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生命意識・個人観念と自伝の成立 ――『飢えている娘』をめぐって

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生命意識・個人観念と自伝の成立 ――『飢えている娘』をめぐって
生命意識・個人観念と自伝の成立――『飢えている娘』をめぐって
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生命意識・個人観念と自伝の成立
――『飢えている娘』をめぐって
銭 鴎
イギリス国籍の中国系女流作家虹影の自伝『飢えている娘』は、1997年5
月、台湾の爾雅出版社によって上梓されたあと世界の注目を集め、すでに英
語やフランス語、ドイツ語、スウェーデン語、ヘブライ語などに翻訳された。
日本語訳も来春、集英社から出版される予定である。
同書のジャンルについて、批評家或いはメデイアの区分は様々である。本
論を執筆する際に筆者が根拠としているテキスト1によれば、本の扉に「長
編自伝小説」と書いてあり、「自伝」と「小説」の区別をしていない。序文
を執筆した劉再複氏は本書を「長編小説」と呼び、「自伝」なのか「小説」
なのかの明言を避けているようでもある。また本書を英訳したHoward.
Goldblattは題名をDaughter of the River: An Autobiography(Grove Press, New
York, 1998)とし、副題に「自伝」と書きそえ、「自伝」として理解してい
るようである。この本は果たして小説であろうか、それとも自伝であろうか。
これについて、実は作者は明確な解答を与えている――「これは疑いもなく
自伝です。私の生活そのものなのです。もし現実生活が小説よりももっと豊
富な内容を持っているなら、小説はその生活のすべてを書き尽くすことがで
きるはずがありません。……他の人はともかく、私の場合はそうなのです」2。
1 間違いなく自伝であること
「自伝」だ、「私の生活」なのだという作者の確言は、中国文学の領域で
はとくに意味深いことである。Philippe Lejeuneは彼の自伝研究の名著『フラ
ンスの自伝』(L’autobiographie en France)で、自伝の主題は「個人の生活」
「言語文化」6-4:573−588ページ 2004.
同志社大学言語文化学会 ©銭 鴎
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銭 鴎
(vie individuelle)と「個性の歴史」(histoire d’une personnalité)であるべきで、
現代的意味で言う「自伝」というジャンルは西欧においても200年前から形
成されており、18世紀のルソーの『懺悔録』はその嚆矢だと言う3。もちろ
んこれは西欧における自伝の特有的現象を指したことで、中国には西洋と異
なる文学の伝統及び「自分を語る」文学ジャンルがあり、20世紀に入ってか
ら「西洋の感化を受けた人たち」の提唱によって、西欧の自伝に類似するも
のが書き始められるようになったのである4。しかし九十年代の漢字文学圏
に現れたこの『飢えている娘』には、驚くべきものがある。この自伝のよう
に自分の生活と成長歴を書く形式は、これまでの長い中国文学史上では存在
せず、中国の自伝文学の歴史を刷新するものだと言えよう。
自伝というジャンルを採用すれば、おのずから叙述から虚構を排除すると
いう一種の制限を設けることになる。ここで作者は個人的生活及び内面真実
に直面し、スキャンダルまでもありのままに暴露する勇気があるか否かが、
まず問われることになる。『飢えている娘』は18才の描写から始まり、生ま
れた環境、子供時代、学生時代、初恋、出生秘話の暴露、堕胎、愛人の自殺
及び実父の病死など、成年までの「個人史」を日常的な生活を通して、冷静
かつ実直に述べている。またその物語の背景は中華人民共和国成立の直前と
