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イの布教 - SOTO禅インターナショナル

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イの布教 - SOTO禅インターナショナル
SOTO禅インターナショナル
(1)1995年12月1日
第4回ハワイ・北米檀信徒大会アロハ・ランチョン(ワヒアワ龍仙寺3世・4世のグループ祭太鼓の演奏)
・南米別院本堂落慶法要円成!
・横山奉賛師アイオワヘ
巻頭 ハワイ関数総監 松浦玉英
特集・ハワイ・北米檀信徒大会報告
国内インフォメーション・ワン・ボウル・ネットワーク通信第3号発刊
・ハワイ曹洞宗寺院&開教師
・「宗教者平和の集い」懇親の夕べ
SZlだより
寄稿・宗門教の諸問題について SZト会長 松永然道
海外トピックス ・前角師本葬LAで厳修!
・北米関数師会議・寺庭婦人会開催
イの布教
ハワイ関数総酢皿
松
浦 玉
好挿し、宗務庁より関数総監部へ
の補助金下付、一九九〇年、関数
より実に八十七年目関数師に対す
る助成金なるものを下付され海外
関数師も漸く当局より認められた
感がすると感無H皿。
現在一世は殆ど少なくなり又二
ハワイ関数の始まった一九〇三
語に代り同時に布教に於ても大柄
て日本語の使用も少くなり殆ど英
し六世まで数える様になった。従っ
世も老境に入り時代は三世に推移
勃軍までの三十八年間は、移民一
年より一九四一年の第二世界戦争
代であり仏教も大いに興降した時
移民仏教、日本仏教はなくなって
いかと二世仏教徒は心配している。
第に衰微して死んでしまうのではな
このままでは、ハワイの仏教は次
換期を迎えている。
であった。移民時代の関数の苦難
と日本語教育の最も盛んだった時
世への布教の徹底、二世への仏教
は言語に絶し、曹洞宗最初の河原
ち立てその指導に当る人材が排出
も、時代に相応しい布教方針を打
すれば普洞神仏教は決して亡くな
仙英師は関数五年四十三才にして
二月真珠湾爆撃によりハワイの関
ることになるかもしれないと思はれ
らず国際仏教として大いに発展す
此の土となられた。一九四一年十
者として︵家族も同様︶ 米大陸に
数ほ閉され、殆どの関数師は監禁
て第四回U・H・SOTO信徒大会
る。数日前二日間に渉り当地に於
が開催され今後のハワイ・アメリカ
其の寺の復興を計る。別院を始め
他の九ケ寺も夫々、移坤、新築、
たばかりである。ハワイは今、関数
曹洞禅仏教について討論が行われ
抑留されるてと四ケ年。帰布して
改築、日本語学校再開に苦る。関
いたいものである。
本に於ても大いに関心を持ってもら
一丸となって取り組んでいる。日
師の人材打出に、関数師と檀信徒
数当時を偲びつつ関数師夫婦は桓
よって次代の為にとこれを達成した
信徒と一体となり、血と汗と涙に
のである。
一九八〇年に入り日本の経済が
英
去る十月七日
︵土 ︶ 、 八 日
信徒大会が開催された 。
︵日︶、の両日、ハワイ・オアフ島に於いて、第四回ハワイ・北米檀
について熱い議論が繰り広げられた。
︵ジャパナ
の三つのポイント
一世紀のハワイ仏教の将来につい
についての見解を述べられ、二十
イゼーション︶
ン︶、③仏教の日本化
アメリカ化︵アメリカナイゼーショ
会場は、観光客で賑わうワイキキとは反対側 ︵北側︶ にあたるタートルペイ・ヒルトン・ホテ
ル。ハワイ八力寺、北米三力寺の関数師、檀信徒総勢百五十名が一同に会し、﹁これからの自分た
ちの寺、そして仏教﹂
ハワ イ の 日 系 仏 教 は 今
そして未来は⋮⋮/
﹁日系仏教寺院がだんだん衰退
て提言された。要約は次の通り。
とではありません。言葉、
て、アメリカ仏教にはな
門慣を変えたからと言っ
れません。大事なことは
アメリカ的に変容するこ
とです。現在、異なった
少数民族のグループは各々
の特徴を主張しています。
例えば ︹アフリカン・ア
メリカン︺ という言葉は、
