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こちら - 名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教育学部

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こちら - 名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教育学部
大学発教育支援コンソーシアム事業
名古屋大学
第 6 回 公開研究会
2012 年7月 21 日(土)於:名古屋大学教育学部大会議室
高校での学びを大学につなぐために
―協働的な学習と学校づくりの試み―
小池由美子氏
埼玉県立川口北高等学校
大学発教育支援コンソーシアム事業
第 6 回 公開研究会
2012 年 7 月 21 日(土)
名古屋大学
高校での学びを大学につなぐために
―協働的な学習と学校づくりの試み―
小池由美子氏
はじめに―問題意識と仮説
皆様こんにちは。3 月、4 月の名大 CoREF 公開研究会は参加させていただきましたが、
5 月、6 月は残念ながら来られませんでした。埼玉県立川口北高校の教員をしております、
小池です。どうぞよろしくお願いいたします。6 月 23 日の跡部重夫先生の報告は、メール
でまとめを拝見して、非常に共感したり啓発されたりしました。それを踏まえてレジュメ
をつくり、報告させていただきたいと思います。
佐々木先生のセンター試験に対する問題提起からはじまって、3 月、4 月の公開研究会に
参加させていただき、自分の問題意識をまとめてみました。今回この発表の機会をいただ
いて、大変嬉しく思っています。名古屋大学の主催ということで、お集まりの先生方も、
愛知・岐阜・三重・富山・福井の先生が多くていらっしゃるので、ちょっと埼玉は違うだ
ろうな、と思っております。高大接続課題がテーマになっておりますので、他県の状況を
知っていただいて、高大接続をまた違ったアプローチでお考えいただけたら、多少何かの
お役に立てるのではないかと思っております。
名大 CoREF の公開研究会は、最初に大学センター試験の在り方から課題提起がされて、
センター試験に規定される高校教育、またそれによって歪められている高校教育の実態と
いうことで、研究が積み重ねられていることと思います。跡部先生の報告は、入試だけで
なくカリキュラム、高校教育の内容そのものについてもかなり多岐にわたってご指摘があ
り、深められたと思いますが、私もまったく同じ問題意識を持っています。高大接続課題
を考えるときに、入試で規定される高校教育だけでは高校の教員としてむなしい。目の前
に生徒がいるのに、ではその生徒に対して何か手立てはないのだろうか、入試圧力だけに
押し流されていていいのだろうか、そこを何とかしたいというのが私の問題意識でもあり
ます。一応タイトルは、
「高校での学びを大学につなぐために―協働的な学習と学校づくり
の試み―」とさせていただきました。ただ、仮説の立て方が弱かったかな、という思いも
あります。なぜ私の実践が大学での学びにつながるのか、というあたりが弱いと思います
ので、その点はあとで皆さんからご批判をいただいたり、ご指摘をいただけたらありがた
いと思っております。
高校の教育は受験のためだけにあるのではなく、やはり「人格の完成」を目指すために
あるのではないか。そして「学力」とはなんだろう、それは受験学力ではない、と考えて
います。跡部先生がおっしゃったように、基礎基本をきちんと学んでつけた力が本来の学
力ではないか。それがやはり大学に行って生きるのではないか、と私は思っています。そ
こで仮説の前文に、
「高校における学力の形成は、大学受験を突破するためのものではない」、
「教育課程を通して生徒の学びを主体的なものにし、自分で考え判断する力を身につける
ことが求められる」
、と書きました。そのために、ではどういう取り組みをするのか、とい
うことで3つ仮説を立ててみました。
「受験学力の向上」に流されると、教員にとっても生徒にとっても、大学受験がゴール
になってしまいがちな実態があると思います。その結果どういうことが起きているのかと
1
大学発教育支援コンソーシアム事業
第 6 回 公開研究会
2012 年 7 月 21 日(土)
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高校での学びを大学につなぐために
―協働的な学習と学校づくりの試み―
小池由美子氏
いうことが、佐々木先生・植田先生からも縷々説明があるところだと思います。私は、自
分の関わった生徒が大学に入ってバーンアウトするのではなくて、そこからもっと伸びて
いってほしい、人間として育っていってほしいという思いがあります。そこで仮説の(1)
で「自分で考える力をつけるために、信頼できる人間関係を築き、協働的な学びを行うこ
とがカリキュラムとして有効である」、としました。この「カリキュラム」の意味は、狭い
意味での教育課程表、学習指導要領だけを指しているのではなくて、授業内容・授業方法
も含めて、私は「カリキュラム」として押さえています。「教育課程」も、教育課程表では
なく、最後参考文献に挙げておきましたけれども、『高校のひろば』(日高教・高校教育研
究委員会編・旬報社)という季刊紙があって、その 67 号で植田先生が書いていらっしゃる
通り、
「学校の教育活動の全体計画」という観点で、私としては「教育課程」という言葉を
押さえているつもりです。自分で考える力を身につけることができれば、大学でさらに専
門的な学びを深めることができるのではないか、と考えています。高校での学びを大学に
つなげるということを、私としてはそのようにとらえているつもりです。
次に、(2)「教科を超えて協働的な学習活動を行う営みは、学校づくりの基本となる」。
前回、今井先生、袴田先生のご報告があって、私は直接お聞きすることができませんでし
たけれども、やはり個人の取り組みなのか、学校としてどう取り組めるのか、というとこ
ろが私としてはポイントとなっていくのではないかと考えています。これは、教科の学習
活動と教科外の活動をどうリンクさせていけるかということが、
「学校づくり」になるので
はないかと考えているからです。植田先生は 67 号で学校づくりのことも書いていらっしゃ
いますけれども、
「職人的な個人技・個人芸」だとやはり限界があるのではないか、学校全
体の取り組みになっていくことが必要ではないかと考えています。私の勤務校ではまだま
だそこまで「学校づくり」はできていないのですけれども、その萌芽は少しあるというと
ころでご報告をしたいと思います。
そして、
(3)
「自分で考える力を身につけた生徒は、『受験学力』も伸びる」。これ、身
もふたもないと言えば身もふたもない仮説なのですが、協働的な学びとか自主的な学びと
いっても、結局進路に役に立たないじゃないかという批判は、やはりあります。そこにど
う対峙できるか、オルタナティブとして出せるかということも、ある意味では袴田さんが
おっしゃった「風評被害」に対する私たちのよりどころにはなるのかなという気はしてい
