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フランス中世文学の写本と校訂法 - 慶應義塾大学学術情報リポジトリ

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フランス中世文学の写本と校訂法 - 慶應義塾大学学術情報リポジトリ
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Abstract
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フランス中世文学の写本と校訂法 : ベディエの立場を廻って
松原, 秀一(Matsubara, Hideichi)
慶應義塾大学藝文学会
藝文研究 (The geibun-kenkyu : journal of arts and letters). Vol.16, (1963. 10) ,p.107- 121
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00160001
-0107
の立場を廻
つ
て
松
原
エ
(註 1)
く校訂本の模範となった。
ベディエの立場は一九一三年の
エコールヂシヤルト
レドロンプル
ツの許に十七才で送ら
秀
l
、ベンファイ、クルティウス等に学び
l
版「水鏡の歌」の序言で明らかにされ、 一九二八年ロマニア誌に発表された彼のドン
カンタンの写本分類法批判で再び出張され現在まで数多の異論反論を惹起した。乙のベディエの発言が中世文学作品の校訂法に一大六一
S ・
A ・T ・F
は、フランス中世文学作品の校訂に初めて、ラハマン校訂法を採用したもので、ジョゼフ・ベディエが、四十年後に反論を出すまで永
いて」はフランスに於ける最初の近代的、体系的フランス語史の業蹟と云えるが、 一八七二年に刊行された彼の「聖アレクシス伝」
最新の知識を得て一八五九年に帰国した。三年後、古文書学院の卒業に提出した論文「フランス語に対するラテン語のアクセントにつ
-107 ー
フランス中世文学の写本と校訂法
校訂法史の概略
イ
優れた中世学者であった父ポ ラン・パリスの配慮に依って、ロマンス語学の建設者フリ lトリッヒ・ディ
ア
れたガストン・パリスはポンとゲッテインゲンで二年を、当時一流の碩学テォド
l ル・ミュラ
l
J、ζ
(註2〉
革を斉らした事は云う迄もないが、彼の主張には、理論と実際の「水鏡の歌」の校訂の問題が絡んでいる為か、実際以上に極端に解釈
されている様に思われる。彼の立場は、一九一三年から一九二八年に発表されたもので、異論はあるものの大勢に於ては結論の出た間
題と考える事が出来、彼の立論に寄与したマリオ・ロックを初めロマニア誌を中心とする学者には保持されている。
年、
間
所が最近、歴史研究の方法論の概論と云植える「歴史学とその方法」中に「本文校訂」を書いたロベール・マリシ「
ャ三
ル十は
(註 3〉
の論争を振返って見ると『ベディエのパラドックス』は、始めに考えられた程の重要性はないようだ」と云い「我々の資料は写本、結
局ステマである。ステマが不条理だからと云って、それが示す証拠を捨て去る権理は我々にはない」と書いている。乙れはベディエの
立場えの批判としては妥当と思われない。ベティエの主張は、写本は資料であっても、「ステマ」は解釈の一形態でしないと云う事に
ルケ、 マ
l
スも批判を行い、最近は、カテテラ
l
-一、ホワイトヘッド等の見解もベディエ説に全面的な同意をしてい
あるので、ステマ其物を否定している訳ではないのである。ベディエの立場に対しては、写本分類の新武器として登場したドン・カン
l
(註 4)
タンを始め、フ
るとは云えない。これの多くは、ベディエに反してステマが二分肢になる事を正当化する努力と云えるが、ステマが二分肢か三分肢か
一、ラハマン校訂法
以下簡単に乙れを説明して、ベディエ説の主張と写本、校訂版の問題を考えてみたい。
と云う問題はベディエの主張の契機ではあるが、結論ではないのである。それでは乙の論議の出発点となったラハマン法とは何である
のか?
