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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
肥前長崎地方の「∼キル」「∼ユル」について
Author(s)
愛宕, 八郎康隆
Citation
長崎大学教育学部人文科学研究報告, 27, pp.135-144; 1978
Issue Date
1978-03-10
URL
http://hdl.handle.net/10069/32596
Right
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135
肥前長崎地方の「∼キル」「∼ユル」について
愛宕八郎康隆
は じ め に
例えば,「飲むことができる」,「飲むことができない」に当る言いかたを,九州内部
の諸域ではどのように表現しているかの概況については, 「九州方言の基礎的研究」
(P・94∼P・97)に報告がある。それによれば,およそ次のようである。 (ただし,老年者
の場合)
1.福 岡 県
ほとんど全域が, 「ノミキル」 「ノミキラン」
2.佐 賀 県
一部の地点を除いて,大勢は,「ノミユッ」,「ノミエン」
3.熊 本 県
天草地方の「ノミユッ」,「ノミエン」を除いて,大勢は,「ノミキル」,「ノミキラ
ン」
4.宮 崎 県
やや複雑ではあるが,熊本県東斗出に接する地域では,「ノミキル」,「ノミキラン」,
海辺部域では,「エーノム」,「エーノマン」,鹿児島県との接境域が「ノミ(ン)ガ
ナル」, 「ノミ(ン)ガナラン」
5.大 分 県
大勢としては,「ノミキル」,「ノミキラン」
6.鹿 児 島 県
ほとんど全域で,「ノミ(ン)ガナル」,「ノミ(ン)ガナラン」
ところで,長崎県下について見ると,「ノミキル」, 「ノミキラン」//「ノミユル」,
「ノミエン」の,言わば「∼キル」,「∼ユル」の2系列が見られ,しかもこれらが,一
地点での併存を見せたり,併存を見せない場合では,総体に,「∼ユル」地点が多く,
、「∼キル」の単一事象のみの分布を示している地点は,きわめて少ないのが注目される。
九州全域下にあって,「ノミキル」,「ノミユル」などの「∼キル」,「∼ユル」両事
象の,同一地点での併用は,熊本県下の天草地方や同県陸地部の一部,佐賀県の一部(神
崎郡千代田村崎村など)に見られる程度で,長崎県地方での,併用の比較的盛んな様が注
目される。
例えば,長崎市中での
○ジョーズニ シワエズシテ シーキッゴト ユーテ。上手にできもしないのにできるよう
に言って。 (中女ゆ少男)
などの実例が示すように,一文中に,「∼キル」,「∼ユル」両事象の併用の見られるこ
とは,当地域が,両系事象の併用地域であることを,いかにもよく物語っている。
小稿では,このような,長崎県地方における「∼キル」,「∼ユル」両類諸事象の生態
に注目し,両者の差異を明らかにするとともに,史的解釈にも言及したいと思う。
136 長崎大学教育学部人文科学研究報告 第27号
1
さて,まずはじめに,「∼キル」事象を見てみる。
10ヨミキルー。 シットン ネー。読むことができる。知っているのかね。 (青女→少男)
〈長〉 ・’ ノ
コ ノ
20ドンクライ オヨギキルー。どの位泳ぐことができる?(中女→少男)<長>
30ウチ モグッテ マワリキル ヨ。私もぐってまわることができるよ。(少女→同)〈黒〉
などのように,「∼キル」は,自他の動作行為について,それが可能であることをあらわ
す表現に,補動詞的に用いられる。この, 「∼キル」を用いた表現を,以下, 「∼キル」
表現と呼ぶことにする。 “
その「∼キル」表現には,・.いくつかの特徴傾向が認められる。
(1)には, 「∼キル」表現は,主として,動作主体の能力自体に基づいて,動作の可能で
あることをあらわす傾向のあること。 (ちなみに,このような事態を「九州方言の基
礎的研究」では, ミ能力可能. (p.94)と呼称し,動作主体の外周の状況に支えられ
て,動作の成就実現をみる場合のミ状況可能.(p.96)と区別している。)
②には,「∼キル」表現は,1,2の用例や,
リ ロ ノ
40ノボリキル カー。 (山頂に)登ることができるかい。(少女→青女)〈宮〉,
50バスニ ノリキッ ネー。バスに乗ることができるかね。 (二男→同)〈黒〉
などのように,相手に動作の成否をきく,いわゆる問いかけの表現を仕立てやすいこと。
(3)には, 「∼キル」表現は,若年層中心に見い出されること。 .