直後、大躍進期の大凶作(1959∼1962)、文化大革命、改革・開放に至る中
国の激動期である。自伝の中で物語は通時的に展開するのではなく、作者す
なわち主人公が自分及び生活を発見する過程によって構成されている。『飢
えている娘』の成長物語はすべて平凡な最下層の人々の生活記録であり、そ
こに描写された身の毛もよだつほど恐ろしい生活状態は、通常の歴史叙述で
は対象とならないものであり、多くの人が直視したがらない内容である。こ
れに対して、作者ははっきりとした自覚をもっている。
「これは私にとって、
長年の自己反省を通して書かずにいられなかった本です。“私生児”として
生まれ育った環境――貧民窟――捨て子と家出――を含め、すべて私の人生
の一部分であり、何一つとして隠すことがありません」5。幼少期の生活とそ
の記憶は、作家の心に消しがたい傷口を残したが故に、作家はこのような成
長叙事でかつての自分をぶち壊し、またその「自己反省」によって現在の自
分を確認しようとしたのであろう。
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「自伝の特徴は人間を価値のあるものとして表現することである」と、
Philippe Lejeune氏は指摘したことがある6。この鋭い指摘は『飢えている娘』
にも適応される。この本が自伝として自己及び自分の生活を価値のあるもの
として表現しえたのは、根本的に人間、しかも個人としての人間に関する一
種の新しい考え方と深く関わったからである。虹影はこの自伝について、
「すべて私の人生の一部分であり、何一つとして隠すことがありません」と
言っているが、この観念は個人としての人生に対する普遍的な肯定にほかな
らなかった。生活はどんなに平凡であっても肌で感じた、血の通ったもので
あるから、もし自分の心に忠実かつ自己体験の生活事実を尊重できれば、分
類しがたいさまざまな記憶、察知しにくい生活の起伏と変化こそは、フィク
ションの「完璧」なプロットより複雑で変化に富んでいるはずである。また
人生における愛と恨み、欲望と不安、それらがない混ぜになった荒唐無稽な
生活は、純化されたり昇華されたりしなくてもおのずから十分な伝奇性をも
っているであろう。だから作者は「もし現実生活が小説よりももっと豊富な
内容を持っているなら、小説ではその生活のすべてを書き尽くすことができ
るはずがない。……私は非常に内省的な人間なのである。内省的な人間は、
生活の中に小説よりももっと色彩の豊かなものを発見できるかもしれない」7
と言っている。そのような生命意識によって、人間を――それはどんな卑し
い人間であっても――価値のあるものとして表すことができ、また自己の内
面に入り込み、特に生活そのものと命そのものを価値として認める作家に限
って優れた自伝が書けるのかもしれない。
2 自己発見の過程としての叙述構成
心と肉体を日常生活から切り離して二元対立的に観照するのは、多くの西
洋の自伝の大きな特色の一つである。しかし、『飢えている娘』は心の独白
の形で内面及び個性を表しておらず、心と体、精神と生活、個人と集団、そ
して男性と女性、子供と大人などの複雑な関係をお互いに切り離せないもの
として、終始具体的かつ日常的な生活体験に即して自己の成長歴を観照して
いる。自伝研究者にとって自伝作者が全体的な把握の中で自己を把握してい
たか否かが重要な価値判断の標準であるかもしれないが、作者にとっては個
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人生活史の“事実”――自己を見出す過程と結果を表現するのが何よりも肝
心なことであろう。『飢えている娘』の作者は二十年余りの創作経験をもつ
詩人であり小説家でありながら、なぜ小説というフィクションの形式を放棄
して自伝という事実をそのまま記す方式で自分の成長史を書かざるをえなか
ったのだろうか。それにはそうしなければならない理由があったのである。
彼女は次のように言う「これは私が十八歳の時点での自己発見の過程です。
