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『アンドレーアス』と『魔の山』における 「師弟関係」の諸相

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『アンドレーアス』と『魔の山』における 「師弟関係」の諸相
『アンドレーアス』と『魔の山』における
「師弟関係」の諸相
土
合
文 夫
1
フーゴー・フォン・ホーフマンスタール(Hugo von Hofmannsthal 1874-1929)の唯一の
長 編 小 説 の 試 み『ア ン ド レ ー ア ス 素 晴 ら し い 女 友 達』( Andreas Die wunderbare
Freundin )は、とりあえずの完成稿として残された部
執筆された後、後続部
が 1912年から翌 13年にかけて
の構想が断続的に立てられながらもついに 1929年の著者の急死
によって未完のままにとどまり、一方、第一次大戦前夜を時代背景に持つトーマス・マン
(Thomas Mann 1875-1955)中期の代表作『魔の山』( Der Zauberberg )は、大戦の敗北
による混乱期に構想され、ワイマール体制の不安定な政治的基盤にもかかわらず、ドイツ
社会が一定の落ち着きを取り戻した 1924年に発表されている。構想・執筆の時期が大きく
重なり合っていることもさることながら、この二作を結びつけるのは、両者がともに、ド
イツ文学の伝統的な一形式と言ってもよい「教養小説(Bildungsroman)」の系譜に連な
る作品であり、著者もそのことを明瞭に自覚しながら執筆に臨んでいるという事実であ
る。
ドイツ教養小説は、16、17世紀スペインの「ピカレスク・ロマン」
(novela picaresca)な
どを先例として、また、グリメルスハウゼン(H. J. Christoffel von Grimmelshausen
c.1622-76)の『阿呆物語』( Der abenteuerliche Simplizissimus 1683/84)などのドイツ語
圏文学における先
に従いながら、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』
( Wilhelm M eisters Lehrjahre 1795/96)によって、ドイツ文学を特徴付ける形式・伝統
の一つとして確立されたとされる 。この場合の「教養」
(Bildung)とは、しばしばこの日
本語訳から誤解されるような単なる「基本的な知識の集積」というような意味合いからは
ほど遠く、若く無垢な主人
が、社会の中で他者との出会いや様々な経験を通り抜けなが
ら自立した自己を形成(sich bilden)してゆく様を描くことが、 教養小説」の主たる枠組
みとなる。その意味で、 教養小説」は現在に至るまで無数に書き継がれてきた、いわゆ
る「青春小説」の一変形と見ることもできるだろう。だが、ドイツの「教養小説」を特徴
付けるのは、その関心が単なる青春のエピソードを描くことに集中されるのではなく、む
しろ、主人 の閲する体験がその人格にいかなる変容と発展をもたらすのかを主たる関心
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『アンドレーアス』と『魔の山』における「師弟関係」の諸相
事とすることであり、また、主人 の体験が日常的な場に限定されず、多くは日常を離れ
た旅と不可
の関係に置かれていることにある。この側面から見れば、 教養小説」は
「旅の小説」あるいは「遍歴の小説」であるということもできよう 。
さらに、 教養小説」が主人
の人格の変容と完成を描くとすれば、それを促す重大な
他者との出会い、とりわけ、いまだ未熟な主人 にあるべき道を指し示すべき導き手の存
在が大きな比重を占めることになろう。この意味で「教養小説」は多くの場合「師弟関
係」を重要な契機として持つことにもなる。
旅の小説」
、 師弟関係の小説」というこのような「教養小説」の条件を、
『アンドレー
アス』
、『魔の山』の二作はともに完全に満たしている。 旅」の主な舞台として設定され
るのは、
『アンドレーアス』の場合は、ウィーンからイタリアへ向う途上のケルンテンの
山村と最終的な目的地であるヴェネツィアであり、
『魔の山』では、主人 ハンス・カスト
ルプが結核に罹った従兄を見舞う、スイスの療養地ダボスである。また、前者において主
人 の導師の役割を果たすのは、ヴェネツィアで出会うマルタ騎士修道会士サクラモゾー
であり、後者においては、主人 を自
師」
の影響下に引き込もうとする二人の「押し掛け導
イタリア人のセテムブリーニとユダヤ人のナフタ
が、彼を巡って張り合うこ
ととなる。
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イギリスの批評家ジョージ・スタイナー(George Steiner 1929-)は、古代ギリシアから
現代ヨーロッパに至る文学
