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ランドマーク商品誕生の条件 - Doors

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ランドマーク商品誕生の条件 - Doors
( 731 )367
ランドマーク商品誕生の条件
──ソニーとアップルの企業家精神と戦略の事例を中心に──
水
原
紹
はじめに
Ⅰ
ソニーとアップルその両社の歩み
1.ソニーのケース
2.アップルのケース
Ⅱ
人物像:井深大・盛田昭夫とスティーブ・ジョブズ
1.井深大と盛田昭夫
2.スティーブ・ジョブズ
Ⅲ
ランドマーク商品誕生の条件
1.主体的条件 1−企業家のリーダーシップ
2.主体的条件 2−企業家と社会の関係
3.客観的条件 1−経済や産業の動向
4.客観的条件 2−製品普及の背景となる社会や制度
さいごに
は
じ
め
に
日本時間の 2011 年 10 月 6 日,アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズ(Steve
Jobs)が 56 歳という若さでこの世を去った。ジョブズは 8 月に CEO を辞任して同企業
の会長となったばかりであった。ジョブズのアップルはこれまで画期的商品を次々と投
入し世界の生活を変えてきたことはあまりにも有名な話であり,その影響力は計りしれ
ない。そこで本研究の目的は「ウォークマン」や「iPod(アイポッド)
」の例に見られ
1
る「ランドマーク商品」と呼ばれる画期的商品を世の中に送り出す「革新的企業」の特
徴について,ソニーとアップルの両社の共通点から明らかにするものである。以前の報
告では,ランドマーク商品として両社が開発したウォークマンと iPod を例にその社会
へのインパクトを述べたが,商品の開発の背景には必ず企業の存在があり,企業の戦略
なしに商品の普及を語ることはできない。
ではなぜそのようなランドマーク商品と言える画期的商品が限られた企業にしか開発
できないのか,両社を比較することでその条件が見えてくるのではないかと考える。実
2
際「革新的企業ランキング」においてもアップルが首位,ソニーも上位にランクインし
────────────
1 ランドマーク商品の定義についての詳細は石川[21]を参照。
2 Businessweek[50]
(ホームページ)
。アメリカのビジネス誌 Businessweek が毎年公表しているランキ
!
同志社商学
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第63巻 第5号(2012年3月)
ているように両社はともにユニークな商品を世に送り出し,アイディア豊富な企業とし
てのイメージが依然として高い。
そこでまずあらためて両社の創業期からそれぞれが開発した商品を概観し,次に創業
者(企業者)の観点からそのリーダーシップ等について検証することで,両社の共通点
と相違点を明らかにしたいと考える。そこからソニーに出来てアップルに出来なかった
こと,またその逆や両社から言えるランドマーク商品誕生の条件を企業内部から生じる
条件と経営環境(外部要因)から生じる条件とにわけて論じたい。
Ⅰ
ソニーとアップルその両社の歩み
1.ソニーのケース
ソニーが今日における日本のエレクトロニクス産業において果たした役割は松下電器
(現パナソニック)と並んで重要であることは言うまでもない。ソニーは 1946 年に井深
大と盛田昭夫によって「東京通信工業」という名前でその事業をスタートさせた。当時
はまだ日本橋白木屋(現在の東急百貨店)の 3 階に出来た小さな研究所であった。
「真
面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建
設」という設立趣意書の言葉にも表れているように,ソニーの特徴は技術志向が強く,
それは元々井深と盛田がともに理系大学出身である事が関係している。つまり技術者が
経営者でもある点がソニーが他社の経営者とは違う点でもあり,異質の製品,しかも大
衆に根ざした製品を開発していくというソニーの経営方針を生むことになる。
とはいえ当初炊飯器の開発に着手したものの失敗に終わるなど,大衆に根ざした製品
を開発することは決して容易ではなく試行錯誤の連続であった。その中で第 2 次世界大
戦後米軍が日本に持ち込んだテープレコーダーを拝見する機会に恵まれた井深が開発す
る商品はこれだと感じたところから,ソニーの商品開発の歴史が始まる。
ソニーの市販された開発製品の第一号がテープレコーダーであった。ただし,これは
単にアメリカのテープレコーダーを真似した物ではなく,テープからその再生に至る技
術まで全てソニーが一から開発した物である。ただ当時の給料と比べて商品価格が高す
ぎる上,使用方法(有効な利用方法)を知る消費者が皆無であったため,改めてその使
い方も含めた商品普及のための工夫をしなくてはいけなかった。今日で言う「マーケテ
ィング」の必要性を痛感したのである。そのことを指してソニーは「市場を教育する」
と述べている。
テープレコーダーは当 初 の「G 型(Government)
」か ら「H 型(Home)
」に 改 良 さ
れ,学校教育用への用途を見いだすことで徐々にその売上げを伸ばしていくが,次に開
!
────────────
ング。ちなみに 2010 年度は 1 位がアップルで,ソニーは 10 位であった。
ランドマーク商品誕生の条件(水原)
( 733 )369
発する商品が「トランジスタラジオ」であった。これは部品にトランジスタを利用した
物であるが,当時アメリカでも補聴器にしか使われていなかった部品をラジオに使うと
いう発想は企業としては大胆な決断であった。トランジスタはアメリカ視察に訪れた井
深が発見した部品であるが,井深の視察の本来の目的はテープレコーダーの有効な使い
方であった。ところが日本より有効な使われ方はされておらず,結果的に得るものがな
かったところトランジスタの話を聞いたのである。残念ながら世界初のトランジスタラ
ジオの発売は無理であったが,部品から完成品まで自社で生産したトランジスタラジオ
3
は実は世界初であり,十分性能の良い日本初のトランジスタラジオをソニーは開発でき
たことで,これの輸出を試みる。この時ラジオの表面に初めて「Sony」という文字を
入れることになるが,これは小さい坊やを意味する「Sonny」と「Sonus」という音を表
すラテン語の造語であった。当時米国でも無名のソニーであったが,大手の時計会社の
ブローバー社が十万台の販売を引き受けてくれたものの,ここで一つ問題が生じる。ソ
ニーが無名であるため,ブローバーの名前で販売するというのである。そこで苦渋の決
断ではあるが,ブローバー社と取引を行った盛田はそれを断り,ソニーが将来有名にな
ることを確約する。
これを機に 60 年にはソニーコーポレーションオブアメリカを創設,本格的にアメリ
カ現地での活動拠点とする。また社名も東京通信工業からソニーに変更することで,ブ
ランド名と社名を一致させた。
これ以降トランジスタの量産に入り,その技術力を活かして小型のトランジスタテレ
4
ビの開発やトランジスタモーターの開発を行う。60 年代には家庭用の録画機器(ベー
タ方式)を開発することになる。音の次は,映像を記録する機器の開発に挑戦したので
ある。しかも当時まだ放送局用にしか普及していなかったビデオという録画再生機器を
家庭でテレビ番組を録画することで使用するという,いずれも当時の生活にはなかった
新しいライフスタイルを構築することになり,ソニーの商品は次々と新市場を創造して
ゆくことになる。
そのような新商品郡の中でもソニーを代表する商品が 79 年に発売された「ウォーク
マン」
(TPS-L 2)である。これは若者の音楽を聴くスタイルを激変させたことでも有名
であるが,その技術は特別新しい技術を開発したわけではなく,既存の技術の組み合わ
せによる「アイディア商品」であった。創業者の井深大自身も無類の音楽好きで,仕事
の移動の際にはテープレコーダーを持ち歩いてそれで音楽を楽しんでいたという。しか
しながら当時のテープレコーダーは持ち運びに不便であり,また音声もステレオ化され
────────────
3 木原[27]75 ページ。世界初のトランジスタラジオは米リージェンシー社が出した物であったが,こ
れは部品のトランジスタをテキサスインスツルメンツ社の物を使用していた。
4 木原[26]152 ページ。トランジスタモーターは,後のウォークマンやビデオに使われているサーボモ
ーターの基本形であった。
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同志社商学
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ていなかった。しかし現在の音響には付きものの「ステレオ」という立体音響の普及に
もソニーは他社よりいち早く実験を試みており,NHK の第一と第二ラジオを使った実
験放送を行うなど,ステレオ音声の普及に一役買っている。ステレオ音声は例えば,1958
年に日本ビクターから発売されたステレオセット「STL-1 S」が最初のステレオセット
として登場し,それ以降商品のバリエーションを増やし,様々な複合商品を生み出して
