...

LSN2001-1 ミレニアム企画 『先端バイオの先を読む』 第4回 免疫

by user

on
Category: Documents
11

views

Report

Comments

Transcript

LSN2001-1 ミレニアム企画 『先端バイオの先を読む』 第4回 免疫
A m e r s h a m
P h a r m a c i a
B i o t e c h
ミレニアム企画『先端バイオの先を読む』
第4 回 免疫学の新たなステージ
左:本庶先生 右:大石先生
我々を感染から守っている免疫系は、
いろいろな種類の細胞や分子が連携して働く、洗練されたシステムです。
個々の細胞や分子の働きは、
他の分野には類を見ないほど詳しく調べられており、
これからはシステムをまるごと理解するという難問が待ち受けています。
キソンとイントロンという概念は、もともとアデノウイルス
から出てきたのですが、哺乳動物でこの概念が確認されたの
は、ヘモグロビンを構成するグロビンと免疫グロブリンの遺伝
子が最初なのです。この例をはじめ、免疫学は、真核生物に
おける1つのモデル系として分子生物学の発展を常にリード
してきた。その範囲は、免疫学に固有の遺伝子組み換えと
いう現象はもちろんのこと、基本的な転写とかシグナル伝達
にまで及んでいると思います。また、生物における認識とい
う現象について新たな概念を示したことも、免疫学の非常
に重要な成果だと思います。例えば、抗原呈示にかかわる
MHC(主要組織適合抗原系)は特異性が非常に低く、広
い範囲のペプチドを認識しますが、それでいて、ある種の特
異性は明確にもっています。このことは私自身も非常に不
思議だったのですが、現在では、ペプチドが結合する部位の
立体構造からきちっと証明されています。分子の認識とい
うと特異性が高いものだと考えられがちですが、それとは全
然違う認識法もあることが分子レベルで示されたわけです。
大石 おっしゃる通り、分子生物学へのインパクトは多方
面にわたっていますね。私は、神経系などで見られる多様性
の理解にも免疫学の成果が貢献するのではないかと思ってい
ます。嗅覚のにおい受容体や、脳内でのニューロン同士の
シナプス形成では、多様性の発現と多様な対象の識別が大
きな問題となっています。今のお話にあったMHCも含め
て、免疫系では多様性についての理解がずいぶん進んでいま
すから、メカニズムは違うとしても、これからの研究にヒン
トを与えてくれると思うのです。
本庶 免疫系の非常に大きな特色は、ゲノム情報をそのま
ま使うのではなく、変換することによって生理活性を制御し
ていることです。そのメカニズムとしては、VDJ組換え、ク
ラススイッチ組換え、ハイパーミューテーション、それに、
ニワトリなどでの遺伝子変換が知られています。ゲノム情報
免疫は生命現象のエッセンス
大石 本庶先生は、日本の免疫学の第一人者であり、抗体
クラススイッチの仕組みについて重要な発見をされるなど免
疫の基本的分子メカニズムの解明に大きく貢献してこられ
ました。今日は、そのお立場からの興味深いお話を伺える
ものと楽しみにしています。私はこの分野については素人で
すから、話の引き出し役として、いろいろな質問をさせてい
ただくつもりです。免疫学は病原体の発見以前から研究され
ており、医学のうちでも非常に古い歴史をもっていますが、
その基本的なメカニズムは近年になってから急速にわかった
わけですね。しかも、非常に多くの事柄が非常に詳細に解明
され、現在も解明が進んでいる。そういう分野は、医学の
中でも数少ないと思うのですが。
本庶 確かに、免疫学は20世紀後半にドラマチックに進み
ました。しかし、だからといって、決して免疫が全部わかっ
たわけではないのです。そこは、きちんと申し上げておきた
いと思います。
「全部わかった」という印象を皆さんが抱く
のは、免疫が、解明の始まる以前にはあまりにも摩訶不思
議な現象であったからだと思います。そこへ、分子生物学
的な視点から、ごく基本的なところでのブレイクスルーが起
こり、それをきっかけに免疫学は大きく展開しました。その
