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小さな一歩が 大きな成長へ

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小さな一歩が 大きな成長へ
学生記者コラム❸
セルフプロデュース さよならを言う前に
小さな一歩が
大きな成長へ
文&写真 学生記者 佐武祥子
(法学部4年)
蘇州 中国らしい庭園が残る
中国の学生による観光案内、船にも乗った
月に1級 、
3年 生では公 認 会 計 士の合 格を夢 見ていた
嬉しかった中央大学法学部入学
が、
それは夢のまま終わってしまった。
私の大 学 生 活の軸に経 理 研があったのは間 違いな
2010年4月中央大学の入学式を迎えた。小学生のこ
い。学習が進んでくると、毎日の講義や自習に加え、朝の
ろから憧れていた法学部。
「でも入るのは難しいのだろう
答案練習(朝8時から行うミニテスト)や土曜日に模擬試
な」
と思っていたが、願いというのは通じるもので入学する
験があった。朝8時から夜9時まで学校で勉強し、土曜も
ことができた。
10時から夜6時半までいた。
自然に恵まれたキャンパスも、私は好きだったので、入
公認会計士にはなれなかったが、簿記や会計、企業の
学式はとても嬉しかったのを覚えている。
その入学式から
監査や法などについて学べたのはいい経験だった。私が
4年が経ち、卒業する身としてこのように記事を書くのが
就職活動の際、証券会社を多く見ていたのも、
ここで習っ
今は切なく感じている。
た会計処理の中で、証券会社が行っているものに興味を
持ったからだ。経理研の友人は真剣に誠実に勉強してい
入学後2週目から始まった中大経理研究所
た人が多く、私はいつも彼らを尊敬していた。
私は指定校推薦で10月に大学入試を終えて、10月か
初めての海外でマルタへ
らの6カ月間は時間にゆとりができた。初めは英語に自信
がなかったので英会話を習い始めたり、TOEICを受験し
大学2年の夏休み、法学部の「やる気応援奨学金」を
たり。
たまたま目に留まって、入学前の2月には簿記を始め
頂き(自腹も切って)、地中海の真ん中のマルタ共和国へ
る。なかなか面白かったので、
それがきっかけで入学直後
と語学留学した。
1年生の夏休みも、春休みも海外へ留
の中大経理研究所のガイダンスに参加した。その流れで
学して英語をもっと使えるようにしたいと思っていた。が、
公認会計士を目指すコースに入った。
経 理 研 の 講 義を
公認会計士の専門性の高さ、世界で働ける可能性の
優 先して い た の
大きさは魅力的だったが、
その分勉強は大変で週5日、大
で、断念した。
学の授 業 後に簿 記 講 座を受ける。始まったのは4月1 2
公 認 会 計 士に
日、
まだ新入生歓迎会を楽しみたい時期だった。
なれたとしても英
大学の授業後に毎日2時間半の講義を受け、多少の
語は必要であると
自習もしたので6月の簿記検定では2級に合格できた。11
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マルタのきれいな海 コスタリカ人の友達と
聞いたこと、英 語
♪ そんな時代もあったねと いつか話 せる日がくるわ
∼時代 中島みゆき∼1975
の授業の友人が1カ月、
アメリカへ行ったことで英語も人
普段の私の生活では、問われないことである。何を聞
間性も一皮むけたことに刺激を受け、私も世界を自分の
かれているか理解し、何を話すべきか、
どう英語にするか
目で見たいという思いが募っていた。
考えているうちに、話は違うテーマになっていた。
2011年3月11日の東日本大震災を受けて経理研の授
クラスメートはヨーロッパ、
ロシア、
アラブからと様々だっ
業は1カ月ほど休みになった。一寸先の未来がどうなるか
た。
とくにヨーロッパとロシアの人は自分の考えや文化につ
分からないならば、今やりたいことをやろうと決心した。
いてしっかりと主張する。凄いなと感じた。
地震で休みになった講義内容は自宅のパソコンで全
私ももっと自分の考えや文化を知りたいと思ったし、自
