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第8号 (PDF 2.7MB)
第 8 号 昭和 82年 7月 15日 編集 ・ 発行 武蔵村山市立歴 史民俗資料館 武蔵村山市中藤6343T[[0425(60)6620 ″ Ψ 写真 4 文 久元年 (1861) ∪ 写真2 文 久2年 (1862) 降 臨 す る薬 師 如 来 を拝 む 家族 絵 馬 録 ノ尾の票師堂働 え ま 示「 樹J展 武蔵村 山市 の絵馬」 1 は 期 間 7 月 1 9 日∼ 9 月 2 0 日 じめに 絵馬 とは、神仏 へ の 祈 願 や 祈願成就 のお礼 のた めに、 献馬 の 記録 は 「続 日本紀 」を は じめ古 い 記 録 に 数多 せい │ど 大小 の板 に 様 々の 図 柄を描 いて 、神社や お寺 、桐な ど に 納 め る奉 納 物 の 一種 で す 。 くみ る こ とがで きますが、 こ う した生 馬献上 が行 わ れ る一 方 、経済的負担を 軽 くす るため 、土や木で造 った この 絵馬奉納 の お こ りは、神前 に馬 を献上 す る風 習 馬形 の 献上 も行 われ る様 にな りま した 。 この よ うな 馬 に あ った と考 え られ てい ます 。古 来 の 日本 で は 、馬は 形 が簡 略化 し板を 馬 の 形 に切 取 った板立 馬 が生 まれ 、 農耕や運 搬 な どの 日常事 を始 め軍 事面 に も多 く使われ さ らに 簡略化 し板 に 馬 の 姿を描 いた ものが 「絵馬」 の て きま したが 、 それ以上 に 神霊 が降臨す る時 の 乗物 と 原型 とされて い ます 。 いたたてうま 信 じられて い ま した 。 この よ うな信 仰は、今で も祭ネし 武蔵村 山市 の寺 社等 に も多 くの 絵馬 が本納 されて い に 馬を ひいた り、年中行事 に馬 の飾 り物を お供え した りす る風習 に 名残 りを とどめ てい ます 。祭 礼 や祈願 に ます 。今 回、資料館特 別展示 と して 、 これ らの 絵馬 を の一端 を紹介す ヽ/ 展示 ・公開 し、武蔵村 山市 に 残 る L I F 俗 際 して 、神霊 の 降臨 は願 わな ければな らず、そ のた め るとと もに、文化財保 護意識 の 高揚 に努め たい と思 い に 神霊 の 乗 物 で あ る馬を 神前 に捧 げ たので しょう。 ます 。 2 . 絵 馬 の 移 り変 り 「絵馬」 とい う言葉 が文献 に登場す るの は平安 時代 中期で あ ります が、実物 はそれ よ り古 く、静岡県浜松 市襟場造跡 の 奈良時代 の 地層 か ら、馬絵が墨書 され た 格 は、江戸時代 の芸 術 の大衆 化 に大 き く貢 献す る こ と はつ うま とな ります 。一 方 、小絵 馬 も江戸 で は 2 月 の初 午や 1 2 こうじもさい 月 の 荒 神 祭 の 前 に は 絵 馬 屋 が 町 々 を 売 り歩 い た 様 子 が え てう し 小型 の絵 の薄板 ( 写真 3 ) が 出上 してい ます 。 また 、 同様 の もの が奈 良県や 山形県 ・秋 田県 の遣 跡か らも発 絵 車子な どに描かれ てい ます し、そ の 本納 は江戸 時代 後半 の 文化 ・文政 の 項 に は 一 つ の ピー クに 達 して い ま 見 され ていて 、 これ らは絵馬 の 古 い もの だ と考 え られ てい ます 。 そ うします と、生 馬 献上 と絵馬奉納 の風習 す 。 