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No. 961 O BRASIL

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No. 961 O BRASIL
BOLETIM
No. 961
(会報)
OUTONO
発行
財団法人
(秋)
理事長
日伯協会
三 野 哲 治
TEL/FAX
O BRAS
IL
2013
URL
http://www.nippaku-k.or.jp
平成25年10月31日
(季 刊)
神戸(078)230−2891
E-mail
〒650−0003 神戸市中央区山本通3丁目19−8 海外移住と文化の交流センター2階
[email protected]
クリチーバ市内の専用レーンを走行する
「ビ・アルチクラード=Bi-Articulado」
と呼ぶ赤色(急行)の幹線バス。
3両連結で全長28m、定員250人の大型車輌。
今号の主な記事
4
P.
2
移住ミュージアムだより
P.
8
企業紹介(アシックス)
P.
3
ポルトガル語にふれる 第2回
P.
9
ブラジルの日系団体紹介
P.
4
会員だより
P.
10
日本で活躍するブラジル人アーティスト
P.
5
ブラジル経済、表紙の言葉
P.
11
コーヒーブレイク、編集後記
P.
12
私とブラジル
第3回 完
日伯協会からのお知らせ
P.
6-7
印刷/菱三印刷株式会社 〒652-0803 神戸市兵庫区大開通2丁目2-11 TEL
(078)
576-3961
私とブラジル
4
第
3
回
ブラジルでの松脂事業 ―その後、そしてマリンガ
財団法人日伯協会 副理事長
長谷川 吉弘
(ハリマ化成グループ 代表取締役社長)
1973年、初めてブラジルを訪れた私の父、長谷川末
ガ市が提携しました。続いて、西宮市−ロンドリーナ
吉(すえよし)は、各地に植林されたアメリカ松(エ
市(1977)、姫路市−クリチバ市(1984)、淡路市―
リオッティ松)の多さに驚き、ブラジルでの松脂(ま
パラナグア市(1986)が提携しました。
つやに)採集、精製松脂(ロジン)事業の可能性に気
づきました。
加古川−マリンガの提携は今年40周年を迎え、5月に
はマリンガで盛大な祝賀会が行われ、加古川市長、市
パラナ州政府からも企業進出を強く要請され、当社
議会議長らと訪問し歓待されました。10月にはパラナ
にとっても初めての海外進出となるブラジルでの松脂
州経済使節団として80名にのぼる訪問団が訪日される
事業の開始を決断し、パラナ州ポンタグロッサに精製
とのことで、マリンガの皆さんと再会できることを楽
工場を完成(1976年)させました。
しみにしています。因みに、マリンガ市:人口36万人、
原料となる松脂を得るために、松林を持っている植
林場のオーナーに、植林場の本来の事業である、樹を
市の名前の由来Maria(女性名マリア)de Inga(イン
ガのマリア)。《完》
育て、大きくなったら伐採して売ることの他に、採集
した松脂の販売で副収入が期待できる松脂採集事業を
勧めました。まだ松脂採集が行われていなかったブラ
ジルでは、大事な松の樹の幹に、傷など付けたら(樹
皮を一部はぎ取る)、枯れてしまうのではないかと心
配され、当初は原料手当てに苦労しましが、徐々に理
解され、現在ではブラジルは中国に次ぐ松脂生産国に
成長しました。
今日に至るまで、ブラジルからの撤退を考えるよう
な困難な状況もありました。とりわけ2度のオイル
ショック後の1980∼90年代のハイパーインフレ(最高
2500パーセント―1年で物価が25倍)、治安の悪化など
です。
進出時から、日系社会には随分とお世話になりまし
た。兵庫県姫路市出身の日系実業家・故山本勝造氏の
知遇を得たお陰で多くの日系の皆さんに助けられまし
た。それに、何よりもこれまで日系の皆さんがブラジ
ル社会で築いて来られた「ジャポネース・ガランチー
ド(日本人は保証つき)」のお陰で、日本から来た会
社だからと、信用され、仕事もしやすかったことに感
謝しています。
また、当社では進出当時にブラジルに派遣した若い3
人の社員、本間、笹倉、諸泉君らは、それぞれ日系の
女性と結婚し、ブラジルで家族をつくり、ブラジルに
永住するつもりです。数年の駐在でなく、永住態勢の
マリンガ市に設置された加古川市との姉妹提携40周年記念碑―左側に
はマリンガ市のシンボル円錐形教会(高さ124メートル)と右側には加古
川市のシンボル鶴林寺三重の塔が描かれている。塔の屋根が逆さに見え
るのが気になるがこれもデザインか。
彼らがいてくれたお陰で、会社としてもじっくりと腰
を据えての事業展開を描くことができました。
そもそも、当社がブラジルで松脂事業をやることに
なったきっかけは、パラナ州マリンガ市と兵庫県加古
川市の姉妹都市提携の為に私の父が訪伯、マリンガ訪
