Comments
Description
Transcript
2007年9月15日 - 小野市国際交流協会
小野国際交流クラブ 第25回(平成19年9月)例会のまとめ <日時> <場所> 平成19年9月15日(土)16:00∼17:30 小野市うるおい交流館エクラ2階サークル室 Ⅰ 今回の話題 1 日本の大学の実態から見た国際化の課題 2 アジアの今後について (1) ASEAN (2) APEC (3) その他 Ⅱ 情報提供担当の井上世話人から資料に基づいて、説明があった。かなり重い内容であった。情報量も多く、 質疑応答の内容も含めて、記録が十分でなかったので、別記の資料を参考にして頂くことで報告とさせて頂 きます。 Ⅲ 提供された資料(井上世話人(情報提供担当))−配布資料− 1 「大学国際化競う米欧中」−日本の閉鎖性際立つ 英語力向上が急務− 2 「大学改革 英に学ぶ」−安易な模倣には問題− 3 「私大破綻 防ぐ改革を」−地域に根ざす教育カギ− 4 「自主性尊重で途上国説得」−温暖化対策 合意を優先− 5 「ASEAN−深化する共同体 創立40年−」 (日本経済新聞 2007.8.6) (日本経済新聞 2007.8.27) (日本経済新聞2007.9.3) (日本経済新聞 2007.9.9) (日本経済新聞 2007.8.6) Ⅳ 村田世話人(まとめ担当)からのお詫び等について 1 本年6月例会の際に「反日記念館に関連して、南京大虐殺の被害者数その他、色々の情報が欲しい」とのご 要望が出席者の中から出ました。世話人が出来るだけ早い機会に情報を提供するとお約束していました(6 月(第22回)例会参照)。9月例会の際に、村田世話人が間違えて「『慰安婦関係資料』を約束どおり10月例 会で少しの時間提供します。」と言いましたが、訂正させて頂きますので、ご了解ください。 2 今回は記録が十分にできませんでしたので、正確な情報を提供するため、9月例会の補足資料として(別記) の資料をお届けします。 Ⅴ 次回(10月例会)のご案内 1 日時・場所 平成19年10月20日(土)16:00∼17:30 於小野市うるおい交流館エクラ2階(室前に案内を表示) 2 話題: (1) 「反日記念館・南京大虐殺」関係資料の提供と話し合い(30程度) (2) 出席者の自由な話し合い(60分程度) <別記資料> 1 AFTA ARF ASEM (いずれも−9月例会で配布済−) 2 ASEAN関係資料(2007年9月7日作成) 東南アジア諸国連合 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 東南アジア諸国連合(とうなんアジアしょこくれんごう、Association of South-East Asian Nations)は、東南 アジア10ヶ国の経済・社会・政治・安全保障・文化での地域協力組織。本部はインドネシアのジャカルタに ある。略称はASEAN(アセアン)。人口は約5億8千万人(2005年)と大きく、近年の目覚しい経済成長に拠り、 EU、NAFTA、中国、インドと比肩する存在になりつつある。 < 設立> 1967年8月、タイ王国のバンコクで反共産主義の立場をとる東南アジア諸国によって結成された。原加盟国は タイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、マレーシアの5ヶ国。設立の宣言は、各国の外相による共 同宣言で、東南アジア諸国連合設立宣言、バンコク宣言などと呼ばれる。 ASEANの前身組織として東南アジア連合(ASA)が挙げられる。これは1961年にタイ、フィリピン、マラヤ 連邦(現マレーシア)の3国によって結成されたもので、ASEAN の設立によって発展的に解消される形とな ったとされる。また、マレーシア、フィリピン、インドネシアの包括的な連合構想(マフィリンド構想)も 加わっている。 < 加盟国> ASEAN加盟国は1970年代を通して変化がなく、1980年代も、当時イギリスから独立したてのブルネイが加わ ったのみに留まった。(ブルネイまでの加盟国を先発加盟国、それ以降の加盟国を後発加盟国ということも ある。)これは冷戦、ベトナム戦争など、地域の政情に関連しているとされる。だが、1990年代後半に入っ て同地域の北方に位置する4ヶ国が加盟した。この10ヶ国からなるこのASEANを特にASEAN-10と呼ぶことが ある。 