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π~円周率の神秘~ 1 研究の動機 2 πの歴史

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π~円周率の神秘~ 1 研究の動機 2 πの歴史
π ~円周率の神秘~
研究者
指導者
1
青木活人 小林純也 齊藤啓太
中畑未来 古畑菜々子
倉田慎司先生
研究の動機
私たちの身の回りに無数に存在している円だが、 その円周率の値はどこまでも続いてい
くような値になる、と一般的に知られている。円の形自体は美しいのに どうして円周率が
どこまでも続くような値になるの だろうか。
円周率算出の試みは古代の西洋においてすでに行われていた、という内容の話を本で知
ったときに、なぜ古代の学者たちは円周率を求めようと思い、またどのようにしてその値
を求めるに至ったのか、という疑問をもった。
そして、今日までに先人たちが求めてきた方法で本当にπ=3.1415…という値になるのか
を確かめてみたいと思った。
また、円周率の新しい算出方法を自分たちでも見つけてみたいと思った。
2
πの歴史
Ⅰ.西洋の歴史
大昔は、数の生い立ちとして、1つとたくさんしか区別がつかなかったにちがいない。
しかも、ずっとはじめの頃は、1と2しか数はないと考えていたようだ。
しかし、人1人に2本の足、2本の手があることから、2人では4本の足と4本の手が
あることや、家畜の足は4本あって、2頭の家畜なら8本の足をもつことなど、比例の考
えが、やがて知られるようになってきた。
また、大きい石は重く、小さい石は軽いことがわかってくると、比例の考えは、比例定
数にまで発展していったようだ。
このような段階をへて、円周の長さと、その円の直径との間に は一定の比例定数があるに
ちがいない、と思うようになり、この比例定数を円周率πとして考えられたとされている。
1
紀元前 2000 年頃のバビロニア人は、円周率の値を 3 または、3 と考えていたようだ。
8
また、尐し後のエジプト人は、円周率の値を、 4×
8
9
2
(現代の表現に直してある )とし
ていた。この話は、有名なリンドハピルスにあるもので、計算すると、3.16049・・・・となる。
このような値とした理由を、現代の数学者は次のように想像した。
大昔、ナイル川はよく洪水を起こし、土地の境界がわからなくなった。そこで、土地を
測量するなわばり師が活躍した。なわばり師は、ナイル川のほとりの平らな砂の上に杭を
立てて、一定の長さのなわを結びつけ、そのなわの先に別の短い棒をしばりつけ、砂の上
に円を描く。その短い棒で地面を引っかくと、円周ができる。そこで、なわを使って直径
の長さを測り、その直径で、砂の上にできた円周の長さを測ると、 3 倍と尐し余った。余
った部分の長さを単位として、直径の長さを測ると、7個分と尐し余るから、直径の長さ
1
を1と仮定すれば、円周の長さは、3と より小さいことになる。
7
1
1
7
8
そのように想像すると、円周率は 3 と 3 の間にあるにちがいない、となり、おそらく、
6-1
1
1
7
8
このようなことから、大昔の円周率は、3、 3 、3 ということになっていた。
円周率の記号として、現在では、πを世界中で使っている。πの語源は、
「まわり」とい
うギリシア語の頭文字。πを記号としてはじめて使った人は、W・ジョーンズ(1675~1749)
ですが、このときは、
「周囲」という意味でπを用いていた。その後、ヨハン・ベルヌーイ
はc、L・オイラーはpやc、ゴールドバッハはπ( 1724)、などを円周率の記号として使
っていた。
ところが、オイラーが、彼の有名な解析学の本の中で円周率記号として、πを使ったの
で、1748 年以後、一般にπを使うようになったといわれている。ところが、ジョーンズよ
り早く、オートレッド( 1575~1660)が、1647 年に円周率の記号としてπを使っていたと
か、バローが、はじめてπを使ったというようにも伝えられている。
Ⅱ.日本の歴史
日本では和算で円周率の近似値が求められた。和算とは十七世紀初頭以後、つまり江戸
幕府創設の前後から日本で極めて急速に発展した数学である。ギリシア以来の西洋数学の
直接的影響はまず認められないが、シナ数学の影響は顕著である。しかし当時の日本人は