問したことでしたので、この姉妹都市提携についても
触れたいと思います。
2
No.961
兵庫県―パラナ州は1970年に姉妹提携。その後、県
下の最初の姉妹提携として1973年に加古川市とマリン
パラナ工場では約60名のスタッフが働いている。
アシックス・ブラジル
アシックスグループの成長ドライバー
ASICS Brasil Ltda. VP
駿河 政孝
サンパウロ旗艦店
当社の強みを更に生かせる市場である。また、オリンピッ
クで連続してメダルを獲得しているバレーボールや高所得
者層と中間所得者層の増加に伴って成長が見込まれるテ
ニスやハンドボールなどの分野への販売強化を図っている
最中である。
当社の重点戦略の一つである自主管理売場の拡大を加
速し、お客様へ直接販売する機会を増やす為にブラジル
国内に直営店を出店しており、現在5店舗で全てが順調に
売上を伸ばしている。来年度は出店スピードを更に加速し
ていく計画である。
オフィス玄関
アシックスのブラジル進出の歴史は古く29年前の1984
年にブラジル現地販売代理店の支援・管理会社アシック
ス・タイガー・ブラジルとしてスタートしました。
近年、ブラジルでも成長が著しいインターネットを中心と
したデジタル・マーケティング分野についても来年度以降
本格的にビジネスをスタートしていく計画である。
ブラジル人はスポーツが大好きで特にチームスポーツや
トレーニングジムでの交流やレースを好む傾向があります。
その後23年間現地の販売代理店を通しての営業活動を
来年に控えるワールドカップと3年後に開催されるオリン
経て、2007年に直接販売会社としてアシックス・ブラジル
ピックによりスポーツ人口の増加が見込まれるのと中間所
を設立しました。
得者層の増加に伴う健康志向への高まりと良質のライフス
販売会社としてスタートした2007年度当初は、ブラジル
タイルの実現をスポーツに望むことが見込まれます。
国内でのアシックスブランドの認知度が低く、既に世界有
このような市場環境下で、当社は世界各国で認知されて
数の競合他社がブラジル市場に進出していた為、ランニン
いる高い商品力とブランド力でもってブラジルでのシェア
グシューズを中心に限定した商品カテゴリー販売に集中し
を伸ばし、人々の生活をより豊かにし、地域社会に貢献し
ました。
ていきます。
設立以来、売上高は前年比2桁成長を毎年続けており、
ランニングシューズを中心としたアスレチック市場での当
社のプレゼンスは年々高まりを示しており、来年度は更な
る飛躍を期待しています。
この「選択と集中」の販売戦略とブラジル経済の活性化
による中間所得者層の拡大が追い風となり、50社を超える
アシックスグループ会社の成長ドライバーとなるに至ってお
ります。
ブラジルのスポーツ用品小売市場は、成熟化したランニ
ング分野から今後はトライアスロン、トレイルランニング、ウ
ルトラマラソンといったニッチな分野の拡大が期待でき、
GEL-NIMBUS15
3
No.961
ブラジルの日系団体紹介
リオデジャネイロ州
日伯文化体育連盟
リオデジャネイロ州日伯文化体育連盟(以下「連盟」)
は、1954年9月に汎リオ野球連盟として発足しました。改
称は1976年1月で、現在リオ州内22の日系人会の連合体
としてそこからの分担金をもとに諸団体に関わる文化的体
育的事業の企画・運営を行っています。またJICAからの
業務委託を受け、リオ州及びミナスジェライス、エスピリッ
トサント、ゴヤス、トカンチンスの5州とブラジリア直轄区
の一都五州日本語教師合同研修会を主催し、日本への各
種研修生の選考・派遣、日本語能力試験の実施に関する
諸業務など幅広い活動を行っています。
日本祭
います。当日は、和太鼓やフルートの演奏、盆踊り、青年の
スピーチ発表などもあり、1日楽しんでいただいています。
また日本商工会議所より贈呈される記念品も楽しみの一つ
となっています。
日本庭園
1995年11月、日伯修好通商航海条約100周年の記念事
業として、リオ市内の国立植物園内に日本庭園(4,215㎡)
が建設されその管理・運営を請け負っています。開園式に
は紀宮清子内親王殿下のご臨席を賜り「清苑」と命名、イ
ペー・アマレイロのご植樹を受けました。1997年には天
皇・皇后両陛下のご訪問を受け、2008年に皇太子殿下が
イペー・ブランカを、秋篠宮殿下はパオブラジルを植樹さ
れ、皇室家の植樹が1箇所にあるのは、ブラジルでは当園
のみと自負しております。
日本語教育
連盟による一都五州合同研修会、日本語能力試験、日
本への各種研修生派遣事業だけでなく、日々の活動は連
盟傘下の日本語普及会を中心に行われています。州内には
約10校の日本語学校があり、他地区に比べると非日系の
教師・学習者が多いという特徴はありますが、月1回の勉
強会を行い熱心な活動を行っています。毎年8月にはお話
大会・文化祭が行われ、日本語学習者が日頃の学習の成