なお、最後の加盟国であるカンボジアは内政事情から加盟が遅れたもので、当初はミャンマーとラオスと共 に加盟する予定であった。 現在の加盟国は以下の通りで、ASEAN10とも呼ばれる。 【1967年8月8日加盟(結成時)】 インドネシア、 シンガポール、 タイ、 フィリピン、 マレーシア 【1984年1月8日加盟】 ブルネイ 【1995年7月28日加盟】 ベトナム 【1997年7月23日加盟】 ミャンマー、ラオス 【1999年4月30日加盟】 カンボジア 他に、オブザーバー・ステータスを持つ国として パプアニューギニアがある。 また東ティモールは、オブザーバー・ステータスの獲得、長期的には加盟国入りをも目標としているとされ る。だが、インドネシアとの友好関係を重視する加盟諸国はこの動きを必ずしも歓迎していない。特にミャン マーは、自国の民主化運動家であるアウン・サン・スー・チーが東ティモールを支持していることもあり、反 対を表明している。 < 経済・人口> 人口 5億7,995万人(2005年)。EU(欧州連合)やNAFTA(北米自由貿易協定)より多い(下表参照)。国連の予測では、 2030年には7億人を超え、2050年には7億7千万人規模になるとされている。 GDP(国内総生産)(2005年) GDP(MER) 8,619億米㌦ GDP(購買力平価) 2兆4796億米㌦ 一人当りGDP(MER) 1,467米㌦(2004年:加盟10ヶ国平均) 一人当りGDP(購買力平価) 4.511米㌦(同) 貿易額(輸出入) 1兆790億米㌦(MER・H18年5月ASEAN経済統計基礎資料:外務省ホームページより) 【 加盟国別人口(2005年)】 順位 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 国名 インドネシア フィリピン ベトナム タイ ミャンマー マレーシア カンボジア ラオス シンガポール ブルネイ 東ティモール モルディブ 人口(万人) 2億3,845万人 8,785万人 8,423万人 6,486万人 5,430万人(2002) 2,613万人 1,380万人 560万人 435万人 35万人 92万人 29万人 【 他の経済圏との比較(2005年) 】 加盟国数 地域・国名 人口 GDP値 一人当りGDP値 10 3 27 6 × × ASEAN 北米自由貿易協定(NAFTA) 欧州連合(EU) メルコスール 中華人民共和国 インド 5.50億人 4.3億人 4.56億人 2.5億人 13.08億人 11.3億人 8,619億USドル 14兆USドル 13兆USドル 1兆USドル 2.3兆USドル 8,002億USドル 1,079USドル 29,942USドル 30,000USドル 4,000USドル 1,702USドル 678USドル (値は2005年時点のもの。GDPは変動為替ベース。) <主な活動> ASEANの主な活動は設立当初は外相会議であった。バンコク宣言では外相会議を毎年開催することを定めてい る(定期閣僚会議)。第一回の外相会議はASEANの設立を宣言したバンコクにおける会合である。設立当初の 目的は経済・社会分野での地域協力で、最高決定機関は年次外相会議であった。 1972年、1973年から欧州共同体(現欧州連合)やオーストラリアとの域外対話を開始した。現在はこれに日本、 ニュージーランド、カナダ、アメリカ合衆国、大韓民国、中華人民共和国、ロシア、インドを加えた10が域外 対話国・機構と呼ばれる。年次外相会議の直後に招かれた拡大外相会議を開いている。 1975年以降は、外相会議とは別に、経済担当閣僚会議が年に1,2回開かれる。 1976年2月にバリ島でASEAN首脳がはじめて一堂に会しASEAN協和宣言が発表され、政治協力がASEANの地域 協力の正式な一分野になった。ASEANサミットとも称されるこの会合は、当初は不定期開催であり、1992年の シンガポールにおける会合の時点で未だ第4回目を数えるに止まった。だが、この第4回首脳会議において、3年 毎の公式首脳会議とそれ以外の年の非公式首脳会議が開催されることが決定され(シンガポール宣言)、1995 年以降毎年開催されている。更に、公式・非公式の区別は2002年に入って廃止されることになった。 【2005年】 2005年12月12日、第11回首脳会議がマレーシアのクアラルンプールで開かれ(第9回ASEAN+3首脳会議および東 アジアサミットも併せて開催)、首脳宣言が発表された。