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diary of Frances way

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diary of Frances way
2013/2/1
第4版
フランス人の道巡礼日誌
(El Camino Frances)
(St Jean Pied de Port ⇒ Santiago de Compostela)
-
2010/5/25~6/27
-
フランスのアルルを 4 月 24 日にスタートして約1ヶ月、今日から世界遺産のカミーノフラセに足を踏み入れる。
巡礼道はフランスからスペインに変わる。挨拶もボンジュールからオラー、ボンシュマンからブエンカミーノに変わる。
今年は、聖ヤコブ大祭年で「聖なる門」が開かれる年です。次に開かれるのは 11 年後です。
従って、巡礼者の数は例年より相当多い。そんな記念すべき年の巡礼が、どんな展開をし
たのか簡単に記した。巡礼を成就すると、何か素晴らしいことがあると言われているが、
それも楽しみです。1ヶ月程をかけて、スペインの歴史、文化を感じ、広大な自然を満喫した
初めてのスペインの旅だった。
巡礼日誌には参考のために、解っている範囲でタイム、距離、累計距離(サンジャン.ピエド.ポー
とアルルからとその合計)、値段を明記した。写真は文書内に赤書き、下線で表記した。
5 月 25 日(火) 晴
距離=26.0Km 累計距離=26.0Km+810.5Km=836.5Km
サ ン
シ ゙ ャ ン
ヒ ゚ エ
ト ゙
ホ ゚ ル
所要時間=6 時間 00 分
ヒ ゙ ア コ ッ リ
レ オ ホ ゚ エ テ ゙ ー ル
St Jean Pied de Port(7:30) ⇒ Biakorriのマリア像(10:00) ⇒ Lepoeder峠(12:30)
イ ハ ゙ ニ ェ タ
⇒ Ibañeta(13:00) ⇒
ロ ン セ ス ハ ゙ ー シ ゙ ェ ス
Orreaga/Roncesvalles(13:30)
今日は 6 時 30 分スタート。巡礼路の入り口が解らず、付近をい
ったりきたりで 1 時間のロスで、結局 7 時 30 分スタートとなる。
巡礼路はアスファルト舗装の道路で、快調に進む。アルルルートとは違い
巡礼者数が圧倒的に多く、道に迷うことはなさそうである。
途中見晴らしの良い女神の像前で休憩する。360 度さえぎる
もののない絶景である。このあたりから、天気はいいがアゲ
インストの強風に体力を奪われる。スペインに入るとりっぱな道標
レ オ ホ ゚ エ テ ゙ ー ル
がこきざみに建てられている。ピレネ越え最高点のLepoeder峠
(1430M)まで追い越されることなく、50 人程追い越す。1 人
高校生らしき若者と前後した。峠近くでフランス人のおばあさん
がマイペースで登っており、ブエンカミーノと挨拶して追い越した。レ
オポエデール峠では多くの巡礼者が休憩していた。峠からの眺め
は素晴らしかったが、風が強いため少し峠を下った木陰で昼食とした。そこからは巡礼路
1
フ ゚ エ ン テ
ラ
レ
イ
ナ
日Puente la Reina到着が 1 日伸びることを聞かされる。こ
ウ テ ル カ ゙
ちらで 1 日調整するため、
明日Utergaに泊まることにした。
今夜のアルベルゲで日本人に始めて会った。彼女は 6 月 18 日
サ ン-シ ゙ ャ ン- ヒ ゚ エ -テ ゙- ホ ゚ ル
バルセロナを観光後、ルルド経由でSt - Jean - Pied - de - Portから歩
ハ ゚ ン フ ゚ ロ ー ナ
き始めた。Pamplonaではバスで 30 分程行った大西洋に面し
サ
ン
セ ハ ゙ ス チ ャ ン
たSan Sebastianに遊びに行く予定だった。しかし、クレジッ
サ ン チ ャ コ ゙
テ ゙
コ ン ホ ゚ ス テ ー ラ
トカードが使用不能になり、その計画はあきらめたようだ。Santiago de Compostelaに 7 月 8
日までの到着を目指している。
5 月 28 日(金) 曇のち晴
距離=16.1Km 累計距離=85.6Km+810.5Km=896.1Km 所要時間=4 時間 30 分
ハ ゚ ン フ ゚ ロ ー ナ
シ
ス
ル
マ
ヨ
ー
ル
Pamplona(8:30) ⇒ Cizur Mayor(10:00)
サ
リ
ク
エ
ク
゙
イ
⇒ Zariquiegui(11:25)
ヘ ゚ ル ト ゙ ン
⇒ Perdon峠
ウ テ ル カ ゙
(11:55 12:15) ⇒ Uterga(13:00)
今日も 7 時 30 分頃からの出発準備の騒がしさで目が覚めた。
出発は 8 時 30 分で、途中雨が降るかと心配したが何とか持
ヘ ゚ ル ト ゙ ン
ハ ゚ ン フ ゚ ロ ー ナ
フ ゚ エ ン テ
ラ
レ
イ
ナ
った。Perdon峠からの眺めはPamplona側、Puente la Reina
側ともさえぎるものがなくすばらしかった。尾根沿いに風力
発電用風車がすごい数で壮観だった。まわりも風車だらけだ
った。そこには巡礼者を模ったオブジェがあった。ここも風が
ウ テ ル カ ゙
きつく肌寒かった。2 回道に迷いUtergaに 13 時到着した。アルベルゲは 10€、夕食 12€だっ
た。本日の泊まりは 10 名で、私以外は全員女性だった。
5 月 29 日(土) 快晴
距離=7.9Km 累計距離=93.5Km+810.5Km=904.0Km 所要時間=1 時間 30 分
ウ テ ル カ ゙
オ ハ ゙ ノ ス
フ ゚ エ ン テ
ラ
レ
イ
ナ
フ ゚ エ ン テ
ラ
レ
イ
ナ
Uterga(8:00) ⇒ Obanos(8:50) ⇒ Puente la Reina(9:30)
エ
ウ
ナ
テ
オ ハ ゙ ノ ス
オ ハ ゙ ノ ス
⇒ Obanos(11:40)
⇒ Eunate(13:50) ⇒ Obanos ⇒ Puente la Reina(16:00)
今日は距離が短いので、8 時最終のスタートになった。9 時 30
フ ゚ エ ン テ
ラ
レ
イ
ナ
サ ン チ ャ コ ゙
分にはPuente la Reinaに到着した。Santiago教会の 10 時
からのミサに参加した。10 時 30 分に終わり、下着を買い、ツ
ーリストオフィス付近をうろうろしていると、偶然クララさんに会った。
感激のあまりハグをした。そこで娘の状況を教えてもらった。
バスの発車時間がせまっているということで、記念写真を撮
って別れた。アルガ川に架かっている 5 基の半円形アーチをもつロマネスク橋「王妃の橋」を渡って、
オ ハ ゙ ノ ス
小高いところに上がり、町を眺めて時間潰しをした。その後、アルルルートの分岐点Obanosまで
オ ハ ゙ ノ ス
戻って娘を待つことにした。Obanosでおばさんにアルルルートへの道を尋ねると、わざわざ道案
内してくれたので、アルルルートの分岐点を少し入った小高い丘まで行った。14 時まで待ったが
3
エ
ウ
ナ
テ
なかなか来ないので、更に先に行った。Eunateの畑の中に
エ
ル
ミ
タ
建つ 8 角形の礼拝堂Ermita(世界遺産)にたくさん人がいた
ので、そこで待つことにした。そこにフランス人のジェラードとベ
ルギー人のマルコに会い、娘は 30 分程で来るといわれた。程な
フ ゚ エ ン テ
ラ
レ
イ
ナ
く娘が到着して、Puente la Reinaまで引き返した。町入り
口付近のアルベルゲに宿を取った。夕食は 17 時 30 分からジェラ
