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環境ホルモン汚染と問題点
N―211 1999年9月 .レクチャーシリーズ 4)環境ホルモン汚染と問題点 東京大学医学部附属病院分院産科婦人科教授 科学技術財団 CREST 堤 座長:三井記念病院部長 滝沢 憲 治 はじめに 環境ホルモン(内分泌撹乱化学物質)は「動物の生体内に取り込まれた場合に,本来, その生体内で営まれる正常なホルモン作用に影響を与える外因性の物質」と定義される. 自然界に存在する植物性エストロゲンや医薬品(合成エストロゲン)なども該当するが, 主には環境汚染物質などで微量でもホルモン作用を有する化学物質を意味する.環境ホル モンの人体へのリスクは新聞雑誌テレビなどのメディアにも連日取り上げられ,健康被害 への不安が国民全般に及んでいる.政府もダイオキシンについては対策関係閣僚会議等で 検討を進め環境基準の設定や耐容 1 日摂取量(従来厚生省基準で10pg kg 重量 日)の見 直しがされている.環境ホルモンは動物実験からは微量でも生殖機能への影響があること や子宮内膜症との関連が示唆されている.母乳からの環境ホルモンの摂取も大きな問題で あると指摘されている.しかしながら,環境ホルモンとヒトの生殖機能の変化に関する研 究は端緒についたのが現状で,環境ホルモンの汚染の実態を子宮内膜症を含めた疾患との 関連で評価することや環境ホルモンの生殖機能への作用を特定しその最小毒性量を設定す ることが急務である.産科婦人科医あるいは学会の果たすべき役割も大きい.ここでは環 境ホルモン特にダイオキシンを中心に環境ホルモン汚染とその問題点を検証する. 主な環境ホルモンとその作用機構 1) 環境ホルモンと称される物質は多くのものがある(表 1 ) .ダイオキシン類はポリ塩 化ジベンゾ‐p‐ダイオキシンとポリ塩化ジベンゾフランの総称で,化学物質の合成過程 でも生じるが主にはゴミ燃焼過程で生成される.ダイオキシンの中では2, 3, 7, 8の位置に 合計 4 個の塩素が結合した2,3,7,8‐塩化ジベンゾ‐p‐ジオキシン(以下 TCDD)が極 1) (表 1)主な環境ホルモン(内分泌撹乱化学物質) 物質名 ダイオキシン類 ビスフェノール A DDT ポリ塩化ビフェニール ノニルフェノール スズ 説明 主として廃棄物の燃焼過程で非意図的に生成される. ダイオキシン類に特異的な Ah レセプターをもつ. ポリカーボネイト樹脂・エポキシ樹脂等の原料,酸化防止剤として使われ る.エストロゲンレセプターに作用する. 農業用有機塩素系殺虫剤で 1981 年生産中止となった. エストロゲンレセプターに作用する. 電気製品,熱媒体として用いられ,1972 年生産中止となった. エストロゲンレセプターに作用する. 石油製品の酸化防止剤および腐食防止剤乳癌細胞の増殖刺激. エストロゲンレセプターに作用する. 船底や漁網の汚染防除剤 1990 年外航船を除き禁止された. イボニシの生殖異常(インポセックス)の原因と考えられている. N―212 日産婦誌5 1巻9号 OH 1 9 2 0 0 8 7 6 3 4 CH3 CH3 HO エストロゲン 内分泌撹乱物質 ,,, ,,, ,,,(ビスフェノールA等) 内分泌撹乱物質 ダイオキシン ,,, ER AhR DNA RNA 蛋白 ダイオキシン,エストラジオール,ビスフェノールAの構 造とその作用メカニズムを示した.ダイオキシン類は多数 の異性体(210個)存在するが,2, 3, 7, 8の位置に4つの塩素 のついたものが最も毒性が強い.ダイオキシンに特異的レ セプターAhR(アリルハイドロカーボンレセプター)と結 合して環境ホルモンとして作用する. (図1)環境ホルモンの作用メカニズム1) めて有毒である.微量でも細胞内の Ah レセプターに結合して細胞組織によってエストロ ゲン作用ないし抗エストロゲン作用など内分泌撹乱物質としての性質を示す(図 1 ) .