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2016.03.06「わたしについてきなさい」マタイ4

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2016.03.06「わたしについてきなさい」マタイ4
2016.3.6
礼拝説教
「わたしについていきなさい」
聖書
マタイ4:12-22
〇
富士山に登った時のことがあります。3 回目に登った時は 8 合目の山小屋で一泊し、
そして 2 時に出発 4 時ぐらいに頂上に到着しました。そして日が出てくるのを待ちました。
まわりも日の出を待っている人達がいましたが、以外に風が強くとても寒かったのです。
私は雨は降っていませんが、防寒着の上に雨具を着て寒さをしのぎました。
当たりは真っ暗です。頭につけたライトだけ。次第にまわりが明るくなり、太陽が上が
ってきました。
暗闇に光が上がってくる瞬間でした。雲海が広がり、その向こうから太陽が現れたので
す。天地創造の神様の御業の素晴らしさを感じた時でした。
待っている時はとても寒かったのですが、その光景を見たときには、寒さもどこかに行
ってしまい、感動して見ていました。そう、暗闇に光が入ってきたのです。
さて、マタイ4章16節に
イザヤ書の預言とそれが成就したことが記されています。
暗闇の中に座っている民は偉大な光を見、
死の地と死の陰に座っていた人々に光が登った。
イエス様は暗い世界に光となって現れてくださいました。そして私たちの心に光をもた
らしてくださいました。
先週ある方とお話をしていました。その方はまだクリスチャンではありません。「先生
はどうしてクリスチャンになったのですか。聞かせてください」と話され、私は主が私に
どんなに素晴らしいことをして下さったかを話しました。暗闇の中いた私をイエス様は光
の世界に導いてくださったのです。
その光であるイエス様が、弟子達を選ばれました。
今日の中心の聖句は
「わたしについて来なさい。あなたがたを人間を捕る漁師にしてあげよう」です。
〇
ゼブルンの地、とナフタリの地、湖に向かう道、
ヨルダンの向こう岸と異邦人のガリラヤ。
15 節
主の都、エルサレムからすると、北の境界線に近いところです。以前、「地の民」とい
う事を話しました。ヘブル語で「アム
レツ
ハー
アレツ」彼らは
「地の民」、アムハーア
と言ったら、相手をほめているのでは無くて、限りなく異邦人の地に近い、価値の
低い人達というような蔑む意味がありました。
聖書を読んでいると、いろいろと励まされることがあります。
1,イエス様の誕生を一番最初に知らされたのはだれでしょうか。羊飼い、羊飼いは当
-1-
時、裁判の証言不適格者といわれていました。あの人たちの証言は信用ならないと思われ
ていたのでしょう。その人たちに神様は世界で最初に救い主の誕生を知らせてくださいま
した。この世にあってはじに置かれていた人達を神様は覚えていて下さいました。
2,異邦人でイエス様の誕生を始めて知らされたのは
東方の博士です、彼らはマジャ
イという天文学者です。当時の天文学は占星術師でもありました。ユダヤ教からすると、
占いをする人など、論外でした。神様の恵みからはずれている人と思われていました。し
かし、彼らは、まことの神様を知りたいと思っていました。天の万象をみるときに、そこ
に本当の神様がおられることを感じていた人達です。そして神様は彼らに、救い主がこら
れるときに、不思議に明るく光る星が現れる事を教えておられました。そして彼らは東の
方に、今までに見たことの無いほど明るく光る星を見つけたのです。そして確信をしまし
た。私たちのまことの神がお生まれになった。行ってその方を礼拝することができると。
そして旅をし、ベツレヘムにおられた幼子イエス様に会い、礼拝をささげました。
3,イエス様の復活の復活を最初に切らされたのは
婦人たちです。女性も当時裁判
の証言不適格者とされていましたのです。イエス様を愛し、伝道のおともをし、仕えてい
た女性たち。世界に最初にイエス様の復活が天使を通してしらされたのが、この女性たち
でした。この女性たちの中に、後で出てくるヤコブとヨハネの母がいました。イエス様の
母マリヤ、マクダラのマリヤもいました。
皆さん、当時の習慣だと本流ではなく、脇に追いやられていたような人達を神様は格
別に選ばれ、素晴らしい知らせを教えてくださっています。
もちろん、神様は私たちのことを愛し、ご自身の素晴らしさを教えてくださいます。
私たちは、神様にあいされているのです。
神様は、弱く,取るに足らないようなもの、遜っているものを忘れておられないで、
神様の素晴らしい恵みを知らせて下さるのです。
さて、ガリラヤと言われても,ほとんどの人は行ったことがありませんので、一体どこ
にあるのかと思われるでしょう。ですので地図を見てみましょう
-2-
イエス様はおおよそ 30 才のときに、お育ちになったナザレ①からヨルダン川の下の方、
バプテスマのヨハネが洗礼を受けられ、40 日 40 夜断食してから、御霊に導かれ、荒野で
サタンの誘惑に語れたのです。それが③
イエス様はバプテスマのヨハネが捕らえられた事をお聞きになります。
イエス様は、ガリラヤに立ち退かれました。それが④です。
皆さん、イエス様は 3 年半の公の将来をこのガリラヤから始められました。
エルサレムからではありません、地の民といわれてるようなガリラヤからなのです。