(4)には,「∼キル」表題は,主として,目下,同僚間の親しい間柄で用いられること。
⑤には,「∼キル」表現は,長崎市域の都市部で,特に盛んであること。
などである。なお,活用形ということでは,
60ソコマデ シーキレバ ジョートー。そこまでできれば上出来。(中男→青男)〈長〉
の「キレバ」,
70ホー ソガン ツカイキロー カ。マー。ほうそんなに(大金を)使うことができようか。
まあ。 (中女→中男)〈式〉
の「キロー」などの,仮定形,未来形は,それほど耳にすることはできない。
また,
ノ
80ソンゲントバ シワキッ .ネー。そんなの(手芸)をようできるかねえ。(馬丁→同)〈長〉
などの,本動詞と「キル」との間に,丁は」助詞をはさむ表現は,相手に対して,成否を
問う場合に限られ,それも,否を見越す気分の強い言いかたになるのが常であって,決し
て自己の側を表現するのには用いられない。もっとも,この,「∼ワキル」の表現形式の
ものは,後述の「∼ワユル」のものにくらべて振わない。
次には,「∼キル」表現に対して,その打消し形としての,「∼キラン」類の表現が取
りあげられる。
県下全般に,
90イッシュモ タベキラン。 サンニンオッタッチャー。一升も食べることができない。
三人いたって。 (老女→青女)〈宮>
100ワガ アタッテ キトルケン ソレダケワー ワスレキラン。自分が直接体験しでぎて
いるからそれだけは:忘れることができない。 (老男→中男)〈長〉
肥前長崎地方の「∼キル」 「∼ユル」について (愛宕)
137
110ソー セーンバ ソノ コドンガオーカッタケーニ クワセキラーン。そうしなけれ
ばその子供が多かったから食べさせることができない。(老女→山男)<蚊>
120アメワー ブリキラン ター。雨は(降りそうだが)降らないねえ。(愚女→同)〈長〉
などのような「∼キラン」をはじめ
130ヤトワンバ モー シーキリマッセン モーン。 (人を)雇わないと(畑仕事は)できま
せんもの。 (老女→青女)〈宮〉 、
140ナンモー シーキリマッシェンデス ヨ。何もできないのですよ。(老男→青女)〈登〉
などに見られる,ていねい形の「∼キリマッセ(シェ)ン」,また,
150ゴットイ セワニ ナッチョッテモ ナーンモ シワキラン デー。いつも世話になつ
ていてもなんにも(お返しが)できなくってねえ。(老女→中女)〈京>
160ヒッカゲトッタッチャ イキモキリマッセン。(歯が)欠けていても(治療に)行くことも
できません。(中女→老女)〈原〉
などに見られる,強調形の「∼ワキラン」,「∼モキリマッセン」,(「∼モキラン」も
ある)など,いわゆる打消しによる不能の表現が,先の「∼キル」表現にくらべて,はる
かに優勢であるのか注目される。
これらの「∼キラン」表現を通覧する時,そこに,,およそ,次のような特徴傾向を指摘
することができる。
(1)には, 「∼キラン」表現は,主として,動作主体の能力自体に基づいて,その動作が
不能であることを表わす傾向のあること。今,このような事態を,「能力不能」と呼
ぶことにする。
②には,「∼キラン」表現は,多くの場合,能力不能の動作主体が,表現者自身と重な
るということ。換言すれば,相手や第三者について言うことが少ないということ。
(このことは, 「∼キリマッセ(シェ)ン」, 「∼ワキラン」, 「∼モキラン」など
においても同様である。)
(3)には, 「∼キラン」表現は,問いかけの表現を仕立てることが,ほとんどないこと。
(このことは, 「∼キリマッセ(シェ)ン」, 「∼ワキラン」, 「∼モキラン」など
においても同様である。)
(4)には,先の「∼キル」表現が,長崎市の都市部中心の若年層者によく見られたのに対.