……しかし自伝という形で自己発見をせざるをえなかったから」8。つまり作
者は自分の人生において、今なお過敏な神経に触る何か根深いものがあると
感じたのである。幼少期成長史を探究してはじめて解釈できる捕捉しがたい
何物かがあると感じたのである。またこのような自己発見の過程は彼女にと
って「心の大きな傷口」になってしまうにもかかわらず、矛盾し対立する過
去の生活に自分を戻し、かつて「飢えていた娘」の生命の根底にあるものを
徹底的に復元することによってはじめて人間が真の自分を見出し、救いがえ
られると考えたからであろう。そういう意味で、たとえ自分の個人生活の
“事実”を描くといっても、決してその“事実”は既成のものとして、ただ
受身的に作家が既成事実を描いているだけではないはずである。それは忍耐
強い不断の探究によって得られるものである。それこそ一般的伝記や回想録、
自伝風小説などとは一線を画している。つまり自伝が自伝となりうる最大の
要件は、自分が隷属する社会及び団体、世代の歴史を語るのではなく、自分
自身が対象でなければならないのである。これからその視点から、『飢えて
いる娘』の自伝の成立とその個性的な社会的価値について検討してみたい。
作者は中国西南部で第一と言われる大都会すなわち、今世紀に二度も副都
となった重慶市で生まれ育った。作者によれば、この町の都心では「至ると
ころに赤い旗が立ち、革命歌が高らかに響き、人々の革命的思想が日々深ま
り、少年たちが革命の本を読んで常に将来革命の幹部になる心構えをもって
いた」9ようである。しかし作者の一家の住む地区は都心とは正反対で、「川
の南岸はこの大きい町(大都会)の腐敗物の乱雑な置き場のようで、まった
く手のほどこしようのない貧民区であり、川の霧がすだれのように暗く立ち
込めている、いわばこの町にとっては腐った盲腸のような片隅」10なのであ
る。また排水とごみ処理の施設が殆どなく、さまざまな怪談――例えばスパ
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イや窃盗犯、殺人犯、放火犯など悪人達の出没していた場所である。つまり
この地区からは新社会の赤い旗や革命歌が遠ざかっていたばかりか、かつて
の旧社会で見られた赤い灯火と緑の酒のような贅沢と享楽とも無縁であっ
た。『飢えている娘』の作者はまさにこの南岸の山腹にある20平米もない貧
民窟に生まれ、成人するまで8人家族で暮らしていた。
作者が生まれる前、中国ではほぼ三年の凶作が続いていた。その時、食糧
は配給制で、副食が殆どなく醤油や酢も買えないほどであった。被害の最も
ひどい農村では、食料不足で百姓が野生植物や草の根、木の皮と葉っぱ、最
後は泥まで食べてしまう始末であった。作者の長姉は弟や妹たちを連れて郊
外の農村へ草の根や食べられる野生植物などを探しに行き、兄は川の水が冷
たいのも恐れず、危険も顧みず、深みにまで泳いでいき、上流から流れてく
る野菜くずや瓜の皮などを拾って家に持って帰った。父は揚子江の貨物船の
船乗りで、五人の子供のために食事を減らし、栄養失調と過労のため、ある
日操縦室から川に転落し、頭を打ち、半失明状態になってしまった。母は臨
時雇いの肉体労働者で、仕事があれば委細構わず何処へでも働きに行った。
十数年の間、特に父が病気で退職した後、母はずっと一人で、てんびん棒一
本と太い縄二本で、男と同じように建築用のれんがやコンクリ―ト、工場用
の鋼板や河の砂などを担いで、家族8人を養っていた。
中国現代文学史に飢餓や貧困、社会の不公平などを描く作品は決して少な
くはないが、外的な観察によって書く場合が多いと言える。またたまに昔の
事を振り返る時に幼少期の貧しい生活を思い出として描く作家もいるが、作
家の主体経験そのものは生活叙述の中心的対象となり得なかったため、そこ
に表われている成長物語のほとんどは簡単すぎて、形式ばかりのものが多い。
しかし、『飢えている娘』における飢餓と貧困とは、ただ作家の過去の生活
における一時的な挿話ではなく、作家の良心や同情を呼び起こす道徳的なも
