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アフガニスタン入ใ書 - 日本国際ボランティアセンター

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アフガニスタン入ใ書 - 日本国際ボランティアセンター
アフガニスタン入ใ書
2005年9月
日本アフガン NGO ネットワーク(JANN)
アフガニスタン入ใ書
日本アフガン NGO ネットワーク(JANN)
2005年9月
1
アフガニスタン入ใ書
2005年9月
日本アフガン NGO ネットワーク(JANN)
目次
序文.......................................................................................................................... 3
JANN とは............................................................................................................... 3
Section 1 – はじめに ................................................................................................. 4
1.1 歴史的背景 ........................................................................................................ 4
1.2 地理................................................................................................................... 5
1.3 人口と民族 ....................................................................................................... 7
1.4 経済.................................................................................................................... 9
1.5 アフガニスタンにおけるイスラム教 ........................................................... 10
Section 2 – タリバン政権崩壊後の復興と平和構築の概要 .............................11
2.1 ボン合意 .......................................................................................................... 11
2.2 治安ശใ改革(SSR)................................................................................... 13
2.3 CIMIC 軍民関係 .............................................................................................. 13
Section 3 – 援助環境 ............................................................................................... 16
3.1 国家開発‫ٽ‬画 .................................................................................................. 16
3.2 国際機関の援助動向....................................................................................... 18
3.3 アフガニスタン難民・国内避難民の状況 .................................................... 21
3.4 医療保‫ڵ‬分野の現状....................................................................................... 22
3.5 教育................................................................................................................. 26
3.6 女性.................................................................................................................. 27
3.7 アフガニスタンの地雷状況 ........................................................................... 27
3.8 生‫ٽ‬.................................................................................................................. 30
Section 4 – ඬ人 NGO 向け情報 ........................................................................... 31
4.1 日本の対アフガン支援(日本政府の方針と NGO 活動) .......................... 31
4.2 生活上の問題(入国、ビザ、保‫、ڵ‬ि事、健康管理、治安).................. 39
4.3 推薦書紹介 ..................................................................................................... 42
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2005年9月
日本アフガン NGO ネットワーク(JANN)
序文
このガイドは、主にアフガニスタンに対しこれから取組む日本の NGO 職員と
他の援助機関の職員向けである。アフガニスタンに新しく関係を持つ人は歴史
と文化から支援枠組みと治安分野改革といった問題までの広範な情報に直面す
る。このガイドには、それぞれの主要な問題の重要な点に関する最新の分析が
日本۰で書かれてある。
多くの人がこのガイドの作成に貢献した。編集者は下記の方々に対し、特に感
ࡑしたい:Christian Dennys、平井礼子、હ山博史、柴田裕子、紺野誠二、林裕、
斉藤真美子、今井千尋、َ井香奈。また、アフガニスタン調査評価機構(Afghanistan
Research and Evaluation Unit – AREU)と英国機関アフガニスタングループ(British
Agencies Afghanistan Group – BAAG)には、彼らの出版物の関連ശ分をわれわれ
が翻訳することを‫נ‬可していただいたことに対し、深く感ࡑしたい。最後に、
೗常に寛大な翻訳者の助力がなければ、このガイドを製作することは絶対に出
来なかった:杉井弥生、内野麻由、中山オリエ、内田州、宮下今日子。翻訳の
チェックはଥહശ貴俊が担当し、編集はエミリー・パーキンが担当した。
アフガニスタンの状況は急速に変化しているので、このガイドを定期的に更新
する予定である。このガイド、もしくは将来の版に関するコメントや࠽問のあ
る方は Emily Perkin ([email protected])までご連絡下さい。
より詳しい情報が知りたい方は、このガイドの最後にある「推薦書」のリスト
を御覧下さい。また、JANN ウェブサイト(http://www.jca.apc.org/~jann/ ) には、
多数の日本۰に翻訳されたアフガニスタンに関連する出版物のデータベースが
掲載されていますのでそちらを是೗御覧下さい。
JANN とは
日本アフガンNGOネットワークは2003年に৓立され、アフガニスタン復興活
動を行う日本のNGOが必要情報に容易にアクセス出来るようにすることを目指し
ています。JANNの「使命」は次のとおりです:
3
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2005年9月
日本アフガン NGO ネットワーク(JANN)
•
日本国内、特に日本のNGOのコミュニティー間においてアフガニスタン
の平和構築に関する情報アクセスと分析を促進する。
•
関連する政策について研究を行い、調査結果を政策決定へと導く。
•
また、アフガニスタン平和構築に関する議論と情報共有をコーディネー
トし、促進する。
Section 1 – はじめに
1.1 歴史的背景
(BAAG Briefing Pack1 2003 p.7)
アフガニスタン紛争のルーツは、新しい知性運動が保守的なശ族や宗教分子か
らの抵抗にあった 20 世紀初頭に遡る。1978 年 4 月の PDPA(共産主義政党)
クーデターと 1979 年 12 月のソ連侵略という結果に及んだ政変が、この政治的
およびイデオロギー的௖争過程のクライマックスである。
ソ連占領の 10 年間と、それに続きソ連に支持された政府が政権の座にあり続
けた 3 年間は、米国、サウジアラビア、その他諸国から抵抗運動への武器提供
があり、イスラム組織の発展にも寄与した。1992 年 4 月にソ連に支持された政
権が崩壊した時、様々なムジャヒディン(Mujahidin:イスラム聖戦士)抵抗グ
ループは始めから適切な勢力範囲について調整合意ができず、それぞれが軍事
的手段によって目的を達成させようと、彼らの間で戦いが֙こった。タリバン
がカブールを獲得する前の 4 年間、首ஞの多くの地域は瓦礫となった(タリバ
ンもまた支配権を築き上げるときから崩壊まで破壊をつくした)。
1994 年 10 月のタリバンの出現はカブール(Kabul)やアフガニスタン南ശの大
ശ分に広まっていた無政府状態に対する反応として見ることができる。彼等は
1
The BAAG Briefing Pack hereon refers to: BAAG (British Agencies Afghanistan Group) (2003)
AFGHANISTAN BRIEFING PACK: An Introduction to Working in Afghanistan and/or with Afghans
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カンダハル(Kandahar)‫ة‬くに住み、その地域を統制していた軍司令官等の行
動に道徳上の理由で反対していた生徒達の小さなグループに֙源をもっていた。
これらの生徒(すなわちタリバン)が軍司令官等に対して暴力という手段を使
った時、パキスタン内にいた分子がある種の戦略(タリバンの支援を通して政
治的・経済的目的)を達成する機会を見出した。そしてこれはシャリア法(Shari
a Law)に基づいたイスラム国家を造ることを目的として、彼等へ軍事行動に
従事するための資金を与えた。
当初、彼等の信念は自由主義概念を導入した 20 世紀の様々な改革運動以前に
主流であった倫理的価値体系として彼等が考えていたものを復活させたいとい
うնいに基づいており、そしてこれが極端な形を取った。この信念の過激主義
は戦争に疲れた人々に確信を与えたが、人々に対する押し付けは彼等が新地(特
にアフガニスタン北ശの೗パシュトゥン[non-Pushtun]地域)の征服した際に、
様々な反応として現れた。1998 年
