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山陽自動車道 ■東京…約 1.2 時間 倉敷 瀬戸中央 ■札幌…約 2.0 時間(夏期のみ)自動車道 ■福岡…約 1.3 時間 あなん 岡山 飛行機 遍路史跡めぐり transportation 明石海峡大橋 神戸 大阪 尾道 坂出 フェリー ■和歌山…約 2.0 時間 神戸淡路鳴門 自動車道 瀬戸大橋 高松 鳴門 大鳴門橋 高松自動車道 ■東京…約 18 時間 池田 徳島 和歌山港 阿波おどり空港 徳島自動車道 徳島 高速自動車道 和歌山 阿南 神戸淡路鳴門 東 京 高知自動車道 南国 ・ 有 明 九 州 海部 北 室戸 至徳島 道 旧国 至勝浦 岩脇小学校● 那 賀 川 JR 那賀川橋 GS ●中野島小学校 ● ■徳島駅前…約 1.0 時間 ※阿南合同庁舎前までの時間 駐車場 徳島県立阿南支援学校 ■東京 約 10.1 時間 ■大阪 約 3.2 時間 ■神戸 約 3.0 時間 ※運行会社により乗降場所が 異なります。 至阿南駅 ※一宿寺境内には駐車場がございません。 阿南駅~一宿寺タクシーで約3,500円 加茂谷タクシー 新野タクシー 阿南タクシー 橘タクシー 富岡タクシー 毎日タクシー 高速バス 阿南直行便路線 ●セブン 日亜化学工業● ● ●まちだ ●一宿寺 路線バス 加茂谷橋 十八女橋 徳島駅より牟岐線 特急 約 25 分 普通 約 50 分 宿 55 号 持井橋 囲炉裏のある宿 碧(あおい) 0884-35-1211 0884-36-3131 0884-22-2717 0884-27-0018 0884-22-3422 0884-22-1420 Walking Map 阿南市吉井町片山 12 TEL/FAX 0884-25-0267 http://aoi-kajyu.com/ 平等寺入り口 山茶花(さざんか) 阿南市新野町秋山 188-1 TEL 0884-36-3701 道の宿 そわか 那賀郡那賀町和食郷字田野 50-1 TEL0884-62-0701 遍路道史跡ガイド 事前にお問合せください。原則として 5 名様以上 のグループで、1 カ月以前にご予約ください。会員 がご案内します。 (ガイド 1 人につき、 5,000 円です) お問い合わせ先:会長連絡直通 090-3187-7640 加茂谷へんろ道の会 http://kamodani.com/ 阿南市加茂谷地区における阿波遍路道の保護 活動及び広報活動を通じ、地域社会に貢献す ることを目的として 2013 年 5 月 15 日設立。 加茂谷へんろ道の会 徳島県阿南市富岡町西池田 135 番地(文化会館内) tel.0884-22-1798 fax.0884-21-0909 090-3187-7640(横井) 2016.6.2000T 加茂谷へんろ道の会 阿南市文化振興課 碧(あおい) 第二十番札所 勝浦町 第二十一番札所 太龍寺 国道 195 号 第二十二番札所 平等寺 道の駅 国道 195 号 一宿寺 第二十三番札所 薬王寺 第二十二番札所 平等寺 第二十一番札所 太龍寺 第二十番札所 鶴林寺 宿泊施設(詳細は最終面に記載) 宿 山茶花(さざんか) 宿 那賀町 ●大塚製薬ワジキ工場 ●お松大権現 一宿寺 十八女橋 阿波福井駅 N 1500 1000 500 0 「この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図 25000 を複製したものである。 (承認番号 平 28 情複、第 68 号) 」 至 木頭 宿 道の宿そわか 氷柱観音● 宿 鶴林寺 太龍寺道 かも道 阿南市 いわや道 平等寺道 新野駅 四国八十八箇所霊場を歩いて巡る道を遍路道と言う。 遍路道は、本来、巡礼専用に設定されたものではなく、地域の人々の生活道や農道・林道などが 利用されてきた。そのため時代と共にルートの変遷もあるが、その時々の地域社会の中で遍路道 は維持管理され守られており、札所を巡るお遍路さんを迷うことなく導いてきた道標や丁石が現 在も各地に残っている。 わじき温泉● 至橘 太 龍 寺 ロ ー プ ー ウ ェ イ 加茂谷橋 遍路史跡めぐり あなん 至 古庄 かも道終点 十六丁石 にじり石 かも道 加茂町一宿寺から太龍寺までの約5kmの旧遍路道。 かも道には多 くの史跡が残り、 寛永18年(1641) 『阿波国大絵図』 にはこの道が標 記されており、また貞享4年(1687) に真念が書いた 『四国遍路道指南』 には 「大師行脚の筋」 として 「かも道」 を紹介している。 道筋には南北朝 時代の 「丁石」 が建つ四国最古の遍路道である。 また竹林の 「青の道」、 石灰岩が露頭する 「白の道」 そして 「原生林の道」 などの自然豊かな道 で、 古道としての景観を色濃く残す。 太龍寺 三十二丁石 400 三十五丁石 500 4.5km 標準歩行時間 約2時間 三十八丁石 一 宿 寺 600 300 200 お松大権現 100 0 三十二丁石 かも道 一宿寺(いっしゅくじ) いわや道 一宿寺の名前の由来は弘法大師空 海がこの場所で一宿し、 また11世紀 に京都東寺の僧、 長範が太龍寺再興 の際にも一宿したことからその名が名 づけられました。 かも道終点 十六丁石 午王の滝 にじり石 白のみち 休憩ポイント 一宿寺境内は 車の乗り入れは できません。 こぶし石 弘法大師坐像 一宿寺 青のみち 最初が急勾配 三十五丁石 加茂谷中学校 三十八丁石 至駐車場 第二十一番札所 ●倉庫 太龍寺 卍 一宿寺 青のみち 四国遍路みち最古の かも道の丁石 太龍寺 若杉山遺跡 弥生時代末から古墳時 代初頭の水銀朱を含む 鉱石である辰砂の採掘 遺跡。全国唯一! 1km 先に 駐車場 かも道 舟形一丁石 太龍寺道 丁石(ちょうせき) とは、 目的地ま での距離を示した道しるべ。 1丁は約109メートルで、 かも道 には、 21基の丁石が残っています。 貞治4年(1365年)の年号が刻まれ た四国遍路最古の道標があります。 太龍寺山門へ 大井の石灯籠 大井小学校 (休校中) 寺ロ ープ ウェイ 第 21 番札所 白のみち 太龍寺道 弘法大師坐像(空海飛行伝説) 太龍 那賀川 「西の高野」 とも称され、 標高618m の太龍寺山の山頂近くにある。 弘法大 師が19歳のころ、 「舎心嶽」 という岩上 で、 真言を百万遍となえる虚空蔵求聞 持法を修行された事は、 大師の著作『三 教指帰』 に記されている。 縁起によると 延暦12年、 桓武天皇の勅願により堂塔 が建立され、 弘法大師が本尊の虚空蔵 菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し、 開創した。 山号は修行地の舎心嶽から、 寺名は修行中の大師を守護した太龍(龍 神) にちなんでいる。 第 20 番札所 鶴林寺 この場所より空海が鶴林寺へと、飛んで行った伝説が記されています。 こぶし石 この道で空海が転がってきた大岩 を拳で受け止めたという伝説が残る 岩。 岩には空海の拳の痕が残って いる。 にじり石 少しずつ太龍寺に、 にじりながら移 動しているという伝説が残る岩。 こ の岩が太龍寺に到着すれば、 世界は 泥海に沈むといわれている。 