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マントル対流説・プレートテクトニクス理論に代わるゴンドワナランドの分裂

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マントル対流説・プレートテクトニクス理論に代わるゴンドワナランドの分裂
マントル対流説・プレートテクトニクス理論に代わるゴンドワナランドの分裂・移動の仮説
- 1億4500万年前のモロケン巨大隕石衝突 -
得丸公明(自然思想家)
梗概:最古の現生人類遺跡のある南アフリカのインド洋に面した海
ル離れたところの河にある洞窟で発見されたと書かれていたこと
岸は、ゴンドワナランドの裂けた跡だった。著者は厚い砂岩の岩盤
を思い出した。6)ところが、その洞窟の名はほぼすべての人類学
がどうして割れたのか疑問に思って調べた結果、南アフリカ一帯に
の本に紹介されているのに、そこへの行き方がわからないのだった。
過去いくつもの巨大隕石が衝突したことを知り、ゴンドワナランド
国立科学博物館の海部陽介先生にメールで相談したところ、南アの
は隕石衝突の影響で分裂したとする仮説を提案する。
考古学者ヒラリー・ディーコン博士の著作7)と電子メールのアド
レスを紹介していただき、うまく連絡がとれて、出発日の朝、洞窟
1)
1 ゴンドワナランドの
ゴンドワナランドの分裂跡で
分裂跡で人類は
人類は生まれた!?
まれた!?
までの道順が示された地図をメールで送っていただいた。
いくつもの縁と幸運に恵まれて、私はおだやかな秋の午後の日差
1)ゴンドワナランド分裂跡
ゴンドワナランド分裂跡を
分裂跡を訪れて
2007年4月、私は南アフリカ共和国・東ケープ州の海岸にいた。
しと青空のもと、インド洋の青海原に面した断崖の中に穿たれた、
ゴンドワナランドが分裂してから1億4500万年が経過しているの
最古の人類の居住跡を訪れた。硬い砂岩でできた断崖がゴンドワナ
に、いまだに草も木も寄せ付けないで赤茶けた地肌をさらす砂岩層
ランドが裂けた跡であるとわかったとき、「あんな分厚い岩盤が、
の断崖がインド洋に向かって屹立していた。
どうしたら割れるのだろう」という疑問がわきあがってきた。
このとき私はまだそこがゴンドワナランドの分裂跡であること
を知らなかった。訪問の目的は、その赤茶けた断崖の中腹に穿たれ
2)音声コミュニ
音声コミュニケーション
コミュニケーションの
ケーションのデジタル進化
デジタル進化を
進化を可能にした
可能にした環境
にした環境
洞窟を訪問した後、私は、人類学、分子生物学、進化言語学、情
た海食洞窟群、最古の現生人類遺跡クラシーズ河口洞窟(Klasies
River Mouth Caves, S34°6′E24°23′)だった。人類学者でも
報理論、動物生態学など、専門書から入門書までさまざまな分野の
ない私が最古の人類遺跡を訪れたのは、地球環境問題を引き起こし
本を読み漁り、また荒川修作が設計した三鷹天命反転住宅の部屋を
た人類とは何者か、文明とは何か、我々の原罪とは何かを知りたか
借りて、デコボコの床の上で、夜間照明や電気器具を使わない擬似
ったからだ。
洞窟生活を送ったりもした。こうして試行錯誤を重ねながら、言語
2002年に南アフリカで「国連・持続可能な開発のための世界サミ
がどのように誕生したのかについて考えてきた結果、ヒトの最大の
ット(WSSD)」が開かれたとき、私は、世界の人々に水俣病の体験
進化は、脳の機能を拡大して、離散的な子音と母音でつくった符号
を伝えるためにサミットに参加した水俣病患者たちの宿泊・交通・
語をやりとりするデジタル言語にあると思うに至った。
2」
通訳支援のボランティアをしていた。 予習のつもりで最新の水俣
安全で快適な洞窟居住のおかげで、新生児が無力な状態で生まれ、
病関連の本3)を読んだところ、「水俣病はチッソが悪いのではな
生後3年ほどよちよち歩きの時期を過ごす「晩成」化が可能になっ