2001 年の期間に渡って、彼等は北ശでの
軍事的敗北や、1998 年 8 月の米国による空爆や、それに続く国連による制裁措
置に応じて、次第により強硬路線を取るようになり、同時に他のイスラム世界
における一ശの過激派への影؉力を増大した。
米国主導の軍事介入の結果として֙こった 2001 年 11 月のタリバン崩壊は、2001
年のボン合意をもたらした。国際社会が強い権限を持ったこの合意は、国政選
挙と民主的に選ばれたアフガニスタン国家の再建を導く段階的なプロセスを提
供した。
1.2 地理
(BAAG Briefing Pack 2003 p.8-9)
概してアフガニスタンは山の多い砂漠として特徴付けられる。孤立したહ間と
オアシスがあり、そこでは川と泉が灌漑農業や天水農業の成功を可能にしてい
る。イラン݄原の東端からヒマラヤ山地の西端まで伸びている山脈によって、
北ശは南ശから分離されている。最北東では、タジキスタンとパキスタンを隔
てているワハン回廊(Wakhan corridor)の山々が 7,470m にのぼる。北ശ平原は
概して低木地であり、マザリシャリフ(Mazar-i-Sharif)を最大とする主要な人
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口集中地の周りに耕作地帯がある。アフガニスタン南西ശは全くの砂漠であり、
݄い砂丘がヘルマンド川(Helmand)渓હ沿いの定住と耕作を絶えず難しくし
ている。首ஞからジャララバード(Jalalabad)を通ってパキスタン国境をэえ
るカブール川渓હは(カブール北ശのかつてのショマリહ[Shomali Valley]のよ
うに)特に肥沃である。他の場所では、土の肥沃さは丘・山・土壌のタイプに
応じて೗常に変わりやすい。
主な人口集中地は首ஞのカブール、南ശのカンダハール、西ശのヘラート
(Herat)、北ശのマザリシャリフ、東ശのジャララバートである。カブールは
1996 年から 2001 年まで、国家基盤の崩壊と中央アジアおよびそのルートを通
るアフガニスタン北ശからの貿易の事実上停止のため、経済的僻地であった。
2002 年上旬より、貿易経済は復興し、首ஞもまた援助機関・大使է・メディア
で勤務する大֖模な外国人流入から利益を得た。しかしこの流入は住宅市場に
おける劇的なインフレを刺激するというマイナスの副作用があり、また政府官
僚が専ใスタッフを目指して国際集団と競争することを不可能にさせた。ヘラ
ートは伝統的にペルシャ湾、中央アジア、インド亜大陸の貿易を結ぶ十字路に
立つ豊かなオアシスである。従来、ヘラートはアフガニスタンの文化の中心で
あり、美しい歴史的建物や音楽の伝統、細密画、絵画を有する。カンダハール
とジャララバードは重要な貿易センターである。マザリシャリフはアリー(イ
スラムの第 4 代カリフ)の神社がある所であり、アフガニスタン人にとって宗
教的・文化的な重要性を持っている。マザリシャリフもまたタリバン期に中央
アジアとの貿易崩壊による経済的な損害を受けたが、その後復興している。
主要な交通経路はトルクメニスタン国境のトルグンディ(Torghundi)からヘラ
ード−カンダハール−カブール−マザリシャリフ−シバルガン(Shibarghan)
を通る݄速道路である。この道路からの分岐は以下の主要な支道である:ヘラ
ートからイラン国境のイスラム・クラ(Islam Qala)、カンダハールからパキス
タン 国境のチャマン(Chaman )、カブールからパキスタン国境のトルカム
(Torkham)、プリクムリ(Pul-i-Khumri)からクンドゥズ(Kunduz)を通って
タジキスタン国境のシェルカンバンダル(Sher Khan Bandar)、そしてタシャウ
ルガン(Tashaurghan)からウズベキスタン国境のハイラトン(Hairaton)であ
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る。
地図
1.3 人口と民族
(BAAG Briefing Pack p.8 から編集)
アフガニスタンは 29,928,987 人2 の人口を有し、34 州に居住している。民族ア
イデンティティーは過去 3 世紀に渡って支配権を得る決定要因となっている。
アフガニスタン南ശの大ശ分を領土としているパシュトゥン人は過半数には至
らないが、最も大きなグループである。1747 年から 1992 年までのアフガニス
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CIA World Factbook – Afghanistan ( 2005 年 7 月)
http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/af.html#top
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タンの支配者はパシュトゥン人であった(タジク民族が支配した 1929 年の 1
年未満の期間を除く)。また 1992 年から 1996 年までカブールを支配したムジ
ャヒディン政府の中にも強力なタジク民族がいた。1994 年からのタリバンの出
現によって、パシュトゥン人は再び権力を得た。
パシュトゥン人の大ശ分がパシュトゥー۰を話す一方で、他の民族グループの
大ശ分はペルシャ۰の方‫ۄ‬であるダリー۰を話す。両‫ۄ‬۰は政府の公用۰とな
っている。民族グループの大半(人口の 80%)はイスラム・スンニ派を信奉し
ており、主要な例外は人口の 19%を占めるシーア派のハザラ人とイスマイル人
である。ハザラ人は政治・経済的に取り残されがちであり、前世紀あるいはそ
の前後に渡って多数の大‫־‬殺の犠牲者となってきた。
民族比率 3
Hazara
9%
Uzbek
9%
Aimak
4%
Tajik
27%
Turkmen
3%
other
9%
Baloch
2%
other
4%
Pushtun
42%
3
同上
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1.4 経済
(エミリー・パーキン)
アフガニスタン経済は紛争の年月の間に壊滅された。しかし最‫、ة‬ドナーによ
って支援された再建活動は力強い経済成ଥの促進に寄与している(とはいえ、
今のところ経済成ଥは所得、性別、地理的条件による不均衡をほとんど緩和し
ていないけれども4 )。同時に、経済成ଥは一連の広範な問題によって影؉を受
けるため、中期からଥ期において経済がどのように進行するかを予測すること
は困難である。
アフガニスタンの経済状況に関する主要問題:
・ 干ばつと洪水:概して農業(すなわち小麦と家畜)を基盤としている経済
として、アフガニスタンでは干ばつと洪水が主な経済的重要事項である。
例えばこれは、2003 年に終わった 4 年間の干ばつの壊滅的な影؉によって
示される。
・ 麻薬経済:公式な GDP 総額はアヘンの生産を含んでいないが、それは少な
くとも正式な GDP の 40%に等しいと推定されている5(p. 10 の囲み記事参
照)。
・ 治安:治安の不安定は投資や経済発展にとって深刻な障害を残していると、
しばしば認࠭されている。
・ 密貿易:アフガニスタンからパキスタンへの輸出の 90%は、実際はもとも
とパキスタンから輸入された商品の不法な「再輸出」であると推定されて
いる。6
4
5
6
この点については UNDP (2005) Afghanistan Human Development Report の中で‫ۄ‬及されている。
UNODC (2003) ‘Afghanistan: Opium Survey 2003’
この問題と、その他にアフガニスタン経済が直面している主要な問題についての明瞭な要約
は Fujimura (2004) ‘The Afghan Economy after the Election’ ADBI を参照。
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Box 1: アヘン
アヘンはアフガニスタン経済において೗常に大きな割合を占める。それは、GDP(国内総生
産)の半分に等しい歳入と考えられている。2004 年、約 230 万人(人口の 12 から 14%)がアヘ
ン栽培にかかわっていた。
政府の国内薬物統制指針が、アフガニスタンにはびこった麻薬取引に取り組むための枠組み
として出された。しかし、それにもかかわらず、政策立案者は大きな問題に直面した。Ward
と Byrd(2004)は、彼らの影؉力の強い報告書’Drugs and Development in Afghanistan’において、
以下にあげる‫ڴ‬となる問題を明らかにした。
*
政府には、敏速かつ明らかな結果を出さなければならないという圧力があり、これ
は、ଥ期的に維持できる改善策を犠牲とすることとなるだろう。
*
優先順位に関する問題と、禁制、アヘン栽培での生‫ٽ‬に代わる生‫ٽ‬と撲滅といった
一連の実行上の問題がある。
*
政治、法的強制、司法と刑法の体制においてキャパシティービルディングの必要性
が多大にある。
(エミリー・パーキン)
1.5 アフガニスタンにおけるイスラム教
(Jawed Ludin, BAAG Briefing Pack p. 22)
イスラムとは服従(つまり神の意志への服従)を意味する。ムスリムはイスラ
ムと同じアラブの本࠽に基づき、神に服従する者(つまりイスラム教の信者)
を意味する。イスラム教における「神」の概念はアッラー(またはダリーやパ
シ ュ ト ゥ ー と い っ た ア フ ガ ニ ス タ ン で の ‫ ۄ‬۰ で は コ ダ [Khoda] / コ ダ イ
[Khodai])が「至݄の存在」、唯一神、であるという前提に基づいている。アッ
ラーはユダヤ教徒やキリスト教徒によって崇拝されている神と同じ神である。
アラビア۰を話すキリスト教徒も神という意味でアッラーという‫ۄ‬葉を使う。
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「読むこと」あるいは「朗読」を意味するコーラン(Quran または Koran とも
綴る)はアッラーによってムハンマド(Muhammad)に示された神聖な経典で
ある。コーランは預‫ۄ‬者ムハンマドを通して人໸に向けられた神の直々の‫ۄ‬葉
である。全てのイスラム教徒は 114 章、‫ ٽ‬6,666 節に編集されたコーランの全
体性と完全性を信じている。コーランに加えて、神のメッセージはスンナ
(Sunnah:「伝統」と‫ۄ‬う意味。イデオロギー的事項と同様に実際的な事項に
もおける預‫ۄ‬者の指導力と案内に基づいている)という形でムハンマドを通し
て伝えられた。スンナはムハンマドが預‫ۄ‬者としての能力において命令、禁止、
実行、了ӂしたものである。ムハンマドの格‫ۄ‬や伝統はハディース(Hadith)
と呼ばれている。ハディース༵(預‫ۄ‬者ムハンマドの‫ۄ‬行記༵を収༵したもの)
は最も重要な宗教の教科書と考えられている。
姉妹教義を持つキリスト教やユダヤ教からイスラム教を区別する主な要素は、
崇拝の概念と慣行である。伝統と法律の偉大な組織にもかかわらず、イスラム
教の慣行は根本的には(神と信者の間において)個人的である。アフガニスタ
ン人は全てのイスラム教徒のように、崇拝は宗教儀式に限られず、基本的には
人がアッラーの喜びのため行う全ての‫ۄ‬動に及ぶと信じている。これはもちろ
ん、信仰、社会活動、同胞に対する福祉への個人的貢献と同様に、儀式も含む。
Sawab(「善行」の意)、Ajr(善行への褒美の意)、Gunah(罪または悪の意)と
いった用۰はアフガニスタン人の間の日常会話において一般的である。
Section 2 – タ リ バ ン 政 権 崩 壊 後 の 復 興 と 平 和 構 築 の 概
要
2.1 ボン合意
(AREU A-Z Guide Aug 2003 pp.15-16 から編集)
ボン合意はアフガニスタンにおける恒久的な政府の再発੝に関するロードマッ
プである。またこの合意は、恒久的な協定が結ばれるまでの暫定的な協定の締
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結までのタイムテーブルを決めた。ボン合意は、国連主導の元、アフガニスタ
ンについて話し合うボン会議決定に基づいて、2001年12月にタリバンを
除く様々なアフガンの派閥によって調印された。ボン合意の重要な履行の可能