して,「∼キラン」表現は,県下に比較的広くこれが見られ,使用者も広がりを見せ
ていること。
などがあげられる。 .
ところで, 「∼キラン」表現が,先の,用例9∼12回忌うに,明確に能力不能をあらわ
す中にあって,
170キョーワ フネモ デーキラン バイナー。今日は船も出港できないわねえ。(中男ら同)
〈茂〉
は,出港できないのは,人でなくて漁船であり,しかも,出港できない理由が,この場
合,雪まじりの風波によることであってみれば,むしろこの表現は,外周の,環境の状況
による不能,一これを今,「状況不能」と呼ぶならば一状況不能の表現とも見ること
ができる。が,当地,茂木では,「デーキラン」に対して,一方に「デラレン」の言いか
たがあり,当地人によれば,両者のあらわす意味が違うと説明する。その差異についての
説明は,土地人でない筆者には,かなり微妙であるが,現地人の表現意識には,はっきり
138
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第27号
した差異があるように見受けられる。
説明を,筆者なりに要約すると,「船がデラレン」の場合は,もの的にとらえた船と,
環境状況としての雪まじりの風波との関係を,言わば客観的,白むきにとらえ,判断して
の表現ということになり,「船がデーキラン」の場合は,出港を不能にせしめているのは,
同じく,雪まじりの風波にあるとしても,そこに引き出されてくるのは,ものとしての船
ではなく,その船をあやつるはずの漁師であり,人であると言う。 「デーキラン」という
時,表現者の意識は,漁船をくぐり抜けて,漁師という人に行きついていると言う。
ということで,前者の「デラレン」の表現が,いわゆる状況不能の表現に当り,「デー
キラン」は,やはり,状況不能とは趣が達って,曲折を含むにしても,能力不能に準じる
ものとすることができよう。
また,
180ブリキランゴト シトッタデス モンネ。(雨が降りそうで)降らないような風情をしてい
たですものね。(老女→青女)〈長〉
や,用例12などでは,「ブリキラン」の主体は「雨」であるが,これらは,多分に擬人化
された表現と見ることができよう。
「∼キラン」のていねい形は,用例13,14のように,もっぱら「∼キリマッセ(シェ)
ン」が用いられるが,老年層に限られる。
「∼キラン」はまた,用例15,16などのように, 「は」や「も」を介して,強調表現を
仕立てる。先の,肯定的な言いかた,「シワキル」がまれであるのに対して,この打消し
の言いかたは,中,老年層に比較的よく聞くことができる。
以上,「∼キル」類の諸事象について見てきたが,これら「∼キル」類諸事象に拮抗す
るものに,「∼ユル」二恩事象がある。
II
「∼ユル」類諸事象としては,
190イキユル モンナ。行くことができるものね。(中女く母〉→幼女)〈船〉
の「∼ユル」,
200ジーナンカ ヨミエン ヒト イッパイ オッタトニ ネー。(昔は)字など読むことの
できない人はだくさんいたのにねえ。 (中女→同)〈長〉
の「∼エン」,
210ンニャ。オラ シワエン バーイ。いいえ。私はできないわよ。(中女→老女く姑〉)〈戸〉
の「∼ワエン」,その音面形としての,
220ヨミャエン タイ。読むことができないよ。 (中男→青男)<木>
230タベチャ イ両脚ントデス タイ。 (農業だけでは)食べていくことができないのですよ。
(老女→青女)〈三〉
などが白い出される。
これら「∼ユル」類諸事象は,先の「∼キル」藤島事象にくらべて,全県下に盛んであ
り,なかでも,「∼エン」をはじめとする打消し形の隆盛が注目される。
「∼ユル」類焼事象の中の「∼ユル」表現について見ると,そこに,いくつかの特微的
な傾向を指摘することができる。
(1)には,用例19,あるいは,
肥前長崎地方の「∼キル」 「∼ユル」について (愛宕)
139
240ヒチジニ オキユッ。7時に起きられるよ。(中男→同)〈長〉
