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寂 地 峡 沢 登 り

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寂 地 峡 沢 登 り
《 県 連 活 動 報 告 》
寂 地 峡 沢 登 り
2011 年 8 月 26~27 日(土、日)
ランクA
参加者:平井 充、吉本桃枝、新原容子(計 3 名)北壁の会 3 名、松江アルペンクラブ 3 名
コースタイム: 寂地峡キャンプ場 出発(13:30)寂地峡沢登り 終了(16:00)
えっ
ホントに滝を登るの?
記 新原 容子
中国地方協議会主催の沢の技術交流会に行ってきました。場所は山口県岩国市の寂地峡
です。
初体験の私は、ちょっと不安を抱えながらクラブで借りた道具を持ってでかけました。
以前大山の東谷の沢へ 1 回いったきりです。五竜の滝沿いの遊歩道の石段を登っていきま
した。
素晴らしい滝の流れに吸い込まれそうになり、軽いめまいを覚えるくらいの迫力でした。
石段を登りきったところに岩をくりぬいた真っ暗なトンネルがありました。
トンネルを抜けるとさっきの滝とは違い、穏やかな沢になっていました。遊歩道の脇よ
り沢に入りました。
曇り~小雨模様ですが、寒くも暑くもなく沢をジャブジャブと歩いて行きました。
すべるのでは? と不安がありましたが、沢靴は、大丈夫!! 落ち葉の上は気をつけて
コケの上は以外と滑らないと教えてもらいました。
水のなかを歩いていると、いきなりの深みにバシャ~ン!! と膝まで濡れるともうドン
ドン楽しくなってきました。しばらく歩いていくと、大滝です。滝を登るチームをみて、
滝をのぼりますか? 巻きますか?
えっ!!びっくりです。巻いてもらえることになり、一番心配な私を前にしてもらい登
りました。
また滝です。初心者には、きびしい巻き道は無し。ザイルをはってもらいスリングとカ
ラビナを使い 1 人ずつ登っていきました。
Oさんの対応は素晴らしい!! 感動しました。Wさんのサポートもホントに良かったで
す。実践で確実に覚えられとても勉強になりました。
夕食はカレーライスとサラダ。交流会では、
中国地区の人達と沢の体験談、お勧めの沢の紹
介などの情報交換。楽しい時間がすぎていきま
した。とても良い体験をさせていただき楽しか
ったです。
ありがとうございます。皆様お世話になりま
した。
《 定 例 山 行 報 告 》
鳥海山(2236m)・岩手山(2038m)・栗駒山(1627.4m)
2011・9・9~9・14
参加者
平井(CL)、吉本(SL)、青戸、今岡、高内、
武田 章、田中、利弘、村上、吉田、山本、野津
行 程
9/9(金)松江発 15:00
9/10(土)→7:10 鳥海山・鉾立登山口(象潟コース)7:50
-9:10 賽の河原 9:15-9:50 御浜神社 10:00-10:20 御田ケ原
-11:10 千蛇谷分岐-12:40 大物忌神社(行動時間 5 時間 10 分)
9/11(日)大物忌神社 5:05-5:25 新山頂上 5:40-5:55 大物忌神社 7:05-7:30 七高山頂上
-8:40 氷の薬師-10:05 七ツ釜避難小屋-10:25 御田木道-11:30 抜川ヒュッテ→小岩井農場見学
→休暇村網張温泉泊(下山行動時間 5 時間 15 分)
9/12(月)5:30 休暇村発→岩手山・馬返し登山口 6:40-7:15 新・旧道分-8:15 三合目-
9:15 五合目-10:05 七合目-10:20 八合目避難小屋.昼食 11:15-11:30 不動平-11:45 御鉢巡り
