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の と 々 の 暮 ら し - FUJIFILM Holdings

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の と 々 の 暮 ら し - FUJIFILM Holdings
Green Letter
Green Letter
グリーンレター
No.37
年 1 回発行
2015.12
富士フイルム・グリーンファンド
(FGF)とは
公益信託富士フイルム・グリーンファンド(FGF)は
富士写真フイルム株式会社が創立 50 周年を機に
新しい分野での社会還元を志し、自然環境の保全・育成のための
基金拠出を決意し、1983 年に設立されたものです。
民間企業による、自然保護をテーマとした公益信託としては
日本で最初に設立されたもので、この 32 年間に、
自然環境の保全・育成に関する活動や研究に対して
数多くの助成や支援を行い、成果を上げてきました。
(右)キタミソウ
(上)小学生が描いた馬見塚橋
(左)馬見塚橋
(背景)星川の夕暮れ
〜青木堀付近〜
水
特集
2016 年度
助成申請予定
The Fund is the very first charitable trust in japan which was estabilished by a private
enterprise for the purpose of nature conservation.For the last 32years.since its
establishment,the Fund has been applied toward a number of successful programs for
support of various activities and research works concerning nature conservation.
● OUTLINE
Date of establishment:October 12 1983
Trustor:FUJIFILM Holdings Corporation
Trustee:The Sumitomo Mitsui Trust & Banking Co.,Ltd.
Fund :Japanese Yen 1,000,000,000
● ACTIVITIES
1. Creating opportunities for exchange between people and green environment
2. Promoting communication between concerned people in support of green environment
3. Supporting activities for conservation of green environment
4. Supporting research works for conserving and fostering green environment
* Currently. the fund is applied to domestic activities only.
2016 年度の活動・研究助成の申請は 2016 年3月以降より受付を開始いたします。応募要項をご希望の方は、ハガキまたはファクスに住所・
氏名・電話番号・研究あるいは活動助成の別を明記の上、下記宛てにご請求ください。なお、応募の締め切りは 5 月 9 日(月)予定です。
〒 130-8606 東京都墨田区江東橋三丁目 3 番 7 号 江東橋ビル
(一財)自然環境研究センター内 公益信託富士フイルム・グリーンファンド事務局 TEL.03-6659-6135 FAX.03-6659-6320
TEL.03-6659-6310(代)
FAX.03-6659-6320
編集後記
埼玉県行田市などを流れる星川という河川が
あります。飛行機から見ると利根川と荒川には
さまれた平野部に網の目のように川や水路のネ
ットワークが広がっているのがわかります。忍
の浮き城と呼ばれた忍城址も眼下に見えます。
星川はこうした水のつながりの大切な要素なの
です。
全国でも生育地が非常に限られ、絶滅危惧種
に選定されているキタミソウという、水辺の植
物があります。とても小さく可憐な白い花をつ
けます。星川はキタミソウの重要な生育地のひ
とつ。ゆったりとした水の流れ、河岸の植生、
河畔の樹林で構成された水の景は地域の皆さん
にとってかけがえのない原風景となってきまし
た。
いまこの星川で洪水時の安全性を高めるため
の河川改修が進められています。星川を管理す
る埼玉県では、行田市や地域の皆さんと共に、
キタミソウや原風景の保全と防災を両立させる
ための意欲的な検討を進めています。わたしも
検討委員会のメンバーとして現地を訪ねる機会
を得ました。
子どもの頃に星川で毎日遊んで育ったという
方の娘さんが小学生の時に地元の年配の人に聞
き取り調査をして「 年前の星川」という資料
をまとめました。それを見せていただくと、
「水晶のようにキラキラ輝く水」、「フナ、ド
ジョウ、ウナギなどの魚をとった」、「川か
ら田に魚が入ってくる」、「しじみがたくさ
ん」、「船を持っている人もいる」、「泳いだ
り飛び込んだりした」といった言葉が並び、地
域の人たちの暮らしと星川の身近で生き生きと
した関わりが目に浮かんできます。そして小学
生の妹さんが描いた絵には、昭和 年に造ら
れ、星川の原風景にとって欠かせない馬見塚橋
の特徴がよく表されていました。
身近に接してきた星川とのつながりを将来の
子どもたちにも引き継いでいきたい、という地
元の皆さんの言葉が強く印象に残りました。
今回の特集「水の景と人々の暮らし」では巻
頭インタビューの高橋裕氏をはじめ、多くの
方々に日本各地、そしてメコンの水の空間と
人々の関わりについて、貴重なお話をご紹介い
ただきました。自然と人の共生をめざした新た
な河川文化、新たな水の文化が各地で育まれて
いくよう願ってやみません。( )
の
と
人々の暮らし
景
●概要
設立年月日 1983 年 10 月 12 日
委託者 富士フイルム ホールディングス株式会社
受託者 三井住友信託銀行株式会社
受託財産 1,000 百万円
●事業内容
FGFは4つの事業を進めています。
①未来のための森づくり
②緑のための支援事業
③緑とふれあいの活動助成
④緑の保全と活用の研究助成
*今年度の活動は本誌 26 ページからの FGF 通信にあります。
*現在、
本公益信託の事業は、
日本国内を対象に行っています。
60
W
10
公益信託富士フイルム・グリーンファンド
グリーン
レター
インタビュー
五感を通じて川の個性とこころを知ることから
River Engineering
3
グリーンレターインタビュー
新たな河川文化をめざして
16
高橋 裕さん
6
12
表紙絵画「葦船」
(ブライアン・ウィリアムズ)
琵琶湖近江八幡。よしずやヨ
シ屋根などの素材として刈り
取った葦を船で運ぶ。画家ブ
ライアン宅の屋根もこの秋に
琵琶湖の葦で葺き替えた
伊庭の水辺が育む 地域特有の多様な環
つながり
阿部 司
18
ブライアンの目
-琵琶湖のほとりから
編集部
26
川のある暮らし 日常のなかにある
四万十川の風景
水郷伊庭の暮らしと景観
山口敬太
22
・2015 年度事業報告
・2015 年度助成先決定
・2014 年度助成先紹介
山下慎吾
い ば
FGF 通信
・増田川と周辺の生きものたち 大橋信彦(2013 年度研究助成)
メコンに生きる人びと
34
多紀保彦 FGF 助成一覧
3 7 号 に登 場 し て く だ さった 方 々
高橋 裕(たかはし ゆたか)
1927 年静岡県生まれ。日仏工業技術会会長、東京大学
名誉教授。堤防やダムなどの構造物のみに頼る治水政
策を本質的に革新し、雨水貯留・浸透技術なども組み合
わせた社会システムとしての流域治水というグローバルに
通用する普遍的概念を創出し、日本をはじめ各国の水災
害軽減に貢献した。主著に『国土の変貌と水害』
『川と
国土の危機』
(共に岩波新書)など多数。2015 年 Japan
Prize 他、受賞歴多数。
魚と山の空間生態研究所代表。高知大学大学院理学研究
科を修了後、日本各地の流域やガンジス川などの環境研
究プロジェクトに従事。河川氾濫原に関する研究により広
島大学大学院にて学位取得。博士(学術)
。その後、念願
の高知に戻り、魚と山の空間生態研究所を設立。四万十
川や近隣河川で生態研究を進めるとともに、自然再生や
文化的景観の検討をおこなっている。
多紀保彦(たき やすひこ)
ブライアン・ウィリアムズ
1950 年ペルー生まれ。風景画家。宣教師の両親のもとで
青少年時代をチリやアンデス山脈の大自然の中で過ごす。
1966 年に帰米して水彩画を始め、カリフォルニア大学で美
術を専攻。1972 年、リュックひとつで来日。1978 年に神
戸そごうにて初個展、以来、美術館などさまざまな場所で
個展を開催するかたわら、自然再生を講演などで訴える。
1984 年、大津市伊香立の古民家に移り住み現在にいたる。
1931 年東京生まれ。魚類学者。東京水産大学名誉教授。
1964 年のマダガスカルを皮切りに、 万国ドジョウすく
い”と称して東南アジア、アフリカ、中南米の数十か国
で淡水魚類のフィールド調査と水産増殖の技術指導を
おこない、研究論文とともに各地の現地レポートを発
表してきた。1994 年、東京水産大学を定年退官後、自
然環境研究センター理事長、長尾自然環境財団理事長
を経て現在にいたる。
山口敬太(やまぐち けいた)
大橋信彦(おおはし のぶひこ)
▼ 高橋先生は、生涯の仕事として河
川をフィールドに活躍されてきました
が、子どもの頃はどのような環境のな
かで過ごされたのでしょうか。
1980 年兵庫県生まれ。博士(工学)
。京都大学大学院工
学研究科助教。研究テーマは近代都市史、風景史、景観
計画など。伊庭では 2010 年から景観調査を始め、2013 年
から東近江市文化的景観保存活用委員会委員として調査を
行っている。主著に『日本風景史』
(昭和堂、共編著)
、土
木学会賞論文奨励賞、日本建築学会奨励賞などを受賞。
阿部 司(あべ つかさ)
岡山県吉井川水系生まれ。
(株)
ラーゴ生物多様性研究室
室長。幼少期から自然が好きで、大学では絶滅に瀕した
淡水魚アユモドキを研究し、理学博士を取得。現在、調
査研究や保全活動を継続しつつ、生物多様性保全のコン
サルタントや大学講師の仕事を通じて、人間社会のなかで
地域本来の生きものが暮らせる仕組みを模索中。
編集制作
編集人
編集協力
デザイン
印刷
山下慎吾(やました しんご)
一般財団法人 自然環境研究センター
渡辺綱男(
(一財)自然環境研究センター上級研究員)
菱田豊彦(富士フイルムホールディングス株式会社)
株式会社アートポスト
株式会社高陽堂印刷
”
高橋 裕さん
高橋 私が育ったのは、農林省の園芸
おきつ
試験場でした。駿河湾の興津海岸から
歩いて 分くらい、日本中の柑橘類な
どが植えられた5万坪はある広大な試
験場で、誰からも文句を言われず小学
校の同級生たちと思う存分遊ぶ毎日で
した。試験場の職員と町民の方々との
交 流 も 盛 ん で、 毎 年、 職 員 に よ る 仮
装 行 列 も や っ て い ま し た。 鹿 児 島 か
ら来た職員は、西郷隆盛を演じました
が、連れていた犬が言うことを聞かず
に往生したり(笑)
。いい時代でした
ね。残念ながら多くの文化人が愛した
興津の海岸景観は、高度経済成長の名
のもとの港湾整備で壊されてしまいま
した。子どもの頃に砂浜から眺めた美
しい風景はいまも瞼から離れません。
全国的に海岸美は崩壊し、日本人が自
然を慈しむ心まで失わせたのでしょう
か。
▼ 治水の歴史に学ぶことの大切さを
指摘されていますが、現代にどうやっ
て生かすべきでしょうか。
高橋 武田信玄に限らず名治水家とい
われる人々は、古今東西で通用する治
水のノウハウ……今の言葉で言えば、
ハードとソフトをいかに調和させるか
を知っていました。
10
東京大学名誉教授・工学博士
聞き手 時
渡辺綱男
様と。
代。お母
(グリーンレター編集人)
ときには水害訴訟で原告
側の鑑定人も引き受けな
が ら、 全 国 各 地 の 水 害 の
現場を第一線で調査し続
けてきた高橋裕先生にお
話を伺った。
新たな河川文化をめざして
富士川の水制工。1935 年の洪水後、当時の安芸所長による施工。歴史に残すべき治水名所
菊池俊吉撮影 科学雑誌『自然 544』
(1968 年、中央公論社)
生
大学院学
3
Green Letter 2015 No.37
特
集
Green
Letter
水の
景と人々の暮らし
1944 年宮城県生まれ。2002 年、30 年勤務した広告会社
を退職。郷里の名取市閖上(ゆりあげ)で海浜植物の
保護や海岸林保全活動に取り組む。東日本大震災で家
を流失。移り住んだ名取市大手町周辺の川を遡上する
サケの姿に触発され「増田川生きものマップ」を制作。
以来、住民の一人として地域活動に取り組んでいる。
FGF 通信にご寄稿いただいた方々*敬称略
西山裕天(NPO 法人小笠原野生生物研究会)
・千田初男(森の応援団愛子ハ
グリッズ)
・NPO 法人庄内浜を考える会・松鵜彩(鹿児島大学共同獣医学部)
・
中村雅子(東海大学海洋学部)
・前田芳之・観山恵理子(東京大学大学院新領
域創成科学研究科)
・幕田晶子
発行 公益信託 富士フイルム・グリーンファンド
受託者 三井住友信託銀行
本誌に関するお問い合わせは
〒 130-8606 東京都墨田区江東橋三丁目 3 番 7 号 江東橋ビル
(一財)自然環境研究センター内 公益信託 富士フイルム・グリーンファンド事務局 TEL. 03-6659-6135
2
歴史ある景観の保全と防災の両立をめざした嵐山らしい河川文化をぜひ育ててほしい。
は神輿を担いで堤防を踏み固める。こ
民が自主的に管理し、お祭りのときに
堤防をその参道にした。参道だから住
た、信玄堤の頭に神社を引っ越しさせ、
せ、大決壊の危険を減らしました。ま
目を設けて、氾濫流を一時的に溢れさ
霞堤といわれる堤防を連続させず切れ
甲府盆地を流れる釜無川の治水で有
名な信玄堤はもとより、その上流側に
境問題です。第一条に「河川環境の整
されました。河川法改正の根本は、環
た。そして1997年に河川法が改正
水事業も変わらずにはいられなくなっ
それが1980年代に入って国際的
にも環境が重視されるようになり、治
けました。
成長を支えるインフラ整備に精力を傾
荒廃した国土の復興に続き、高度経済
えて、急速に国土開発を進め、戦後は、
直後、東京大学の大学院生であった私
いわれる大洪水があった。水害発生の
そ う 思 っ て い る と き に、 1 9 5 3
年、九州地方中部の筑後川で未曾有と
確に較べようがなかった。
川に長期観測データが少ないため、正
のためだろうと思ったのですが、利根
降るのはおかしい。
」直感で治水工事
洪水と較べて4倍。
「急に雨が4倍も
橋の洪水流量を見ると、明治時代の大
利根川の栗橋で堤防が切れました。栗
高橋 1947年、私が大学に入った
年にカスリン台風によって、埼玉県の
な変化が洪水規模の増大をもたらした
の都市化を含む開発や土地利用の急激
▼ そのデータによって、明治以降の
長大な連続堤防による河川改修と流域
た。
に行ったという膨大で貴重な記録でし
時間。夜中も1時間おきに起きて測り
1885年から 年間、365日、
内務省から依頼を受けた地元の方が、
量水標の記録がこれまた立派でした。
ばんで計算しました。また、久留米の
式にしたのか知るために、一緒にそろ
新たな河川文化をめざして
うして住民の心を捉え、住民の川への
備と保全」という言葉が入ったのが画
は、丸一日以上かけて現地に入りまし
グリーン
レター
インタビュー
理解が深まっていく。ハードとソフト
期的でした。河川整備への住民の参加
僕は洪水記録をどうやって洪水予報の
のバランスがとれた、非常にすぐれた
も盛り込まれました。
雨水は休んでくれる。しかも、地下水
遊水地でもあるから、そこでしばらく
の多くはもと水田だった場所。水田は
当然。日本の場合、宅地化される場所
すれば川への水の出かたが変わるのは
洪水というのは流域全体に降った雨
が川に流れて来るわけで、流域が変貌
高橋 どうやって構造物をつくるかと
いうハード中心の教育が重視されたの
▼ 昔の名治水家の智恵がそこで途切
れてしまったのでしょうか?