それはまず神様の恵みの光が、地の民と言われて、暗闇の中に座り、光を待っている人
達に与えられたのです。
神様はなんて素晴らしい方でしょうか。
-3-
・イエス様のメッセージはなんだったでしょうか。
「悔い改めなさい。天の御国が近づいてから」
これはバプテスマのヨハネが言っていた言葉と同じです。ヨハネは自分の後からこら
れる救い主を紹介していたのです。そして救い主が仰ることを前もって語っていたのです。
悔い改めというのは、メタノイアとギリシャ語でいいます。これは方向転換というこ
とを以前お話ししましたね。
神様から離れていて、自分中心となっていること、それが罪ですが、その罪を悔い改
めて、これらたキリストを信じる時に、その人の心に天の御国、これは神の国と同じ意味
ですが、その神の国が広がって行くのです。
教会学校の生徒が、ある牧師に聞きました。「先生、天国ってどこにあるの?」先
生は「来週までに考えておくね」と考えました。牧師は思いました、天国と言えば上、し
かし、地球の反対の人からしたら、私が上といったら、彼らにとっては下になる。一体ど
こなんだろう?そこで心に通ったのがルカ17:21「そら、ここにあるとかあそこにあ
るとかいえるようなものではありません。いいですか。神の国はあなたがたのただなかに
あるのです」神の国は天国と同じ意味です。そこで一週間後に生徒に「イエス様を信じる、
あなたの心の中にあります」と答えたらとても嬉しそうに微笑んだそうです。
この御国というのはバッシレイア(ギリシャ語)
支配
を意味します。
イエス様を信じる人の心の中に天国の支配が始まるのです。
素晴らしいことではありませんか。
私たちがこの地上生涯を終えたときに天国に行きます。そこは神の支配に満ちた場所
です。私たちは、この地上においても、アンテナショップのように、東京に地方のアンテ
ナショップがありますね。東京にいながらにして、宮城の産物を買えたり、栃木の産物を
かえたりします。本当だったらそこに行かなければ買えないものなのに、向こうから出向
いてくれるようにして、その産物を買うことができるのです。それがアンテナショップ。
天国に味わうことのできないのに、私たちの心の中に神の国、天の国の支配が始まって
いるので、天国の恵みを今生きているときにしることができるのです。
賛美歌の
いずくに
ありても
御国のここちす
いっしょに賛美歌を歌ってみましょう。
324
悲しみ尽きざる
一、悲しみ尽きざる
浮き世にありても
日々主と歩めば
御国の心地す
(折り返し)
おおハレルヤ罪を
何処にありても
二、彼方の御国は
拝する心の
消されし我が身は
御国の心地す
御顔の微笑み
内にも建てらる
三、山にも谷にも
日々主と歩めば
小屋にも宮にも
御国の心地す
-4-
が思い出されます。
さて、中心のみことばにもどります。
「わたしについてきなさい。あなたがたを人間を捕る漁師にしてあげよう」
このみことばから今日三つのことを見てみましょう。
1、誰に話されたことばか
ペテロとアンデレ
・特に際立ったものをもたない、普通の人
・聖書を専門に学んでいない
・漁師さん
これから 3 年半、伝道され、そしてやがて弟子達に伝道を託され、全世界に福音を伝え
る大切な第一歩。イエス様は御自分といっしょに働いてくれる人を見つけられました。最
初に選ばれたのがペテロとアンデレです。皆さん、エルサレムには聖書の専門家が沢山い
るのです。聖書から訓練を受けた人達が沢山いました。それなのに、イエス様は彼らを選
ばれました。荒くれですが、純粋な、ひたむきさも弱さも持っている人達でした。
イエス様は私たちにも声をかけてくださいます。
「わたしについてきなさい。あなたがたを人間を捕る漁師にしてあげよう」と
2,その内容
わたしについてきなさい
ペテロとアンデレはバプテスマのヨハネ
の弟子
弟子が師を選ぶはずのところ、師が声を
かけてくれた
ペテロもアンデレも、その後のヤコブヨ
ハネも「わたし」が誰かは分からない
あなたがたを人間を捕る漁師にしてあげよう
光よあれと仰ると光が出来た
漁師
魚を獲る
魚を食卓に送るため
弟子
人を獲る
魂を主に導く
その方が
I will make you fishers of man
責任をもって作ってくさださる。
わたしの後をついて来なさい。わたしが、あなたを人間を捕る漁師にし
てあげる。
力強いイエス様のおことばですね。
主の訓練に従って歩む・・・・試練もあるでしょう。
神様の与えてくださる試練を通して
私たちは成長することができます。
先週ペイラスモスとうことを話しました
ね。
わたしたちにもイエス様は
「わたしについてきなさい。あなたがたを人間を捕る漁師にしてあげよう」と仰います。
-5-
3,弟子達のとった態度
・すぐに網を捨てて従った
・・ペテロアンデレ
すぐに
ヤコブ、ヨハネ
捨てては
残して去るとうこと
ペテロとアンデレは船で網をうっていました。
今年 5 月頃に一人の男性が教会にこられます。彼は不思議
な導きでイエス様を信じた人です。こちらの教会で洗礼を受けられます。彼は網を打った
漁をするのが得意、そして魚をさばくのが上手です。「いいなあ、網を打って、とれた魚
で刺身をつくってくださいね」と手紙に書いたら「是非、します」と書いて来てくれまし
た。
船の上で網を打っていたペテロとアンデレ、
「すぐに、網を捨てて」と書いてあるのは、
網を湖に捨ててしまったということではないのですよ。
