...

米(英)国際石油資本の統合合併下における 新グローバル秩序の構築(上)

by user

on
Category: Documents
21

views

Report

Comments

Transcript

米(英)国際石油資本の統合合併下における 新グローバル秩序の構築(上)
関東学院大学『経済系』第 228 集(2006 年 7 月)
米(英)国際石油資本の統合合併下における
新グローバル秩序の構築(上)
Establishing New World Oil Order under Newly Integrated
Super International Oil Majors
奥 村 皓 一
Koichi Okumura
要旨
20 世紀末の米国 M&A ブーム中のうち最大級のものは石油買収・合併であった。なかでも旧
スタンダード系石油メジャーズの合併・統合化は,米(英)国際石油資本によるグローバル石油市
場の拡大制覇をもたらすものであった。中東油田の両制覇への挑戦はイラク単独攻撃・占領によっ
て企てられ,カスピ海,中央アジアやラテン・アメリカ,西アフリカ油田の新たな制覇が進み,ロ
シアや中国の国際石油企業の買収・資本提携(大口株取得)へと進んでいる。さらに重要なことは,
OPEC はじめ産油国の国営石油資本と米英スーパー・メジャーズとの新たな合併も進み,冷戦後世
界の勝利者としての「新アメリカ帝国」による新石油秩序の構築が進んでいることである。
キーワード
スーパー・メジャーズ,マイナー・メジャーズ,世界石油秩序,エネルギー国家安全
保障,「新石油帝国」
,ブッシュ・ドクトリン,米・サウジ石油枢軸,産油国国営石油資本,ロシア
国際石油資本,中国三大石油企業
はじめに
1. スーパー石油メジャーズの創出による新世界秩序
2. 中堅石油企業の再編統合化と世界展開
3. 米国南部地場石油企業の再編統合と海外油田獲得
(以下下編)
4. 米(英)スーパー・メジャーズ主導の新世界秩序
5. 「軍事的」石油グローバル帝国の形成
6. エピローグ—スーパー・メジャーズの新世界石油秩序
はじめに
とりわけ,ブッシュ–チェイニー政権が,国際石
油資本を先頭に,広大な地場石油企業群を味方に,
ネオリベラル・グローバリゼーションが進行す
全世界の石油・ガス資源を漸次支配する新石油戦
る 21 世紀初頭の世界資本主義のなかで唯一超大
略 —NEP(New Energy Policy・新エネルギー政
国となったアメリカ〔ワシントン=ニューヨーク
策)は,アメリカの「新帝国主義」
(the New Impe-
(ホワイトハウスとウォール街,多国籍企業・国際
rialism)として支配層(エスタブリッシュメント)
的巨大銀行の複合体)
〕の「帝国」構築=新帝国主
の間で賛美され始めている。全世界の石油資源を
義が進行している。「冷戦勝利」の結果,アメリカ
支配下に組み込もうとするアメリカの「新石油帝
は圧倒的な軍事力を背景にネオリベラル・グロー
国」の構築をアメリカ「新帝国主義」と解するの
バリゼーションをプラットホームとする「資本の
はあまりにも単純であり,金融,情報通信,航空
帝国」
(Empire of Capital)を急ピッチで構築して
宇宙–軍需,アグリビジネスなど広範な分野でのヘ
いる。
ゲモニーが追求されているが,ブッシュ=チェイ
— 23 —
経
済 系
第
228 集
ニー政権の石油資本との密着度は,20 世紀以来の
ペルシャ油田開発の歴史的な中心であったバグ
どの政権より強いといえよう。本稿では 21 世紀初
ダットを拠点にサダム・フセイン政権が,クウェー
期の唯一の超大国アメリカの石油戦略の特性(時
ト侵攻でアラブ地域全体の潜在的脅威になってい
代遅れの軍事帝国主義と米国内知識層では批判さ
たという状況下での,アメリカが大規模に介入し
れているが)を分析解明しようというものである。
たクウェートを「救う」ための第 1 次イラク戦争
ワシントン政府と国際石油資本が,カーター・
は,ワシントン・ウォール街・ヒューストン(国
ドクトリンで宣言されたアメリカの「死活的国家
際石油資本)の中東石油資源の支配を回復するの
利益」
(vital national interest)として介入してき
に大いに役立ったといえないだろうか。
た中東(とりわけ第 1 次,第 2 次イラク戦争)と
イラクのクウェート占領にアメリカは干渉しな
カーター・ドクトリンのカスピ海油田地域諸国,ラ
いと駐イラク・米国大使(当時)のエプリル・ス
テン・アメリカ,西アフリカへの拡大適用は,21
パイラル大使が「約束」した後の米国中心の多国
世紀の「新帝国」
(New Empire)ないし「アメリ
籍軍による計算し尽くされたサダム・フセイン攻
カ帝国」
(American Impelium)として超大国アメ
撃は,アメリカが,サウジアラビアはじめ湾岸君
リカの冒険的な挑戦であり,巨大石油メジャーズ
主石油大国の安全を維持・保障できる唯一の保証
同士の巨大合併,統合に経済的基礎を置くものと
人であることを証明することによって,アメリカ
して見逃せない,今日的課題である。
大統領は,「OPEC の軍事上の名誉総裁」となっ
た。ブッシュ Sr. 大統領は,冷戦を終らせ,二極
1. スーパー石油メジャーズの創出による新
世界秩序
世界を取り仕切った実績とクウェートでの勝利に
伴う,米軍のペルシャ湾進出から,カタール,バ
ハレーンでの米軍基地の構築による中東油田の保
1.1 イラク戦争に見る国際石油資本の戦略
護者としての返り咲きを念頭に置いて,100 年間
ブッシュ–チェイニー政権によるイラク単独攻撃
と占領は,最初から米(英)石油資本による世界
続く(中東の)
「新たな平和秩序」
(The new peace
order)を提唱したのである2) 。
国際石油資本や準メジャー,独立系石油資本の
第一の規模を担うイラク油田地帯の占有を目指し
た「またとない好機」
(rare chance)であった1) 。
中東・北アフリカへの再進出が開始され,ホワイ
冷戦終結によって「力の空白」が生じた中東とカ
トハウスは,一連の金融権力装置である金融制度
スピ海油田(旧ソ連領)
,西アフリカの石油資源に
のネットワーク(世界銀行・IMF と米国の金融シ
先代ブッシュ政権,クリントン政権,そしてブッ
ンジケート=ニューヨーク・マネーセンター銀行
シュ Jr. 政権は,いち早く着目し,ワシントン政権
と投資銀行)を再展開させ,サウジアラムコやク
(ペンタゴン)の支援の下で,国際石油資本と準国
ウェート石油,クウェート金融公社をアメリカ石
際石油資本(マイナー・メジャーズ)それに米国
油市場へ引き込むのである。OPEC(OAPEC)と
内の油田を閉鎖した中堅地場石油資本が一斉に進
米国石油資本との相互乗り入れは,相互軍事協力
出した。世界の大「資源争奪戦」が始まる 21 世紀
の強化(深化)と組み合わせて推進されている。
初頭において米(英)国際石油資本はスーパー・
(OPEC の国有,国営石油公社の民営化は,米英投
メジャーズとなり,
「20 年で 3 兆ドル」
(後述)と
資銀行との協力で進められ,米欧金融資本の産油
いわれる巨額投資をウォール街の金融資本とワシ
国石油企業への浸透も始ったのである。
ントンの軍事外交支援のもとに遂行し始めたので
ある。
続いて,米(英)国際石油資本そして準国際石油
資本や独立系準大手石油資本が,
「米国石油資本の
〔注〕
1)国際石油資本の首脳が,ワシントン・ホワイトハウ
スで最初から戦略協議に加わったといわれる。
新秩序」
(米
(
(英)
)の世界石油レジーム)を構築すべ
2)Alfredo G.A. Valladao, “Le Xxle sierra americain”, (Paris La Decourerte, 2004), p.76.
