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2015年 8月発行
2015年8月 発行:京都保育運動連絡会 京都市上京区猪熊丸太町下ル 京都社会福祉会館内 TEL 075-801-8810 京都保育運動連絡会 政府は、戦争法案を安全保障法案といって国会 を通過させようとしている。戦争といわず、平和 のため自衛(集団的自衛権)のためといって法案 の実態をごまかそうとしている。去る 6 月 28 日 に「京都保育の集い」を開催したが、記念講演と してアーサー・ビナードさん(アメリカ人で詩人) に来ていただいた。アーサーは、日本の安全保障 法案にだまされるなと警鐘をならした。そして、 この日本の策動は、アメリカのものまねだと指摘 した。 アーサーによれば、アメリカの軍事を統括する 官庁である国防総省は、元はといえば戦争省と称 していたものを 1947 年に国防法によって葬り、 国防総省に改名されたと述べた。英語で言えば、 戦 争 省 は Department of War 。 国 防 総 省 は Department of Defense。War を Defense に 改名して、戦争批判勢力をかわしたとのこと。現 在日本で議論されている戦争法案の策動と全く同 じだと指摘した。 会長 藤井 伸生 アメリカの国防総省は五角形の形となっている ことからペンタゴンと呼ばれているが、アーサー にいわすと“ペテンダゴン”だとのこと。日本の 首相である安倍は“アベコベ”だとのこと。風刺 のきいた名言である。 今、SEALDs (シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy-s/自由と民主 主義のための学生緊急行動)といった若者の戦争 法案反対の言動が注目に値する。Navy SEALs (ネイビーシールズ:正式名称は United States Navy SEALs/SEa(海) 、Air(空)、Land(陸) の文字から SEALs/アメリカ海軍の特殊部隊)の 改名ではないかと思われるが、ナイスな発想であ る。 老若男女、起ち上がらなければならない。戦争 は人殺しであり、やってはいけない事である。21 世紀に戦争を持ち越さないと多くの国が宣誓した のに、この有様だ。子どもとおとなの笑顔のため に、戦争法案を成立させてはならない。 合研集会、8・2peace パレー ド in 渋谷では、参加者 2000 人 (京都からも 100 人を超える参 加者) 8 月 3 日の国会前宣伝行 動参加者 450 人。国会議員要請 行動では参議院特別委員会も傍 聴しました! 7月28日に、四条大宮にて1時間街頭宣伝を行いました! 保育園の園長先生、きょうされんの事務局長さん、福祉・保育 の現場で働く職員、そしてそのこどもたちが総勢80人ほど集ま り次々とマイクをもって怒りの声を伝えました。 ビラを配る人、プラスターを持つ人と分担して、署名を持った 若い保育士も、信号待ちの人に積極的に声をかけて対話。 なんと!43筆の署名があつまりました! 1 第47回 京都保育のつどい 成功! 6月7日(日)の午後 第 43 回定期総会をおこないました! 総会前半、藤井会長が「スタートした子ども・子育て支援新制度の問題点と課題」を報告、その後、 事務局より14年度の総括と15年度の方針について報告をおこない、新制度が実施されるなか改めて 保育運動の果たすべき役割についての論議をおこないました。 昨年度の主な集会と学習会、そして確認された15年度の方針と主な日程については以下の通りとな ります。 2014年度の主な集会と学習会 9月15日 ほんまもん市民アピールパレード (参加400人) 25日 どうなっているの 京都市の保育 シンポジウム (参加51人) 10月26日 どんといけ!まつり2014 (参加1,500人) 11月15日 京都子ども未来ネット 100人集会 1月18日 ~子どもたちの未来のためにつな がろう!