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英国における特別な教育的ニーズ教育に関する研究

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英国における特別な教育的ニーズ教育に関する研究
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 62 集・第 2 号(2014 年)
英国における特別な教育的ニーズ教育に関する研究
―1993 年教育法制定過程に着目して―
飯 田 明 葉*
現代の英国における障害児教育の特徴は,
「障害」に代わって「特別な教育的ニーズ(SEN)
」と呼
ばれる概念を使用することである。この起点となったのが 1978 年のウォーノック報告である。し
かし,ウォーノック報告を受けて制定された 1981 年法は方針を示したにすぎず,実際の政策として
展開したのは 1993 年教育法以降であるといえる。本稿は,審議過程の分析を通し,1993 年法成立当
時,議会において何が問題として認識されていたのかを明らかにした。その結果,当初は地方教育
当局(LEA)に大きな権限を持たせることによって障害児教育の平等を実現しようとした法律案が
示されていたが,学校の自律性を侵害する恐れが主張されたことで下院での強い反対を受け,廃案
となっていたことが明らかになった。すなわち,当時の中心的な教育政策であった学校の自律性を
強化しようとする政策との対立が問題化し,LEA への権限の付与が断念されていたことが明らか
となった。
キーワード:英国の障害児教育制度,特別な教育的ニーズ(SEN),地方教育当局(LEA),学校の自
律性,1993 年教育法
1. はじめに
⑴目的の所在と研究目的
本稿の目的は,英国 1 の 1993 年教育法(以下,1993 年法)審議過程の分析により,現在の英国にお
ける障害児教育制度の課題を明らかにすることである。
近年,世界中で障害児教育におけるインテグレーション・インクルージョン(以下,インクルー
ジョンを統一して使用する。
)の必要性や有効性をめぐって,活発に議論が行われている 2。わが国
でも,学校教育法等の一部を改正する法律(平成 18 年法律第 80 号)により,特殊教育を特別支援教
3
育へと転換した。本稿で対象とする英国でも,1981 年教育法 (Education
Act 1981,以下 1981 年法)
において特殊学校(Special School)と普通学校(Ordinary School)の選択を可能とする形で,インク
ルージョンを制度上実現した。ここでインクルージョンを媒介する概念として,英国政府は「特別
な教育的ニーズ(Special Educational Needs,以下 SEN)」を導入した 4。
教育学研究科 博士課程後期
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英国における特別な教育的ニーズ教育に関する研究
これまで数多くの研究がなされてきた 1981 年法は,不況と破綻をともなう深刻な財政難のただ中
で 成 立 し て い る。 そ の た め,立 法 の 元 と な っ た 報 告 書「 特 別 な 教 育 的 ニ ー ズ(SPECIAL
5
EDUCATIONAL NEEDS)
」(以下,
通称に従いウォーノック報告とする)による勧告の多くが実現
されず,SEN 理念の導入に留まっている。すなわち,1981 年法の理解だけでは英国の障害児教育
政策が理解できたとはいえず,ウォーノック報告による勧告の多くを実現した 1993 年法の理解を欠
かすことができない。本稿では,この 1993 年法の審議過程を分析することにより,立法過程で認識
された課題を明らかにすることを目的とする。
無論,教育制度や障害児者支援制度のみならず社会経済的,文化的に大きく異なる英国の事例を,
わが国にそのまま移入することは難しい。しかし,諸外国の取り組みから政策の選択肢や課題につ
いて示唆を得ることは非常に重要である。中でも,世界に先駆けて SEN という枠組みを採用し,そ
の支援制度を導入した事例として,英国は特に重要な参考事例であるといえる。
⑵政策の概要
1981 年法の施行以前,英国では障害児教育と特殊学校への就学は等閑視され,これを受ける基準
として 2 歳児の健康診断が利用されていた。しかし 1981 年法によって,SEN に対する普通学校で
の支援を地方教育当局(Local Educational Authority,以下 LEA)に義務付け,支援を受ける基準と
して,健康診断から独立して行われるアセスメントを設定した。このアセスメントは LEA の判断
に基づいて開催され,医師はもちろんのこと,心理士,保護者や教員,その他必要な担当者の合議に
よって行われるものである 6。
アセスメントの結果 SEN があると判断されると,SEN や必要な支援の内容が明記された判定書
(statement)が作成される。判定書の内容を含め,アセスメント結果は保護者に通知されるが,保護
者は国務大臣に異議を申し立てることも可能である 7。ただし,国務大臣が LEA に対しアセスメン
トの見直しを要求する事は可能であるが,LEA がこれに従う義務はない 8。
⑶先行研究の検討
下記で検討するように,SEN 支援教育を実効的な制度としたのは 1993 年法である。しかしこれ
までは 1981 年法が中心的な検討課題となり,1993 年法に関しては普及過程の分析と,SEN コーディ
ネーターの分析に留まっている。
真城(2010)が指摘するように,プリッチャード(D.G. Pritchard)による研究以降,英国ではほと
んど障害児教育史研究がなされていない 9。一方で,わが国において英国障害児教育を理解しよう
とする研究者によって,盛んに研究が行われてきた 10。例えば,落合によって 1981 年法の失敗が明
らかにされている。ウォーノック報告や 1981 年法が,子ども全体の 20 パーセントに SEN が存在す
ると想定したにも関わらず,実際に判定書が作成されたのは 2 パーセント程度と,勧告を遥かに下