成果があまりにも目覚ましく、前の状況との差が極端である
ために「全部わかった」と誤解する向きもあるのでしょう。
でも、絶対にそうではありません。
大石 優秀な研究者がたくさんいて成果がどんどん上がり、
免疫学が大きく進んだことは確かですね。それだけでなく、
ここ20∼30年間の免疫学の進歩は分子生物学の基本的な部
分にもさまざまなインパクトを与えてきたと思います。
本庶 分子生物学の基本概念のほとんどは、免疫学の成果
の影響を受けていると言ってもよいと思います。例えば、エ
Life Science News (Japan. Ed.) 1, 2001 Amersham Pharmacia Biotech
2
A m e r s h a m
P h a r m a c i a
変換機構としては、これ以外にRNA編集があり、これだけ
は免疫細胞では起こっていないと考えられていたのですが、
実はB細胞で起こっていることを最近我々の研究室で発見し
ました。RNA編集酵素と相同性の高い遺伝子をノックアウ
トしたところ、クラススイッチ組換えも、ハイパーミューテー
ションも起こらなくなったのです。つまり、RNA編集が、
免疫細胞でのゲノム情報変換に深く関与しているというこ
とです。
大石 それはすごい研究成果ですね。本庶さんは以前から、
生き物の現象はすべて免疫細胞の中にあると言っておられま
したが、そのことをゲノム情報の変換について自ら確認され
たわけですね。そんなふうに、生き物の多様な側面が免疫と
いう限られた生命現象の中に集約されていることには、何か
意味があるのでしょうか。
本庶 免疫系というのは、神経系と並ぶ個体統御システム
ですが、神経系よりも進化的には後からできてきた系です。
免疫には、異物を非特異的に攻撃する自然免疫系と、異物
を見分けて特異的に反応する獲得免疫系とがありますが、
獲得免疫系は硬骨魚類のあたりで初めて登場する。両方を
合わせたシステムとして完成しているのは哺乳類ぐらいなん
ですね。生物にとって病原体の感染は大変な脅威だったか
ら、それと戦うために、進化の過程で生物の既存のシステム
をすべて取り込み、高度に洗練された防御系を発達させる
必要があったのでしょう。それが、哺乳類に至ってようやく
完成し、長生きができるようになったのだろうと思います。
ほんとうに、免疫系の中では生物のいろいろな原理が働いて
いるんですよ。例えば、T細胞は遺伝子のランダムな組み合
わせで多様なものが作られますが、自分の細胞を攻撃するよ
うなものは胸腺で排除される。これなどは、個体内で自然
選択が起こっていると見なせます。
B i o t e c h
複雑さは、基本的には系内の細胞数に依存しますから、何
種類の細胞が何個ずつ関与しているかと考えると免疫系の
複雑さは途方もないものになるのです。
大石 前回、中西さんとの対談で、これからの神経系の研究
では、1つの分子、1つの神経細胞の機能解析を超えた新し
い方法論が必要だという話がありましたが、今の話を伺うと、
免疫系でも同じように新しい方法論が必要なようですね。
本庶 そうです。神経系も、免疫系も、多種類で多数の細胞
が関与しているという点では共通しています。神経系の場合
も難しい要素がたくさんあるでしょうが、免疫系の場合に
は、自己に対する反応を防ぎながら他は徹底的にやっつけ
なければいけないという自己矛盾があるために、ますます話
は複雑になる。ただ、神経系よりも解明は早いだろうし、
部分的には着実に成果が蓄積されていくと思います。それ
は、免疫系では機能を測定するためのアッセイ法が確立され
ていて、非常に精密な測定ができるからです。神経系の場合、
動物を泳がせて記憶を調べたりしますが、それでほんとうに
記憶が調べられるのかどうかは、わかっていませんからね。
大石 そういう方向をめざす新たな方法論として、具体的
にはどんなことが考えられますか。
本庶 私自身がそういう方法論をもっているわけではありま
せんが、まず、複雑な系の情報をトータルに把握する手法
が必要になりますね。DNAチップを使ってどんな遺伝子が
発現しているかを1度に調べるのも、そういう試みの1つで
