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多国籍製薬産業とグローバルスタンダード
立命館国際地域研究 第39号 2014年 3月 3 <論 文> 多国籍製薬産業とグローバルスタンダード ― アメリカにおけるブロックバスターモデルの確立と知財支配 ― 関 下 稔 Transnational Drug Companies and Global Standards SEKISHITA, Minoru Pharmaceutical industry is one of the biggest industries in the world. Drugs are the fastest growing part of health care bill. Big drug companies are one of the most profitable and giant companies. The nine U.S. drug companies listed in the Fortune 500 had a medicine profit on 16% in 2004, compared with just over 5% for all the industries listed. Big drug companies have many blockbuster drugs, which usually define as a drug with sales of over a billion dollars a year. The pharmaceutical industry lifeblood is goverment-conferrred monopolies in the form of patents granted by the U.S. Patent and Trademark Office(USPTO)and exclusive marketing rights granted by the Food and Drug Administration(FDA). The two forms of exclusivity operate somewhat different. Marcia Angel in her bestseller book, The Truth About the Drug Companies in 2004, shows a bias to make me-too drugs as its major product, to use its massive marketing muscle to promote them relentlessly, to charge prices as high as it can get away with, and act as if it puts short-term profits and everything. The development part of R&D is itself divided into two stages. The preclinical stage has to do with finding promising drug candidates and then studying their properties in animals and cell cultures. Only the small fraction of drug candidates that make it through preclinical development go on to be tested in humans. The clinical stage of drug development is regulated by the FDA. By law before a company can sell a new drug, it must prove to this agency that the drug is reasonably safe and effective. The proof usually requires a series of clinical trials, which are divided into three phases. Phase Ⅰ entails giving the drug to a small number of usually normal volunteers to establish safe dosage 4 関下 稔:多国籍製薬産業とグローバルスタンダード levels and study its metabolism and side effects. If the drug looks promising, it moves into Phase Ⅱ, which involves as many as a few hundred patients with the relevant disease or medical condition. The drug is given at various doses, and the effects are usually compared with those in a similar group of patients not given the drug. Finally, if all goes well, Phase Ⅲ clinical trials are undertaken. These evaluate the safety and effectiveness of the drug in much larger number of patients(hundreds to tens of thousands), and they nearly always involve a comparison group of patients. Drug companies usually obtain a patent on a new drug before clinical testing begins, because it is difficult to keep information about the drug secret after this point. Keywords:Bayh-Dole Act, Me-too drugs, Block-buster drugs, Food and Drug Administration (FDA), Drug trials キーワード:バイ・ドール法、ゾロ新薬、大ヒット薬、米国食品医薬品局、臨床試験 序説:巨大多国籍製薬企業の謎の解明 医薬品の世界は謎に包まれている。この産業は一方では人間の生命と健康に関わる、崇高と もいうべき特別な役割を担いながらも、他方では巨額の売り上げと莫大な利益をあげている、 時代の先端を行く花形産業の一つでもある。しかも産業の裾野は広く、製薬とその販売を中心 にして、最先端医学知識を駆使した新薬開発などの研究開発活動とその成果を基にした知財化、 医療機器の製造と販売、病院などの医療機関やその仕事に従事する人々のおこなう各種医療 サービス業務、さらにはその養成機関や付属機関とそれらの管理・運営、また医療保険業務な どにまで手を伸ばせば、社会保障問題までが射程に入るし、高齢化社会の到来とともに、長寿 と健康維持のための運動ならびに食品に関わる問題や、さらには老後を送る施設や年金なども 緊要な課題として盛んになってきており、これらを総合すると、多種多様な部門と分野に跨が る、いわば「医療コングロマリット(複合体)」1)とでもいうべき一大複合産業がそこには現 れてくる。加えて政府・行政との親密な関係も強く、その癒着振りがとかくの噂に上るような 産業でありながらも、その実態が判明しない、はなはだ透明性に欠けるものでもある。したがっ て、その本当の姿は外部には容易に窺い知れないところがある2)。筆者は謎めいたこの業界の 実態を、主に医薬品を対象にして解明したいと常日頃念じているが、直ちにそのすべてを扱う ことができないので、ここでの筆者の主な問題意識を最初に列挙しておこう。 まず第 1 に創薬と呼ばれる新薬の開発には莫大な開発費用と膨大な人的資源の投入と多大の 時間が必要になる。というのは、新薬はアメリカを先頭とする先進諸国においては「物質特許」 立命館国際地域研究 第39号 2014年 3月 5 と呼ばれる独特のシステムによって唯一無二のものとして保護されていて、競争上排他的な、 事実上の独占商品になるから、そのために巨額の研究開発資金を投入してでも是非とも成功を 収めたいと、新薬の発見=開発に各社が血道をあげるからである。加えて、これを新薬として 市場化するには、病気や怪我を負った人体への確かな効能と副作用などの弊害の心配のない安 全性が客観的に証明されなければならず、そのため、三度にわたる臨床治験をパスし、政府機 関による承認をえなければならない。それには長い年月が必要になる。しかもその上で、医師 や病院によって実際に使用されるようになるには、猛烈な売り込みが必要になり、それにも多 くの手間暇がかかる。したがってそれらが見事成果に結実せずに、多年の努力が水泡に帰して しまうこともしばしば起こりうるので、大変リスキーな産業でもあり、その負担に耐えられる 企業力が求められる。もちろん見事画期的な新薬の開発に成功すれば、それは「ブロックバス ター」―映画業界で使われている、爆発的な大ヒット作品の意味からの援用で、年間 10 億ド ル以上販売される薬品―として、長期にわたるヒット薬品になり、開発した製薬会社のドル箱 として君臨し、当該企業の興隆に大いに貢献することになる。そして各社はこの画期的な新薬 の開発に鎬を削っている。それが製薬業界における競争の独特の性格である。だから新薬開発 は製薬会社の成功の帰趨を決める鍵を握っているともいえよう。 第 2 にこの「物質特許」であるが、物質(化合物)としての唯一無二の客観的存在が証明さ れなければならないが、そこに特許の根拠=存在意義を見いだし、そのことを権威ある公的な 機関(政府機関)が承認するという独特の特許の方式をとっているが、このやり方は極めて特 異である。