回っていたというのである。この原因として落合は,1981 年法に LEA に対するチェック機能が存
在しない問題を指摘している 11。また新井は,障害,貧困問題を含めた学習困難問題への対応とい
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う視点から SEN 支援を分析している。そして 1960 年代以降の学習困難問題対策が,関係機関や専
門家との連携重視という特徴を有していた事を指摘し,1981 年法はそうした連携のための機能が削
減されたまま施行されていると指摘している 12。
上記のように,1981 年法に関する分析は国内で多く蓄積されてきた。一方で 1993 年教育法以降
の制度的研究は,新井(2011)による学習困難問題に対する学校内での対応と,教員の専門性からの
分析に留まっている 14。また,この時期の SEN 支援教育に対する英国での研究は,施行細則によっ
て設置された SEN コーディネーターの職務内容の検討を中心として展開し,職務範囲の広さ 15 と
SEN に対する一般教員の理解不足 16 が指摘されている。
また,クロール(P. Croll)とモーゼス(D. Moses)は SEN 支援教育実施過程における LEA 間の差
異に注目し,LEA の意思決定方法が影響を及ぼしていることを指摘している 17。そして SEN 支援
教育に関する LEA の判断はイデオロギー(ここではインクルージョンへの圧力)だけでなく,使用
可能な手段の大きさや保護者の希望などのプラグマティズム(実践的意思決定)の影響を受けてい
ることを裏付けている。さらにクロールとモーゼスはインクルージョンという長期目標よりも,子
どものニーズという短期指標が優先される傾向があることを指摘している 18。その上で,長期目標
であるインクルージョンを達成するための基本方針を作成した LEA では,目標が達成されると指
摘した。しかし,これらの研究は普及過程に焦点が当てられており,1993 年法そのものについて,
内包する課題が明らかにされていない。
上記のように,SEN 支援教育研究のほとんどが 1981 年法を対象として行われているが,次で指
摘するように SEN 支援教育が実効力のある政策として展開するのは,実質的に 1993 年法以降であ
る。すなわち,英国における SEN 支援教育制度を理解するためには1993年法を理解する必要がある。
しかし 1993 年法に関する研究は,SEN コーディネーターなど職員の職務範囲に関する研究がその
多くを占めており,
制度的研究は法律の紹介と普及過程の分析に留まっている。そのため本稿では,
1993 年法の審議過程を分析することにより,SEN 支援制度を具体的に実行するにあたって,いか
なる問題点が指摘されていたのかを明らかにする。
2. 政策の制定・導入過程
本節では,障害児に対する公教育の提供がいかに展開してきたか,英国政府の政策から明らかに
する。英国では,1893 年の盲および聾児に対する教育義務化を端緒として,1970 年教育法による最
重度障害児に対する教育免除措置の禁止 19 まで,障害児教育の量的拡大が目指されてきた。
こうした方針が転換する契機となったのが,1978 年ウォーノック報告とそれを受けた 1981 年法 20
である。本節では,⑴ 1978 年ウォーノック報告及び 1981 年法,⑵ 1993 年法による理念の実現⑶
2001 年特別な教育的ニーズと障害法と労働党政権による SEN 支援の量的拡大⑷才能児教育の展開
を概観する。
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英国における特別な教育的ニーズ教育に関する研究
⑴ウォーノック報告の提出と 1981 年教育法の制定
1970 年教育法による最重度の障害児に対する教育免除の禁止を受け,法律上すべての障害児が教
育を受けることが可能になった。しかし,障害の種類によって異なる法律で定められていたこと 21
による重複障害への対応困難や,デンマークを発信地としたノーマライゼーション運動等の影響な
どを受け,1973 年 11 月に障害児(者)教育調査委員会 22(Warnock Committee)が設置された。この
委員会は,報告書内で「障害の種類に関わらず,全ての障害児のための教育的支援の検討を行うこ
とを(中略)委任された委員会である。
」23 と自ら述べている通り,発達・学習障害を含めたあらゆる
種類の障害を視野に入れ,包括的な障害児教育制度の検討を行うことを目的としていた。
当時,教育科学大臣であったサッチャー(M. H. Thatcher)およびスコットランド省,ウェールズ
省各大臣の共同諮問 24 により設置された委員会は,オックスフォード大学聖ヒューズ・カレッジの
主任研究員であったメアリー・ウォーノック(H. M. Warnock)を委員長に据え,1974 年からその活
動を本格化させた。翌 1975 年から 1977 年 5 月にかけて 4 つの小委員会を中心に実地調査を重ねる一
方,委員会には 200 以上の機関・関係者から要望書が届けられた 25。そして 1978 年 5 月,ウォーノッ
ク報告を下院に提出する 26。
ウォーノック報告が行った勧告は 225 に及ぶが,その特徴は以下のように整理できる。第一に
SEN 教育の提唱 27,第二に SEN 教育実施に関する責任者としての校長の役割明記とそれを保障す
るための LEA と教育科学省(当時)の責任明記 28,第三に多機関協働,特に医療当局(area or
district health authority)と社会福祉当局(social service department)との連携 29,第四に普通学校
での障害児者受け入れと地域単位での連携の提示 30,第五に学齢期外の子供・若年者への支援 31,第
六に SEN 教育を担うための教員養成・研修の整備 32,第七に研究体制の整備 33 第八に保護者の権利
と責任の強調である 34。
ただし,本報告を受けた 1981 年法は,英国病と呼ばれた歴史的大恐慌の影響もあり予算が付かず,