、哲学 の中に例証を求めながら師弟関係の様々な姿を追っ
た近著『師の教え』
( Lessons of the Masters 2003)の冒頭で、師弟関係に見られる三つ
の基本的な類型を挙げている。
単純化して言えば、三つの主なシナリオ、もしくは関係の構図を描くことができる。
(第一は)師が弟子を心理的に、さらに、稀な場合ではあるが、肉体的にも破壊してし
まう場合。師は弟子の精神を打ち壊し、彼らの希望を焼き尽くし、その自立性と人格
を奪い去ってしまう。魂の領域にも吸血鬼が住んでいるのだ。(第二に)それとは対照
的に、弟子や生徒、徒弟が彼らの師の支配を覆し、師を裏切って破滅させてしまう場
合が えられる。ここでも、師弟の間で演じられるドラマは、精神的な意味と同時に
肉体的な側面を併せ持つ。選任されたばかりの新講師ワーグナーは、かつての師であ
り、今は死に近いファウストを、勝ち誇ったようににべもなくはねつけようとするの
である。第三は、師と弟子たちとの間に、相互的な贈与、互いの信頼に基づいたエロ
ス、さらには愛(最後の晩 における「愛する弟子たち」の姿を思い浮かべてほしい)
が支配する場合である。師と弟子たちとの相互作用、相互浸透の過程で、師は、弟子
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『アンドレーアス』と『魔の山』における「師弟関係」の諸相
たちに教えつつ、弟子たちから学ぶのである。濃密な対話が高次の意味における友情
を生み出す。そこには明察とともに、愛にともなう不条理が参与する場合もありう
る。アルキビアデスとソクラテス、エロイーズとアベラール、アレントとハイデガー
の場合を えてみればよい。師を越えて生き びることは不可能だと感じる弟子たち
がいるのである。
『アンドレーアス』と『魔の山』に現われる師弟関係が、このスタイナーの要を得た定
式にどの程度該当し、またどの点でそれから逸脱するのかは後に見てゆきたいが、主人
の人格の完成を目指す「教養小説」にあっては、師との関係がいかなるものであれ、師か
ら受け取るべきものを摂取したのちには、師からの自立、師からの別れがあらかじめ定め
られていることは付言しておかなければならない。それは、そもそも、師弟関係そのもの
の宿命とも言えるものであり、スタイナーの三様の図式もおそらくは師弟の最終的な別離
を暗黙の前提にしているものと思われる。そして、その「最終的な別離」が、年長である
師との死別によってもたらされる蓋然性が高いことは言うまでもない。
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『アンドレーアス』の時代は 18世紀中葉、マリア・テレジアの治世に設定されている。
ウィーンの下層貴族の一人息子である 22歳の主人
アンドレーアス・フォン・フェルシェ
ンゲルダーが、多 に親の虚栄心によって、当時の貴族の師弟に半ば義務として課せられ
ていた「教養の旅」 のためにイタリアへ旅立ち、途上のケルンテン地方の村と、目的地
のヴェネツィアで、決定的な出会いを経験する、というのが、この小説のおおよその構図
である。
完成稿は、ヴェネツィアに到着したアンドレーアスが零落した貴族の館の一室を借りて
旅装を解き、両親へ到着を報告する手紙を書きながら、イタリアに至る途上のケルンテン
山中での苦く、かつ甘美な体験を回想する形で始められる。苦い体験とは、フィラハの旅
籠で彼が雇い入れざるを得なくなった厚顔無恥で好色な押し掛け従者ゴットヒルフ
(Gotthilf=「神の助け」 )にかかわるものである。彼は一夜の宿を借りたケルンテン山中
のフィナッツァー家の館で深夜に下女に暴行を働こうとし、騒がれた末に火を放って逃走
するが、彼からアンドレーアスが無理やり買わされた馬がこの家から盗まれたものである
ことも発覚し、若く、未だ世間を知らない主人を二重、三重に苦境に追い込む。これと対
比的な甘美な体験は、人を疑うことを未だ知らず、初対面のアンドレーアスにためらいも
なく心を開くフィナッツァー家の清純な一人娘ロマーナとの、淡く、しかし甘美で決定的
な出会いである 。
ゴットヒルフによって与えられた屈辱とロマーナとの「天国的な」体験に引き裂かれる
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『アンドレーアス』と『魔の山』における「師弟関係」の諸相
思いでアンドレーアスがたどり着いたのは、凛とした輪郭を備えたケルンテン山中の村と
は対照的な、水の上に浮かぶ虚構の町、現実と非現実が じり合う夢幻の町ヴェネツィア
だった 。この町のありようを象徴するかのように、主人 の宿主となった貴族の一家の
主が、困窮した家計の一助にと、自 の娘を富籤の賞品に平然と提供することになってい
ることを知って、アンドレーアスはケルンテンでの体験とのあまりの落差に驚かざるを得
ない。このようなヴェネツィアの町で、主人 は、彼の師となるべきサクラモゾーと偶然
のきっかけから知り合うことになる。
アンドレーアスはほとんど聞いてはいなかった。それほど、手紙を書いている紳士の