この世界では特許方式として、これとは異なる「製法特許」と呼ばれる、新薬の製 造方法に根拠を置く考えもあり、歴史的には両者が一方では競い合うと同時に、他方では併存 もしてきた。もちろん、そこから両者の調整(ハーモナイゼーション)も試みられたが、上で 述べたように、先進国では物質特許が頂点に君臨し、製法特許は特許期間が切れた後に、ほぼ 同一の薬品を異なる製法で生産することが許されているのみである。これを「ジェネリック」 (後 発医薬品)という言葉で呼んでいる。これらは先進国の世界で通用しているものであったが、 それが共通のスタンダードとして、今日では世界全体に一般化されている。しかし、製法特許 を長い間採用してきた国は、インドなど途上国においてしばしば見られた。それは、物質特許 をいわば一種のパブリックドメイン(共通に無償で利用可能なもの)において、そこからの製 法を競い合うことによって、より科学的で効果的で経済的な新薬の開発が可能になり、そのこ とが薬品価格を引き下げる効果を持ち、それは低所得国の国情に合致しているからである。そ うすると、他社が開発した新製品の模造品を安価な費用で生み出し、低価格で販売することが できることにもなる。いわば模倣化のメリットの享受である。しかしそうすると、先駆者(パ イオニア)の努力が徒労に帰してしまいかねない。そこで新薬開発の先頭を切ってきた巨大製 薬企業の年来の主張である、物質特許を最優先にするシステムが世界的な、いわばグローバル スタンダードとして確立され、世界中に普及、強制されていくことになった。 6 関下 稔:多国籍製薬産業とグローバルスタンダード しかし物質特許には不明な部分が多い。物質としての特性に依拠する限り、そこには何らか の新たな物質(化合物)の創造なり、発見なりがあること、そして唯一無二のものであること が証明されなくてはならない。しかしそれを証明することは簡単ではない。そのため、公的機 関によって、申請の際に提出された膨大な資料を基にして、第一級の権威たちを総動員した検 証と検討がおこなわれ、最終的に認められてはじめて承認の運びになる。こんなことが本当に 常に可能なのであろうか。手加減やお手盛りの承認が横行しないだろうか。重大な過誤が起こ らないといえるだろうか。実際、政府、研究者、政治家、企業を巻き込んだ贈収賄合戦や政治 的パワーゲームがあちこちで展開され、場合によってはデータの捏造や虚偽の申告や剽窃など までが発生して、一大スキャンダルになったりすることもある。しかも、一方では製法特許を 否定しておきながら、ひとたびブロックバスターが生み出されると、「ゾロ新薬」と呼ばれる 類似薬品、関連薬品、改良薬品をその周辺に張り巡らして、これらの関連・改良品を含めたセッ トでの一括販売やシリーズ化を使ったバージョンアップ戦略による継続的な販売を展開して、 事実上の特許期間の長期化による独占化を目論むことになる。そして基本特許以外の周辺特許 の網の目を幾層にも張り巡らして、他社の模造品が参入できないようにがんじがらめに固めて いる。これらが製薬業での知財支配と利益原泉の基本である。 第 3 にグローバリゼーションの進展はこの産業にも浸透している。新薬開発の先頭を切り、 グローバルな規模で営業活動を展開している巨大製薬企業はことごとく多国籍企業でもある。 むしろ多国籍に跨がる新たな天然素材の探査とその安価な供給元の発掘、世界中から優秀な人 材を集めた新薬開発活動、安価な臨床治験施設とその治験を受けるかなり多くの被験者の低人 件費での提供、外部化の一環として製薬活動の一部を専門的に担う地場企業の存在、大衆化さ れた既存薬の販売市場等々、グローバルにしか事実上展開できないものである。それらが必然 的にグローバルな巨大製薬企業を生み出したといえよう。そうすると、一方では物質特許を確 保し、ブロックバスターを抱えた世界的な巨大製薬会社の寡占体制を確立させることになるが、 それだけではなく、他方では地場企業との広範な提携関係を進めることも必要になり、そのた め多重的なネットワークの形成がグローバルに敷設されていく。また物質特許を頂点にしつつ、 それと製法特許とのハーモナイゼーション(棲み分け)もこれら先進国巨大製薬企業ばかりで なく、途上国の地場企業や先進国の中小製薬企業や専門企業との生産上の結合関係の観点から も、必要不可欠になる。たとえば、インドの製薬会社は自社の低価格医薬品をアメリカを先頭 とする先進国で大量に販売しようと目論んでいるからである。あるいは創薬活動は回避して、 ジェネリックに特化して大衆的な安価な医薬品を提供する企業や、検査や基礎研究や中間加工 などに秀でた専門会社・機関がその広範な裾野として必要になるからである。かくして、グロー バル化は双方の利益になる。しかもこのグローバリゼーションには共通のスタンダードやルー ル作りが土台―TRIPs 協定(知財)と GATS(サービス)がそのための国際ルールを敷いた― にあるため、その調整機関としての WHO(世界保健機関)などの国際機関が、表面的には行 立命館国際地域研究 第39号 2014年 3月 7 司役を、しかし実際にはよりよき秩序維持という名目の下に、先進国本意の特定スタンダード やルールの押しつけ役、さらにはルール違反者への制裁措置を含めた監視機関として登場する ことになる。そうすると、これらの機関の場で南北間の利害対立とその調整が図られることに もなる。 最後にそもそも製薬産業に着目した理由は以下の事情にある。現代における資本の運動を 「知 識資本」の台頭、闊歩、支配という面から解明することが筆者の年来のグランドテーマである。 20 世紀の最後の時期に情報・通信における革新(IT 化)が急速に進行し、モノ作り(製造業) からコト作り(知財=サービス化)への一大旋回が開始され、折からの社会主義体制の崩壊も あって、グローバリゼーションが急激に進展する中で、さらに世界中に波及していった。そこ では従来からの経済法則に加えて、知財を中心において、グローバルスタンダード、ネットワー クの経済性、企業間提携(外部化)、モジュラー(組み合わせ)型生産システム、知識労働、 オフショアリング、ブランド、多分野・多産業に跨がるクロスボーダー M & A、グッドウィ ル(知財からの利潤) 、above the line と below the line(利益への参与度合い)、グローバル なバーチャル企業、知財型「ニューモノポリー」などの新しい概念や様相が次々と登場してき た。とりわけ、知財による独占を「ニューモノポリー」と位置づけ、それを資本の運動の今日 的な態様として、その独自性と残余のものの包摂・突出化を解明するのが、筆者の宿願である。 その点では、製薬産業は多くの新しいことを提供してくれる。創薬という研究開発に依拠し、 知識労働(科学技術)者の集団的創造活動―いわばコラボレーション―に基づく知識資本の運 動を中心にしながら、それは最終的には薬品という物的な財貨に結実して具現化される。ここ では新価値の創出とその価値の実現、つまりはコト作りとモノ作りとが同一企業内で結合され ている。従来のモノ作り(製造業)は新価値創造の前提として研究開発活動が位置づけられ、 それは具体的な製造過程の中に埋め込まれ、画期的な新商品として出現して、活発なマーケティ ング活動に後押しされて市場での競争に勝利することを目指してきた。機械化と大量生産の発 展はやがて過剰生産傾向を生み、生産(新価値創出)から販売・マーケティング(価値実現) へと重心が移っていった。いかにしてよいモノを安く作るかから、いかにしたら消費者の望む、 売れるモノを作るかへの重心の移動である。だが今日、科学・技術のより一層の発展と、その ことに促迫された競争の激化、そして分業の進化は、マーケティング主導的なモノ作りから、 さらにコト作り(研究開発過程)への重心移動、そしてモノ作り(製造過程)からの分離と自 立化を、やがてはそれを突き抜けて研究開発過程の決定的で主導的な役割変化へまで進行して いる。それは IT 技術、ゲノム、ナノテクなどによって代表され、これらを産業化した知財型 企業に巨額の利益(グッドウィル)を与えることになる。製薬業はまさにその寵児である。し かもここでは特許と専一的販売権という「二重の独占」が政府によって保証されて、その上、 国際機関を巻き込んでグローバルスタンダードにまで昇華されて、ブランド力に依拠した猛烈 なマーケティング活動の展開によって、ブロックバスター薬品として世界の隅々にまで行き 8 関下 稔:多国籍製薬産業とグローバルスタンダード 渡っている。まさに現代を象徴する総合的な産業であり、それは知識資本―正確には「知識取 り扱い資本」―全体の解明への貴重な材料とヒントを提供してくれる。 筆者の問題意識は現代における多国籍製薬産業のダイナミックな実態を探り、その支配の仕 組みと膨大な利益(グッドウィル)の獲得と本社への集積と世界的な拡大の真相を解明するこ とにあるが、当面、本稿ではその中心に位置するアメリカにおける新薬開発(創薬過程)に焦 点を当てて、その特有の論理構造を明らかにしていきたい。ところで筆者が、研究上の参入障 壁が高いこの分野にあえて潜入しようと考えたのは、これまでの製薬産業の研究に少なからず 不満を抱いているからである。その一つは、秘密主義が横行していることもあって、製薬会社 サイドに都合のよい論理をあたかも「科学的」研究成果であるかのように装って披瀝する、業 界に阿るものが多すぎることである。これでは知りたいことが得られず、国民を納得させるこ とは到底できないだろう。もう一つは、客観的な資料の裏付けができにくいこともあって、紋 切り型ないしは常識的な製薬会社「悪玉論」が幅をきかせていることである。イージーな手法 ではあるが、これではことの真相には近づけないだろう。したがって、この両者の空隙を埋め たいというのが、筆者の密かな狙いである。 1.アメリカにおけるブロックバスターモデルの確立:創薬過程 製薬産業は巨大な産業であり、そこではグローバルに活動し、かつ君臨する巨大多国籍製薬 会社の支配的な役割が突出している。それらは本拠をことごとく先進国に置いている(第 1 ∼ 3 表)。