果を発表する場となっており、今年は参加者も100名を超
え、来年の35周年に向けて弾みをつけた形となりました。
毎年8月第3土日曜日に開催し、今年で12回目となります。
カリオッカ(リオっ子)に日本文化を紹介することをメイン
に日系4団体(連盟・日本商工会議所・文協・リオ日系協
会)主催、総領事館の後援で、柔道・剣道・盆踊り・ソーラ
ン等のステージ発表、折り紙・習字・囲碁・着物着付け等
の体験、DVDによる日本紹介、日本食販売(たこ焼き・天
ぷら・焼きそば・焼き鳥等)などを行い、本年も2日間で2
万人を超す人出となりました。
敬老会
その他の諸事業
移民慰霊祭
6月18日(ブラジルへの移民記念日)前後の日曜日に行
われます。2001年より場所をキリスト教の教会からお寺
へ移し、仏式の法要となりました。本年は105年目の節
目の年でもあり150余名が参加しての大法要が行われま
した。
農事視察旅行
人気のある事業のひとつです。各地の日系コロニアの
訪問には毎年多くの参加希望者があり、定員オーバーと
なることもあります。昨年はパラ州のトメアスーへ、本年
4
No.961
毎年9月15日(敬老の日)前後の日曜日に開催し、今年で
39回目を迎えました。80歳以上の連盟加盟団体の方が対
象ですが、今年は男性87名(最高齢者は100歳)、女性102
名(最高齢者は99歳)で合計189名と年々その数は増えて
はリオグランデドスール州の日系農場視察を予定してい
ます。
各種スポーツ大会の主催
野球から始まった団体ですので、野球の他、ソフトボー
ル、サッカー、ゲートボールなどスポーツ関連の諸行事に
は現在も積極的取り組んでいます。
日本で活躍する
ブラジル人アーティスト
関西在住のブラジル人ピアニストクラウディオ・ソアレスさん
を紹介します。ブラジルから来日して30年。演奏活動のほか
音楽大学教授など教育活動にも力を注いでいます。特に、若い
音楽家の才能を開花させるユニークな指導は、国内や海外の
国際コンクール受賞者を多数輩出しています。
Claudio
ピアニスト .L.Soares
クラウディオ・ソアレス
クラウディオ・ソアレスさんは、1954年ブラジルの優雅な芸
術と文化の香りが残るリオ・グランデ・ド・スール州パッソフン
ド市で生まれました。そのため幼少のころより音楽に親しみ、
ピアノを独学に近いカタチで学びました。家庭の事情で、音
楽の道に進むのは困難な事態に陥りかけましたが、強い意
志と努力によって、
リオ・グランデ・ド・スール国立芸術大学に
入学、
ドゥルセ・マシャード氏に師事しました。
その後、1972年
から77年までリオデジャネイロ国立音楽大学でミゲル・プロ
エンサ教授の下で研鑽を積み、卒業後、西ドイツ政府交換
留学生として渡独しました。
ドイツでは、ハノーヴァー国立音
楽大学でハンス・ライグラフ氏やハンブルグ国立音楽大学
のヤーラ・ベルネッテ氏に師事しています。
ドイツでは、
ピアノの勉強だけでなく、ゲーテ学院とハノー
ヴァー教育大学を修了しており、後の指導者としての礎に
なっていると思われます。
ピ ア ニ スト とし て は 、
大学卒業後、沢山のコンサー
トやリサイタルへの招聘を受け、
ヨーロッパ、中東のオーケスト
ラとの共演を果たしています。
日本では、
ブラジルのバッハと
称せられる世界的作曲家H.
ヴィラ・ロボスの作品演奏でも
知られています。また、服部久
美子とピアノ・デュオを結成すると共に、数多くのコンサートに
伴奏者として出演、主にドイツ歌曲をレパートリーとしています。
日 本 に は 、1983年に来日し、大阪芸術大学と大阪教育
大学で教鞭を取り、現在は、大阪音楽大学特任教授、同志
社女子大学嘱託講師を務めていると同時に、㈶ヤマハ音楽
振興会ソアレス特別コースで指導しています。
指 導 者 とし て は 、皆さんも良くご存じのピアニスト中村
紘子さんに、
「日本の若い世代のずば抜けた存在」
と言わし
めた田村響さん
(1986年12月生まれ:2007年ロン・ティボー
国際コンクールで優勝)
、萩原麻未さん
(2000年13歳で、
イ
タリア・パルマドーロ国際コンクールピアノ部門最年少優勝、
2010年ジューネーブ国際コンクールで日本人初優勝)
をはじ
め多くの演奏者を送り出しています。教え子の95%は現在
プロとして活躍しているそうです。
ブ ラ ジ ル に は 、年に一度サンパウロのリベロン・プレッ
ト交響楽団の招待を受けて、教え子のソリストが多数出演す
る演奏会を開催しています。このほか毎年3月ごろには花粉
症を逃れるために、
リオデジャネイロ郊外ブージオの家へ里
帰りしているそうです。
著 作 と し て は 、ピアノ奏者と指導者へのガイドブック2
冊が、㈱ヤマハミュージックメディアより出版、いずれも10刷
以上の増刷を重ねて、好評販売中です。
♪ソアレスのピアノ講座
∼音の世界∼
演奏と指導のハンドブック