ます。かといって、偏差値とか、受験実績には振り回されたくはないのですが、そのあた
りも高大接続の課題としては落とせない。ある意味では冷静に見ていかなくてはいけない
と思って、仮説に立ててみました。
1.埼玉県立高校の現状
では、レジュメの 2 ページに行きます。中部地区の方々にとっては埼玉県の状況は非常
になじみにくいと思いましたので、簡単に高校入試制度の変遷について書きました。多少
2
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―協働的な学習と学校づくりの試み―
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システムが違うとはと思いますが、全国的には同じような状況があろうかと思います。1994
年度から推薦入試が導入されました。受験機会が 2 回になったということで、2月初旬に
推薦入試、これは学力試験なしですね。面接と調査書で選考されます。倍率の高い学校な
どでは面接を行わない学校もあります。2月下旬に一般入試があります。それが導入され
て 10 年経ち、2004 年度から全県1学区になりました。埼玉県は元々学区が広かったのです。
隣接する学区は受けられることになっていたので、この当時埼玉県は県立高校が 155 校あ
ったんですけれども、隣接する学区が受けられるということは、理論上ある一人の中学3
年生は 70 校から 80 校の県立高校から志望校を選べます。そういう中で、非常に格差が生
まれてくる。偏差値が1~2違うと全く学校の状況が異なると言う実態は、このようにし
てつくられていきました。愛知の入試制度とは違いますけれども、埼玉の場合も同じよう
に学校間格差は非常に拡大され、「超薄切りロースハムスライス」の埼玉県と言われていま
した。
大学の推薦入試もいろいろ論じられていますけれども、高校でも様々な弊害があり、2005
年から推薦入試が廃止されました。前期試験・後期試験が導入されました。前期募集では
総合問題がA・Bと 2 種類あって、Aのほうが基本的で、いわゆる伝統校・進学校は難し
いB問題を選択するとか、そういうことが行われるようになりました。2010 年度からは前
期で従来通りの 5 教科入試が行われ、総合問題A・Bから選択するのではなく、全県統一
問題になりました。後期入試については 3 教科実施です。推薦入試では学力検査が行われ
ていなかったのですが、前期で 5 科目、後期で3科目について学力検査が実施されるよう
になったということは、やはり学力重視にシフトしたといえるだろうと思います。
今年度、2012 年度から入試は一本化されて前期試験はなくなりました。3 月上旬の 1 回
だけのチャンスになりました。その結果やはり、競争倍率は下がりました。今まで 2,38
倍とか、非常に人気のある学校は倍率高かったのですが、2 倍を超える学校はほとんどなく
なったと思います。逆に定員割れする学校も少なくなり、いわゆる受験的には、合格確実
性の高い学校を生徒は選ぶようになったと言えると思います。ただ、この前段で、志願先
変更を 2 回できます。願書を出して一端締め切り、倍率が発表されます。そのあと志願先
が変更できて、それがまた発表されます。それで、だんだんだんだん、倍率が落ちていき
ます。より確実に入れる高校に受験生のシフトが移っていくという、そういう形になりま
す。ですから受験生からすると、本当はA高校を受験したいと思っているのに、倍率が高
いからB高校に変えた、という不本意な実態もあると思います。それが倍率を下げている
要因の一つになると思われます。今年の 1 年生から 1 本化されたので、これからどのよう
な結影響が現れるかは、経年で見ていく必要があると思っています。
レジュメの(2)
、高校の統廃合と多様化です。この項目を入れたのは 8 月 25 日の日本
教育学会のシンポジウムでは乾彰夫先生がシンポジストになられるので、たぶん乾先生が
高校多様化に触れられると、このへんももしかしたらポイントになるのかと思い、埼玉県
の実態も載せました。埼玉県教委は、1999 年に、
「生き生きハイスクール構想」を出しまし
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た。
「生き生き」という言葉は、要するに「魅力ある学校づくり」
、
「特色ある学校づくり」
といいつつ、実態は定時制高校、困難を抱える学校の統廃合でした。全日制高校は 163 校
あったのが 15 校減ってしまっている。定時制は、一番多いときは 42 校あったのですが、
統廃合計画が終わる再来年度には半数近くに減ってしまい、やはりこういう点では、学び
の保障について大きな問題があります。このへんは乾先生がたぶん、問題提起をされると
ころかと思っています。
次に、レジュメの(3)にいきます。埼玉県教育委員会がどんな教育政策をとっている
かということですけれども、私は「両極化政策」
、と考えています。進学実績を伸ばすため
の受験シフト体制を強める政策と同時に、考える力をつける協働的な学びもやる、という
両極です。受験トレーニングだけでは伸びないということを、県教委も感じているのでは
ないかと思われます。県教委の事業として「学力形成基盤事業」というのを立ち上げまし
たけれども、これは東大 CoREF と県の提携事業です。名大 CoREF とは中身は違いますが、
東大 CoREF の推進副機構長の三宅なほみ教授は、理科の仮説実験教育がご専門で、協調学
習を提唱されていらっしゃいます。その協調学習を埼玉県立学校で取り入れるためにこの
事業が始まりました。埼玉県ではトップの県立高校というのは、伝統的な男子高と女子高
です。100 年以上の伝統がある。全国的にも、県立高校として、東大の合格者数を出してい
る、そういうところで名前の挙がる学校です。そのような学校から課題を抱える高校まで、
生徒の学力を伸ばすためにこの協調学習を導入しようと計画されました。全校一斉にやる
わけではなくて、推進校を決めて 2 年間行われ、各学校に広げています。これは大学発の
教育支援政策なわけで、佐々木先生が第二回の研究会でおっしゃっていた「高校・大学関
係者が、自らの責任で改革に協力して向かう集合的営為」の一つの回答にはなり得るかと
思われます。
②で埼玉県教委の学力に関する事業というのを挙げておきましたけれども、これは二極
化です。進学実績を上げるための事業と、でも学び合いを大切にするものと、両方をおい
ています。県立トップの進学高はその使命として、東大進学者数を下げるわけにはいかな
いわけです。これには県議会など、
「県民の声」の対応もあるわけです。こうした中で、県
立高校は競争教育の渦中に投げ込まれていくのだと感じます。
2.川口北高校の状況
次に、川口北高校の状況をご説明します。私は着任して3年目になります。受験産業の
データはあまり言いたくはないですけれども、今、県立 147 校あるうち、埼玉県の中学受
験産業の偏差値では創立 39 年目で県内 15 番目の進学校ということになっています。
たとえばこの学校案内を見ていただくと、国公立進学者が 25 人ですね。私立大学も載っ
ています。これをご覧になると、他県の先生が驚かれます。
