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立ち読み - Book Stack
A SPECIAL EDITION
2 自己免疫機序から見た
心不全の病態と治療
よ し か わ つとむ
■ 吉川 勉
吉川 勉
1981年慶應義塾大学医学部卒業。'94年
米国コロラド大学留学。'96年慶應義塾
大学医学部循環器内科講師。2001年同
准教授。研究テーマは,心不全・心筋
症における自己免疫機序・心筋梗塞後
リモデリング。趣味は,映画鑑賞,絵
画,スポーツ鑑賞,ゴルフ。
慶應義塾大学 医学部 循環器内科
Key words : auto auti body,cytokine,immuno adsorption
その原因に関する研究が進み,ウイルス感染,
Abstract
心筋症の原因としてウイルス感染,遺伝子異常
と共に自己免疫異常を挙げることができる。拡
張型心筋症患者の血清には様々な抗心筋自己抗
体が検出される。βアドレナリン受容体に対す
る自己抗体はアゴニスト様作用を有し,遷延性
心筋障害や致死的心室性不整脈の発生素地とな
ることが明らかとなった。ムスカリンM2受容
体に対する抗体は心房細動と関連する。Na-KATPaseに対する自己抗体は致死的心室性不整
脈による突然死と強く関連する。トロポニンI
に対する自己抗体はL型カルシウム電流を増加
させ,心筋障害の持続と関連する。以上の知見
を踏まえ,免疫吸着による自己抗体除去の臨床
開発を推進中である。このような免疫異常は心
筋症に限らず,虚血心にも認められることから,
免疫学的アプローチによる心不全治療の開発が
期待される。
遺伝子異常とともに自己免疫機序が3大原因と
して認知されるようになった(図1)。これを受
けて,1995年のISFC/WHOの診断基準で「特発
性」の文字が削除されたのは記憶に新しい。
2006年にAHAから提唱された心筋症の分類で
は,「遺伝性」「混合性」「獲得性」の3つのカテ
ゴリーに分けられた。拡張型心筋症(DCM)
はその中で「混合性」に分類されている。
DCMの死因として心不全死もさることながら,
突然死の予測とその予防が重要な課題である。
DCMにおける自己免疫異常が突然死に直結す
る致死的不整脈の発生素地となるとの知見も得
られつつある。さらにこのような自己免疫異常
が心筋症に限らず,その他の原因による心不全
にも見られることも明らかとなってきた。本稿
では,心不全における自己免疫異常にスポット
はじめに
心不全はPackerの定義によれば,心機能障害,
体液貯留,神経体液因子活性化,運動耐容能低
を当てて,DCMを中心に主に液性免疫異常の
意義について概説する。
1. 心筋症における自己免疫機序
下,生命予後不良を特徴とする症候群とされる。
しかしながら,その後の研究成果により,不整
急性心筋炎の場面では,病原ウイルスがコク
脈,血管内皮異常,慢性腎臓病,貧血,酸化ス
サッキー・アデノウイルス受容体などを介して
トレス,睡眠呼吸障害など心不全の様々な側面
心筋細胞内に侵入し,toll-like receptorを中心に
が明らかにされてきた。その中で注目されるの
自然免疫系が活性化される。引き続いて,獲得
が,炎症・免疫異常である。
免疫系が活性化され,T細胞・B細胞が増殖す
非虚血性心不全の基礎疾患として代表的な心
筋症はかつて原因不明の難病であったが,近年
る。ウイルス抗原が主要組織適合抗原(MHC)
クラスⅠ分子上に提示されると,CD8+T細胞を
Autoimmune disorders in congestive heart failure : Tsutomu Yoshikawa,Cardiology Division, Department of Medicine,
Keio University School of Medicine
18(206) BIO Clinica 26(3),2011
心不全診療の最前線
図1 拡張型心筋症の発生素地
MHC:主要組織適合抗原,Mestroni
L, et al: Br Heart J 72 : S35, 1994よ
り改変引用。
介して産生されたパーフォリンによる感染細胞
性免疫応答において負の調節を行っていること
の傷害が惹起される。引き続いて傷害された標
が報告されている。DCMにおいても細胞性免