ード、マルコと 5 月 17 日に出会ったフランシス夫婦とその友達とご一緒した。
5 月 30 日(日) 晴
距離=22.0Km 累計距離=115.5Km+810.5Km=926.0Km 所要時間=5 時間 55 分
フ ゚ エ ン テ
ラ
レ
イ
ナ
シ
ラ
ウ
キ
ロ
ル
カ
ヒ ゙ シ ゙ ャ ト ゥ エ ル タ
Puente la Reina(7:05) ⇒ Cirauqui(8:20) ⇒ Lorca(10:40) ⇒ Villatuerta
エ ス テ ー シ ゙ ャ
(12:10) ⇒ Lizarra/Estella(13:00)
フ ゚ エ ン テ
ラ
レ
イ
ナ
Puente la Reinaを 7 時 5 分に出発する。
「王妃の橋」で写
フ ゚ エ ン テ
ラ
レ
イ
ナ
真を撮り、Puente la Reinaの町とお別れする。途中
シ
ラ
ウ
キ
Cirauquiの Bar で日本人男性と会う。彼はスペイン語が堪能で、
シ
ラ
ウ
キ
何度かスペインに来たことがあり詳しかった。Cirauqui村を越
ロ
ル
カ
えて丘を下る所に、ローマ時代の街道と橋があった。Lorcaの
サ ン チ ャ コ ゙
テ ゙
Bar でもビールを共に飲んだ。20 日までにSantiago de
コ ン ホ ゚ ス テ ー ラ
Compostelaに行き、その後東ヨッロッパを周遊して 7 月中旬頃帰国する予定と聞く。彼は千葉
ヒ ゙ シ ゙ ャ ト ゥ エ ル タ
市出身の S さんである。途中Villatuerta教会で子供が洗礼を受けていたので見物する。星
エ ス テ ー シ ゙ ャ
エ ス テ ー シ ゙ ャ
降る町 Lizarra/Estellaには 13 時に到着する。Estellaはエガ川に沿った町で、丘の上に聳え
立つサンペドロ・デ・ラ・ルア教会は 13 世紀初頭のロマネスク教会である。エガ川に架かったカルセル橋を渡
ったところの Bar で、Sさんとビールを飲む。その後、丘の上の教会や、古い建物を見て歩
いた。20 時頃食事をしていたら、たまたまSさんも同じ店に来た。食事中、日本のニュースが
話題になり、管総理になったこと、円高(1€:出発時点 127 円、現時点 112 円)が進行して
いること等、ひさしぶりに日本のことを聞いた。
5 月 31 日(月) 晴
距離=29.6Km 累計距離=145.1Km+810.5Km=955.6Km 所要時間=8 時間 30 分
エ ス テ ー シ ゙ ャ
Lizarra/Estella(7:00)
ト
レ
ス
テ ゙ ル
リ
ヒ ゙ シ ゙ ャ マ ヨ ー ル
テ ゙
モ ン ハ ル テ ゙ ィ ン
ロ
ス
ア ル コ ス
⇒ Villamayor de Monjadin(9:05) ⇒ Los Arcos(12:00)
オ
⇒ Torres del Rio(15:30)
4
朝食を摂り、7 時出発する。イラーチェ修道院の隣にあるワインの泉に立寄
るが、ワインは出なかったので記念写真であきらめる。娘は大勢の巡
礼者とワインの補給がある 9 時過ぎまで待ったが、来なかったらしい。
9 時頃、小高い山の上にちょこんと乗った集落があった。通称「と
ヒ ゙ シ ゙ ャ マ ヨ ー ル
テ ゙
モ ン ハ ル テ ゙ ィ ン
んがり山」といわれ、Villamayor de Monjadin村である。麦畑の
ロ
ス
中を歩いていると、牛の大群に会い、しばらく立ち止まった。Los
ア ル コ ス
Arcosに 12 時到着、教会前の Bar でビールを飲み、13 時頃Sさんと
別れる。途中 2 ルートに別れていたので、私は山ルートを選択した。足の
速いドイツ人の青年を追いかけるかっこうで歩いた。途中パンの行商に会い青年とともにパン
を買い求めた。しばらく歩くと、休憩中の青年に追いつき、サラミとリンゴを頂く。巡礼路は草
原の 1 本道、麦、オリーブ、荒地のフラットな道である。巡礼者はとぎれることなく、多種多様な
ト
レ
ス
人種と言葉に接する。フランスの巡礼路とは様違いである。また英語による会話が増えた。Torres
テ ゙ ル
リ
オ
del Rioに 15 時 30 分に到着する。アルベルゲは満室だった。高い塔がサン・ペドロ教会、低いの
がサン・セピュルクル教会だという。
6 月 1 日(月) 晴
距離=20.4Km 累計距離=165.5Km+810.5Km=976.0Km 所要時間=7 時間 00 分
ト
レ
レ
ス
ス
テ ゙ ル
リ
オ
ヒ ゙ ア ナ
ロ ク ゙ ロ ー ニ ョ
Torres del Rio(7:30) ⇒ Viana(10:00 11:00) ⇒ Logroño(14:30)
ト
テ ゙ ル
リ
オ
Torres del Rioを 7 時 30 分に出発する。Viana に 10 時到着、そこ
でサンタ・マリア教会を見て、食事をしていたら、出発が 11 時となる。そ
ロ ク ゙ ロ ー ニ ョ
ホ
゚
ン
タ
ノ
テ ゙
ラ ス
カ
ナ
ス
こでSさんと再開し、Logroñoに向かう。Pontano de las Canas湖
ロ ク ゙ ロ ー ニ ョ
畔で昼食を取る。SさんはLogroño手前のキャンプ場に泊まるので、こ
サ ン チ ャ コ ゙
テ ゙
こで最後の別れとなる。SさんはここでテントをSantiago de
コ ン ホ ゚ ス テ ー ラ
ロ ク ゙ ロ ー ニ ョ
Conpostelaの郵便局止めで送るという。田園の中の歩行で、
Logroño
には 14 時 30 分に着く。
アルベルゲを捜していると韓国人女性に会い、
教会の宿を紹介されとりあえずそこに荷物を下ろす。娘を捜してい
ると手前のアルベルゲ(5€)にいたのでそこに移る。教会で 19 時 30 分に会う約束をして娘と別
れる。16 時頃から市内見学に出かけ、別の教会付近を歩いているとSさんに再会する。そ
こで簡単な食事をSさんと摂る。約束の教会に戻るが、娘は来なかったので、一人 19 時 30
分から 20 時までミサに参加してアルベルゲに戻った。なかなか娘は帰らず、結局夕食のタイミング
を失する。このアルベルゲは良くなかった。フランス人夫婦等 3 人が近くに泊まっていた。
6 月 2 日(水) 晴
距離=31.0Km 累計距離=196.5Km+810.5Km=1,007.0Km 所要時間=10 時間 15 分
ロ ク ゙ ロ ー ニ ョ
ナ
ハ
゙
レ
テ
ヘ
゙
ン
ト
サ
Logroño(6:45) ⇒ Navarrete(10:15 11:00) ⇒ Ventosa(12:40 13:30)
ナ
ヘ
ラ
Nájera(17:00)
5
⇒
今朝も 6 時前から騒がしい。6 時 45 分に出発する。簡単な
食事を喫茶店で採る。湖の横を通っていると、釣りをして
いる人を見かけた。森ではリスが木に登っていくのを発見し
ナ
ハ
゙
レ
テ
た。のどかな風景の中を進み、Navarreteに 10 時 15 分に着
いた。そこで金ピカの教会を見学して 11 時出発する。だら
ヘ
゙
ン
ト
サ
だらとした何の変哲もない巡礼路で、12 時 40 分Ventosaの
教会に着く。教会下の Bar でビールを飲んでいると、程なく娘も到着する。教会で昼寝して
いる巡礼者を横目に、13 時 30 分出発。ワイン畑、ワイン工場や Aleson leyendas jacobeas と表
示があるイスラムの祠を見ながら、途中巡礼路沿いのベンチで 1 時間の休憩を入れ、Nájera に 17
時に着く。アルベルゲは橋を渡って、川沿いを左へしばらく行った所にあった。娘はどういう
わけか先着していた。そこで日本人 3 人と会った。72 歳で摂津市出身のMさんと夕食に出