その背景にはいろいろの要因があるが、主なものをあげると、医学を始め近代科学が最 初にこれら先進諸国で花開き、今日でもその先陣を切っていること、近代的な医薬産業の経験 第 1 表 世界の医薬品売上高上位 11 社(単位:100 万ドル、%) 順 順 12 11 メーカー名 2012 年 国名 前期比 1 ファイザー 2 2 ノバルティス 3 3 メルク 4 5 ロシュ スイス 40,514 8.1% 9,332 5 4 サノフィ フランス 39,328 −5.1% 6,288 6 6 グラクソ・スミスクライン 英 34,934 −3.9% 6,410 7 7 アストラゼネカ 英 27,925 −15.3% 5,243 8 8 ジョンソン&ジョンソン 米 25,351 4.0% 9 10 アボット・ラボラトリーズ 米 23,133 3.1% 10 9 イーライ・リリー 参考 14 12 武田薬品工業 2011 年 R&D 費 全売上高 医薬品 1 11 13 テバ製薬工業 米 医薬品 前期比 R&D 費 全売上高 51,214 −11.3% 7,870 58,986 57,747 −1.3% 9,112 67,425 スイス 46,732 −2.5% 9,041 56,673 47,925 14.1% 9,583 58,566 米 40,601 −1.7% 8,168 47,267 41,289 3.7% 8,467 48,047 49,785 36,439 −7.6% 7,632 45,253 46,182 40,607 5.2% 6,041 43,235 42,694 34,293 −5.1% 6,045 42,321 27,973 32,981 1.4% 5,523 33,591 5,362 67,224 24,368 8.8% 5,138 65,030 4,322 39,874 22,435 12.8% 4,129 38,851 米 20,567 −9.0% 5,278 22,603 22,608 4.3% 5,021 24,287 イスラエル 18,535 11.1% 1,356 20,317 16,689 5.5% 1,095 18,312 日 16,317 3.2% 3,775 18,128 17,556 7.2% 3,642 19,495 出所:セジデム・ストラテジックデータの調査による。 9 立命館国際地域研究 第39号 2014年 3月 が長く、人的資源を始め、研究開発や技術やノウハウ等がこれらの国の企業に多く蓄積されて いること、先進諸国が医薬品、医療機器、医療関連施設、そして医療サービスの巨大消費市場 になっていること、しかも巨額の資本の調達と運用が可能な金融市場が存在し、それを基に株 式会社システムに基づく企業経営のグローバルな規模での展開の実績に裏付けられているこ と、さらには政府による特別の支援や手厚い保護が加えられてきたことなどである。これらが 相まって、製薬産業の先陣をこれら先進国に本拠を持つ巨大製薬会社が切っている。 さて製薬会社の生命線はブロックバスターと呼ばれる大ヒット薬品を多く持っているかどう 第 2 表 世界の大型医薬品売上高ランキング 2012 年(単位:100 万ドル) 順 製品名 一般名 主な薬効/クラス 関節リウマチ メーカー 1 ヒュミラ アダリムマブ 2 レミケード インフリキシマブ リウマチ/クローン病 J&J /メルク/田辺三菱 アムジェン/ファイザー/ 武田 2012年 前期比 9,603 17% 9,071 1% 8,476 7% 8,216 4% 3 エンブレル エタネルセプト 4 アドエア/ セレタイド サルメテロール/ 抗喘息薬(配合剤) GSK /アルミラル フルチカゾン 5 クレストール ロスバスタチン 高脂血症/スタチン 塩野義/アストラゼネカ 7,430 − 6% 6 リツキサン リツキシマブ ロシュ/ 非ホジキンリンパ腫他 バイオジェン・アイデック 7,227 − 2% 7 ランタス インスリングラルギン 糖尿/ サノフィ インスリンアナログ 6,555 19% 8 ハーセブチン トラスツズマブ 乳がん ロシュ/中外製薬 6,444 11% 9 アバスチン 転移性結腸がん 10 ジャヌビア 11 ベバシズマブ 関節リウマチ アッヴィ/エーザイ シタグリブチン/ 2 型糖尿病/ DPP4 配合剤 ディオバン/ バルサルタン/ ニシス 配合剤 降圧剤/ ARB ロシュ/中外製薬 6,307 6% メルク/小野薬品/ アルミラル 6,208 22% ノバルティス/イプセン/ UCB 5,793 17% 12 プラビックス クロピドグレル 抗血小板薬 サノフィ/ BMS 5,277 46% 13 サインバルタ デュロキセチン SNRI /抗うつ他 イーライリリー/塩野義 5,107 20% 大塚製薬/ BMS 5,105 7% 14 エビリファイ 15 リピトール アリピプラゾール 統合失調症 (経口) アトルバスタチン 高脂血症/スタチン ファイザー/アステラス他 16 スピリーバ チオトロピウム COPD /抗喘息 ベーリンガー・I / ファイザー 17 グリベック イマチニブ 抗がん剤 ノバルティス 5,028 54% 4,707 13% 4,675 4% ノボラピッド/ 糖尿/ 18 インスリンアスパルト ノボ・ノルディスク ノボミックス インスリンアナログ 4,436 19% 19 リリカ 神経疼痛/てんかん ファイザー/エーザイ 4,320 13% 抗喘息薬 4,314 28% プレガバリン シングレア/ 20 モンテルカスト キプレス 出所:第 1 表と同じ。 メルク/キョーリン 10 関下 稔:多国籍製薬産業とグローバルスタンダード かにある。したがって新薬開発=創薬活動が決定的に大 事になる。そこでまず最初に創薬過程に関して考えてみ よう。そこでは、新奇素材の探査・発見、既存薬の徹底 第 3 表 パテント切れによる 大幅減収 6 品目 (単位:100 万ドル) 製品名 的な研究・調査、野心的で独創的な新製品開発プロジェ リピトール クトの設定、膨大な研究開発資金、優秀な研究スタッフ の集積、そして長期にわたるたゆまぬ努力が必要になる。 その結果生み出された新製品は、まず唯一の物質として の特性―これを化合物自体の化学組成に対する「物質特 許」(substance)と称する―を持たなければならず、こ れが基本特許として確立される。その上で、その周りに 関連した周辺特許(①有効成分の効能に関する「用途特 許」 (method)、②製造方法に関する「製法特許」 (process)、 ③ 最 終 製 剤 へ の 加 工 工 程 に 利 用 さ れ る「 製 剤 特 許 」 (formulation)、さらに④それ以外の、たとえば化合物 の塩や結晶多形に関する特許などを総称して)3)による 2012 年売上 減収額 5,028 −5,832 プラビックス 5,277 −4,452 セロクエル 3,135 −3,052 ジプレキサ 1,734 −2,962 レクサブロ 1,380 −2,593 アクトス 1,521 −2,486 18,075 −21,377 小計 (注)2012年にパテント切れによって、 前期比 20 億ドル以上の減収額 6 品目。減収額合計 213.8 億ド ルは世界 10 位のイーライ・リ リーの医薬品売上高 205.7 億ド ル(第 1 表)を越えていて、こ れらがジェネリックに消えたこ とになる。 出所:第 1 表と同じ。 補強を加えて、薬品製造の上流から下流までの各段階に 跨がり、そして中核から関連までの各分野を横断する、いわば全領域・全段階を包括するもの に仕上げて、 新製品の一大特許体系を構築する。特許の付与が可能であるためには、その「発明」 に「有用性」(useful)(何らかの実用的な便益がある) 、「新規性」(novel)(既存の発明とは 相当違っている)、「非自明性」(non-obvious)(概念上の飛躍がある)があることが求められ る4)。そして USPTO(The United States Patent and Trademark Office, 米国特許商標庁) が特許権を付与し、FDA は排他的販売権を付与する。 その意味では、製薬の世界は、特定新薬を唯一無二のものとして保証する特許権と、その特 権を得たものに排他的・専一的販売権(正確には臨床試験のデータに保護を与えているのだが、 実質的には医薬品自体への独占権と同じ意味になる)を与えるという、「二重の独占」(これを 指摘したのは、マーシャ・エンジェルの慧眼だが5))の上に巨大製薬会社の優位性と、したがっ て支配が成立しているものだが、それは、両者がダブルスタンダードとして併存・対抗し合っ ていることを必ずしも意味しない。実質的には審査・監督官庁である後者の FDA が新薬承認 の最終的な決定権を握っているのであって、その意味では前者の特許権を基礎にして、その上 に排他的販売権―しかも臨床試験データへの保護を新薬の販売権に読み替えて―を上乗せして がっちり固めて、より強固で万全なものに作り上げられている(販売できる薬は FDA の「オ レンジブック」と呼ばれる膨大なカタログに記載されている) 。極めて特異な姿である。とい うのは、通常の製造業の場合、特許権で守られているとはいえ、類似品は自由に作れるのであっ て、それが特許権の侵害になるかどうかは裁判の場での判断を待てばよい。ところが、製薬の 立命館国際地域研究 第39号 2014年 3月 11 世界では、特許期間中は類似品・関連品を作って販売すること自体が他社には禁じられており、 極めて強固な独占状態にある。ただし、両者の期間は同じではなく、特許が排他的販売権より も長いが、そこでは排他的販売権が切れても特許が続いている限りは、FDA はジェネリック を承認しないという強引かつ狡知な方策を採っている。このことに FDA の上位性が端的に表 現されている。 次にそれが他社によってリバースエンジニアリング(他社製品を解体、分解などして、構造、 性能、開発方法を分析する方法で、半導体の設計図を逆周りに解読して、より容易に同一物を 作ることに成功したことが始まりとされる)の手法を用いた、より廉価で開発、製造できるジェ ネリックが生みだされると、パイオニア(先駆者)の優位性が短期間に崩れる恐れがある。そ こで、優位性を維持し続けるために、基本的には上の物質特許とその周辺特許の、一大特許体 系によって排他的で独占的な所有を堅持―必要なら裁判に訴えてでも―しつつ、かつその特許 期間をできるだけ長くしようとする。