性は2001年の終わりにタリバン勢力やアルカイダが弱体化したことに֙因
する。この協定は権力が行使されるためのいくつかのプロセスを定め、自由で
公正な選挙によって選ばれた完全に代表する政府に移行される。アフガニスタ
ンの主権は、暫定政権から移行政権に引き継がれ、それは最終的に国民選挙に
よって選出された政府に移る。
Box 2: 2005 年 9 月選挙
2005 年 9 月 18 日、すべての州において、下院(Wolesi Jirga)と州議会の両選挙が行われる。
当初は、地区議会選挙も同時に行う予定であったが、地区の境界線が不明瞭だったため延期
となった。
Wolesi Jirga(下院): 下院 249 席が、任期期間 5 年として、アフガニスタン人によって直
接選ばれる。議席数はそれぞれの州人口に比例して、各州に割り当てられる。10 議席は遊
牧民コチ(Kuchis)族に、68 議席は女性のために指定されている。
州議会: 州議会は、州人口に応じて、9 人から 29 人の議員で構成される。それらの議員
において、少なくとも 2 人は女性となる。いったん州議員に選出されると、それぞれが順番
に議員の一人を Meshrano Jirga(上院)へ選出することとなる。
Meshrano Jirga(上院): 上院は、各州議会から選ばれた 102 人の議員、各地区議会から選
ばれた 34 人強の議員、大統領によって直接任命された 34 人の議員によって構成されている。
地区議会選挙が 2005 年に行われないことから、一時的な措置として、上院(Meshrano Jirga)
は、2 人の各州からの代表者によって構成されるか、17 人の大統領任命者によって構成され
ることとなる。
詳細は JEMB(共同選挙管理組織)のウェブサイトをご覧ください:http://www.jemb.org/
(エミリー・パーキン)
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2.2 治安ശใ改革(SSR)
(クリス・デニス)
治安改革ശใ(SSR)は5つの分野に分けられる。
領域
略称
主導国、ドナー
アフガン国軍৓置
ANA
アメリカ合衆国
アフガン国家‫ٿ‬察の再建
ANP
ドイツ
司法制度の改革
-
イタリア
DDR
日本
CN
イギリス
武装ӂ除・動員ӂ除・社会復帰(DDR)
プログラムでのアフガン民兵ശ隊
(AMF)の武装ӂ除
麻薬対策
主導国は主要なドナーで、その分野では国際社会の政治的な代表である。しか
し、他の国やドナーもプログラムを援助している。例えば、アメリカ合衆国は
ANA を主導しているが、イギリスとフランスも援助している。
ANA と DDR 両方のプログラムの進行は少なくともいくつかの成果をあげてい
る。しかし、内務省と司法省改革が欠けているため、ANA と司法制度の改善は
大変な૧れをとっている。麻薬取り締まり(CN)は特に成果を挙げてはいない
が、アメリカはこの領域への資金を増やしており、改善は今後数年間であらわ
れるだろう。
「主導国モデル」が続くということは疑われている。DDR では、日本は主導か
ら「フォーカル・ポイント」へと移行している。これは国際的な参加を広める
ための努力ではあるが、アフガニスタン政府に大きな役割をさらに与えるため
である。
2.3 CIMIC 軍民関係
(AREU A-Z abridged)
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アフガニスタン入ใ書
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軍隊、政府、民間団体が໸似し、関連性のある、時には重複している活動に従
事しており、アフガニスタンのような紛争後の復興環境では、それらアクター
間の調整、コミュニケーションが、開発‫ٽ‬画の効果的な実施において重要であ
る。
そのため、アフガニスタンでの国際軍事ശ隊である多国籍軍と国際治安支援軍
(ISAF)は外ശコミュニティーと連絡を取りあうശใとして専念している。ISAF
と多国籍軍では関心事項および名称が異なるが、それらはどちらも、軍隊、政
府、国際団体、NGO、市民社会グループ、一般市民とポジティブな関係および
明確な情報交換をするのが目的である。
国際治安支援軍(ISAF):
軍民協力または CIMIC は NATO の用۰で、ISAF は CIMIC を自らの軍民関係活
動に述べる際に使う。ISAF 本ശ CIMIC 事務所は‫ٽ‬画、企画、連絡窓口の3つ
に分かれる。それと同時に、NGOとの通信および情報交換を促進するために
ISAF はカブール CIMIC センターを ISAF 本ശ内ではあるが、有刺鉄線の外と
して৓立した。CIMIC 本ശで行われる業務に加え、ISAF カブール多国籍大ശ
隊(KMNB)は20もの 4
8 人֖模の CIMIC ശ署が20ほどある。カブールの
外で、ISAF 地方復興支援チーム (PRTs)は一般的に KMNB での同様な業務を行
う CIMIC 役担当を含むが、それぞれの PRT 内でどの程度存続し運営するかは
PRT が率いている国のアプローチによって異なる。
多国籍軍(Coalition Force):
多国籍軍内では、民事委員会 (CJ9) が文民と軍関係の責任を有する。本ശの CJ9
には渉外担当責任者が 9 人おり、主として政府機関に協力しどのようなセキュ
リティトレーニング、一般的なインフラ開発およびサポートが必要かを判断す
る。
CJ9 は ISAF (CIMIC)と同じように、市民団体や NGO と関係をもつわけでなく、
通常多国籍軍 PRTs は地元住民や NGO と連絡をとりあう 4
10 人の Civil
Military Operations (CMO)グループと連携する。CMO グループの機能はセキュ
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アフガニスタン入ใ書
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リティと地域の必要性(ニーズ)により異なり、CJ9 本ശの直接指揮下ではな
い。
国連アフガニスタン支援団(UNAMA):
UNAMA には文民と軍関係セクションとして Military Liaison Officers (MLOs)が
UNAMA 本ശおよび UNAMA フィールド・オフィスにある。MLOs は UNAMA
自体の運営活動について軍隊と連絡するだけでなく、軍隊と೗軍事機関間の活
動および情報交換を調整する。文民と軍の関係を改善する努力にもかかわらず、
軍隊組織が独自に PRT ‫ٽ‬画と運営をしているが、UNAMA は PRTs とのコミュ
ニケーションおよび調整に関与している。
NGO Civil-Military ワーキンググループ:
2004 年 9 月以来、このグループは内政ശにて隔週集まり NGO 団体と軍事委員
会が相互作用する唯一かつ一貫したフォーラムとして勤めてきた。ワーキング
グループの声明は Yahoo グループメールリストで配布される。
15
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Section 3 – 援助環境
Box 3: UNDPアフガニスタン人間開発報告(2004年)
「初のアフガニスタン人間開発報告は経済と教育は向上しているが、貧困、不平等、不安定と
いった脅威は進んでいると示している。新アフガニスタン政府は国際社会とともに、今再発を
෇ぐために行動しなければならない。アフガニスタン人への人間の安全保障の必要性に対して
の責任であるべきである。
」
(報告要旨)
主要な人間開発の指標:
*
アフガニスタンの人間開発指数(HDI)は世界中の人間開発報告(2004年)
が位置付ける177カ国の中で最低に‫ة‬い171番目となっており、アフガニスタ
ンの‫ة‬໱国よりも大きく૧れを取っている。
*
妊婦死亡率は多くの発展途上国よりも60倍݄い
*
成人࠭字能力は30%以下
*
子どもの20%は5歳になる前に死亡。5歳をэえて生存した者でも45年以下の
寿命
(エミリー・パーキン)
3.1 国家開発‫ٽ‬画
(taken from: AREU A-Z Guide August 2005)
国家開発‫ٽ‬画(NDF)は政府により、アフガニスタンの開発、復興の指針として
立案された。それには3つの主柱の下に 16 ものナショナルセクターについて
詳述し6つの分野横断的な問題を࠭別している。NDF の初稿は 2002 年 4 月に
一般市民の手に入るようになり、多少の修正はされたものの、NDF は政府とド
ナー‫ٽ‬画の第一の基準である。
財政ശは NDF 推進の統括をし、NDF に記述してある各 16 セクターは国家開発
プログラム(NDPs)とみなされ対応する諮問委員会(CG)が監督する。これらの 16
16
アフガニスタン入ใ書
2005年9月
日本アフガン NGO ネットワーク(JANN)
もの CGs は各セクターの復興と開発プロジェクトを‫ٽ‬画し、協議するフォーラ
ムとして機能する。そして各 CG は、国家開発予算(NDB)の公的投資‫ٽ‬画 (PIP)
に提案することにより各セクターの‫ٽ‬画を実行する。
当初の NDF は6分野の National Priority Programmes (NPPs)を他の活動より優先
するものをして打ち出していた。そして 2004 年 4 月にカルザイ首相はさらに
6つの優先プログラムの作成を発表した。それらのプログラムは、まとめて NPPs
として知られており、政府の優先政策である。しかし、多くの NPPs は最も深
いつながりのある NDP に組み込まれている。
I:
II:
人 的 資 本 お よ び 社 物的インフラ
III:
復興環境
分野横断的問題
貿易および投資
性別
会保۲
難 民 お よ び国 内 避 難 民 輸送機関
(IDPs)
エ ネ ル ギ ー、 ܽ 業 、 お 行政および経済運営
環境
教育および教育施৓
よびテレコム
司法
人道的問題
健康および栄養状態
天然資源
国 家 ‫ ٿ‬察 、法 執 行 機 関 人権
生活および社会保۲
経営管理
および安定化
監視および評価
文 化 、 メ ディ ア 、 お よ ஞ市行政管理
アフガニスタン国家軍
麻薬対策
びスポーツ
武 装 ӂ 除 ・動 員 ӂ 除 ・
社会統合
国家開発戦略 7
アフガニスタン国家開発戦略(ANDS)は 2005 年 4 月、アフガニスタン開発フォ
ーラムで最初に提案された。ANDS の全体的なビジョンは発展を促進させ、冨
を生み、貧困および脆弱性を減少させることが目的である。
ANDS ৓立以前は、2002 年 4 月の NDF および政府の 2004 年 3 月の Securing
7
www.afgnds.gov.af
17
アフガニスタン入ใ書
2005年9月
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Afghanistan’s Future report が政府の方針および発展と復興の資源配分を指導して
きていた。しかしながら NDF および Securing Afghanistan は急速な協議にて準
備されたため、努力の欠如がみえ、またアドバイスの実行が限定的であった。
ANDS は、あらゆるレベルの民間ശใ、NGO、市民団体、国際社会の代表者の
慎重な協議により情報提供され、ANDS ワーキンググループはいくつかの省庁
が関わる監督委員会の指導の下、協議および֙草するよう形成されてきた。
ANDS は8項目に分けられる:
1. インフラおよび天然資源
2. 農村開発
3. 人的資本および男女平等
4. 社会保۲
5. 経済ガバナンスおよび民間ശใ開発
6. 国際および地域協力
7. 良い統治(ガバナンス)および法治
8. 安全保障
各項目にはワーキンググループがあり、それには地方政府、援助資金供与者、
UN、NGO、市民団体、技術者らの代表者を含む。最初の ANDS 草稿完成は 2005
年 9 月予定である。同年 12 月または 2006 年 1 月には政府により最終的に承認
されると見込んでいる。同時期にロンドンにて開かれる援助国会合と併せて
ANDS はアフガニスタン政府の暫定版貧困削減戦略ペーパー(PRSP)として目的
を果たす。
3.2 国際機関の援助動向 8
(JEN ৊堀久美子)
アフガニスタンで活動する国際機関は①国際連合の諸機関、②৊十字関連の組