コースへ 12:05-頂上 12:10-13:30 ツルハシ分れー15:55 焼走り登山口→17:40 網張温泉泊(岩手
山行動時間 9 時間 15 分)
9/13(火)7:30 休暇村発→金色堂観光→栗駒山・須川温泉登山口 11:55-12:10 名残ケ原-
12:20 苔花平-苔花平-12:50 昭和湖-13:45 天狗平-14:05 栗駒山頂上 14:25(東栗駒コース)-
13:15 東栗駒山-16:30 いわかがみ平登山口着→16:50 ハイザーム栗駒温泉 17:40→松江着 14 日
9:30
(栗駒山行動時間 4 時間 25 分)
記
尾添 富美代
東北の三座を無事完歩できたことを感謝すると共に、今年3月の東日本大地震で亡くなられた東
北の方々のご冥福と被災地の更なる復興を心からお祈りしたいと思います。
さて、1200 キロ以上の夜行バスを経て、私は生まれて初めて山形県の地に着きました。バスの
中では、鳥海山のビデオを見てその姿や山からの展望のすばらしさに思いを膨らませていたのです
が、酒田市も鉾立(ほこたて)登山口も残念ながら雨模様でした。雨除けの装備は万端でリーダー
の後について行くだけだったのですが、やはり 5 時間以上の雨の中の登山は体力と気力が大いに必
要でした。
登山道は立派な石畳が延々と続き、この山の神様(大物忌神(おおものいみのかみ))の尊厳さを実
感しました。どれほどの月日、尽力と費用がかかったのだろうかと思いながら、一歩ずつ石畳を登
って行きました。目指すは山頂にある大物忌神社本殿とその宿泊所でした。“たら、れば”は言わ
ない主義だけども、天気がよければすばらしい展望の山なのに、周りの景色なしで歩くのは辛いも
のがありました。けれども、道の両側にある秋の草木をいつも以上に楽しみながら歩くことができ
たのは雨のおかげかもしれません。ナナカマドは秋色に色づき雨に濡れて一層艶やかでした。鳥海
山に多く繁殖するチョウカイアザミの頭を垂れて咲く姿は珍しくなんとも不思議な花でした。山も
火山なので変化に富んだ地層があったり、山頂近くは万年雪があったりでびっくりでした。
昼もだいぶ過ぎてやっと宿泊所に到着。まだ他の登山者は数人で今日は天気も悪いし宿泊所はガ
ラガラかなと思いきや、夕刻近くになるとほぼ満室となりました。さすが鳥海山です。みんなが登
りたい山なのです。暖かい夕食をみんなで食べながら、今日の登山の大変だったことに話題が集中
しました。明朝も早起きして実質の山頂の新山に上るので早寝(夕方6時半から!)しました。
二日目は、新山、七高山山頂を制覇し、いよいよ下山。今日も天気は雨。足場の悪いところでの
下山は、上りより体力と技術が必要でした。しかも 2000 メートル級の山です。下りても下りても
バスの待つ祓川(はらいがわ)ヒュッテは遠く、やっと着いたときはヘトヘトでした。みんながい
たから歩けたというのが正直な感想です。しかし、神様も最後の最後には、晴れ間というお土産を
下さいました。山の中腹から上は雲に隠れていましたが、その半分から下の山麓はきれいに秋の始
まりを思わせる景色でした。また、大~きくて姿も美しい鳥海山のすそ野を眺めることができまし
た。帰りに寄った鳥海荘の窓からもその姿をしっかり眺めることができました。また、再挑戦した
いものです。もちろん、天気に恵まれることが第一ですが・・・。
バスは次の山―岩手山―を目指して、さらに北へと発進しました。「明日、天気になぁ~れ!」
9月12日(月)岩手山登山(曇りのち雨)
記 利弘 英子
今年の夏山は天気予報ばかり見ている。今日は晴れとまではいかないがなんとか雨具だけはつけ
ずの登りたいものだ。岩手山は石川啄木が「ふるさとの山に向かいていうことなし。ふるさとの山
