...

HIKONE RONSO_253-254_239

by user

on
Category: Documents
10

views

Report

Comments

Transcript

HIKONE RONSO_253-254_239
239
輸入代替工業化型経済への
自由主義政策適用について
アルゼンチンの事例に拠って
小 倉 明 浩
1 は じ め に
発展途上国の経済開発政策において重要な要素は,その国の世界経済への編
成の型と国内市場経済への国家の介入度の選択であると考えられる。開発経済
学においてもそれらに主要な論争点があったと言ってよい。
けれども,実際の政策選択は理論的対立を背景としつつも,時々の内外の経
済情勢,社会環境,歴史的条件によってなされること,またその成否もそれら
によって影響を受けることは否定できない。戦後長らく,多くの諸国において
輸入代替工業化戦略の下,貿易,資本移動の制限が行われ,国内経済において
も国家による管理,統制がなされてきた。それは,理論的正当性がそれらの政
策にあったというよりも,途上国における経済的自立への熱情,先行するラテ
ンアメリカ諸国における輸入代替工業化の一定の成功や先進国においても政府
の介入が正当化されていたという事情によろう。
しかし70年代以降,理論論争面や,IMF・世界銀行等の国際機関の政策提
言においては,市場諸力の働きに信頼をおいた自由主義政策の主張が強くなつ
1)
ている。それは,先進諸国の自由主義政策への回帰,途上国における輸入代替
1)自由主義政策の論者としては,Little, L M・D・, Keesing, D・B・, Lal, D・等多
数いる。以下の文献参照,Little,1. M D.,T. Scotovisky and M Scott, lndttstry
and Trade in Some DeveloPing Countris 一A Comparative Study, Oxford
U. P. 1970. Lal, D., The Poverty of “DeveioPment Economics”, Harvard U. P.
1985・また世界銀行の政策スタンスは,世界銀行『世界開発報告1987』から読取れる。
240 吉井典章教授退窟記念論文集(第253・254号)
工業化戦略の行詰まりとアジアNIESに代表される輸出指向工業化戦略国の良
好なパーフォーマンス,更には一次産品市況の悪化や累積債務問題に示される
途上国の先進国への依存の必要性の高まり,等の状況によると考えられる。
自由主義政策については世界経済との関係での遂行可能性への疑問,先進国
による途上国支配の視角や政策遂行政権の民主性等の点から既に多くの批判が
提出されているし,それは途上国の開発政策としては未だ主流とは言えない。
2)
アジアNIESの政策でさえそれとはギャップのあるものでしかない。しかし先
進国側から,いわゆるIMFコンディショナリティや世界銀行の構造改革融資
をテコとして,自由主義政策選択への圧力が存在し,また何よりも,従来の政
策の下で多くの途上国経済が停滞し,困難に陥っている現状からすれぽ,それ
を軽視することはできない。単に先進国側からのみならず,途上国自身の側に
もそのような政策転換の動因が存在していると考えられるのである。事実,少
なくない諸国において70年代央からその転換が行われている。
以上のような状況は,次のような課題を与えているように思おれる。すなわ
ち,その政策転換が行われる途上国側の要因,政策の社会経済構造への影響と
政策への反作用を分析する事である。この課題に対して,本稿ではアルゼンチ
ンにおいて1976年から81年にかけて試みられた政策の事例を通じて接近したい。
ここでこの例を取り上げるのは,この国がそれ以前の輸入代替工業化戦略の遂
行においても,その破綻という点でも典型的であることによる。
II 自由主義政策導入の動因
(1)アルゼンチン経済の原型
19世紀末から,特に20世紀第一四半期において,アルゼンチン経済は穀物・
食肉輸出国として世界経済に編成され,それを軸に高度成長をとげる(1gOO∼
2)これをサーヴェイし,展開したものとしては,本山美彦「NICs現象をどうみるか」
本山美彦,田口信夫編r南北問題の今日』同文館,1986年.中村雅秀「南北問題と貿
易」鈴木重靖編r現代貿易理論の解明』大月書店,1987,Pastor Jr., M.,“The
Effects of IMF Programs in the Third World: Debate and Evidence from
Latin America”, World Devetopment, Vol.15, No.2, Feb.1987.などがある。
輸入代替工業化型経済への自由主義政策適用について 241
3)
29年の間に総生産は約3倍となった)。ヨーロッパ諸国,特にイギリスの急速な成
長と世界貿易の拡大は後進諸国の先進国市場向け輸出部門に大きな成長要因を
与えたのであるが,アルゼンチンは未開拓の広大な肥沃地に恵まれていたこと,
その開拓を可能にする移民,鉄道を始めとする外国からの投資によって,その
4)
地位を確立したのである。
その経済は第一に輸出,そして海外からの投資の動向によって大きく左右ざ
れ,ひいてはそれらを変動させる先進国の経済循環に依存するという従属的構
造を持ち,また社会的には,輸出部門である農牧業における大土地所有制を基
礎として寡頭勢力層が形成されその指導下にあった。
けれどもその成長は,1928年からの農産品価格の暴落によって輸出部門が推
進力を喪失したことと,株価急騰を受けてとられたアメリカFRBの緊縮政策
によるアルゼンチンからの資本流出によって終りを遂げ,続く大恐慌によって
5)
農産品輸出国としての従属的発展のリンクは切断されることとなった。
(2)アルゼンチン経済の変型一輸入代替工業化一
以上の結果,農牧品輸出国としての地位からの脱却を目指して,輸入代替工
業化による成長がはかられることになる。これを遂行したのがペロン政権であ
る。
一般にその政策は,選択的高関税,過大評価為替相場,輸出税,政府による
産業投資からなる。高関税により国内産業を保護する一方,国内で生産できな
いものについては過大評価為替相場により割安に輸入することを可能とし,そ
3)アルゼンチン経済の歴史についてはA.フエレール著,松下旧訳rアルゼンチン経
済史』新世界社,1974年.Ferns, H. S., The Argentine Republic 1516−1971,
DaVid&Chales, Barnes&Noble Books 1973.を参照。特にこの時期について
は佐野誠r現代資本主義と中進国問題の発生一両大戦間期のアルゼンチンー』批
評社,1986年が参考になる。
4) O’Connell, A., “Argentina into the Depression: Problems of an Open
Economy”, in R. Thorp ed., Latin America in the 1930’s 一 The Role of
the PeriPhery in World Crisis, Macmillan, 1984. p. 189.