— 24 —
米(英)国際石油資本の統合合併下における新グローバル秩序の構築(上)
く,新たな油田の探索の先陣を切り始める。米国
米国政府と石油ロビーの意を受けて,リチャー
石油資本の世界的拡張に向けて,1989 年には,ア
ド・チェイニー,ヘンリー・キッシンジャー,スグ
メリカの海外石油・ガス探鉱・開発投資額が,米国
ニエフ・ブレシンスキー,ジェームス・ベーカー,
内向けを上回った。92 年頃から,米国石油資本は
コンドリーサ・ライス,ネオコンの指導者でペン
中小の石油会社も含めて,コロンビアやナイジェ
タゴン国防政策局リチャード・パールなどの民主
リア,アンゴラ,赤道ギニアやイェメンも含めて世
党,共和党系の政府高官たちは,来たるべき米国石
界の主要石油生産地へのプレゼンスを強化したい
油帝国の秩序を敷こうとしていた。とりわけ,後
という願望が強まってくる(先代ブッシュは中堅石
にハリバートン会長,ブッシュ Jr. 政権の副大統
油掘削会社=サパタ・インタナショナル
(
(SAPATA
領となるリチャード・チェイニーの石油金融政治
International)
)
をハリバートン社に売り,ブッシュ
家(Petroleum-Financial Politician)としての台頭
Jr. とそのファミリーは,後述のごとく中堅石油会
が目立ち始めていた3) 。彼こそ,「アメリカ帝国」
社を所有し,バハレーン沖合の海底開発に進出さ
(American Impelium)による 21 世紀のネオリベ
ラル・グローバル「石油帝国」の新世界秩序(new
せたこともある)。
しかし,最大の目的は,中東に次ぐ,旧ソ連諸
world order)を構築する政策シナリオの「新エネ
国内の油田開発へ浸透していく権利の確保であっ
ルギー政策」
(New Energy Policy)を 90 年代にま
た。後述の如く,92 年 5 月に,ソ連から独立した
とめ上げ,ブッシュ Jr. 政権の副大統領としてこ
ばかりのカザフスタンに,テンギスとコロリァフ
れを実行することになったのである。
の膨大な石油埋蔵量開発権をシェブロンが獲得し
た。この時,先代ブッシュ政権のジェームス・ベー
1.2
冷戦後の「新石油秩序」構築への挑戦
対抗者のいなくなった冷戦構造崩壊後の世界で,
カー国務長官とともに,ブッシュ Jr. の国務長官
となるコンドリーサ・ライスが,ソ連圏研究の専
1990 年代後半からアメリカ資本主義は明白に,
「帝
門家としてホワイトハウスのアドバイザー兼シェ
国」とりわけ「世界石油秩序」
(The petroleum world
ブロン取締役として活動した。さらに,アゼルバ
order, world oil regime)
,
「世界金融秩序」
(world
イジャンにはアモコ(後に BP と合併)が進出し,
financial regime)
,
「世界情報通信秩序」
(The world
ウズベキスタンにはコーネリアス・コンソーシャ
information-telecom regime)の構築による「新帝
ム,サハリンには USX–マラソン石油とマクダー
国主義」
(The New Imperialism)の構築を目指す
モット,チュメニにはペンゾイル,コミ共和国に
ようになった4) 。多国籍企業の新たな発展段階の
はコノコ,テキサコ,オキシデンタル・ペトロリ
ネオリベラル・グローバリゼーションの基盤に立
アム,シベリア油田にはファイブロ・エナジーな
つアメリカ資本主義のパワーポリティックスにお
どがはりついていた。やがて,西アフリカ,ラテ
ける「まったく新しい石油世界」
(a very petroleum
ンアメリカ(コロンビアとベネズエラの新規大油
world)の出現は,
「アメリカ資本主義のアキレス
田開発,メキシコ湾の大深度油田開発,ブラジル
腱」
(America’s Achilles’ heel)になろうとしてい
のアマゾン油田開発)へと,アメリカの石油産業
る5) 。
は,60 年代の米英国際石油カルテル華やかなりし
ブラジル,インドなど第三世界の新興工業国,ロ
頃の国際石油市場支配拡張への勢い輝きを取り戻
シア,中国,東欧の工業化やアメリカでの石油・ガ
しているかのようであった。国際石油資本,米国
内の統合一貫石油会社(マイナー・メジャーズ),
独立系準大手石油会社のみならず 8000 社を超え
る中小地場石油会社(ブッシュ・ファミリーはそ
の中心にあった)も,アメリカ政府・民間の石油
帝国膨張の波に乗ろうとしていた。
3)Mathew Yeomans, “Oil—An Long view of an Industry”, (New York, The New Press, 2004), p.141.
4)Emmanuel Todd, “Apres Lémpire—Essai sur la
décomposition du système Américain postface
inedito”, (Paris Gallimand, 2004), p.115.
5)Ibid., p.121.
— 25 —
経
済 系
ス需要増大を目当てに,ロシア,カスピ海沿岸産
第
228 集
り出している7) 。
油諸国,OPEC 加盟諸国(ベネズエラ,ナイジェ
その延長線上において,イラン,イラクなど米
リア,アルジェリアなど)そして,ブラジル,メキ
系石油資本を排除している産油国の石油・天然ガ
シコ,インドなどの非 OPEC 諸国の石油生産増大
ス開発,生産に乗り出し始めた。プーチン石油戦
による石油戦略によって,米(英)石油資本は自己
略のイラン・イラク展開は,フランス,ドイツ,イ
の世界秩序が突き崩される危険性を感じ始めた。
タリー,北欧,そして中国,インド,ブラジルの
1997 年からのプーチン世界石油戦略の開始によ
石油・ガス国策企業との戦略提携へ道を拓くもの
り,ソ連崩壊によって生産が沈滞していたロシア
であった。特に,露,独仏,中の石油戦略におけ
石油産業界は,民営化と米英仏石油資本企業との
る提携とその連合勢力のイラク,イラン(推定原
戦略提携で大増産へ踏み切った。同国石油産業は
油埋蔵量は世界で 2 位と 3 位)進出は,アメリカ
近隣のドイツなど欧州各国,中国,インドや東アジ
の中東油田覇権を揺るがしかねないインパクトを
アの新興工業国,そしてアメリカ本土へさえも,石
持っていた8) 。第三世界の超大国として,中露と
油の輸出を開始し,往年の世界最大の産油国とな
並ぶインドやブラジルも,この戦略提携に加わろ
り,しかもそれを,グローバル単一市場化の波に乗
うとし始めた。
り,全世界の市場へ売り込み始めた。92 年から民
他方サウジアラビアやクウェートを基軸とする
営が開始され 98 年にほぼ完成されたなかでルーク
OPEC と米(英)国際石油資本との協調は,湾岸
オイル OAO, (Lukoil)
,ユーコス(OAOYokos)
,
戦争(第 1 次イラク戦争)以来進み,盟主サウジ
TNK(Tyumen Oil Co.)
,SNG(Surgutneftegaz)
アラビアは石油生産増加をのみならず,米系国際
などのロシアの大手石油企業は,エクソンモービ
石油メジャーのみならず,英蘭ロイヤル・ダッチ・
ル,ロイヤル・ダッチ・シェル,BP などより大き
シェル,BP, 仏トタルフィナエルフをも引き入れ
6)
な可採埋蔵量をかかえていた 。ソ連崩壊後,石
て,ガス田開発や石油化学,電力を手がけようと
油・ガスなど天然資源がロシアにとっては第一の
している。だが,アフガン戦争以来,サウジと潜
輸出商品であり,世界石油戦略が経済力回復への
在的対立関係にあったロシアが,世界一の石油・
唯一の国家戦略であった。プーチン世界石油戦略
天然ガス生産を目指し始めたので,これに対抗す
は,ロシア国際石油メジャーともいうべき巨大寡
べく OPEC 内部にも大増産を目指す国々が続出
占企業群と 100%国家資本の国家石油資本から成
し,ベネズエラのように大増産が認められなけれ
り立ち,前者の一部は米英国際石油資本と資本提
ば,OPEC 脱退を決意表明する国も出現した。
携し,Sidanco Oil Co. はロシアの TNK(69.3%)
と英国の BPPLC(25%)の共同支配下に入ってい
米国に最も近いベネズエラは,原油生産 3 倍増
を目指し(1996 年,97 年)
,アメリカへの石油輸出
る。1988 年に日量 1100 万バーレルを産出した記
量で,ナイジェリアと 1 位の座を競うようになっ
録のあるロシアは,90 年代前半の生産急落のあと,
た9) 。西アフリカやラテンアメリカ(メキシコ湾
2000 年代に入って,サウジアラビアを上回る水準
(750 万∼800 万バーレル)へ回復,2010 年には,
1000 万バーレルの安定した水準を目指している。
そのための資本力,技術力の不足を米欧の国際石
油メジャーズとの M&A&A(買収・合併・提携)
で補おうとしており,米露石油枢軸(Oil Axis)を
軸に,ロシア国際石油企業は海外油田開発にも乗
6)Eugene Khartukov, “Russia’s oil majors: engine
for radical change”, Oil & Gas Journal, May 27,
2002, p.24.