しょう。
大石 でも、DNAチップというのは、基本的にはこれまで
行われていた実験の効率を上げるためのものですね。そうい
う実験から、本庶さんのおっしゃるような細胞間の情報ネッ
トワークとか、免疫系を制御している未知のメカニズムを知
るのは難しいような気がします。
本庶 確かに、現在の分子生物学には、系をコンポーネン
トに分けて情報を得るしかないという限界があり、得られた
情報から全体像を構築する戦略が欠けています。そこを突
破するには、情報科学とか、別の分野の戦略を取り込むこ
とが必要でしょうね。ただ、私は専門ではないのでよくわか
りませんが、こんなに大きな系を、例えばシミュレーション
で研究できるのかどうか…。
大石 シミュレーションという手法は、どうもあまりうまく
いっていないようですね。方法論の開発から必要ということ
になると、免疫系の全貌はあと何年ぐらいでわかってくるの
でしょうか。
本庶 それは難しい質問ですね。私は阪大にいたころ、がん
原遺伝子の点突然変異ががんを引き起こすというBob
Weinbergの報告を読んで、あと10年でがんは治ると言った
苦い経験がありまして、あと何年という話はしないことにし
てるんです(笑い)
。がんは今でも完全には解明されていま
せんからね。でも、がんの問題は、免疫系に比べたら1万分
の1くらい簡単だと思うのです。発がんのシステムは、1個
の細胞の中にゲノムとしてすべて存在していますから、その
細胞の中での組み合わせを調べるだけですむ。免疫系の複雑
さは、これとは比べものになりませんから、解明には、がん
の何倍もの年数がかかることでしょう。
大石 本庶さんが免疫系の難しさを強調されると、若い人
が参入してくれなくなりそうで心配になります。今の若い人
は、難しい問題にはチャレンジしたがりませんから。
本庶 逆の考え方をして、難しいからこそ取り組みたいと思っ
てほしいですね。あまり簡単な問題なら、若い人がその分野
のエキスパートになるころには解けてしまっているかもしれ
ない。それではおもしろくないでしょう。
免疫系は巨大なオーケストラ
大石 次に、免疫学はこれからどういう方向に発展していく
かについて伺いたいと思います。素人である私から見ると、
免疫細胞が抗原をどのように認識したあとで、その情報が
どのように処理されていくかという問題がいちばんホットで
はないかと思うのですが。
本庶 もちろん、それは大事なテーマですが、もっと大きく
見れば、免疫学は対象への取り組み方を考え直すべきとき
に来ていると思います。免疫系は非常に多くの細胞からな
り、細胞の種類もT細胞、B細胞、マクロファージ、顆粒球
など多岐にわたっています。それらが全体として統御されて
はじめてきちんと働くわけで、どれかがちょっと軌道を外れ
ただけでも、自己免疫疾患になったりする。だから、免疫
系をほんとうに理解するには、多数の細胞がどのように関係
しあい、全体として調和した機能を果たしているのかを調べ
なければなりません。これまでのように、1つの分子だけ、
あるいは少し進んでも1つの細胞だけを相手にしていたので
は、全貌は見えてこないと思うのです。
大石 免疫系は、いわば病原体に対する生物の総力戦です
から、いろいろな免疫細胞が互いにうまく補い合って防御し
ていることは理解できます。しかし、1つ1つの細胞の役割
がきちんとわかれば、細胞の反応のカスケードとして免疫系
の全貌が明らかになるのではありませんか。
本庶 各種類の細胞が1個ずつ存在し、それぞれ決まった相
手とだけ相互作用するのなら、それで明らかになるかもしれ
ません。しかし、実際の免疫系では、多数の細胞が情報ネッ
トワークをつくり、協調して働いています。このような系の
Life Science News (Japan. Ed.) 1, 2001 Amersham Pharmacia Biotech
3
A m e r s h a m
P h a r m a c i a
B i o t e c h
だからだと。でも、これはR. M. Zinkernagel(チューリッヒ
大学実験免疫学研究所所長)の受け売りなのですが、免疫