5) ibid., p. 194.
242 吉井典章教授退官記念論文集(第253・254号)
して関税,輸出税によって得た資本を投資,あるいは高福祉に投下するという
ものである。
この政策において動態軸は輸入代替工業部門にあるが,その成長は依然とし
て輸出部門の動向に左右される。工業部門の拡大は第一にそれに要する生産財,
原料の輸入能力に依存するからであり,第二に輸出部門(農牧業)の実質所得を
輸出税によって引下げ,国内投資,消費拡大に配分できることに依存している
からである。
この政策により,アルゼンチン経済は比較的高い成長を遂げたが,その過程
は政策の存立基盤を堀崩す性格を持っていた。
第一にその進行は輸出部門の比較優位,競争力を掘崩す性格を持つ。簡単に
二国二財で考えると以下のようになる。
a国:先進国,b国:途上国,第1財:工業品,第2財:農業品とし,各国
各回のそれぞれの国民的価値をViゴ(i=a, b,」=1,2)とすると,両国の各
財における生産力差を次のように書ける。
SVal==Vbi, tVa2=Vb2
ここでS>tとしよう。いま,国民的生産力差を,Y・とおけば, S>U>tが成
立する。
したがって,それぞれの国際的価値は,b国労働を世界的平均労働と仮に見
なせば,uV。、, uV。2, V,、, Vb2,と書ける。ここで,
UVai〈Vbi, ttVa2>Vb2
であり,第1財は先進圏に,第2財は途上国に競争上の優位があることになる。
さて,b国における輸入代替の進展はb国内において,通常yb1を小さくす
るものと考えられる。それゆえ,この時,他の事情が一定であれば,第1財の
生産力差は
s’Va1 =V$1, s>s’(ダッシュは新しい価値,生産力差)
となり,新しい国民的生産力差がこれによって定まる。そしてこれは両財のウ
エイトに変化がないとすれば,
”>u’
輸入代替工業化型経済への自由主義政策適用について 243
となる。これによって第2財の競争条件の変化をみれぽ,
UVa2/Vb2>U’Va2/Vb2
となり,第2財におけるb国の競争条件の悪化が言える。
第2に輸入代替工業化政策に要する農牧寡頭勢力から工業部門への所得移転
の政策的実現は政治状況から,工業部門のみでは不可能であり,労働者階層,
中間層との同盟を必要とした。それゆえ,ペロン政権は労働者の組織化を援助
6)
し,自らの支持基盤と成していく。工業部門と労働者階層は工業化と国内市場
の拡大という二目的で一致し寡頭勢力層と対抗することになる。工業化の進展
は雇用の増加をもたらすものとして労働者にとっても歓迎すべき事であったし,
工業製品の市場の確保のためには労働者の生活水準の向上はある程度要求され
るものであったのである。ここでは,急速に拡大する国内工業を軸として同盟
が築かれ,輸出部門がそれに必要な外貨を稼ぎ,工業がそれに依拠して拡大し
7)
うる限りにおいて,その政策に矛盾はなかった。けれども,この同盟の結果も
たらされる労働者層の勢力増大はこの政策が一旦行詰まりを見せるならば,そ
れを増幅するものとなる。
初期の比較的容易な輸入代替の段階の終了と輸出部門の競争力の低下はその
政策の基本的条件を覆した。輸入代替の一層の進行に要する輸入能力拡大の要
求を競争力の低下した輸出部門が賄えなくなった時,国内経済拡大と対外均衡
が両立不可能な政策目標となる。ここにおいて,財政政策の維持,賃金の確保
という国内経済拡大を優先する政策の組合わせと,対外均衡,国際協調を優先
する緊縮政策,賃金切下げ,外資導入政策の組合わせが対立することになる。
前者は労働者階層と比較的小規模である最終財生産部門によって支持され,後
6)これについては,Epstein, E C.,“Politicazation and Income Redisitribution
in Argentina: The Case of Peronisit Worker”, Economic DeveloPment and
Cultural Change, Vol.23 No.4, July 1975.が詳しい。またペロン政権の性格を
めぐる論争については松下洋rペロニズム・権威主義と従属一ラテンアメリカ政治
外交史研究』有信堂,1987年.第7章を参照。
7) O’Donnell, G., “Toward an Alternative Conceptualization ef South American
Politics”, 1973. Reprinted in P. E Klar6n and T. J Bossert eds. Promise of
DevelePment: Theories of Change in’ Latin Ameriea, Westview, 1986. p. 242.