はありがたきかな」と読み、また秀麗な山様から「南部方富士」ともいわれ長く裾野をひいた雄大
な山のようだ。
宿でお弁当をもらい早朝登山口に着いた。今日のコースは馬返し登山口から不動平~お鉢めぐり
~頂上~網張に下るコースで8時間はかかるロングコースだ。天気だったら展望の良いコースとい
うことだが私たちは曇り空の中歩き始めた。樹林帯が続き蒸し暑さのなか急坂を1時間近く登りや
っと1合目に着いた。1時間で 1 合目? 7合目までは急坂がずっと続くと聞いていたのでまだま
だ・・・ブナやミズナラの大きな木が緑の森林浴とばかり目に涼しい。またウメバチソウ、ウスユ
キソウ、アオノツガザクラなど可憐な花が目を和ませてくれる。あたりはガスっていて全容は見え
ないが時々雲の動きで視界が開けると歓声があがる。雨も降ったりやんだりでカッパを着たり脱い
だりで忙しい。
5合目をすぎるあたりから火山特有の岩砂礫道で注意しながら急坂を登った。途中キケンと逆さ
まに書かれた大きな岩石があった。何年か前に噴火し4~5年前に登山が許可されたと聞いている。
火山の山だと実感しながら歩いた。急坂を登りつめ8合目避難小屋に着いた。雨足も強くなった。
避難小屋で宿のおにぎりを食べ一息をついた。昨日までは小屋人が常駐していたとのこと東北の
夏山の終わりを思った。天気が悪いので長いはできないとカッパを着て小屋の外に出た。風が強ま
りガスで視界も悪い。頂上から降りた人が風雨の中命がけで降りてきたと言っておられるのが聞こ
えた。さあ気合いを入れて出発。不動平に着いた。奇妙な大きな溶岩があちこちに見えた。強風は
やみそうにない。
お鉢めぐりの稜線にでた。強風に飛ばされないように皆で慎重に一歩一歩進んだ。半周したとこ
ろで岩手山の頂上に着いた。風雨の中でもヤッホー。何も見えなくてもヤッホー。記念写真をとり
直ぐ来た道を引きかえし分岐から下山にかかった。急坂の岩砂礫道に注意しながら降りた。風雨も
弱くなり一息つき長い下りにかかった。
山の斜面には紅葉のウラシマツツジが赤い色を見せてくれた。途中コマクサの群落をみることが
でき、中にはまだ咲いているコマクサもあり今日のご褒美をもらった気分になった。下山途中、国
指定の特別天然記念物の溶岩流を見てここまでも溶岩が流れた自然の怖さを思った。長い長い下り
であり、やっと網走り駐車場についた。悪天候の中9時間の登山であった。
東北の震災と今も活動する火山の山、紅葉のはじまった美しい東北の山々とお花畑。岩手山の全
容が見られなかったのは残念だが、宮沢賢治、石川啄木の故郷の山にふれた岩手山であった。企画
してくださった吉本さんはじめ MHC の仲間と悪条件の中最後まで歩き続けた先輩たち、感謝と敬意
の念でいっぱいです。
9月13日(火)栗駒山登山
(曇りのち晴れ)
記 野津 政子
朝7時半雨の中、休暇村編張温泉を東北自動車道に向け出発。途中平泉の中尊寺金色堂を見学し
足ならしをする。南に行くにしたがい晴れてくる。栗駒山は岩手、秋田、宮城にまたがる山で二百
名山で活火山に指定されている。名前は初夏に山頂西側に馬の雪渓が現れることから山名がついた
とのこと。今回は秋田県側の須川高原温泉登山口からコースをとり頂上の宮城と岩手の境界を通り
宮城県側の東栗駒コースへ下る、上り2時間、下り2時間コースだ。何でも10本以上登山コース
があるという。
御昼前に登山口に着き硫黄の匂いのする栗駒山荘の脇から登る。今日は三山の中で一番良い天気
のようだ。地獄谷を過ぎ、なだらかな山並がみえ名残ケ原の湿原の木道をしばらく歩く。木道沿い
にはリンドウ、ウメバチソウ、ワレモコウの花を少し大きく白くした様なトウチソウ、白いレース
の様な背丈の低いシラネニンジン等の花が咲き初夏にも花畑であろうと想像する。天気がよいと心