︹ブラック ︵黒人︶︺ とい
う言葉に変わって使われ
ハワイ大学では日本語を
るようになっています。
学ぶ大学生が増えていま
た言葉を学ぼうという姿
すが、堂々と先祖の使っ
た、盆踊り、太鼓
︵ヮイ
勢が見られるのです。ま
れた。スケジュールに従い、
師の導師のもとで執り行わ
ハワイ関数総監・松浦玉英
午前十時より開会式が、
りそれぞれに型を変え、中国仏教
た仏教が中国、韓国、日本と伝わ
かかってきます。インドで生まれ
仏教として再生されるかどうかに
日本の型の仏教ではなくアメリカ
アメリカにおける仏教の将来は、
ことだと理解すべきです。だから
ことですが、死は再生を意味する
れてきました。最近ではセクシャ
仏教の教えに其づいた教育がなさ
校がハワイ仏教#院に設立され、
一九三一年には、一二五の日曜学
点を置いてきたかということです。
教を確立するか﹄ということに蚕
派の違いを取り除き、無宗派の仏
のです。つまり、﹃どのように宗
のでなくインド的なユニークなも
本派本願寺の建物は、日本的なも
思います。曹洞宗の場合は、坐禅
は何かを考えなければいけないと
切に保持しなければいけない伝統
てきます。ですから私たちは、大
持っている若い人たちが寺にやっ
してそのような日本文化に興味を
む若い人たちが増えています。そ
ルアーツといった日本文化に親し
大変有名︶、茶道、華道、マーシャ
イさんの指導するハワイ祭太鼓は
ア龍仙寺の駒形夫人フェ
松浦玉英師、北米開教総監・
になり、韓国仏教になり、日本仏
しっつあることを見るのほつらい
山下顕光師の挨拶の後、早
教になり生き延びてきました。で
第一日日‖
長・田辺ジョージ博士によ
題し、基調講班が行われた。
り、﹁日系仏教の変容﹂
ないのです。戦前からハワイの仏
アメリカ仏教にならなくてはなら
すから、アメリカでは日本仏教は
ば、すべてアメリカナイズするこ
アメリカ仏教になるということ
プもでてきています。
女差別の問題を取り上げるグルー
ルハラスメントや寺院における男
かり、アメリカナイゼーション、
徒と協力しあいながら国際化をは
に私たちはハワイの他のグループ、
は大事な教えだと思います。最後
と
田辺教授は、①仏教の国
てきました。正法寺別院をはじめ
教は国際化に向かっての活動をし
ベトナム、韓国、タイなどの仏教
イゼーション︶、②仏教の
際化︵インターナショナラ
開会式&基調講演
左からアーノルド・ヒウラ氏、田辺教授、シャクティー・カーン師、藤谷
速、ハワイ大学宗教学郡部
ハワイ大学宗教学部教授・田辺ジョージ博士
1995年12月1日 (2)
SOTO禅インターナショナル
SOTO禅インターナショナル
1995年12月1日
(3)
ある。﹂と具体的に提言された。
の関数師を養成することが急務で
の居心地のよい環境作
的な依りどころとして
りも心がけなければな
谷師が勤めた︶、そして有名な裁
その後この会議に出席した人た
る。そして、ハワイに
らないということであ
判官の仏式の葬儀に参列した印象
から、儀式とか型とかは余計なも
にバスで移動し、ディナーとショー
ちは、ポリネシアン文化センター
ジャパナイゼーションを 強 調 し て
ので、心の有様が大切である。そ
いうものを考えていか
け入れてくれる仏教と
根ざした自分たちを受
して仏教の本質を知ることを強調
おきたいと思います。﹂
パネ ル デ ィ ス カ ッ シ ョ ン
昼食をはさんで午後 か ら は 、 総
を満喫し、第一日目を終えた。
カーン師は、﹁歴史的に見て仏
した。
教は各国でその土地土地の神を取
第二‖〓
カッションが行われた。 パ ネ リ ス
保師の司会進行で、パネ ル デ ィ ス
了した。その後、会場
午前でこの会議は終
なければならない。
チョン
を移し、アロハ・ラン
午前九時より、ワヒアワ龍仙寺
ダーにハワイ大学歴史学センター
され、エンクーテーメ
主任関数師・駒形宗彦師の司会進
主任・西本ウォーレン氏、社会科
ントに﹃ハワイ祭太鼓﹄