姿に心を奪われていたのである。…その姿勢は苦しげで、ほとんど滑稽と言えるほど
だった。だが、この苦しげな様子、そして、彼がそれに耐え、それに打ち勝ち、それ
を意識しなくなっていることほど、彼の本質を見事に示しているものはなかった。
ヴェネツィアでの重要な出会いはこれにとどまらない。迷路のようなヴェネツィアの小
路をさまよって行くうちに偶然入り込んだ小さな教会の中で、アンドレーアスは「肉体の
病気か魂の病気に苦しみ、ここで祈って苦しみの慰藉を求めている 」と見える若い女性
とまなざしを わす。彼女の祈りを乱すまいと静かにその場を立ち去ろうとして振り返っ
たときに、彼女のいたその場所に彼が見たのは、悲哀に沈んだ前の女性とは似ても似つか
ない、猛々しく挑発的な表情を浮かべた別の女だった。混乱した思いで宿に帰ったアンド
レーアスがことの真相を確かめようと再び教会を訪れ、誰の姿も認めることができずに空
しく引き返すところで、完成稿は終わっている。
残された部 のみでもトルソとしての魅力を十二 に備えたこの作品をホーフマンスタ
ールは決して放棄することはなかったが、20世紀を代表する一つになるはずだったこの
教養小説は、彼の死によって、数種類の詳細なメモを残したのみで、未完のままにとどま
ることになった。
遺稿部
は、その大部
が、ヴェネツィアにおけるアンドレーアスの「教養(=自己形
成)」の過程にかかわるものだが、それは主人
の導師の役目を果たすサクラモゾー、そ
して、主人 が教会で出会った女、すなわち伯爵夫人マリア、それに、主人 との邂逅を
きっかけに彼女の中に出現した対照的な人格マリキータの三人(マリア=マリキータを二
つの人格として算入するとすれば)を軸として展開されるはずであった 。未だ確たる自
己を持ち得ないアンドレーアスが、高い精神性を窺わせながらも、深い絶望を内に秘め、
しかもそれを意志の力によって制御し得ている 40歳のマルタ会士に強く引き付けられる
のは必然と言える。同時に、人間のあらゆる運命に鋭敏に反応せざるを得ないアンドレー
アス( 他者の運命の幾何学的場」 )は、同一の女性の極端な二面性を体現するマリアと
マリキータに、ともに強く心を引かれてゆく。サクラモゾーはマリアの悩みを同時に自
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『アンドレーアス』と『魔の山』における「師弟関係」の諸相
自身の苦しみとし、彼女の救済を己の至上の義務としているが(それは当然マリアに対す
る愛情と表裏をなすものである)、その道が自 には閉ざされていることを密かに自覚し、
諦念すら抱いている。このようにアンドレーアスとサクラモゾーは、師弟と言ってもよい
関係を取り結びながら、マリアの救済(それは同時に彼女の愛を勝ち得るということに繫
がろう)を巡って互いに望まぬライヴァルの関係に入らざるを得ない。
ホーフマンスタールは初期の叙情劇『昨日』
( Gestern 1891)から、後年のリヒァルト・
シュトラウスとの歌劇『薔薇の騎士』( Der Rosenkavalier 1909/10)や『ナクソスのアリ
アドネ』
( Ariadne auf Naxos 1911)、
『アラベラ』( Arabella 1927)に至るまで、精神性
と官能性、持続と瞬間、誠実さと奔放さの二律背反とその統合の可能性を切実な文学的主
題の一つとしてきたが、この教養小説を構想するに当たっても、マリアとサクラモゾーに
代表される精神性とマリアによって担われる官能性とが、アンドレーアスを通していかに
統合されるかが、作者の主要な関心事だったと思われる
。サクラモゾーは、アンドレ
ーアスにとって未知の精神的な世界に彼をいざなうことによって、そして何よりもその高
い精神性それ自体によって彼に強い感化を与え、 教養小説」における導師としての役割
を果たす。
マルタ会士と共にいるとき、いや彼との関連においてのみ、アンドレーアスの存在は
磨かれ、凝集されてゆく。…彼の感性は磨かれ、彼はこの人物の中でその個性より享
受できるようになると感じ、自 自身を、より大きな、より高い個性と感じる。愛と
憎しみは彼により近しいものとなる。自らの資質を形作るさまざまのものが、彼には
より興味深くなる。彼はその背後に美を予感する。
だが、サクラモゾーと、同様に精神的な世界に自閉しようとするマリアとの和合の実現
のためには、皮肉なことに彼の精神性それ自体が足かせとなる。そして、その解決のため
に、作者は遺稿の末尾で、サクラモゾーが、アンドレーアスとマリアとの和合を促しつつ
自殺する、という結末を与えようとした。
サクラモゾーは、アンドレーアスとマリアとの合一に資する契機を知っている。この
契機を、彼は自由意志による死のために選ぶ。
自 の再来と、変身したマリアと
の合一を確信して。
しかし、これは自 がマリアと結ばれることが不可能であることを覚って、弟子であるア
ンドレーアスにすべてを託し、純粋に「身を引く」行為とばかりは言い切れない。サクラ
モゾーは、アンドレーアスの中に自 が「再生」することを信じ、いわば、自 自身と和