244 吉井典章教授退官記念論文集(第253・254号)
者は高度化する輸入代替のための技術導入,資本を必要とし,そのため,投資
収益の安全確保のため経済,為替の安定を要求する外資の信頼を得なければな
らなかった寡占重工業部門,そして競争力確保を欲する農牧寡頭勢力によって
支持された。この結果,工業部門は分裂し,工業生産力の主軸を担う寡占的工
業部門はそのヘゲモニーの維持のためには,一方で労働者階層,中小工業部門
とそして他方で,輸入代替の継続という点では,農牧寡頭勢力と対直するとい
8)
う二面への対応を要求される事となったのである。
③ 輸入代替工業化政策の崩壊
以上によりペロン政権とそのもとでの輸入代替工業化による成長は終わりを
遂げ,以降前記の政策対立のもとで,寡占的工業部門は農牧寡頭勢力,外資,
9)
そして軍部によって支えられ,労働者階層,中小工業部門と対抗していくこと
になる。この両者間で対抗関係が成立しうるのは,選挙制度上では後者が圧倒
的に強く,またアルゼンチン社会において選挙制の正統制が伝統的に高いため
le)
である。軍政により,労働者階層を政治から排除することによってしか,前者
の政策は実現され得ず,軍政は民政政権の経済的失政と社会的混乱の中でしか
11)
登場し得なかった。それは完全な民主主義と経済成長の達成を公約することで
初めてその正統性を確保できたのである。
また,この軍政政権は労働者階層に対して弾圧を加え,その政権の安定性を
獲得しようとするが,寡占的工業部門の成長自体がその弱体な国際競争力のた
め国内市場に依存せざるを得ず,短期的に強権によって労働者階層を押えるこ
8) ibid., pp. 243一一245. Becaaria, L. and R. Carciofi, “The Recent Experience
of Stabilizing and Opening up the Argentian Economy” , Camblidge fournag
of Economics, Vol. 6 No. 2. June 1982. p. 148.
9)この点については今井圭子氏が軍部の将軍層の出身階級から,軍の政治的基盤を分
齢している(「軍政下アルゼンチンの経済政策」小坂充雄,:丸谷吉男編『変動するラ
テンアメリカの政治経済』アジア経済研究所,1985年所収)。
10)pion−Berlin, P.,“The Fall of Military Rule in Argentina”,∫ournal oノ加
teramerican Stidies and World Affairs, Vol. 27 Summer 1985. p. 17.
11) O’Donnell, G., op cit. p. 255.
輸入代替工業化型経済への自由主義政策適用について 245
12)
とができても,これに決定的な打撃を与えることには限界があった。それゆえ,
この政権は緊縮と成長を目的とする一貫性を欠く政策を採らざるを得ず,その
失敗によって正統性を失い,労働者階層の抵抗を中心とする民主化要求の高ま
りによって民政移管を余儀無くされるのである。
しかしまた,民政政権の国内経済拡大政策も財政赤字によるインフレ,国際
収支危機を招き,経済の混乱として結果し,その収拾をはかるという名目の下
に軍政にとってかわられることになる。
その結果政策は国際協調路線(軍政)と国内経済拡大路線(民政)との間で
揺れ動き,アルゼンチン経済は長期停滞期に入った。この間の経済成長率は他
のラテンアメリカ諸国と比べても低率である。そして,第一次石油ショックに
続く世界経済の混乱期に至り決定的な行詰まりを見せる。この時政権を担当し
13)
たペロン党政府の政策的無策もあり,1976年にはGDPはマイナス成長,年率
300%を超えるインフレ,8億ドル近い国際収支赤字,外貨準備の払底等,内
外面に渡って経済の崩壊とも言える状態に陥ったのである。
(4)自由主義政策の導入の目的
この状況に対して,軍はクーデターによって政権を掌握し,経済面マルチネ
14)
ス=デ=オスを中心に経済安定化に取組むことになったのである。
12)この点について0’Donnellは労働者運動が完全に圧殺されたブラジルと比較して,
アルゼンチンの労働者の組織化が上からではなく,下から進んだことを指摘している
(ibid・pp,263∼264.)。また,軍政の労働老階層への圧迫,介入の内容については,
Epstein, E. C., op cit.に詳1しい。
13)この政権の政策は基本的には労働者組織のCGTと中小工業部門を代表するCGE,
そして政府の三者間の賃金,物価凍結の社会協約にあった。けれども,この協約には
アルゼンチン自由企業統合運動(ACIEL),アルゼンチン工業連盟(UIA),ア
ルゼンチン商工会議所(CAC)という工業部門,アルゼンチン農牧協会(SRA)
は排除されており,それが有効に機能する条件は存在しなかった(今井圭子「アルゼ
ンチンにおける経済政策の展開」『アジア経済』18巻10号 1977年10月,di Tella,
G., Argentina under the Per6n, 1973−76: The Nation’s ExPerience with a
Labor−based Goverment, MacmilIan 1983.参照)。
14)この政策に関する邦語文献としては,今井圭子前掲論文,大原美範「アルゼンチン
246 吉井典章教授退官記念論文集(第253・254号)
この政権は,それが軍政であること,また政策的にも次のような点から国際
協調路線の側に属すると見られる。すなわち,インフレを通貨現象と見なして
いること,外資規制を緩和し積極的に導入しようとしたこと,さらに価格統制
を撤廃し賃金を統制したことが従来のそれと共通している。
15)
しかし以下の点では異なる性格を持つ。第一に,従来は軍政においても国家
の役割は重視されていたのだが,ここではその縮小が意図された。第二に,保
護されていた国内市場を国際競争にさらすことが計画された。つまり,経済を
市場諸力の働きに委ねる自由主義政策の傾向を有していたのである。その目的
は国民経済を世界経済に直接的に組入れ,商品,資本移動を自由化し,合せて
国内市場への政府の規制を縮小することによって,アルゼンチン経済が陥って
いた袋小路から脱出し,国際的比較優位にそった経済構造を確立することにあ
った。
同時にそれは政治的にもその不安定性の条件を打砕く試みであったと考えら
れる。従来,軍部も軍備の基礎とそれに結付く利権を守るため,自由化,開放
16)
化には反対していた。しかし,国家の市場への介入とそれによる経済の拡大こ
そは,労働者階層,中小工業部門の基盤であった。それゆえ,労働組合組織へ
の徹底した攻撃によりその弱体化を図るとともに,自由主義政策をとることを
通じてその経済的,社会的基盤を破壊することによって,ヘゲモニーを安定化
17)
することが意図されたのである。
のマネタリズムに基づく経済安定政策」『商経論叢』20巻3/4号,1985年3月,小林
志郎「超インフレとアルービンチン経済」上’下『世界経済評論』24巻10号,12号,1980
年10月,12月,西山洋平「アルゼンチン経済の現状」『海外投資研究所報』8巻4号,
1982年4月,がある。またラテンアメリカの経済安定化政策に関する諸議論を整理し
たものに,西島章次「ラテン・アメリカの経済安定化政策」r国民経済雑誌』156巻1
号,1987年7月がある。
15)大原美範前掲論文,p.10,今井圭子前掲「軍政下アルービンチンの経済政策」, p・
139ev140, Becaaria, L. and R. Carciofi, op cit. p. 145, p. 150, Vacs, A. C.,
“Authoritarian Breakdown and Redemocratization in Argentina”, in J. M.
