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1 資料:チェチェン関係年表(マスハドフ政権誕生後)
ソビエト史研究会・ロシア史研究会共催 「1 月例会」2010 年 1 月 23 日、於:東京大学本郷キャンパス 資料:チェチェン関係年表(マスハドフ政権誕生後) 年 1996/8/30 1997/1/26 2/12 2/16 2/19 2/22 3/4 4/2 4/22 4/28 5/6 5/10 5/12 5/22 5/24 5/31 6/2 6/3 6/6 6/10 6/13 6/30 7/1 7/8 7/12 7/25 7/28 7/29 7/30 8/8 8/13 8/17 8/18 9/4 9/9 9/13 9/30 10/13 10/25 11/11 11/1311/16 11/25 出来事 チェチェンのマスハドフ参謀長とロシアのレベジ安全保障会議書記がハサヴユルト合意締結 チェチェン共和国大統領選挙実施:マスハドフが選出される(得票率 59.1%) マスハドフ政権誕生 大統領直属上級評議会設立(30 名で構成、政権に加わらなかった有力野戦軍司令官も参加) マスハドフが対ロシア国家交渉委員会(ウドゥーゴフ委員長任命)設置 イングーシでロシアのルィプキン安全保障会議書記とウドゥーゴフ副首相兼交渉委員長会談 グローズヌィでロシア人ジャーナリスト 4 名が拉致される ドゥダーエフ死亡から1年の日にラドゥーエフがロシア内でのテロを表明 アルマヴィル駅で爆破事件(クラスノダルスク地方?) プリゴルスク駅で爆破事件(?) ウラル地方からのジャーナリスト2名がグローズヌィで解放される НТВ のジャーナリスト 4 名が拉致される モスクワでエリツィンとマスハドフが平和条約締結 マスハドフ大統領タタールスタン訪問、タタールスタンと友好互恵協定に調印 グローズヌィ市長候補のヤコブ・ウスマーノフが拉致される グローズヌィ市長選 マスハドフが「法秩序の保護」作戦開始を宣言 戦争参加者の社会復帰の為の国家委員会設置(元野戦軍司令官を中心に 30 名で構成) マスハドフ政権第一次内閣改造(「円卓」や「政党・活動調整会議」出身の閣僚が追われ、野戦軍司令官が多数政権 に参加) チェチェン国有南石油会社 ЮНКО 社長ヤリハノフとロシア第一副首相ネムツォフが石油パイプラインの復旧活動を 始める事に合意 イタル・タスとラジオ・ロシアのジャーナリスト解放 グローズヌィで雑誌記者 2 名が拉致される ロシアのチェルノムイルジン首相とマスハドフが銀行・関税・石油事業における協力に関する覚書に調印 援助団体に勤務するイギリス人 2 名が拉致される マスハドフがアゼルバイジャン訪問、アリーエフ大統領と会談 ダゲスタンのハサヴユルト地区の橋で爆破事件。民警 10 名死亡、10 名がケガ ロシア・チェチェン関税協定調印 チェチェンとロシアの交通・通信に関する政府間協定の破棄(具体的に破棄した協定の日付・内容は特定出来なかっ たが、96 年 11-12 月にマスハドフとチェルノムイルジンで合意したものだと思われる) マスハドフがロシアとの外交関係樹立に関する作業の開始を表明 マスハドフがチェチェン共和国経済復興計画のロシア政府による承認の為の交渉を凍結すると発表 エリツィンが「チェチェンと合意出来るのは権威の境界線に関するものだけである」と発言 マスハドフ大統領がチェチェンはイスラーム国家である旨、表明 ウドゥーゴフが偽装したロシアの戦闘機がグローズヌィの市場と空港を攻撃したと非難 拉致されていた雑誌記者 2 名が解放される モスクワでエリツィンとマスハドフが会談 グローズヌィでシャリーア裁判によって死刑を宣告された 2 名が公開銃殺される ロシアとチェチェンの間でカスピ海石油輸送協定に調印 ソチでロシアとチェチェンの交渉。