い。人類文明の原罪として生まれた」というメッセージを受け取っ
たことが、人類の進化を可能にした。霊長類は一般に妊娠期間も長
た。これは石牟礼道子の描く胎児性患者たちの姿、何の罪もないの
く、胎児の数も原則一人であり、脳や神経も発達して生まれてくる
に母の胎内で水銀によって中枢神経を損傷され、生まれながらに水
ので、新生児は生まれてすぐ目も見えるし運動機能も発達しており、
4)
母親にしがみついてジャングルの中を移動できる早成動物である。
俣病患者として生きる人々から感じるメッセージである。
2002年8月に南アフリカに旅立つとき、私は「人類文明の原罪」
ヒトは霊長類であるのに、脳を大きくし、生後に脳中枢神経回路を
という言葉の意味、「人類」とは「文明」とは何かがわからなかっ
発達させるために、無力に寝ているだけの赤ちゃん時代を送るよう
た。残念ながらWSSDの期間中には何もわからず、失意のうちに
になった。これは霊長類ではヒトだけにみられる特徴である。
帰国した直後、書店で西原克成著「内臓が生みだす心」に出会った
結果として、脳の大きさがチンパンジーの大人と同じくらい大き
ことをきっかけに、私は生命と人類の進化に興味をもったのだった。
な頭でっかちの状態で生まれ、生後何年にもわたって両親と祖父母
その延長上で、「ヒトにはなぜ毛皮がないのか」に興味をもった
による愛情のこもった手厚い世話を受ける結果、子どもたちの脳内
人類学者の島泰三博士が、人類は7万5千年前の裸化と言語の「重
5)
で複雑な神経回路網が形成される。これは脳の中に音節でつくられ
複する突然変異」によって生まれたと論じていることを知った。
た単語を処理する生理学的な符号化・復号化器(エンコーダ・デコ
突然変異の仕組みは理解できなかったが、裸になったヒトは洞窟の
ーダ)である。また、目から取り込んで脳内に記憶される画像と、
中に住んで夜寒や風雨から身を守る必要があるだろうと考え、アフ
音節を組み合わせて作った符号語を、パターン一致させながら記憶
リカの洞窟を訪ねて洞窟内の居住環境を確かめてみようと思った。
することによって脳内辞書が構築される。ヒトの大脳新皮質の視覚
アフリカの人類遺跡洞窟は南アフリカに多い。ユネスコの世界文化
野・言語野に構築されているのは、主としてヴィジュアル(視覚的)
遺産「人類のゆりかご」というものもある。とりあえず行ってみよ
な記憶と、
それらを符号語(単語)に結びつける大容量データベース
うと思い立って航空券を購入した。ところが、洞窟内部で宿泊でき
である。ヒトの言語とは、ヴィジュアルな記憶と、音節というデジ
ないかと調べているうちに、人類のゆりかごは石灰岩洞窟で、人の
タルな音声符号を組み合わせてつくる単語とを、リアルタイムで言
住めない地底深くにあり、寒いだけでなく、水びたしであることが
葉に符号化・意味へと復号化しつつ、発声器官と聴覚器官を使って
出発の一週間前にわかった。
交換するきわめて高度な通信システムである。言語の獲得こそが現
そのとき突然、1994年の南アフリカ全人種選挙のときに新聞で
読んだ記事の中に、最古の人類化石がヨハネスブルグから700マイ
生人類の誕生を意味するといってよいだろう。
これが南アフリカの洞窟の中でおきたとすれば、どのような環境
条件が作用したのだろうか。
いるため、隕石衝突跡の上で生活した原人の意識や知性の発達に何
* 南アフリカは国土の大部分が噴出したマグマからなる、やせた溶岩
か影響を及ぼしていないかと気になったが、少々歩いてみたところ
性土壌の半砂漠地帯で、アウストラロピテクス・アフリカヌスの時代から
で磁気が脳に及ぼす影響がわかるわけでもないのと、時間もなかっ
8)
骨角器を使って狩猟するなど、知恵をはたらかせる必要があった。
* 東・西ケープ州のインド洋に面した砂岩層の断崖に穿たれた海食洞
たために、2年前はここを訪れなかった。
カナダのニュー・ブランズウィック大学の天体宇宙科学センター
窟群は、海抜20m付近にあり、暖かくて安全である。この付近では海