も晴れ晴れ、皆ルンルンと歩く。1時間歩くと水蒸気噴火でできた空色のとても綺麗な色の昭和湖
に着いた。少し急坂を登りつめると稜線へ出、回りの山々を見渡せる。
登山道沿いは背丈ほどのサラサドウダン等の木々の葉は一番に赤く紅葉して綺麗だ。天狗平で一
呼吸し頂上へ着くと立派な指標が立っていてここで証拠写真。どこの山頂でも撮影時は皆まだ足し
算は正確に1+1=2とニコッとして言えるようだ。安心安心! ここで15分遠く山並を眺め又
遠く小金色の田を眺め感激にひたる。
東栗駒山までの下りは1時間は眺めの良いとても気持ちの良いなだらかな下りで楽しく歩く。東
栗駒山から難所の樹林帯に入る。風の音かと思いきや溶岩流の跡の川を流れる水音だった。渡渉す
るのに水量が少なくてよかった。それから緊張しながら急坂を1時間カガミ平まで下る。もう時は
16時半になっていた。無事下山の感激もわずか北の
夕暮れは早い。ハヤッハヤッ! とバスに乗り込み1
5分ほどのハイザーム栗駒で800円の温泉へ汗を
流し帰途についた。
天気良好といえなくても東北の山三山ともとても良
い山々だった。そして温泉がよかった。
CLさんSLさん宿泊先や登山コース等の選択の
ご苦労と、そして皆さんお世話になり有難うございま
した。
個人山行記
白 山 (再訪山行)
記
藤井
諭
「白い山」を意味する世界の有名な山は、ヨーロッパアルプスの「モン・ブラ
ン」ヒマラヤの「ダウラ・ギリ」、そしてアフリカの「キリマ・ンジャロ」がある。
シャモニーから見るモンブランは丸いピークで真っ白い雪で覆われていた。その山
頂に立った喜びは大きかった。ダウラギリはポカラからトレッキングすると、ゴレ
パニ峠で突然真正面に聳え度肝を抜かされる。やはり丸っこいピークがあり、8167m
の高さは圧倒的であり、登りたいというより拝みたい気持ちになった。キリマンジ
ャロは写真で見るとやはり頂上は丸っこく、赤道直下にもかかわらず万年雪で覆わ
れている独立峰である。日本の白山は高さこそ 2702m しかないが、5 月頃に麓から見
る姿はやはり真っ白で丸いピークを持つ堂々と大きい山である。前述の三つの山に
はない高山植物を始めとする豊かな自然を持ち、富士山、立山とともに日本三名山
のひとつとなっている。
2004 年 8 月に息子と二人でこの白山を登った時はあいにくの雨で、最高峰の御前
峰では立っていられないほどの風雨であった。もちろん展望は何もなく、道端の雨
にぬれた高山植物を観賞することしかできなかった。いつか再訪したいと思ってい
たところ、この夏のツアーが突然キャンセルになり、急遽「白山再訪」を決断した。
(ツアーは越後駒ケ岳・平ケ岳であったが、8 月の新潟豪雨で道路が寸断され直前で
中止となった)
8 月 18 日、交通機関を予約する時間もなかったため、今回は自家用車を一人で運
転して行くことにした。中国道、舞鶴若狭道、北陸道を福井まで走り、白山温泉に
前泊した。夜は激しい雨となり、翌日のコンディションが気になった。
8 月 19 日、豪雨のため一之瀬林道入口はゲートが閉まったとのこと。ここまで入
っていて運が良かったことになる。まだ降る雨の中を車で別当出会まで登る。雨具
を付けて出発、砂防新道への吊り橋を渡る。7 年前に登ったコースと同じであり、そ
の時の息子とのやり取りが徐々に思い出される。下山する登山者に車の通行が可能
か聞かれ、登りは通行止めになっているが下りは通行可能であることを伝える。昨
日の山頂は風雨が強く何も展望がなかったとのこと。
甚ノ助避難小屋は古い小屋の下段に新築され、水洗トイレも完備されていた。誰
もいない小屋で昼食を採る。前回宿泊した南竜山荘への分岐あたりから高山植物の
