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第8回 東京都障害者福祉交流セミナー 講演録 パネルディスカッション 「利用者本位のサービスシステムを考える―支援費制度の現状を課題」 コーディネーター 石渡 和実(東洋英和女学院大学人間科学部人間福祉学科教授) パネリスト 大江 弘子 野口 俊彦(NPO法人自立生活センター・立川副理事長) 鷹野 ヤエ(板橋区立障害者福祉センター相談係長) 柴田 洋弥(財団法人日本知的障害者福祉協会政策委員会委員長) 渡邊 正則(東京都福祉局障害福祉部副参事) コメンテーター (石渡) ご紹介をいただきました石渡 です。どうぞよろしくお願いいたします。 私のレジュメは、皆さんに渡ってらっ しゃるこの青い冊子の5ページからのと ころに、思っているところを書いてみま した。これについては、けさ、ごあいさ つのときに部長がおっしゃいましたこと とほとんど重なります。支援費制度がスタートして半年たったわけですが、まず、居宅生 活のためのサービスが本当に整備されていません。このようなサービスを東京都が積極的 に整備していこうとしていることをとても心強く感じたわけですけれども、障害がある方 ならではのいろいろなニーズが高齢者と違ってあります。こういうニーズに応えていける 質の高いヘルパーの養成等も含めて、特にホームヘルプサービスがまだまだ十分ではあり ません。そして、このホームヘルプサービスをどう使うかということも含めて、今、知的 障害の方、身体障害の方、そして支援費制度に入っていないけれど精神障害の方、それぞ れについて地域の当たり前の暮らしという視点に立ったときに、どういう支援が求められ るのでしょうか。そこでニーズ把握ということとも関連して、2点目に私もケアマネジメ ントの問題を指摘させていただきました。 ケアマネジメントに関しては、この東京都の検討会に私も長くかかわらせていただきま 1 して、本当にいい考え方が整理され、そのための支援をしてくださるケアマネジメント従 事者も確実に養成されてきたと思います。けれども、こういう方たちも、そして目指して いたケアマネジメントの手法も、活用しきれない現実があります。支援費制度の中にケア マネジメントがきちんと位置付けられなかったからです。このことは、障害当事者の方も 家族も、そして事業者も行政も、それぞれに課題として感じています。そして、市町村に よる意識の違いがサービス格差を生んでいるということも問題です。これらについては具 体的なことを、まずサービスを利用していらっしゃるお立場で大江さん、野口さんにお話 をいただこうと思います。 先ほど司会の奈良さんがお話してくださいましたが、もう一人のパネリストである柴田 さんが3時くらいに来ていただけることになっています。それまで、鷹野さんも含めたお 三人のお立場で議論をしていただきまして、必要に応じて渡邊さんから都の立場、あるい はこれからについてお話をいただくということになっています。一度、3時くらいで休憩 を入れるつもりですが、支援費制度がスタートして、今、支援費を利用している立場でど んな感想や生活実感を持っていらっしゃるか、実際に使ってみてこんなところで困ってい るというあたりを、まず大江さんにお話をしていただこうと思います。 大江さんは東京都の障害者施策推進協議会の公募委員ということで、私も長くご一緒さ せていただきました。ことし中学1年生になった崚太君という息子さんがいらっしゃいま す。その息子さん(脳性マヒの障害があります。)が地域の学校に通う中で、地域との連 携とか、障害がある方が地域で生きるということについて、私たちに重要な気づきを与え てくださいました。支援費制度になったところで、またどんな新しい気づきをしていらっ しゃるのか、率直にお話をいただければと思います。 その後、野口さんにお願いしますので、準備をお願いいたします。 (大江) 障害をもつ子供の親の立場からということで、少しお話しいたします。 10数年前は通所施設に親子で通っていたんですが、そのころは障害をもつ子のお母さ んは子供のことを1人で見るのが当たり前で、大変だとか、それから仕事をしたいわとか というのは、本当に何か変わった人ねというふうな感じでした。それで、私もこの子を何 とか自立が将来できるようにしなければいけないということだけで、病院へリハビリに通 ったりとか、そういうことだけでもういっぱいで生活してきました。 今、支援費という制度になって、障害児がいる家庭でも、その家庭の考え方とか、必要 に応じていろいろなサービスが受けられたり、それから他人の手を借りるということが普 2 通のことになりつつあるような感じがして、そのことはとてもよかったと、私は感じてい ます。 13歳になった障害のある本人が今一番楽しみにしているのは、ガイドヘルプ事業を使 って友達と一緒に映画に行ったりとかです。また、親を離れて友達とか何かするときにち ょっと一緒に行ってもらったりすることがあるんですが、そういうことをとても本人は楽 しみにしていて、科学博物館に行こうとか、あれを何か見にいきたいとかというようなこ とを一緒に友達とやれていて、それは本当に見ていてとてもよかったです。 あと、療育センターのようなところで友達にたくさん会うんですが、人に聞いた話で、 養護学校に通っている障害のある子供同士が夏休みに約束をして、いついつに短期入所を あの施設にして、一緒に過ごそうねというような約束をして、過ごしたりしたというのを 聞いて、今までだったら考えられないようなそういう使い方で、とてもよかったなと思っ て聞きました。 一方で、ホームヘルプ事業等を使いたいんだけれども、ヘルパーという他人が自分の家 に入ってくることに抵抗があったり、それから自分の子供のことだから、とにかく自分で やるんだ、体が動けるうちは自分で全部面倒見るという方がいたりして、支援費の制度を 使うということに対してとても意識の差が大きいなと感じます。 13歳のその息子に「支援費について、どう思っているの」と言ったときに彼が言うの は、夏休みにガイドヘルプがもっと使えるといいなとか、それから一番私たちで大変なの は通学です。息子は地域の保育園・小学校・中学校と行って、中学校に今通っています。 朝、ストレッチして着がえさせて、朝御飯をつくって食べさせて、ランドセルというか、 通学かばんなんかは前の日に用意しておくんですけど、そういうことを全部して朝、出な ければいけません。パソコンを持ったりトーキングエイドを持ったり、余分に持っていく もの、水筒を持ったりいろいろあるので、そういうのを用意するだけでも大変で、電動で 彼が行くのに付き添って毎日通学しています。その通学のときに、親もいつも体調がよく て機嫌がいいわけではないんですね。私も体調が悪かったり、あと子供の成績が悪くて、 こんなのでどうしたらいいんだろうとか思いながらいるときもあって、そういうとき、つ んけんしながら彼に接したりとかというときに通学を親とすることが、すごいつらいんで すよね。支援費で通学を何とかしてほしいというようなことを本人も言ったりして、でも 「自分で聞いてみれば。支援費って、通学は使えないんだからね」とか私も言ったりしな がらいます。 3 もっと私たちのことで彼にとって重要なのが家庭学習で、学校の勉強についていくとい うのをトーキングエイドとかパソコンを使ってやっているんですが、手がそんなに上手に 使えないんで、とても時間がかかります。それを授業でやり残した分を家でやったりして 暮らしているんですが、そういう勉強をしたり宿題をするのに私と1対1でやっていくし かないんですね。そのことに、見ている親もとても苦しいんですね。できが悪かったり、 ゆっくりしか打てないのをゆっくり彼のペースで待ってあげることというのが、その間に 洗濯たたみたい、御飯つくりたい、電話がかかってきたとかということがたくさんある中 でやっていますので、そういうのがとても苦しいときがあります。そういうときに、もっ と人手がいると言ったり、2人だけじゃ無理じゃないかと彼が言ったりするんですね。す ると、じゃあといって、家庭教師の方をお願いしたけど、週に1回入っていただくぐらい がうちの状況だといっぱいだったりしています。テストのときとかに、早朝1時間早く起 きて本人がやりたいと言うので、起こしたりして手伝ったりすると、そういうときは何か すごくしおらしくて、「朝から悪かったね。ありがとう」とかと言いながら出かけたりし ています。 具体的なところ、うちの状況はそんなところです。あと区の使い勝手についてですが、 区の段階で支給決定があって、そのとき支援費になって時間数をふやすことはできません というのがまず最初に言われました。それで、申請のときに一緒に利用申し込みをしたい と言った方がいて、その方には今までできたんだからできるでしょうというような話があ ったりしたということですね。サービスを利用しなくても、今までどおりできるでしょう というようなことを言われたというのがあったりしました。 あと、事業所の選択に関しては、選択ということで、たくさんインターネットとかを調 べてもみたんですが、選択という言葉がある割りに選択できるための情報が何もなくて、 私が当時、そのときお願いしていた事業所がそのまま支援費が使えるようになるのかどう かも直前ぐらいまでわからなかったです。 サービスの質というのか、そのことに関しては、割とうちに来ていただいていた方がと てもいい方たちだったんですけど、高齢の方だったので、身体介護で入っていても、なか なか身体介護で子供を抱いてシャワーいすに乗せるとかがしてもらえず、あと私がトイレ でもたもたしていても、ちょっとそこでお母さんがやっているからいいわとかという感じ であったりとか、なかなか家にお母さんがいて子供がいて、身体介護で入ったときの身体 介護の意識みたいなことがもうちょっとないと困るのかしらと思っています。その後、話 4 し合いをしたりとか、いろいろしています。今も入浴介助を男性の方にしていただきたく て、事業所を変わったりとか話し合ったりとかしながらいます。 (石渡) ありがとうございました。 今、大江さんから13歳の崚太君が利用している、支援費になってからのサービスにつ いてお話をいただきました。最後の方で、支給量、時間数は増やせませんと言われたとか、 支給決定の際の行政とのやりとりについては、やはり同じようないろんな声を私も多くの 方から聞かせていただきました。何気ない一言というのが、使うことをためらわせてしま うという利用者の声も随分お聞きしましたし、実際に派遣されてくるヘルパーさんが、高 齢者の方にはいろいろと経験を積んでいるけれども、障害がある方のニーズにはなかなか 応えられないというお話もよくお聞きします。 特にガイドヘルパーとして、外出にヘルパーさんが同行する場合は、知的障害、行動が とても活発な自閉症の方などについては、従来のヘルパーさんではやり切れないというお 話も多いですね。私は今、女子大におりますが、学生さんがヘルパー資格を取ってガイド ヘルパーの仕事をやることが多くなっています。そうすると、同世代の利用者の方が多い わけで、楽しく映画を見に行ったりということを随分やっているようです。そういう従来 にはなかった利用ができるようになり、知的障害の方、家族の皆さんの生活が確実に変わ ってきています。また、今、入浴の介護を男性にというお話が出て、この辺は崚太君も思 春期に入って難しいときなのでしょうね。野口さん、立川では同性介護を貫いていらっし ゃるということなので、後ほど、点についてお話をいただけたらと思います。まず、大江 さん、入浴介助とも関連して少し補足していただけますか。 (大江) 基本的には同性介護だとは思うんですけど、まだ年齢が、小学校のときからお 願いしていたりしてたので、そんなに本人は、ちょこっとは言ってたんですけど、「まだ 同性介護といったって、そんなの簡単に通るわけないじゃん。今の世の中でさ」とかと私 が言うと、彼は「うん」とかと言ってたんですけど、やっぱりどうしても抱えたりが出て きたので、特に高齢の方だと難しいし、私がそれを全部やってたんですけど、やっぱりそ れは考え方としてどうしてもやっていただいた方がいいし、だんだん腰もきついときも出 てきたりとかで、ただ、もう本当にぎりぎりのところ、彼が同性介護、おふろはどうして もというぎりぎりのこのごろで、今1人入っていただいて、それはとてもよかったです。 やっぱり年齢とか、同性介護が必要だと思っています。 (石渡) ありがとうございました。 5 このあたり、今までヘルパーさんが直面した課題ではなかったと思いますが、思春期で これから乗り越えなければならない課題がいろいろある方たちの生活を支えることでは、 従来は思いもしなかった問題も出てきています。では今の大江さんのお話にも補足をして いただいて、野口さん、三つのお立場でお話くださいますと、奈良さんがご紹介してくだ さいましたが、まずサービスの利用者という立場で、支援費制度についてお話をいただい てよろしいでしょうか。 (野口) 自立生活センター立川の野口と申します。よろしくお願いいたします。 少し自立生活センターの説明も入れてよろしいですか。 (石渡) お願いいたします。 (野口) 私たちは13年前、重度の障害をもっていても地域の中で生活できるようにと いうことで、当事者の人たちを中心に運営する、自立を支援する組織を立川市で立ち上げ ました。ですから、私たちの自立生活センターでは、施設に入っている人たちが、私たち の自立生活プログラムを受けながら、実際に地域の生活を実現している方が何十人も今い らっしゃいます。私のところ、今、立川市の要するに福祉の社会資源としても自分たちの 立場というものをとらえていますし、実際に立川市の方から精神障害者地域生活支援セン ターと、私たちはパティオとかと呼んでいますけど、それは精神の障害をもつ人たちの地 域生活を支援する事業とか、午前中の小倉さんのお話でもあったような就労支援、実際に 一般就労へ向けていくという事業を、委託を受けたりしながら、障害をもった人たちが地 域の中で生きていけるようにということで、今、大体スタッフとして25名ぐらいのスタ ッフで運営をしています。 昔は私たち非常に強力な運動体で、行政の人も多分顔を見るのも嫌だなというぐらい、 かなり要望とか交渉とかを大分やってきたんですけど、最近、自分たちが実際にそういう 権利擁護をやっていくということと、障害をもった人たちの地域の生活を支援していく、 サービスを提供していく団体ということで、どうやっていければ実際に障害をもった人た ちが地域生活を実現できるかという、そういう事業をやっていく中で、比較的、行政の人 たちがまじめにというか、真剣につき合っていただいて、いろんな議論をしながらお互い にコミュニケーションがだんだんとれるようになって、今では市の方からもパートナーと いうふうに言われています。 