~京都の保育のこれから を考える会 (参加77人) 2月19日 京都の保育を考える会Part2 (参加61人) 25日 青いとり保育園 保育と職員の雇 用を守る緊急集会&パレード (参加250人) 3月 1日 こども子育て支援法実施直前緊急 学習会 (参加70人) 【障害乳幼児の療育に応益負担を持ち込ませ ない会・京保連共催】 4月28日 青いとり保育園を守る会報告集会 (参加160人) 2015年度役員体制 会長 副会長 藤井伸生 個人 出射雅子 京都学童保育連絡協議会 梅原祐恵 全国福祉保育労働組合京都地方本部 大谷玲子 個人 黒川携滋 個人 新日本婦人の会京都府本部 鴫畑美穂 京都市職員労働組合民生支部 武尾正信(新) 個人 丸国朋子(新) 京都市民間保育園経営研究懇話会 森田洋 京都市保育園保護者会連合協議会 吉岡知加子 北部連絡会 事務局長 井手幸喜 個人 事務局次長 大村敬子 個人 増田友子 個人 丸尾司 個人 山内美香 個人 会計監査 佐藤陽子 自治体労働組合総連合 高渕純子 京都市昼間里親連絡会 *副会長・能塚耐子さん、藤井修さんは退任 2015年度方針 (1) 学びを基礎に、子どもの保育に格差を持ち込ませず、すべ ての子どもの権利保障を求める運動を強化する。 新制度導入に伴う課題を提示し、徹底した意見表明をおこ ない、あわせ新制度の調査、研究等を通して、政策的な提 起や要求運動を推進する。 保育や子育て支援に社会的な関心が集まっている情勢を 活かし、関係者との手つなぎをこれまで以上に強め、すべ ての子どもたちの生活と発達の保障、働く親の生活と労働 を保障する施策の量的・質的拡充をめざす運動を創りだ す。 自治体キャラバン等を通し府内自治体との懇談、子ども関 係団体との意見交換・協議をすすめ、保育や子育て支援に かかわる共同の取り組みを推進、あわせて平和・民主主義 を守り発展させる運動との連帯のたたかいを展望する。 地域での運動、保護者会活動の活性化をすすめる。 (2) 保育実践の交流を深め、保育のつどい・東京合研を成功さ せるなかで保育運動の強化に努める。保育の現場で起きて いる変化を注視し、必要な検討と対応を強化する。 「まちのきゅうしょくしつ」など、日常的に学び、交流で きる保育・子育て支援の場を保障し、定着した「どんとい け!まつり2015」を成功させる。 (3) 『ちいさいなかま』とあわせ個人会員の拡大をおこな い、財政基盤を強化する。 (4) 運営委員会の充実等をおこない、情勢を切り開く活動がお こなえる運営、組織づくりをすすめる。 第47回京都保育のつどい 570名の参加で成功! 6月28日、京都華頂大学において47回目を迎えた保 育のつどいは、4月からスタートした国の「子ども・子育 て新制度」の問題点や保育、子育ての課題を学び交流する ことができました。 記念講演は、詩人のアーサー・ビナードさんに平和、絵 本と子どもたちをテーマに話していただきました。 午後からは、8つの講座と2つの分科会に分かれて、乳 幼児の発達、保育情勢、カプラ教室など盛りだくさんの内 2 容で行なわれました。 「来年もまた参加します」とうれし い参加者からの声がたくさんありました。 ~実行委員会より 認可ひまわり共同保育所をつくる会 2015年4月、ひまわりは新たな一歩を踏み出 しました。 「一般社団法人乙訓ひまわりっこ」が運営 する小規模保育施設「ひまわり共同保育園」として、 長岡京市の認可を受けたのです。 この1年間、つくる会事務局メンバーや、理事会 の皆さん、上原園長を始めとする職員方は、法人の 設立、融資の申込、市や府、関係機関との折衝等の 業務に追われてきました。特に、上原園長の奮闘ぶ りには、本当に頭の下がる思いでした。でも、何よ り、こうして認可園の開設に漕ぎ着けられたのは、 資金面でも、また精神的な面でも、ひまわりを応援 し、支えてくださった、地域の皆さん、そしてつく る会の皆さん方のお力だと思います。会を代表して、 心から、御礼申し上げます。 おかげさまで、新しく生まれ変わったひまわりの 園舎は、 「ここに子どもを通わせたい!」と見ただけ で思ってしまうほど、素敵な園舎です。玄関ポーチ では、ひまわりのOBや現役の子どもたちが、思い 思いの色づけをしたタイルがはめ込まれ、明るい気 持ちにさせてくれます。1階も2階も、できるだけ 壁が取り払われ、窓を開ければ小畑川からの気持ち のよい風が抜けていきます。採光も抜群で、光と風 長岡京市小規模保育事業 会長 金杉 美和(旧姓:古川) に溢れた、しかも木のぬくもりのある園舎です。 3月21日に、新園舎の竣工式を行った際には、 長岡京市長・市議会正副議長はじめ、市議会議員の みなさま、長岡京市こども福祉課の職員の方々が訪 れてくださいました。ひまわりの良さを、たっぷり 見て、感じて帰っていただけたと思います。また、 市の担当職員の方々には、説明会等を通じて、ひま わりの保育がいかに信頼できるものであるか、様々 な要求を吸い上げながら発展してきたものであるか を理解していただきました。こうした、市との繋が りができたことも、大きな成果だと思います。 ここ10年行ってきた認可活動も、一つの区切り は迎えました。