的細胞の様々なペプチドがMHCクラスⅡ分子
疫異常が観察される。すなわち,DCM患者血
上に抗原提示され,CD4+T細胞を介した持続的
清においてサプレッサーT細胞が減少し,代わ
な免疫応答が惹起される。この際に重要な働き
りにヘルパーT細胞が増加していることや,心
をするサイトカインとして,インターロイキン
筋生検標本を用いた検討でMHCクラスⅡ分子
(IL)-2,インターフェロン-γ,腫瘍壊死因子
が発現しているとの報告が見られる。
(TNF)-αなどTh1系のサイトカインとIL-4,-
これに対して,DCM患者血清には様々な抗
5,-6,-13などのTh2系のサイトカインに分か
心筋自己抗体が存在することが指摘されてき
れる。このような免疫応答シグナルの中でいく
た。われわれはDCM患者血清を用いて,間接
つかの補助シグナルも働いている(図2)
。ミオ
免疫蛍光抗体法,イムノブロット法,ELISA法
シン感作自己免疫性心筋炎モデルでの検討で
を併用することにより85%に何らかの自己抗体
は,心筋炎病変はT細胞によって先天性複合型
が検出されることを明らかにした。これらの自
免疫不全マウスに移植可能であったが,抗ミオ
己抗体は急性心筋炎による心筋細胞障害の際に
シン抗体によって移植することはできなかっ
生じたものが血中に残存するだけであり,
た。さらに心筋炎病変はCD T細胞の枯渇によ
DCMの病態には関与しないと考えられてきた。
って予防されず,CD4+T細胞枯渇により予防可
しかしながら,これに対する反証がいくつか報
能であった。MHCクラスⅡ分子の阻害薬によ
告されるようになった。その一つが慢性心筋炎
8+
っても心筋炎病変を予防することが可能であっ
患者における抗ミオシン抗体の意義である。抗
た。このことは少なくとも心筋炎の自己免疫機
体陰性患者では6ヵ月後に左室駆出率は改善し
序においてはMHCクラスⅡ分子—CD T細胞を
たのに対して,抗体陽性患者では改善しなかっ
中心とする細胞性免疫応答が中心的役割を担
た。もう一つの証拠は,間接蛍光抗体法により
い,液性免疫は重要ではないと結論付けられる。
検出した抗心筋自己抗体の存在はDCM患者の
4+
抗原提示細胞以外にも心臓内の内皮細胞を中心
未発症血縁者が将来DCMに進展するリスク評
としてprogrammed death(PD)-1受容体が存在
価に有用である点である。DCM患者の無症候
し,そのうちのPD-L1が急性心筋炎の際の細胞
の血縁者592例中188例(32%)に抗心筋自己抗
BIO Clinica 26(3)
,2011(207)19
A SPECIAL EDITION
図5
心不全患者の長期予後に対するイバブラジンの効果—SHIFT試験
望ましいと考えられている。β遮断薬の増量
において症候性低血圧が限界となる場合が多
く,十分なβ遮断薬治療を行っても心拍数減
少が得られないことがある。
Systolic Heart Failure Treatment with the If
Inhibitor Ivabradine Trial(SHIFT)は,心拍数
70/分以上の洞調律を有し,左室駆出率35%以
下で,β遮断薬を含む心不全治療を受けてい
る慢性心不全患者(NYHA II-IV)を対象に,
イバブラジン最大7.5mg(n=3268)とプラセボ
(n=3290)を投与した無作為化二重盲検試験で
ある9)。平均追跡期間は22.9ヶ月であった。プ
ラセボと比較して,28日後には平均心拍数が
10.9/分,1年後には9.1/分,試験終了時には
8.1/分減少した。主要評価項目の心血管死と心
不全増悪による入院の複合事象はイバブラジ
ン群で有意に低く,特に心不全増悪による入
院や心不全死の事象が有意に低かった(図5)
。
試験開始前のβ遮断薬処方率は両群とも90%
程度であり,カルベジロールが処方された患
者群の平均容量は25mgであった。しかしなが
ら,ヨーロッパ心臓病学会が推奨するβ遮断
薬の目標容量に達した患者は26%であり,目
標容量の50%以上であった患者は56%であっ
た。したがって,イバブラジンは新しい機序
の心不全治療薬として期待されるが,最適に
管理された心不全治療にイバブラジンを追加
した場合に予後を改善することができるかど
うか,あるいは他の治療,特にβ遮断薬と比
32(220) BIO Clinica 26(3),2011