ただ、私どもとしては、ただ単にパートナーということではなくて、行政は行政、民間 は民間のやっぱりお互いの良さを生かす団体であり、一定の緊張関係を持ったいいものを 6 つくっていきたいなというふうには思っていて、今、ことしから一般財源化された市町村 生活支援事業も立川市から受けていますけど、そういうメンバーが週に1回、市の福祉課 の窓口業務をやったりとか、そのほかに私どもの生活支援事業の中で、市への利用申請書 類の申請受理とか、そういうものもできるようになってきたりしています。 そして、今、ケアマネジメントの話も少しありましたけど、私たちは基本的には自分の 生活は自分で決めるべきだということを考えていまして、それに向けていろんな、要する に自分自身がどういう生活をしていきたいのかというプログラムをつくって、そういうも のに参加しながらセルフマネジメントというか、自分で自分の生活を決められる、どんな サービスが必要だとか、どういうふうな生き方がしたいんだとか、そういうものを実際に 支援費のサービスと照らし合わせながら、自分がどのぐらいのサービスが必要なんだとい うところまで組み立てていこうというするプログラムをつくって、そういうものを実際に ケアプランとして私どもがまとめて、市の方にもそういうケアプランを支援費の支給申請 書と一緒に提出をしています。 私どもの事業について市も信頼関係があって、基本的によほどでない限り私たちのつく るケアプランについては市としても認めていただけるという立場をつくっています。そう いうふうな立場をつくっていただけると、実際に支援費の支給、サービスの量でも、今、 自分の必要な分だけ自分で要するに出せばいいんだ、もっと必要になったら改めて支給量 の変更届とか、そういうふうに変えられるというところの関係がありますので、実際に自 分の必要な分だけを確実にサービスとしてプランに反映できているという良さというのは 出てきているのではないかなというふうに思っています。 ただ、こういうセルフマネジメントというか、ケアマネジメントというものを考えたと きに、この支援費制度におけるケアマネジメントというものが実際には法的には何も位置 づけられなくて、実際にケアマネジメント従事者という、研修を受けてケアマネジメント をやっていくというふうに、私どもの方の職員なんかも研修を受けてやっていますけど、 ただ、私どもみたいに、こういう自立生活センターで障害をもったいろんな人たちの立場 とかかわり合ってきている、そういう役割の職員とか、そういうメンバーが実際にいろん な相談に乗っている場合なんかはいいわけですけど、やっぱり全然かかわり合ってこなく て、突然、支援費の支給申請をしなさいとか、こういうふうに制度が変わりましたという ところで、実際にサービス支給申請をやったりとか事業者との契約をしたりとか、そうい う方を見ていると、やっぱり制度に振り回されている面があったり、いらない心配をして 7 いる部分があったりとか、ほかにサービスの選択といっても、実際にどんなサービスがあ って、自分がどういうふうに選べるのだろうかとか、そういうものを情報として知らなか ったりとか、そういう方がやっぱり多い。その中で、やっぱりケアマネジメントというか、 ケアマネジャーという存在というのがやっぱり支援費の中で必要だというふうには私も思 います。 ただ、介護保険のようなケアプランをつくって、毎月の支給管理をするという、それだ けのケアマネジャーだったら、そんなに支援費の制度の中ではいらない。それよりは、も っと障害をもった人たちがどういうふうに自分で生きていきたいんだとか、人生を歩んで いきたいんだというところで、そういう人生につき合えるようなケアマネジャー、そうい うものが支援費制度の中でやっぱり求められていて、やっぱりそういう障害者自身がどう いうふうに生きていくかというところでの制度をどういうふうに使っていくかというとき に、アドバイスとか、また、その生き方についてどんな社会資源を活用していくかとか、 やっぱりそういう役割をケアマネジャーとして必要としているんのではないかなというふ うに思っています。 それで、肝心の支援費のサービスの話と当事者としての話、ちょっと一緒にさせていた だきたいというふうに思っていますけど、私たちは96年から市のホームヘルプ事業を措 置の時代から委託という形で、市ができない部分、主に早朝とか夜間とか土日とか、そう いうのを委託を受けてサービスとして提供できるヘルパーサービス団体、ヘルプ協会立川 というものをつくって、ホームヘルプにおいても、やっぱり24時間必要なときに提供で きるような体制を市につくっていきましょうということで、市と協力としてつくってきた 経過があります。ですから、昨年までは自立生活センターの介助サービスとヘルプ協会の ホームヘルプサービスという二本立てのサービスを提供してきたわけですけど、支援費制 度になって、要するに今までのサービス、制度上一つになっていくということで、サービ スの一元化を図ろうということで、ヘルプ協会立川というところで障害をもっている人た ちのサービスを提供していく団体として、あえて言うと自立生活センターの介助部門、こ れはNPO法人と社会福祉法人という、団体が違いますけど、お互いに連携をとり合って、 そういう自立を支えていく介助部門というふうな考え方で今、運営しています。 ですから、当事者のニーズに合ったサービスを提供していくというのは基本的に自分た ちの考えで、実際に自分のサービスに合わなければ自分自身の首を締めてしまうわけです から、ですから24時間365日必要なサービスを提供するということと、あと同性介助 8 を提供するということが基本的な考え方です。これはやっぱり今まで要するに障害をもっ て生きてきた中で、施設の中でとか、ほかのヘルパーさんでもなかなか同性介助は提供で きない。やっぱりそういう自分自身で性に関して同性というものを、要するに無理やり異 性の介助とか、そういうものを強いられてきたという、やっぱり持っている経験の中のそ れなりの自分の性のプライバシーというを大切にしたいという意味も含めて、同性介助と いうものを提供しています。これはもうガイドヘルプであれホームヘルプであれ、一貫し てすべて同性介助というふうな基本的な考え方を持っています。ただ、なかなか同性介助 がすべていいかというと、利用者の方にはやっぱりそうではない方もいらっしゃって、女 性の方がきめ細かくて優しくていいと言われる方もいらっしゃいます。そういった場合に は、結局、いろいろ話はしますけど、そこで折り合えないと、やっぱりそういう意味でほ かの事業者もありますから、そういうところでご利用なさって結構ですよというか、勧め たりもしたりもしています。 支援費制度で変わってきたことは、やっぱりヘルパーに研修、要するに資格が全部義務 づけられたということがやっぱり大きいですね。今までは全身性障害者介護人派遣事業と か、そういうものは障害者の推薦する学生とか、そういう人が介護人というのをやれたり とか、ホームヘルプでもヘルパーを始めてから資格を取ればよかったりとか、そういうか なり融通性があったわけですけど、今、支援費制度の場合は最初から資格を持ってないと できないということで、それと資格についてもかなり細分化されて、ホームヘルプの2級 ヘルパーから、障害者の場合は型区分によって日常生活支援の研修があったり、知的障害 者の移動介護、それから視覚障害者の移動介護、あと全身性障害者の移動介護とか、そう いう研修がかなり種類があります。それを今、私たちは8月からやっと始められるように なってきて、今、研修を中心に取り組んでいます。その研修の中で、要するに一番大切に しているのは、やっぱり障害をもった人たちが、研修の中で実際にヘルパーをやりたいと いう人たちに対して自分のニーズを伝えていくということを、私たちの研修の一番大切な 部分として考えています。ですから、日常生活支援とか移動介護とか、そういった研修の 7割ぐらいの講師というのが障害をもった人たちがやっています。知的障害者の移動介護 についても、もう4年ぐらい前から研修について取り組んでいるので、実際に利用してく れる人たちとヘルパーをやってみたいという人たちが一緒に、その研修の中でお互いに講 師になったりとか、またミーティングみたいなことをやったりとか、ですから一緒に外出 の実地をやったりとかして、そういうやっぱりヘルパーをつくっていくというか、そうい 9 う介護者を自分たちでつくっていくという立場にも、障害をもった人たちが入っていくと いうところがやっぱり一番重要じゃないかなというふうに考えています。 あと、支援費制度に変わってということで一番やっぱり感じるのは、まずは今までの措 置よりはベターな制度じゃないかということはあります。それはやっぱりまだまだ少ない んですけど、サービスを選択できるとか、あと実際にホームヘルプだったら月の時間数で 決定されますから、その時間数の中で自分なりの使い方をできるということとか、あとは 知的障害者の移動介護、視覚障害者の移動介護というのが制度として認められてきたとい うふうなことで、実際、立川市でも知的障害者の方の利用がものすごく増えてきています し、あと児童の方の利用も増えていますね。今まで在宅の緊急一時保護というか、月5回 まで5時間ぐらい、保護者が冠婚葬祭とか預けられるといった場合の利用も、支援費制度 に移行したということで、そういうのも積極的に支援費の中でサービス量として換算をし てもらったりして、例えば児童の方で緊急一時保護を使いながらやっておった方について は、月20時間とか25時間とか市に認めてもらえる。その中で、やっぱりサービスとし て決定されるといった場合も、安定的に月20時間、25時間なら自分なりにこういうふ うに使っていこうとか、こういうサービスをやってみようとかというふうに利用者の方が 考えて使えていけるというところが、非常にエンパワメントの効果として大きいんじゃな いかなというふうに思います。 ただ、問題なのがやっぱりサービスの苦情についてどういうふうに解決するかという、 直接契約になりますから、事業者と、障害者本人とかご家族の方が苦情について解決をせ ざるを得ない。それで無理だったら市とか、公ですと都社協の苦情処理の係とかというと ころに問題を訴えていかなきゃいけないわけですけど、やっぱり身近で第三者的な、サー ビスの問題について解決できるものがまだできてないというのがやっぱり大きいですね。 あと、措置から支援費になったということで、行政の方がやっぱりサービス量の決定ま では関与するけど、それ以降についてなかなか関与できない。ケースワークという仕事に ついて、やっぱり自分から決定してしまった、手が離れてしまって、それ以降についてな かなか関与できない。それよりは、今、実際にはもう上がってくる請求業務の点検とか、 実際にそういうことに追われていて、本来の行政のケースワークの仕事というのはだんだ んと薄れていくんじゃないかという心配をしています。 ということで、まずは、お話させていただきました。 (石渡) ありがとうございました。 10 本当にいろいろなお立場をお持ちの野口さんですので、多角的な視点からお話をいただ きました。 最後のところで行政の立場というのが、支給決定などは確実にやっていただけるけれど も、ケースワークというような、利用者の方と一緒に生活をつくっていくことを行政とし てはやれなくなったというお話、これはやはりいろいろなところで聞かれる指摘です。朝 から話題になっているケアマネジメントが重要になってきます。東京都は独自の対応で、 この後で発言をしていただく板橋区の鷹野さんのところなどに支援費制度利用援助モデル 事業を委託しています。地域の生活を支えるということで、支援センターではいろいろな 声を聞いていらっしゃると思います。それでは鷹野さんに板橋区の自立生活支援センター の現状ついてお話をしていただきます。ケアマネジメントについては、後ほど渡邊さんに 説明をしていただきたいと思います。 (鷹野) では、板橋区の概要をお話しします。 まず、最初に地理的なところから入っていきたいと思います。23区の中で北西部にあ りまして、隣接地域は東京の北区、練馬区、埼玉の和光市、それから戸田市、あとは23 区の豊島区との隣接をしております。南東から北西に長い地形であります。それで、面積 的には23区中の9番目の広さを持っております。人口は約50万、15年1月1日現在 ですが、人口50万6,364人ですが、約50万というふうに暗記しております。65 歳以上の人口、老年人口が8万6,175で17%。少子高齢化、全国的にそのように言 われておりますが、少子高齢化の板橋区であります。特徴的には医療機関が非常に多い。 代表的には都立豊島病院、東京都老人医療センター、あと大学病院が日大、帝京、それか ら小さな病院合わせまして400カ所あります。そういう地形の中で、あと当センターの 位置している場所は板橋区の中でも外れ、戸田市の方に近いところにありまして、高島平 団地高層住宅、昭和50年代では代表的でしたが、高層団地の一角にあります。障害者セ ンターは板橋区で当センター1カ所のみでありますので、こちらのセンターを利用するに 当たってはとても不便な方も中にはあります。そういうところに位置しております。 障害者手帳をお持ちの方の数をご紹介しますと、身体障害者手帳、15年1月1日現在 ですが、1万5,072人、愛の手帳が2,307人でございます。 そういう中で、当センターはB型センターとして機能訓練事業等をやってきておりまし たが、平成15年、支援費支給とともに身体障害者デイサービス事業者となりまして、板 橋区で、それから区内でただ一つの身体障害者のデイサービス事業をやっております。そ 11 れを始めるにつきましては、支援費制度、センターの今まで従来の利用者に数回に分けて 説明会を行いました。支援費制度と何度説明しても、とても理解に苦しむ方が「わからな い。わからない」と言ってきまして、個別での説明を何度も繰り返しました。特に脳卒中 の片麻痺の方で失語症の方への理解が非常に難しくて、とてもこちらの職員としても苦慮 しまして、センターの職員に対しても研修会を行いました。失語症の方への支援費制度の 説明の仕方、あとは対応の仕方等に職員研修から入っていきました。 それで、支援費制度が開始されまして特に私の心を痛めたものとしましては、介護保険 制度利用者の方も従来は通所できていたんですが、支援費制度が開始されるとともに、介 護保険の方は介護保険の施設を優先されますということで、他の施設への導き、その説明 と人を動かすということはとても大変な思いで、頭ではわかっていても、なれ親しんで通 ったところには来たいという本心がありまして、人情的に悲しい思いをしながら説明会と か個別の助言をしてきまして、現在は介護保険の介護保険施設には行きたくないという方 は、午後のみセンターで自主訓練を行えるような仕組みをつくりました。 