しかし、これで終わりではありませ ん。定員12名で始まりましたが、19名への増員、 或いは小規模保育施設以外の方式での認可など、今 回得た市との繋がりを活かして、さらに充実・発展 させていくことが期待されます。 ひまわりが、子どもの健やかな育ちのために、保 護者や職員の要求も吸い上げ、40年地域で担って きた役割をさらに発展させていけるよう、これから も、皆さまのご支援、ご協力を、よろしくお願い致 します。 ひまわり共同保育園開設にむけて 一般社団法人乙訓ひまわりっこ理事長 認可外共同保育園だった「ひまわり」が、今回認 可「ひまわり保育園」をつくる会の皆さんの尽力に より、国の子ども子育て新制度のもと、認可された 小規模保育事業施設として、長岡京市に根付いてい くことは、理事一同感慨深く、何よりもの喜びです。 ひまわり共同保育所のこれまで―歴史―は、 1974 年一軒家を間借りしてはじめた簡易保育所か ら始まります。長岡京市で当時めずらしかった、産 休明け保育をいち早く実施し、障がい児保育、アレ ルギー除去食対応等の取り組みも先駆的に進めてき ました。 借家での保育所運営から、保育者・保護者の協同 作業の連続で建設委員会・育てる会ができ、1997 年 2 月より現在の敷地新園舎で、今まで同様地域の 保育ニーズに応える保育所として時に入所児童数が 細々の時期を経つつ、存続してきました。 「ひまわり」に関わった保護者は、この小さな保 育園ですが、保育ノートから、お迎え時のさりげな 中川千恵美 い保育者との一言、折々の行事、運営会議やバザー の場など、各自私の「ひまわり」の思い出を持って います。 その事自体が「ひまわり」の財産だと考えます。 保育を実施する際に、利用する保護者と保育者で終 わらず、子どもを真ん中にして、共同-「ともに育 ちあう」精神が定着していくのだと考えます。わが 子だけでなく他の親とも保育者ともつながり・育つ スタートを切ることができる場となる保育園だと考 えます。 最後に、職員・保護者 OB・理事一同、長岡京市 の認可小規模保育事業「ひまわり共同保育園」開設 した責任と積み重ねた地域の保育の一翼を担う意気 込みを感じています。関係各位及び地域の皆さんに は、ここ迄支えて頂きましたお礼と、 「ひまわり」サ ポーターとして、引き続きこれまで以上のご支援を お願い致します。 3 沖縄平和ツアー 報告 2015 年 7 月 4 日~6 日 ことの起こりは・・・ 国民の声を聞かず戦争に向けて暴走する安倍政権。一方で連日新聞で報道される「オール沖縄」の立 ち姿と、辺野古や高江での一日もとぎれることのない闘い。 「辺野古で私も座り込みたい!」どんといけまつり実行委員会のあとの飲み会でのつぶやきが形にな り、京保連総会の懇親会で一層広がり、一時は 9 人の大所帯になりましたが、諸般の事情で最終 4 人で 旅立つことになりました。 夏休みに入る前の 7 月 4 日土曜日昼前、伊丹空港発の ANA は満席。小さい子を連れた家族連れも多 く、飛行機の中は早くもリゾート気分満載!そんな中で、ちょっとちがった空気を醸す 4 人でした。那 覇には、名護市会議員の大城さんが出迎えてくださいました。 ワゴン車で辺野古から高江へ! レンタカーを借りるのに手間取り、那覇を出発したのが 3 時すぎ。そこから一路辺野古へ! この旅に欠かせないのが大城議員の存在です。丁寧な資料と「あまり時間がないから車の中で説明し ましょう」と、休む間もなく話を聞かせてもらうことになりました。沖縄の闘いをちゃんと伝えたいと 思ってくださっているのがびしびしと伝わってきましたが、どこまでそれに応えられているか、心許な いですが・・・ 沖縄を語る上で、 『門中』 『門中墓』は欠かせないことなのでしょう。大城さんの話のはじめが門中で した。門中とは父方の親戚一門をいい、内地とは比較にならないくらい結束力が強く、死ぬとみんな門 中墓と呼ばれる大きなお墓に入るそうです。道路沿いに大きな門中墓を何度も見かけましたが、そんな 沖縄で、先祖から受け継いだ土地を奪われ、墓にも参ることもできない、ということがどういうことな のか、想像することからこの旅は始まりました。 辺野古ゲート前座り込み抗議 363 日 辺野古に着いたのが4時頃。20人くらいの人たちがゲート前 に座っていました。 海辺では 2004 年 4 月から座り込み抗議がはじまり、今日で 4094 日になります。台風接近のためかえって海上は静かで、目 の前にコバルトブルーの大浦湾の海が広がっています。波間に防 衛庁が勝手に作った立ち入り禁止地域をあらわす赤い球のフロ ートが浮かんでいました。