などのように,「∼ユル」表現は,自他の,いわゆる能力可能を表現するということ。
(2)には,先の「∼キル」表現が,多く,相手に動作の成否をきく,問いかけ表現を仕立
てがちであったのに対して,「∼ユル」表現には,そのような傾向は認められないこ
と。加えて自己側の能力可能をあらわす場合も多いこと。
(3)には,先の「∼キル」表現は,時に,初対面者や外来者に対して用いられるのに対し
て,「∼ユル」表現は,もっぱら,親しい間柄(同僚,友人,親子間など)で用いら
れ,前者が,中,若年層に用いられるのに対して,後者は,全年層にわたって用いら
れること。
(4}には,先の「∼キル」表現が,長崎市などの都市部中心に見い出されるのに対して,
「∼ユル」表現は,ほとんど全県下的に見い出されること。
⑤には,先の「∼キル」が,その活用語尾の「ル」音を,促音化させたり,させなかっ
たりするのに対して,「∼ユル」の方は,そのほとんどを促音化させていること。,
などがあげられる。
なお,活用形という点では,
250モー コロッテ オキエテ バ。ツヨーシテ。もうすっかり起きることができてね。(力
が)強くて。(中女→老女)〈小〉《赤ちゃんの成長》
260心学ギエレバ デル サー。泳ぐことができるなら(選手として)出るよ。(少女→同)〈長〉
などの,連用形,仮定形は振わない。
「∼ユル」はまた,
270キワユル カイネー。来ることができるかねえ。(老女→中女)<長>
280シワユイ カニャ。できるかね。 (老女→少男)〈馬〉
などのように,「は」助詞を取って強調の表現を仕立てるが,これらは,あまり耳にする
ことはできない。
次に,
290ネーチャン アルキエン トー。ねえちゃん歩くことができないの?(少女→青女)<長>
300チャンネルン トコ マーダ カタカケン シーエンバッテン サー。チャンネルのと
ころはまだかたいから(幼い子はまだ廻すことが)できないけどねえ。(青女→同)〈長〉
などのように用いられる,打消し形の「∼エン」であるが,これを,先の「∼キラン」に
くらべてみると,そこに,次のような差異点が恥い出される。
(1)には,先の「∼キラン」が,多くの場合,能力不能の動作主体が,表現者(話者)と
重なったのに対して,「∼エン」は,そのような片寄りを見せないこと。例えば,用
例29は,動作の主体は相手であり,30,20などは,それが第三者であるというぐあい
である。
(2)には,先の「∼キラン」には,そのていねい形として,「∼キリマッセ(シェ)ン」
が見られたが,「∼エン」には,なぜか「∼エマセ(シェ)ン」のていねい形が見ら
れず,
310ワスレワエマセン。忘れることはできません。(老女→中男)<長>
320ナンモカンモ ミワエマッセン ト。何もかも見ることができませんの。(老男→中男)
(宮)
などのように, 「∼ワエマセン」の形態をとりがちであること。
140
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第27号
(3)には,先の「∼キラン」が,どちらかと言えば,中年層以上に聞かれたのに対しで,
「∼エン」は,全年層に聞かれること。
一方,共通する点としては,両者とも,問いかけの表現には,これを見い出しにくいと
いう事実を指摘することができる。
「∼エン」は,「は」助詞を介して,用例21のように,「ワエン」の強調形式を生んで
いる。この形式は,「∼エン」にくらべて,自己の側を言う場合が多く見受けられるが,
330ネーワエジ ワガワ ナガメトッ ト。コヲ。眠ることができないで自分は眺めているの。
1子(の寝顔)を。(老女→青女)<福>
340ワガ シワエージー。自分はよくできないくせに。(青男→同)〈千〉
などのように,「∼ワエジ」となる場合は,相手や第三者について言うことが多いようで
ある。
「∼ワエン」は,また,その「ワ」を前接音との融合下におき,用例22や,