専念仏
OFREE
ωユ
FRVBSロ)と云い、カステラ
l
ニも、ラハマン法と云われ
刊
ロ)と云っている。乙の方法をフランスで招介したのはガストン・パリスで「聖アレクシス伝」
八六八年(明治元年)からであるが、普仏戦争の為に七二年まで出版は延期された。この方法は、実際の作品校訂に於て全面的には採
行以前一八六六年のルヴュ・クリティクに招介したそうである。ガストン・パリスの高等実習学院での「聖アレクシス伝」の講議は一
る方法(目S
ロ gEOWESE・
z -zopH民
BZ0 ・
従って」 (印。-E。自
b80
ロ公宮内問。m
V間
ラハマン自身にはこの方法を解説する論文はないようで、ベディエも「カ!ル・ラハマンによって案出されたと思われる通常の方法に
ラハマンの校訂法とは、 一八三O年頃からドイツ中世文学作品の校訂、次で、古典文学の校訂に用いられた写本分類の方法であるが
-108 ー
(註 5)
用されなかったが、方法論としては、一般の賛同を得たと云う事が出来る。ガストン・パリスの弟子であり師に愛されたベディエもこ
の方法に依り「水鏡の歌」を校訂し、トリスタン物語では失われた原作の複原を同様な方法で残った作品から試みたが、乙の体系を覆
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法
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根
拠
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字
生
の
独
立
各
自
同
所
箇
で
同
じ
は
今これを簡単に説明しよう。
フォト・パルテイキユリZ1 山市
(註 8〉
D と Kが括孤に入っているのは、こ
F から出ているのは
の写字生が Fを写す途上で為した誤りとされる事を示す。
の誤りを全部含み、しかも、他のどの伝本にもない独自の異文を一つ以上
F
J
(註 9)
に無い誤りを含んでいるが、
GH 相互間に少くも一つづっ
G と Hは互に
独自の異文は、「独自の誤文」と云われ狭義ではヴアリアントとは云
J
AtF
の示した本文となり、失れた
e
は再建出来る。 G と
e
Hが異る場合
のどれかと等しい方が eを伝えている事になるので、等しくない異文
存していない
の「独自の異文」を含んでいる事になる。乙の場合、G と Hに共通な部分は、残
共通でしかも
わず、従ってラハマン法では註としても挙げなくてよいとされる。
との
示しているので、
J
ベディエの立論の根拠となった事は既述の如くである。J が
か、三分肢になるかは、本文校訂の際、極めて重大な変化を斉らすのであって、
の括孤をはずして三分肢以上の場合の例とするためである。系譜が二分肢になる
して創るか?
類の結果が、第一表の知くなったとする。乙の図は何を表わし、又校訂本はどう
は、一つの親写本から譲られたと考える。乙乙にA から Kまでの十写本があり分
(註 7)
間違いをしない」と考え方がある。従って任意の二写本が同一の間違いを示す時
分
類
を
す
は、 AtJ
-109 ー
本
d
(註 6)
〆\事
H C
G
F
(D) E
"
"
"
キ
I
C
/
B
;
"
/
伝
がえす反論に到達した事は、ファプリオ研究で、師の印度起原説を否定し、叙事詩論で師のカンティレ!ヌ学説に反論を出してベディ
法
ン
通
エの仕事と考え合せ興味深いものがある。
)フ
G
-H
が求められる。
ABCDE
F ・G ・H
の時はこの二者の中
8
T
は求め
e
も他の
β が再現不能な
が複原出来る。 β は ABCD の一
GH
であり、 FG 対 H なら FG の方が正しく、FH 対 G なら
Eで
又、そのどれかと等しい方が正しい。この場合、F も
の等しい所が、
の示す異文は、ずアリアントとして註に出す必要がある。即ち、単一の写本が、 「誤り」を示すのでな
は、狭義のヴアリアントではない。従ってG
、と Hが異なりしかもAlJのどれとも此の二者の示す文が等しくない場合のみ
られない。乙の場合は、
8
く、他の写本又は写本群が共に異文を示すからである。
が復原出来たらこれと F とで
e
FH の方が正しい事になる。F対 GH
E
β を伝えていることになる。
F と
がヴアリアントとなる。同様に8と
どの写本とも異なる時のみ8は作れず、乙の時に