7)Eugene Khartukov, International Center for
Petroleum Business Studies, “Rusian oil majores:
engine for radical change”, Oil & Gas Journal,
May 27, 2002, p.20.
8)エール大学のイマニュエル・ウォーラステイン教授
は,
「アメリカは歴史的に,仏,独,露を接近させない
ようにしてきたが,中国も含めて連帯化を招き始め
た」とアメリカの世界戦略に地政学的誤算が生じたと
述べている(日本経済新聞,2003 年 3 月 24 日付)
。
9)Ian Rutledge, “Addicted to Oil—America’s Relentless Drive for Energy Security”, I.B. TAURIS,
— 26 —
米(英)国際石油資本の統合合併下における新グローバル秩序の構築(上)
図 1 米国の石油採掘リグ数(生産稼働油井と産出可能油性数)の推測と増加予測
深海油田,ベネズエラ,ブラジル沖合など)での
いう11) 。そのアキレス腱が攻撃される時がやって
原油・天然ガス開発も動き出していた。
きた。
世界的な石油・ガス開発競争の 21 世紀前半(2003
1997 年に始ったアジア通貨危機とそれに続く経
年∼2030 年)において,全世界の累積投資額は 3
済混乱が 98 年初頭来の油価の暴落を招いた。特に
兆ドルに達するという石油調査会社(OGJ コレス
テキサス,オクラホマ,ルイジアナ,カリフォル
。世界
ポンデント)の算出もある10)(下編で再論)
ニアの各州での米国石油産業界への打撃は大きく,
中の原油・天然ガス増産には,米(英)国際石油
1997 年から 99 年の間に 13600 の油井,5900 のガ
資本や米国準メジャーズ(マイナー・メジャーズ)
ス採掘井が閉鎖された。98 年の米国内石油生産は
の資金面,技術面での協力が欠かせず,欧州石油
97 年に比べ 60 万バーレルの落ち込みであった。
資本とも競うかたちで進行した。プロジェクトの
99 年の開発投資額は油価の回復にもかかわらず前
巨大化と全世界的開発競争の結果,メジャーズは,
年を 90 億ドルも下回り,74 年以来の最低となり,
さらなる資本と技術力の強化を迫られていた。
99 年の新規開発油井は,496 本(97 年は 901 本)
だが,この「石油熱狂」
(oil addiction)は前述の
となり,80 年代の油価下落年(1986 年 686 本)を
如く,
「アメリカのアキレス腱」ともなった。米国
も下回った。油井(rigs)の新規稼動数も 488(年
石油秩序の中軸にある世界最大の産油国=サウジ
(第
平均)で,1990 年以来最低水準であった12) 。
アラビアに挑戦者が出現し,米国内石油産業(特
1 図参照)
国際石油資本は,米国内の保有埋蔵量を減らし,
に中小の地場石油企業群)への打撃は大きくなる
一方であった。「米国が世界の覇権者であり続けよ
マイナー・メジャーズ,インディペンデンツ(独
うとするなら,米国は,自国の石油秩序の下で,石
立系統合一貫石油)やストリッパーといわれる米
油が世界市場で自由に,矛盾なく流れるようにし
国内の中小石油会社は,経営困難に追い込まれて
なければならない」とマシュー・アーノルド氏は
いた(後述)
。
2005, p.87.
10)Dris Leblond, “Investment cited as most likely
limit to oil supply”, Oil & Gas Journal, July 18,
2005, p.25.
だが,ワシントンと米国石油資本は,グローバ
11)Mathew Yeomans, op.cit., p.121.
12)Ian Rutledge, op.cit., pp.54, 55.
— 27 —
経
図 2
済 系
第
228 集
世界の隔年原油埋蔵発見量と生産量(日量)
ル市場競争の下で自国への開発・投資に力量を集
国,そして西アフリカ,ラテン・アメリカへと展
中することはできず,世界中の石油生産への支配
開し始めていた。カスピ海やイラン,イラクはじ
力を強化し,保有埋蔵量を手中に納め,その開発,
め中東大産油国,西アフリカ,ラテン・アメリカ
生産,価格をコントロールすべく,アメリカの新
でさえ,米,英に加えて,独,仏,露,中による
石油秩序を再構築する必要があった。ワシントン
石油資源争奪戦が始まった。
とヒューストン(国際石油メジャーズの世界拠点
そして,1990 年代以来の石油価格下落を活用し,
としての)は 21 世紀のネオリベラル・グローバリ
米(英)国際石油資本 100 年の歴史を逆転させる
ゼーション下における「新石油帝国」を必要とし
ような大合併を敢行して,スーパー・メジャーズ 4
ていた。
社の体制を確立し,新たな石油開発と市場支配の
同じ時期にロシアの世界石油戦略がスタートし,
米露石油パートナーシップを追求すると同時に,米
新たな競争に向け,
「新石油帝国」の時代がスター
トしたのである13) (第 2 図参照)。
国戦略の対抗者ないしライバルへと展開する可能性
も出てきた。ロシアが世界最大級の石油生産国に
1.3
米(英)石油資本のスーパー・メジャー化
なろうとすることは,サウジアラビアはじめ中東産
1998 年 12 月には,世界石油産業史上最大のエ
油国やラテンアメリカの産油国をも刺激することと
クソン・モービルの合併(810 億ドル)と,BP(BP
なった。ロシアに続いて,中国では 1998 年 7 月に
PLC)によるアモコ(Amoco corp., 旧スタンダー
中国石油(CNPC)
,中国石油化工(CHINOPEC)
ド・インディアナ。97 年には,カナダ最大のガス
の二つの集団公司,99 年 9 月には海洋石油公司
会社,インペリアル・オイルを買収)の買収(276
(CNOOC)が設立された。中国は WTO に加盟し
億ドル)の発表があり,前者は 1 位と 2 位の旧ス
て,国内経済体制を固めると同時に,世界中に市
タンダード石油後継会社同士の合併であり,1911
場と原料,資本,技術を求めて石油戦略を競うよ
うになり,中国 3 大石油資本は,東シベリア,イ
ラン,イラク,クウェート,サウジアラビアそし
て西の国境を接した中央アジアのカスピ海産油諸
13)Steve Liesman, Christpher Cooper, Allanna Sullivan, “Sinking Prices Prod Exxon, Mobil to Meet
At Negotiating Table”, The Wall Street Journal,
November 27, 1998.
