Comments
Description
Transcript
当日配布資料はこちらから
信濃川火焔街道連携協議会主催 特別対談 火焔型土器の魅力を語りつくす 2014年11月3日(月・文化の日)14:00∼16:00 東京国立博物館 平成館大講堂 「火焔型土器を 2014 年東京オリンピック・パラリンピックの聖火台に」と いう提案への賛同を求めて、縄文文化に目覚めた津川雅彦さんと、縄文文化研 究の最前線に立ち続ける小林達雄さんが、火焔型土器のもつ魅力を語りつく します。 津川雅彦さん 1940 年 1 月 2 日京都府生まれ。 1956 年に日活映画『狂った果実』(中平康監督)で、本格的な俳優デビュー。 主な出演作に『ひとひらの雪』(85/根岸吉太郎監督)、『マルサの女』(87/伊丹十三監督)、 『墨東綺譚』 (92/新藤兼人監督) 、 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』 (94/深作欣二監督)、 『プライド・ 運命の瞬間』(98/伊藤俊也監督) 、『交渉人 THE MOVIE』 (10/松田秀知監督) 、『一枚のハ ガキ』 (11/新藤兼人監督)など、二枚目から悪役まで、幅広い役柄をこなす演技派俳優とし て活躍。 また、マキノ雅彦名義での映画監督作品として『寝ずの番』(06)、『次郎長三国志』(08)、 『旭山動物園物語』(09)がある。 小林達雄さん 1937 年 11 月 2 日新潟県生まれ。 國學院大學大学院博士課程修了。東京都庁文化課、文化庁文化財調査官、國學院大學文学部 教授を歴任。1990 年濱田青陵賞受賞。博士(歴史学)。現在、國學院大學名誉教授、新潟県 立歴史博物館名誉館長、津南町農と縄文の体験実習館なじょもん名誉館長、長岡市馬高縄文 館名誉館長、信濃川火焔街道連携協議会顧問。 『縄文の思考』(ちくま新書)、『縄文人追跡』(日本経済新聞社、後ちくま文庫)、Jomon Reflections(Oxbow Books)、 『縄文人の文化力』 (新書館)、 『縄文人の世界』 (朝日選書)、 『縄 文土器の研究』 (小学館、後学生社)、編著として『縄文の力』 (太陽別冊・平凡社)、 『縄文土 器を読む』『総覧縄文土器』『縄文ランドスケープ』(アム・プロモーション)、『縄文土器大 観』全4巻(小学館)、『縄文文化の研究』全 10 巻(雄山閣)など多数。 火焔型土器を 2020 年東京オリンピック・パラリンピックの聖火台デザインに昇華すること を提唱。 火焔型土器とは、 縄文時代は約1万5千年前にはじまる草創期を第1段階とし、早期から前期を経て中期、そして後期から晩期に至 る6期に区分される。そして縄文土器は縄文文化の表看板として、北の北海道から南は九州さらに遥か南西海上の沖 縄諸島にまで行き渡った。その1万年以上もの間、地域ごとに個性的な特色を持つ土器様式が出現しては消滅を繰り 返し、全体でおよそ80の様式を数えるに至った。 火焔型士器を有する火炎土器様式は、縄文時代中期(第4期)前半に中部地方の日本海側に発達した。火炎土器様式 圏は、新潟県を貫流する信濃川流域を中心として、北は山形県境、西は富山県境、そして東から南方面は山並みに妨 げられながら群馬県、福島県、長野県に囲まれている。ちょうど現在の新潟県域、つまり古代の越後・佐渡にぴった り重なる。翻って言えば、縄文時代における火炎土器様式の分布圏がそのまま古代のクニ境の土台となり、新潟県の 範囲に引き継がれているのだ。 そもそも、火焔土器はアマチュア考古学者、近藤篤三郎によって昭和11年 (1936)12月31日の大晦日に、新潟県 馬高遺跡で掘り出されたものであった。それまで破片の一部しか見ることのなかった個性的な土器の、ほぼ全体の形 態が姿を現したのだ。とりわけ、その大仰な突起は燃え盛る火の炎を容易に連想させ、いつしか火焔土器と呼ばれる ようになった。火焔土器の綽名をもつ縄文土器第1号の誕生である。やがて同類が次々発見されるに至り、火焔型土 器として型式認定されることとなり、「型」抜きの火焔土器の通り名で縄文土器の代表作品の地位を獲得した。研究 が進むにつれ、火焔土器の仲間には、ほかに王冠型土器などがあり、それらの複数の型式群を総合して、火炎土器様 式に止揚されたのである。 火炎土器様式は、古式から新式まで、少なくとも3段階の変遷を辿ることができる。縄文土器の各様式の存続期間 には長短がある。前期から中期にわたる円筒土器様式を最長とし、晩期亀ヶ岡式土器様式などの長命型即ち花の命が とび抜けて長い菊花型土器様式がある。それに比して新旧3段階程度の短命型即ち咲くと忽ち散り果てる桜花型土器 様式の典型が火炎土器様式なのである。隙ひとつとしてみせない確かな造形美が艶やかな名をほしいままにする桜花 のその短命さと重なるところがいかにも象徴的ではあるまいか。 ところで、火焔型土器こそは火炎土器様式を唯一代表する型式と目されてきた。しかし、実は先述の王冠型土器と は文字通り分身のごとく、つねに両者が寄り添っている事実を注意しなくてはならない。 両者は一瞥しただけなら殆ど同じように目に映る。うっかりしていると区別ができないほどだ。あるいは破片の状 態では、専門家を自認するものでさえ、その差別の根拠を見出せないであろう。けれども、実際のところ、両者には 厳然たる型式学上の差異があり、それぞれが独自の個性を断然発揮しているのだ。 火焔型土器は、① 4つのいわゆる「鶏頭冠」突起を必ず備え、②そこには鋸歯状のフリルがつき、突起の間を結 ぶ水平の口縁上にも同じ趣向の鋸歯状フリルが連なる。③「鶏頭冠」突起の正面には大きな窓が開けられ、その形は ハート形である。それは単純な円窓でない点が重要であり、それだけの意味と由来が想定される。④「鶏頭冠」突起 の付根に「トンボ眼鏡」状突起がつく。なお、「トンボ眼鏡」状突起は、勝坂式土器様式に共通するデザインモチー フである。⑤「トンボ眼鏡」と「トンボ眼鏡」の中間位置には「袋」状突起がつく。 一方の王冠型土器は、① 4つの短冊形の突起を持ち、その上端左側に抉入が設けられる。②短冊形突起間の口縁は 水平でなく、弯入する。③火焔型土器と同じく、「トンボ眼鏡」状突起、「袋」状突起がつく。 火焔型土器と王冠型土器の二型式は、火炎土器様式圏内の遺跡では必ず併存し、単独行動をとるものではない。こ のことは、共同墓地でそれぞれ東西軸と南北軸の対照的な土壙が併存すること、彩色土器において赤と黒の二色が用 いられること、相異なる抜歯様式の二者その他とともに、縄文世界における二項対立の思想、世界観に関係するもの と思われる。 このように火炎土器様式は、縄文世界にあって比類のない強烈な造形を人類史上に主張するものであり、あの現代 芸術の旗手岡本太郎の心を捕らえて離そうとはしなかったエピソードも合点がゆく。そして、縄文の哲学世界観に深 く関わるものであり、名実ともに縄文文化の象徴的存在であることがわかる。新潟県笹山遺跡出土品は、火炎土器様 式の一部始終を良く伝えるものとして、国宝に指定された理由がここにある。 (信濃川火焔街道連携協議会顧問 小林達雄)