のを遥かに超えているのである。例えば、三年凶作の最後の冬、母が作者を
身ごもっていたので、母の胎内から作者は叔母と叔父が飢えて死んだことを
目撃していた。また同じ年、母の最初の夫、長姉の実父も強制収容所で、口
の中に壁の土をいっぱい詰め込んで死んでいた。つまり飢えて壁の土まで食
べていたためであろう。飢餓と貧困のため、父の両眼が次第に悪くなり結局
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失明してしまい、また五番目の兄は生まれつきの兎唇によい治療をえられず、
大きくなってからもずっと深いコンプレックスを持っていた。飢餓と貧困の
ため、母親は妊娠しながらも重い肉体労働をせざるを得ず、貧血や腰痛、リ
ューマチ性関節炎、心臓病などの疾患に悩まされていたばかりでなく、感情、
性、青春など女性としてのあらゆるものをほとんど失っていた。さらにその
母の母親――作者の祖母も、やはり一生苦労の中で貧困と飢餓から逃がれら
れず、やがて自分の子供たちの目の前で苦しみながら死ぬ運命を免れなかっ
た。また飢餓と貧困のため、長姉が何度も再婚し、母親に恨みを持ち、兄弟
の間でもうまくいかず、家庭関係がねじ曲がってしまった。そのため、社会
的にも他人の蔑視やいじめは一層ひどくなり、「私」の精神や感情など多方
面で孤独を感じた。「飢餓」と「貧困」がもたらす過酷さがこれほどリアル
に描かれた作品はこの時代には他に類を見ない。この自伝には「飢餓」と
「貧困」が人間を如何に死に至らしめたかばかりでなく、如何に人間の感情を
砕き、人格を破綻せしめたかが描かれているのである。また「飢餓」と「貧困」
が如何に魂と肉体を賭けた少女の人生を翻弄したか見事に描出されている。
彼女の成長過程を通して孤独の記憶が無間地獄として付き纏い、彼女の精
神生活を空洞化させ、精神も肉体も共に飢餓の状態に追い込んだのである。
自伝におけるその「孤独」は、まず他人に見捨てられたという感情から生
じたものと言える。作者は母親の私生児で、家で特別な存在である。彼女と
家庭の他の人との間に様々なわだかまりができている。しかし自分の出生の
秘密を知ることになる十八才まで、なにも知らずに家庭の不和と隔たりに苦
しみ続けていた。小さい時から、両親の自分への態度がほかの兄弟に対する
のと違っているのに気づいていた。養父は、彼女に義理人情を尽くしてはい
たが、親しみがなく、あまり彼女と話をしなかった。姉と兄たちが、彼女を
叱ったり、怒ったり、こき使ったりしても、両親は咎めることはなかった。
家の末子として、発言権などを持たず、誰にも理解して貰えず、家の余計者
のように感じていた。「小さいときから今まで、私は心底から兄と姉たちを
怖がっていた。学校でも同じように先生と同級生を恐れ、彼らと喧嘩するの
を恐れ、いつも譲ったり避けたりして、彼らの目の届かない片隅にいた」(10)
と書いている。言うまでもなく、子供はもし自分が家で不公平な待遇を受け
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ていると感ずれば、父母にさえ頼れないことを物語っているのである。つま
り主人公を絶望と無力感の淵に追いやったのは母親の態度であった。例えば、
当時の主人公にとって、母親が彼女を見つめる目差しはきつく荒々しく、学
費も、兄と姉たちは母に2、3回頼んだらもらえるが、彼女の場合だと、母
親はわざといやがらせをする。またある年の大晦日の時のことであるが、家
族全員がかまどを囲んで野菜なべを食べていた。ほうれん草をきれいに洗わ
なかったことで皆にからかわれ、腹を立てて母に「もう食べない」と言うと、
母は「だったら勝手にしなさい。お姉ちゃんとお兄ちゃんがゆっくり座れる
よう場所を譲りなさい」とあっさり返事した。彼女はかっとなって家を出た
が、行くところがないため、汚れた公衆便所に隠れ、夜明けまで悪臭がたち
こめたドアの後ろに立っていた。言うまでもなく、これは腹を立てたとは言
え子供心に半ば家族の人々を心配させ、あちこち自分を探し廻ってもらうこ