Malloy and M. A. Seligson eds., Az{thoritarians and Democrats Regime Tran−
sition in Latin America, University of Pittsburgh Press, 1987. p. 22.
16) Pion−Berlin, P., op cit. p. 58.
輸入代替工業化型経済への自由主義政策適用について 247
m 自由主義政策による構造改革
この政権下の政策はその内容によって大きく二期に分割することがでぎる。
すなわち,極度の経済的混乱を沈静化することに重点が置かれた前半(1976.4
∼78.11)と,その一応の成功を受けてインフレの根絶と経済の開放化を目指し
た後半(1978。12∼81.3)とに分けられる。
第一期の政策は以下のとうりである。
①通貨供給量の管理②外為取引の自由化,為替水準の適正化(77年5月完
全自由フ・一ト制)③価格統制の撤廃④金融制度の自由化,ア)預金集
中制の廃止,イ)利子率自由化,ウ)参入・業務分野規制の緩和 ⑤ 農業輸
出振興,ア)輸出税の廃止,イ)国家による輸出管理の撤廃 ⑥ 工業振興,
ア)投資免税措置,イ)公共投資 ⑦ 財政の健全化 ⑧労働組合活動の制限,
インデクセーションの導入⑨外資規制の緩和(外資法改正)。
そして第二期の政策の柱は次の二つである。
18)
① 予告為替相場切下げ制度 ② 関税率段階的引下げ計画。
これらはインフレーションの克服を目指す安定化政策と経済の効率化を目指
す構造改革一自由化一政策に別れる。しかし,本稿では全てを一括して構
造改革の視点から分析することにしたい。安定化政策を構造改革政策として評
19)
価することには批判があるが,その政策意図はどうあれ,以下に見るように両
者は密接に関連しているのである。そこで,まず安定化政策について,そのパ
フォーマンスとその要因をこれまでの研究によって押えたうえで,構造改革政
策と合せて経済構造に与えた影響と経済構造からの反作用について検討する。
17) Vacs, A. C., op cit., p. 22・
18)これは,79年から84年の5年間をかけて関税率を50%強切下げようとしたものであ
る。その他,構造改革政策の例としては完成車輪入を解禁した自動車産業再編法が代
表的にあげられる(今井圭子前掲「軍政下アルゼンチンの経済政策」,p.142)。
19)例えば,Blejer, M, L,“Recent Economic Policies of the Southern Cone Co・
untries and Monetary Approach to the Balance of Payments”, in N. A. Bar−
letta, M. 1. Blejer and L. Landau eds., Econontic Liberalization and Stabili−
zation Policies in Argentina, Chile and Urugay, World Bank, 1983. p. 6.
248 吉井典章教授退官記念論文集(第253・254号)
(1)経済安定化政策のパフォーマンスとその要因
この間のGDP成長率,物価上昇率はそれぞれ第1,2表のとおりである。
一貫してGDP成長率の動きは不安定であり,物価上昇率も高率に止まってい
る。しかし,新政策の導入の翌年一第一期:1977年,第二期:1980年一に
はそれぞれ顕著な改善を見ることができる。
第一期においては,政策の理論的中心は通貨供給量管理と財政引締めにあっ
表1 GDP(要素価格)の部門別成長率(1970年価格評価%)
ligZitliSl lg76 1 lg77 l lg7s i lg7g 1 lgso l lgsl i lgs2 11gs3
ス
スビ信
P業聖業設が一通融府
D 造 ・サ・
G農鉱車毒気・送金政
電業輸
商
一5.30 2.80
一6.52
2.89
一〇.46
6.37
一3.37
6.71
1.05
2.84
4.53
2.51
2.76
3.50
−6.70 2.41 6.44 0.75
1.75
2.43
8.54
1.91
6.35
5.16 0.57
−O.73 2.20
3.49
−3.03
7.81 −le.52
10.19
−3.79 −15.98
−4.73 9.91
1.23
14.91
12.20
−4.75
−O.46
1.15 −13.78 −19.79 −6.79
7.75
3.69
4.63
3.33
10.73
7.76
一!.14
3.08
8. 01
2.62
−5.21
6. 93
−7.73
11.02
5.60
−6.79 −18.32
3. 56
1.74
−2.06
6.67
−1.58
6.54
3.47
−6.35
−3.00 2.77
1.64
−4.17
13.85 6.74
7.97
12.34
一 5, .34
−1L 93 −7.99
3.33
0.28
0.89
2.01
0.76
2.16 1.98 0.78 1.85
資料:World Bank, Argentina : Econonic memorundum, VoI.21985.