「埼玉で 15 番目の進学校でこ
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れですか?」と。私も他県で 15 番目くらいだったら、国公立はもっと多いだろうと思いま
す。埼玉の特徴は、私も生徒と面談していて驚いたんですけれど、志望校の話しになると、
「私立大学志望なのね。国公立とかセンター試験受けないの?」と聞いたら、
「受けません。
親に迷惑をかけるから。
」と言うのです。
「どうして親に迷惑をかけるの?」と聞くと、
「国
公立を受けるには科目数が多いから、そうすると塾にいってその分勉強しなきゃいけない
から、親に経済的な負担をかける」と答えるのです。埼玉の場合は、首都圏ですから、私
立大学がいっぱいあるわけです。国公立大学の授業料も決して安くないのです。初年度は
80 数万円かかるわけだし、それから考えると、文系の私大だとそれほどでもないというの
が家庭の経済状態でもあると考えられます。それよりも、国公立めざして一年の時から予
備校に通うほうがお金がかかるというのは、ある意味での本音かとも思われます。埼玉は
関東圏の中でも中学時代の通塾率は79%と高いのですが、本校はさらにそれよりも 10 ポ
イント高くなっており、塾への依存傾向がはっきり表れています。本校は、東大とか東工
大とか一橋とか難関の国公立大学はなかなか手が届かないのです。埼玉大に入れたら、ま
ずまず良いという意識なわけです。そこで、学校として埼玉大は 20 人を目指すと書いてあ
ります。本校の生徒は素直なので、安定を求めており遠いところにいくよりも、近くて知
っている大学に行きたいという気持ちがあるようです。私学より、埼玉大のほうが国立ブ
ランドとしてあるかなとか、それ以上の国公立に手が届かなければ難関私大で良いかな、
という感じなので、国立大学志向があまり強くないといえるかもしれません。
従って埼玉の高校は、トップの進学校でなければ正直いってセンター試験圧力は他県ほ
ど強くないといえるかもしれません。だから私の前任校ではセンター試験を受ける生徒は
一桁でした。その前に、さっきAO入試や推薦の話が出ましたけれども、AOや推薦でみ
んな決まってしまいます。センター試験まで頑張ろうという生徒はいないから、センター
試験圧力は感じない学校でした。おそらく埼玉の公立高校の場合、同じようにセンター試
験の圧力は、割と多くの学校現場ではそれほど感じられていないのではないかと思われま
す。だから、センター試験が非常に高校教育をゆがめているかというと、その実感があま
りないというのが正直なところです。今までの名大 CoREF の積み重ねを覆すようなことを
言ってしまって申し訳ないのですけれども、埼玉にはそういう風土がある、といえるかも
しれません。従って埼玉の公立高校では「未履修」はほとんど問題になりませんでした。
川口北高の生徒の状況は、
「文武両道」を目指し、何事もがんばらなければいけない。そ
ういう中にいて生徒って本当にこんなにがんばれるのだろうかと、感じます。たとえば、
一年生では数学が習熟度別授業で、大量の課題が出されます。毎週毎週小テストで、不合
格だと再テストがあります。金曜日はクラスごとに週末課題プリントが配られます。配っ
た瞬間に生徒からため息がもれるのです。土日も部活もがんばらなければいけないし月曜
日の生徒の顔は疲れています。
その一方で、教員もやはり受験知識注入とテストの繰り返しだけでは限界がある、とい
うことは感じています。職員室の雑談で、「選択肢とか、そういうのはよくできる。だけど
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プロセスがない。
」
、
「答を自分で出せない。丸暗記はできる。だけど聞かれたとおりじゃな
いと答えられない。
」という会話は日常茶飯事に行われています。生徒の学力にそういう弱
点があることを感じます。従って、谷口典雄さんがご報告されていたことと同じことを、
私も自分の国語の授業で感じます。
3.川口北高における協働的な学習・学校づくりの試み
では、そういう学校の中で、この学校の学びをどう変えていくのか、ささやかな取り組
みですが、
「川口北高における協働的な学習・学校づくり」を試み、仮説の検証のために4
つの事例を挙げました。本日の米津さんからの報告では、非常に分析的な教育計画や実践
の評価について触れられていましたけれども、それほどきっちりとやっているものではな
く、一人の教員としてできるところから始めてみたものです。
(1)三大和歌集(万葉・古今和歌・新古今和歌集)での「協調学習」の事例研究
私は知識注入の国語の授業ではなくて、生徒に考える力をつけさせたいとずっと考えて
いました。考える力をつけさせるために、協働的な学習について研究していました。その
一つとして、教員をしながら大学院にも通い、協調学習について東大 CoREF が立ち上がっ
たばかりだったので、そこで学び「協調学習」を国語の授業でやってみたいと思って取り
組みました。その時、学習指導要領が改定されるにあたり、埼玉県教育委員会が言語活動
向上のための学力調査研究事業をやっていました。国語の調査研究員を探しており、私に
委嘱されました。それを私は積極的に利用させていただき、これは県教委が推進している
協働的な学びの事業で、
「協調学習」だと言って、授業公開をどんどんやって同僚に見に来
てもらいました。それが三大和歌集の取り組みです。
一年生の「国語総合」の教科書に、万葉集・古今和歌集・新古今和歌集の三大和歌集か
ら、20首掲載されています。20首全て取り上げるのは大変ですが、やるからには生徒
にきちっと取り組ませたいと考えました。
学習を終えて生徒の反応ですが、
「協働的な学習で学び合う教室に変わった」、という手
ごたえがありました。最初、生徒の状況のところで書きましたけれども、生徒は入試で高
い倍率を勝ち抜いて川口北高校に入ってきています。だから一年生の最初に言われること
が、
「君たちはよく競争に勝ち抜いて川北に入ってきた」という言葉なのです。誇りを持た
せるために。それで「難関大学進学を目指すのだ」という指導がされます。授業は、とに
かく教員は黒板に書きまくり、生徒はそれを写していく。チョークの色を変えれば一斉に
筆箱があいてペンを変える音が聞こえてくるという感じです。
「これは難易度が高い問題で
す」と言うと、さっと視線が突き刺さる。そういう雰囲気です。
こういう状況の中で「グループ学習をやる」というと、生徒はすごく嫌な顔をするので
す、最初は。
「なんでこんなことをやらせるの?早く答えを言ってくれればいいのに。」
、
「余
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計なことをしたら時間の無駄だ」と、そういう視線を感じました。最初、4 月 5 月 6 月はつ
らい時期でした。6月の授業評価では、私は他の教員よりも 20%ポイント低いのです。同
一科目は共通教材、共通進度でやっているので、
「生徒を理解して授業を進めている」とい
う項目など、他の教員より 20%低い。正直申してそれはショックを受けました。
「どうした
ものかな」と思いましたが、生徒の考える力をつけるために自分がこれだと思うことはや