支援費制度のこの身体障害者デイサービス事業を始めて、今まで来ていろいろとメニュ ーは少しずつプラスされてきていますが、なかなか従来のものプラス新しいメニューとい うのは、ちょっと職員数もふえませんので、徐々に職員の中で工夫しながらメニューを少 しずつふやしてきているというところはあります。それで、以前は機能訓練には個々に措 置されたヘルパーさんが一緒についてきて、センター内で介助をしてくださったんですが、 支援費になりますとダブルでの支援費の支給はできないということがありまして、センタ ーでは事業の委託契約を一部していますので、センター内の介護指導を外部の業者がして いますので、個々についてのヘルパーさんはお見えにならなくなりまして、その方たちの 当初は我々の死活問題だというような話でかみつかれたヘルパーさんもいますが、また別 な方面への仕事もふえてきているということで、すんなりセンターから姿が消えていった という経緯がありますが、現在は委託された介護指導の方が介護をしていまして、グルー プでセンター利用者の介護をしてくださっているという面でのヘルパーさんの、同一のヘ ルパーさんと、1対1のヘルパーさんの付き添いじゃなくて、グループで介護をなさって いるという体制が変わりました。 それとともに、数名、送迎に関してですが、できるだけご自宅の近くまで送迎をします ということで、その辺が措置制度のときにはポイント方式でしたので、その辺は利用者に 沿った、利用者が選べるというところに値するのかなと思います。それで、センターから 12 またお家へのつなぎの間、送りとお迎えにヘルパーさんがついている方もいらっしゃいま すが、そのヘルパーさんとの連携がちょっと大変なときがままあります。障害特性を理解 されていないという点が中にはあるんですが、お話ができる方でありながら、ヘルパーさ んが代弁してセンターにきょうはお休みですとか、足が痛いから、熱が出たからとか、ヘ ルパーさんが電話をかけてくる場合がありますが、やはり障害を持った方が自主的に選ん だサービスを使うので、ヘルパーさんがしゃしゃり出ることのないように、ヘルパー研修 とかで、その辺の自分の立場というものを守っていただけるようなお話を研修の中で入れ ていただければと思います。 そのほか、このセンターでは地域自立生活支援事業ということで、平成9年から行って おりまして、その中で自立支援セミナーというのを、障害特性に合ったセミナーを何種類 もやっております。その中の2∼3紹介しますが、視覚障害者のセミナー、重度肢体障害 者のセミナー、中途肢体のセミナー、家族セミナーとかあります。2∼3年前から介護セ ミナーを取り入れてきました。その理由としては、利用者の中からこういうヘルパーさん がいてちょっと直してもらいたいんだよというようなお話、車いすが上手に押せないヘル パーさんがいるんだよとか、あと視覚障害の方のガイドがもう危なくてしようがないよと か、あとは自分が外出したい場所になかなか連れていってもらえなくて、自分が案内した んだよと、区内の地図の見方も見れないヘルパーさんがいるんだよというようなお話があ りまして、介護セミナーを3年前からやっております。その内容としては、視覚の介護セ ミナーでは白杖の使い方、あとは視覚障害のガイドの方法、東京都でもやっておりますが、 こちらでやっているセミナーは視覚ガイド認定の研修じゃないので、地域のボランティア をなさる方、当事者、どなたでも参加していいですよというセミナーをやっておりまして、 その中にはヘルパーさんも結構参加されております。今後も、この介護セミナーは続けて いきたく私は思っております。 そういうところですが、あとは身体障害者デイサービスをやっていますが、基本事業プ ラスその他で、その他の中に入浴事業があるんですが、いろいろ利用なさっている方で、 機能訓練はしたくないけどおふろだけ入りたいという方が結構いまして、重度の脳性麻痺 の方とか、あとは脊髄損傷の方とか、筋萎縮症の方とか、運動しても、運動することによ ってかえってぶり返しがひどくなるので、余り自分の体の動かし、自分なりに動かしたい という方がいまして、基本事業プラス入浴というのはなかなか厳しい現実があると。機能 訓練を、ちょこっと手を回して、あと首回して、それでいいという方もいますので、利用 13 者が望むサービスというのは、その人に合った機能訓練プラス入浴という考え方で現在行 っております。 一応、当センターのご紹介と、身体障害者のデイサービスの現状をご紹介いたしました。 以上です。 (石渡) ありがとうございました。 前にお話をしてくださった野口さんのところは、当事者がつくり上げた自立生活センタ ーですが、鷹野さんの板橋区のセンターは、地域の暮らしを支えるために行政が主体とな って設立したセンターです。歴史も違いますが、今、サービスについてご説明いただいた 中でも、やはり行政が運営する難しさがあるようです。デイサービスを今まで高齢の65 歳以上の方も利用されていたが、その方たちが今利用できなくなって別のところに移らな ければならなくなったのですね。 (鷹野) はい。身体障害者手帳をお持ちの方は従来は利用できたんですが、支援費制度 とともに介護保険対象者は介護保険施設にという、介護保険優先という考え方で。 (石渡) では、2号被保険者の40歳以上で身障手帳を持っている方もですか。 (鷹野) 1号も2号も介護保険の対象というふうに。 (石渡) 4月からは介護保険施設の方に移らざるを得なくなったということですね。 (鷹野) はい。それで、なかなか基盤整備が整っていませんのに、特に言語聴覚士のい らっしゃる失語症の方たちの行くところがないということもありまして、2号の言語障害、 失語症の方のみお受けしております。 (石渡) サービス提供者としての葛藤も大きいわけですね。午前中の講演でも、小倉さ んがそういう縦割りを排して、高齢者も障害種別の異なる方たちも、地域の身近なところ でのサービスを、と強調されていました。野口さん、同じような課題に立川などもぶつか っていると思うのですが、どんな対応をされているのでしょうか。 (野口) 介護保険との併用問題とか、そういう。私たちは障害を持つという立場で実際 にホームヘルプサービスを提供していますから、介護保険については積極的に取り組めて はいないですね。 (石渡) デイサービスは、立川ではやっていないのですか。 (野口) そうですね。そういうデイサービス的なことはやっていなくて、主にホームヘ ルプで、実際に、結局40歳以上で特定疾病の方が要するに介護保険の対象になったりし て、介護保険と支援費制度を両方使っているというふうになっています。ですから介護保 14 険がやっぱり優先されてしまうので、介護保険を使い切って要するに支援費制度の部分を 使うということになってしまうわけですけど、ただ、そういうホームヘルプの場合という のは、最終的に請求のときにどの部分が介護保険で、この部分が要するに介護保険ででき ない部分、だから支援費というふうに、最後になって比較的わかってくるところが多いの で、結局、サービス内容はいつも同じようなことをやっていて、制度上、介護保険で請求 するか支援費で請求するかという違いになってくるんですけど。 (石渡) この点について、都のお立場で渡邊さんに補足をしていただきたいと思います。 今、主に身体障害の方の支援費サービスについてお話をいただきました。きょうは、知的 障害の当事者として参加してくださる予定だった阿部さんは、残念ながらお出でになれま せん。また、主に知的障害の支援をしていらっしゃる柴田さんは、この後で来てくださる ので、知的障害者の現状については柴田さんにお話ししていただきます。特にガイドヘル プサービスが使えるようになって、利用量も格段に増えていったというところが都内では 多いようです。 今、介護保険と両方使える身体障害の方の課題について、鷹野さんから指摘をいただき ましたが、都としてはこれについて方向性といったものが出せるのでしょうか。ケース・ バイ・ケースでしょうか。こうした点も含めて、制度をいかに活用していくか、どういう サービスが地域にあるのかという情報提供も含めて、やはりケアマネジメントというシス テムが機能することが重要となってきます。そこで東京都としては独自の事業としてやっ ているモデル事業の説明と、鷹野さんから指摘していただいた介護保険との関連でサービ スをどう調整していくかについて、渡邊さん、お話をお願いしたいと思います。 (渡邊) 後半の部分は、ちょっとなかなかお答えが難しいところでありますので、前半 のケアマネジメントのことで東京都が新しく事業を始めたということで、このきっかけと なったこととか、その概要といったことをちょっとお話をさせていただきたいと思います が。 私、障害福祉部に来る前に、練馬区で障害福祉課長をやっておりまして、その当時、で すからまだ支援費は、話題になりまして、そろそろ準備という時代だったと思いますので、 措置の時代ですけれども、通所授産施設に通っていた成人の知的障害者の方がいて、親御 さんもそれなりの年齢になってきまして、ご主人の介護、あるいはご自身がもう介護保険 の要介護認定を受けるというような段階になってきまして、ご本人の、昼間8時間は通所 授産施設の方で作業をなさっていますけども、その後の支援ということについてかなり厳 15 しくなってきたということで、親御さんとしてはどうしたらいいんだろうかということぐ らいの問題意識で、先ほど野口さんがおっしゃったように、知らないことが多かったとい う事情がありまして、通所授産施設の職員がですね、その当時はその方につきっ切りでご 家庭にも足を運ばれたりして、どういうふうに暮らしていきたいのかということを聞きな がら、生活寮を体験的に利用してみることで親元からの自立を図って、将来的には生活寮 へ入居するという方向が望ましいんだということになって、そのためにはご本人が通所施 設で簡単な調理作業ができるようにしなくてはいけないからということで、作業のほかに そういったプログラムを用意して取り組んでいたというのを見聞きをしました。それで、 大変に手間がかかるということで、職員は通所授産施設の職員ですから、本来業務以外に そういうことを、手間隙をかけてやってらっしゃるということで、支援費制度というもの が始まったら、これは大変なことになるなという問題意識がございました。 支援費制度の内容が明らかになってきますと、介護保険とはもう違いまして、支援費の 場合には通所施設なら通所施設だと。通所施設の中でも、どの施設なんだと。授産なのか 更生なのか、入所なのか通所なのかということも自分で選んで、理由まで書いて初めて申 請にこぎつけられるという制度になりました。そうなりますと、先ほどお話ししたような ケースの場合には、もうご自身、あるいは親御さんも含めてでの対応は実際には無理だろ うということで、当時、ご本人の気持ちを引き出す手法としての障害者ケアマネジメント 研修というのを東京都がやっておりましたので、それでせっかく受講していただいた人を どう活用するかということで、区市町村に配置をする、あるいは区市町村が委託をする事 業者に配置をしていただいて、そこでご本人や親御さんを交えて本人のニーズを時間をか けて聞き出しながら、いろいろな社会資源をご紹介して、支援費に乗れるものについては、 支援費の支給申請の支援をさせていただくという事業が必要ではないかということで始め ております。 そういったことで、また野口さんのお話ですけれども、先ほどだんだん仕事が忙しくな ってきて、支給決定後も行政の関与というか、ケースワークが減少してきている懸念があ るというふうにおっしゃっていましたけれども、私ども、このモデル事業を今、足立区と 板橋区と葛飾区でやっていただいていますけれども、主体は、人件費の補助をさせていた だいておりますので、それに携わる方にはそれに専念していただけるかなということで、 それ以外の部分でのケースワークが減少するということが若干でも防げているのではない かというふうに考えております。 16 また、具体的には、入所施設からの地域移行で、地域移行してみたら問題がいろいろと 生じてきた方、入所施設では24時間の支援になりますけれども、地域に戻ってこられる と、通所施設だけでは月曜日から金曜日までの8時間ということになりますので、土日と か、それからほかの曜日の16時間の過ごし方とかといったところで、いろいろと問題が 生じてきた。その方も、このモデル事業を希望してプランを作成させていただくことで、 入所施設に戻らずに地域移行が円滑に進むようになってきた例とか、あるいは家庭環境に いろいろな問題を抱えていらっしゃいまして、ご家族の方からは支援費の支給申請という ものをなかなか言い出さないといった事例で、ご本人がこのままでは不幸な環境になるだ ろうというケースについても、このモデル事業を何とか説得をさせていただいて希望して いただくことで、障害者ご本人の生活が安定をしてきたという事例もありますので、少し お役に立てたかなというふうに思っております。 (石渡) ありがとうございました。 今、渡邊さんから、国が支援費の中に位置づけなかったし、資格化もしなかったケアマ ネジャーを、東京都は、機能するようなシステムを検討中だというご紹介がありました。 足立、板橋、葛飾という3区に、ケアマネジメントがやれる人員体制を保証する予算を都 が確保し、モデル事業ということで実施しています。実は、私も足立区の事業に関わらせ ていただいています。渡邊さんも、入所施設から通所施設に移行した方の例をご紹介くだ さいましたが、足立区でも20人くらいの方について、ケアマネジメントの手法を足立区 の障害者センターが総合相談窓口となって支援をしています。その中で、やはりケアマネ ジメントが動いていることで、サービスにつながらなかった方たちに確実に支援が提供さ れているというのを、それぞれの例について実感させられています。 特に足立の例を見ていますと、今まで福祉サービスの必要性が高かったにもかかわらず 何のサービスも受けていなかった軽度の知的障害の方、あるいは精神障害をあわせ持って いる方とか、ご家族にもいろいろな課題があって家族ぐるみで支援を必要とするという方 まで、ケアマネジメントの手法を使っていく中で確実に支援が広がってきているとつくづ く思います。 例えば、軽度の知的障害の女性で、家族による性的な虐待を受けていたという方が、児 童養護施設にいたけれども、成人期になって軽度の知的障害という立場で支援を受けると いう方が、かなりいらっしゃいます。こういう方たちの場合は、性的な虐待を受けてきた という中で、自分という存在そのものを否定せざるを得ないという状況に追いつめられて 17 います。そういうことがあったのは、あなたの方にすきがあったんじゃないか、と言われ てしまうことなどがあって、自分を責め、自分の存在を否定せざるを得ないというような 方がいらっしゃいます。