...

旧船原小学校のしだれ桜 平成23年4月6日撮影

by user

on
Category: Documents
23

views

Report

Comments

Transcript

旧船原小学校のしだれ桜 平成23年4月6日撮影
旧船原小学校のしだれ桜 平成23年4月6日撮影
会報石楠花第24号
目次
会長・幹事挨拶
3
伊豆市新春賀詞交歓会に参加
4
1月第1(新春初詣)例会
5
1月第2例会
6
2月第1例会
7
狩野氏探訪視察研修に参加
8~10
薬物乱用防止研修会に出席
11~13
2月第2例会
14
第3回伊豆マラソン大会にスタッフ参加
15
3月第1例会
16
3月第2例会
17
4月第1(花見)例会
18
4月第2例会
19~20
334-C地区第57回年次大会に出席
21~24
5月第1例会
25
5月第2例会
26
6月第1(ホタル)例会
27
静岡県薬物乱用防止協議会に出席
28~29
334複合地区第57回年次大会に出席
30
さよなら例会
31
1年間よろしくお願いいたします
23年度役員として
会 長 L.久保田 進也
平成 23 年度天城湯ヶ島ライオンズ
クラブの会長に就任致しました久保田
進也です。クラブ結成 20 周年目のこの
年に会長をお引き受けするのは、大変
な緊張を覚えますが、皆様と一緒に力
幹 事 L.堀 井 正 典
過日の指名委員会の席上で、会長の
久保田さんから「幹事に」と要請され、
一瞬心臓が止まりそうな感じになり
ました。十指を合わせても足りない
位、いろいろな所へ首を突っこんでい
を合わせ精一杯頑張って行きたいと思
います。
会の進め方として、私達のクラブの
モットーである「楽しく奉仕」を前面
に押し出しつつ、常に広い目でクラブ
の活動を考えて行ければと思っていま
る昨今、時間的余裕の事だけが頭をよ
ぎりましたが、「何とかなる」の一念
で首をタテに振ってしまいました。本
当は今年以外だったら良かったので
すが、今は無い知恵を絞って自分なり
に効率的なスケジュールを作ってい
す。ごみポイ捨て防止標語コンクール、
独居老人宅の庭木の手入れ、献眼者に
対する献眼慰霊祭など既存の活動を大
事にする一方、新しい活動にも積極的
に挑戦してまいります。又、CN20 周
年式典も今迄私達のクラブを忚援して
下さった大勢の皆様方に感謝の気持ち
くしかないと観念しています。そんな
訳で今年一年間、会長を始め会員諸
氏、事務局の方々にお力添えを頂きな
がら、頑張っていこうと思います。
さて、本年度は9月に“20周年記
念式典”が予定されています。当式典
を成功させる事が一大目標です。東日
が伝わるものにしたいと考えておりま
す。
皆様方には、今後いろいろとお世話
を掛けることと思いますが、よろしく
ご支援、ご協力を賜りますようお願い
申し上げます。
本大震災の一刻も早い復興を念じつ
つ、環境活動の推進(地区ガバナーの
方針)にも傾注していきたいと思って
います。
3
伊豆市新春賀詞交歓会に参加
1月9日、中伊豆ワイナリーシャトーTSで「平成23年新春賀詞交歓会」が開催され
ました。この会は、修善寺ライオンズクラブ主催、伊豆市・伊豆市商工会共催により行わ
れたもので、渡辺周衆議院議員・石橋康弘県議会議員・栗原裕康沼津市長など95名が参
加、伊豆市の卯年の飛躍を願い、意義深い会となりました。
当クラブからも、会長・第1副会長・会計の3名と、観光協会天城支部長の伊藤L・伊
豆市商工会副会長の鈴木L・伊豆市議会議員の飯田L3名、計6名が出席しました。
4
新春初詣例会
1月13日、初詣例会が行われました。今回は、静岡めぐりで、最初に久能山東照宮で、
お参りをしました。ここは、久能山山頂にあり、徳川家康公を祀る神社です。昨年 12 月 24
日国宝に指定たこともあり、正月中は大変な賑わいだったそうです。当時の技術が集約さ
れている建造物で、駿河湾の眺望も素晴らしく、圧巻でした。
昼食場所での買い物、古い街並みの散策、静岡市美術館で徳川家康・徳川慶喜展を見学、
静岡を離れて、いちごプラザへ、楽しい夕食会を済ませて、家に帰ってきました。
5
1月第2例会
1月20日、1月第2例会が行われました。今回は、ゲストスピーチとして市長から、