が来ると露伴と隅田川のほとりに立っ
ご存じで驚きました。文さんは、台風
幸田露伴の娘の文さんにお会いした
ときに、台風のときの川の様子をよく
でしょうね。
感覚的にも遠くなってしまっているの
だったのですが、堤防が長く高くなり、
た頃は、人々にとって川は身近なもの
識 が 薄 れ て い ま す。 川 で 洗 濯 し て い
国際賞でも高く評価されました。
となりました。この業績が今年の日本
利水に環境を統合した河川法改正の礎
され、そこに示された考え方が治水・
月アンコール復刊)という本を出版
▼ 1971年7月、先生は『国土の
変貌と水害』
(岩波新書、2015年
のですね。1971年に出版され、い
日の川づくりという視点が欠かせない
▼ 水害時の防災だけでなく普段の川
が多くの人に親しまれるような365
めの試金石となるでしょう。
みは、これからの治水を考えていくた
学ぶことも大切です。嵐山での取り組
宮の例にみられるような歴史の智恵に
で、日本初の洪水予報を実施しました。
務省の量水標のデータと較べること
念に整理され、下流の久留米にある内
ら大正のはじめからの雨量データを丹
手に入れること。上野さんは観測の傍
いすることと下流の量水標のデータを
候所に勤めている上野巳熊さんとお会
た。目的は筑後川上流の林野庁森林測
とうございました。
る思いをお話いただき、本当にありが
換を提唱してきた高橋先生の川に対す
りました。今日は、現場での観察力を
にとっても人生を変える一冊の本とな
変貌と水害』は、当時、学生だった私
ち早く社会に警鐘をならした『国土の
ですけど。
ものだ」と事実を伝えただけだったの
いうのは予期しない副作用も発生する
本 だ と も 言 わ れ ま し た。 私 は、
「川と
批判したと読む人がいて、けしからん
高橋 この本は、僕が 歳のときに一
般向けに書いたのですが、治水事業を
ことを科学的に解明されたのですね。
です。明治以降、日本人は近代化に燃
治水策だと思います。それが明治時代
を 涵 養 す る。 こ れ は 自 然 の 水 循 環 に
て、川の様子を眺めたといいます。観
かすみてい
以降、ハードな技術が非常に進歩して
のっとった巧みな自然との付き合い
察眼が大事です。監視カメラを通して
が必要です。わたしは流域治水と呼ん
一した思想のもとに計画していくこと
ら河口の海岸まで、川の流域全体を統
いても重視しながら、水源地の森林か
考えようというもの。環境や景観につ
用に関わるさまざまな現象を一体的に
高橋 総合治水という概念があるので
すが、河道だけでなく、流域の土地利
▼ これからの治水はどういう方向を
めざしていけばいいのでしょうか。
の保全と防災の両立をめざした嵐山ら
高橋 京都の文化を象徴する嵐山で、
河川に間近に接する地元の人たちと行
います。
に据えた川づくりを模索しようとして
には反対であり、自然との共生を第一
嵐山の景観や環境が壊れてしまうこと
な河川整備によって、かけがえのない
▼ 2年前、京都の嵐山は洪水に見舞
われましたが、地域の皆さんは大規模
の皆さんにもぜひ伝えたい。
く忘れ去られてしまいました。
でいます。
しい河川文化をぜひ育ててほしいと思
の共生を考慮した総合的な政策への転
研ぎ澄ましながら、流域の自然と人間
44
台風災害から 2 年、
2015 年 9 月 16 日
に、嵐山・天龍寺で
開かれたシンポジウ
ムで、流域治水の大
切さについてご講演
された。
みくま
方で、それだからこそ1000年もの
だけではなく五感を総動員して川の様
連続する高い堤防をつくるだけで川
をコントロールできると思いこむの
います。嵐山にはそうした次元の高い
NHK にて
安芸教授と対談
今までにない大規模な河川事業ができ
間、バランスが保たれてきたのでしょ
子を観察することが川の個性とこころ
は、技術者のおごりであって、避難や
目標を掲げて新しい道を切り拓いてい
信濃川調査
るようになると、ソフトのほうはとか
う ね。 戦 後、 都 市 水 害 が 増 え た の は、
を知る扉であり、川との共存の道に通
24
こうした自然の水循環を断ち切ってし
67
まったからでしょう。
水防などのソフトも含め各方面が連携
く可能性があります。洪水に備えて床
嵐山・渡月橋上流の桂川を視察
じるものです。そのことを河川技術者
して流域全体で治水を考えないといけ
政が智恵を出し合って、歴史ある景観
ないということです。また、人々は防
を高くし竹の水害防備林を設けた桂離
東大生時代
4
5
災を行政に依存するあまり、自助の意
Photo
Library
4
琵琶湖のほとりから
ブライアンの目
ブライアン氏のご自宅を訪ねたのは、
すでに夕刻だった。
京都駅から最寄り駅まで在来線で約 分。
琵琶湖の西に位置する静かな里山、大津市伊香立の古民家に、
ブライアン・ウィリアムズ氏は 年来住まわれている。
ブライアン氏は風景画家だ。
世代をこえて引き継がれてきた日本らしい風景を
主な題材にしており、茅葺き屋根の農家や棚田、夜明けの琵琶湖、
月明かりに照らされた山々などを写実的に表現している。
彼が描いているのは「心の原風景」だ。
夏の太陽が傾くころ、
大きな絵画が壁を飾る広いリビングでお話を聞いた。
文・編集部
「残念ですが、日本の美しい風景
かけ ら
は、 も う 欠 片 し か 残 っ て い な い。
日本人の原風景は、すでに割られ
てしまい、もう少しのピースしか
残っていないのです。そうした失っ
てはならない日本らしい風景の欠
片を探し出し、ひとつひとつ絵に
してきました。
僕はペルーのアンデス山中の盆
地にある、標高3300メートル
のワンカイヨという町に育ちまし
た。 首 都 の リ マ か ら は、 ア ン デ ス
山脈の4800メートルの峠を越
えていかなくてはならない場所で
す。宣教師だった両親と暮らす街
分も走
はすでに電化していたけれど、僕
たち少年がチャリンコで
な自然ですね、と言う人がいるこ
言う。植林された杉林を見て豊か
たときに、どれが本物かわかると
ブライアン氏は、この原風景の
体験があるから、日本の風景を見
本物を知ってほしい
これが僕の心の原風景です。
」
眼下には熱帯雨林が広がっていた。
に 覆 わ れ た 山 頂 か ら 目 を 移 せ ば、
的 で、 変 化 に 富 ん で い ま す。 氷 河
ありました。ペルーの風景は圧倒
理し、牛で畑を耕すという生活が
れ ば、 灯 油 の ラ ン プ の 下、 薪 で 料
15
25
田植え待つ
Brian's Eyes
30
6
7
JR
彼は関西弁を自在にしゃべる。生き生きとした目の
印象は、たぶん来日当初から変わっていないだろう
かいつぶり天国
葦きりの鳴く頃
密が隠されているようだ。彼は、ま
るのだろうか。それは彼の経歴に秘
どうして彼は、こうまで日本人以
上に日本の原風景に惚れ込んでい
本物かわかってほしいと願う。
とにため息をつき、心の目でどれが
年生の夏。美術教育には活力がない
に興味をもちました。そして大学4
ときに、日本の玄米食に出会い日本
レストランでコックとして働いた
編集にも協力しました。ベトナム戦
てメキシコのスラングの大辞典の
争反対運動にもかかわった。自然食
さに旅の人だった。
と感じた僕は、長い世界一周の写生
ました。アタカマ砂漠のある非常に
とつ。1972年9月1日のことで
道切符と300ドル。そして勇気ひ
る こ と に し ま し た。 ポ ケ ッ ト に 片
旅行に出るつもりで、アメリカを去
乾燥した町でしたが、ここは硝酸塩
歳でチリ北部のイキケに移住し
の輸出港として非常に栄えており、
す。
」
やスキンダイビングを楽しみ、そし
て海洋生物に興味を持って2万個
の貝を集めて詳細なデータを記録
し、将来は生物学者になろうと思っ
ていました。 歳になると、両親は
破天荒な人生と言えばそれまで
だが、彼は成り行きまかせで生きて
ズ市のハイスクールに転校させま
す。でも少しリスクを負っても、ス
「成り行きという言葉、僕は好きで
きたわけではない。
した。まわりの子どもたちは、学校
ピリットを失わないように、守るこ
たのです。
から、今の若者はコンパスを失い、
解を深める。そういった場所がない
どもは遊びながら美的感覚、
冒険心、
とは守ろうと思っています。自然の
僕は画家になると決めて、高校を
卒業後、カリフォルニア大学のサン
生き方のガイド、地図をなくしてい
は非常にハングリーだったから、あ
タバーバラ校に進み、美術を専攻し
変化は諸行無常だけれど、守るべき
ました。お金がないから働きながら
る。次世代のためにも環境を守るこ
らゆることをやってみたかった。こ
の学生生活です。自分の絵を売り、
とが大事なのです」と語る。
ものがあるのです。川や田んぼで子
庭師や子守り、大学の先生を手伝っ
染まっていた。
が見えた。どうせ住むならここに住
に鈴鹿の山なみという大パノラマ
て、里山と湖が見えて、その向こう
そうして来日してから9年後、彼
は伊香立に出くわした。棚田があっ
か茅葺屋根の家に住みたい」と。
の暮らしにひとめぼれした。
「いつ
道や北山で見た茅葺き屋根の農家
に住んでいたという彼は、奈良への
ら、最初は風呂のない小さな借り屋
もを3人さずかった。絵を描きなが
京都で出会った女性と結婚し、子ど
かったという。来日の3年後には、
また墨絵、木版画、合気道もやりた
でしたね。
おかしいと思ったことは、
いた。でもそれはとてもへンなこと
た だ の 絵 描 き だ か ら …… と 諦 め て
を消していく風景を見ながら、僕は
線化され、次々に伝統的な民家が姿
性味をほとんどなくし、田んぼが直
るところの川がコンクリートで固
がかわっていくこと、大小問わず至
「最初、僕は猛烈なスピードで日本
ブライアン氏は、長く地域の自然
保護活動に参加し、
応援もしてきた。
う。
」
んで人間って、こんなにアホやと思
の は、 ほ ん と も っ た い な い ね。 な
片のひとつね。これを壊そうとする
められ、琵琶湖や他の湖も同じく野
みたい、
この風景を描きたいと願い、
意思表示をしないと。
僕は自然の美しさとは、僕たちに
生きる理由を与えてくれるものだ
に「期待しないで、あきらめないで
りかけており、一瞬躊躇する取材者
てくれるという。もう辺りは暗くな
のほとりで絵を描くところを見せ
インタビューに応えてくれてい
たブライアン氏は、これから琵琶湖
生まれなくなると思う。
」
くなると感動させてくれる芸術も
れば人生は面白くないよ。自然がな
生きている時。そういう感動がなけ
のです。感動しているときは本当に
と言うけど、感動する動物だと思う
きているか。人は考える動物である
と信じています。人は何のために生
いきましょ!」と。彼は、雨や風や
自宅から
分で到着した琵琶湖
とを大切にしてきた。
雪のなかでも、野外の現場で描くこ
琵琶湖の現場へ
それを実現させたのだった。
ることができるという目算もあり、 「きれいでしょ。これも原風景の欠
の上に広がる空は、淡いピンク色に
科学する心を養って、死に対する理
世界一周の最初に日本をめざし
た。英語教師をしながらお金を貯め
こでアートに出会い、はまっていっ
はつまらないと言っていたけど、僕
僕をカリフォルニア州レッドラン
スピリットを失わず
僕はここで海と出会いました。釣り
12
「 ペ ル ー で 暮 ら し た 幼 年 時 代 の 後、
Brian's Eyes
8
9
16
20
して来て
伊香立に越
橋弘撮影)
自然豊かな
』より 大
年
0
2
て
い
描
を
本
日
『
(
日本の美しい風景を曲面のキャンバスに描く。
絵には迫力と臨場感がある
琵琶湖の水が私たちの身体のなか
に入っている、とブライアン氏。
アトリエの入口にて
そう語りながらもどんどんと紙の
上に色が重ねられ、空はだんだんと
ピンク色を濃くしていく。
「 ほ ん と、 せ わ し い! ぼ や ぼ や し
てられない! もったいないな。ほ
んともったいない。今この一瞬、美
しいでしょ。こんな夕焼け見たこと
な い、 と 言 わ れ る け ど、 僕 な ん か
し ょ っ ち ゅ う よ。 僕 に 言 わ せ れ ば、
昼と夜の境目が一日のなかでいちば
ん美しいとき。いちばん変化が早く、
美しいときなのに、ほとんどの人は、
朝は寝坊しているし、夕方も仕事し
ていて、見ようという心の余裕がな
い!」
自然保護運動に参加した当初は、
「情緒では、
食えんでしょ」と言われ、
返す言葉もなかったが、彼は勉強し
て、いかに琵琶湖やヨシ原などの植
物が人間に必要なものかがわかった
という。この情緒がなかったら、美
味しい水は飲めんぞ、と言い返せる
ようになったと。
「琵琶湖は日本でいちばん大きな
湖 で、 欠 か せ な い 資 源 で あ る 水 を
270億トンも保水している。もし
も琵琶湖がなかったら、京阪神はこ
んなに栄えなかったでしょうね。日
本の人口の1割が、琵琶湖の水に依
存しているのだから、もしもこの水
源がなくなれば、たいへんな水飢饉
が起こるよ。それに、琵琶湖は大き
な自然のろ過システムなの。
」と。
*
*
水彩
ブライアン氏にとって原風景を
描くことは、何なのだろうか。
油彩
「原風景とは、何世代にもわたって
2007 年
1999 年
持続する安定した生態系のある風
かいつぶり天国
真野浜モーニング
景だと思っています。すなわち安心
油彩
してここなら生きていけるという
水彩
2002 年
感覚をもてる場所。人間は、本能的
1996 年
にそういう風景に安心感をもち、美