表2 物価上昇率
卸売物価
(%)
消費者物価a
1975
192.5
170.6
76
499.0
444.1
77
149.4
176.0
78
146.0
175.5
79
149.3
159.5
80
75. 4
100.S
81
109.6
104.5
82
256.2
164.8
83
360.9
343.8
a:ブエノスアイレスのみ
資料:表1に同じ
輸入代替工業化型経済への自由主義政策適用について 249
表3 通貨残高の推移 (10億1970年ペソ)
準 通 貨(2)
通 貨 (1)
1増加靴
増加率%
1975
12. 5
1976
9.2
一26.4
5.2
40. 5
1977
8.3
−9. 8
1L7
125.0
1978
9.3
12.1
14. 3
22. 2
1979
9.9
6.5
20. 9
46. 2
1980
12. 5
26. 5
24. 1
15. 3
1981
7.5
−40. 0
8.6
−64.3
1982
5. 9
−2L 3
9.3
8.1
1983
5.4
−8.5
9.6
32. 1
3.7
(1)Currency+民間要求払預金
(2)貯蓄性預金十CD
資料:表1と同じ
表4 政府部門の財政赤字(対GDP比 %)
75
76
77
78
79
全政府部門1・5・・111・・1・・86・gl…
中 央 政 府
5.0 ] 3.4 ] 1.1
1.s 1 2.7
80
81
s.4 1 14.1
2.9
5.6
資料:ft 1に同じ
20)
たと考えられる。事実,通貨供給量はM1で76年:一26.4%,77年:一9.8%
というマイナスの増加率に押えられ(3表),財政赤字も大きく改善している
(4表)。しかし,より重要な要素は5表のような賃金の著しい切下げであった
21)
と考えられる。なぜならば前政権下の高率のインフレは単なる通貨現象ではな
く,その原因は商品市場,労働力市場の非競争的構造のもとで,石油ショック
にともなう外部からの負担が吸収されず,物価上昇一斗金上昇一→物価上昇
の悪循環をもたらしたことにあったからである。軍政権はこれをインデクセー
20) Gobierno de la Republica Argentina Minist6re d’Economie, Fifteen Months
of Argentine Economic DeveloPmemt APril 1976一 june 197Z
21) di Tella, G., “Argentin’s Most Recent lnflationary Cycles. 1975−1985”, in
R. Thorp and L. Whitehead eds., Latin American Debt and the Adjustment
Crisis, Macmillan,1987. p.170,小林志郎前掲論文, p.55.
250 吉井典章教授退官記念論文集(第253・254号)
ション制を導入し,実質賃金を引下げることに
表5 実質賃金指数
よって断ったのである。それによって一応の改
1975=100
善は納めたものの,非競争的市場(産業の寡占
構造)の放置と企業家のインフレ期待の硬直性
は物価上昇を依然として高率に維持せしめたの
22)
である。
そこで第二期,導入されたのが予告為替相場
切下げ制度である。これは内外の市場の完全性
を前提として,マネタリアプPt一チから導かれ
る事後的恒等式,国内物価上昇率=海外物価上
昇率+為替相場変動率に依拠するものである。
この式は本来,物価上昇率格差の結果として為
替相場が市場で決定されることを示すものであ
1976
1月
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
1977
1978
1979
1980
57. 5
101.4
86. 5
78. 5
58. 5
52. 3
58. 5
56. 1
53. 2
53. 9
49. 7
54. 4
47. 9
43. 5
29. 1
28. 1
33. 3
1981
37. 0
1982
1983
60. 2
38. 7
資料:la Economia・4rgentina
各調製
るが,この政策では,所与の海外物価上昇率の
もとで為替相場変動率(切下げ率)を政策変数として,国内物価上昇率を誘導
する理論的基礎とされた。すなわち,それは為替相場切下げ率を予告し,しか
もその率を漸進的に縮小することによって,経済主体の期待インフレ率を低下
23)
の血行へ誘導し,もって物価上昇を抑制しょうとするものである。
この導入によって物価上昇率は低下するが,政策の意図した水準には程遠い。
物価上昇率は海外物価上昇率+為替相場切下げ率を上回って推移し,その結果
22) Ramos, J, Neoconservetive Economics in the Southern Cone of,Latin Ame−
rica,1973−1983, The Johns Hopkins U. P.1986. pp.74∼78.また,インフレ期
待の下方硬直性を検証した業績として,西島章次「ラテン・アメリみにおける非対称
的インフレ期待形成」『国民経済雑誌』157巻4号,1988年4月,がある。
23)これについては,Sjaastad, L. A.,“Liberalization and Stabilization. Experi・
etice in the Southern Cone “in N. A. Barletta, M“ 1. Blejer and・. L. ’La・ndau,
op cit., pp. 85”s”86, M. 1. Blejer and D. 」 Mathieson, “The”Preanmouricement
of Exchange Rate Changes as a Stabilization lnstrumerrt” , IMF,Staff PaPers,
1982.が詳しい。これが安定化政策としてだけではな.く;構造改革政策としての肩的
をも持つものであったとするものに,Paster Jr., M:,, dp cit.がある。t t
輸入代替工業化型経済への自由主義政策適用について 251
表6 アルゼンチン為替相場の過大評価
1977年Q4=100
(1)
(2)
(3)
為替レー}
アルゼンチン u. s.