て受講した。自習でも勉強できると安心したことが、実質
分が目を輝かせて説 明できる専 門 分 野を見つけたいと
的な留学の後押しになったのかもしれない。
思った。
そうして、英語の先生やリソースセンターの事務員さん、
マルタの語学留学1カ月で、自分の未熟さや弱みにさら
既にやる気応援奨学金で海外に行った人に話を聞き準
されながらも多くのことを学んだ。
日本では遅刻しないこと
備を進めた。
は当然と思っていたが、毎日ちゃんと授業に出たのが私
マルタは地中海に浮かぶ小さな島国だが、150年にわ
の良い所、強みなのだと思った。
たるイギリス統治のため、英語が使われている。留学先を
一言話せるかどうかで終わっていた授業も最終週はだ
世界の中心、多くの人が集まるニューヨークにしようと思っ
いぶ話せるようになった。
日常的な会話ならそれなりに世
ていた。
しかし、せっかく奨学金を頂いて行くのなら普段
間話ができるようになった。最終週に出会った人から
「流
は行かない所に行きたいと考えるようになり、地図帳で英
暢だね」
といわれた時は本当に嬉しかった。
語圏の地域を探した。
挫折感、不便さ、理不尽さなど苦しんだからこそ、些細
マルタも英語圏であると知り、
さらに調べた。歴史的に
なことでも大きな希望や喜びを感じられるようになったと
はイギリスの影響を受けるものの、地理的に近いイタリア、
思う。
日本とは全く違う世界観、価値観に触れ、良くも悪く
アフリカの影響も受ける。その立地からヨーロッパ、アフリ
もとても刺激的な1カ月だった。
カ、中東の多くの国と地域から人が集まること、治安も良
いことからマルタに行くことにした。
SENDプログラム参加 マルタでは、語学学校で英語のレッスンを受け、放課後
は観光をしたり、出会った人とお茶をしたりした。語学学
文学部SENDプログラムで、
3年生の春休みにロンドン
校で自分のふがいなさを痛感した。初めの一週間はリスニ
で日本語の教え方を学び、
4年生の夏休みに上海の上
ングに苦戦した。慣れてきても英語が十分できないうえに、
海理工大学で日本語を教えた。
自分について説明できないことにも嫌になった。
参加したきっかけは、私は自分のルーツである日本のこ
「あなたの(国の)
タブーは? 信念(信仰、宗教)は?
とをもっと知りたいと考えたからだ。
その上で日本語には日
整形について日本人はどう思っているの? あなたの国
本が表れているとマルタでの経験で感じた。
の政治はどう?」
マルタで、英語を話す中で、
日本語との違いを肌で
(口
で)感じた。英語ではこんなに強く
(直接的に)、
こんな調
子で言っても大丈夫なのかと学んだ。
日本人と出会った
ときには、
それまで溜まっていた感情が一気に出てきた。
このとき日本語でしか表せない感情や表現があるのだと
知った。
また、どの国の人も自分の国や地 域のことを大 切に
思っていて、説明できることに驚いた。グローバルに活躍
するために、英語ができること、専門分野を持つことはもち
ECマルタ語学学校にて
ろん必要だが、
その前に自分の基盤や核となる物事を理
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学生記者コラム❸
セルフプロデュース さよならを言う前に
ロンドンIIEL、
ここで日本語を教えた
上海で
解し尊重することも大切だと感じた。
感謝している。
そんなとき
「日本語教育 海外で日本語を教えることで
まだどうなるか分からないが、法律に定評があり、南半
グローバル化人材になる」
というSENDプログラムのチラ
球一と言われる大学で学べることが楽しみである。将来、
シを見て、
日本語を通じて日本をもっと知りたいと思い参
会社の研修制度を利用して海外の大学院へ進学する
加した。
布石となればいいと思っている。
日本語を実際に教えてみると
「行きます」
「きます」
「帰
ります」の違いや「この」
「その」
「あの」の違いは何かと
4年間続けた学生記者
いった細かいことを教える。
そのために、
どういう状況で使
うのか、
あるいは使えないのか、
そこにはたらく話し手の気
興味を持ったことはやってきたつもりだ。
その中でも4年
持ちはどうかを考えた。予想よりもはるかに繊細で曖昧な