ロシアとチェチェンの合意を形成する為の三つの作業グループの設立に合意 副大統領のアルサーノフがグローズヌィからロシア代表部代表を追放 バサーエフ、ラドゥーエフ、フンカル=パシャが反マスハドフ三角同盟を形成(10 月までに形成との情報あるも具体 的な形成時期は不明) イギリスのロバート・マカルピン上院議員を始めとする外国訪問団がグローズヌィを訪問 マスハドフ大統領と会談 チェチェン経由のバクー・グローズヌィ・ロヴォロシースク石油パイプライン再始動 ロンドンで「コーカサス投資基金」が設立、コーカサスへの目標投資金額を 30 億ドルに設定 マスハドフがトルコ(アンカラ、イスタンブール)、アメリカ(ワシントン)、アゼルバイジャンへ外遊 ヤンダルビエフとウドゥーゴフが「自由の闘志」と呼ばれる軍事愛国者同盟会議(съезд военно-патриотического союза) をグローズヌィで開催、マスハドフ政権の退陣を求める 安全保障会議の場でエリツィンがチェチェンへの訪問の意思があると言及 1 ソビエト史研究会・ロシア史研究会共催 「1 月例会」2010 年 1 月 23 日、於:東京大学本郷キャンパス 11/26 12/18 12/20 12/22 1998/1/3 1/6 1/14 1/27 1/29 1/31 3/8-12 3/29-30 4/25 5/1 7/1 7/23 7/25 7/28 8/1 8/5 9/20 9/23 10 月初旬 10/15 10/22 11/13 10/29 10/30 12/7 1999/1 2/3 2/8 3 月末 5/12 8/2 マスハドフがエリツィンを「外国の元首」としてチェチェンに受入れたいと表明 マスハドフがシンガポール、フランス、イタリア、ブルガリア訪問 ラドゥーエフがダゲスタンのイスラーム過激派武装集団「ジャマーアト・アミール」と軍事同盟に調印(イチケリア、 ダゲスタン、イングーシ、カバルダ・バルカル、カラチャイ・チェルケス、アゼルバイジャンを含むイスラーム統 一国家樹立を目標に掲げる) →ハッターブ、バサーエフ、ヤンダルビエフの招待によりダゲスタンのイスラーム過激派武装勢力の司令官バガウッ ディーン・マゴメドフがチェチェン訪問 ダゲスタンのブイナクスクで武装勢力が電動ライフル部隊を攻撃 マスハドフがバサーエフを首相代理に任命。内閣の組閣を命じる クリコフ内相兼副首相が「ロシアは犯罪者の基地に先制(予防)攻撃する必要がある」と表明 グローズヌィにロシアからオレグ・スィスエフ副首相とヴィクトル・フルィストゥン副首相ら代表団が訪問 クリコフ副首相兼内相が「チェチェンには『動乱の地方(провинция)』という地位を与えなければならない」とメデ ィアとの問答で応える エリツィンが「チェチェンに行く意思」を改めて表明 ブイナクスクで軍基地へ攻撃事件 マスハドフを代表とするチェチェン政府代表団(13 名)がイギリスに訪問 サッチャー元首相と会談、オックスフォード大学での講演、議会訪問、ビジネス関係者・ムスリム・コミュニティと の会談、王立国際問題研究所での声明発表 マスハドフの随行人の一人が「モスクワの誰かはチェチェンに先制(予防)攻撃する必要があるとしたが、このよう な予防外交がチェチェン大統領の回答である」と言及 グローズヌィで南北コーカサス首脳級サミット開催(全ての北コーカサス共和国首長、カルムィク共和国、スタヴロ ポリ地方、ロストフ州の首長、グルジア、アゼル担当大臣参加) ダゲスタン・イチケリア国民議会(Конгресс Народы Ичкерии и Дагестана)創設→バサーエフが議長就任 エリツィン大統領の特使ヴァレンティン・ヴラソフが拉致される(ヴラソフの情報で同じ場所に英国人2名も拘束さ れている事が発覚) グルジア・チェチェン幹線道路開通→未確認。11 月にチェチェン側のみ完成という情報も マスハドフの暗殺未遂事件発生 チェチェンのムフティーであるカドィロフが「チェチェン・イングーシ・ダゲスタン・ムスリム議会」を開催。「ワ ッハーブ主義」の脅威を確認し政権に取組みを求めた。また全ての北コーカサスのムフティーが参加する「北コー カサス・ムスリムセンター」をナズラニに開設 チェルノムイルジン、ベレゾフスキー、シェイミーエフ、レベジがチェチェン紛争を終わらせる為の交渉の努力が必 要だという声明をアピール マスハドフとロシアのキリエンコ首相、ステパーシン FSB 長官の三者会談 マスハドフのトルコ訪問、翌日アメリカへ(アメリカのムスリム機関主催の「第 2 回国際イスラム統一会議に参加」) ベレゾフスキーがラドゥーエフと交渉し、英国人2名を解放。