ASEAN憲章の起草は、ASEAN加盟国の元首脳や有識 者の賢人グループに委ねられ、来年(2006年)中の制定をめざす。首脳宣言で確認した憲章の骨格には、民主 主義の促進、核兵器の拒否、武力行使・威嚇の拒否、国際法の原則順守、内政不干渉などが含まれている。 【2006年】 2006年首脳会議の合い言葉は、「一つのビジョン、一つのアイデンティティー、一つの共同体」である。 2006年5月9日マレーシアのクアラルンプールで、ASEANとしては初の国防相会議を開いた。共同声明は、同会 議の目的として 防衛・安全保障分野の対話と協力を通じての地域の平和と安定の促進 国防政策、脅威の認識、安全保障への朝鮮に関する相互の信頼と理解の促進 2020年までのASEAN安保共同体創設への貢献 などを確認した。 2006年7月24日から28日まで、マレーシアの首都クアルンプールで、東南アジア諸国連合(ASEAN)は外相会議、 拡大外相会議、ASEAN地域フォーラム(ARF)を開催した。 同24日、マレーシアのサイドハミド外相は、ASEAN常任委員会で、ASEAN憲章作成作業が順調に進んでいるこ とを報告し、「ASEAN設立40周年を祝う2007年の首脳会議までに準備したい」と述べた。 2006年8月24日、マレーシアのクアラルンプールで、東南アジア諸国連合(ASEAN)に日中韓三カ国とインド、オ ーストラリア、ニュージーランドを加えた16カ国による初の経済担当閣僚会議が開かれた。日本から参加16カ 国による自由貿易協定(FTA)構想が提案され、大筋で合意が得られた。 【2007年】 2007年1月11日、フィリピン中部のセブで外相・経済相会議が開かれた。外相会議ではミャンマーの民主化問題 については、懸念を表明すると共に、アウン・サン・スー・チーの早期解放を要求することで一致した。 北朝鮮の核問題では、朝鮮半島の非核化を求める方針を確認した。 次いで13日に開催された首脳会談では当初目的より5年前倒しし、2015年に「政治・安全保障」「社会・文化」 での連携を深めるASEAN共同体の設立を目指す採択を一致した。ASEANの法的枠組みとして共同体の最高規範 となるASEAN憲章制定の必要を謳った。ただし「内政不干渉」「政治問題に関する決議の多数決か全会一致か」 については、ミャンマーの反発などで合意に至らず、見送られた。 テロ容疑者の引渡し相互協力を定めた対テロ協力協定、移民労働者の権利保護に関する宣言を採択した。 【対日関係】 日本は1970年代半ばよりASEANとの首脳、外相レベル会談を行ってきている。 1981年には日本とASEAN諸国の間で「東南アジア諸国連合貿易投資観光促進センター設立協定」を結び、日本 アセアンセンターが設立された。これは貿易の振興、日本からASEAN諸国への投資と観光客の増大を目標とし たものである。他にASEAN文化基金、日・ASEAN総合交流基金、日・ASEAN学術交流基金、などの各種基金 が存在している。 1997年からASEAN+3として東アジアの長期安定・発展を担う上で重要な存在となっている。 2003年は日本ASEAN交流年とされた。記念切手の発行や人的交流、文化紹介の催しなど交流年を記念したイベ ントの開催や事業の実施が日本、ASEAN諸国各国で見られた。12月11日、12日には日本が各国首脳を招いて日・ ASEAN特別首脳会議を開催した。 3 A P E C 関 係 資 料 (2007.9.7 作成) APEC (出典:外務省ホームページ) 【町村外務大臣のAPEC閣僚会議への出席について】 平成19年8月31日 1. 町村外務大臣は、9月5日(水曜日)及び6日(木曜日)に豪州のシドニーで開催される第19回アジア太平洋経 済協力(APEC)閣僚会議に出席するため、9月4日(火曜日)からシドニーを訪問する。 2. 町村外務大臣は、APEC閣僚会議において、「WTO(世界貿易機関)」、「地域経済統合」、「構造改革」 等を中心に他のAPECメンバーの参加閣僚との間で意見交換を行う予定である。 3. また、町村外務大臣は、APECメンバーのいくつかの参加閣僚と二国間関係等に関し意見交換を行う予定であ る。 