同時に、他方ではこうした事態への対応として、パイオ ニアの主導下でのこれらジェネリックを生み出す後発会社の包摂化という、もう一つの対応策 をも加味するようになる。いわば両面戦略への転換である。というのは、物質特許ではなく、 製法特許をとるところでは、同じ新薬を異なる製法で作り出すことは合法であり、そのために、 上のリバースエンジニアリングを使って物質特許を得た製法を解読して、それをより安価で容 易な製法で開発しようと工夫を重ねるからである。そうすると、物質特許に依拠した新薬開発 は万能なものではなく、製法特許によって、より短期間に、より安価な費用で、効能の変わら ないものを作り出すことが可能になり、その結果、新薬開発に成功した企業の先発優位を切り 崩すことになるからである。いわば模倣による先駆者の不利化と後発の優位が出来することに なる。それを避けるには、上で見たように、新薬は何らかの物質的な新規性に依拠しており、 唯一無二の新たな物質(化合物)だという特性の証明を必要不可欠な条件とすることである。 それによって、製法特許に依拠した模倣化は新薬に関してとれなくなる。この特別な筋立ては、 巨大製薬企業の支配するアメリカでまず作り上げられ、さらにそれと同根の企業が支配する ヨーロッパや日本などの西側先進諸国に広げられ、それらを包括する共通の仕組み=ルールに なった。 しかしながら、インドなどでは製法特許を基本的にとっていて、この世界の原理の外側にい た。これはインドにおける薬の値段に反映されていて、インド人患者にとっては、それは合理 的なものである。しかしそれが世界に蔓延すると、物質特許に囲まれ、新薬が高額な先進国に とっては一大脅威になる。そこで国際機関なども利用して、是非とも物質特許の世界にインド を取り込まなければならない。そしてまた物質特許が支配的な国際社会では、インド側も製法 特許は特許期間の期限切れにならないと使えないため、それを廉価な期限切れのジェネリック 製品として、アメリカ国内のジェネリック会社よりも安くアメリカに売り込みたいし、また新 薬開発のための臨床試験の場(臨床施設)とヒト(被験者)をインドで安く引き受けたい。そ 12 関下 稔:多国籍製薬産業とグローバルスタンダード のため、膨大な失業者群が滞留しているところでは、被験者になることは、格好の一時的―事 実上は恒常的―な収入の獲得になり、場合によっては兵士になるよりも安全で気楽なものだと いった逸話すら蔓延するようになった。そしてそれらを積極的に引き受けるための施設や環境 を整える地方州政府が現れてきた。こうした事態を「脱プロレタリア化」―つまりはまっとう な労働者にすらなりえない―として、今日のグローバル世界における途上国の貧困の底辺にあ る嘆かわしい状況だと、ラジャン6)は鋭く告発している。 そこで、両者のハーモナイゼーションということになり、そのための妥協が図られることに なる。1984 年の「ハッチ・ワックスマン法」は特許期間の延長を望む国内のパイオニア企業と、 期限切れの新薬を廉価に製造・販売したいジェネリック企業との間の妥協の産物だと見られた。 事実、ジェネリックの承認プロセスは大幅に簡素化され、かつ臨床試験をおこなう必要がなく なった。しかしそれと引き替えに、パイオニア企業には特許期間の延長を可能にする様々な特 権が用意されていた。したがって両者を勘案すると、それは、本来は製法特許であるジェネリッ クを物質特許の支配下に副次的なものとして包摂―つまりは同一標準化―する道を通じてなさ れていくことになる、パイオニア企業本位のシステムだと見ることができよう。 さて新薬を見事生み出すと、早速に特許申請をおこなうことになるが、そのためには動物実 験でまず確かめてから、それを少数の健常者を対象にした「第Ⅰ相臨床試験」 (Phase Ⅰ)と 数百人の患者を対象にした「第Ⅱ相臨床試験」(Phase Ⅱ)によって有効性を確かめ、さらに 多数の患者を対象にして安全性と有効性を確かめる「第Ⅲ相臨床試験」(Phase Ⅲ)の、合計 三度にわたる臨床治験にかけて、その安全性と確かな効能が証明されなければならない7)。こ うして、問題ないとなると、市場への投入という段取りになる。そこで今度は、病院や医院で 実際に医師が採用するかどうかの熾烈な売り込み合戦が始まる。そのため、試験的な先行投与 として懇意の医師に無料ないしはリベートまがいの支援金―たとえばコンサルタント料や講演 料といった名目での―や各種便益の供与付きで使用するように働きかけたりする(これを「市 販後臨床試験」 (post-marketing)もしくは「第Ⅳ相臨床試験」 (Phase Ⅳ)とも呼ぶ8))。そ していよいよ実際の販売になるが、それがうまくいくと、処方薬(prescription)からその一 部は大衆的な市販薬―このときにゾロ新薬も使われる―になり、さらに広告宣伝などを使って、 著名度を高める努力がなされ、大ヒット品がその中から生まれることになる。 以上概要を見た、製薬業の開発と売り込みの過程を批判精神旺盛に魅力的に描いたマーシャ・ エンジェルの『ビッグ・ファーマ』は、 巨大製薬会社(「ビッグ・ファーマ」 )の大ヒット薬品(ブ ロックバスター)とその継続的な販売による支配システムの維持・強化という、巨大製薬会社 の「錬金術」を大要以下の 4 点にまとめている。 第 1 は「ゾロ新薬」(業界用語であり、英語では me-too drug)という、より低コストでの 類似薬・改良薬―だから「まがい薬(copycat drug)」と揶揄されることもある―を作って事 実上のヴァージョンアップと大衆化を図っていき、特許の継続的維持を目論むことである。こ 立命館国際地域研究 第39号 2014年 3月 13 のゾロ新薬を端的に説明すると、物質特許を保有している会社が化学構造式を少し変えて新薬 を作る方法であって、特許切れになった薬品を化学構造式を変えずに、別の会社が製造販売す る「ジェネリック薬」とか「コピー薬」、 「後発医薬品」と呼ばれるものとは異なるものである9)。 しかも実際には画期的新薬よりもゾロ新薬のほうが圧倒的に多いことは、物質特許保有会社の 技術革新能力が特段に優れているわけではないし、それが常に生まれるわけでもないことを物 語っている。むしろ一度獲得した新薬の物質特許を最大の武器にして、周辺部分を含めた全体 としての支配力=シェアの維持に主眼を置こうとする寡占的な体質のほうが前面にでがちであ る。というのは、画期的な新薬を生み出すには、膨大なエネルギーが必要になり、また FDA の承認を得るにも多大の時間がかかるからである。そして何よりも、現在では研究と成果の膨 大な蓄積によって、画期的な新薬はもはやごく希にしか生み出されないからである。 第 2 には新薬の創造において、最新の科学知識と優秀な人的スタッフの多年にわたる切磋琢 磨と莫大な研究開発(R&D)投資の投入が大切なことは言うまでもない。だが新薬が市場で 成功するかどうかの決定的なポイントは、むしろセールスプロモーションなどのマーケティン グ活動にあると見ている。それは、マーケティングコストのほうが R&D 経費よりも多額なこ とに端的に現れている。そういうと、誰もが訝しげに感じるだろう。だがその秘密は、なんと このマーケティング費用の中に多額の政治工作費(ロビング活動費)が潜りこまされているか らである。このことは、図らずも新薬の認定には多額の「袖の下」が必要になることを物語っ ている。そうすると、閉ざされた世界の中で、許認可権をもつ政府官僚、その「科学的な」根 拠(お墨付き)を与える高名な科学者、 それを小耳に挟んで絶好の出番と考える政治家、それに、 それらを仲介するフィクサー―ロビイスト―などが製薬会社の多額のロビング活動費を食い 漁っている姿が浮かんでくる。これはアメリカの場合、薬の許認可は FDA(食品医薬薬品局) の管理下にあり、専門家(第三者)による検討を経て FDA の長官が決定を下し、それを最終 的には議会が承認するという、特別の方法を採用しているからである。 第 3 に実際の創薬過程においては企業単独ではおこなわず、大学や研究機関との共同でおこ なったり、その一部を委託ないしは受託したりしている。その背景には、新薬の開発がますま す複雑かつ高度になり、多分野・多部門に跨がる学際的な研究が求められるようになったこと、 そのため膨大な研究開発費を注ぎ込み、多数の研究者が専門的に従事しなければならなくなっ て、企業が単独でおこなうことが事実上困難になり、多くの専門機関との提携や役割分担がな されるようになったことなどがある。それに加えて、 「バイ・ドール法」 (1980 年)の成立 10) によって、大学や研究機関など本来は非営利な機関がその成果を私有化して、知財としてのビ ジネス展開をおこない、巨額の使用料=利益を得ることができるようになって、企業と大学・ 研究機関との産官学協同を大いに進めることになったという事情がある。さらに「ハッチ・ワッ クスマン法」 (1984 年)によって、特許期間の延長が多々図られるようになった。こうしたこ とは企業と研究機関との共同・協力関係ばかりでなく、これを介して、両者の相互依存関係か 14 関下 稔:多国籍製薬産業とグローバルスタンダード ら、さらには癒着をも生み出すようになった。たとえば NIH(National Institute of Health, 国立衛生研究所)は医学研究に対して巨額の政府資金の配分をおこなっている機関だが、その 助成金を使って大学がおこなった研究からの成果で研究者自らが特許を取り、それを製薬会社 にライセンスを供与して、特許使用料を稼ぐことができるようになった。以前なら税金でおこ なわれた研究の成果は公共の財産であり、使用したい会社は自由に使うことができた。第二次 大戦終了直前に、ルーズベルト大統領によって政府が果たす科学への役割について政策提言を 依頼された大統領科学顧問のヴァネヴァー・ブッシュが、『科学―終わりなきフロンティア』 という報告書を提出(1945)11)した。その基本精神は、政府による支援は基礎研究に限るべきで、 実用志向の応用研究は民間に任せるべきだというところにあった。それが長いことアメリカの 基本的な科学振興の基本に座っていたが、バイ・ドール法によって 180 度転換されることになっ た。医学のみならず、科学の多くの分野で大学の研究者が自らの研究成果を実用化するための ベンチャー企業を起こしている。