かける。レストランの場所をアルベルゲに聞いて出かけたが捜すのに苦労した。あと 2 人は親子で、
娘がパンプローナの大学に留学中で、卒業が近いので記念に父親を呼んで巡礼をしている。M
さんは NHK のテレビ、親子のおとうさんは映画を見たのが動機だという。非常に仲の良い親
子だった。
6 月 3 日(木) 快晴
距離=27.5Km 累計距離=224.0Km+810.5Km=1,034.5Km 所要時間=7 時間 30 分
ナ
ヘ
ラ
シ
ル
エ
ニ
ャ
サ
ン
ト
ト ゙ ミ ン コ ゙
テ ゙
ラ
カ ル サ ー タ ゙
Nájera(6:45) ⇒ Cirueña(10:45) ⇒ Sainto Domingo de la Calzada(12:00
12:45)
ク ゙ ラ ニ ョ ン
⇒ Grañon(14:15)
今日も 6 時 45 分と早いスタートとなった。出てすぐ急坂の上りを越える
と、麦畑の中の 1 本道を延々と歩いた。途中ゴルフ場を少し越えた町
シ
ル
エ
ニ
ャ
サ
ン
ト
ト ゙ ミ ン コ ゙
テ ゙
ラ
Cirueñaに新しくアルベルゲがオープンしていた。Sainto Domingo de la
カ ル サ ー タ ゙
カ ル サ ー タ ゙
Calzadaに 12 時に着き、昼食と教会を見学した。Calzadaとは「石
畳の道」という意味で、
「聖ドミンゴ」ゆかりの地である。大聖堂内に
は豪華な鶏小屋がある。この町の伝説により、14 世紀以来雌雄 1 対
ク ゙ ラ ニ ョ ン
の鶏を飼い続けているらしい。そこを 12 時 45 分に出発し、Grañon
に 14 時 15 分に着く。教会のアルベルゲにもぐりこむ。日本人 3 人も
既に到着していた。
6 月 4 日(金) 快晴
距離=21.3Km 累計距離=245.3Km+810.5Km=1,055.8Km 所要時間=6 時間 30 分
ク ゙ ラ ニ ョ ン
ヘ ゙ ロ ラ ト ゙
ト
サ
ン
ト
ス
Grañon(7:30) ⇒ Belorado(12:00) ⇒ Tosantos(14:00)
教会のアルベルゲで 6 時 30 分からの朝食を済ませ、7 時 30 分に出発
する。1 時間約 4Km のスピードで
ヘ ゙ ロ ラ ト ゙
Beloradoのアルベルゲに 12 時に着く。
6
ト
サ
ン
ト
ス
娘は 12 時 20 分に着く。今日も雲一つなく暑い日である。14 時にTosantosに着き、教会系
アルベルゲの予約をする。16 時頃丘の中腹にある岩をくりぬいた教会を訪れる。その丘からの
眺めはスペインそのものだった。18 時にその教会がホスピタレーロによって扉が開かれ説明を受ける。
その後、巡礼者夫婦のすばらしい賛美歌が披露された。夕食はそのアルベルゲで頂き、食後各
国の歌声が響いた。我々は「上を向いて歩こう」を合唱し、その後Mさんが娘の説明で、
フ ゙ ル コ ゙ ス
民謡をうなった。大喝采だった。ホスピタレーロの推奨を受け、Burgosの宿をアルベルゲ Centro
turistico El Peregrino に決めた。
6 月 5 日(土) 晴
距離=25.2Km 累計距離=270.5Km+810.5Km=1,081.0Km 所要時間=6 時間 40 分
ト
サ
ン
ト
ス
サ
ン
シ ゙ ャ ン
テ ゙
オ ル テ カ ゙
ア タ フ ゚ エ ル カ
Tosantos(7:50) ⇒ San Juan de Ortega(11:30) ⇒ Atapuerca(14:30)
ト
サ
ン
ト
ス
Tosantosを 7 時 50 分にスタートする。途中時々見かけた韓国女
性が日本語で話しかけてきたので、しばらく会話しながら歩
いた。彼女はフランスのボルドに留学中だという。日本語はラジオ
放送で習ったそうだ。韓国チェジュ島にも巡礼路があるらしい。
サ
ン
シ ゙ ャ ン
テ ゙
オ ル テ カ ゙
11 時 30 分San Juan de Ortegaの入口にさしかかり、そこ
でボランティアにコーラ、ジュースのもてなしを受ける。13 時から食事
も出来るということであったが、待ち時間が長いため遠慮する。San Juan de Ortega の教
会では何かイベントがあり、出店が出て大変な賑わいだった。町中を出てすぐの林の中でフランス
ア タ フ ゚ エ ル カ
人 3 人にまた出会う。Atapuercaのアルベルゲ Centro turistico El Peregrino(8€)に 14 時 30
分に着く。そこでジェラードさんに再び会う。17 時 30 分にMさんと夕食(12.5€)を共にする。
6 月 6 日(日) 雨のち曇のち晴
距離=21.5Km 累計距離=292.0Km+810.5Km=1,102.5Km 所要時間=4 時間 45 分
ア タ フ ゚ エ ル カ
ヒ ゙ シ ゙ ャ フ リ ア
Atapuerca(6:45) ⇒ Villafria(9:15) ⇒
フ ゙ ル コ ゙ ス
Burgos(11:30)
アルベルゲの朝は早い。6 時 45 分Mさんと出発する。飛行場横を通り、
ヒ ゙ シ ゙ ャ フ リ ア
線路を横断して、9 時 15 分にVillafriaの教会に着く。教会は見せて
フ ゙ ル コ ゙ ス
もらえなかった。ここから Burgosまで、市街地の歩行を避ける巡
フ ゙ ル コ ゙ ス
礼者はバスを利用すると聞く。Burgosの 1221 年創建サンタマリア教会に
フ ゙ ル コ ゙ ス
11 時 30 分着く。Burgosはカスティリャ・イ・レオン王国の首都として繁栄した
町である。サンタマリア門をくぐり暫く歩くと、スペイン 3 大カテドナルドの一つ
であるサンタ・マリア教会が、圧倒的な迫力でせまってきた。12 時頃から
ト
サ
ン
ト
ス
そのカテドナルドの日曜ミサに参加し、博物館を見学後、Tosantosの宿で
紹介を受けたアルベルゲを目指した。案内図をたよりに向かったが、捜すのに苦労した。少し
引き返すことになり、アルベルゲを見つけたがまだ受付前だった。近くのレストランで昼食をし、
14 時に今夜の宿を確保する。その後カテドナルドに戻り(2.5€)教会内を見学する。カテドナルドで 2
7
冊目のクレデンシャル(5€)の発行を頼むが、近くのアルベルゲに行きなさいと言われたので、そこに
出向き発行してもらう。アルベルゲで娘を待つが、結局来なかった。夕食はミサの後で、そこで
頂く。娘はここがわからず、私がクレデンシャルを発行してもらったアルベルゲに泊まったことを後
フ ォ ン セ ハ ゙ ト ゙ ン
で聞く。結局、娘とは 223Km 先のFoncebadonまで別行動となった。
6 月 7 日(月) 晴
距離=31.5Km 累計距離=323.5Km+810.5Km=1134.0Km 所要時間=6 時間 30 分
フ ゙ ル コ ゙ ス
オ ル ミ ー シ ゙ ョ ス
デルl
カ
ミ
ー
ノ
オ
ン
タ
ナ
ス
Burgos(7:30) ⇒ Hornillos del Camino(12:00) ⇒ Hontanas(14:00)
7 時 30 分出発する。今日は絶好のウォキング日和である。途中ま
でMさんとしゃべりながら、
単調な田園の中の 1 本道を歩く。
オ ル ミ ー シ ゙ ョ ス
デルl
カ
ミ
ー
ノ
しばらくすると一人旅となり、Hornillos del Caminoに 12
サ
ン
ホ ゙ ル
時に着く。休憩をほとんどとらず、14 時にSan Bolだと思っ
オ
ン
タ
ナ
ス
て、おばさんに道を尋ねたところ、なんとここがHontanasで
危うく行き過ぎるところだった。おばさんがアルベルゲのオーナーで