r
と異なる場合のみである。従ってAtG の中同一の分肢に属するある写本が単独で示す「異文」
致で複原され、もしこの四写本の中任意の二つが一致し他と異る時は、Tと等しいものが
r
から再現されるが、この場合、β と
T
・T ・F
叢書も原則として乙の方法を採用した。但し繰返して注意す
(註9)
よりも多くの写本に現われるが、乙の系譜が解っている場合は、原文は、科学的に決められる訳で十
E ・ FJ
の対立する箇所は、第三のKがない限りは自動的には決定出来ず、両者の本文考証
T
の複原には無価値であり、校訂本に示す必要もない事となる。
のは ABCD が皆互に異なりしかも
は β又
αは β と
ABCD
に依る他はない。このように、二分肢か三分肢かは重要な決手になる。以上の事を逆に考rえ
とが
、あれば、それは
にる
異文
の五写本に現われ
る点であろう。
れない。ベディエ以後大きく変った点は、写本のテクストが、明に誤記等間違っていない限り、単一の写本の異文も尊重する可もとす
本にあった」テクストではあるがそれが「実際に中世に読まれた」テクストである写本よりも原作に近いと云う事は仮定の領域を出ら
と思われるヴアリアントは陽の目を見られぬ立場に置かれ、然も、刊行された校訂本からは存在も推定出来ない。校訂本は「恐らく祖
異ったテクストではなく、二分肢聞の対立する異文のみを指す事である。異文の比較検討によってステマが書かれてしまうと一見間違
べき事は、ラハマン法では、写本の単一の異文は、原作の再現には無益と見られ採り上げられぬ事で、ずアリアントとは、乙乙では、
九世紀の文献学者には乙のラハマン法は貴重な方法でありs、・A
-H ・G
-110-
U)
l
一一、
ベディエの批判
レドロンプル〈註
ガストン・パリスに師事しハレ大学のズ
(註叩)
ヒャーに師事したジョゼフ・ベディエは一八九
O年に当時奉職していたフライプルグ大学
から「水鏡の歌」の校訂本を刊行した。乙の版では当然ベディエはラハマン方式の校訂をしている。乙の版は早速周年のロマニア誌に
ハ註ロ〉
採りあげられガストン・パリスは細字七頁の書評をし、五写本を二分肢に分類したベディエに
E写本が四三一行目から全く違うテクス
DEF
・T ・F
叢書の為に再び
の対立の例を引用し乍も、正しい直観によって殆んど全ての場合DEF を撰んでい
トを示す点を注意し、乙の写本は一写本で一分肢を構成するとした。即ち五写本を三分肢に分類す可きではないかと発言した。但しガ
ストン・パリスは「ベディエ氏は ABC 対
る」とし出来上った結果としての校訂本は高く評価している。ベディエはこの後二十三年経て、同じ作品sを・A
校訂するが、その時彼は、ガストン・パリスが指摘した五ケ所の外に再に五ケD
所Fでのみの「異文」を認めた。所が、乙の事からガストン
ステマ(註日)
.パリスの指摘の様に三分肢に分類する事なく、乙の校訂法、特に伝本系譜の真実性を疑い、この校訂法そのものを覆がえしたのである。
l
ニ、マリシャル等の批判を斉らす所となった。ベディエの「水鏡の歌」の
ベディエの方向転換の出発点となったのは有名なベディエの発見、「伝本系譜は作品校訂の為に築く場合は大多数が二分肢となる」
ス、フルケ、カステルラ
l
と云う事実の着目で、この点がマ
F
・ロトに依れば一九一一年には準備は終了していたと云う。一方ベディエ自身は、ラハマン法の
新版は一九二二年に出版されたが、
新武器たるドン・カンタン法について、彼の立場を明らかにした一九二八年のロマニア誌での論文では、乙の発見は一九一二年か一九
一三年と云っている。刊行された種々の作品の校訂版の写本系譜を調べたベディエは奇妙に二分肢の系譜が多い事に気付いた。不思議
ベディエはこの事実は、写本の状態を現わすより寧ろ校訂者の心理から生れるのではな
に思ったベディエはラテン語、 英語イタリー語の作品六十程も調べたが二分肢の図が圧倒的に多かった。彼によると中世仏語の一一
O の校訂本中一 O 五が二分肢になっていた。
いかと考えたが、 比のベディエの解釈は心憎い洞察を示すものの反論を惹き起し誤解の種も播いたと云えよう。ベディエは写本系譜
ドン・カンタン法はラテン訳聖書(ヴルガ
l
タ)の校訂法として写本聞の依存関係を
が二分肢になる事の是非より、 写本が資料であるのに対しステマが解釈の一形態以外であり得ぬ点を重視したと思われる。乙の点は