— 28 —
米(英)国際石油資本の統合合併下における新グローバル秩序の構築(上)
年のジョン・D・ロックフェラー家のスタンダード
ロックフェラー一族の第 4 世代,第 5 世代の 140
石油トラストの分割以来の歴史を 80 年以上逆回転
名が大株主として名を連ねるエクソン・モービル
させた「ロックフェラーのスタンダード・トラス
を先頭とするロックフェラー・スタンダード・オ
トの再構成」(The reconstitution of Rockefeller’s
イル・トラストの 21 世紀戦略の目指す巨大合併の
company)といわれた14) 。エコノミスト誌は,二
第一の狙いは,サウジ,クウェート,イラク,イラ
組の買収合併を合わせて「ロックフェラーの再興
隆」(Rockefeller rises again)と定義した15) 。
ンなど OPEC の大産油諸国をコントロールできる
「かなり効力のあるテコを得る」
(gain considerably
後者は,英国と英国エスタブリッシュメントが大
more leverage)ということである。1990 年代来の
株主である英国国際石油資本 BP と旧スタンダー
原油値下がりによる財政危機のなかで,サウジアラ
ド系米国内石油資本(マイナー・メジャー)のアモ
ビア,クウェートなどの大産油国は,70 年代以来,
コの合体であり,2000 年 4 月には,同じく旧スタ
米英国際石油資本の介入を排除し続けてきた政策
ンダード系のマイナー・メジャーの ARCO も BP
を改めて,国際石油メジャーズの資本と技術を呼
に買収された(275 億ドル)。1986 年には,スタ
び込もうとするようになったのである。イランや
ンダード石油発祥の老舗ともいうべきスタンダー
アルジェリアは,米英メジャーズのカスピ海進出
ド・オハイオ(ソハイオ)が,同じく BP に買収
の 90 年代前半から,メジャーズの自国への招き入
されており,ここに,英国政府・産業金融界を代
れを開始していたし,中央アジア(カスピ海)諸国
表する国際石油資本と旧ロックフェラー・スタン
への米英仏国際石油資本の進出,ロシアの世界石
ダード系石油資本との合体が完了したのである。
油戦略にも対抗するために,世界最大の石油輸出
BP のサー・ジョン・ブラウン(Sir John Browne)
国サウジアラビアとクウェートなどは,メジャー
は「米国石油産業深部への浸透と同時に『十全な
対抗の戦略を急遽転換し,石油増産と天然ガス開
資金力(Wherewithal)
』を得て最良のプロジェク
発に向けて,40 年ぶりに外国資本への自国内原油・
トの決定的な部分を獲得できる」と述べている
16)
。
石油におけるパックス・アメリカーナとパック
ガス田開発を認めようとしていた。エクソン・モー
ビル合併発表時に,サウジ新規開発進出を前にし
ス・ブリタニカの合体というわけである。圧倒的
たテキサコのピーター・I・ビジューム会長(当時)
な巨大さを誇る米軍事力とニューヨーク–ロンド
は,
「われわれは,サウジアラビアの開放的な思考
ン金融シンジケートによる財政基盤を背景とした
態度に勇気付けられる」と述べている。サウジア
世界石油戦略を遂行するために,この合併は必要
ラビアの石油業者のハッサン・セシンは「エクソ
であったというのである。BP を米国内に引き込
ン,テキサコ,シェブロン,モービルは,数十年
み,スタンダード系石油 3 社を買収させて国際スー
にわたってサウジの親友であり,彼等が先頭に立
パー・メジャーを形成したことをフィナンシャル・
つのは当然であり,彼等が大きくなればなるほど
タイムズは,
「ロックフェラーの回生」
(Rockefeller
われわれには有利である」と述べている。さらに,
17)
石油多国籍企業と OPEC との間の新たな関係は,
Revived)とも表現した
。
(第 3 図参照)
50 年代(資源ナショナリズムと米英メジャーズの
14)Daniel Yergin, “Bigger Oil—merger mania will
not stop with Exxon-Mobil and others”, Financial Times, December 2, 1998.
15)Editor, “Oil well that ends well”, The Economist,
December 15th 1998, pp.57, 58.
16)Robert Corzine, “Land of Giant—BP’s takeover
of Amoco will catapult it into the super League”,
Financial Times, August 12, 1998.
17)Robert Corzine, “Rockefeller revived....”, Financial Times, November 27, 1998.
支配強化),60 年代(OPEC 形成の一方で,石油
メジャーズの世界秩序全盛時代)
,70 年代(資源ナ
ショナリズムの台頭と石油危機,OPEC 諸国によ
る国有化の時代)とは異なり,ナショナリズムの観
点よりも,ネオリベラル・グローバリゼーションの
立場に立った「商業的必要性」
(commercial need)
が第一義的動機となり始め,スーパー・メジャーズ
の 21 世紀世界石油秩序の形成が始まったことを意
— 29 —
経
済 系
第
228 集
図 3 スタンダードオイルの系譜—分割と再統合
味していた。クウェート石油(Kuwait Petroleum
チ・シェル・グループ,BP, シェブロン・テキサコ
Corporation)の欧州マーケティング支配人の A・
のスーパー・メジャー 4 社が,旧米(英)国際石油
アルアワディ氏は「国際石油資本の大統合は我々
カルテルメンバーの企業がグローバル・スケール
のほとんどにとっていい事である。中東は(国際
で共同体制を組むことができるようになった。こ
石油メジャーによって)見過ごされてきた。大金
れに反応して欧州から,仏・ベルギー石油企業のト
を巨大石油資本が手にした今,我々には石油資源
タルフィナ(TotalFina S.A.)とライバルの仏石油
がある」と述べている。OPEC は,ナショナリズ
天然ガスコングロ企業のエルフ(ELF Aquitaine
ムの関心事から抜け出た一大国家群の機構である。
S.A.)が相互に敵対買収を仕掛けるなか,フラン
メジャーズへの国内資源開発投資市場初は,アル
ス政府の仲介で,統合合併させるという形で,世
ジェリアが先鞭を付けた。ソ連崩壊後に米英国際
界第 4 位の欧州スーパー・メジャーが加わった。
石油資本が,カスピ海油田,中央アジア油田へと
フランス政府の指導の下で,相互に買収を仕掛け
進出を開始した 1993 年,94 年に,米,英,仏企
ているところを国家的巨大トラストを形成すべく,
業に合弁資源開発投資を認め,メジャーズとの共
トタルフィナ主導の “友好合併” という形をとっ
同体制をスタートさせたのである18) 。
て米英スーパー・メジャーズに対抗できる巨大石
かくして,エクソンモービル,ロイヤル・ダッ
油トラストをフランスに構築することになったの
である19) 。
18)Youssef M. Ibrahim, “The Producer Axis—For
OPEC’s Richest Natural Allies of Size”, The New
York Times, December 3, 1998.
19)Dominique Goffre, “Total Fina s’emparer d’Elf
Aquitaine”, Le Monde, 18 Septembre, 1999, p.12.
— 30 —
米(英)国際石油資本の統合合併下における新グローバル秩序の構築(上)
図 4 世界の 10 大石油,ガス企業による買収・合併
さらに,米英国際メジャーズに対抗した歴史で
1.4
ウォール街によるスーパー・メジャーズ支援
体制
有名なイタリーの ENI(Ente Nazionale Indrocarburi S.P.A)も,上記仏 2 大石油・ガス資本の合併
国際石油資本は互いに相手の資産内容を精査し
の前に,エルフに対して友好的合併を申し込み,こ
て,合併によってどのように支配力が拡張するかを
れが実現不可能と見るや,スペイン・アルゼンチ
計算しつくして合体した。そこでモービルは,エ
ン国策石油資本のレプソール YPF(Repsol-YPF)
クソンとの合併の前に BP やシェルとの合併の可
との合併(欧州石油業史上最大の 686 億ドル)を
能性についても比較検討した。過去 12 年来の油価
目指した(交渉不成立)20) 。
の安さのなかにあって,ネオリベラル・グローバリ
米英スーパーメジャーズの出現に対抗して仏政
ゼーション下の石油・ガス生産,販売競争下で,値
府がバックアップするトタルフィナエルフが出現
下がりを防ぎ,利益を維持するには,全世界の石油
し,これにドイツ銀行やドイツ国際化学資本や電
生産,開発から販売市場全体への支配力を獲得し
力エネルギー資本も連合し,伊 ENI,ノルウェー
なければならないことをメジャーズは悟ったので
のスタトイル(Statoil, 25 カ国で石油産業活動を
ある。1928 年の「アクナカリー協定」
(Achnacarry
行う)も,西アフリカ(アンゴラ,ナイジェリア,
Agreement)のように,米英国際石油資本による米
コンゴ)
,北海(英国,アイルランド,デンマーク)
,
英国際石油カルテルの 21 世紀版を再創立する必要
カスピ海および中央アジア(アゼルバイジャン,カ
性を痛感したのである。1930 年代よりはるかに複
ザフスタンなど)
,ベネズエラ,ロシアさらに「反米
雑かつ,多層にわたるグローバル石油ヘゲモニー
的な」イランにも展開している
21)
(第 4 図参照)
。
競争のなかで,米英石油秩序の世界石油レジーム
を構築するには,
「石油帝国主義」を米国主導のネ
20)William Lewis, Paul Bells, Tom Burns, “Spanish
and Italian group hold energy alliance talks”, Financial times, February 2, 2000.