製薬においては新薬開発の初期段階をこれらベンチャー企業 が担い、その後、新薬を市場に出す力をもつ製薬会社へのライセンス供与で巨額の利益を得て いる。他方、製薬企業は「二重の独占」によって保護された新薬の販売によって多大の利益が 得られる。かくして公的な研究投資が少数の参与者―共同での知的な成果の達成に参加し、か つ利益の配分に与る者(利益参与者)を above the line といい、単なる給与・賃金の支払いに とどまる者を below the line として峻別するのが、映画などを先頭とする知財が関与する産業 での定型になっている―の私的な利益(公金私益の蔓延)へと見事化けることになる。この「錬 金術」を合法化したのがバイ・ドール法であった。 第 4 に証券化、金融化の進展は金融市場での多額の資金調達を可能にさせたばかりでなく、 知財化・サービス化と結びついて、資産価値を高めて、企業の売却や買収、つまりは M&A を 広範に展開するようになった。それによって、多くの知財を保有して、かつ資金の潤沢な巨大 製薬会社は、優良な企業の買収や、あるいは大型合併を進めて、戦略上必要な自社の補充や相 互補完=提携強化を実現できるようになった。これはいやが上でも巨大製薬会社のグローバル 化と一層の巨大化を促し、ますます寡占企業として業界に君臨するばかりでなく、関連分野へ の進出を強めて、一大「医療コングロマリット(複合体) 」として周囲を睥睨し、この業界一 帯に盤踞するようになった。そして企業への莫大な額の資本蓄積と少数経営陣への飛び切りの 高収入をもたらしている。その点では高額の税控除による低税金支払いや、受託機関を活用し た外注化によるコスト削減と効率化の実現、そして好業績による株価の高め誘導、さらに各種 の会計操作(原価計算の工夫、損金・引当金を使った費用扱いの計上、内部留保の積み上げなど) もおこなわれている。わけても薬が高価であることを説明するために、莫大な R&D 経費がか かる素振りをしているが、その実態はブラックボックス化されているため、不明の部分が多く、 また最大項目が「その他」となっていて、その実、そこに何が含まれているかがわからない(政 治工作費の一部も含まれているとエンジェルはみている) 。しかも実際は利益のほうが R&D 立命館国際地域研究 第39号 2014年 3月 15 費よりも多く、十分過ぎるくらい収益力は高い。そして R&D 費よりも巨額でありながらも、 さらに内実の不明なマーケティング費は、何よりも公表されている金額よりも実額が遙かに多 いとみられ、そうすると、開示できない部分が膨大な額に上るだろうと推定される。このこと を執拗に追求し、大胆な試算をおこなっているマーシャ・エンジェル(世界最高峰の医学雑誌 『ニューイングランド医学雑誌』 (NEJM)の前編集長)の、長年培ってきた経験を生かした果 敢な挑戦は、瞠目に値する 12)。 ところで、このマーケティング費は名目上は、①テレビなどの直接広告費(多くはゾロ新薬 売り込み)、②診察室での医師へのセールスプロモーション費、③医師へのサンプル提供、④ 医学雑誌での広告に細分される。このうち特記すべきは第Ⅳ相臨床試験といわれる医師への直 接的な働きかけで、これが必要と認められるのは、当初になかった新たな用法が見つかった場 合の効果を見るのと、これまでわからなかった副作用やその他の特性の発見が考えられる場合 である。これは法令によって製薬会社に実施責任がある―債務試験といわれる―が、失うこと が多いと予想されるので、概して製薬会社は実施に消極的である。なお実施しなかった場合に は、FDA は市場から医薬品を回収する権限を形式的にはもっているが、実際には一度も行使 されたことはない。それではなく、むしろ圧倒的に多いのは、それ以外の売り上げを伸ばすた めの宣伝工作としての試験である。調査研究と呼ばれ、スポンサーが金を払って、患者に薬を 使ってもらい、使い心地について簡単な質問に答えてもらうというものである。そのために民 間の開発業務受託機関(CRO)に実施の代行を委託するケースが増えていて、実際には医師が その仕事を請け負っていることが多い。こうしたマーケティング活動が一人歩きすると、偽装、 腐敗、賄賂の横行、薬の飲み過ぎや多剤投与といった弊害が起きやすくなる 13)。 彼女は最後に全体を総括して、以下の 7 点の問題点を指摘し、同時にその改善策を 7 点あげ ている。①ゾロ新薬ばかり作っていて、画期的新薬は少ししかない。② FDA は規制するはずが、 製薬業界に隷属している。③製薬会社が臨床試験に干渉しすぎる。④特許や排他的販売権の期 間が長すぎ、しかもいくらでも延長できる。⑤製薬会社は自己の薬品について、医師への教育 に干渉しすぎる。⑥研究開発、広告宣伝、薬価算定に関する情報が公開されていない。⑦薬価 が高すぎ、かつ不安定である。そして改善の処方箋は、①ゾロ新薬から画期的新薬に重点を移 す。② FDA の独立性を高める。③臨床試験を監督する機関を作る。④独占販売権の制限化。 ⑤ビッグ・ファーマを医師の教育から排除する。⑥ブラックボックスの開放(情報開示)。⑦ 薬価を適正かつ全国共通にする 14)。一つ一つもっともな指摘であり、正当な政策提言である。 16 関下 稔:多国籍製薬産業とグローバルスタンダード 2.FDA による許認可過程とハーモナイゼーション 今度は許認可権限を握っている FDA(Food and Drug Administration, 食品医薬品局)その ものの内実に迫ってみよう。ここでは同じくジャーナリストのフラン・ホーソンが『FDA の 正体』15)という大部の本において、我々が熟知できないでいるこの機関の果たす役割について 詳細に解明しているので、それに基づいて、多少重複するが、詳しくみていこう。FDA は政 府機関であるが、謎に包まれた複雑な巨大組織で、よくわからないところが多い。歴史的には 1906 年に品質保証をおこなう機関として、食品医薬品法に基づいて、農務省の中に設置された。 その背景には、疫病の発生や汚染対策など新しい時代の社会的要請があったからである。その 後 1940 年に現在の保健福祉省(Department of Health and Human Services, HHS)の先行 機関に移管された。FDA 長官は特別に大統領によって指名された後、予算も含めて上院の承 認を必要とし、任期 6 年で、強大な権限を握っているため、一期限りに限定されている。そし て製薬会社はここでもっとも強力なロビー活動を展開している。主要な業務である品質保証は 有害性と安全性の両面から確認されていくことになるが、最近はこれに加えて、遺伝子操作等 の問題も出てきたため、倫理性までも求められるようになった。それが強化されるようになっ たのは、サリドマイド問題が発端になってできた 1962 年の「キーフォーバー・ハリス修正法」 で、「適切かつよくコントロールされた科学的研究」によって安全性と有効性を証明しなけれ ばならないという規定に加えて、有害事象を報告することの義務付け、薬のリスクに関する情 報の明記、ヒトを対象とする臨床試験では被験者にインフォームド・コンセント(告知を受け た上での同意)を得た場合にしか研究が実施できないことなどが付け加わることになった。 さて最重要の仕事の一つである新薬の承認過程だが、上でも述べたが、まず様々な疾患に効 く物質を探し出すことから始め、通常、二種類の動物を使った動物実験(前臨床試験)で確か める。その上で、研究用新薬申請(IND)をおこなう。そこでは臨床試験のプロトコル(臨床 試験計画表)を提出した上で、プレ IND ミーティングを実施するが、ここでは審査の難易が 異なるため、どの部局に当たるかが大事なポイントになる。そこで臨床試験(6 年)に入るが、 上のキーフォーバー・ハリス修正法で「適切かつよくコントロールされた試験」と規定されて いて、それに沿って厳格に審査された上で、最終的に FDA が判定を下すことになる。臨床試 験は三段階に分かれているが、第Ⅰ相は安全性を確かめるための少人数の健康ボランティアに よるもので、1 年くらいかかる。次に第Ⅱ相は有効性を確認するために数百人の患者によるも ので、2 年間。そして第Ⅲ相は安全性と有効性の双方を数千人を対象にして、3 年間かけてお こなう。ここでは半数に試験薬を投与し、残りの半数には対象薬を使って、効果の差を比較す る方法が採られるが、プラセボと呼ばれる一種の偽薬を組み入れたりして、心理的な効果も確 かめたりする。またこの過程はもっともやっかいで、性別、年齢別、人種別などによる効果の 違いを勘案したり、高容量のものを用いて意識的に効果が出やすくしたりする工夫も図られる。 立命館国際地域研究 第39号 2014年 3月 17 特に時間がかかりすぎる不満を解消するために、6 ヶ月以内に審査を終了させるというファー ストトラック(優先審査)を活用した迅速化もおこなわれるようになった。そこでは代替エン ドポイントと呼ばれる効果評価方法の工夫を用いて、有効性を直接にではなく、間接的に推定 したりする。また被験者一人あたり 1 万ドルから 3 万ドルもの高額の経費がかかる。そのため、 第Ⅲ相臨床試験の前にプレ第Ⅲ相ミーティングをおこなって、デザイン、統計方法、被験者の 適格基準、治療法、エンドポイントなどを確かめて、事態ができるだけスムーズに進むように する 16)。 その後で、いよいよ市販開始承認を当局に申請することになるが、それには 10 万∼ 20 万ペー ジもの書類を提出することになる。なおここまでに至るのが 10%ほどで、残り 90%は開発中 止に追い込まれるのが普通である。さて審査結果の回答だが、①不受理(検査意味なし)、② 不承認だが、承認可能通知(小さな問題点のみ)、③承認不可能通知(大きな問題点あり)、④ 承認、に分かれる。不承認の理由は、プロトコルに従っていない、臨床試験の結果が明確でない、 患者の改善がわずかしかないなどであり、不承認でもその後よりよいデータが出れば、再申請 の可能性が残されている。また審査官(化学者、薬理学者、統計学者、毒性学者、微生物学者) はそれぞれの専門に応じて分配された書類を基にして審査をおこない、各自、安全性(副作用、 死亡、データ脱落)と効果(エンドポイントの改善経過)をみる。そして数百ページの審査報 告書にして提出する。次の段階ではチームリーダーが 50 頁に要約して勧告をおこなう。