彼らをロンドンに送り返す。 バサーエフとラドゥーエフがマスハドフの辞任要求集会を開催 イギリスの通信会社に勤める 4 人の技術者が拉致される マスハドフがポーランドへ訪問、前後してグローズヌィでマスハドフを支持するチェチェン民族大会が開催され、拉 致されたイギリス人らの解放を野戦司令官に要求→対抗して野戦司令官も民族大会開催 マスハドフがイギリス人らを拉致しているバラーエフらに対して解放しなければ大規模な作戦を展開すると最後通 牒を出す ヴラソフが解放される(但し、そもそもヴラゾフが拉致されていたという事実に対して疑問を呈している研究者もい る) ダゲスタンのマハチカラでアメリカ人教師が拉致される ヴラディカフカースでロシアのプリマコフ首相とマスハドフが会談 マスハドフがウドゥーゴフ外相兼副首相を解任 アラビ・バラーエフが拉致していたイギリス人 3 名、ニュージーランド人 1 名を殺害する ハッターブが外国からのムスリム義勇兵を含む「イスラーム軍」の創設を開始 マスハドフ大統領がシャリーア・クルアーン・シューラー体制の導入(共和国憲法・議会停止) 反マスハドフ派が非公式のシューラーを開設する(5 日との報道も) チェチェン政府はロシアが未納しているパイプラインの通行料(100 万ドル)を請求、アゼルバイジャンの協力を得 て一時的にパイプラインによる石油輸送を停止 グローズヌィで「第二回イチケリア・ダゲスタン国民議会開催」、イスラームに基づくダゲスタン・イチケリア統一 国家の樹立を決定、バサーエフをアミール(軍事司令官)に任命 ダゲスタンのイスラーム過激主義武装勢力司令官マゴメドフがダゲスタンのツゥマディ地区に侵攻 2 ソビエト史研究会・ロシア史研究会共催 「1 月例会」2010 年 1 月 23 日、於:東京大学本郷キャンパス 8/6-7 8/10 9/4 9/8 9/13 9/14 9/22 9/23 バサーエフとハッターブに率いられたダゲスタン、イチケリア、アラブ人を含む混成部隊がダゲスタンのボトリフ、 ツゥマディを侵攻 →ロシア軍、ダゲスタン共和国内務省が反撃 ダゲスタン・イスラーム国家の樹立宣言、イチケリア・ダゲスタン国民議会議長のバサーエフを国家元首に選出 ダゲスタンのブイナクスクでアパート爆破事件が発生(64 名死亡、146 名負傷) モスクワのグリヤノフ通りでアパート爆破事件が発生(130 名死亡、200 名負傷) モスクワのカシルスコイでのアパート爆破事件が発生(18 名死亡、310 名負傷) マスハドフとバサーエフがそれぞれ別に一連の爆破事件への関与を否定 リャザン事件発生(居住者が未然にアパート爆破事件を防ぐ→連邦は発見者を英雄として扱うも直後に訓練だったと 表明→住民や民警の反論、メディア取材の過熱) プーチン首相、ハサヴユルト合意を破棄し、チェチェンにおける「テロリスト殲滅作戦」の実施 →第二次チェチェン紛争の開戦 資料:第一次チェチェン紛争後の内閣人員(バサーエフ内閣まで) マスハドフ政権第一次内閣(97.2.12-6.3*) 首相 第一副首相 副首相 副首相 職務 名前 アスラン・マスハドフ モヴラディ・ウドゥーゴフ ルスラン・クターエフ ゲルソルト・エリムルザエフ 外相 内相 エネルギー担当相 法相 ルスラン・チマーエフ ガズベク・マハシェフ ヌルディン・ウサモフ エリザ・シェリポヴァ 南石油会社社長 ホジ=アフメド・ヤリハノフ テレビ・ラジオ国家委員会委員長 税関・国境警備局長 国有財産管理国家委員会委員長 国家保安局長 独占禁止政策国会員会委員長 教育相 住宅・公共事業相 公文書保管局局長 交通局局長 環境局局長 道路維持管理建設局局長 レマ・チャバエフ マゴメド・ハトゥエフ レチャ・バタロフ アブ・モフサエフ ハスマゴメド・ヂェニーエフ マイラディ・オズダルビエフ アダニ・オスマエフ ダルハン・ホジャエフ ムサ・バカエフ ムハメド・アルサヌカエフ ヌジデン・ダアエフ 労働雇用局局長 ハリド・ヴィトシェフ 備考 大統領 兼務対ロシア交渉国家委員会:独立派野戦軍 