織、③NGO、④国際金融機関(世界‫ج‬行、アジア開発‫ج‬行など)の 4 つに分け
参考文献: British Agencies Afghanistan Group Briefing Pack, 2003
8
18
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ることが出来る。NGO は 1979 年より緊急支援、人道的支援、復興支援、能力
開発、難民支援などの分野で様々な活動を行なっており、2005 年 4 月までに国
際 NGO 現地 NGO 合わせて 2,000 をଢす団体がアフガニスタン政府に登༵し、
実際には 3,000 程度の団体が活動していると‫ۄ‬われている。
主な国連機関
UNAMA(国連アフガニスタン支援団):アフガニスタンの国民和ӂおよび再建
につながる政治プロセスの促進をはかるため、1993 年に UNSMA(国連アフガ
ニスタン特別ミッション)創৓、2002 年 3 月、UNAMA に改編した。2002 年
以降は人権問題や法整備、武装・動員ӂ除などの分野での活動を行っている。
2004 年の選挙以降は新政府と議会の支援活動に重点を置いている。
UNDP(国連開発‫ٽ‬画):1950 年代より、平和構築、治安の促進、法制度の尊
重を掲げ、開発援助や公共施৓建৓支援などの活動を行なっている。
WFP(国連世界ि糧‫ٽ‬画):現在活動内容は緊急支援から復興と再建に移行し
てきており、政府機関や NGO と協力して、Food For Education, Food For Training,
Food for Work のプロジェクトや、戦争未亡人や社会的弱者のための保育支援−
などを行なっている。
UNHCR(国連難民݄等弁務官事務所):難民・帰還民支援(帰還・定住促進、
人権保۲など)、関連機関やアフガニスタン当局との協力でシェルターの建৓
事業を行なっている。
UNICEF(国連児童基金):ポリオ、麻疹、破傷ഹなどのワクチン支援、ビタミ
ン剤の配布、産科৓備の建৓支援、小学校の生徒数の増加支援、カリキュラム
と教材の開発、教師のトレーニング、水とф生分野の支援などの事業を行って
いる。
WHO(世界保健機関):小児ф生の改善、伝染病対策、メンタルヘルスケア、
戦争による負傷者のアフターケアなどの活動を行なっている。
19
アフガニスタン入ใ書
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日本アフガン NGO ネットワーク(JANN)
FAO(国連ि糧農業機関):農業・環境復興の支援、ि料確保と自立国家への支
援としてि料栄養管理の支援、天然資源の安全維持管理、農業と地域開発の促
進、代替可能な生‫ٽ‬手段の開発支援などを行なっている。
UNOPS(国連プロジェクトサービス機関):農村復興プログラム、道路建৓、
政府機関などの建物建৓、元兵士の再雇用支援、障害者総合プログラムなどを
行っている。
UNIFEM(国連女性開発基金):女性省の支援、アフガニスタン女性センターの
建৓、女性団体の活動支援、女性団体、他の国連機関、政府機関同士のネット
ワークの確立、女性の人権拡大への助成、女性のリーダーシップ育成などの活
動を行なっている。
UNCHS(UN-Habitat・国連人間居住センター):ф生事業(EU の協力)、仮৓
住宅・水供給事業(日本の協力)、緊急地方自治体公共事業支援、住宅再建支
援などを行なっている。
UNFPA(国連人口基金):保健省と女性省の協力のもと、特に健康と教育のイ
ンフラ整備を目的として母体健康サービスや女性教育支援、同分野で活動して
いる NGO の支援を行っている。
IOM(国際移住機関):政府や現地コミュニティーを通じた移民流出の緊急対
応、海外移住した技術者の帰還促進事業、緊急支援後の社会復帰プログラム、
出稼ぎ労働者の支援、帰還民の就職支援、違法取引の取り締まり、医療・公衆
ф生プログラム、情報・教育の提供などの支援を行っている。
UNMACA(国連アフガニスタン地雷除去センター):2012 年までに地雷除去を
完了する‫ٽ‬画で、15 の国内外の組織と 7,200 人のアフガニスタン人職員による
事業が実施されている。
20
アフガニスタン入ใ書
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৊十字団体
ICRC(৊十字国際委員会):病院支援活動やリハビリセンターなどで地雷被害
者の支援や浄水、ф生などのサービス、ARC(Afghan Red Crescent、現地の医
療支援団体)への支援などを行っている。
IFRC(国際৊十字・৊新月社連盟):災害対策、医療施৓の支援などを行なっ
ている。
金融機関
World Bank(世界‫ج‬行):2002 年から 2005 年 7 月までに、贈与(グラント)と
して 4 億 5680 万ドル、無利子の借款(ローン)として 4 億 3640 万ドル、‫ ٽ‬8
億 9320 万ドルの資金提供をアフガニスタンに対して行なっている。今後 2006
年 7 月までの 1 年間で新たに 2 億 6700 万ドルの贈与を支給する。これらの資
金は主に貧しい地域の雇用機会の提供、インフラ再建、教育や基礎ф生サービ
スの支援に使われる予定。
Asian Development Bank(アジア開発‫ج‬行):2004 年度は 5 つの借款として合‫ٽ‬
2 億 500 万ドルの資金を道路再建、空港再建、農業政策改革、組織の機能強化、
携帯通信ネットワークの創৓などの事業に融資した。その他 1000 万ドルの贈
与が貧困削減日本基金(JFPR)を通じて行なわれ、更に 14 の技術支援贈与と
して合‫ ٽ‬1360 万ドルが行なわれた。今後 2005 年から 2008 年にかけて 10 億ド
ルの支援が行なわれる予定で、2002 年から 2008 年までの合‫ٽ‬で 15 億ドル以上
の支援が行なわれる事になる。
3.3 アフガニスタン難民・国内避難民の状況
(PWJ 平井礼子)
1979 年から 1989 年のソ連侵攻とその後のଥ年の内戦や旱魃などをௐれるため
に多くのアフガニスタン人が国外および国内での避難生活を強いられた。国外
に流出したアフガン難民の数はピーク時に 500 万
600 万人、国内避難民の数
は 110 万人 150 万人と推定され、世界最大の難民危機と‫ۄ‬われた。
2001 年 9.11 後のアメリカによる空爆によりタリバン政権が崩壊し、2002 年 1
21
アフガニスタン入ใ書
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月にアフガニスタン暫定政府が৓立された後、多くの難民・国内避難民が帰還
している。2002 年 3 月から 2005 年 2 月にかけて 350 万人の難民(パキスタン
から約 230 万人、イランから 120 万人)と 50 万人の国内避難民が自主的に帰
還したと推定される。順調な帰還が報道される一方で、多くの地域の治安状況
が悪いことや帰還後の生‫ٽ‬確立の見通しがつかないことが帰還のਝ害要因とな
っている。依然として推定 185 万人がパキスタン、推定 80 万人がイランに難
民として滞在している。今後パキスタンやイランで難民への支援などが打ち切
られ、帰還が半ば強制的に促進されることが危惧されている。また、推定 18
万人の国内避難民が主にアフガニスタンの南ശ・西ശで避難生活を余儀なくさ
れている。
既に難民・国内避難民が帰還した地域でも、治安状況、旱魃、雇用機会の不੝
や農地へのアクセス問題などが生活再建における大きな障壁となっている。帰
還が集中するカブールなどのஞ市ശでも人口増加による住環境等の悪化などが
懸念されている。帰還した人々、および今後帰還する難民・国内避難民の生活
再建のためには、アフガニスタン政府を始め、国際コミュニティーによるଥ期
的なコミットメントが必要である。
3.4 医療保‫ڵ‬分野の現状
(JVC હ山博史)
復興の過程にあるアフガニスタンで、医療保健の分野は人々のニーズ、政府の
政策、国際支援の対象などすべてにおいてもっとも重要視されている分野のひ
とつである。アフガニスタンの医療の劣悪な状況は世界的にみても最下位に位
置する。それは 23 年に及ぶ戦争の影؉もさることながら、戦争以前の時代に
地方遠隔地に行政サービスが届いていなかったことをも意味する。
アフガンの医療事情を見てみよう。2002 年に 6 ヶ月かけて行われた政府の調査
によると9全国の調査対象となった保健・医療施৓の 3 分の 1 がなんらかの損傷
9
“Afghanistan National Health Resource Assessment Preliminary Result 15 December 2002 MOPH,
MSH, HANDA”
22
アフガニスタン入ใ書
2005年9月
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を受けており、そのほとんどが戦争の影؉である。保健g医療施৓がカバーで
きる人口は全国平均で 27,232 人に 1 施৓である。これには地域によって大きな
偏りがあり、ファイヤーブ県、ガズニ県、ゴール県、ウルズガン県の四県は 40,000
人に 1 施৓、最低水準の 5 郡にいたっては 100,000 人に 1 施৓があるだけであ
る。
医療事情の悪さは女性と子どもに深刻な影؉を与えている。2004 年の政府の発
表では、1 歳未満で亡くなる子どもは 1,000 人中 165 人(日本では 4 人)、5 歳
未満では 257 人、妊産婦の死亡率は 10 万人中 1,600 人(日本では 6,5 人)と೗常
に݄い。人々の罹患率の݄い病気には下痢、気管支炎、破傷ഹ、マラリア、ポ
リオ、結核などがあるが、下痢による脱水やマラリアで死ぬ子ども、出産時の
破傷ഹなどで死ぬ母親が多いのが特徴である。
またアフガニスタンでは慣習上女性の外出や親族以外の男性との接触が制限さ
れているために、医療施৓があっても女性が行きにくかったり、男性医師の診
療を受けられなかったりするケースが多い。女性の医師や助産師がいなければ
難しいお産を診てもらうことは不可能である。しかも女性の医療従事者は男性
の 3 分の1に過ぎず、地方ではさらに比率が低い。ヌーリスタン県にいたって
はその比率は 60 対1である。
遠隔地の住民にとって医療施৓でのアクセスはきわめて悪いが、最も‫ة‬い施৓
にアクセスできたとしても、施৓・機材・薬品の不੝とスタッフの不੝で適切
な処置を受けられないことが多い。しかし、より݄位の施৓への移送は道路事
情の悪さや人々が移送経費の支払いができないために2%にも満たないのが現
状である。インフラや生‫ٽ‬の問題が医療に反映しているひとつの例である。
アフガニスタン政府が 2004 年に発表した政策ペーパー
Health and Nutrition
Public Investment Program(PIP)”10では、全国一律に公平な医療サービスを提供す
10
“Health and Nutrition Public Investment Program (PIP)” March 12, 2003 Ministry of Health
23
アフガニスタン入ใ書
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ることを目的に、 Basic Package for Health Service”11に基づいて以下の重点目標
を提示している。
1)
乳児死亡率と幼児死亡率(5 歳未満)を下げる。そのために予෇接種を普
及し下痢や急性気管支系疾患を減らす。
2)
妊産婦の死亡率を下げる。そのために女性の医療従事者(特に助産師)を
育成し地方の診療所に派‫ڳ‬する。また緊急産科センターを各所に৓ける。
3)
栄養失調や栄養不良に伴う疾病の上昇をिい止める。
4)
結核、マラリア、レシュマニアなどの感染症対策に取り組む。
基礎的な医療施৓が誰によって運営されているかというと、NGO だけで運営さ
れているものが 47.3%、政府と NGO が共同で運営しているものが 27%である12。
保健医療における NGO の役割の大きさが伺える。アフガニスタン保健省は、
NGO の重要性を認めつつも、NGO を政府のコントロールのもとに置くために
2 つのことをおこなった。先に述べた全国一律の保健サービスを保証するため
に BPHS を定め、すべての医療保健機関にその遵守を義務付けた。さらに、全