卸売物価指数 卸売物価指数
1978年Ql
Q2
Q3
Q4
1979年Ql
Q2
Q3
Q4
1980年Ql
Q2
Q3
Q4
1981年Ql
Q2
(4)
(5)
相対物価指数 為替レート評
(i)/(2)
価指数(3)/(4)
123.84
102.30
123.44
121.06
101.97
156.65
105.41
143.04
148.61
96.25
153.47
175.96
87.22
174.11
218.91
79.53
188.44
239.69
107.09
109.49
305.01
113.48
202.41
268.78
75.31
384:44
117.46
230.09
327.29
70.30
506.74
121.19
260.82
418.14
62.38
570.38
125.44
288.97
454.70
63.55
636.46
131.21
314.46
485.07
64.83
729.09
133.95
336.60
544.30
61.84
822.98
138.30
354.05
595.07
59.50
899.49
141.22
366.41
636.94
57.53
1017.55
144.71
466.17
702.87
66.32
1327.54
147.25
807.40
901.56
89.56
出所:Inter,nationat Currency Review,’Argentine PesQ’,
Vol.13 No.2, Vol.14 No.4より作成
為替相場は急速に過大評価化していく。表6のように為替相場は77年末を100
とした指数で79年中に11ポイント強,80年には更にアポイント強,過大評価化
し,57.53となった。このような事態を招いた原因として,アルゼンチン経済,
市場の非効率性,財政赤字が高水準であったこと(GDP比,79年:7.3%,80年
:8.4%一4表),通貨供給量の増加(Ml,79年6.5%,80年26.5%増一3表)等が
24)
指摘されている。つまり政策の前提である効率的市場が存在しなかったことと,
24) Mann, A. J. and C. E. S5nchez, “Monetarian Economic Reform and Socio−
Economic Concequence, Argentina 76−82”,1nternatinal.lottrnalげSocial and
Economy, Vol. 11 No. 3/4. p. 15, R. Dornbusch, “Stabilization Policies in
DevelQping Countries: What Have We Learned?” , World DeveloPment, VoL
10 No. 9, Sept. 1982. p. 704, Blejer, M. 1., op cit. p. 9, M. S. Khan and
R. Zahler, “Trade and Financial Liberalization Given External Shocks and
Inconsistent Domestic Policies” , IMF Staff PaPers, Vol. 32 No. 1, March
1985. pp. 23−v24. Rodriguez, C. A., “Politicas de Estabilizacion en la Ecopomia
252 吉井典章教授退官記念論文集(第253・254号)
政府が自らのインフレ抑制への意思を疑念にさらすような政策をとったことに
よると考えられているのである。
② 経済構造の変動と安定化政策
GDPの部門別成長率の推移を1表によって見ると,製造業の激しい上下変
動,金融部門の77年∼80年の好調な成長が見て取れる。全般的に見て,77年,
79年には好況にあったことがわかる。
金融業のこの目立った成長は,前半においては金融自由化政策の効果と見て
よいだろう。第二期においては為替過大評価の結果,海外からの借入利子率が
25)
実質マイナスとなる一方,海外の受取利子率は高水準となり,大量の海外か
らの資本の流入(6図)があったこと,また政府の貸出し準備率規制が緩和さ
れたことにより,国内利子率が名目で低下した結果,企業,消費者の借入需要
表7 国内銀行の融資残高(10億1970年置ソ)
十雪口
間
公的部門
民
1増加朝
1増力・朝
1増加率%
1975
13. 8
1976
11.9
一13.8
6.7
一42.2
18. 6
一26.8
1977
1Z 4
46. 2
7.7
14. 9
25. 1
35. 0
1978
20. 0
14. 9
Z3
−5.2
27. 3
8.8
1979
28. 7
43. 5
7.9
8.2
36. 6
34. 1
1980
38. 0
32. 4
12. 8
62. 0
50. 8
38. 8
1981
36. 1
−5.0
17. 5
36. 7
53. 6
5.5
1982
27. 2
−24.7
13. 7
−21.7
40. 9
−23.7
1983
22. 5
−173.0
16. 4
197.0
38. 9
−49.0
25. 4
11. 6
資料:表1に同じ
Argentina 1978−1982”, Cuadernos de Economica, NO 59, Avri1 1983. p. 31. Pas−
tore,エM. D.,“Asessment of Anti−lnfiationary Experiment :Argentina in
1979B1, in Barletta, N. A. et aL, eds. op cit.など各論者一致して指摘している。
25)Ramosによれば,借入利率は78年:一25.0,79年1−21.1,80年:一10.6%,受
取利率は78年:37.2,79年34.6,80年:45.7%である (Ramos, J., op cit. p.155
table 8一一11).
輸入代替工業化型経済への自由主義政策適用について 253
1 1 1 1 1
q
O
O
O
0O
04
02
008
06
04
02
0
8O
6O
4O
2O
0O
8A
6C4
8
6
資 2
図1 工業部門生産額㈲輸出額(B)輸出率◎の推移
正8_A
・一一 a
14一 一 一C
” s
! 、 ,脚願一”刷
一A NA 1
くこ汐’へ》ラ 10
6
’
rmt 4 75 76 77 78 79 80 81’”82’”83”84
B:1973年置= 100,左軸
:%,右軸
料:CEPAL, ExPortacion de Manufacturas y Desarrollo∬ndustrial,
Dos estudios sobre el caso argentino (1973−1984), Buenos Aires, 1986.
図2 工業品(工業製品)生産額㈹輸出額⑧輸出率◎の推移
1
8mA
! 、
! 、
! 、
一一一
a
14. ・ 一C
! 、
ゆ
、
! 、 、一御
!
1 1 1 1
へ
、1
!’\、
! 、・一
■ノー口廟馬
一。噛 ψ’ \ ,
10
6
.\ρ〆 し噌・♂
O‘:7tr7rt−7E一’773 74 7s 76 77 7s 9 so 81 s2 83 84
A,B:1973年=100,左軸
C:%,右軸
資 料:図1に同じ
が伸長し,貸出しを大幅に増大し得た(7表)ことに起因するものと判断でき
る。
次に図1,2,3によって工業部門の生産額,輸出額の変動を見れば,生産
額については,工業全体,農業製品,工業製品ともに76年から81年の停滞的な
254 吉井典章教授退官記念論文集(第、253・254号)
1 1
0
0
0
0 0氏0
02
00
86
4
資4
1 12
1 086
図3 工業品(農業製品)生産額㈱輸出額(B)輸出率◎の推移
8−A
一一噛B
14騨・一C
10
6
73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84
B:1973年=100,左軸
C:%,右軸
料:図1に同じ
図4 全輸出額㈲農漁業輸出額(B)の成長率の推移
4e
20
10
0
\心、
30
−10
一Aq
一AN
tt @/ XK
・一噛
N
x
N
N ”:
IX
I N
7 ’“ fi
Nl 1 f/
>1
−20
−30
−40
twt 75 76 77 78 一’7’9 一一’80 81 82 83 84
資料:図1に同じ
推移が見られるのに対して,輸出額においては,いずれも第一期には伸び,第
二期には低落している(77年ピーク,80年底)ことがわかる。輸出のこの傾向は
4図の全輸出額,農業産品を主軸とする農漁業輸出額に秀あてはまる。
工業についてこの輸出額の変動の要因を検討するために,生産性の推移を5
図によって見れば,輸出の動きは比較生産性の動きと一致していることカミわか
る。比較生産姓は,生産性が傾向的に改善していること,またこの間のアメリ
輸入代替工業化型経済への自由主義政策適用について 255
図5 工業部門生産性㈹比較生産性(B)
140
O.4L A
!