この 習俗 は 日本 の 隅 々 まで普及 して お り、伊 豆諸 み くら な りわい 島の 一 つ 御蔵 鳥 に も島民 の 生業 の様を描いた大絵馬 ( 写 が 、あ る時代 には併 存 していた ことにな ります 。 真 4 ) が 稲根 神社 に本 納 されて い ます 。 様子 が 絵巻物 な どに描 か れ、その 習俗 がか な り広 く行 江戸時 代 か らの 絵馬 奉納 の 隆盛 は、 明治時代 まで つ づ きま したが、大 正 口昭和 と時代 が下 が るにつ れ てそ われ てい た こ とが判 ります。 また、 この時代 には お寺 の 数は少 な くな り、次第 にすたれ て きま した 。 しか し、 平 安時代 の 末か ら鎌 倉時代 にか けて は 、絵馬奉納 の たい ま へ 奉納 す る例 も登場 し、奈良県 当麻寺 か らは鎌倉時代 サ の 、 また秋篠寺 か らは室町 時代 の小絵 馬が発 見 されて い ます 。 室 町時代 まで に見 られ る絵馬 は 、 い ずれ も小型 で図 柄 も馬 とみな され るもの が ほとん どですが 、室 町時代 も中期 にな ります と、絵馬は大型 化 し形 や図 柄 も多様 に な り、専 門 の 絵師 や 著 名 な画 家 も描 くよ うにな りま した。 こ うして 、室 町時代 以後 、額 に入 った芸 術 的色 彩 を もつ大 絵馬 と、民 間信 仰 的色彩 の 強 い小 絵 馬 の二 通 りの 絵馬が つ くられ る 様 に な りま した 。 江戸 時代 にな ると絵馬を奉納す る習俗 は盛 んにな り、 大 絵馬奉納 のた め に 絵馬堂 が造 られ るほ どで あ りま し た。そ して 、 自由 に 出入 りで きる絵 馬堂 の 開放的 な性 -2- 写真 3伊 場遺 跡出土絵馬(9×7 3cm) 現代 は受験戦争 を反 映 した 合格祈願 絵馬を 中心 に交通 安全、家内安全 等 の小 絵馬が数多 く奉納 され 、絵 馬復 活 が 強 く感 じられます 。 3 武 蔵 村 山 市 の絵 馬 武蔵 村山市内 の 神社や お寺 な どに も多 くの絵 馬 が 掛 け られて い ます 。 しか し、古老 の 話 な どか らす ると、 以前 は も っと多 い数 の絵馬 が 本殿 やお堂 な どに も掛 け て あ つたそ うです 。I 1 3 在 、絵馬 が残 されてい る寺社 は 5真 十 二 所 神社や真 福寺を始 め と して 計 8 ケ 所 を数え 、枚 数 も5 8 枚程 で した 。近 年 、新 たに本 納 された 絵馬を含 / め ると優 に 1 0 0 枚 を 越え る数 とな ります。 ヽン そ の 中で最 も古 ↓絵 ノ の 、 塙と ヌ 尾 薬 師堂 に奉 納 さ 書と↓ 4 御 蔵 島 島民 生 業 図絵 馬 ( 部分 ) ます 。 八坂 神社 に は 、明治2 8 年銘 の 「日露 戦争従軍 略記大 絵馬 真 2 3 ) が 本納 されてい ます 。 この絵馬 は奉額 きな景 型で金塗 しを施 した 色紙形 の デザイ ンを用 い てお り、 ` 飯支 子 星:皆 畳 号 予 吾 繁 狭二 督 民 需 蜜 倭 盤 や と ど 旨 ネ ?所 是 唇 ヤ 督 螢 を を 涯 鷺 増1禄 盆 骨 磐 息 亀 看 基 S浦 晟 られ ます 。 この 他 、江 代 に 本納 され た と思われ る 官貯 絵 馬 は、 仙元 神社の 「 御弊降臨を 拝 む男絵馬 ( 写真 7 ) 」 と真 福寺観 音堂 に掛 け られていた 「槻馬絵 馬 ( 写真 1 1 ) 」 で す 。観音堂 で は江戸 時代木知1 以後 、 百観 音 と呼 ばれ てい ます 。 