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ある米品種の軌跡

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ある米品種の軌跡
「松山三井」という名をご存知ですか。昭和 28 年に愛媛県で育成され、松山の地名と交配親の「大
分三井」から名前がついた品種であり、60 年もの間、県の奨励品種であり続ける、今どき珍しいお
コメです。あの、お化け品種といわれるコシヒカリでさえ、昭和 31 年生まれですから後輩にあたり、
言わば戦後のコメの歴史を見続けた品種でもあります。
下の図の青い線は「松山三井」の作付面積を表し、赤い線は、その時々のトップの品種を示して
います。育成してから 17 年は、いわゆる人気の出ない時代を過ごし、昭和 48 年に突然トップに躍
り出て、平成 8 年に舞台を降りてからは、一部の根強い需要に応え続けています。
この間、主役となった品種をみると、昭和 33~44 年にかけての「金南風(きんまぜ)、アケボノ」
、
45~平成 7 年までの「日本晴、松山三井」、平成 8 年以降の「あきたこまち、コシヒカリ、ヒノヒカ
リ」の三つに分けることができます。
では、長期に低迷していた松山三井が、なぜ突然一時代を築くようになったのか? さらに、平成
に入ってなぜ衰退してしまったのか? また、なぜ今も作られているのか? それには、三つの時代
それぞれに、おコメに求められた特徴が関係しています。
金南風
12000
アケボノ
日本晴
松山三井
10000
あきたこまち
コシヒカリ
ヒノヒカリ
8000
6000
4000
2000
平成23
平成19
平成21
平成17
平成15
平成13
平成9
平成11
平成7
平成5
平成3
平成1
昭和62
昭和60
昭和58
昭和56
昭和54
昭和52
昭和50
昭和48
昭和46
昭和44
昭和42
昭和40
昭和38
昭和36
昭和34
昭和32
昭和30
0
一口メモ
実は、おコメには早生(わせ)、中生(なかて)、晩生(おくて)の品種があり、コメの後作に麦を
作るかどうかで、品種も変わってきます。麦の収穫は、5 月下旬から 6 月上旬。それから田植
えをするには中・晩生の品種となり、10 月中下旬に収穫して、11 月には麦を播種します。昔は、
麦は主食の一部だったので、このサイクルは大事でした。しかし、その麦作をやめれば、また
収穫時期が競合するミカンや野菜が増えれば、新米が早くとれる早生品種に移行するのです。
さらに、コメ作りには水が必要です。共同の池から田んぼに無駄なく水を入れるには、田植
えを揃えて一斉に水を流す必要があります。水管理や育苗などを共同で行ううえで、品種は地
域で揃え、変える時はまとまって変えるので、品種の変化は劇的に起こります。
≪松山三井が脚光を浴びたわけ≫
それは、長期にわたり普及しなかった理由にも関係します。昭和 20 年代は、戦後の食料難から抜
け出すため、化学肥料に応えて多収となる品種が望まれました。熟期が遅くても、倒伏しにくく、
収量の高い晩生(おくて)品種の「農林 18 号」が登場します。
それが 30 年代に入ると、高度成長期を迎え、国民生活に余裕がうまれて、食味の良さに嗜好が強
まります。ちょうど、この頃、ミカンの栽培が拡大し、収穫時期が競合しないコメの早生化が必要
になり、中生(なかて)品種の「金南風(きんまぜ)」が登場します。晩生の「松山三井」が育成された
のは、早生化(わせか)の流れが始まった時期だったのです。
40 年代に入ると、米の生産が消費を上回り、米余りから品質の良い米作りが叫ばれ、更にこの頃、
米栽培では機械化が進み、収穫時に米が穂から外れにくい品種が必要とされます。
「松山三井」は、
味が良い割に、栽培面では脱粒しにくいのが欠点でした。その敬遠されていた性質が、機械化には
好都合でした。確かに、機械を使えば作業は楽になり、晩生(おくて)品種でも問題はありません。
≪松山三井が衰退したわけ≫
平成に入ると、減反に対する様々な問題が表面化する一方、米の流通は自由化が進み、米価格も
市場に委ねられるようになります。販売面では大手量販店チェ-ンが参入して、全国的なシェアの
あるブランド品種に人気が集まり、産地や品種銘柄によって価格に差がつくようになります。
「松山三井」は粒が大きいため、米屋にとってブレンドに使いづらく、粘りも少ないため、敬遠さ
れ始めます。その点、
「あきたこまち、コシヒカリ」は、旨みと粘り、柔らかさを持ち、粒の大きさ