一一・・ B
130
ノ
, ’ 、
t
1
ノ / 、、
120
/
/
N L 一
一
’一 一ny L 一
一 一 “
一. “. 一
110
O.20
一’ v
100
90
73 74 75 76 77 78 79 80 81 82
A:労働者一人当り評価価値(197⑪年ペソ評価),1970年=100とする指数。左軸
B:アメリカとの比較生産性,各時点の価格,及び為替相場による評価。右軸
資料=表1と同じ
カの生産性が停滞していること(労働時間あたり生産額は77年を100とする指数で,
78年:100.8,79年:99.8,80年:99.3,81年:100.7)を考え合わせれば,為替相
場変動に負うとこころが大きいと考えられる。
さらに,GDP成長率,輸出の変動をより詳しく検討すれぽ,77年の農業,
工業の生産の回復,輸出の拡大は,同時期の産業政策の結果と見なしうるが,
賃金圧縮を基礎とする経済の安定化,利潤獲得条件の改善も大きく寄与したも
のと考えられる。また,79年の工業生産額の回復は輸出額が同時期低下してい
ることから,所得効果や借入金への依存を通じて,:為替過大評価が国内消費増
26)
に結付いた結果と見なしうる。けれども,過大評価の一層の進行に伴って,輸
入品との競争が激化し,80年には後退が余儀無くなったのである。
以上のように,この間の経済活動は自由化政策の効力を一応反映しているが,
経済安定化政策の影響を強く受けている。特に第二;期の予告切下げ制がもたら
した為替過大評価の果たした役割が大きいと言えよう。
したがって,予告切下げ制は,その政策的意図とは関係なく経済構造改革政
26)この点で経済開放化にともなう社会的緊張を緩和する効果を持った(Vacs, A, C.,
op cit. p. 23).
256 吉井典章教授退官記念論文集(第253・254号)
表8 製造業部門別事業所数及び雇用数(1974=100)
事業所数
製紙・出版・印刷
化 学
非 金 属
金 属
機械・機械設備
そ の 他
面 計
94
82
83
97
99
101
83
89
56
90
1980
1981
55
48
38
08
57
56
46
23
87
0
8
木材・家具
1979
6
87
66
89
82
97
80
79
79
40
8
繊維,衣料皮革
1981
36
29
088
67
68
47
28
2
87
食品・タバコ
1980
18
37
39
19
08
979
29
18
9
58
77
89
29
29
48
69
49
19
1
9
1979
雇 用 者 数
資料:Instituto Nacional de Estadistica y Censos, Indttstria Manufacturera
1974−1981, 1982.
策としての機能をもったと考えざるを得ない。工業については,それはより厳
しい海外との競争にさらすことによって,8表に見られる通り,企業の淘汰,
27)
雇用削減をもたらし,5図のように生産性の向上に寄与した。しかし,生産性
の上昇を上回って為替相場が実質騰貴した結果,比較生産性,したがって競争力
を悪化させ,輸出を減少させるとともに,一時期は生産を下支えしたものの結局
はその縮小をもたらしたのである。さらに,予告切下げ制による工業へのその
ような悪影響は借入資金の返済能力の弱化を通じて金融部門にも波及し,80年
28)
3月,国内第二位銀行の破綻をきっかけとして金融危機を発生させたのである。
それらの状況によって1981年2月予告切下げ制は実質的に放棄せられること
になった。その結果,この年の利子率の上昇にもかかわらず大量の資本逃避を
29)
生じ,対外債務の借入はこれを賄うために行われたとも言いうる状態となり,
27)このことにもかかわらず失業率は低下している。それは労働者から自営業への雇用
のシフトによる(Mann, A. J. and C. E. Sinchez op cit. P.19)。
28) Pion−Berlin, P., op cit. p. 60.
29) Dornbusch, R and J. C. de Pablo, “Argentina: Debt and Macroeconomic
Instability”NBER Weerleing Paper No.2378. p.9.このことはメキシコ,ヴェ
ネズェラにも共通している(Diaz・Alejandro, C.“Some Aspects of the Develop・
輸入代替工業化型経済への自由主義政策適用について 257
第6図 純資本移動の動向(百万ドル)
28
18
0897
㌔﹃野薯ご写 ミ’ぺ
︷ ぐ ㌃ 廿 ’ 久 、’・’ ・ ^ご
、
軽””””⋮“”””H””㍗四”唱マ学苓
㌦㌧㌔㌔㍉㌧㍉㌔㍉㌔..%㌔㌔..㌦㌧㌔㌦㌦㌔,.﹁
萎§蓑””H⋮”覗マ
㎜ 姻 ㎜ 。 ㎜ 姻 ㎜
[=====コ公共部門の資本取引額(ネット)
・_一t“一::1:i:1:i:範 民間部門の資本取引額(ネット)
一民間のうち短期資本(ネット)
〔=====]民問のうち長期資本(ネット)
資 料 表1と同じ
ほぼ全部門に.おいてマイナス成長を記録するという不況に陥ったのである。
③ 自由化政策を挫折ししめたもの
以上のように,アルゼンチンにおいて1976∼81年にとられた自由主義に基づ
く経済構造改革の試みのパフォーマソスにとって,後半に行われた予告切下げ
制が決定的位置を占めていると言える。
ment Crisis in Latin America”, in R. Thorp and L. Whitehead, op cit. pp.