いくことで音響=ステレオというイメージが国民に定着してきた。
ウォークマンはいわばそのステレオセットなどの商品を手軽に持ち運びできるように
した最も小さなステレオ関連商品である。これにはウォークマンの前提として「プレス
マン」が発売されていたこともあり,これを改造することで簡単にウォークマンに「変
5
身」させることができたのである。
その後ソニーはウォークマンの商品バリエーションを増やし,カセット型から CD
(コンパクト・ディスク)型へ,そして 92 年に登場した MD(ミニディスク)型のウォ
ークマンへと発展している。90 年代に入るとウォークマンの主流は MD 型になり,ソ
ニーもこの普及に力を入れる事となる。なお 2000 年における市場シェアは第 1 図のと
6
おりである。
ソニーが開発してきたこれまでの商品に共通して言えることとして「パーソナルユー
ス」が挙げられる。ウォークマンは音楽のパーソナルユースを可能にし,トランジスタ
第1図
MD プレーヤー/レコーダーの市場シェア(2000 年)
日本ビクター
7%
その他
4%
ケンウッド
10%
ソニー
37%
松下
19%
シャープ
23%
出典:日経産業新聞編[36]119 ページ。
────────────
5 プレスマン開発の前提としてテープの小型化が必要であるが,既にオランダのフィリップス社が開発し
ていた「カセットテープ」が普及していたことが,テープレコーダーの小型化に役立っていた。
6 シェアは MD 再生機(録音機)の全てであるが,携帯型が 9 割を占めている。
ランドマーク商品誕生の条件(水原)
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ラジオなど徹底した小型化技術により,それまで一家に一台だった商品を一人に一台と
いう新たな所有形態へと変貌させた。そのようなライフスタイルの変貌にソニーの商品
が大きく関わってきたのである。
2.アップルのケース
実はソニーの影響を強く受け,常に意識してきた企業が他ならぬアップルであった。
アップルは 1976 年にスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックによって創
7
業される。自宅のガレージでパソコンを完成させた時からその歴史は始まった。今でこ
そジョブズの企業というイメージが強い企業であるが,元々は 2 人が出会うことからそ
の歴史はスタートしている。技術面はウォズニアック,営業などその他の面はジョブズ
が担当するという形であるため,スタート時はソニーの井深・盛田の役割分担と同じで
ある。そして 2 人で立ち上げた「アップルコンピューター」社から最初の商品として
「AppleⅠ」を発売する。それに続く「AppleⅡ」と順調なスタートを切る。その後 1984
年には「マッキントッシュ」方式(以下マック方式)のパソコンの開発に成功する。こ
れはアイコンをマウスでクリックするという今日のパソコンの原型であり,これにより
ユーザーがコンピューターの学位を取得しなくても簡単に使用できるようになったので
ある。しかしながら企業内部で起きた対立からジョブズがアップルを去ることになる。
その後ジョブズが去った後のアップルは業績が悪化することとなる。97 年にアップ
ルの暫定 CEO としてアップルに返り咲き,翌年 98 年には「iMac」を発売,ここから
ジョブズのそしてアップル復活の快進撃が始まる。
ジョブズが復活後のアップルの商品はどれも画期的,かつユニークなデザインの商品
が多く,ジョブズが復活する前と後で明らかにその見た目も変わっている点がそのアッ
プルの変化の状況を物語っている。しかしながらジョブズが復活したとはいえ,当時パ
ソコンの市場は OS(オペレーティング・ソフト)として大成功を収めたマイクロソフ
ト社の「ウィンドウズ」シリーズが圧倒的に有利であり,アップル独自の OS であるマ
ック方式は 1 割程度しかシェアがなかった。ウィンドウズが自社でパソコンを製造せず
ソフトのみを他社にライセンス契約で提供していたのに対し,アップルはあくまで自社
のパソコンにしか OS を搭載しない戦略であったためである。
しかしそう言った劣勢の中,何よりもアップルを現在の地位に押し上げた商品は言う
までもなく「iPod」であろう。本製品は 2001 年 10 月に発売されたが,2001 年はニュ
ーヨークの同時多発テロが前月に発生しており,全米が暗いムードになっていた。そこ
────────────
7 Wozniak[10]p.123[訳書 162 ページ]
.共同創業者のウォズニアックによると,あくまでコンピュー
ターの組み立てのみをガレージで行っただけであり,仕事自体はそれぞれの自宅で行っていたことか
ら,アップルという会社自体がガレージで出来たかのように頻繁に報道されている事は HP(ヒューレ
ット・パッカード)社と混同していると述べている。
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第63巻 第5号(2012年3月)
で全米を元気にするという目的も含め,このタイミングで iPod を発売することでたち
まち人気商品となる。
同時にアップルはソフト戦略も怠っていない。まず音楽ファイルのジュークボックス
である「サウンドジャム」という音楽再生ソフトを改良して「iTunes(アイチューン
ズ)
」という物にする。そして CD をパソコンに入れてファイル変換(リッピング)す
る手間を省く手段として 2003 年に「iTunes ミュージックストア」をインターネット上
に開設し(後に動画など扱うことから iTunes ストアとなる)
,そこから配信された音楽
ファイルを直接音楽の再生ソフトである iTunes に取り込めるようにして,そこから
iPod に転送できるようにしたのである。iPod は iTunes の開発から僅か 9 ヶ月で完成さ
せたのである。
ただ,元々音楽配信自体は日本でも iTunes よりも先に一部で行われており,音楽フ
ァイルの再生機器はアップルが初めて開発したわけではない。しかしそれまでの機器は
不完全な物が多く使いづらかったため,アップルはそれをじっくりと時間をかけて改良
することが出来たと言えよう。その結果現在の携帯音楽機器の標準スタイルは iPod が
基本となっている。これをきっかけに起きた事が音楽産業の変化である。iPod は音楽
を外で聴くスタイルはウォークマンを継承しながらも,これまで必要とされた音楽ソフ
トを必要としない点で画期的であった。つまり音楽ソフトを全てファイル形式にして収
録するためさらなる小型化が可能となり,またソフトが要らないことで,音楽産業にお
ける CD やレコードと言った有形のソフト産業の衰退にも繋がっていくのは周知の事
実である。音楽ソフトの生産数は第 2 図のように,98 年をピークに年々減少傾向にあ
った。また第 3 図にあるようにその一方で音楽配信が増えるにつれ,特に CD シング
ルは生産金額面で音楽配信に逆転されてしまった。これは前述のように iPod が登場す
る前に既に携帯のデジタル型の音楽プレーヤーが他社から出ていたからであるが,iPod
はそれをさらに加速化させることになったのである。実際 100 万枚以上の売上げの単位
とされる「ミリオンセラー」も 2001 年において 28 タイトルあったものが,2010 年に
おいては 4 タイトルにまで激減してしまった。iPod の影響はこればかりではない。こ
れをきっかけにインターネット上で音楽を楽しむことが一般的となり,それは音楽を作
る手法においても変化がもたらされた。つまりネット上で音楽を発表するサイト初の音
楽家の誕生である。ネット上で誰もが自ら作った楽曲を発表する機会が与えられること
8
で,アマチュアとプロの垣根が下がったのである。
これにより日本国内では MD が主流であった携帯の音楽プレーヤーは iPod に見られ
9
る HDD(ハードディスクドライブ)型に移行するが,ソニーも同様のタイプの商品を
────────────
8 『読売新聞』2011 年 10 月 24 日号。
9 より厳密にはソニーの場合 HDD でなく,フラッシュメモリを採用している。
ランドマーク商品誕生の条件(水原)
第2図
ディスク・テープ生産数推移
( 737 )373
1977 年∼2010 年(単位:千枚,巻)
500,000
450,000
400,000
350,000
300,000
250,000
200,000
150,000
100,000
50,000
0
アナログ
CD
1977
1979
1981
1983
1985
1987
1989
1991
1993
1995
1997
1999
2001
2003
2005
2007
2009
カセット
第3図
音楽 CD と音楽配信の金額推移
2005∼2010 年(単位:百万円)
350,000
300,000
250,000
200,000
音楽配信
150,000
CD(シングル)
100,000
CD(アルバム)
50,000
0
2005
2006
2007
2008
出典:第 2 図,第 3 図ともに一般社団法人
第1表
2009
2010
日本レコード協会[53]より作成。
携帯音楽プレーヤーの市場シェア推移(単位:%)
2004 年
2005 年
2009 年