21)Editor, “French dressing—TotalFina’s bid for
ElfAquitaine is likely to create a new national
champion”, The Economist, July 10th , 1999.
オリベラル・グローバリゼーションの上に築く必
要があったのである。
冷戦後の一元化した世界石油生産・石油市場で
支配者となって中東–サウジアラビアやロシア,中
央アジア,ラテンアメリカ,西アフリカ,東・南
— 31 —
経
済 系
第
228 集
アジアの油田地帯を米国のヘゲモニーの下に取り
スの大型化は,シェブロンテキサコのユノカル買
込み,生産過剰・油価値下がりを招かぬようスー
収の呼び水となった。米国第 9 位の石油・ガス企
パー・メジャーズがコントロールできる体制を築
業であるマイナー・メジャーのユノカル(Unocal
Corp.)を,シェブロンテキサコは,2005 年 4 月
こうという戦略的狙いを持っていた。
それは,米国のイラク単独占領後の生産増加と
に 180 億ドル(現金と株式交換)で買収合意した。
開発投資増加を伴わない 2003 年からの原油高の
伊 EniSPA や中国海洋石油のユノカル買収攻勢は
実現に成功をおさめることになる22) 。
あったが,旧スタンダード系石油シェブロン・テ
4 大スーパー・メジャーズの出現に続いて,同じ
キサコ強化の線でウォール街も協調した(モルガ
く旧スタンダード系のコノコ(Conoco Inc.)によ
ン・スタンレーが U 社の M&A アドバイザー)26) 。
るガルフ・カナダ(Gulf Canada Resources Ltd)
続いてマイナー・メジャーズやテキサスやルイジ
の買収(買収金額 43 億ドル)が 2001 年 5 月に合
アナ,オクラホマの中堅,中小地場石油資本(スト
意し,コノコは,北米,中米,欧州,東南アジア,
リッパー各社,全米に 8000∼1 万社)へと合併・買
中東,カスピ海,西アフリカに油田を持つ国際石油
収は広がっていった。合併件数は 97 年から 2001
資本となった23) 。続いてコノコは,独立系のマイ
年の間に 2500 件を上回ったと見られる(後述)。
ナー・メジャー(米国内一貫石油資本)のフィリッ
1996 年からの国際原油価格低落化のなかで米
プス・ペトロリアムと対等合併し,新合併会社コ
国油田の多くが競争力を失い,油井の多くが閉鎖
ノコフィリップス(Conoco Phillips)を形成する
され,米国内油田の開発は縮小し,マイナー・メ
ことで合意した(2001 年 11 月,合併金額 350 億ド
ジャーズ,独立系中堅石油資本や中小の地場石油
ル)
。コノコフィリップスは,米国本土(48 ヵ所)
,
資本(ブッシュ・ファミリーはその一員)までが
アラスカ,北海,ベネズエラ,中国,チモール海,
海外油田開発を目指すようになった(ブッシュ一
インドネシア,ベトナム,中東,ロシア,カスピ
族の小型石油開発会社も,1998 年にはバハレーン
海地域に油田を持つ,米国第三の国際石油資本と
海底油田開発に乗り出した,後述)。
なった24) 。2005 年には,ロシア第二のルークオイ
注目すべきことは,石油大合併は,20 世紀末,
ルと資本提携し,イラク油田での共同開発を想定
全世界でいわれたように,原油価格値下がりに対
している。コノコフィリップスは,米英スーパー・
抗する受動的反応ではなく,原油値下がりを防ぐ
メジャーズに対抗するためには,さらに大型化す
べく原油値上がり後も続いたことである。シェブ
る必要に迫られており,2005 年 12 月には,天然ガ
ロンのテキサコ買収は,国際原油価格が 1 バーレ
スの生産力増大のため,バーリントン・リソーセ
ル 30 ドルを超え,石油各社の業績が向上している
ス(Burlington Resources Inc.)の買収(買収金額
時に起った。2001 年末のコノコによるフィリップ
356 億ドル)にも着手した
25)
。コノコフィリップ
ス合併の時も同様で原油高値安定を目指していた。
1 カザフ
シェブロン・テキサコ合併によって,
22)Bhushan Bahree, Patrick Barta, “Oil Investment
Slips as Soars-Industry is Reluctant to Spend on
New Projects Even as Crude Prices Surge”, The
Wall Street Journal, August 26, 2004.
23)“Conoco’s Takeover of Gulf Canada leads latest
merger wave”, Oil & Gas Journal, June 4, 2001,
pp.36, 37.
24)Sam Fletcher, “Phillips, Conoco plan $35 billion’
merger of equals”, Oil & Gas Journal, November
26, 2001, pp.26, 27.
25)Editer, “Conoco Phillips to buy Burlington Resources”, Oil & Gas Journal, December 19, 2005,
スタンやカスピ海諸国,ロシア国内油田,西アフリ
カ沖合油田の大深度掘削といった巨大プロジェク
2 サウジアラビア,クウェー
トへの超大型投資,
トなどペルシャ湾岸大油田国とスーパーメジャー
ズとの資金,技術協力による新規油田,ガス開発で
p.41.
26)Judy R. Clark, “Chevron Texaco agrees to acquire Unocal in $18 billion transaction”, Oil &
Gas Journal, April 11, 2005, pp.27, 28.