今晩はここに泊まることにした。2 時間ほど近くの畑で昼寝をする。この時間になると、暑
さのせいか巡礼者の姿はなかった。
夕食は 19 時からジェラードとカール・ハインズさんとご一緒する。
ボアディージャ
テ ゙ ル
カ
ミ
ー
ミ
ー
ノ
ノ
フ ゙ ル コ ゙ ス
ジェラードさんは明日Boadilla del Camino(26Km)止まりらしい。情報によると、娘はBurgos
オ ル ミ ー シ ゙ ョ ス
デルl
カ
から 20Km の、Hornillos del Caminoしか行っていないようだ。明日は 32Km 先の
フ
ロ
ミ
ス
タ
Fromistaまで行くつもりである。
6 月 8 日(火) 晴
距離=32.0Km 累計距離=355.5Km+810.5Km=1,166Km 所要時間=7 時間 25 分
オ
ン
タ
ナ
ス
ロ
ミ
Hontanas(6:35) ⇒ Mostelares 峠(9:00 9:30)
フ
ス
ボアディージャ
タ
⇒ Fromista(14:00)
6 時 35 分に出発する。今朝は肌寒く、この状態が丸一日続
いた。今日も田園の中の一本道を黙々と歩いた。城門のよう
サ
ン
ア ン ト ン
なものがあるSan Anton修道院跡を 7 時 35 分に通過する。
Mostelares(910M)峠の休憩所で 9 時から 9 時 30 分まで朝食
を摂る。1 時間程歩き、教会とアルベルゲを兼ねたような建物で
一服する。Itero 橋を渡ったところを右折する。一面麦畑で、
フ
ロ
ミ
ス
タ
フ
ロ
ミ
ス
タ
カ ス チ ー シ ゙ ャ
Fromista手前は川縁を歩いた。Castilla運河の水門を抜け、
Fromistaには 14 時に着く。ロマネスク様式のサン・マルティン教会近く
のアルベルゲ(7€)を確保する。夕食(8€)はフィンランドのローラとイギリス
南部のジョンさんと、近くのレストランでご一緒する。片言の英語
でしゃべるがほとんど通じず、前に会ったことのあるフィンラン
ドの女の子に、出身がヘルシンキで名前がローラだということのみ理
8
テ ゙ ル
カ
ミ
ー
ノ
⇒ Boadilla del Camino(12:40)
解出来た。カミーノ・フランセで感じたことだが、自転車がやたら多く、私にとっては巡礼気分を損
なわれた。Mさんはひどく感動していたが。
6 月 9 日(水) 雨
距離=35.8Km 累計距離=391.3Km+810.5Km=1,201.8Km 所要時間=7 時間 30 分
フ
ロ
ミ
ス
タ
カ
リ
オ
ン
テ ゙
ロ ス
コ ン テ ゙ ス
Fromista(7:15) ⇒ Carrión de los Condes(11:00
ク
エ
カ ル サ テ ゙ ィ ー シ ゙ ャ
テ ゙
ラ
11:30) ⇒ Calzadilla de la
サ
Cueza(14:45)
7 時 15 分に出発する。朝食をたのんでいないのに、解らず
食べて出発する。途中オーナーが追いかけてきて 3€を請求され
カ
リ
オ
ン
テ ゙
ロ ス
コ ン テ ゙ ス
た。Carrión de los Condesに 11 時に着き、昼食後 11 時 30
分に出発する。そこから延々16.8Km 田畑の中の一本道を、
しかもスペインに入って始めての雨の中をひたすら歩いた。
延々と続く単調な歩行に嫌気がさしていた時、坂の下に突然
カ ル サ テ ゙ ィ ー シ ゙ ャ
テ ゙
ラ
ク
エ
サ
町が現れ、Calzadilla de la Cuezaの入口付近のアルベルゲに 14 時 45 分に着いた。すること
がないので近くの Hostal でビールを飲む。近くのベルギー人夫婦に話しかけられ、何となく名
前と諺をナプキンに書いたら写真を撮っていた。夕食(10€)はその夫婦とご一緒する。
6 月 10 日(木) 雨
距離=22.2Km 累計距離=413.5Km+810.5Km=1,224.0Km 所要時間=5 時間 15 分
カ ル サ テ ゙ ィ ー シ ゙ ャ
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レ テ ゙ ィ コ ゙ ス
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Calzadilla de la Cueza(7:15) ⇒ Ledigos(8:30) ⇒ San Nicolas del Real
カ
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ン
Camino(11:15) ⇒ Sahagun(12:30)
7 時 15 分に出発する。今日は寒い雨の中を、国道に平行し
た単調な道を歩いた。9 時 20 分頃雨、風が強くなり、ポンチョ
だけでは濡れるため、教会近くの民家の軒先で雨具を身に着
サ
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レ ア ル
カ
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ける。San Nicolas del Real Caminoで朝食兼昼食を取る。
サ
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Sahagun手前の道路と交わる地点で、ほとんどの巡礼者は道
路を歩いていた。私はぬかるみの巡礼路を急ぎ足で進んだ。
再び合流した地点で、前に若いフィンランド人女性と歩いていたドイツ人女性と再会し、同じアルベ
ルゲ Viatoris(7€)に泊まることにした。そこに 12 時 30 分に着き、近くのスーパで買物をする。
時間つぶしのため教会を見学して、Bar で遅い昼食(4€)を取る。アルベルゲに帰る途中、Kさ
んに会う。何故か英語で日本人かと尋ねられる。夕食をアルベルゲでとるためレストランに行くと、
Kさんと一緒になる。振舞いのワインを頂き、今夜も賑やかな食事となる。20 時からは明日の
闘牛前夜祭で大勢の人がたむろしていた。闘牛場が開いていたので写真に納める。Kさん
ロ ン セ ス ハ ゙ ー シ ゙ ェ ス
は前夜、私がRoncesvallesで会った日本人女性と一緒だったことを聞く。今夜は大部屋でう
るさい泊りとなりそうである。雨で濡れた資料を見ているとナプキンを持って来てくれた親切
な人がいた。うれしいこと、腹のたつこと、悲喜こもごもである。
9
6 月 11 日(金) 雨
距離=31.5Km 累計距離=445.0Km+810.5Km=1,255.5Km 所要時間=6 時間 15 分
サ
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フ ゙ ル コ ゙
ラ
ネ
ロ
レ リ エ コ ゙ ス
Sahagun(7:45) ⇒ El Burgo Ranero(11:00) ⇒ Reliegos(14:00)
7 時 45 分に出発する。今日は小雨で、前 2 日間よりましだった。出発が遅かったこともあ
り、巡礼者は疎らだった。道路と平行した巡礼路を足の速い若者を追いかけるように歩い
エルl
フ ゙ ル コ ゙
ラ
ネ
ロ
た。El Burgo Raneroでミサをやっていたが、雨が降っていたので寄ることもなく行き過ぎ
レ リ エ コ ゙ ス
た。今日の目的地であるReliegosには 14 時に着いた。同じアルベルゲ Gaiferos に年配のフランス
人女性と入るが、また彼女は雨の中を歩き始めた。これには宿の人もびっくりしていた。
雨もあがったので、洗濯物を乾かして、近くを散策した。ま