1位
アップル
32.2
アップル
46.6
アップル
51.5
2位
リオ・ジャパン
12.5
ソニー
20.4
ソニー
35.4
3位
アイリバー
11.5
リオ・ジャパン
8.5
クリエイティブメディア
2.3
出典:日経産業新聞編〔37〕
,〔38〕
,〔39〕より作成。
表からは省略したが 2009 年の市場シェアは 3 位に同率でグリーンハウスも入っている。
開発していたものの,この次世代の携帯音楽プレーヤーの競争において遅れをとること
になった。携帯音楽プレーヤーの国内市場においてアップルが圧倒的なシェアを占める
ようになり,2004 年のシェアにおいては第 1 表のようにその他に入るほどアップルか
ら大きく離されることとなる(しかしながら国内においては近年ソニーの巻き返しがあ
り,アップルに急接近するに至っており,一昨年末から一部ではそのシェアにおいてソ
同志社商学
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第63巻 第5号(2012年3月)
ニーが首位を奪還するに至っている)
。iPod は 2011 年 10 月 24 日で発売から 10 周年を
迎え,累計出荷台数において全世界で 3 億台を超え,音楽ダウロードサイトの iTunes
10
ストアの販売楽曲は 160 億曲に到達している。
しかしながらコンテンツとしての CD は依然として販売されており,音楽配信が完
全に CD を製造中止に追い込んでいるわけではない。それがかつてレコードから CD
へと主要音楽ソフトが移行したときとの大きな違いである。その意味では完全に新製品
が旧製品に取って代わる,完全な代替関係には至っておらず,現時点では「部分拡張代
11
替」に近い現象が起きていると言えよう。またアップルは次に重要な機器を開発してい
る。それが「iPhone(アイフォーン)
」である。現在流通している「スマートフォン」
と呼ばれる携帯電話のモデルを提示したのである。
こういった機器を次々と他社に先駆けて世の中に送り続けて来たアップルであるが,
それを可能にした要因は一体何であろうか。次に企業家サイドに焦点を当てソニーとア
ップルの企業家,その人物像を見ていく。
Ⅱ
人物像:井深大・盛田昭夫とスティーブ・ジョブズ
1.井深大と盛田昭夫
言うまでもなくソニーを支えた人物として,この 2 人を語らないわけにはいかない。
これまでにも企業家としての評価は色々とされてきたところであるが,当時のソニーに
とってこの 2 人のリーダーシップ抜きにソニーの発展はあり得なかった。
まず創業者の井深大である。井深は 1908(明治 41)年に栃木県上都賀郡日光町に生
まれる。水力発電の仕事をしていた父(井深が幼い頃に他界)の影響もあり,幼少期か
ら科学への憧れがあり,真空管を購入しアマチュア無線に夢中になっていた。その後早
稲田大学に入学,このときに製作したネオン管が大学卒業後のパリの博覧会に出展した
ところ,優秀発明として受賞する大発明となった。このように当初から井深は技術者と
しての資質があり,いわゆる技術者魂が後のソニーの社風に影響していることは確かで
ある。
例えばテープレコーダーの開発は井深大の閃きで始まった。そしてそれを小型化させ
たのも井深の要望である。一方その普及に貢献したのが盛田であり,当時製品開発面は
井深,マーケティング面は盛田という形で二人三脚で歩んできたところがある。
もう一人の創業者である盛田昭夫は,1921(大正 10)年愛知県名古屋市の造り酒屋
────────────
10 ちなみにウォークマンは 30 年で 3 億台を超える売上げを達成していることを考えれば,iPod はたった
10 年で同じ販売台数を達成していることがいかに速いペースであるかがわかる。
11 詳しくは大原[43]
,根来・後藤[34]を参照。
ランドマーク商品誕生の条件(水原)
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の長男として生まれた。本来ならば酒屋の後継者となるところであるが,機械いじりが
好きで大阪帝国大学理学部に入学する。そこを卒業後海軍航空技術廠の技術担当中尉と
なり,そこで後のソニーを築く井深と出会う。
ソニーに入社してからの盛田は主に製品面を井深が担当することで,盛田が販売面を
担当することにより販路の開拓に苦労する。というのも当時ソニーが作った新製品の
数々は斬新なために,誰もが購入を希望する物ではなかった。そのため販売先,つまり
需要のあるところを探さねばならず,テープレコーダーの販売の際は裁判所や全国の小
学校を渡り歩いた。そしてトランジスタラジオの時は大手時計会社のブローバー社が 10
万台販売するという好条件であったにもかかわらず,ソニーの商標が使えない,つまり
製品はブローバー社の名前で売るということを聞いたことで,その注文を断る。盛田は
12
」と述べて
「50 年経ったら,あなたの会社と同じくらいに SONY を有名にしてみせる。
いる。その結果自力でトランジスタラジオの販売を行ったソニーは 50 年も経たないう
ちに世界で有名になった。盛田自身がベストな決断だったと振り返ったように,企業家
としての決断力が大手会社の下請けに終わらず,一企業としてソニーを飛躍させること
に見事に成功したのである。
勿論各製品の販売成功の裏には高性能な製品開発を可能とした優秀な技術者やミドル
層の存在も欠かせない。例えばテープレコーダーの開発にはそれを支えた技術者である
木原信敏の存在も大きかったように,ウォークマンにおいては黒木靖夫がいた。ウォー
クマン開発に際して,ウォークマンというネーミングは黒木が提案したところ文法がお
13
かしいことから盛田が当初賛成していなかったという一面もあった。しかしウォークマ
ンの開発に関しては当時社内でも反対の声が多かった中で,井深と盛田は製品化に賛成
していた。最終的にそれを製品化できるかどうかは企業のトップの人間にかかってお
り,そのような素晴らしい製品の多くを井深や盛田が見抜いていたことが他企業には出
来なくて,ソニーに出来た決定的な違いであろう。
2.スティーブ・ジョブズ
スティーブ・ジョブズは 1955 年にジョブズ家に養子として引き取られてカリフォル
ニア州ロスアルトスで育つ。高校卒業後にヒューレット・パッカード社で行われていた
講習会に参加し,その時に初めてスティーブ・ウォズニアックと出会い,その後自作の
コンピュータークラブで再会することで意気投合し,2 人でコンピューターを自作する
ことになる。これがアップルの始まりである。
────────────
12 ソニー広報センター[46]123 ページ。
13 黒木[28]68 ページ。当時盛田が黒木に「なぜウォーキングマンにしなかったんだ」と言ったところ
「ウォーキングマンでは長すぎるので,これは日本語だと思って下さい」と黒木が返答したという。
376( 740 )
同志社商学
第63巻 第5号(2012年3月)
AppleⅡの販売後,外部からジョン・スカリーを招き「マッキントッシュ」方式の OS
を完成させた。しかしマイクロソフトがマックと似た OS をライセンス供与するという
戦略で急成長してくる中,アップルの業績に陰りが見えはじめる。
そうした中でジョブズは 85 年に経営での対立からアップルを去り,新たに NeXT 社
を設立する。またアニメ関係の仕事としてピクサー社の設立に関わり,ハリウッドにお
いてもアニメの CG(コンピューターグラフィックス)描画技術に革新をもたらした。
そのことによりピクサーアニメーションスタジオが大成功を収め,
「トイストーリー」
や「バグズライフ」といったアニメが大ヒットする。
その一方で経営が悪化し続けるアップルに対し,次期 OS を模索している話を聞きつ
け,NeXT 社をアップルが買収する形でジョブズは非常勤顧問としてアップルに復帰す
る。その後巨額の損失を計上した CEO のギル・アメリオが解任されることで 96 年に
暫定 CEO となり役員の大半の入れ替えを行い,ここからジョブズのアップル再建が始
まる。
ジョブズは次々と斬新なアイディアでユニークな商品を世の中に送り込んでいく。ジ
ョブズはカリスマ性を強く備えた経営者であり,それだけにアップル=ジョブズのワン
マン経営というイメージが強い会社でもあるように,今日のアップルの発展はジョブズ
の強力なリーダーシップによるところが大きい。
まず復帰後に社内でイギリス出身のデザイナーのジョナサン・アイブと出会うことか
らジョブズの仕事が始まる。アイブは経営が低迷していた時期からアップルに在籍して
いたが,彼がデザインしたものが社内において採用されず,無難なデザインの商品しか
14
採用されていなかったのである。そこで彼の斬新なデザインにジョブズは注目するので
ある。
そうして発売された物が 98 年の iMac であり,当時としては斬新なデザインで,従
来のコンピューターがグレー一色であったのに対し,カラフルなクリア素材を採用した
丸みのあるデザインでコンピューターのイメージを一新させたのである。さらには業界
一薄いノートパソコン「iBook(後に MacBook に改称)
」の開発に成功する。
しかし今日のアップルの快進撃を語る上で忘れてはならないのが,iPod であった。
これは今日のアップルの企業イメージを定着させる意味でも非常に大きい意味を持つ,