である。アメリカナイズするため
に取り入れなければならない。日
学リサーチ研究所所員・西本ミチ
の演奏が披露された。
り込んできたが、ハワイでも必要
監部現地養成関教師・シ ャ ク テ ィ ー ・
本のようなお寺であってはいけな
コ氏が選ばれ、会場の参加者に
トはハワイ元本派本願寺 総 長 ︵ ハ
カーン師、元ハワイヘラ ル ド 新 聞
い。ミーティングなどは英語で、
﹁自分とお寺とのかかわり﹂﹁どう
行のもと、ディスカッション・リー
社編集長・アーノルド ・ ヒ ウ ラ 氏
法要は日英両語ですべきである。
にはアメリカ社会の常識を寺の中
が、田辺教授の講演を受 け て 、 そ
子供のサマーキャンプなどをし、
のテーマ ﹁どのように
今回のコンファレンス
日系仏教寺院は変わっ
が催
れぞれの立場でハワイ の 日 系 仏 教
るのか﹂﹁これからのお寺はどう
して今、寺のメンバーになってい
ていくべきか﹂ という
︵昼餐会︶
寺院の将来について意 見 を 交 換 し
ビティーを考えたり、アメリカ人
仏教の価値を教えるようなアクティ
あるべきなのか﹂
ものを私たちの視覚を
藤谷師は、﹁仏教の 本 質 的 な 教
えを理解することが重要 で あ り 、
れた。
問題提起し、話合いがさ
たとか、それぞれの
ラというハワイの伝統的な踊りの
見せてくれた。彼らは、クム・フ
通して、ハワイ祭太鼓の皆さんが
りあい﹂など会場から発表された。
本の伝統である太鼓の演奏の中に
先生から歴史や実技を勉強し、日
﹁寺との関わ
事である。コミュニティ ー の 中 で
などを
た。
ワイ二世︶・藤谷ヨシア キ 師 、 総
監部シニア・ニミスタ ー ・ 町 田 時
か、友達が日本語学校に行ってい
ちは食前にお祈りをする
しかし、一般の日系人にとってお
よう心掛けているとのこと。大変
取り入れ、独自の演奏形態を作る
寺が私たちに何をしてくれるのか?
お寺に行ノバきっかけがない、お寺
ないのか?﹂と子供から
尋ねられ、自分たちの宗
感緒を受けた。ハワイの酉洞禅が
ミュニケーションがとれない、な
これから生き残る象徴的な演奏で
は居心地が悪い、お坊さんとのコ
議論の中で見えてきたことは、
どの問題が現実にあるようである。
なったと。それから会場
の参加者たちにマイクを
え、あるいは道元禅師の
ティビティーもお寺に来させるきっ
お坊さんのり−ダーシップがいか
関数師・サージャント・慈芳師に
イアワ龍仙寺・駒形宗彦師、北米
ご協力を戴いた。︶
に大事かということだろう。アク
かけとしては大事であるが、精神
はなく、両親が寺のメン
バーで連れていかれたと
教えに触れてというこで
︵この記事を書くにあたって、ワ
あった。︵事務局︶
向けると、お釈迦様の教
教について考えるように
が、どうして私たちほし
﹁クリスチャンの子供た
はじめに、西本夫妻は
現地の言葉で話すとい う こ と が 大
英語を使うことば言うま で も な い
はハワイ土着の言葉をう ま く 使 っ
が、ハワイのキリスト教 の 教 会 で
て教えを広めている。仏 教 徒 は 最
初は突っ走っても急な坂 道 に な る
のようで あ っ た が 、
と止まってしまうスカイ ロ ケ ッ ト
︵流星花火︶
堅実に一歩一歩努力する 登 山 者 に
ヒウラ氏は、田辺教授 の 3 つ の
なる必要がある。﹂と。
ポイントにハワイアンナ イ ゼ ー シ ョ
ンを付け加え、宇宙飛行 士 ・ 故 鬼
塚エリソン大佐︵パンチ ボ ー ル で
行なわれた仏式の葬儀 の 導 師 を 藤
左から、西本ミチコ氏 西本ウォーレン師 駒形宇彦師
①ヒロ大正寺
①コナ大福寺
①ホノルル正法寺
①マウイ満徳寺
②一九一三年
②一九一四年
①ホノルル正法寺
④酒井俊晃
③田宮隆児
一②一九一三年
④長野県無荒寺
②一九一六年
①ホノルル正法寺
④町田時保
⑤一九八七年
②一九〇六年
②一九一三年
④埼玉県東ロロ院
④新潟県興源寺
④松浦玉英
⑤一九五二年
ヽ−■−−◆.