合したアンドレーアスの身を借りることによって、マリアとの和合を果たそうとするので
ある。これを、アンドレーアスに対する導師としての究極的な義務の遂行と見るべきか、
あるいはサクラモゾーの空しい自己欺瞞、さらには弟子アンドレーアスに対する秘かな裏
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『アンドレーアス』と『魔の山』における「師弟関係」の諸相
切り
と捉えるべきかは微妙な問題と言わざるを得ないだろう。だが、作者は、自らの
命を絶とうとする彼の厳粛な決断を前にして、 マルタ会修道士はその全面的敗北におい
て偉大である。彼は自らの運命のために闘った人間だ
」と賛辞を贈らずにはいられな
い。
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『アンドレーアス』が、 詩人」による小説の試みゆえに、印象的な場面の数々や存在感
に満ちた登場人物を用意しながらも、全体を一編の長編小説に構成してゆく力を欠き、一
個の魅力的なトルソにとどまったのに対し、20世紀におけるドイツ小説の王者とも言う
べきトーマス・マンは、新全集版で千ページを越える大作『魔の山』をいささかの破綻を
見せることもなく完結させている。
『アンドレーアス』同様、人生の出発点に立つ主人
を旅立たせ、様々な人間的な可能
性を体現する人々との出会いと、彼らとの間で わされる体験を通して主人 の人格の完
成に至る過程を描く、という全体の構想において、この作品も疑いなくドイツ教養小説の
理念を意識したものと言える。だが、精神 析学が人間の心の底に横たわる無意識の領域
を明るみに出し、マルクス主義が人間の意識(その基盤をなす「人格」も含めて)の経済
的・社会的な被拘束性を暴いた 20世紀において、18世紀の啓蒙主義を引き継ぐ 19世紀的
な「人格の完成」という理想がすでに十全な有効性を失い、時代遅れの「いかがわしい」
理念に成り果ててしまっているということにマンが自覚的でないはずはない。それは、事
あるごとに主人
の「平凡さ」をことさらに強調し、主人 に寄せる好意の傍らで常に苦
笑まじりの距離を失わず、場合によっては彼に揶揄的な言葉を投げつけることもためらわ
ない作者の基本的な姿勢にもよく現れている。
『アンドレーアス』の主人
そのまま『魔の山』の主人
に与えられた「他者の運命の幾何学的場」という評言は、
ハンス・カストルプにも適用できるように見える。だが、ホ
ーフマンスタール自らの本質的な一面が仮託されたと思われるアンドレーアスが、己の存
在の希薄さに悩み、他者からの影響を鋭敏に受け止め、それによって翻弄される様が苦い
共感をもって描かれてゆくのに対して、マンにとってのハンス・カストルプは、存在の希
薄さこそアンドレーアスと共有しながらも、それに悩むどころか、むしろそのことを逆手
に取って他者の間を「厚顔無恥」に遊弋する「人生の厄介息子」に過ぎない。 教養」を
完成させるべき資質を著しく欠いているとしか思えないこのような「お調子者」を敢えて
主人
に据えていることは、この長編が、ある意味で、伝統的な教養小説の形態を借りた
教養小説自体のパロディーとして構想されているのではないかという事情を推測させる。
そのことは、教養小説に不可欠の存在である主人 の導き手にこの小説において与えら
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『アンドレーアス』と『魔の山』における「師弟関係」の諸相
れている半ば喜劇的な役割と、作者が彼らを描く皮肉な筆致からも窺える。従兄の見舞い
がてら、自らの休養も兼ねてダボスのサナトリウムに3週間
留することになったハン
ス・カストルプに、あたかも人格的な真空の存在を嗅ぎ付けたかのように「押し掛け導師」
さながらに接近してくるのが古典主義・人文主義の 20世紀における末裔とも言うべきイタ
リア人セテムブリーニである。彼は自らも結核の療養者として、このサナトリウムの一員
でありながら、結核の初期の症状が見られたために自 自身もこのサナトリウムで療養す
ることになった主人 に対して、病いを精神的な特権の源泉と誤解して
康を軽蔑するよ
うなこの閉ざされた世界の陥穽について警告し、それに足をすくわれる前に一日も早くこ
こから脱出するように強く忠告する。文化的には古典主義・人文主義・啓蒙主義を代表し、
政治的には自由主義・進歩主義の立場に立つフリーメーソン会員セテムブリーニを、しか
し作者は決して手放しで肯定的に描いてはいない
象とされるのは、歴
。
けても作者の仮借ない揶揄の対
的・思想的に高い負荷を与えられているはずの言葉が、濫用によっ
てインフレーションに陥り、単なる自慰的な「おしゃべり」と化してしまうような彼の
「教育的」な饒舌ぶりである。耳にする言葉の重大さと、それを発する人物の人格的な軽
さの乖離に戸惑いつつ、ハンスは、自
に寄せるこのイタリア人の熱意には好感を抱きな
がらも、彼の「教え」に全面的に従う気持には傾かない。