シナの代数的方法に基づいて一種の記号代数を考案し、その上で独自の数学を展開した。
その発展の速さは異常なもので、十八世紀前半には、いくつかの分野で、ある意味では当
時の西洋数学の最高水準に近いところまで行っていたといえる。和算は、過去の日本人が
残した最も独創的な知的遺産である。
―村松茂清―
日本において最初に明確な根拠に基づいて円周率を計算したのは村松茂清である。村松
は播州赤穂の浅野家の武士で、数学の上では、
『竪亥録』の著者、今村知商の孫弟子にあた
る。円に内接する正多角形の多角度を次第に大きくしてπの近似を高めていく方法は、実
際的でもあり、また理屈にも適っている。村松が行ったのもこの方法であった。村松はま
ず直径1の円に正方形を内接させてその周を求める。次に正方形の頂点間の弧の中点を結
ぶ内接正8角形、同じ仕方で正16角形、正32角形・・・・・・と進めて、最後は内接
正32768角形の周長にまで及んでいる。村松はこれを寛文三年(一六六三年)に『算
俎』で発表した。
―関孝和―
関孝和は、日本の学問を代表すべき、もっとも偉大なる数学者の一人である。関は筆算
による代数の計算法を発明して、和算が高等数学として発展するための基礎を作った。暦
の作成にあたって円周率の近似値が必要になったため正131072角形を使って小数点
以下第11位まで求めた。関はただ単に、独創に秀でた天才であったばかりではなかった。
関は日本や中国の数学文献を広く渉猟して、その結果をよく整頓し、専門的に深め、系統
的な分類を与えたのであって、この点では、一種の方法論者とも、見られるだろう。関は
実に、独創家であると同時に、組織家をもかね合わせた天才であったのだった。和算が中
国の数学よりもはるかに進み、立派な独自の道を歩み出した点について、関は実に大なる
役割を果たしたのであった。
―建部賢弘―
建部賢弘は関の最も優れた後継者である。その業績は群を抜いており、独創的な和算の
発展と普及に貢献した。建部は若い時分から晩年に至るまで、長い間研究をつづけた博学
の人で、単なる独創家ばかりではなしに、文筆の才にも富み、またよく学問上の整理をし
た人であった。建部は十三歳のとき、兄、賢明と共に関の門に入り、関の指導のもとで兄
6-2
と共に『大成算経』二十巻を編集した。これは関に至る和算家の業績の集大成であり、そ
の完成には二十八年の歳月を要している。建部は正多角形で円を近似する方法に累遍増約
術を適用し、円周率41桁まで求めた。
ほかにも鎌田俊清や松永良弼などの和算家が円周率を計算していた。膨大な計算量に大
変な時間と労力を費やしたと思われる。当時の和算家たちの数学に対する熱意に驚嘆させ
られる。
3
算出方法
Ⅰ.<円に内接・外接する正多角形を用いた方法>
まず図1のように円に内接する正六角形と外接する正六角形を考えると円周の長さは内
接する正六角形の周より長く外接する正六角形の周より短いと考えられる。
内接する正六角形の周の長さ
2×sin30×6=6
外接する正六角形の周の長さ
2×tan30×6=4
となり、 =1.73 とすると円周は 2πなので、3<π<3.46 になることがわかる。
更に角数を増やしていくと次のように精度が上がる。
角数
円周率
正 12 角形
正 24 角形
3.10585<π<3.2154
3.13265<π<3.1596
正 48 角形
正 96 角形
3.13935<π<3.1461
3.14105<π<3.1427
正 180 角形
上のような方法で紀元前 3 世紀にアルキメデスは正 96 角形を用いて 3.14 まで近似値を
求めた。
1610 年にはルド ルフがこの計 算方法の限界 であると 言われる正
を 35 桁まで正しく求めることに成功した。【
角 形を用い て円周率
=約 461 京 1686 兆】
Ⅱ.<単位円を用いた方法>
πの近似値を求める方法の 2 つ目として、単位円の面積を考える方法がある。
(単位円は半径1の円である。)
2
半径をrとすると、円の面積( S)=πr で、r=1より、S=π
よって単位円の面積はπの値に等しくなるはずである。
6-3
y
y
x
x
図①
図②
1
ま ず、図① のよう に の単 位円の中 のxを n等分 し細く切 った短 冊を敷 き詰める 。この
4
1
とき1つの短冊の横幅は常に となる。
n
k
左( x =0)から数えてk番目のxの大きさの値は、
n
であるから、y の値は三平方の定理を
用いて、