る馬 に 関す る祭Ⅲ が行 われて お り、そ の 関係の 絵馬 と 整 った 「むか い 目絵馬 ( 写真 2 4 ) J が あ ります し、 日 吉神社 に は 8 枚 の 「拝み絵 馬 ( 写真 2 5 ) J と 「裁縫 絵 思 われ ます 。 仙元 神社 には 、 それ以外 に富士 講 に関する絵馬や 「金 太郎 と熊 図 絵馬 ( 写真 9 ) 」 「奉納 刀 絵馬」等 が掛 け ら 晩 彗 窒 品 ;s岳 干 骨 吊 と 看 事 窒 晶 縁 警 景 蟹 者 奮 警 畳 盆 猫 宿 の 業師堂 には昭 和4 8 年に奉 納 され た小 振 りで形 の 」な どが奉 納 されてい ます 。 また、吉 祥院前 の 震 晋 輝 塔 に は 現代 の 絵 馬 も含 めて 1 4 枚が奉 納 されてい ます 。 お り、 これを絵 馬 とすれ ば現存 す る武 蔵村 山市 の 絵馬 [ 伝 緒 虜 父 彗審魂 簿繁 こ痛& 斐 ぁ 岳? 忍 指 i 畳雪 品 T と 「お腹の大 きな桃持猿 絵 馬 ( 写真 2 7 ・2 9 ) 」 が 2 枚 の うち技 も古 い もの とな ります 。 み られ ます 。 いずれ も庚 中塔 に 関連 させ て 願掛 け した 治H 日 真 福寺 に も、 l l l∼ 和 初期 と思わ れ る1 5 枚の 小 絵 もの と推 察 され ます 。 、 v 馬 の本 納 がみ られ ます 。 これ らの ほ とん どが 「むか い 目絵 馬」 で あ り、 これは真 福寺 の 本尊が 「薬 師如来 J 全 体 的 に 見 ます と 、 武 蔵村 山市 の 絵馬 奉納 は 、仙 元 神社や 真 福寺 、萩 ノ尾 ・宿 の 両英師堂 な どの 様 に そ だか らで し ょう。 そ の 他 は 日清 ・日露 戦争 当時 の軍 服 姿 の 「兵 隊絵馬」や 「母 子拝 み絵 馬」 「子供 拝み絵′ 軸 の 祭 神や本尊 等 に 関連 した 絵馬が中心で あ る例 や 、八 で すが、 「兵 隊絵馬 」 に も 「め」字 が描 か れ てい ます 。 明治 時代 の代表的 絵馬 は 、に 所 神社や鍛 冶 ケ谷戸 坂 神社や に 所 神ネとな どの 様 にその 地域 の 鎮守 と して の 役管」 を担 う形 で 絵馬奉納 がな されて い る例が主 な形 の 八 坂 神社 の 絵馬 で し ょう。 に 所 神社 の 本殿 に は 、 と言 ってよいで し ょう。 一方 、武蔵 村 山市 の 絵馬 に は著名 な絵 師等 に よる芸 計 9 枚 の 絵 馬 が掛 け られてい ます 。その 中 に 、歌舞 伎 の 一場面を題 材 に した絵 馬 ( 写真 1 9 。2 0 ) が 3 枚 程み 縁 妹 │ : 届豊 済 象観 県省 , 猟 ち公 努磐 螢『 供言 解営盆居 、 られます。特にそのうちの2 枚( 写 真2 0 ) は 齢怒作り 武蔵村 山市 の絵馬 はその ほ とん どが 、 神社や お寺な ど です 。 所 神社 には この 他 に 、 つ まみ細工 ( 袋物) 注最 手 法 の 雛型を 集め た絵 馬 ( 写真 2 2 ) ゃ 「扇 と花飾 絵馬 時を 限 らず秘 め た願 い 1 算を祈願 す るため に心 を こめて ( 写真2 1 ) 」 「 大願成就J 等 の文字絵馬も碁統 されてい 奉納 され た 「庶民 の 絵 馬」 で あ ると言 え るで し ょう。 -3- の祭礼や縁 日に 、あ るい は年 中行事 の 析 々 に 、また 、 4 . 