ビ スフェノール A はポリカーボネイト樹脂・エポキシ樹脂等の原料として現在も広く用い られている.カップラーメンの容器,缶コーヒーや哺乳ビンなどから相当量が溶出するた め,その安全性の確認が必要とされている.DDT は農業用有機塩素系殺虫剤で世界的に 広く用いられていたが,毒性の強いことから1981年生産中止となった.ポリ塩化ビフェ ニールも電気製品,熱媒体として用いられたが,1972年生産中止となった.ノニルフェ ニールは石油製品の酸化防止剤および腐食防止剤として用いられるが,細胞培養のディッ シュのコーティング素材として用いられたものが,乳癌細胞の増殖を促進することの指摘 を受けた.これらはエストロゲンレセプター(ER)に結合し,エストロゲン作用ないし, 抗エストロゲン作用を有することが知られている(図 1 ) .スズは船底や漁網の汚染防除 剤として広い用途があったが,1990年外航船を除き禁止された.日本の海岸に生息する イボニシの雌個体の雄性化(インポセックス)や個体数の減少が有機スズ化合物によるこ とが,堀口らにより報告されている. 環境ホルモン汚染の実態 環境ホルモン汚染が問題になるのは,環境ホルモンの残留性と蓄積性にある.先に述べ た DDT や PCB は製造中止して久しいが今なお問題となっている.また環境ホルモンは, 生体にとって未知の物質であるために,体内では代謝されにくく,また体外にも排出され にくいために,生体内に蓄積される.そこでプランクトン,小魚,大魚といわれる食物連 鎖が上がるにつれて,環境ホルモンの濃縮の度合いが高くなる.魚を多く摂取する日本人 は環境ホルモン摂取量,言い換えれば,曝露量が多くなる.食物連鎖による濃縮される環 境ホルモンの危険性は,食物連鎖の頂点に立つヒトでは最も濃縮係数が高くなるだけに問 題となり,さらに母乳では濃縮されることは無視できない.ここでダイオキシンを例に, その産生から,ヒトが摂取するまでを検討する. N―213 1999年9月 大 気 河川 0.18 海域 排出基準 日本 80 ドイツ 0.1 0.001 ダイオキシン摂取 pgTEQ/kg/day ヒ ト 魚 類 ゴミ等の燃焼 化学物質の合成 ゴミ焼却率(%) 日本 74 ドイツ 25 アメリカ 16 イギリス 10 濃縮 生殖機能異常 経世代的蓄積 0.26∼3.26 家畜類 土 壌 農作物 人類存続の危機 (図2)ダイオキシンの発生と摂取1) ダイオキシンの環境中への放出,増加は大半が塩素を含んだ廃棄物の焼却によって生じ る(図 2 ) .ゴミの焼却をすることが多く,かつダイオキシン発生に対する規制も比較的 緩い日本では,年間5kg のダイオキシンが大気中へ放出されるといわれる.図 2 に示し たようにダイオキシンは大気と土壌を汚染し,一部は直接的に人体へ摂取される.最大の ルートは環境中に蓄積されたダイオキシンが食物連鎖により濃縮されて食品,特に魚類に 蓄積されて摂取される.植物にも一定の汚染はある.先般社会問題化した埼玉県所沢市の ホウレンソンや緑茶の汚染は植物への汚染を確認したものであるが,相対的には汚染の程 度は低い. ダイオキシンは日本では平均的には 1 日で体重1kg 当り3pg 程摂取していると計算さ れている.これは先に述べた10pg kg 重量 日以下ではあるが,98年世界保健機関(WHO) は 1 ないし4pg という,より厳しい基準を提唱し日本でも基準値の再検討がなされてい る(注:99年 6 月 4pg kg 重量 日が日本における 1 日耐容量として設定された) . 環境ホルモンの生殖機能への影響 ダイオキシンの毒物としての強さは表 2 に示した LD50から猛毒であることがわかる. 環境ホルモンとしては胎盤を通り胎児奇形発生や次世代の生殖機能低下という異常を惹起 する.