k
1
2
n
と表される(図②参照)。よって、左からk番目の短冊の面積は
1
これを、1≦k≦nまですべて足すと、 の単位円の面積がでる。面積を求める式は、
4
となり、この式を変形すると、
この解を4倍すると単位円の面積=πの値が出る
実際に 40 等分と 60 等分を計算すると 40 等分=3.08694773…,60 等分=3.10573030…
6-4
となった。
これは積分的な考え方であり、積分は 17 世紀のヨーロッパで学問として完成している。
したがってこの考え方は比較的近代的な考え方であると言える。
Ⅲ.<ビュフォンの針>
ビュフォンの針のとは、平面上に等間隔の平行線を無数に引き 、その平面上に針を投げ、
針と平行線が交わる確率を求めること問題のこといいます。平行線の間隔を a、針の長さ
を L、ただし
とする。また針を n 回投げ、針と平面が k 回交わり、平行線と針が交わ
る事象をAとすると、事象Aが起こりうる確率 P
P
=
は、
…①となり、①を変形すると =
…② となる。よって、②に実
験したときの値を代入すると、πの値を求めることができる。
4
実験方法
πの値を求めるために、ビュホォンの針の実験を行った。
ⅰ)針(竹の棒、長さ 24cm)、模造紙(平行線の間隔を 25cm でできるだけ引く)を
用意する。
ⅱ)用意した模造紙に針を投げる。・・・*
ⅲ)500 回ごとに、交わった回数を記録する。
ⅳ)500,1000,1500,……,3000 回ごとにπの値を算出する。
ⅴ)算出したπの値をグラフにする
*投げ方は2通りで、「針を下から投げる」「針を垂直に落とす」とする。
6-5
5
実験結果
ビュフォンの針の実験の結果を表にまとめてみた。
交わった回数
投げた回数
下投げ
垂直に落とす
500回
372回
312回
1000回
710回
614回
1500回
1040回
913回
2000回
1439回
1226回
2500回
1815回
1536回
3000回
2148回
1839回
この表の値を =
に代入すると、πの値が得られる。その結果をグラフ化してみた。
投げた回数とπの値
3.5
3.3
算
出
し 3.1
た
π 2.9
の
値
2.7
2.5
500
1000
1500
2000
2500
3000
投げた回数(回)
下投げ
垂直に落とす
3000 回投げたとき
下投げのときに、π=2.6815・・・
垂直に落としたときに、π=3.1321・・・
となった。下投げでの、πの値はπ= 3.141592…から大幅に離れる結果となり、垂直に落
6-6
としたときは算出したπの値はπ= 3.141592…から近い値となった。
6
考察
3000 回下投げで針を投げたとき、π=2.6815…となり、3000 回針を垂直に落としたとき 、
π=3.1321…となった。なぜ、下投げより垂直に落としたときの方が算出したπの値が近
くなる結果となったのかは、起こりうる全て事象が同様に確からしくならなかったためと
推測される。同様に確からしいという条件を満たすことによって次のようなことが成り立
つ 。 起こ りう る すべ ての 場 合の 数を N 、事 象
る確率をP
P
=
の 起 こる 場合 の 数を a、 事 象 が 起こ り う
とすれば、
事象Aの起こる場合の数
起こりうるすべての場合の数
= …③
が成り立つ。これをビュフォンの針において考えてみると、起こりうるすべての場合の数
が、針の投げた回数、事象Aの起こる場合の数が、針と平行線が交わった回数である。
ビュフォンの針からπを求めるための式では、
P
=
…①の式を変形させてπの値を求める。(3-Ⅲを参照)よって、下投げの
時には、同様に確からしいということが満たされず、 ③が成り立たなかったため、①の式
が成り立たず、下投げのときの実験結果を①に代入してもπの値から離れてしまったπの
値が算出されたのではないかと推測される。
どのようにして針を投げられれば、算出したπの値がよりπに近い値になるのかは、実
験結果から垂直に落としたときである。どの点が同様に確からしかったのであったかは、
針が平面に落ちたときである。針が平面に斜めに入射してしまったとすると、針が平面に
倒 れ る 場 所 の 確 率 が同様 に 確 か ら し く な くなる か ら で あ る 。 針 と平面 が な す 角 度 を と す