たアルベルゲ(5€)でルルドスタートのアルゼンチン人と話し、お互い写真を
撮りあった。何と 16 時頃にMさんが来るではないか。全く
予期してなかったのでびっくりした。どうも雨の中を 40Km
近く歩いたようだ。夕食(9€)は近くの派手な色彩のペインチング
をしたレストランでMさんとご一緒する。
6 月 12 日(土) 曇
距離=26.0Km 累計距離=471.0Km+810.5Km=1,281.5Km 所要時間=6 時間 00 分
レ リ エ コ ゙ ス
ア
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カ
ウ
エ
ハ
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オ
ン
Reliegos(7:00) ⇒ Arcabueja(10:50) ⇒ León(13:00)
7 時に出発する。肌寒いが雨には遭わなかった。Arcabueja
に、巡礼者用の水道を備えた小奇麗な休憩所があり、簡単な
レ
オ
ン
レ
オ
ン
食事をする。León郊外の Portillo 峠(880M)を越えるとLeón
レ
オ
ン
の市街地が一望出来た。León入口近くでボランティアが巡礼者に
案内をしていた。私はムンシパルのアルベルゲに泊まる予定にして
いたが、教会のアルベルゲが無料でカテドナルドに近いと薦められ
た。市街地をそのアルベルゲに向かって歩いていると、道を間違えムンシパルのアルベルゲに着いた。
道を聞き聞き 13 時に目的のアルベルゲ Santa Maria de Carbajal に着いた。そこに荷物を降
ろし、カテドナルド近くの Bar でMさんと昼食を摂る。料金が
違うということで Bar の女性とやりあう。どうもチップを上
乗せされていたらしい。カテドナルドでは結婚式をしているら
しく、入ることが出来なかった。天井のフレスコ画が有名なサン・
イシドロ教会(聖イシドロの聖遺骸祀るため建築)
、サン・マルセロ広場
に面して建てられた、ガウディーが設計
したボティネス館(今は信用金庫の建物)
を見学する。Mさんはマドリッドまでの
切符の手配のため、18 時の食事の約
10
束をして出かける。公衆電話で娘と連絡をとろうとするがつながらず、妻に電話(8,637 円)
をかけ情報をとるよう連絡する。帰国後、請求書を見て国際電話の高さにびっくりした。
16 時に華麗なゴシック建築のカテドナルド内を見学する。館内のステンドグラス(パネル窓 125、円窓 57、
大きなバラ窓 3)は今まで見た中で規模ときらびやかさで他を圧倒するものであった。18 時
になってもMさんは帰らなかったので、20 時 30 分頃近くのレストランで遅い 1 人での夕食(9.9
€)となる。Mさんが帰ってきたので、携帯を借り娘にかけるがつながらず。家に電話する
と 60Km ぐらい手前にいることを聞く。22 時頃近くの教会のミサに参加した。修道僧は女性
ばかりで、今までのミサとは趣が違っていた。アルベルゲは男女別に仕切られており、かなりの
人数を収容していたので、熟睡出来るものではなかった。申込みの際、5€の寄付をしたが、
その価値はなかった。娘はムンシパルのアルベルゲ(私のアドバイス)に泊まり、人数も少なく良か
ったという。
6 月 13 日(日) 晴
距離=22.0Km 累計距離=493.0Km+810.5Km=1,303.5Km 所要時間=5 時間 45 分
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León(6:45) ⇒ La Virgen del Camino(8:55) ⇒ Villadangos del Páramo(12:30)
6 時 45 分に出発する。ひさしぶりに良い天気だった。教会
を通る道標に従って進むと教会付近で迷った。同じように迷
っている巡礼者がおり、多少時間をロスした。横幅 100M はあ
ると思われる、16 世紀から 200 年の歳月をかけて建築され
た旧サン・マルコス修道院前を通り、ベルネスガ川にかかる橋を渡った。
2 時間程歩いた町で、モダンなブロンズの聖霊降臨際の群像を建
物に配した教会が目に付いた。道路沿いの単調な巡礼路を快調に進
み、途中コウノトリが巣くった教会前のベンチで休憩した。珍しいのか、多
ヒ ゙ シ ゙ ャ タ ゙ ン コ ゙ ス
テ ゙ ル
ハ
゚
ラ
モ
くの巡礼者が写真を撮っていた。Villadangos del Páramoに 12 時
30 分着いた。何にもない町で道路沿いのアルベルゲに落ち着いた。日
誌によると、昨秋虫にさされて困ったとの日本人の記述があり多少
心配する。今日もMさんとご一緒することになった。Mさんに携帯
サ
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ン
を借り、やっと 16 時頃娘と連絡がとれた。今夜はSahagun泊りで、
ラ ハ ゙ ナ ル l
テ ゙ ル
カ
ミ
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ノ
4 日後にRabanal del Caminoで会うことになった。付近を散策する
と、小さな教会があり日曜ミサをしていたが、入れる雰囲気ではなかった。明日の昼食を仕
入れ、ひとまずアルベルゲに引返した。近くの 1 件しかないオスタルでMさんと 20 時から夕食(14
€)を摂る。
6 月 14 日(月) 晴
距離=11.0Km 累計距離=504.0Km+810.5Km=1,314.5Km 所要時間=2 時間 50 分
ヒ ゙ シ ゙ ャ タ ゙ ン コ ゙ ス
テ ゙ ル
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オ ス ヒ ゚ タ ル
テ ゙
オ ル ヒ ゙ ー コ ゙
Villadangos del Páramo(8:10) ⇒ Hospital de Órbigo(11:00)
11
8 時 10 分に出発する。時間調整のため、ゆっくり行きたい
というMさんとここで別れる。娘との距離を詰めるため、か
なりゆっくりペースで歩いたのでかなりの人に追越された。
13 世紀頃架けられた、20 を越すアーチによって構成された屈
オ ス ヒ ゚ タ ル - フ ゚ エ ン テ
テ ゙
オ ル ヒ ゙ ー コ ゙
曲した歴史ある石橋を渡って、Hospital - Puente de Órbigo
の町中に 11 時に着いた。
3 件のアルベルゲの中から San Miguel
を選択する。入口を入った所はオーナの絵画で飾られていた。時間つぶしのため、コウノトリの巣
サン ヘ ゚ ト ゙ ロ
テ ゙
がある近くの教会と石橋付近をあてもなく歩く。さらに 30 分程南に歩いた隣町S.Pedro de
ヘ ゚ カ ゙ ス
Pegasの教会を訪ねる。いなかの何の変哲もない教会だった。今夜はひさしぶりに、宿で一
人夕食(10€)を摂った。
6 月 15 日(火) 曇
距離=17.0Km 累計距離=521.0Km+810.5Km=1,331.5Km 所要時間=3 時間 25 分
オ ス ヒ ゚ タ ル - フ ゚ エ ン テ
テ ゙
オ ル ヒ ゙ ー コ ゙
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ヘ ゙ カ ゙
ア ス ト ル カ ゙
Hospital - Puente de Órbigo(8:05) ⇒ San justo de Vega(10:15) ⇒ Astorga
(11:30)