とによって自分の家での存在価値を確認しようとしたのである。結局翌朝、
トイレに来た長姉に見つけられ、家に連れ戻された。家に入った時、主人公
は母が何か優しい言葉をかけてくれるものと期待したが、母はただ「私の冷
えて青くなった顔と唇をじろりと流し目に見て、私のことは少しも構わず、
さっさと靴を脱いで寝てしまった」11のである。彼女は母親に顧みられない
ことに悩み続け、母に落胆し、母を恐れ恨んでさえいた。誕生日の問題にし
ても「母は、私の誕生日を覚えているはずなのに、そうではない、……母は
一度も誕生日のお祝いをしてくれたことがない」12と嘆く。なぜ主人公はそ
んなに誕生日にこだわっていたのだろうか。つまり「誕生日」を取り上げて
母親を試すのは、子供の孤独と愛に対する切望を最も端的に表しているから
であろう。
主人公の「孤独」は、また社会のいたるところに存在するいじめと辱めと
関わっていたであろう。これ以上に何も持たず、何も失うものもない彼女た
ちのような人間、そのような生活は、政治やイデオロギーのようなものとま
るで無縁のはずである。なのに、実際はどんな卑しい人間でも、その生活と
運命は、結局本人も分からない政治やイデオロギーとの絡み合いから逃げる
ことができない。しかも卑しければ卑しいほど、かえって逃げる能力が欠け
るため、一層抑圧されるのである。例えば、主人公の母親の前夫で、一番上
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の姉の実父は、解放前に重慶の「袍哥頭子」(秘密結社の組織の親玉)で、
解放直後の「大鎮圧」と(反革命分子を粛清する)「大粛反」の中で逮捕さ
れた。その時、主人公の母親はすでに子供を連れ家を出て再婚したが、前夫
は人を通して母に、娘を連れて一度会ってくれとことづけをしてきた。それ
はもとより人情の常であり、母は長姉を抱いて行った。しかし収容所の受付
で名前を記入し、面会を申し込んだが、結局面会を許されなかったばかりか、
書類に記録され、「反動分子の家族」の烙印を押されてしまった。
「貧困」に
よって虹影の家族は元々他人より一段劣っているのに、さらに「反動」とい
うレッテルを貼られることによって、彼女の家は「革命大家庭」(志を同じ
くする者はすべて家族という意識)から追い払われ、人格まで奪われてしま
った。彼女及び彼女の家族は、誰がいじめても、叱ってもよい存在であった。
例えば、中庭を共有する隣のおばさん(二娃の母)はいつもヒステリックに
騒いだり彼女の家族を罵ったりしたではないか。しかし、「どうせわが家を
いじめる事は政治的に積極的と見られることになる。……父と母は黙ってあ
のガミガミ女に悪態をつかれ、何も一言も返さないのみならず、顔に表情さ
えもなかったのだ」13という。主人公と同じ路地に住んでいる人々は、飯茶
碗を外に持って行って食べながら野次馬を見る習慣があるが、主人公の家の
場合は「父と母はわれわれが飯茶碗を持ってあちこち走り廻るのを許さなか
った。それはわが家が特にしつけがよいという訳ではなく、できるだけ近隣
を避けていたのだ。隣の人も近所の人も皆私たちを馬鹿にしているので、父
と母は外より家にいる方がましと思うのだ」というのである。また時々理由
もなく辱められてしまう。ある日、「この辺の戸籍を担当している、髭が生
えたばかりの若い警官が、ぱりっとした制服を着て中庭に入って来た。母は
立ち上がって彼に挨拶したが、彼は冷たい顔で “おとなしく改造しなさい”
と母を訓戒した。母の笑顔が直ちに凝って、頭を下げて“はい。わかりまし
た”と答えた。私は赤面し頭をさげ、私よりただ何つか歳上のこの警官が母
にいわれのない辱めを与えたことを忘れられない」14。このことからも分か
るように、権力は形が隠れても巨大な力を持ち、社会の最下層においても
「剥奪」にはきりがない。そこでは人間の心が無視され、尊厳が踏みにじら
れ、個人と生命が無視されるばかりである。しかしいくら貧しくても、卑し