350シニドキガ コニャー シニャエントデス ヨー。死期が来なければ死ぬことはできない
のですよ。 (老女→中男)<樫> 1
などのように,「ワ」を拗音節に内在せしめた形を見せている。
これがまた,さらに,用例23や,
360ノボラエン バイ。登ることができないよ。 (中陰→京男)〈戸>
370ワリャ オヨガエンヤロ ガー。お前は泳ぐことができないだろうが。(青男→下男)〈木〉
などのように,直音化形態をも示している。
この「イカエン」 (行くことができない),「ノボラエン」 (登ることができない),
「オヨガエン」 (泳ぐことができない)を,それぞれ, 「イカレン」, 「ノボラレン」,
「オヨガレン」からのものとする考えも成り立つかに見えるが,これらが,いずれも,状
況不能を表現するもの(後述IV)とは区別さ一れる能力不能の表現であることと,用例22の
「ヨミャエン」,35の「シニヤエン」などの言いかたとの相関性によって,筆者はこれら
を,それぞれ,
◎「イキワエン」→「イキャエン」→「イカエン」
◎「ノボリワエン」→「ノボリャエン」→「ノボラエン」
◎「オヨギワエン」→「オヨギャエン」→「オヨガエン」
の変化になるものと考える。
この「イキャエン」,「イカエン」の言いかたは,長崎市内などではあまり聞かれず,
西彼杵半島や島原半島域によぐ聞くことができる。
ともあれ,先の「∼ワキラン」が,それほど振わなかったのにくらべて,「∼ワエン」
(「イキャエン」,「イカ.エン」の言いかたも含めて)類一連の諸事象の活況は,大いに
注目される。
III
ところで,近年,長崎市,佐世保市などの都市部で,
380コガン ムツカシカトワ シーキエン。こんなむつかしいの(問題)はできない。(少女→
同)〈長>
390イッチョン シーキエン ト。さっぱりできないの。 (少女→同)<長>
400オイガ タベキエントノ アッ トサ。私が食べることができないのがあるんだよ。(青男
肥前長崎地方の「∼キル」r∼ユル」にわいて(愛宕)
141
→同)<長>
410ヨミキエン バイ。読むことができないよ。,(少男ゆ同)〈佐〉
などのように,「∼キ主シ」め言いかたが,小,中学生中心に,比較的よく行なわれてお
り,こめ年層では,「∼キラン」表現との併用が見受けられるポ
420トビキッ カ。 (この溝を)跳ぶことができるかい。 (少男→同)〈長〉
に対して,
430ソンガン コト シーキエン。そんなことできない。
というように, 「∼キル」表現の問いかけには,ふつう, 「∼キラン」で応じるところを,
「∼キエン」で応じているところがらしても,「∼キエン」が,次第に力を得ていく情況
がしのばれる。話者当人に,「∼キラン」と「∼キエン」との差異について説明を求める
と,多く,ただ,「∼キラン」より「∼キエン」の方が,「イβヤスカ。」 (言いやす
い。)と答える。親しい友達仲間で用いられる,この「∼キエン」表現は,その言いやす
さのゆえに,支持を得て,勢力を高めつつあると言えようか。
ところで,この「∼キエン」の出自は,どう考えることができようか。
単純に,「∼キレン」(実際に,この形は見当らないが)からのものかとも考えられる
が,一方, 「∼キラン」や「∼エン」の盛んな言語環境からすると,「∼キエン」は,こ
れら「∼キラン」と「∼エン」とのコンタミネーションによるものと考えてはいかがであ
ろうか。
もしそうだとすれば,この「キエン」は,「キル」, 「ユル」の,典型的とも言える併
用社会,長崎ならではの事象形態と言えよう。
以上,これまでに,
『1……「∼キル」類諸事象
∬……「∼ユル」類諸事象
皿……「∼キエン」事象
を見てきた。これらは,おしなべて,能力可能や能力不能の表現を仕立てるものであっ
たが,県下には,こ.れらとは別に,いわゆる状況可能や状況不能の表現を仕立てる 「∼
ルル」,「∼ラルル」類諸事象がある。
IV
長崎県下一般に,「∼キル」・,「∼ユル」などで表現する場合と,「∼ルル」, 「∼ラ
