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ブラック企業はなくせるか 1

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ブラック企業はなくせるか 1
ブラック企業はなくせるか
ブラック企業はなくせるか
1
塚原
Ⅰ
ブラック企業とは何か
Ⅱ
ブラック企業はなぜ生まれたか
Ⅲ
代表的な手口としての固定残業代
Ⅳ
ブラック企業をなくすために
英治
はじめに
今日のテーマは大きいのですが,若い人たちにとって重要なブラック企業の問題を軸に
お話ししたいと思います。私自身は現在直接に事件を担当しておりませんので,私の事務
所の若手弁護士を含む多くの担当弁護士の報告に基づくものであることをお断りしておき
ます。
Ⅰ
ブラック企業とは何か
1. ブラック企業の定義
ブラック企業とは何かについて,この問題に中心的に取り組んでいるブラック企業被害
対策弁護団の定義 2をあげておきます。
狭義では,「新興産業において,若者を大量に採用し,過重労働・違法労働によって使
い潰し,次々と離職に追い込む成長大企業」,広義では,「違法な労働を強い,労働者の
心身を危険にさらす企業」というのです。
その特徴は,大量採用・大量離職にあります。この具体例は,NPO 法人 POSSE の代表
である今野晴貴さんの『ブラック企業』(文春新書,2012 年)や事務局長の川村遼平さん
の『若者を殺し続けるブラック企業の構造』(角川 one テーマ 21,2014 年)に詳しく紹
介されています。
ブラック企業で用いられている手口には以下に掲げるものがあります。①と⑥は後で説
1
本稿は,2014 年 6 月 11 日の講演会において「労働問題の 10 年後を展望する-ブラック企業はな
くせるか」と題してなした一般向けの講演内容をほぼそのまま原稿化したものである。
2 ブラック企業被害対策弁護団 2013『働く人のためのブラック企業被害対策 Q&A』弁護士会ブ
ックセンター出版部 LABO,2 頁。
1
-1-
青山法務研究論集 第9号(2014)
明します。
①
月収の誇張
-固定残業代など
②
正社員の偽装
-有期雇用による試用
③
入社後も続くシューカツ
④
戦略的パワハラ
⑤
残業代の不払
⑥
異常な36協定と長時間労働
⑦
辞めさせない
⑧
職場崩壊
-選別競争
-自己都合退職の強要
-名ばかり管理職
後でもご説明しますが,ブラック企業は従来の雇用保障とセットになった日本型の雇用
法理を雇用保障なしに用いる点に特徴があります。問題はこのような中で燃え尽き,心や
体の病気になった若者が生み出されていることです。そのような企業は,実質的な低賃金
労働ですから,法令を遵守してその分高コストになる企業に競争で勝つことになるのです。
また,心や体を病み働けなくなった若者は生活保護など税金で救済することになりますが,
これは,ブラック企業が本来負担すべきコストを社会に押しつけることになります。
これらの点で,ブラック企業問題は当該の企業や当該の労働者個人にとどまらない大き
な社会問題なのです。
2. ブラック企業の見分け方
ブラック企業をどのように見分けたらよいかという質問もありますが,これについては,
研究者,NPO,弁護士らからなる「ブラック企業対策プロジェクト」がホームページ
(http://bktp.org/downloads)で,「ブラック企業の見分け方-学生向けガイド」という
65 頁の大変わかりやすい冊子を無料で公開していますので,是非お読みください。5 つほ
どの指標があげられています。
①新規大卒社員の 3 年以内の離職率 3 割以上
②過労死・過労自殺を出している
③短期間で管理職になることを求めてくる
④残業代が固定されている
⑤求人広告や説明会の情報がコロコロ変わる
2
-2-
ブラック企業はなくせるか
新卒入社者の 3 年内離職率及び残業時間や有給休暇の取得日数という重要なデータは,
東洋経済新報社が出している『就職四季報』3に記載されています。厚労省の調査では,離
職率の平均は業種によって異なりますが,平均は 30%くらいです。有休取得日数の平均は
2013 年のデータでは 8.6 日,取得率は 47.1%です(厚生労働省「平成 25 年労働条件総合
調査結果の概況」平成 25 年 11 月 21 日 4)。このほかに,職場に労働組合があるかとい