— 32 —
米(英)国際石油資本の統合合併下における新グローバル秩序の構築(上)
の有利な立場を目指そうとする狙いがあった27) 。
併(616.3 億ドル)で全米規模の銀行(nation wide
エクソン・モービル合併は,探鉱,生産および石
bank)が出現した(新合併銀行名は Bank of Amer-
油製品,石油製品の販売でも世界一を保つと同時
ica)
。2000 年 9 月には,旧ロックフェラー・スタン
に,エクソンの西アフリカでの大水深海域とモー
ダード系の主力銀行=チェース・マンハッタン銀
ビルのナイジェリア,赤道ギニアでの活動と資産
行による旧モルガン系主力銀行の J・P・モルガン
の結合を目指していた。カスピ海では,エクソン
銀行(J.P. Morgan & Co)の買収(335.5 億ドル)
のアゼルバイジャン,モービルのカザフスタンと
へと進んだ(新合併銀行名は J.P. Morgan Chase
トルクメニスタンでの優位なポジションを結びつ
Corp.)28) 。
いわゆるメガ・バンクの出現であり,商業銀行・
け,ロシア(10 大石油資本)
,中国(3 大石油公社)
の株式取得や大口プロジェクト・ファイナンス投
投資銀行・保険業務を兼ねる国際金融スーパーマー
資を共同で行なおうというものであった。
ケットの出現である。そして,J・P・モルガン・
スーパーメジャーズ合併劇の場外にいたかに見
チェースは,2004 年 1 月に,旧シカゴ・デトロイト
えるロイヤル・ダッチ・シェルは,モービル,シェ
企業集団を代表する主力銀行のバンクワン(Bank
ブロンとの合併も検討したが,大規模化よりも,内
One)を買収し(買収金額は 600 億ドル)
,バンク・
部合理化を優先させ,サウジアラムコの在米精製
オブ・アメリカは,旧ボストン・メロン系金融企
設備やテキサコの施設 2 万 2000 のガソリンステー
業集団を代表するフリートボストン・ファイナン
ション,8 ヵ所の製油所,3 万マイルのパイプライ
シャル(Fleet Boston Financial)を 2003 年 10 月
ンを購入し,流動性の確保,財務体質の強化で資
に 492.6 億ドルで買収合意した。
この銀行超大型化は,米欧テレコム・メディア合
金力をつけ,史上初めてサウジアラビアでのガス
併ラッシュから数年遅れて到来した石油合併ラッ
田開発に乗り出そうとしている。
90 年代の原油安と世界石油産業構造変化のなか
シュ(1998 年末から 2002 年)と符合していた。米
で,凋落の度合いを深める準大手メジャーズや中小
国巨大銀行(ニューヨーク・マネーセンター・メ
の地場石油資本もまたコスト安の原油を求めて海
ガバンク)
,全米規模巨大銀行(nationwide mega-
外展開をはかるべく北米(米国,カナダ)石油 M&A
bank)はウォール街の投資銀行と共同で,この史
狂のマグマを蓄積していったのである。ウォール
上最大規模の石油(ガス)大合併を行ない,それは
街もまたワシントン政府,ホワイトハウスととも
スーパー・メジャーズのみならず,マイナー・メ
に史上最大の石油 M&A を支援し指導した。
ジャーズ,独立系準メジャーズ,中小の地場石油
全米の巨大銀行の合併もこれと平行して進み,石
資本(ストリッパー)をも含み込む大がかりなも
油大合併時代の金融的バックボーンを形成した。シ
のとなった。モルガン・スタンレーを先頭に,米
ティコープとトラベラーズ・グループの合併(1998
国投資銀行が M&A 劇を組み立てた(第 5 図,第
年 4 月,後者が合併者となって合意)は,商業銀
6 図参照)
。
行・投資証券・保険の業務兼業を禁じたグラス・ス
特に 1990 年から 2001 年のエネルギー産業の合
ティーガル法が実質的に廃止になる半年前に,ク
併ブーム(石油ガスだけでなく,エンロン・デュー
リントン政権とウォール街の政治取引によって成
ク・エナジーなどを含めた電力も含む)時には,
ウォール街の有力投資銀行は 400 件(総額 1 兆ド
立した。
同時期に,新型南部経済を代表するネーション
ル)の大型エネルギー M&A を担当したとトムソ
ズバンク(Nations Bank, 本店はノースカロライナ
ン・フィナンシャルの報告は述べている。その頂
州のシャーロッテ)による西部経済の代表銀行バ
点に立つモルガン・スタンレーは,46 件,2240 億
ンクアメリカ・コープ(Bankamerika Corp.)の合
27)箭内克俊「スーパーメジャーズの誕生と戦略」『石
油文化』,2003 年 2 月号,37–40 ページ。
28)Jothan Sapsford, Laurie P. Cohen and Monica
Langley, “J.P. Morgan Chase to Buy Bank One”,
The Wall Street Journal, January 15, 2004.
— 33 —
経
図 5
済 系
第
228 集
米英投資銀行・マーチャントバンクの石油エネルギー M&A アドバイザー件数(1999 年∼2002 年 8 月間)
図 6
米国石油企業(上流部門)の買収,合併(1997 年–2002 年)
— 34 —
米(英)国際石油資本の統合合併下における新グローバル秩序の構築(上)
ドル規模の M&A を仕上げた。
を追い抜くスーパー・メジャー規模を目指し,な
ニューヨーク,カリフォルニア,シカゴ,米国
南部の大銀行も何百というエネルギー関連会社に
お M&A に意欲を燃やしている。これが,シェブ
ロンの次なる M&A を促すことになった。
M&A 資金の貸付を 1990 年来に行なった。旧ロッ
コノコフィリップスは,100 年ぶりに「再生・復
クフェラー系,旧モルガン系銀行の合体としての
活した」旧スタンダード石油グループの一翼を担
J・P・モルガン・チェースは,1999 年∼2000 年
いチモール,インドネシア,ベトナム,ロシア,カ
の 3 年間だけで,1700 億ドルのエネルギー M&A
スピ海,北海,カナダそして米国内の油田の開発
貸付けを行なったといわれる(ただし,そのエン
へ乗り出している。
29)
ロンなどへの不良貸付けも含まれていたが) 。
コノコと同じく,旧スタンダード系マイナー・
メジャーのマラソン石油は,1998 年に,同じマイ
2. 中堅石油企業の再編統合化と世界展開
ナー・メジャーズ仲間であるアッシュランド石油
(Ashland Oil Corp.)の下流部門を 70 億ドルで買
2.1 マイナー・メジャーズの M&A とグローバ
ル展開
収し,マラソン・アッシュランド・ペトロリアム
(MAP)を設立(マラソン持株 62%)した。MAP
マイナー・メジャー(minor major)ないし準メ
は全米 6 位の石油精製・販売会社となり,2002 年に
ジャーと呼ばれる米国内主力の統合一貫石油会社,
は社名をマラソン・オイル(Marathon Oil Corp.)
さらにテキサス,ルイジアナ,オクラホマ,カリ
とし世界戦略へ体制を整え,アラスカ,オースト
フォルニアの地場石油会社の合併も進んだ。
ラリア,カナダ北極海,赤道ギニアなど西アフリ
2001 年 11 月には,旧スタンダード石油資本のコ
カ,ガボン,北海(オランダ,ノルウェー,英国)
ノコとシティ・グループ系のマイナーメジャーズ
へ展開している。2005 年には,マラソンは,アッ
であるフィリップスが,アメリカ連邦取引委員会
シュランド側の MAP 保有株式 38%を 70 億ドル
(FTC)の承認を得てコノコフィリップス(Conoco
で買収し,アッシュランド・グループを完全支配
Phillips. Corp.)となり(合併金額は 350 億ドル)
,
下に置くこととなった30) 。
コノコ・フィリップス,マラソン・アッシュラン
スーパー・メジャーズ 4 社に続く,5 番目の国際
石油メジャーへと昇華することになり,メキシコ,
ドの合併に対抗して,ユノカル(Unocal)やバレロ
アラスカ湾,ラテンアメリカ,中東,中央アジア,
(Valero Energy Corporation)なども,大型化によ
西アフリカ,ロシアへと積極展開を目差すことと
る世界石油戦略に乗り出そうとしている。カスピ
なった。
海油田やミャンマーの取得に米国石油資本として
コノコは,1981 年にデュポンの傘下に入り,フィ
は最も早く進出したユノカルの場合は,シェブロ
リップスは,2000 年に ARCO のアラスカ子会社=
ン・コープというスーパー・メジャー傘下に入る
アルコアラスカを,2001 年には,米国最大の石油
という路線を選択することになった。1890 年設立
精製・販売会社のトスコ(Tosco)を買収している。
の伝統的な垂直統合型の米国マイナー・メジャー
新合併会社は,テキサス州ヒューストンに本社を
にして高い技術力を誇るユニオン・オイル・カリ
置く,大規模国際石油会社となり,世界 49 カ国で
フォルニアは,世界 14 カ国(アメリカ,アラスカ,
操業する世界 5 位のメジャーとなった。コノコ・
カナダ,タイ,インドネシア,オランダ,フィリピ
コープ首脳はしかし,21 世紀の国際石油メジャー
ン,バングラディッシュ,ブラジル,ミャンマー,
としては同社は中途半端の規模であると考えてお
アゼルバイジャンなど 14 カ国)で開発・生産を
り(2005 年売り上げ)
,シェブロン・コープ(同)
行なっている。1997 年には,独立系石油会社(非
29)Andrew Ross-sorkin, “These Energy Round Trips
Produce Cash For Wall St.”, The New York
Times, August 20, 2002.
30)Editor, “Company News, Marathon-MAP to
Merge Ashland Inc”, Oil & Gas Journal, May 23,
2005, p.40.