ってみよう、と続けました。
1)協働的な学習で、
「学びあう教室」へ
こうした中で、この三大和歌集の取り組みは、秋の学習活動です。
1班4人で2首ずつ担当します。最初は私が授業で3首ほど授業を行い、和歌の学習の
ポイントについてやって見せました。その後、図書館で担当する歌について調べ学習をし
ました。和歌の出典が『伊勢物語』であることに自ら気付き、発表へつなげて行く班もあ
り生徒の学びの質が高くなっていくのです。私はほとんど介入していません。生徒に、1
班に2つずつ歌を分担した後は、生徒がどうやって調べるか、どういう風にプレゼンする
かはまったく介入しませんでした。ただ、「他の担当班が発表しているときに、質問してい
いのよ」と言っておいたので、質問タイムがあるわけです。たとえば失敗した班の例です
が、一つの班に発表時間は 15 分挙げていました。そしたらある班は、いい加減にしかやっ
ていなくて、教壇に立ったけれども、あっという間に終わってしまいました。ですが私は
時間を計っていて、15 分突っ立ったままでもその場に立たせておいたんですね。そしたら
教室からブーイングが起きてくる。そのときは失敗したのですが、他の班の質問タイムの
とき、失敗した生徒に対して他の生徒が、「○○がんばれ!名誉挽回のチャンスだ」って声
をかけるのです。本校は部活が非常に盛んで、この声をかけた生徒はラグビー部です。ラ
グビーってチームで競技するから、やはり失敗もフォローし合うし、お互いを認めあう。
それが授業でも出た場面で、私はすごくうれしく感じました。
またある班では、
「風騒ぐなり」の助動詞「なり」をどう判断するか、担当した班は間違
って「断定」と説明してしまったのですが、私は黙っていました。そうすると聞いていた
生徒が、
「これ断定じゃおかしくないか?推定じゃないか?」と言い出すのです。「では訳
すとどう違うのか?」と大議論になりました。実はこの場合、
「伝聞推定」か「断定」かは、
文法的には判定できないのです。でも歌の内容から、生徒は「推定だ」って決着をつけて
いくのです。私は一切介入しなかったけれども、生徒がそのように気づいていった場面は
感動的でした。本校の生徒は真面目でおとなしく、
「間違った答えは言ってはいけない」と
いう意識が強かったのですが、学び合いによって自分の意見をしっかり言え、協働の力で
正解にたどり着ける力をつけることができました。
それから、阿倍仲麻呂では 30 分間原稿無しで説明し続けた生徒がいました。この子は図
書館で 1 時間自習する時間をあげましたけれども、中国史とか中国の地理まで調べました。
「先生、現代の中国の地図と、この唐の時代の地図は違うはずだから、それがわかる文献
はありませんか」
、と質問に来ました。その子自身が、自分で学びをジャンプさせてくれた
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なと、とてもうれしかったです。従ってレジュメに、「学びの質を自ら高める生徒」と書き
ました。授業進度も不思議なことに、他の教員より早く進みました。
2)
「自立」的な学びへの変容
次に、レジュメに「自立的な学びへの変容」について書きました。川口北高校の生徒は、
大変模範的な良い生徒です。川北よりももう少し上の進学校から転勤してきた先生は、川
北生の様子をみて、「失敗することをおそれていますね」、と言うのです。間違った答えを
言ってはいけないと思う。指されたら正解しか言ってはいけないと思うから、答えに自信
がないと答えないのです。だけど、私は協働的な学習に取り組むようになって、生徒が失
敗をおそれなくなった、と感じています。「答はひとつではないんだ」ということに気づき
だしている。
「三夕の歌」では調べた結果、四つの解釈があると。四つの解釈があるけれど、
自分たちの班はこの解釈をとるんだということを、自信を持って言えるようになった。こ
ういうことは、私は本校の生徒にとってとても大きな変容だと思いました。
冬になり年が明けてから、漢詩でも同じような授業をやりました。そしたら、発表した
生徒が、
「今日は李白を好きになって帰ってください」と言うのです。私が漢詩の授業をや
って、
「今日は李白を好きになって帰ってください」と言っても、生徒は好きにならないだ
ろうと思うのですが、同じクラスの生徒が李白を一生懸命調べて、その漢詩に惹かれ李白
を好きになって、自分も好きになったからみんなも好きになってほしいということが、こ
の一言で非常に伝わるんですよね。そうすると、非常に教室の雰囲気があったかくなる。
競争と管理にさらされて、生徒もストレスがたまっています。英単語テストはクラス順位
が発表されるし、クラス順位がビリになると担任からは叱咤激励されます。そういうスト
レスの中で、非常に教室の学びが温かくなっていきました。
4)学力とは何か、どういう学力が求められるか
そこで、
「学力とは何か、どういう学力が求められるか」ということを、私見としてまと
めました。写真は、生徒が図書館で調べている様子、グループ学習している様子を挙げま
した。
私は跡部先生の問題提起で、やはり授業が基本なのだと改めて感じました。教科でどう
いう授業、学びをするかが基本だと。探求だけではだめなのだというご指摘に目からうろ
こが落ちる思いがしました。やはり教科学習でどういう風に生徒に働きかけるか、私はそ
こに教員としての専門性が問われるだろうと思っています。古典の授業の実践を報告しま
したけれども、現代文でも生徒の冷たい目線を感じながらやっています。ただやはり、生
徒は変わりますね。それは、次の道徳教育とか、総合学習でも生徒の変容は関連してくる
ので、そこで述べたいと思います。
(2)道徳教育の事例研究と学校づくり
こういう学校の中で、道徳教育をやらなければなりません。これは教育基本法、学習指
導要領が変わって道徳教育が位置付けられ、埼玉県の知事の意向もあり、道徳教育を年間
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5回計画することが2010年から義務付けられました。私は着任したら道徳教育推進委
員になることが決まっていました。さらに、委員長になることも既成事実になっていまし
た。2年目には、道徳教育の研究協力校を委嘱されました。私は委員長として、いわゆる
愛国心とか郷土愛とかのための道徳教育ではなく、本当の意味での人間の生き方を考える
道徳教育をしたいと考えました。
1)道徳教育研究協力校としての全校行事の計画
学校運営はトップダウンの面もありますが、道徳教育推進委員会は民主主義を貫きたい
と思い、管理職とよく相談しながら、道徳教育推進委員会に原案をはかり運営しました。
そこで、4つプランを出しました。私は名古屋大学の植田先生にぜひ来ていただきたい、
そして教育とは、生き方とは、進路とは何か、ということを話していただきたい、と思っ
ていました。東日本大震災が起きたばかりでしたので、JVC(日本国際ボランティアセ
ンター)の代表理事のお名前と、
「グローバリゼーションとボランティア」というタイトル
をつけ、植田先生「進路とは何か、大学で学ぶことの意味」など4つのプランを校長に見
せました。そしたら校長は、「是非名古屋大学の植田先生にお願いしたい」と申しました。