l
④山形県宝林寺
.●■■
i−−−1
叩㈱
⑤一九三六年
③吉田宏徳
史 ▲ 二「政一●■
④静岡県万松院
■
③葉貫成悟
.
④福島県石雲寺
HAWAL
⑤一九八八年
マウイ島
⑤一九九四年
【■,iiiiil
①一九九三年
リり月日朋り
ハワイ島
MAUl
冊㍑
l
恵一歓.︵転塾F姿藍
′︳l
サーⅧ 山
罰配星
1995年12月1日 (4)
SOTO禅インターナショナル
〆ず
十 ∴ヂ 垂
㍑錯
③町田時保
④埼玉県束昌院
⑤一九五二年
①モロカイ弘誓寺
②一九二七年
・くふ一一一ヾ●‥
本山派遣H
抱村山柑叫使としてハワイに渡った﹂ム毎日不乃河
一九〇三年︵明治三十六年︶
ハワイ曹洞宗関数のあゆみ
J■■ヽ
SOTO禅インターナショナル
(5)1995年12月1日
.
一
票崇
−−−【 恥1■■■−■■
イ■■.■.
②一九〇三年
③三好晃一
④北海道高沢寺
KAUAl
カウアイ島
’叫
→一一■
岬く−■ r:. _.
①カウアイ禅亡空寸
≠.
⑤一九六七年
原仙英師、管良雲師の関数以来、実に九十
数年の歳月が流れた。河原師はオアフ島に、
管師はカワイ島で布教を開始、両師に続い
てハワイに渡った閑散師により、明治の末
までに四カ所の布教所が、荒土に芽吹く雑
草の如く達しく開かれた。こうして、大正
のはじめにはホノルル仮別院を含め三力
寺、昭和初期にも三力寺が建てられ、その
後、第二次世界大戦という苦難をも、横信
徒の篤い信仰に支えられ乗り越え、計十力
寺の今日のハワイ曹洞宗を形作ったのであ
の曹洞宗寺院、並びに閑散師を紹介する。
る。ここでは、エワ宗洞寺を除いた九力寺
①寺院名②開創年③関数師名④僧籍地
④新潟県龍谷寺
③駒形宗彦
②一九〇四年
①ワヒアワ龍仙寺
⑤一九九四年
④静岡県積雲院
③水野克彦
②一九〇三年
①ワイパフ大陽寺
⑤一九九五年
④群馬県瑞巌寺
④長谷川俊道
②一九〇四年
①アイエア大平寺
㈲赴任した年
⑤一九七〇年
脚︰..γ︰︰N㌫仙
級錯誤黒闇凝 鷲嘗
蔦£:醤子コ欝宅∃
揖こ;こ名 望揖笥
r ̄『
T■−−
卵■
一一丁J
ヂ誓
松
永
然
道
をも含めて検討すべき時にある
S2Ⅰ会長
求められたが、ご承知のように
のではないかと感じた。
宗門開教の諸問題について
特別寄稿
海外関数地での問題は依然とし
報告で済ませられるようなもの
多挿多様な文化的な形態が見ら
史には、当然その中に含まれる。
︵三︶仏教二千五百年以上の歴
て大きく、複雑であり、簡単な
る事のみ二∼三記してみたい。
ではない。比較的最近感じてい
れる、仏法の真髄は変らなくて
も、やはりこれからのアメリカ
仏教も日本側から見た場合許容
︵一︶開教師の滞れビザの問題﹁
現在新しく関数師として北米に
であり、現地側は自分達の習慣
し難いものが多く出て来るはず
二∴、シ■■三三‡互・・・
により無事に終えることができた。
総持寺、そして法縁の方々の参列
数師、日本からは宗務庁、永平寺、
はじめとするお弟子たち、北米関
り行われた。グラスマン徹玄師を
パンアメリカ劇場でしめやかに執
二十七日、北米ロサンゼルス・ジャ
師・前角博雛師の本葬が、去る八月
ロサンゼルス禅センター主任関数
五月十五日、訪日中急逝された
前角師本葬LAで厳修/
の上に立っての日本側の相入れ
八月二十四日から三日間にわた
は就労ビザであり、これは関数
師にのみ交付され家族にはその
の整合制をどのように考えてい