起死回生のきっかけとなった商品である。これを開発するきっかけは前述のように当時
他社では,不完全な MP 3 プレーヤーしかなかったのが理由であるが,他社で満足のい
く音楽再生ソフトもなく,アップルが独自に開発していた iTunes に収められた楽曲を
再生する機器も他社ではなかったために,自社で開発しようというジョブズの考えから
始まったのであった。
────────────
14 高木[47]56−57 ページ。
ランドマーク商品誕生の条件(水原)
( 741 )377
iPod は見た目も非常にシンプルなデザインで,操作するスイッチも最小限にしかな
い物であったが,そこにもジョブズのアイディアが凝縮されている。これを開発するに
辺り,アップルは東芝製の 1.8 インチサイズの小型ハードディスクを採用した。当時と
しては最も小型のサイズであるが,開発をした東芝自体が用途を見いだせないでいたと
15
ころにアップルが着目したのである。
そしてその後 iPhone に iPad(アイパッド)と次々ユニークな商品を開発したアップ
ルであったが,アップルには唯一の不安材料があった。それはジョブズの健康問題であ
る。以前からジョブズは膵臓がんを患うなどその健康面には不安があり,アップルの将
来はジョブズの健康に左右されるという不安があった。そしてその治療に専念するため
にしばしば休養することもあった。
そのジョブズが遂に CEO を辞して会長職に就いたのが 2011 年 8 月末のことであり,
それから僅か 1 ヶ月ほど経った 10 月 5 日
(日本時間の 10 月 6 日)
,この世を去った。56
歳であった。
ジョブズのカリスマ性とその画期的商品を開発する能力は井深と盛田がいたときのソ
ニーと似ていると感じる人は少なくないだろう。それもそのはず,ジョブズは盛田昭夫
16
と驚くほど価値観が似ていたのである。そしてかつてのアップルはソニーのような企業
17
を目指すことを公言していたのである。
Ⅲ
ランドマーク商品誕生の条件
1.主体的条件 1 ──企業家のリーダーシップ
最後にランドマーク商品との関連で両者に見るランドマーク商品誕生の条件を検討し
てみたい。
「ランドマーク商品」という物に限定して考えると,なぜランドマーク商品
となり得たのか,またランドマーク商品を生み出せた企業とランドマーク商品を生み出
せなかった企業との違いは何か。これまで述べてきた諸条件は,これまでにも企業家や
経営史の視点から研究されてきたことであり,いわゆる革新的企業及び革新的企業家の
条件とも言うべきものである。しかし革新的企業とランドマーク商品の条件となるとま
た話は別である。革新的企業の全ての商品がランドマーク商品とはならないからであ
る。
両社から言えることは,まず何を作るかという製品に対する取り組みである。つまり
どのメーカーも作ったことのない製品があるのかどうかということを考えて行動する。
────────────
15 Isaacson[6]p.385[訳書(b)156−157 ページ]
.
16 Elliot, William[3]pp.155−156[訳書 227−228 ページ]
. 80 年代,一度アップルを去る前のジョブズはか
つて仕事で日本を訪れた時にソニーを訪問し,当時盛田昭夫とも対面している。
17 『日本経済新聞』2011 年 10 月 16 日号。
同志社商学
378( 742 )
第63巻 第5号(2012年3月)
そしてそのためにその時点でメーカーが持っている技術力,生産力をフルに活用して作
れるものを考える。そうすることで市場に選考するトップランナーとなるということが
重要なのである。そのようにすることでイノベーションが起きると考えられる。
イノベーションの定義に関してはシュムペーターがかつて『経済発展の理論』で述べ
ているが,その中で重要なのはこれらを実行する主体が企業者つまりアントレプレナー
(entrepreneur)だということである。そしてそのためにはトップの姿勢つまりアイディ
アを正面から取り上げるトップマネジメントの存在が必要不可欠になる。かつてのソニ
ー(井深大・盛田昭夫)とアップル(スティーブ・ジョブズ)はともにこれを行ってい
る点で共通しており,両者から共通して言えることは,まずその企業家としてのリーダ
ーシップが発揮されていることを指摘できる。
ここでその例をあげることにする。ソニーにおける井深大のケースであるが,
「もっ
18
と良いモノにしてくれ」と井深自身が注文を出してくると言ったように,井深自ら当時
製作を担当した技術者の木原信敏に細かく要望を提示しているのである。いわばテープ
レコーダーは井深のプロジェクトとしてスタートしている点に注目することが重要であ
る。同じ事はウォークマンにおいても言えるが,元々ウォークマンの場合商品化を前提
に開発された物ではなく,現場の若手技術者が趣味で自分用にプレスマンを改造してい
19
た物を見た井深が商品化を決定したという経緯がある。ただ重要なことは,製品の開発
者に対して何を作るか,どういう技術を開発するかという目標を与えるだけでなく,そ
20
の目標を早く達成するための環境を与えていることである。つまりトップが技術者を理
解していることが重要であり,モノづくりの大きな障害は,技術の本質を理解せず「知
21
ったかぶり」で批判することにある。その点を井深は理解していた。
製品開発の早い段階からトップがそれに積極的に関わる点は井深自身もかつて述べて
いる。つまり下からの製品開発の場合「失敗」を恐れ,責任を重要視するために上に持
って行けないというのが企業にありがちな欠点であるが,トップのいち早い参画によっ
22
て失敗の場合もいち早く打ち切ることも可能になると言うのである。また井深は以下の
ようにも述べている。
「どういう人間をそのプロジェクトに参画させるかで,そのプロ
23
ジェクトのでき,ふできがほとんど決まってくるのではないか」
。
────────────
18 木原[27]156 ページ。
19 井深精神継承研究会[19]49−50 ページ。
20 木原,前掲書,161 ページ。
21 同書,14−15 ページ。
22 電気通信総合研究所[13]169−170 ページ。昭和 45 年 10 月 27 日から 30 日まで東京の経団連会館で開
催された産業能率短期大学,電気通信総合研究所及びアメリカのイノベーショングループの共催による
「第 1 回イノベーション国際会議」における井深大のスピーチ「新製品開発に際して私のとった手法」
から。当時の会議の様子に加筆しまとめた物がこの著書である。
23 同書,同ページ。
ランドマーク商品誕生の条件(水原)
( 743 )379
同じ事はアップルの場合にもあてはまる。ジョブズは徹底的に製品の細部に拘るので
あるが,アップル製品全てに共通して言えることは極力製品をシンプルなデザインと構
成にするということである。例えば iPod の製品開発の際「曲を選択するまでに 3 回以
24
上ボタンを押させるな!」と怒鳴ったという。その決定的証拠と言えるのが電源のボタ
ンがないという事実である。開発当初は電源ボタンは必要と思われていたが,ジョブズ
25
は本体に「電源は要らない」と注文をつけたことが最終決定とされたように,製品に関
する要望を細かく開発者に指定する姿勢を持っている。そしてジョブズは何より製品に
関して決して知ったかぶりで部下を批判しない点では,まさにソニーと同様であった。
ジョブズは技術者ではないが,iTunes の配信の際にレコード会社と交渉をした際も音
楽業界の構造をきちんと理解していており,製品のデザインにおいても深い知識を持っ
26
ていたことにアイブが驚いたという。デザインに関してジョブズは 1996 年に次のよう
に述べていた。
「デザインというのはおもしろい言葉だ。外観のことだと思う人もいる。
本当はもっと深いもの,その製品がどのように働くかということなんだ。いいデザイン
をしようと思えばまず『真に理解する』必要がある。それが何なのか,心でつかむ必要
27
がある。
」
ただ通常大企業化することで企業組織が肥大化してくると,事業部制の導入に見られ
るように事業の整備を行わないと効率的な経営が困難になってくるが,同時に社長自ら
組織の細部にまで関わることは難しくなってくる。しかしながらこの両者はともにその
細部とも言うべき組織に製品化に際して積極的に関与している。組織が肥大化すると下
から上に向かってプロジェクトが進行するため,それが途中で認可されず終わってしま
うことも多々あるが,両社の場合むしろ社長など上の立場にある人間がより積極的に下
に関わってくる意欲を持ち合わせている点が重要である。
尤もこれには一定の条件も必要になってくるだろう。つまり企業家自ら製品開発に関
わるにはある程度事業を企業家自ら把握できる状態にすることが必要であり,ジョブズ
の場合いわゆるワンマン経営を可能にする工夫も怠っていない。実際経営が悪化した頃
のアップルは製品範囲が多すぎて 35 系列もあった。それをジョブズは一気に 5 系列に
縮小することで,自らの管理が行き届く範囲内に納め,自ら製品開発に関与しやすい体
28
制を作っている。ただし全ての事業をジョブズの思うように動かすには部門間の協力が
必要不可欠であり,そのために独立採算制をあえて採用しないことで,全ての部門が協
────────────
24 Levy[8]p.68[訳書 109 ページ]
.