8 時 5 分に出発する。単調な巡礼路を黙々と歩く。時間があったの
で左にそれて、田んぼの中の道を大回りした。巡礼路に戻るところ
サ
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フ
ス
ト
テ ゙
ヘ ゙ カ ゙
で、林の中に迷いこんだ。10 時 15 分頃San justo de Vegaの遥か
ア ス ト ル カ ゙
先にAstorgaが見渡せる、十字架の碑が立つ高台に到着した。教会
の尖塔が段々と大きくなってきて、鉄道の陸橋を越え、最初のアルベ
ルゲ横を通り、坂を登りきった所のりっぱなアルベルゲ Siervas de
ア ス ト ル カ ゙
Maria に 11 時 30 分に着いた。Astorgaは中世の市壁で一部を囲ま
れていた。時間があったので、両サイドに鐘塔を、正面扉にプラテレスコ
様式の彫刻を配した壮大なカテドナルドを見学した。また博物
館として使用されている、ガウディー設計の流麗な建物があっ
たが、有料だということで入場するのは止めた。アルベルゲ
Siervas de Maria に 13 時 30 分頃チェックインする。そこでぱっ
ハ ゚ ン フ ゚ ロ ー ナ
たりPamplonaで会った日本人女性Nさんと再会する。カテドナル
ド近くのアルベルゲということで、19 時に夕食の約束をする。15 時
頃から市壁に沿って散策する。カテドナルド前でジェラードさんと再開する。約束どおり夕食をNさんとご
一緒する。
6 月 16 日(水) 曇
距離=4.0Km 累計距離=525.0Km+810.5Km=1,335.5Km 所要時間=3 時間 00 分
ア ス ト ル カ ゙
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Astorga(7:30 10:30) ⇒ Murias de Rechivaldo(11:30)
ム
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7 時 30 分に出発する。次の目的地Murias de Rechivaldoまで
12
4Km なので、市内の周遊、スーパの買物、キャッシング(400€)をして時間を潰す。朝食後 10 時 30 分に
ム
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チ
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ル
ト
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出発する。途中日本語表記があった小さな祠に立寄る。11 時 30 分にはMurias de Rechivaldo
に着く。12 時にムンシパルのアルベルゲ(4€)に落着く。そこで昼食のパンを食たり、近くをうろうろするが、
とにかく暇である。教会近くの Bar の 2 階で一人夕食(9€)を摂る。後でこの近くに歴史保存地区に
カ ス ト リ ー シ ゙ ョ
テ ゙
ホ ゚ ル ハ ゙ サ レ ス
指定された赤い町Castrillo de Polvazaresがあることを知り、行かなかったことを残念に思
った。
6 月 17 日(木) 快晴
距離=16.0Km 累計距離=541.0Km+810.5Km=1,351.5Km 所要時間=8 時間 30 分
ム
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ア ス ト ル カ ゙
Murias de Rechivaldo(8:00)
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エ ル
カ
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ソ
ラ ハ ゙ ナ ル l
テ ゙ ル
⇒ Astorga(9:00) ⇒ El Ganso ⇒ Rabanal del
ノ
Camino(16:30)
ア ス ト ル カ ゙
今日はひさしぶりに良い天気である。8 時娘を迎えにAstorgaま
でバックする。その途中でフランソワ夫婦とすれ違う。9 時から 14
時まで娘を待つが、まだここまで到達してないようだ。再
ラ ハ ゙ ナ ル l
テ ゙ ル
カ
ミ
ー
ノ
び、会う約束のRabanal del Caminoに向かって歩き出す。
エ ル
カ
゙
ン
ソ
全くの一人旅である。El Gansoを過ぎた山道で、フィンランド
人のパリに住む婦人と会う。しばらく話をしながら歩き、後
2.2Km の所で別れた。彼女はムンシパルのアルベルゲに泊まるらしい。私は以前会ったフランス人と再
会し、どのアルベルゲが良いか訪ねたが、言葉が通じず、その人とは別の教会系のアルベルゲに
泊まることにした。16 時 30 分に荷を下す。これからアルベルゲを回って、娘の宿を確認しよ
フ ォ ン セ ハ ゙ ト ゙ ン
うと動きかけた矢先に娘から電話が入った。ここに到達出来ないので、Foncebadónで会う
ことになった。今日の夕食(10€)は解らず注文したが、思ったものが出てきた。今日もビノ(3.5
€)をおかわりした。
6 月 18 日(金) 晴
距離=5.6Km 累計距離=546.6Km+810.5Km=1,357.1Km 所要時間=4 時間 00 分
ラ
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ナ
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テ ゙ ル
カ
ミ
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ノ
フ ォ ン セ ハ ゙ ト ゙ ン
Rabanal del Camino(7:30) ⇒ Foncebadón(11:30)
朝食後 5€を寄付する。ホスピタレーロ 2 人と写真を撮り、7 時 30
分に出発する。時間があったので、巡礼路沿いの斜面に、3
フ ォ ン セ ハ ゙ ト ゙ ン
時間程かけてケルンに十字架を作る。Foncebadónに 11 時 30
分に着く。アルベルゲは 14 時オープンなので、近くの Bar でビー
ルを飲んだり、近くの鉄塔が見える小山に登ったりして時間
を潰した。娘はなかなか来なく、16 時頃やっと到着した。
今度は 26 歳のイタリア人女性キアラを伴っていた。アルベルゲは夕食、朝食付きのドナチボだった。
6 月 19 日(土) 晴
距離=26.9Km 累計距離=573.5Km+810.5Km=1,384.0Km 所要時間=9 時間 10 分
13
フ ォ ン セ ハ ゙ ト ゙ ン
モ
Foncebadón(7:30)
カ
ン
ホ
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ナ
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カ
⇒ Molinaseca
゚
(12:30) ⇒ Campo(14:00) ⇒
ホ ゚ ン フ ェ ラ タ ゙
Ponferrada(16:40)
霧の中を 7 時 30 分に出発する。遠くの山並み
に風車が数多く見渡せた。今日は二人に付か
ず離れずの山越えの歩きだった。8 時 10 分頃、
イラゴ山頂(1,504M)の Cruz de Ferro「掟の十字
架」に着く。十字架が霧の中で幻想的に霞ん
で浮かんでいた。ペルーのおばさんに写真を撮ってもらう。そ