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くても血が通った人間である以上、辱めをうけると傷つけられ、軽蔑される
と悲しみ、心が泣くであろう。
最も恐ろしいことは、こういった偏見・蔑視・いじめ及び形の見えない
「権力」関係は、子供の世界まで浸透していたということである。この自伝
を読むと、主人公の二十歳までのかなり詳しい生活描写の中に、幼少時代の
「仲間」や「友達」と言える存在は、終始、一人も書かれていないことに読
者は気付くであろう。学校・先生・同級生などは、彼女にグループや仲間と
一緒にいる喜びをもたらしたことがなく、かえって家庭以外の人間環境にお
けるもう一つの圧力となったに過ぎない。それについて彼女は次のように書
く。「学校で、最も目立たない男子学生でさえも私を相手にしなかったのは、
私とでは面倒の起こし甲斐がないと思ったからである。女子のクラスメート
の中には自分の機嫌が悪い時など、急に私に理由もなく八つ当たりした」、
また「学期末毎に、担任の先生に告げ口ばかりするクラスのリーダー達はい
つも私を密告する」15という。貧困に対する蔑視はさておき、イデオロギー
と権力によるさまざまな歪曲を見て取ることもできる。思春期の敏感な少女
は、未成年の時にも「なぜ、なぜ私はこの少しも楽しくない世界に生まれて
きたのだろうか。どうして世の中のこれほどの傲慢、凌辱と苦悩を体験しな
ければならないのだろうか」16と悲嘆に暮れている。
個人の経験や生活の描写、あるいは鋭い筆鋒に潜んでいる権力体系への虹
影の批判は、常に人間性及び生命に対する危機感と結びついている。たとえ
ば、「人民」とは何か――これは階級観念によって作り上げた一つの非常に
不明確な概念である。虹影及びその家族はまさしく「労働人民」、むしろ
「労苦大衆」(肉体労働者階級)に該当するはずなのに、実際彼ら一家は生活
物資の極度の不足に困っていただけでなく、あらゆる「階級的集団から排除
され、苦しい孤立無援の中に立たなければならなかった。例えばあの共産党
に入党を狙っていた「過秤員」(運んだ荷物の重さを秤で計る人)の、主人
公の母親に対する故意の意地悪は残酷と言えるほどである。人間は自分の個
人的生命への尊重を失えば、万物への哀れみもなくなり、根底における人間
性を喪失してしまう。子供時代に経験した階級闘争の様子を展示している展
覧館や犯人を処刑する血まみれの暴力場面、及び子供たちが怯えるほどの政
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治教育、さらには市場の蛙殺しに関するリアルな描写、また隣人が子供に体
罰を加える心理などの書き方でさえ、人間の尊厳・生命の喪失問題に深く関
わっている。個人と生命は、もしそれほど卑しいものであれば、人間の生は
一体何であろうか。これは非常に人間という概念および生命存在そのものに
関わる根本的な問題である。
3 個人叙述と時代叙述
出版後、多くの文学批評家は、『飢えている娘』が「時代」や「民族」の
生活或いは生活史を見事に反映した作品であると激賛する。例えば、ある批
評家は「時代を抱き合い、時代を描いた」17と言い、あるものはこの自伝は
文化的に「中国に属し、正真正銘の六十年代生まれの世代に属する」18と言
い、またある評論では「中国における生活の核心を真に再現し表現した」19
と言う。これらの評論は大体文学全体に共通する社会・文化の機能に基づい
た発言と認められるが、自伝テキストとしての独特な叙述方式と意味をまさ
しく無視してしまったと言わざるをない。「時代」や「民族」という言葉は
文学史などによく使われるが、この言葉自体に限界がある。外延的には時
間・空間・文化の「特殊性」を強調する一方で、問題の「普遍性」を軽視す
ることになる。内包的には歴史に関する想像の共同体を構築する中で、「均
質性」を際立たせることによって、
「個別的」「個性的」なものを抹殺してし
まう。
自伝の主眼は、なによりも自らの「事実」を発見して語ることである。
『飢えている娘』は、中国文学史における新しい型の叙述の創出として注目
