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ケニアにおける土地制度改革の法社会学的分析(一)

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ケニアにおける土地制度改革の法社会学的分析(一)
ケニアにおける土地制度改革の法社会学的分析(一)
──登記土地法の成立過程を中心に──
平 田 真 太 郎
Ⅰ.はじめに
示唆を得ることができるのではないかと考えら
れる.そうとはいえ,本稿が扱うのは,ケニア
特定地域や特定階層に属する人々がおかれて
の大きな社会変化のなかに位置する土地制度の
いる生存条件の危機的状況は,そこから派生す
変化の一部にすぎない.土地制度改革によって
る 諸問題 と と も に,地球規模 か つ 人類全体 の
対応しようとされている課題は多岐に渡ってお
課題となっている.そして,このような課題へ
り,ここで,そのすべてを取り上げることはで
の取り組みにおいて法制度がいかなる独自の貢
きないことを予めお断りしておく.
献をなしうるか,あるいは問題の原因となって
以下では,土地制度のうち土地所有に関する
いないかどうかに関する実証研究が求められて
法的ルールを中心に分析を進める.これまでの
いる1).ここで重要なことは,それぞれの問題
アフリカ土地法研究では,共同体的所有形態と
が,経済,法,政治行政,家族,自然環境など
個人的所有形態との区別,前者から後者への置
といった,それ自体自立的である諸システムに
換的発展パターンなど,そのような理解の仕方
よって複合的に生み出されていること,逆に特
の是非を含めて議論がなされてきた 2).しかし,
定の問題への対応もまた諸システムごとに,か
既存の研究は所有権の経済的機能に集中しすぎ
つそれらが相関的になされなければならないと
ており,その他の機能にまで配慮した分析がな
の認識であろう.そうであるとすれば,このよ
されているとは言い難い.社会における所有権
うなシステムの一つである法システムがなしう
の機能を広く理解することで,土地制度改革が
る固有の役割ないし貢献,および他システムと
有する射程についてもより広く検討の対象とす
の相関性を問題にすることには意義があると思
ることができれば,土地制度改革を経済政策の
われる.
一環としての位置づけから解き,より広い社会
本稿 は,こ の よ う な 関心 を 背景 に お い て,
変化のなかに位置づけて理解することが可能に
1950 年代末からケニアにおいて実施された土
なる.また,既存研究においては,次の二つの
地制度改革について法社会学的に分析し,土地
区別が混同されていることが多かった.それは,
所有に関するルールの転換に伴ういくつかの問
土地所有の形態に関する区別(共同体所有/私
題点を明らかにすることが目的である.ケニア
的所有)と,法形式 の 区別(慣習法/実定法)
は,土地制度の「近代化」をアフリカ諸国のな
との区別である.両者は相関しているとはいえ,
かでも先進的に実施した経験を有しており,そ
それぞれの展開論理を異にしているのであり,
の経験を歴史的・社会的背景のもとで分析する
明確に区別して分析する必要がある.
ことから,アフリカ諸国の土地制度改革過程に
本稿がケニアを取り上げる理由も,この二つ
おいて生じうる諸問題に関して,なんらかの
の区別ごとに提示できる.所有形態に関連する
34
(540)
横浜国際社会科学研究 第 11 巻第 4・5 号(2007年 1 月)
理由は,ケニアがアフリカ諸国のなかでも早く
から,かつ最も徹底したやり方で土地制度改革
Ⅱ.近代法における土地所有権
を推し進めてきた点にある3).土地制度改革と
上述した二つの分析視点は,先行研究から導
は,概括的に言えば,慣習法に基づいて保有さ
出された一応のものにすぎず,以下で詳述して
れていた土地に対して,諸権利の確定およびそ
いく必要があるが,この二つの視点が広く社会
の登記を行い,登記された土地の所有者に絶対
構造類型への対応を意識したものである点を予
的所有権 4)(absolute ownership)を 認 め る 一
め論述し,分析視点をより具体化しておきたい.
連の過程を意味する.本稿で論じるように,こ
これにより,本稿がいかなる枠組でケニアにお
れは社会変容により生じた諸問題に対応するも
ける土地制度改革を観察するかが特定される.
のであったと言えるが,いかなる社会変容への
ニ ク ラ ス・ルーマ ン は,近代社会 を 機能的
対応としてどのような制度が構築されたか,そ
に分化した社会であると捉えた.この諸機能シ
していかなる帰結を伴ったかを問うことが,第
ステムに分化した多文脈社会(poly-contextual
一の分析視点である.
society)と い う 見方 5)は,社会 を 二分的 に み
法形式に関連する理由は,ケニア社会におけ
る見方(家族や共同体に代表される「内と外」,
る植民地化の影響に関係している.現在のケニ
あるいは貴族と庶民,国家と社会といった「上
アにあたる領域は,植民地化以前は,主として
と下」など)から区別され,これらを支えてい
血縁に基づく自立的な共同体を単位とした社会
た社会構造(環節分化および階層分化)からの
であった.植民地化は,それら諸共同体を超え
構造転換を指摘するものである.かかる観点か
る上位権力の概念と制度とを初めて導入した点
らみれば,環節分化,階層分化,機能分化とい
に特徴があり,これは社会規範ないし慣習法中
う順に支配的な社会構造の変遷を経てきた西欧
心の法システムを構造から変容させる影響を有
社会と比較して,ケニア社会では,共同体を中
していた.すなわち,実定法という近代的法制
心とする伝統的社会の内/外区別と,植民地国
度が導入され,伝統的な規範の形式を変容させ
家における上/下区別とが同時に成立していた
たと考えられるのである(慣習法の実定法化)
.
点に特徴が認められる6).また土地制度改革は,
このような法形式上の変化により,慣習法にお
かかる社会構造から近代的な社会構造への転換
いて認められていた土地における諸権利が実定
に関係していると推測される.ケニアにおける
法の対象とされるようになったが,実定法にお
土地所有制度の変遷を論じる際には,このよう
ける慣習法の取扱い方においても植民地化の影
な所有権構成に反映された社会構造の基本的原
響は甚大であった.これが,本稿の第二の分析
理の相違に注目したい.
視点である.
そこで,まず本章では,いくぶん図式的にで
以上の二つの視点を軸として,ケニアにおけ
はあるが,機能分化として特徴づけられる近代
る土地制度改革を分析していく.以下では,ま
社会構造とそこにおける所有権構成とを,ルー
ず近代的な土地所有権について社会構造との関
マンの分析に依拠してまとめてみたい.その際
連で考察し,ケニアにおける土地所有権を分析
に,所有権の概念史を辿るのではなく,所有権
する枠組を提示する(Ⅱ)
.次に,土地制度改
が社会において果たしている機能に注目し,そ
革以前の,
慣習法における土地保有形態
(Ⅲ)
[以
の観点から近代的所有権の性質を明らかにする
上,本号]
,および実定法におけるアフリカ人
ことを試みる.ここでは,所有権が存在するこ
の土地に関する権利の扱い(Ⅳ)を分析し,土
とで初めて解決される問題に注目し,所有権に
地制度改革がそれぞれにおいていかなる変化を
固有の機能を提示することが目的である.ひと
もたらしたかについて分析する(Ⅴ)
[次号]
.
まず近代的な所有権を,「物の全面的な支配権
ケニアにおける土地制度改革の法社会学的分析(一)(平田)
(541)
35
能が,個人に固有的に帰属すること」として論
い」のであり,その意味で,力が法=正義(ius)
述を進める7).
を直接に表出している10).
この「自然状態」における実力と法との未分
1.法と実力の分化:所有の保護
化から離脱するには,実力によるのではない予
機能システムの一つである法システム(実
期確保の基盤が必要である.そのためには,な
定法)が果たしている固有の機能とは何だろう
によりも,自己の法=正義を実現するために実
か.ルーマ ン は,
「規範的予期 を 規範的/認知
力を使用することが不法として否定され,それ
8)
的に予期すること」だとする .規範的予期と
によって法と実力とが分離されなければならな
は,随時生じている予期外れによって動揺した
い.この意味で,事実としての占有を保護する
予期を事実に抗して固持することであるが,こ
権利である占有権は,被侵奪者が,たとえ不法
の予期 を あ く ま で固持するか(規範的予期)
,
侵奪者に対してであっても,自己の権利を実力
それとも予期のほうを変更し事実に適合させる
によって回復する可能性を制限し,それによっ
か(認知的予期)について決定することが法の
て法と実力とを分離するという効果を有してい
役割である.このように規範を反省的に扱うこ
ると考えられる11).
とによって,どの規範は保持されるべきか,ど
法の目的とは,他人による制約と暴力とか
の規範は取り替えられるべきかが選択できるよ
ら万人が自由である客観的状態を構築するこ
うになる.また,この選択過程も再び法の対象
と で あ り12),こ れ は 所有=自己 に 固有 の も の
とすることができる.このような性質を有する
(Property)を保護することによって実現され
実定法は,予期の制御によって,不確実な未来
ると論じられる場合には,第一に法と実力との
やコンフリクト状況に直面しても確実にコミュ
分化が背景におかれていると解される13).ホッ
ニケーションを継続していくことを可能にする
ブスの自然権,ロックの所有権は,自己に固有
機能を果たしているとされる.
的に帰属するもの 14)を他人の暴力から保護する
しかし,規範的予期の固持は,法だけが実現
ことで自己保存を実現するためにあるが,この
しうるものではなく,実力の行使によっても実
目的を当事者の実力行使により実現しようとす
9)
現されうる .例えば,所有物が侵奪された場
ると万人の万人に対する闘争ないし戦争状態へ
合を考えてみよう.被侵奪者が所有物に対して
と至る.それゆえ,自然権ないし所有権の保護
もつ「私のものである」という予期は,自力で
のために,自然法(ホッブス)ないし市民政府
それを取り戻すことによっても満たされる.し
(ロック)が必要であると論じられた 15).ここ
かし,
「私のもの」という予期が実力によって
には,所有権の秩序創設機能,
すなわち所有(現
し か守られなければ,
「私のもの」を奪い返し
代の基本権にあたる)の侵害/保護の区別が,
たとたん,今度は相手も同様に実力を行使して
無秩序/秩序の区別に対応するとの見解が見出
奪い返そうとするだろう.このように力の応酬
される.最終的に相手方の死にまで至る実力行
がなされる状況では,所有の保護自体が不安定
使は,コミュニケーションの一方当事者の消滅
となる.さらにここからは,
「奪ったものは私
を意味するものであり,その分だけ社会を構成
のものになる」という別の予期が発生するだろ
する固有な人間が消滅することになる16).所有
う.かかる状況では,被侵奪者の予期と侵奪者
の法的保護は,まずもって,具体的・個別的な
の予期のどちらが正しいかを予期のレベルで決
人間全員の物理的および精神的存在を国家およ
定しようとする動機は生まれないし,したがっ
び他人の実力行使から保護することにより,無
て予期を制御しようとする特別な審級の成立
秩序を事前に回避することを可能ならしめるも
する余地もない.ここでは,
「勝った者が正し
のであると解される.物権的請求権,損害賠償
36
(542)
横浜国際社会科学研究 第 11 巻第 4・5 号(2007年 1 月)
請求権等により所有物ないしその等価物を回復
である20).平等な権利能力を備える人格という
することは,実際には事後的な救済であるとは
概念は,その人のもつ実力の質や量が概念構成
いえ,かかる事後的救済の存在によって無秩序
に現れていない点で,純粋に法的な概念である
が回避されるという事前的な効果を有している
と言えよう.このようにして,近代国家の内部
点に意義がある.以上から,所有権の第一の機
においては実力と法とが分離しえたが,国家の
能は,自己に固有のもの(身体および外界物)
外部との関係(国際法の領域)においては,必
を他人の侵害から保護することで,社会そのも
ずしも実力から独立して法規範が発展している
のを成立せしめる点にあると考えられる.