25 Ibid, p.69[訳書 110 ページ]
.
26 Ibid, p.95[訳書 147 ページ]
. ジョブズのデザインの根底には革新性に禅の影響を受けた「無の境地」
がミックスされた独特の美意識があったとされる。
27 Young, Simon[11]pp.280−281[訳書 431 ページ]
.
28 池田[52]
(ホームページ)
。また研究開発プロジェクトも 50 あったものを 10 に減らしたという(ディ
スカバリーチャンネル[51]
)
。
同志社商学
380( 744 )
第63巻 第5号(2012年3月)
29
力できる体制を作ったことで,部門間の衝突(社内抗争)も避けたのである。またそれ
まであった 100 を超える部品業者の数を 24 にまで削減,工場や倉庫をアップルの近く
30
に開設させることで,トヨタのようなジャストインタイム方式を実現させている。ジョ
ブズの場合既に明確なビジョンが出来上がっているため,比較的短期間にトップダウン
で戦略を実行することも可能になっていたのだろう。
リーダーシップが発揮出来たもう一つの要因は,ジョブズ個人の事情である。ジョブ
ズは一度アップルを去ることになり,彼が去った 80 年代のアップルにおいては内紛が
絶えず,経営は悪化する一方であった。しかしジョブズ氏が復帰してからは,アップル
は業績を急回復させ昨年には時価総額が過去最高になるなど,その勢いはとどまるとこ
ろを知らなかった。ジョブズは一度アップルを追放されることで,
「失敗」を学んだの
である。つまりアップルの場合かつての日本企業に見られたような「失敗を許容する」
システムではないものの,既にジョブズ自身が人生において大きな「失敗」をしていた
のである。さらにジョブズは一度膵臓癌という病で死を覚悟しているという経験もあ
り,死を前にして自らの失敗を恐れない強い意志を持てるようになったというのも大き
い。そのような経験を経てジョブズは全ての人を味方に付ける強烈なカリスマ性を備え
たことで,強力なリーダーシップを発揮した。
ただ企業家だけに焦点をあてると,全て企業のトップの功績だけのように誤解されが
ちであるが,こういった商品の開発を実現するには有能なスタッフがいてこそ可能であ
る。ソニーにおける木原信敏や岩間和夫,黒木靖夫,アップルにおけるジョナサン・ア
イブやジョン・ルビンシュタインと言った人物の起用である。アイブがいなければ,あ
の iPhone の洗練されたデザインは不可能であったし,ルビンシュタインがいなければ,
31
東芝のハードディスクの発見もなく iPod も実現していなかったかもしれない。ただ重
要なことは,こういったいわゆる「ミドル」クラスが活躍できる状態にトップが企業を
上手くコントロール出来るということがこのような画期的な商品開発につながっている
ということは見逃してはならない。そのような意味ではやはりトップの姿勢が最終的に
は重要な役割を果たすことになる。実際ジョブズは「イノベーションは人材である」と
考えており,研究開発に多額の資金を投入することよりも人材をいかに導くかと考えて
32
いたのである。
つまりソニーやアップルの場合,リーダーが最初から現場の新製品開発に積極的に関
わってくると言う点で他企業と大きく異なる。実際ソニーの場合,その企業家主導でア
────────────
29 Isaacson, op. cit., p.408[訳書(b)192 ページ]
. アップルの場合社内で協力しない部門は首が飛ぶと実
際言われている。
30 Kahney[7]p.182[訳書 217 ページ]
.
31 Isaacson, op. cit., p.386[訳書(b)159 ページ]
.
32 Kahney, op. cit., p.175[訳書 207 ページ]
.
ランドマーク商品誕生の条件(水原)
( 745 )381
イディア商品を開発する。同じ事はアップルにも言え,ジョブズの強力なリーダーシッ
プが発揮されなければ実現不可能な商品ばかりである。結果的に優秀なトップには有能
な人材が集まって来るのである。
ただしここで注意しておきたいことは,企業家のリーダーシップにおいて「カリスマ
性」は必ずしも必要ではないということである。これはドラッカーが述べていたことで
あるが,かつてのナチスドイツにおける指導者のヒトラーに与えられた称号がリーダー
を意味していたことから,ドラッカーはリーダーに対してあまりいいイメージを抱いて
いない。というのもリーダーにカリスマ性がありすぎると誤った方向に向かう危険性が
あるからである。実際ドラッカーは次のように述べているが「カリスマ性はリーダーを
破滅に向かわせる。考え方に柔軟性がなくなり,不謬性を盲進しその姿勢を改められな
33
い。
」つまりミスリーダーがカリスマ的であるという事実を踏まえて,カリスマ性はリ
ーダーシップの属性であるべきと考えているのである。したがってジョブズの場合も時
には内部で衝突もあり,カリスマ性故の危うさも少なからずあったことは言えるが,少
なくともそれが彼が生きていた間はプラスに働いたと見るべきであろう。実際カリスマ
性のあるリーダーとしてはパナソニックの創業者である松下幸之助,ダイエーの創業者
の中内㓛などがあげられるが,それらの人物と企業の歴史を見ていると当時の置かれて
いた状況や寿命も関係している。例えば松下幸之助の時代はバブルの絶頂期で,その後
の失われた十年を迎える前に松下はこの世を去った。ダイエーの場合,中内が 90 年代
の不況期に経営に直接関わっていた時期に経営が悪化した。つまりカリスマ性が時代の
流れに一致するかどうか(時代の流れをきちんと読むことができる能力)も企業が成功
するには重要であり,その点ではそのカリスマ性が時代に合わなくなったとき企業は衰
退を迎えることになる。
2.主体的条件 2 ──企業家と社会の関係
もうひとつ重要なことは製品開発において常に社会を意識していたかどうかである。
少なくとも両社は「人々の生活をどう変えるのか」に主眼を置いた製品開発をしてお
り,到来する将来の社会を予測するのも大事だがそれ以上にその製品がどう生活を変え
るかを考えていた。そのような意味では,まさにランドマーク商品の定義に合致する商
品を開発してきた。
ただ誰もが見たことのない商品を作るとは言われているが,そこには社会の「現状へ
の不満」からスタートすることも多い。つまりジョブズの言うところの「満たされてい
34
ない欲求」に答える製品作りであり,これはエベレット・ロジャーズの言うところの
────────────
33 Cohen[1]p.202[訳書 275 ページ]
.