♪バッハ演奏と指導の
ハンドブック
お 知 らせ
来 日 3 0 周 年 記 念 コ ン サ ート
来日後、10年∼20年の教え子が中心となり、
『クラウディオ・
ソアレス 来日30周年記念コンサート』
が開催されます。皆さ
んもどうぞご来場くださいと、お誘いを受けています。
日時:2013年12月27日
(金)開場16:30 開演17:30 場所:いずみホール(住友生命OBPプラザビル2F)
お問い合わせ:コンサート事務局 [email protected]
堺ピアノ協会 072-291-2635
♪クラウディオ・ソアレスさんは 、堺ピアノ協 会を主 宰し
ており、1 9 9 6 年 から2 0 1 2 年 の 秋 に 、通 算 9 回 の「 堺
国 際ピアノコンクール」を開 催してきたが 、運 営 が 厳しく
なり、広くスポンサーを求めておられます。♪
5
No.961
Notícias
日伯協会からのお知らせ
2013年
2013年秋季 移住ミュージアム企画展
10月25日
∼12月23日
㊗
移民の国ブラジルに根づいた日本の食文化
昨年11月1日∼の企画展では、
「教科書で見るブラジル日系社会の子弟教育」を、次いで本年5月∼からは「ブラジルの医療に
献身した日本人たち」と題した企画展を開催しました。教育、
医療に続き今回は「食」をテーマに取り上げた企画展を開
催中です。
ブラジルは、移民の国と言われるとおり、多くの国からい
ろんな民族が集まっています。その歴史のスタートには原住
民・インジオがいました。そこから、ブラジルに流入した食
文化がどのように変遷し、定着していったのかを、展示して
います。
第1章
ブラジルの食文化の歴史 マンジョカ芋を主食にしたインジオの食文化から支配者ポ
ルトガル人の食文化へ
第2章
ブラジル5地域の食材と料理 北部、北東部、中西部、南東部、南部の5地域に移住した
世界各国の食材と融合して生まれた、地域料理を
第3章
各国移民が根付かせた食文化 イタリア、スペイン、ドイツ等ヨーロッパを中心とした移
民が自国の食文化を持ち込んだ
第4章
日本人がもたらした食材と料理
日本人がもたらした、米、野菜、果物等の豊富な食材と品
質の高さは折り紙つき
第5章
日本へやって来たブラジルの食品と料理
今や日本の食生活は、ブラジル抜きでは成り立たない
1月の中南米音楽会
ブラジルポルトガル語講座
恒例のマリンバとサンバの演奏です。開催は、1月下旬の
2014年2月1日∼3月8日の毎週土曜日、会話編(入門
土曜日か日曜日を予定しています。決まりましたらホーム
編):午後1時10分から80分。文法講読編(ステップアッ
ページとチラシでご案内します。ご期待ください。
プ2):午後3時から80分。ブラジルポルトガル語に触れ
てみたい、ブラジルに行ってみたい、近隣のブラジル日
系人との会話がしたい方など、どうぞ一歩踏み出してご
参加ください。受講費:各編共会員は8,000円、一般は
10,000円です。
新春フェスタ
2014年の新年を飾る「新春フェスタ」の開催を、推進
チームで検討しています。詳細が決まり次第ご案内しま
6
No.961
すので、ご期待ください。
Relatório
レポート
連邦下院議員ルイス西森経済視察団来日&日伯協会訪問
ルイス西森連邦下院議員を団長とする、第40回パラナ州経済友好使節団一行77名が、10月10日
(木)
朝、
海外移住と文化の交流センター・移住ミュージアムを2014ワールドカップサッカーのマスコット人形を携えて
訪問されました。
とても熱心に見学され、皆さん黒田常任理事の説明に耳を傾けておられました。
また、同日夕刻には、ホテルオークラで、当協会をはじめ多数の関係者が参加しての歓迎夕食会が催され
ました。
マスコットは日伯協会
事務所に飾っています。
中嶋岩雄画伯回顧展(10月10日∼18日)
愛知県半田市出身、1955年21歳でブラジルへわたり、絵の具を重ねて浮き上がらせる独自のタッチを編み出し、コーヒー畑や港、
街並みなどの作品を手掛け数々の入賞を果たし、2011年惜しまれながら77年の生涯を終えた日系人画家。この10月海外移住と文化
の交流センターで、奥様がブラジルから50点に上る遺作を携え回顧展をされた。当協会は、UCCコーヒーと共に全面協力した。絵の
魅力、画伯の人柄、奥様の魅力が人々を引き付けたのだろう。ただ絵を眺めているだけではなく、必ず何かを話しかけたくなるような
絵と奥様で、期間中は、大勢の見学者があり、活況でした。
中南米音楽会(10月19日)
㈶日伯協会・神戸中南米音楽協会主催の中南米音楽会も、今回で14回を数えました。前回から、人数を集めるよりは雰囲気
を大事にとの方針から、「1ドリンク+おつまみ」で、楽しんでいただいています。定員一杯の50名が参加、会場は大いに盛り
上がりました。
7
No.961
移住ミュージアムだより
神戸でお爺ちゃんの写真と対面