今年の抱負や当面する課題を聞く予定でいましたが、体調不良で、出席できなかったため、
佐藤副市長がピンチヒッターで出席。市政の現状などを聞くことができました。
伊豆縦貫道の進捗状況や、土肥港・修善寺駅整備など、わかりやすい話で、有意義な時
間でした。終了後、場所を変えて懇親会を行い、ライオンズのかかえる問題なども聞いて
いただくことができました。
6
2月第1例会
2月第1例会が(3日)、伊豆市商工会天城湯ヶ島支所で行われました。今回は、中間決
算報告が主な議題でした。会計から12月末現在の状況が報告され、承認されました。
また幹事から、親睦ゴルフ・各種研修など、現況報告がありました。
今月20日には、第4回伊豆マラソンが行われ、当クラブからもスタッフ5名が参加し
ます。また、次年度役員を決める「指名委員」11名も会長から発表されました。
7
狩野氏探訪研修
2月6日(日)狩野城の会会員の皆様との合同研修で、函南・小田原八王子に行ってき
ました。最初に、函南駅付近、狩野茂光墓所を見学しました。伊豆において流人生活を送
っていた源頼朝が、平家打倒のため旗揚げすると、茂光は馳せ参じ、石橋山で平家と交戦
しました。残念ながら戦に敗れ自害しました。
頼朝は、命からがら安房に逃げ延び、後に平家を撃ち破り、鎌倉幕府を開きます。茂光
は偉大な功績を数多く残したこともあり、源頼朝により、旧領を任され、狩野城はこの地
に続くことになります。
茂光の墓所は当時箱根山中にあったようですが、函南町大竹に
移され、墓碑・五重塔は北条宗時と共に祀られています。
地元大竹区の方々は、毎年秋
の彼岸に供養祭を催しています。
2番目に立ち寄った石橋山、ここは源平の激戦地、まさに血みどろの戦いが行われた地
です。伊豆で20年にも及ぶ流人生活を送り続けていた源頼朝でしたが、治承4(118
0)年8月20日、北条・安達・土肥・佐々木等に狩野・加藤を加え、300余騎の武士
団を編成し、伊豆を発ち、相模国へ向かいます。途中真鶴岬に近い「石橋山」で、陣を張
ります。一方平家軍は、大庭景親を大将に3000騎が、谷をへだてた東側の山に陣をと
っていました。
8
8月23日、両軍の戦いが始まりました。これが「石橋山の合戦」です。戦いは一進
一退で夜明け近くまで続きました。しかし数でわかるように、騎数で10倍という圧倒的
な多さもあり、頼朝軍は敗北、頼朝は山中の洞窟に身を隠し、追手から逃れ、命からがら
船で房総へ逃げ延びました。
この戦で狩野茂光が自害、函南町大竹に墓所(前写真)があります。
小田原市内に「狩野殿小路」と呼ばれる旧地名がありました。これは、小田原城南西部
にあった地名です。城下町として昔からあった地名は、時代の移り変わりに伴って、呼び
名や範囲などが変わりながら明治維新を迎えたわけですが、狩野殿小路という名称は現在
に残ったわけです。
「狩野殿小路」が示すように、北条氏の家臣としての狩野氏が、小田原城を取り囲む城
下町の一角に居住していたことは、他の地にあっても勢力をのばしていたことが伺えるも
のと感心しました。
以下「狩野氏の歴史」からの引用です。
***********************************
小田原市に「狩野殿小路」という旧地名がある。市内の小田原城の南西の海岸線に近い
市街地の一路線である。市で建てた標柱には、表に漢字で「狩野殿小路」
、裏側にひらがな
で「かのどのこうじ」、側面には地名の由来についての説明が刻まれてる。それによりると、
「小田原北条氏の家臣、狩野氏宅があったとも伝承されてきた」とある。
戦国時代、後北条氏の家臣として活躍した、狩野介はじめ狩野氏一族の往時を偲ぶことの
できる標柱である。
***********************************
狩野城開城後の狩野氏活躍の話題です。
狩野氏一族は、平安時代半ばから約400年余りにわたり、狩野地区の領主でした。
しかし、明忚7(1498)年、伊勢新九郎(後の北条早雲)によって本拠である狩野城
を明け渡すことになります。といっても、狩野氏滅亡ではなく、一族は小田原へ移封(国
替え)されますが、その後の狩野氏の活躍にも目覚ましいものがありました。天文3