花々が増えてくる。雨が上がっ
てきたので雨具を脱ぎ、本格的
な写真撮影モードに入る。黒ボ
コ岩への登り斜面はイブキトラ
ノオ、シモツケソウ、ハクサン
フウロの一面の花畑であった。
弥陀ケ原からは山頂が雲の合間
に臨める。ここからひと登りで
今日の宿泊地の室堂へ着く。手
続きを済ませて重い荷物を置き、
身軽になって山頂へ向けて出発
する。
御前峰からの展望はすばらし
く、剣ケ峰と大汝峰が並び麓に
ブルーの池が点在している(写
真1)。別山は室堂側でたなび
写真 1 山頂から見る大汝峰とお池
く雲の合間に望めた。誰もいない山頂と思っていたら、一人の青年が駆け上がって
きて、写真を撮ってくれと言う。
金沢に住み、毎年この時期に登っているそうだ。ゲートが開いた 11 時まで待ち、3
時間で駆け上がって来たとのこと。これから下って日帰りで帰るそうだ。島根から
来た、と言ったら驚いていた。余ほど遠いところと思っているらしい。
ここからお池めぐりのコースをとる。今までとは雰囲気が変わり、火山岩のガラ
場を慎重に下る。紺屋ケ池は
本当の紺色で、残雪もあり美
しかった。次に現れたのが翠
ケ池(写真 2)。大きい池でブ
ルーと残雪の白のコントラス
トがすばらしい。振り返ると、
御前峰と剣ケ峰の厳しい山容
がこの山の噴火を物語ってい
る。血ノ池越しの剣ケ峰、五
色池越しの大汝峰も撮影ポイ
ントである。池の周りには高
山植物が咲き乱れる。本日は
このコースには何故か誰もお
らず、一人占めである。これ
はもったいない。ここから山
腹を巻いて室堂へ至るコースは
写真 2 ブルーと残雪で美しい翠ケ池
山イチゴがいっぱいで、つまみ
ぐいしながら歩く。背丈より低いナナカマドが実を付けハイマツに混ざって延々と
続く。至る所に湧水があり、この山が豊かな自然を育んでいることを感じた。室堂
の赤い屋根が見えてくると、お池めぐりコースも終わりとなる。
最終日の 8 月 20 日は前夜から降り続く雨がやまず、御来光は見られないため早々
に下ることにする。観光新道に入ると山の斜面が一面のお花畑。ハクサンフウロ、
マツムシソウ、カライトソウ、ハクサンシャジン、キリンソウ、ミヤマトリカブト
が咲き乱れる。このお花畑の斜面がこれでもかとばかりに連続して現れる。誰もい
ない殿ケ池避難小屋で食事。池の周りは池塘が多い。くぐり岩のあたりから雲の下
となり下界が見えてきた。向かいに別山への尾根が見える。最後の急坂を下り別当
出会へ到着。登山バスが登ってきて急に人が増えだしたところで、今回の再訪山行
を終了した。
白馬岳のお花畑もすばらしいが、白山は「ハクサン***」の花名が 20 種あるこ
とからも、花では日本一ではないだろうか。御前峰の南部に限らず大汝峰の北部や
別山も花が多いようである。白山は大きく豊かな自然を持つ、日本三名山のひとつ
として日本を代表する山と言えよう。次の機会があれば、今までとは違う別のコー
スを楽しんでみたい。
来年はもうひとつの白い山、アフリカの最高峰キリマ・ンジャロ(5895m)が楽しみ
である。
本
棚
記
乾
隆明
推薦図書 … 九つの話を綴った二冊の本 …
① 五來重(ごらいしげる)著『山の宗教…修験道案内…』角川ソフィア文庫
平成20年6月初版 角川学芸出版
税別819円
山を歩くと、昔の人は山に対して敬虔な気持ちを持っていたことがよく判る。
登山をスポーツとして位置付けたのは明治中期以後のことで、それ以前は猟師や杣人
が生業のために入山する以外は宗教者の世界であった。日本人の山に対する思いをよ
り深く知ることができ、登山愛好者にお勧めの一冊である。
五来氏は東大と京大で哲学や歴史を学び、高野山大学や大谷大学で仏教民俗学を講