結果的に失敗に終わったと評される 35 が,公的文書において初めて SEN を取り上げた点,教育の質
的な充実を障害児教育の論点として取り上げたとして,度々研究対象として取り上げられてきた。
この 1981 年法は,財政難のために 1983 年まで施行延期となる。
⑵ 1993 年教育法による理念の実現
1982 年のフォークランド紛争以降,勢いを増したサッチャリズムの影響は教育政策にも及んだ。
この間 SEN 教育では,教育改革法によるナショナル・カリキュラムの除外規定と,1993 年教育法の
制定という 2 点の変更が行われた。
サッチャー政権の教育政策を象徴するのが,教育改革法 36(Education Reform Act 1988)である。
この教育改革法によるナショナル・カリキュラムの導入によって,端緒に付いたばかりの普通学校
における SEN 教育が阻害される可能性が指摘された 37。しかし,カリキュラムには配慮事項が定
められており,施行規則や校長の判断といった基準に基づき,弾力的施行が可能であった。さらに,
1981 年法に従って作成された判定書はナショナル・カリキュラムに優先することが定められていた 38。
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すなわち,ナショナル・カリキュラムはその制定当初から SEN に配慮していたことが指摘できる。
また 1993 年教育法第 3 部において,教育改革法との整合性を図るため,さらには 1981 年以降指摘
されてきた課題を解消することを目的として 39,1981 年法が改正された。その特徴は以下の通りで
ある。第一に,SEN に関する実施綱領作成を政府に義務付けたこと(157・158 条)40,第二に特別な
教育的ニーズ審判所(Special Educational Needs Tribunal, SENT)の設置に伴う親の不服申立制度
の抜本的改革(177・181 条)41。そして第三に翌 1994 年の施行規則による SEN コーディネーター
(Special Educational Needs Coordinator, SENCo)の設置である 42。
SEN 支援制度は社会福祉,医療など教育外のセクターとの関わりが大きいだけでなく,自助グ
ループなど私的部門が果たす役割が伝統的に大きく,こうした部門との協力関係を保持しながら煩
雑な情報を整理し,保護者へ提供を行う担当者が必要であるとされてきた。ウォーノック報告にお
いても,
「ネームド・パーソン」としてこうした調整役の必要性が提言されると共に,1981 年法審議
段階において最も優先すべき事項として繰り返し主張されたが,実現には至らなかった 43。そうし
た調整役として 1993 年法施行規則において,このネームド・パーソン及び SEN コーディネーター
が実現した。この SEN コーディネーターはわが国で 2007 年に行われた特別支援教育コーディネー
ター設置 44 に際しても参照されており,重要な先行事例といえる。
施行規則では,SEN コーディネーターについて「全ての普通学校において,次の事項に責任を有
する教員を指名する」45 と規定している。すなわち,学校における日常的な SEN 方針の実行,同僚
教員との連携の保持と助言,SEN を有する子どもの支援調整(コーディネート),学校における
SEN 登録簿の管理と SEN を有する生徒に関する記録の監督,SEN を有する子どもの保護者との連
携保持,教職員に対する研修の提供,教育心理サービスや他の支援機関,医療・社会福祉サービス
(medical and social service)
,
ボランタリーセクターなど外部機関との連携の7点である 46。ただし,
この SEN コーディネーターが英国において高い評価を受けているとは言い難く,職務範囲が不明
確であること 47 や周囲の教員の理解不足 48 などが指摘され,現在の SEN 制度における中心的な問
題となっている。
以上のように,
1993年教育法はウォーノック報告において勧告された多くの制度を実現するため,
多くの規定が盛り込まれたといえる。経済危機を理由として理念の提示に留まっていた 1981 年法
であるが 49,1993 年になって漸く実効的な政策となったと指摘することができる。
⑶労働党政権の発足と 2001 年特別な教育的ニーズと障害法の制定
1997 年 5 月 1 日,政権に返り咲いた労働党政権は,2001 年特別なニーズ・障害法 50(以下 SEND 法
とする)において保守党政権との違いを明確に打ち出したものの,制度の大枠については保守党政
権下で制定された 1981 年法,1993 年教育法と同様の方針を堅持した。
2001 年 SEND 法は保守党政権下で成立した 1993 年法,および 1995 年障害者差別法第 3,4 部を一
部とする形で成立した 1996 年教育法第 4 部の修正を目的としたものである 51。労働党政権は本法の
立案に先立ち,1997 年 9 月に白書「学校の卓越(Excellence in schools)」を発行,そのうち SEN 支援
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に関わる部分を緑書「全ての子どもの卓越(Excellence for All Children)」として改めて公表した 52。
この緑書に対しては 3600 以上の関係者等の意見が寄せられたと公表されている 53。
2001 年 SEND 法の特徴は,第一にインクルージョン条件の緩和である。保守党政権下の 1996 年
法では,SEN を有する子どもが普通学校へ就学する際,保護者の意向,効果的な教育,SEN 支援の
ための設備が学校に存在すること,財源の効率性という 4 つの条件を課していた。これに対し労働
党が主導した SEND 法では,このうち SEN 支援のための設備および財源の効率性に関する 2 条項
を削除することでインクルージョン要件を緩和している 54。
さらに第二点目の特徴として,保護者の不服申し立てに関する LEA の義務が増加した点が指摘
される。アセスメントの結果に対する保護者の不服申し立て制度について,教育雇用大臣(当時)に