そういう場合、生活をいかにして築いていくかというところから 始めて、地域のいろいろなサービスを使いながら就労にまでつなげていくということもあ ります。今、知的障害者の暮らしの支援という中で求められることは、従来の知的障害者 へのサービスという枠の中ではやれきれない、いろいろな課題を抱えています。それこそ 複合的なニーズ、障害者サービスの枠に整理しきれないというようなニーズについてまで、 目の前で暮らしている人についてはやらざるを得ないわけです。 これも別のケアマネジメントをやっている方から聞いたお話ですが、生活の場というと ころに、支援費が始まってから入り込めるようになった、というのですね。そうすると、 ここで人間が暮らしているのか、というようなすさまじい生活をしていらっしゃる方にお 会いするというのですね。軽度の障害で、それなりにやれていただけに、全然、公的なサ ービスを受けていなかったという方たちにだんだん関わるようになってきたそうです。そ れで、ある方の自宅に入っていったら、とにかく人が住めるような状況にするまでにお掃 除から始めたということです。そうしたら、ゴキブリがなんとバケツ10杯分ぐらいとれ たなんていう話を、お一人ではなくていろいろな方から聞いたりしています。 やはり、今まで地域の暮らしになかなか関われなかった中で、「当たり前の地域の暮ら し」が送れていない方がいかに多いかを実感しています。制度が変わって、新しいサービ スを確実にやれる機関が出てきて、その機関が、行政の児童相談所や婦人相談所というよ うなところとも連携する中で、新しい支援システムが築かれてきていると、先ほどの足立 の事業などを含めて感じています。そして、地域の当たり前の暮らしの中に「働くこと」 も考えていかなくてはと実感しています。午前中、小倉さんが、働くということが大きな 生きがいになる、そして働く場を通して社会的な関わりができてくるということを強調さ れていました。就労の支援、そういうこともやりきれるケアマネジメントの実践というの がきちんと位置づけられないと、厳しい状況にある方はどんどん、どんどん追い詰められ、 それこそ引きこもりというような状況になってしまいます。「引きこもり」と言われてい た方の中で、障害者としての支援が必要だったという方がたくさん発見されてきていると 思います。 ですから、やはりこのケアマネジメントが確実に実践されるということが、利用者主体 のサービスにつながり、地域の暮らしをつくっていくことになると思います。足立では、 18 支援を必要とするいろいろなケースを通して、これからの基盤整備のあり方とか、専門職 に求められる支援、地域の方の関わりなどが整理されてきていると思います。 鷹野さん、板橋区のモデル事業について、その現状とか、これからの支援費との関連で の課題などについて、お気づきのことをご紹介いただけますでしょうか。 (鷹野) 板橋区の障害者福祉センターですが、相談係が平成12年度に開設されまして、 それは介護保険制度が始まったということで、障害者にも相談のできる係ということを強 調するためもありまして、相談係ができました。そこで11年度から試行モデル事業とい うのをやっていましたので、その関係もありまして、ケアマネジメントの必要性を感じ、、 14年度にケアマネジメント従事者検討会という会を福祉園と障害者福祉センターとで協 働しまして、事例検討及びケアマネジメントとはという勉強会に近い形でやってきており ます。 それで今回、15年度、モデル事業を板橋区さんいかがですかということで参加させて いただくことになりまして、このケアマネジメント事業を、モデル事業をやっていく中で、 介護保険同様、対人サービスの基本である相談から、ケアマネジメントというのはマネジ メントをするという技法でありますので、相談の中の一技法ということで、これは当然あ るべき仕事のやり方であるというのは私はすごく感じております。それで支援費制度で福 祉サービスのケアプランを立ててサービスを入れ込んでいくということは大事なんですが、 そのかかわる人たち、保健・医療・福祉、その人たちの連携が必要だと思います。それで、 介護保険にはかかりつけ医という制度がありますし、あとは認定審査会というものが、そ れから介護支援専門員というのが制度化されていますので、その辺のケアマネジャーさん の動きを見ていますと、その人なり、それから地域で暮らしていくにはという考え方を根 底に持ちながらマネジメントされていますので、障害者に対しても、それ以上に障害特性 に合ったケアマネジメントが私は必要だと思うんですよ。障害程度区分に分けられますが、 その中でも、その障害となった人の経緯、例えば病気から糖尿病があって、それから糖尿 病性網膜症になって視覚障害者になったという人と、それから交通事故で体が不自由にな った方と、脳卒中とかの後遺症で肢体不自由になった方と、障害の程度区分のなり方とい う、言葉はちょっと私は嫌いなんですが、その人なりの障害となった経緯がありますので、 その辺を理解した上でのケアマネジメントが私は必要だと思います。 それで、保健医療の面が、かかりつけ医の医師の意見、やはり障害が、例えば肢体不自 由になって脊柱がまがってきたり、だんだん年を重ねていくに従って他の二次障害が出て 19 きますので、やはり医療的な知識のある方の関与が必要になってきますので、その人たち との連携は必要ですので、ケアマネジメントをしていく中で、関係者が共通認識を持つ中 ではサービス調整会議等の同じテーブルの中で話し合え、その人がその人らしく生きてい くにはどうしたらいいかという保健・医療・福祉の専門家たちなり、また障害当事者も含 めた話し合いのできる場が私は必要だと思います。 それで、モデル事業を板橋区では7例やっておりますが、その中の一例をご紹介します。 この事例は、私が持っている方ですけれども、措置の時代から当センターを利用しており ます。この方は精神障害と肢体不自由、右肩麻痺等が少しあります。その方をモデル事業 に選びましたが、なぜ選んだかというと、この方は精神保健法と肢体不自由の1種2級で すので、身体障害者福祉法の二つの法律の中での一人の人間であるということで、この方 を精神でとった場合は、精神のデイケアという昼間のデイサービスに似たような通所のサ ービスがあります。肢体不自由でとりますと、身体障害者のうちのデイサービスが該当に なりますが、重複障害をさあどこでとろうかということになりますと、この方は一人の人 間である、それで精神は保健所が管轄です。精神保健法。地域の地域担当保健師がいます。 当センターにも保健師もいますし、あと福祉事務所の支援係、3カ所。それから、かかり つけの精神科の先生、整形外科の先生、この方たちの意見をだれがどうまとめるのという と、身近に通ってくるところは当センターなんですね。週2回の機能訓練事業に参加して、 午後は自主トレに毎日来ています。毎日顔を合わせるのはこちらのセンターの私どもであ りますので、その中で、この方が精神科のお薬を飲まなくなると目つきが非常に険しくな りまして、ほかのデイサービスに来ている方にもにらみを、眼をつけて、利用者の方から あの方は怖いからデイサービスには通わせないようなくれというような一事件もありまし て、これはやはり保健医療の連携をして内服をちゃんとすれば、精神疾患の場合は薬をち ゃんと飲めば普通と同じように生活できるレベルの人もいますので、そういう対応を、内 服の管理、それから主治医連絡、これが非常に大切だと痛感しまして、そういうことを考 えている矢先に警察官通報になりまして、入院になってしまったんですね。精神科の医療 も短期で在宅に戻しますので、2週間ぐらいですぐ帰ってきました。退院とともに本人が また通いたいと来まして、精神疾患を持っている人がセンターで出入りするのはどうでし ょうかという区民の声がありまして、いや、それは違うよ、ちょっと待ってくださいとい うふうに、本人が通いたいと言っているんだから、お薬をちゃんと飲めばみんなと同じよ うにできるから、本人の様子を見てくださいということで、私は中立の立場、区民の立場、 20 本人の立場、両方混ぜ合わせて中立の立場で区民に精神疾患の理解、それから肢体不自由 と精神のダブルの障害を持っている人の理解ということで、回数を重ねながらお話をしな がら、精神疾患がある人は怖いというイメージを少しずつ今崩してきているところです。 重複障害をお持ちの方に対するケアマネジメントは、やはり関係者が定期的に集まった り情報交換、ちょっとおかしいなというときは電話連絡でどんどん流します。それで、か かわっている人たちにも本人がまず顔を出すように、健康福祉センター、保健所等には本 人も自分の足で今はセンターで行っているよというような近況情報を伝えるように、ケア マネジメントのこのプランの中に、支援費以外の本人の動きのわかるプランを中に書き込 んで、これをセンターに持っていってくださいというふうに、情報の共通を持てるように 今考えながら動いております。今後、モデル事業の期間内に評価会議を開く予定でいます。 そういうことで、やはり人をケアするので、やはり人と人との顔を見てないといいマネ ジメントはできないというのは非常に感じますので、プランだけすばらしいものがあって も、やはり実際に利用している目つき、顔つき、表情を見ながらマネジメントをするべき ではないかと私は非常に感じていますので、人をマネジメントするという意識を皆様が持 てれば、障害のある方も楽に地域で過ごせるのかなと思うこのごろであります。 以上です。 (石渡) ありがとうございました。 関連して、大江さん、お願いできますか。 (大江) ケアマネジメントとかケアマネジャーとかという言葉を聞いていて、今すごく 思うことがあって、私の住んでいるところは、担当のケースワーカーさん、ケアマネジャ ーがいて、1人で800人ぐらいケースを抱えているんですって。そうすると、今言った ような細かなことは何もなくて、支給量を本当に決めるだけでいっぱいで、それは800 人いたらそうだろうなと私も今納得しながら聞いていて、それで野口さんのお話の中に、 さっきどう生きたいかを、人生をつき合う、そういうのをケアマネジャーとかケアマネジ メントという言葉で考えてらっしゃるというようなことがあって、もし、例えばうちの子 は男の子で、さっきお話があったように思春期なんですね。それで、おふろとかを本当は 彼は男の人にしたい。でも、母親の私は、「(男性の介護者を)探してと言っても見つか らない。無理じゃないか」と平気で言ってしまうし、そういうことをいろんなことで「そ れはあなたに無理じゃない」とか、「現状としては無理よ」という形で、残念だけど親が とめてしまったりするんですね。そういうときに彼が相談できるようなところがあったり 21 したらどんなにいいだろうかと思うし、そういう場が本当に欲しいなと思いながら聞きま した。 (石渡) ありがとうございました。 今、大江さんもおっしゃってくださいましたが、特に学齢期の障害児の支援は、親がそ れこそケアマネジャー的なことをやらなくてはならないという現実があります。距離が近 いだけに、かえって難しいということはたくさんあって、「我慢しなさいよ」という方向 に行ってしまいがちだということは多々あるだろうと思わされました。そういう意味でも、 やはり専門家として頼れる存在が身近なところにあるということがとても大事だというこ とを改めて思いました。この点については、野口さん、ピアカウンセラー、同じ障害があ る立場の方がどういう役割を果たすのかについて、休憩をとった後で、またお話をいただ ければと思います。 また、鷹野さんが、いろいろな専門家が同じ認識のもとでチームを組んでやっていくこ との大切さを強調されました。地域の暮らしを支えるというときは、今までの措置の時代 のように、一つの機関で自己完結してしまうというようなことでは決してなくなってきて います。ケアマネジメントに関わっている方の中で、「いろいろな専門家が同じ土俵に立 つ」ということをおっしゃる方がたくさんいらっしゃいます。本当に同じ土俵に立って、 利用者の方を真ん中に置いて、それぞれの立場で支援をしていく、それが地域の暮らしを 支えていくことになるとつくづく感じさせられた次第です。 そういう意味でも、今、大江さんが1人のケアマネジャーが800件とおっしゃいまし た。これは介護保険の高齢者の支援を担当しているケアマネジャーのことでしょうか。 (大江) 私の聞いたところによると、障害のある人も介護保険も、きっと中野区の場合 は一緒なんだと思うんですけれど。 (石渡) そうですか。この点も含めて、介護保険との関係についても後段でそれぞれお 話をいただけたらと思っております。 3時になりました。前半の部分ではまだ課題が提出されたというところにとどまってい るかと思います。この支援費をどのような制度にしていったら、利用者主体の地域の暮ら しが成り立つのでしょうか。もう一人のシンポジストの柴田さんも今、到着されたという ことですので、15分休憩をとり、3時15分から後段を始めさせていただきたいと思い ます。(拍手) (司会) それでは、ただいまから正味15分の休憩をお取りいただき、3時15分に再 22 開いたしたいと思います。講師の方は、いったん控室の方へお戻りください。 (休憩) (石渡) それでは、早速に柴田さん、施設にもいろいろな形でかかわっていらっしゃい ますし、知的障害の本人の声、家族の声、いろいろな受けとめをしていらっしゃると思い ますので、お願いいたします。 (柴田) 遅れまして申し訳ありませんでした。 来年の4月に杉並区から移管されます「あすなろ作業所」という施設の施設長に就任す る予定なんですが、本日、保護者会がありまして、そちらへ顔を出しておりましたので遅 れました。 私は、ここでは日本知的障害者福祉協会・政策委員長ということでご紹介いただいてお りますが、都内で国立市、武蔵野市、国分寺市、そして、これから杉並区と4か所の、主 に知的障害者の通所施設の施設長をしております。特にこの5年間は国分寺で通所授産施 設「のぞみ園」の施設長をやりましたが、その間に国分寺で知的障害者の地域生活支援の ためのさまざまな仕組みづくりに没頭してきました。国分寺というのは、東京都から見れ ば人口はたった1%の小さな町でありますから、なかなかやっていることが皆さんに広く 伝わるのは難しいなと思うんですが、きょうは少しそのお話をさせていただきたいと思い ます。 この7月に国分寺の「手をつなぐ親の会」の初代の会長さんが亡くなられました。お父 さんでありますが、その息子さんが希望(のぞみ)園に通ってこられています。軽度の知 的障害がある方です。といっても、お年がもう大分になりますね。50幾つになります。 お母さんも既に入院されておりまして、ご兄弟は仕事が忙しいということで、結果として 大きなお屋敷に1人だけ残るということになりました。