妊娠マウスへの投与で胎児に水腎症が現れるのは母親の体重1kg 当り,500ng と 微量で,妊娠ラットでは,わずか64ng の投与で生まれた雄ラットに精子数の減少がみら れた.その量は致死量の千分の 1 程度で母体には何の影響も与えない量であった.ヒト 精子の減少傾向など男性の生殖機能の低下が危惧されていることとの関連が注目されてい る.また子どもの雌ラットでは卵胞数の減少なども起こる.これらから,環境ホルモンに よって生じる異常はまず生殖機能へ現れることが示唆される.さらに微量の体重 1kg 当 り126pg のダイオキシン投与でサルに子宮内膜症が高率に発症したという報告はダイオ キシンが何らかの異常や疾患を起こした事例の中で最も微量である点と,近年子宮内膜症 患者が増加していることとの関連で大きな衝撃を与えた. 我々は環境研究所との共同によりダイオキシン類はヒト卵胞液や精液等にも存在するこ とをガス・マス法により確認し,配偶子(精子,卵子)もすでに汚染の対象でありヒトに N―214 日産婦誌5 1巻9号 (表 2)ダイオキシンの毒性と生殖機能への影響 1) ラット マウス サル 60μg/kg 182μg/kg < 70μg/kg 生殖機能異常 (成体投与) LH・FSH 分泌 5μg/kg 実験内膜症増殖 3μg/kg 子宮内膜症 126pg/kg * 次世代異常 (母体投与) 雄児精子減少 64ng/kg 雌児卵胞減少 1μg/kg 次世代妊娠率低下 10ng/kg/day * 児水腎症 500ng/kg 児口蓋裂 3μg/kg 胚発育影響** 1pM 流産 1μg/kg 致死量(LD50) * 1 日の投与量 ** in vitro おける環境ホルモンの生殖器系への汚染も無視できないことを明らかにした2).生殖機能 への影響としては微量のダイオキシン(1∼5pM)がマウス胚発育を抑制し,胚のダイオ キシン感受性は高いと考える.同様にビスフェノール A も nM レベルでは胚発育に促進 的に働き100 µ M では抑制することを明らかにした.これらの成績から胚発育は環境ホル モンに鋭敏に反応し,環境ホルモンの人体への影響を検討し,耐容 1 日摂取量を検定す る際には考慮すべき指標と考えられる. ビスフェノール A の作用は ER を介することが示されているが,胚には ERα ,β とも に発現することも明らかにされている3).ERα ,β の発現様式には差異が存在した.また ビスフェノール A の作用は分子レベルでは ERα ,β で異なることも明らかになりつつあ り,環境ホルモンの研究はホルモン作用の解明にもつながることが期待される. 《参考文献》 1)堤 治.環境ホルモンと生殖.生殖医療のすべて.東京:丸善書店,1999 ; 97―116 2)Tsutsumi O, Uechi H, Sone H, Yonemoto J, Takai Y, Momoeda M, Tohyama C, Hashimoto S, Morita M, Taketani Y. Presence of dioxins in human follicular fluid : their possible stage-specific action on the development of preimplantation mouse embryos . Biochem Biophys Res Commun 1998 ; 250 : 498―501 3)Hiroi H, Momoeda M , Inoue S, Tsuchiya F, Matsumi H, Tsutsumi O, Muramatsu M , Taketani Y . Stage-specific expression of estrogen receptor subtypes and estrogen responsive finger protein in preimplantation mouse embryos. Endocrine J 1999 ; 46 : 153―158