とは言い切れないのが現状である.
けれども,当事者間での実力行使の否定は,
実力そのものの無化を意味しない.現実的に所
2 .権原概念の機能:所有権の帰属側面
有を保護する可能性が実力によって担保されて
当事者から国家への実力の移転は,当事者に
いなければならないからである.実力が領主の
とっては,自己の取りうる手段の転換を意味し
手にあった中世封建制においては,封臣は奉仕
て い る.す な わ ち,紛争場面 に お い て,当事
義務と引き換えに土地保有を認められたが,そ
者は直接武器を手にすることができず,互いに
れには領主の保護義務が対応していた.
これは,
説明を求められ,したがってさらなるコミュニ
いまだ軍事力が領主間に分散され,必要とあら
ケーションの継続が要請されるようになったの
ば実力行使による問題解決が可能であった状況
である.ただし,このコミュニケーションが平
において,土地保有を確実にするための制度で
和的に進行する確証はなく,いつでも実力行使
あったと考えられる.このようにして,領主の
へと転化しうる危険を孕んでいるのであって,
実力による土地保有の安全性(security)を手
そ こ か ら,こ の コ ミュニ ケーション 過程 を い
に入れることの見返りに,人は自らの自立を放
かに制御すべきかが法制度の新たな課題となっ
棄し従属関係に入ることを選んだ 17).これに伴
た.
い法的関係も,所有権(ownership)ではなく,
財産法においては,自力で物の支配状態(占
保有権(tenure)という垂直的身分秩序を背景
有)を保護している限り,権原 21)(title)とい
に理解された18).領主と封臣との権力関係から
う法的概念は必要にならない.しかし,所有物
構成される身分秩序を支えていた理由は,自己
の移転だけでなく保護に関しても,実力から分
に固有のものの安全を現実に享受するという必
離して裁判制度による問題解決が求められる
要性であったと考えられる19).
と,当事者にとっては自己の所有が正当である
以上に対して,近代では,原則として国家だ
ことを説明する必要が生まれる.しかしなが
けが実力を合法的に行使できる.これは,物理
ら,自らが一定の土地を占有してきたという事
的暴力の使用に関する決定の集権化によって可
実,および占有へ至った原因が正当であること
能となった.近代国家による実力使用の集権化
について理由を挙げて立証する場合,この立証
は,市場経済の発展および自然法思想の影響と
責任が所有物返還請求を提起する原告側にある
相俟って,平等な権利能力を備える法人格の制
と,その者が「無限に続く承継取得過程の証明
度が現実的に成立するための前提条件であると
の論理的な不能性及び実際上の困難性の故に,
解される.なぜなら,実力の集権化によって,
必ずや敗訴する22)」という,いわゆる悪魔の証
コミュニケーションは当事者による実力行使の
明問題が発生する.さらに,土地境界や占有へ
可能性に伴う極度の緊張状態ないしリスクか
至った原因等について,それらに関して無知の
ら解放され,これに伴い当事者間の関係を規定
第三者である裁判官を説得しうる客観的証拠の
する要因としての実力の要素が後退しうるから
提示が紛争解決には要請される.この状況で,
ケニアにおける土地制度改革の法社会学的分析(一)(平田)
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37
いかなる行為または出来事が存在すれば,ある
ている27).
物が特定人に正当に帰属すると言えるかを,権
所有権の帰属面における近代性は,特定人へ
原という概念のもとで予め法定しておくこと
ある物が帰属することの社会的承認と,その承
は,権原の有無により,物と人格との結合を他
認から帰結する社会関係の変容に関係してい
人に対して明示的に確定する機能を果たすこと
る.帰属の態様は,ある物が同じ仕方では他人
になる.かかる物および権利の明確性がなく,
に帰属しないよう自己に帰属する絶対的帰属
かつ立証責任が原告に課せられているならば,
(私的所有)や,自己に帰属するのと同じ仕方
所有物を侵奪された者は返還請求訴訟において
で他人にも帰属する共同所有,自己と他人との
勝訴する見込みが薄くなる.その結果,裁判に
同じ利益のために第三者(団体)に帰属する総
依拠するインセンティブが失われてしまうと言
有とその一類型である公有(公共団体)などが
え,法による紛争解決は不可能になってしまう
考えられるが,このうち近代社会にとって重要
23)
であろう .物の帰属を確定するという権原の
なのは,絶対的帰属である.なぜなら,物が人
機能によって,
「法は,裁判上の方法によって,
格に対して絶対的に帰属することが社会的に承
それのみによって貫徹されるべき」
ものとなり,
認されることで,人間の社会的地位や性格,さ
「こうして初めて,法律上の権限が,権利保有
者自身の強さや闘争能力から独立するに至る」
24)
らには本人の強さとは無関係に人格の平等性が
確立されるからである28).ここで所有権が担っ
のである .
ている機能は,物自体の保護ではなく,それを
さらに,権原による帰属関係の明確化は,裁
通した個人の固有性の保護とその平等性の承認
判による紛争解決を可能にするという法システ
である.
ム上の意義だけでなく,相続や取引による財
個人の固有性の承認とは,個人が社会秩序の
産の移転を可能にするという経済システム上の
準拠点に置かれたことを意味している.すなわ
意義も有している.ルーマンによれば,経済シ
ち,前近代社会は,特定の家族または身分自体
ステムとは貨幣を媒体とした交換コミュニケー
が社会秩序の準拠点とされており,人間はこれ
ションであるが,交換の客体が誰に帰属してい
らの社会的役割と一体化して理解された.それ
るかを確定することなくしては交換そのものが
とは対照的に,近代社会は,政治,経済,家族
不可能である.この意味で,誰が所有者である
など諸機能システムに分化しており,それらシ
かを明確に定義することは,経済システムが成
ステムごとに多様である社会的役割ではなく,
り立つために不可欠の前提条件である25).
それら役割を担う人間の側が社会秩序の準拠点
イギリス法における帰属判断の特徴は,占有
とされ,それが個人という概念で捉えられたの
の事実が決定的である点に求められる.
占有は,
だと考えられる.近代社会における個人は,機
物が誰に帰属しているかを公示するという機能
能分化した諸システムのすべてに参加できなけ
を果たしていると同時に,返還請求権をはじめ
ればならない主体であり,近代的所有権はかか
とする権利を生み出す基盤でもある.したがっ
る個人の存在を支える制度の一つとして機能し
て,
「現実の占有なき場合はつねに,権原は完
ていると解される29).
全によいもの(completely good)ではありえ
所有権 の 法的構成 が,法律上平等 な 人格 を
26)
.これに対して,不動産権の変動が生
ない 」
成立させえた事実は,逆に言えば所有権の法
じた場合には,この権利変動を記録する必要や
的構成いかんによって人間の社会的実在が変
公示する必要が生まれる.かつては,居合わせ
化しうる点を示唆してもいる.実定法という
る人々の記憶と儀式がかかる必要を満たしてい
法形式は,「全体社会の構造を自己の観点から
たが,現代では権原証書や登記制度が利用され
考慮しうる30)」ものであるが,これは自己の
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観点に基づいて規範を制御できることを意味
間が固定されていない自由土地保有権とそれ以
する.本稿は,慣習法が実定法に組み込まれ
外のものに分けられる.自由土地保有権は,さ
た結果,ア フ リ カ人の所有権が実定法上否定
らに相続可能なものと不可能なものに分けられ
されたという事実を取り上げるなかで,この
る.相続可能なものは,承継人が存続する限り
問題を扱う(後述,Ⅳ).また,この事実が示
相続 さ れ る 単純不動産権(in fee simple)と,
唆するように,所有権は,現実の占有ないし
相続人を被相続人の直系卑属に限定する限嗣不
利用から乖離して帰属を判断する可能性を開
動産権に分かれ,他方,相続不可能なものは自
く点にも注意が必要である.
己または他人の生存期間に限って占有できるも
のがある.占有期間が確定されているものは,
3.所有権の物支配側面
定期不動産賃借権(leasehold)で あ り,期間
最後に,所有権の物支配側面についてみてい
の終了により所有権者へ復帰する.このように,
く.人が物を現実に支配(利用・収益・処分)
誰にどの程度の期間利用が許されるかを自己の
するということは,法律の規定や規範の指示
意思に基づいて設定できることは所有者の権限
を待つまでもなくなしうることであるが,この
である(管理する権利).制限が消滅した場合は,
支配を確実ならしめると同時に社会の要請に沿
所有者の支配権は元に戻る(所有権の弾力性).
うよう規制を加えることで,両者の均衡を図る
これらに加え,所有物を自分で利用する権利
ことが実定法の課題であると要約できよう.こ
や所有物からの収益への権利といった,物の利
の側面における所有権の機能は,人が物を支配
益を享受する権利がある.さらに物の処分権(資
し,その利益を享受することを確実にすると同
本への権利)として,譲渡の権限や担保権設定
時に,この利益を他人の利益および公共の利益
の権限,さらに物の浪費や破壊(土地を除く)
31)
との間で調整することである .まずは,いか
がある.また,物それ自体が没収されないとい
なる支配権限が所有権者に認められているかに
う安全への権利には,例外として,正当な補償
ついて,オノレの分析
32)
によりながら,分類
を伴う公用収用,あるいは緊急避難の場合にお
し提示していこう.
ける物の破壊がある.強制執行における責任財
第一に,占有する権利(right of possession)
産となることも所有権の性質である.最後に,
がある.これは,物を排他的に支配し,その排
所有権者の義務として,有害な利用および加害
他的支配を継続する権利である.これに対応し
行為を防止するという義務が挙げられる34).
て,何人も他人の所有権を侵害することは許
では,所有権の支配側面における近代的性質
されず,支配の安全が確保される.イギリス法
はどこに求められるだろうか.それは,所有権
では,かかる権利は占有に付随する.したがっ
者の自由意思に関係していると思われる.近代
て,現存占有を侵奪されたという事実だけで占
的所有権は,所有権者の自由が徐々に解き放た
有回復の訴えを提起できる.被侵奪者には訴権
れていく中世までの過程とは反対に,原則的に
だけが残される一方,処分権を含む他のすべて
無制約な所有権を一旦確立した後に,それを制
の支配権限は侵奪者に移転する.さらに,不動
限するという法律構成を採っている.このよう
産権譲渡を完了させるには占有の移転が要件で
な原則と例外との逆転した法律構成は,広く社
ある.