34 Elliot, William, op. cit., p.109[訳書 163 ページ]
.
同志社商学
382( 746 )
第63巻 第5号(2012年3月)
35
「ニーズがイノベーションを生む」という事につながる。ただし現時点で発売されてい
る他社製品のほんの少しの改良ではなく,もっと根本的に異なる製品作りである点に注
意する必要がある。ジョブズは iPod や iPhone を作るにあたり,理想的な製品開発を目
指して商品化をしていたのである。つまり当時満足できる携帯音楽プレーヤーがなかっ
たために,自社で iPod を開発する。当時満足できる携帯電話がなかったので,自社で
iPhone を作る(尤も iPhone の場合,いずれ携帯電話と携帯音楽プレーヤーが融合する
時が来るという将来を予測していたが,他社に先を越される前に自社で作ってしまおう
という背景もある)
。アップルの場合基本誰でも簡単に使える商品を普及させるという
考えがその根底にあり,マッキントッシュ方式のパソコンがマウスのクリック操作で素
人でも簡単操作のできるコンピューターであったように,難しいものを簡単に扱える商
品として開発することで商品の普及を促進させる。そのような形で人々のライフスタイ
ルを変革していくのであった。
ソニーに関しても同様のことが言える。
「人まねはしたくない。既存の商品より,も
36
」を合い言葉に開発を進めてきた。テープレコーダーからウォ
っといいモノを作ろう。
ークマンまでの商品の変遷はいわば「小型化」の歴史である。この過程において,井深
が絶えず製品の改良を技術者に要求することで製品の不満を改善することに繋がってい
る。ソニーの「市場を開拓する」という経営方針に表れているように,他社が作ったこ
とのない製品を世の中に先行して出すことで新しいライフスタイルを提案する。あくま
で大衆に根ざした商品作りを行っていた。その点ではソニーとアップルはともに画期的
製品を作りライフスタイルを変革してきた点では共通するところがある。
少なくともジョブズに関しては本人の中に到来する未来の社会像というものが見えて
いたようである。その世界はジョブズ自身が思い描いていたものであり,他社も共通し
て認識していた将来の社会像というものではない。ただその未来を絶えず想像し,消費
者が望む物は何かと言うことを考えたため「顧客が望むモノを提供する」のではなく,
37
「顧客が今後,何を望むようになるのか,それを顧客本人よりも早くつかむ」のである。
ただソニーとアップルの決定的な違いは,ソニーが業界初の物を開発してきたのに対
し,アップルは必ずしもその製品の開拓者ではなく,すでに他社が開発している製品
で,その普及を妨げている欠点を克服することで爆発的に普及させているところにあ
る。またその結果,そのアップル製品が業界の標準となって類似品が販売される事も多
い。さらにソニーとアップルで異なる点はその商品開発の際の部品の外注率の違いであ
る。ソニーは部品も自社で調達しており,テープレコーダーやトランジスタラジオの開
────────────
35 Rogers[9]p.172[訳書 88 ページ]
. ロジャースによると,イノベーションがニーズを生み,またその
逆もあり得るとしている。
36 木原,前掲書,180 ページ。
37 Isaacson, op. cit., p.567[訳書(b)424 ページ]
.
ランドマーク商品誕生の条件(水原)
( 747 )383
発の際は自社の技術で商品を開発してきたが,アップルは過去の自社技術開発の失敗経
験も踏まえて部品の外注率が圧倒的に高く,生産も中国で行う。実際アップルⅡにはソ
ニーがかつて開発した 3.5 インチのフロッピーディスクドライブが採用されており,そ
のディスクドライブは日本のアルプス電気(ソニーとライセンス契約を結んでいる)か
38
ら供給を受ける体制を取っていた。また iPod には東芝のハードディスクが採用されて
いた。ジョブズにとっては技術を自社で開発することは重要でなく,他社で開発されて
いるいい技術を使ってそれを言わば技術の出口である「商品」という形で実際にいい技
術を生活に浸透させようという目的があったのである。それは「何が僕を駆り立てたの
か。クリエイティブな人というのは,先人が遺してくれたものが使えることに感謝を表
したいと思っているはずだ。
」そして「僕がいろいろできるのは,同じ人類のメンバー
いろいろしてくれているからであり,すべて先人の肩に乗せてもらっているからなん
だ。そして,僕らの大半は,人類全体になにかをお返ししたい,人類全体の流れになに
39
」というジョブズ自身の言葉にも表れている。またジ
かを加えたいと思っているんだ。
ョブズはこうも述べている。
「ピカソも,
『優れた芸術家はまねる,偉大な芸術家は盗
40
む』と言っています。我々は,偉大なアイディアをどん欲に盗んできました」
。
3.客観的条件 1 ──経済や産業の動向
これまで述べてきたように,主体的条件は企業家のリーダーシップや技術力や発想力
などがあげられるが,もう一つ客観的条件としては当時の社会や企業の周りの環境,つ
まり当時の経済や産業の動向にある。大手企業の出遅れなど制約条件がソニーにはなく
競争上有利に働いたように,アップルの場合も当時例えば,iPod の場合携帯音楽機器
の最大のライバルであるソニーがまだこの手の商品開発に着手していなかった点も挙げ
られる。他社が当時の段階でまだ完全な商品を出せていないこともアップルにはプラス
に左右したであろう。iPhone も同様である。タッチパネル式のディスプレイは開発さ
れていたにも関わらずあまり普及しておらず,また日本の携帯電話業界においても実用
化されていなかった。
しかしそれ以上に重要な事は,現代社会における日本企業に失われていると言ってい
いイノベーションの条件として重要な一つと言える項目である。橋本寿朗が述べた「あ
41
そび」という概念である。これは戦後の日本企業においては自由に研究開発が出来る社
風というものがいくつかの企業の中で形成されており,その商品の開発過程における技
術者の「あそび」がそのような画期的な商品の開発を可能にすると言うものである。ま
────────────
38 Ibid, p.146[訳書(a)235 ページ]
.
39 Ibid, p.570[訳書(b)429 ページ]
.
40 Ibid, p.98[訳書(a)166 ページ]
.