国を県ごとあるいは数郡からなるクラスターに分け、領域内郡ശの保健サービ
スを一括して特定の NGO に委託する方式を採用した。これを通称 Performance
Based Partnership Agreement(PPA)”と呼んでいる。しかしこのコントラクトアウ
ト方式はドナーである世界‫ج‬行、EU、USAID が導入し、NGO の入札について
も実権を握っている。
この方式は、政府運営のクリニックを NGO がサポートする(コントラクトgイ
ンという)より NGO がクリニックを直接運営するほうが効果的だったとする
カンボジア等での経験に基づいて導入されたといわれている。しかし、この方
式にはクリニック運営の持続性について疑問がもたれていることも事実である。
NGO は国際ドナーと政府から 30 ヶ月の契約でクリニック運営を委託され、ク
リニックスタッフの給料にも責任をもつのであるが、契約終了後政府に運営が
移譲されても政府が NGO と同額の給料を支払える保障はない。(PIP の年間予
11
“A Basic Package of Health Service for Afghanistan” March 2003, Ministry of Health
12
“Ministry of Health Policy Statement Safe Motherhood Initiative in Afghanistan” 24 December 2003
24
アフガニスタン入ใ書
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算では GDP の1%から 1.5%を見込んでいるが、2015 年時点でさえ歳入の 50%
を外国ドナーからの援助に頼らざるを得ない)また、あまりにトップダウンの
政策を一律的に地方に当てはめようとするために、ある一定の領域が特定の
NGO に委託されたにもかかわらず、これまでଥく活動していた NGO が排除さ
れたために、クリニックが機能麻痺に陥る危‫ڵ‬性が生じている。
最後にコミュニティー・ヘルスの状況について簡単に触れてみたい。クリニッ
クにアクセスできない人々が広範に存在するアフガニスタンでは、女性が安全
な出産をいかに可能にするかが大きなҭ題である。2003 年の UNICEF の調査に
よると、出産の介助は医師・助産師・看۲婦によるものが 8%、伝統産婆(TBA)
によるものが 8.8%、残りは親戚や友人などに頼っている。アフガニスタン政
府や NGO はこれまで、地域で伝統的に出産介助を専ใにしてきた TBA を活用
することで母親や乳児の死亡率を下げる努力をしてきた。アフガニスタンでは
ごく稀なケースを除いてコミュニティー・ヘルス・ワーカー(CHW)といわれる
地域に根ざした保健士は存在しなかった。
しかし、保健省は‫ة‬年 WHO などの助‫ۄ‬を受け入れて伝統産婆のトレーニング
の代わりに新たに CHW の育成を重点政策に取りいれ、PPA に加わる NGO す
べてに CHW の育成を義務付けた。この政策転換によってこれまで TBA を育成
してきた NGO も TBA への支援を止め、アフガニスタンで歴史的に存在したこ
とのない CHW の育成をあらたに始めるようになった。地域に根ざすべき CHW
をトップgダウンに育成することに疑問を唱える声もあり、CHW の育成がうま
くいったとしても地域で定着するためには 10 年はかかると見られている。そ
の間これまでトレーニングされた TBA が支援を失って埋もれてしまう恐れが
ある。
PPA 方式のコントラクトgアウトや CHW の政策のように、現在のアフガニスタ
ンの保健政策は外から導入された新思考を現場の実情を無視して当てはめよう
とする傾向がある。現状を国際的な経験に基づいた支援によって改善する努力
が求められると同時に、アフガニスタンの現状にあった方式を適正利用する努
力が必要である。現場で積み上げられてきた経験と知見が政府の政策に反映さ
25
アフガニスタン入ใ書
2005年9月
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れるようにするためにも、NGO は現場でのプロジェクト実施のみならず政策へ
の提‫ۄ‬活動も求められているといえる。
3.5 教育
(斉藤真美子)
過去 20 年以上の戦争により、約 75%の学校校舎が被害を受けた。2002 年以来、
学校の新৓・修復が継続されているが、未だ 5 千校以上の校舎が必要とされて
いる。水とф生施৓の備わった学校は全体の 48%にすぎない。このような環境
の中でも、現在はアフガニスタンの歴史の中で最も多くの生徒が就学している。
タリバン政権時代に禁止されていた女子教育は、2002 年以前の推定女子初等教
育就学率(Estimated Gross Enrolment Rate)3%から、2003 年は 37%に上昇した。
一方、男子初等教育就学率は 2003 年で 66%である13。
しかし、未だ 7 歳から 13 歳の 100 万人以上の女子は未就学とされる。全就学
児童の 34%は女子生徒であるが、首ஞカブールにおける݄い女子就学率に対し、
地方における女子教育の機会は೗常に限られる14。特に、低学年女子が在学す
ることはあっても、݄学年になると多くがドロップアウトするのが現状である。
未就学となる要因として、家から学校までの‫ס‬離、女性教師の不੝、男女別の
教育機会の無いこと、早婚、家‫ٽ‬の財政的理由、家族の教育に対する認࠭の欠
如などがある。
‫ة‬年、教育の࠽を݄めるために、多くの教員研修が実施されている。しかし、
地方では教師となる人材が不在の他、教科書や教材なども不੝している。ஞ市
と地方の格差に加え、治安やアクセス困難により支援の行き届きにくい地域で
は、教育機会も制限されることが多い。また、学校の無い場所では、モスクや
一般家庭でのノン・フォーマル教育も行われている。子どもを宗教学校(マド
ラサ)へ通学させる家庭もある。
13
Afghanistan Education Fact Sheet, 2005 February, UNICEF
http://www.unama-afg.org/about/_gender/Gender.htm
14
UNAMA ウェブサイト
26
アフガニスタン入ใ書
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3.6 女性
(斉藤真美子)
アフガニスタンでは、3 つの Z が財産とされている。Zamin(土地)、Zal(金)、
Zan(女)である。女性は男性の所有物とみなされ、女性を巡って多くの争い
が繰り൶されてきた。親族の男性を伴わずに 1 人で道を歩く女性は、淫らな女
とさえみなされることがある。
女性は様々な局面で弱い立場にある。家庭内での暴力にはじまり、父親や夫、
兄弟によって殺される事例も多い。地方では 10 代の少女と݄齢者との強制結
婚もみられ、結婚を拒否するために自殺する女性もいる。結婚に際しては、花
婿から花嫁家族へ݄い支払が行われる。これ持参金 (Dowry)は男性の婚期を૧
らせることにも繋がるが、結婚後の夫婦間の緊張を݄める一要因ともなりうる。
また、妊娠中に死亡する女性は 1000 人に 16 人の割合であり、೗࠭字率は男性
の 56.8%に対し、女性は 85.9%である15。
一方、ஞ市ശでは݄い教育を受けて仕事に就く、恵まれた女性も多い。カブー
ルの女性は進歩的なことで有名だが、共産党政権時代の 1970 年代はミニスカ
ートを着用して闊歩する女性もみられた。内戦時代、ブルカを着用する習慣が
定着したが、タリバン政権崩壊後、徐々にブルカを纏わない女性が増えてきた。
しかし、保守的な地域では未だӧに女性の姿さえ見かけないところも多い。
アフガニスタン女性の置かれる状態は、ஞ市と地方、地域社会の伝統、親や夫、
そして女性自身の教育水準や個人の考えによって大きく異なる。最も‫־‬げられ
た女性たちは、外ശと隔離され、最も支援の届きにくいところにある。
3.7 アフガニスタンの地雷状況
(AAR 紺野誠二)
アフガニスタンは 1979 年から続いた戦争により、国内に多くの地雷が埋৓さ
15
Multiple Indicator Cluster Survey, Transitional Islamic State of Afghanistan, Central Office of
Statistics and UNICEF, 2003
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アフガニスタン入ใ書
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れ、また、多数の不発弾が残ることとなった。このため、人々の生命や安全が
脅かされるだけではなく、復興、開発に向けてのਝ害要因の一つとなっている。
また、世界的に見てもアフガニスタンは世界でも有数の地雷埋৓国となってい
る。ここでは、アフガニスタンの地雷状況を概観する。
アフガニスタンにおける地雷の状況
アフガニスタンは地雷を製造していない。月に 100 人程度が地雷により死傷し
ている(2004 年)。地雷による被害は年々減少傾向にあり、1998 年には報告さ
れているだけで 1423 人が被害に遭っているが、2003 年には 846 人の被害が報
告されている。実際の被害者数は報告数の二倍とも推定される。地雷による被
害よりも不発弾による被害の方が多い。被害者の約 90%が男性(成人男性と少
年)。女性の被害者は少ない。被害者が最も多いのがカブール州。全体の 20%
‫ة‬くがカブールでの被害。アフガニスタン全土 2,500 以上のコミュニティーが
何らかの地雷による被害を受けている。13 カ国 56 種໸の地雷が発見されてい
る。
政府の対応:アフガニスタン政府は 2002 年 9 月 11 日に対人地雷禁止条約(オ
タワ条約)を締結し、地雷問題を急務のҭ題として取り組んでいる。
国 際 社 会 の 地 雷 へ の 取 り 組 み : 国 連 アフ ガニ スタ ン 地 雷対 策セ ンタ ー
(UNMACA)が地雷対策の中心となっており、その下に MACA Partners と呼ば
れる NGO が属する形で活動を実施している。2005 年 6 月現在、MACA には日
本人職員が 4 名勤務している。国際社会はアフガニスタンの地雷対策に多額の
拠出を行っている。主要ドナー国はオーストラリア、カナダ、EU,アメリカ、
イギリス、ドイツ、日本など。日本政府は 2003 年に 5,435,241 ドルを拠出して
おり、大口ドナーの一つである。
実施体制
実際の活動を行うのは MACA Partners であり、ローカル NGO、国際 NGO が地
雷除去活動をはじめ、さまざまな活動に従事している。日本の NGO では特定
೗営利活動法人日本紛争予෇センターが地雷除去活動を、当会が地雷回避教育
及び教育教材開発を行っている。
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アフガニスタン入ใ書
2005年9月
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地雷除去:地雷除去を実施している主な NGO は下記の通り。ATC; AREA; DAFA;
DDG ; JCCP; the HALO Trust; MDC; OMAR
地雷回避教育:地雷回避教育に取り組んでいる主要な NGO は下記の通り。
AAR; ARCS/ICRC; The HALO Trust; Handicap International-Belgium; OMAR
地雷生存者支援:地雷生存者支援に取り組んでいる主要な NGO は下記の通り。
ICRC; Sandy Gall Afghan Appeal; Emergency; KOC (Kabul Orthopaedic Center);
Handicap International-Belgium; PARSA; AABRAR; SERVE; Swedish Committee for
Afghanistan なお、生存者支援に関して政府では Ministry of Martyrs and Disabled
と Ministry of Public Health が中心となっており、Ministry of Justice と Ministry of