対する上訴が行われて紛争となる以前に,LEA において可能な限り解決に努めるよう求めてい
る 55。
ジャクワ・スミス(J. Smith)副大臣(当時)は,特殊学校における高度に専門的な支援を保障する
と同時に,SEN を有する子どもに対しても学習到達度を注視する等,生活のあらゆる面,あらゆる
カリキュラムにおいてインクルージョンを推進すると明言した。さらに,保護者が普通学校を選択
しやすいよう配慮を行うとして,スクール・アクセス・イニシアチブを通じて普通学校への就学を
促進するための資金として,22 億ポンドの予算を確保すると発表した 56。
さらに,審議過程においてスミス副大臣は政権の教育政策の効果について以下の三点を主張した
とされている。第一に,特殊学校と普通学校の協議事項再検討の準備,第二に地方当局の意思決定
に保護者の意見を反映させると同時に,各保護者が必要としているアドバイスと支援の一層の強化
を目的とした保護者とのパートナーシッププログラムの推進を掲げた。そして第三に,教室活動向
上のため子供 1 人あたりの教育予算を 700 ポンド増加させたことである。同時に大臣は,教育改革
と教育基準の向上,機会平等の充実を政権の教育目標だと指摘したうえで,今後の課題について,
中学校の改善および,基準向上と機会均等の推進であると指摘した 57。
ここからも明らかなように,ブレア労働党政権は SEN に関する要件を緩和すると共に,一人あた
り予算の増加や保護者に対する支援拡大など,SEN 教育の量的拡大を推進している。これは,厳し
い基準を設けた保守党政権とは対照的な方針である。
⑷才能児教育への拡大
この一方,労働党政権は才能児教育を SEN 教育の一環として展開した。この才能児教育(gifted
and talented children education)は,政権に就く以前からトニー・ブレア(T. Blair)が主張してきた
ものである。ブレアは才能児教育を SEN の一環とすることについて,出自に関わらず能力に合っ
た教育を提供し,社会的公平・社会的統合に資すると主張,その推進を提案していた。
労働党が政権与党となった 1997 年,白書「学校における卓越(Excellence in Schools)」において,
公的文書として初めて才能児教育を提言すると,下院文教委員会に特別委員会を設置した。その報
告書「高度な能力を有する子供(Highly Able Children)」が 1999 年に提出されると,才能児教育諮問
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委員会(Gifted and Talented Advisory Group)を設置し,専門家による支援体制を整えた。これら
は「都市における卓越(Excellence in Cities)」政策として,SEN 教育の一環として展開した 58。
この方針は 2001 年白書「成功に到達する学校(School Achieving Success)」に引き継がれ,続く
2005 年「すべて者にとっての高度な基準,より良い学校:保護者と生徒のためのさらなる選択
(Higher Standards, Better Schools For All: More Choice for parents and pupils)」によって,「個に
応じた学習(Personalised Learning)
」として明確化された。すなわち,児童生徒個々の学力やニー
ズに対応した学習指導の重要性を指摘し,その一つの政策として才能児教育の拡充を促したのであ
る 59。
こうして展開された才能児教育の特徴として,植田(2012)は以下の 5 点を指摘している。第一に,
才能児教育がそれ以外の普通教育水準向上にも資することが前提となっていたことである。それに
より,社会経済的に不利益を被っている子供への支援を含めた支援として展開した。第二に教員の
役割を重視し,国の責任において研修を展開したことである。この研修は一般教員に対し提供され
るものと,才能児教育コーディネーターの養成のために提供されるものがある。第三に,学校内お
よび学校外の行政,専門機関,大学との連携を重視している点である。これは,第四点目として指
摘されている支援の多様性を確保することに繋がっており,他の SEN 支援教育の特徴でもある地
域連携と共通する。第五に,国家戦略として国が先導的に取り組んできた点である。これは従来の
英国において,私立学校やグラマー・スクールなど限られた学校でのみ,学力の高い生徒に対する
教育を行ってきたことと様相を異にすると指摘している 60。
以上のように,労働党政権は教育政策の重要な柱として,SEN 支援教育の一環に才能児教育を位
置づけた。すなわち,労働党政権は量的な拡大のみならず,その内容面においても SEN 支援教育の
拡大を図ったといえる。
⑸小括
本節では,1981 年以降,SEN 支援教育がいかに展開したかを概観した。保守党政権時代にその
基盤が整備された SEN 支援教育は,その開始とされる 1981 年法においては,当時の財政難を受け
て理念的提案に留まっていた。それが実効的な制度として整備されるのは,1993 年になってからで
ある。すなわち,英国における SEN 支援制度を理解するためには,1993 年教育法の理解を欠かす
ことはできない。
また 1997 年から政権を担った労働党政権は,保守党政権下で整備された SEN 支援教育政策の大
幅な改編は行わなかった。ただし,学校向上政策の鍵として SEN 支援に注目し,支援要件の緩和な
ど保守党政権との政策の違いを明確に打ち出す一方,SEN の枠組みの中に才能児を組み込んだ。
すなわち,量的にも内容的にも SEN 支援を拡大してきたことが指摘できる。
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3.1993 年教育法の成立と安定的な SEN 支援制度の補償をめぐる議論
⑴法案審議の概要
1992 年 10 月 30 日,ジ ョ ン・メ ー ジ ャ ー(J.R. Major)首 相 の 推 薦 の 元,ジ ョ ン・パ ッ テ ン(J.