セテムブリーニと好一対をなすハンスの「導師候補者」は、ユダヤ人にしてイエズス会
士であり、セテムブリーニとはあらゆる論点で対立的な立場に立ちながらも奇妙な友情で
彼と結ばれたエリア・ナフタである。セテムブリーニの掲げる啓蒙主義に対して中世的な
キリスト教の立場を擁護し、政治的な進歩主義に対しては保守主義を標榜し、合理主義に
対しては非合理主義を対峙させるナフタは、ついには、この小説の刊行後十年を待たずに
ドイツの政権を掌握し、ユダヤ人迫害・絶滅の政策を実行することになるナチスの思想を
先取りするような血塗られた暴力的強権主義を積極的に肯定することさえためらわない。
あらゆる可能性に鋭敏に反応するハンス・カストルプは、暗い情念に突き動かされるナフ
タの熱弁にも強く心を引かれるが、セテムブリーニに対してと同様、ナフタに対しても、
言語の圧倒的な重みと、それとは裏腹な人格の矮小さとの落差に強い戸惑いを覚えざるを
得ない。
ドン・キホーテ的な啓蒙主義の騎士であるセテムブリーニと、
性で彼の「時代遅れの理想主義」を
首」のように鋭利な知
弄するナフタが、ハンス・カストルプを自
の影響
下に引き入れようと、彼の面前でヨーロッパ精神 を縦断し、現下のヨーロッパの本質的
な問題の数々を横断して激論を
わす数十ページ
は、そこに現われる精神
的観念の
重みと思想的論点の重大さにもかかわらず、この長大な小説の中でも最も空疎で非小説的
な部
と言えよう。もちろんこれは作者の意図的なたくらみによるものである。作者は、
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『アンドレーアス』と『魔の山』における「師弟関係」の諸相
小説の世界とは本来相容れないはずの観念的言辞を敢えて 々と連ねることによって、堅
固な人格的基礎の裏打ちを持たなければ容易に空疎な言葉の遊戯に転化してしまう理念的
言語の危うさを浮き彫りにすると同時に、ハンス・カストルプの導き手たる地位を巡って
争うこの二人の戯画性を暴露し、それによって、言辞ではなく、その圧倒的な人格的存在
感によってたちどころにハンスの心を摑んでしまう第三の、そしてこの小説における主人
の真の導師になるべき人物を登場させるための格好の露払いの役を二人の小人たちに演
じさせているのである。
教養小説が青春小説としての一面も持つ以上、『アンドレーアス』もそうであったよう
に、そこには愛による異性との関係が不可欠の要素となる。『魔の山』においては、サナ
トリウムの住人の一人で、フランス系ロシア人を夫に持つショーシャ夫人が主人 の愛の
対象として登場する。この「ぞんざい」で、 無気力」で、 キルギース人のような目」を
した女性、しかし、抗しがたい女の魅力の持ち主に、ハンスは初対面から心を奪われるの
だが、彼が初めて夫人と言葉を わし、周囲を包むカーニバルの狂乱の中で愛を わした
のは、夫人がサナトリウムからの出立を翌日に控えていた日のことだった。病状が軽快に
なっていたにもかかわらず、ハンスは夫人の「魔の山」への再来を待つためにここにとど
まり続ける。だが、待ちあぐねたハンスの前に再び現れたショーシャ夫人は一人ではなか
った。そして、この同伴者こそ、主人
を圧倒し、彼の真の導き手となるべき初老のオラ
ンダ人実業家ペーパーコルンである。
ペーパーコルンの登場によって、それまで主人
への影響力を競い合ってきた二人の
「押し掛け導師」の存在は急速に色褪せたものとなる。二人はペーパーコルンを
えた場
にあっても相変わらずの観念的な論議を止めようとはしないが、このオランダ人の前で
は、観念の世界に自閉した彼らの矮小さがますます白日のもとに曝され、それに反比例す
るように、脈絡の定かではない切れ切れの言葉しか口にはせず、一見「愚かな老人」に過
ぎないかに見えるペーパーコルンの存在はますます大きさを加えてゆくかのようである。
このよろける足取りの神秘は、愚かさや利口さを明らかに超越しているどころか、セ
テムブリーニとナフタが教育的な目的のために鋭い緊張を生み出させようとして持ち
出した対立概念のすべてを超越していた。 人物」とは教育的ではないように思われ
た。だが、 教養」の途上にある者にとって「人物」とはなんというチャンスであっ
たろう
本来はショーシャ夫人を巡って互いに相容れぬ「恋仇」の関係にあるはずのペーパーコ
ルンにハンス・カストルプは魅せられたように近づいてその懐に飛び込み、終には義兄弟
の契りを わすまでに至るが、ペーパーコルンがかつてのハンスとショーシャ夫人の関係
に気付いたとき、小説はペーパーコルンの自死という全編のクライマックスを迎えること
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『アンドレーアス』と『魔の山』における「師弟関係」の諸相
になる。彼の自死の意味は「言葉の人」ならぬ彼自身によって明らかにされることはな
い。小説はこの後もしばらくは続くのではあるが、傷心のショーシャ夫人が再び「魔の
山」を立ち去った後の物語はいわば「後日譚」に過ぎない。ペーパーコルンの死を契機に