会構造一般の転換と結びついている.ここでは
イギリス法において,このような占有する権
個人の自由意思を,法的に構成されたそれでは
利の範囲を表す概念が不動産権(estate)であ
なく,個人の意識そのものの自由として理解す
る33).不動産権は,時系列,および先述した人
る.そうすると,近代社会では,個人の意識を
数によって区分される.時系列上,占有存続期
他人が予想できる,ましてや制御できるとはも
ケニアにおける土地制度改革の法社会学的分析(一)(平田)
(545)
39
はや想定されえず,むしろ各人の自由な意識を
問題にならないといったように,法律構成を規
前提としたうえでルールが形成されている.一
定してもいる.
般的には,他人もまた自己と同じ自由な主体で
以上述べてきたように,所有権は三つの機能
あることが否定できない事実として承認されて
側面からなり,それぞれにおいて異なった近代
いるのである.かかる近代社会構造の法におけ
性を有していると理解できる.以下では,慣習
35)
る反映が,所有権者の自由だと考えられる .
法における土地所有権および実定法におけるア
しかしながら,所有権者の自由は,これまで
フリカ人の土地所有権をそれぞれ特徴づけ,土
一度も絶対的なものではなかった.土地所有権
地制度改革によるそれらの変容を分析していく
に関 し て 言 え ば,利用権の強化(賃借権につ
が,そこでは所有権が上の三側面を有すること
き,イギリス法上は,貸主の復帰権を除く不動
に注意し,多面的にアプローチしていく.
産権を借主は取得する)や,信託法理(受託者
は,受益者の利益になるよう物を管理処分する
責任を負う)の発展,さらには公共の利益を保
Ⅲ.ケニアの植民地化と慣習法における土地保
有形態
護するための公法的制限がある.かかる制限が
1.ケニア植民地の法的構造
必要となるのは,個人による独占的で無制限な
先述したように,植民地支配は,現在のケニ
物支配が,コミュニケーションの存続を危機に
アにあたる領域に対して国家という上位権力を
陥れうるからである.これに加え,ただコミュ
初めて成立させた点に特徴がある.法システム
ニケーションを継続するだけでなく,そこには
にとっての意義は,慣習法を対象とする実定法
正義や利害調整も求められる.いずれにせよ,
制度(司法制度および立法制度)が導入され,
現代では,重要なのはコミュニケーションを継
その結果,移植されたイギリス法とアフリカ慣
続していくことであって,そこでは所有権者の
習法とが複雑な関係に立つことになった点にあ
自由が阻害要因となる場合もあるとみなされる
る.かかる慣習法と実定法の関係を差異や対立
ようになっており,その際には,他人の利益お
面だけから捉えるのでは不十分であり,むしろ
よび公共の利益との調和の観点から所有権者の
両者の差異の統一体として法システムが存在し
自由が制限される事態も当然ありうると解され
たと理解する必要がある.なぜなら,慣習法は
ている.
実定法に組み込まれ,両者の複合体が法として
さらに所有者の物支配に対する制約は,法に
機能している一方で,実定法は慣習法の自律的
よる制約だけではない.とりわけ,経済システ
展開を許容してもいたからである37).本節では,
ムに対する所有者の参加の仕方に伴う現実の制
植民地法体系の一般的規定から,この点を考察
約が現代社会においては重要である.
すなわち,
していく38).
所有者は「自己の経済に対する依存が持続し,
ケニア植民地の形成は,1885 年のベルリン
それに応じたリスクに耐えうる限りにおいて,
一般協定 に 基 づ き,当初 は イ ン ド 洋沿岸部 に
.諸個人の経済的必要の充足が,
自由である36)」
限定して進められた.イギリスは,1887 年に
主として,各人が所有する物を交換するという
設立された英国東アフリカ団体(British East
コミュニケーション(経済システム)によって
Africa Association)に対して 1888 年国王特許
担われるようになれば,所有者による現実の物
状を付与し,大英帝国東アフリカ会社(Imperial
支配は,経済システムが存在するか否か,およ
British East Africa Company)とする.その後
び経済システムに参加でき,参加を継続できる
1890 年のブリュッセル一般協定 1 条 39)を受け,
か否かに左右される.このような事実的制約は
1895 年,イギリス政府はケニア内陸部も含め
また,土地市場が存在しない場所では譲渡権が
た領域を保護領として宣言し,特許会社の管轄
40
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横浜国際社会科学研究 第 11 巻第 4・5 号(2007年 1 月)
権を引き継いだ.なお,ケニアは,1895 年か
アフリカ会社特許状 12 条には,とくに私法に
ら 1920 年までは保護領(Protectorate)
,1920
おいて,現地住民の「慣習と法」の「注意深い
年以後 1963 年 の 独立 ま で は 植民地(Colony)
配慮」規定がみられる45).また統治機構を設立
40)
であり,1964 年に共和国となる .
した 1902 年東アフリカ枢密院令 12 条 3 項は,
保護領という法的地位における,イギリス国
「弁務官は,条令(Ordinance)の制定にあたっ
王(以下,国王と略す)の管轄権の範囲は,そ
て,既存の原住民法と慣習を,それらが正義と
れを取得する根拠となった条約またはその他協
道徳に反しない限りにおいて,尊重しなければ
定に規定されている場合はそれに従うが,その
ならない」と規定していた.
ような明示的規定のない場合,または慣行もし
1920 年,ケニア(併合)枢密院令(the Kenya
く は 黙認 に よ る 管轄権取得 の 場合 は,1890 年
(Annexation) Order in Council)の 施 行 に よ り
国外管轄権法(Foreign Jurisdiction Act, 1890)
ケ ニ ア 内陸部 は「国王支配領(His Majesty s
1 条の規定により,割譲または征服により取得
dominions)」となり46),管轄権行使を規定する
された植民地の場合と同程度の管轄権を,国王
英国議会制定法は,1887 年連合王国入植法(the
は行使できる.しかし,かかる管轄権の性質は
British Settlement Act, 1887)の適用へと移っ
保護領と植民地とでは異なっている41).保護領
た.これにより,ケニア領域の法的地位は「植
域は国王の支配領域ではなく,保護民は国王と
民地」,アフリカ人は「イギリス臣民(British
の忠誠関係にないため,保護領は外国,保護民
subject)」となり,すべての土地の最終的権原
は「保護下にある外国人」としての地位にあり,
は国王に帰属することとなった.その後,1963
枢密院令等により国王のなす行為は主権の行為
年にケニアは独立し,1964 年には憲法改正に
(act of state)となる42).したがって,かかる行
43)
より共和国となる.
為による損害に対して救済は与えられない .
ケニアにおける司法制度の発展は,イギリス
また,保護領域は,無主地を除いて 44),直ちに
国民のみを対象とするものを除くと,1884 年
は国王に帰属しない.
ザ ン ジ バ ル 枢密院令(the Zanzibar Order in
1897 年東アフリカ枢密院令(the East Africa
Council)に 始 ま る.本令 は,実体法 と し て,
Order in Council)は,弁務官職(Commissioner)
イ ン ド 刑法典,イ ン ド 刑事訴訟法,イ ン ド 民
および司法制度を設立し,さらに 1902 年東ア
事訴訟法,イ ン ド 証拠法,イ ン ド 相続法,ボ
フリカ枢密院令によって,立法,行政,司法の
ンベイ民事裁判所法が適用されることを規定
統治機構が設立された.国王の管轄権のうち立
するが,適用はケニア沿岸部に限定されてい
法権および行政権は,弁務官(後に総督)が国
た.1897 年東アフリカ枢密院令は,ケニア全
王を代理して行使するが,司法権は裁判所に専
土における司法制度を,植民地裁判所(colonial
属する.1902 年東アフリカ枢密院令に基づく
court),ムスリム裁判所,および原住民裁判所
立法権および司法権の行使は,東アフリカにお
(native court)の三種に分類し,実体法として,
けるすべての人格を対象にすると規定され(12
①植民地裁判所については,1884 年ザンジバ
条 1 項および 15 条 1 項)
,アフリカ人も対象に
ル枢密院令により導入されたインド諸法および
含められた.
インド財産移転法,1897 年 8 月 12 日時点にお
ただし,ケニアにおいては「原住民の法と慣
いてイングランドで効力を有するコモンローお
習(native law and custom)
」の存在が法的に
よび衡平法,並びに一般適用のある英国議会制
承認されており,植民地政府による立法権およ
定法,②ムスリム裁判所については,イスラム
び司法権の行使において,その尊重が義務付け
法,③原住民裁判所については,「原住民法と
られていた.これに関して,すでに大英帝国東
慣習」を適用するとした 47).
ケニアにおける土地制度改革の法社会学的分析(一)(平田)
(547)
41
こ の う ち 原住民裁判所 は,1902 年東 ア フ
合,すべての裁判所は,(a)適用可能であって,
リ カ 枢密院令 に よ り ア フ リ カ 人 に も 裁判権
正義と道徳に反しない,または枢密院令,政令,
が 適用 さ れ る と,1907 年裁判所令(Courts
規則,ルールに矛盾しない限りにおいて,原住
Ordinance)に よって 統一的 な 司法制度 の も
民法(native law)を指針とし(be guided),(b)
とに組み込まれ,必要な場合に総督の権限に
手続技術への不当な配慮および不当な遅滞な
よって,行 政 官 ま た は 長 老 会 議( council of
く,実質的正義に従ってすべての訴訟を決定し
elders)に対して裁判権が授権されるほかは,
なければならない」との規定が適用される.た
植民地裁判所 が 原住民法 と 慣習 も 管轄 す る と
だし,慣習法の内容は特定されておらず,当該
された.しかし統一的司法制度は長続きせず,
規定は,その時々の時点で特定集団において妥
1930 年原住民裁判所令(the Native Tribunals
当している慣習法を適用すべきことを意味して
Ordinance)により,すべての当事者がアフリ
いる.したがって,適用される慣習法の内容が,
カ人である訴訟において完全な裁判権を有する
時とともに変化し,あるいは集団ごとに多様で
原住民裁判所 が 設立 さ れ た(8 条)
.こ の 司法
ある事態が許容されている.この点で実定法制
制度の特徴は,行政官が原住民裁判所の判決を
度は,慣習法の自律的展開を許容している一方,
修正する権限をもつ(30 条)
,控訴は行政官に
かかる自律的展開の裁判官および行政官による
48)
対してなされるなど ,行政官の関与の度合い
制御を可能にしたと言える.
が高い点にある.この制度は,1951 年にアフ
リカ裁判所令(the African Courts Ordinance)
2.アフリカ慣習法における土地保有形態
によりアフリカ裁判所へと改組され,アフリカ
本節では,ケニアのいくつかの共同体 50)に
裁判担当官(African Court Officer)と い う 専
おける慣習法上の土地保有形態について,でき
門の行政官が設置された.上告については,新
る限り土地制度改革以前の文献によりながら記
たに慣習法を管轄する最終審として設置された
述し,その特徴を社会構造との関連で明らかに
再審裁判所(Court of Review)へ な さ れ る も
する51).まず,当時の社会的・経済的状況につ
のとなった.