ないものに悩む事であろう。そ
赴任する時得られるステイタス
資格がない。宗門当局と総監部、
︵二︶関数及び関数帥という言
の確立と現地での状況に立脚し
︵四︶従って、宗門の関数方針
長はじめ、永平寺、総持寺からそ
回は、宗務庁から佐藤良彦教化郡
つつ、頑張っている。
多くの人々の役に立つことを願い
が、仏教の教えを通じ、一人でも
寺庭如人会ではこの小さな運動
している。
し、ペニ1募金も併せて活動展開
また、ペニー︵約一円︶運動と称
の援助に当てていくことになった。
ドの販売を行い、同様にホスピス
ティングカードとクリスマスカー
された。そして今年度は、グリー
イホスピスへ寄付したこと報告が
益の一部をサンフランシスコのベ
Tシャツを全米各地で販売し、収
チ仏教会・穀蔵夫人のデザインの
寺庭婦人会では、昨年ロングビー
となった。
北米関数師会議・寺庭婦人会開催/
現地寺院教団側、開教師の更な
り、北米関数師とその夫人三十六
八月二十七日、ロス ア ン ゼ ル
人が参集し、第四回北米関数師・
スに於ける、故前角博 雄 老 師 の
れる。
くべきなのか大きな問題と思わ
る話合いが待たれる問題である。
葉の問題−海外の宗門へ教えを
の突然の遷化は、宗門 の 海 外 関
本葬に出席させて頂い た 。 老 師
数にとって計り知れな い 大 き な
伝える者を関数師と一般に呼ん
寺庭婦人会会議が開僻された。今
を申し上げた。
損失であった。心から お 悔 や み
れぞれ代表を迎え、意義ある会議
くる。共生の社会へ大きく変わ
ば、まだ大小様々な問題がでて
た将来の方向制を見極めるべき
まったく同じ仕事をしている者
ろうとしている岬界状勢にあっ
できたが、伝道師、伝道教師が
までいる。宗制上ははっきりし
て、宗門のおかれている立場も、
八月最後の週には以 前 よ り 予
角師を失ったが、関数 師 会 は 追
ていても、現地においてはその
苦渋に満ちたものを受けとめぎ
その他細かい点を数え揚げれ
悼の意を込めて、期間 を 短 縮 し
間の区別さえ出来ていない様に
指導者︵複数︶が必要と思われる。
て、本葬の前に行われた 。
思われる。はたして現在開教と
いと思って帰って釆た。
るを得ない暗が来るかも知れな
は修道師という実際に関数師と
私はそのあとサンパ ウ ロ の 南
いう言葉さえ妥当なものなのか
増えてきており、南米において
米別院本堂の落慶法要 に も 随 喜
どうか、宗門の海外伝道の姿勢
定されていた、北米総 監 部 関 数
させて頂いた。会報編 集 部 よ り
師会が開かれた。中心 で あ る 前
今回の出張の報告をす る よ う に
前角師本葬
北米関数師会議・寺庭婦人会
1995年12月1日 (6)
SOTO禅インターナショナル
SOTO禅インターナショナル
(7)1995年12月1日
ノJ′
南米別院仏心寺本堂落慶法要円成/
日本とブラジルの修航 通 商 航 海
条約締結百年目にあた る 今 年 、 南
米別院仏心寺本堂落慶 法 要 が 九 月
水町師は、﹁坐禅、作務、そして
国内インフォメーション
ワン・ボウルLネットワ
托鉢を通して、日米双方ともに行
に生きるということの大切さを
お互いに学びあい、共鳴し、共
じることによって相互に交流し、
ワン・ボウル・ネットワーク通
ーク通信第三号発刊/
信第三号が、十月二十五日発刊さ
ウル・ネットワークのめざすも.