したかのように、サナトリウムには精神的な退廃が蔓 してかつての寛容さも失われ、そ
れに感染したかのように、ナフタとセテムブリーニの対立は終に無益な決闘にまで至り、
ナフタの無残な死によって終わりを告げるのである。
それでは主人
にとっても、またこの小説全体にとっても決定的な意味を与えられてい
るかに見えるペーパーコルンの自死とは何だったのか。この小説は、19世紀的な小説の
伝統に悠然と従い、作者が「神の視点」を保持して登場人物の内面に け入ることを自明
とする手法で描かれているかに見えるが、仔細に見ると、作者が掌を指すように心の動き
を逐一語っているのは主人
ハンス・カストルプただ一人であることに気付く。その他の
人物たちは、すべて主人 の目や耳を通した姿で描かれるのみであり、主人 を介在させ
ることなく他の人物たちへの言及がなされることは慎重に避けられている。これは、あく
まで主人 の内面的成長に焦点を合わせようとする教養小説の本質的な要請による叙法と
言えるだろうが
、その結果、主人
がその前で言葉を失って呆然と佇むような体験に
ついては、読者も同様に、直接的な 解きの手掛かりを与えられぬまま、推測に身を委ね
るしかない。
5
このようにして、
『アンドレーアス』と『魔の山』という二つの「教養小説」に、示し
合わせたかのように同様のクライマックスの構造が準備されていることが明らかとなっ
た。すなわち、主人 である弟子とその導きの師とが避け難い対立の関係に陥ってしまっ
たとき、師が弟子に道を譲って(自死という形で)身を引くという結末である。
『アンドレーアス』の場合は、やや事情が複雑である。すでに見たように、主人
であるサクラモゾーは、自
の師
の愛するマリアとアンドレーアスとの和合(それは同時にマ
リアとマリキータとの幸福な再合一を促すものであるはずだが)を実現させるために自ら
死を選ぶのだが、それは同時にアンドレーアスの中に自 自身が再生することを信じての
ことだとされているからである。
だが、
『魔の山』におけるペーパーコルンの自死からもこのような込み入った心理的な
機構を読み取ろうとすれば、それはこの結末に至るまでの周到な用意を見過ごしてしまっ
たということになろう。饒舌な「言葉の人」、行動や存在そのものよりも概念の操作には
るかに高い価値を置く二人の「導師」によって わされる、読者を辟易させる果てしのな
い議論が先行した後に、この二人とその空疎な論議を超越し、それらをいわば「無化」す
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『アンドレーアス』と『魔の山』における「師弟関係」の諸相
るために登場したかのようなペーパーコルンの自死は、ハンスとショーシャ夫人によって
あらかじめ自 自身への裏切りがなされていたことに対する憤怒などによるものであって
はならず、またサクラモゾーのように自らに対するひそかな合理化の試みを潜めるもので
あってもならない。それは、ただ純粋な「巨人の無言の退場」以外のものであってはなら
ないのである。それゆえにこそ、彼の死は感動ということを知らぬげに見える「人生の厄
介息子」を無言のまま呆然と佇ませ、マン一流の皮肉な筆致で一貫してきたこの長編の中
で唯一厳粛な感情を読者に抱かせうる場面を現出させ得ているのである。
さて、ここで、冒頭近くに紹介した G. スタイナーによる師弟関係の三つの類型に立ち
返り、
『アンドレーアス』と『魔の山』における主人
と導師との関係にどの程度この類
型が適用できるのか、またそれがどの程度この類型から逸脱するのかを一
しておきた
い。彼の挙げた類型の1(師が弟子の人格を破壊してしまう場合)と2(弟子が師を破滅さ
せる場合)は師と弟子がのっぴきならぬ競合関係に立ってしまう場合の二つの結末であり、
3は師と弟子が互恵的・調和的な共存関係に立つ場合と言える。アンドレーアスとサクラ
モゾーの関係、ハンス・カストルプとペーパーコルンの関係は、いずれも基本的には3の
互恵的(もちろん、師が弟子に与えるものの方が師が受け取るものよりも圧倒的に大きい
ことは、それが師弟の関係である限り当然のことである)関係とみなすことができるが、
師弟の間に両者がともに求め、しかも共有することができないもの(ここでは両者とも、
双方によって愛された女性)が現れたとき、師弟はともに望まぬ競合関係に入らざるを得
ない。だが、二つの小説における解決は1でも2でもなかった。二人の作者が選んだの
は、師が弟子にすべてを譲って退場する(ここでは自死を選ぶ)という第四の選択肢だった
のである。これは、結果的に師の破滅(死)に至るという点で2の類型にも通じるが、それ
が弟子によって強いられたものではいささかもなく、すべて師の意識的な決断によって行
われたものであることが、決定的に両者を けている。
二つの小説が結末としたこの第四の選択肢は、 えてみれば決して特殊な状況でのみ成
立しうる例外的なものではなく、対立の源となるものは様々であるにせよ、師弟関係のみ
ならず、世代間や親子の間などでもしばしば現れる、普遍的と言ってもよい類型ではなか