最後 に局長が最終的な決定を下す 17)。以上が新薬承認の一部始終である。なおアメリカで薬品を販 売するには必ず FDA の承認を得なければならないので、世界中の製薬会社がこれをおこなう ことになる。なお安全性の確認では二種類の過誤が考えられる。第Ⅰ種過誤は FDA が承認し、 使用後にその薬が原因で恐ろしい身体的不調が起きることで、たとえばサリドマイドなどがそ の例である。第Ⅱ種過誤は FDA が承認せずに待機している間に助かるはずの患者が死んでし まうことで、エイズ治療薬の事例がそれに当たる。薬として承認すべきでないのにしてしまっ た第Ⅰ種過誤と、逆に薬として承認すべきなのにしなかった第Ⅱ種過誤の間の勘案は難しく、 実際に両者のせめぎ合いが絶えず起こっている。 以上その一端をみたが、新薬開発には平均して 12 ∼ 15 年かかり、合計 8 億 200 万ドル∼ 17 億ドルかかるともいわれている。物質特許に依拠して、こんなにも複雑、煩瑣、詳細かつ念入 りな過程と費用をかけてようやく新薬の承認にこぎ着けるが、そうなると、製薬会社は新薬開 発過程の合理化を工夫すると同時に、承認された新薬を是非ともブロックバスターにまで持っ ていきたいだろう。あるいは類似・改良品のゾロ新薬をその周辺で活用して補強し、投資資金 の回収を図りたくなるだろう。その点では、FDA を取り扱ったホーソンはその複雑、周到な 審査手順を披瀝して、どちらかといえば、製薬会社の新薬開発の手法とその力量そのもののほ うに問題があるのではとしているが、前節で見たエンジェルはむしろ製薬会社による審査への 過干渉と、ゾロ新薬の横行といった本道からの歪曲化にこそ問題ありとしている。そのどちら 18 関下 稔:多国籍製薬産業とグローバルスタンダード も傾聴に値するが、筆者はどちらかといえば後者のほうに軍配を上げたい。そしてそれよりも 筆者の率直な感想は、人間の生命と健康と長寿に関わる新薬の開発という、人類全体にとって 極めて大事な課題を民間企業が単独でどこまで引き受けられるのかという疑問が彷彿として湧 いてくることである。その課題に十全に答えるには、事態はとうに私的営利事業体のもつ限界 を超えてしまっていて、その枠には到底収まるものではないと慨嘆せざるを得ない 18)。 次に、前節でもみた物質特許と製法特許の摺り合わせ、新薬とジェネリックとのハーモナイ ゼーションの問題を、もう少し立ち入って考察してみよう。新薬承認プロセスにおける医薬品 の価格競争および特許期間の回復に関する「ハッチ・ワックスマン法」19)(1984 年)は、ジェ ネリックに生物学的同等性を認めることによって、ジェネリック薬の生産を促進する要因に なった。つまりジェネリック会社が特許失効前に申請し、暫定的な承認を得ていれば、失効後、 ジェネリック薬の販売が可能になるというものである。具体的には「オレンジブック」に掲載 されている特許が当該ブランド薬と一致しない場合、その旨をジェネリック会社がブランド会 社に通告する。ブランド会社は 45 日以内に訴訟を起こすことができ、それから 30 ヶ月はジェ ネリック薬は承認されない。その場合、最初に異議申し立てをしたジェネリック会社は、他の ジェネリック会社を押しのけて当該ジェネリック薬製造のための 180 日間の独占権―いわば勇 気ある挑戦者として―が得られる。これは第Ⅳの特許とも呼ばれていて 20)、具体的には第Ⅳ特 許申請の一番目の申請者(First to File, 先願者)になるという手続きを踏むことになる。 だがジェネリック会社に新たに与えられたこの権利と引き替えに、物質特許をもつブランド 会社に 5 年間の特許期間の延長を認めること、第 2 の使用法が承認されれば、さらに 3 年間延 長できること、また「市民申請願」を利用してジェネリックにたいして異議申し立てをした場 合には、30 ヶ月延長できること(1 回ごとに 30 ヶ月延長なので、これを悪用すると、何度で も延長できることになりかねない。さすがにこれは 2002 年に 1 回だけと限定されることとなっ たが)の便宜を与えた。さらに 1994 年には GATT/WTO ルールに合わせて、特許期間を 17 年 から 20 年に延長し、さらに FDA 近代化法(1997 年)で、小児におこなえば、さらに 6 ヶ月 延長できることになった。こうした延長への志向性がパイオニアとしてのブランド会社に強い のは、特許期間は 17 年間なのに、審査には上で見たように 10 年以上もかかってしまい、その 大半が失われることへの危惧からで、つまりは「FDA 審査に費やされた特許有効期間を承認 後に新たに回復させる」ためのものだという解釈も成り立つ 21)。だからこの主張者の評価は、 事態をブランド会社とジェネリック会社との妥協、折り合いだとみている。だが全体を通して いえるのは、第 1 にジェネリックの承認には、新薬承認申請(NDA)よりも時間がかかること、 第 2 に純正品としてジェネリック薬との競合がないため、価格が高止まりになること、第 3 に ブロックバスターになった古い特許に依拠して生きていける限りは、新薬を探求しようとはし ないことなどである 22)。したがって、例外はことごとく前者にのみ与えられる、その既得権の 維持・強化を図るものであって、圧倒的に彼らに優位なパワーゲームであった。しかも物質特 立命館国際地域研究 第39号 2014年 3月 19 許に唯一無二としての特権を与えているため、それを保有する彼らブランド会社の支配の網の 目にジェネリック会社が完全に包摂されることになりかねない。しかもそれを基礎に、さらに グローバルスタンダードへの道までが用意されていく。だから、 前節でみた物質特許(USPTO) と排他的販売権(FDA)という二重の独占がブランド会社に与えられ、その下で実質的に一元 的に統合・強化されていく強固な仕組みが作られているところでは、この FDA に最大の影響 力を持ち、事実上、自家薬籠中のものにしているビッグ・ファーマ(巨大製薬会社)のパワー は際立っていて、ジェネリックの包摂はいとも容易である。したがって、今度はこのアメリカ ンスタンダードを基礎に、それをグローバルスタンダードにして、さらに国際的な支配体制構 築を目指す、次の戦略が展開されることになる。 ところで、上の先願主義と、それとは対照的な先発明主義(First to Invent)との関係につ いて関説しておこう。パテントの世界ではアメリカは先発明主義をとってきたのに対して、ヨー ロッパや日本は先願主義を採用してきた。歴史的にアメリカは遠く離れたヨーロッパの「本来 的植民地」―一般に使われている、今日の途上国の多くが先進国本意の帝国主義体制下で宗主 国の支配下に呻吟していた非独立地域の意味とは分けて、西欧入植者による未開拓・未所有地 の新たな建設だという意味で、 「新定住地域」という言い方もされる―として出発したため、 資本不足、労働力不足、機械部品不足に悩まされてきた。そこで主に外資を活用した株式会社 形態による大量の資本動員、労働節約的な機械体系の採用と共通スタンダードに基づく部品の 互換性の促進、そして黒人奴隷を含む海外移民の積極的な受け入れによって、独特の国民経済 の型、いわば「自足型大陸国家」とでもいうべきものを築きあげ、世界の先頭を切るに至った。 したがって、イノベーションこそがアメリカの命綱であり、存続の起動力であるという考えが 根を張っている。そのため独創性を磨くことがイノベーションの原泉であるという精神に基づ いて、先発明主義に基づくプロパテント政策を―わざわざ憲法に明記してまで―採ってきた。 もっともそれは特許の抱え込みによって独占の弊害を生む危険があるため、年限を区切って排 他的使用権は認めるが、一定期間を経過したら、パブリックドメイン―公共財ともいう―とし て共通の利用に供するという妥協を図ってきた。したがって、それ以後は特許期間を延ばすか どうかを巡って綱引きがおこなわれてきたが、今日、知財の本流になっているコピーライト(著 作権)の世界ではどんどん長期化―つまり独占の継続―の方向に向かっている。もっとも先発 明主義は、別名「サブマリン(潜水艦)特許」とも呼ばれ、場合によっては何十年もたってか ら突然に自分の発明だという申請がなされたりして、現有特許所有者を慌てさせ、その対応に 追われるといったことがしばしば起こったり、あるいは裁判に訴えるために決着までに時間が かかったりした。しかもアメリカ以外の、ヨーロッパや日本などでは先願主義が採用されてい るため、それとの国際的なハーモナイゼーションを図ることが必要になり、その都度、国際的 な調整が図られてきた。上記の製薬に関しても物質特許を得るための先発明主義ではなく、製 法特許を組み込むための先願主義との調和やそれの部分的な採用が必要になる。このことは、 20 関下 稔:多国籍製薬産業とグローバルスタンダード グローバルスタンダードの確立には、背後にある国家のパワーが有力だとはいえ、それは絶対 的なものではなく、異なるスタンダードの調整・妥協―つまりは「コンセンサス方式」への収 斂―こそがもっと大切だということを物語っている。 さらに FDA は 2004 年に「クリティカルパス」と呼ばれる報告書 23)を出したが、その核心は、 これまで縷々述べてきた新薬開発の困難を解消し、時代の要請に答えられるようにするために、 FDA と製薬会社が協力して、迅速かつ適切に必要な新薬を創り出す合理的なシステムを開発 しようというものである。それにはクリティカルパスに沿った、安全性評価と医学的有用性の 評価と製品の工業化という三つの局面での取り組みと、それらの間の優先順位の設定が必要に なる。この取り組みは、最小の費用と最短の時間で新薬を生みだし、かつそれを承認させる科 学的で合理的な仕組みを創り出して、患者の要求に応えようとするもので、それ自体は、上で 見た、今日の創薬過程のデッドロックを突破するブレークスルーを共同・協力して作り上げよ うとする企図から出ている。しかしながら、透明性などが客観的に担保されない中で、規制さ れる(審査を受ける)側と規制する(審査する)側とが実際には事前に談合し合うような形に なると、その境界が曖昧になる危険が大いにある。事実、製薬会社の強力なロビー活動が事態 を過度の営利主義に走らせていく弊害があちこちで指摘されている。