Patten)教育科学大臣,ケネス・クラーク(K. Clarke)家庭大臣ら 7 名の大臣・政務次官の連名 72 に
よる 1993 年教育法案(1992 年第 71 番法律案)の審議が開始された 73。一般的な法案と同様,本法案
も下院における審議が先行して行われ,採決保留のまま翌 1993 年 3 月 8 日には上院での審議が開始
された。そこで動議により,修正案(上院修正案)が提出され,他の修正案と共に 1993 年 7 月より下
院における再審議が行われている。ここで,政府より上院修正案すべてに反対するという動議が提
出され(政府修正案)たことで,上院修正案を支持するウィン・グリフィス(W. Griffiths)議員らと
論争となる 74。ここで課題となったのが,1988 年教育改革法によって設置されていた国庫補助学校
と,LEA が主導する SEN 支援制度の関係である。
⑵国庫補助学校の自律性と SEN 教育の保障
この論争は,最終的に政府修正案が採用され,1993 年 7 月 23 日 75,5 部 308 条と 21 の付表からなる
1993 年教育改正法(以下,1993 年法)が成立した。本法の下 1994 年に提出された 1993 年教育法施行
規則によって SEN コーディネーターが設置される。その特徴は第 1 節で既に述べた通りである。
発端となったのは,上院における一連の修正案(上院修正案)であった。修正案第 178 番,第 188
番から第 193 番,さらに第 196 番,第 199 番,第 209 番は,地域の学校全てを対象とした支援計画策定
権限を LEA に付与することを含んでいた 77。下院への差し戻し審議において,与党保守党は上院
修正案に反対した(政府修正案)
。その趣旨は,SEN 支援における LEA の権限を学校への助言の
み に 留 め る こ と で あ っ た。 特 に 争 点 と な っ た の は,保 守 党 が 導 入 し た 国 庫 補 助 学 校(Grant
Maintained School)78 における SEN 支援サービスに対し,LEA がどこまで介入すべきかという点
であった。すなわち,SEN サービスの計画を LEA が主導することに対し,国庫補助学校の自律性
を損なうものとして与党から懸念が提出されたのである。パッテン教育大臣は下院において,
「政
府は国庫補助学校の精神に完全に反する,こうした条項〔上院修正案:筆者注〕を受け入れることは
できない。」79 として批判し,上院修正案を受け入れない姿勢を明確にした。
こうした政府修正案に対し,グリフィス議員は「それ〔上院修正案による SEN 支援制度:筆者注〕
は国庫補助学校の自律性に影響を与えない。」80 として,LEA に SEN 支援計画の義務を課すことが,
国庫補助学校の自律性を侵害するとした大臣の主張に反論した。
大臣は,上院修正案の意図は,地域の SEN 支援計画の枠組みを LEA 作成することによって,支
援の実効性を担保するところに修正案の意図があると反論している 81。また,スピーリング(N.
