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北朝鮮帰国事業で北朝鮮に渡った親族2
国連人権理事会 国連北朝鮮人権状況特別報告官:マルヅキ・ダルスマン様 謹啓 初めてお手紙を差し上げます。私は在日韓国人の曺幸と申します。朝鮮戦争 停戦後の1959年12月から1984年にかけて、日本から北朝鮮に向けて、 9万3千人を超える在日朝鮮人と、その人々と結婚した日本人配偶者が希望を 胸に北朝鮮に渡りました。 私の兄、曺浩平(当時26歳の東北大学院生の山田元也)と日本人妻の小池 秀子さん(当時23歳)も1962年2月10日に北朝鮮に向かいました。二 人は北朝鮮で一男二女(長男・日、長女・梨花、次女・美花)を授かり、兄は 北朝鮮の咸興医科大学で生理学の講師を務め、その後、金日成長寿研究所で勤 務しましたが、1967年に、労働党再教化所に行くことを伝えた手紙を最後 に、兄の手紙は途絶え行方不明となりました。1980年代前半からは、秀子 さんからの便りもなくなり、今もって家族の生死は不明です。 この北朝鮮帰国事業は1954年、日本赤十字社が、北朝鮮残留日本人の帰 国援助を朝鮮赤十字会に申し入れ、帰国船を利用して在日朝鮮人の帰国援助を 表明したのをきっかけに両国間で検討されました。赤十字国際委員会の仲介も あり1959年8月13日に、インドのカルカッタで日赤と朝赤との間で「帰 還協定」が結ばれ、両赤十字間の責任の下に1959年12月14日、帰国第 一次船が在日帰国者約千人を乗せて新潟港を出港し、帰国事業が始まりました。 当時、赤十字国際委員会は、帰国事業について「移動の自由、居住の自由、 職業選択の自由を北朝鮮で守れるならば良いが」と条件をつけ、日赤は朝赤に 問い合わせて「大丈夫」と答えておりますが、北朝鮮に渡っての事実確認はと っておりません。また韓国赤十字社は「北朝鮮への帰還は、自由と権利を奪わ れ、奴隷の如く扱われ、人道の原則に反する」と反対していました。しかし、 朝鮮総連の社会主義建設の躍進を伝え人道事業を強調する宣伝と、それを鵜呑 みにした日本国政府、政党、文化人、マスコミなどの支援のもとに帰国事業は 大々的に行われました。こうして兄を含む多くの若く優秀な在日朝鮮人は、モ スクワ大学に留学させてやるという総連の嘘に利用され、北朝鮮に渡りました。 帰国者の大半は、日本での差別に苦しみ、故郷は韓国なのに、北朝鮮を選択 して渡ったのですが、待っていたのは、名ばかりの住む家も、働く場所も、食 べる物もろくにない宣伝とは反対の貧しい生活でした。 ほとんどの帰国者は、北朝鮮から飢餓と苦境を訴え、生活物資を求める手紙 を日本に残った家族に送り続けました。物資が途絶えた人たちは、飢えに苦し みながら世を去ったか、些細な文句を罪に問われ、刑務所に送られ、時にはス パイ容疑をかけられて政治犯収容所などに収容され、苛酷な強制労働と栄養失 調のために死んだ方もいます。 私は行方不明の兄一家の消息を明らかにし、その事を通じて北朝鮮の帰国者 を含む収容所体制の人権弾圧を世界に訴え、帰国者の救済を求めるために、1 994年、日本の市民団体「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の結成に参 加しました。また同会と共にアムネスティー・インターナショナルを通じ北朝 鮮政府に兄一家についての情報を求めました。 しかし北朝鮮から帰ってきた回答は、 「兄はスパイ罪で1967年に逮捕され、 懲役20年の懲役刑に科せられ、咸興市近くのリョンソン(龍城)地区の労働 再教化所に拘留中、1974年10月23日に脱走を図り、定平郡朝陽里にい る妻子の下に戻った。翌日の未明、兄は一家5人で近くの港から海へ出て逃げ ようとして銃撃され、家族全員が殺され、死体は上がらなかった」という、全 く恥知らずの嘘の発表でした。体を壊し体力も車もない兄が、到底行き着けな い距離のでっち上げの逃避行です。 これは兄個人の悲劇に留まりません。北朝鮮帰国者たちが日本を去って初め て自由の価値を思い、北朝鮮の体制に不満を抱き拘束されました。北朝鮮の収 容所は、戦前のナチスの絶滅収容所、ソ連のラーゲリ、中国の労働改造所の悲 劇と同様の、いやそれ以上の悲劇を伴う20世紀の人類の最大の負の遺産です。 人類は長い歴史の中で、お互い価値観を認め合い、普遍的な自由と人権の実 現のために、各民族、各国家、各宗教が融和していく道を見出してきたはずで す。その21世紀に、北朝鮮では未だに、自由な国の価値観や思想を持ってい ることが罪に問われ、収容所送りの対象になっています。このような独裁政権 が、この東アジアに存在することは決して許されないことです。 今回、国連の調査委員会が、北朝鮮の人権弾圧を阻止するために総合的な調 査を行うことを聴き、一帰国者家族として、苛酷な弾圧体制下にある北朝鮮の 全ての人々の救済のために全力を挙げて調査され、国連の実力をもって、人々 を解放に導いて下さることを切にお願い申し上げます。 恐らく私の兄と秀子さんは、どのような運命に会おうとも、自由と人権の価 値を失わずにいたに違いありません。だからこそ兄たちは、自由と人権の矢が、 政権批判に向かうことに怯えた独裁政権によって地獄の収容所に送られたので しょう。どうか国連の力で世界に例がない密告と弾圧と飢えに苦しむ北朝鮮の 全ての人々を救って下さい。心から再度お願い申し上げます。 敬白 2013年5月7日 〒114-0022 日本国東京都北区王子本町2-24-17 仲沢マンション103鈴木方。電話:+81-3-5948-5586 在日韓国人主婦、曺幸 拝