いて概観しておこう52).基本的には土地に依拠
このような実定法上の司法制度に対して,伝
した生活および自給経済(農業,放牧など)が
統的に慣習法を司ってきたのは,長老会議(キ
中心であったが,かかる状況の性質として,自
クユ社会では,kiama と呼ばれる)という血縁
然環境の変化というリスクに対する備えが必要
集団(クラン)レベルに存在する伝統的権威の
であること,農業を営むためにある程度の労働
49)
制度である .一般的には,家族間の諸問題に
力が必要とされること,土地保有を自分たちで
決定を下し紛争を解決する,政治制度および司
保護する必要があることなどがあり,以上が親
法制度としての機能を果たしていた.土地に関
族共同体の強い連帯に基づく社会構造が維持さ
して言えば,長老会議は,家族内部,および家
れていた理由であると考えられる.
族間での土地紛争を解決するため介入する一般
ただし土地制度の展開との関係で見落とすこ
的な権限を有しているとともに,土地売買の許
とができないのは,植民地化以前から部族共同
可など土地管理全般にわたる広範な統制をなし
体間ないし部族共同体とアラブ商人との間での
えた.
交易が発展しており,さらに 19 世紀末になる
アフリカ慣習法の定義については,個別の法
と,インド洋に面するモンバサから内陸のウガ
令による修正がない限り,1902 年東アフリカ
ンダにかけてイギリス人が大規模なキャラバン
枢密院令 20 条における,
「民事刑事を問わずす
隊を編成して侵出したことである53).このよう
べての訴訟において両当事者が原住民である場
な交易ゆえに,地域的にはすでに市場向け作物
42
(548)
横浜国際社会科学研究 第 11 巻第 4・5 号(2007年 1 月)
生産が行われており,共同体間での一定程度の
的にであって,支配権行使が問題となる個別状
分業もみられたという54).さらに大人数のキャ
況や親族構造の強度の変化に依存するものと言
ラバン隊に対する食糧需要が生まれ,交易路周
える.
辺の農耕民の間では,余剰生産の増大および土
⑵ 所有客体
地集積の拡大が進行しており,自給自足的な経
所有客体としての土地は特定されている必
済から市場経済への転換が始まっていたと言わ
要 が あ る.そ れ ゆ え,家族保有地 で あ る ng
れている55).次に,慣習法上の土地保有形態に
undu や githaka に関しては,立木その他自然
ついて,所有主体,所有客体,占有の保護,各
物,後には人工的囲障(フェンス等)が境界を
種の支配権限という順でみていく.
画定する手段として利用された.このような保
⑴ 所有主体
有地とは別に,キクユ社会では,キクユの領域
所有主体 に つ いては,共同体であるか個人
(Borori wa Gikuyu)と呼ばれる,いまだ現実
であるか,あるいはどの程度そうなのかが問
の占有にはないが自由に開墾できる「勢力範囲」
題とされてきた.所有主体の構成について,キ
の観念が存在した60).これは,ルオ社会61)(lek)
クユ社会を例にみていこう.生活の単位は,男
やカンバ社会62)(wetu)にも存在した.この土
56)
系の血縁に基づく拡大家族 (mbari と呼ばれ
地は,集団間の緩衝地として機能し,主に放牧
る)であり,mbari が居住および耕作によって
地や採集用地として利用されたようである63).
占有している土地は ng undu または githaka と
かかる土地は明確な境界線によって画されてい
呼ばれる.本来この土地は,創始者(原始取得
たわけではないため,緩衝地の減少により土地
者)の私有財産であって,その所有は創始者の
境界が近接するようになると,ルオ社会では,
権原に基づくものであり,子孫はこの権原を継
ある集団の占有地の境界は他の集団の占有地に
57)
承していくものと観念された .創始者の地位
達するまで直線的に延ばした範囲であるとする
は,第一夫人の長男に継承されるが(彼の地位
原理が生み出された64).
を muramati という)
,彼は創始者と同等の支
そのほか,宗教儀礼用地,集会等に使われる
配権限を継承するのではなく,父親に対する子
用地は共同のものとされていた.立木に関して
としての関係,および兄弟中の最年長者という
は,土地の所有から区別して利用されていたと
関係に制約される.したがって,長男の支配権
される65).また,カンバ社会では,養蜂の目的
行使は,創始者の支配権の範囲を超越ないし否
のため蜂箱を備え付けた立木の場合,その立木
定してはならないとともに58),兄弟に対しては
および周辺の土地に権利が発生するとされてい
父親のような支配権ではなく,他兄弟の利益の
たとの記述もある66).
ために管理する者にすぎないとされる.
⑶ 土地占有の保護
この帰結として,創始者を同じくするクラン
次に,ケニアの伝統的社会における土地占有
の構成員にとっては,世代を経るにつれ土地が
の保護についてみていこう.伝統的社会では,
共同財産としての性質を帯びるようになる59).
共同体間において発生した占有侵奪の事例にお
ただし,キクユ社会では,クランよりも mbari
いて,侵奪者に対する土地の返還請求を提訴で
の私有財産としての感覚が強いと言われ,ケ
きる権威が存在しなかった.したがって,伝統
ニア社会のなかでも一様ではなかったと解され
的社会では,被侵奪者は土地を自分の力で保持
る.これは,家長の土地支配権が,祖先の意思
し,あるいは取戻すことができる限りにおいて,
および傍系親族の支配権によってどれほど制約
その土地の所有者でありえた.それゆえ共同体
されるかに依存していよう.したがって,所有
間においては,土地所有に関して法と実力とが
主体として共同体を考えうるのはあくまで相対
未分化であったと考えられる.このことは,土
ケニアにおける土地制度改革の法社会学的分析(一)(平田)
(549)
43
地をめぐる武力紛争,征服による土地取得,そ
る.したがって,外部者の排除は部族の制度で
の結果としての頻繁な移住が存在したことから
あり,その力が行使される範囲内の領域に対す
明らかになる.
る共同体の権利の証拠である」,さらに「私見
このように占有保護が当事者の実力に依存し
では,排除の実践は,領域全体の部族による総
ている状況においては,土地返還請求は今日に
有(communal possession)に等しい」として,
おける意味での権利とはなりえない.しかしこ
部族の土地所有権を認めた.
れは,後に上位権力が創設され,伝統的なケニ
本判決からは,①妨害排除の力ないし実践が,
ア社会における土地所有権の性質が問題になっ
土地における権利の存在根拠とされているこ
た場合に,
「占有保護が当事者の実力に依存し
と,②その力の源泉のあり処が,権利の帰属先
ている」ことを所有権存在の直接の根拠として
となること,この二つの主張を読み取れる.後
持ち出すことまでも妨げるわけではない67).
者をもとに,外部者へ土地を譲渡する権限は団
初期 の ケ ニ ア 判例法 は,慣習法上 の 土地所
体である部族に帰属すると判断された70).重要
有権に関してこの立場を採用していた.この
なのは,上記二点が判例によって法として承認
ことは,部族団体とその構成員との間で土地
された点である.述べたように,所有物が実力
処分権限の帰属をめぐって争われた事件にみ
によって保護されている限り権利は問題になら
68)
ら れ る .本件 は,控訴人 の 前主 が,ジ バ ナ
ない.そこでは,保護されるべき理由,所有の
族の構成員である個人から売買により土地を
正当性が問われないからである.しかし,本判
取得 し た が,部族 の 代表 が,慣習法上部族構
決は,所有物が実力的に保護されている事実を
成員 で あ る 個人 に 土地処分権 は 認 め ら れ ず,
権利の存在根拠とした.ここに,慣習法の実定
したがって当初の売買は無効であり,控訴人
法化の第一歩が示されていよう.
も権原を有しないと主張した事件の上告審で
⑷ 取得原因に応じた支配権限
ある.ボンハム カーター判事(Bonham-Carter
ケニア慣習法において,土地に対して行使で
J.)は,慣習法上土地を所有しているのは共同
きた支配権の種類や範囲を理解するうえで,取
体としての部族であるとし,部族代表の主張
得原因に関わらず一様であるような統一性を有
を 認 め た が,こ の「部族 の 土地所有権」に つ
する所有権概念が存在しなかった点に注目する
いてトムリンソン判事(Tomlinson J.)が法的
必要がある.これは,同一主体の支配権が,権
69)
に検討し,次のように結論した .
限行使の対象となる土地の取得原因に応じて異
まず,
「歴史的には,共同体が先行し,個人
なるということである.以下では,支配権への
は後の発展である.個人の諸権利は共同体の
制約度合いが強い方から,相続,売買,貸借,
特権(privileges)に 由来 し,共同体 の サ ン ク
無主物先占の順に検討していくが,その前に,
ションに依存する.共同体の特権と権威の行使
家族内部における用益権をみておこう.
のなかに,部族の権利の証拠が考えられなけれ
家族に帰属する所有地の用益権については,
ばならない」とする.そして,土地を占有して
主人の各妻に対して,土地の利用能力に応じて
いるという事実だけでは共同体の特権の証拠と
配分されていた.この用益権は,妻とその子ど
して十分ではなく,
「外部者(stranger)が占
もからなる家庭を養う目的で利用収益をなす権
有から厳格に排除されている」ことをみなけれ
利であり,「彼女の夫を除いて,何人も彼女の
ばならない.この「外部者の排除というのは,
耕作地を侵害することはできない71)」.したがっ
個人の行為ではなく,共同体の行為である.排
て,各妻の用益権は主人の支配権に対抗できず,
除に実効性を与えるためには力(force)が必
離婚 し た 場合,当該土地 は 夫 に 復帰 す る.こ
要とされ,この力は部族の強さから引き出され
のような妻とその子からなる家庭の保有地は,
44
(550)
横浜国際社会科学研究 第 11 巻第 4・5 号(2007年 1 月)
「私の庭畑地(mogonda wakwa)
」と呼ばれた.
その土地が本来 mbari に属していたことに基
また,各妻の子どもは,この「私の庭畑地」を
づく.追放された者は,以後,元家族にとって
均等相続するものとされていた.ルオ社会で
は外部者として扱われる.
も,各妻に割り当てられた土地は,その妻の
このように,相続によって継承した土地に関
子の間で相続され,その土地の譲渡は禁じら
して創始者の子ども達が有する権利は,年長者
72)
れていた .
の muramati が有する処分権に優越性がみられ
(a)相 続
るとはいえ,基本的には兄弟間の同意を必要と
家族に属する所有地は,①相続により承継取
する点で制約されており,したがって絶対的な
得した土地,すなわち創始者に直接帰属する土
権限を有する者は存在しなかったと言える.か
地であるか,②自分自身で取得した土地である
かる所有形態は,各兄弟に持分権が認められる
かに分類され,それにより支配権が異なってい
こと,持分の処分権には制約が課されているこ
た.まず,相続により取得した土地についてキ
と,一定の条件のもとに分割請求権が認められ
クユ社会を中心にみていこう.すでに述べたよ
ることからして,対内的には合有に近い形態を
うに,創始者に帰属する土地は相続により創始
取ると解される.以上のような,家族ないし親
者の各妻の男子へと継承される.そして結婚し
族関係のなかで,親子兄弟,年齢,性別,社会
た男性は,妻とともに当該土地で生活し,その
的地位(長老など)といった役割が予め規定さ
子へ相続する権限を有している.各男子の処分
れており,各人はかかる役割を占めることで土
権は,兄弟中の最年長者である muramati の統
地保有が認められているような社会秩序を,以
制に服すが,muramati の支配権は,絶対的な
ものではなく各兄弟の同意を要するものであっ
下では「親族的身分秩序」と呼ぶことにする.