Spealing)議員によって,国庫補助学校が SEN を有する生徒の入学を拒む懸念が指摘された 82。さ
らにポープ(G. Pope)議員からは,国庫補助学校は LEA 単位で行われる SEN 支援の枠組みに対立
しないとの主張 83 がなされるなど,政府修正案では国庫補助学校における SEN 支援の保障がなさ
れないとして,多くの批判が提出された。
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こうした批判に対しフォース副大臣は,国庫補助学校が SEN 支援情報を含む情報提供義務を有
しているため問題ないとして反論した 84。さらに政府として,国庫補助学校に対し SEN を有する
子どものアクセスを拒むことのないよう働きかけを行うとし,政府修正案の採択に理解を求めてい
る 85。結局のところ,議論は結論が得られないまま政府修正案が押し切られた。すなわち,LEA は
国庫補助学校に対する SEN 教育計画策定権を付与されず,他の国庫補助学校に関する事項と同様,
助言を行うことのみが認められたのである。
以上のように,1993 年教育法審議過程において,LEA による補助と国庫補助学校の自律性が問
題化していたことは明らかである。すなわち,SEN 支援に限定し,国庫補助学校に対しても LEA
のチェック機能を実行可能とする上院修正案は,下院において政府の反対にあい,廃案となった。
代わりに成立したのは政府修正案であり,LEA の権限は国庫補助学校の経営者と互いに助言しあ
う機能に留められたのである。
4. 考察と課題
SEN 支援政策の制定・導入過程の整理から明らかになったように,英国における SEN 支援政策
が本格的に展開したのは 1981 年よりも 1993 年法以降である。本稿では,この 1993 年法の審議過程
を分析対象とすることで,国庫補助学校の自律性と SEN 教育の保障とのバランスが課題とされて
いたことを明らかにした。
LEA から自立し,直接国の管轄となることを目的とした国庫補助学校という政策であったが,一
方の SEN 支援教育は地域ごとのネットワークを基盤とし,LEA に多くの責任と権限が課された。
そのため,国庫補助学校における SEN 教育について,いかにして安定的な保障を実現するかという
点が問題視された。上院においては SEN 支援保障を優先させ,SEN 支援教育に限り,国庫補助学
校に対する LEA の介入を認めるとする上院修正案が可決された。しかしこの上院修正案は,下院
において国庫補助学校の独立を優先させた政府修正案と対立し,廃案となった。すなわち,たとえ
(普通教育ではなく)SEN 支援教育に関する事項であったとしても LEA の介入が学校の自律性に
影響を与えることについて,根強い反発が政府内に存在した可能性が指摘できる。
しかし,学校の自律性に関する懸念が SEN 支援政策に影響を与えたと結論付けるためには,次の
ような課題が残されている。第一に,国庫補助学校の性質である。国庫補助学校は,労働党の影響
が強い地方当局から学校を独立させ,保守党による政策の実行を容易にする目的があった。そのた
め,政治的背景による反対があった可能性がある。これを明らかにするために,保守党内部での議
論を検証する必要がある。第二に,保守党が優勢である上院において,いかにして LEA の権限を
拡張することになる上院修正案が可決されたのかという点である。これら 2 点を今後の課題とした
い。
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【註】
1 ここで「英国」とは,イングランドを意味する。
2 A. Perrie and G. Head, “Martians in the playground: researching special educational needs”, Oxford Review of
Education, Routledge, Vol.33, No.1, 2007, pp.19-31., P. Croll and D. Moses, “Pragmatism, Ideology, and Educational
Change : The Case of Special Educational Needs”, British Journal of Educational Studies, Routledge, Vol.46, No.1,
1998, pp.11-25. など。
3 Education Act 1981, C.60. “An Act to make provision with respect to children with special educational needs”.
4 新井英靖「イギリス特別支援教育史の構想~第二次世界大戦後の『学習困難』問題と特別支援教育改革~」,『日英
教育研究フォーラム』,第 6 号,2002 年,99-108 頁,大城英名「英国における特殊教育の新動向」,
『世界の特殊教育(ⅹ)』
国立特殊教育研究所(特別支援教育研究所),1996 年,33-42 頁,真城知己「19 世紀イギリス肢体不自由教育史研究序
説」,『千葉大学教育学部研究紀要』,第 58 巻,2010 年,1-8 頁,田中耕治「特別な教育的ニーズのアセスメントと判定
書―教育・保健・社会福祉各サービス内での手続き―」,『世界の特殊教育(Ⅵ)』,1992 年,63-94 頁などを参照。
5 DES, SPECIAL EDUCATIONAL NEEDS: Report of the Committee of Enquiry into the Education of
Handicapped Children and Young People(The Warnock Report), H.M.S.O., 1978.
6 Education Act 1981, C.60. 第 5 条 1 項。
7 Ibid., 第 5 条 5 項,同 7 項。
8 Ibid., 第 5 条 10 項。
9 真城,前掲論文,2010 年,第 4 頁および D.G. プリッチャード,岩本憲監訳「障害児教育の発達:十八世紀から二十
世紀まで」,黎明書房,1969 年など。ただし,英国においても一部 J. Welton and J. Evans, “The development and
implementation of special education policy: Where did the 1981 act fit in?”, Public Administration, Vol.64,
summer, 1986, pp.209-227. などの研究が行われている。
10 矢野裕俊『「ウォーノック報告」に見る改革への道』,日本盲人福祉研究会,1980 年,新井英靖,『英国の学習困難児
に対する教育的アプローチに関する研究』,風間書房,2011 年など。
11 落合俊郎,「〈資料〉国連『障害のある人の権利条約』が特別支援教育に与える影響について―権利条約に則った就
学相談とは―」,
『広島大学大学院教育学研究科付属特別支援教育実践センター研究紀要』,第 7 号,2009 年,35-48 頁。
12 新井,前掲書,2011 年,156-169 頁。
14 新井,前掲書,2011 年。
15 L. Abbott, “Northern Ireland Special Educational Needs Coordinators Creating Inclusive Environments: An
Epic Struggle”, European Journal of Special Needs Education, vol.22, no.4, 2007, pp.391-407. および D. B. Male and
D. May, “Stress, burnout and workload in teachers of children with special needs”, British Journal of Special
Education, Vol.24, Issue3, pp.133-140.