民族独立党党首:独立派、ロシア・CIS 担当相 憲法体制復興運動の指導者、95-96 年に親露派政権議 会議長、社会問題担当相 旅団長:独立派野戦軍 親露派政権内「グロズエネルゴ」社長 「チェチェン民族会議」法務委員、ドゥダーエフ政 権検事総長、独立派 長官級、95 年ドゥダーエフ政権外相(ペテルブルグ を拠点に活動)、独立派 記者出身 旅団長:独立派野戦軍 旅団長:独立派野戦軍 親露派政府でも実務要職 チェチェン共和国国立大学主任教授 親露派政権内でも同職 野戦司令官:独立派野戦軍 「チェチェンアフトトランス」社長 親露派政府でも実務要職 親露派政府でも実務要職、「チェチェンアフトドル」 社長 親露派政府最高会議副議長 *新内閣の副首相等の主要ポストは 4 月1日に任命されたものの、内閣の議会での承認は 6 月 3 日なので旧内閣も同日まで機能。 マスハドフ政権第二次内閣(97.6.3-98.3.5*) 職務 首相 第一副首相 第一副首相 名前 アスラン・マスハドフ シャミーリ・バサーエフ モヴラディ・ウドゥーゴフ 副首相 ムサ・ドシュカエフ 備考 大統領 兼首相代行・工業担当相、独立派野戦軍 兼務対ロシア交渉国家委員会、国家政策・情報通信 問題担当相、独立派野戦軍 ドゥダーエフ政権副首相、経済問題担当相、マスハ ドフの意向で任命、独立派 3 ソビエト史研究会・ロシア史研究会共催 「1 月例会」2010 年 1 月 23 日、於:東京大学本郷キャンパス 副首相 副首相 副首相 ルスラン・ゲラーエフ ロム=アリ・アルスルタノフ イスラム・ハリモフ 副首相 外相 経済相 アフメド・ザカーエフ ヒジル・アフマドフ イサ・アスタミロフ 旅団長:独立派野戦軍、建設問題担当相 食品兼農業担当相、マスハドフの意向で任命 旅団長、社会問題担当相、マスハドフの意向で任命 →98 年からシャリーア防衛相 旅団長:独立派野戦軍、文化兼科学・教育担当相 1997/4-6 の間はルスラン・チマーエフ 元南西方面司令部司令官、ゲラーエフの参謀:独立 派野戦軍 留任:独立派野戦軍 内相 カズベク・マハシェフ 財相 サイド=イブラギム・クルバノフ エネルギー経済相 ヌルディン・ウサモフ マスハドフの意向で留任 法相 エリザ・シェリポヴァ 留任:独立派 農相 リズヴァン・イブラギモフ 社会問題・労働相 ハリド・ヴィナシェフ マスハドフの意向で任命 運輸相 エリ・サルタノフ 国務相 ジャヴラディ・アイブエフ 住宅・公共事業相 アダニ・オスマエフ マスハドフの意向で留任:親露派実務家 国家保安局局長 レチャ・フルトィゴフ 1997/6 まではアブ・モヴサエフ 非常事態・戦略・民間防衛委員会 ベクハン・イスラモフ 野戦司令官:独立派野戦軍 委員長 国家環境委員会委員長 ラムザン・モヴサロフ 南石油会社社長 ホジ=アフメド・ヤリハノフ 留任:独立派 道路維持管理建設局局長 ヌジデン・ダアエフ 留任:親露派実務家 建設・請負組合長 アスラムベク・イスマイロフ 野戦司令官:独立派野戦軍 国営銀行社長 アブラシェイド・ザカーエフ マスハドフの意向で任命 国家歳入局局長 オマール・トルシャエフ 国有財産局局長 ハムザト・サイトフ テレビ・ラジオ国家委員会委員長 レマ・チャバエフ 情報通信局局長 イドリス・アリーエフ 国家技術管理委員会委員長 エルマルザ・ズバイラエフ 青少年・スポーツ・観光局長 アブドゥル=ハミド・ツゥツラエフ 税関・国境警備局局長 マゴメド・ハトゥエフ 留任:独立派野戦軍 *但しバサーエフの新首相の就任は 97 年末(98 年1月1日付)からであり、3 月 5 日は新内閣の組閣が終了し、宣誓した日付。 バサーエフ内閣(98.3.5-7.3*) 職務 名前 備考 首相 シャミーリ・バサーエフ 兼務第一副首相 第一副首相 トゥルパル=アリ・アトゲリエフ 旅団長:独立派野戦軍、マスハドフ支持 副首相 モヴラディ・ウドゥーゴフ 兼務外相、独立派野戦軍 副首相 カズベク・マハシェフ 准将、前内相、武力部門担当 副首相 イサ・ビサーエフ 大統領上級評議会所属、経済部門担当 副首相 フセイン・シダーエフ 社会部門担当 シャリーア防衛相 イスラム・ハリモフ 98 年 7 月からはアスラムベク・アルサエフ 燃料・エネルギー相 シルヴァニ・バサーエフ バサーエフの弟、大佐 建設相 アスランベク・イスマイロフ 天然資源国家委員会委員長 イサ・アスタミロフ 文化・情報・通信国家委員会委員長 アフメド・ザカーエフ テレビ・ラジオ国家委員会委員長 レチ・バカナエフ ドゥダーエフ政権で情報・出版副長官 *途中で政権内及び大統領と首相、また野戦司令官と大統領の衝突で有名無実化する 出典:筆者作成。 