田植え待つ
葦きりの鳴く頃
しいと感じます。僕はこの場所を、
真野浜モーニング
油彩
美しいと感じています。そして、自
1995 年
分と絵の景色が一体となっている
葦船
瞬 間、 そ れ が 僕 の い ち ば ん の 幸 せ
画法
ね。
」
制作年
琵琶湖のほとりはもう暗くなり、
夏の夜風が水面から吹き渡ってき
た。ブライアン氏は、描いている琵
琶湖の湖畔に、最後にホワイトで明
かりを灯した。
「僕にとって、琵琶湖は恋人。琵琶
湖によしよし、ね。だから日本の滞
在がちょっと長くなってまーす。
」
作品名
Brian's Eyes
10
11
茶目っ気たっぷりに笑った目
は、発見と感動を忘れない旅人の目
だった。
刻々と変化する風景を野外で描く。アトリエで描
くと絵が堅く小さくなるという
本誌に紹介したブライアン・ウィリアムズさんの絵画
干拓前の大中の湖と伊庭(明治26 年)
田舟の上での稲刈り(中川真澄氏提供)
伊庭では集落内を縦横に走る水路と、家々に設けられたカワトが昔日の面影を 伝える
水路の水は、日々の生活に欠かせ
ないものであった。飲用、炊事にも
年生まれの住民
周囲の低湿地にある水田の多くは湿
年くらいまで
る住民の方は「稲を持って帰ってき
は使われていたようで、昔をよく知
庭は非常に金気が多て、私の母なん
く深くまで掘ってたんですけど、伊
くて、井戸をどこの家でもものすご
の 方 に よ れ ば、
「水道もなんにもな
て、もみやら藁やらなんでも舟ばっ
のきれいな間に汲んどいて、それで
かは金気の多い水で洗うとゴマが黒
あった。
た「飲んだり米洗うのもカワばっか
かりやった」という。集落内の水路
また、水路は田の灌漑や配水にも
利用されていた。伊庭川の南では集
りやった」という方もいた。伊庭の
おなるって、夜中起きしてカワの水
落内を流れていた水路の水が田に流
井戸水は金気が強かったため、場合
ト 」 と よ ば れ る 水 路 へ 降 り る 石 段、
洗い場が今も数多く残り、往時の水
家々をみることができる。また、田
て、 川 沿 い の 石 垣 ぎ り ぎ り に 建 つ
である。そのため、
「岸建ち」と言っ
庭では私有地だとみなされてきたの
理者である県などが管理するが、伊
であり、通常であれば川の護岸は管
川は、川の付け替え以前は一級河川
石
「 垣屋敷持ち と
」 いうならわしが
あった。集落の中央を貫流する伊庭
水路が縦横に走る伊庭には、古い
石垣も多く残されている。伊庭には
めて田を潤した。
だった。こうした生け簀は内湖周辺
中に木杭を打って囲んだ簡易なもの
立派なものもあるが、大抵は水路の
れていた。生け簀は、石垣で囲んだ
また、水路には内湖などでとった
魚を飼育するための生け簀も設けら
ている。
もにある暮らしの記憶が今も息づい
れなくなったが、住民にはカワとと
通ってからはこうした水利用はみら
た」
、 洗 濯 に つ い て は「 み な カ ワ で
だ。 風 呂 に つ い て は「 昭 和
年に
舟の木材を再利用した舟板塀の家や
観をみることができる。
蔵も所々にあり、水郷ならではの景
炊事したりしてました」という。ま
れ込んだ。かつては水路の下流側に
によってカワの水が利用されたよう
格は残されている。家々には「カワ
ある「カットリ」とよばれる堰を閉
は田舟がすれ違えるくらいの幅が
要した。田舟は昭和
使用された。大正
かつての水の暮らし
陣屋橋から上流をみる(中川真澄氏 昭和 55 年撮影)
田で、どこへ移動するのにも田舟を
湖は重要な交通路であり、また集落
艘の割合で田舟を所有していた。内
大きな特徴である。当時は1軒に1
昭和 55 年時点の伊庭集落内の水路
の暮らしを物語る。ホリやカ
縦横に張り巡らされていた。いくつ
には、ホリやカワと呼ばれる水路が
点となった。その集落の内部や周囲
伊庭湊は湖東の湖上交通の有力な拠
庭氏の本貫地として知られ、近世の
である。中世には六角氏の重臣、伊
湖に面した伊庭(東近江市)の集落
琵琶湖東岸に水郷の面影を残す集
落がある。かつて大中の湖、小中の
近江湖東の水郷
)
ワの水は、かつて飲用のほか、
日々の洗い物や風呂に使わ
れ、人々の暮らしには欠かせ
年度に「近江水の宝」に
ないものであった。伊庭は平
成
化的景観の選定に向けて学術
調査が進められている。
水郷の景観
明治時代の地籍図をみる
と、約500戸の家々の敷地
のほとんどが水路に接してい
たことが分かる。この網目状
の水路網が伊庭集落の景観の
の漁業が盛んな地域でみられた。伊
してはった」と伺っている。水道が
嫁 い で き て 7、8 年 は 風 呂 に つ こ て
32
かは埋め立てられたが、今もその骨
10
研究科助教
大学院工学
山口敬太(京都大学
選ばれ、現在では国の重要文
21
12
13
30
水郷 伊 庭
の暮らしと
景観
ワークショップでのディス
カッションの様子
ば
い
水郷 伊 庭
の暮らしと
景観
科助教)
環境の変容の一方で、このような歴
蔵横の大カワトの復元を行った。水
史景観の保全・再生が進められてき
大 き く 変 質 し た。
生活生業の近代化
庭でも内湖干拓前には専
にともない、多く
軒 ほ ど、 副
たのである。
て 食 し た よ う だ。 今 で も
めましょう』とい
伊庭の保存につと
福島住職は『水郷
平成 年、伊庭町集落は「湖辺の
郷伊庭景観形成重点地区」に指定
軒ほどあったとい
の水路が埋められ
業の漁師が
う。 昔 は、 生 け 簀 の 中 に
ていくなかで、昭
魚 定 さ ん( 料 理 屋 ) の 前
う 冊 子 を 作 成 し、
された。それに先立ち、筆者ら京都
業が
鯉 を 放 し て お い て、 祝 い
に は 生 け 簀 が あ る。 こ こ
伊庭の住民に歴史
大学景観設計学研究室チームは、平
年、正厳寺の
和
の鯉こくは美味だ。
的景観の保全を訴
景観を活かした
まちづくりへ
や大切な来客の際に締め
10
田やホリは絶好の漁場
で、 田 と 家 の 行 き 帰 り、
54
30
やった)
」など、ホンモロコを
てもらって、ええこづかい稼ぎ
づかみした(京都へ売りに行っ
にようさんおったモロコを手
に 近 い 名 古 川 で は「 田 舟 の 下
の場所であった。なかでも内湖
たと聞く。田舟は絶好の魚とり
方々も子供のころはよく魚捕りをし
ることもよくあったという。住民の
ホリでおかず用に魚を手づかみで捕
伊庭川沿いの道路拡幅にともない
カワは部分的に埋められることと
趣を盛り上げよう、と提唱した。
ツバタなどの水草を植え、水辺の風
を植え、また浅瀬にはアヤメ、カキ
桃、コブシ、レンギョウなどの花木
に臨む畑や屋敷などが協力して桜や
思い、美観の保持に努めること、川
ある。また、伊庭川を自分の庭先と
から後悔しても遅い、と唱えたので
のまま残すべきではないか、埋めて
か、伊庭川だけは子孫にそっくりそ
が本当に私たちの幸福につながるの
えた。水路を埋めて道を拡げること
した。
については大学院生が修景案を提案
決 定 し た。 こ の と き「 未 来 の 八 景 」
することとし、全戸配布による投票
要な資源を「伊庭八景」として選定
とができた。このなかから、特に重
まちづくりの課題を多数発見するこ
100を越える資源と、これからの
努 め た。 そ の 結 果、 集 落 内 だ け で
まざまな角度から景観資源の発掘に
良くしていきたい風景を議論し、さ
風景、昔好きだった風景、これから
プを四度開催した。まず、今好きな
協働で景観まちづくりワークショッ
年度に東近江市の都市計画課と
捕って食べたという記憶が今
なったが、当初その護岸は金属製の
年には
に伊庭川の意味がある」との声が上
とき住民を中心に「石垣であること
代につなげる」
、
「生きてきた証であ
深 め た。
「心に刻まれた景観を次世
「何のために伊庭の風景を
ま た、
残すのか?」について住民と議論を
とワークショップでの議論をもとに
成
も鮮明に残る。
矢板で整備される予定だった。この
こととなった。また、平成
がり、間知石の石積みで整備される
達に与える」
、
「昔の生活、暮らし方
史ある伊庭で育つことの喜びを子供
け替えなどによって水環境は
涼床)を設置し、カワの新たな活用
わせて、謹節館前の水路に川床(納
運営している夏祭り“絵日記”に合
寄附金を集め、伊庭謹節館近くの米
られてきた。
「伊庭内湖の自然を守る会」(平
(補注)内湖の環境再生の取り組みも進め
り、郷土への愛着の源である」
、
「歴
が、今も残る水郷の風情をどう生か
を試みた。水環境は昔とは変わった
行ってきた。伊庭集落の水路では蛍の環境
保全活動や水鳥観察会などの取り組みを
かしい!」と声をあげられたのが印
する様子をみたご年配の方が「なつ
再現した。数十年ぶりに田舟が航行
あった田舟で農作業に向かう様子を
を挙げておきたい。
「
(平成
雄(伊庭町副自治会長)さんの言葉
最後に、景観形成重点地区の指定
を 報 じ た 新 聞 記 事 か ら、 田 中 藤 司
いる。
年以降
象深かった。また、地元有志が企画・
田舟の再現
平成 年7月3日付)
。
思う」
(毎日新聞滋賀地方版
存続するための第一段階だと
た。指定は伊庭の景観が長く
対する意識が大きく変わっ
る。ここ数年で住民の景観に
を何とか残したいと思ってい
が、今では、親しみある水路
会に参加する人も少なかった
の動きに関心を持たず、説明
て)当初は誰も選定に向けて
の重要文化的景観選定につい
22
トしたところなのである。
うな取り組みはまさにスター
まちづくりを進める。そのよ
に、景観を活かした魅力的な
て、次世代に受け継ぐととも
あらわれた景観の価値を認め
自分たちの暮らしの場を見
つめ直し、その暮らしぶりが
26
うという取り組みが進められている。
の豊かな生態環境を見直し、保全再生しよ
づくりも進められている。このように伊庭
の駆除や不法投棄ごみの回収、ヨシ群落の
れた。
すか、そのテーマ探しは今も続いて
21
夏 に は、 修 復 し た 田 舟 を 用 い て、
昭和 年頃までは当たり前の風景で
議会」
(平成
年に設立)は、外来動植物
成 年に発足)
、
「伊庭の里湖づくり推進協
を知ってもらう」などの意見が出さ
15
けんちいし
とである。上下水道の整備、周
伊庭の水環境が大きく変化
するのは昭和 年代以降のこ
景観保全活動の
あゆみ
26
辺農地の圃場整備、伊庭川のつ
50
24
17
右:舟板塀の蔵
中:伊庭には 160 を超えるカワトがあり、
うち石積みのものが 60 ほど現存する
左:かつてのカワトとイケス
(近藤雅樹氏撮影)
30
14
15
伊庭八景
学院工学研究
山口敬太(京都大学大
ば
い
上:絵日記の川床
、
下:かつての土 豊橋(どぶばし)附近の様子
(中川真澄氏提供)
つながり
環
伊庭の水辺が育む
地 域 特 有 の 多 様 な
ます。 また、野生のコイやニゴ
(株式会社ラーゴ生物多様性研究室室長)
周 辺の内 湖 などの水 域 を 含め
ロブナは琵 琶 湖から、ギンブナ
阿部 司
種 以 上 もの在
胴長を履くことすらためらう
ると、地域を特徴づける3つの
多 様な魚や水 辺をよく 観 察 す
来 魚 が 生 息 していま す。 この
動 し 繁 殖 しま す。 このように
から集落近くのヨシ原などに移
大 同 川や伊 庭 内 湖の別の場 所
やゲンゴロウブナ、ホンモロコは
ると、なんと
ところです。 それでも 伊 庭の
“つながり ” が 浮 かび上 がって
2015 年 8 月のあ る 日、
真夏の太陽が照りそそぎ、気
水 路での魚つかみは、 清 涼 感
て様々ですが、この4キロメー
移動の規模や目的は種類によっ
きます。
トル以上におよぶ水 域のつなが
りが、 様々な 魚 類の生 活 を 支
える道となっています。
清 涼 感 あふれる水が流れてい
の種 が 繁 殖や 成 育のために移
淡 水に暮らす 魚 も、実は多 く
1つ目 は、 多 様 な 魚 た ち を
育む水と水とのつながりです。
かな成 育 場が必 要です。 流れ
が、 稚 魚 となると流 れが 緩や
は流れが速いところも平気です
るオイカワやヌマムツも、 成 魚
ものです。 集 落 内でも 繁 殖 す
1つ目! 魚 を 育 む 多 様な
水のつなが り
ます。集落を駆け抜けた流れ
動しま す。 夏、集 落の水 路に
が 速い水 路、 遅い水 路、 水 深
集落内の大小様々な水路のつ
ながりも魚たちにとって大切な
は、大 中の湖の名 残である伊
辺の水 域から訪れたと考 えら
は餌や過ごす 場 所 を 求めて周
湧水が引き込まれ、水温は夏
庭内湖、その下流の大同川を
が浅い水路、深い水路、これら
でも ℃程度、透明度は高く、
通じて琵琶湖へと注ぎます。
れるスゴモロコやビワヒガイなど
多 様 な 環 境があることも 様々
手 作 りの馴れず しはお世 話に
に出 会 うことができ ま す。 ア
なった方に届けることもあるそ
ユやヨシノボリ類はさらに遠 く
うです。 繁 殖 期にたくさん取
この伊 庭の水 路では、高 級
魚のホンモロコを 含め、オイカ
す。 この 石
さ れ てい ま
れるフナ 類やホンモロコなども
とつですが、それらが集落内で
垣や 水 路 内
近 所の方に届 けるという 話 を
な 魚 種が生 息できる理 由のひ
の巨 石のま
伺いました。 大 きな魚 を 調 理
の琵 琶 湖 から 訪 れると言 われ
ギツクやアブ
魚に出 会 うことができ ま す。
魚たちが成 長 段 階や繁