Finance が参加して National Disability Commission が構成されている国連では
UNOPS/RAD(かつての CDAP) がリハビリテーション・サービスの中心とな
っている。
その他
アフガニスタンの地雷のマーキングは৊と白の石で構成されている。৊い石の
外側は危‫ڵ‬と思われる地域なので、絶対に入らないこと。地雷を見かけたとき
には地雷除去団体などに知らせること。地雷原に入ってしまったら、まず落ち
着いて、੝োが残っていればその後をたどること。もし待つことができるよう
であれば、除去団体が来るまで待つこと。被害に遭っている現場に直面した場
合は、除去団体に連絡すること。助けに行くと二重事故になる危‫ڵ‬性が݄い。
万が一被害にあってしまった場合には、救急病院に向うこと。常日頃から緊急
手術を行える病院を確認しておくこと。
参考 16
16
難民を助ける会カブール事務所では、地雷回避教育用教材を準備しており、ඬ人のみならず
アフガニスタンに勤務する関係者に無料配布しています。外国人 NGO 職員を対象にした地雷
回避トレーニングコースの斡旋も行います。赴任の際は、できるだけ早い段階で地雷回避教育
を受けることをお勧めします。連絡先は以下:
担当:宮崎巧治 (Miyazaki Koji, AAR Japan Kabul Office Project Manager)
メール:[email protected]
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アフガニスタン入ใ書
2005年9月
日本アフガン NGO ネットワーク(JANN)
Landmine Monitor ホームページ http://www.icbl.org/lm/2004/afghanistan
外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/cwd/top.html
日本紛争予෇センターホームページ http://www.jccp.gr.jp/jpn/index2.htm
難民を助ける会ホームページ http://www.aarjapan.gr.jp/
3.8 生‫ ٽ‬17
(PWJ 柴田裕子)
アフガニスタンは、人口のおよそ 80%が農産か、牧畜、もしくはその両方にか
かわる農業国家である。農業は主に 2 種໸に分໸され、ひとつは農産と畜産で、
もうひとつがコチと呼ばれる遊牧民によるものである。コチと呼ばれる遊牧民
は、季節により移動しながらヤギや羊を放牧している。
旧ソ連の侵略以前は、全人口の約 85%が農業で生‫ٽ‬を立てていたとされるが、
灌漑や天水農業、園芸に適した土地の割合は比ԁ的少なく、灌漑が可能な土地
の半分以上がヒンドゥークシュ山脈の北に位置し、アムダリア川につながる灌
漑システムを持つとされる。正確な統‫ٽ‬がなく、情報源により異なるが、最‫ة‬
では、330万ヘクタールが灌漑地で定期的に農作物が生産されており、45
0万ヘクタールが天水の農地とのデータもある。またほとんどの天水農地は、
北ശに位置する平野や山すそに沿って東西に伸びている。‫ة‬年地方の人口が増
加していることから、人々は小麦生産のための天水農地を広げており、より݄
いやまや急な斜面にも農地を広げている。
アフガニスタンのि文化を反映し、灌漑農地、天水農地ともに小麦が主要な農
産物で、平均すると、1世帯あたり約167キロの小麦を消費している。また、
ジャガイモや玉ねぎなどのさまざまな種໸の野菜も一般的なि料として生産さ
れている。特にアフガニスタンのメロンは、その種໸の豊富さと࠽の݄さは古
くから知られており、໱国のパキスタンなどに輸出されるほどである。クミン、
ごまやサトウキビなどの݄品࠽な作物も生産されており、ヘルマンド、バグラ
ンやクンドゥスなどでは、綿花も生産されている。
17
Main source for this section: UNEP (2003)
‘Afghanistan, Post-conflict Environmental Assessment’
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また、アフガニスタンは古くから豊富な果物(杏、りんご、ぶどうなど)や、
ナッツ໸(アーモンド、ウォールナッツ、ピスタチオなど)で知られており、
1970年代には、外貨収入の 40%以上がドライフルーツやナッツ໸の輸出に
より得られていた。
しかしながら、現在のアフガニスタンは世界最大のけし栽培国であり、世界で
取引される不法なアヘンの取引のうち75%はアフガニスタンで生産されてい
るとされ、アフガニスタンのGDPの約3分の2は、アヘンによる収入である
と‫ۄ‬われている。
Section 4 – ඬ人 NGO 向け情報
4.1 日本の対アフガン支援(日本政府の方針と NGO 活動)
政府の方針については、日本政府、特に外務省 Web ページ参照。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/afghanistan/index.html
NGO の活動 (JANN メンバーの各団体)
特定೗営利活動法人 アジア戦災孤児救済センター
http://www.awoa.org/
活動地: カーブル
活動の説明:
【理念】アジア地域において戦争や紛争により親を失い、そのショックで心の
傷を抱え、困窮している「戦災孤児」たちに安心感のある毎日や希望に満ちた
未来を保障する。
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【活動】戦争が原因で負傷し、親を失った「戦災孤児」を対象に、とりわけ心
の傷(トラウマ)とその後ϸ症(PTSD)を治癒する「ストレスケア」を、専
用のクリニックを運営して行っている。また、2004 年より重度の負傷を抱える
孤児の手術支援も併せて行っている(2004.9 月に東京にてアフガン人少女のࢠ弾
摘出手術を実施)。
NICCO - 社団法人日本国際民間協力会
Nippon International Cooperation for Community Development
http://www.kyoto-nicco.org
活動地: ヘラート市とその‫ܻة‬及び辺境地域。
活動の説明:
当会はアフガニスタンにおいて主に次の事業を行っております。
教育事業(校舎建৓・机や椅子文房具などの配布)
植林・農業事業(植林・水利事業・環境保全型無農薬有機農法普及活動)
- 医療事業(病院建৓、結核対策)
教育事業では、今まで校舎の補修、学生寮付属のキッチン及びシャワー施৓
の建築、ノートや文房具の配布などを行ってきました。これからは݄校校舎の
建৓や、イランにおけるアフガニスタン難民を対象とした職業ٗ練校の運営実
績を元に、失業者や女性を対象とした職業ٗ練学校の運営を‫ٽ‬画しています。
植林・農業事業では、ヘラート市‫ܻة‬やܻ外の村において農業指導や植林事
業を実施し、水路の修復などの水利事業も行っています。これからも引き続き
環境に配慮した無農薬有機農法の普及活動と、果樹を中心とした植林事業を行
い、またカレーズ(地下水を利用した水道৓備)の修復などを通して水利環境
を向上させ、対象地域における農業と植林の事業を進めていく予定です。
医療事業では、ヘラート州辺境地域における結核対策事業、医療৓備のない
地域での病院建৓、患者移送のための救急車の提供などを行ってきました。現
在結核事業は WHO が引き続き行っており、本会が建৓した病院は、現地のN
GOに引き継がれて、現在も問題なく運営されています。
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難民を助ける会(Association for Aid and Relief, Japan)
http://www.aarjapan.gr.jp/
活動地: カブール州(カブール)、タカール州(タロカン)
活動の説明:
カブール州では、イギリスの NGO ヘイロー・トラスト・アフガニスタンと協
力し、アフガニスタン国内で 2002 年 1 月から 2003 年 9 月まで、地雷や不発弾
の被害にあわないための教育(地雷回避教育)、地雷原の特定調査活動、地雷
除去を支援してきました。2003 年 10 月からは、国連アフガニスタン地雷対策
センター(UNMACA)や国連児童基金(UNICEF)と協力し、アフガニスタン
全土で使用する地雷回避教育の教材開発およびフィールド・プログラムにも取
り組んでいます。
北ശタカール州では、小児まひ(ポリオ)後ϸ症、麻痺障害、地雷被害などに
より四肢に障害のある人たちを対象とした理学療法施৓を2ヵ所৓立し、運営
しています。理学療法を通して、障害者の四肢機能の向上と回復を図り、自立
を支援しています。 また、義肢装具が必要な人に対しては、難民を助ける会
で費用を負担して、国連の義肢センターへ搬送しています。
シャンティ国際ボランティア会(Shanti Volunteer Association)
http://www.jca.apc.org/sva
活動地: ナンガハール州
活動の説明:
2001 年 10 月、米・英軍空爆後、アフガニスタン国内外での緊急救援事業を経
て、2003 年から復興支援事業をアフガニスタン東ശのナンガハール州で開始し
ました。初等教育の改善を目指して、図書է活動と学校建৓事業を実施してい
ます。
・図書է活動
多くの子どもたちが学校に戻りましたが、楽しめる絵本や本が皆無で、以下
の様々な図書է活動を行っています。
(1)絵本出版
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アフガニスタン東ശ地区の民話から絵本にふさわしいタイトルを選び、パシ
ュゥトゥン۰の絵本を出版しています。
(2)教員研修会の実施
小学校教員を対象に 3 日間の図書է活動に関する教員研修を実施していま
す。
(3)移動図書箱活動の実施
1
2ヵ月に一度、絵本をつめた図書箱を持って小学校を巡回して、読み聞
かせを行っています。
(4)コミュニティ文庫の運営
ジャララバード市内に絵本、本をю覧できる文庫を৓置。文庫では、࠭字学
級、イベントの開催など、児童է的な機能も備え、州で唯一の子ども図書էと
しても利用されています。
・学校建৓
建৓業者に委託せず、独自の学校建৓チームを組織して、事業地の選定、৓
‫、ٽ‬施工及び施工管理など一貫した事業管理を行い、学校建৓を行っています。
教育省、州教育局とも連携し、地元のコミュニティからは土地の提供、安全確
保や労働者確保の協力を得て、住民参加型の学校建৓を実施しています。校舎
は、12 教室と図書室からなり、今までに 6 校を建৓しました。校舎を建৓した
学校では、校舎修繕とф生(トイレ使用)のワークショップを実施し、コミュ
ニティの皆さんが校舎を維持管理できる体制をめざします。また、学校図書室
を৓置し、移動図書箱活動、教員の図書է活動研修会を行いました。2005 年度
は、3 校を建৓予定です。
特定೗営利活動法人ジェン(JEN)
http://www.jen-npo.org/
活動地: パルワン州;カブール
活動の説明:
JEN は 2001 年 8 月にアフガニスタンの国内避難民に対する支援の立ち上げの
ため現地調査に入りました。しかし、米同時多発テロ後の米軍によるアフガン
攻撃を受け、ଥ年に渡る戦௖と干ばつの被害で難民・国内避難民となった人々
への「緊急支援」に方向転換をしました。同年末の暫定政権発੝後、多くの難
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民が帰還を始めたため、2002 年以降は、故؇に戻った人々が再び自分たちの力
で生活していくことができるよう、帰還する人々が多いパルワン州を中心に地
元住民の参加による『帰還民再定住支援』を行っています。
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攻撃を受け、ଥ年に渡る戦௖と干ばつの被害で難民・国内避難民となった人々
への「緊急支援」に方向転換をしました。同年末の暫定政権発੝後、多くの難
民が帰還を始めたため、2002 年以降は、故؇に戻った人々が再び自分たちの力
で生活していくことができるよう、帰還する人々が多いパルワン州を中心に地
元住民の参加による『帰還民再定住支援』を行っています。
事業実施にあたっては、自分たちの力で自立した生活を送ることを目指し、
地元住民やコミュニティーの参加を促しています。住宅再建や橋・道路の建৓