較した場合のイバブラジンの効果はいまだ不
明であり,今後の検証が必要とされる。
おわりに
新しい心不全治療薬として期待される薬剤
について概説した。アリスキレンは本邦でも
高血圧治療薬として承認され,臨床応用され
ており,現在心不全に対しては治験中である。
トルバプタンは既に国内承認され,近々発売
予定であり(2010年12月現在),実際の臨床現
場で大きな期待が寄せられている。しかしな
がら,どのような心不全患者に有用であるか
など実際の臨床使用経験の蓄積が重要である。
また,現時点でイバブラジンは本邦で治験が
行われる予定はなく,実際の臨床応用にはま
だまだ時間がかかると思われる。これらの薬
剤の心不全治療における知見の蓄積が重要で
あると思われる。
文献
1) Westermann D, et al. Hypertension. 2008;52:1068-75
2) Solomon SD, et al. Circulation. 2009;119:530-7
3) McMurray JJV, et al. Circ Heart Fail. 2008;1:17-24
4) Gheorghiade M, et al. Circulation. 2003;107:2690-6
5) Udelson JE, et al. J Am Coll Cardiol. 2007;49:2151-9
6) Gheorghiade M, et al. JAMA. 2007;297:1332-43
7) Konstam MA, et al. JAMA. 2007;297:1319-31
8) DiFrancesco D. Pharmacol Res. 2006;53:399-406
9) Swedberg K, et al. Lancet. 2010;376:875-85
心不全診療の最前線
図1 TAVIデバイス
(a) Edwards-Sapien ValveⓇ(Edwards Lifesciences LLC提供)
(b) Core-ValveⓇ(Medotronic社提供)
開胸手術にハイリスクな症例の増加も来し,
動脈弁位まで挿入,バルーンを開大すること
現代の循環器医療の大きな課題の一つとなっ
によって同部位に固定する(図2)。このデバ
ている。この課題への答えの一つとして,最
イスには23mmと26mmの人工弁があり,弁輪
近,欧米では,開胸リスクが高い患者に対し
径のサイズによって使い分ける。このデバイ
て , 経 皮 的 大 動 脈 弁 留 置 術 ( TAVI;
スを用いた手技のアプローチ法には,第5もし
Transcatheter aortic valve implantation)が積極的
くは第6肋間を切開し,心尖部よりアプローチ
に行われている。TAVIは経皮的にカテーテル
する手法と大腿動脈もしくは総腸骨動脈より
を用い,人工弁を大動脈弁位に留置する比較
アプローチする手法とがあり(図3),患者の
的低侵襲の方法で,2002年にCribierらが施術
全身状態に合わせて使い分ける。下肢動脈に
をしたのが初めである。現在,用いられてい
狭窄病変がある,あるいは全周性の石灰化を
るデバイスには,Edwards社製 Edwards-Sapien
認める(シース留置が困難なため)
,胸腹部大
Valve やMedtronic社製Core Valve (図1)など
動脈の強い蛇行や瘤を認める(人工弁のデリ
がある。
バリーが困難なため)
,左室中隔壁の肥厚が著
Ⓡ
Ⓡ
我々は,平成21年10月に開胸リスクの高い
しい,あるいは弁輪と冠動脈開口部とが近い
重症ASの患者に対し,本邦で初めて,TAVIを
(人工弁の留置が困難なため)などの場合には,
施行し,大動脈弁狭窄の解除に成功した。ま
心尖部アプローチが選択され,特にこれらの
た,我々の施設を含めた3つの施設で,平成22
条件がなければ,大腿動脈もしくは総腸骨動
年4月より臨床治験をおこなっている。現在,
脈アプローチが選択される。逆に,前壁中隔
本 邦 で TAVIに 使 用 さ れ て い る デ バ イ ス
心筋梗塞の既往があり,心尖部に心室瘤もし
Ⓡ
(Edwards-Sapien Valve )は,牛心膜をステン
トに装着して弁としたもので,これを折りた
たみ,バールンカテーテルにマウントし,大
くは著しい壁の皮薄化を認めるような場合に
は,心尖部アプローチは行えない。