ろうか。その意味では、スタイナーの図式にはこの第四の類型が加えられる必要があるか
もしれない。ただし、容易に「自己犠牲」という名前で呼ばれてしまいがちなこの選択肢
も、この二つの小説では安易な倫理的・宗教的な意味付けがなされていないことは注目に
値する。ことに、
『魔の山』におけるペーパーコルンの自死は、まさに倫理的・宗教的意味
付けをこととする二人の「押し掛け導師」たちの喜劇性、人間的卑小さに対して対比的に
置かれているだけに、初めから一切の理念的解釈を拒み、一個の事実としてのみの重みを
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『アンドレーアス』と『魔の山』における「師弟関係」の諸相
受け取ることを強く求めているように思われる。
これに比べれば、
『アンドレーアス』における導師サクラモゾーの自死には、マルタ会
会員という、セテムブリーニやナフタにも通じる彼の「理念の人」たる立場を反映して、
不純な要素が混入していないとは言えない。弟子であるアンドレーアスに直接明かすこと
こそないものの、彼は自らの死に当たって、それを少なくとも自
自身に対して合理化
し、意味付けずにはいられないからである。
詩人としての存在と他者との共生をいかに両立させるかという生涯の課題に解決を与え
ようとホーフマンスタールが取り組んだ『アンドレーアス』
、そして、当時のヨーロッパ
の精神的な状況を、アルプスの高地に視点を定め、そこから俯瞰するかのように描き取ろ
うとした『魔の山』 教養小説」という伝統的な形式への準拠と執筆年代こそ共有しなが
らも、スタイルにおいても主題においてもこれほどに対極的な二つの作品が、ともに主人
に道を譲るための導師の自死によってクライマックスを迎えているのは単なる偶然であ
ろうか。それとも、それは、二つの作品が共有するかもしれない問題意識を探るためのよ
すがとなり得るものなのであろうか。それを検討するのはこの小論の範囲を超える。だ
が、自死という、衝撃的で厳粛な、そして敢えて皮肉な言い方をすれば、現実による教育
のためにはこれ以上のものはあり得ないほどの手立てを導師に取らせることによって、作
者たちは腑甲 のない弟子たちのために、最終的な「教養」の完成のための機会を用意し
たのだ、と えたとしても、あながち間違いではあるまい。だとすれば、教養小説の形式
がすでに時代錯誤的であることを十 に承知しつつ、この形式をそれぞれの意図に って
利用したと思われる作者たちも、作品の極点においては「教養小説」の伝統に敬意を表
し、その要請に最大限に従ったのだと言ってもよいかもしれない。アンドレーアスが、果
たして師の自死に込められたメッセージを受け止めて、堅固な人格の核を獲得し、マリア
との和合を実現し得たのか、また、ハンス・カストルプがペーパーコルンの死に触発され
て「人生の厄介息子」の位置から脱却し得たのかは、自ずから別の問題だとしても。
注
(1) ドイツ教養小説の成立過程については、登張正美『ドイツ教養小説の成立』弘文堂 1964
参照。
(2) たとえばシューベルトの歌曲集『美しい水車屋の娘』
( Die Schone M ullerin 1823)や『冬
の旅』
( Winterreise 1827)の背景を成している、 職人の遍歴」というドイツ古来の習わ
し、すなわち、一人前の職人になろうとする若者が、 徒弟」として各地の「親方」のも
とを経巡って腕を磨きながら、自らも「親方」への道を目指すという制度も、 教養のた
めの旅」を不可欠の要素とするドイツ教養小説の成立に対して少なからぬ影響を与えた可
能性がある。
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『アンドレーアス』と『魔の山』における「師弟関係」の諸相
(3) George Steiner,Lessons of the Masters,Harvard University Press, 2003Cambridge,S.2.
(4) イギリスの貴族階級の子弟が、修学を完成させるという名目で、フランスを経て古典文明
とルネサンスの故地であるイタリアに旅するという習わしが、17世紀から 19世紀半ばに
至るまで広く行われていたことはよく知られているが(Grand Tour)、ドイツ語圏、こと
に皇帝が在住するオーストリアとイタリアとの歴 的な関係には、イギリスとは比較にな
らないはるかに密接なものがあったことは、アンドレーアスの旅の背景として心にとどめ
て置く必要があろう。
(5) アメリカのドイツ文学研究者 David H. Miles は、アンドレーアスとロマーナとの出会い
の中に、
『新生』
( La Vita Nuova 1283/91)におけるダンテとベアトリーチェとの出会い
が投影されていることを指摘している。David H. M iles, Hofmannsthal s Novel
dreas, Princeton University Press, 1972 Princeton, S.136, 142-56.