の記憶は新生児を守るためにあるようなのです。ある病原体
に感染して免疫を獲得した個体は、その病原体に対する免
疫をもっていない状態で感染したけれど生き延びられたわけ
です。ですから、その病原体に対する免疫を記憶しておかな
くたって、次に感染したときも十分に生き延びられる。だか
ら、免疫の記憶は、その個体にとってはほとんど意味がない。
大石 なるほど。
本庶 免疫の記憶の意味は、記憶が母胎から胎児へと伝え
られることにあるのです。新生児は特異的免疫系が発達し
ていませんから、病原体が侵入したときにきちんと対応でき
ない。だから、母親は子供に抗体を伝え、新生児を守るの
です。
大石 免疫系はすべての生命現象を取り込んで作り上げら
れた防御機構である上に、その記憶を子孫に伝える仕組み
ももっている。だから、哺乳類は感染症に打ち勝ち、現在
こんなにも繁栄していられるのですね。
ただし、病原体の中には、そういう防御機構をくぐり抜け
ようとするものもいますね。例えば、トリパノソーマは、宿
主の体内に入ってから抗原変異を起こす。こういう病原体
に対しても、免疫系はうまく働いているのでしょうか。
本庶 トリパノソーマのことは、正直なところあまりよく知
らないのですが、基本的にはやはり免疫系でちゃんと防御で
きているのだと思います。確かに、特異的免疫系からはエス
ケープするでしょうが、免疫系にはマクロファージのように
非特異的な作用を示す細胞もたくさんあるから、そちらが働
くはずです。もちろん、実験室で大量のトリパノソーマを注射
すれば、マウスだってやられてしまいますが、自然界で遭遇す
るくらいであれば防御機構は十分に働いていると思います。
大石 でも現実には、人類に深刻な影響を与えている感染
症はたくさんありますね。
本庶 病原体を根絶しない限り、人類の中のある一定の割
合の人たちが感染症にかかるのは仕方ないし、不幸にして死
者が出ることもあります。ですが、それで人類が滅亡するこ
とはない。免疫系が働いているから大多数の人は生き残るの
です。ですから、人類全体として見れば、感染症は免疫系
の管理下にあると考えてよいと思います。
大石 なるほど。でも、エイズウイルスのように抗原性をど
んどん変えていく病原体が猛威を振るっているのを見ると、
心配になります。
本庶 エイズウイルスはレトロウイルスで、古いタイプの病原
体なのですが、人類は近年まで遭遇することがなかったの
で、免疫系の対応能力がまだ十分でない部分があるのかも
しれません。しかし、インフルエンザウイルスだって抗原性
が変わりますが、基本的には免疫系で対応できています。
ですから、エイズだってコントロールできるはずです。
大石 実際に、免疫系で発症が抑えられているケースもある
んですよね。
本庶 ええ、あります。ですから、ワクチンの開発も決して
不可能ではないと思います。インフルエンザワクチンよりは
ずっと難しいでしょうが、今は、ワクチンの開発に遺伝子組
換えが使えますから、開発のスピードも速い。そんなに悲観
的ではないですよ。
体に刻まれる戦いの記憶
大石 ところで、ヒトゲノムの解析がそろそろ終盤に近づい
ていますが、ゲノム解析の結果は免疫学に対して、どういう
インパクトを与えるとお考えですか。
本庶 他の分野と同様、なくてはならない基本情報になる
と思います。免疫系のように複雑なシステムでは、まだ見逃
されている免疫系固有の遺伝子が存在する可能性は高いん
です。そういうものをゲノムのほうから推定し、実際の働き
を調べるというアプローチはすでに始まっているようです。
大石 しかし、ゲノム情報に基づく研究はコンポーネント的
なものですから、さきほど言われたような免疫学の問題は解
けないのでしょうね。
本庶 そうです。ゲノム情報は1種の直線ですが、免疫の複
雑さの次元は膨大なもので、とても直線では測れない。
大石 私の印象では、発生・分化のほうが免疫よりも次元
としては比較的単純なように思えます。発生・分化も確か
に複雑な現象ですが、あれは一種の転写のカスケードとして
理解できる。ところが免疫系は、その目的ゆえの複雑性を
備えている。