なお内閣の人員については、玄[2006, pp.329-330]を参考の上、 Музаев[1997], Новое Время, №11, 1997г., Музаев[2004] Аслан Масхадов: политическая биография(http://kavkaz-forum.ru/dossier/3279.html)を参照し作成した。 4 ソビエト史研究会・ロシア史研究会共催 「1 月例会」2010 年 1 月 23 日、於:東京大学本郷キャンパス 参考文献 レジュメでは特に取り上げていないが、報告原稿論文を作成するに当たり、参照した文献も含む。 アフマードフ, ムサー[2009]『チェチェン民族学序説』今西昌幸(訳)高文研 稲田十一[2004]「紛争と開発」『紛争と復興支援』有斐閣 北川誠一[2000]「チェチェン政治の対立的要素」『ロシア研究』第 30 号、pp.58-72 ——[2005]「野戦司令官から、ジャマーアト・アミールへ」『東北大学歴史資源アーカイヴの構築と社会的 メディア化』(http://www.sal.tohoku.ac.jp/archive/)東北大学国際文化研究科 塩川伸明[2007a]『国家の構築と解体』岩波書店 ——[2007b]『ロシアの連邦制と民族問題』岩波書店 篠田英朗[2005]「武装紛争中・後における人間の安全保障措置」『紛争と人間の安全保障』国際書院 武内進一[2008]「アフリカの紛争と国際社会」『戦争と平和の間』アジア経済研究所 ——[2009]「紛争の理論と現実」『地域から見た国際政治』有斐閣 月村太郎[2006]『ユーゴ内戦:政治リーダーと民族主義』東京大学出版会 ——[2007]「民族的少数派となる恐怖:旧ユーゴ連邦解体過程におけるセルビア人を例として」 『国際政治』 第 149 号、pp.46-60 ——[2009]「体制移行と民族紛争の発生」『国境なき国際政治』有斐閣 富樫耕介[2008]「第二次チェチェン戦争の経緯と現在の課題」『ユーラシア研究』第 39 号、東洋書店 ——[2010](刊行予定)「社会文化的要因からの第一次チェチェン紛争の考察:社会文化的特徴の重要性と 評価をめぐる問題」『インターカルチュラル』第 8 号 野田岳人[2008]「チェチェン革命とドゥダーエフ体制」『群馬大学留学生センター論集』第 7 号、pp61-86 廣瀬陽子[2005]『旧ソ連地域と紛争』慶應義塾大学出版会 玄承洙[2005]「北カフカースにおける『ワッハーブ主義』」『イスラム世界』第 64 号、pp.91-99 ——[2006]『チェチェン紛争とイスラーム』東京大学総合文化研究科地域文化専攻博士請求論文(国立国会 図書館所蔵) プリマコフ,エヴゲニー[2002]『クレムリンの 5000 日』鈴木康雄(訳)、NTT 出版 山根達郎[2008]「DDR とリベリア内戦」『戦争と平和の間』アジア経済研究所 輪島実樹[2008]『カスピ海のエネルギー資源を巡る攻防』東洋書店 Bennigsen, Marie[1999], Chechenia: political developments and strategic implications for the North Caucasus, Central Asian Survey, 18:4, pp.535-574 Collier, Paul & Hoeffler, Anke[2000], Greed and Grievance in Civil War, Washington D.C. 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