本人は一応火の始末もできますし、 掃除、洗濯もできる、大丈夫、料理も大丈夫と、本人がそうおっしゃるものですから、で もちょっとお手伝いにだれか入った方がいいんじゃないの、ヘルパーさん派遣しますよと 言っても、言葉は少ないですけど、要するに他の人と話をするのが嫌なんですね。だから、 ほかの人に入ってほしくないということで、早速お一人の生活が始まったんですが、1カ 月ぐらいすると、やっぱり髪の毛はボサボサになるし、ひげはボウボウになるし、衣類の 洗濯もどうかなというようなことで、やっぱりお勧めした方がいいなということで、ご本 23 人はとにかく自分が知っている人ならいいけど知らない人なら嫌だというのはよくわかり ますので、それなら、この希望園の職員が夕方入りますと。仕事が終わってからね。週2 回ぐらい、この人とこの人で、交代で入りますがどうですかと言うと、それなら、よく知 っている人ですから、「うん、それならいいですよ」ということで、それで今は希望園の 職員がホームヘルパーとして入っています。ちなみに希望園の職員は全員が2級のヘルパ ーの資格を取っておりまして、いろんなところの、早朝のヘルパーとか、土日のグループ ホームの宿直とか、そういうことも兼務をしております。そういうことで、結局、お父さ んが亡くなってお母さんが入院という事態になっても、ご本人はそのまま生活しておられ るわけですね。 今年8月につくば市で知的障害者アジア会議というのがありまして、そこで希望園の利 用者の人たちが何人か代表ということで、知的障害の本人の人たちの討論会がありまして、 それに参加しました。希望園の代表の人はダウン症の女性でありまして、軽度じゃなくて 中度なんですね。愛の手帳も3度ということで、やはりちょっと会議の中身は難しいです、 話がね。難しいから、わかるかなと思いながら私は隣にいたんですが、じっと話を聞いて いるんですね。聞いているうちに、施設という言葉とか、それから自立だとかというよう な話が飛び交っているので、途中で発言をしたいと言い出して、ちょっと自分がちゃんと 言えないから手伝ってくれということで、何を言いたいのかと整理しますと、要するに自 分は今お母さんと住んでいるけども、自分は料理ができないと。お母さんが死んだら、亡 くなったらですね、料理ができないので施設に入ることになるのか。でも、私は施設は嫌 だ、施設に行きたくない。私はお母さんが亡くなっても家を守りたい。したがって、だれ か料理をつくりに来てくれれば私は家で暮らせるんだと、そういうことを言いたいという ことだったんですね。彼女のたどたどしい話ではあったんですが、発言をして非常によく 伝わりました。会場から非常に感動を受けた拍手をいただきました。 その人は初めにお話しした1人目の方が既に自立生活していて、ヘルパーさんが介助に 入って生活しているのを話に聞いていますから、あの人ができるんなら、私もそれならで きるんじゃないかと考えたわけですね。私はそのときに改めて思ったんですが、そういう ことを知的障害者が、自分がこれからどう暮らすかということを自分で考えて、私はこう したいと言うことができる。これが支援費制度のすばらしいところだと思います。それか ら、実際に施設に入るのは嫌だ、私はこのまま家で暮らしたいんだというときに、これは ヘルパーを派遣すればいいので成り立つ話でありますので、これが実際に成り立つという 24 ところも支援費制度の大変すぐれたところであります。こういうことが支援費制度になっ て実際の問題として起こってきているわけでありまして、私は、この支援費制度というの は、いろんな面で不備な面はありますけれども、根本的に非常にすばらしいすぐれた制度 であるというふうに思っております。 今回のパネリストの話をいただいたときにパワーポイントをちゃんと自分でやれるかど うか自信がなかったから言わなかったんですが、どうにかこうにかパワーポイントで格好 をつけたので、やりたいと思って電話したら、会場にパワーポイントの用意はありません と言われて、急きょ、それを印刷して持ってきたら、もう小さくてすみません、後で虫眼 鏡で見てください。 一応、これに沿ってお話ししますと、知的障害者の人のノーマライゼーションという考 え方が北欧に生まれたのは30年前です。1970年代から、急速にこの30年で少なく なっているのはスウェーデンですね。スウェーデンは、この30年の間に入所施設をなく したわけです。アメリカも、この30年の間に入所施設は3分の1に減っています。とこ ろが、右肩上がりで増えているところがありますね。これが日本です。日本は、この30 年間に入所施設が倍に増えたわけです。中でも東京都は、都内に増えないで、これがほと んど都外に増えたということで、この30年間で都外施設はどんどん増えてしまったわけ です。現在、国は入所施設を増やさないと言っておりますが、東京都では、残念ながらと いいましょうか、都外につくった施設の後始末がありますので、今後、まだまだ増えてい きます。この2∼3年にかけて、都内では入所施設がどんどん増えるという、こういう予 定になっております。ノーマライゼーションが生まれてから日本に伝わるのに30年、東 京都に伝わるのにまだかかるのかというのが残念ながら実態でありますが、東京都は98 年に方針転換をされて、どんなに障害の重い人でも地域で暮らすようにしようという政策 転換をされたわけですね。それからはもう入所施設を都外にはつくらないということで進 んでおります。 私たちの方も、国分寺ですが、98年に社会福祉法人けやきの杜の基本方針を転換しま して、それまでは通所施設だけを運営していたわけですが、社会福祉法人の役割というの は通所施設だけを運営することではないと。やっぱり地域における暮らしを支えることが 社会福祉法人の役割であるというふうに基本方針を立てました。そこで、通所施設をふや すことと同時にグループホームをつくり、そして生活支援事業を立ち上げることを決めた わけです。通所施設におきましても、やがて利用契約制ということが当時話題になってお 25 りましたから、やはり利用者が選択できることが大事だろうということで、施設の中身も さまざまな活動や作業を利用者の方が選べるというシステムをつくり上げました。これは そう難しいことではないのですが、まず選べるということをした。選べるようにすると、 知的障害の人たちは初め選ぶのは大変です。あなたの作業は何がいいですかと。初めのう ち、朝1時間かかってあれがいいこれがいいと、会議だけで1時間かかっておりましたね。 なれてくれば5分で済むようになりましたけれども。そんな感じで、やはり今まで職員が 決めていたものをきょうからあなたが選びなさいと言われても、彼らも大変困るわけであ りますが、しかし、なれてくれば、これはそういうふうに頭が働いていくわけであります。 先ほど言いましたダウン症の女性のように、親が死んだらどうしようかと。入所施設に行 くのは嫌だ。家で暮らしたい。こういうような選択も、人生の選択も自分でできる力が備 わってくるわけですね。備わってくるというよりも、本来あるわけですね。それを施設で 今まで職員がすべて決めていますから、言ってみれば彼らが本来持っている力を削いでい るわけでありまして、この選択制度というのは彼ら自身のエンパワメントを非常に高める、 そういう結果になっていると思います。 さて、3年前にですね、2000年に重度生活寮マイホームむさしをつくりました。こ れは東京都が新しい制度として制度化した第1号として国分寺につくったわけですが、こ れは通所施設希望園がバックアップということで、今までグループホームはすべて通勤寮 か入所施設がバックアップでしたから、通所がバックアップというのは初めて、そういう 意味でも第1号でありました。具体的に通所がどうバックアップしたかを後でお話ししま すが、まず入っている方であります。全員7名のうち6名までが重度でありまして、その うち全介助の方、つまりトイレも介助、着がえも介助、それからおふろも介助というよう な方が3名おります。10代と20代の方ばっかりでしたね。中軽度の人は親御さんと一 緒に暮らしているということが可能であります。重度の人は、やはり二十歳前後になって きますと親御さんの方がずっと一緒に暮らすというのは非常にしんどくなってきますね。 かといって、じゃあ親御さんは全部もう手元から離したいかというと、それも嫌なんです ね。自分と一緒にも暮らしたいし、それから半分ぐらいは手伝ってほしいという、そうい うことで、今現在入っている人たちは全員国分寺市内に実家がありますが、実家に帰って おります。少ない人は週1回ですが、多い人は週3回、実は週4回家に帰っている人もお ります。家に寝泊まりしている。つまり寮と家と両方で、半々で暮らしているわけですね。 そのうち、今7名のうち2名は養護学校の高等部のときに入居しました。15歳から利用 26 可能ですから、入れるわけですね。この重度寮むさしから養護学校に通い、寮の職員が送 り迎えをいたしました。それを卒業して、今は希望園とか、あるいは重度の通所更生施設 に寮から通っております。 初めは家庭から学校に通っていた、そのうち家庭を夜の部分を寮に移して寮から学校に 通った、そのうち今度は学校を卒業したら寮から施設に通うというふうに、徐々に移して いったわけでありまして、非常に重度の人であっても環境の激変を避けて、少しずつの環 境の変化ですので、心配されたような問題がほとんどありませんでした。何を心配したか というと、ほとんどの方がこの寮に入るまでの間は親子3人で川の字に寝ているわけです ね。それが寮は個室ですから、6畳の個室で1人で寝ると。そんなことうちの子ができる はずがないとお母さんは心配しているんですね。確かにそれはそうかもしれません。そこ で一番初め、立ち上げたときに、通所施設の職員が、よく昼間からなじんでいる職員が一 緒に寝泊まりをしたわけです。2カ月間、通所の職員が宿直に入りました。徐々に新しい 寮の職員に入れかわっていって、2カ月たった時点で通所の職員は引き上げたわけです。 先ほどの自宅でお父さんが亡くなってヘルパーとして通所の職員が入っている人について も、これは人になじむということがやはり知的障害の人たちは大変難しいものですから、 通所の職員がまずヘルパーに入る。ヘルパーということになれてきたら、徐々に今度は新 しい専門のヘルパーさんに切りかえていくというふうにしていきます。そういうふうに、 私たちのさまざまな地域支援の新しい事業、新しい展開をするときには、通所の職員がま ず行って、そして徐々に新しい職員に切りかえていくということで、スムーズに知的障害、 重度の人であっても、人見知りの激しい人であってもスムーズに新しい制度が使えるよう になっていくという大きな特徴があります。 職員体制の中で、宿直が2名おります、毎日ね。寮の利用者は男女おりますので、男女 の宿直が要ります。そのほかに朝の着がえとか夕方の入浴とかトイレ介助とか、さまざま なものが必要でありますので、朝は3人ないし4人、夕方は4人ないし5人の職員が必要 になります。それらを初めは寮の費用で通所施設の職員も入ってやっていたわけでありま すが、正直言いまして、2年間は財政的に200万円ずつ、合計400万円の赤字でした ね。ことしになってから、ようやくその赤字がなくなりました。なぜかといいますと、朝 の足りないところをヘルパーとして市が認めてくるようになりましたので、朝の着がえと か洗面にはヘルパーでやる。夕方の入浴とか、これも着がえとかというのもヘルパーとい う立場で入るようになったからです。ヘルパーの立場といいますのは、いる職員は同じな 27 んですけども、寮の職員も通所の職員も全員ヘルパーの資格を持っておりますし、法人と してはヘルパー派遣事業所も持っておりますので、Aという職員が初め夕方4時から寮の 職員として入って、6時からはヘルパーになって、8時からまた寮の職員になってと、こ ういうようなことであります。 けやきの杜のパーソナルサポートは、初めは有料制の会員制のサポートから始まったん ですが、やがてガイドヘルプ事業をやりホームヘルプ事業をやりまして、5年間に年々倍 に膨らんでおりまして、特に支援費になりましたことしの4月からは、3倍から5倍ぐら いに膨らんでおります。だから、恐らく、ことし締め切ってみれば物すごい数になってい るんだろうと思います。 ホームヘルプサービスがどうしてそんなに膨らんでいるかということですが、去年まで は外出介護は中軽度の大人までしか認められなかったわけですね。ところが子どもでも、 18歳未満の希望が強かった、それから重度の人も外出介護を使いたかったんですが、従 来は使えませんでした。それがぜひとも使いたいということをみんな考えておりまして、 市の窓口に私も使いたいです、私も使いたいからね、支援費になったら使いますよと、こ う言うものですから、市の担当者もこれは一遍にニーズがふくらむに違いないということ で、かなり大きく予算を見込んで年間予算を確保してもらったんですね。現在、国分寺で は、知的障害のホームヘルプ、ガイドヘルプ関係はほとんどけやきの杜が行っていると思 いますが、1カ月で400万円ぐらいの総売上になります。年間5,000万円ぐらいに なるんじゃないでしょうか。この金額というのは、通所施設1カ所の運営費と同じぐらい の金額で、今、このホームヘルプの利用が伸びているというところです。 それで、職員の働き方ということをお話ししたいと思います。これは、特に支援費にな りまして、職員は常勤換算という表現になりました。裏を返せば、職員は今までは、通所 施設の指導員は通所施設に専念しなければならなかったわけでありますが、今度からは専 念しなくてもよくなったわけですね。したがって、例えば3日間通所施設で働いて、あと の1日はホームヘルパーやって、あとの1日はグループホームで働くというようなことも 可能になったわけです。通所施設の職員というのは専門家でありまして、強度行動障害の 対応に難しい人とか、非常に対応の難しい人にさまざまに対応する能力を持っております。 それからまた、今まで高齢者の介護に当たったような人をヘルパーにお願いしても、なか なか知的障害の人に対応することは初め難しいですね。そういう場合は、通所の職員がま ず出向きます。そして、その人の介護の仕方をきっちり把握してから、徐々に新しいヘル 28 パーさんにやり方を教えて移していくというようなやり方をとっております。したがって、 この5年間に、社会福祉法人けやきの杜はグループホームを2カ所立ち上げ、ガイドヘル プを立ち上げ、ホームヘルプを立ち上げ、会員制有料サービスを立ち上げ、ショートステ イを立ち上げというようにやってきたわけでありますが、それらはすべて通所の職員がま ず行う。そして、徐々に新しい職員に引き継いでいくというような仕組みで立ち上げてき たわけです。 