う点も重要です。
Ⅱ
ブラック企業はなぜ生まれたか
ブラック企業が生まれた原因を簡単に見ておきましょう。ブラック企業被害対策弁護団
代表の佐々木亮弁護士は,次の 4 つをあげています 5。
①
若者を取り巻く社会構造上の問題
②
労働のルールに対する知識・意識の欠如
③
近視眼的な経営とその模倣
④
労働組合の組織率の低下
ここでは,①の社会構造上の問題を見てみます。大きな背景には,1990 年代からの「非
正規雇用」の増大があります。
データを見てみましょう(図 1
正規・非正規の推移
厚労省 HP)。正規雇用が減っ
て非正規雇用が増えたことがわかります。非正規の多くは有期(期限付)雇用で身分が不
安定です(図 2
有期契約労働者の状況
厚労省 HP)。
この結果として,正規であればよいとして低い条件を受け入れる素地ができ,2000 年代
に,「周辺的正社員」が登場します。いわゆる正社員とは,終身雇用と年功賃金に代表さ
れる企業保障の恩恵を受けることのできる社員ですが,
「周辺的正社員(名ばかり正社員)」
は,長時間労働を強いられたあげく低保障なのです。学生は,厳しい就職事情(シューカ
ツ!)と派遣切りなどで,非正規労働者の不安定さをみていますから,厳しくても正規な
ら我慢するし,企業は優秀な若者を買い叩ける(今までのような保障をしなくても若者が
入社してくる)わけです。
3
4
5
総合版,女子版,中堅・中小企業版の 3 冊があり,毎年発刊されている。
厚生労働省ホームページ。
佐々木亮 2014「ブラック企業の問題点と対策」『法律のひろば』ぎょうせい,5 月号 45 頁。
3
-3-
青山法務研究論集 第9号(2014)
図1
正規・非正規の推移 厚労省 HP より
(資料出所) 2000 年までは総務省「労働力調査(特別調査)」(2 月調査)
2005 年から 2013 年までは総務省「労働力調査(詳細集計)」(年平均)による。
図2
有期契約労働者の状況 厚労省HPより
(資料出所)総務省「労働力調査(詳細集計)」(平成 25 年平均)
「ブラック企業」という用語は,IT 業界の労働者による造語です。2007 年 11 月に「ブ
ラック会社に勤めているんだが,もう俺は限界かもしれない」という題名のネット掲示板
への書き込みが評判を呼び,2008 年に出版され,2009 年には映画にもなりました。その
後,IT 産業だけではなく,小売り,外食,介護,保育などに拡大してきたのです。
労働者のモデルを図式的にまとめると,以下のようになります。
4
-4-
ブラック企業はなくせるか
従来の正社員は,相対的に言えば以下のような性格を持っていました。
A
高処遇・雇用保障
α
+
使用者の広範な指揮命令権
いわゆる日本型雇用は,解雇からの保障の代わりに使用者の広範な指揮命令(配転命令
・時間外労働義務)を許容する点に特徴があります。
かつての主婦パート・学生アルバイトは,これに対して
B
低処遇・不安定雇用
+
β
指揮命令権の限定
と整理できます。「差別された者の自由」という言葉がありますが,かつての主婦パート
は,賃金は低いが,残業もしなくてよいし,配転に応じなくてよい,好きなときに働ける
というメリットがあったのです。
これに対して,ブラック企業は,
B
低処遇・不安定雇用
+
α
広範な指揮命令権
という,両者の悪いとこ取りという特徴があります。
Ⅲ
代表的な手口としての固定残業代
【事例 1】
具体的な事例を見てみましょう。
「F さんは,2007 年に大学を卒業して滋賀県内の飲食店に勤めていました。会社のホーム
ページや日経ナビ等の就活情報では,初任給は 19 万 6400 円と書いてありましたが,入社
後の新入社員研修で示された賃金体系一覧表では,基本給 12 万 3200 円(これは関西地区
の最低賃金額に相当します),役割給 7 万 1300 円(時間外 80 時間に満たない場合,不足
分を控除する)とされていました(残業時間がゼロであれば,法定の最低賃金レベルの基
本給のみになる仕組です。この賃金そのものは違法ではありません)。F さんは,入社以
来月 88 時間,141 時間,116 時間,103 時間という長時間の残業を続け,4 ヶ月後の 8 月
11 日に急性左心機能不全で死亡しました。」
これは,大庄事件として著名なものです。大庄は,「庄や」「やるき茶屋」「日本海庄