本庶 発生と免疫は基本的に違うものなのです。発生はプ
ログラム通りに進むもので、そうならなかったら問題があ
る。一方、免疫系は、プログラムを変化させることで制御
を行っています。
大石 そこは非常に大事なところですね。発生の場合、プ
ログラムの原則さえわかれば、あとは将棋倒し的なイベント
として捉えられる。でも、免疫系の場合にも、プログラムを
変化させる仕組みはゲノムに書かれているのではありませんか。
本庶 もちろん、大きな意味では、免疫系の制御機構もす
べてゲノム情報の中にあります。ただし、発生は環境との相
互作用が隔絶された状態で起こるのに対し、免疫系は常に
環境との相互作用の中で揺れ動きながら、バランスを保っ
て機能している。この点も、神経系と共通するところであ
り、だからこそ理解が難しいのです。
大石 発生で基本が作られ、生まれてからは外界に適応す
る。外界では何が起こるかわかりませんから、それに備える
システムも複雑になるということですね。免疫系で興味深い
のは、いわゆる「記憶」という働きです。特異的免疫系で
は、外界から侵入した病原体に対応する抗体が量産された
り、その抗体を作る能力をもった細胞
が長く保存されたりしますね。
本庶 ゲノムとは別に、外界との
相互作用で獲得した情報が蓄積
されるわけですから、これも神
経系と同じですね。しかし、
免疫系がなぜこのような記
憶を行うかについては、
議論があります。
大石 それは、次に同
じ病原体が侵入した
ときにすぐに戦え
るよう、準備して
いるのでしょう。
本 庶 一般的に
はそう考えられて
いますね。準備し
ておけば、個体の
生存にとって有利
意外に手ごわい花粉症
大石 感染症をコントロールするために、免疫系を上手に
利用するというのは当然ですが、免疫系の医学への応用は
Life Science News (Japan. Ed.) 1, 2001 Amersham Pharmacia Biotech
4
A m e r s h a m
P h a r m a c i a
もっと広い範囲で試みられています。特に注目されてきたの
はがんの免疫療法ですが、メラノーマにはある程度の有効性
を示したものの、他のがんではやや期待はずれだったようで
すね。そのあたりは、どうお考えですか。
本庶 自分がやっているわけではないので、外からの意見に
なりますが、がんの免疫療法はまだ十分にやられていないの
ではないかと思います。腫瘍に効きそうなリンパ球や抗体を
体外で増やして、患部に作用させるというこれまでのやり方
では、そんなにうまくいくはずがないのです。免疫学は基礎
的研究の成果を臨床に応用する探索医療研究の最先端の分
野ですから、もう少し緻密なアプローチで、徹底的にやる必
要がある。
大石 やりようによっては、非常に重要な治療法になる可
能性があるわけですね。がんというのは、外界から侵入する
病原体とは違って自分の細胞ですから、認識の問題が壁に
なるかと思ったのですが、緻密に攻めていけばなんとかなり
そうですね。
本庶 これまでは、やり方の甘さだけでなく、我々の無知も
背後にありましたから、効果が上がらなくてもやむを得ない
面があったのです。しかし、原理的に可能性がないわけでは
ないし、最近では、がんと免疫の知識が増えた分だけ可能
性も増えていると思います。
大石 そうですね。一口にがんの免疫療法と言っても、抗
体や細胞を直接投与する方法から、免疫系を刺激する方法
やワクチン的なものまで幅広い。どんな戦略を選ぶかも含め
て、よく検討する必要がありますね。そもそも、メラノーマで
だけ有効例がみられるのはなぜなのでしょう。
本庶 メラノーマは、非常に特異的な抗原を発現するので、
戦略が立てやすかったのだと思います。しかも、効いたかど
うかが、かなりはっきりわかる。がんもさまざまですから、
戦略もそれぞれに合わせなければなりませんが、大きな方向
としては、免疫系がもともと備えている予防的な性格を生
かすことが大切だと思います。大きくなったがんを、免疫療
法でいきなり治そうというのは現実的ではありません。非常
に小さい段階のがんに使うほうがいいでしょうね。