— 35 —
経
済 系
第
228 集
スタンダード)のトスコに下流部門を売却した時
ターゲットとなると見られるようになった。さら
点から独立路線をつき進むようになった。国際石
に,独立系中堅石油会社のアナダルコ(Anadarko
油メジャーを目指したユノカル・コープだが,若
Petroleum Corp.)やデボン・エナジー(Devon En-
き CEO の急死やミャンマー・パイプライン建設
ergy)なども一連の買収ターゲット候補と見なさ
での「奴隷労働の使用」で連邦公取委から訴訟を
れるようになった33) 。
受け,2005 年初にこれ以上の合併を禁ずる判決を
バレロ(Valero Energy Corporation)は,コース
受けたこともあって,旧スタンダード石油の軍門
タル・ガスの後継会社として 1980 年に発足し,81
に下ることを決意した。シェブロン側も,コノコ
年からテキサスの小規模製油所を買収して,石油精
フィリップの合併戦略に追い上げられるのをかわ
製に乗り出し,97 年にはベーシズ・オイル(Basis
すべく,東南アジア,南アジア,ブラジル,カス
Oil)を買収し,米国沿岸最大の独立系石油精製・販
ピ海諸国に石油権益を持つユノカルの買収に全力
売会社となった。98 年にはさらにモービルのポー
を投入することとなった
31)
。
ルスボロー製油所を取得し,米国第 2 位の独立系石
全米最大の石油精製業者としてのトスコがコノ
油会社となって米国北東部の市場にも参入するこ
コフィリップスに 2001 年に買収され,UDS(Ultra
ととなった。2000 年には,エクソンモービル合併
Diamond Shemloke)がバレロに買収されたのを見
に伴なって分離された,ベニカ製油所および 80 ヵ
て,自らも,スーパー・メジャーへの自社売却の
所の社有 SS と 270 の小売拠点を取得し,米国西
道を選択するようになったのである。
海岸にも進出した。
2005 年春には,スーパー・メジャーのシェブロ
2001 年には,UDS(ウルトラマー・ダイヤモン
ンテキサコによる買収を受け容れる方向へ動き始
ド・シャムロック)との合併を成遂げて,アメリ
めた。ただし,カリフォルニアの独立系(非スタン
カにおける最大の独立系石油精製販売会社となっ
ダード系)マイナー・メジャーとしてのユノカル
た(UDS は,1996 年にウルトラマーとダイヤモン
は,シェブロンテキサコの一方的な買収に対抗す
ド・シャムロックが合併して成立した)。2002 年
る一種の救済買収者に,イタリーの ENI・SPA と
12 月には,パイプライン子会社=シャムロックロ
中国海洋石油(China National Offshore Oil)を見
ジスティック社を買収,3600 マイルのパイプライ
い出し,買収価格ツリ上げを狙った。米国の「死
ンを有するパイプライン部門=バレロ L.P を設立
活的国家利益」
(Vital national interest)を揚げる
した。
ワシントン政府(ホワイトハウス)とウォール街
バレロは,石油企業として M&A 戦略により急
の圧力のもと,独立色の強いカリフォルニアの石
速拡大をはかるエネルギー企業の代表例である。
油一貫会社のユノカルは,旧スタンダード系スー
UDS 合併とともにエルパソのコーパス・クリス
パーメジャー=シェブロンテキサコの軍門に下り,
ティ製油所を合併し,製油所の拡張,高度化をは
168 億ドルで買収されることとなった32) 。
かってきた。2005 年 4 月には,バレロ・エナジー・
ユノカルのシェブロンによる買収は,同じカ
コープは,大手精製会社のプレムコール・リファイ
リフォルニア基盤のオクシデンタル(Occidental
ニング・グループ(PremCor Refining Group Inc)
Petroleum Corp.)
,マイナー・メジャー最大手のマ
を買収し(買収金額 80 億ドル)
,全米 1 位,全世界
ラソン石油(Marathon Oil Corp.)が次なる買収
で 5 位の精製業者になった。プレムコールの借入
金も肩代りし完全買収をはかった。メキシコ,カ
31)Johnson Singer, “Chevron Texaco to Acquire Unocal”, The Wall Street Journal, April 4, 2005.
32)Russel Gold, “Chevron Buys Unocal In $16.8 Billion Deal-Cnooc’s Rival All-Cash Bid For U.S.
Energy Company Falls through at 11th Hour”,
The Wall Street Journal, April 5, 2005.
ナダ(オイルサンド)での精製を手がけ海外展開
33)Johnson Singer, Dennis K. Berman, Rassel Gold,
“Unocal Bidder Field Narrows to TWO”, The
Wall Street Journal, April 4, 2005.
— 36 —
米(英)国際石油資本の統合合併下における新グローバル秩序の構築(上)
を開始した34) 。
99 年 8 月には,デボン・エナジー(Devon Energy
エルパソ(El Paso Corp)は,石油・ガス M&A
Corp.)がペンズエナジー(Pennz Energy)を 24 億
ブームのなかで最大の合併を行なった天然ガス一
ドルで買収し,そのデボン・エナジー社は,1 年後の
貫会社で,99 年 11 月には,ソナット社(Sonat
2000 年 8 月には,サンタフェ・シインダー社(Santa
Inc)を 62 億ドルで,2001 年 1 月には,コースタ
Fe Snyder Corp.)を 33.5 億ドルで合併した。さら
ル社(Coastal Corp)を 240 億ドルで買収合併し
に,デボンは 2001 年秋にはアンダーソン・エクス
た。M&A による大型化は,天然ガス開発へ進む,
プロレーション(Anderson Exploration Ltd)と
国際石油メジャーズとの競争激化の挑戦を受ける
合併(46 億ドル)
,北米,西アフリカ,南シナ海,
ことになり,従来北米中心だったエルパソは,海
アゼルバイジャンに展開し始めた37) 。2000 年秋に
外展開のピッチを上げることとなった。
はチェサピーク・エナジー(Chesapeake Energy
Corp)が,ゴシック・エナジー(Gothic Energy
3. 米国南部地場石油企業の再編統合と海外
油田獲得
Corp)と合併(3.25 億ドル),フォースエナジー
(Forcenergy Inc)となった。ヒューストンのノー
ブル・エナジー(Noble Energy Inc)のパティナ・
早くも,97 年 8 月にバーリントン・リソーセス
(Burlington Resources Inc)がルイジアナ・ラン
オイル(Patina Oil & Gas Corp)の買収(2003 年
末,34 億ドル)もこれに続いた38) 。
ド & エクスプロレーション(Louisiana Land &
米国のマイナー・メジャー(国内統合一貫石油
Exploration)と合併(30 億ドル),さらにバーリ
業者)はじめ,独立系石油業者,ストリッパーとい
ントンは 2001 年 9 月にカナディアン・ハンター社
われる準大手,中堅,中小石油業者約 8000 社(う
(Canadian Hunter Exploration Ltd)を 21 億ドル
ち 427 社が米国証券市場に上場)は,世界石油市
で買収した35) 。同月にメサ・インク(Mesa Inc)
場が地球規模で単一統合化されるネオリベラル・
がパーカー・パースレイ石油(Parker & Parsley
グローバリゼーション下の石油市場の構造変化の
Petroleum Co)を 42 億ドルの合併を果たした。98
なかで,再編統合化を開始し,国際石油企業化し
年には,ユニオン・パシフィック・グループ(Union
つつカナダ,中南米を手始めにカスピ海,西アフ
Pacific Resources Group)がノーセン・エナジー
リカ,中東,北アフリカへと海外展開を開始して
(Norcen Energy)を 37 億ドルで買収。99 年 5 月
いる39) 。
コノコフィリップスや USX–マラソン,ユノカル,
には,カーマギー石油(Kerr-McGee Corp.)が,
オリックス・エナジーを 19 億ドルで買収し,続
オキシー,アッシュランド,バレオに続いて,カーマ
いて 2001 年 8 月には,HS リソーセス(HS Re-
ギー(Kerr-McGee Corp)
,アメラダヘス(Amerada
sources Inc)を 17 億ドルで買収した。カーマギー
Hess Corp),チェサピーク(Chesapeake Energy
社は 2004 年末には,デンバーの天然ガス会社の
Corp)から中小規模の XTO(XTO Energy Inc)
,
ウェストポイント・リソーセス・コープを 34 億ド
エナジー・リソース(Energy Resource Technology
ルで買収した36) 。
Inc),パイオニア社(Pioneer Natural Resources
34)Editor, “Valero Energy agrees to buy Premcor
for $8 billion”, Oil & Gas Journal, May 2, 2005,
pp.46, 47.
35)Editor, “Burlington plans $2.1 billion Canadian
Hunter purchase”, Oil & Gas Journal, October
22, 2001, p.36.