41 橋本[14]100 ページ。「あそび」のより詳細な具体例としては長谷川[15]も参照。
同志社商学
384( 748 )
第63巻 第5号(2012年3月)
42
たこれに近いものとして野中郁次郎氏の述べた「遊び心」と「ノリ」が挙げられる。い
ずれも社内において失敗を恐れず,思い切った発想で商品を開発するノリの良さが成功
する企業にはあるというものである。現代の日本社会においても成功している会社には
このノリの良さ,遊び心があるが,90 年代を通じ多くの日本企業にはこの風土が失わ
れてしまったとされているのである。かつて戦後の日本において日本的経営を実現でき
た背景にはアメリカなどに見られた「株主反革命」を抑制するシステム,つまり株主の
力を抑え,長期的視点による経営を可能にした企業間関係が存在していたことも少なか
らず影響していたのであるが,それに加えてこの「あそび」が作用していた。上記のソ
ニーのウォークマンのケースは,まさにそういったケースから生まれた製品である。ま
たこのことは,ソニーにおける盛田の発言にも表れている。つまり盛田はかつて「石橋
43
を叩いて渡るな」という発言をしている。これは失敗を恐れず失敗をすればまた元に戻
ればいいという姿勢であり,これが企業の「自由闊達なる愉快な」社風を生んだとも言
え,他社以上にそのあそびを許容する面が強かったとも言えよう。ソニーには井深と盛
田が社員に自由に商品を開発させるシステムを社内に形成していたことはこれまでの研
究でも明らかにされてきたことである。しかし他企業の場合特定の商品の開発は大抵が
経営者主導のプロジェクトでなく,いわばその技術者たちの「あそび」から始まった開
発プロジェクトを経営者が後から追認するというスタイルである。そのため経営者の判
断次第で開発が中止になる危機に直面していたのも事実であるが,それを容認してもら
44
えるだけの力が現場にあった事も確かである。
しかしソニーに限らずある程度の企業が生活を変える商品を作ることが出来た事情と
して,もう一つ「戦後」という時代背景も挙げられる。つまり戦争により工場など全て
を失った企業も多く,その点はソニーは戦後の創業であるため失う物は何もなかったも
のの,
「戦後復興」という共通の意識が企業の中で浸透していたことも挙げられる。実
45
際ソニーの場合設立趣意書の中で会社の設立目的として「日本再建」という言葉が使わ
れており,そのような気持ちが企業を奮い立たせた面は少なからずともどの企業にも働
いたことは想像できる。
一方のアップルであるが,アメリカは戦勝国であるため,日本とは社会的事情が全く
異なる。ジョブズは 1960 年代∼70 年代に日本においても起きたいわゆる反社会的「カ
────────────
42 野中・遠藤[42]179−182 ページ。
43 「平成日本のよふけ」番組スタッフ[18]226 ページ。当時ウォークマンの開発に関わった黒木靖夫を
ゲストに迎えて,当時を振り返ったトークの中で盛田昭夫について語ったものである。
44 NHK[54]
(DVD)
。ウォークマンと同じくランドマーク商品と言える日本語ワープロ(ワードプロセ
ッサー)の開発における東芝のケースにもそれを当てはめることができる。実際東芝における日本語ワ
ープロの開発の場合,プロジェクトが技術者の間で自主的に進行していき,それを知った上層部を説得
する形でプロジェクトが進んでいった。
45 ソニー株式会社[55]
(ホームページ)
。
ランドマーク商品誕生の条件(水原)
( 749 )385
46
ウンターカルチャー」の最後の世代であり,既存の物に対する反抗心から世の中を変え
る意識が強かった。その中でコンピューターという物が社会を変えるアイテムと考えて
いた。しかしアメリカ社会の場合当時の日本的経営が全盛であった日本と比べて株主の
意向が強く,株主次第では会社の経営は右にも左にも方向性が大きくぶれる可能性があ
る一方で,ベンチャービジネスに対してはある程度の支援を行う体制が日本と比べて整
っているという米独自の恩恵に支えられた面がある。特に IT 関連の産業におけるベン
チャービジネスは日本においても国内の冷遇からアメリカへ渡る企業も少なくない。日
47
本では門前払いの商品がアメリカに評価されることもある。
ただジョブズがアップルに復帰した当時,日本の経営と似た状況が形成されていた。
前述の通りジョブズが去ってからのアップルは経営が悪化しており,97 年にアメリオ
が解任された後,当時ジョブズ以外にアップルの経営を任せられる人物がいなかったの
48
である。そのためその力を利用して役員を次々と追い出し,自分の経営方針に合わせて
役員を一新させることが出来たのである。株主ももはやジョブズの方針に頼るしか最善
の策がなく,ジョブズがアップルの復帰に見事に成功した理由がそこにもあったのであ
る。
49
さらにもう一つの特徴は IT 産業における「おたく」的性格がある。他にもマニア,
アマチュア,ホビイスト,ファンなど様々な呼び名があるようにこれらはいずれも本来
「消費者」側に付けられた呼称である。その消費者が製品に夢中になりラジオや無線を
組み立てるということからスタートしたのがシリコンバレーの企業集積地であり,実は
同じ事はソニーにおいても言える。出発点がおたくであるため研究に非常に熱心であ
り,常に現場に関心があるのである。
4.客観的条件 2 ──製品普及の背景となる社会や制度
2 節では企業がいかに社会を変えるか,企業家が製品の持つパワーで生活を変えてい
く企業家自身の社会象について述べてきた。しかしこれは一見実際の生活者の現状を全
く無視して商品を開発しているようにも見えるが,そうではなく,将来を予測するため
に今の社会をしっかりと把握している面は当然ある。重要なのは当時の社会的背景を企
業家が戦略を立てる上でどう捉えるかである。
当時の社会的背景としてまずソニーのウォークマンのケースを例にとると,初代のウ
ォークマンはカセットテープを再生する再生専用機であった。当時カセットテープの再
生しか行えない機種が売れないと反対されたものの,その時に反論したのが盛田昭夫で
────────────
46 『読売新聞』2011 年 10 月 29 日号。
47 『日本経済新聞』2011 年 10 月 23 日号。
48 Kahney, op. cit., p.21[訳書 31 ページ]
.
49 村上・半田・平本[33]100−101 ページ。
386( 750 )
同志社商学
第63巻 第5号(2012年3月)
あった。当時盛田はカーステレオを例に出し,再生専用の機器が売れると反対する者を
説得した。カセットテープが当時の音楽産業において重要な位置を占めたからこそ出来
た戦略であり,従来のオープンリール型のテープからカセットへの切り替えが進んでい
たからこそ,そのカセットの魅力を生かすことが出来る商品開発としてウォークマンを
開発することができた。そしてカーステレオに見られるような録音機能のないテープ再
生機の需要が高まってくる可能性を見いだしていたのである。
またウォークマンが発売されたのは 79 年であるため,主に 80 年代に渡って普及して
いくことになるが,ウォークマンにとってタイミングが良かった点がレコードのレンタ
ル業の開始である。これは 80 年に素人の学生が始めたことをきっかけに翌年以降爆発
的に店舗数が増え,企業としてレンタル店を経営することが今日定着した。つまりレコ
ードは聴くだけでなく,借りた物をテープに録音することが可能であり,レコードとい
う当時のメディアの不便さもあり,カセットテープで聴くことが最も手軽な時期であっ
た。そのこともカセットテープを専用に再生するウォークマンには都合がよく,レンタ
ル業がウォークマンの普及を後押しする面(あるいはその逆も言えたであろう)もあっ
たのである。
一方アップルの iPod であるが,こちらは既にインターネットの普及による音楽業界
におけるデジタル革命がその背景にあった。当時インターネットで音楽を配信するサイ
トが十分にあったとは言えず,その目的を果たすために設立されたのが音楽配信サイト
(ファイル共有ソフト)の「Napster(ナップスター)
」であった。この存在により将来
のコンピューターによる新しい音楽ビジネスの可能性をジョブズは敏感に察知していた
のである。ところがこの Napster の問題点は音楽ファイルが無料である点が著作権侵害
に該当するとして大手のレコード会社による訴訟にまで発展し,最終的には閉鎖に追い
50
込まれた。またそれに対してこういった音楽ファイルを再生する機器が十分普及してい
なかった。ソニーなど他社がデジタル型の携帯音楽プレーヤーを製造してはいたもの
の,より使いやすいシンプルな物がなかったために,アップルが「先駆者」となること
が出来たのである。なぜソニーでなくアップルに出来たのか。そこには著作権に関する
解釈の違いも大きく影響している。
商品が普及する社会的背景として,その国の制度や文化の違いも無関係ではないだろ
う。つまり日本ではランドマーク商品でも海外ではランドマーク商品にならない,ある
51
いはその逆もまたあり得るのである。今回の比較は日米比較とも言うべき,ともに先進
国である二カ国での事例である。アメリカの製品はその多くが日本に普及し,日本製品
────────────
50 Napster はファイル共有ソフトとしてのサービスは終了しているが,現在も会社は存続している。Napster