そういうことから、国分寺では入所施設の利用はほとんど増えておりませんが、グルー プホームの利用者は3倍ぐらいに増えました。それから、通所施設の利用も大きく増えて おります。そういうことで、入所施設の希望はゼロというわけではないですけれども、ほ とんどない。重度の人も含めて、大半の希望はグループホームあるいは自立生活で地域で 暮らしたいと。ご本人も親御さんも思っているというのが現在の状況です。 きょう、この資料の中に支援費制度につきまして少しまとめたものを載せておりますが、 時間がありましたら、これについてはまた説明したいと思います。 とりあえず、現在、支援費制度になって具体的にどのように地域生活支援が進んでいる かという、その実態についてお話をいたしました。 (石渡) ありがとうございました。 今の国分寺の実践をお聞きして、ああ、知的障害の方がそうやって自分の生き方を選べ るようになったし、重度の人もグループホームでこうやって確実に自分の生活を築いてい ると、本当にうれしくなりました。そのときに、通所施設が従来の通所の業務だけでなく、 地域の暮らしを支えるホームヘルパーとしての役割や、グループホームの職員になったり など、本当に多角的な支援をやっている、そういうふうに施設サービスが広がっていかな いと地域の暮らしは成り立たないということを実感させられました。それを「養護学校に 在学中から長い時間をかけて、激変ではなく」とおっしゃっていました。利用する知的障 害の方が安心して支援をお願いできる人、人間関係などを大事にしながら支援システムを つくっていくということで、いろいろと気づかされることがありました。 大江さん、今の柴田さんのお話を聞いて、多分、崚太君の将来をイメージして考えてい ることもあるかと思います。柴田さんのお話から、何かこのことをぜひ、これからの支援 費との関連で検討してほしいと思われること、おありでしょうか。 (大江) うちの場合は、支援費を考えるとき、学校の通学をどうするかとか、彼が今一 番、本人が一生懸命やっているのが、都立の高校に入りたいと言っていて、勉強をしよう 29 としているんだけど、親ももちろん協力するんですよ、毎日の宿題でも何でも、テストで も、でも、さっきも言ったようにいろんなことの合間にするので、そういうことのお互い のあつれき、私も数学を見るのがとてもつらいし、でも、彼だけではまだ難しいし、パソ コンを開いたり書いたりができないので(トーキングエイドやパソコンを使って書いたり するんですけど)、そういう道筋を、ことしの夏休みにパソコンに移行したりとかしてい て、そういうことを親がいろいろ考えて、崚太と相談しながら決めていったりとかしてい るんですが、そういうところの支援が必要です。それから、もっと将来、彼がグループホ ームに入るのか、在宅でやっていくと言うんだろうかとかというのを考えたり見たりする 材料みたいなものが私の中に余りなくて、そういった事を考える材料がほしいです。何か 普通の中学にいるということですら彼を追い詰める、「勉強ができなかったら障害のある 子は入れてもらえないよ」とかと言った後、自分で私が傷つくんですね。ここのところ、 ずっとそんなことが繰り返されています。 ちょっと、ごめんなさい、柴田さんの話と全然違ってしまって。 (石渡) でも、今、学校に行っている崚太君の生活を考えると、まず一番痛切に感じる のは、通学の送迎にヘルパーがつかないこと、勉強に関わる細々とした支援を確実にやっ てくれるサービスが欲しいということを実感されるわけですね。 (大江) はい。 (石渡) そんな声等も含めて、すみません、野口さんにお願いします。今、柴田さんの お話の中でも、先に親御さんが亡くなった方が1人で家で暮らしているというモデルがあ りました。中度のダウン症の女性の方ですね、「家を守る」という言葉も聞かれたわけで すが、自分の生活を築いていくということに大きな意味があったということです。それで、 立川では主に身体障害の方がピアカウンセラーということでいろいろな役割を果たして、 それこそ若い方のロールモデルになってきたということがあります。今、精神障害の方の センターなども立ち上げていて、そういう方の地域の暮らしをつくるという面でも、当事 者の方が果たす役割なども含めて、今のお話の流れの中でお気づきのことがあったらご紹 介をいただけますか。 (野口) ピアカウンセラーという、障害者が要するにケアマネジメントとか相談・支援 をする場合に、当事者として相手の話を聞くという役割を担う、そういう技術を自立生活 センターでは養成をして、ピアカウンセラーというふうに呼んでいます。非常にこのピア カウンセラーの役割は自立生活センターでは大きくて、先ほど知的障害の方が、要するに 30 ひとり暮らしをしている人を見て、実際に、じゃあ僕も料理ができればひとり暮らしがで きるんだろうというふうに、やっぱりそれなりのお互いの仲間同士で相手が実際にやれて いると実感できるモデル、ロールモデルというふうに呼んでいますけど、そういう身近な 存在としてピアカウンセラーの役割はやっぱり大きいんですね。だから、障害者ケアマネ ジメントでも、介護保険のケアマネジメントは、先ほど言いましたように給付管理とかサ ービスのどんなものを使うかとか、そういうような役割が一番重要なんですけど、やっぱ り障害を持った人たちというのは、介護保険と違って、今から自分の人生を歩んでいくん だという、要するに人生をつくっていく立場なんですね。そういうときに、極端に言えば ホームヘルプのサービスが何時間だ、デイサービスが何時間だと言われても、それはあな たの障害のことのサービスだけであって、その人がどんな人生とか生き方をしたいんだと いうことに対して本当にとらえ切れてない。まず、その人がどういうふうな人生を歩んで いきたいんだというところのどういう支援があればいいんだと。先ほど学校の中でいろい ろ悩んでいるお話、崚太さんですね、ありましたけど、やっぱりそういうときに、同じよ うな立場とか、またそういう人生を歩んできた障害者の人がいれば、崚太さんがまた違う 受けとめ方をしてくれるんじゃないかなというふうに思います。 私のところの自立生活センター、周りの人の例で言えば、やっぱり中学校のときに親御 さんが急に倒れて、1カ月ぐらい、中学3年だったんですけど、学校へ行ってないという 事実が市のケースワーカーにわかって、それ以後、私どもの団体に朝の身支度とか身辺介 護とか、あと夕方のおふろとかをずっと頼んできたわけですけど、当時のホームヘルプと いうのはやっぱり通学ってできなかったんですね。ただ、主たる目的が要するに家事だっ たり介護だったりしたときに、要するに主たる目的じゃなくて、学校に行ってしまうのは いいんじゃないかという、ケースワーカーと私どもの暗黙の了解みたいなところがあって、 朝の支度をして、そのついでに学校まで送ってというようなことを中学3年から高校3年 ぐらいまでずっとやり続けてきました。 ただ、支援費になってから、通年かつ長期という枠で通勤・通学というのはかなり規制 されて、表に出てきて、なかなかそれを言うとすごい高い壁のように立ちはだかっている 今状況がありますけど、やっぱり、でも何とか少しずつでも支援費の中で、通年かつ長期 でなければ、たまには要するに学校へ行くとか、作業所の送り迎えとか、極めて実際にや っているということも出てきています。 また、先ほどの厚生労働省の地域生活支援のあり方検討委員会でも、やっぱりホームヘ 31 ルプサービスの課題として、医療的な方の支援とかを含めて通勤・通学の問題とか、やっ ぱり障害を持った人たちがどういうニードがあって、それにどういうふうに答えられてな いかというのも、実際、厚生労働省側の資料として出てきたりしています。ですから、や っぱり障害を持った人たちのこれからの人生につき合える制度、そういうものとして支援 費をやっぱりとらえていかなきゃいけないだろうし、これからの制度というものをやっぱ り考えていかなければいけないんじゃないかなというふうに思っています。 (石渡) ありがとうございました。 今、野口さんのところで中学生の支援をした具体的なお話も聞いて、支援費のサービス をどこまでどういう形で使うかというのは、やはり行政の判断が大きいですね。それをど う引き出すかは、支援者側の、あるいは利用する側の働きかけによっても違ってきます。 では、鷹野さん、今までの三人のお話を聞いて、行政の立場でもあるし、地域で暮らして いる方を実際に支えている立場であって、特に地域のネットワークを先ほど強調されてい ました。鷹野さんのお立場から、これからの支援費がどうあったらいいかについて、三人 のお話も踏まえて、ご発言をお願いします。 (鷹野) 支援費のサービスを使う場合、うちのデイサービスを利用する場合、やはり自 分の目で見ていただくということで見学に来てもらっています。施設になれるということ もありますが、その人の障害の程度によりまして、送迎にどういうルートを使って、バス か電車か、だれかが送ってくれるのか、その辺の乗り物の種類と、あと自分の疲れぐあい、 それに耐えられるかどうか、あとは施設の建物のどこに自分が入っていくのか、それから どういう人たちが来ているのか、あとは設備がどういうものがあるのか、机上の紙ベース では理解しにくいものがありますので、まず自分の目で見てもらう流れをつくっておりま す。1人で来るのは難しい方にはヘルパーさんについていただいて、それは支援費で出て いるときもありますが、ボランティアの方を、一緒に連れてきてくださる方、あとは親御 さんと一緒に来てもらったりして、まず自分の目で見て、あとその利用するサービスの関 係者の雰囲気とかもよく見られて、お帰りになって感じがいいからやはり来たいというふ うなお答えをしたり、あと自分と同じような障害のある人も来ていたから行ってもいいな というふうに判断をされていきますので、まず自分の目で確認してから、自分でサービス を選んでもらうという、この支援費制度の求めているものをそのとおりにしていただくよ うに、こちらの事業者も臨機応変にしていった方がいいのかなと思います。 それで、即支援費決定につながらないケースも中にはあります。長時間、1カ月も要し 32 たり、2カ月も要したり、利用したい、利用したいと言いながら、なかなか自分の心の動 きが、体の動きもそうなんですが、自分の気持ちが通ってみるぞという意気込みにならな いと通えないというものが障害特性に応じてありますので、やはりお申し込みがあっても、 こちらはいつまでも待ちますよという言葉をかけて、すぐは電話を入れないんですが、そ の後どうしていますかとか、あとは関係者に聞いて、何の音さたもないけどどうしていま すかというように、聞くようにしております。 あとは、一番、デイサービスの事業をやっていまして、介護保険の対象年齢に近づいて きた方に対してどう導いていくのか、とてもなれ親しんで楽しくデイサービスに通ってき ている方に対して、特に2号被保険者、40歳になったら介護保険施設というと、とても 親御さんにも言いにくいし、親御さんの意見としては、自分と同じような人が通っている ところに自分の息子をお願いするのは息子に対して忍びないと、親の気持ちとしても許せ ないというか、納得いかないんだということで、何とか支援費でずっとやってもらえない だろうかというような声を最近聞いております。ですので、あと1カ月、あと2カ月で、 誕生日が来たら、この人は介護保険制度に行かなくちゃいけないねと思いながら、いつ言 おうか、言うべきか、言うべきでないか、だれが言うのか、このセンターの職員なのか、 福祉事務所なのか、あと地域の保健所の保健師なのか、だれなのかなと悩みながら、あと 悩んでいる間にみんな集まって話し合いをしようじゃないかというふうになってきている ケースもあります。ですから、障害支援費制度と介護保険制度についてどうしていったら いいのかなと私も胸を痛めている現状であります。 (石渡) ありがとうございました。 どうぞ、柴田さん。 (柴田) まず、今の介護保険と通所とデイサービスとの関係ですが、知的障害者の通所 施設にはもう60、70歳の方が希望園にもいますし、あすなろ作業所にも70歳ぐらい の人もいますし、高齢者の通所施設というのはありませんから、まずそれは可能なんです ね。デイサービスは高齢者にもあるから、介護保険優先とか言われるんでしょうけど、私 が民間事業者で、もし仮に障害者のデイサービスをやっていれば、もう一つ看板をつけて、 介護保険・デイサービスという看板を一緒につければそれで済むことですので、私だった らそうします。公立だったら難しいということなのかもしれません。たいていの民間の事 業者で、都内ではデイサービスは民間でやっていませんが、地方のデイサービスなんかは 柔軟にやっておりますね。 33 それから、先ほどの通学の付き添いとホームヘルプの問題ですが、通所・通学は通常お 母さんがやっていて、お母さんが病気のとき、不調なときには、ホームヘルプは本来使え るんです。これは国の解釈でも使えるんです。あとは市町村の判断ということで、市町村 によって相当辛かったり甘かったりしますので、それはまず市とよく話し合われることが 大事だと思います。 ついでに、国の基準では一応通年のものはだめだということが書いてあるんですけども、 例えば山梨県は夏の間、3カ月ぐらいの間、夏の何かサマースクールに通うとかというこ となら大丈夫ですという文章を、これは県の福祉課の課長の名前で出しております。それ から、文章は出していないんですが、例えば大阪とか名古屋は従来から通所・通学にガイ ドヘルプを使っておりました。それを急に今になってからやめろというわけにいかないの で、今まではガイドヘルプということで迎えに行っていたんですが、今はホームヘルプと いうことで、やはり家まで行って電車に乗って通所施設まで連れてくるというようなこと をやっております。それは支援費でやっていますね。これはちょっと、実際は国の方も困 ったもんだとは言っているようでありますけど。 あとは、渡邊さんが悩んでおりますけれども、東京都とか市や区がどう判断するかとい う、そのあたりでありまして、どっちかというとケース・バイ・ケースで考えていく必要 があるんじゃないかと。その裁量の範囲は市町村に任されておりますので、やっぱり市町 村の理解が決め手になるということではないかと思います。 (石渡) はい、ここに区市町村の行政の方、たくさんいらっしゃると思います。ぜひ、 こういう声を生活に生きるような形にしていただきたいと思うわけですが・・・。さっき から悩んでいらっしゃる渡邊さん、この場でお話しいただける範囲で結構ですので、お願 いいたします。 (渡邊) 柴田さんからそういうお話があって、私どもとして別にそれがどうのこうのと いう立場にはないというふうに思っていますけどもね。それ以上、東京都として文書でも って区市町村がここまでできるとか、そういうふうに示すつもりはないんですけれども、 柴田さんのお話は大変参考になるなというふうに思っています。 