36)Sam Fletcher, “Kerr-Mcgee focusing on exploration and production”, Oil & Gas Journal, October 24, 2005.
37)Editor, “Corporate News—Devon Energy Corporation”, Oil & Gas Journal, September 24, 2001,
p.46.
38)Editor, “Noble Energy to acquire Patina Oil &
Gas”, Oil & Gas Journal, January 17, 2005.
39)US Department of Energy, EIA, “Oil and Gas Development in the United States in Early 1990s;
An Expanded Role for Independent Producers”,
Washington, October 1995, p.11.
— 37 —
経
済 系
第
228 集
Inc)
,ペトロホーク・エナジー(Petrohawk Energy
のジョージ・W・ブッシュが就任した。スペクト
Corp)
,フォレスト石油(Forest Oil Corp)といっ
ラム–アーバストは,86 年から石油価格値下がり
た企業群も M&A を重ねつつまた海外展開(時に
に苦しみ始め,同年 4 月に副大統領のブッシュ Sr.
は国内の油田・製油所を整理して)をはかろうと
が,サウジアラビアのファハド国王に「極度に安
している40) 。
い石油価格はアメリカの国家安全保障に危機をも
ブッシュ大統領父子とブッシュ・ファミリー自
身,ある種の特権を持った中堅石油業者であり,
たらす」という旨の意見を米国石油業界の代表と
して述べたといわれる42) 。
大統領就任後も石油事業から,経営破綻のなか危
この要請は,米(英)国際石油資本のみならず
機意識を抱きつつも,手を引くことはなかったと
マイナー・メジャーズや独立系の中堅石油企業や
いう体験がある。父のジョージ・ブッシュ Sr. が
スペクトラム–アーバストのような中小石油会社,
1940 年に設立した石油ガス掘削・開発会社のサパ
ストリッパーを代表する意見でもあった。
タ・オイル(Zapata Oil)で,中堅石油会社として
サウジアラビア政権(王権)は,ブッシュ Sr. 副
60 年代までに大規模な財をなし,国連大使・米中
大統領の要請には何も応えず,値上げに通ずる自
国交回復の在北京連絡事務所駐在大使,CIA 長官,
主減産措置は講じなかった(値上げ措置に出れば,
ロナルド・レーガン政権の副大統領(1980 年)
,大
米(英)石油資本は,非 OPEC 地域の油田開発促
統領(1988 年)へと最高権力へかけ登って行く時
進へ進むと考えた)
。ブッシュ・ファミリーが大株
も,石油ビジネスは手離さなかった。ジョージ・
主のスペクトラム・エナジーの経営が悪化すると,
ブッシュ Sr. の石油事業者としての資本人格・政
1989 年にはテキサス州ダラスの中規模の独立系石
治的コネクション・米国石油産業の利益=国益と
油業者のハーケン・オイル&ガス(Harken Oil and
の三位一体に基づいて,冷戦後の政治空白を埋め
Gas)が,救済買収者として出現した。
ブッシュ・ファミリーが大株主の石油会社を買
る第 1 次イラク戦争による中近東石油新秩序の形
成に着手した
41)
。
収したハーケンは翌年に,エスタブリッシュメン
ジョージ・W・ブッシュ Jr. も,父の例にならっ
トの機関投資家であるハーバード・マネジメント・
て,権力に昇るための財をなさんと 1977 年にアー
カンパニーからの投資があり,バハレーン政府か
バスト・エナジー社(Arbusto Energy Inc)を設立
ら沖合油田開発の提案があり,発見された場合の
した。ブッシュ・ファミリーとテキサスの地場石
産出油のプロダクト・シェアリングの提案も受け,
油業者が出資者となり,ブッシュ・ジュニアをテキ
サス石油業者の政治代表に仕上げて行った。1984
中堅独立石油会社の中東進出が決ったのである。
(1990 年 1 月末)
年には石油価格値下がりでアーバスト社は経営難
沖合油田開発のまったくない小型の赤字石油会
に陥り,テキサスの石油開発会社のスペクトラム・
社に,バハレーン政府からの油田開発が発注される
エナジー社(Spectrum Energy Corp)に買い取ら
のは前代未聞の事態であった。翌年にはバハレー
れた。その主力オーナーは,レーガン政権,ブッ
ンに米海軍の永続基地建設協定が米・バハレーン
シュ政権に気前よく資金援助したウィリアム・デ
政府間で調印された。(1991 年 12 月)
ヴィトとマーサー・レイノルズであった。新合併
ハーケン石油株は,90 年初には米国や中東の株
会社の経営最高責任者に,会社を買収されたはず
式市場で脚光を浴び値上がりが期待されたが,ブッ
シュ・ファミリーは,その高値に乗じて同社株を
40)Editor, “US independent E&P firms to recent
M&A”, Oil & Gas Journal, June 7, 2004, pp.38,
39.
41)Ian Rutledge, “Addicted to Oil—America’s Relentless Drive for Energy Security”, (I.B. TAURIS, 2005), p.55.
大量に元値の 2 倍で売り逃げた(1990 年 6 月 22
日)。それから 2 ヵ月後,イラクのフセイン軍事
独裁政権が,クウェート侵攻を開始して数日後に
42)Ibid.
— 38 —
米(英)国際石油資本の統合合併下における新グローバル秩序の構築(上)
発表されたハーケン石油(Harken Energy と改名)
界石油戦略による米国国内石油業者救済に期待す
の業績は大赤字を計上し,株価下落が始っていた。
るようになった。
ブッシュ・ファミリーが,株式売却の巨利を得て
石油エネルギーの M&A は,90 年代のブームに
売り逃げた後に,バハレーン沖合の 2 本の油井が
おいて最も実効を持った経済集中化運動であり,
ドライホールにすぎなかったことが明らかになり,
巨大銀行合併を背景に巨大国際石油資本から準メ
ハーケン社は,同国から引き揚げていった。
ジャー,中堅,中小地場石油資本を包み込んだ経
ブッシュ・ファミリーは,バハレーンでの海上
済推進力として,アメリカの資本主義のグローバ
油田がドライホールであることを事前に察知して,
ルヘゲモニー(米国石油資本,企業の世界展開)の
株価が人気を呼んでいるうちに売り逃げて,ハー
確立へと突き進む史上最大の金融企業勢力を形成
ケンから手を引いたが,米合衆国証券委員会(US
したのである。
Securities and Exchange Commission)へ事前報
告をしなかったため,SEC の調査を受けることに
なった。しかし,SEC 委員長が,ブッシュ Sr. に
よって任命された人物であったことから,93 年 10
月には,ハーケン株式大量売却は結局不問とされ
ることになった43) 。この「政治手腕」が,テキサ
ス州共和党系石油業者の人気と支持を呼び,1994
年には,ブッシュ Jr. は,州知事に当選し,99 年
1 月の再選へと導いた。
テキサス石油資本のなかで,最も彼を強く支持
したが,最大の献金者となるエンロンの経営最高責
任者のケネス・レイと同じくハリバートンのデッ
ク・チェイニーであった。エンロンはヒュースト
ンの新型石油資本として 1960 年代にその地位を不
動なものとしたベルファー父子のベルコ・ペトロ
リアム(Belco Petroleum)であり,ベルファー一
族は,エクソン出身のレイにエンロンの経営を一
任し,同社をニューエコノミー型の「エネルギー
の GE」へ発展させる一方で,エスタブリッシュ社
交界へ近づき東部金融シンジケートと結び(エン
ロンの大株主へ引き込み)
,エンロンを代表してレ
イがブッシュ政治の後盾となった(拙論「ニュー
エコノミーの巨人企業・エンロン破局の構造」
(関
東学院大学経済経営研究所年報 2002 年 3 月)で
も述べたがエンロン崩壊後も一族のペルコ・オイ
ル&ガスは旧親会社として存続している)。
石油価格の値下がりで倒産・破産の危機に陥っ
たテキサスはじめルイジアナ,オクラホマなどの
中小石油業者たちは,ブッシュ・シニア政権の世
43)Ibid., p.57.
— 39 —
Fly UP