9
(1534)年には狩野左衛門尉、後北条氏に仕え、鶴岡惣奉行衆の役につき、天文1
9(1550)年頃には狩野氏一族は晴れて小田原城下に移住します。
そして移封61年後の永禄2(1559)年には、関東における大領主に成長してい
きます。
小田原城は、明忚4(1495)年に伊勢新九郎によって占拠されましたが、当時の新
九郎の地盤は伊豆にあった、との説明を受けました。
3年後の狩野城開城を考えると、本当のことだったのだと痛感しました。
小田原城は豊臣秀吉の攻撃に備え、巨大外郭を備える日本最大級の城郭となり、北条氏
滅亡後も江戸城の守り城として、大きな役割を果たしました。再興された天守閣から見る
小田原の町並みを、大名気分で見ることができました。
「北条氏康の三男北条氏照は、関東の西を固める軍事上の拠点として、元亀2(15
71)年頃から八王子城を築城し、本拠としました。狩野氏一族の武将狩野一庵(宗員)
は、氏照の重臣(奉行人・祐筆)として活躍し、天正18(1590)年豊臣秀吉軍の
前田利家・上杉景勝に攻められ討ち死にするまで、八王子城を守り続けました。「八王
子城址碑」にはその名が刻まれています。
八王子城はいわゆる山城で、最近になって城址の一部、曳橋・御主殿石垣などを復元
公開しました。
今回の研修では、いくつかの曲輪をめぐりましたが、時間が足りず、御主殿跡と山腹
の金子丸を見て帰ってきました。狩野一庵が奮戦むなしく戦死した小宮曲輪や本丸跡な
どは、次回探訪する時があれば、楽しみにしたいです。
10
薬物乱用防止研修会に出席
2月18日、静岡駅南口前の東海軒会館で行われた「薬物乱用防止教育認定講師・研修
会」に参加しました。当クラブの参加者は、L飯田正志、L鈴木教彦、L堀江正身の3名、
小中学校での講演に対する心構えやアドバイスなどがテーマでした。
西沢静岡県健康福祉部生活衛生局薬事課長、岡野第2副地区ガバナーのあいさつに続き、
清水LCの浅井政則L(元富士警察署長)の講演を聞きました。
演題は「県内大学等に対する薬物乱用防止講座・講義の実際」ということで、自らの体
験に基づくことを丁寧に話していただきました。知識や話術は2の次、要は「一生懸命に
話せば、相手に通じる」ということで、まずは生徒の前に立つ、これが大切ということが
心に残りました。
県警が発表した、最新の薬物検挙者は、若者が圧倒的に多くなっています。通常の検挙
者比率1000人に対する内訳は、半数の500人が泤棒でその次に多いのが300人の
薬物利用者です。薬物捜査が手薄になっているため、実際はもう尐し多い比率ではないか
と危惧されていました。
また、薬物関係は被害者がいない事もあり、地下に潜っている潜在犯が多く存在してい
る事も問題です。もう一つの特徴は、有名人の薬物事件は報道されるが、一般の人は報道
されない。薬物は回りの状況が変わっても、減らないということでした。
そんな状況下で、市民教育に期すところ大なるものがあり、そのためにライオンズクラ
ブの力が必要となります。ライオンズの薬物乱用防止講座の目的は、若者に「恐ろしい薬」
ということを理解させることです。一生懸命に話せば必ず相手側に伝わる、話術の上手い
下手は関係なく、薬物に関する専門知識も必要としない、話す側の情熱があればよい、と
いうことでした。
事前準備としては、頭の中で話を組み立てること、まずは児童生徒の前で実際に話をし
てみること、そのために必要な9項目を話していただきました。
① 話の入り方 高圧的に話さない。相手の側に立って話をする気持ちが大切。
11
②自己紹介をする 薬物に関する知識がないことを言う。
③話の焦点 大麻・覚せい剤に絞る
④効果、害悪を話す 覚せい剤・大麻、こんな効果もあるが害悪もある
効果 瞬間的に体が軽くなる、疲れがとれる
頭がすっきり、眠気もなくなる
害悪 すぐに眠れなくなる
食欲がなくなる
痩せる、怒りやすくなる
効果はほんの一瞬、1か月から3か月で以上が現れる
被害妄想・嫉妬・幻覚・幻聴の症状はすぐに出てくる
大麻は吐き気・めまい・無気力感に進んでいく
こうして一日中、ごろごろしているようになってしまう。
さらに強い効果を求めることになる
⑤依存性と耐性を話す。
