことにより、救って下さったことを知った人もい
ますでしょう。努力で救われたのですか。いいえ、聖霊が働いていて下さるからです。
人は、新しく生まれなければ神の国を見ることはできない。
聖霊は、私たちを救い主イエス様に導き、イエス様があなたの救い主だと悟らせてくだ
さいます。こころを神様に向けて、神様の仰ることを受けとめ、行動しましょう。
ニコデモの出来事から、何を学ぶことができるでしょうか。
人は、神様によって生まれ変わり、その時に神の国のことが分かるものになっていくと
うことです。
そしてニコデモは最初は分からなかったけれども、イエス様のみことばがずっと心にの
こっていたからこそ、後にキリストの弟子にあったのです。
・みことばを覚える
今日のところでしたら
・まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見
ることはできません。
ヨハネ3:3
・見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあける
なら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食
事をする。
黙 3:20
バーベキューの時に、炭をくべて、火をつけます。最初はなかなかつかないけれど、
やがて炭があるので、火力が強くなってきます。
聖言という炭を沢山に心の中に貯えておくと幸いです。聖霊がみことばを意味を教えて
下さいます。「そうだ、私のこころに、イエス様を迎えよう」ときっと主が導いてくださ
います。
お祈りしましょう。
父なる神様、御名を讃美します。ニコデモは神様のことをもっとしりたいと、真剣に願
ってイエス様の所に来ました。「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできな
い」 と言われたことばを心にとめていきました。何度も、何度も思い返すうちに、聖霊
の助けによって、ニコデモも新しく生まれ、キリストの弟子となりました。神様が語りか
けてくださっている聖書のことばの真理を聖霊によって悟らせてください。主イエス様の
御名によってお祈りします。アーメン
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