つな がっているか らこそ、
殖、 越 冬 といった 生 活
史の段階に応じて必要
な環境を利用できるの
です。
2つ目! 自然と人が
支 え 合 うつなが り
2つ目は、魚や水 路、内 湖
といった 自 然 と 人 とのつな が
りです。 伊 庭には淡 水 魚をつ
す。 滋賀県で有名な馴れずし
かま えて食べる文 化があ りま
には「フナずし」があります。
たちのすみかを守ることにもつ
できた水 路の景 観 維 持が、 魚
していま す。 地 域で取 り 組ん
ドンコなど多 くの魚 が 暮 ら
ムツ、 ギ ギ、
ラハヤ、ヌマ
ま た、 伊 庭では、 道 路の拡
幅で水路が減ってきたことから、
実感しました。
のつながりをつくっていることを
の人と魚のつながりが、人と人
からお 届 け す るとのこと。 こ
で き ないお 宅 には、 調 理 して
ながっています。
石 垣の水 路 を 守ろう という 話
が持 ち 上がり ました。 その思
いが 地 域で 共 有 され、 現 在で
も 美しい水 路の景 観が残ってい
り、お盆の時 期のごちそ うと
ごち そ う になった と き、 樽 か
3つ目は、人と人のつながり
で す。 オイカワの馴 れ ず し を
* *
る伊庭だからこそと思います。
るのは、人と人とがつながってい
されてき ました。 私 もシソに
ら 出 された 馴 れ ず しの一部は、
3つ目! お 裾 分 けで
人 と 人のつなが り
巻いてしょうゆをつけていただ
分 けされていました。 さらに、
ご近 所の方や 親 しい方にお 裾
伊庭ではそのフナずしに加え、
き ました。フナ ず しより あっ
きた水路の石垣護岸が多く残
すね。
ぜひ未来へとつないでいきたいで
た、地 域 特 有のこれらの環を、
世 代 を 重ねて引 き 継がれてき
がりに触れることができます。
と人の絆 といった、多 様なつな
て産 物や保 全 意 識 を 介した人
全 を 介した人 と魚の縁、そし
む魚たちの生 活 環、利 用や保
伊庭では、水路から琵琶湖へ
つながる水 域 ネットワークが育
さりしていま すが、芳 醇で甘
ていま す。 また、集 落の水 路
ど、資源保護の取り組みを行っ
なる外来魚の駆除を続けるな
らない、在 来 魚の減 少 要 因と
の方々は、必 要以上に魚 を 捕
これらの資 源でも ある魚が
減らないように、伊 庭や漁 協
みがあり、くせになる味です。
「 オイカワの馴 れ ず し 」 も あ
わ り に はム
ワやヌマムツなどとても多 くの
の平野部や集落周辺の豊富な
あります。この水路には上流
滋 賀 県 東 近 江 市 伊 庭の集
落 内には、大 小 様々な水 路が
ても心地よいものでした。
温は ℃、魚の調査とはいえ、
ホンモロコ。琵琶湖固有種
で、素焼きや佃煮などで食
べられる高級魚です
あふれる豊 富な水の中で、と
35
ツチフキ。湖東地域でもなかなか出
会えない魚。ヒレの縞模様がオシャ
レ。集落内の水路で出会いました
16
17
34
23
には、 地 域の方々が維 持 して
オイカワの馴れずし。姿が美しい雄が珍重され
ます。甘く、芳醇なくせになる味です
オイカワ。泳ぐのが得意な川の魚。魚
の多くは、雌ではなく雄が美しい色彩
を体やヒレにまといます
京都大学深町先生と研究室のみなさん
との調査。隠れている魚や素早い魚
も捕まえることができるハイテク機
器 “エレクトリックフィッシャー” を
許可を得て使いました。魚たちには、
ちょっとだけシビれてもらいました
ドンコ。口が大きな肉食の魚。石垣の
穴がお気に入りのようです
いら ず やま
や黒尊川など300本以上の支流をあわせ
く ろ そ ん がわ
入 山( 標 高
四 万 十 川 は、 高 知 県 の 不
ゆす はら がわ
1336メートル) を 源 流 として、梼 原 川
せ ん にゅう だ こ う
て太 平 洋に注 ぐ一級 河川です。 その大 きな
特 徴は 「 穿 入 蛇 行 」 とよばれるゆるやか
な蛇 行にあ り ま す。 源 流 と河口を 直 線で
むすべば キロメートルほどの距離を、山々
のあいだをくねくねと蛇行を繰り返しなが
流れています。 流 域 面 積は2270平 方キ
ら196キロメートルもの長さでゆったりと
万 人ほどの人々が 住んでいま
ロメートルで、東 京 都よりやや広いくらい。
このなかに
す。 著者もそのひとり。 本稿では、日常の
なかにある四万 十川の風 景をご紹 介したい
と思います。
カヌーで四万十川をくだるツアー。ゆったりとした流れ、風向きの関係
で夏は早朝がおすすめ
(魚と山の空間生態研究所代表)
日常のなかにある
四万十川の風景
山下 慎吾
増水
四国 西 南 部は台 風 常 襲 地 帯で、四万 十
川はたびたび増水します。 山間地を流れる
川なので水位はあっというまに上昇し、時に
は恐ろしい暴れ川となることがあります。
口から キロメートルほどの位 置にあ
河
くち や な い
る口屋内集落の神社の階段には、明治時代
その目線に立つと、あまりに高い位置にあっ
にあった大洪水の石碑が据えられています。
て、平水時の水面がほとんど見えないほど。
ちん か ばし
最近では2005年にも大きな洪水があり
ま した。 欄 干のない橋 「 沈 下 橋 」 はこの
しょう。 増 水 する水の力 をできるだけ 逆
ような川の特 性に適 応したものといえるで
らわずに受け流す、暮らしの知恵がカタチ
となって表れているようです。
さらに、チャンスに変 える 人 もいま す。
増 水 時には蛇 行 部の内 側にできる流れの緩
い場所に魚類が集まる習性を利用して、ア
ユを 引っ掛 けて釣 る 「ごんぶり 釣 り 」。 話
を聞かせてくれた方は 「わしは中学生の頃
からこれが好きで。 台風が近づいたらソワソ
ワする。 今 回は急に水がでたけん大 慌てで
仕掛けをかまえた」「今年は台風が来んけ
ん河 原にタデが生 えす ぎとる。これが生 え
とったら針が引っかかっしまう。 水がでると
わかっちょったら先に抜いちょいたに」 とのこ
うです。
と。 増 水がもたらす 恵みのひとつといえそ
遊ぶ
「 ネムノキの花 が 咲いたら 泳いで 良 し 」。
初夏になると川で泳ぐ人たちをみかけて嬉
をひっく り 返 したり、 水 中メガネ をつけて
しくなります。 支流の浅い場所で川底の石
観察したり。 現在、四万十川では200種
多 くは川 と海 を 行 き 来 する回 遊 魚や汽 水
をこえる魚 種が確 認されていま すが、その
魚です。 本流に大きなダムがないこともあっ
て、 小さな支 流にもボウズハゼなど多 種 類
ビタマとよばれる直 径 センチメートルくら
山のあいまをゆったりと蛇行する四万十川。沈下橋がかかる
右:神社の階段に残る「大洪水標」
。明治 23
年 9 月 12 日と記されている 下①:2005 年
の洪水痕跡。川面が白く波立っている場所に
沈下橋がかかっている 下②:増水時の沈下
橋。いったん沈んで再び姿をあらわしつつあ
るとき。大切な生活道です
18
19
の回遊魚が遡上してきます。 高知県ではエ
いの小さな網が売られているので、ぜひそれ
15
②
上:エビタマを使ってテナガエビ類をねらう
少年。本気です 右下:ネムノキの花が咲い
たら泳いで良し 下:ごんぶり釣り。増水
時がチャンス!蛇行部の内側に集まるアユを
狙って釣る漁法
58
10
34
①
川のある暮らし
日常のなかにある四万十川の風景をご紹介したいと思います。
本 流 沿いの道 を 走っているとカヌーツアー
の姿 もみかけ ま す。 四 万 十 川の河 床 勾 配
ものです。
を 使ってハゼ類やエビ類などを 探してほしい
できます。
り、鋏 脚ではさまれずにつかま えることが
てみてください。 確かにツガニの動きが止ま
と教えてもらいました。 機会があれば試し
脚をまとめて持ったら、はさまれんですむ」
度、 下 流 部 にな る と1 / 1200~1 /
し た。 同 年 に 公 開 さ れ た 論 文(
Itakura,
滅 危 惧 種 )」 として記 載され話 題をよびま
ホンウナギが 「EN( 絶 滅 危 機1B類 / 絶
のおそれのある野 生 生 物のリスト)」 に、ニ
2014年、IUCN( 国 際 自 然 保 護 連
合 )が公 開 している 「レッドリスト( 絶 滅
ウナギ
は 中 流 部 で1 / 380~1 / 1300 程
2200程 度と小さく、日 本の川としては
とても緩やかな傾斜となっているので、初心
者でもゆったりとカヌーで流れくだることが
できます。
モクズガニ
モクズガニはツガニともよばれ、秋の恵み
となっています。モクズガニは、海 域・汽 水
)に記された 「岸辺をコンクリー
etal., 2014
トで固める護岸などをした割合が高い河川
が激しい」 との結果が地元新聞にも掲載さ
や湖 沼ほど、ニホンウナギの漁 獲 量の減 少
成熟したオスとメスが川をくだって汽水域で
れました。
域で幼生期(ゾエア・メガロパ)をすごした
産卵するという回遊生活をおくっています。
原著論文を入手して読んでみると、比較
に用いられた 河川とその護 岸 率(%)は
あと、稚ガニとなって川を遡上し、川で成長、
漁をするのは降河のタイミング。四万十川で
は「イタドリの花が咲くころツガニがくだる」
)
、
)
、
)
、
)
、
)
、
)
、
四万十川(5)。
)
、吉野川(
)
、 江の川(
)
、利根川(
)
、 木 曽 川(
)
、 大 淀 川(
次の通 りでした(ここでは 湖 沼 を 除 く )。
)
、
北上川(
)
、天竜川(
)
、 高 梁 川(
)
、久慈川(
)
、 矢 作 川(
)
、 緑 川(
といわれるように、秋口頃からくだりだす
荒 川(
球 磨 川(
菊池川(
那珂川(
信濃川(
肱 川(
を川につけて飼っておく際にカボチャを餌と
河 川の護 岸 率 とニホンウナギ漁 獲
炊きがおこなわれますが、その鍋にはツガニ
んいるとは思えず、コロバシ(ウナギを捕え
クリートで固められた河川にウナギがたくさ
通常、「相関関係がある」からといって「因
果関係がある」 とは言えないのですが、コン
ただし、「いまさら?」「そんなことは何
十年も前から知っちょった」 というのが新聞
れたことでしょう。
ム台のあ と落 ち 込み、2012~2013
5000~7000キログラムで推 移してい
ていま す。 下 流 域にある卸 売 市 場でも 年
~2500キログラムほどで推 移していた取
記 事をみた近 くの方々の大 多 数の反 応でし
年には3000キログラム台となっています。
る筒状の漁具)を仕掛けようとも思わない
た。 しかしながら、当たり前だと思われる
私 た ち は2007年に潜 水 観 察 を おこ
なった後、2012年から毎 月 定 量 調 査 を
扱漁獲量が2009年の2490キログラム
か至難のことです。このような論文を基礎
ことでも、しっかりデータで示すのはなかな
始めました。ヒラテテナガエビとミナミテナ
を ピークとして翌 年 以 降 連 続 的に激 減 し
として、いまからウナギ資源回復への良い動
ガエビの出 現 様 式が違っていること、体サイ
とがある人は、この報告を直感的に受け入
きに結びつくかもしれません。「 護 岸だけ
の禁漁措置。 すぐに結果がでることではな
た。 宮崎、鹿児島、熊本県に次いで4番目
れど、 高 知 県、 特に四 万 十 川 流 域では自
他 県では子どもの遊び相 手かもしれないけ
テナガエビ類 を 保 全 するにはどう すれば
よいか。多くの方から相談をいただきます。
たばかりです。
た出荷量が、2009年の6000キログラ
の問題やないろ」という反応もありました。
どについてようやくデータとして捉えはじめ
ズの季節変化、抱卵、水位変動との関係な
月から翌3月にかけての半 年 間、ウナ
いですが、持 続 的に生 業が成り立つ仕 組み
然 と暮らす 経 済 基 盤にもなっていま す。い
まから採 捕の在 り 方 を 含め地 元 経 済に悪
影響を与えない範囲で、次世代の個体群を
維 持 する方 法 を 考 える必 要があると考 え
ています。できれば子どもがエビタマで自由
に捕って遊べる自然な川であってほしい。
れていま す。 前2種が主な漁 獲 対 象となっ
キロメートル上 流 まで遡 上 することが知ら
然再生から始めるのもよさそうです。
めに、大 きなことができなくても小さな自
四万十川からはとても大きな恵みを受け
ていま す。 この恵みを 次 世 代につなげるた
「いまさら」ではなく
「いまから」
ていま す が、 中 流 域の川 漁 師 さんた ち が
いまから、いまから。
ること、ヒラテテナガエビは河口から100
域と汽水沿岸域を回遊する習性をもってい
ており、前2種が生活史の中で河川中下流
ミテナガエビ・テナガエビの3種 類が生 息し
四万十川流域には、ヒラテテナガエビ・ミナ
ガエビ類の不 漁 がここ数 年 続いていま す。
いま 最 も 気になる存 在はテナガエビ類で
す。 四万 十 川 を 代 表 する 「 川の幸 」 テナ
テナガエビ類
となることを期待したいところです。
ギ 成 魚の漁 獲 を 禁 止 することを 決めま し
は
確かに。 そうこうしているうちに、高知県
ので、おそらく、川でウナギを 捕 ま えたこ
がたくさんはいっており、濃厚な味をだして
果が発表の基礎にあるようです。
量減少率が相関関係にあったという解析結
これら
16 22 24 26 35