依存性 薬を求め続け、薬に頼る生活に陥っていく
耐性
薬を使い続けると慣れて効かなくなり、さらに強い薬を求める
⑥薬物は法律に違反する犯罪行為、反社会行為であることを伝える。
⑦国や社会を挙げて、薬物使用あるいは所持中止を訴えていることを伝える。
薬物はほとんど海外から入手している。テロ・マフィアの活動資金になっている状況
を伝える。
⑧使用した場合の、社会的責任を話す。
一回でも使用すると、信用をなくす。
自分を大切にする、という気持ちを持つことの大切さを伝える。
⑨若者が薬物を使わないため、日常心掛けたいことを伝える。
(1)先輩や友達にすすめられて、悪い友達の誘いが怖い。
(2)真面目に仕事をする事が、一番大切。
(3)インターネットで薬物を買わない。
東南アジアで、薬物目的に集まる若者が増えている。
気持ちが大きくなるのが怖い
子供たちに、恐ろしさを理解させる。
講師として、自らが気をつけていること・心掛けていること
② 学校担当者と事前連絡をする。
③ 決められた時間は必ず守る。
④ 服装、態度はライオンズらしく、言葉づかいに気をつけ、良い印象を持ってもらう。
12
話に、体験談を入れる。悪い体験(学生の頃タバコを吸ったことがあるなど)は
話してはいけない。
立派な大人になって、地域の為になるんだよ、などと言う。
④質問したり、手を上げさせたりする。
クイズ方式も良い。
⑤ライオンズの役員、興味を持った会員にも参加してもらう。
一人では行かないこと。
国として、薬物の根絶がいかに厳しいか、人を守るプライドを持って、講師を務
めてほしい。
世界で製造が懸念される、国や地域も存在する。
薬物は、テロの資金源
薬物消費量は日本画一番多い
青尐年を守る、組織をあげて取り組む姿勢、やりがいのある仕事と認識してほしい。
意義と立場を理解して、ずっと取り組んでほしい。
以上が、研修の概要です。
13
2月第2例会
2月第2例会が17日に開催されました。
今回は、L仲原伸行によるメンバースピーチが行われる予定でしたが、ご尊父の房次さ
んが急逝されたため急遽L堀江正身による、狩野氏探訪研修の報告を代わりに行いました。
報告は、掲示板で5回シリーズで行われており、現在までに3回終了、4回目は「小田
原城」5回目は「八王子城」の予定です。
例会終了後、見張り地蔵優秀標語の選定、2
0周年特別委員会やMERL委員会も行われました。
14
第4回伊豆マラソンにスタッフ参加
2 月 20 日、第 4 回伊豆マラソン大会が行われ、当クラブからも 4 名がスタッフとして参
加、修善寺駅前からスタート会場となる駅北グルメシティ周辺までの案内をつとめました。
1,375 名の参加者は、
午前 9 時 2 分に駅北をスタート、三島に向けて走りぬけて行きました。
修善寺駅を降り立って、最初に皆さんをご案内するスタッフですので、大会の概要等を、
事前に知っておけば、もっときめ細かい案内が出来たのに、と後から思いました。来年も
イベントは続くと思いますので、知識を持って臨にたいものです。
15
3月第1例会
3月第1例会が、3日に行われました。
今回は、薬物乱用防止講師研修の報告が、幹事のL飯田から、会報23号WEB版発
刉の報告がL堀江からありました。会報は、ネット社会にあり、年2度の発行のうち、
1度は紙ベースで、後一度は経費削減を兼ね、ホームページ上に公開したとのことでし
た。ほかに当面する行事への参加・次回の「みはり地蔵標語の表彰式」の実施方法、各
委員会からの方向や連絡事項がありました。
16
3月第2例会でポイ捨て防止優秀標語の表彰を実施
3月第2例会が行われ終了後、天城温泉会館入口で、ポイ捨て防止優秀標語の表彰式を
行いました。標語は、市内天城湯ヶ島地区3小学校、3校の児童から募集し、109作品
が寄せられ、過日の例会で審査を行い、10優秀作品を選考、昨日の表彰式となりました。
式には、作児童と母さん、伊豆市の遠藤教育長、ライオンズ会員が参加しました。遠藤
教育長は、「あなたたちはいつまでも地域を想い、成長しても、意見を出してほしい。そし
て、地域の、大きく言えば日本を担うつもりで頑張ってください」と講評してくれました。
17
4月第1(花見)例会