る と 、 が 小 さ い 方 に針は 倒 れ や す く な っ てしま う 。 こ の と き 、 針が平 面 に 倒 れ る 確 率 は
ある部分では、大きくなってしまい、他の部分では、小さくなってしまい同様に確からし
くならず③が成り立たない。また、針が平行線と垂 直で平面に斜めに入射したとする。
(針
を縦にして平面に投げる。)このとき、針は平行線と理想の交わる回数より多く交わってし
ま う 。 な ぜ な ら 、 が 小さ く な り 、 針 が 倒 れやす く な る 場 所 に は 平行線 が あ り 、 針 は 平 行
線と多く交わってしまう。逆に針が平行線と平行で平面に斜めに入射したとき(針を横に
して平面に投げる)は、針が倒れやすくなる場所には平行線がなく、針は交わらなくなる。
と考えられる。なので、実験での下投げのときには、針を縦にして平面になげてしまった
ので、多く交わってしまいπの値が大幅に離れてしまった。
垂直に針を落としたときは、針は平面に垂直に入射するので、針と平面がなす角はどの
方向においても90°であるため、針が平面に倒れる確率はどの方向でも同じになるので、
同様に確からしいので、 ③が成り立つ。したがって、πの値を算出したとき、誤差は小さ
くなる。
しかし、それでもπ= 3.141592…に近づくのは、難しいと考えられる。なぜなら、針の
形状が楕円形であったからである。尖っている部分は尐し倒れにくく、丸まっている部分
は尐し倒れやすくなってしまうため同様に確からしくなくなる。また、垂直に落としてい
るとき、力が加わってしまい針と平面が垂直にならなかったことも、1つの要因であると
推測される。よって次に実験をするときには、針の形状をより円に近いものにし、落ちて
いる間に力が加わっても垂直のままで落ちることができる材質でできた針を使って実験を
おこないたい。
6-7
7
まとめと今後の課題
以上のような結果から 、それぞれの方法での円周率の値に差はあるものの、いずれの場合
においてもπ=3.1415…に近づく結果となった。今回行った3つの方法において、更に精度
を高めて円周率を求めると、今日までに先人たちが求めてきた円周率の値(π=3.1415…)
に限りなく近づくと推測できる。
課題としては、考察で述べた通り落とす棒の形を再考する必要がある。また、円周率を
求める方法は多様にあるため、今回用いた方法以外の方法でも円周率の値を求められれば、
一般的に知られている円周率の値がより確かなものとなる。
8
参考文献
・新井紀子「数学にときめく」
講談社
・堀場芳数「円周率 π の不思議」
・村田全「日本の数学西洋の数学」
・小川束 平野葉一「数学の歴史」
2002 年
講談社
6 月 20 日
1989 年
10 月 20 日
中央公論社 1981 年 5 月 15 日
朝倉書店 2003 年 10 月 1 日
・デビットブラットナー「 π の神秘」アーティストハウス 1999 年
・佐藤健一 「新・和算入門」 研成社 2000 年 8 月 10 日
8月5日
・「数学 A」 数研出版株式会社 2012 年 1 月 10 日
・平山諦 「関 孝和」 恒星社厚生閣 1959 年 3 月 25 日
・小倉金之助
「日本の数学」
岩波新書
1940 年
3 月 30 日
・石田栄助「Buffonの針の問題について」
http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/891/1/erar -v17n2p9-11.pdf
・「和算家たちの円周率」
https://sites.google.com/site/seijiimura/home/16 -he-suanno-yan-jiu
・「建部賢弘‐ウィキペディア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E9%83%A8%E8%B3%A2%E5%BC%98
・「数論とユークリッド幾何の結合」
http://www7a.biglobe.ne.jp/~number/real.html
・「内接多角形と外接多角形から円周率を求める」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~math-tota/su1/pai.htm
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