大石 花粉症のように、免疫系自身に原因がある病気につ
いては、どんな見通しをもっておられますか。
本庶 アレルギー、ぜんそく、アトピーなどは、非常にポピュ
ラーな病気であるわりに、きちんとした治療法がまだ確立さ
れていません。だから、さまざまな民間療法が入り込んでく
る。免疫学がこれほど進んだのに、なぜアレルギー1つ治せ
ないのかと思っている人も多いと思います。でもそれは、最
初から申し上げているように免疫系が複雑に制御されたシス
テムだからなのです。制御が複雑だと、異常が起こったとき
に、どこがどう悪いのかがなかなかわかりません。そもそも、
原因を1つの分子に絞れるかどうかさえ、わからないのです。
現在の研究は、花粉症は免疫グロブリンEの問題だろうとい
うふうにねらいをつけ、その分子についてしらみつぶしに異
常を調べるというようなやり方です。そして、それではないと
なれば、別の分子を次々に調べていく。でも、ひょっとした
ら、いろいろな分子のバランスの問題かもしれないのです。
大石 バランスの問題だとしたら、今のやり方ではつかまり
ませんね。
本庶 そうなんです。免疫の病気にはそういう難しさがある
のです。しかも免疫系では、個体が出会った病原体や異物
の情報を抗体や細胞が記憶していますから、個体ごとに免
疫の履歴は違う。だから、症状は同じでも、原因となって
いる箇所が違う可能性は高いのです。実際、リウマチの患
者さんについてT細胞受容体や免疫グロブリンの発現パター
B i o t e c h
ンを調べると、1人1人違うそうです。
こんなふうに病気の個別性が強いた
め、残念ながら、免疫学で得られ
た一般的な知識がなかなか治療
に結びつかないのです。
大石 典型的な自己免疫病
と言われているリウマチ
でさえ、ほんとうの原
因はまだわかってい
ないのですね。
本庶 ええ。ど
こがどのように
おかしいのか
ということは、
まったく突き
止められて
いません。
た だ 、逆
説的な言い方になりますが、免疫学が進んだことにより、こ
れまで免疫疾患だと思われていなかった病気が実は免疫疾
患だったとわかるケースは増えると予想されます。完全な原
因解明は難しいにしても、これまでの免疫学の知識を生か
して、患者のQOLを高く保てるように症状をコントロール
することが当面の目標になると思います。
大石 そうですね。本庶さんのお話を伺ってきて、免疫系
と神経系という、外界に対応するためのシステムをもてたか
ら、今日の我々があるのだということがよくわかりました。
特に、一見、免疫系に打ち勝つような戦略をもった病原体
でも、基本的には免疫系でコントロール可能だという話は勉
強になりました。
本庶 それが獲得免疫のすごいところで、遺伝子をランダム
に多様化して未来に備えているのです。でも、我々は免疫
系と神経系のおかげで長生きしすぎるようになってしまった
のかもしれません。自己免疫疾患もがんも、長生きするから
こそ現れる。進化とは皮肉なものですね。
(サイエンスライター:青山 聖子)
大石 道夫 先生
理学博士。東京大学化学系大学院博士課程を修了後、プリンストン大学
研究員、ニューヨーク公衆保健研究所 主任研究員、ニューヨーク大学
研究 専任教授、東京大学 教授、工業技術院生命工学工業技術研究所
所長等を歴任され、1997年9月から、かずさDNA研究所 所長(副理事長
兼務)に就任。主な研究分野は、分子生物学。
本庶 佑 先生
医学博士。京都大学大学院医学研究科博士課程修了後、米国カーネギー
研究所発生学部門客員研究員、米国NIH(NICHD分子遺伝学研究室)客
員研究員、東京大学医学部助手、大阪大学医学部教授を経て、京都大学
医学部教授。平成8∼12年医学部長。平成8年6月恩賜賞・日本学士院賞
受賞。平成12年11月文化功労者賞受賞。主な研究分野は、分子生物学。
この企画は、日経BP社および共立出版株式会社との
共同で行い、シリーズ終了後に単行本として出版が
予定されています。
Life Science News (Japan. Ed.) 1, 2001 Amersham Pharmacia Biotech
5
Fly UP