原案に「目的とシンポジウム」を書き、「ただ講演を聞いておわりでは受動的です。せっ
かく川北で行うのだから、生徒が主体的に学ぶ道徳教育にしましょう」と述べて、
「生徒参
加を実現しましょう」と理念、筋を通せばきちんと理解を得られるのです。私は、
「シンポ
ジウムの時間が足りないから、各学年一人ずつで3人」と推進委員会に提案したら、逆に、
「一人ではかわいそう。きっと意見が言えないから男女一人ずつにしましょう」というこ
とになり、職員会議では生徒代表6人で提案しました。民主的なプロセスを踏むことによ
って、よりよいプランになりました。
2)道徳教育全校行事「大学で学ぶために高校時代に為すべき事」-生徒・教員の変化
本番の道徳教育の全校行事ですが、これは私も正直うまくいくかどうかは、やってみな
いとわからない。植田先生の講演会が実現し、生徒参加のシンポジウムも思う通りに運び
ましたが、ではシンポジウムが成功するかどうかというのは、本当に蓋をあけてみないと
わかりませんでした。けれども私は生徒の力に依拠したいと思ったのです。
シンポジストの生徒は、
「大学で学ぶために高校でするべきこととは、もっと勉強しなさ
い」
、と言われると予想していたようです。私は、植田先生の講演の概要を「大学に行く目
的がなんなのか、それが大事」と伝えていたのですが、植田先生の講演が終わったあとに
生徒がすっ飛んできて、
「私が予想していた話と全然違う話でした!」って焦っていました。
生徒は予定原稿を作っていたのです。
「違っていたら違っていたで良いから、ありのまま話
せばいいのよ。落ち着いて話せば大丈夫よ」と言って、一緒にステージにあがりました。
生徒も大変最初は緊張していましたが、植田先生が生徒の話を上手く引き取ってくださっ
て、非常にわきあいあいと進行していきました。
シンポジストの生徒がリラックスすると、やっぱり聞いている生徒もリラックスしてき
て、1000人の生徒がほとんどステージの私たちを見ているのです。真剣にうなずいた
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第 6 回 公開研究会
2012 年 7 月 21 日(土)
名古屋大学
高校での学びを大学につなぐために
―協働的な学習と学校づくりの試み―
小池由美子氏
り、「ふーん」とか、「へー」とか言っているのが、さざ波のように伝わってきました。司
会をしていた私としては、非常に感動的な空間になりました。競争と管理が厳しく、ある
意味でピリピリとした日常生活を送っている生徒が、全校で1000人以上集まった時に、
こんなにあたたかい空間になるというのが、非常にうれしかったです。まわりで立ってい
る先生方も緊張しているわけです。名古屋大学からわざわざ植田先生をお迎えし、生徒た
ちはどんな反応をするのだろうと、教員も最初はすごく緊張していたのですが、生徒の答
えを聞いていて、教員の顔が本当ににこにこにこにこしてくるのです。
「進路がどうあるべ
きか。いい大学に入れ、そのために受験勉強が大事ということは根本ではない」
、というこ
とが共通理解になっていく感じがしました。
「進路は自立の第一歩なのだ」、
「人は学習をす
ることで人間になるのだ」とか、
「人格の完成、自分崩し」という言葉がキーワードになっ
たと思います。
「自分崩し」という言葉が非常に印象に残りました。川北の教員にとっても、
「自分崩し」という言葉はカルチャーショックだったのです。崩してはいけない規範の中
で、我々は教員をやっています。だから「自分崩し」という言葉に教員自身も出会った、
と感じました。ですから講演会のあとの職員室の会話でも、
「自分崩し」というキーワード
が何度も何度も出てきました。以上の道徳教育の実践から、学校評価懇話会への生徒参加
も実現し、開かれた学校づくりも少し前進しました。
(3)1年総合学習の事例研究
次は総合学習の取り組みです。これは私が 2011 年度、1年生の担任を持った時のことで
す。本校は入学式のときに高校生活の抱負を全員に書かせます。その作文で、
「2011 年 3 月
11 日、日本の年表は塗り替えられた」と、冒頭に書きだした子がいたのです。私も非常に
はっとさせられました。これから日本がどうなるのか、非常に不安に思っている。だけど
だからこそ、自分は社会に出て何か役に立ちたい、ということを書いているんですね。こ
ういう思いで入ってくる生徒に応えられる教育実践をしたいなと考えました。本校は 1 年
生の 1 月から 2 月にかけて小論文指導を総合学習でやっていました。それは、毎年一斉に
小論文模試をやらせて、あとで返ってきたら書き直しをさせるものでした。しかし、一年
の時に一回切りその様な模試をやっても何の力にもなっていないことは、教員も感じてい
ました。高3になって、いよいよ推薦で志願書を出しますとか、二次試験で論文の練習を
しますというときに、生徒は何を書いたら良いかわからないのです。そういうところで、
考える力、知識を総合的に結びつけていく力、書く力が育ってないということは教員は感
じているので、
「だから小論文模試はやめよう、生徒にとって本当に力がつくことをやろう」
、
という積極的な提案は賛同を得られます。私は総合学習の一担当教員として学年会で、
「ポ
スト3・11は、高校卒業後の進路に絶対欠かせない課題で、社会の出来事と自分の生き
方を関係させて考える力をつけたい。その取り組みを、小論文を書く力につなげよう」と
提案しました。
全体を通して4回の学習計画を立てました。テーマは「ポスト3・11と私たちの進路」
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です。ワールドカフェ方式を取り入れました。教員にとっても初めての試みなので、この
ワールドカフェ方式を事前に学年会でやってみました。ミニワールドカフェと称して私が
ストップウォッチを持って、先生たちには事前に課題を知らせず、いきなり「じゃあテー
マ1を言います。川北の特徴。1分間で10個以上あげてください」と私がかちかちかち
っとストップウォッチを押すと、先生たちは一生懸命考え出します。
「はい、ではやめてく
ださい。第二テーマ、私の川北ヴィジョン」と指示を出します。そうすると、また一生懸
命考えだします。教師同士が小グループになって、第一テーマと第二テーマを組み合わせ
てブレインストーミングをして、「川北ヴィジョン」を出すという課題をやったら、すごく
盛り上がりました。
「こういう形式で、生徒に東日本大震災と進路を考えさせます」と説明
すると、学年の教員団が自信を持って各クラスで取り組める準備ができました。教員のモ
チベーションも高くて、非常におもしろい取り組みになりました。最初は「津波」、「ボラ
ンティア」、「節電」くらいの単語しかあげられなかった生徒たちが、話し合いを進める中
で、「物資を運ぶにはインフラの回復が大切」とか、「相手の立場に立ったボランティアを
する必要がある」、
「原発代替エネルギーは何が考えられるか」と議論がどんどん発展して
いくのが感じられました。生徒自身がその手応えを感じて、喜んでやっていました。これ
で一気にグループ学習への抵抗感がぬぐい去られたと思いました。レジュメでは、写真が