の他に原田道一師の
れた。今号はミネソタ訪問特集で、 痛感した﹂とまとめている。そ﹁∫.′
原田道一師とともに訪米した長崎
−
﹁ワン・ボ
県佐世保市背眼寺住職・水町宗典
の﹂、サンフランシスコ在住の
′㌧r
禅﹂などの寄
オラマス・サンドロ師の ﹁茶と
−−.. ︰
れている。興
稿文が掲載さ
味ある方は、
700
ネソタ禅センターの道友を精神的
に、物質的に援助しながら、今我々
が、お互いの初心を確かめあい独
坐に円通することを目的とします。
﹁世界宗教者平和の
集い﹂ 懇親の夕べ
﹂明
用応量器︶ を縁
は、一鉢 ︵托鉢
代表して、アゴスチーノ・ジョバ
催している聖エジディオ共同体を
年から世界宗教者平和の集いを主
去る八月九日 ︵水︶、一九八七
とした草の根運
ンニョーリ博士︵ミラノ聖心大学
祭︶
教授︶ とジノ・バターリア師︵司
迦牟尼世尊が示
いる峰山症正典師のはからいで、東
世界︷示教名車和の集いに参加して
仏教の原点を釈
された托鉢 ﹁頭
学び、草の根の
の夕べを持つことができた。
京駅北口の国際観光ホテルで懇親
です。特に、ミ
交流を願うもの
が来日された。最初からこの
蛇行﹂ の実践に
動です。地球神
ネットワークと
※ワンボウル・
ご連絡下さい。
1080︶ へⅧ︰
77 −
事務H ︵05
﹂西畑さ▲
師の﹁板張りの風で土となる﹂と
㌧
題した紀行文が掲載されている。
l−1・..L
一■
■}
「世界宗教者平和の集い」懇親の夕べ・挨拶される太田大穂師
七日、盛大裡に執り行わ れ た 。 日
本の宗務総長・大竹明 彦 師 、 永 平
寺監院・南沢通人師を は じ め 多 く
のご寺院、並びに参拝団 一 行 、 北
米・禅宗寺の参拝団二打 、 そ し て
現地の椚H従の人たち の 参 加 で 賑
やかにお祝いすることが で き た 。
南米総監∵森山大行師は こ の 度 の
本堂並びに庫裡ホール の 完 成 を 成
し遂げ、任務を終え帰国 し た 。
北米 開 教 師 ・ 横 井 泰 貿 師
ていた。
奥村正博師によって指導が行われ
師の指導で始まり、ここ数年は、
プで、約二十年まえ、故片桐大忍
ンタIは二十名ほどの小さなグルー
になった。アイオワシティー禅セ
に移動し、指導教化にあたること
のあるアイオワシティー禅センター
佐していたが、故片桐師とも法縁
アイオワシティー禅センターヘ/
SZ − 主 催
平成八年十一月一七日前後
ハワイ・マウイ満徳寺九十周年慶讃法要参拝ツアー募集/
期日
南米別院仏心寺本堂
︵火︶、十三日
︵水︶
にわたって、伊香保・ホテ
SZ−研究会開催される′
去る九月十二日
ル天坊にて元海外関 数 師 有 志 が 集 ま り 研 究 会 が 行 わ れ た 。 S Z −
創立三年目を迎え、 今 後 一 層 進 む 国 際 化 の 中 で 、 会 が 果 た し て い
く役割をもう一度確 認 す る と 共 に 、 具 体 的 な 開 教 師 支 援 や 活 動 政
策というものを議論す る た め で あ っ た 。
︵元ハ
の意見発表が行われ
開会式に引き続き 、 事 務 局 か ら の 活 動 報 告 、 秋 田 新 隆 師
を進めている。
。具体的には地域と共に国際交流
ている。
を考えながら布教活動を現在行っ
ワイ関数師︶、加藤孝 正 師 ︵ 元 ハ ワ イ 関 数 師 ︶
た。雨師の発表の要旨 は 次 の 通 り 。
意見発表
︻秋田師︼
ディスカッションメモ
入れた活動を考える。
。英語だけでなく各国語を視野に
。宗報等にも毎月SZIの記事を
載せてもらうよう働きかける。
ていく。
後日お知らせすることで了解を得、
だき、まとめは事務局が整理して
る。購読料はとらない。
ペーパーを使用しています。
SZI会報はリサイクル・
0〇一〇〇−六−六〓一九五
口座番号
SOTO禅インターナショナル
郵便口座名義
便口座にお振込みください。
は、年会費一万円を左記の郵
平成七年度の会費未納の方
会費納入のお願い
藤川副会長の挨拶で閉会となった。
元関数師中心︶ の三本立てにし
。若い僧侶で海外に出たい人々は
何を考えて出ようとしているの
か。海外開教を通して自己啓発
の場としていきたい。教育機関
としての機能を持たせる。
は葬式をアルバイトにしないか?
