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近代沖縄の公共 交通

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近代沖縄の公共 交通
近代沖縄の公共
沖縄の公共交通に鉄軌道が登場するのは意
外に早い。明治が客馬車の時代だとすると、
路面電車と鉄道が導入された大正は鉄軌道の
時代といえる。電車はバスの登場で営業19年
目に姿を消すが、鉄道は沖縄戦で破壊される
まで31年間県民の足として活躍した。大正か
ら昭和20年までの乗り物の写真を眺めてみる
と、その多様性に驚く。往時の豊かな風景と
近代沖縄の公共交通関連年表とともに紹介す
る
(編集部)
【写真提供:那覇市歴史博物館】
泊高矼の鉄橋を通過する電車。大曲りをするので高い軋音をたてた
電車のシートに腰掛け談笑する婦人たち
最初(大正3年)の電車の起点は、大門大通りと久米大通りの交差する「三笑堂文具店」だった
首里坂下を走る電車
近代沖縄の公共交通関連年表
1879(明治12)
年 廃藩置県
1886(明治19)
年 第5代沖縄県知事、大迫貞清の専用車
として人力車を輸入
1887(明治20)
年 人力車が那覇を中心に導入される
1894(明治27)
年 沖縄に鉄道を敷設する計画が出る
1900(明治33)
年 日本で初めて自動車が輸入される
1902(明治35)
年 初めて客馬車登場
(那覇~首里間)
。客
馬車と荷馬車による交通機関が全盛期
を迎える
1904(明治37)年 客馬車が那覇~与那原、那覇~名護・
国頭、那覇~糸満間を往来
1906(明治39)年 県内荷馬車数104台、うち88台は与那
原を拠点に運行
1908(明治41)
年 2月、
「県諭告第1道路ハ必ス左側ヲ通
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行シ」
と定められる
米フォード社、T型フォードの販売を
開始
糸満街道
(那覇~糸満間)
開通
1910(明治43)
年 国は軽便鉄道法を公布。設備の小さな
「軽便鉄道」
建設の動きが盛んになる
1911(明治44)
年 沖縄電気軌道
(株)
設立。那覇~首里間
4㎞余の軌条敷設権を獲得
県営の軽便鉄道敷設について話し合わ
れる
1912(大正元)年 国頭村宜名真の
「もどる道」
開削
1913(大正2)年 沖縄県営の鉄道敷設計画が県会に提
出、承認。日本赤十字社から資金を借
り受け、与那原線敷設が決まる
交通
那覇中心部。左は山形屋百貨店、正面に市役所の建物が見え電車が走っている
崇元寺石門前を走る電車。人力車と競合している
観音堂下を走る電車
見世前大通りを通堂へ向かって走る電車。右は百四十七
銀行那覇支店、奥が日本勧業銀行那覇支店
波之上祭の夜、呼びものとして人気を集めたハーリー電車(昭和 5 年、波之上
祭参加記念)
1914(大正3)年 5月、初めて電車が開通
(那覇~首里
間)
。那覇の大門前を起点に首里山川
までの5.7㎞
1914(大正3)年 12月、初めて沖縄県営
(軽便)鉄道が与
那原線
(那覇~与那原間、約30分)営
業開始
1915(大正4)年 国頭街道
(那覇~嘉手納~名護~羽地
~今帰仁間)
開通
レール上を馬車が走る
「軌道馬車」
が導
入され、移動時間が短縮された
(那覇
~与那原間、移動時間1時間余)
1916(大正5)年 大坪商店(那覇市西本町)が宣伝用にT
型フォードを初輸入
沖縄電気軌道㈱が経営難から、電車企
業経営の権利を沖縄電気㈱に譲渡
軌道馬車
(与那原~泡瀬間)
開通
1917(大正6)年 国頭村伊地~与那間
(与那高坂)
の海岸
斜面の道を開く
山入端隣次郎が帰国し、沖縄初の乗合
自動車
(旅客運送業)
「沖縄自動車㈱」
設
立。
(那覇~名護間を3時間で結ぶ)自
動車運輸の幕開け
沖縄電気㈱が全線6.9㎞の営業を開始
7月、海陸連絡線貨物営業開始
1920(大正9)年 12月、