見にくくなっていますが、生徒が身を乗り出して模造紙に書き込んでいるところです。
学習計画の3時間目に、小論文を書かせました。私は自分が進みたい大学とか学部にも、
もっと踏み込んでかけたらいいなと考えていました。そこまではいかなかったけれど、生
徒なりに原発の問題とか、瓦礫処理の問題、ボランティアの在り方とか真剣に書きました。
そうすると、なかにはボランティアに行ったという生徒もいました。これを、最後の4時
間目にグループで発表させて、グループで一つ代表を選びます。それをクラス全体で8人
にプレゼンテーションさせて、その中からクラス投票で3人選びました。それが、この「小
論文選集」です。この選集は、生徒全員に配りました。教職員全員にも配りました。そう
すると、自分よりもすごい内容を書いている生徒を尊敬していく様子が感じられました。
中には、普段の学習では全く目立たない、どちらかというと提出物など遅れがちな生徒も
いましたが、同じクラスで学んでいる子がこういう問題意識を持っている、ということに
気付かされるのです。そこで協働の力によって、一人ひとりの生徒に学びのジャンプが起
きてくることが感じられました。また、代表を選ぶことによって、評価の観点や次に自分
が文章を書くときの視点が育っていきました。同じ課題を出しているので、あの子の発表
はここがとってもよかったけど、この観点が抜けていたよね、という議論になっていった
のです。批判ではなく、思考が論理的に変容していくことが感じられました。
選集を全教職員に配ったので、
「今年の1年は、いつもと違う取り組みをやっているね」
、
と注目されました。この模造紙も、教職員・生徒の通行が一番多い通路にベタベタ貼りま
したから、今年の1年生はこういうことやっていますというアピールになりました。それ
までの総合学習は、模擬試験が近づくと一週ずつ英数国ローテーションして、模試の模試
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をやっていたのです。模試慣れするために。それに小論文模試。しかし、学力向上検討委
員会が、「これからの川北の総合学習は、模試の模試対策はやらない。これからは、本来の
総合学習、こういう課題学習の取り組みをする」という方針を出してくれました。こうし
て総合学習は、課題探究型の協働学習を行うことが学校全体の合意になっていきました。
(4)修学旅行事前学習の事例研究 ―2年沖縄修学旅行を平和教育へ―
次は2年生の沖縄修学旅行の事例です。沖縄修学旅行を平和教育へつなぐ。管理が厳し
い学校でも、修学旅行と平和学習を結びつける事前学習は、民主的な教員の取り組みが根
づいていましたので、毎年行われています。1年の時のワールドカフェ方式の学習を生か
して、平和宣言文をつくろうと。これも、私が学年会で提案すると、合意になりました。
沖縄戦については1年の終わりにビデオを見て、実態を知ることから始めました。春休
みの課題では、沖縄戦に限らず、沖縄のことについてなんでもいいから本を1冊読んでお
く。それを6月の総合学習で 3 回の取り組みにつなげていきました。第 1 時は、ワールド
カフェ方式です。第一テーマで「沖縄戦の実態」を考える。そして、第2テーマで「日本
の平和と世界の平和」と提起しました。第2時は各自が「私の平和宣言文」を書き、修学
旅行で「クラス平和宣言文」を作成する、という道筋を生徒に示しました。参考資料とし
て、日本国憲法と国連憲章、世界人権規約、子どもの権利条約と、ユネスコ学習権。それ
と、広島市長と長崎市長の平和宣言を生徒に出しました。
「ここからは自分で考えて書くの
よ」
、と言いました。第3時には各班の中で宣言文を読み合い、代表を選びます。各班から
選ばれた生徒 8 人が平和宣言文起草委員会を作ります。その委員たちがクラスの平和宣言
文をつくる、という取り組みをしました。平和宣言文を作ることを通して、ひめゆり学徒
隊というのは自分たちと同じ年代の少女だったのだ、その少女たちがこんなにつらい経験
をしたのだ、ということを生徒はリアリティをもって感じてくれました。私のクラスの生
徒は、「先生、平和宣言文だから、
『私が』とか『思う』とかじゃなくて『~を宣言する』
って言いきったほうがいいですよね、だからちょっと直します」と言いに来ました。私は
「そうね」と頷いただけですが、立派な宣言文ができあがりました。クラスによっては、
国連常任理事国の拒否権があることがおかしいと書き込んだ宣言文もあり、おもしろい取
り組みになりました。憲法9条の普遍性を感じ、グローバルな視点で捉え直すきっかけに
もなったようです。
また、平和講演会も毎年行っており、今まで被爆者や沖縄ひめゆり学徒隊の生き残りの
方が埼玉にも住んでいらっしゃって、そういう方に講演をしていただきました。私はあえ
て、生徒が戦争と平和についてリアリティを感じるのは、若い世代の方に講演していただ
いたほうが良いのではないかと思い、プロボクシング元ウェルター級日本チャンピオンの
小林 秀一さんに来ていただきました。この方は、「折鶴プロジェクト」の事務局をなさっ
たり、国連のニューヨーク軍縮会議に参加したり、グローバルな活動をなさっているので、
「憲法と沖縄から世界が見えるというグローバルな観点でお話していただけますか」とお
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願いしました。
プロボクシングのチャンピオンが講師ということで、生徒は「スポーツと平和って何の
関係があるの?」と最初は思っていたのですが、講演会後の感想で、
「最初は、なぜスポー
ツを平和が関係あるのかよくわからなかったが、一つのことを粘り強く続けて、目標を実
現させるという点が同じであることがわかった。」
、
「平和公園で行われた国際会議で、エジ
プトの代表が『日本が黙れば世界が黙る。日本が動くと世界が動く』と述べた言葉がとて
も印象に残りました。
」、などと書いてくれました。
本校は運動部もすごく盛んなのです。夏休みでも一日も休みがないクラブもあります。
だからチャンピオンになるということは、生徒にとってあこがれなのです。部員が100
人くらいいる中で、レギュラーをとるのは大変ですからね。だから、人と違うことをやら
ないといけないのではないかって思っていたら、小林さんは、
「人とおんなじことを、人が
できないくらいやることで、自分はチャンピオンになれたんですよ」と話したら、生徒は
ものすごく共感していました。そういう点でも非常に良かったと思っています。
まとめ
仮説の検証
仮説については、以下のように検証してみました。
(1)今まで述べた事例から、教科活動、教科外活動を通じ、協働的な学習によって生徒
の受動的だった学びが主体的な学びに変容しつつあるといえる。この学習活動によっ
て、学習集団としてのクラスの信頼関係が新たに深まった。また学年全体で取り組むこ
とによって、教科を横断した協働的な学習活動がより効果的になり、教科の学習にもフ
ィードバックされている。広義のカリキュラムとしても有効だと考えられよう。
(2)協働的な学習活動を、とりわけ教科外活動で行うことは、教職員集団の合意形成が
必要とされ、同僚性を築くきっかけとなる。生徒の成長が教職員の信頼関係も深めて