がウェブ上で公開している「地球インパクトデータベース」10)を
岸線と平行に山地があるために、降雨があり、飲用水が得られる。また
参照したところ、南部アフリカではこれまでに6つの隕石衝突が確
沖合いにインド洋の暖流が南極環流に流れ込む好漁場があり、洞窟
認されている。大きなものでは、フレデフォート・ドームの西方お
生活者に食料を提供したであろう。
よそ200kmのモロケンという町の近くに、今から1億4500万年前に、
* 洞窟の暗闇の中では音しか伝わらない、外部の視聴覚刺激から遮
直径10kmの小惑星が衝突していた。ドーム構造が風化していて、
断された暗室であるので、音や光の刺激に敏感になる。音を出して楽
1990年代半ばに行われた航空機磁気測量の結果ようやく隕石跡だ
しんでいた結果、子音や母音を自由に発音し分け、聞き分けることが
とわかったものである。衝突の時期がゴンドワナランドの分裂と重
できるようになり、離散的(デジタル)処理が可能になった。また、音節
なっていることも気になったが、モロケン衝突構造については研究
符号と五官の記憶を結びつける脳内辞書がつくられた。
がやっと端緒についたばかりで誰も何も論じられていない。
* 数度にわたる巨大隕石衝突の影響で、南アには、磁場の強い・磁場
の異常な土地がある。血液中のヘモグロビンは鉄分を含むから、磁場
(表 1)
南部アフリカの隕石衝突跡
の影響によって意識形成が影響を受けた可能性はないか。
クレーター 衝突時期
名称
緯経度
3) 人類の
人類の存在は
存在は宇宙の
宇宙の恩寵!?
恩寵!?
デジタル言語が、南アフリカの自然環境の中で自然に生まれたと
S 25° 24'
1 Tswaing
E 28° 5'
すれば、人類も自然の一部である。人類の言語と精神活動は自然が
生みだしたものの中でもっとも崇高なものである。これまで人類は、
自分たちが自然の一部であることを忘れ、自然を敵対視あるいは私
物化して、自分勝手な破壊と略奪のかぎりをつくしてきた。その結
S 32° 43'
2 Kalkkop
3
Roter
E 24° 34'
Kamm S 27° 46'
(Namibia)
果、世界人口は増えすぎて地球環境問題がおきたが、それは一時的
な失敗、若気の至りであると考えればよいだろう。孟子が説いたよ
4 Morokweng
うに、人間の本性は善である。人類は自らが自然の一部であること
を理解し、
自らの内部にある善性・尊厳に気づきそれを大切に磨き、
育んでいく時代を迎えたのかもしれない。こう考えれば、仮に地球
環境危機が本格化しても、希望をもって生きていける。
現生人類が誕生する直前の今から30-20万年前に、クラシーズ洞
窟から100kmほど離れたカルコップに、大きな隕石が衝突した。
またクラシーズ洞窟のある砂岩層の断崖はゴンドワナランドの裂
け目であり、その分裂は1億4500万年前に南アフリカのモロケンに
巨大隕石が衝突した時期と重なっている。これらの事実を知ったと
き、私はもしかしたら人類の誕生は宇宙の意志によるのかもしれな
いと思った。以下ではゴンドワナランドが、隕石衝突の影響で分裂
した可能性について、初歩的な検討を行ってみたい。
2 南部アフリカ
南部アフリカにおける
アフリカにおける隕石衝突跡
における隕石衝突跡
1)地球インパクトデータベース
地球インパクトデータベースから
インパクトデータベースから
2007年4月の旅の準備をしているときに、
2005年にユネスコ世界
自然遺産として登録されたフレデフォート・ドームという隕石衝突
跡があることを知った。これは20億年前に直径10kmの小惑星が秒
速20kmで地球に衝突した跡で、直径300kmのクレーターと深さ
25kmの穴ができたとされる。リヒタースケールでマグニチュード
14ということは、マグニチュード7.3だった阪神淡路大震災の500
万倍(67dB)の破壊力ということになる。9)広島原爆の90億倍の破
壊力であると聞いても、その衝撃の大きさは想像できないが、今日
人類が知っているかぎりで最大、最深、最古の隕石衝突跡であると
