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第946号 アーカイブ室新聞第22号、第350号への情報が寄せられる

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第946号 アーカイブ室新聞第22号、第350号への情報が寄せられる
アーカイブ新聞 (2016 年 7 月 15 日 第 946 号)
国立天文台・天文情報センター・特別客員研究員 中桐正夫
*
アーカイブ室新聞第 22 号、第 350 号への情報が寄せられる
アーカイブ室新聞第 22 号(2008 年 6 月 13 日)に「先の記念写真は寺尾寿教授在職満
25 年祝賀会とわかる」という記事を書いた。またアーカイブ室新聞 350 号(2010 年 6 月
14 日)に「初代東京天文台長寺尾寿の新たな写真発見」という記事を書いた。この二つの
記事について情報が寄せられた。情報をお寄せいただいたのは元九州大学教授の藤野清次
氏である。アーカイブ新聞第 22 号には 1909 年明治 42 年に催された東京天文台初代台長寺
尾寿の東京大学教授在職満 25 年祝賀会の記念写真(写真 1)を掲載し、その写真に添付さ
写真 1 1909 年 6 月の寺尾寿東京大学教授在職満 25 年祝賀会記念写真
れていたリストをもとに参列者を考察したものであった。その中の No.136 の人物を窪田賢
次としていたが、藤野氏からこの人物は鶴野賢次氏ではないかと指摘があった。窪田賢次
で調べたが情報が得られないでいた。藤野氏からの指摘で鶴野賢次で検索すると、
「鶴田賢
次 つるた-けんじ:1868-1918 明治-大正時代の物理学者。慶応 4 年 2 月生まれ。明治 32
年ドイツ,オランダに留学,帰国後東京帝大教授となる。熱力学と電気を研究し,三角型体温
計をつくった。文章にもすぐれ,尾崎紅葉,川上眉山と交遊があった。大正 7 年 6 月 10 日死
去。51 歳。帝国大学卒。」とあり、まさしく寺尾寿と同時期の東京帝国大学教授であり、
手書きのリストの読みにくい字で判読に困ったことから、
藤野氏の指摘が正しいと思う。
また、No.144 の人物はリストに名前がなく、筆者の調査では人物を特定できなかったが、
藤野氏は寺田寅彦ではないかという。そこで寺田寅彦の画像を検索すると、ほぼこの人物
は寺田寅彦であろうと思わる。
この No136,No.144 の人物の部分のアーカイブ新聞第 22 号の記事は写真 2 である。
105
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147
137
105:渡瀬庄三郎博士 136:窪田賢次博士
106:藤 教篤学士
137:市浦定次郎
107:下田卯一博士
138:岸上鎌吉博士
108:吉江琢児博士
139:猪間収三郎
109:人見忠次郎
140:神保小虎博士
110:高松豊吉博士
141:
111:辰野金吾博士
142:
112:平山清次学士
143:渡邊 襄学士
113:
144:
114:浅野 肇学士
145:漆原好太郎
115:一戸直蔵学士
146:松下俊雄
116:片桐鎌三郎
147:井上哲次郎博士
117:野口保興
148:和田藤吉学士
118:三好 学博士
149:関島兼太郎
150:
119:安田又一
120:田中館寅士郎学士151:大久保徳明少将
152:福原鐐太郎
121:松崎故一郎
153:佐野静雄博士
122:平山 順学士
123:樺 寧 学士
124:
125:金沢卯一
126:堀内平次郎
127:今村昭恒博士
128:藤野了祐
129:松村任三博士
130:福田為三学士
131:森 庄八
132:中野祐郎学士
133:保田棟太学士
134:白井光太郎
135:野島乙松
写真 2 No.105 から No.153 の部分
写真 3
写真 4
写真 4 が、写真 2 の No.144 の人物の拡大写真、写真 4 が web で入手した寺田寅彦の写真
である。髪型が一致しない点はあるがほぼ同一人物としてよかろうと思う。
次に、アーカイブ室新聞第 350 号に掲載した寺尾寿のご息女敦子さんの結婚の記念写真
が写真 5 である。
写真 5 寺尾寿の娘 敦子の結婚写真
前列右より、新郎:森安三郎、寺尾寿の母:寺尾愛子、寺尾寿夫人:寺尾駒子、新婦:
敦子、後列右より、元内閣総理大臣(当時は新郎先輩):広田弘毅、新郎の先輩:山座円次
郎、新婦の父:寺尾寿、新婦の叔父:寺尾亨、新婦の兄:寺尾新
この写真について、藤野氏は、この写真に写っている方々と学校が同窓で、福岡県立修
猷館出身の外交官の先輩方がたくさん写っていると、廣田首相は明治 31 年卒、山座円次郎
(藩校修猷館卒)
、森安三郎は明治 32 年卒、寺尾寿(藩校修猷館卒)という情報を寄せて
いただいた。
これらアーカイブ新聞の記事にお気づきのことがあれば、編集者中桐にご連絡いただけ
れば幸いです。中桐のメールアドレスは、[email protected]
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