TAVIの適応基準には,まだ確固たるものは
BIO Clinica 26(3)
,2011(227)39
A SPECIAL EDITION
図2 TAVIにおける人工弁の挿入と留置
(a) 人工弁を大動脈弁位に挿入 (b) 150bpmのペーシング下に人工弁がマウントされたバル
ーンを膨張 (c) 人工弁を留置
図3
Edwards-Sapien ValveⓇを用いたTAVIのアプローチ法
(Edwards Lifesciences LLC提供)
ないが,我々の使用している基準は有症状の
クが高い患者となる。開胸手術のリスクは,
高度AS(弁口面積0.8cm 以下,平均圧較差
logistic EuroSCOREで評価することができ,
40mmHg以上,大動脈弁通過血流速4.0m/sec以
20%以 上 を 目 安 と し て い る 。 logistic
上のいずれか)でなおかつ,開胸手術のリス
EuroSCOREが高値でなくても,呼吸器疾患の
2
40(228) BIO Clinica 26(3),2011
心不全診療の最前線
いても治験が進行中で,2010年8月現在で世
界で150例以上の植込みが行われている。わ
が国での治験は2008年10月に開始され,6例
に装着された。2010年12月現在で平均駆動期
間は715日で死亡例はなく,2例が心臓移植に
到達した。ポンプを小型化した次世代システ
ムが開発中である。
3. Jarvik 2000 (図3)
Ⓡ
Jarvik 2000は植込み型VADの中では最小・
最軽量(90g)である。第2世代の軸流ポンプ
型連続流VADで,Inflowカニューレがなく,
ポンプ本体を左室内へ挿入留置するユニーク
なシステムである。Outflow人工血管は上行大
動脈へ吻合も可能であるが,通常は左開胸下
に下行大動脈に吻合する。欧州ではすでに
BTTおよびDTの承認を受けている。現在まで
に400例以上の植込みがあり,1例で7年以上
という補助最長記録がある5)。2008年5月に日
本で治験が開始され,6例に装着された。1例
が遠隔死亡したが,平均駆動期間は785日に
達している。わが国では2011年中に製造販売
承認が所得される見込みである。小児用Jarvik,
幼児用Jarvikが米国NIHのPumpKINプログラム
(Pumps for Kids and Infants)の4機種のうちの
1つに選定されて小児用植込み型VADの開発
が進められている。
4. HeartMate Ⅱ(図4)
HeartMate(HM)Ⅱは第2世代の軸流ポンプ
型連続流VADである。最長外形81mmで重量
340gである。現在世界で最も多く植え込まれ
ているVADで5000例以上の実績がある。米国
で281例(平均年齢54歳)を対象にBTTの治験
が行われた 6)。有害事象も従来のVADよりも
少なく,植込み後18ヶ月の生存率が73%と非
常に良好であった。引き続き,心臓移植の適
応とならない患者を対象にDT(destination
therapy)の治験が行われた7)。これは,HMⅡ
とすでにDTの認可を受けているHeartMate
XVEに患者を2対1に割り付けて2年間観察す
るプロトコールで行われた。開始1年後にす
で に HMⅡ の 優 位 性 が 明 ら か と な り ,
continued access protocolもあり,HMⅡ825例,
HM-XVE114例の装着となった。2年生存率は
HM-XVE 24%に対して,HMⅡ58%と非常に
優れた成績で,2010年1月にDTの認可を取得
した。わが国では2010年5月にBTTの治験が開
図2 DuraHeart Ⓡと装着後の胸部レントゲン写真
BIO Clinica 26(3)
,2011(233)45
A SPECIAL EDITION
図3
Jarvik 2000 Ⓡと左開胸による装着後のイメージ図
始され,6例に装着された。2010年12月現在,
大きな有害事象はなく全例生存中である。
5. Bridge to recovery(BTR)について
英国からVAD離脱後の優れた遠隔成績を含
む結果が報告された8)。LVADを装着された非
虚血性心筋症患者15名(15〜56歳,EF 12%,
LVDd 77mm)に対して,積極的な薬物療法
(lisinopril,carvedilol,spironolactone,losartan)