して世界遺産の認定を受けた。一帯で重力異常・磁場異常がおきて
5
E 16° 18'
S 26° 28'
E 23° 32'
Kgagodi
S 22° 29'
(Botswana)
E 27° 35'
6 Vredefort
S 27° 0'
E 27° 30'
直径(km)
(百万年前)
1.13
0.220±0.052
0.64
0.250±0.050
2.5
3.7 ± 0.3
70
145.0 ± 0.8
3.5
< 180
300
2023 ± 4
PASSC Earth Impact Database より
ボツワナのクガゴディは、今から1億8千万年前に衝突した隕石
であるが、ほとんど研究は行われていない。重要なのは位置と時期
であり、1億8千万年前といえば南アフリカで大規模な溶岩流出が
起きた時期だ。20億年前に巨大隕石衝突があった地点から300km
弱離れた地点に別の隕石が衝突したことによって、その溶岩流出が
誘起された可能性がある。
クラシーズ洞窟の近くに25万年±5万年前に衝突したカルコッ
プ隕石についても研究はまったく発表されてない。洞窟の内部で人
類がデジタル言語を獲得して現生人類が誕生したことの検証もま
だこれからであるが、隕石衝突が人類の進化に影響を与えたかどう
かも興味深い。どうすれば因果関係を立証できるだろうか。
2)ゴンドワナランドはどのように
ゴンドワナランドはどのように分裂
はどのように分裂したかの
分裂したかの読
したかの読み取り
表1にある隕石衝突のうち、ゴンドワナランドの分裂以前に衝突
したフレデフォート(V)、クガゴディ(K)、モロケン(M)をそれぞれ
図1に示す。それぞれの隕石衝突について参考にできる研究成果が
ほとんどないので、この地図とグーグル・アースの画像だけをもと
に何が読み取れるか判読を試みる。
まず、ゴンドワナランドが分裂する前は、アフリカ大陸と南米大
陸、南極大陸は、地続きであったと私は考える。南米とアフリカの
地層の連続性から考えても、もともとひとつのプレートであったも
3 プレートテクトニクス理論
プレートテクトニクス理論(PT)
理論(PT)の
(PT)の背景と
背景と論拠
1) マントル対流説
マントル対流説は
対流説は何をきっかけに着想
をきっかけに着想されたか
着想されたか
1億4500万年前の小惑星衝突によってゴンドワナランドが分裂
のが、別々の南米プレートやアフリカプレート、南極プレートに分
した理由について、多くの人はPTを引き合いに「大陸分裂は地殻
れたと考えるのが妥当であろう。すると、ゴンドワナランドは、い
の下のマントル内に熱対流が存在するから起きる」という。これは
つ、どのようにして分裂したのかを考えなければならない。そうし
おそらく地球物理学者も含めて、そう教育されたために、意識がそ
ないと、今日別々のプレート上にある事実との間が不連続となる。
うできあがっていて、それしか発想できないのであろう。
私はそのような教育を受けていないために、ゴンドワナランドの
分裂跡をみて、これだけ厚い岩盤が割れるためにはものすごい力が
かかったに違いないと思い、まして、分裂した箇所は火成岩ではな
く砂岩であると自分の目で確かめているので、それが地下からのマ
ントル対流で割れたとは思えないのである。
私は、マントル対流説がどうして生まれたのかに興味をもった。
人に聞いても答えてくれる人はいないし、ネット検索しても、
いつ、
誰が、何をきっかけに、マントル対流説を思いついたのかはわから
ない。イギリスの地質学者であるアーサー・ホームズが、1930年
代に「地質学者としては当時少数派であったアルフレート・ヴェー
(図1)
ゲナーの大陸移動説の支持者となり、地球内部の熱による対流が大
私は以下のように考える。20億年前にフレデフォート・ドーム
陸を移動させるのに充分な力を持つメカニズムを提案した。この仮
の巨大隕石衝突がおきたとき、直径300km、深さ25kmのクレータ
説を証明する実験的な研究は行わなかったが、この仮説は現在は受