(b)売 買
た73).例えば,土地の家族内での再配分,外部
後述する先占の場合と対照的なのが,売買に
者への土地譲渡および借地人受け入れの決定に
よって取得された場合の土地支配権の範囲であ
ついては,muramati が最終的決定権をもつと
る.近代法においては,どちらも同じ所有権を
されるが,いずれも兄弟の同意なしには行えな
取得する原因として等しいが,ケニア慣習法に
74)
い .
おいては大きな相違がみられた.一般的にケニ
このような muramati の権限に対する兄弟の
アの伝統的社会においては,土地売買は認めら
制約は,クランレベルに存在する長老会議に
れていなかったと言われており77),先にみた判
よって担保されていた.すなわち,muramati
例も共同体外部への個人の譲渡権はジバナ慣習
が,土地の管理・処分に際して他の兄弟の同
法上認められていないことを確認している.こ
意を 得 な かった り,不当な管理・処分をなし
れらの場合の売買とは近代的な意味でのそれを
た場合,他の兄弟は長老会議に対して,mbari
指しているが,ここで取り上げる売買はキクユ
所有地 の 均等 な 再分割 と muramati の 交代 を
社会の伝統的な売買観念を表すものである78).
請求 で き る75).長老会議 に よ る 調停 が 成功 し
土地の売買は,契約と引渡の二段階によって
なかった場合,muramati はその地位を剥奪さ
行われる.売買の第一段階は,その地域の有力
れ,均等再配分の結果,自己の割当分のみを保
な長老の面前において,彼を証人として行われ
有することになる.他方,残った兄弟は新しい
る.売主と買主とは相対し,まず買主が売主に
muramati を選び,その者が支配権を継承する.
対して地酒を提供する.次に同じことが売主か
また,追放された muramati が他地域へ移住す
ら買主へ行われる.その後,買主は次のように
るため自己の持分を処分しようとする場合は,
言う.「何某の息子よ.私はあなたの所有地の
76)
彼の兄弟に先買権が認められていた .これは,
なかで,美しい女性を見たことを伝えるために
ケニアにおける土地制度改革の法社会学的分析(一)(平田)
(551)
45
この小さな地酒をもたらしました.私が彼女を
ることになり,その結果,当該土地は相対的に
心から愛していると言ったなら,あなたが私を
強く保護されていることになる81).
許してくれるように望んでいます.今日私をこ
このような売買によって取得される権利は,
こへ向わしめた最大の願いとは,私を義理の息
買主側の親族内においても権原としての効力を
子として認めてくれるようあなたにお願いする
も つ.例 え ば,婚姻以前 に か か る 売買 に よっ
ことなのです.私は,最高の経験をもつ男性で
て土地を取得した男性は,婚姻後その土地を自
あるあなたが,あの美女に対して私の心に宿る
らの保有地とすることができ,処分において
この賞賛を見落とすことはないだろうと確信し
muramati その他兄弟の同意を必要としないと
ています.そして,この私の卑しい要求に同意
されている82).したがって,売買により取得さ
を与えてくださるだろうと思っています」
.こ
れた権利は,買主側の親族においては,他の兄
れに対して売主が同意を与えると売買が成立す
弟に対抗できる性質をもっていることになる.
る.そして後日の引渡が約束される.以上が契
しかし,売主との関係においては,買主の
約段階である.
権利は異なる関係にあった.ここで注目すべき
次に,別の日に引渡が行われる.引渡の当日,
は,土地の売買契約が婚姻の擬制においてなさ
両当事者および証人である長老が,目的物であ
れている点である.買主の口上から明らかなよ
る土地に集合する.まず売主は,当該土地が自
うに,売買は,売主の仮想の娘と買主とが婚姻
己の所有に属することを,彼および彼の祖先が
関係に入ることを,父親である売主が承認する
原初的かつ正当な所有者であったと宣誓する
ことによってなされる.したがって,売買は実
79)
ことによって証明する .そして,買主が対価
質的に婚姻契約と等しいと観念され,買主が売
として支払う家畜の頭数を確認する.次に買主
主の親族関係に入ることを意味していたと解さ
が,当該土地の取得を宣言し対価の家畜を提供
れる.そうであるとすれば,買主の土地支配権
する.その後,長老はその場で一頭の山羊を屠
は,義父である売主の支配権に劣位すると考え
殺し,その内臓を引渡される土地の境界の印と
られる.
なるもの(立木等)に散布する.そして,境界
この点でさらに注目すべきは,キクユ社会で
をみだりに移動させないよう,その立木等に呪
は売主の買戻権が広く認められていたにもかか
力を施す.最後に,山羊を両当事者で食し,長
わらず,この売買による取得の場合は買戻権が
老に報酬が提供される.以上が境界確定の儀式
行使できなかったという事実である.キクユ慣
であり,これにより売買は完結する.
習法上,一般に売主は買主が提供した代価をそ
この境界確定の儀式なくして,何人も絶対的
のまま返却するだけで 83),いつでも土地を受戻
所有権を主張することはできないと指摘されて
すことができたが,上記の方式を経て譲渡され
いることから80),この儀式によって確定された
た場合はその例外であり,支払われた家畜を返
境界は,当事者間だけでなく第三者に対しても
還するだけでは買戻しができなかった 84).上記
有効であったと考えられる.その理由は,この
方式の売買は,売主から買主への所有物移転で
儀式を経た土地境界が当事者の合意に依存する
はなく,売主と買主との間に義理の親子関係を
のではなく,呪術的な力を宿した境界の目印そ
形成する身分契約に近いとみれば,この身分契
のものの効力として存在し,したがって当事者
約を解消するには単に代金を返還するだけでは
の事後の合意によっても動かし難いものである
足りず,親子関係を解消するような事由が必要
ゆえ,他の境界に比べて強い保護を与えられて
であったとみることが可能だと思われる.
いることに求められよう.したがって,この境
なお,土地とは異なり動産の譲渡は広範に
界の侵奪に対してはより強力な保護が与えられ
行われていた 85).述べたように,交易の発展に
46
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(552)
伴い,植民地化以前から産出物の物々交換また
その場合であっても,移住先が見つかるまでは
は家畜を代価とした交換が行われていた.した
明渡しを猶予されることが多く,また栽培中の
がって,移転される客体が動産であるか不動産
作物に対しては収取権が認められる90).
であるかによって,売買はまったく対照的な性
ルオ社会では,借地人は Jadak と呼ばれる91).
質をみせることが分かる.動産売買は,自己の
特別の定めなき限り期間は無制限とみなされ
共同体から外への物の転出であるとして,現代
ること,所有権者の意思によっていつでも解約
的意味での売買概念に適合する.しかし不動産
されうることはキクユ社会と同じである.ここ
の場合は,共同体の内へと人が転入してくるこ
でも地代支払の義務はないとされている92).ま
とであり,ゆえに売買というより婚姻に近い性
た,所有者の許可なく建物を建造することはで
86)
質を有していたと解されるのである .それゆ
きない93).借地権の相続はできず,借地人の相
え買主の権利は,物的権利としてではなく,当
続権者は新たに貸借契約を締結しなければ占有
該土地 の 支配権者である売主との親族関係に
を継続できない.契約解除の理由となる義務違
よって認められる人的権利としての性格を強く
反の範囲は,信頼関係の維持および共同体内の
有していたと考えられる.
安寧維持と広範かつ不明確であったが,1950 年
(c)貸 借
代になると変化が見られたことが報告されてい
続 い て,不動産貸借 に つ い て み て い こ う.
る.それによると,立退きの強制は,①耕作期
キクユ社会では,友人関係に基づいて土地の
間の長さ(20 年がおよその基準とされた)
,②
耕作および居住の一般的用益権を与えられる
他に移動する場所が存在するか否か,③借地人
muhoi という地位,および muhoi のうち,建
が生じさせた問題の大きさの三点に鑑みて判断
物を建設して居住する権利だけが与えられる
され,その結果立退きが免除されることもあり
87)
muthami の 地位 が あ る .こ れ は,貸主 が 信
えるようになった94).
頼する友人に対して,その信頼関係ゆえに所有
伝統的ケニア社会における不動産貸借の機能
地の利用を許可する貸借関係であり,定期的な
を考える場合,借主の経済状態と親族関係の経
地代ないし賃料支払の義務等は,少なくとも当
済機能に注目する必要がある.すなわち,共同
88)
初はなかったとされている .合意に際しては,
体を離れた個人または家族は,生存に必要な土
借地人が饗宴を開き地酒等を供することで自己
地の保有および農業活動を自己の力だけではな
が信頼に足りうる存在であることを表示すると
しえず,そのためには他家族と協働する必要が
ともに,貸主側が受け入れを承諾するという儀
あることを踏まえると,貸借とは,ただ居住も
式的な催しがなされる.
しくは耕作目的で土地を借り受けるというので
こ れ に よ り 借地人は,貸主との信頼関係お
はなく,さらに進んで,他の共同体とともに協
よび共同体内の安寧を維持する一般的義務を負
働して生計を営むという経済的機能を充足する
う.ここでも,借地人が貸主の家族共同体に参
ものだったと考えられる.ここから,借地関係
入するという側面が重視されている.その義務
は一つの経済共同体を形成するという性格を強
違反は貸借関係の解除事由となるが,義務内容
く帯びることになる95).信頼関係の維持や共同
は非常に不明確であって,かかる借地人の地位
体の安寧維持といった借地人の義務は,かかる
は貸主との人的関係にのみ依存するものであ
性格を背景に考察されるべきであろう.逆にみ
る.貸主は義務違反に基づき立退きを要求でき
れば,「共同体」は血縁に基づくものだけでな
るが,借地人が立退きを拒否した場合,長老会
く,友人関係や信頼関係に基づいても形成され
議(kiama)に対して提訴できる89).借地人は
うるものであった点に注意が必要である.
抗弁に成功しない限り明渡しを命令されるが,
ケニアにおける土地制度改革の法社会学的分析(一)(平田)
(d)無主物先占または征服
(553)
47
⑸ 小 括
無主地を新しく開墾し定住した者は,新し
以上の考察から,慣習法における土地所有権
い mbari の創始者として,独立した所有者と
の性質をまとめておこう.①クランを超える上
なることができる.これは muramati 以外の
位権力の存在しなかった状況では,土地占有の
96)
兄弟およびその子であれば自由になしうる .
保護は集団の実力に依存しており,それによっ
また,相続地を保持したまま開墾した場合で
て土地の支配は確実なものたりえた.したがっ
も,開墾部分については同様の権利が認めら
て,この段階では法と実力とは未分化であった.
97)
れ る と い う .し た がって,こ の 部分 の 処分
また,②土地の対外的な処分は譲渡として構成
権 へ の 制約 は な かった98).ル オ 社会 で は,開
されておらず,家族ないし共同体への人の参入
墾に加え,実力による征服の場合も,完全な
という性格をもっていた.③その一方で,家族
支配権を取得するとされていた99).