16 Abbott, ibid, S. Pearson and S. Ralph, “The identity of SENCos: insights through images”, Journal of Research
in Special Educational Needs, Vol.7, No.1, 2007, pp.36-45., K. F. Poon-McBrayer, “Implementing the SENCo system
in Hong Kong: an initial investigation”, British Journal of Special Education, Vol.39, No.2, 2012, pp.94-101., および J.
Oldham and J. Radford, “Secondary SENCo learership: a universal or specialist role?”, British Journal of Special
Education, Volume 38, Issue 3, 2011, pp.126-134.。
17 P. Croll and D. Moses, 前掲論文,1998, pp.11-25。
18 P. Croll and D. Moses, “Continuity and change in special school provision: some perspective on local education
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46
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 62 集・第 2 号(2014 年)
authority policy-making”, British Education Research Journal, Vol.26, No.2, 2000, pp.177-190.
19 Education(Handicapped Children)Act 1970, C.52.
20 Education Act 1981, C.60.
21 1893 年盲・聾児に対する教育の義務化,1914 年知的障害児,1918 年肢体不自由児に対する教育の義務化を経て
1944 年教育法(バトラー法)第 8 条にて 11 種(盲・弱視・聾・難聴・虚弱・糖尿・教育遅滞・てんかん・不適応・肢体不
自 由・言 語 障 害,1959 年 障 害 児 童 生 徒 お よ び 特 殊 学 校 規 則(The Handicapped Pupils and Special Schools
Regulations)により糖尿が虚弱に統合)の障害カテゴリーが定められた。ここでは地方教育当局(Local Educational
Authority, 以下 LEA)に対しそれぞれに適切な支援と教育を行うことを義務付けた一方で最重度の障害を持つ子ど
もに対しては例外的に教育義務の免除が認められていた。しかし 1970 年教育法においてこれが禁止となった。
22 正式名称は障害児者教育調査委員会(the Committee of Enquiry into the Education of Handicapped Children
and Young People),通称ウォーノック委員会(Warnock Committee)。
23 DES, op.cit, p4.
24 Ibid., p1. また,社会福祉労働大臣の後援も得ていた。
25 Ibid., pp.367-379.
26 この間に 1976 年教育法が成立,第 10 条によってウォーノック委員会の報告を待たずに教育におけるインテグレー
ションが開始されるかと思われた。しかし同年 11 月 2 日の閣議で IMF からの 23 億ポンドに及ぶ借款が決定され,
1976 年教育法は施行停止となる(梅川ほか,2010 年,142 頁)。また 1977 年には「グレート・ディベート」が行われ,
教育に関し幅広い議論が巻き起こるが,ウォーノック報告に対する影響は明らかにされていない。梅川正美,阪野
智一,力久昌幸『イギリス現代政治史』,ミネルヴァ書房,2010 年。
27 DES, op.cit, 3.17-3.42.
28 Ibid., 3.31, 4.10-69, 6.14-15, 7.21-48, 8.26-61, 12.61-79, 13.3-31, 14.12-38.
29 Ibid., 4.48-71, 8.40-63, 9.31, 15.10-51, 16.5-47.
30 Ibid., 4.43-71, 7.32-36, 8.9-73, 11.36-70, 12.61-79, 13.3-31, 14.31-38.
31 Ibid., 5., 10.
32 Ibid.,, 8.71-73, 12.6-79, 16.21-26.
33 Ibid., 4.76-78, 18.
34 Ibid., 4.70-74, 9.27-38.
35 真城知己「イギリスにおける特別なニーズ教育をめぐる制度的課題:1993 年教育法以前の地方教育当局の『判定
書』作成における課題」,大阪教育大学聴覚言語障害児教育教室,『障害児教育研究紀要』第 19 巻,1993 年,37-50 頁
および新井英靖「英国 1981 年教育法の『統合教育』に関する研究―1981 年教育法の審議過程にもとづいて―」,『関
東教育学会紀要』,2004 年,1-11 頁。
36 Education Reform Act 1988, C.40.
37 緒方登士雄「英国の障害児教育の現状-インテグレーションを中心に-」,
『世界の特殊教育(IV)』1990年,90-96頁。
38 篠原吉徳「イギリスおよびアメリカ合衆国(テネシー州)における学習に困難を示す子どもの教育について―アセ
スメントから指導まで―」,『世界の特殊教育(Ⅶ)』,国立特別支援教育総合研究所,1993 年,5-6 頁。
39 1981 年法は,実際には財政難を理由として 1983 年まで施行が延期されている。
40 河合康「イギリスにおける特別な教育的ニーズをめぐる親の不服申し立て制度」,『上越教育大学紀要』,第 17 巻
第2号,1998年,675-686頁および落合俊郎「今後の特別支援教育の在り方について(中間まとめ)に関する一考察」,
『障
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47
英国における特別な教育的ニーズ教育に関する研究
害児教育実践センター研究紀要』第 1 号,2003 年,85-96 頁。
41 河合,前掲論文,1998 年および落合,前掲論文,2009 年。
42 大城,前掲書。
43 新井,前掲書,2011 年。
44 文部科学省通知第 125 号(2007 年(平成 19 年)4 月 1 日)によって,校長は特別支援教育コーディネーターを指名す
ることとされた。
45 DfE, Code of Practice on the Identification and Assessment of Special Educational Needs, London :Central
Official of Information, 1994.