新地 愛美さん
日本へ 研 修に
来たコロンビアの
日系 少 女
「南アメリカの北端の国に住んでいる私のお爺ちゃん
の写真が、なぜ神戸の移住ミュージアムに展示してある
かしい最後の日本の日々を過ごした場所だった。
1928年(昭和3)に開設した国立移民収容所が、昔日の
面影のまま移住の歴史を伝え、写真と実物で移住者の身
の回りの生活、仕事などを伝えている。新地さんは日本を
知るために一生懸命だった。JICAから選ばれ、日本での
勉強の機会を得られたのはラッキーだった。日本で見聞し、
学んだことを沢山身につけて帰国した。お爺さんの写真
との思わぬ再会は、生涯忘れられない思い出、素晴らし
い土産話となったのではないだろうか。
の?」南米コロンビアから日本へ研修に来ている新地さん
(15歳)は、飛び上がらんばかりにびっくりしていた。
新地さんは、6月19日∼7月16日の約1か月間、JICA(国
際協力機構)の「平成25年度日系社会次世代育成研修」
のために来日、委託を受けた海外日系人協会の事業に参
加した。これは日本からの移住者の子弟に「知日者」を増
やすための長期事業である。
横浜(移民資料館)で大部分の研修を行い、関西にも
足を延ばした。神戸は移民船が運行されていた間、移住
者の事前研修と出発準備を国立移民収容所(後の移住セ
ンター、現・海外移住と文化の交流センター)で行い、懐
移民100周年記念式典に参加した
日系 6 世の写 真を
携 えて
1908年笠戸丸でブラジルに渡られた781人の方々のその
ネッサ中村まゆみさんが12歳の時にも日本人初の5世として
後を考えるのは、送り出された方、見送られた方が殆どでしょ
紹介した。一家の出身は鹿児島で、鹿児島県人会は、
日本
う。この移住ミュージアムの展示も見る人によって、感じ方、
移民の5年遅れで創立されているので、今年が丁度「鹿児島
受け止め方は様々です。そんな中、
この夏9月27日、
ブラジル
県人会創立100周年」
に当たる。笠戸丸第1回移民に始まる
から一組のご家族が訪問された。2008年の「ブラジル移住
父方は武内嘉左ヱ門、キクさん夫妻、母方は川畑徳之助、
100周年記念式典」で、神戸から運ばれた
「友情の灯」
をお
かねぎくさん夫妻で、鹿児島県人127人の一員として乗船し
孫さんと一緒に点火した大西さんである。
た。中村さん一家の5世、6世をNHKが取り上げる位だから、
一家は、サンパウロ市郊外に在住する。2008年3歳だった
2世の川畑トキエさん、3世の竹内ジュリアさん、4世の中村美
裕太君は、
「笠戸丸」がサントス港に着いてから最初に生ま
智恵さんも皆さん写真入りで、
ブラジルの新聞各紙にことあ
れた6世で、
このことは2007年8月NHKがインターネット中継
るごとに取り上げられている。
で日本のお茶の間にも紹介した。NHKが中村さん一家を紹
裕太君は、300人を超える親族に見守られた希望の星で
介したのは、
この時だけでなく、1985年に裕太君の母親・バ
ある。日本語が操られるのは、2世・3世までであるが、
「おはよ
う、
こんにちは、
ありがとう」
など日本語での挨拶はできる。ポ
ルトガル語を話してブラジル人として暮らす6世の裕太君の
先祖に非日系人は一人もいないそうである。
「将来は日系人
にこだわらず、好きな人と一緒になれば、
ただ、真面目さや、他
人に敬意を払うことなど、
日本人の血が伝えるものは、
ずっと
大切にしてほしい」
と8歳になった裕太君の成長を見守って
いる。
この一族の歴史を物語る沢山の資料を携えてのミュー
ジアム訪問であった。昔から、
「失ってわかる親と金」
と言う諺
があるが、
どこに居ても日本人らしさを大切にと思う親心かな…。
8
No.961
お母さんと裕太君
左から裕太君、お父さん、大西さんご夫妻
W杯観戦を楽しくするミニレッスン
ポルトガル語にふれる
第
2
回
監修:田所清克(京都外国語大学教授)
協力:ブラジル民族文化研究センター
2014年6月にブラジル12都市で開催されるFIFA2014「ワールドカップ(W杯)」が、12月の組み合わせ抽選会も近くなり、いよ
いよ近づいて来た感があります。
ブラジルは、南米の中でも唯一使用言語がポルトガル語の国です。本誌では、W杯観戦を楽し
くするために「ポルトガル語にふれる」と題して、前回からポルトガル語のミニレッスンを掲載しています。今回はその第2回です。
前号(第1回)では、全く初めてポルトガル語にふれる人が、どこかでみたり、聞いたりしたことのある短い「挨拶」や
サッカーに関する「単語」を主に、掲載しました。今号では、ブラジルとの熱戦を観戦している4人の会話の模様と単語
は、サッカー用語のポジションを主として取り上げました。
ブラジル代表が前半に先制点をあげるも、後半開始早々に日本代表が本田選手
会 話
のゴールで同点に追いついたシーンです。
Hanako: Oh! Que legal!