普段はカヌーにのって抗議する人に、 海上保安庁の「防衛」という名の暴力が繰り返されているそうで す。それは、いつ死者がでてもおかしくないほど、ひどいものだ そうです。 このあと、高江の東村めざして私たちを乗せたワゴン(運転手は黒川さん)はひた走りました。 夕闇せまる高江闘争小屋で 辺野古からどんどん北にすすんで、やんばるの森の中に高江はあ ります。高江闘争小屋の田丸さんから、お話を聞きました。ヘリパ ットが作られ、オスプレイが村民の頭上を飛ぶ。オスプレイは発着 のとき高い熱をだし、飛び立ったあとの草原は焼け焦げているとい う話や、森の生態系が変わってきている話。次々ヘリパットを作る 計画があり、どのルートに座り込んで阻止するか、頭脳戦、体力戦、 体をはった闘いが続いています。そして森の中では人を殺す練習が 今もおこなわれているのです! また、アメリカがいらなくなった 4 オスプレイという欠陥商品を、法外な金で買う日本政府の卑小さ、だまされている国民のおめでたさ加 減に(私も含めて)許せん!!と血が沸き立つ思いでした。 「京都も大変ですね」と丹後の X バンドレーダーのことをひどく心配されました。地元にいながら今 一つ危機感がうすい自分が恥ずかしく、沖縄と連帯することは、自分の立ってる場所もきちんと見るこ とだと恥じ入りながら考えました。 高江の闘いは「標的の村」という映画になっています。先日 NHK のドキュメンタリーでもとりあげ られましたが、機会をつくって、たくさんの人に見てもらいたいと思います。 2 日目、辺野古へ再び! 辺野古ゲート前テント 座り込み 364 日 日曜日でキャンプシュワブの米軍の訓練は休みで、朝 7 時のキャ ンプ入口の阻止行動もありませんが、普段は毎朝、座り込む仲間が 沖縄防衛局や県警に、ずりずり引っぱられているそうです。日曜日 でも頻繁にキャンプシュワブから、大型トラックが轟音たてて出て きて、目の前を行く黒い塊が不気味でした。その米軍に向けて「GET OUT!」と書いたプラカード掲げる小柄な女性の後ろ姿が、まぶた に焼きついています。 私たちがいた 1 時間ほどの間にも、抗議行動参加者がゾクゾク訪 れていました。自治労和歌山県本部や、新社会党青年部と長野市職 の人たち、またその日は京都から医療関係者もたくさん訪れる予定 のようでした。オール沖縄からオール日本へ!そのカギがここにあ ります。辺野古ゲート前テントは命をかけた闘いの場であり、歌あり、踊りあり、勉強会あり、たくさ んの人間の個性が炸裂。別名「辺野古総合大学」といわれているそうです。 オール沖縄の闘いは、新聞紙上やマスコミでもとりあげられています。沖縄中、真っ黄色の T シャツ でそめた 2012 年 9 月 9 日の 10 万人県民大会。 その後も沖縄の声を国は聞かぬふりをしているけど、 大きなスーパーが利益の1%を闘いにカンパし、 “かりゆし”という企業グループが、運動の先頭にたっ ているのが今の沖縄です。 このあと私たちのワゴンは沖縄本島を南下。Y ナンバーの米軍関係者の車が普通に走っています。国 道沿いにどこまでも続く基地。読谷村から嘉手納町、嘉手納飛行場を一望し宜野湾市へ。普天間飛行場 の見える丘に立ち、小高い丘に建つ京都の碑に手をあわせました。そして、糸満市。目の前にひろがる 青い海に、追い詰められた島民の姿が重なり、その美しさ故に余計に悲しさが心の中に渦まきます。そ して平和の礎でそこに刻まれた名前を指でたどり、涙を流しました。一人ひとりの名前が人生を語って います。そのあと、ひめゆりの塔、資料館へ。最後は那覇市にある海鳴りの像(大城議員がかかわる戦 時、対馬丸以外の遭難船で亡くなった人たちの慰霊の碑)を訪れました。 夜は国際通りの島唄ライブへ。オリオンビールで乾杯して泡盛とワインとカチャーシーの夜は更けて いきました。 最終日は那覇市の対馬丸記念館と不屈館 瀬長亀次郎記念館を訪れ、多くの写真と資料、DVD で瀬長 亀次郎の人となりにふれ、その姿に強烈パンチをうけて沖縄を後にすることになりました。この旅の同 行者は、黒川、高渕、鳥谷、大谷。そして大城議員のおかげで沖縄の現実を過去、未来まで見ながら考 える糸口を教えてもらいました。それは今の時代をどう生きるのか、問われるものでもありました。た だ、今は頭の中で情報を整理しきれないまま、これを書いています。誠に不十分な分、ぜひ、多くの方 が沖縄を訪れ、自らの目で確かめてもらいたいと思っています。 (文責)大谷玲子 [これからの主な日程] 9月11日 署名運動スタート集会 10月25日 どんといけまつり2015 11月3日・4日 5 東京大集会・要請行動 6