や」等を経営する東京証券取引所第 1 部上場(資本金 86 億円)の大企業です。F さんの
5
-5-
青山法務研究論集 第9号(2014)
死亡については労働基準監督署によって労働災害と認められたばかりでなく,遺族が起こ
した民事裁判により,会社のみならず取締役個人にも損害賠償責任が認められています(京
都地裁平成 22 年 5 月 25 日判決・判例タイムズ 1326 号 196 頁,大阪高裁平成 23 年 5 月
25 日判決・労働判例 1033 号 24 頁)。
【事例 2】
もう一つの事例を見てみましょう。このケースの労働条件通知書(実例を改変したもの
です)を図 3 として掲げておきます。
「M さんは,都内の IT 関連企業に勤めています。求人広告を見たときには,初任給は 18
万円と書いてあって世間並みだと思ったのですが,毎日のように残業を命じられ,1 ヶ月
で 40 時間は残業していますが,残業代は払われません。会社は,M さんには定額の残業
代を含んだ給料を支払っていると言っています。」
Mさんの労働条件通知書を見てみましょう。
「基本給 18 万円」と書いてありますが,その下に「200 時間まではみなし残業とする」
と書かれています。これは 1 ヶ月の労働時間 200 時間までということなのでしょう。残業
代込みの賃金だというものです。後述のように法定の労働時間上限は 30 日の月で 171 時
間 25 分,31 日の月で 177 時間 8 分です。
このような形の他に,「固定残業代」として定額を支給して,それ以上は支払わない企
業も多いのです。
【検討】労働時間の原則
ここ労働基準法が定めている労働時間の原則を簡単に見ておきましょう。
法律上,1 日 8 時間,週 40 時間を超えて働かせてはいけないのが原則です(労働基準法
32 条)。違反すると使用者は処罰されます(労働基準法 119 条 1 項)。
ただし,大きな例外が 3 つあります。
第一は,いわゆる「36 協定」です。労働基準法 36 条に基づくのでこの名があります。
使用者は,事業場の過半数を代表する労働者(又は組織する労組)と書面で協定を結び,
これを労働基準監督署に届け出ておけば,その協定で定めた範囲内に限り,時間外労働を
させても処罰されません(労働基準法 36 条 1 項)。
第二は,変形労働時間制を用いるものです。1 ヶ月単位,1 年単位,1 週単位の変型制が
認められています(労働基準法 32 条の 2 以下)。
第三は,管理監督者の適用除外です(労働基準法 41 条 2 号)。これを用いた脱法も多
く,「名ばかり管理職」と呼ばれています。
6
-6-
ブラック企業はなくせるか
図3
労働条件通知書
2014 年
*****
殿
事業場名称・所在地
使用者氏名
契 約期 間
E
期間の定めなし,期間の定めあり(
渋谷区●●
株式会社
年
月
終業(
18
,
)
武
日~
ラ
年
就業の場所
●●●●
従事すべき業務の内容
*****
始業,終業の時刻,
1
始業・終業の時刻等
休憩時間,
(1)
始業(
所定時間外労働の
2
休憩時間(
有無に関する事項
3
所定時間外労働の有無(
休
日
土曜日,日曜日,国民の祝日,年末年始(12/30~1/3)
休
暇
1
9
時
00分)
60
)分
年次有給休暇
有
○
無
6か月継続勤務した場合→
時
10日
継続勤務6か月以内の年次有給休暇
賃
金
4月
2
その他の休暇
なし
1
基本賃金
本
2
諸手当の額及び計算方法
3
基
給
ッ
月
ク
日)
00分)
その後法定通り
(有・ 無)
○
180,000円
みなし残業
200時間まではみなし残業とする
残業代
200時間を超えた場合,1時間当たり1,500円
通勤費
1ヶ月は通常賃料精算,以降,定期代
所定時間外,休日又は深夜労働に対して支払われる割増賃金率
イ
法定時間外(25)%
ロ
法定休日(25)%
ハ
深夜(25)%
4
賃金締切日-毎月15日
5
賃金支払日-毎月25日
6
給与改定
随時
7
賞
与
有
8
退職金
無
7
-7-
1日
青山法務研究論集 第9号(2014)
退職に関する事項
その他
1
自己都合退職の手続(退職する14日以上前に届け出ること)
2
解雇の事由及び手続
解雇の手続
略
解雇の事由
略
・労働社会保険(
厚生年金
健康保険
雇用保険
)