写 真 で み る 武 蔵 村 山 市 の絵 馬 ( 1 ) 仙 元神社 写真5奉 納額 (安政 5年 二1858) 写真6富 士講図絵馬 (明治11年) ▼ 写真8富 士山景絵馬 (大正6年 ) 写真 7御 幣降臨を拝む男 0 写 真 1 参 明 藤 開山 天絵 馬 ︵明 治 卸年 ︶ 写真9金 太郎と熊図絵馬 -4- V 写真 で み る武蔵村 山市 の絵馬 ― ( 2 ) 真 福 寺 と観 音 堂 だ ︺ 写真12兵 隊絵馬 写真11観 音堂の 「 裸馬 4 兵隊絵 馬 写真 1 3 写真 1 8子拝み絵馬 0 ︵ 大正1 年︶ 6 むかい目 ︲ 稔馬 ぜ 7 むかい目絵馬 写真 1 -5- 写 真 で み る武 蔵 村 山市 の 絵 馬 ― (3)十 二所 神社 写真20菅原伝授手習館,北野社頭の場図絵馬 写真19牛者丸と弁慶,五条大橋図絵馬(明治33年) (明治44年) 写 真 21扇 と花 飾絵馬 (大正 43年) (4) ▼ 写真22つ まみ細工(袋物)雛型絵馬(大正 9年 ) 八坂 神 社 サ 写真23 日露戦争従軍 昭記絵馬 (明治28年) -6- 写 真 で み る武 蔵 村 山市 の絵 馬 ― ― ― 日吉神 社 ( 5 ) 宿 の薬 師堂 5真 写真25親 子拝み絵 (明治27年) 24む かい目絵馬 (昭和 43年) (7)吉 祥 院前 の 庚 申塔 5真 写真 26 青面 金岡」と桃持猿絵馬 28尼 拝み絵 馬 猿絵馬 lll持 5 お わ りに 武蔵村 山市内 の絵 馬本納 は、うと 在 で も御伊 勢 の 森 神 明ネ上や真 福寺 などで元 旦を 中心 に行 われて い ます し、 それに加え 、絵 ノ 馬の起 源 一 つ を と って も 「生 馬 → 馬 形 → 板立 サ 馬→ 絵馬 」 の 一元 的発生論 に対す る疑 問 や 、 れ てい ます 。 それ らは合格祈 願や家内安全 な どの 小絵 伊場遺 跡 出土絵馬 が神社 へ 本 納 した とされ る絵馬 と同 種 の もの で あ るとす る一般 的風湖 に対 し、伊 場遣跡発 馬 で すが、絵馬 に 託す祈 りの 姿は現代 に おい て も脈 々 堀報 告書 の 中で 歯止 めの 意 味 で 示 され た 疑問 な どがあ と生 きて い るとい って よい で し ょう。 るとお り、絵 馬研 究 も今 後 の 大 きな課題 とい って よい 構 日の子 の 権現 社 には乳代 の 絵馬 だけ5 0 枚近 く奉 納 さ しか し、新 た な大絵馬 の 本納 もな く、民間信 仰的要 で し ょう。 素 の 強 い小絵馬 の 本納 も ほ とん どみ られ ませス″ 。 と同 文末 に あ た り、今 回 の 特 別展示 に際 し景こ な絵馬 を 時 に残 されて い る貴重 な絵 馬 も、寺 社 の 改築 等 によ っ お貸 しいた だ いた各 神社 やお寺 等 の 関係 の方 々に厚 く て失 われ る危機 にあ ると言 って も過 言 で はないで し ょ お礼 中 しあげ ます と と もに 、伊場 遺跡 出上 の 絵馬 写真 う。 それ だけに、地域 の 歴 史 や民 俗 の 生証 人 と も言 え る絵 馬 の保 存 につ いて早急 に図 る必 要 が あ るので はな 借用 に 御快 諾 いただ き ま した浜松 市博 物館 及 び 御蔵 島 いで しょうか 。 意を 表す る次 第 で す 。 -7- 生 業絵 馬写真 を御提供 いた だいた 橋 日 尚武民 に感謝 の 寄贈 資料 ( 昭和6 0 年4 月 1 日 ∼昭和6 2 年3 月 3 1 日) 寄 贈 寄 贈 者 品 備 住 所 氏 名 三 ツ木 1 0 5 0 5 1 品 石川伊二郎 名 考 滞ふ 滞寄 次 の方 々よ り貴重 な資料 を御 寄贈 い た だきま した。 あ りが とうごどい ました。 