されてもよい。なぜかと言えば、この自伝のように、終始一人の平凡な少女、
一個人の成長史を描写の主眼に置いて、「人間」――その人間の経歴は如何
に社会の周縁的な存在であっても――それを「価値」のあるものとして表現
する文学は、これまでの中国文学史にはほとんど例がなかったからである。
それに、作者は傲慢に個人の成長経歴を運命であるように示そうとはしなか
った。主人公の生活の主な筋と密接に関わったと思われる、あらゆる人物と
要素はすべて保留されたが、作者は個人歴史の叙述を無限に拡大、あるいは
作者が隷属する時代、社会及び集団の歴史に置き換えてしまうことを意識的
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に避けていた。
もちろん、いかに周縁的な個人経歴であっても、一旦テキストになれば、
社会的価値のあるものとなる可能性が生まれるのである。言うまでもなく
『飢えている娘』も相当な社会的価値を持っている。しかし忘れてならない
のは、自伝作品の社会的価値はあくまでも自伝というテキストの独自性によ
るものであり、それは個的な人間の経験の独自性と価値に立脚してはじめて
達成できるのである。
自伝の中の「私」は至る所で疎外され、
「私」と連帯する「集体」がなく、
親しんでくれる仲間もいなかった。今の文学評論がこの作品を「わが世代」
や「わが六十年代のもの」とはやしたて、“飢えている娘”と大いに一体感
を持っているようだが、言うまでもなく虹影の自伝が出版されるまで、彼女
のような貧民及びその子供たちと同一視されるものは存在せず、従ってそう
いう言説も存在しなかった。作者は彼女の生まれる環境を「貧民窟」と定義
したが、「貧民」とは必ずしも「人民」と同義語ではない。
「プロレタリア階
級の独裁」や「労働人民が主人公となって政治に参与する」と叫んでいた社
会においては、なぜ作者及びその家族は、ひたすら組織や集団、あるいは
“階級”に疎外されていたのだろうか。作者の描いた「自己成長の事実」及
び「事実を発見する過程」によって、都会の貧民――新旧中国の二重的な
「捨て子」としての過酷な生存状態、極端に飢餓と孤独の中にいる個人の魂
が、はじめて歴史の地表に浮かび上がってきた。明らかに、このような人々
の生活の実態は、広大である時代や民族的な歴史叙述における「現実」と大
いに異なり、虹影及び彼女の兄弟たちにとっての「青春」も、同世代の中の
(奔放に暮らしたから青春に悔いなしと思う)
「青春無悔」一派とまったく異
質的なものと認めなければならないだろう。
もとよりわれわれの現実世界には、統一した出来合いの「時代」や「民族」
生活の本質というもの、ただ作家がそれを「伝達」すればこと足りるような
ものは存在しない。それにこれまで、われわれの「時代記憶」――歴史及び
色々なジャンルの文学において、過去の時代及び歴史についてさまざまな
「想像の共同体」を提供しようとしたが、その中でこのような“飢えている
娘”たちの姿は見出せない。「文革」後の20数年間、歴史や文学における50,
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60,70年代についての叙述、とりわけ「文化大革命」や「反右闘争」に関す
る言説は汗牛充棟と言える。幹部、知識人、
「工農兵群衆」(労働者・農民・
兵士階級)及び彼らの激情や理想・熱狂、政治的迫害やイデオロギーによる
人間精神のねじ曲がりなどを「歴史の記憶」の中に見ることができたし、ま
た、その後これらの人達は名誉回復、立ち直り、歴史上の犠牲者としてある
程度の補償を受けることができた。しかし、虹影及びその家族が代表する人
達、あのような飢餓と絶望、あのような人間の生を脅かす生活の困窮、及び
生活状態は「歴史の記憶」の中にほとんど見い出すことができないのである。
都会に生活している貧民たちは、権力もなければ知識もないのみならず、
「工農兵群衆」と「革命大家庭」からも排除されていた。彼らは同じ時間及
び空間の中で経験した苦難を「迫害」とは認めず、