おり、それが学校づくりの基本となるといえよう。教員一人の実践が「個人」レベルで
留まるのではなく、学校全体に広がることは、教育課程としても肝要であり教育的パフ
ォーマンスは高くなる。それが「学校づくり」の意味であるといえよう。
(3)担当している生徒が、まだ2学年であり進路が決定していないので、早計な評価は
避けたい。しかし、本来自分で考え学ぶ力をつけた生徒は、進路に対しても偏差値に
依存せず主体的になり、自立的な学習ができるようになることが望ましい。この点に
おいて、高大接続課題が「真の学力(主体的に自分で考える力、地力=自力)」の形成と
「受験学力」が乖離しないことを探究することが求められるといえよう。また、それが
大学入試問題の作問に生かされることが望まれる。
埼玉での協働的な学習の取り組み
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次に私としては、大胆な問題提起というか、敢えて挑戦させていただきたいと思います。
今まで名大 CoREF では、センター試験を意識して、進学校の教育が歪められている実態を
軸に語られてきたと思うのですが、埼玉県教委と東大 CoREF が提携をして協調学習を進め
てきて、2年間の研究成果がどうであったか、という観点で①「『困難を抱える』学校での
国語協調学習の実践」を書かせていただきました。去年度の1月、2年間の授業の締めく
くりとして、2年間研究推進をやってきた学校の発表が県全体でありました。英数国理社、
体育芸術も含めて、教科毎にセッションにわかれて発表が行われました。国語のセッショ
ンに参加し、その中で私が印象に残っているのは、ここでも二極化することです。トップ
レベルの進学高では、やはりある意味での高い水準での協調学習は成り立っていました。
だけどそうではない、困難を抱えるそれこそ入試定員倍率が1倍を超えないような学校で、
実は地道に取り組まれており、その国語の先生が、
「もうこの協調学習抜きには私は国語の
授業はできません。生徒が大変喜んで生き生きと学習しています」ということを語ってい
るのです。私は、
「進学高だから協調学習の学びのレベルが高い」とかそういう発想では意
味がないと思うのです。つまり、進学の一番手二番手三番手高なのか、中堅高なのか困難
を抱える学校なのかが問題なのではない。人間として同じ発達段階の高校生であり、学校
の実態に応じてどのような力をつけさせることをねらいとして、どのような協働的学習に
取り組むか研究されるべきだという観点が大切だと考えています。跡部先生がおっしゃる
ような、基礎基本を大事にすることによって生徒が学ぶ喜びを感じる、そのことによって
力をつけていく、ということが大事なのではないか。そこに協働的な学習の意義の、一つ
の答があるのではないかと考えています。
②で「K進学校の授業検討会」と書きましたが、もともと協働的な学びを積極的にやっ
ていた学校です。県の学力形成基盤事業が立ち上げられたとき、その事業に参加した高校
です。実際に東大と提携して、東大の教授や大学院生がこの高校に何度も通っていました。
授業計画からワークシートから、高校と東大がやりとりしながら公開授業をやって授業検
討会も行いました。そこに私も参加しましたが、その学校の教育力を感じました。東大の
特任助教が、
「このジグソー班にはどういう意味があったのですか?」と質問をしたら、次
の研究会から、「東大の関係者の方は発言しないでください」と司会の教員が述べました。
授業検討会で校長が意見を言いながら、批判になりそうになったときに、司会の先生が、
「校
長先生すみません、今批判する場ではありませんから」と止めるのです。授業検討会のル
ールがきちんと確立されており、教科を超えて真剣にそういう授業研究がきちっと行われ
ていたベースがあったところにこの協調学習が入り、教科を超えてそれこそ白熱の授業検
討会が教員の中で行われているのです。この高校は、川口北よりも進学実績ではちょっと
低かったのです。ところが、このところ模擬試験の偏差値をぐっと上げています。これは
やはり、協働的な学びによって、私は生徒の学ぶ意欲、考える力、表現する力が育ってき
ている表れなのではないかと感じました。これは仮説の(3)と関係してきているところ
ですが、私はその学校の先生方の力、そして学んだ生徒たちの力にあるのではないか、と
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思っています。でも、その中身を知らない他校の教員は、
「K高校が伸びてきた。うかうか
していられない。だからもっとドリルをやらなくては」とか、
「演習をやらなくては」とか、
そういう傾向になっているのが現状ではないかと思います。
次に③の「形骸化する協働的な学習の問題点」と書きましたが、やはり中身をきちんと
理解していくということが大事で、
「協調学習」とか「学びの共同体」とか、授業方法で「エ
キスパート班、ジグソー班」とか「コの字型」とか、その形が大事なのではなく、授業で
教員が発する問いが重要な鍵を握っていると思います。その教材でどういう問いを用意し
て、生徒に何を考えさせたいのか、どこで学びのジャンプを起こす可能性があるのか。そ
ういう教員の側のきちんとした、丁寧な授業研究なしに形だけまねても無意味である、と
いうことを感じています。これは、県の学力形成基盤事業で締めくくりの公開検討会が行
われたときに、
「協調学習」
、
「協調学習」と掛け声をかけても、形の模倣に終わっている実
践が多かったのではないか、と感じているからです。身のあるものにするためには、まだ
まだ事例研究に時間がかかるでしょう。
キャリア教育
5 月に第4回名大 CoREF で、キャリア教育について児美川先生がお話されていましたけれ
ども、私は進学校の実態というのは、高校卒業して大学へ行って、そこそこいい会社に入
った生徒たちを過労死予備軍にしていく「拡大再生産装置」ではないか、というふうに感
じることがあります。教員は朝 7 時から来ている人が多いですね。部活で朝練をやってい
るとか、0限補習をやっているとか。夜も若い人は7時まで部活動を見て、それから教材
研究をやって帰るのは 9 時とか。土日もないですよ、教員は。私は、土日はこういうとこ
ろに来て学ばせていただいていますが、教員は滅私奉公の状態です。私はある生徒に、
「古
典が苦手だったら質問に来ていいからね、いつでもいいから」といったら、月曜日に「先
生、僕は日曜の 1 時半に来たんですけれど、先生はいませんでした。
」と言われてしまいま
した。生徒にとって教員は土日もいるのが当たり前なのです。そういう子たちが社会人に
なっていったときに、無定形の労働を支える会社員になってしまうだろうな、と感じます。
その結果、卒業生を過労死させてしまっていいのかと胸が痛くなります。雨宮処凛さんが
“右翼”にいたとき、
「教え子を戦場に送るな」というスローガンを批判しろと言われ、
「学
校そのものが戦場ではないか」と愕然としたとおっしゃっていますが、私は現代では「戦
場」とはまさに企業ではないかと思うのです。全ての企業が、とは申しませんが非正規雇
用が拡大し、正規社員でも会社の言いなりにサービズ残業や休日出勤をしないと、いつ首