(6) 主人
An-
アンドレーアスの最終的な「教養の場」としてヴェネツィアが選ばれたのは、注
(11)に述べる「アロマティシュなもの」の実現という、写実的な技法では表現が困難であ
ることが予想される超自然的な過程を、 ありうべきこと」として描くための格好の場を
用意するためだったからではなかろうか。
(7) Hugo von Hofmannsthal, Gesammelte Werke in zehn Einzelbanden. Hrsg. von Bernd
Schoeller. Bd. 7Erzahlungen Erfundene Gesprache und Briefe. Reisen. S.Fischer Verlag,
1979 Frankfurt a.M., S.246.
(8) Hugo von Hofmannsthal, ibid., S.251.
(9) 同一の女性の内面が 裂したマリア、マリキータという人物像の造形については、David
H. Miles に、ホーフマンスタールがアメリカの心理学者 M orton Prince の著書『人格の
裂』
(The Dissociation of a Personality,1906New York)に示唆を与えられたという指摘
がある。David H. Miles, ibid., S.102.
(10) Hofmannsthal,ibid.,S.305. der geometrischer Ort fremder Geschicke. この言葉の内容
については、この直前に置かれた以下の文に暗示的に示されている。 アンドレーアスに
おいて彼(サクラモゾー)の心を引き付けるのは、アンドレーアスが他者の影響を非常に被
りやすく、他者の生が彼の中に純粋かつ強力に存在していることである。あたかも他者の
血の一滴や他者の吐く息をガラス管に封じ込めて強い火にかざすかのように、アンドレー
アスの中で他者の運命が試されるのである」
。なお、次注を参照のこと。
(11) 遺稿中に、ホーフマンスタールは、主人 とマリア=マリキータ、そしてサクラモゾーと
の関係を示唆するために das Allomatische (
『アロマティシュなもの』
)という概念を提出
している(Hofmannsthal, ibid., S.305.)。おそらくはギリシア語の allos ( 他の、他者
の」
)をもとにして作者自身が造語したとおぼしいこの言葉は、 他者を求め、他者に変容
を与えつつ、他者から変容をこうむる」契機を表しているものと えられるが、この小説
(少なくともヴェネツィアを舞台とした部 )は、 他者の運命の幾何学的場」と定義され
た主人 の内面をいわば実験室として、彼らの「アロマティシュ」な和合の可能性を探ろ
うとした試みであったと見ることもできる。
(12) Hofmannsthal, ibid., S.272.
(13) Hofmannsthal, ibid., S.283f.
(14) 死を決意したサクラモゾーは、アンドレーアスに対する苦い敗北を感じるどころか、再生
した自 によって人格の根源を奪われてしまうことになるはずのアンドレーアスに対する
深い同情をすら覚えるのである。 その時(サクラモゾーが自殺する時)アンドレーアスが
彼のために道を譲らなければならないということが…アンドレーアスに対する悲しい同情
の念で彼を満たす」(Hofmannsthal, ibid., S.284.)
(15) Hofmannsthal, ibid., S.308.
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『アンドレーアス』と『魔の山』における「師弟関係」の諸相
(16) 第一次大戦に際して、トーマス・マンは西欧的な「文明」
(Zivilisation)に対してドイツ「文
化」
(Kultur)を対峙させ、ドイツの立場を擁護する論陣を張ったが、敗戦後成立したいわ
ゆる「ヴァイマール共和国」の政治的・経済的混乱に乗じて排他的な民族主義を叫ぶ極右
の政治勢力が急速に台頭するに及んで、西欧的合理主義・民主主義を死守しようとする陣
営を代表する一人となり、1933年のナチスによる政権掌握によって、ついに国外への亡命
を余儀なくされた。西欧的な人文主義者・進歩主義者セテムブリーニに対して明らかに好
意的ではありつつも、ナチズムとも通底する非合理主義を標榜するナフタに対してと同様
の戯画的な描写をためらわなかった『魔の山』当時のマンは、この大きな思想的立場の転
換のいわば過渡期にあったと見ることができよう。
(17) たとえば、Thomas M ann,Große kommentierte Frankfurter Ausgabe. Bd. 5.1,S.Fischer
Verlag, 2002 Frankfurt a.M., S.565ff.
(18) Thomas M ann, ibid., S.893.
(19)『アンドレーアス』についても同様のことが言える。執筆のための心覚えとして残された
遺稿部 では、たとえばサクラモゾーの心事がそのまま書かれた部 も散見されるが、完
成稿においては、すべてが主人 アンドレーアスの視点からのみ記述されてゆく。
〔文理学部教授(ドイツ語・ドイツ文学) 2004∼06年度個人研究員〕
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