間続けた本誌の学生記者は私にとって最も大切で誇り
日本語を研究することで日本についての理解が深まった。
を持てる活動だ。今でも一つ一つの取材を鮮明に思い出
ロンドンや上 海で日本 語を教えた中で、学 習 者( 受 講
せる。
1年生の時に取材した陸上競技部のルーキー、社
者)のキラキラとした目が印象的だった。
どの人も日本語を
会の第一線で活躍中の卒業生へのインタビュー。大学院
学ぶことに前向きであった。教える私はその期待に応えら
や国際機関・ILOの講演会、箱根駅伝密着取材など。
れるよう準備を進めた。特にロンドンでは性別、年齢が幅
普段は絶対に出会わないであろう人と出会え、話を聞
広く、
いくつになっても何かを学び変えていきたいという志
けたのが学生記者をしてよかったことである。毎回、取材
があれば学生なのだと感じた。
オーストラリア国立大学へ法律を学びに
SENDプログラムで日本語や日本文化を紹介したこと
で、
ようやく私の価値観の根底にある日本の文化を理解
した。自分や日本について何か聞かれても自分なりに考え
て答えられるようになったであろう。
さあ、
ようやく次のステップに進める。私の目標は、何か
自分なりの価値(専門性)
を持って世界で働くことだ。そ
のために自信を持って語ることができる専門分野をつくり
たい。
そこでオーストラリア国立大学に2週間、法律を学びに
行くことにした。
ここでもやる気応援奨学金を頂けたことに
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人が多い上海の街並み
♪ あんな時代もあったねと きっと笑って話 せるわ
∼時代 中島みゆき∼1975
対象者の魅力に引き込まれ、私も頑張らなきゃという気持
期留学、教員免許の取得など多くのことに挑戦できた。
ちになった。そんな刺激的な出会いに恵まれたからこそ、
この4月からは社会人になる。願いがかなって証券会
この4年間、
たくさんの挑戦をしてこられたのだと思う。
社に入社できた。
きっと大変なこともあるだろうが、大学時
特に箱根駅伝の取材では一泊2日で「箱根駅伝を強
代に培った前向きさやポジティブさを忘れず、自分らしく働
くする会」
(支援団体)に密着し、OB・OGの母校への思
きたいと思う。
そして
いや長年社会で生きてきた強さを感じた。
その方たちのよ
大 勢の先 輩が支え
うに、私もいつかは頼りになるOB・OGになり、中央大学を
てくれたように、私も
応援したいと思った。
在 校 生の力になれ
る存在になりたい。
卒業して、これから
在 学 生にはまだ
自 由 に 使える時 間
中央大学での4年間は本当に楽しくかけがえのない時
が 残され ていて 羨
間であった。振り返ってみると、教授、事務の職員さん、
ましい限りである。残された時 間があるなら、やってみた
OB 、友人、家族と多くの人に温かく支えられていた。
その
いことは恐れずにチャレンジしてほしいと思う。
ことに感謝の気持ちでいっぱいである。
そのお蔭で、法学
小さな一 歩が大きな成 長 へ つながっているはずだ
部での学びは充実していたし、
さらに会計士の勉強、短
から。
四万十川にて
学生記者になりませんか?
『HAKUMON Chuo』は中大生が取材・編集する大学広報誌です。
現在、学部在学生を対象に学生記者を募集しています。
●元新聞記者のプロや先輩の学生記者に、
取材方法・原稿の書き方はじめ
添削指導を基礎から受けることができます。
将来どんなキャリアをめざすにも文章力が重要です!
●取材を通して、
さまざまな人に出会うことができます。
出会いの数ほど思い出ができることでしょう。
●記者活動を通してコミュニケーション能力など
「社会人基礎力」
を身につけることができます。
駅伝の応援にかけつけた
中大ファンを取材する学生記者
お申し込み・お問い合わせ 中央大学広報室『HAKUMON Chuo』 編集担当 : 久保田茂信
Phone : 042ー674ー2048(直通)
E-mail : [email protected]
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