います。 ある川 漁 師さんに「 うしろ3本の
ります。 四万十川沿いの西土佐地域でも芋
愛 媛 県 南 予 地 方には、 東 北 地 方の「 芋
煮」 と同じように、「芋炊き」の文化があ
して与えると美味しくなるようです。
いることも あ り。 たく さん捕 ま えたツガニ
ボチャが 「つがにの餌に」 として販売されて
野菜の直売コーナーで見切り処分となったカ
鍋の具 材 として用いられま す。 この時 期、
成熟個体をカニカゴなどで捕え、茹でたり、
18
漁 獲 物 を 持 ち 込 む 漁 協では、 年1500
右:芋炊き会場にて。たっぷり入ったモ
クズガニが濃厚な味をだします 上:こ
こでは見切り処分となったカボチャはツ
ガニの餌として 下:丸い頭のボウズハ
ゼ。川と海を行き来する回遊魚。アユと
同じく礫石につく藻類を食べる
←左:川を遡上しつつあるミナミテナガエビ
の稚エビ。生き残って頑張ってほしい 右:
蒸したミナミテナガエビとヒラテテナガエビ。
テナガエビ類は「唐揚げ」「テナガエビとキュ
ウリの煮物」「テナガエビ素麺」などに用いら
れる 下:ヒラテテナガエビのオス。長い手
は第 2 胸脚。闘争やメスの保護につかわれる
18 23 25 27 45
13
61
28
25
24
15 19
18
20
21
10
モクズガニをつかむ必殺技。後ろ三本の脚をまとめて持てばはさまれない
→右:ウナギを捕える漁具「コロバシ」。ネム
ノキの材が最適。古くなるほどウナギが入り
やすくなる 下:ウナギ成魚
パクセ は ど こ
成田あるいは羽田を発ってタイのバ
ンコックに向かう 飛 行 機は、 約5時
間の洋 上 飛 行ののちインドシナ半 島
に上 陸 する。 上 陸 地 点はふつうヴェ
トナムのダナン付 近の上 空、 細 長い
ヴェトナムの国土を横断してアンナン
山 脈 を 越 えると、機はラオスへと入
る。
この時 間になると、私は子どもの
ように飛行機の窓にへばりついて、眼
下の景色に眼をこらす。バンコック行
きでは、 座 席 は 窓 際、 そ れ も 左 側
ときめている。 銀 色に光るメコン河
を 越 えるとき、 視 界 をさ え ぎる雲
がな ければ、 左 方のはるか 下 流に、
わがなつかしのパクセの町が見えるこ
とがあるからである。
メコン河 はチベット 高 原に源 を 発
し、中 国の雲 南 省からインドシナ半
島のミャンマー、ラオス、タイ、カン
ボディア、ヴェトナムの諸国を流下し
て南シナ海にそそぐ、流 程4000
キロメートルあ ま りの大 河で あ る。
その長さは信濃川や利根川の 倍以
上もある。
このメコンの中 流から下 流の地は、
若い頃の私が何年間かを過ごした生
活と研究の場であった。 機上から探
し求めるラオス南部の都市パクセと、
はるか川上にあって思いを馳せるのみ
のラオスの首 都ヴィエンチャン、そし
て下 流ヴェトナムのメコンデルタの都
市カントーは文 字 どおりわが第二の
故郷なのである。
溢 れる 河
1970年4月初旬のある日、ヴィ
エンチャンに赴 任 した 私は、 仮 住 ま
いのホテルに旅 装 を 解 くいとま もな
く、近 く を 流れるメコン河の岸 辺に
立った。 初対面のメコンは、これがあ
の世に聞こえた大河かとわが眼を疑
いたくなるようなものだった。 川 幅
は広い。 対岸タイの村落の屋根が小
さ く 見 える。 だが 広びろとした 河
川敷を流れる水路そのものはごく幅
狭く、浅い。 その頃あたりはほとん
ど 雨のない乾 季の末 期 だったのであ
る。 インドシナ半島を含む東南アジ
ア 大 陸 部の気 候 は、1 年 が 雨 季 と
乾季にわかれた熱帯
モンスーン気 候で あ
る。雨季は4~9月、
乾 季はあ との6ヶ月
だ。 わ がメコンとの
初対面はこれから雨
季に入ろうというと
き、河の水量・水位
氾濫のありさまも人びとの姿も、日本とは大きく違っていた。
陽光輝く空の下、 河水はじわじわと土手(自然堤防)を越え、
河ぞいの低地(氾濫原)はすでに浸水をはじめている。
だが人びとにとって氾濫は毎年の季節的現象、
伝統的な高床式の家に住む人たちは平然としている。
が最低の時期だったのである。
メコン に 生きる人 び と
ンチメートルを超えた。 そして 日、
8月には水 位の上 昇が1時 間に2セ
月に入ると河の流 量は上 昇 を 続 け、
それから数ヶ月して、私はこの大
河の氾濫を体験することになる。 5
多紀 保彦(魚類学者、東京水産大学名誉教授)
蚊帳も大活躍だ。
漁具は四つ手網、家から持ち出した
水が流れ入る水 路で魚とりに夢 中、
している。 子どもたちはあふれた河
み、大 人たちは食 堂に集まって談 笑
はない。 仕立屋は悠 然とミシンを踏
う低床(?)の家でもあわてた様子
る。 あ と 何 時 間 かで浸 水 す るだろ
式の家に住む人たちは平 然としてい
毎 年の季 節 的 現 象、 伝 統 的な高 床
ている。 だが 人びとにとって氾 濫は
地(氾濫原)はすでに浸水をはじめ
( 自 然 堤 防 ) を 越 え、 河 ぞいの低
輝く空の下、河水はじわじわと土手
氾 濫のあ りさまも 人びとの姿 も、
日 本 とは 大 き く 違っていた。 陽 光
に出掛けた。
のか、さっそ くオートバイで様 子 見
に向き合う人びとの動きはどんなも
は慣れている。 ラオスの地では洪 水
和ひとけた生まれの私は“大水”に
しとなった。 東 京の下 町で育った 昭
え、付近一帯は市街も農耕地も水浸
ついに河水は土手(自然堤防)を越
29
22
23
⑥
●
④ ●
●
⑤
from
①
●
①赴任を終えて帰国。筆者を見送るスタッフ (1971 年 5 月ヴィエンチャン空港 ) ②飛行機からメコン河を見下ろす ③現代も冠水した
道路で魚とりをする(2007 年 9 月ラオス首都ヴィエンチャン)④メコン河。氾濫原 ⑤メコン河の支流ナムグム川。乾季の様子 ⑥メ
コン河。雨季の本流。 ④⑤⑥は 1970 年代。そこに住む人びとにとって、大小の河川の水環境の変化は、生活を律する季節的現象だ
10
Laos
② ●
●
③
川やため池からの淡水魚、今朝とれ
私が魚 類 調 査に動 き まわっていた
頃、メコンの本 支 流は流 域の人びと
常 連、大 きな金だらいのひたひたの
空 気 呼 吸 ができる種 類は売 り 場の
たコイやナマズの仲 間が主 体 だ。 カ
にとって大 切 な 動 物タンパク源であ
水の中で生かされ、外に跳び出して
人 と水 と魚 と
る魚 を 供 給してくれる漁 場であ り、
売 り 子のお姉さんを あわてさせてい
る 光 景 は、 青 空
ムルチー(ライギョ)のよ うに補 助
男 女の別 な く 大 人 から 子 ども まで
に開 放 された 青
空水浴場だった。
近 代 化 が 進んだ
今でも、 村 を 流
れる 名 も ない小
水 路で洗 濯や食
器 洗いにいそ し
む 女 性 た ち は、
旅人をいやしてくれる風
物詩となっている。
町 や 村 には、 中 心 部
に市場があるのが当たり
前だった。 市場には朝市
と 夕 市 が あ り、 食 料 品
か ら 衣 類、 雑 貨 な ど日
用 品 まで販 売 している。
いま 風にいえばショッピン
市 場 のの ど か な
風 物 詩 となってい
た。
こん な 魚 売 り
場 で 感 心 し たの
は、 買 い 手 の 女
性 た ち がこ ま か
く 魚 を 吟 味 す る 姿 だっ
た。 彼 女 た ち は 小 型の
魚 を 敬 遠 す るこ と が な
い。 種 類や 大 き さによっ
ていろいろな 料 理 が あ る
のだ。エラや眼 を 見て鮮
度 をチェック す る 視 線 は
鋭い。“ 足の速い” 淡 水
魚の鮮度の判定は、主婦
賞味しているお客の姿は、“シーフー
んで丸のま まの“ 焼 きライギョ” を
で、わざわざ淡 水 魚のライギョを 選
ぱら“天秤棒で運べる距離”にある
い時代のこと、鮮度が大切な魚はもっ
ころにまでは冷 凍・冷 蔵の施 設がな
それに水 牛が主 力だった。 こんなと
はニワトリとアヒル、獣 肉は豚と牛、
魚の売り場は露天だった。 食 用の鳥
フリカ原 産の淡 水 魚ティラピア( 多
あ り、ひとつの解 決 策 となった。 ア
で発達しはじめた淡水養殖の産物で
た。 そこに登 場したのは、この地 域
から海 産 魚が入 荷 することはなかっ
何 種 類 もの海の魚が並んでいるなか
ろでさ え、 今で も 強 く 残っている。
容 易なタイのバンコックのようなとこ
食 用 魚としての淡 水 魚への嗜 好と
依 存は、 海に近 く 海 産 魚の入 手 が
だった。
ルの巨大な回遊魚メコンオオナマズで
ン河の主 ともいうべき 全 長3メート
ることで有 名だ。 壁 画の主 題はメコ
な“パーテムの壁 画 ” が残 されてい
辺にすむ古代の人たちが描いた有名
る。この褐色をした垂直の崖は、川
にとって 必 須の能 力 なの
ドレストラン”でよく 見られる光 景
くはナイルティラピア)が市 場に並
ある。 数千年もの昔に描かれたもの
グセンターだが、 野 菜や
である。
ぶようになったのである。
よく捉えている。
とは考えられないほど魚体の特徴を
パーテ ムは ど こ
鮮魚にお目にかかることはなかった。
い。 何度か訪れた壁画をいつも脳裏
代、ここでは海産魚はメーン(臭い)
冷 凍 冷 蔵の技 術 施 設が未 発 達の時
私が機 上からパクセを 探している
のは、機がメコン河岸にあるパーテム
に思い浮かべるのみである。 だがど
垂直の崖だから、それがどのあた
りにあるか機上から探すことは難し
魚で、淡 水 漁 業の閑 漁 期に市 場への
の崖の上 を 飛び越 えているときであ
が暮らしていた頃は市 場で海 産の生
内陸国ラオスでも、魚についての人
びとの嗜 好はもっぱら淡 水 魚で、私
⑥
●
入荷不足を埋め合わせるために域外
①網を持って近くの川に “漁り(すなどり)
” に行く。彼
女たちにとって、すなどりは日常の作業 ②ヴィエンチャ
ンの朝市場で魚を吟味する女性たち ③メコン河は、人び
との漁場であり、洗濯場であり、子どもたちのプールでも
ある。 ①②③は 1970 年代 ④市場で売られるナイルティ
ラピア
⑤釣り上げられたメコンオオナマズ(写真提供/河本新) ⑥メコンオオナマ
ズを解体する市場の女性 ⑦現在の市場の様子 ⑧パーテムの古代壁画。古
くからの人と魚の親しいつき合いを語っている
浮かべると、ここがわが第二の故 郷
が慈しみつつ魚を食べている姿を思い
わが食 性は獣 肉 食 派で魚 食 派で
はない。 だがメコンのほとりの人びと
みを頂いているという姿だ。
けではない。 老いも若 きも、天の恵
みを 残 してきれいに食べるという だ
ときの作業員の姿だ。 単に骨と鱗の
要の雑 魚 を 河 原で焼いて食べている
る。 野 外 調 査 を 終 え、採 集した不
にわが眼に浮かぶひとつの光 景があ
ういうわけか、そのとき 必 ずのよう
③
●
でよかったな、と思うのである。
24
25
①
●
⑤
●
④
●
写真協力:
(一財)自然環境研究センター
②
●
⑦ ●
●
⑧
種子を海水に漬け、付着した動植物の処理をした後、西島に蒔く(小笠原野生生物研究会)
2015 年度の助成先をご紹介します
緑とふれあいの活動助成
緑とふれあいの活動助成
『多摩川のケヤキと共生する会』青梅市多摩川流域の
ケヤキの食葉性害虫からの救済と緑陰の維持
たまあじさいの会 東京都
「親戚」という意味。都市の人々
ために、ヤノナミガタチビタマム
を呼び込みながら、共に人間らし
シの防除をする。流域 8,000 ㎡と
い暮らしのあり方を体験できる豊
高齢化で管理放棄が進む中山間
各地の野焼きの消火作業にあた
地の「豊かな里山」と「貴重な山
るボランティアは、着用したゼッ
野草」
を保全する活動。1ヘクター
ケンが焦げたり燃えたりする危険
全国草原再生ネットワーク 島根県
里山の山野草を守る会 奈良県
性がある。このゼッケンを不燃性
ルのフィールドを 12 か所に分け
に切り替えることで、現場作業の
て、4つの班で分担し、保全活動
安全性を高め、安全への意識も向
を実施しながら、保護手法の確立
を目指す。
島根県三瓶山西の原での火入れ
の様子
自主的な事業
緑とふれあいの活動助成
緑の保全と活用の研究助成
緑のための支援事業
全国の小・中・高校生を
対象に、身近な自然観察路
を絵地図と解説文で紹介し
てもらうことによって、次
代を担う子どもたちの自然
に関する意識の高揚を図る
32
ことを目的に実施しました。
第 回になる2015年
度は、小学生の部140件、
中学生の部499件、高校
40
生の部116件、計 755
品を表彰しました。
件の応募があり、 件の作
第 回を迎えた2015
年度のFGF助成は、3月
から公募を開始し、5月
日(月)に募集を締め切り
11
32
自然観察路コンクール
小学生の部最優秀賞
研究の様子
●活動助成応募内訳
緑の保全と活用の研究助成
緑の保全と活用の研究助成
対馬に生息する希少植物種を保全するための
植生回復および栽培試験に関する調査研究
サクラにおける効率的な挿し木繁殖法の確立およ
びサクラ遺伝資源の保存・管理に関する基礎研究
東浩司(京都大学大学院理学研究科)
長崎県
田中秀幸(島根大学)
島根県
対馬の林床植生は、シカの食害
サクラ遺伝資源の保存に関する
..........................................