ーができたと言われているが、これは厚さが30-40kmとされる地
け入れられている。マントル対流説と呼ばれ、現在のPTに近い」(ウ
殻の7-8割が蒸発して吹き飛ばされたということになる。実際には
ィキペディア)と説明されているが、なぜホームズがそのメカニズ
このとき玄武岩が大量に噴出しているので、地殻が割れて、地下の
ムを思いついたのかは触れられていない。
マグマが噴出したと考えられる。
それから18億年後の今から1億8000万年前に、フレデフォート・
私はウェゲナーの著作にあたってみた。13)アルフレッド・ウェ
ゲナー(1880-1930)は、1910年に大陸移動説を思いつき、1912年1
ドームの北約300kmのクガゴディに、直径3.5kmの巨大隕石が衝
月にはじめて講演し、同年、出版物として世に出した。その後、地
突した。このとき、フレデフォート・ドームの地殻は再び割れて、
球物理学、地質学、古生物学、古気候学などの研究成果を取り込ん
大量の溶岩が流出したと考える。この時の玄武岩流出の量は膨大で、
で1929年に第4版を出版する。第4版は、南アフリカの地質学者で
南アフリカの3分の2を覆うカルースーパーグループと呼ばれる地
あるアルフレッド・デュトワが、大陸移動説を確認するために南米
層群の一番上層に1400mの厚さの玄武岩層が生まれた。11)
で行った1927年の調査報告書「南アメリカと南アフリカの地質学
それからさらに3500万年たって、今度はフレデフォート・ドー
的比較」も紹介しており、両大陸がかつてひとつであったことの地
ムの西方およそ250kmに位置するモロケンに、巨大隕石が衝突し
質学的証拠を提示しているにもかかわらず、当時の多くの地質学者
た。これはフレデフォートに衝突したものと同規模で直径10kmの
は、大陸移動の駆動力が説明できないとして認めようとはしなかっ
小惑星であった。フレデフォートと同規模であればマグニチュード
たという。
14と考えられる。それだけのインパクトをもつ巨大隕石が、すで
翌1930年に、ウェゲナーがグリーンランド探査の途中で亡くな
に二度巨大隕石による衝撃を受けて耐性疲労した地殻に衝突した
ると、大陸移動説は一時論じられなくなった。1950年代以降にな
ことで、ゴンドワナランドは分裂したと考える。12)
って、マントル対流説を発展させたPTのおかげで、ウェゲナーの
モロケンの位置と南アフリカ共和国とナミビアの海岸線を見る
大陸移動説はよみがえったと説明される。そして、大陸移動説とマ
と、モロケンの衝突点を中心とし、東西の海岸に伸びる直線を直径
ントル対流説・PTは本来別のものであるのにひとくくりに論じら
として、南側に半円状に海岸線が形づくられているが、これは大陸
れることが多い。
分裂と隕石衝突との関係をうかがわせる。私は東・西ケープ州の海
「大陸と海洋の起源」(第4版)の第4章でウェゲナーはマントル対流
岸線に沿って洞窟を訪れながらドライブしたが、一帯は砂岩層であ
説を紹介している。
クルースの説として、
南アフリカの大規模な
「花
り、火成岩ではない。地下からのマントル対流やプリュームによっ
崗岩溶融物」の地質学的事実を、「地球の歴史のある時代に、花崗
て割れたようには見えなかった。
岩の融点等温線が局所的に地表面のすぐ下まで押し上げられた」と
ではなぜ円にならず、北側には大陸が続くのか。これはフレデフ
して紹介している。この現象をジョリーは、「放射能による熱のた
ォートからクガゴディに至る地殻があらかじめ疲労して亀裂が入
めに、大陸ブロックの下で余分の熱がつくられ、温度が上がってい
っていたため、モロケン衝突のエネルギーはより大きな大陸分裂圧
く。やがて融点に達すると融解がおこり、ブロックが浮き上がる。
力へと増幅されて、東アフリカの海岸線に沿って大陸を分裂させ、
以前に海洋であったより冷たい地域へブロックが移動してゆく」と
内陸に大地溝帯を生み出したと考えられないか。こう考えるとゴン
説明する。また、キルシュは、「液体層の中での対流という考えを