「犠牲」とさえも考えず、
何とも思わないのである。だから、一幕の権力闘争が終わっても、一つの時
代が変わっても、彼らに名誉回復はもちろんなく、立ち直ることもなく、何
の補償もなかった。「文革」終了13年後の1989年においても、作者の両親は
以前と変わりなく同じ貧民窟に40年近く住んでいたのではなかろうか。だか
らこのテキストこそ、すべてにわたってわれわれの「時代」に関する「想像
の共同体」構造を砕き、動揺させたとはいえ、あるいはこの自伝はまさに新
しい「想像の共同体」を再構築しなければならないきっかけとなるかもしれ
ないのである。
『飢えている娘』における成長叙述の深さは、飢餓と貧困という「現象」
をわれわれの前に提示したことよりも、飢餓と孤独の中に深くはまっている
人間が如何に尊い「個人の魂」を持っているか、その「心」と「精神」はい
かなる境遇に置かれ、いかなる走向に向っているかを描き出したところにあ
る。この自伝は町のごみ捨て場のような所に住んでいる下層階級の人々の苦
渋に充ちた体験、社会から完全に疎外され差別された個人の人間としての成
長過程を具体的、且つ、詳細に描写することによって中国の文学史に一大奇
観を呈したと言えよう。それはわれわれの熟知する既成のコードを使っての
「飢餓」と「貧困」の表現ではなく、かつて存在しなかった新しいコードを
使っての「飢餓」と「貧困」の表現なのである。またこのような新しい叙述
の展開から、われわれは中国の伝統的な生命意識、人間の概念、個人観念に
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おけるある総体的な変化が進行していることを見取ることができよう。
注
1 『飢餓的女児』、漓江出版社、2001年。
2 虹影、崔衛平「将一束幽暗帯到光亮之中――関於『飢餓的女児』」
(『飢餓的女児』
260頁、漓江出版社、2001年)
3 PHILIPPE LEJEUNE, L’autobiographie en France, Armand Colin / VUEF, 2003, P.10。
(初版は1971年である)
4 川合康三氏の『中国の自伝文学』
(創文社、1996年)の教示に負うところが多い。
5 同注(2)262頁。
6 注(3)同。
7 注(2)同。
8 注(2)同。
9 『飢餓的女児』、漓江出版社、2001年、14頁。
10 『飢餓的女児』、漓江出版社、2001年、222頁。
11 『飢餓的女児』、漓江出版社、2001年、143頁。
12 『飢餓的女児』、漓江出版社、2001年、59頁。
13 『飢餓的女児』、漓江出版社、2001年、32頁。
14 『飢餓的女児』、漓江出版社、2001年、175頁。
15 『飢餓的女児』、漓江出版社、2001年、102頁。
16 『飢餓的女児』、漓江出版社、2001年、58頁。
17 『飢餓的女児』、漓江出版社、2001年、劉再複の序。
18 李潔非「生于六十年代」(『南方週末』、2000年4月21日)
19 柳建偉「Q類写作者重帰古典――虹影『飢餓的女児』的独特性」(『新書報』
2000年5月12日)
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銭 鴎
生命意識・個人観念と自伝の成立――『飢えている娘』をめぐって
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銭 鴎
Daughter of the River : An Autobiography: A new autobiographical genre:
The value of life and self through a moving narrative
Qian OU
Key words: China, modern literature, autobiography, new genre
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