じた人。宗教学者・山折哲雄によれば「日本列島は重畳する山岳に囲まれる広大な領
域であるが、その奥地に潜入して修験・山伏の生態をつぶさに観察し、山岳民たちが
作り上げてきた観念の体系を摘出することに非凡の才を示した人物。柳田國男が途中
で放棄し、折口信夫がその入り口で引き返した山岳信仰の奥の院の世界である」と絶
賛している。
とりあげてあるのは熊野・羽黒・日光・富士箱根・越中立山・白山・伯耆大山・石
鎚・彦山の九つの山の信仰形態の話。すべての山に長期間入りこみ、自分の足で歩い
た貴重な記録が、誰にもわかる平易な言葉で語り下ろしてある。
なかでも「大山縦走は小回り、大回りは出雲の半島巡り」の論考は興味深い。
② 乾隆明(いぬいたかあき)著『松江歴史余話』今井出版
平成23年10月中旬発行予定
今井書店
税込1000円
10年かけて刊行する『松江市史』研究の合間に書き綴った歴史エッセイ。
元文藝春秋社編集長・高橋一清氏が編集・装幀した本の腰帯には「ほ~ん そげだっ
たかネ 思わず膝を打つ 松江の歴史の 謎を解く 九の文章」とある。
「ここに収録した九編の歴史エッセイは、『湖都松江』に五年間にわたり連載したも
のです。雑誌は企画に合わせて記事を作ります。歴史人物
論・文学史・建築史・ホーランエンヤ・鼕行列・教育・小
泉八雲・自然環境などの特集に対して書き続けました」と
あとがきに記す。なかでも「松江の歴史山歩き」には今岡
紀雄・岩崎登両氏が登場し、野津政子さんのカットもあり、
伊能忠敬が観測機器から見た出雲の山々の名を書いた史料
も掲載されている。松江の歴史こぼれ話を、楽しく面白く
語る、山好きにもお勧めの一冊。
吉田から清水掻へ、羽根ヶ谷山越え
―― 尼子道探索シリーズ ――
2011 年 9 月 13 日
記
長野 至
富田城から東へ向う道は、北の新宮谷、南の塩谷の2本があり、いずれも途中から山道
になって吉田の街道に出る。旧陸軍の地図には月山奥部の山中にも獅子遊と別所を結ぶ道
が記入されている。この道が気になって別所に住む老人に聞いた話では、子供の頃によく
獅子遊に抜けてき廣瀬に行ったそうだから、50年前ぐらいまでは人々の往来はあったと
思う。この二つの道が吉田からさらに羽根ヶ谷山山塊を越えて赤屋、伯耆へ伸びていた尼
子道の幹線である。新宮道は廣瀬藩主が江戸へ往復する道でもあった。今回2年以上かけ
て復元され独松山に登る人が増えようになった。
尼子軍道は軍馬に乗って駆け抜ける幹線のほかに、無数の、網の目のような道がある。
私も何回か道開きに通ってようやく吉田までの道があるけたが、そこから先へ進めなかっ
た。
「吉田資料集」という古書に、「尼子道の幹線は富田道の山そねを新宮・前谷と塩谷谷
の中間をささが曽根に出て、之より布部と吉田の山嶺を東進、別所・大光寺・鳴滝・細井・
中谷の谷頭・山の頸部を横切り、略一定の傾斜を保ち、清水掻に出て比婆山を経て所謂尼
子橋を渡り赤屋薬師に達す」とある。
「あい判り申した」といいたいが、
「山そね」
「山嶺を東進」
「谷頭」
「山の頸部を横切る」
という説明が、具体的な形になって頭に浮かばない。「谷頭」も、別所・大光寺の谷は独
松山から落ちており、鳴滝・細井・中谷のそれは羽根ヶ谷山塊の谷である。間に吉田川が
流れていて別の山塊なのだが続いているように読める。現在、鳴滝・細井・中谷の各集落
から林道が登っていて上部で繋がっている。この林道を3回に分けて全て歩いたが「山の
頸部」は不明のままで終った。
それが、8月に「新宮越えグループ」を率いるN先生から「地元に知っている人がいる」
と連絡があり、その後さらに私より先に独松山のルート作りをしていたT氏と一緒に歩い
てきたから案内します。と電話があった。イッヒッヒ。バンジャイ!