ドン・カンタン法批判中に主張されているが、
知る為に案出されたものである。ドン・カンタンは、ラハマン法の「誤記」の観念を排除し、全く任意に適当な長さの部分を撰び、三
(註M)レドロンプル
十から凹 O位のヴアリアントのグループを採集する。但し、此処でも、単一の写本が他の全ての一致している所で示す異文は役立た
BC
Cと対立するのは何回か、A と B と Cが互に異なるのは何回かを数える。乙の時〉八回
AB
等を示す。マリシヤルは、電子計算器を使
A
の親近性が立証される。但し、 Cが中介者と云う
は
)が
回八円UH。のように一写本が他に対し対立する事が無い場合は、乙の対立を示さぬ写本(ここでC
kF
と対立するのは何回か、 AB が
ない。ドン・カンタンは「水鏡の歌」の写本についてこの方法を試みているので、その例を第二表に掲げる。そして次にABC の三写本
について Aが
回八の HJア
nH 同町、krV
他のニ写本の中聞に在った事になる。又Cが極めて少い対立を示せば、少なくも
から N
は B| C| A、或いはMVC
|C
|ず
人目
八日を一一A小
さ
B又、
事は、必ずしも C
えば三、四 O のヴアリアン卜でなく作品中のヴアリアント全部を調べ得ると云っている。実際この方法は、同一分肢に属する写本を推
定するのには有効であり、少なくも「誤り」の観念から出発せずに操作出来る点、ラハマン法の不備を補うものと云えるが、写本相互
聞の親近性を知る段階から相互の依存関係を推定する所で、やはり仮説を排除出来ぬ点をベディエは指摘した。ベディエの帰納法的証
は
では
GF
4
、
5
、
とロは
1
3
又日は
、
DE
A写本
の親近性を示
の無関係を表わしている。
の親近性を 8 u、口は
AGE
CG
、
Fは日ではC
はそれぞれグループなのでこれは図
の中間にある事を示す。
と DE
CD
AGD
が
F
の関係になる。 一方CG
が近いことになる。
の近い事を暗示している様であり、又
の近いこと
7は
CF
CF
の中聞になるので、これは図
が近い事となり、日、ロ、日では
GE
DE
の四では
B写本は
明を見る為に、ドン・カンタンが「水鏡の歌」に自分の方法を適用した例を見ょう。表二は、この作品の第一六六行から二三三行まで
6
GD
6は
に表われたヴアリアントを列挙したものの一部で、表三は三十のヴアリアントの示す写本閣の異同の一部である。尚、
、
4
と殆んど同じテクストを示すので図三では考慮に入れられていない。第三表の
8
し て いる。
所が
E の中聞に凶では
の関係を示す。こうした操作でドン・カンタンは第六表のCに示された系譜を書いた。
5
と云う写本を仮定する。要するに祖本
Eから五つのヴアリアントを撰んで R
Rを写し乍ら五ケ所書きかえた写字生を仮定し、E と W の中閣の写本を人工的に創って見た。もしドン・カンタン法が正しければ「水
祖本 Wを現実に存在すると仮定し、今度は W のテクストに
ベディエは、この系譜を先ず認め、この系譜に従い祖本の複原を試みた。三分肢であるので機械的に複原可能である。そして出来た
-112 ー
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第五表
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第四表
CGDE
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CCCCGGGDHGGGDDEDDEE
AAAAAAAAHCCCCCCGGGD
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EFDEFEHDEEEFFEFFF
JJ
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6
2
ム1
鏡の歌」の写本五とこの新しく作り出した写本二をドン・カン
a
を先ず得
タン法で再び分類する時第六表 cの系譜に到達出来ねばならな
c
と実質上は同じである。但し、この場合W
ベディエはそれを試みた。そして、第七表の
cd
を得る事はあり得、又中世の写本を
b
も、又これ以上のステマも案出され得る。
AB
、
CG
の親近性
の中聞に置くが、
をグループとした。一九
F を CG と DE
DF
S
-A