寄 贈 寄 贈 者 品 備 数量 住 所 氏 名 品 名 ミ シ ン 1 点 中藤 3 8 9 9 高橋 勝 姓 記 念 写 真 つ タ ツ 1点 中藤 1 4 6 0 - 3 6 8 3 佐藤 文 夫 押 し 花 1 点 1 的点 ク ワ ク レ台 1 点 14 ニ ツ木 6 4 9 山崎 典 睦 板 火 1 点 15 =ツ 木 1150 増尾 権 二 タ ン 岡野 映 子 明治東京全図 1 冊 内野 克 夫 シ マ ダ 糸 3束 組 合 換 1 式 旗 1 式 鉢 製 麺 険 立 "Ⅲ 市高松町 1 点 1-11-1 箕 他 1缶点 17 中藤 3 - 3 0 - 5 Jじ顛 内蔵付山支部 考 数エ 碑 ス 1 点 1点 三 ツ木 1 2 比留間邦助 藍 室 2点 ニ ツ木 1 2 4 5 3 三 ツ木 1 2 0 1 金井 武 雄 記 念 写 真 3点 中央 2 3 4 - 3 太子講組合 組 合 4 中藤 1371 中藤 祥 瑞 縄 文 土 器 1 点 神 明 3-64-1 藤野 太 郎 長 5 中藤 3-281 内野喜太郎 花 火 筒、他 5点 6 大南 1-102-4 三沢 身 司 百 科 事 典 18冊 中藤 1 4 6 0 - 3 1 1 5 北岡 とみ子 7 神明 32 藤野 吉 男 唐 1 点 神明 2 - 8 7 5 藤野 清 冶 唐 箕 1 点 持 1 点 茶 ブル イ、他 5 点 ペエ ご 2 1 点 ヤ 畑山三左箭 5 防 寒 高橋 圭 一 神 明 4-61-2 9 瑞穂 町箱根 ケ崎 248 11 神明 2 - 6 2 - 1 具 ラ 中藤 1460-548-1 8 形物 脱 数 器、他 プ置 箕 9点 カ 中央 1 - 6 5 1 波多野 誠 書 籍 5冊 1 点 2/ 三 ツ木 7 比留間市郎 書 籍 90冊 縄 文 土 器 1 点 マ ブ シオ リキ 4点 打 製 石 斧 34点 茶 ブル イ、他 34点 村山 実 春 縄文土 器、他 10箱 基岸竜太郎 ス、 他 タン 25 3点 三 ツ木 1 0 5 0 - 6 豊泉 林 七 タ ス キ副 製 1 点 府 中市栄町 1-24-13 増尾 次 郎 ミ シ 1 点 ン 資 料 館 利 用 状 況 ( 昭和6 1 年4 月 1 日∼昭和6 2 年3 月3 1 日) に)利 用状 況 12)参 区分 瞬 館 日数 市 人 数 4 1,501 針 割 合 521 660 479 5 625 375 375 467 999 024 7 1,130 663 8 2087 1,307 9 923 525 569 1,292 718 556 11162 594 704 526 747 758 511 674 2 lp59 732 3 1,685 1,135 674 ,762 597 14,677 がで % 527 6 284 割 合 市外利 用者数 人 791 1,377 1 人 数 三 多様地 区 人 数 割 合 23 人 数 区 部 外 割 合 人 数 地 割 合 人 500 % 632 660 412 624 2ユ0 6 375 253 675 112 413 7 467 253 542 374 8 780 447 573 9 398 207 520 246 574 374 652 193 568 300 528 574 444 568 489 S 61 4 11 253 327 32● 3 550 312 5,915 3,472 -8- 101 計 5&7 % 231 ▼ 184 236 215 107 247 529 5α7 人 183 2,7 219 2 合 % 197 2は6 1 3119 5,915 人 108 178 S62 327 (市外利用者 の状 況) 考 % 473 5 11 S 62, 人 外 人1 日 人0 S 61 市 利 用 者数 月別 合 内 67 91 118 215 1,151 1,5 278 218 1,292