Sojiro:
Muito bem, Honda! Foi grande chute!
Hanako: Talvez o Japão possa ganhar?!
Zé:
Puxa vida! Que estavam fazendo os zagueiros
brasileiros! Parece que ainda estão dormindo?!
Carlos: Calma, Zé! Ainda não acabou a partida. Mas, o
Honda é jogador excelente.
Zé:
O Brasil vai vencer com certeza!
Sojiro:
Não, não! É o Japão. Nós vamos vencer!
●日本語訳
はなこ: おー!すごい!
壮次郎: さすが本田だ!いいシュートだったなあ!
はなこ: もしかしたら勝てるんじゃないの。
ゼー:
何てことだ!ブラジルのディフェンダーは何をして
いるんだ!まだ寝てるんじゃないか? !
(文:高橋 翔 イラスト:荒木加菜子)
カルロス: おちつきなさいよ、ゼー。まだ勝負はこれからだ。しかし、本田は実にいい選手だ。
ゼー:
ブラジルが絶対に勝つさ!
壮次郎: いやいや、われわれ日本のほうだよ!
単 語
ポジション…posição(ポジソン)
フォワード…atacante(アタカンチ)/ponta(ポンタ)
センターフォワード…centroavante(セントロアバンチ)
右ウイング…ponta direita(ポンタ・ジレイタ)/ala direita(アラ・ジテイタ)
左ウイング…ponta esquerda(ポンタ・エスケルダ)/ala esquerda(アラ・エスケルダ)
ミッドフィルダー…meio-campo(メイオ・カンポ)
右サイドハーフ…meia direita(メイア・ジレイタ)
左サイドハーフ…meia esquerda(メイア・エスケルダ)
攻撃的ミッドフィルダー…meia ofensivo(メイア・オフェンシーボ)
トップ下…meia ponta(メイア・ポンタ)/armador de jogada(アルマドール・ジ・ジョガーダ)
守備的ミッドフィルダー…volante central(ボランチ・セントラル)/médio volante(メージオ・ボランチ)
ディフェンダー…defesa(デフェーザ)/zagueiro(ザゲイロ) センターバック…zagueiro central(ザゲイロ・セントラル)
右サイドバック…lateral direito(ラテラル・ジレイト)
左サイドバック…lateral esquerdo(ラテラル・エスケルド)
ゴールキーパー…goleiro(ゴレイロ)
ストライカー…goleador(ゴレアドール)
ボランチ…volante(ヴォランチ)
レギュラーメンバー…titular(チトゥラー)
サブメンバー…reserva(ヘゼルヴァ)
システム
(戦術)
…esquema tático
(エスケーマ・ターチコ)
サポーター…torcedor(トルセドール)
応援団…torcida(トルシーダ)
9
No.961
会員
だより
Carta
d
sócioe um
横浜在住
深澤 晋介
泉岳寺にアルファベットの石柱
私は、学生時代を神戸で過ごし、仕事も若い現役時代は神戸・大
阪が中心でしたので、
神戸の経済界の皆様とは浅からぬご縁があり
ました。
日伯協会の会員になって数年が経ちます。今は、
横浜に在住
していますが、生まれは播州赤穂です。
日本では、必ず毎年暮れの
12月14日前後には、
「忠臣蔵」
「赤穂浪士」の物語がどこかで話題に
なります。私も、
日程の調整が着けば赤穂を訪問しますが、
ここ数年
その機会を失っています。
昨年12月、選挙や政権の危うさに世間も騒々しい時期、
日本経済新
聞(12月10日夕刊)
に双日の会長加瀬豊氏が、
「アルファベットの石柱」
と題する随筆を掲載しておられたのを見つけました。
そこで、14日に高
輪の泉岳寺にお参りに出かけ「アルファベットの石柱」
を見てきました。
記事によると、ブラジル有数のレアメタル鉱山会社の前社長であるカ
マルゴ氏が、販路拡大のためにたびたび日本を訪れるなか、
日本の文化、
とりわけ忠臣蔵に描かれた忠義の世界に感銘を受け、赤穂浪士討ち入
り300年に当たる2001年に、
日本の友人と共にこの石柱を寄進された。
カ
カマルゴ氏のレアメタルの露天掘り採掘場と精製工場は、サンパ
ウロから北へ飛行機で1時間半、
ミナスジェラエス洲、
アラシャにある。
カマルゴ氏は、
この地で永らく社員、家族、地域を何よりも大切にす
る会社経営を実践してこられ、従業員の子弟は、幼稚園から大学卒
業まですべて会社で面倒を見る。貧しい人たちのために奉仕を続け
てきた
“アラシャの聖人”
と呼ばれたタデウ・シルヴァ氏の医療活動