ルル」などで表現する場合とでは,話者の意識のうえに,はっきりと区別が認あられる。
440カイガンバ イカルッ・ ト。海岸を行けるよ。(老男→青女)〈宮〉
は,海岸沿いの歩行に,障害になるよう1な難所がなくて,歩いて行くことができるという
意味あいで,ここでは,歩行者の能力自体に重ぎがおかれるのではなくて,外的状況とし
ての海岸沿いの地形に重きをおいての可能表現,つまり状況可能の表現である。
また,
450コイ レイゾーコニ イレラルッヤロ カー。これ冷蔵庫に入れられるだろうか。(青女
−→中払)〈長〉
について言えば,冷蔵庫に西瓜を入れる人側の,例えば力の能力が問われているのではな
くて,冷蔵庫の空間の広狭が問われているというわけである。
142
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第27号
これが,「∼レン」,「∼ラレン」などの打消し形となっても,例えば,
460インクノ ナカケン 三重レン。インキがないから書けない。(青男→同)〈長〉
のように,ミ書けない.のは,本人にとって書く能力がないのではなく,インキがないと
いう外的制約によって書けないのであって,こういう場合,決して,「カキキラン」とか
「カキエン」とかの表現はしない。
470イッチョワ クワレン。 キズン チートッ。ひとつは食べられない。傷がついている。
(中宮→老男)<宮>
480タベラレンジャッタ トゾー。 (、果物はいたんでいて)食べられなかったのですよ。 (老女
→同)〈三〉
などの「クワレン」,「タベラレン」も,自分が嫌いだからとか,体が不調だからという
のではなく,食べもの自体に欠陥があることで,食べられないというのである。
このように,長崎県地方においては,「∼キル」,「∼キラン」/「∼ユル」,「∼
エン」/「∼キエン」などによる,能力可能・不能の表現と, 「∼ルル」,「∼レン」
/「∼ラルル」,「∼ラレン」などによる状況可能・不能の表現によって,「可能・不
能の表現体系」が成立していると言えよう。
ちなみに,共通語では,不能をあらわす「デキン」は,当地方にあっては,例えば,
490ペンキョ 輝輝ャ デケン ゾヨー。勉強しなければだめだよ。(老女→少男)<長>
500ベニヤドン コーチ ヨシェトカンバ デケン ター。ベニヤ板でも買って集めておかな
いといけないねえ。 (中女→中男)〈福〉
などのように, 藁だめ。とかミいけない。の意味あいにも,よく用いられて特異である。
む す び
以上,長崎県地方における「∼キル」類 「∼ユル」類の諸事象について,その生態を
見てきたが,両類拮抗するなかにあって,両者の生態上の差異は,つまるところ,次のよ
うに整理することができようか。
(1) 「∼キル」表現が,相手に動作の成否をきく,いわゆる問いかけ表現を仕立てやす
いのに対して,「∼ユル」表現には,そのような傾向は,特に認められず,自己側
(話者)の能力可能を言う場合も多いこと。
(2) 「∼キラン」表現が,多くの場合,能力不能の動作主体が,表現者(話者)自身と
重なるのに対して,「∼エン」表現では,能力不能の動作主体が,表現者と必ずしも
重ならず,動作主体が,相手であったり,第三者であったりすること。
③ 「∼キル」表現が,どちらかと言えば,若年層中心に用いられるのに対して,「∼
ユル」,「∼エン」の表現は,全年層的に行なわれていること。
(4) 「∼キル」表現が,長崎市などの都市部中心に聞かれやすいのに対して,「∼ユ
ル」表現は,これを全県下に,広く聞くことができること。
(5) 「∼キル」表現と「∼ユル」表現との意味上の差異は,当事者たちも言うように,
ほとんどないように思われること。
(6) 「∼キル」表現も,「∼ユル」表現も,ともに,同僚,友人,家族の間で,親しみ
をもって用いられるが,「∼キル」表現は,初対面者や外来者にも用いられ,「∼ユ