4. なお、このAPEC閣僚会議には、APECの21の参加国・地域(オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、 中国、中国香港、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、パプ アニュー ギニア、ペルー、フィリピン、ロシア、シンガポール、チャイニーズ・タイペイ、タイ、米国、ベトナム) から外務大臣等がそれぞれ参加する予定である。 【APEC(アジア太平洋経済協力:Asia-Pacific Economic Cooperation)概要】 アジア太平洋地域の持続可能な発展を目的とし、域内の全主要国・地域が参加するフォーラム*1。1989年11月 の第1回閣僚会合(オーストラリア・キャンベラ)をもって発足、1993年以降首脳会議を開催。域内の貿易投資 の自由化・円滑化*2、経済・技術協力を主要な活動とする。2001年の同時多発テロ直後に開催された上海での 首脳会議以降、テロ対策が主要な課題として定着。 [*1 APEC参加メンバー] ASEAN7ヶ国(ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)、日本、 韓国、中国、チャイニーズ・タイペイ、中国香港、メキシコ、パプアニューギニア、豪、NZ、米、加、ペルー、 チリ、ロシア(なお、新規参加は、1997年のベトナム、ロシア、ペルーの参加決定以来、10年間凍結されてい る。) これらのメンバーによるAPEC地域の経済規模は、世界全体のGDPの約6割。 APEC地域の人口は、世界全体の約4割。また、我が国の貿易のうち、輸出・輸入とも約7割をAPEC地域が占め る。 [*2 ボゴール目標] 1994年のインドネシアのボゴールでの首脳会議で採択。先進メンバーは2010年までに、途上メンバーは2020年 までに自由で開かれた貿易投資の達成を確約。 APEC首脳・閣僚会議は地域の首脳、閣僚が一堂に会する唯一の機会。特に首脳会議は、域内の課題にとどまら ず、テロ問題等、国際社会全体の課題につき首脳同士が直接意見交換する貴重な場を提供。 「開かれた地域協力」(APECによって得られる自由化の成果は、APEC域外国にもWTO協定に従って均てんされ る。)及び「協調的自主的な行動」(APECは、法的にメンバーを拘束しない、緩やかな政府間の協力の枠組み という性格を維持。各メンバーの自発的な行動により貿易・投資の自由化・円滑化及び経済技術協力を推進す ることを基本原則とする。)に基づき取組みを推進。 【APECの歴史∼概観∼】 平成19年2月 (1) 1989年11月の第1回閣僚会議(キャンベラ(オーストラリア)):APEC(Asia-Pacific Economic Cooperatio n:アジア太平洋経済協力)を発足させました。発足当初はASEAN6ヶ国(インドネシア、シンガポール、 タイ、フィリピン、ブルネイ、マレイシア)、韓国、ニュー・ジーランド、オーストラリア、カナダ、米 国、日本の12のメンバーで構成されていました。 (2) その後、シンガポール(90年7月)、ソウル(91年11月)、バンコク(92年9月)と毎年閣僚会議が開催さ れました。91年より、中国、香港(中国返還後は、「中国香港」と呼んでいます。)、チャイニーズ・タ イペイが参加しています。 (3) 93年11月の閣僚会議の直後に、首脳会議(Economic Leaders' Meeting)を初開催(シアトル(米国)):首 脳会議の開催は、クリントン米大統領(当時)の提案によるものです。以後、首脳会議と閣僚会議が毎年 秋に開催されています。メキシコとパプア・ニュー・ギニアが参加メンバ−に加わりました。 (4) 94年11月の閣僚・首脳会議(ボゴール(インドネシア)):「APEC経済首脳の共通の決意の宣言」(ボゴ ール宣言)を採択しました。2020年(先進経済は2010年)までに域内における自由で開かれた貿易・投資 を達成する、また、開発協力を促進するという長期的な目標を掲げました。チリがが参加メンバ−に加わ りました。 (5) 95年11月の閣僚・首脳会議(大阪(日本)):ボゴール宣言が掲げた長期的目標に至る道筋を示す「大阪 行動指針」を採択しました。また、「APEC経済首脳の行動宣言」の発出等数々の成果が生み出されました。 (6) 96年11月の閣僚・首脳会議(マニラ(フィリピン)):各メンバーが、自由化・円滑化の現状と今後の具 体的な行動を示した「個別行動計画」(IAP)を提出しました。