を行い,心機能の改善を認めた後,薬物療法
第 2ス テ ー ジ ( clenbuterolを 開 始 し て ,
carvedilolはbisoprololに変更する。)を施行し
た後に,11名においてVAD植込み後平均320
日で離脱に成功した。離脱後59ヵ月後,EF
64%,LVDd 59mmと良好であった。
米 国 で も LVAD患 者 に 対 す る 高 容 量
clenbuterolの投与がなされた9)。7名のLVAD患
者(23〜76歳,EF 19%)にmetoprololを投与
した後に,clenbuterolに変更した。Clenbuterol
の投与前後でEFには変化がなかった(投与
前:33.6%,投与後:30.6%)。英国からの報
告との相違の理由は明らかでないが,虚血性
が多いという疾患群の違い,使用したβ遮断
薬の違い,clenbuterolの容量の違いなどの要
因が考えられる。
BTRの可能性を追求すべく行われた前向き
46(234) BIO Clinica 26(3),2011
他 施 設 研 究 の 結 果 が 報 告 さ れ た 10)。 BTTで
VAD装着を受けた67例(虚血性30例,非虚血
性37例)が平均134日の補助を受けた。β遮
断薬とACE阻害薬が投与された。定期的に
VAD流量を減少(4L/min)させて心エコーを
行い,EFが40%を超えたところでドブタミン
負荷エコーを行い離脱の判断をした。EFは1
ヵ月後に17%から34%に改善したが,4ヶ月
目には24%まで低下した。最終的に離脱した
のは6例(9%)であった。
6. INTERMACSとJ-MACS
米国ではNIH,FDAが主導してVADの登録
システムであるINTERMACS(Interangency
Registry for Mechanical Circulatory Support)が
2006年6月より開始された。目的は,装着患
者の術前リスクの層別化を行い適応の最適化
を図るとともに,有害事象を解析して安全管
理ならびに開発の参考にするというものであ
る。2009年3月までに1351例の登録があった11)。
この成績は連続流VADが認可されてから経年
的に改善してきている。また重症心不全の状
態を7つのカテゴリーに分類して,それぞれ
のカテゴリー別の成績を公表している。新し
いVADの成績向上に伴い,より軽いカテゴリ
ーでの装着が進んできている。これも相乗的
HISTORY
の細胞体しか分からなかったが,このゴルジ染
色によって初めて,一つの神経細胞の突起ま
で含めた全体像が顕微鏡で捉えられるようにな
ったのである(図1)。こうして,大脳皮質の生
理学や病理学の誕生に結びついていくのである。
こ の Cajalの 銀 染 色 を 改 良 し た ド イ ツ の
Bileschowskyが1902〜03年にその方法を発表し
た。いよいよこのBielshowsky染色を用いて認
知症疾患の中からアルツハイマー病を発見した
Alzheimerの登場である。また,Alzheimerの同
僚には塩基性アニリンでRNAをブルーに染め
ることで神経細胞の胞体の形態を観察できるニ
ッスル染色を開発したFranz Nisslがいたことも
幸いした。この頃から認知症の原因疾患が顕微
鏡を使った組織病理学で明らかにされて分類さ
れていったのである。
図1 Cajal の示した神経細胞の全体像(燕の視蓋)
。
「Estructura de loscentros nerviosos de lasaves,Madrid,1905」
人の脳を解剖して詳細な外観図を描いたのが,
脳の形態研究の始まりであろう。
脳の機能局在は,1861年のPierre Paul Broca
の発表や1874年のCarl Wernickeの発表による頭
部外傷患者の失語症研究から言語中枢の局在が
示された。失語症の分類として有名な
Lichtheim-Wernickeの古典的失語図式が完成し
たのが1885/86年である。動物実験では1876年
にFerrieがサルの大脳皮質を刺激して機能局在
を示している。19世紀の後半に,ようやく大脳
の機能局在論が出てきたのである。
神経細胞の全体像を最初に顕微鏡で観察し
たのは,1873年に銀染色に成功したイタリアの
Golgiで,その後,スペインのCajalとともに脳
の神経細胞構築を明らかにした功績で1906年