では、住民自らが建৓作業を行い、学校修復では、スクールマネージメント委
員会を৓立し、地元の手で修復内容の決定や維持・管理を行えるよう後押しを
しています。また、子どもや女性、老人、障害を持った人など、特に弱い立場
にある人々への支援を中心に行っています。
日本紛争予෇センター (The Japan Center for Conflict Prevention)
http://www.jccp.gr.jp/
活動地: カブール州‫ܻة‬が中心
活動の説明:
日本紛争予෇センターアフガニスタン代表事務所では、下記の 2 事業を中心と
しています。
(1)社会復帰事事業
(2)地雷・不発弾除去事業
(1)社会復帰事業
社会復帰事業は、当センターアフガニスタン代表事務所が৓立されて以来実施
してきた事業です。
2004 年 12 月から 2005 年 6 月までは、日本政府 NGO 支援無償資金によって、
元兵士たちの社会復帰事業を支援してきました。直‫ة‬の事業地は、カブール州
北方カラコン郡およびミルバチャク郡が中心でした。
当 事 業 を実 施 す るに 当 た っ ては 、ボ トム アッ プ によ る 元 兵士 たち 主導 の
ownership をもたせる事業を心がけてきました。具体的には、単なる職業ٗ練と
するのではなく、下記 4 点に配慮しています。
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するのではなく、下記 4 点に配慮しています。
(A)戦争によって教育の機会を逸した若い、しかし、就学年齢をଢえた元兵
士たちに「基礎教育」、
(B)平和な時代に適応し、思考法を変えていくための「平和教育」、
(C)以後ࢠによらずに生きていくための「職業ٗ練」
そして
(D)地域社会との信頼構築を目的としつつ、職業ٗ練で習得した技術の向上の
ための「コミュニティ・アクティビティ」
これ等によって、プロジェクト開始前までは、人殺しと村人から看做されてい
た職のない元兵士たちが、今では、コミュニティ・アクティビティを通して多
くの村人たちと信頼を再構築し、将来は、金属加工、木材加工の職人として生
きていく希望を持って生きています。
(2)地雷・不発弾除去事業
地雷・不発弾除去事業は、2002 年当センターアフガニスタン代表事務所開৓以
来準備を進めてきましたが、2005 年 8 月 30 日より地雷・不発弾除去チームを
パルワン州に 2 チーム展開することとなりました。当センターでは、既にスリ
ランカにおいては地雷・ 不発弾除去事業を実施してきましたが、2005 年より
アフガニスタンでも新たに展開することとなりました。パルワン州は、対ソ連
戦および対タリバン戦においても、軍用空港‫ة‬くということもあり、最前線と
して村人の 90%‫ة‬くが難民・避難民として流出した激 戦地区でした。
>現在同地域の地雷・不発弾被害を減らすため、日本人テクニカルアドバイザ
ー2 名が、パルワン州に展開される地雷・不発弾除去チームの指揮を執る事と
なっています。
日本国際ボランテイィアセンター (JVC)
http://www.ngo-jvc.net/
活動地:ナンガルハル県北東ശ
活動の説明:
Ⅰ.女性と子どもの健康改善支援:ナンガルハル県北東ശ
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2005 年度は診療所を拠点に村の伝統産婆や保健婦を養成・支援するととも
に、井戸掘りを通して安全な水を提供する。この総合的な地域保健活動は昨年
度一ശ実施にとどまったが、今年度は全面的な展開となる。
1.地方診療所支援:
2005 年度は、ナンガルハル県シャワ郡グレーク村診療所に対して保健省の
定める医療サービス基本パッケージに則した支援を行う。特地域の母子保健
のニーズに応えるために、女性医師、助産師を派‫ڳ‬しクリニックに母子保健
ശใを৓置し、周辺村で女性保健ワーカーの活動も開始する。
2.伝統産婆(TBA)トレーニングとフォローアップ支援:
村で従来活動している伝統産婆に対してより安全な出産介助ができるように
トレーニングを実施し、トレーニング後のフォローアップや出産キットの定期
的な補充により妊婦や新生児の死亡率を減らす。2004 年度 3 郡 4 つの集合村で
49 人の伝統産婆トレーニングとフォローアップを行った。その結果、以前に比
べ妊婦が示す異常の見落としが減り、ӧの病院への移送による安全な出産の数
が増えた。2005 年度はモニタリングの頻度を増やし、地域のクリニックや新た
に養成する保健婦との連携を密に行うことで産婆と妊産婦への支援体制を強化
する。
3.中級医療従事者養成所(Institute of Medical and Science)女性コースの
支援:
農村医療に従事する女性を養成することを目的に৓立された中級医療従事
者養成所女性研修センターに対して、就学環境の充実を図るため机・椅子、教
具、備品と通学・実習用車輌の運行を支援する。昨年度は養成所のコースやカ
リキュラムの変更、支援団体間の調整の混乱などが重なり実施が大幅におくれ
たため、2005 年度の実施となる。
4.安全な水の供給とф生教育:
2005 年度医療支援活動と重なる地域で、現地 NGO RDRO(農村開発復興機構)
と協力して、約 90 本の井戸৓置し、同時に井戸利用住民を対象にф生教育を
実施する。
_.教育支援
学校建৓および教育の࠽向上のための支援:
シギ女子学校は過去 3 年で生徒数が 3 倍‫ة‬く増えたため 500 名あまりの生
徒が屋外での授業を余儀なくされていた。同校の学習環境を改善すべく、03
年から 05 年までの 3 年間で備品や教具の支援と校舎の建৓を行う。
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日本アフガン NGO ネットワーク(JANN)
徒が屋外での授業を余儀なくされていた。同校の学習環境を改善すべく、03
年から 05 年までの 3 年間で備品や教具の支援と校舎の建৓を行う。
_.アドボカシー(調査・提‫ۄ‬活動)
軍による人道援助活動と不正֖軍兵士の武装ӂ除プログラムに焦点をあて、
アフガニス
タンの復興プロセスを監視し提‫ۄ‬する。
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Box 4: NGO 法֖および行動֖範
(AREU A-Z August 2006)
2002 年以来、೗営利的な NGO はどうあるべきでかつどうあるべきでないか、また、アフ
ガニスタンでの NGO 活動の責務および透明性を݄める(強化する)ことを明確化する2
つの発議(主導、自発性)が行われている。その1つは NGO 法֖で、NGO は何か、NGO
の‫נ‬容活動範囲、体制基準、内ശ管理の確定(判断)および NGO の報告義務の明確化、
現在 NGO として登༵している営利機関を事業として৓立可能化、NGO の透明性と責務の
強化を立案する。NGO 法は 2005 年 6 月に通過(可決)された。
2 つ目はアフガニスタン特定の NGO 行動֖範で、自治機構として NGO 団体が立案した。
全ての署名者(調印者)の透明性、責務、職業基準(適格基準)を確実にする。
アフガニスタンの主な4つの NGO 調整団体である Agency Coordinating Body for Afghan
Relief (ACBAR)、Afghan NGOs Coordinating Body (ANCB)、Southern and Western Afghanistan
and Balochistan Association for Coordination (SWABAC)、Afghanistan Women’s Network (AWN)
が合同で行動֖範の文章を֙草した。
NGO 団体は 2005 年 5 月 30 日、公的にアフガニスタン NGO 行動֖範に参入(着手)
。行
動֖範の調印者となるには、法的登༵文書、調整団体会員資格、財務記༵、その他組織文
書等の NGO 状況を照明する書໸を提出しなくてはならない。この文章を書いている時点
で、86 もの NGO 団体が申請手続きを始めており、ACBA の行動֖範事務局により処理さ
れている。
(AREU A-Z Guide August 2005)
4.2 生活上の問題(入国、ビザ、保‫、ڵ‬ि事、健康管理、治安)
(JCCP 林裕)
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4.2.1.入国
航空機での入国が最も無難。陸路は、治安情勢を勘案すると、あまり薦められ
ない。特に、利用する車輌が、白のランドクルーザなどの場合、容易にターゲ
ットとしてࢋ撃者に認࠭される。
ドバイ経由での入国は、イスラマバード経由の入国より安全と思われる。もっ
とも、この点については各 NGO で意見が分かれると考えられるため、派‫ڳ‬元
団体本ശの事前合意・明確な指示が必要。
4.2.2 ビザ
日本におけるアフガニスタンビザの申請料は、最短滞在期間 15 日、3,750 円で、
݄めの印象。ଥ期滞在の場合は、アフガニスタン入国後、有料でビザ延ଥ(日
本と比ԁして多少安価)をすることを勧める。写真 2 枚、事務所からの要請文
を添付する必要があるが、JCCP の経験では早ければ1週間で取得可能。
4.2.3 保‫ڵ‬
日本人の保‫ڵ‬については、日本の保‫ڵ‬会社が妥当。特に、契約時には戦争特約
に関する合意を保‫ڵ‬会社と交わす必要があると思われる。アフガニスタン人ス
タッフに対する有用な保‫ڵ‬は、現在のところ妥当な情報がない。
4.2.4 ि事
アフガニスタン料理は、油っぽいため、日本人はおなかを壊しやすいようであ
る。油の量が多い場合、日本人の胃腸では消化しきれず、下痢になる場合が多
い。水道水は、上水に下水が混入するなど、水道水にもかかわらず、大腸菌が
大量に混入している場合がある。そのため、水道水はЏ料水としては信頼が置
けないため、市販のЏ料水を購入、携帯が必ॲ。特に、夏季は 40 度前後の気
温となるため、脱水症状を֙こしやすいので水分の補給には気をつける。
カブール市内でも、コレラが発生しているので、外िはできる限り避け、िべ
物は各自での加熱処理を原則とする。最低でも 1.5ℓの水が生命維持活動を 24
時間継続するのに必要とされる。
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劣化ウラン弾の懸念もあるため、アフガニスタン南ശで生産されたि料の摂取
は、劣化ウラン弾による被爆の恐れがあり、できる限りの注意が必要。恒常的
な頭痛、めまい、ि欲減退などが見られた場合には、念のための診察が必要と
思われる。
4.2.5 健康管理
-精神状態を健全に保つことにより免疫力を݄め、健康状態維持の一助となる。
また、健全な精神状態は、迅速で正確な判断に不可欠であるため、R&R を確保
することは重要である。
慣れないि事、また೗常に油っぽいアフガニスタンのिべ物で体調を崩しがち
になるので体力、体調の維持管理のために、できる限りの運動を行うことも有
効である。特に、アフガニスタンは全体的に標݄が݄いため、日本で育った者
は、当初頭痛もしくは、思うように体が動かないなどの状況に陥りがちである。
従って、運動などを行うことにより、体調を標݄ 2000 メートル前後のアフガ
ニスタンにならすことも有効である。
3 ヶ月に 1 度程度は休暇などを利用して国外にて休養することが、精神を健全
な状態に保ち、仕事の効率を維持するのに役立つ。日本大使է医務官は、2
3
ヶ月に 1 度の R&R を薦めている。
4.2.6 安全
- アフガニスタン全土で地雷が敷৓されており、不慣れな場所での移動は、地
雷に触発する危‫ڵ‬が大きい。徒歩での移動は極力避けるべきである。
- 徒歩での移動を余儀なくされた場合は、੝োをたどって歩くとよい。
- 興味を引く軍用車両やそのശ品、破片など戦௖時に使用されたものには極力
接‫ة‬を避け、接触をさける。
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- 付‫ة‬の様子に気を配り動物の死Ӫ、枯れた草を発見した場合は、格段の注意
を払う。これらは、化学兵器が使用された形োを示している場合がある。
- 2005 年 9 月 18 日に議会選挙を控え、誘拐、ࢋ撃等の危‫ڵ‬性が݄まっている。
カブール市を始め、ஞ市ശにおいても、治安が確保されているとは‫ۄ‬いがたい