4月7日、花見例会が天城ふるさと広場で行われました。山荘駐車場の桜を見て、総会
に。幹事報告の後、第1副会長L久保田進也から、CN20年の計画概要の報告がありま
した。懇談会では、計画委員長L堀井正典が「日本は相次ぐ国難をいずれも英知と勤勉さ、
そして団結力で困難に打ち勝ってきた。今回の東日本大震災も、きっと乗り越え、見事に
復興すると思う。それを信じて、楽しい宴席としたい。
」と挨拶しました。見た桜はほんの
尐しでしたが、話に花が咲き、夜が更けるまで楽しい会は続きました。
18
4月第2例会
4月第2例会が、22日に行われました。
幹事報告では、5月8日に334C-地区の年次大会が裾野であり、現三役とL三田臣
一、L鈴木教彦が出席予定であること、5月10日次期会長・幹事・会計セミナーが静岡
で行われることの報告、来月の2度の例会の実施方法などが提案されました。
の後、L鈴木康三から、CN20年取り組みの進行状況がありました。この中で、アト
ラクションとして予定していた自衛隊音楽隊による演奏会が第1音楽隊に決まった事、こ
のため5月18日に、祖属の東京練馬駐屯地へ表敬訪問することなどが報告されました。
続いて、次期会長予定者のL久保田進也から次年度役員予定者の発表がありました。
また、ライオンズ地区誌7月号の表紙候補作品として、天城グリーンガーデンの石楠花・
上船原のしだれ桜の2作を送ったことも報告されました。
今回の例会のメインはL仲原伸行によるメンバースピーチでした。
11月4日に、農林水産業功労者として知事表彰を受けた思い出や、現在の森林業を取
り巻く状況、自身が生きてきてさまざまな苦労をした思い出など話していただきました。
まず、知事表彰についてですが、
① 県木材組合連合会の推薦により、栄誉ある賞の対象となったこと、
②木材組合の地区会長を行っていたため、対象になったと思うが、当時は辞退した
③しかし、このような栄誉は、団体役職を行っているから巡り合えたチャンス、この機
会を逃したら、もらえる事はない、とのことから、申請した。ということでした。
次に、現在の森林業をとりまく環境は大変厳しく、木材も斜陽産業。流通も変わってし
まった、と述べられていました。このため、大工さんが仕事をとれない時代、建築はハウ
スメーカーが途中の流通をカットして、直販する時代、しかし、ライオンズのメンバーに
は、建築業の人が2人いて、製材とすれば、大変ありがたい、とも話してくれました。
ここ5年くらい、森林整備に力を入れていますので、林業従事者には手厚く良いことと
19
思う。適度に木材が出まわると良いと思うが、木材の見直しがどこまで進むか、今一つは
っきりしないのも事実、と心配もされていました。
次に、自身のこれまでの人生の歩みの中から離されました。
小学校時代は、プロ野球選手になるのが夢だったそうです。強い希望を持ち、当時の長
嶋・王選手にあこがれを持ちながら、当然中学では野球部に入部しました。1年生終了時
には、正捕手の座も有望でしたが、ある時、「心臓に雑音がある」という診断で、しばらく
過激な運動を避けるために休部、しかし体調が戻って練習ができるようになった時には、
すでにレギュラーの座はなく、スコアラーという屈辱を味わったそうです。
成人になったある日、当時日本の心臓学の屈指の医師に巡り合い、心臓手術に踏み切っ
たこと、10年後に、再手術をしたこと、その手術の経過が良く、エレベーターでなけれ
ば移動できないところ、階段を歩いて看護士さんに見つかり、お叱りを受けたことなどユ
ーモア交じりで、時間が経つのを忘れるほどでした。
ためになる話を、ありがとうございました。
第2副会長L鈴木教彦が、L仲原にお礼を言い、力強い発声でライオンズロアーを行い
ました。
20
334-C地区第57回年次大会
5 月 8 日、334C地区第 57 回年次大会が、裾野市民文化センターで行われ、3 役・L鈴木
教彦・L三田臣一が出席しました。
今回はガバナー所属の地域ということで、東部の裾野市で行われました。☆利他の心
で同士の絆、あしたに新たな灯を☆
長岡ガバナーから、5項目にわたり会員と共に活
動してきた状況の報告がありました。ガバナーを始め、来賓・主催者の方々が、この一