14−v15・ )e
258 吉井典章教授退官記念論文集(第253・254号)
表9 中央政府支出の構成(1960年ペソ評価,%)
75
76
77
78
79
80
81
出衛安純化寒威術払
支 治 文妙品技支
般 内 育済会学子
一日国保教訓社科利
6.1 6.6 5.4
5.7
5.4 6.4 5.4
15.9 19.2 21.3
20.6
20.0 19.0 18.6
5.9
6.0 6.8 6.4
2.7 2.7 2.1
5.3 5.7 6.0
4.8 4.6 3.8
18.7 11.6 12.5
20.6 26.6 26.9
15.5 13.2 12.1
3.7
14.0
23.3
13.1
12.1 13.4 11.4
21.0 20.1 18.5
11.8 12.5 12.1
1.8 1.9 2.3
2.5
2.6 2.7 2.7
11.5 11.6 9.6
15.1
18.4 16.3 22.6
資料:表1に同じ
前半における生産性の上昇,輸出の伸びに見られる良好な成果は,政府の諸
産業政策,為替市場,金融市場,そして労働力市場の自由化によるという点で,
その肯矩的側面を示している。しかし,安定化政策についての諸議論が明らか
にしていたように,商品市場の自由化一産業の寡占構造の改革一という点
では不十分であった。後半における施策は,一方で関税水準の引下げによって
その不十分性を是正するとともに;他方で予告切下げ制によってインフレ期待
を押え込むことを目的としていた。しかし関税引下げは漸進的計画にすぎず,
予告切下げ制が要求した市場の効率化にとっては十分なものではなかった。そ
の結果が為替過大評価である。
その過大評価は先に見たように,工業の効率化への圧力として機能したので
あるが,同時に比較優位構造を歪め,優位を持つと考えられる農産品,農業製
品の国際的競争条件をも悪化せしめた。さらに,金融部門に対しても,それは
30)
資本流入等により競争を緩和する温室効果を持ち,不適切な貸出し行動を導き,
経済不況とともにそのシステムの安定が揺らぐという結果を招いた。
以上からすれば,この政権の失敗は,自由主義政策を意図しながらも産業の
寡占構造の改革という商品市場の自由化を不完全にしか実行し得なかったこと
30)この貸出し資金は必ずしも生産の効率化には向かわなかった(Ramos, J., op cit.
pp. 141e−158).
輸入代替工業化型経済へめ自由主義政策適用について 259
によるものとでぎる。このことを,労働者1・e対する雇用や所得の維持という配
慮,すなわちこの国の労働者階層の強さによるものとすることはできない。そ
れは寡占的工業部門の脆弱性と,その政権基盤自体に対する政権の指導力の不
足に求められねばならない。労働力市場に対しては,厳しい組合活動の弾圧と
31)
実質賃金の政府介入による引下げによって「自由化」を急激に達成したことと
対照すれば,その証左となろう。財政についても,軍関連,経済開発支出シェ
アの増加,維持と社会保障,保健支出の低下という事態(表9)にこの政権の
限界は見て取れるのである。
そして結局はその支持基盤への配慮が結果的にそれへの打撃を招き(それに
より一定の効率化は進展するが),政権への支持を喪失せしめたのである。
IV おわりに一輸入代替工業化型経済への自由化政策の適用の可能性一
国家による積極的介入と輸入代替工業化を成長軸としてきた発展途上国にお
いてそれが行詰まるに至った場合,それを克服するための政策の選択枝はいく
つかある。アルゼンチンの場合自由主義政策が採られたのは,それまでの成長
型の中で形成されたヘゲモニーを巡る各階層間の拮抗状態とそれによる政策の
非一貫性,経済の停滞という状態を打破するには,世界経済への編成の型と国
家の役割を根本的に変革する必要があったのである。輸入代替工業化政策は輸
出部門 農牧寡南勢カーを除く全ての階層の存立基盤であったので,その
枠内における修正では対立階層を弱化させた安定的ヘゲモニーを確立すること
が不可能であったことがそれを示している。そしてそのための政策が自由主義
政策となったことは,その遂行政権が国際協調を指向する側であったこと,ま
た現在の開発経済学の諸パラダイムを考慮すれぼ自明であろう。
しかし,自由化は国際競争の激化を通じて,それまで形成されてきた工業生
産力を効率化する側面とともに破壊する側面をも持つ。その作用のいずれの面
31)この政権は労働者階層の政治力を弱化させるという点では,前軍政と比較すれぽ成
功していた。少なくとも,この政策遂行中には労働老からの抵抗に合5ことはなかっ
た(Pion−Berlin, P., op cit. P.55)。
260 吉井典章教授退官記念論文集(第253・254号)
がより強くあらわれるかは輸入代替工業の構造によるであろうが,アルゼンチ
ンのように長期間,全工業分野に渡り非選択的に進めている場合,破壊のリス
クがより大きいと思われる。それゆえ,軍政は労働者階層に対する自由化政策
は急激にその力によって行い得たが,その力をもってしても国内市場を国際競
争に解放することは漸進的にしか成し得なかったのである。その結果,自由主
義政策の試みは経済の混乱と累積債務という将来への荷重を残して挫折するに
終わったのである。
輸入代替工業化型成長を遂げてきた途上国においては,自由主義政策がもた
らすはずの効率性を獲得するための前提条件はその初期には備えておらず,そ
れを満たすための政策がとられねぽな:らないが,それを完遂するためには,単
に対立する階層にたいしてそれを強制する力のみならず,自らの支持基盤に対
しても負担を強いることができる,政治・経済的条件が必要な:のである。
Fly UP