また全体で共同で取り組むべき「共同行動 計画」(CAP)を策定し、「APECマニラ行動計画96」(MAPA96)として採択しました。経済・技術協力 の分野にも焦点を当て、「経済協力・開発強化に向けた枠組みに関する閣僚宣言」を発出しました。 (7) 97年11月の閣僚・首脳会議(ヴァンクーヴァー(カナダ)):アジア経済危機が懸念された中、アジア経 済の基礎的な条件は、基本的には健全かつ力強いことを再確認しながらも、金融システムの向上のため、 世銀やIMFとも協力しながら、APECとして重要な役割を果たしていくことを決意しました。また、早期自 主的自由化分野(EVSL)として15分野を特定しました。 (8) 98年11月の閣僚・首脳会議(クアラ・ルンプール(マレイシア)):ロシア、べトナム、ペルーの3新メン バーを加え、21メンバーが参加しました。国際社会の支援と各メンバーの改革の結果、アジア経済危機か らの回復の基盤が築かれたこと、及び、ソーシャル・セーフティー・ネットの強化、金融システムの各国 別及び全世界的な強化が重要との認識で一致しました。97年に特定された早期自主的自由化分野(EVSL) については、APECにおいては自主性の原則に基づき実施すること、また、優先9分野の関税措置について は、WTOの場で関税引下げ努力を開始するようAPECとして努力することを閣僚レベルで合意しました(そ の後、残りの6分野についてもWTOの場での関税引き下げ努力を行うことで一致しました)。さらに、首脳 は、貿易・投資の拡大が経済回復に不可欠であり、自由で開かれた市場、投資を可能とする環境が必要で あると確認しました。 (9) 99年11月の閣僚・首脳会議(オークランド(NZ)):アジア経済が危機から脱したことを歓迎し、危機の 再発の防止とメンバーの持続的な成長の確保のためAPECとして努力することを決意しました。具体的に取 り組むべき課題として、規制緩和や競争の促進、能力の向上を通じて、市場機能を強化していくことが重 要であるとの認識を示しました。また、WTOの新ラウンド立ち上げを成功させるため、できる限り支援し ていくとの力強い政治的メッセージを発出しました。更に、コンピューター2000年(Y2K)問題への対応 や電子商取引のグローバルな発展のための取り組みについても、首脳が強い関心を持って協力することを 決意しました。 (10) 2000年11月の閣僚・首脳会議(バンダル・スリ・ブガワン(ブルネイ)):グローバル化、IT革命の進展 の中で、その恩恵を活用し、グローバル化に伴う問題にいかに挑戦していくかを議論しました。WTOにつ いては、新ラウンドを2001年中に立ち上げることで合意し、また、新ラウンドの議題については、全ての WTO加盟国の関心・懸念に応えるよう、バランスがよく、十分に広範なものでなければならないとの認識 で一致しました。更に、アジア太平洋地域に進展しつつある地域貿易協定の動きについても議論され、地 域貿易協定がWTOにおける多角的な自由化のための踏み台として役立つだけではなく、APECの構想にも沿 うものであり、APECの目標や原則に貢献するものであるとの考えを示しました。 (11) 2001年10月の閣僚・首脳会議(上海(中国)):域内の経済情勢を早期に回復するため、21エコノミーの 首脳による集中的な議論が行われました。これにより、日本が現在取り組んでいる構造改革について理解 が得られただけではなく、他のエコノミーにおいても構造改革が必要との認識が浸透しました。首脳会議 では、APECの将来についても議論され、グローバル化の進展等による経済の実質的な変化をボゴール目標 等のAPECの活動目的に反映し、新世紀に向けてAPECの活動をより一層活性化していくため、「上海アコ ード」を採択しました。さらに、首脳は、9月11日の米国でのテロ問題を取り上げ、議論の結果を「テロ対 策に関するAPEC首脳声明」として発出しました。本声明においては、全てのエコノミーが、国連憲章や国 際法に従って将来のテロ行為防止・抑圧に努力することが宣言されただけではなく、航空や船舶など運輸 分野の防護のための活動の強化や電子税関ネットワークの迅速な開発など、APECとしてテロ防止のために 取り組むべき具体的な課題が明示されました。 (12) 2002年10月の閣僚・首脳会議(ロス・カボス(メキシコ)): テロ対策、貿易・投資の自由化・円滑 化等につき議論しました。