年は本当に激動の年であった事を言われました。それは、国難とも言われる「東日本大
震災」についてです。
1000年に一度と言われる大震災、大津波、福島第一原子力発電所の事故など、日
本は大きな災害にと事故に見舞われました。今まさに復興の渦中にありますが、その悲
しみの中にあっても私達は毅然として前を向き、奉仕活動世界一のライオンズクラブメ
ンバーとして、誇りを持って前進してきました。特に、被災地へいち早く義捐金を届け
た事は、さすがライオンズ、との評価を各方面から受けているそうです。
地区年次大会は一年間の活動の集大成の場、志を同じくするメンバーが一堂に集い、
さらに絆を深めあって明日への飛躍を誓い合う友情確認の場でもありました。
当天城湯ヶ島ライオンズクラブも、ライオン花壇の継続整備・独居老人宅への庭木手
入れや粗大ごみ処理・小学生対象の薬学講座の実施等、地元に根付いた活動が高く評価
され、アクティビティ賞を受賞しました。
式典終了後の辻井いつ子(ピアニスト辻井伸行さんの母)の講演内容です。
{明るく、楽しく、あきらめない生き方
―子どもの才能を引き出す法則とは―」
・フリーアナウンサーとして活躍後、結婚を機に退職。
・出産した。退院して 10 日後、子どもの目が見えないことを知らされた。
・大変にショックを受け、せめて夢であれば、と思いながら暮らす毎日だった。
21
・本の読み聞かせくらいしかなかった。
・福沢美和さんの「盲導犬フロックス」エッセイに感動を受け、会う機会を得た。美
和さんは、普通のことを行えばいい、日常生活ありのままの事を、と言って励ましてく
れた。
・以後、桜を見せに連れて行った。タンポポが咲けば黄色、バナナと同じ色だよ、な
どと教えてあげた。
・花火にも連れて行った。今、どんな花火が上がったか、実況中継をした。
・どこにでも連れて行った。
・ CDも良く聞かせた。生後 8 か月目だと思うが音楽の才能を感じた。ショパンの
曲「英雄ポロネーズ」に反忚した。これは、曲ももちろんだが、演奏者に反忚し てい
た。良く聞くのでCDが傷になってしまい。同じ曲のCDを買ってきたが反忚しない。
変だなと思って、演奏者も同じ以前のCDを買い直したところ、興味 を示すように反
忚した。
・おもちゃのピアノを買った。
・良く歌を口ずさんでいたが、2 歳 3 カ月頃に、おもちゃのピアノで「ジングルベル」
を弾いた。右手でメロディ左手は伴奏していた。
・嫌いな音を聞くと、怖くて泣くようになった。掃除機の音、人混みの騒音などが嫌
いだった。
・育児も、音楽によって救われた感じ。私の鼻歌などもピアノで弾いた。
・ついにおもちゃのピアノは壊れた。主人の側で以前使っていたピアノを調律して、
子どもに与えた。
・何か一つ好きなものがあって良いのでは。ピアニストにはこだわらなかった。
・私はピアノが全然だめなので、ピアノを弾ける人を探した。それも美容院に通う人
から頼んで探してもらった。そんな経過から、州 1 回演奏を聞くということでお願いし
た。
・子どもは、抱っこされながら、ピアノを弾くようになった。
・5 歳のころには、曲が弾けるようになった。
・ ピアニストになりたい、本人も感じる転機となったのは、サイパンでの出来事だ
った。ショッピングセンターで、ピアノの自動演奏を行っていた。それを見て、 「自
分も演奏してみたい」と言って、関係者にお願いした。自動演奏を解除して、生演奏に。
ショッピングモールに人が集まり、終了後は「ブラボー」
「ブラ ボー」の掛け声。素晴
らしい、ピアノを弾いてこんなに喜んでもらえた。ピアノが明るい方向に導いてくれる。
それが原点だった。運命が良い方向に変わった出 来事だった。
・ピアノの先生が変わった。東京音楽大の川上さんだった。12年この先生にお世話
22
になった。愛情と情熱をかたむけてくれた。
・小1春からレッスンに入る。盲導関係コンクールがあり、優勝したことも大きな励
みに。
・学校の宿題はいやいや行っていた。ピアノは率先して練習。その甲斐あって優勝、
大きな自信にもなる。
・小学校 5 年の時、ピアノ一本でも良いのかと思わせる出来事が。一般の部のコンク
ールが行われた。小 5 から中 2 までのコンクールでも優勝した。