を支援すべく、氏の住む小屋を取り囲むように近代的な病院施設を
次々と建てた。一方で、従業員には献身、忠誠、努力を要求した。す
べての社員が全力を尽くすよう厳しく求めた。日本の文化の影響を
受け、思いやりと厳しさを併せ持つ「カマルゴ哲学」は、現社長にも
受け継がれて、会社は盤石な成長を続けている。 とありました。神戸
の生田神社には、
カタカナの石柱は珍しくありませんが、泉岳寺の石
柱はとても珍しいものです。今年の12月にも、
大勢の参拝者がこのア
ルファベット石柱の前を気付かずに行き交うことになるでしょう。
皆さん一度見に来られませんか。
があるのですが、個人的には、街の南東に位置す
ルタ・リジュボエッタ
る丘にケーブルカーで上がり、壮観な景色を見渡
すことをお勧めします。また、ここは昨年のサッ
∼リスボンからの手紙∼
カー・ポルトガル杯で初優勝したヴィトーリア・デ・
岐部 雅之
(在ポルトガル日本国大使館・専門調査員)
ギマランイスの本拠地でもあり、滞在当日の夜は
丘から眺めるギマランイスの街
ガルにとって極めて重要な都市と位置付けられ、
厳しい暑さの続いた今夏、
リスボン市内が外国人観光
女性の名前としても一般的に使用されています。
客でにぎわう中、筆者は週末や休暇を利用して国内の地
毎年5月13日には教会前の広場を文字通り埋め
方都市を幾つか訪れました。その中でも、ポルトガル発祥
地区」
:2001年にユネスコ世界文化遺産に登録)
と、
カト
尽くすほどに国内外から敬虔な信者が訪れます。
ギマランイス旧市街の入口:ここにポルトガル誕生す
リックの聖地ファティマは、当国悠久の歴史に思いを巡ら
す。この時、
ファティマは世界中の注目を浴びるこ
入り口にある「ここにポルトガル誕生す」
(Aqui nasceu
とでしょう。
Portugal)
と記されたトラウル広場の壁に目を惹かれま
No.961
人たちが跪きながら教会へ向かって進む姿を見
ンシスコ・ローマ法王が訪問する予定とのことで
まず、北部ミーニョ地方のギマランイスでは、旧市街の
10
筆者の訪問時にも、観光客に混じり、信者と思しき
かけました。最近の報道によると、
2017年にフラ
せる絶好の機会となりました。
す。そこからしばらく中心部へ足を運ぶとギマランイス城
多くのファンで溢れていました。
続いて、
ファティマはキリスト教国であるポルト
歴史に彩られたポルトガルの地方都市
の地として知られるギマランイス
(「ギマランイスの歴史
国内リーグ戦が行われていたため、
レストランは
ファティマのバジリカ
※なお、内容は全て筆者自身の観点に基づく私見であり、大
使館の意見を代表するものではありません。
Brasil
ブラジル経済情報
ブラジル経済 投資拡大には、更なる改革が必要
SMBC日興証券 武田泰典
ブラジルの4-6月期実質GDPは前期比+1.5%
(1-3月期+0.6%)
と、2
方式に変わったことにより、企業にとっての魅力が低下したことが入札
四半期ぶりに加速した。投資
(固定資本形成)
が前期比+3.6%
(1-3月
不調の背景とみられる。電力会社や銀行などに対する政府の強い関与、
期+4.7%)
と2四半期連続で+3%を超える高い伸びとなり、全体をけん
頻繁に変更される為替政策なども政府に対する不信感を招いている。
引した。昨年に政府が相次いで打ち出したインフラセクターの一部民営
ルセフ政権は従来の労働者党政権よりも企業を重視する姿勢を打
化や企業向け減税、設備投資向けの貸出促進策などの民間投資促進
ち出しているものの、投資の拡大には、企業活動への過度な介入を避
策が投資を押し上げている。ただ、後述のように政策に対する企業の不
け、規制緩和を進めるなど一段の改革が求められよう。
信感は依然根強いとみられ、
また、7月以降は企業の景況感も悪化して
実質GDPの投資(固定資本形成)の推移
おり、今後については不安材料が多い。
政府は8月12日、
リオデジャネイロとサンパウロ近郊のカンピーナスを
結ぶ高速鉄道の入札延期を発表した。入札の延期は2011年7月に続
いて4回目で、施設使用料の負担が大きい他、運賃などに関する制約が
多いことなどが企業に応札を躊躇させているとみられる。9月13日に実施
した国道262号線の民営化入札は企業の応札が1社もなかった。サン
パウロ州政府が6月の大規模デモを受けて、当初7月1日から予定されて
いた州内高速道路の料金引き上げを中止したことなどが影響したとみ
られている。
また、10月21日には国内最大の埋蔵量を誇るリブラ油田の
入札があったが、参加したのは国営石油会社ペトロブラスを中心とする
企業グループのみであった。契約方法が従来のように企業に直接鉱業
権を付与するコンセッション方式から国の関与が強まる生産分与契約
表紙 の言葉
200
(1995年=100)
180
160
140