使用者は,時間外労働をさせた場合,通常の賃金の 25%以上の割増賃金(60 時間以上
は 50%)を支払わなくてはいけません。休日労働は 35%,深夜労働は 25%の割増しです
(労働基準法 37 条以下)。
事例 1 で,大庄には 36 協定があり,「労働基準法第 36 条第 1 項の協定で定める労働時
間の延長の限度に関する基準」[平成 10 年 12 月 28 日労働省告示 154 号]3 条 1 項但書
に基く「特別条項」により,月間の時間外労働の上限につき,同基準3条1項本文が定め
る 45 時間を遙かに超える 100 時間と定めていました。したがって,この範囲の時間外労
働は適法になし得ることになっていたのです。
F さんは就活時に宣伝されていた初任給をもらうためには,月 80 時間の時間外労働を
しなければなりませんでした。この時間数は 2 ヶ月以上にわたれば過労死してもおかしく
ないと過労死の認定基準 6にあるレベルです。この初任給の表示は誤解を招くものであり,
80 時間もの時間外労働を実質的に強制する仕組になっていたもので,取締役らはこのよう
な仕組みを容認することによって労働者の生命・健康に配慮しない体制を構築したことの
責任が認められたのです。
事例 2 では,1 ヶ月の労働時間は月の日数(28 日,30 日,31 日)と休日の入り方で変
動しますから,200 時間までと言ってもどの部分が基本給でどの部分が割増手当なのかの
区別がつきません。このように,通常の賃金と割増賃金が明確に区別できない場合は,そ
の全体を基礎とした割増賃金を支払う義務があります(テックジャパン事件・最高裁平成
24 年 3 月 8 日判決・判例タイムズ 1378 号 80 頁)。
M さんの場合は,18 万円(+諸手当[通勤手当・家族手当・住宅手当を除く])を月
の所定労働時間で割った額を基礎として,法定労働時間外労働について,1 時間当たり 125
%に相当する割増賃金の請求ができます。
現実に働かせた時間外労働の長さにかかわらず,一定時間分の定額の割増賃金を支給す
るという「固定残業代」制度を導入している会社があります。これ自体は,現実の時間外
労働により計算された割増し賃金額が「固定残業代」を超えた場合に差額分を支払う限り
6 「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」平成 13 年 12 月 12 日元発 1063 号労働省
労働基準局長通達。
8
-8-
ブラック企業はなくせるか
は適法です。つまり,固定残業代が実際には 20 時間分にしか当たらないときに,40 時間
残業していれば,差額の 20 時間分は支払わなければならないのです。
しかし,固定残業代の定め方は実際には不正確なものが多く,厚生労働省の調査では,
求人広告の 14.5%に不適切な記載があるとされ 7,ブラック企業対策プロジェクトが 2014
年 6 月に公表した調査結果によれば,京都市内の 180 件のインターネットでの求人のうち,
139 件(77%)が違法か違法の疑いが強いとされています(京都新聞 2014 年 6 月 3 日)。
Ⅳ
ブラック企業をなくすために
こうした事態をなくすために何が必要でしょうか。3 つのことを指摘しておきます。
1. 労働時間規制
ブラック企業のみならず,正規労働者の働きすぎ問題を解決するためには,やはり労働
法が本来の役割を果たすことが必要だと思います。
労働契約も契約ですから,「労働条件は,労働者と使用者が,対等の立場において決定
すべきものである」と労働基準法 2 条 1 項が定めているのは当然のことです。しかし,労
働者個人と使用者は実際には対等とはいえません。一方的に労働者に不利な労働条件が押
しつけられ,「契約」の名のもとに強制されかねません。そこで法は,労働者に団結権,
団体交渉権,団体行動権(争議権)を与え(憲法 28 条),労働者が労働組合を作ること
によって,使用者と実質的に対等の立場になれるよう保障し,あわせて労働条件の最低基
準を定めて,弱い立場の労働者を守ることにしています(憲法 27 条 2 項)。
労働者保護の必要性
日本の労働基準法 1 条 1 項は,「労働条件は労働者が人たるに値する生活を営むための
必要を充たすべきものでなければならない。」と定めています。
労働基準立法には歴史的な背景があります。
資本主義の勃興期には各国で生じたことですが,日本でも『女工哀史』8とか,映画にも