森林を場とした活動
14 件
里山を場とした活動 ............................................. 5 件
田畑・農村環境を場とした活動 ........................ 2 件
河川・海域・池・湖沼を場とした活動 ........... 9 件
その他 ...................................................................... 4 件
技術開発。約 140 品種のサクラを
により急激に衰退している。シカ
56
ました。応募件数は、活動
シダ植物勉強会の様子
34
件、研究助成に
られる重要な知見が期待される。
90
助成に
多様性を詳細に評価することで得
究結果を広く公開する予定。
件、合計 件となりました。
ングから、遺伝的特性およびその
状確認を行い、地域還元のため研
運営委員会での審査の結
果、本年度は活動助成5件、
報が不足している絶滅危惧種の現
研究助成3件の計8件が助
通事故死した個体 68 頭のサンプリ
成対象に決定されました。
の多様性を明らかにする研究。交
る現地調査を取り入れ、とくに情
今 回、 助 成 に 選 ば れ た
方々、惜しくも選ばれなかっ
ミノクロウサギの遺伝学的特性とそ
を記録・分析する活動。市民によ
た方々に、この場をお借り
国の特別天然記念物であるアマ
岩手県内の維管束植物の分布状況
し て 御 礼 を 申 し 上 げ ま す。
絶滅危惧種や外来種を中心に、
来年度も自然環境の保全の
溝口康(明治大学農学部)
鹿児島県
ために活躍している多くの
希少動物アマミノクロウサギ保全に向けた
分子遺伝学的アプローチ
鈴木まほろ(岩手県立博物館)
岩手県
方々からのご応募をお待ち
市民調査による岩手県の植物相の研究
しています。
緑の保全と活用の研究助成
用いて挿し木を行い、品種による
排除区を設定して林床植生を回復
発根率の違いを明かにし、環境条
させ、希少種の栽培試験を行い、
件が発根に及ぼす影響を調査する。
生息域外保全のための基礎研究を
目指す。
助成事業
上することが期待される。
山野草の状況観察
緑とふれあいの活動助成
行うことで、希少植物種の保全を
2015年度、 公益信託富士
野焼きボランティアのための難燃性ゼッケン製作
フイルム・グリーンファンド(以
奈良県レッドデータブックに記載されている
自生山野草の保全と管理
下、「 FGF 」 と す る ) は、
緑とふれあいの活動助成
次の4つの事 業 を 展 開いた し
緑とふれあいの活動助成
ました。
された「大地の芸術祭」に参加し
ていた東京の学生も手伝いに加
わった
これからも自 然 環 境の保 全に
トを整備する予定。
役 立つ幅 広い事 業 を 各 方 面の
会主催の市民環境問題講演会に
は 40 名ほどの参加があった
ご協 力 をいただきながら 進め
中心とした体験・交流・散策スポッ ビオトープづくりには同地で開催
ていく所存です。一層のご支援
● 自主的な事業
① 未来のための森づくり
② 緑のための支援事業
● 助成事業
③ 緑とふれあいの活動助成
④ 緑の保全と活用の研究助成
かな村をつくる活動で、湧き水を
みで、地域住民が参加することに
をお願いいたします。
いう広範囲のケヤキを保全する試
期待される。
松代おやっこ村 新潟県
「おやっこ」とは土地の方言で
全滅が危ぶまれるケヤキ保全の
よって自然保護活動の普及啓発も
「松代おやっこ村」魅力アッププラン
神崎半島。ディアライン(シカ
摂食ライン)が見える
効率的な挿し木繁殖法の確立が期
待される。
島根大学におけるサクラ遺伝資源
●研究助成応募内訳
動物(生態系)の基礎的な調査・研究 ........ 45 件
緑地の効用・保全に関するもの ........................ 9 件
その他 ...................................................................... 2 件
「夕陽がしずむ海までの散歩道~天草西海岸白木尾地区~」
27
田中遙子(熊本県苓北町立志岐小学校6年生)
26
助成事業
(NPO法人小笠原野生生物研究会)東京都
小笠原諸島、西島の森林再生
西山裕天
小笠原野生生物研究会(以下
野生研と表記)は、世界遺産に
も登録されている小笠原諸島父
島から小型船で数十分の場所に
ある離島、
『西島』の植生回復
事業を行っている。この島は広
範囲を外来植物であるモクマオ
2014年度のFGF助成先は、
活動助成が3件、研究助成が4件でした。
活動・研究の成果をご報告していただきました。
2015 年 7 月、 播
種のため西島へ上陸
すると、発芽したテリ
ハボクが センチメー
トル程に成長しており、
これを見た参加者か
ら「植生の回復には非
常に長い時間が必要だ
が、僅かでも目に見え
る形で変化を観察する
と継続的に植生回復事
業を行う意欲が沸く」
そこで野生研では、西島の外来植物
駆除と在来植物(タコノキ、モモタマ
が海へ流出する危惧さえある。
となっており、剥き出しになった表土
ため外来草本中心の多様性に欠く草原
たものの、その後植林を行わなかった
では過去にモクマオウの伐採が行われ
懸離れた状況にある。また事業対象地
ウに覆われ、本来の小笠原の植生とは
り1回を残すのみである。
(2015
2015年 月中旬に予定している残
除は通年行い、雨季を狙っての播種も
草を包括的に行っている。外来種の駆
けとその後の管理、外来種の伐採・除
2014年 よ り 継 続 す る こ の 事 業
は、種子蒐集・育苗から、播種・植付
た。
ることを目的として当事業を行ってき
う若い世代への環境教育の場を提供す
する啓発活動を行い、特に次世代を担
待している。
全を考える足掛かりとなることを期
論、 こ の 活 動 が 小 笠 原 全 体 の 環 境 保
上、 西 島 の 植 生 回 復 を 進 め る の は 勿
心 に、ま た 時 に 公 的 機 関 と も 連 携 の
い。今 後 と も 小 笠 原 在 住 の 市 民 を 中
態系を獲得したということに他ならな
ち西島が多くの小笠原固有動植物を
原特有の林相を獲得すれば、それは即
活動でもある。
てていこうという
を1人でも多く育
事ができる子ども
意識を身に付ける
切にしようという
のような環境を大
なっている。
初の参加者は ~ 人だったが、今は
に よ る 観 察 会 な ど を 行 っ て い る。 当
皆 さ ん を 招 待 し て の 感 謝 祭、 樹 木 医
フト、カブトムシの床作り、地権者の
ムキャッチャー作り、ネイチャークラ
とふれあうお楽しみの時間だ。ドリー
整備や保全活動とは別に森の中で自然
育む受け皿となり、多様性に富んだ生
今後西島の植生が順調に回復し小笠
ナ、テリハボク等)の移植を行い、西
年 月現在)
といった感想もいただいた。
島を在来植物で構成された森林へと回
活動の内容は大
別 し て 2 つ。 1 つ
ズ」が設立され整備、保全を中心に活
探し、マイツリー選び、楠蚕(くすさ
行う。3年生の総合学習の中では、宝
をし、講師を派遣して森の中で授業を
企画内容を提案し、協力し合って準備
年度初めに学校に
案、準備、実行だ。
者 で 仲 良 く 楽 し ん で い る。 分 か れ て
た学校も対象とし、2校の児童と保護
ている。ふれあい活動は分かれていっ
がけ、印象に残る授業ができたと思っ
かし少人数の利点を生かした授業を心
マンモス校が480名弱になった。し
2015年の春、学校の分離という
局面があり、1400名の児童がいた
120~140人の人気のイベントに
動を始めた。
ん)の観察、カブトムシの飼育と観察、
ト 団 体「 愛 子 ハ グ リ ッ
は 授 業 の 企 画、 提
ゲーム中のバーチャルな世界ではな
い「森」の中で、樹木や草花、木の実、
いった学校、錦ケ丘小学校も来春から
域の4者によるサポー
動物や野鳥昆虫などの「森の生きもの
井戸掘りの5つを行った。
る森を整備する予定だ。
命と生命のつながりや畏敬を感じ、こ
ロープ漁礁とアマモによる
生態系の創出計画
山形県
は作ることができない。その上空洞が
大きく、大きな魚が住むにはいいのだ
が小さな魚は住めない。ロープ漁礁は
境を作ることができる。
ができるので、稚魚が住むには良い環
れを餌にしたり隠れ家にしたりする事
はロープに海藻やホヤ等が付いて、そ
作ることができる。また、ロープ漁礁
なるが、海藻に隠れて魚の稚魚が育っ
まみれになってロープ漁礁が見えなく
餌にする。2年目以降は、春頃に海藻
どの住処になって、それを小さな魚が
またロープ漁礁の隙間は小さなカニな
水の汚れをきれいにする効果がある。
と思っている。
やして、さらに魚を増やしていきたい
ほどになった。今後もロープ漁礁を増
これまで毎年ロープ漁礁を増やした
結果、メバルの稚魚が群れ単位で住む
魚が姿を現してにぎやかになる。
昇して海藻が無くなり、様々な魚の稚
その名の通りロープで作るので、安く
森の授業ができるように学校の隣にあ
たち」とのふれあいを通して、自分た
もう1つは親子ふれあい体験活動。
学校の子どもたちと保護者を対象に、
し た。 そ し て 学 校、 P
の森」としてスタート
解 の も と「 愛 子 子 ど も
(森の応援団愛子ハグリッズ運営委員長)宮城県
愛子子どもの森の保全と
ふれ あ い 活 動
千田初男
仙台市西部に位置する愛子小学校が
新設された2009年に、隣接する雑
木林を子どもたちの環境教育の為に使
20
ちも自然の一部であること、更には生
T A、 宮 城 教 育 大、 地
30
ている。そして、夏になると水温が上
メバルの稚魚
いたいとの申し出を受け、地権者の理
20
11
ロープ漁礁は設置すると、まずシロ
ボヤがたくさん付く。シロボヤには海
ロープ魚礁
NPO法人庄内浜を考える会
私たちの活動は、山形県酒田市の北
港で行われてきた。山形県の海は海藻
が無くなる「磯焼け」により、生きも
のが住みにくい環境になっている。そ
こで、アマモを植えて生きものの産卵
場所を作ったり、ロープで作った漁礁
を設置して、魚の稚魚が育ちやすい環
境を作ってきた。
ロープ漁礁は、普通のコンクリート
製の漁礁と違って小さいのが特徴だ。
10
2014 年度
大きい漁礁は製作費が高く、NPOで
発芽したテリハボクの稚樹
(7月撮影)
復させること、また同時に参加者に対
西島への上陸。桟橋が無いため船から岩に飛び移る
井戸掘り
28
29
楠蚕(くすさん)の観察
活動助成
活動助成
活動助成
助成事業
鹿児島県出水市における
保護ツルの臨床検査
~野生復帰羽数の増加を目指した臨床研究~
養状態、肝臓や腎臓の障
り保護個体の、貧血、栄
査を実施した。これによ
2014年度は 羽の検
施 す る 体 制 を 整 え た。
原性鳥インフルエンザウイルスに感
についても研究を進め、ツルは高病
ルに対する本ウイルスの病原性解析
染が認められた。このことから、ツ
原性鳥インフルエンザウイルスの感
制を導入し、ツルにおける各検査値
内寄生原虫が発見され、その遺伝学
た。また1羽のナベヅルから赤血球
酔前検査として有用な情報が得られ
モニタリングや、骨折治療の際の麻
度冬季において
ら、2015年
性が高いことか
度感染すると重篤な状態に陥る可能
拡大は認められないものの、ツルは一
現在のところツル間での著しい感染
染すると全身臓器に様々な病変を伴
についてのデータを蓄積すると同時
的解析ならびに感染状況把握のため
い死亡する可能性が明らかとなった。
鹿児島県出水平野には、環境省レッ
ドリスト絶滅危惧Ⅱ類に分類される
に、より効率的な治療の補助とする
の診断系の確立を進めているところ
害の程度等を把握するこ
希少動物であるナベヅルおよびマナ
ことを目的とした。
発生に注目して
~3月)
、発見された傷病ツルの保護
た、詳細な血液生化学検査について
月
ヅルが、越冬のために飛来する。鹿
査を実施する予定である。
である。2015年度も引き続き検
を実施しているが、今回の研究では