に二人でノーベル賞を受賞している。ゴルジ染
色は,一部の神経細胞だけがランダムに染まる
という特性を持っている。それまでは神経細胞
2)各種認知症疾患の分離独立
19世紀にはsenile dementiaは老年期の認知症
性疾患全体を指す用語として使われていたが,
この流れを受けて,19世紀末頃から病理組織研
究が行われるようになると,認知症の原因疾患
が次々と明らかにされていった。進行麻痺(脳
梅毒)はAlzheimer(1904)によって詳細な病
理組織検索がなされ,1911年に野口英世によっ
て梅毒スピロヘータが脳内に発見されて病因が
確定した。脳血管性認知症がBinswanger(1894)
やAlzheimer(1894, 1902)によって分離され,
1892〜1906年にPickにより報告された大脳の限
局性萎縮を伴う症例が後にPick病として分離し
ていくと共に,Fischer(1907)やSimchowicz
(1911)らによって老年痴呆(senile dementia)
が現在の高齢期発症型アルツハイマー病に近い
概念(多量の老人斑と神経原線維変化を特徴と
する認知症)として確立されていった。アルツ
ハイマー病は,その確立からして除外診断で残
ったものだったのである。
BIO Clinica 26(3)
,2011(277)89
HISTORY
図2
Alzheimer自身の手書きの老人斑(a)と神経原線維変化(b-d)
。
初期(b),中期(c)と神経細胞死後(d)の神経原線維変化(文献3)
2. アルツハイマー病の組織研究の流れ
1)アルツハイマー病(初老期発症型)独立派
アルツハイマー病 (初老期発症型)を老年
痴呆から分離して独立疾患とみなそうという
流れをまず紹介する(表左欄)
。
チュービンゲンで開催されていた南西ドイ
ツ精神医学会において,1906年11月3日にアル
ツハイマー病 の第1例の臨床と病理が報告さ
れ,その学会記録(抄録)が1907年に刊行さ
れた 2)。残念ながら,第1例の組織所見の詳細
や図はこの抄録に載っていなかった。脳病変
として萎縮や神経細胞の脱落に加えて,神経
..
原線維変化(Veranderung der Neurofibrillen)と
老人斑(miliare Herdchen=粟粒性小病巣)が
特徴的な所見として簡潔に記載されていただ
けであった。
その後,Perusiniが1910年に4例を記載した。
その第1例はAlzheimerが1906年に学会報告した
Augusteという名の症例であり,この論文で初
め て 病 理 像 の 詳 細 が 示 さ れ た 。 第 4例 は
Bonfiglioが1908年に報告した脳梅毒併発例の
再 掲 載 で あ り , 2例 が 新 た な 例 で あ っ た 。
Alzheimer-Perusiniのグループは,老人斑より
も神経原線維変化の方がより診断的意義を有
90(278) BIO Clinica 26(3),2011
すると考えていたようである。
精神疾患を体系化したKraepelinが1910年に
記した『精神医学』第8版において,老年痴呆
の項の中で,弟子のAlzheimerが記した,重篤
な細胞変性を伴う一群の症例を「 アルツハイ
マー病 」として取り上げていて,これが アル
ツハイマー病 命名の初めとされている。
Kraepelinは,アルツハイマー病を老年痴呆と
関連はあるも,老年痴呆から独立した疾患と
して扱った。
Alzheimerは1911年にようやく論文を発表す
る 3)。この論文の中で,2例目となる症例を報
告した。しかしこの症例は多量の老人斑が出
現していたが神経原線維変化は出現していな
かったのである。Alzheimerは,Schnitzlerらが
1911年に報告した神経原線維変化のみで老人
斑を欠く症例も アルツハイマー病 と認めてい
た。これらより,広範な神経細胞の脱落に加
えて神経原線維変化か老人斑のどちらか一方
の 病 変 だ け で も アルツハイマー病 で あ る と
Alzheimer自身が示していたのである。このこ
とが,その後の混乱を生む原因にもなった。
Alzheimerは,この論文で, アルツハイマー病
は老年痴呆に比べて①若年発症,②失語など
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