太龍寺道 鶴林寺から水井橋を経由し太龍寺に向う約7kmの遍路道。 平成21 年に四国で初めてその一部が国の史跡となった遍路道。 江戸時代か ら現代にいたるまで多くの歩きのお遍路さんが往来し、 道筋には太龍 寺までの距離を示す「舟形丁石」が建ち並ぶ。 山道を進む険しい道で古くから遍路道の難所と して知られている。 舟形丁石(ふながたちょうせき) 第二十番札所 鶴林寺 標高550mの鷲が尾の山頂にあり、 樹齢千年を超 すような老杉、 檜や松の巨木が参道を覆っている。 寺伝によると延暦17年、 桓武天皇の勅願により、 弘 法大師によって開創された。 大師が修行していたとき、 雌雄2羽の白鶴が老杉のこずえに舞い降り、 黄金のお 地蔵さんを守護していた。 この情景を見て歓喜した大 師は、 寺名を鶴林寺にしたといわれる。 0 500 1000 1500 N 一宿寺〜太龍寺(かも道)、 鶴林寺〜太龍寺(太龍寺道) m 舟形の石に地蔵菩薩が彫られた丁石。 地 蔵菩薩の脇に丁数を示している。 (江戸期のも の) この地点が 一丁石で一部欠けているが、 太龍寺まで28丁石ある。 いわや道 阿瀬比遍路小屋 舟形二十二丁石 100 笠付道標 200 舟形八丁石 300 舟形一丁石 400 中務茂衛兵道標 500 舟形三十九丁石 太龍寺 600 5.5km 2 時間 太龍寺から 「南舎心嶽」 を経由し、 かつて存在した 「龍の窟」 へと向か う遍路道で、 「平等寺道」分岐地点までの約3kmの道。 江戸時代には 多くのお遍路さんが歩いていた主要なルートであった。道沿いには、 「舟 形丁石」 などの歴史的な石造物が良好に残されている。 太龍寺 舟形丁石(ふながたちょうせき) 第二十一番札所 太龍寺ロープウェイから南に下る道にいくとすぐに公衆トイレがある。 そこから30m進むと右手に舟形一丁石がある。 ここからが「いわや道」 の始点となる。 「平等寺道」 の分岐点まで 「二十六丁石」 あり、 概ね良好 に残っている。 南舎心嶽(みなみのしゃしんがたけ) 舟形一丁石 南舎心嶽 南舎心嶽 中務茂兵衛道標 中務茂兵衛道標 若き日の空海が「求聞持法」の修行を行った場所で、 切り立った断 龍の窟 いわや道 ホトトギス採掘跡 休憩/ビューポイント ※遠くに鶴林寺二十塔が見える 舟形二十二丁石 ここより急坂 ! 舟形八丁石 あせび「薬師庵」 国会議事堂の 大理石採掘跡 平等寺道 笠付道標 遍路小屋 道の駅 中 山 道 いわや道 ● 中 山道 の道標 北地 へ 中山道 いわや道 舟形三十九丁石 ここから先 通行止め 崖の上に空海の像が置かれている。 中務茂兵衛道標(なかつかさもへいどうひょう) 中務茂兵衛は山口県の生まれで、1866年に出家し、 遍路を開始。 薬師庵 ↓ 太龍寺〜阿瀬比町遍路小屋(いわや道、平等寺道) m 60年間歩き、279回も巡礼した。 240基余の道標を建て、 生涯を遍 路に捧げた。 ここに建つ道標は100度目の巡礼記念として建てられた。 中務茂兵衛道標の特徴として巡礼数を記して、 手印を刻む。 龍の窟(りゅうのいわや) 空海が田畑を荒らす悪龍を法力で閉じこめたという伝説が残る鍾乳 洞跡。 現在は石灰岩の採掘で消滅。 かつて鍾乳洞には小さな御堂 道標 があり、 遍路の格好の休憩所であった。 平等寺道(いわや道分岐から阿瀬比町の遍路小屋までの山道) 平等寺道 「いわや道」 の二十六丁石から分岐する古道で、 平等寺を結ぶ遍路 北 地 道 ミラー 50m GS 道である。 「いわや道」分岐地点から山道をぬけて桑野町阿瀬比集落ま では約2.5km。 「いわや道」分岐から800mはなだらかな道だが、 急に 国道 下り坂となるので注意が必要。