・
版ではベディエは「結局、私はこの写本の系譜を建てる
-F
で示した系讃の多くと同程度に説得力のある系譜が建てにくい
事はしまいと思う。それは従来の多くの研究者が種々の校訂版
T
を伝えるものと云う仮説を建てる事も出来るとした。
三年にベディエは、 E写本の解釈として、乙れは原作者の改作
ガストン・パリス又ベディエは
で異なる。ドン・カンタンは
は常に現われている。写本Eがドン・カンタン法によるか否か
現存する写本聞のグループの存在である。
表第七表を通じて不動の事実がある事も注意している。それは
一方、第六
ベディエはこの様にステマの浮動性を示したが、
結呆からは
前にした時の如く失れた祖本を考えれば、ドン・カンタン法の
り、知らなければ第七表
が祖本になるのは、 Wが祖本である事を知っているからであ
た。これを第六表
。
からと云うよりは、全く逆に、色々の系譜が極めて容易に考え
-114-
E
v
C G D E
\/
I
I
「I
z
x
I
z
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A
r
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x
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Stemmatadu“ Lai d
el’Ombre”
第六表
0
b)
0
a)
第七表
||
D E
ー
w
||
D E
(註幻)
工事であってその上には何階の建物でも建てられるのであり、ステマは
られ得るからである」と云って、写本そのものは、丁度、建築物の基礎
仮説を排除し得ぬ事実を指摘した。
そこで此の幻の祖本よりも、中世の人間、少くも二十世紀の我々より
s
・AaT
・ f
・ f
・八三七を
版には、フランソワ一世の
・F
・N
的原作が、正確に原作と一致する保証がない以上、良質の中世の写本に
いるとは云えぬ。今、残された写本のヴアリアントから複原される推定
くなるのであって、仏文学創成時代である十二世紀から極めて距たって
い一型態である。中世仏文学作品の現存の厚本は十三世紀より、漸く多
り、原作ではないかもしれぬが、確かに中世に於て実在した作品の正し
を施された E写本の校訂版は、乙の作品の中世に於る伝承の一つであ
生が読み返したら訂正したと思われる」誤記の訂正に止める。乙の訂正
ハ註お)
六二行の作品中三六ケ所は訂正を行っている。然し、その訂正は「写字
写を以て事足れりとする事ではなく、例えば一九二八年の校訂でも、九
鏡の歌」の校訂文を発表した。勿論乙の一写本を底本とする事は単に転
底本として校訂し、 一九二八年ロマニア誌上には写本Eを底本に「水
時から王室図書館にあった極めて良好な写本B
て、「水鏡の歌」では、まず
ドロンプル
めに、一写本を底本に選び、出来る限りその本文を尊長する事を主張し
「
|
x 一八\
中世に良い写本とされたものに依って作品を読み中世を現実に捉えるた
中世語に通じ、中世の感受性を持った人達が読んだ写本によって、特に
一一ー一//
O
~115 ー
。
d)
c)
r"
"
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DE
AH CG
/\
b)
従う方が、中世の現実に近いと云う事は充分に考えられる。乙の点、写本と作品の年代がずっと離れた古典語に関する学者としてのマ
l
N
、
M
、
Nがあったとし、乙の中、例えば、 Nが、 A の
ケはマリオ・ロックの再批判を受入れた際、一九四九年のロマニアで、二分肢の多くなる原因を一つあげているが、乙れはベディ
ース、マリシャル、又ドン・カンタンを考えると中世学者としてのベディエの立場は可成はっきり理解されよう。ベディエ批判を行っ
たフ
(註日目〉
エ説を支持する根拠となり得る。今、残存せぬ
A写本を独立に写した三写本、
の様に考えやすいと指摘している。乙
一ケ所の誤り(又は誤文と思われたもの)を正したとすると、乙の事を知らぬ研究者は第八b表
れはラハマン法の弱点をよく表わす例である。我々が今誤植に気付くのは、必ずしも他の本との比較に依るのではなく、内容からも気
付く。転写の場合は、独自に原本の誤りを訂正するものである。卑近な例を挙げれば、「失敗は成功の墓」とあれば、原文に当らず「基」