ないし共同体(信頼関係に基づく共同体を含む)
先占 は,自己 の 所属 し て い た mbari の 土地
の内部では,土地の支配権は親族的身分秩序に
保有関係 か ら 離脱し,完全な処分権を含む旧
基づいて配分・規制されており,支配権は各兄
mbari の創始者と同等の土地支配権を取得でき
弟間に分散され,つねに他に優位するという意
る 手段 で あった.こ れ は,元 の mbari に お い
味で絶対的な権利は確立されていなかった.か
て存在した伝統の拘束や処分における兄弟の同
かる対内的な土地保有関係の性質は,合有の性
意の必要性といった制約を受けない点で,親族
質を有すると解される.
的身分秩序からの独立を意味している.した
このように対内関係/対外関係により区別さ
がって,先占または征服によって獲得される創
れるのは,規範領域に限られない家族ないし共
始者の権限は,慣習法上認められる最も大きな
同体 の 内/外区別 に よ り 編成 さ れ る 社会構造
支配権であると言える.
を,土地保有関係が反映しているからであると
しかし,生存に必要な一定規模の土地を開墾
考えられる101).すなわち,社会的な機能(経
し移り住むことができるようにする作業,また
済的必要,社会的地位,ア イ デ ン ティティな
は既存の占有地を実力で奪取することは,一人
ど)のほとんどが家族ないし共同体の内部にお
では到底無理であり相当の労働力ないし軍事力
いて,それらへ帰属することを通して充足され
が必要とされ,これを確保することなくして先
るような社会構造であるがゆえ,かかる社会構
占は不可能である.したがって,新しい創始者
造を物質的および精神的に支える土地保有関係
として土地を取得できるかどうかは人への支配
もまた,家族ないし共同体への帰属の仕方とそ
力に依存していた.親族関係に基盤を置く社会
の維持・安定という目的とに規定されていたと
では,労働力を確保する最も安定した方法は多
解されるのである.
くの女性と結婚し多くの子どもを作ることであ
以上がケニア土地法の出発点となる.以後の
る.しかし,多くの女性と結婚するためには,
展開を予示しておけば,①土地占有の保護に関
その分多くの婚資を必要とする.ゆえに,
「土
しては,上位権力の創設により当事者の実力に
地の取得は,その大部分が,移住を推進するた
基づく占有保護から離脱し,近代的司法制度の
めの労働力の源泉である家畜の取得に依存して
対象とされていく.②土地の移転に関しては,
100)
.したがって,慣
親族的身分秩序に埋め込まれた形式から,独立
習法上最も完全な支配権である先占または征服
した売買契約として構成される近代的な不動産
による所有権の性質は,親族関係から離脱し,
譲渡法へと移行した.そして,③対内的な保有
自力で生計を維持していける限りで可能な,極
関係は,合有から個人の絶対的所有権と家族の
めて事実的な支配力であった.
信託による保有へと移行した.土地制度改革は,
いた」ということになる
48
横浜国際社会科学研究 第 11 巻第 4・5 号(2007年 1 月)
(554)
慣習法上の権利をより明確に体系化され法定さ
れている権利へと書き換えるなかで,これらを
実現しようとしたのである.そして同時にこの
変化は,親族秩序という社会構造から,近代的
な社会構造への変化を反映していると考えられ
る.
(続く)
注
1)松尾弘,「開発法学と法整備支援の理論化」
『横
浜国際経済法学』第 11 巻 1 号,2002 年,76 頁
以下;森川俊孝,池田龍彦,小池治編著『国
際協力 の 法 と 政治』国際協力出版会 , 2004 年.
アフリカに関して,Y. Ghai, The Role of Law
in the Transitions of Societies: The African
Experience , Journal of African Law, Vol. 35,
Nos. 1 and 2 (1991), pp. 8 20.
2)先行研究として,R. E. Downs and S. P. Reyna,
Land and Society in Contemporary Africa, University
Press of New England (1988); J. W. Bruce and S.
Migot-Adholla, Searching for Land Tenure Security
in Africa, Kendall/Hunt Publishing (1994); J. P.
Platteau, The Evolutionary Theory of Land
Rights as Applied to Sub-Saharan Africa: A
Critical Assessment , Development and Change,
Vol. 27, No. 1 (1996), pp. 29 86; J. Ensminger,
Changing Property Rights: Reconciling Formal
and Informal Rights to Land in Africa , in J.
Drobak and J. Nye ed., The Frontiers of the New
Institutional Economics, Academic Press (1997), p.
170ff; C. Toulmin and J. Quan ed., Evolving Land
Rights, Policy and Tenure in Africa, DFID/IIED/
NRIP (2000) など参照.
3)Toulmin and Quan, op. cit., n. 2, pp. 12, 37.
4)登記土地法(Registered Land Act)27 条 1 項.
5)近代において,社会(Gesellschaft)は,法と法
以外,経済 と 経済以外,政治 と 政治以外,家族
と家族以外などといった,それぞれ固有の(そ
れ以外のシステムは果たしえない)機能を担う
諸システムとその環境とが重層的に入り組ん
だ総体からなるとされ,かかる社会が多文脈社
会 と 呼 ば れ る.N. Luhmann, Die Gesellschaft der
Gesellschaft, Suhrkamp (1997) 参照.法 シ ス テ ム
と近代社会構造の関係については,N. Luhmann,
Das Recht der Gesellschaft, Suhrkamp (1993)(馬場
靖雄,上村隆広,江口厚仁訳『社会 の 法』法政
大学出版局,2003 年)
(以下,R. G. として引用)
参照.
6)P. Ekeh, Colonialism and the Two Publics in
Africa: A Theoretical Statement , Comparative
Studies in Society and History, Vol. 17, No. 1 (1975),
pp. 91 112 は,この点に関連して,アフリカ人
の道徳的責務が支配する公共領域である「原初
的公共領域」
(共同体に対応する)とこの責務
が欠けた「市民的公共領域」とが並存すると論
じている.
7)松尾弘「人格 と 所有権─所有制度 の 構造論的
分析のための覚書き」
『横浜国際経済法学』第
4 巻 2 号 , 1996 年 , 247 279 頁参照.本稿 で は,
所有権の性質として,所有の保護,物の人格へ
の帰属,人格による物の支配を区別して考察す
る.
8)ベ ン サ ム も 予期 に 注目 し て い る.
「財産権
(Property)と は,予期(expectation)の 基盤
にほかならない.それは,私たちが物に対して
立つ関係の帰結として,占有している物から
特定の利益を引き出すという予期である.…こ
の予期に説得力を与えることは,いまや法だけ
がなしうる仕事である.私が,私のものとみな
す物を享受することは,それを私に対して保証
してくれる法の約束によってしか,あてにな
ら な い」
.J. Bentham, The Theory of Legislation,
Kegan Paul (1931 [1876]), pp. 111 112.
9)状況に応じては,実力だけでなく話し合いや
呪術も同様の効果をもつ.ただし,実力は,状
況・場所・客体などとは無関係に,その意味で
普遍的に,予期実現のために利用可能である点
に特徴がある.N. Luhmann, Rechtssoziologie, 3
Aufl. (1987), S. 106 115.
10)Luhmann, Rechtssoziologie, S. 106.
11)末川博『占有 と 所有』法律文化社,1962 年,
95 96 頁参照.より一般的には,法への抗議は
法の変更要求であって,法の廃棄であってはな
らないというかたちで法と実力との分化は実現
される.また,力に取って代わろうとする法は,
それ自体が力であってはならない.予期の確保
に力が必要であるとはいえ,法と力とが同一化
してはならないのである.したがって法には,
正義,理性,効用,あるいは内的道徳性(フラー)
などが要求されてきたし,
要求され続けている.
12)T. Hobbes, Leviathan, Oxford University
Press, (1996 [1651]); J. Locke, Two Treaties of
Government, Cambridge University Press, (1960
[1690])「自由(Liberty)と は,他人 に よ る 制
約と暴力とを免れている(be free)ことだが,
これは法の存在しないところではありえない」
p. 306.
13)ロックは次のように論じる.自然状態におけ
る法たる理性は,
「すべての人間に,…万人は
平等かつ独立であるから,何人も他人の生命,
健康,自由,財産を侵害してはならないと教え
る」のだが(Locke, ibid., p. 271),地上の上位
者が存在せず,かつかかる理性が存在しないで
ケニアにおける土地制度改革の法社会学的分析(一)(平田)
力の行使が宣告されている状態は戦争状態であ
る(p. 278ff).このような「戦争状態を回避す
ることが,人間が自然状態を脱し社会(Society)
へと自らをおく最大の理由」(p. 282)であり,
かくして「人間をコモンウェルスへと結合し政
府のもとにおく最大にして主要な目的は,各人
の Property の保護である」(p. 350).
14)何が個人に固有的に帰属するか,それはいか
にして決定されるかは,所有の保護側面ではな
く,帰属側面に関するものとして扱われる問題
である.
15)周知のように,所有権の国家からの保護に対
する配慮は,ホッブスとロックで大きく異なっ
ている.この点を含め,近代における自由概念
の展開について,齋藤純一『自由』岩波書店,
2005 年を参照.
16)死をもたらした暴力について,生存者はさら
なるコミュニケーションを展開できるが,犠
牲者その人はもはやコミュニケーションに参
加 で き な い.G. C. Spivak, Can the Subaltern
Speak? , in Marxism and the Interpretation of
Culture, Illini Books (1988), pp. 271 313 参 照.
ここから,所有の保護は,まずもって何人も不
当にこの世から排除されない状態の実現を目的
としていると理解でき,この意味での万人の参
加が社会秩序の成立要件であり,かかる秩序を
創設するという理念を担っていると解される.
17)E. H. Burn, Cheshire and Burn’s Modern Law
of Real Property, 16th Ed. Butterworths (2000),
p. 9 11. 中世社会においては,貨幣ではなく土
地が主要な生存資源であったことを考えれば,
土地保有の安全性は,それによる生存の安全
性に結びついていたと言える.
18)以下では,「所有権」という用語を,財産が
個人に直接に帰属し,他のなんらの条件にも依
存しない場合に用い,「保有権」を,個人が身
分等なんらかの社会的役割を占める限りにおい
て認められる財産権の性質を表現する場合に用
いる.また,イギリス中世の封建的身分秩序と
比較して,伝統的ケニア社会における社会秩序
を親族的身分秩序と表現する(後述,Ⅲ.2. (4)).
19)こ の 帰結 と し て,イ ギ リ ス 封建的土地保有
制度 の も と で は,土地 は 最 も 強力 な 者 で あ
る 国王 に 最終的 に 帰属 し た.W. Blackstone,
Commentaries on the Laws of England, Vol. Ⅱ,
The University of Chicago Press (1979 [1766]),
p. 53 は,「封建的土地保有の主要かつ根本的な
公理とは,すべての土地が原初的に主権者に
よって譲与されたものであり,したがって間接
的もしくは直接的に国王が所有しているという
ことである」と述べる.
20)N. Luhmann, Grundrechte als Institution, 4 Aufl.
Dunker & Humblot (1999 [1965]), S. 56 .(以 下,
(555)
49
.
Grundrechte として引用)
21)ここでは権原を,
「それによって所有者が財
産の正当な占有を得るところの諸手段」と理解
する.ブラックストンが引用しているクックの
定義による.Blackstone, op. cit., n. 19, p. 195.
22)七戸克彦「所有権証明の困難性(いわゆる
「悪
魔の証明」)について─所有権保護をめぐる実
体法 と 訴訟法 の 交錯─」『慶應義塾大学大学院
法学研究科論文集』27 号,1987 年,73 97 頁,
74 頁(傍点は原著者による)
.