その後、活動政策提案が書記・飯
。会報は読みたい人には無料で配
今のお坊さんは葬式を本業にし
島師から提出され、その提案にそっ
。永平寺の金子西堂老師が﹁我々
てしまった。この本業のままに
海外関数の経験、失敗談等をお互
て、提案事項の修正、検討を行い
いに語り合い、発しいひとときを
研究会を終了した。懇親会では、
と言われた。死んだ人を相手に
過ごした。翌朝、最終意見をいた
のお寺はなくなってしまう。﹂
していては宗門の活性化などは
しておくと二十一世紀には日本
ありえない。海外開教地には生
。SZIほある一面において自己
きている人への布教があった。
の教育機関が必要であり、現地
。将来は海外関数地における宗門
・海外との交流海外スタディーツアー実施
・研修会等への講師派遣(海外寺院の様子、婦人会活動、行
事運営等、国際化社会での仏教、海外から見た日本仏教、
如何に活かしていくか 、 ま た 、
SZIは海外開教経験者と共に1993年(平成5年)2月に
発足し、両大本山と宗務庁から助成をうけ、ボランティア・
スタッフにより運営される曹洞宗の国際布教、及び交流を
推進する団体です。
2.SZlの目的
国際化が益々急速に進展する現代社会で、異なる文化を
持っ人々とのふれあいの場が増えています。そして今後、
より一層国際間の交流と相互理解が切実に求められ、我々
は、そのためにいかなる小さな努力をも惜しむべきではあ
りません。この様な時代背景のもと、SZIは海外寺院への支
援と国内外の情報交換と共に、酉洞禅の実践を通し、海外
の人々と友好親善の輪を広めることを目的とします。
。帰国後、海外での経験 を 日 本 で
1.SZlとは
啓発のできる場であって欲しい。
日本の地域社会で何が で き る か
でまとめてはしい。また日本で
・国内外の情報提供会報の定期的発行(年3回)
。ホスピス・ケアの情報をSZI
実現できないか?
ディー・ツアーを企画し、病院、
。浄土宗では、小人数の海外スタ
ケア・ホーム等を現地関数師と
共に経験してもらい、関数師希
3.活動
ならない。
︻加藤師︼
。関数師育成の為、瑞応寺の同安
居会にてブラジルヘの留学僧制
度を発足したが、応募者がいな
い現状である。
望者を育て、海外関数に興味を
。国際化する現代において、SZ
Iが内外の宗教情報機関になっ
持ってもらう努力をしている。
。関数師支援の具体的方向として、
その他、海外布教関係)
て欲しい。
ある。
徒弟への支援をも考える必要が
・関数師への支援
休憩をはさんで、松永会長を座
はじめに松永会長より海外の関数
全体︶、総会、研究会︵事務局、
。年間行事として、勉強会︵全員
いだろうか。
。海外の仏式結婚が逆輸入できな
長にディスカッションが行われた。
師不足に対しての派遣問題点につ
いて説明がされた。その後、参加
者からいろいろな意見が出された。
要点は次のとおり。
SZl(SOTO禅インターナショテル)とは?
に根差した関数を進めなくては
SZl研究会参加者
(8)
1995年12月1日
SOTO禅インターナショナル
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