は、検体を鹿児島大学に送付して実
児島県出水市では越冬期間中(
ツル保護センターにおいて糞便検
査および血液塗抹標本観察を実施
検査(血液検査および糞便検査)体
出水市との協力のもと、ツルの臨床
(東海大学海洋学部)沖縄県
琉球列島中部域における造礁サンゴの
新規加入幼生の種多様性と遺伝学的集
団構造に関する研究
中村雅子
サンゴは、サンゴ礁生態系の基盤
を成す生物であり、その減少は、サ
が約 ~ パーセント減少している。
造礁サンゴ(以下、サンゴ)の被度
乱の影響を受け、過去数十年の間に、
サンゴ礁では、気候変動や人為的撹
「 海 の 熱 帯 雨 林 」と 呼 ば れ、海 洋
生物の約 %を育む、生物相豊かな
を捉え、集団間のつながりを推定す
で定量化し、各種の遺伝的集団構造
新規に加入した幼サンゴを種レベル
候変動の影響を正しく評価するには、
その第一歩となる。また、今後の気
量の時空間変動を定量化することは、
とが不可欠であり、サンゴ幼生加入
維持・回復機構を適切に評価するこ
を目指している。
間の遺伝的構造を明らかにすること
幼生の種多様性を定量化し、個体群
リイシ属サンゴを対象に、新規加入
そこで本研究では、琉球列島沿岸
域サンゴ群集の主構成者であるミド
礁生態系の保全には、サンゴ群集の
ンゴ礁に生息する生物種の多様性の
現在までに、琉球列島中部海域(沖
検査を実施する
象として、人工幼生付着基盤を設置
縄本島、慶良間諸島、久米島)を対
し、新規加入したミドリイシ属の幼
ドリイシ属サンゴから作られた分子
サンゴを採取した。石垣島沿岸のミ
ゴの種同定を試みたが、確実に種が
マーカーを用いて、採取した幼サン
同定できたのは、一種のみであった。
今後は、琉球列島中部海域のミドリ
イシ属サンゴの種同定を可能とする
分子マーカーの開発を目指すととも
琉球列島中
に、同定が可能であった種について、
部海域にお
集団構造を
ける遺伝的
明らかにし
ていく。
する。昨シーズの画像からの同定は
る必要がある。
オイを、早咲きのオオバカンアオイ
台のカメラでイン
奄 美 大 島 は、 九 州 南 端 か ら 与 那
国島までの南北に延びる南西諸島
判明したが、その送粉生物は未知だ。
いる。これらの島内の分布は、概ね
にも分類されるほど、分化を遂げて
比べると、小さな地域の中で8種類
バッテリー
するわけだ。
度 チェック
できる。撮影中、毎回9000枚程
で一台当たり平均900枚近く撮影
に通い交換
で、 毎 日 山
い。一方、災害の発生から
付品目・出荷先などの営農状況の変
ワークの変化、農地の利用形態・作
人々は、宮城県だけでも2万2864
復興・発展している。
らびに農業関係者に対する聞き取り
査の結果をもとに作成した郵送アン
調査を行った。さらに、聞き取り調
日現在)に上り、人々の生
貴 重 な 基 礎 デ ー タ と な る。 今 後 は、
域の長期的な復興の過程を追う上で、
報は、大規模な災害に見舞われた地
今回仙台市ならびに島原市・南島
原市で収集した個別農家の詳細な情
定である。
ケート調査の結果をまとめていく予
作るための捕獲法も考えている。
訪花生物を採取してサンプル標本を
ないか検討中だ。また今シーズンは
ズンは、もっと鮮明な画像が得られ
の割には鮮明な画像が少なく、今シー
未だ完全にできていないが、撮影数
体を、準備した
フジノカンアオイと順次開花する個
から始めて、トリガミネカンアオイ、
減少などを招く。そのため、サンゴ
奄美諸島における希少野生植物の
繁殖に関する生物相の基礎的研究
を特定するという方法を考えた。
ターバル撮影し、画像から送粉生物
1200キロメートルの中琉球と呼
以前からの研究で、双翅目の昆虫が
影で消費し
は一度 の 撮
鹿児島県
ばれる位置にあり、奄美群島の中心
有力な候補であることは判ったのだ
前田芳之
となる国内2番目の面積を持つ島だ。
が、種の特定はできなかった。
今回の研究はその種を特定するの
が目的だ。分布域を調査して開花株
トワークが有効かを検討する。
るには、どのような支援や人的ネッ
復旧・保全し、復興に向けて活用す
生後、破壊された地域の農業資源を
比較することで、大規模な災害の発
を探し、位置確認をした各種カンア
てしまうの
今、自然遺産登録の候補にも挙げら
観山恵理子
過した長崎県雲仙普賢岳噴火災害の
化をみる。
仙台市の同じ地点で5年後、 年後
具体的には、地理情報や統計デー
タ と いっ た 二 次 資 料 の 分 析 に 加 え
2011年、主に東北地方から関
東地方にかけて甚大な被害を発生さ
被災地でも、宮城県の津波被災地と
て、アンケート調査と聞き取り調査
せた 東 日 本 大 震 災 が 発 生 してから、
同じように、家屋や田畑を流失・焼
これまでに、関連する文献や統計
資 料 を 収 集 す る と と も に、仙 台 市、
(東京大学大学院新領域創成科学研究科)
間もなく5年が経過しようとしてい
失し、長期間の避難生活を強いられ
長 崎 県 島 原 市・ 南 島 原 市 で 農 家 な
のデータを整備し、被災地を継続的
る。津波で家屋や田畑の多くが流出
た 農 家 が 多 い。 し か し、 現 在 で は、
避難中・帰農後の人々の人的ネット
した宮城県沿岸部の被災地では、農
長崎県内でも有数の農業地域として
を用い、復興の過程における、被災前・
仮設住宅などの一時的な住居に住む
地の復旧作業が進んでいる。しかし、
年 が経
東日本大震災の津波被災
地における地域農業資源
の保全に関する実証研究
私たちの研究対象としているカン
アオイという植物も国内の他地域に
動植物が多く残されている。
れている通り、島独自の分化をした
秒ごとの撮影では私たちの使用機材
10
フジノカンアオイ(慈和岳)
本研究では、災害発生から経過し
た時間が異なるこれら2つの地域を
年9月
ツルの赤血球内に認めら
れた赤血球内寄生原虫
人工幼生付着基盤に加
入したミドリイシ属の
幼サンゴ
11
戸、5万1364人(平成2015
24
い。
ていきた
らかにし
のかを明
的である
上で効果
保全する
の暮らしを守り、地域の農業資源を
発生した時に、どのような支援が人々
にみていくことで、大規模な災害が
10
火砕流の跡が残る普賢岳のふも
とに広がるハウス園芸地帯(長
崎県島原市 2014 年 9 月撮影)
25
80
も本ウイルスの
す る た め の 顕 微 鏡 を 導 入 し た。 ま
とが可能となり、治療の
琉球列島中部海域の調査地の様子
予定である。
(鹿児島大学共同獣医学部)鹿児島県
10
一方、2014年度は計6羽の保
護あるいは死亡ツルにおいて、高病
松鵜彩
マナヅルの外貌
活が完全に復旧しているとは言えな
平成 23 年の東日本大震災
後に設立された農業法人で
の共同作業(宮城県仙台市
若林区 2015 年 4 月撮影)
トリガミネカンアオイの撮影状況
(ヤンマ川上流)
10
50
30
30
31
研究助成
研究助成
研究助成
研究助成
FGF 助成対象
2013 年度 研究助成地からの報告
増田川と周辺の生きものたち
『増田川と周辺の生きものたち』
2014年 月
里 山、 田 園、 市 街 地、 潟 湖、 砂 浜
地に源を発し外洋に流れ出るまで、
の 目 的 を 話 し 合 っ た。 市 内 の 丘 陵
ま ず、 動 植 物 に つ い て の 専 門 性
を持つ仲間に声を掛けマップ作り
行動を開始した。
のマップ」をつくることを企画し
域の河川を知るための資料として
高校、公民館で教材として、また地
2000部のマップは流域の小中
は 多 く の 人 を 魅 了 し、 配 布 さ れ た
に描かれた幕田晶子氏のイラスト
2014年
の 収 集・ 分 析 と 現 地 取 材 を 重 ね、
ま た 8 月、 増 田 西 公 民 館 で は 地 域
親 近 感 を 深 め る 役 割 を 果 た し た。
が受講者に身近な河川への知識と
観点から解説し、
「生きものマップ」
では筆者が増田川を生物多様性の
2 0 1 5 年 4 月、 増 田 公 民 館 の
高 齢 者 を 対 象 と し た「 蛍 雪 学 級 」
(増田川流域マップ制作実行委員会)宮城県
震災直後の増田川にサケの遡上
を 見 た こ と が「 流 域 マ ッ プ 」 づ く
と、 増 田 川 流 域 の 変 化 に 富 ん だ 環
活用されることとなった。
大橋信彦
り の 動 機 と な っ た。 そ れ ま で も、
境とそこに生きる多種多様な生き
流域連携につながった!
イ ラ ス ト に よ る 海 岸 地 域 の「 生 き
も の た ち に 注 目 し て、
月、
『増田川と周辺の
も の マ ッ プ 」 づ く り を 通 し て、 優
完成
れたイラストが多くの人に感銘を
“生態系や生物多様性を
を テ ー マ と し、 そ の よ
うな視点から震災復興
と流域連携を考えるた
めの一助とすることを
マップづくりの目的と
した。
幸いFGFの助成申
請 に 採 用 さ れ、 そ れ を
活かした北海道の視察
に お い て は、 サ ケ の 自
然産卵促進の動きや市
民による魚道づくりの
実態を学ぶことができ
た。 そ の 後、 名 取 市 の
協 力 も 得 な が ら、 資 料
生 き も の た ち 』は 完 成 し た。 そ こ
魚種の解説(増田川ガサガサ体験会)
「 め ぐ る 水 」 と 「 め ぐ る い の ち 」 幕 田 晶 子 め多くの生きものたちがすんで
の あ る と こ ろ に は、 ヒ ト を は じ
恩 恵 で あ り、 脅 威 で も あ る。 水
く り、 田 ん ぼ を 潤 す。 大 い な る
が 川 の 流 れ と な っ て、 湖 沼 を つ
わ っ て き た。 山 に 降 っ た 雨 や 雪
ものたちの種類も少しずつ変
いつの間にかあんなに暑かっ
た 夏 も 終 わ り、 川 辺 に 集 う 生 き
の ち 」 を 感 じ な が ら、 新 し い 季
こ の「 め ぐ る 水 」 と「 め ぐ る い
を降らせてまた川に戻ってくる。
に 暖 め ら れ て 雲 に な り、 雨 や 雪
川 の 水 は や が て 海 へ 流 れ、 太 陽
然のなせる技は本当に感動的だ。
も 同 じ も の は ひ と つ と な い。 自
が あ り、 川 の 水 で 洗 わ れ た 小 石
そ の 種 類 の 数 だ け「 違 う 緑 色 」
と 片 づ け ら れ て し ま う 植 物 も、
を ま と っ て い る。 一 言 で「 緑 」
い る。 生 き も の た ち は、 そ れ ぞ
節を迎えようと思う。
組の親子が、“川の生き
は、 わ た し た ち が マ ッ プ づ く り の
と 申 し 入 れ て き た。 こ の で き ご と
公民館の実践に学び「交流したい」
それを知った他の公民館が増田西
かけをつくったのだった。さらに、
田川生きものマップ」がそのきっ
同で行うところに意義があり、
「増
探 り、 そ れ を 掘 り 下 げ る 作 業 を 共
では受講者が自らの地域の魅力を
わ れ、 大 き な 成 果 を 上 げ た。 こ こ
域力向上講座」の実践編として行
増 田 西 公 民 館 の こ の 試 み は、 昨
年から数回にわたって開かれた「地
れたプログラムを存分に楽しんだ。
さ 舟 づ く り ” な ど、 周 到 に 準 備 さ
もの探し”や“手づくり筏乗り”、“さ
そこでは
体験会」というイベントを催した。
住 民 と 連 携 し て「 増 田 川 ガ サ ガ サ
与えることを知っていたわたしは、
活かした持続可能な地
目的とした流域連携がこのような
形で実現しようとしていることの
現れ と 喜 び た い 。
域社会へのアプローチ”
そ の 手 法 に よ る「 増 田 川 の 生 き も
増田川上流の十文字橋周辺
カヌー体験(増田川ガサガサ体験会)
河畔林づくりがスタート
れの生活環境に合った素晴らし
「増田川ガサガサ体験会」
2015 年8月9日
10
い 身 体 的 機 能 を 持 ち、 美 し い 色
13
ウナギが穫れた!