設立の背景についての詳細は Young, Simon[11]pp.270−272[訳書 413−417 ページ]を参照。
51 ランドマーク商品の普及と制度や国家の関係についての詳細は川満直樹「ランドマーク商品の海外展
開」
(石川[24]第 6 章)を参照。
ランドマーク商品誕生の条件(水原)
( 751 )387
もまたアメリカに普及しているため,製品の普及を妨げているような制度や文化という
ものに関して両国の間で大きな差は見られない。だが携帯音楽プレーヤーの普及を例に
取ると,著作権やソフトに関する両社の解釈の違いがあった。つまり日本においては,
この著作権の問題故にデジタル型の携帯音楽プレーヤーは当初ランドマーク商品とはな
りにくかった点に注目する必要がある。日本初,世界初で日本のメーカーが独自に開発
した携帯音楽プレーヤーはかつてウォークマンがあったが,近年のパソコンとの融合に
見られる「デジタル家電」と言われる機器として,新たにデジタル化した日本製の携帯
音楽プレーヤーが生活を一変させるほどのランドマーク性を備えた商品になる事が現実
的に難しかったのである。事実ランドマーク商品となったのは iPod であり,iPod の日
本上陸によっていわば強制的にその制度,文化の壁が破られた形で新世代の携帯音楽プ
レーヤーは iPod を基準にして今日類似製品が普及することになった。それだけ iPod の
社会的影響は大きかったとも言えよう。
つまりインターネットを介して音楽ファイルを配信事業で販売する事のメリットとし
て,音楽ソフトの無形化が挙げられるのは前述の通りであるが,その便利さの反面,誰
もが容易にファイルを配信できてしまう。この問題は iPod のような音楽のデジタル化
により以前にも増して深刻な社会問題を生み出す結果となっている。デジタル技術の発
展はあらゆるデータの複製を可能とする。つまりそれは著作物も対象と成り得るのであ
るが,著作権の権利者はその著作権を守るために権利者に無断での複製を禁止するた
め,デジタル技術と著作権の行為はいわば相反する行為となり,ベクトルが正反対を向
52
いている。このような権利者に無断で配信をする違法の音楽ファイルによる「著作権侵
害」により音楽産業は相当な金額の損害を受けることになるが,一つはこのファイルに
コピー制限をつけるかどうかの見解の違いが日米で存在した。
実際日本の場合違法コピーを取り締まるために,かつて「コピー防止 CD」を発売す
るなどしてきたが,音楽配信で購入できた音楽ファイルはコピー制限がないのに対し
CD からの音楽はパソコンに取り込めないという不便さからこのタイプの CD の販売は
不振に終わる。またソニーは自らレコード会社や自社の開発商品である MD などの関
連商品を抱えているため,それらの売上げを奪うインターネットによる音楽配信を大々
的に展開することが難しかった。そのような事情から音楽配信も行っていたものの,CD
の店舗と比べて曲数が少なく,1 曲あたりも現在と比べて割高だったこともその普及が
遅れる要因となっていた。
つまり日本において音楽配信が出遅れた理由の一つがこの著作権保護をどうするかと
いう考えである。著作権を保護するには違法の配信を防ぐ手段を構築する必要があり,
それが前述のコピー防止 CD 販売や複製防止や複製回数制限などの著作権保護技術
────────────
52 野口[41]63−64 ページ。
同志社商学
388( 752 )
第63巻 第5号(2012年3月)
(DRM : Digital Rights Management)が組み込まれたファイルの配信である。
その点でアップルは当初著作権保護を組み込まなかったため,iTunes 以外で購入し
た他の MP 3 ファイルも iPod で再生が可能となっていた。その点もユーザーには魅力
であったことは確かであろう。ただ,ジョブズ自身も著作権侵害は気にしており,一部
53
にその対策も講じている。ところが 2009 年からアップルはこのファイルにその保護を
せず,コピー制限のない「DRM フリー」のファイルの配信を開始している。コピー制
限のないファイルは違法なコピーをさらに広げる危険性があるが,アップルのこれまで
の 1 曲 99 セントという低価格戦略もあり,正規に有料でダウンロードする顧客はアッ
54
プルのみで全世界で 100 億曲を突破していることもあり,あえて踏み切ることが出来た
戦略であろう。
ただアメリカ本国において著作権に関する取り締まりが日本より緩かったわけではな
い。各レコード会社は著作権侵害を恐れ MP 3 プレーヤーへ音楽ファイルを転送するこ
とも出来ないようにしており,料金も月額制で会員登録を解除すると音楽を聴けなくな
るシステムを採用することも多かった。そして CD の販売店のように全てのアーティ
ストの CD を取り扱うのではなく,各レコード会社は自社に所属のアーティストの音
源しか配信しない,つまりライバル会社の音源は配信しないと言う方針であったため,
ユーザーにとって不便な物ばかりであった。
しかし「著作権侵害は技術ではなく倫理の問題である,つまりユーザーの使い方の問
55
題である」と解釈したのがジョブズであり,その考えに基づき全てのレコード会社の楽
曲を提供するため各レコード会社と交渉をし,iTunes による音楽配信を実現させた。
つまりアメリカにおいてもジョブズがいなければ,今日のような音楽配信スタイルは実
現していなかったかもしれないのである。
このように日米での音楽に対する著作権管理やソフトの扱い方の違いがソニーとアッ
プルという対照的な結果を招き,結果アップルの日本上陸といういわば強制的な形でア
メリカ式の音楽配信ビジネスが日本にも普及していくことになったのである。iPod だ
からこそできたことであり,アップルという会社だから出来た発想だったのである。し
たがってそのようなアメリカの現状,制度にしっかりと着目し,他社よりも優れたビジ
ネスモデルを提示したジョブズはそのような来るべき社会の変化を見据えた戦略を見事
に成功させたのである。
────────────
53 Levy, op. cit., p.71[訳書 113−114 ページ]
. 当初 iPod から iTunes のみならず逆方向の iPod から iTunes
へ音楽ファイルの転送も可能であったため,他人の音楽ファイルを他人の iPod を通じて自分のパソコ
ン(iTunes)へ転送が可能であったため,この機能を削除し音楽盗用を防ぐ注意書きを記すことにし
た。
54 アップルの iTunes ストアにて 2010 年 2 月 25 日に達成。
55 Elliot, William, op. cit., p.175[訳書 257 ページ]
.
ランドマーク商品誕生の条件(水原)
さ
い
ご
( 753 )389
に
このようにソニーとアップルの比較として,両社はいずれも「大衆に根ざした商品作
り」という点において共通している。つまり専門家を対象とした商品でなく誰でも簡単
に使えるということを目的としているのである。アップルはソニーがそうであったよう
に決して市場調査はしない。なぜならば消費者の潜在的需要からは世の中を変えるほど
のインパクトを持った商品のアイディアは出てこないからである。したがって誰もが考
えもしない発想で,つまり常識でなく,非常識が常識になるような発想で市場を開拓し
ていくのである。しかし非常識だからと言って,それがユーザー(消費者)の立場を全
く無視した商品であるという意味ではない。実際売れるかどうかわからない商品という
物はこれまでの常識による判断で「非常識」であるから売れないと判断する。しかし世
の中を変えるほどのインパクトを持った商品,つまりランドマーク商品というものは,
その常識というこれまでの価値観を変えるインパクトがある商品である。常識で判断を
しては,世の中が大きくは変わらないと言える。したがってランドマーク商品が登場す
る過程というものは,いつもその時代における非常識が常識となる過程である。したが
って少なくとも言えることは,そのような非常識を生む技術者における「あそび」と経
営者のリーダーシップ,これが協力に結びついたとき,それがイノベーションをもたら
し,世の中を変えるインパクトを持った「ランドマーク商品」が誕生するということが
言えよう。さらに両社の共通点として,そこにはリーダーの製品に対する徹底した拘り
と愛着が感じられる。リーダーが製品に対して熱意を注ぐことで,部下がその熱意に突
き動かされ,世の中が変わる商品が開発されるのではないだろうか。
今回は家電やパソコンを作るともにランドマーク商品を作っている企業 2 社を比較し
たが,似たタイプの企業の比較により両社の共通点からランドマーク商品を作る条件を
導いたため,ランドマーク商品を作れる企業とそうでない商品(例えばヒット商品やロ
ングセラー商品など)を製造している企業との違い,といった観点からの比較はされて
いない。したがってランドマーク商品ではない商品を作った企業とランドマーク商品を
生み出した企業を比較することで,ランドマーク商品を作る条件がさらに明確になる部
分が出てくることが予想される。その辺りは今後の研究課題としたい。
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