ドワナランドの分裂は、隕石衝突だけで説明できる。今日の通説で
広く用いて」おり、「大陸はかつて結合しており、その下で余分の
あるプレートテクトニクス理論(PT)は見直すべき時かもしれない。
熱が生じた(南アフリカの花崗岩質溶融物を思い出してほしい)。こ
のために液体の下層の中で対流が生じ、それは海底の部分へ向けて
説によって大陸移動説を人々に受け入れさせるようにし、PTを突
外向きに流れ出した。対流は大陸ブロックの下で上昇し、やがて熱
っかい棒の役目から解放してあげるべきであろう。
損失のために下向きに動き出すようになる。摩擦力のために大陸が
分裂し、このようにして生じた断片が流れによって分離される。」
4 終わりに:
わりに:リモセン・
リモセン・GISに
GISに期待すること
期待すること
地質も地球科学も素人の分際でありながら、思いついたままに論
と説明している。(竹内訳pp108-110)
この南アフリカにおける大規模な花崗岩溶融物は、南アの地質年
じたことをお許しいただきたい。私は自分の見たものをそのまま自
表によれば、1億8300万年前の「カルー粗粒玄武岩の侵入とドラケ
分なりに理解しようとした努力の結果、このような考察に行き着い
14)
ンスバーグ玄武岩の噴出」
のことをいうのであろう。「ゴンド
11)
ワナランドの遺産はカルーに要約される」
と表現されるカルー
たので、誤りがあればどうか指摘願いたい。見たものをあるがまま
に認識する子ども心こそ、科学の進歩にとって大切であると信じる。
は南アの国土の3分の2を占めるが、その発生した時期はクガゴデ
ウェゲナーは「『真理』を発見するただ一つの道は、すべての地球
ィ隕石衝突の時期とほぼ重なる。したがって、ジョリーやキルシュ
科学が提供する情報を総合することである」13)と言った。本来学
が考えた放射能の熱によるマントル対流という地殻変動理論と、隕
際的なリモートセンシングやGISの分野から、新たな情報提供ある
石衝突説に置き換えるべきかの検討が必要であろう。
いは検証手法の提案を期待したい。
ウェゲナーはマントル対流説を紹介したものの、それは「彼が長
年持ち続けた大陸の西方への移動や赤道への移動という考えとよ
1) 得丸「ゴンドワナランドの分裂と人類の誕生 - 南アフリカ
く調和しなかった」ため、「対流説を使って彼の説を根本的に組み
における2つの巨大隕石衝突跡と2つの人類遺跡の相関」、「写真
直すことはできなかった。ところがホームズは、そのマントル対流
測量とリモートセンシング」Vol.48, No.1, pp41-44, 2009
説を全面的に取り入れて発展させ、これによって大陸移動説の内容
2)『ヨハネスブルグ・サミットの風~NGO・市民の活動のあしあ
をまるで変化させた。(略)1930-1940年代の大陸移動説は、ウェゲ
と~』(ヨハネスブルグ・サミット提言フォーラム発行/2003)
ナーの説が単にそのまま進んだり、小修正をうけたものではなくて、
3)緒方正人「チッソは私であった」(葦書房、2001)、岡村達明・西
ウェゲナーとジョリーの考え方を合体させ、発展させたものであっ
村肇「水俣病の科学」(日本評論社、2001)
た。この新しい大陸移動説の代表者はホームズであった。」ホーム
4)石牟礼道子「苦海浄土 第二部 神々の村」(藤原書店、2006)
ズの大陸移動説の発展として、1960年代にアメリカのヘスの海洋
5)島泰三「はだかの起原」(木楽舎、2004)
底拡大説が現れ、さらにそれが発展して1960年代後半にPTが組織
6)Malan, R. "South African Diary", The Guardian, April 28,
された。こう考えるとPTも全面的に考え直すべき時かもしれない。
1994
7)HJ Deacon & Janette Deacon "Human Beginnings in South
2) PTは
PTは大陸移動説を
大陸移動説を信じさせるための
させるための突
るための突っかい棒
っかい棒?