この区間に舟形三十九丁石が一つ残る。 遍路小屋 薬師庵(やくしあん) 道標 「龍の窟」内に安置されていた薬師如来像をこの地に移転。 脇に建 舟形三十九丁石 つ道標も 「龍の窟」 から移転されたものである。 「是より平等寺 一里」 とある。 国会議事堂の大理石採掘跡 大正時代に国会議事堂建設のために掘り出された大理石(銘柄はホ 0 500 1000 1500 トトギス)採掘跡。 天皇陛下御休所前広間の入口と、 額縁など議事 N 堂の主要な部分に使われている。 議事堂以外に東京国立博物館本会 や旧文部省庁舎にも使用されている。 平等寺 阿瀬比町の遍路小屋からは標高約250mの大根峠を越え平等寺まで 進む約4.5kmの遍路道。 いたる 第二十三番札所 薬王寺 第二十二番札所 平等寺 県の天然記念物 クスの群生 大根庵 県の天然記念物に指定されてい るクスの群生。 幹回りが6mを超 すものもあり、 いずれも見ごたえ のある巨樹である。 中村園太夫座の人形浄瑠璃 中村園太夫座は江戸時代末期 から活躍する新野町岡花地区の人 形浄瑠璃芝居一座。 国の重要無 形文化財にも指定されており、 現 在も活発に活動している。 平等寺道 道標 ② 遍路小屋 道標 ① 100 大根庵(おおねあん) 遍路小屋に隣接する小さなお庵で、 中に二つの厨子があり、 それ ぞれ木彫りの地蔵菩薩と弘法大師像が安置されている。 境内には遍 路墓も数基みられる。 もともと阿瀬比峠にあったものをいつの日かこの場所に移ってきたと いわれている。 険しい山岳部の遍路道です。 十分な装備のうえ、自己責任でお歩きください。 夏季はマムシ、スズメバチに充分注意ください。 300 200 南側の橋のたもとに建つ2基の道標。 向って右側の道標は天保2年 (1831) のもので墓石を兼ねており 「平等寺江(へ)六丁(600m)」 の文 字がみえる。 左側の道標は大正13年(1924) のもので、 正面に 「二 十一番太龍寺二里二十四丁 二十二番平等寺六丁」、 左側に 「右 轟神社 左へんろ道」 とある。 県の天然記念物に指定されてい る珍しい淡水魚スズキ目ケツギョ 科。 「オヤニラミ」 という変わった名 前は体の横についている青い目の ような模様に由来します。 体長 10センチほどの魚で水生昆虫など を食べています。 平等寺 大根庵 道標 ② 大根峠 400 オヤニラミ 4.5km 1.5 時間 道標 ① 500 阿瀬比遍路小屋 m 道標③ 遍路メモ 地蔵尊 600 国道の交差点から20mほど南に旧道との交差点があり、 その西南 の角に建つ中務茂兵衛道標。 169度目の巡礼記念に建てられた。 竹林にある大正9年(1920) に建てられた道標。 「平等寺まで廿(二 十)丁」 の文字がみられる。 平等寺まで約2km。 轟神社 クスの群生 道標 ③ 大根峠 道標① 道標② 0 500 1000 1500 ゴミは必ずお持ち帰りください。 N 阿瀬比町遍路小屋〜平等寺(平等寺道) 平等寺道(阿瀬比町の遍路小屋から平等寺まで) 弘法大師がこの地でご修行のみぎり空中に5色の霊 雲がたなびき、 その中に黄金の梵字が 現れました。 大師が歓喜して加持されると薬師如来の尊像が現れて 光明が四方に輝いたのです。 大師がさっそく加持水を 求め杖で井戸を掘られたところ、 乳のごとき白い水が 湧き溢れました。 その霊水で身を清められた大師は、 100日の修行の後に薬師如来像を刻み本尊として安置 し、 人々が平等に救済されるようにとの願いをこめて 山号を白水山、 寺号を平等寺と定められたのです。 第 22 番札所 火気は厳禁です。