23)このような論点そのものは,所有権に限らず
法一般に当てはまる.本稿は,これが法と実力
との区別に関わっている点を強調する.以上の
論点については,ケニアの事例を挙げ詳述する
(後述,V. 1).
.さらに,
24)Luhmann, R. G., S. 255(訳 289 頁)
こうして初めて,所有権は契約の準拠点となる
ことができるとも述べられている.
25)Luhmann, Grundrechte, Kap. 6 参照.
26)Blackstone, op. cit., n. 19, p. 196. ま た,E. H.
Burn, op. cit., n. 17, p. 26,「土地へのすべての権
原は,占有している者の権原が,それより良い
シージンの権利を示すことができないすべての
者に優先するという意味で,最終的に占有に基
づいている」
.
27)かかる公示制度の発展に対する,国家の租税
政策の影響を無視することはできない.ケニア
における土地制度の展開においても必要な視点
であると思われるが,筆者の能力不足により,
今後の課題とせざるをえない.
28)人格とは,
「様々な特質や性格を備えた自己
の固有性」であるが,
「所有権は,個々人の諸
特性 の うち で も,各人 の 性格(character)と
か社会的地位(status)とかに関わりなく認め
られるという意味で,すべての者に平等な仕方
で認められる特色として,われわれの人格を支
える不可欠の要因になっている」.松尾,前掲
論文,注 7,263 頁(文中傍点省略).
29)N. Luhmann, Individuum, Individualität,
Individualismus , in ders., Gesellschaftsstruktur
und Semantik, Bd. 3 (1989), S. 149 258 を 参 照.
コミュニケーションにおいて自己を個人として
表出することは,第一に,自由と尊厳によっ
て,つまり行為の帰責能力を備えていること
と,他者との関係において人間性をもつものと
扱われることによって可能になる.Luhmann,
Grundrechte, Kap. 4 参照.
30)Luhmann, R. G., S. 60(訳 59 頁)
(傍点 は 原
著者による)
.
31)アマルティア・センは,人が物(および他人
の役務)を用いることで何でありうるか
(being)
ま た は 何 を な し う る か(doing)と い う「ケ
イパビリティ」を,独自の評価基準として提
50
(556)
横浜国際社会科学研究 第 11 巻第 4・5 号(2007年 1 月)
唱 し て い る.A. Sen, Development as Freedom,
Anchor Books (1999) 参照.この考え方を背景
に所有権の物支配側面をみれば,所有者の物支
配を保護することの意義は,所有者が物を用い
て現実に何事かをなしうる状態の保護にあると
解しうる.また,所有権への制限(課税や公用
収用)の正当性をめぐる議論においても,物を
用いることでなしうる人格の状態を,評価基準
の一つにすることもできるのではないかと考え
られる.
32)A. M. Honoré, Ownership , in A. G. Guest,
Oxford Essays in Jurisprudence, Oxford University
Press (1961), p. 107ff.
33)ブラックストンは,不動産権を「財産に関し
て所有者が置かれている条件または状況を表
す」ものと定義する.Blackstone, op. cit., n. 19,
p. 103.
34)これには,第三者が自分の所有物を用いてな
す加害行為を防止する責任も含まれるとされ
る.森村進『財産権 の 理論』弘文堂,1995 年,
7 頁.
35)I. Kant, Metaphysik der Sitten, Phillip Raclam,
(1990 [1797]) による定式を参照.
36)N. Luhmann, Am Anfang war kein Unrecht
in ders., Gesellschaftsstruktur und Semantik, Band 3,
Suhrkamp (1993), S. 46.
37)したがって,「慣習法」と言う場合,二つの
意味がある点に注意が必要である.一つは,植
民地化以前から,あるいは植民地化以後でも実
定法の外部で,共同体によって実践されている
社会規範を意味する場合であり,もう一つは実
定法上法源として認められた法規範という意味
での慣習法である.後者の意味での慣習法は,
法分野によって実定法上の適用の仕方に差があ
る.家族法においては,社会規範がほぼそのま
まのかたちで適用されていたのに対して,財産
法(とくに土地法)では選択的に適用された.
また,刑法においては早くから慣習法の適用が
否定され,代わって実定刑法が適用された.
38)ケニア法体系の発展については,Y. P. Ghai
and J. P. W. B. McAuslan, Public Law and
Political Change in Kenya, Oxford University
Press, (1970); Y. P. Ghai, Constitution and the
Political Order in East Africa , International
and Comparative Law Quarterly, Vol. 21 (1972),
pp. 403 434; C. Singh, The Republican
Constitution of Kenya: Historical Background
and Analysis , International and Comparative
Law Quarterly, Vol. 14 (1965) pp. 878 949. 実
定 法 上 の 慣 習 法 に つ い て は,J. S. Read,
Customary Law under Colonial Rule , in H.
F. Morris and J. S. Read ed., Indirect Rule and
the Search for Justice: Essays in East African Legal
History, Clarendon Press, (1972), p. 167ff.
39)アフリカの奴隷貿易を終結させ,正当な商業
(legitimate commerce)を開くため「文明国の
主権または保護のもとにあるアフリカの領域に
おいて,行政,司法,宗教,および軍事役務の
進歩的組織」の構築を定める.
40)た だ し,イ ン ド 洋沿岸部 か ら 10 マ イ ル 以
内 は こ れ と は 別 で あ る.1895 年以降 1920 年
までは,ザンジバルのサルタンの主権下にあ
り,1920 年以降 1963 年 ま で は イ ギ リ ス 保護
領 で あった.1963 年 の 独立 に よ り,ケ ニ ア
の一部となり内陸部との差はない.当該地域
は,古くからイスラム法が中心で,奴隷制を
伴う独自の土地制度を構築しており,本稿で
はこれを直接扱うことはできない.詳しくは,
F. Cooper, From Slaves to Squatters: Plantation
Labour and Agriculture in Zanzibar and Coastal
Kenya 1890-1925, Yale University Press (1980);
K. Kanyinga, Re-Distribution from Above; The
Politics of Land Rights and Squatting in Coastal
Kenya, Nordiska Afrikainstitutet (2000) を参照.
41)1 条の規定は国王大権の範囲を制約する主旨
ではなく,国王大権の国外における行使の方
法を規定するにすぎないと解されている.K.
Roberts Wray, Commonwealth and Colonial Law,
Stevens (1966). また,枢密院令が,植民地へ拡
大適用されるイギリス議会制定法と矛盾する場
合は無効であるとする 1865 年植民地法効力法
(Colonial Laws Validity Act 1865)2 条 は,国
外管轄権法に基づき制定された枢密院令には適
用 さ れ な い(F. J. A. 1890,12 条)
.し た がっ
て,国王 が 枢密院令 に よって 行 う 保護領 へ の
立法は,植民地へ適用される議会制定法上の条
項に拘束されないから(Wray, ibid., p. 190ff.),
割譲または征服により取得された植民地に対す
る管轄権よりも制約が弱いと解される.
これは,
専ら英国行政府の関心によって保護領の法律が
決定されることを意味している.
42)K. Polack, The Defence of Act of State in
Relation to Protectorates , Modern Law Review,
Vol. 26 (1963), pp. 138 155.
43)この原則は,ケニアにおいては,Ol le Njogo
and others v. The Attorney General and
others, [1913 14] 5 East Africa Law Report
(以下,EALR と 略 す)70 に お い て 確認 さ れ
た.ただし,1907 年に権利請願令が制定され
ており,同令のもとで一定の救済への道が開か
れた.
44)無主地に対する国王の処分権限は,1899 年
の Webster and Finlay 報告 に よ り,保護領 が
未開部族により占有されているか,または主権
者もしくは個人により専有(appropriate)さ
れているかによって異なるとされ,ケニアのよ
ケニアにおける土地制度改革の法社会学的分析(一)(平田)
うな前者の場合,保護領への国王の権利により
直ちに発生するとされた.Polack, op. cit. n. 42,
p. 151.
45)The Charter of the Imperial British East
Africa Company (1888) 12 条「領域の人民また
はその他住民に対して特許会社が行う司法にお
いて,特に,土地および動産の保有,占有,移
転,処分,それらの遺言相続または無遺言相続,
婚姻,離婚,嫡出,その他の財産権および人的
権利に関する場合には,各当事者が所属する集
団,部族,または民族の慣習および法に対して,
つねに注意深い配慮(careful regard)がなさ
れなければならない」.
46)ケ ニ ア 植民地 は,割譲 ま た は 征服 に よ る
植 民 地 で は な く,移 住 に よ る 植 民 地(the
settled Colony)で あ る.Earl of Erroll, v. the
Commissioner of Income Tax, [1940] 7 EALR,
7.
47)独立後 に 統一的司法制度 が 構築 さ れ た こ と
により,実体法も統一的に適用されることに
なった.したがって,ケニア共和国の法源は,
①ケニア憲法,②ケニア議会制定法,③イギ
リス議会制定法のうち裁判権法附則および契
約法に規定されているもの,およびインド議
会制定法 の 一部,④委任立法,⑤ 1897 年 8 月
12 日時点においてイングランドで効力を有す
一般適用制定法,⑥同時点 に お け る イ ン グ ラ
ン ド 裁判所手続 お よ び 実務慣行,⑦同時点 に
おいて効力を有すコモンローの実質およびエ
クイティ原理,⑧アフリカ慣習法,⑨判例法,
⑩イスラム法である.N. A. Saleemi and T. K.
Ateenyi, General Principles of Law Simplified, N.
A. Saleemi Publishers (1992), p. 9ff 参照.
48)裁判所 の 設置 に つ い て,州知事 は,ア フ リ
カ人長老から構成される控訴審を設置できる
が,設置されていない場合は,行政官である
District Officer に 控訴 す る(33 条).上告 は,
同じく行政官である州知事に対してなされ,そ
の決定に不服ある場合は,軽微な事件を除き,
最高裁 へ と 移送 で き る(34 条).S. Coldham,
The Settlement of Land Disputes in Kenya̶
an Historical Perspective , The Journal of
Modern African Studies, Vol. 22, No.1 (1984), pp.
59 71.
49)「長老(elders)」と呼ばれるが,年齢に基づ
く地位ではなく,長男を成人させる,あるい
は初孫をもつことなどによって得られる地位
であり,経験ないし知識に基づく社会的な地
位である.なお,キクユとは,セントラル州
を中心に居住するエスニック集団の名称であ
る.J. Kenyatta, Facing Mount Kenya: The Tribal
Life of the Gikuyu, Vintage Books, (1965 [1938]), p.
193ff.
(557)
51
50)本稿は,主としてキクユ社会とルオ社会(ヴィ
クトリア湖周辺に居住するエスニック集団)の
記述を中心にして議論を進める.これら集団は,
土地制度を取り巻く経済・社会状況が大きく変
容した社会であり,また制度改革が早くから進
められた社会でもある.したがって,本稿の分
析から得られる知見は,かかる社会と似たよう
な変容に直面している場合に示唆を与えうると
はいえ,より多様な社会状況を反映した分析も
必要となる.