Africa", David Phillip, 1999
私はPTが地質学者たちによってどのように受容されたのかにつ
8) ダート,R. 「ミッシングリンクの謎」(みすず書房,1974);アード
いて書かれた日米の論文を読んだ。1977年にアメリカ地質学会の
レイ,R.「狩りをするサル」(河出書房新社, 1978),「アフリカ創世記」
フェロー会員やアメリカ石油地質学者協会の特別会員といった専
(筑摩書房, 1973)
門的知識・経験をもつ人々を対象にアンケートを実施した結果、
「海
9) Reimold WU, et al. 'METEORITE IMPACT! The Vredefort
洋底拡大説やPTは1960年代の半ばに連鎖反応的に受容されたが、
Structure' (Chris van Rensburg, 2005)
これは累積した証拠にもとづいたり、賛否の議論を聞いたりして
10)Earth Impact Database, 2006. <http://www.unb.ca/
15)
個々人が判断した結果ではなく、集団的な態度の変更であ」
っ
passc/ImpactDatabase/> (Accessed: 15/05/2009)
たことが明らかとなり、科学的な評価や検討のない受容であったこ
11)McCarthy T. et al 'The Story of EARTH & LIFE' (KUMBA,
とを知って驚いた。
2005)
とくにPTの「理論を古くから信じている人ほど、『プレートテ
12) Verne, R.O, et al, “Impacts, Tillites, and the Breakup of
クトニクス理論』と『大陸移動説』を同義語として受け止める傾向
Gondwanaland”, Journal of Geology, 1993, Vol.101 pp1-19は、複
にある。しかしながら、きちんと論文を読んでいる人々は、これら
数回の隕石衝突によりゴンドワナランドが分裂した可能性を指摘。
16)
の用語はあまり関係をもたないと受け止める傾向にある」
との
13)アルフレッド・ウェゲナー「大陸と海洋の起源」(都城・紫藤訳
指摘も、興味深かった。アンケート対象は経験豊かな地質学者であ
岩波文庫版上・下、竹内訳講談社学術文庫版)
る。彼らが両者を渾然一体に語ったとすれば、もしかするとそれは
14)Norman N et al "Geological Journeys"(Struik, 2006)
意識的にそうした可能性もなくはないだろう。
15)泊次郎「プレートテクトニクスの拒絶と受容 戦後日本の地球
これはあくまで私の推論にすぎないが、移動の駆動力の説明なし
科学史」(東京大学出版会、2008)
には大陸移動を認めることができない科学者に、大陸移動の事実を
16)Nitecki MH, et al "Acceptance of plate tectonic theory by
認めさせるための形式論理、理論的な突っかい棒という役割をPT
geologists", Geology v6, p.661-664, 1978
は果たしたのではないか。なかば確信犯的に、科学的な真実性は不
--------------------------------------------------------------------------------------
問にしてPTは利用されたから、それがどこでどのようにして発想
Did Morokweng Meteoritic Mega-impact in South Africa at 145 MYA
されたかということも、どのようにして科学的に検証されたかとい
cause the breakup of Gondwanaland, a new hypothesis which can replace
うことも、あまり問題にされないままきたのかもしれない。隕石衝
the Mantle Convection theory and the Plate Tectonics theory. Kimiaki
突の事実と大陸分裂・移動との因果関係を明らかにして、隕石衝突
TOKUMARU - Natural Philosopher (e-mail) [email protected]
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