経済分野では、首脳は、2006年までの貿易取引費用5%削減のための取組として、 「貿易円滑化行動計画」を了承し、「APEC透明性基準の実施のための声明」及び「貿易とデジタル・エコ ノミーに関するAPEC政策実現のための声明」を採択しました。また、日本より提唱したFTAや構造改革に 関する意見交換・作業の開始が合意されました。 政治問題についても大きく取り上げられたのが特色であり、インドネシア・バリ、フィリピン、モスクワ でのテロ事件に関連した「APECメンバー・エコノミーでの最近のテロリズム行為に関するAPEC首脳声明」 及びAPECにおける税関、運輸、金融、通信分野等における期限付きのテロ対策についてとりまとめた「テ ロリズムとの闘い及び成長の促進に関するAPEC首脳声明」を採択しました。また、北朝鮮の核開発計画の 放棄を求める「北朝鮮に関するAPEC首脳声明」も採択しました。 (13) 2003年10月の閣僚・首脳会議(バンコク(タイ)): 構造改革に関するAPECの作業方針として日本が 提案した「APEC構造改革行動計画」を採択しました。WTOに関してはカンクンでの閣僚会議の結果を受け、 閣僚・首脳レベルで交渉の再立ち上げに向け、活発な意見交換が行われ、前向きなメッセージが発出され ました。また、テロ対策・安全保障の分野では、SARSや生物テロなどの問題に対応するための協力につい て「健康安全保障問題に関するAPEC首脳声明」が取りまとめられたほか、携帯式地対空防衛システム(M ANPADS)の国内規制強化に取り組むことが合意されました。 (14) 2004年11月の閣僚・首脳会議(サンティアゴ(チリ)): 今後のFTA交渉の参考となる項目・事例を取 りまとめた「FTAベスト・プラクティス」を策定しました。構造改革については、APECとしての取組を更 に強化するため、同分野において今後優先的に取り組むべき課題を明示した「構造改革実施のための首脳 の課題(LAISR)」を採択しました。また、テロ対策・不拡散問題に関し、APECとして取り組むべき具体 的事項に合意しました。 (15) 2005年11月の閣僚・首脳会議(釜山(韓国)): ボゴール目標達成に向けたこれまでの進展状況を評 価し、今後の道程を示す中間評価報告書を策定しました。また、難航するWTO交渉を前進させるためには 政治的リーダーシップが不可欠との認識の下「ドーハ開発アジェンダ(DDA)交渉に関するAPEC首脳声明」 が発出されました。このほか、知的財産権の保護に関し、「APEC模倣品・海賊品イニシアティブ」にある 取組の具体的措置として、水際措置等の3つのガイドラインを採択しました。人間の安全保障の分野では、 鳥インフルエンザが現実の脅威との認識を共有し、「インフルエンザ流行への備え及び影響の軽減に関す るAPECイニシアティブ」を採択しました。このほか、前年に採択された「構造改革実施のための首脳の課 題」実施のための作業計画(LAISR2010)を採択しました。 (16) 2006年11月の閣僚・首脳会議(ハノイ(ベトナム)): ボゴール目標達成に関する中間評価報告書に 示された今後の道程(釜山ロードマップ)を実施するための行動計画(ハノイ行動計画)(PDF)を策定し ました。また、WTO・DDA交渉再開に向け、APEC域内外に呼びかけるメッセージを発出すべきとの認識 の下、「WTO・DDAに関する声明」を採択したほか、APECとして、長期的展望としてのアジア太平洋の 自由貿易圏構想を含む地域経済統合の促進方法について研究し、2007年の首脳会議に報告することとなり ました。また北朝鮮による核実験に関する口頭声明が議長より発出されました。 4 (2007.9.23作成) サブプライムローン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 サブプライムローン(米:subprime lending)は、主にアメリカ合衆国において貸し付けられたローンのうち、 優良顧客(プライム層)向けでないものをいう。狭義には、住宅を担保とする住宅ローンに限定されるが、広 義には、自動車担保など住宅以外を担保とするものを含む。一般的に他のローンと比べて信頼度が低いとされ ている。 2007年あたりから、その貸付の返済不能などが問題となっているのは、主に住宅ローン(狭義のサブプライム ローン)に関するものである。 (以下、省略)