それで、ついでに、先ほど柴田さんの方から東京都は相変わらず入所施設をつくり続け ているというお話がありましたので、若干、それを弁解させていただきますと、確かに地 域生活緊急3カ年プランの中でも、入所施設を若干は整備する予定になっております。た だ、これも今後ですね、この3カ年プランで、160億円を投じて都は3,000人分の 34 通所施設・グループホームなどを整備していくわけですけれども、入所施設については、 地域へ帰りたいという人は帰れる取り組みをしなさいと。それからショートステイやデイ サービスね、こういうことも地域からニーズがあったら取り組んでくださいよと。それか ら、周りにNPOなどが生活寮をつくってバックアップが欲しいというのであれば、その バックアップをやってくださいと。こういった条件を満たさない限りは、新規開設はもう 認めないという方針です。 それから、あと確かに重度の障害をもった方でも入所施設から地域に移行されている方 がたくさんいることは存じておりますが、いろいろな複数の障害をおもちの方の中には、 どうしても一部施設が必要なんだということは、私どもも、そこのところは押さえておか なくちゃいけないかなというふうに思います。私ども、いろいろ条件を出しながら、これ をクリアする施設でなければ認めないというふうにはしておりますけど、必要最小限のも のは少しつくって、最終的に施設しか頼るところしかない人については、待機がないよう にするのも行政の役割だというふうに考えております。 (石渡) 今の渡邊さんのお話と関連して、柴田さん、何かございますか。 (柴田) 地方の都外施設に行っても、「私は本当はこんなところに入りたくないんだけ ど、とにかくお父さんが入ってろと言うから、しようがないから入っているんです」と言 っている人が結構多いんですよ。そういう人などが、いつまでも入所施設に入っている必 要はないので、そういう人たちが出てくると、そこはあいてくるわけですから、その後、 東京都からそこへ行くかどうかはともかくとして、いずれにせよ、これ以上施設をつくる 必要はないんじゃないかなとは思いますけども。計画が既に出発して今進んでいますから、 せめてこの計画どまりぐらいにしてほしいなというふうに思います。あとはやはり今ある 施設をどう有効に使いながら地域移行を進めるかいう、そこがこれからの東京都全体とし ては大きな課題かなというように思います。施設を全部なくすという議論をしているので はありません。 (石渡) その点については、よく議論されるところですが、今、入所施設で暮らしてい る方が地域に移行するための支援をいかに整えていくかということが、また話題になりま した。東京都としてはそういう方向性を推進したいということで、ぜひ、そのための支援 が確実に行き渡る、そんな施設の機能を強化してほしいと、つくづく思います。 この点については国も施設体系の見直しということで、いろいろと議論が始まっていま す。先ほど野口さんが指摘してくださった、厚生労働省でも地域生活支援のあり方につい 35 て、支援費が始まって半年ですが、いろいろな議論が始まっています。こういう流れの中 に介護保険との統合という話も出てきていて、不安を増すようなことになっていたりもす るわけです。 (柴田) 施設制度のことをちょっとお話しさせてもらってよろしいでしょうか。 (石渡) お願いいたします。 (柴田) 私の資料に施設制度の見直しということを書いておりますが、本当は支援費制 度に入る前に現在の施設制度を見直す必要があったんですね。特に知的障害の分野では授 産施設と更生施設とありますが、この二つにどんな区別があるのというぐらいにわけのわ からない状態になっております。これをですね、支援費制度前には間に合わなくて、矛盾 だらけの施設制度をそのまま残して支援費制度に移行してしまったわけです。国としては、 今後数年かけてこの見直しをしていきたいということで検討を始めておりまして、私たち は知的障害者福祉協会といいまして、全国の知的障害関係施設の全国組織なんですけれど も、そこでもそれを検討することになっておりまして、今後の議論を始める素案という形 で、政策委員会で案を既にことしの5月に発表しております。それはどういう案かといい ますと、とにかく今日本全国には10万人の入所施設があるわけですね。これが一挙にな くなるとか、半分にするとかといっても、それは無理な話でありますから、スウェーデン などを見ましても、ノーマライゼーションといっても、先ほど言いましたように、やっぱ り30年かけて段階的に縮小していったわけでありまして、やはりこれから20年、30 年かけて地域移行を進めるという、こういうことになろうかと思います。 それがもっとスムーズになるように、例えば入所施設の昼間と夜の機能を分けてしまう。 夜のいわゆる居住棟と言われるものは、これは居住施設ですと。昼間の作業棟を通所施設 にしてしまうということで、要するに昼と夜と一緒の実態で1カ月の支援費がぼんと出て いますけど、それをまず昼の支援費と夜の支援費に分けてしまう。例えば入所施設にいて、 その居住棟にいる人が昼間は地域の作業所に通うとか、昼間は就職するとかということを 可能にしようと。あるいはまた通所施設も、今のところ1カ月単位の利用ですけれども、 現に例えばけやきの杜なんかでやっているんですが、週のうち3日はこっちの施設に行っ て、あと2日はこっちに行くとか、こんなことが現に一つの法人の中ならやりくりできる んですが、それを支援費として日額単位にして、利用者が通所施設を複数使ったり、ある いはまた3日就職して2日は通所に通うとか、そういうような使い方でも可能なようにし ようというような大ざっぱな提案をしています。 36 実は、これは今後の議論のたたき台ということで提案したんですが、実際にこれを始め ようという県が今あらわれておりまして、滋賀県であります。滋賀県は、構造改革特区の 申請を、「選べる福祉サービス 滋賀特区」という名前で現在国に申請をしておりまして、 これは今言ったように入所の支援費を昼と夜とに分ける。昼も日額、夜も日額にして、例 えば入所施設の人が土日に家に帰る、家に帰ったら、入所施設の支援費はそこには出ない かわりに、家に帰った人は居宅支援のホームヘルプサービスを使えるようにしようという ことで今提案をしておりまして、何とかこれが通りそうな感じなのです。 施設関係者としては、そんなことしたら施設が運営できなくなっちゃうよと言って、悲 鳴が上がっているんですけど、私は、それは施設を運営している社会福祉法人が、けやき の杜と同じようにホームヘルプサービス等、地域支援を展開して、職員がそちらへ回って いけば、法人としては別に収入減になるわけではないので、反対をする必要はないんじゃ ないかという考えでおります。 恐らく、もうそろそろこれが認可されて動き出すと思いますので、そうしますと、これ はやはりこれからの施設のあり方を考えていく非常に大きなモデルケース、試験場という ことになりますので、注目をしていただけたらというふうに思っております。 (石渡) ありがとうございました。 滋賀は入所施設から始まって、今は地域の生活を支える様々な機能を社会福祉法人が担 い、施設サービスが大きく転換する先駆的な役割を果たしています。これからますます注 目したいと思いますし、ご存じのように高崎市にある国立コロニーのぞみの園もこの10 月から独立行政法人化しました。今、449人の方が暮らしていますが、この方たちの地 域での新しい暮らしをつくっていくことを、国としても打ち上げています。東京都として も都内にある施設をはじめ、支援を担う様々な機関がどう動いていくかが問われていると 思います。この2∼3年の社会状況に注目しつつ、自分たちの組織の機能や支援者として の役割を改めて考えていかなくてはならないと、今、柴田さんのお話を聞いて、つくづく 思いました。制度の変遷とも関わってくるかと思いますが、介護保険との関係についても、 柴田さん、お話ししたいことがあるとお聞きしているのですが、お話ししていただけます か。 (柴田) もともと介護保険が出発するときに障害者も一緒にという議論があったんです けれども、障害者団体からは、その当時は措置制度だったんですけど、介護保険はよくわ からないということで、反対あるいはちゅうちょという声が非常に強かった。国としては、 37 細川内閣のときに消費税という形で打ち出したんですが、これが国民の総スカンを食いま したので引っ込めて、やっぱり税金ではやれないということで、介護保険という、ドイツ に見習って新しい制度をつくって、これなら国民の理解は得られるだろうと。ただし、高 齢者の介護ということに限定をして出発したというのが介護保険ですね。これが3年後に 見直しという問題があるということが一つです。 それから障害者の問題で、これは私もこんなことになるのかと思ってがく然としている んですが、3年前に、平成12年度に知的障害者福祉法が改正されました。身体障害者福 祉法も全部そうなんですが。そこに法律で書いてあるんですけど、施設の支援費を市町村 が出しますよね、そのうち国は2分の1を負担をする、これが決まっています。都道府県 は4分の1、市町村が4分の1というふうに決まっているんですね。ところが、問題は居 宅支援です。ホームヘルプとかデイサービスですね。この居宅支援については、国は2分 の1を補助することができると書いてあるんです。つまり補助しなくてもよいということ なんですね、一方では。今まで補助してたんだから当然補助されるんだろうと思って、も う全然甘く見ていたんですけれども、ところが時代の流れは恐ろしいといいましょうか、 今、三位一体の地方分権の話が出てきておりまして、国としては、やはり国が行っている 現在の補助金を地方へ移すということで、それを財源つきで移してくれればいいわけです が、財源等の移管の話と、実際の補助金をカットする話がばらばらに進んでいるものです から、財源は移ってこないけど補助金だけは削られるというような変な形になりつつある わけです。特にことし、グループホームについては、国が予定した数よりもグループホー ムの利用申請が物すごく多く出ています。そこでグループホームに国がつけた予算が全然 足りないんですね。そこで国としては、2分の1を今まで補助してきたんだけれど、もう 国の財源はありませんと。したがって、これが今数字はわかりませんが、どうも2分の1 にならなくて、50%にならなくて40%だか、何かそんなことになりそうなんですね。 その分は出しますから、あとはもう都道府県でよろしくやってくださいという、どうもこ ういう動きに今なりそうなのです。こういうふうになってきますと、やはり国の補助金制 度という枠の中で、基本的に補助金は国はやめて、それを地方財源に回すという、この地 方分権化の流れの中でまさに居宅支援がどうなっていくのか、この財源がどうなっていく のかというのは、もう待ったなしの状況に現在来ています。 その中で、一方で宮城県の浅野知事等からは、介護保険を障害者に適用するという提案 がされています。介護保険というのは必要なサービスの全部を賄うわけではないですから、 38 例えば介護保険のホームヘルプというのは平均して1日4時間が上限なんですね。平均す ると、その程度の上限。障害者は4時間程度じゃとても足りない。全身性障害の方なども 足りない。足りない分は、後で支援費を上乗せすればいいので、ベースのところだけでも 介護保険を使えるようにしたらどうかという提案が出されたりして、現在、私たちの中で いろんな議論をしているところです。 そんなことがあって、これからの支援費制度、せっかく出発したのに、それで利用がい っぱい増えたのに、肝心の大もとの国の予算が縮小されているという、その大もとは構造 改革の根幹にかかわる地方分権の流れ、巨大な流れの中で巻き込まれているという、現在、 そういう状況にあります。 それを前提にして、この悩ましいというか、私論として現在の私の考えをここに書いて おいたんですけど、これが正しいかどうか、そう自信があるわけではありません。とりあ えず、でも、もう待ったなしになっているということだけは確かだろうというふうに思っ ております。 (石渡) ここだけは皆さんにお伝えしたいという点はございますか。 (柴田) 野口さんからもご意見をいただきたいんですが、現にこの支援費を使って自立 生活をされている方を抜きにして、そういう立場の方を抜きにして、この議論を進めるべ きではないというふうに思うんですね。現在、自立生活運動の人たちは介護保険に移るの は反対という立場をとっておられます。それは私から見て、とりあえず反対と、このまま 移ってはやばいということで、問題が余りにも多過ぎるということだと思うんですけども、 私は一つ一つ議論を詰めて解決していかなきゃいけない、いろいろな問題がありますから。 冒頭に支援費制度はすばらしいと申し上げましたけども、でも足りないところだらけでも あるんです。だから100点満点の制度ではない。100満点中50点ぐらいの制度なん ですね。そういうことを踏まえた上で、一つ一つの問題を解決しながら、その中に介護保 険と支援費の2階建て論というのが出てきている問題も含めて、議論をしなきゃいけない んじゃないかなというふうに思っています。 (石渡) ありがとうございました。では、野口さん、自立生活運動を担ってきた自立生 活センター協議会の立場も含めて、ご発言いただけますでしょうか。 (野口) 2005年の要するに介護保険と一緒にしていくという、かなり議論として根 強い議論があって、方向としてかなりそっちの勢力が強いんじゃないかなというふうには 思ってはいますけど、ただ、今の実際の介護保険の状況を見ると、今私たちが使っている 39 支援費と全然サービス内容が違う。これは障害を持った人たちというのは、自分のさっき ほどから言っている生き方なり人生なりという中で制度というものを活用していく。だか ら、介護保険にはないガイドヘルパーとか、社会参加的なサービスについて、そういう制 度自体がやっぱり重要な制度としてある。ただ、家の中にいても、要するに自分の生活の 質の問題ですよね。介護を切り売りして、あなたは例えば要介護3だから1日1時間の介 護型を出しますよという、そういうことでは生活できない。やっぱり24時間なり、また 24時間まで必要なければ1日8時間なりの介助、生活をつくっていくための介助という ものが要するに現実に今存在をして、そういうものを使いながら自分なりの自立生活とい うのをつくってきている現実があると思います。 それで、今、柴田さんが言われたように、介護保険をもととして障害者の支援費のサー ビスを2階建てというような構想もいろいろ言われる。ただ、それはつじつまが合うと思 うけど、実際にじゃあ今介護保険を使っている方々について、そういう生活の質とか社会 参加とか、そういうサービスが必要ないのかという、そういう問題じゃない。