そ し て ま た 月、 流 域 の 高 舘 小
学 校 で は「 増 田 川 河 畔 林 づ く り 」
が ス タ ー ト す る。 こ れ は サ ケ が 遡
上する川の傍に地域の樹木の苗を
植 え、 生 き も の た ち の“ 命 の つ な
がり”を学ぶ環境学習の一環とし
て の 取 り 組 み で あ る。 こ れ ら の 活
動 が“ 持 続 可 能 な 地 域 社 会 づ く り ”
に 結 び つ く か 否 か は、 地 域 の 人 た
ちの思いと行動力に待つこととな
るが、『増田川と周辺の生きものた
ち』がそのきっかけをつくったこ
と は 間 違 い な い と 自 負 し て い る。
震災復興への道のりは遠いが生き
も の た ち は 確 実 に 甦 り、 わ た し た
ち に 希 望 と 勇 気 を 与 え て く れ た。
最 後 に、 素 晴 ら し い イ ラ ス ト を 提
供してくれた幕田晶子氏の言葉を
紹介 し よ う 。
増田川中流の田園地帯
遡上したサケ(十文字橋下)
増田川の生きものマップ
32
33
10
10
FGF助成一覧
※ 団体名・所属名等は助成当時のものです。
149 件のFGF助成先をご紹介いたします。
●1984 年度
● 1994 年度
● 2005 年度
● 2012 年度
46 ジュンサイ再生保全活動による緑と生きものの復元
47 子供達と水生生物との共生をめざす湿地「たんぼ
水族館」の保全と利用に関する研究
48 あなたにも出来る保全生物学
「
市民による絶滅危惧植物の保全研究のマニュアル
づくり」
84 研究者と市民の協働による里山の生物多様性保全
のための活動及び調査
85 田舎暮らしグラウンドワーク・ウスイロヒョウモンモ
ドキの舞う蒜山高原自然再生事業
86 瀬戸内海の干潟における貝類を中心とした環境指
標生物の探索
87 環境教育機能を備えた学校林の生態管理システム
の構築
121 大人も子どもも谷戸で楽しく自然体験
122 伝統的循環型農業の復活と自然素材を活かした古
民家再生によるツシマヤマネコと共生する村づくり
123 多摩川における外来魚調査及び外来種問題啓発活動
124 ラムサール条約登録湿地・伊豆沼・内沼の食物網
における放射性物質の濃縮の評価
125 大分県指定天然記念物カマエカズラの繁殖生態と
保全に関する研究
126 野生鳥獣の放射能汚染が狩猟者の捕獲活動に与え
る影響
1 オオムラサキの森づくり
2 自然を守り生かす青少年の森づくり
3 社寺林の保全・管理に関する法学的研究
4 リスのいる森づくり
● 1985 年度
5 子供たちのフォレスト・ファーミング
6 屋敷林の保全と活用
7 明神地域の保全・活用に関する生態的研究
8 知床の大型野生動物の生態と自然教育への活用に
関する研究
● 1986 年度
9 自然と芸術の森づくり
10 ドングリ一粒運動による広葉樹林の育成
11 歴史的居住環境の保全と利活用に関する研究
12 伝統的な人里環境の生態学的研究
● 1987 年度
13 ギフチョウが舞いサギ草の咲き乱れるコウヤマキの
森づくり
14 自然史博物館「嵐山自然と文化の森」の保全と活
用
15 自然の宝庫・桶ヶ谷沼を生かしたまちづくり
16 飛騨山脈の自然生態調査と一般登山活動での自然
学習のあり方
17 緑と人間の親和性を高める環境絵本づくり
●1988 年度
● 1995 年度
49 筑波山に炭焼きの里づくり
50 コアジサシの生態調査及び保護運動と水辺環境の復元
51 生活光とホタルの共存について
52 オオサンショウウオの生息状況調査
● 1996 年度
53 市民参加型緑地保全活動の実践及び推進
54「新タンポポ地図」の作成とその環境教育への応用
55 高知県宇佐竜蟹ヶ池における水湿植物の保全に関
する生態学的研究
56 学校緑地にビオトープを導入するための基礎的研究
● 1997 年度
57 里道の修復による赤目の里山の保全
58 手作りの湿地や水辺の復元運動
59 多摩ニュータウン 19 住区の農業公園化構想
60 岡山県内の水草の種類と分布、その環境に関する
研究およびミズアオイの保護活動
● 1998 年度
● 1989 年度
61「体験の森づくり」活動
62 草原・里山の維持管理技術の啓発と実践による半
自然植生の保全
63 森林活動による精神発達障害者の療育効果に関す
る研究
64 小動物の利用環境として都市残存林を評価する手
法の研究と生態ガイドブックの作成
65 農業体験教室「草の根農業小学校」の運営
66 絶滅危惧植物ガシャモクの保全生物学的研究
67 ニホンザリガニの分布・生息環境とその保全に関
する研究
18「いろりの里」生活原体験及び自然観察会
19 雑木山から生活文化を問い直す
20 野外博物館「山の子村」の保全と活用
21「市民による雑木林の保全・管理」のテキストづくり
22 神社の社叢における神樹の調査研究
23 寒風山「風雪の森」づくり
24 花いっぱい鳥いっぱいの森づくり
25 荒廃したサンゴ礁を復元するサンゴ移植活動
26 トロッコ道に見る霧島連山百年の変遷について
27 裏磐梯湖沼の生態と自然保護教育への活用に関す
る研究
● 1990 年度
28「望ヶ原天然林」を生かした自然に親しむ活動
29 見沼カムバックふるさとプラン
30「帯広の森」野生動物とのふれあいの場づくり
31 イトウのすめる森づくり
32 ホタルの生息する人里の水系環境保全と人間活動
の調和
● 1991 年度
33 奥球磨山地に「人間の森」をつくる
34 ネイチャートレイルの設置活動から村の自然のサン
クチュアリー化運動へ
35 谷津干潟保全対策の研究
36 糸島地方の自然解明とその保護及び一般への啓蒙
● 1992 年度
37 農山村エコミュージアムづくりによる都市・農山村
の交流
38 紀伊半島沿岸におけるウミガメの調査及び保護活
動
39 御前・釈迦岳ブナ・シオジ林の自然とその保全につ
いて
40 湧水に生息する生物の生態研究
● 1993 年度
41 森は海の恋人
42 森・人・生きもの・地球を緑の輪で結ぶ京都大原
野の体験森づくり
43 坪井川遊水池における生態系の復元
44 十津川村地方における伝統的養蜂の調査研究
45 宮古諸島におけるサシバと緑と人間の親和性を高
めるための基礎研究
35
● 1999 年度
● 2000 年度
68 野尻湖における水草帯の復元と環境教育
69 スノーケリングによる藻場・海中林及びアマモ場を
主体とした海中自然観察会
70 豊かな里山を次世代に残すために
● 2001 年度
71 大町グランドワークによる上原ビオトープ創出事業
72 えひめあやめ指定地その周辺里山整備計画
73 市街地緑地の種の保存と供給機能の研究
● 2002 年度
74 有明海および島原湾の底生生物データベース作成
75 多摩川中流域河床の「地層の野外観察」用の観察
路と支援システムの構築
● 2003 年度
76 林業スクール
77「やまんばの森」の「春の女神」保護活動
78 東京都府中市立南白糸台小学校
「
水色の学校プロジェクト」
79 沖縄県、慶良間諸島にみられる貴重な森林生態系
の持続的保全と活用
● 2004 年度
80 子供達とヤマネの巣箱製作、設置、生態と生息す
る森林生態系の観察と記録
81 霧多布湿原ファンづくりのための木道修復活動
82 金沢市とその近郊の農業用水の生物多様性維持機
能を高めるための基礎的研究
83 桂川・相模川水系におけるシジミ類の生息調査及
び在来種マシジミの保存に向けた繁殖実験
● 2006 年度
88 小網代の森保全推進のためのパトロール活動
89 里山と共に育つ学校の森づくり
—里山が育つ、里山と育つ、里山から育つ—
90 名古屋周辺における外来カメ類の現状調査と在来
カメ類の保護・保全活動
91 水田におけるゲンゴロウ幼虫の保全に関する野外
調査研究
● 2007 年度
92 赤とんぼ全国調査
93 ニッポンバラタナゴを救う伝統的農業水管理法「ド
ビ流し」の効果
94 日本におけるカキ礁生態系の研究と保全
95 都市的環境で在来種が外来種に駆逐される要因の
解明
● 2008 年度
96 公園管理と蛍の養殖
97 湖北野田沼内湖の再生で動き出す琵琶湖のいのち
プロジェクト
98 身近な地域・自然を学ぶ環境学習の教材化とプロ
グラムの構築
99 ヒサカキの種子散布にかかわる生物間相互作用が
三宅島の森林生態系回復に果たす役割
100 筑後川の支川・小石原川におけるアカザの生態
101 重タデ原・坊ガツル湿原における火入れによる土壌
環境改変の実態とその効果の検証
102 休耕田を利用した湿生植物群落の回復
● 2009 年度
103 遊んで学ぶ里山体験
104 栗山鳥の下自然公園・ムクロジの里ステップアップ
事業
105 カンキョウカジカの生態研究とその保護対策について
106 奄美大島湯湾岳の野生絶滅植物リュウキュウアセ
ビの復元に向けた遺伝解析
107 秋吉台の絶滅危惧植物の保護に向けたゾーニング
のための基礎研究
108 中央アルプス山麓の里山に生息する絶滅危惧種ミ
ヤマシジミとヒメシジミの保全に関する研究
109 京都・平安神宮内の池に生息するイチモンジタナゴ
の保護
●2011年度
116 高校生・若者による埼玉県小川町での里山づくりと
環境教育活動
117 MY 大嵐山方式(会員ボランティア)による大嵐山
の自然環境保全運動の仕組みづくり
118 牛耕復活による里山のたたずまい再生
119「干潟生物の市民調査」手法による八代海のベント
ス相調査
120 東北太平洋沖地震津波による蒲生干潟周辺域の被
害現況調査と海浜性生物の再定着プロセスの解明
小笠原諸島、西島の森林再生
3次元GISモデルを用いた八王子
滝山里山保全地域の環境モニタリン
グ活動
127
● NPO 法人自然環境アカデミー
●東京都 ● 150 万円
●早稲田大学社会医学研究室
●埼玉県 ● 40 万円
135
136
●柳井清治 ( 石川県立大学
環境科学科 )
●石川県 ● 103 万円
138
139
134
●松鵜 彩(鹿児島大学
共同獣医学部)
●鹿児島県● 85 万円
野焼きボランティアのため
の難燃性ゼッケン製作
●全国草原再生ネットワーク
●島根県 ● 30 万円
145
市民調査による岩手県の
植物相の研究
●中村雅子(沖縄科学技術
大学院大学)
●沖縄県● 200 万円
●鈴木まほろ
(岩手県立博物館)
●岩手県● 95 万円
146
希少動物アマミノクロウ
サギ保全に向けた分子遺
伝学的アプローチ
奄美諸島における希少野
生植物の繁殖に関する生
物相の基礎的研究
●目黒文子 ( 環境 NGO カピウ )
●北海道● 53.8 万円
140
●前田芳之
●鹿児島県● 190 万円
147
東日本大震災の津波被災
地における地域農業資源
の保全に関する実証研究
育実践の総合的調査~
●野田恵 ( 東京農工大学農学部 )
●東京都 ● 110 万円
141
「震災後の増田川から持続可能な地
域社会へのアプローチ」
144
琉球列島中部域における造礁
サンゴの新規加入幼生の種多
様性と遺伝学的集団構造に関
する研究
身近な自然体験の教育的効果の
検証 ~多摩市内の里山環境を生かした教
133
●里山の山野草を守る会
●奈良県 ● 55 万円
鹿児島県出水市における保
護ツルの臨床検査
-野生復帰羽数の増加を目
指した臨床研究-
北海道平野部における野生生物
による防風林の利用状況に関す
る研究
132
奈良県レッドデータブックに
記載されている自生山野草の
保全と管理
●NPO法人庄内浜を考える会
●山形県● 45 万円
石川県沿岸に生息する絶滅危惧種イ
カリモンハンミョウの生態解明と保
全対策の検討
131
143
137
● NPO アジア職業エコガイド・
ウォーキング指導者協会
●福島県 ● 58 万円
●松代おやっこ村
●新潟県 ● 140 万円
ロープ魚礁とアマモによる
生態系の創出活動
「家族で学ぼう 福島環境教育エ
コツアー」開催事業
●たまあじさいの会
●東京都 ● 120 万円
「松代おやっこ村」
魅力アッププラン
●森の応援団愛子ハグリッズ
●宮城県● 30 万円
● NPO 法人屋久島うみがめ館
●鹿児島県 ● 85 万円
130
142
愛子子どもの森の保全と
ふれあい活動
来浜者の踏圧がウミガメのふ化に
及ぼす影響についての調査
129
『多摩川のケヤキと共生
する会』青梅市多摩川流
域のケヤキの食葉性害虫
からの救済と緑陰の維持
●NPO法人小笠原野生生物研究会
●東京都
● 100 万円
日本に留学している大学生の中山
間地域における日本文化体験プロ
グラム
128
● 2015 年度
● 2014 年度
● 2013 年度
● 2010 年度
110 参加型フットパス・ツーリズムの振興による棚田・
里山環境の保全とその活用
111 生駒市西畑地区の棚田・里山の再生と創造
112 スナメリから見つめる瀬戸内海
113 福岡市室見川におけるシロウオの産卵環境の解明
と住民参加型の保全活動について
114 琵琶湖固有亜種とされるビワマスにおける遺伝的
多様性の変化
115 昆虫類を指標とした都市近郊の里山の生物多様性
評価手法に関する研究
マナヅル(2014 年度研究助成:鹿児島県出水市における保護ツルの臨床検査)
●観山恵理子(東北大学大
学院)
●宮城県● 190 万円
~丘陵地から津波にのみ込まれた河口まで
の身近な自然を見つめ直す~
●大橋信彦
●宮城県 ● 80 万円
148
●溝口 康(明治大学農学部)
●鹿児島県 ● 160 万円
対馬に生息する希少植物種を
保全するための植生回復およ
び栽培試験に関する調査研究
●東 浩司(京都大学大学院
理学研究科)
●長崎県 ● 110 万円
サクラにおける効率的な
挿し木繁殖法の確立およ
びサクラ遺伝資源の保存
・管理に関する基礎研究
149
●田中 秀幸(島根大学)
●島根県 ● 130 万円
ビオトープづくり(2015 年度活動助成:
「松代おやっこ村」
魅力アッププラン)
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