ず、残された資料の再現が問題であり、写本自体が、充分に良い伝承を示す場合は、推論は補註にし、本文は
写本に出来る限り従うベディエの立場は充分尊長される可きであろう。中世仏文学時代には、現代程のテクス
l
ルのた
写本の比較によって校訂本を作る事は、原形複原と云うより
AIJ の写本に一つ写本を加える作業に近
E
ァラルはベディエに批判的であってヴルアルドワンの校訂ではラハマン法に依り、リュトブマの校訂では写本
反論は出ていない。ベディエの注意する如く、ポル・メイエルもラハマン法で校訂を出さなかった。一方、フ
ベディエえの批判は、ステマの二分肢か三分肢かの議論になり、ステマに仮説を排除し得ぬ要素のある点は
くなり、細心なる写字生になる事かもしれなくなる。
本と
めに自作の写本をそれぞれ作らせたが、双方共に彼女の作品でしかも異同がある。 「水鏡の歌」の場合、A写
作」も独断ではなく、例えば、クリスティヌ・ド・ピザンは在生中ベリ公とイザベル・ド・パヴィエ
トに対する固定観は無かったと思われる事は叙事詩に於る新伝承主義論争にも窺われるし、文写本で「独自の
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読み」を持たぬものは無くしかもどれもが 「間違った読み」とは云えない。 ベディエの云う「作者に依る改
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と直すであろう。乙の場合乙の成句を知らなければステマを考える時、誤っている祖本を伝本から出た物とする事は、起り得る。又作
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家は乙の成句があり乍ら求めて「失敗は成功の墓」と云う事も有るかもしれない。十九世紀に漸ゃく始まった中世語の近代的研究は先
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ベディエは一九二八年の論文では結局は校訂者の感受性と慎重さの問題であると云うがとれは実証主義としての原資料の尊重を一方
に考えての発言であって、決して写本の分類、厳密な批判検討を軽視したのではなく、あらゆる推論をした上で、資料を尊重する事を
求めたのである、叙事詩研究、ファプリオ研究で彼の説が多くの補整を受ける段階にある時に、彼の校訂法の立場は最も批判に耐え得
るもの と 思 わ れ る 。
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に対しての便宜的仮説と思われるが「水鏡の歌」の
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ベディエ論文の中で最も問題のあるのは、E写本を作者の改作とした仮定の大胆さにあると思われる。乙の仮説はドン・カンタン法
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ニュとはっきり書かれている。マリ・ド・フランスの作品は古ノルウェー語訳のストレングライカ写本を含
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写本のみはレしか含まない。乙の写本は、又フランシアンで書かれている事も特徴的で、エプ、不ルがl
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リ作品九を含む
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マドリッドに伝わる十一世紀の写本が優れた写本である事に注目し、乙の写本が、ロ
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く全体としての写本の質を問題にする必要を考えねばならない。スタl ティウスの「テ
に、特にジャンルとしてのレ・ブルトンを意識して集めたものと考える事が出来る。乙乙で写本を扱う場合、個々のテクストのみでな
との写本を利用しフランシアンによるマリ・ド・フランスのレの校訂版を出版した乙とは良く識られている。乙の点、乙の写本は中世
に 、 乙の
めて五写本に残っているが、ハルレイ写本とストレングライカ写本は十二を伝えているものの、他のジャンルの作品も書かれているの