も普通です。秋田や新潟といった主産県の代表品種のため、市場での価格形成力は強く、地方品種
の「松山三井」は交替の時期を迎えるのです。
一口メモ
おコメの旨さには、粘りと柔らかさが大きく影響します。よく噛んで食べるように言われた
時代もありましたが、コシヒカリが支持されたのは、その粘りであり、柔らかさです。
粘りや柔らかさを決めるのは、デンプン成分のアミロ-スとアミロペクチンです。アミロペ
クチンは粘りのもとになり、モチ米のデンプンは、すべてアミロペクチンで出来ています。一
方、アミロ-スが増えると、粘りは少なく、硬めのご飯になります。通常、おコメのアミロ-
スは 15~23%ですが、あきたこまちは 15.6%、コシヒカリ 16%、ヒノヒカリ 19%に対し、松山三
井は 22.7%と高いため、粘りが少ないのです。しかし、酢合せが良く、味は控えめで、握りやす
いため、寿司米に向いているとも言われます。
かつて、東日本は小粒で柔らかいおコメが好まれ、西日本では大粒で硬めのおコメが好まれ
ました。コシヒカリは、東西の代表的な品種を掛け合わせ、嗜好性の異なる東西両方から支持
された、初めての品種となりました。
≪松山三井の新たな道≫
「松山三井」は、今の品種の中では粒が最も大きく、タンパク質が少ないため、お酒の醸造用米
としては、最適の条件を備えています。酒米は、タンパク質が含まれると雑味や濁りの原因になる
ため、米粒は、40~50%を削って中心部のデンプンだけを使います。粒の大きなおコメでないと、削
る途中で砕けてしまって使い物になりません。松山三井の欠点とされたコメの大きさは、ここで生
きてくるのです。酒米では有名な「山田錦」に比べても、タンパク質が少なく、吸水速度は緩やか
で、砕けにくいなどの長所があり、県内外の酒造会社の酒米として、新たな使命を果たしています。
一口メモ
おコメには、タンパク質が 7.4%ほどあり、ヌカの部分に多いアルブミンやグロブリンは、精
米にする過程で取り除かれます。精米には、貯蔵タンパクのプロラミンとグルテリンが残り、
発芽に際して分解され、次の世代の栄養素となります。こうしたタンパク質が多いと、白さや
輝きが薄れ、粘りも少なく、硬めのご飯になりやすいのです。
かつては、米を研ぐ(とぐ)と言えば、強く磨くように研ぐことが、おいしいご飯を炊くコツ
でした。これはおコメについたヌカをしっかりと取り除くためですが、現在の精米機では、ヌ
カを吹き飛ばし、汚れもほとんどありません。ゴシゴシ研ぐとかえっておコメが割れたり、表
面が壊れてデンプンが押し出されたりして、味が落ちてしまいます。軽く、素早く 2 回ほど洗
い、20 秒ほど「のノ字」に軽く掻き回して洗えば、良いのです。
それよりも、炊く前に 30 分ほど水を吸わせると、おコメの胚芽が除かれた部分から水が中ま
で浸透して、ふっくらと美味しいご飯を炊くことができます。
≪主役を支えるライバルの力≫
品種の移り変わりを調べていると、不思議に思うことがあります。昭和 33 年から 44 年までは「金
南風」と「アケボノ」がトップを争い、45 年に「アケボノ」が衰退すると、翌年には「金南風」も
姿を消します。
45 年からは「日本晴」と「松山三井」が広がり、平成 3 年までトップを争いますが、平成 3 年に
「日本晴」が姿を消すと、後を追うように「松山三井」も衰退します。
品種にもライバルというのがあって、一方が居なくなると、残る片方も長くは持たないようにさ
え見えます。
もちろん、県の奨励品種指定が外されたり、消費者ニ-ズに合わせて中生品種を変えれば、晩生
品種も共に変更するためですが、品種でも、良きライバルの存在は、ともに発展していく糧(かて)
のようにも見えるのです。
(ike)
愛媛県農林水産研究所 HP
参考資料
鳥生誠二(2005):水稲品種’松山三井’について,愛媛県農業試験場研究報告第 39 号,60-67
愛媛県(1988): 愛媛県営農技術史
内田音四郎(1986):愛媛県米麦研究五十年の歩み,愛媛県農業試験場編
日本作物学会北陸支部,北陸育種談話会(1995):コシヒカリ
櫛渕欽也(1996):美味しい米 第 2 巻,(社)農林水産技術情報協会
愛媛県農業試験場試験研究概要書:昭和 55 年度~平成 19 年度
愛媛県農林水産研究所(企画情報部,農業研究部)試験成績概要書:平成 20~23 年度
高須賀 計(1976):愛媛の米麦作の歩み
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