46 Ibid.
47 Abbott, op.cit.
48 S. Pearson and S. Ralph, op.cit. および K. F. Poon-McBrayer, op.cit., J. Oldham and J. Radford, op.cit. など。
49 新井,前掲書,2011 年。
50 Special Educational Needs and Disability Act 2001, C.10.
51 Ibid., p1.
52 “Parliamentary Page”,‘British Journal of Special Education’, Vol.25, No.2, 1998, p94.
53 Ibid.
54 河合康「イギリスにおける『2001 年特別な教育的ニーズ・障害法』の内容と意義―『1996 年教育法』の修正に焦点
を当てて―」,『上越教育大学紀要』,第 21 巻第 2 号,2002 年,675-690 頁。
55 河合,前掲論文,2002 年。
56 “Parliamentary Page”, British Journal of Special Education, Vol.28, No.2, 2001, p99.
57 Ibid.
58 植田みどり,「イギリスにおける才能児教育」,『比較教育学研究』,第 45 号,2012 年,68 頁。
59 植田,前掲論文,69 頁。
60 植 田,前掲論文,66-79 頁。ただし,才能児教 育 と し て 支 援 を 行 う 子 供 の う ち 3 分 の 2 を 学 業 能 力(academic
ability)の高い子供とすることを指定しており,従来の政策との相違についての評価は慎重でなければならない。
72 パッテン(J. Patten)教育科学大臣,クラーク(K. Clarke)家庭大臣の他,へセルティーン(M. Heseletine)貿易経
済大臣,ハント(D. Hunt)ウェールズ担当大臣,ワルドグレイブ(W. Waldegrave)ランカシャー王族公領司法官,
フォース(E. Forth)政務次官,ナイジェル・フォーマン(N. Forman)政務次官の連名である。
73 997 H.C. DEB, 1980-1981, Feb.2, Education Bill, c.230. および 212 H.C. DEB, 1992-1993, “Her majesty’s government”.
74 232 H.C. DEB, 1992-1993 による。
75 1993 年 7 月 23 日に下院での差し戻し審議が終了した。女王の採択(Royal Assent)は同 7 月 30 日である。
77 上院修正案の内容は以下の通りである。
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東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 62 集・第 2 号(2014 年)
表 1 修正案の内容
修正案番号
内 容
第 178 番
国庫補助学校の経営者は,年一度 SEN に関する情報提供を行うこと.
第 188 番
LEA に対し,支援の計画と見直しを義務付け.
第 189 番
LEA は,要求があった範囲に留まらず,より広い支援の可能性を探らなければならない.
第 190 番
学校は SEN を有する子どもがアクセス可能か否かを監査委員会に開示する.
第 191 番
LEA に SEN 分野に特化して,重要な計画を作成する役割を付与.
第 192 番
保育学校に関する規定.
第 193 番
判定書のない子どもに対する支援に備えること.
第 196 番
LEA が提供する SEN に関する備品,サービスを国庫補助学校でも使用できることを,LEA が保障するこ
とを義務付け.
第 199 番
LEA と国庫補助学校の関係規定.
第 209 番
LEA は SEN 支援に関し,国庫補助学校の経営主体に対して指導を行う.
(出所:229 H.C. DEB, 1993, July. 19, Education Bill, c.97-98 から筆者作成.
)
78 国庫補助学校は 1988 年教育改革法によって設置されたもので,LEA から離脱し,国の予算で経営される。学校
の自律的経営を認める点に特徴がある。
79 Parliamentary debates(official report)House of Common, 5th, Vol. 229(1993), July.19, Education Bill,
colmn95.
80 Ibid, c. 98.
81 Ibid, c. 98-99.
82 Ibid, c. 95.
83 Ibid, c. 102.
84 Ibid, c. 97.
85 Ibid, c. 112.
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49
英国における特別な教育的ニーズ教育に関する研究
Special Needs Education in England :
Focusing on The Education Act 1993
Akiha IIDA
(Graduate Student, Graduate School of Education, Tohoku University)
The feature of special educational system in England is "Special Educational Needs(SEN)”
on behalf of “Disorders”. The Starting point of using SEN in public documents was Warnock
Report in 1978. On the other hand, Education Act 1981 that was made under the Report, only
indicated a new policy of special education. But what indicated specific policies for the first time
was Education Act 1993. This paper shows that the House of Lords protested different systems
from a system protested by the Government. The Lords protested systems that have strong
LEA to implement equity of special education on Grant Maintained schools. On the other hand,
the Government protested Lords' systems will encroach to autonomy of GM schools in the House
of Common. To the finally, the Houses can't find an compromise answer, and adopt the system
protested by the Government.
Keywords:The Systems of Education for Children with SEN in England, Special Educational
Needs, Local Education Authority, Autonomies of Schools, The Education Act 1993.
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