シ ッ トにも、レドプルタ
レのジャンルについては種々問題もあるが、との写本の作品は皆中世にレと呼ばれたもの計りであり、インシピットにもエクスプリ
二十四が含まれ、その中にはマリ・ド・フランスの十二のレ中九を含んでいる。
ぬ点極めて特殊な写本ではないかと思われる。レと呼ばれる短詩は、現在、中世仏語で約四十程しか残っていないが、この写本には、
本と云われる十三世紀の写本で十二世紀の一帖(十二頁)とその閣の一葉(十三世紀)のラテン文を含む他はレエ・プルトンしか含ま
-117-
ペコ
ハ註四)
人時代にも古典研究の中心であったトレードのカテドラルの所蔵であった事実を指摘している。写本
Sとハルレイ写本ストレングライ
カ写本に含まれるレ・ド・ランヴァルを校訂したりシュネルは中世仏語による四写本の全ヴアリアントを採集しドン・カンタン法の計
算を試み、乙の作品についてハルレイ写本とS写本が共々に他の写本に対し古形を保っている事を明らかにした。リシュネルは
S写本
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島 Bo -Z
円の原則に因ってハルレイ写本の方が意識的な訂正をしない保守
のみにある単独のヴアリアント百二十五中百十は意味上も「誤記」でなく正当化が出来るものとし、ハルレイの写本中の独自のヴアリア
ント百二十一中五十一のみが正当化可能なことから F2 丘 O
的なテクストと考え優位をこの写本に与えている。計算の抽象は不注意による独自のヴアリアントと祖本中疑がわしい箇所を意味を通
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の場合はハルレイ写本を離れている。乙れに対しずァルンケH
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の場合は
PS
に従っている。リシュネ
り易く意識的に改憲した事に依って生ずるヴアリアントを同一に扱う事になるので、個々のlケ
スの本文批判によって決めるのである。
リシュネルは H対
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ル版では四写本の転写があるために独自のヴアリアントも解るが従来のマリ・ド・フランスの諸版にSよ
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(註却)
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写本は独自のヴアリアントを出す点、特異な写本と云え又、作品中の「教訓」の順序から
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寧本
ろを底
S
トの検索は困難であった。又「小鳥の歌」も乙Sの
写本と「水鏡の歌」のA写本 B写本に含まれるので、乙の写本の問題と極めて密接
な関係があるが、ととでも
本に撰ぷ事の正当性もあり得る事は、芸文前号の拙稿で論じた所である。との
S写本が、レの選集として注意深く原型を撰んだと云う
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レドロ
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写本のテクストをジャン・ルナ l ル自身に依る改訂版と考える事は、マリ・ド・フランスのレ、又「小鳥の歌」に見える同写本
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事も可能であり、少なくとも乙の仮定は「小鳥の歌」「水鏡の歌」については、可成の現実性が有り相である。従って、「水鏡の歌」に
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にモリス・クロワゼによる略伝がある。明弘包
。
写本の問題は、乙の写本中の音韻、詩法等からの他写本との比較又、公文書学的研究によって解明されて行く可き物と思われる。
の同様な位置からみて余りにも冒険的仮説と云えよう。ベディエ論文では理論と「水鏡の歌」の問題は分離すべきものであったと思われ
る。
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