「道路取締令」が制定。内務省が
自動車の左側通行の方法を決定 大宜味村と国頭村の境、大国トンネル
完成。国頭郡道が指定県道となる
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那覇市旭町にあった那覇停車場。すべての路線の起点駅だった(現在の那覇バスターミナル)
軽便客車が停車している建物が那覇駅。左は機関車庫
軽便鉄道を追いかける少年(東風平駅付近)
沖縄県営鉄道嘉手納線嘉手納駅と長島鉄道管
理所長と駅員たち
那覇駅正面
1921(大正10)年 3月、東宮殿下お召し列車運行
(与那
原~那覇)
、当時皇太子だった昭和天
皇が欧州視察の途上、軍艦香取が与那
原に寄港
県道、名護~羽地村伊差川~国頭村辺
土名間が開通
1922(大正11)
年 2月、軽便鉄道嘉手納線
(那覇~嘉手納
間、約23.6㎞)
営業開始
1923(大正12)年 7月、軽便鉄道糸満線
(那覇~糸満間)
営業開始
関東大震災でマヒした市電網を補う目
的で東京市がフォードから1000台のT
型トラック改造バス
(円太郎バス)
を緊
急輸入。バス需要の拡大を見越し3年
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沖縄県営鉄道糸満線東風平駅。国場~糸満間でいくつ
か停留所はあったが駅舎があるのは東風平だけだった
後にフォード、その翌年にGMが日本
に組み立て工場をつくる
1925(大正14)
年 5月、秩父宮殿下ご乗車
1926(大正15)
年 3月、高松宮殿下ご乗車
あずまバス那覇~屋慶名線開通
(大山・
泡瀬経由)
1929(昭和4)年 あらかき自動車、那覇~首里間に3台
のバスを走らせる
1930(昭和5)
年 4月、軽便鉄道、ガソリン動車使用開始
1931(昭和6)年 7月、デング熱のため嘉手納線、与那
原線運休
(7月11日~ 28日)
1932(昭和7)
年 那覇市内に昭和自動車商会はじめ南
陽、朝日、あずま、新垣自動車などバ
ス会社が林立した
沖縄県営鉄道開通 20 周年記念スタンプ
沖縄県営鉄道開通 20 周年記念で飾りたてられた軽便鉄道。普段はもっと少ない客車を引いていた
那覇港は、軽便鉄道の引込線と荷馬車で運ばれてきた黒糖樽の荷役で賑わった
軽便鉄道の機関車
首里市営バスとバスガール。昭和 10 年 1 月 23 日に創立、
あらかき自動車のバスと職員。昭和に入るとバスが交通機関の花形として登場した
那覇~首里間を往復した
沖縄県営鉄道糸満線糸満駅。駅長と駅員ら
沖縄県営鉄道与那原線与那原駅。コンクリー 爆撃を受けた沖縄県営鉄道の軽便機関車
ト造のモダンな駅舎だった
1933(昭和8)年 8月、沖縄電気
(株)軌道部廃止により
電車運行が停止。12輛の車輌が解体
される
県道、名護~羽地村伊差川~国頭村辺
土名間にバス路線開通
1935(昭和10)
年 首里市が独自で市営バスの運営に乗り
出す。バス会社競争の時代へ
県道、国頭村辺土名~宇嘉間開通
1936(昭和11)
年 軽便鉄道との連絡路線として、稲嶺~
百名間、東風平~富里間が営業開始
国頭村座津武の坂に座津武トンネル完
成
1937(昭和12)
年 県道・国頭村宜名真まで開通
1939(昭和14)
年 糸満馬車軌道が営業停止
1940(昭和15)年 沖縄本島内のバス会社10社、130台が
運行。バス最盛期であるこの頃、一日
平均旅客数7200人、年間260万人の乗
客を運んだ
1944(昭和19)
年 沖縄軌道客車の運行停止
7月、最後の通常ダイヤ運行。日本軍
による徴用で軍用鉄道として武部隊輸
送始まる
10月、10・10空襲にて那覇駅などに被害
12月、糸満線、南風原村神里から大
里村稲嶺付近で列車爆発事故
1945(昭和20)
年 3月、沖縄県営
(軽便)
鉄道運行停止
戦時体制に入り、バス会社1路線1社
に統合される
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