むしろ、製薬会社、消費 者団体、そして両者の間で行司役を勤める FDA(行政機関)のトライアングル関係の堅持こ そが、少数意見を含めた多様な意見の尊重、明確な自己主張、それぞれの権限―分権―に基づ く自己決定と他者の同意という民主主義の基本を保持し続けることになり、それがこの課題の 前進への確かな道のりを用意する近道ではないだろうか。 3.アメリカンスタンダードのグローバルスタンダード化と企業間国際提携の推進 最後に、本格的な展開は別の機会に譲るとして、ごくかいつまんでアメリカンスタンダード のグローバルスタンダード化と企業間国際提携の展開について素描しておこう。これまで繰り 返し述べてきたように、大手の製薬会社は新薬開発(創薬)から製造、そして販売までを網羅 する、一貫した総合企業であり、その先頭を切るビッグファーマはグローバルな規模で活動し ている巨大多国籍企業でもある。とはいえ、その基本は新薬開発(創薬)にある。そして見事 開発に成功した新薬は物質特許と排他的販売権という二重の独占に守られて、長期にわたって ブロックバスターとして市場に君臨し、彼らに巨額の利益をもたらすものがその中から出てく る。加えて折からのグローバル化の波に乗って、世界大での販売をおこない、世界市場での確 かなシェアをも確保できる。その際、アメリカで確立されたシステム―いわばアメリカンスタ ンダード―をグローバルなスタンダードにしていくことが最大の戦略的課題―当面の目標―に なる。それを保証するものは知財に関する TRIPs 協定であり、医薬品それ自体に関しては、 勧告、実施、監督、仲介機関としての WHO(World Health Organization, 世界保健機構)、 立命館国際地域研究 第39号 2014年 3月 21 それに巨額の融資とそれを使った指導・誘導をおこなう IMF、世銀グループなどの国際機関 である。その際、品質保証が中心に座ることになるが、FDA が建てた有害性、安全性、倫理 性という基準がここでも踏襲されていく。むき出しの力(パワー)による圧迫や、厳密な法律 による強制ではなく、参加者に等しく遵守すべき共通の基準を示し、またそのための金融的な 支援(あるいは難色を示すものへは融資差し止め)の道筋とその指導という介入方法を使って、 望む方向に向けて緩やかな合意が形成されるように誘導するのが、覇権国のヘゲモニーの発揮 である。これは第二次大戦後の、形式的には主権国家群から構成される国際的な場において、 国連を始め、表面的には中立、公正な装いをもつ国際機関の役割が表面に出るようになった時 代における、国際機関を媒介にした覇権国による国際的合意形成の典型的な姿である。これは 国際政治経済学や国際関係学では行為主体(アクター)が等しく守らなければならない「国際 レジーム」という名前で括られていて、 具体的には原理(principle)、規範(norm)、規則(rule)、 政策手続き(procedure)等に収斂されている。 そこでスタンダードについても関説しておこう。アメリカでは部品の互換性を強めるため、 スタンダードが元々大事になってきた。スタンダードにはいくつかの意味合いがあるが、共通 の「基準」になることでは「標準」を意味する。そうすると、計量もしくは計算可能なものと して、定量・計測のための一定の「規格」を持つことになる。そしてさらに、それを外れたも のは除外されるという意味合いでは、参入のための「水準」を表すことにもなる。そしてこれ らの総和としてのスタンダードが競争と独占の第一線に躍り出てくる事態が、「IT 革命」と呼 ばれる、半導体生産を先頭とする情報・通信の革新とモジュラー型生産システムの台頭以来、 顕著になってきた。そこではネットワークの経済性が従来からの規模の経済性や範囲の経済性 と並んで、あるいは場合によってはそれ以上に大事になり、また企業形態の主力も、全てを包 括する統合型から、多様な分離と提携の組み合わせを持った、選択と集中という名称で表され る多角=複合型へと移るようになった。しかしながら、スタンダードは本来的にはすべてのも のの基準になるという意味合いから、そこでは万人に受け入れられる共通性、普遍性がその基 本に座るはずである。ところが、そのうちの特定のスタンダードのみが採用され、それ以外は 排除されることになると、そのスタンダードの恩恵を受けるものや、それを独占するものに絶 対的な優位性が与えられ、 「一人勝ち」 (a winner takes all)世界が生まれやすい。そうすると、 共通性、普遍性という外皮を被ってはいても、その実、個別的で特殊なものである。それは形 式と内容の乖離であり、大いなる矛盾でもある。こうした二重性を帯びることになって、世界 は統合へと一路向かわずに、亀裂と分断と格差へと偏向していく。 ところで、グローバルスタンダードの確立には、その方式として公的な機関によってお墨付 きを与えられた、いわば制度化されたデジュリスタンダードと、現実の経済活動の中でそのう ちのもっとも有力なものの支配が確立されて、事実上のスタンダードになるデファクトスタン ダード―これが一番多い―と、そしてその両者の摺り合わせによって一定の妥協が図られる、 22 関下 稔:多国籍製薬産業とグローバルスタンダード 協調型のコンセンサス方式―論者によってはこれを独自の方式としては認めないものもいるが ―という三つのタイプに分類される 24)。もっともこのグローバルスタンダード確立のための国 際的な方式とその内容、そしてまたハーモナイゼーション(調和)を巡る抗争と妥協の態様は、 産業ごと、分野ごとに大いに違っていて、一律ではない。たとえば VHS とベータ方式、ある いはマックと MS-DOS、あるいはタグナンバーをめぐる違いなど、またそれを貫く原理も、 特許(パテント)を巡る先発明主義(米)と先願主義(欧、日) 、国際会計基準を巡る米と欧 との間の違い、さらには銀行活動にあたっての自己資本比率や活動領域の違いなどである。 医薬品において、アメリカには GMP(good manufacturing practice、製造管理並びに品質 管理)をはじめ、GLP(安全性薬理基準および毒性試驗)、GCP(臨床実験の実施基準)など の品質保証の基準があるが(第 4 表)、とりわけ GMP には①決められた手順で製造されてい ること、②汚染や品質低下のない適切な施設と設備で製造されること、③きちんとした管理体 制によって品質保証が保証されていることが盛り込まれている 25)。この GMP が WHO を通じ て国際的なルールにまでなっていて、品質保証として守るべき基準を明確化している 26)。それ 自体は何の変哲もない、誰もが守るべき基準を列記しているにすぎないように見えるが、一度 それに抵触すると、国際的な認知を得られず、事実上排除されることになる。これはとりわけ 途上国や旧社会主義国にたいして厳しく適用されるが、同様の扱いは GATT 等でも対先進国 とは別立ての、事実上のダブルスタンダードが暗黙裡に立てられ、それが適用されてきた。製 薬の場合もその一つである。さらにそれを補完するものが個別交渉を通じて作られるが、イン ドにたいしては価格の上限(DPCO)が決められている。これによって事実上の価格管理が厳 密に守られていくことになる。 ところで、費用の巨額化はアウトソーシング(臨床、研究、製造、情報データ)の必要と利 第 4 表 医薬品の開発プロセスと市販後における各種規範 開発段階および市販後 規範 非臨床試験(前臨床試験) (3 ∼ 5 年) GLP 臨床試験(治験)(5 ∼ 8 年) GCP 適 用 医薬品の安全性薬理試験および毒性試験(一般毒 性試験、特殊毒性試験) 医薬品の臨床試験 治験薬 GMP 治験薬の製造および品質管理 GMP 医薬品の製造および品質管理(医薬部外品および 医療機器も対象となる) GQP 医薬品の市販後の品質管理(医薬部外品、医療機 器および化粧品も対象となる) GVP 医薬品の市販後の安全性管理(医薬部外品、医療 機器および化粧品も対象となる) GPSP 医薬品の市販後の再審査および再評価に向けた調 査および試験 製造販売後(市販後)(販売期間) (資料)橘高敦史編『創薬科学・医薬化学』ベーシック薬学教科書シリーズ準拠 6、化学同人、2007 年、第 5 章、84 頁より作成。 23 立命館国際地域研究 第39号 2014年 3月 便性を高めることになるので、外注と企業間提携の促進という、もう一つの柱が台頭してくる。 それは、グローバリゼーションの進展によって世界大での資源、技術、資金、人材の探査(グ ローバルスキャニング)と獲得が可能となり、他方では、巨額の開発資金や多大の時間や複雑 精緻な学際的・総合的な研究が必要になり、それは、一貫生産に基づく垂直統合化ではもはや 間に合わなくなる事態が進行していることである。そこで広範な分業を基本に据えた企業間提 携が必要になり、とりわけ医薬産業においては特に必至となる。膨大な額に上る創薬過程の中 心を担う研究開発を外部機関に委託する傾向が強い。それは、上でも見たバイ・ドール法を活 用して、研究者自らがベンチャー企業を起こし、その受け皿になるが、それを使った外部委託 が大いにおこなわれている。 そこでは二つの道が取られる。一つは物質特許をもった巨大製薬資本によるジェネリック メーカーや専業メーカーの包摂化によるフォワードリンケージであり、もう一つはジェネリッ クメーカーや専業メーカーによる新薬開発会社の買収というバックワードリンケージの道であ る。その両者がせめぎ合っている。そこではさらにクロスボーダー M & A も活用されて、国 際的な買収合戦が展開される。医薬業界の特殊性は、多くが前者のフォワードリンケージを使っ た巨大製薬資本による周辺分野の包摂化が進んでいることである。それは、ビッグファーマと 呼ばれる巨大製薬会社は、これまでに見てきたように、基本的には新薬の開発に中心をおいて いるからであり、特許取得を中心にした新薬開発会社であることによる。そしてそこからフォ ワードリンケージが進められる。その意味では基本的に知財会社であり、彼らの統合は知識を 中心において展開される。これが知識資本の基本形でもある。その意味では、巨大なメーカー が部品等のサプライヤーを包摂するバックワードリンケージを基本に据えた製造業とは正反対 である。残念ながら、企業間提携を統計的に示す外注(アウトソーシング)のデータが見当た らないので、数少ない概略的なものをいくつかあげておこう(第 1 ∼ 2 図)。 