・子どもは親からほめてもらいたいという気持ちを、常に持っている。
否定的な言葉は使わない。
上から目線でものを言わない。
チャレンジしたいことに、すべて後押しした。
スイミングスクール(水泳大好き)スキー、山登り、乗馬など、気分転換になって
いった。
ピアノ以外で、感情を育てることも大切と感じた。
・出会いによってピアニストになっていった
中 1 の時世界の扉が開いた。
・指揮官佐渡裕さんとの出会い。
とても忙しい人なので、テープを送った。
そしたら、そのテープを聞いてくれた。
生で演奏が聴きたいとの返事が来た。
演奏会場の楽屋で、ピアノを弾いた。
終わると抱きしめてくれた。そのあたたかさに感動。
いつか演奏会に連れて行きたい。
1 か月後に実現。
・パリ公演で、モーツアルト・コンチェルトを弾く。
プラスになり、コンクールを勝ち抜いた。
小さいころの夢の話だった。
・高 2 でショパンコンクールに出場。
ファイナリストの一歩手前までいった。
本人はどうしてもファイナリストになりたかった。
この時は、実力が備わっていなかったことを関係者とともに実感。
・4 年後アメリカのコンクールで、6名のファイナリストに残る
その時は、通訳がついていたが、感動して通訳にならないほどだった。
誰もが、通訳ではなく母親と思っていた。
・1 位が 2 人いることを知らなかった。
23
先に中国の人が 1 位と紹介された。
その後、会場が妙に騒がしくなった。
最後にコールされたのは「辻井」
初めてうれし泣きをした。
通訳も泣いていた。
20 歳の記念の優勝だった。
・これは、神様からのご褒美だった。
マイナスからの出発。
才能を信じたが、難しいことだった。
親が信じなくて、誰が信じてあげるのか。
・日本中の人が喜んでくれた。
20 年後の素晴らしい出来事だった。
今は親離れ・子離れをしている
決してあきらめてはいけない。
その日一日を大切に
・とりあえず、今日一日だけは明るく生きよう。
24
5月第1例会
5月12日、5月第1例会が行われました。
今回は、引き継ぎ例会で夜間の開催となりました。
8日に行われた、334C地区年次大会で、アクティビティ賞を受賞したことの報告、
辻井いつ子さんの記念講演の概要報告などが行われました。
次期会長のL久保田進也から、次年度役員表についての説明があり、新体制も確認さ
れました。
25
5月第2例会
5月19日)
、5月第2例会が行われました。午後2時に商工会館玄関に集合、計画委員
長のL堀井正典から、日程説明を受け、班別に作業を行いました。中学校下の草刈、長野
川の草刈、天城温泉会館みはり地蔵前に「タイタンビカス」の植栽、ライオン花壇の手入
れなどで汗を流し、夕方から湯の国会館で例会・夕食会を行いました。
例会では、幹事報告に続き、L久保田進也から18日に行われた、自衛隊表敬訪問の報
告がありました。
26
6月第1(ほたる)例会
6月第1=ほたる例会が2日、浄連の滝観光センターで行われました。
伊豆市3クラブと、大仁LCの三役が来賓として出席、会に花を添えていただきました。
残念なことに、雤で寒陽気のため、ほたるの姿を見ることはできませんでしたが、お酒で
見られない分をカバーし、大変有意義な交流例会となりました。
合同例会も大仁鮎例会、土肥納涼例会、中伊豆猪鍋例会、修善寺忘年例会と続き、天城
湯ヶ島LCのほたる例会が、締めくくりとなりました。
27
静岡県薬物乱用防止指導員研修会に出席
6 月 3 日、静岡県東部地区の、薬物乱用防止指導員協議会総会が、東部総合庁舎で行われ、
L堀江正身が出席しました。
その概要を、お知らせします。
挨拶の中で、雑賀(さいが)静岡県東部保健所長は、東日本大震災復興支援で、岩手県
に行ったことを話しました。避難所生活をされている皆さんを見て、プライバシー保護が
全くなく、大変な状況を目の当たりにされたそうです。特に、小学生のプライバシーがよ
り深刻で、このような状況を放置しておいた場合の、薬物が広がる危険性を憂慮されてい
ました。
東部地区の指導員数は 60 名、内訳は保護司34・薬剤師8・麻薬中毒者相談員3名で、
ライオンズクラブからは 12 名がメンバーとなっています。