120
100
09/1-3
※データは13年4-6月期まで
10/1-3
11/1-3
12/1-3
13/1-3 (年/月期)
(出所:CEICおよびブラジル地理・統計院よりSMBC日興証券作成)
世界に誇るクリチーバ市のバスによる公共交通システム
パラナ州の州都クリチーバ市は、標高934mに位置する人口185万人の南部地域最大の都市。
ブラジルの各都市では自動車が急増、
交通渋滞が深刻化する中、
クリチーバ市には、路面電車や地下鉄がなくても、バスによる効率的な公共交通システムを確立、大量かつ高
速輸送を実現している。市民の85%が日常の足として、
自家用車を使うより便利という状況が構築されている。
目的と機能によって車体の色が異なる10種類のバスを配備して、市内中心部と郊外へ放射線状に広がる5本の幹線を中心に、環状、
地区間など網の目の様な路線網が設けられている。
しかも、
「ビ・アルチクラード」
とよぶ幹線バスは、専用レーンを青色
(特急)
や赤色
(急
行)
に塗られた3両連結の大型で、チューブ型のバス停に停車する形で運行され、
ピーク時は毎分1本程度の頻度でも可能と言われている。
専用レーンを走行する青色(特急)の幹線バス
市内循環路線にはバイオジーゼル
+ハイブリッドバスも走る
2階建ての観光バス
チューブ型のバス停が並ぶ市内中心部
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No.961
Coffee break コーヒーブレイク
ブラジルの魚・釣り⑷
サンパウロ在住
西郷勝弘
大湿原、パンタナールで船上ホテルと呼ばれる100トン弱の船
(ホテル)
を1週間借り切って、20人くらいの仲間達とよく釣りに出
かけた話の続きです。マージャン仲間のブラジル富士フィルムの社
長が始めて一緒に行ったときのこと、
「オッ、釣れたぞ」
と引き上げ
ようとしましたが「チェッ、小さいな!」と言ったとたん、糸がものすご
い勢いで引き込まれ、船まで引き込まれそうになりました。船頭が
「これはすごい大物だ!」
と慌てて、碇を引き上げ、船は大物に引っ
張られ、皆が緊迫した状態になりました。そのうちに船が停まり、
10m先位にワニが釣り糸をくわえてポッカリ頭を出したのが見えま
した。釣れた魚にワニが食らいついたことが判り、船 頭がワニを
釣った釣り人は初めてだと言い、皆で大笑いしました。ただワニは
その後も船を引っ張るので糸をナイフで切り一件落着しました。ま
㊧ブラジル富士フィルムの社長
た慣れない初めの頃には、こんなこともありました、船頭が「ジャポ
ネースよ、確実に沢山釣りたいか」
と聞きますので、
「勿論だよ」
と
ないが水が流れ落ちている段差がある所でだ」
と応えました。その二
答えたところ支流の川に入り、笑顔が治まらないほど釣れ、洋々と
人は環境監視官で「落差のある川の下流200mまでの釣りは法律
引き上げていたところ白い
違反だ」
と日本から買ってきた比較的高価な竿、
リールを没収されて
シャツを着たブラジル 人 二
しまいました。船頭はいつの間にか行方をくらましてしまいました。幸
人が「ジャポネースよ、釣れ
いに、魚は没収されませんでしたので不幸中の幸いと思いましたが、
たか」
と聞きますので、
「ああ、
魚は水が落ちるところに集まると言うのをその時知った次第です。
沢山釣れたよ」と返すと「ど
仮に釣れなくても一度は経験されることをお勧めしますが、ボート上
こで釣れたか」と言うので、
「この先の滝と言うほどでは
での蚊やカンカン照りの直射日光の下で背筋に汗を垂らしながら釣
パンタナールのホテル船
り糸をじっと見つめて耐えることが出来る人に限られます。
( 完)
Nota do Editor
編 集 後 記
今回の移住ミュージアム企画展は、
「 移民の国ブラジルに根づいた日本の食文化」
と題し、
「 食」の歴史的変遷、民族的変遷を追求し、
ブラジルで培わ
れた農作物を使い、
どんな工夫がなされたか、今好まれている食べ物は何か等を知らせています。
日本食を世界遺産にという動きがあります。最近のTV
番組では、
とても日本食と呼ぶには相応しくないと思われる
『B級グルメ』
『 秘密の県民ショウ』
など、へぇ∼、何それ、
と言う食べ物を連日のように取り上げて
います。
これも時代の変遷でしょうか。
なにわともあれ、
日本食の基本は、出汁です。出汁を採って料理を始めるのは日本食だけです。
その出汁を採るため
の鰹節を作るのにもどんなに手間をかけるか…。大抵の家庭に、
(出汁の素かもしれませんが)かつお、
いりこ、昆布位は揃っていると思いますヨ。
【編集】編集委員長:品川秀麿/委員:鹿子嶋栄三、加茂周治、辻信一、三井敏明、村上美穂/事務局:金井佐稚子
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