ため、外出に際しては、通信機器(無線、携帯ஏ話、ф星携帯ஏ話)の携行、
Џ料水、出発と帰着時間の報告など、充分な対策をとる必要がある。
車輌に乗る場合には、ドアロックの確認、窓ガラスをできるだけ開けない、夜
間、通常存在していないチェックポイントで制服を着用した者に停止を命じら
れても、できる限り、窓を開けずに ID を見せるなど、車がࢋ撃されることを
想定した準備をしておく必要がある。
夜間の外出については、特に注意が必要である。
4.2.7 退避/対応策
各団体毎に退避‫ٽ‬画、退避手順、基準などを明確にする必要性がある。法人 NGO
は普段から関係を密に保ち、緊急事態では、できる限る協力しあい、より安全
な退避を行うことを想定しておく。大֖模な軍事作戦が展開される場合には、
その数時間前から「ф星ஏ話」および「携帯ஏ話」は、妨害ஏ波により使用で
きなくなる。また、インターネットも無線の場合にはその範疇に入ると想定さ
れる。従って、通信手段の確保は、೗常時においては重要となる。騒擾事件時
などの場合には携帯ஏ話会社などが第一次的な攻撃対象となるため、過度に携
帯ஏ話に依存するのは危‫ڵ‬である。)
4.3 推薦書紹介
4.3.1 推薦書 (English language)
(クリス・デニスと今井千尋)
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General / Travel writing
Danziger, N (1987) Danziger's Travels; Beyond Forbidden Frontiers
Elliot, J (2000) An unexpected light
Fergusson, J (2004) Kandahar Cockney: A Tale of Two Worlds
Kremmer , C (2002) The Carpet Wars
Newby, E (1960s) A Short Walk in the Hindu Kush (Picador Books)
Stewart , R (2004) The Places in Between
Zoya, with john Follian and Rita Crisofari (2002) Zoya's Story; An Afghan woman's
struggle for Freedom
Politics/History
Adamec, L (1997) Historical Dictionary of Afghanistan The Scarecrow Press, Inc., Lanham, Md &London
Donini, Niland and Wermester (2003) Nation-building Unraveled: Aid, Peace and
Justice in Afghanistan
Dorronosoro, G (2005) Revolution Unending, Afghanistan: 1979 to the present
Dupree, L (1974 & 1998) Afghanistan
Edwards, D (2002) Before Taliban: Genealogies of the Afghan Jihad
Goodson, L (2001) Afghanistan’s Endless War—State Failure, Regional Politics, and
the Rise of the Taliban University of Washington Press
Johnson, C and Leslie, J (2004) Afghanistan: The Mirage of Peace
Mistra, A (2004) Afghanistan Polity
Maley, W (2002) Afghanistan Wars Palgrave Macmillan
Rashid, A (2001) Taliban: The story of Afghan Warlords
Roy, O (1990) Islam and Resistance in Afghanistan
Rubin, B (2002) The Fragmentation of Afghanistan
Scarecrow Press (1996) Historical Dictionaries of Wars, Revolution and Civil Unrest,
No.1 The Scarecrow Press, Inc., Lahham, Md & London
4.3.2
推薦書
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アフガニスタン入ใ書
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(َ井香奈と今井千尋)
「ハンドブック 現代アフガニスタン」
著者 ༃木均(アジア経済研究所企画) 2005 年 明石書店
→アフガニスタン地域研究の基礎を築き、紛争ӂ決、復興支援の一助とすべく、
地勢、歴史から政治、経済までの包括的な考察に加え、詳細年表、関連文献と
新憲法のඬ訳も収༵した有用な一冊。
「獅子と呼ばれた男
アフガニスタンからの至急報
」
著者 ジョン・リー・アンダースン 2005 年 清流出版
→アフガンを背負って立つはずだった男マスード。そのマスード殺害と同時多
発テロとの知られざる関係とは? 衝撃的な真相が今、明らかにされる。週刊
誌『ニューヨーカー』の外国特派員による報告。
「カブールの本屋
アフガニスタンのある家族の物۰
」
著者 アスネ・セイエルスタッド 2005 年 イーストプレス
→欧米に衝撃を与えたイスラム社会の現実!タリバン政権崩壊後、カブールのあ
る書店主一家と出会い、その家族と生活を共にした白人女性ジャーナリスト。
そこで彼女が目にしたものは_。
「アフガニスタンの少女、日本に生きる」
著者 虎山ニルファ 2005 年 草思社
→虎山 ニルファ:1974 年アフガニスタンの首ஞカブール生まれ。1990 年メッ
カ大巡礼の名目でアフガニスタンを脱出し、7 月 11 日、来日。現在は、国際機
関や政府機関で通訳として活๒するほか、博士号取得の為に大学院進学をめざ
している。
「アフガニスタン戦後復興支援
日本人の新しい国際協力
」
著者 内海成治 2004 年 昭和堂
→現地で支援に携わった各分野の専ใ家の献身的な活動の報告。著者は大‫ޥ‬大
学院教授、博士号(人間科学)取得。2001 年以来多岐に渡りアフガニスタンで
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アフガニスタン入ใ書
2005年9月
日本アフガン NGO ネットワーク(JANN)
活動をしている。
「女性と復興支援
アフガニスタンの現場から
」
著者 緒方貞子/ユニフェム日本 2004 年 岩波書店
→アフガニスタン復興・総理特別代表である緒方貞子氏が,自らの難民問題へ
の取り組みと復興支援のあり方を۰る。同時に現場で様々なࠌみを行っている
UNIFEM(国連女性開発基金)のメンバーなどの活動も報告する。
「アフガニスタンに住む彼女からあなたへ
望まれる国際協力の形
」
著者 山本敏晴 2004 年 白水社
→イランのアフガン難民キャンプで出会った少女がと著者が故国で奇োの再会
をはたす。彼女との医療援助活動を通して、国際協力の真の意味を問いかける。
「アフガニスタン
再建と復興への挑戦
」
著者 武者小路公秀/総合研究開発機構 2004 年 日本経済評論社
→今アフガニスタンで何が֙きているのか。新しい国造りに向けての現状とҭ
題・支援のあり方を探る。安全保障の視点からの問題提֙と提‫。ۄ‬
「アフガニスタン女性の௖い
自由と平和を求めて
」
著者 アフガニスタン国際戦犯民衆法廷実行委員会 2003 年 耕文社
→日本において RAWA(アフガニスタン女性革命協会)の思想や理念、活動を
紹介する最初の書籍。アフガニスタンの社会や現代史を学ぶのに最適の内容で
あると共に、女性学やジェンダーに関心がある者も手にしてほしい。
「アフガニスタン
戦乱の現代史」 渡辺光一 2003 年 岩波新書
→英༠の「グレイト・ゲーム」、米ソの冷戦構造、そして周辺諸国をも含む諸
民族の対立・興亡−それらに翻弄されつつ、9.11 を経て今日に至るこの国の
歴史と全体像を、10 回をଢえる現地取材をふまえてコンパクトに描き、今後を
展望する。
「アフガニスタン
国家の再建と復興に向けて
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」
アフガニスタン入ใ書
2005年9月
日本アフガン NGO ネットワーク(JANN)
著者 日本貿易振興会(JETRO)2002 年
→アフガニスタンがこれまで歩んできた苦難の‫ة‬現代史、混迷の極みにある政
治・経済状況、和平と発展に向けた同国の将来像を、それぞれ分析、ӂ説。ア
フガニスタン・ウォッチの基礎的資料として活用できる資料も豊富。
「アフガニスタン
南西アジア情勢を読みӂく
」
著者 広瀬崇子/堀本武功編著 2002 年 明石書店
→アフガニスタンの歴史的背景・地政学的位置、アメリカ一極支配の矛盾、パ
キスタンの抱える苦悩など多層的な問題をӂきほぐし೗軍事面での日本の役割
も探る。2001 年 10 月東京大学で開催されたシンポジウムを基にしたもの。
「ほんとうのアフガニスタン」
著者 中村哲 2002 年 光文社
→内戦、伝染病、貧困、֜餓…。日本人はいま、何ができるのか、どうすれば
役に立てるのか。あらゆる「いのちの௖い」を続け、今また空爆後にいち早く
ि糧援助を開始している日本人医師が発する、アフガニスタン最新メッセージ。
「テロ、戦争、自ф
米国等のアフガニスタン攻撃を考える
」
著者 松井芳༰ 2002 年 東信堂
→テロに対する多くの国際条約、自ф権発動の条件等、精細な国際法的思考に
よるアフガン攻撃問題総括。市民のための国際法を論じているので、国際法の
論点がしっかりした水準で、かつわかりやすい。
「ダラエ・ヌールへの道
アフガン難民とともに
」
著者 中村哲 2002(1993 初版)年 石ഹ社
→80 年代からペシャワールに拠点を作り、アフガニスタンでの医療を続けてき
た著者の様々な支援活動の記༵。
「1時間でわかるアフガニスタン」
著者 桑田剛 2001 年 廣済堂出版
→歴史から利権まで、報道が教えてくれない「アフガニスタン」を知る決定版。
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アフガニスタン入ใ書
2005年9月
日本アフガン NGO ネットワーク(JANN)
「アフガニスタン
終わりなき戦乱の国
」 ラリー・P・グッドソン 2001
年 原書房
→著者はベントレー大学教授。専攻は国際関係論。アフガン難民、戦士、援助、
タリバン支配の状況などの研究を行なうアフガンニスタン現代研究の第一人者
が民族、宗教、社会構造、地理、歴史、国際関係をときあかす。
「タリバン」田中 宇 2001 年 光文社
→アフガニスタンでの現地取材を元に、タリバン、オサマ・ビンラディン、ア
メリカの「三ӿ関係」を描き出す。
「アフガニスタンの農村から
比ԁ文化の視点と方法
」 大野盛雄 1971 年
岩波新書
→アフガニスタンの二つの対照的な農村に著者が滞在して行なった調査の記༵
である。社会・経済構造の分析を基盤にして、農耕と遊牧、商い、イスラム教
などについて考察、斬新な比ԁ文化論を展開する。
「アフガニスタン南西アジア情勢を読みӂく」
広瀬崇子、堀本武功(編著)、明石書店、2002 年
「さまよえるアフガニスタン」
༃木雅明(著)、花伝社、2002 年
「アフガニスタン 敗れざる魂」
ଥ倉 洋海(著)、新潮社、2002 年
「アフガニスタン 国連和平活動と地域紛争」
川端 清隆(著)、みすず書房、2002 年
「アフガニスタン史」
前田耕作、山根聡(編著)、河出書房新社、2002 年
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アフガニスタン入ใ書
2005年9月
日本アフガン NGO ネットワーク(JANN)
「旅の指さし会話帳 アフガニスタン」
情報センター出版局、2003 年
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