指導員の活動は
・最新の知識を深めるための研修会
・街頭や広報を使っての啓発活動
・相談、指導などとなっています。
総会では、22 年度の事業・決算を承認し、新年度役員・事業・予算を決定しました。事
業は、地区ごとの薬学講座・各種講習会・イベントでの啓発活動が主体となっています。
総会終了後、沼津警察署
生活安全課一般防犯係
抑止対策について」と題し、研修会が行われました。
その概要を列記します。
28
前田係長から「犯罪発生状況及び同
1 覚せい剤とは
いとも簡単に手に入る。一度使うと簡単にやめられないもの。
やめさせるには、周囲のあたたかい気持ちが必要。
2 何故やるの
気持ちが良いから
絶対につかまらない、という信念で始めてしまう
3 男性中毒者
好奇心からの第 1 歩。
誰かに追われている気持ちが強くなり、やめられなくなる。
4 女性中毒者
男性から進められて始めるケースが圧倒的。
5 家庭崩壊
頑張って家を建てた。ローンが残っている。子供も小さく、父親が逮捕。
家庭崩壊(奥さんは途方に暮れてしまう)
6 子どもは
出来れば、子どもに親が逮捕されるところは見せたくない。
親をよく見ている。親が連れて行かれれば大泣きをする。
子どもにとって、これ以上の悲劇はない。
児童相談所に行くしかない。
7 犯罪者とは
殆どの犯罪者は、反省をしていない。
自分の意思で薬物をやめることが出来る人は、最初からやらない。
8 お願い
・一番憂慮した事件が、広島のぼし殺人事件。憎むべき事だが、被害者にならないように
したい。
・子どもと女性を、薬物被害から守りたい。
・そのための意識を持ってほしい。
・直接声をかける必要はなく、流し眼で見守る程度でよい。ほんとは声かけも必要だが、
この時代、
変質者と間違えられるから、要注意。
・この話を、3 人にしていただくと、どんどん広がっていく。
薬物汚染は、とても根が深いことを痛感しました。
29
334複合地区年次大会に出席
6月12日、334複合地区第57回年次大会が行われ、三役が参加しました。
各地区とも精力的な活動を行ったことが、議長からされました。A地区(愛知県)はエ
クステーション3クラブの誕生とLCIF1000ドル寄付、1000口目標の達成・B地
区(三重県・岐阜県)は、一人の新会員の入会にもガバナーが飛んで行って握手するという
エネルギッシュな会員増強を展開。C地区(静岡県)は、アイバンクの取り組みで日本一
を誇り、また地区環境への順守事項を取り決め、「富士山に緑を取り戻そうー100 年の計」
という大環境保全活動を推進。
・D地区(富山県・石川県・福井県)は、ペットボトルキャ
ップ約 470 万個、12 トンを集め(2011 年1月末)
、伝染病予防のワクチンに代え、約 6,000
人の子供を救命。
・E地区(長野県)は、日本・フィリピン合同で内科、歯科、眼科等多彩
な医療奉仕活動を推進、現地にとけこんだアクティビティを展開しました。
しかし、後半に入ると、東日本大震災という未曾有の災害が332・333複合地区を
襲い、大津波の襲来に見舞われました。地区は直ちに救援活動に乗り出し、一番乗りで日
本ライオンズに義捐金を届けました。これをきっかけに「希望の光」が全国のライオンの
手で灯され、世界中のライオンからお見舞いや義援金が届けられ、「ライオンは世界ととも
に」を実感された話を聞きました。1日も早く復興することがみんなの願いです。
30
さよなら例会
さよなら例会が6月16日、夕刻行われました。今回は、地域観光の活性化のため、久
しぶりの地元白壁荘開催となりました。ゴルフ組は、朝から大仁で雤にぬれながらのプレ
ーとなりましたが、L久保田進也が見事優勝、鞄をゲットしました。
例会は午後5時半から「湯の花亭」で、懇親会は大宴会場で行われました。例会では、
CN20周年の進捗状況などが報告されました。懇親会は、浅田会長のあいさつ、久保田
次期会長の発声によるウイサーブなど、次期役員へのバトンタッチの場ともなりました。
31
会報石楠花第24号
平成23年7月31日発行
発行者 天城湯ヶ島ライオンズクラブ
2011-2012会長 L.久保田進也
編 集 会報PR委員会
Fly UP