の先にサンチャゴまで 222Km と表示した、非常に目立つ土産物
モ
リ
ナ
セ
カ
店があった。ここからMolinasecaまで、標高差 900M 強の
山下りである。教会の先の「中世の巡礼者の橋」を渡ると
モ
リ
ナ
セ
カ
Molinasecaの町中に入る。橋下の川原で、12 時 30 分頃昼
カ
ン
ホ
゚
食を摂る。Campoに四国 88 箇所巡礼の記念碑があった。国
道沿いの高級住宅街らしきところを下ると、前方に
ホ ゚ ン フ ェ ラ タ ゙
ホ ゚ ン フ ェ ラ タ ゙
Ponferradaの市街地が望めた。Ponferradaはシル川に架けられた「鉄の橋」という意味で、
テンプル騎士団の城塞の町だった。大きなアルベルゲには日本人女性がホスピテーロとして世話してい
た。彼女からMさんからのメッセージを受取る。近くの教会と 13 世紀の城砦跡を見学した。夕
食(12€)は日本人ホスピテーロを含めた日本人計 5 人とキアラと一緒に、近くのレストランで賑やかに摂
った。
6 月 20 日(日) 快晴
距離=23.0Km 累計距離=96.5Km+810.5Km=1,407.0Km 所要時間=5 時間 50 分
ホ ゚ ン フ ェ ラ タ ゙
ヒ ゙ シ ゙ ャ フ ラ ン カ
テ ゙ ル
ヒ ゙ エ ル ソ
Ponferrada(7:20) ⇒ Villafranca del Bierzo(13:30)
7 時 20 分に出発する。教会付近で巡礼路をはずれてしまう。
小高い道路からエレベータで降り、東から西へ方向転換して進ん
でいると巡礼路に合流した。30 分程時間ロスした。そこからも
しばらく解りにくい道標が続いた。前半は道路、後半小高い
ヒ ゙ シ ゙ ャ フ ラ ン カ
テ ゙ ル
ヒ ゙ エ ル ソ
ブドウ畑の中を経て、13 時 30 分にVillafranca del Bierzoに
着いた。娘等が来るまでしばらく待たされた。アルベルゲは橋を
渡った町外れのところに決めた。15 時から 3 箇所の教会を巡る。1186 年建立のロマネスク建築
サンチャゴ教会北側には「許しの扉」フォサードがあったらしいがよく解らなかった。またここに
は許しの門があり、サンチャゴまで行けなくても満願としてもらえるらしい。見晴らしの良い
一番高い教会裏の芝生で昼寝をした。19 時 30 分から夕食を自炊した。
6 月 21 日(月) 晴
距離=30.0Km 累計距離=626.5Km+810.5Km=1,437Km 所要時間=9 時間 10 分
14
ヒ ゙ シ ゙ ャ フ ラ ン カ
テ ゙ ル
ヒ ゙ エ ル ソ
ヘ ゙ カ ゙
テ ゙
ハ ゙ ル カ ル セ
ド
セ フ ゙ レ イ ロ
Villafranca del Bierzo(7:10) ⇒ Vega de Valcarce(12:00) ⇒ O Cebreiro(16:20)
アルベルゲで朝食を摂り、7 時 10 分にスタートする。相変わらず道路沿いの山道を進む。途中高速
ヘ ゙ カ ゙
テ ゙
ハ ゙ ル カ ル セ
道路らしきものの下を潜った。
Vega de Valcarceで休憩と 10 日程延長の航空便変更(268€/2
ド
セ フ ゙ レ イ ロ
人)の手配をしていると 12 時になった。
そこから 600M 標高差のあるO Cebreiroを目指す。
16 時 20 分に着く。ここには歴史ある教会があったので、見学しスタンプを押してもらった。
またパジョッサと呼ばれる、萱葺きで石造りの丸い歴史を感じ
さす住居跡があった。アルベルゲ(5€)は順番で部屋割りをして
おり、何故だか先着組は 2 段ベットの大部屋、後着組は 1 段
のゆったりした部屋だった。娘等は大部屋、私は幸運にもゆ
ったり部屋だった。私はコインが差込まれている大きな十字架
のある丘に登り、昼寝をする。360 度展望が開け、ここちよ
い気分にさせてくれた。19 時 30 分から近くのレストランでキアラ
と夕食(10€)を摂る。
6 月 22 日(火) 快晴
行距離=21.0Km 累計距離=647.5Km+810.5Km=1,458.0Km 所要時間=7 時間 10 分
ド
セ フ ゙ レ イ ロ
リ
ナ
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ス
ア ル ト
ト ゙
ホ ゚ イ オ
O Cebreiro(7:30) ⇒ Linares(8:00) ⇒ Alto do Poio(12:30) ⇒
ト リ ア カ ス テ ー ラ
Triacastela
(14:40)
ド
セ フ ゙ レ イ ロ
O Cebreiroを娘達は 7 時 20 分、
私は 7 時 30 分にスタートする。
リ
ナ
レ
ス
私は間違って、Linaresまで国道を歩く。何人か歩いていた
ので安心した。San Roque 峠のモニュメントで写真を撮る。しばら
ド
セ フ ゙ レ イ ロ
ホ ゚ イ オ
く道路と平行して歩く。O Cebreiroより高い峠のPoioの Bar
に 12 時 30 分に着く。大勢の巡礼者がたむろしていたので、
ト リ ア カ ス テ ー ラ
私もここでビールとポカリージョを頂く。Triacastelaには私が先着
し、娘達はしばらくして到着する。わたしは近くの教会と次の日の分岐点付近を散策する。
アルベルゲ Aitzenea で宿泊申込みをする。娘達は昼寝をして過ごしていた。夕食(10€)は近く
の Bar で、片言の日本語がしゃべれるアメリカ人夫婦とカナダ人、そしてイタリア人女性キアラと一緒だ
った。
6 月 23 日(水) 快晴
距離=34.5Km 累計距離=682.0Km+810.5Km=1,492.5Km 所要時間=9 時間 50 分
ト リ ア カ ス テ ー ラ
サ
ン
クスイル
サ
リ
ア
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Triacastela(7:40) ⇒ San Xil ⇒ Sarria(12:50)
7 時 40 分に出発する。今日のコースは 2 つあるが、楽な右方向
サ
ン
クスイル
サ
モ
ス
のSan Xil経由とした。もう一方のコースには、有名なSamos修
道院がある。少しアップダウンのある山道を、少しの休憩のみで
サ
リ
ア
11 時 50 分にSarriaに着く。さっそく町入口付近の Bar で昼
15
レ
ロ
ス
⇒ Ferreiros(17:30)
サ
リ
ア
サ ン チ ャ コ ゙
食を摂る。SarriaからスタートするとSantiagoから 108Km なの
で、歩いて巡礼証明書がもらえる最短区間である。そのこと
もあって、巡礼者が急に増えた気がする。今日は長丁場で予
フ
レ
ロ
ス
定地Ferreirosにはアルベルゲが 1 軒しかないので不安だった。
最後の登り坂では巡礼路が通行止めになっていて、迂回路で
あるぬかるみの急坂を登ることになった。自転車が四苦八苦
して手押ししていた。パンク修理していた自転車の集団を尻目にアルベルゲに先着した。しかし、
案の定満室だった。聞くと、2Km 程行ったところに Hostal があるというので、気を取り
直して再出発する。ところが幸いなことに 100M 程下ったところに、Bar 兼アルベルゲがあり
安堵した。17 時 30 分を過ぎていた。寄付ということで 5€を払い、荷を下す。夕食(10€)
はそこで摂った。夜、付近の住人が集まり、焚火を囲んで祭りらしきもので賑わっていた。
教会が火の灯りと月の明りで照らしだされていた。結局このアルベルゲも満室近くになった。
シャワーは水しか出ず、騒がしい夜となり、5€は払い過ぎた感がする。