を切られるかわからない。そういう状況にあるとき、労働者の権利を教えず、教員から指
示されたことをひたすら言われた通りにやる進学校のあり方で良いのでしょうか、という
認識があります。そういうことを、キャリア教育と絡めて考えて行くことができないか、
というのが今の私の問題意識です。
児美川先生のご著書『若者はなぜ『就職』できなくなったのか?』(日本図書センター、
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2011 年)で、キャリア教育で「自分探しで自己理解を深める」ということをやるからいけ
ないのだ、とおっしゃっています。私はそこに大変興味があり、そこのどこに問題点があ
って、どうしたらいいのかということを、もっと深めたいと思っています。
それから職業高校ではない、普通高校での職業教育のモデルは何がいいのだろうか、と
考えています。いろいろな研究者が、いろいろな職業教育を提唱されているのですが、普
通高校で商業とか工業とか、カリキュラムに入れて教えるべきだというご意見もあります
が、私はあまりリアリティを感じないのです。
「形骸化する総合学習」化しそうな気がしま
す。たとえば未履修問題のように、
「キャリア教育」の看板だけ掲げて中身は受験勉強をし
てしまうとか。日本の現在の教育システムでは、それが実質化するにはまだかなり長い時
間を要する気がします。実質的には、文部科学省の進める「キャリア教育」だけではなく、
厚生労働省がいう「ディーセントワーク」をうまく取り入れて行く必要があるのではない
か、つまり「人間らしく働くこと」とは何かを考えていく必要があるのではないかと思い
ます。学校現場でも、もうすこし「ディーセントワーク」について議論できないかと思っ
ています。それから、憲法 27 条をもっときちっと教えるべきだと感じます。それは、内閣
府参与だった反貧困ネットワークの湯浅誠さんが、高校教師が集まった講演会で、
「社会と
いう戦場のようなオオカミの群れに裸で放り出すのではなく、肌着1枚身につけさせてほ
しい」という趣旨で話されていました。ご著書『反貧困 -「すべり台社会」からの脱出』
岩波新書、2008 年)でも書かれていますが、その真髄はやはり憲法 27 条だと思います。首
都圏青年ユニオンという組合がありますが、書記長の河添誠さんの講演も聞きました。
「先
生方、憲法 27 条にちゃんと書いてあるんですから、自信を持って教えてください。組合の
意義をそこで言ってください」と言われて、私もはっとさせられました。組合というもの
が必ずしも学校という職場の中で多数ではない実態、或いは今の社会状況全体で組合の組
織率が低下している中で、生徒に言いにくい雰囲気が確かにあります。しかし、
「組合に入
らなければ自分を守ることができない」ということを学校がきちっと教える大切さを河添
さんから学びました。「憲法第 27 条勤労権」と、それだけ覚えていてもだめなのだと思い
ました。条文にきちんと、
「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律
でこれを定める」と書いてあるのです。公民の教員任せにするのではなく、やはりそれを
もっときちんと教えていかないといけないと考えています。それにはまず、教員自身がも
っと社会の構造と労働問題を理解することが求められます。
シティズンシップ教育
それと関連させてシティズンシップ教育です。児美川先生も書いていらっしゃいました
が、シティズンシップ教育をどう位置づけるのか。受験知識注入というのは、従順な人間
を育てるのではないか。「この課題をこれだけやったらここに受かるんだよ」
、と言われる
と、生徒は安心してそれをやります。その結果どういう人格ができていくのかという課題
です。たとえば 3・11 大震災が起き、原発神話があったわけですけれども、それがあっと
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いう間に崩れた。でも、新たな原発神話がつくられている。それに対してマスメディアは
どういう報道をしているのだろう。そういうマスメディアに就職できるような、いわゆる
「人材」という人は、いい高校を出ていい大学を出て、いい新聞社とかマスコミ関係に入
っているわけです。だけどそこで、きちんと国民の利益に沿ったことが情報発信できてい
るのか。まあデスクがとめてしまうということもあるのでしょうが、記者会見の垂れ流し
になっており、自分で「ペンは剣よりも強し」という認識を持って記事を書いている記者
はどれくらいいるのでしょうか。それもシティズンシップの在り方だと思うのです。
それから、私はオウム真理教の問題が気になっています。この間、高橋克也容疑者や菊
池直子容疑者が逮捕されるという中で、私はオウム真理教事件のときに受けたショックは、
教員としてやはり今でも強く残っているのです。東大とか京大とか、早稲田、慶応という
大学の学生たちが、ああいう宗教集団の中に取り込まれていった。そのときに、学問って
なんて無力だったのだろう、教育って何なのだろうと、愕然としました。でも、ではその
ときの状況から今、何か変わっているのでしょうか。教育とか、キャリア教育とは何なの
だろうということを、その若者とカルト宗教というアプローチから改めて考える必要もあ
ると考えています。
大学入試制度と高大接続問題
最後に大学入試制度問題で、
「AO 入試とか公募推薦の学生ってそんなにだめですか?」と
いうことを、大学の先生方にお聞きしたいと思います。私の前任校では圧倒的に、AO 推薦
とか公募推薦で入っていく生徒が多いのですが、その生徒を否定されるような言説は非常
に切ないのです。その子たちなりに一生懸命がんばっているのですから。進路が決まり入
る大学が決定したあと、自分の学費を稼ぐために一生懸命アルバイトをしているのです。
そういう子たちって、非常に健気です。恵まれた経済環境にいてセンター試験を受ける本
校生と人間性で劣るかというと、私はそうではないと思っておりますので、
「そんなにだめ
でしょうか?」
、というのは素朴なつぶやきです。
それと関連して、センター試験が変われば本当に大学入試、大学教育は変わるのでしょ
うか、ということもお尋ねしたいと思います。もちろんセンター試験が抜本的に改善され
れば、問題は全て解決するわけではないことは周知のことですが、最初のところでも申し
ましたように、埼玉では多くの高校は、直接的にはセンター試験の大きな圧力をあまり感
じない中で、センター試験の矛盾から高大接続を論じるので良いのだろうか、という問題
意識です。進学一番手校、二番手校であっても、中堅校であっても、困難校であっても、
同じ発達段階の高校生です。大学進学率が 5 割を超える中で、ユニバーサル化しているわ
けですから、高大接続問題をもう少し多角的・多面的に議論する柱立てというものがある
のではないか、というのが素朴な疑問です。
非常にまとまりがなく、僭越なところも多々あるとは思いますけれども、皆様のご批判
を賜りたく存じます。長い間ご静聴くださりありがとうございました。
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