ル」表現にくらべて,やや良いことばと意識されがちで,特に市域をはなれた村部で
は,その傾向が強いこと。
肥前長崎地方の「∼キル」 「∼ユル」について (愛宕)
143
ちなみに,長崎市生まれで,当地在住の30代の女性はミ「∼ユル」は,いかにも地
ことばという感じがするし,子どもの頃から,よく使ってきた。それに対して,「∼
キル」は標準語的な感じがする。。と説明する。
これが,旧長崎市を出はなれた村部,例えば,戸石(トイス)の地の中年女性は,
ミ地の人同士が話し合う時は「∼ユル」を,他所ゆきの気持では, 「∼キル」を使
う。。と述べる。
また,茂木の青年女子は, ミ「∼キル」は,「∼ユル」より,やや上のことばで,
「∼ユル」は,他地に出たことのない,専農,呼野の人々がよく使い,やや古風な感
じがする。。と解説する。
市域を遠くはなれた,西彼杵半島の琴海町の小口部落や南高来郡の小浜町木指(キ
サシ)部落あたりになると,地ことばとしては,「∼ユル」があるだけで,「∼キ
ル」は,他所ことばと説明する。
以上のように,両類の生態的差異を見てきて,おのずと興味は,「∼キル」類 「∼ユ
ル」類,両類の新古に注がれるが,臨地調査での,現地人の,両類諸事象についての説明
や内省,さらには,それらの分布情況などを勘案してみるに, 「∼ユル」類は, 「∼キ
ル」類よりも,古い事象群と認めることができるように思われる。
「九州方言の基礎的研究」での,当該諸事象の分布報告によれば, 「ユル」の分布が,
佐賀,長崎両県陸地部,五島列島,天草諸島など,九州西辺域を四域としているのが注目
される。とかく,古態事象を遺存しがちな西辺域に,今,長崎県地方の「ユル」が濃密さ
をもって分布している事実は,やはり, 「ユル」の, 「キル」にまさる古さを思わしゆる
ものであり,
510ハヨ コンパ エン ゾー。早く来なければもらえないよお。(中男く父〉→少女)<三>
520コバノ バーチャントヲ エター。野阜ミニー。古場のばあちゃんの服をもらった。かた
みに。 (老女→同)〈福〉
などの,「エて」,「エた」の動詞としての用法のあることも,ゆえあることに思われる。
なお,ロドリゲスの日本大文典(土井忠生先生訳.P.617)に,当時の中央語として,
「xiyenu」(し得ぬ)の記載のあるのは興味深い。
ともあれ,共通語世界や多くの言語社会では,いわゆる可能動詞や「れる・られる」助
動詞で表現するところを, 「∼キル」類, 「∼ユル」類の諸事象や「ルル・ラルル」で表
現する言語習慣は,一連の事象が,述部顕現のものであることもあって,肥前長崎地方の
方言色を強く支えている。
将来,「∼キル」類 「∼ユル」類が,どのような勢力の展開を見せていくかは,興味
ある問題であるが,見るところ,「∼キエン」というような新事象が起り,かつ,「∼キ
ル」, 「∼キラン」の,都市部からの,一種,共通語的な拡充が起りつつあるとしても,
「∼ユル」類諸事象の,当地方方言における,しぶといまでの根づきは,容易にはくずれ
ないように思われる。
〔注〕
① 文例末尾の〈 〉の地名略示は却下の通り。
〈長〉……旧長崎市
く戸〉……長崎市戸石町
144 長崎大学教育学部入文科学研究報告 第27号
く茂〉……長崎市茂木町
く京〉……長崎市京泊郷
く式〉……長崎市式見町
く三〉……長崎市三重町
く樫〉……長崎市三重町樫山
く黒〉……西彼杵郡大島町黒瀬
く宮〉……西彼杵郡西彼町宮浦
〈登〉……西彼杵郡時津町登呂福
〈蚊〉……西彼杵郡三和町蚊焼
く船〉……北松浦郡鹿町町船ノ村
く原〉……大村市原ロ郷
〈小〉……諌早市小野
〈福〉……諌早市福田
く千〉……南高来郡千々石町
く木〉……南高来郡小浜町木指
く馬〉……南高来郡有馬町
く佐〉……佐世保市
② 本稿は,第4回広島方言研究所ゼミナール(50.7.21)で発表したものを基に,加筆したもの
である。
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