なった『あゝ野麦峠』9などに描かれているように,女工さんが紡績工場や製糸工場でたい
7
厚生労働省職業安定局主席職業指導官質中央職業指導官・平成 26 年 4 月 14 日事務連絡「求人票
における固定残業代等の適切な記入の徹底について」
8
細井和喜蔵『女工哀史』改造社(1925 年)・岩波文庫(1954 年)。紡績・織布女工の生活記録。
大正期の悲惨な女工の労働状態をなまなましく伝える貴重な資料です。
9 山本茂実 1977『あゝ野麦峠』角川文庫。映画は,山本薩夫監督・大竹しのぶ主演で,1979 年公
9
-9-
青山法務研究論集 第9号(2014)
へんな働かされ方をしていました。1 日の労働時間は 13 時間から,長いときには 16 時間
に及ぶ。あるいは 12 時間 2 交替制がとられていました。非常に過酷な勤務ですから,12
時間 2 交替制をとると,交替時に来ない人がいるのです。そうすると,同じ人がぶっ通し
でやる。36 時間連続勤務ということが,政府が当時の労働者の状態を調査した『職工事情』
10という本の中に出てきます。その中に,今でいえば就業規則にあたる工場の規則が幾つ
か紹介されていますが,「食事時間は 5 分を過ぐべからず」というのがでてきます
11。5
分以下ではならないというのではない,5 分を超えてはならないという規則を持っている
工場もある。どうするかというと,立ったままおにぎりを食べるのです。手は休めないと
いう働かされ方をしている。
どういう状態が起こるか。たちまちにして結核その他の病気が蔓延する。『あゝ野麦峠』
では,おみねさんは飛騨の山を見ながら腹膜炎で死ぬわけです。これは,政府としても放
置できない。その人たちが郷里へ帰って,農村に結核が蔓延する。教育もできませんし,
国の労働力そのものがだめになる。よい兵隊もとれない。ところが個別の資本にとってみ
れば,それが利益だからこそやるわけです。1 時間でも余計に働かせる,工場は絶対に休
ませないということが,個別の使用者,資本家にとっては利益なのです。個別の資本家は
どうしても目先の利益を考えるので労働者を酷使する。しかし,国全体からみたら,その
ようなことをやったのでは労働力がダメになるわけですから,利益にはならない。そこで,
総資本の理性として,労働者保護の最低線(「労働基準」)を決めていくわけです。
②
労働者の闘い
労働立法は,もちろん国の社会政策的な動きだけから生まれたものではありません。労
働者のさまざまな闘いがありました。
8 時間労働制という,今では当たり前になっていることも,19 世紀には革命的な要求で
した。1886 年 5 月 1 日,アメリカの労働者は 8 時間労働制を要求して 20 万人が一斉にス
トライキに入りました。シカゴでは 5 月 4 日ヘイマーケット広場に集まった労働者と警官
隊が衝突して多数の死傷者を出す事件がおこりました。第二インターナショナル
12は
1889
年の創立に際し,このアメリカの労働者の闘いを記念することとし,この日をメーデーと
して労働者の統一行動日としたのです。8 時間労働制が世界的に確立するのは,1917 年の
開。
10 農商務省 1903『職工事情』。農商務省が綿糸紡績,生糸,織物,鉄工をはじめ各産業にわたり
工場労働者の実情を調査した報告書。岩波文庫が 3 冊で復刊(1998 年)されました。36 時間連続勤
務は岩波文庫版上巻 46 頁。
11
農商務省 1998『職工事情』岩波文庫版上巻 239 頁。
12
1889 年パリで開かれた社会主義者・労働者の国際大会で創立。ドイツ社会民主党が中心で,欧米
・アジア諸国社会主義政党の連合機関でした。
10
- 10 -
ブラック企業はなくせるか
ロシア革命を経て,1919 年の ILO 第 1 号条約においてです。
③
公正労働基準としての役割
ワタミは,36 協定に定める 1 ヶ月の時間外労働の上限を 120 時間と定めていました。
2006 年に,女子社員が自殺した案件では,労働保険審査官により労働災害(過労自殺)と
認定され,現在遺族から損害賠償請求訴訟が提起されています。同社が社員 6000 人余り
に配布している「グループ理念集」には,2014 年 5 月に改訂されるまで「365 日 24 時間
死ぬまで働け」という表現が残されていたそうです(産経新聞 2014 年 5 月 31 日朝刊)。