第 1 図 グローバルアウトソーシング:市場規模と成長率、1998-2003 年(推定値) (10億ドル) 70 総額 成長率 60 9.7% 50 40 33.0 36.2 10.2% 9.1% 39.5 10.2% 43.5 10.8% 48.0 53.2 (%) 12% 10% 8% 6% 30 4% 20 2% 10 0 1998 1999 2000 2001 0% 2002 2003 (推定値) (推定値) (資料)OPPI-Monitor Group Collaboration, Outsourcing Opportunities in Indian Pharmaceutical Industry, September 2003, p.5 より作成。 24 関下 稔:多国籍製薬産業とグローバルスタンダード 第 2 図 製薬のグローバルアウトソーシング:2000 年と 2005 年(推定値) (10億ドル) 70 60 10.0 (情報) 50 5.8 (販売) 12.6 (研究開発) 40 3.2 4.2 6.1 30 20 36.5 (製造) 26 10 0 2000 2005E (資料)ibid., p.10 より作成。 いずれにせよ、これは、一方ではジェネリックを認知し、その自立化を促す過程と、他方で は巨大医薬品メーカーによるジェネリックや専業メーカーの包摂化・統合化の、両者の複合過 程である。そして全体としては、統合化が進行することになる。その含意は優秀な独立の専門 機関・会社を活用した企業間提携の進展であり、全体としての医薬品開発とその生産の前進で ある。だがそれが巨大製薬資本の指導下・命令下に組織されていくと、一方的な秘密主義の強 制になり、彼らの命令に無条件に従わされ、それでいながら契約である以上、いつでも解除可 能なものになる。これらは製薬産業の巨大化、寡占化、行政との癒着化、そして秘密主義を育 むことになる。だが対等・平等的な協力関係―コラボレーション―の前進と、それを通じる相 互扶助、互恵にならないと、医学に課せられている崇高な使命を果たせないのではないか。そ の意味では、科学の前進が独占の強化に向かっているのは、はなはだ不幸な結末である。 (2013 年 10 月 16 日脱稿) 注 1)巨大製薬会社が現在では、医薬品、医療機器、医療サービスを包括する一大「医療複合体」になって いると多くのところで指摘されているが、それを歴史的に辿りながら、どのように形成されてきたか を総括的に論じた高山一夫「現代アメリカ医療産業複合体と病院」 『経済論叢別冊 調査と研究(京都 大学)』第 19 号、2000 年 4 月は興味深い論文である。 2)ピーター・ロスト『製薬産業の闇:世界最大の製薬会社ファイザーの正体』斉尾武郎監訳、東洋経済 新報社、2009 年は、同社の元マーケティング部長が内部告発したもので、窺い知れない巨大製薬会社 (「メガファーマ」と名付けている)のすさまじいばかりの内幕を鋭利に描いている。 3)特許を物質、製法、用途、製剤の 4 分類とするマーシャ・エンジェルの考えもあるが、ここでは「そ の他」を加えた久保氏の分類方法に従った。詳しくは久保研介「ジェネリック医薬品産業における垂 直構造と研究開発」久保研介編『日本のジェネリック医薬品市場とインド・中国の製薬産業』アジア 立命館国際地域研究 第39号 2014年 3月 25 経済研究所【情報分析レポート No.5】2007 年、第 8 章。 4)Angell, Marcia, The Truth About the Drug Companies, Random House Paperbacks, New York 2005, p.176.(マーシャ・エンジェル『ビッグ・ファーマ:製薬会社の真実』篠原出版新社、2005 年、221 頁) 。 5)同上、19 頁ならびに 222 頁。 6)カウシック・S・ラジャン『バイオ・キャピタル』塚原東吾訳、黄土社、2011 年。特に第 2 章で受け 入れ側のインドの州政府の安易な考えを批判している。 7)Angel, M.,The Truth About the Drug Companies, op.cit.,pp. 27-28.( マーシャ・エンジェル『ビッグ・ ファーマ』前掲、42 頁。 ) 8)ibid., 29.(同上、44 頁) 9)同上、7 頁。 10)バイドール法は正式名称を the Patent and Trademark Law Administration Act とい い、その解説は 多くあるが、ここでは Council On Government Relations(COGR), The Bayh-Dole Act: A Guide to the Law and Implementing Regulations, October 1999 をあげておこう。また日本語での簡単な紹介 と評価としては、洪美江「米国バイ・ドール法 28 年の功罪」 『産学官連携ジャーナル』Vol.5, No.1, 2009. が手頃だろう。 11)Vannevar Bush, Science: the Endless Frontier, A Report to the President on a Program for Postwar Scientific Research, July 1945, reprinted July 1960, National Science Foundation, Washington, D.C. 12)米国研究製薬工業協会(PhRMA)は 2001 年度の製薬会社の販売促進費を 191 億ドル(内訳は直接広 告費 27 億ドル、医師への面会費 55 億ドル、サンプル提供 105 億ドル、医学雑誌での広告 3 億 8 千万 ドル)とし、研究開発費 303 億ドルよりも少ないといっている。しかし PhRMA は年次報告書では、 この年のマーケティング・運営管理費の予算として 35%をあげているが、このうち運営管理費は 5%、 マーケティング費は 30%と見積もられるので、彼女は実際はこの年の総収益 1790 億ドルのうち、運 営管理費(経営陣の報酬、一般経費、訴訟費など)90 億ドル(5%)、マーケティング費 540 億ドル(30%) と推計するのが妥当だとしている。そうすると、差し引き 350 億ドルが説明できないものだというこ とになる。その使途は謎である。マーシャ・エンジェル『ビッグ・ファーマ』前掲、153 − 154 頁。 13)同上、204-214 頁。 14)同上、298 頁、ならびに 299-315 頁。 15)フラン・ホーソン『FDA の正体:レギュラトリーサイエンスの政治学』(上・下)、栗原千絵子、斉尾 武郎共監訳、篠原出版新社、2011 年。 16)同上、(上)182-191 頁。 17)同上、(上)211-225 頁。 18)メリル・グーズナー『新薬一つに 1000 億円 !?』東京薬科大学医薬情報研究会訳、朝日選書、2009 年は、 新薬開発の過程をドキュメント風に克明に追跡しているものだが、それを見ていくと、すさまじいば かりの苦闘と競争の過程が浮かび出てくる。特定個人もしくは少数のグループの多年にわたる一心不 乱な地道な研究が実を結ぶといった、かつての牧歌的な成功物語は今や望むべくもない。果たしてこ のまま民間企業に任せておいて、打開できるのであろうかと思わずにはいられない。 19)正式名称は the Drag Price Competition and Patent Term Restoration Act で、特許期間延長(特許 期間回復)と後発医薬品の販売促進とがセットにされたものである。 20)このことは Federal Trade Commission, Generic Drug Entry Prior to Patent Expiration: An FTC Study, July 2002. に詳しく述べられている。 21)浅野敏彦「米国の医薬・バイオ関連分野におけるプロパテント政策の動向」 『知財研紀要』2006、121 頁。 22)フラン・ホーソン『FDA の正体』前掲、 (下)246-249 頁。 23)Challenge and Opportunity on the Critical Path to New Medical Products, U.S. Department and Human Services, Food and Drug Administration, March 2004.(邦訳は医薬品医療機器総合機構『革 新か停滞か?新しい医薬品・医療機器のためのクリティカルパス上に存在する課題と機会』平成 17 年 11 月)。 24)Congress of the United States, Office of Technology Assessment, Global Standards: Building Blocks for the Future, U.S. Government Printing Office, March 1992. は、グローバルスタンダードに 26 関下 稔:多国籍製薬産業とグローバルスタンダード ついてまとまって展開した初期の代表的なものの一つだが、そこではアメリカンスタンダードを①市 場で決められるデファクトスタンダード、②政府によって規制されたスタンダード(一般にはデジュ リスタンダードといわれているもの) 、③自発的に合意形成されたスタンダード(コンセンサス方式) に 3 分類している。pp.5-6. これはグローバルスタンダードを分類する際の一つの基準を示している。 25)橘高敦史編『創薬科学・医薬化学』ベーシック薬学教科書シリーズ 6、化学同人、2007 年、84 頁。 26)WHO Expert Committee on Specifications for Pharmaceutical Preparations, Thirty-seventh Report, WHO Technical Report Series 908, Geneva 2003. 特にその付録文書(Annex 4)として GMP が収録されている。 (本稿は 2013 年度国際地域研究所重点プロジェクト「日米中経済関係の変化と国際経済秩序 に関する研究」の研究成果の一部である。 )