20 節の「捨てて」22 節の「残して」というのは同じギリシャ語
アフィエーミです。
これは、そこに置く、そのままにしておく、即ち捨ててという意味になるのです。
従った
弟子になったという意味
父、母、子を捨てての意味・・・神様を第一とする。父母、
子、家族を愛することにはかわらない。
*1
彼らの母は最初びっくりしただろうけれど、いっしょにイ
エスについていって、世話をしていた。恐らく一行の食事
*1 日々の聖言の分かち合い
3月4日
ルカ 14:26 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分の
いのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。」
この所からこのような分かち合いに私が投稿しました。
捨てた者で
が心に留まています。この 29 節も丁寧に解釈する必要があると思います。
未信者の家族の責任を放棄することこそ神様に従う道だ、連絡ももう取ってはならない・
・・そう解釈したら、サリン事件を起こした宗教団体とかわらなくなってしまうでしょう。
神様が第一で、神様を愛するからこそ、富みを正しく認識し、用い、その富みをもって貧
しい人に与えることができ、神様を愛するからこそ、家も妻も、兄弟、両親、子供も、神
様が与えてくださった感謝をもって、思い、妻も、兄弟、両親、子供も心から愛すること
ができるのでしょう。神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば・・・のお
ことばも心に通っています。今日は神学院の卒業式。かつて古賀純子先生もこの日を迎え
られました。その時、未信者のご主人が式に集っておられました。神学院に入っておられ
た 4 年もご主人を愛しておられた古賀先生、数年後とつぜん天に召されましたが、その後、
ご主人が主を信じ、洗礼を受けられたことを思い出します。
-6-
などもしていたでしょう。
〇
今の時代も暗闇の時代
1,人生の意味が分からないという暗闇
2,罪という暗闇
3,死という暗闇
そのような私たちの世界に光となって来てくださった方がイエス様
1,人生の意味が分からないという暗闇
わたしの名で呼ばれるすべての者は、
わたしの栄光のために、
わたしがこれを創造し、
これを形造り、これを造った。
イザヤ43:7
神様は私たちを目的をもって創造してくださっています。そして私たちが神の栄
光を現すために生かされているのです。神様を愛し、まわりの方を愛することは
すばらしいことです。
私たちは神様に愛され、それぞれ素晴らしい作品として作られています。
2,罪という暗闇
だれでもキリストのうちにあるなら、
その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、
すべてが新しくなりました。
Ⅱ コリント5:17
私たちのすべての罪、それはここの犯した罪以上に、自分中心に
生きていた自己中心という罪が大きな罪です。その罪があるので
私たちは人間関係においてもうまくいかないことがあります。そ
れらの罪をイエス様は負って十字架にかかってくださり、私たち
に新しいいのちを与えてくださり、新しくしてくださるのです。
3,死という暗闇
神は、実に、そのひとり子を
お与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
ヨハネ3:16
-7-
人は死んだらどうなるのか、いろいろな方が想像してあるいは自分の霊的
な体験とか言い伝えで言っています。しかし、完全に死んで、臨死ではな
く、三日目によみがえってくださった方はイエス様以外にはいらっしゃい
ません。死を経験され、よみがえられた主だからこそ、そのことばは真実
です。人は死ぬときに、永遠の滅びか永遠のいのちに分かれるのです。イ
エス様をしんじるときに「滅び」ではなく、「永遠のいのち」を得、やが
て、死を迎えるときには、天国に行くことができるのです。イエス様は先
に天国に行かれ私たちのために家を用意してくださり、やがて迎えてくだ
さいます。
〇
*1
私たちにも、イエス様は人間を捕る漁師にしてあげようとおっしゃってくださる。
cs讃美
にこのような讃美があります。いっしょに歌ってみましょう。
こどもにイエス様は「わたしについてきなさい。あなたがを人間をとる漁師
にしてあげます。」とおっしゃってくださいます。
何か特別な能力のある人ではなくても、私たち一人ひとりに神様は声をかけ
*1 14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがた
に言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしの
もとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
-8-
てくださっています。ですから私たちは皆人間をとる漁師になれるのです。
最後に三つのことを話しておわります。
1,神様を喜びましょう
2,神様の声を聞きましょう。
3,祈りましょう
・わたしたちが人間をとる漁師になれるように
・子ども達、青年たちが献身をして牧師、宣教師として富士見
台教会から出て行くように。
-9-
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