ある企業がまともな労働条件を定めているときに,他の企業が非常に低劣な労働条件で
競争をすると,フェアな競争になりません。公正な競争をさせるために,最低の基準を決
めて,共通の土俵に乗せるということが労働基準法の 1 つの大きな役割です。それは,ま
ともな労働条件を維持しようとする企業にとっても利益になるわけです。
国際的には ILO(国際労働機関) 13の条約があります。青山学院大学の向かいに国連大
学ビルがありますが,8 階に ILO 東京支局があります。社会が進んだ国では,労働者の闘
いや国の施策で労働条件をある程度守っていく。そういうことをしていると,19 世紀末あ
るいは 20 世紀初頭,日本のようなソーシャルダンピングをしている労働条件の低いとこ
ろとは競争にならない。今でいえば,年間 1500~1600 時間で働かせているところと 2 千
数百時間働かせているところとでは勝負にならないわけです。そうなると,競争条件がア
ンフェアだということで,そろえていく。それを強制していくという動きが出てくる。こ
れが国際条約です。国際的に「この程度」という水準を決めてそれを満たしてないところ
は非難される仕組みを作っていく。それが,人道主義の理想とともに,ILO 条約のような
労働条件に関する規定ができてくる理由です。
ILO は,政労使の三者構成になっています。そこで成立する条約は,政労使の多数が一
致しないと条約になりません。ですから条約になっているものは,批准されて実現してい
るかどうかはともかく,少なくとも理念としては国際的に当たり前だというところまでき
ているものです。
④
労働時間規制はどうあるべきか
今労働時間法の改正が政府から提起されています。労働時間については,賃金との関係
を切り離すという問題と長時間労働の有効な規制をどうするかという問題があります。
13
1919 年ベルサイユ条約に基づき,国際連盟の一機関として設置,第二次大戦後は国際連合の専門
機関となりました。各加盟国は政府 2,資本家 1,労働者 1 の代表を総会に出し,多くの条約・勧告
を決議しています。常設事務局はジュネーブにあります。
11
- 11 -
青山法務研究論集 第9号(2014)
賃金と労働時間は別の問題です。出来高払い(労働基準法 27 条)や戦前の官吏の俸給
(完全月給制で欠勤しても賃金の減額はない)のように時間に対応しない賃金はあります。
時間外労働手当に関して,この点の調整をすることはありうると思います。
しかし現下の喫緊の問題は,健康維持のための長時間労働の規制です。正規労働者の一
部に超長時間労働しているものがあり,過労死防止のための規制が必要です。2014 年 6
月に国会で「過労死等防止対策推進法」が成立しましたが,前述したように月 80 時間の
時間外労働は危険ラインです。防止対策として長時間労働の規制が必要になってくるでし
ょう。大蔵省のキャリアは長時間労働で有名で,仮眠所は霊安室と俗称されていましたが,
私の大学の同期は入省数年で過労死しました。霊安室が本物になってしまったのです。エ
リートだから保護しなくてよい,本人が同意していれば保護しなくてよいというわけでは
ないのです。EU の 1993 年労働時間指令は,1 日連続 11 時間の休息時間(非拘束時間)
の確保を求めています。これを遵守すれば,休憩時間を途中で 1 時間確保すると 1 日の労
働時間の上限は 12 時間になるわけです。多少の例外をもうけるとしても,実効性のある
上限規制が必要です。
⑤
労働基準法を守らせる仕組
労働基準法に違反すると使用者は刑罰に処せられます。懲役刑もあります。また,労働
基準監督署による監督という制度もあります。最近労働基準監督官を主人公にした日本テ
レビ系のドラマ「ダンダリン
労働基準監督官」が放映され,これには DVD もあるので,
学生に紹介することが容易になっています
14。
2. ワークルール教育
労働者及び使用者が,労働法(ワークルール)の正確な理解を深め,かつその理解に基
づいた適切な行動をとり得る能力を身につけることが,労働者にとっては自らの権利と生
活を守ってワークライフバランスを実現することにつながり,使用者にとっては円滑かつ
適切な企業活動を確保することにつながります。学校,大学,事業所,地域におけるワー
クルール教育が必要です
15。ワークルール検定の試みも始まっています。