51)アフリカ慣習法における財産権に関しては,
M. Chanock, A Peculiar Sharpness: An Essay
on Property in the History of Customary
Law in Colonial Africa , Journal of African
History, Vol. 32 (1991), pp. 65 88; H. Kuper
and L. Kuper ed., African Law: Adaptation and
Development, University of California Press,
(1965); K. Mann and R. Roberts ed., Law in
Colonial Africa, Heinemann, (1991) など参照.
52)植民地期における経済構造の変容に関して
は,G. Kitching, Class and Economic Change in
Kenya, Yale University Press, (1980); Review
of African Political Economy 誌 No. 20 (1981),
pp. 1 124. における,The Peasant Question in
Kenya と題された特集の各論文を参照.
53)これは,交易を目的とするだけではなく,同
時に内陸地域の平定を目的とする軍事的側面
をも有しており,さらに入植用ないしは鉄道
建設用 の 土地取得 を 行 う 団体 で も あった.そ
の 規模 に つ い て,1884 年 の ト ン プ ソ ン キャ
ラ バ ン は 1500 人程度 か ら な り,ま た 1899 年
に は 4000 人程度 の キャラ バ ン 隊 が あった と
さ れ て い る.C. C. Robertson, Gender and
Trade Relations in Central Kenya in the Late
Nineteenth Century , International Journal of
African Historical Studies, Vol. 30, Issue 1 (1997),
pp. 23 48.
54)J. E. Flint ed., The Cambridge History of Africa
Volume 5, Cambridge Univ. Press (1976), pp.
296 298; P. Rogers, The British and the
Kikuyu 1890 1905: A Reassessment , Journal
of African History, Vol. 20 (1979), pp. 255 269.
55)本稿では詳述できないが,キャラバン交易が
アフリカ人の「経済」そのものを変容させた点
に注目する必要がある.キャラバン隊によって
設営された本拠地は,ケニアに「都市」を出現
させ,市場の中心点として作用するようになっ
た.また,キャラバン隊の運搬人といった新し
い雇用形態,とりわけ土地に依存しない所得機
会の創出もある.
56)夫,妻(複数の場合が多い),各妻の子(通
常は既婚女性を除く),子の妻,孫から構成さ
れる.
52
(558)
横浜国際社会科学研究 第 11 巻第 4・5 号(2007年 1 月)
57)Kenyatta, op. cit., n. 49, p. 27ff. ケ ニ ヤ ッ タ
は,
「土地は,共同体といったものに帰属して
いるのではなく,完全な所有権と土地の統制を
有 す る,様々な 家族 の 個人創始者(individual
founders)に 帰属 し て い る」と 述 べ て い る.
Ibid., p. 31. ソレンソンも,キクユ社会には部族
的 保 有 形 態(form of tribal tenure)は 存 在 し
なかったとしている.M. P. K. Sorrenson, Land
Reform in the Kikuyu Country: A Study in Government
Policy, Oxford University Press (1967), p. 9.
G. Muriuki, A History of the Kikuyu: 1500 1900,
Oxford University Press (1974), p. 73ff も参照.
58)muramati の責務は,
「亡き父親の望みを実現
することである」
.Kenyatta, op. cit., n. 49, p. 34.
59)Muriuki, op. cit., n. 57, p. 74 75. A. P. Munro,
Land Law in Kenya , in T. W. Hutchison ed.,
Africa and Law, The University of Wisconsin
Press (1968), p. 79 は,「所有権は,そのような
概念が存在したとして,通常は祖先の魂に帰属
していた.それは,アフリカ人の生活において
非常に現実的な部分を占め,その共同体の過去,
現在,未来をシンボル化していた」と言う.
60)Kenyatta, op. cit., n. 49, p. 23. 勢力範囲 の 観念
に つ い て は,Mayer and Mayer, Land Law in
the Making , in Kuper and Kuper, op. cit., n. 51,
pp. 51 78 も参照.
61)G. Wilson, Luo Customary Law and Marriage
Laws Customs, Government Printer (1961), p. 19
20.
6 2 ) D . J . P e n w i l l , K a m b a C u s t o m a r y L a w,
Macmillan & Co. (1951), p. 32.
63)ルオ社会に関して,Wilson, op. cit., n. 61, p. 20.
64)Ibid., p. 20. ま た ル オ 社会 で は,境界 に 接
して建物を設置することは禁止されていた.
Ibid., p. 21 に は,こ の 法理 を 適用 し た ア フ リ
カ裁判所の判例が紹介されている.
65)P. A. Dewees, Trees and Farm Boundaries:
Farm Forestry, Land Tenure and Reform in
Kenya , Africa, Vol. 65, No. 2 (1995), pp. 215 235.
66)Penwill, op. cit., n. 62, p. 51ff.
67)国際法上,領域主権の排他性に実効的占有が
要件とされるのと類似の構造にあると考えられ
る.そ の 後 の 国際法 の 展開 も 含 め,山本草二
「領域・空間の管轄と利用」
『基本法学 3 ―財産』
岩波書店,1983 年,83 頁以下を参照.
68)Abdulrasool Aladina Visram v. Muluwa
Gwanombi and others representing the Jibana
Tribe, [1915 16] 6 EALR, 31. な お こ こ で,植
民地裁判所によるアフリカ慣習法の扱い方の特
徴について一言しておこう.アフリカ慣習法の
適用は,当事者の両方がアフリカ人である民事
訴訟の場合に限られたが,適用される慣習法の
内容は,両当事者の証人,長老など伝統的権威
を有する者による証言を中心にした膨大な証拠
によって確定された.そして,これら証拠を整
理する際にイギリス法概念が範型として用いら
れていた.すでにこの点に,アフリカ慣習法と
イギリス法との接触が見て取れる.
69)以下,本判決の引用はすべて,Ibid., p. 34.
70)ただし,あくまで共同体外部に対する個人の
処分権のみが問題とされており,共同体内部に
おける個人の諸権利については触れられていな
い点に注意が必要である.
71)Kenyatta, op. cit., n. 49, p. 30.
72)Wilson, op. cit., n. 61, p. 51.
73)muramati の 権限 に つ い て は,Kenyatta,
op. cit., n. 49, p. 32, p. 34ff. 参照.
74)Muriuki, op. cit., n. 57, p. 75; Sorrenson, op.
cit., n. 57, p. 10.
75)Kenyatta, op. cit. n. 49, p. 35.
76)Kenyatta, op. cit., n. 49, p. 36.
77)Muriuki, op. cit., n. 57, p. 75.
78)以下の記述および引用は,Kenyatta, op. cit.,
n. 49, p. 38ff による.
79)この証言は,居合わせる長老によって確認
される.マイニは,これが「権原の根源(root
of title)を 確立 す る の に 役立った」と 言 う.
K. M. Maini, Land Law in East Africa, Oxford
University Press (1967), p. 11.
80)Kenyatta, op. cit., n. 49, p. 40.
81)通常の境界侵奪の場合であっても,その妨害
は共同体の実力を用いて同じように排除される
ことから,物理的強制力に支えられた規範とし
て法を把握する立場からは,境界の呪力の有無
に関わらず所有権の強度は同じであることにな
る.しかし,法と宗教とが結合することで予期
の確実性が増す点を考慮すれば,呪力を持つ境
界の法的拘束力は,そうでない境界よりも強力
だということになる.
82)Kenyatta, op. cit., n. 49, p. 29.
83)提供された家畜の場合,譲渡後に生まれた
家畜 は 返還 し な く て よ い.ま た 買主 も,自
ら 栽培 し た 作物・果実 は 返還 し な く て よ い.
Kenyatta, op. cit., n. 49, p. 209.
84)売買 に お い て,「売主 は 一方的買戻権 を 行
使できたため,その土地が永久的にクラン外
部へと渡ってしまう危険は存在しなかった」.
A. J. F. Simmance, Land Redemption among
the Fort Hall Kikuyu , Journal of African Law,
Vol. 5, No. 2, (1961) p. 75ff., p. 76. またこの論文
では,買戻権の認められないもう一つのケー
スとして,土地が殺人被害者の家族に対する
慰謝料(blood-money)の支払として譲渡され
た場合が挙げられている(ただし,その土地
は被害者家族に利用されるよりも,他人に移
転されることが多かったと言う).
ケニアにおける土地制度改革の法社会学的分析(一)(平田)
85)Kenyatta, op. cit., n. 49, p. 209ff. を参照.
86)これは,土地の譲渡が物の移転として構成さ
れていたローマ法と対照的である.ローマ法に
おいて,物を摑み「私に買われよ」と言明する
握取行為(mancipatio)が土地(属州の土地を
除く)にも適用されたことは,土地が客体とし
て移転の対象とされていたことを示している.
さらに,婚姻(女性が夫権に服すこと)は仮装
売買(握取行為)によって行われていた(松尾
弘「ローマ法における所有概念と所有物譲渡法
の構造─所有譲渡理論における「意思主義」の
歴史的および体系的理解に向けて(Ⅰ)─」
『横
浜市立大学論叢』第 41 巻第 3 号 1990 年,201
頁以下参照).
87)Kenyatta, op. cit., n. 49, p. 34ff. そ の 他 に,義
理の息子が土地なしの場合,舅の保有する土
地の利用が認められるケース(muthoni 関係)
,
未亡人の子が母方の mbari に属する土地の占有
を認められるケース(mwendia ruhiu の地位)
,
共同体の外部者が裕福な者の養子となるケース
(muciarwa)が あ る と さ れ る.Sorrenson, op.
cit., n. 57, p. 11.
88)Muriuki, op. cit., n. 57, p. 75.
89)Kenyatta, op. cit., n. 49 p. 35. こ れ に 対 し て,
借地人の側から長老会議へ訴えを提起すること
が認められていたかは不明である.
90)Ibid., p. 35.
91)Wilson, op. cit., n. 61, p. 56ff.
92)Samuel Nyawanda v. Mariko Otiende, (Ibid.,
p. 57.)
(559)
53
93)Onyango Owiti v. Ong owu Omindi, (Ibid., p.
58.)
94)Wilson, op. cit., n. 61, p. 59. た だ し,こ れ は
District Officer の見解であり,アフリカ裁判所
の見解とは異なるとされている.Ibid., p. 59
60.
95)か か る 性格 を 背景 に,経済共同体 の 内部 で
支配関係が形成されつつあったことも指摘さ
れ て い る.Muriuki, op. cit., n. 57, p. 78 79 は,
muhoi が共同体の防衛や開墾にあたっていた
ことを記述している.
96)Kenyatta, op. cit., n. 49, p. 34.
97)D. Brokensha and J. Glazier, Land Reform
among the Mbeere of Central Kenya , Africa,
Vol. 43, No. 3 (1973), p. 194.
98)カンバ社会においても同様の事態が報告され
ている.Penwill, op. cit.,n. 62, p. 38.
99)Wilson, op. cit., n. 61, p. 18f.
100)D. M. Ng ang a, What is Happening to the
Kenyan Peasantry? , Review of African Political
Economy, No. 20, (1981), p7. ff., p. 10.
101)グ ラック マ ン も ま た,土地権 が「身分秩
序に内在する諸義務に適合していた」と指摘
し て い る.M. Gluckman, The Ideas of Barotse
Jurisprudence, Yale University Press (1965), p.
71.
[ひらた しんたろう 横浜国立大学大学院国際
社会科学研究科博士課程後期]
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