やっぱり高 齢になっても障害があっても、やっぱり一人の人生の生き方というものを要するにサポー トするためのサービスなわけで、ただ介護の部分だけを特殊に切り出して、この部分だけ をサポートしますよという制度というのはやっぱり間違っているというふうに思っていま す。じゃあ障害者はそれでいいから、高齢者はこれで我慢しなさいというわけにはいかな い。結論から言うと、今のところ例えばそういう議論がなされない段階で、やっぱり今の 介護保険の流れの中での障害者が必要になっていくというところというのは、私としては やっぱり反対をせざるを得ない立場としてはあると思います。これから、やっぱり介護と いうか、そういうものについてより深く考えていかないといけないんじゃないかというふ うには思っています。 (石渡) ありがとうございました。 今、野口さんもおっしゃっていましたが、介護というところだけに限ったサービスで高 齢者の生活も成り立つわけではありません。この介護保険との統合について、宮城県の浅 野知事たちが提案してきたときも、介護保険のあり方そのものから議論していくことが必 要だというようなことが強調されていました。私も財源の話だけではなくて、介護保険の サービスが高齢になった方の生活の質を高めるようなサービスになっていくことを視野に 入れつつ議論していくことが大事になってくると思います。 時計を見ると、残り時間があと10分ほどになってきていますが、介護保険との関連で、 40 ほかにぜひこのことをお話ししておきたいという方、大江さん、鷹野さん、何かございま すか。 (大江) 野口さんがおっしゃってくださったので、本当にそのとおりだと思います。 (石渡) ありがとうございました。それでは残り限られた時間になってきて、本当は会 場の皆さんからもご意見等をいただきたいところですが、申し訳ありません。パネリスト の皆さん、それぞれにこれからの支援費のあり方、障害がある人の地域の暮らしについて、 ぜひこのことを強調しておきたい、こういう展望が持てるような制度にしていきたいとい った視点で、一言ずつ発言をいただきたいと思います。最後に、渡邊さんに一言いただき たいと思います。 (大江) 支援費の制度がこの先どういうふうになっていくのか、本当に介護保険のこと とかいろんな財政のこととか聞くと胸が痛いです。私はたまたま、障害がある子供の親に なりました。でも、彼に満足しているんですね。それで、将来彼が自分で障害を持って生 きていくことに、今、彼はそれなりに納得もしているし、不満もなく、自分の体とか、そ ういうことを受け入れているようです。そして、この先も、例えばみんなが就職をどうし ようとか進学をどうしようといったとき、彼も彼の自分の体とか自分の生き方とかをちゃ んと考えながら、様々な制度を使いながら、納得した生き方ができるようにと本当に思っ ています。だから、通学とか社会参加のためというか、すべてのそういうことが、彼の生 き方を支え切れたらどんなにいいだろうと思いながらいます。午前中のお話にあったよう に、もしかしたら彼も援助があればちゃんと税金を払えるような人になるだろうし、私は そうなってほしいと思っています。間違ったこともいっぱいするかもしれないけど、この 先も息子と一緒に一生懸命やっていこうと思っています。何かそんなしっかりした制度に なってくれたらなと、本当に思っています。(拍手) (石渡) ありがとうございました。 朝、この会場に来てすぐに、今の崚太君の、中学校の制服を着ている写真を見せていた だきました。本当にたくましくなっていて、ぜひ、この後も崚太君の生き方を貫けるよう な支援のシステムをつくっていけたらと願わずにはいられません。 では、野口さんのお立場で。 (野口) 先日、柴田さんが今までいたけやきの杜の方とちょっとお話をしていたら、も うけやきの杜はこれ以上グループホームをつくる必要はないんじゃないか、これからはひ とり暮らしとか、そういうときじゃないかなというふうなことを言われていて、東京都の 41 緊急3カ年計画でも、ただ施設からグループホームへ移行すればいいということじゃなく て、やっぱり地域生活のあり方、特に知的の方の可能性というのはとても大きいんだと思 うんですね。今までは要するに全然世界をこちら側から閉ざしていて、本人に何も情報提 供とかいろんなものを提供できなかった。やっぱりそれが社会参加とかガイドヘルプとか、 そういういろんなサービスがふえて、本人に対して選択やいろんな情報が提供できて、生 活の質、そういうものをつくれる本当に彼らだと思います。だから、これからの地域で要 するに生活のあり方というのは、例えば施設はなくしてグループホームという、ただ形を 変えるんじゃなくて、やっぱりそういう生活のあり方というものを変えていくんだという、 気持ちとして思っています。 それと、柴田さんの滋賀特区、支援費の特区の話は非常におもしろいと。やっぱり財源 が今の経済状況でないというのがどこでも同じだと思うんですね。それはないことを前提 としてでもやりようはあるんじゃないかなと。お金の使い方とか単価の問題とか、柴田さ んのところでも2年間200万赤字を出しながらも、やっぱりやり続けてつくれたものが あるわけで、やっぱりお金の使い方とかマンパワーとか、地域の中でやればできるんじゃ ないかというふうに思って私は思って期待をしています。そして、今のような経済状況が 続くわけじゃなくて、きっと景気のよくなる、もっとお金が使えるときも来ると思います ので、私たちはやっぱりそういう意味でも地域の中で頑張っていく時代だというふうに思 っています。 どうもありがとうございました。(拍手) (石渡) ありがとうございました。 本当にそういう地域の暮らしを障害のある方が広げていくと、また私たちの立場でも新 しい発想が生まれます。地域で暮らし続けることが障害のある方の力をつけていくし、私 たちにもいろいろな可能性を広げてくれると思います。 それでは、鷹野さん。 (鷹野) 障害者福祉センターに在職して4年目になるんですね。その前は高齢の介護保 険の関係のお年寄り保健福祉センターに5年いまして、その違いを時代とともに感じてい るんですが、交通バリア法ができまして、交通機関にエレベーターができたりエスカレー ターができたり、町に出られるようになったということは、すばらしいことだなと思いま す。それで、心のバリアフリーも大事だと思いますので、あとは施設のバリアフリー、い ろんなことを気づいたら、私もいつかはどこかがぐあいが悪くなるときがありますので、 42 気づいたときには関係機関にお話をするようにしてきていますので、皆さんも、障害にな った方も自分との距離を余り持たないで、一緒のレベルになって声を出せるところがあっ たら出していければなと私は思っています。 きょうはいろいろと感じた点をお話しした点が多々ありますので、また何かご質問があ る場合は板橋区の障害者福祉センターまでお電話いただければ、わかる範囲で答えていき たいと思いますので、よろしくお願いします。(拍手) (石渡) ありがとうございました。 先ほど鷹野さんのお話の中で、精神障害をお持ちの方が、やはり地域の方を変えていく ということが出ていました。心のバリアフリーということについても考えていかなければ ならないし、障害があるご本人たちの役割は大きいとつくづく思いました。 では、柴田さん、お願いいたします。 (柴田) きょう、ここには公務員の方と民間の立場の方と両方いらっしゃると思います ね。民間の方にお願いしたいのは、こういう制度がいろいろあるけど、制度は必ずすき間 だらけなんですね。ホームヘルプだって、使えないものはいっぱいあります。そこは例え ば会員制の有料サービスをつくったり、ボランティアを組織したり、そういうことが不可 欠でありまして、例えばヘルパーが運転できない、運転できないから車を使ったヘルパー は使えないということになりますから、そうすると例えば運転している間だけはヘルパー じゃなくて有料制の会員サービスでやって、現地についたら、今度はその運転手がヘルパ ーになって付き添えばどこにでも行けるわけでありますから、そういう柔軟な仕組みを、 ホームヘルプだけで単体で使おうと思うと非常に使いにくいんですけども、有料サービス とか、あるいはボランティアとかを組み合わせますと、かなりこのホームヘルプというの はまだまだ使いやすくなるのです。そういうあたりで、民間の方の創意工夫をもっと発揮 していただきたいと思います。 それから公務員の方は、一つは支援費の支給担当をなさっている方も多いと思います。 今、お話にありましたように、市町村によって本当に今考え方が違うのです。積極的にこ の支援費制度に取り組んで、予算を積極的に獲得したところは、かなり柔軟に支援費の支 給をできていますが、おくれたところは予算がないものですから、ついつい窓口で嫌みを 言ったりして障害者の人を泣かせているというようなことになっていると思います。やは りぜひとも前向きに、一人一人の状態に合わせてこの支援費制度が使えるような、そうい う熱意を持って予算の獲得等に努めていただけたらと思います。 43 それから通所施設など、現場にいらっしゃる公務員の方も多いと思います。実は、そう いう方は障害者支援のプロなわけですよね。公務員ではあるんですが、先ほど例えば希望 園の例を言いましたように、民間では通所施設の職員がホームヘルプをやったりグループ ホームへ働きに行ったりということは可能なんですれど、公務員ではそれはできないと思 いますね。ところが、できる方法があるのです。これは川口市でもう10数年前から市立 通所施設の公務員である職員がショートステイの泊まり込みをやっている。親の会がやっ ている、ショートステイの泊まり込みをやっているんです。どうやってやっているかとい うと、職員が市長に対して兼職願を出す。市長が兼職許可を与える。それでやっているわ けですね。公務員は兼職をしてはいけませんが、区長や市長が許可をすればできるのです。 東京都の特徴としては、公務員の施設が大変多い、公務員で力量を持った人が大変多いと いう特徴がありますので、その公務員の人たちが地域で力を発揮できるような仕組みを考 えていく必要があるなと思います。兼職許可をこれからどんどん広げていっていただきた い。都内では余りまだ聞いてはいませんが、これは検討すれば法的に違法でもないし、や りたくない人はやらなくていいんですが、やりたい人は実は公務員でもたくさんいるんで すよね。私もたくさん知っています。そういう人たちが力を発揮できるような仕組みを、 もし幹部の方がいらっしゃれば、課長さんとか管理職の方は、その辺も含めてどうぞ検討 していただきたいというふうに思います。 以上です。(拍手) (石渡) なるほど、公務員は市長に兼職願を出すという手があったのですね。ありがと うございました。 では、パネリストの皆さんのいろいろな声も聞いたところで、渡邊さん、お願いいたし ます。 (渡邊) 柴田さんからそういうお話もありましたけれども、意見は別として、柴田さん の取り組み自体はいろんなところで伺ったり、お話を何度も聞くことがありまして、民間 法人のトップを走っているということで、大変評価させていただいているということをお 断り申し上げて、ご意見はあるでしょうけれども、私としては、きょうは最後にこういう ことを言いたいというふうに考えております。 小倉理事長の方からもお話があったように、福祉行政というか、支援費も資本主義経済 の上に成り立っているということですね。GNPの上に成り立っているということで、支 援費自体をふやそうとしても、現在の日本の状況の中では、これを画期的にふやす打ち出 44 の小づちというのは現在の制度の中ではないというふうに考えております。区市町村の皆 様におかれましては、東京都の入所施設改革のようにとまで申し上げるつもりはございま せんけれども、福祉分野での自助努力をぜひなさっていただきたいというふうに考えてお ります。これは何も例がなくてこういうことを申し上げているのではなくて、いろいろな 独自の取り組みの中で、不要不急というものについて、その必要性を見直して、財源を確 保することによって、支援費の特にホームヘルプについて必要な支給量について決定して いるところがあるというふうに聞いております。区市町村の皆様には、ぜひ自助努力をお 願いしたいというふうに考えております。 また、野口さんの方からもご意見はあるでしょうけれども、利用者の皆様方には安定し た財源の確保の道についてぜひ早急に議論を進めていただきたいと。東京都も介護保険制 度の見直しに向けた東京都からの提案ということで、試案を公表させていただきまして、 パブリックコメントを今いただいているところですけれども、ぜひ、当事者の皆さんにも 安定した財源の確保について議論を進めていただきたいというふうに考えております。 以上でございます。 (石渡) ありがとうございました。 きょうは、午前中にヤマト福祉財団の小倉理事長からお話をいただきました。小倉さん が強調されていた「福祉と経営の融合」という言葉、この言葉は私たちにいろいろな投げ かけをしてくれたと思います。 今、渡邊さんもおっしゃったように、資本主義経済の上に成り立っているこの社会の中 で、障害がある方が当たり前の市民としての生活を築いていくということ、そこのところ を最優先する、そういう地域であってほしいと、つくづく思います。そのために、きょう、 小倉理事長、それからパネリストの皆さんがおっしゃってくださったこと、行政としての 渡邊さんのコメントも含めて、いろいろなことを考えさせられました。私たちが、障害の ある一人一人の方の生活と向き合う中で、新しい発想を、それこそ従来の福祉にはなかっ た視点で支援を展開していくことが求められています。きょうは午前中から午後のこのシ ンポジウムまで、私はいろいろなヒントをいただけたと思います。私は、私の立場でその ヒントを何か形にしていきたいと思いますけれども、ぜひ皆さん、いろいろな立場の方の 集まりですので、ぜひ形にしていく、現実に障害のある方に返していくためにどうしたら いいかということを、これから本気になって考え、実践していかなくてはならないと思い ます。小倉理事長も最後に「実践を。動いてください」ということをおっしゃっていまし 45 た。動かなかったら何も変わりませんし、障害のある方の地域生活も実現しません。その ことを肝に銘じ、これからの私たちの実践を通して、支援費制度を利用者本位のサービス システムにしていかなければならないと思います。きょうは、本当にありがとうございま した。 改めて4人のパネリストの皆さん、それからコメンテーターをしてくださった渡邊さ んに拍手をお願いします。(拍手) ご静聴、ありがとうございました。 (司会) 3時間にわたりまして、パネリスト、コーディネーター、コメンテーターの皆 さん、どうもありがとうございました。 46