高校で教える場合の格好の教材の例として,東京都労働局がまとめた『これだけは知っ
ておきたい働くときの知識』(高校生版)があります。ネットでダウンロードできますの
14
原作はマンガです(『ダンダリン 101』原作田島隆・作画鈴木マサカズ)。
日本労働弁護団「ワークルール教育推進法の制定を求める意見書」2013 年 10 月 4 日
http://roudou-bengodan.org/proposal/detail/post-50.php
15
12
- 12 -
ブラック企業はなくせるか
で,ご覧ください
16。大学では,就職支援の際に,基本的な指導をすることが有益だと思
います。
使用者が正しい知識を得ることも大事です。労働局に様々な資料がありますし,増加し
た法科大学院卒業生の 3 割以上が労働法の知識を得ていますから活用の道があると思いま
す。
大学や法科大学院で労働法を学んだ人には,正確な知識を役に立ててほしいと思います。
最近は「ブラック士業」といってブラック企業を応援して,不正確な知識で労働者を脅す
弁護士や社会保険労務士がいることが,今野晴貴さんの『ブラック企業ビジネス』(朝日
新書)で紹介されていますが,悲しいことです。
3.労働組合の復権
労働組合の組織率は低下する一方ですが,非正規労働者の権利向上などに労働組合が果
たせる役割はなお大きなものがあります(東海林智『15 歳からの労働組合入門』毎日新聞
社,2013 年参照)。ブラック企業には労働組合がないことが多いのです。
労働基準法は,最低基準を定めており,それに違反すれば刑罰が科されますが,労働基
準監督官が巡回すると 6 割の事業所で労働基準法違反が見つかります。最低基準である労
働基準法を守らせるために,労働基準法は,労働者に申告権を与え,申告したことを理由
に使用者が労働者を不利益に取り扱うことを禁止しています(104 条)。しかし,職場の
支えがなければ,申告して不利益に扱われるのではないかという労働者の不安は消えませ
ん。法律を守らせるにも,労働組合の力が必要なのです。
使用者は,自分と対等の立場で取引する労働組合をきらうのが普通です。そこで,労働
組合法は不当労働行為制度を設けて,使用者が団結権を侵害することを禁じ,労働組合の
保護をはかっています(労働組合法 7 条)。
労働組合の主たる目的のひとつは「労働条件の維持改善」にあります。その主要な手段
は使用者との団体交渉です。労働条件に関連する事柄であるかぎり,使用者は団体交渉に
応ずる義務があり,正当な理由なく団交を拒否できません(労働組合法 7 条 2 号)。また
使用者は誠実に交渉すべき義務を負っているので,形だけ開いて真面目に交渉しないとい
うことも許されません。団体交渉の結果,合意に達したのが「労働協約」で,労働組合法
はこれに特別な効力を認めています。
労働組合の交渉力は,基本的にはその組織力と争議をする力にかかっています。団体交
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http://www.hataraku.metro.tokyo.jp/sodan/siryo/hikkei_koukou.html
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青山法務研究論集 第9号(2014)
渉が決裂したときはストライキになるぞという威嚇が,使用者の譲歩を引き出す力だから
です。正当な争議行為は刑事罰の対象とはならず(労働組合法 1 条 2 項),使用者から損
害賠償を請求されることもありません(労働組合法 8 条)。正当な争議行為をしたことに
対して懲戒処分をすることは,もちろん許されません(労働組合法 7 条 1 号)。
一人で声をあげるのは難しくても,労働組合ならできることもあります。その企業に組
合がなくとも,企業の外の個人加盟のユニオンにも加入できます。
違法なことは改めさせ,少しでも働きやすい職場を作る方向に舵を切らなければなりま
せん。公正なルールを守りながら競争するのが正しいあり方だということをはっきりさせ
ましょう。反則して勝とうとする者にはレッドカードを突きつける。そうすることでブラ
ック企業廃絶の道が開けるものと考えています。
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