行こ、行こ。
13日。朝8時先生宅に行く。打ち合わせをしているところへ、近所のお爺さんが10
月の尼子古道ウォークのことで来られ、お客さんを迎えるある計画についての話が始まっ
たので出発は8時半になった。なにしろ去年の第1回は200人を越す参加があったのだ
から、地元の人はみんな燃えているのだ。
上吉田町の県道布部安来線の東側には標高 100~150mの山の間に、鳴滝・細井・中谷
の三つの谷があってその奥に羽根ヶ谷山がある。我々はT氏の車で細井谷の最奥の家まで
行き、奥に続く林道を進んだ。暫く進んで「歩道入口」の標識から短い急斜面を上がって
尾根に出ると間もなく平地に出る。前に2回来ているが2回ともそのまま林道をつめて迂
回して来たことを思い出した。
平地には東屋と、林道の案内看板。ほかに南小学校が学習登山で来た記念の標柱だけ。
直射日光で暑いなか、長い剪定鋏を持った3人で林道を進み、「歩道入口」の標識があ
る所から崖を登って森に入る。標識には「歩道」とはいかなる地点に続いているかの説明
は無い。多分作業地点への近道の標識ではないかと思った。
いきなり笹藪。鋏の出番。先頭がチョンチョン、二番手が残ったのをチョンチョン、三
番手はちと丁寧にチョンチョン。方向修正のとき以外は無言の作業になった。
ひたすら上へ上へと登って行くので「頂上は巻くのでは無いのか」と考えながらついて
登る。笹は密生しているが、これまで私が経験してきた「地獄のヤブコギ」に較べれば楽
なものだった。
上の方が、なんだかとがってきたように見えると思ったとき、「ここらへんに三角点が
あると思うから探してよ」という声が降ってきた。「はれ?
一山越えて隣の村へって普
通は肩とか峠だけど、これはほんとにテッペンを越える道なんだと驚きながら探す。
すぐ見つかった。古道探しと、登りたかった山の登頂がいっぺんに実現した。3人で三
角点の周りの笹を刈り、T氏が用意してきた山名標識を木にとりつける。
そばの木に登頂を示す紙が下げられている。二等三角点の山だけを登り歩いている人ら
しい。仲間を見つけた気持になった。
もう昼になっていたが清水掻への道を知りたいし、蜂もいたので長居せず下る。最初西
に寄りすぎ、少し登り直して右の尾根を下ったらすぐ植林帯になり、しばらくで下界が見
えてきた。道もはっきりしてくる。あとは快調で間もなく清水掻に下り、N先生の案内で
最奥の家に寄ってお茶をご馳走になった。ここでも話がはずむ。そして奥さんに出発点ま
で送ってもらい、N先生の家に帰り、お茶をよばれて帰宅。
これで新宮谷から清水掻にいたる尼子幹線道を足で確かめることができた。微妙な点で、
さまざまの古書に述べられていることとの違いはあるが、私は郷土史家ではないので自分
の足で歩いて確かめないと当時の人がどんな思いでこの道を辿ったかが想像できない。
道は主人公ではない。歩く人がいて初めて道である。歩く人には暮らしがあり、様々な
束縛があり、用があって歩くのである。書物に「A~B~C~Dが何々の道であった」と
あっても、それはただの知識であって私の求めるものとは違う。歩いてはじめて人の姿を
想像でき、自分を考えることができる。
その他に、山里に住む人たちの話を聞くことも心を豊かにする。一日中言葉を口にする
ことがない暮らしをしている人も多いのである。昔の話をいくらでもしてくれるから、生
きた情報が向こうからやってくるのだ。話し込んでいくとここの集落の今の状態も聞かな
くてもわかってくる。新聞やテレビが知らせない日本のことが縁側で語られる。山に残る
道は理屈抜きで私をひきつける。地図で峠という名を見つけると「どんな峠だろう」と、
空をみながら想像に耽ってしまうのである。
★この山は国有林で北面に作業林道が走り、山頂稜線も林道沿いも展望はない。
林道が旧道を寸断しており、麓から古道を忠実に辿ることは困難である。
★細井道を登りきったところに林野庁が作った東屋があり、僅かな眺めが得られる。「美しい里山
モデル林・安寿の森・吉田」とある。南小学校が独松山とともに学習登山でここに来る以外、一
般登山者が楽しむ山とは言えない。笹を刈って道を作ったから今年中なら鎌・ナタなしで歩ける
だろう。正確な地図は小生までご連絡を。
⑭花だより ユウスゲ(ゆり科)
レモンイエロー色の可愛い花。名のと
おり夕方から咲き始め朝方しぼむ。
7~8 月に1m位の茎から5c~8c
位の黄花を咲かす
近辺では枡水、猫山、道後山で咲く。
曇天の日は早目に咲く。
峯寺の弥山登山口にある山荘の前で
は種から育てられ広がりつつある。夕
闇にゆらり々とゆれている様を想像
すると・・・。なんと妖しい雰囲気。
(M.N)
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