6 月 24 日(木) 晴
距離=24.5Km 累計距離=706.5Km+810.5Km=1,517.0Km 所要時間=7 時間 50 分
フ
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ホ
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マ
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リ コ ゙ ン テ ゙
Ferreiros(8:10) ⇒ Portomarin(11:00) ⇒ Ligonde(16:00)
Bar で朝食(3.5€)を済ませ、8 時 10 分に出発する。湖のよう
ミ
ニ
ョ
なMiño川が前方に開け、その川にかかる橋を渡り、階段を登
ホ
゚
ル
ト
マ
リ
ン
った。そこがPortomarinで、11 時頃の到着だった。買物を
済ませ、教会でスタンプを押してもらう。再び橋を渡り、国道
リ コ ゙ ン テ ゙
沿いの山道のアップダウンを繰返しながら、今日の宿Ligondeに
は 16 時に着いた。一番手前の 10 人収容の宿で、ドナチボで質
素なアルベルゲだった。Bar で 19 時 30 分頃まで時間を潰した。この宿を運営している子連れ
夫婦の話があり、20 時からホスピレーロ等と夕食をした。
6 月 25 日(金) 晴
距離=31.5Km 累計距離=738.0Km+810.5Km=1,548.5Km 所要時間=10 時間 15 分
リ コ ゙ ン テ ゙
Ligonde(6:45) ⇒
ハ ゚ ラ ス
テ ゙
レ
イ
メ
リ
テ
゙
Palas de Rei(9:00) ⇒ Melide(12:30)
アルベルゲで朝食を済ませ、二人で 10€払って、ひさしぶりに 6 時台の
6 時 45 分に出発する。
、セブロイド峠付近から、サンチャゴまでの距離表示
ハ ゚ ラ ス
テ ゙
レ
イ
が 500M 間隔でされているので励みになる。
Palas de Reiで休憩後、
メ
リ
テ
゙
そこを 9 時に出発する。Melideに 12 時 30 分に着き、昼食を摂る。今
ア ル ス ー ア
日も道路沿いの歩道を多少のアップダウンを繰返しながら歩く。Arzuaの
ア ル ス ー ア
アルベルゲ(10€)に 18 時前に着く。Arzuaは比較的大きな町である。今
日は午前中涼しかったが、午後はいつもどおり日差しがきつかった。
16
ア ル ス ー ア
⇒ Arzua(18:00)
林が多かったので多少救われた。今日は 31.5Km 歩いた。アルベルゲには以前会ったアメリカ在住
の韓国人夫婦がいた。夕食は近くのレストランに行った。ペルー人とイタリア人女性とキアラと同行した。
レストランにはフランソワ夫婦がたまたま居合わせた。
6 月 26 日(土)
距離=34.5Km 累計距離=772.5Km+810.5Km=1,583.0Km 所要時間=9 時間 40 分
ア ル ス ー ア
オ
ヘ ゚ ト ゙ ロ ー ソ
ラ ハ ゙ コ シ ゙ ャ
Arzua(7:20) ⇒ O Pedrouzo ⇒ Labacolla(15:00)
モ
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テ
ト ゙
コ
ソ
⇒ Monte do Gozo(17:00)
アルベルゲで朝食(3€)を済ませ、7 時 20 分に出発する。今日も多少の
オ
アップダウンのある道路沿いと林間の単調な巡礼路である。O
ヘ ゚ ト ゙ ロ ー ソ
ラ ハ ゙ コ シ ゙ ャ
Pedrouzoで昼食を済ませ、今夜の宿Labacollaに 15 時に着いた。教
会の前近くに Hostal が集中しており、すごい賑わいである。Hostal
に泊まろうと思っていたら、居合わせた人が交渉してくれ、空部屋
があるといわれたが、今夜は祭りのためやかましいということだっ
た。そこで、友人で巡礼先輩のYさんが泊まった Hotel に行くこと
にした。巡礼路からそれて道路をしばらく行き、右に入ったところ
モ
ン
テ
ト ゙
コ
ソ
に小奇麗な Hotel はあったが、そこも満室だった。親切なオーナがMonte do Gozoのアルベルゲ
に空があることを確認してもらい、非常に疲れていたが道路を歩くと 3Km 程ということな
のでそこに行くことにした。巡礼路に合流して少し行ったところに、
「歓びの丘」があった。
眼下に今までに見た中で最大級のアルベルゲ群が見えた。そこでフランス人の 3 人組みと、涼子さ
んに再会する。19 時過ぎに近くのレストランで夕食(7€)を済ます。
6 月 27 日(日) 曇
距離=4.5Km 累計距離=777.0Km+810.5Km=1,587.5Km 所要時間=1 時間 20 分
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ソ
サ ン チ ャ コ ゙
テ ゙
コ ン ホ ゚ ス テ ー ラ
Monte do Gozo(7:30) ⇒ Santiago de Compostela(8:50)
アルベルゲを 7 時 30 分に出発する。少し肌寒い中を、アルベルゲの建物群
の中を下って行く。アルベルゲの入口付近の自動販売所で簡単な朝食を
摂る。
「よいご旅行を」の縦看板を左に見て坂道を下り、市街地を 1
時間程歩くと、眼下にカテドナルドの尖塔が見えた。さらにしばらく下
ると、8 時 50 分にカテドナルド前のオブラドイロ広場に着いた。巡礼者は
サ ン チ ャ コ ゙
テ ゙
コ ン ホ ゚ ス テ ー ラ
Santiago de Compostela到着日を日曜日に合わせるが、まさにこ
の日が日曜日である。広場は観光客と相まって、大変な人だかりで
ある。特に、今年は 6 月 25 日の聖ヤコブの日が日曜日に当たる年
で、聖ヤコブ大祭の年にあたる(6 年、5 年、6 年、11 年の周期)
。キンタナ広場側にある開か
ずの扉「聖なる門」が年間を通して開かれる。次に開かれるのは 11 年後の 2021 年である。
巡礼証明証書をもらうために、長い行列に加わった。入り口には巡礼の友とした杖が沢山
積み上げられていた。機械的ではあったが、待望の巡礼証明書の発行を受けた。オブラドイロ
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広場で繰り広げられるイベントを見な
がらミサの時間まで待機する。正面入
口のファサードをくぐり、栄光の門を抜
け、大聖堂の中へ入っていった。ミサ
は 12 時から始まり、ボタフメイロ(吊香
炉)でクライマックスに達し、13 時 30 分に
終了した。その間、歌のうまいドイツ人夫婦、オーストラリア夫婦、涼子さ
ん、その他娘が出会った多くの人達と示し合せた様に再会した。変
なスペイン人セザールの案内で、立席でスペイン料理を味あう。その後サマランカの大学に留学中の日本
人と土産店をまわり、ティーシャツ等を購入した。夜は昨日約束してあったフランス人 3 人組と食事
した。宿泊はフランス系ケッベク人の案内で、カテドナルド近くのアルベルゲ(18€)を確保する。料金の割
には粗末な寝床だった。
(フィニステラの道に続く)
2010/10/01 第 1 版、2011/11/01 第 2 版、2011/11/30 第 3 版
http://www.geocities.jp/kamichan_life/index.html
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